王宮 -レプスの刻-

「……ここは……ちょっと入りにくいんですよねー」
新年祭で、王宮は一般開放されている。
広く開かれた門からは一般市民がたくさん出入りしていて、門から続く王宮までの広い庭はちょっとしたガーデンパーティーのようになっていた。
もちろん、王宮内部もほとんどが開放されており、普段は入れない身分の者たちも1年に一度の祭りを豪勢に楽しんでいるようだった。
門からたくさんの人が出入りする中、ミケは一人で門の前に立ちすくみ、はあとため息をついていた。

謎のダンジョンをクルムに任せ、喫茶ドラセナにいたセレをジルに任せ、オルーカにも部下捜索をお願いしたはいいが、かといって自分に他にあてがあるわけでもなく。
なんとなくフラフラしているうちにここに来てしまったのだが。
「さすがに、王宮は……騒ぎを起こしたらまずいですよね…」
悪ふざけをするのに、これほどに向かない場所はない。
ミケは嘆息して、踵を返した。
「まあ、他を回ってからに…」
ぴた。
言いかけて、足を止める。
「………」
認めたくない。
認めたくはないのだが。
超感覚、第6感、技能を取ってもいないテレパシー、まあなんでもいい。
真冬でこんなに寒いのに、汗が一筋流れ落ちた。
「………」
何かをこらえるような表情で俯くミケ。
このあとの展開が容易に予想でき、さらにそれが自分にとって最高に面白くないものだということも手に取るように予想できる。
後回しに…いっそ、誰かに任せて自分は他に行きたいのだが。
「……………」
はあ、とため息をついて。
「…………リリィ、さん……まさかいたり……します?」

「はい、ご指名ありがとうございますぅv」

声は、すぐ後ろから聞こえた。
「ぅわあ!」
大慌てで飛び退くミケ。
「ななな、何!?なんで!?」
「まぁっ、ミケさんたら自分で呼んでおきながらなんですかその言い草」
「いきなり出てくると思ってないでしょう、普通!探してるんですから!」
「まぁ、酷い。難航しているようだし、わざわざ出てきてあげたのに」
「…………待つのに、飽きたんでしょう?このままだと僕が別の場所に行ったら、それこそほったらかしですから」
「はいv」
にっこり。
あっさり答えられて、がくっと肩を落とす。
「…………ねぇ、おかしいと思いませんか?」
「何がですか?」
すう。
大きく息を吸ってから、ミケは叩きつけるように言った。
「特に掲示板で誰とは指定せずにいたわけですよ、余った人でイベントしようと思っていたわけですよ?誰もあなたを指名しないって、どういうことですか!?空気は読まなくて良いんですよ、皆さん!そこはみんな、自由に選びましょうよ、わざわざ残さなくて良いんですよー!」
リリィは楽しそうにパチパチと拍手をして。
「はい、ノンブレスお疲れさまですvじゃあ、始めましょうか?」
「そーですね……」
とりあえず色々なものを諦めて、ミケはふうとため息をついた。
「というか、何なんですか、その格好」
「えー、今日は新年祭ですから、私達みんなおめかししてるんですよ。
三○無双の二喬みたいで可愛いでしょ、うふv」
言って可愛らしくポーズをつけるリリィは、いつものずるずるとしたローブではなく、デザインは同じようなリュウアン風だが、丈のずいぶん短い短衣に身を包んでいた。袖口は広がっているものの、いつものように手まで覆い隠してしまうほど長くはない。髪もツインテールにして結ってある。
「ああ…それで、セレさんもあんな格好を…」
「あ、セレ見たんですか?可愛いでしょー、あの制服だけでチャカ様あそこを選んだんですよv」
「あー……コメントは差し控えさせていただきます…」
「他のどの子よりもリリィが一番可愛いよってことですね、きゃっ照れちゃう」
「あなたのその無駄なポジティブさだけは賞賛に値すると思いますよ…」
頭痛のする頭を押さえて、ミケは強引に話を戻した。
「んで、ヒントください」
「何をしたらくれますか、じゃないんですね」
「ヒント、ください」
無視して言葉を繰り返す。
無駄な努力だとわかっていても、何事もない安寧を求めたって良いはずだ。
リリィはつまらなそうにむーと口を尖らせた。
「ここでヒントあげて終わったら、読者が暴動起こしますよ?」
「ヒントくださいってば」
「もー。エレメンタリーじゃないんですからー」
はぁ。
ため息を一つついて、リリィはにこりと微笑んだ。
「じゃあ、ミケさん。追いかけっこしましょうv捕まえられたらヒントをあげますv」
たらり。
ふたたび、汗が一筋。
「……無論、一般開放されているところまでですよね、範囲は」
「うふ」
返答しないことが返答と言えた。
リリィは可愛らしく微笑むと、早速踵を返して王宮の中へ。
「ちょ、待ちなさい!」
慌てて追いかけるミケ。
冗談ではない。
早いところ捕まえなければ、彼女はどこまでも逃げていくだろう。
そう、一般解放されていない、王族のプライヴェートルームにまで。
そんなところで追いかけっこをしているのが見つかったら、彼女はすぐさま姿を消して逃げるだろうが、自分は確実に捕まってしまう。
そして…入れないからといって追いかけなければ、それこそどんなことを引き起こすかわかったものではない。
ミケは必死になって、リリィを追いかけた。
「ほほほほ、つかまえてごらんなさーいv」
「ちょっとなんですかそれ!待てー!!」
…まあ、同じように王宮に入ってきている一般市民にこんなような姿が目撃されまくるということは、きっと王宮に入って捕らえられるよりは瑣末なことなのだろう。
……たぶん。

「くっ、いきなり人ごみに紛れたか…!」
入ってすぐに広がる大広間には、王宮の大広間なのだからと着飾った人々でごった返している。
ミケは早速リリィを見失い、辺りをきょろきょろと見回した。
すると。
がしゃん。
きゃー。
「!!」
ミケのすぐ近くで大きな瓶が突然割れ、そばにいた者たちが悲鳴をあげる。
慌ててそちらを見れば、ちらりと亜麻色の髪が視界を掠めて。
「…っ、いきなりですか……!」
ミケは慌てて、それを追った。

たたたた。
たたたたた。
どう考えても自分を誘導しているとしか思えないほどに、姿は見えはしないが視界の端は掠めて去るという絶妙な距離感を保っているリリィを、ミケはかなり必死の形相で追いかけていた。
「ちょ……ここ、開放順路じゃないじゃないですか…!」
かなり嫌な具合に予想が当たって、戦々恐々とするミケ。
そもそも、彼女は移動術が使えるのだから、わざわざ走ってミケと追いかけっこをすることなどないはずだ。きっと見えない場所では面倒がって使っているに違いない。
「くっ……負けるかー!」
ミケは眉を寄せて、走るスピードを上げた。

やがて、一般客がまったく見えなくなってくる。
「ちょ、ここ完全に立ち入り禁止区域じゃ……って!」
こつ、こつ、こつ、こつ。
向こうから近づいてくる衛兵の足音に、ミケは慌ててそばにあった像の陰に隠れた。
こつ、こつ、こつ、こつ。
「……ん?ここに2体も像があったか…?まあいいか……」
こつ、こつ、こつ、こつ。
衛兵が不審な顔をしつつも去っていって、ミケはほっとして幻術を解いた。
「あ、あぶないあぶない……」

「というか、これはいよいよ早く見つけないとやばいんじゃ…!」
ミケの顔はだんだん蒼白になってきていた。
魔道探知をしようにも、予想通りあちこち魔法で移動をしているらしく、まったく定まらない。
というか途中からだんだん、自分の持てる魔道技術をフルに駆使して、リリィを探すことでなく衛兵に気づかれぬように身を隠したり衛兵の位置を確認したりすることに夢中になってきている。
「こ、これは、やば……」
と、ミケが息を切らしかけた頃。
しゅっ。
突如、目の前に誰かが瞬間移動してきて、ミケは驚いて身構えた。
「んわ?!」
「あらっ、人がいましたの?ごめんあそばせ」
「ばせー」
しかし、現れたのはリリィではなく、マヒンダの双子の女王、エータとシータ。
ミケは微妙な顔見知りに、しかし地獄に仏とばかりにすがりついた。
「あ、お、お久しぶりです!あの、去年の年末はどうもでした!」
「去年の年末?」
「まつー?」
きょとんとする女王たち。
ミケは慌てて言いつくろった。
「あ、ええと、去年、ヴィーダの街の宿屋で、ええと、クルムさんに誘われて、いらしたでしょう?そのときのパーティーの主催をさせていただいた者ですけど」
ミケの説明にようやく思い出したらしく、双子は見事にシンクロしてぽんと手を打った。
「ああ、思い出しましたわ!ミケさまですわね!」
「わねー」
「よ、よかったです。改めてよろしくお願いします」
思い出してもらったことにほっとしつつ、ミケは早速用件に入った。
「え、ええと、マーメイドで、ピンクの鰭で、亜麻色の髪の女性が通りませんでしたか?あのとき、いたはずなんですが……ラヴィさんと同じドレスを着ていたあの人なんですけど!」
双子はシンメトリーに首を傾げて見せた。
「ラヴィさまのご先祖様ですわよね?いいえ、見かけておりませんわ」
「せんわー」
「そうですか…」
がっくりと肩を落とすミケ。
「ラヴィさまはいらっしゃいましたけれど、あの方は見ていませんわよね」
「わよねー」
「え、ラヴィさんいるんですか?」
「ええ、先ほど大広間でお話いたしましたわ」
「ましたわー」
「…………大広間…まさか!」
ミケははじかれたように踵を返した。
「すみませんっ、ありがとうございます!す、すぐここは立ち去りますから、どうか通報だけはしないでくださいっ!」
言い残してさっさと駆け出すミケを、双子は手を振って見送った。
「はーいー。ミケさまも追いかけっこがんばってくださいませねー」
「ませねー」

ざわざわ。
ざわざわ。
ざわ……。ざわ……。
そんな効果音はともかく、大広間はある種異様なざわめきに包まれていた。
「同じ人が2人…?」
「あの方は…?」
「リゼスティアルの皇女様よ…」
「まあ……双子でいらっしゃるのかしら…」
「そんな話は聞いたことは…」
そのざわめきの中心には、2人の少女。
同じ姿をし、同じ服を着た、リゼスティアルの皇女、ラヴェニア・ファウ・ド・リゼスティアルが、2人向かい合って立っていたのである。
「……」
「………」
2人の皇女は、全く同じ厳しい表情で互いを見詰め合っていた。
ラヴェニア皇女が一人しかいない以上、どちらかが偽物なのは間違いないのだ。
「…何方様ですか?」
「そちらこそ…」
「おふざけは大概になされませ」
「それはこちらのセリフですわ」
一見穏やかではあるが、ピリピリとしたセリフが飛び交う。
従者も少し目を離していた隙に偽者が登場したようで、どちらがどちらだかわからないようだった。おろおろと、静かににらみ合う2人の皇女を見比べている。
「誰か呼んだ方が……」
「…でも、リゼスティアルの皇女でしょう…」
「どちらかは偽物なのだが…」
「…でも、そのどちらかがわからなければ……」
ざわざわ。
二人の少女を中心に広がったざわめきの輪は、徐々に大広間を侵食していき……

「何やってんですかあなたは―!!」

しぱーん!
あらゆる意味でこの場の雰囲気にそぐわないハリセンの音が響き、人々は驚いてそちらを――人垣を掻き分けてやってきて、2人の皇女のうち一人の頭を思いきりはたいたミケの方を見た。
「ミケ?!」
驚くもう一人の皇女。
ミケは叩いた方の皇女の口をふさぐと、ものすごい勢いで頭を下げた。
「すみません、この子そっくりさんなんです!うっかり迷い込んじゃったみたいで!」
じゃっ!と手を上げて、口をふさいだ少女を抱え上げ…ようとして重すぎて失敗し、仕方無しにずるずると引きずっていく。
「…………」
人々はただ呆然と、その様子を見送るのだった。

はあ、はあ、ぜえ、ぜえ。
どうにか人気の無いところまでラヴィを引きずってきたミケは、ようやく手を離して足を止めた。
「ぷはっ!もう、何すんのミケ!!」
ラヴィは先ほどのしとやかな振る舞いとは180度かけ離れた態度でミケにくってかかる。
ミケはまだ肩で息をしながら、半眼でそちらを見た。
「……白々しい真似はやめなさい、リリィさん」
「リリィ?」
眉を顰めるラヴィ。
「…さっきの偽者のあたしは、またあの厄介なご先祖様だっていうの?」
「だから」
ミケはイライラした様子で、声を大きくした。
「僕の前でラヴィさんの真似をしても、無駄です。ネタは割れてるんですから。さっさと元に戻りなさい、不愉快です」
「…ふふ、自信満々ですね」
ラヴィはにこりと笑って…そして、魔術文字を書いた。
文字がまばゆい光を放ち……先ほどの、短衣姿のままのリリィが、姿を現す。
ミケは不機嫌最高潮の表情のまま、怒鳴りつけた。
「なんてコトしてるんですか!死にますよ!?」
「ミケさんが?」
「その通りです!」
情けないことを力いっぱい断言するミケ。
リリィは楽しげにくすくすと笑った。
「あの子の真似をするのには、結構自信があったんですけど。どうして判っちゃったんです?」
「どうしてって……」
ミケは言われて考え込んだ。
「…………」
「まあっ。根拠が無かったんですか?!もしそれでここに連れて来たのがあの皇女様で、私があっちに残ってたりしたら、どうするつもりだったんですか?!」
「間違えませんよ」
何をバカなことを、というように、ミケ。
「なんでと言われましても。……あなたにしか、見えなかった。あなたは、あなたなんですから。例え双子だったとしても、見分けられる気がします」
「あら」
「うう……こんな特技、役に立たない~っ!」
苦虫を100匹くらい噛み潰したような顔で苦悩するミケ。
リリィは対照的に、嬉しそうに微笑んだ。
「やだもーミケさんたら、そんなに熱烈な愛の告白されたら照れちゃいます」
「愛の告白じゃありませんから」
「何言ってるんですか今さら。これ以上ないくらい熱烈な愛じゃないですかー」
楽しそうに言ってくるリリィを、ミケはいつもの反論ではなく、複雑な表情で見返した。
「……愛って、どんな感情ですか?」
「は?」
思わずリリィが問い返すと、ミケは拗ねたように視線を逸らした。
「愛してる、とか…好き、って、どういう感情なんですか?……そんなの、分からない」
リリィは珍しいものを見るように、しげしげとミケを見た。
「えっ。どうしちゃったんですかミケさんいつになくマジになっちゃって。
ひょっとしてレティシアさんにふられちゃったとか?」
「は?」
「あらやだ、図星ですか?」
「あのね、リリィさん……」
ミケは何かをこらえるような表情で、反論した。
「今ね、好きってどういう事か知りたいんですけど……ええと、自分の中で答えが出る前に振られたんですかねぇ?」
「ミケさんなら、ありそうじゃないですか」
「あるかっ!」
「ていうか、ミケさんなら、振られたことすらわからなそうですよね」
「ぐっ……!」
否定できない。
恋愛が何かすらわからない自分が、気づかぬうちにふられていたとしても、それはまったく不思議ではなかった。
リリィは可笑しそうにくすくす笑って、ふうと息をつく。
「そうですねえ、チャカ様の件とは別口で、個人的に真面目にお答えしてもいいですよ?」
「…真面目、ねえ…」
「何ですかその目。ていうか、私はいつでも真面目ですから。全力で失礼ですよミケさん」
「はいはい、わかりましたから。一応聞かせてくださいよ、あなたの愛とやらを」
「自分で訊いといて何ですかその投げやりな態度。
そうですねえ、愛ですか……」
リリィは視線を上に上げて何か考えるような表情をしながら、一歩、二歩と歩き出した。
「愛……一言で言うのは難しいですけど。
でもあえて一言で言うなら、『執着』でしょうか」
「……執着?」
眉を顰めるミケ。
「ええ。
一つのものに、すごく執着すること。
そのことを考えると、平常心を保てなくなったり。
それがどうしているのか、それが人なら何を考えているのか、どう思っているのか
気になって気になって仕方がなくなったり。
それ無しでは生きていけないくらい、執着することが…
…愛なんじゃないでしょうかねえ?」
「………」
ミケは複雑な表情でリリィの話を聞いている。
リリィは続けた。
「その執着という感情がどうやって表れるかは、人それぞれだと思いますけど。
相手のために何かしてあげたいと思ったり、
逆に相手の全てを手に入れたいと思ったり。
もっと逆を行くと、相手の全てを壊したいと思ったり」
「………っ」
ミケが睨むようにリリィを見たのを、リリィは笑顔で見つめ返した。
「うふふ、壊したいと思うのは愛じゃない、って、ミケさんは思ってるでしょうね。
でも、私は同じだと思いますよ?」
「そんな…そんなこと、あるはずが」
「ミケさん」
リリィは足を止めて、ミケを見た。
唇に薄くたたえられた微笑。
しかし、いつもからかうように細められるはしばみ色の瞳は、決して微笑んではいなくて。
ミケはその静かな威圧感に、思わず口をつぐんだ。
「…『愛』の反対は『憎しみ』じゃありませんよ。
…『無関心』です」
に。
笑みの形にゆがむ瞳が、むしろ不気味でさえあって。
「そのことを考えるだけでいてもたってもいられなくなるのは、それだけそのことに執着してるって事じゃないですか?
私は、それを全部ひっくるめて『愛』だと思ってます。
だって、『愛』から『憎しみ』なんて、簡単にひっくり返るものじゃないですか?
そりゃそうですよ、根本が一緒なんですもの」
「……っ」
ミケは苦い顔で、視線を逸らした。
それは違う、そう声に出して叫んでしまいたかった。
が、心のどこかで、別の何かを叫んでいるような気がして。
それを無視するのに精一杯だった。
と。
「…私にも、覚えがありますよ?」
リリィの言葉に顔を上げて、驚いた。
先ほどまでの空虚な笑みとは違う。
目は潤み、頬を染めて、幸せそうな…これ以上ないくらい陶酔した表情で、微笑んでいたのだ。
「お声をかけていただくだけで、とても嬉しくなって。
触れられるだけで熱くなって。
あの方が私をどう思っていらっしゃるのか、
考えをめぐらせるだけで何日でも眠れない夜を過ごしてしまいそうですよ」
「………」
ミケはなかば呆然と、その様子を見守っていた。
そのリリィの姿はあまりにも、普段の、強引で自分本位で、あふれるほどの自信と気品に満ちた彼女とは違っていて…
……普通の、恋する乙女のようだったから。
「私は、チャカ様がいないと生きていけないんです。
私の全ては、チャカ様のためにあるんですから。
だから、チャカ様にならこの体を引き裂かれたって構いません。
血の最後の一滴まで、私はチャカ様のものですよ」
にこり。
いつもの優雅な微笑でなく、本当に幸せそうな微笑で、そんなことを言うから。
「……いな」
思わず呟いた言葉に、ミケは自分で苦笑してしまった。
「羨ましい、な。それだけ思われるチャカさんが。……それだけの思いを持っている、あなたが」
何となく手のひらを見て、それを握る。
これほどまでの…愛でも執着でもなんでもいい。こんなことを断言できるほどの強い思いが、今の自分にあるだろうか。
こんなに強い思いを向けられる日が来るのだろうか。
「執着、か……なるほどなぁ……。
ありがとうございます。……そんなにちゃんと答えてくれると思ってなかった」
そのまま苦笑を向けると、リリィはくすくすと笑った。
「真面目にお答えするって言ったじゃないですか。
まあ、どう受け取るかは、ミケさんの自由だと思いますけど」
「そうですね…いろんな意味で、興味深かったですよ。
あなた方に、どんな感情があるのか、知らなかったし、まぁ、聞く機会もなかったんですけれど。ほんとに、羨ましいくらい深くてまっすぐな絆なんですね。ちょっと吃驚しました」
「私としては、ミケさんからそんな感想が出てくることがびっくりですねえ」
「どういう意味ですか」
「そのままの意味ですけど」
いつの間にかいつものリリィに戻っているのを見て、憮然とするミケ。
が、肩をすくめて本題に戻った。
「壊したい、というのは正直に言うと納得できませんけれど。それでも、あなたの教えてくれた答えは、僕の探してる答えを少し見せてくれたと思うんです。ありがとうございました」
「うふふ、どういたしまして」
「ところで」
「はい?」
「腹割って素直に話し合う僕らは、とてつもなく怖い光景の気がします……」
「奇遇ですね、私もそう思いますよ」
す。
ニコニコ笑いながら言って、リリィはミケに手を伸ばした。
「?」
眉を顰めてそれを避けようと身を捻ると、リリィの手はそのままミケの道具袋に伸びた。
「あ、こら!」
ひょい。
止めるまでもなく、リリィはミケの道具袋からちらりと見えていた銀細工の髪飾りを奪い取る。
「授業料はこれでいいですよ。綺麗ですね、これ」
「なにすんですかいきなり!……まあいいですけど、どうせ勢いで買ったヤツですし」
「…こういうのをさらりと女の子に贈れないようじゃ、愛について語るのもそりゃあ遠いですよねー…」
「やかましいです。愛が理解できたとしても絶対あなたには贈りません」
ポンポンと漫才のように展開していく会話。
ミケは嘆息すると、ようやく本当に本来の話に戻った。
「で?捕まえたんですから、ヒント下さいよ」
「ああ、そういえばそんな話でしたねえ」
「……まあ、僕も危うく忘れかけてましたけど」
「でも、私は優しいから、もう答えをお教えしましたv」
「はぁ?!」
意味不明なリリィの言葉に、盛大に眉を顰めるミケ。
が、彼女にそれ以上説明する気はさらさらないようだった。
「それじゃあ、私はこれで失礼して、新年祭の続きを楽しんできますね。
楽しかったですミケさん、また遊んでくださいねv」
「ちょっ、待ちなさ」
ミケが止めるよりも早く。
リリィはさっさと魔術文字を書くと、その場から消え去った。
「………なんじゃいそら!」
叫んでみても、答える者なぞいるはずもなく。
ミケは改めて周りを見回して、そして呟いた。

「さて……ここはどこで……どうやってここから出たらいいんでしょーか……」

→レプスの刻・喫茶マトリカリアへ

王宮 -ストゥルーの刻-

王宮の近くには、王から爵位を賜った貴族達の住まいが建ち並んでいる。
アルディアとササは、今度はこちらへと足を伸ばしていた。
もちろん、このアルディアは中身がオルーカなので、以下中の人の名前で呼ぶことにする。
「このあたり…でしたよね」
「ああ……そのはずなんだが……」
ササは頭をくしゃくしゃと掻きながら、手元のメモとにらめっこしていた。
あの後、首尾よく戻しだけを手に入れたササが、どうにかダッラーラの卵も手に入れられないかと薬屋の主人にかけあったところ、もしかしたら、と紹介してくれたのである。
「珍獣マニア……でしたっけ?」
「まあ、そんなようなものらしい。一応爵位は賜ってるらしいが、そういう変わった動物ばっかり集めてるってんで他の貴族にはちょっと…まあなんつうか、キモがられてるみたいでな。
そいつならもしかしたらダッラーラも飼ってるかも、そして卵もあるかもしれねえってな。
可能性は低いが、賭けてみるしかないだろうな」
真面目な表情でそういったササを、オルーカは改めてしげしげと眺めた。
「?……なんだよ」
「……ササさんはすごいですね」
唐突にそんなことを言ってくるオルーカに、うろたえるササ。
「な、何がだよ?」
「だって、薬学の学生さんなんですよね。
私はそっちの世界に全然疎いんですけど……学生さんなのにすごくいろんなことを知ってらっしゃって。
こんな風に、薬のお店の人とも対等に交渉できて。
さっきメイさんと戦った時にも、痺れ薬で助けてくださったじゃないですか」
「それは、アンタが…いや」
何かを言いかけて辞め、むずがゆそうに視線を逸らすササ。
オルーカはしきりに感心したように、続けた。
「やっぱり将来は、アルディアさんみたいな薬師さんになるのが夢ですか?」
「え?あ、ああ。うん、まあそうだな……先生は、やっぱりオレの目標だからな」
ササは話題が逸れたことにほっとしたようだった。
「じゃあ風花亭で依頼を受けたりもして?」
「うーん、まあそれもあるかもしれないけど。
それより薬剤師になって、薬屋を開きたいんだ。
オレさ、故郷が田舎で実家もあまり金持ちじゃないから。学校行かせてもらっただけでも感謝しないといけないことだろ。
だから、薬剤師になったら、故郷にも実家にも恩返ししたいんだよな」
「………」
再び、黙ってササをじっと見るオルーカ。
「な、なんだよ?」
「いえ、やっぱりササさんはすごい、と思いまして」
「そうか?別に…普通だろ」
ササは少し照れたように視線を逸らして、それから強引にオルーカに矛先を向けた。
「そういうオルーカはどうなんだよ?何か目標とかあるのか?」
「そうですねぇ、実は私の故郷も田舎で、あまり発展してないんです。
それはそれでいいところなんですけど……
近場にガルダスの僧院がないので、故郷の皆で建てるのが夢、ですかね」
「へえ。叶うといいな、その夢」
「ありがとうございます」
少し眩しそうな笑顔で言うササに、オルーカも笑顔で応える。
「オレ、宗教のこと知らないからガルダスのこともよく分からないけどさ。やっぱ目標って大切だもんな」
「あ……それでしたら」
オルーカはパッと表情を輝かせて、手を打った。
「年始にお餅つき大会があるんで、良かったらササさんもいらっしゃいませんか?」
「は?ガルダスの僧院で?」
「はい!僧院でやるといっても宗教行事でなく、ご近所の皆さんと親交を深めるようなイベントなので……
カラオケ大会とかもあるんですよ」
「なんだそりゃ?変わってんなぁ…」
眉を顰めるササ。
おそらく、カラオケはオルーカの趣味だろうが。
「…でもじゃあ、行こうかな」
ササが苦笑して言うと、オルーカは嬉しそうに微笑んだ。
「はいっ。きっと楽しいです、ササさんが来てくださったら…」
「そ…そうか?」
ササは再びむずがゆそうな表情で辺りをきょろきょろと見回し…
「あっ」
そして、目にした表札と手元のメモを交互に見比べた。
「こ、ここだ。薬屋のオヤジが教えてくれた家…」
「えっ、ホントですか!」
オルーカも驚いてその家を見やる。
「……って……なんだか……」
その表情が、微妙に曇った。
無理もない。王宮のすぐ側、セレブ中のセレブが集まる貴族の屋敷街に、まるで刑務所のような高い土塀、その上には有刺鉄線が張り巡らされ、その向こうに黒々とした木々がうっそうと生い茂っている家が唐突に軒を並べている。
「これは……その、キモがられるのも無理はない気が……」
「と、とりあえず…入ってみようぜ」
ササも少し怯えたような表情で、表札の隣についている呼び鈴を押す。
ごぉ……ん……
不気味な音が鳴り響き、ややあってきぃ、と小さな門が開いた。
「………」
ぎょろり、と半分ほど顔を見せたのは、小柄な男のようだった。
ようだった、というのは、男の風体があまりに異様だったからである。
小柄、というか、子供ほどの身長で頭が大きく、浅黒い肌に尖った耳、ぎょろりという表現が一番適切な、不気味な目。服装だけはまともなタキシードだが、これは……
(ご……ゴブリン……?)
最初に出てきた感想はとりあえず飲み込んで、オルーカは身をかがめて男に言った。
「えと…夜分遅くに、申し訳ありません。
私、オ…ア、アルディアと申します。こっちは助手のササ君です。
不躾な訪問で恐縮ですが、ご主人はご在宅でしょうか」
「………」
小男はしばらく値踏みするようにオルーカを見ていたが、やがてきぃ、と門を開け、くい、と顎をしゃくって、そのまま中へと歩き出した。
「……ついてこい、ということでしょうか…」
「…行ってみようぜ…とりあえず」
オルーカとササは恐る恐る、屋敷の中に足を踏み入れた。

通されたのは、意外にまとも…というと変だろうが、それでもきちんとした応接室のようだった。
赤いベロアの大きなソファ。向かい合うように青い長椅子。中心には落ち着いたデザインのテーブルがあり、室内の明かりは壁にともされた蝋燭のみでやや薄暗い。
奥にしつらえられた暖炉には火が入っておらず、薄ら寒い雰囲気を醸し出している。
窓から広がる庭は意外に広く、先ほど外から見えた黒々とした木々が立ち並んでいる。
「おい、主人はいねーのか?もう寝ちまってんのか?」
「サ、ササさん……」
礼儀を弁えないササの態度を、慌ててオルーカが静止する。
案内をしてきた先ほどの小男は、ぎょろりとササを見ると、にやーと気味悪く目を細めた。
「な、なんだよ……」
うろたえるササ。
小男はニヤニヤと笑いながら、暖炉の前にあった赤いベロアのソファまで歩いていくと、そこにちょこんと腰掛ける。
「…………」
「………ひょっとして、あなたがご主人ですか?」
こくり。
ニヤニヤしながら頷く小男……もとい、主人。
オルーカは慌ててかしこまった。
「そ、それは失礼しました!」
「おい!それならそうと先に言ってくれよな。むしろあんたがその珍獣なのかと思ったぜ」
「ササさん、ななななんてことを!」
実はオルーカも内心そう思っていたのだが、慌てて叱責してみる。
「し、失礼ですよ!ただでさえ夜分の、突然の訪問でしたのに…!」
「そうだけどさぁ」
まだぶつぶつ言っているササはさておき、オルーカは改めて礼をした。
「あ、改めましてご挨拶いたします。
私は……『アルディア』と申します。
このような非常識な時間に訪問したことをお許しください。
実は今、私どもは大変急ぎの用を抱えておりまして、ご主人にぜひお願いしたいことがあってやってまいりました」
丁寧に挨拶をするオルーカを、じーっと見つめ続ける主人。
「ご主人は怪鳥ダッラーラをご存知でしょうか?」
オルーカの質問に、主人は少しの沈黙のあと、無言でこくりと頷いた。
とたんに、興奮した様子で主人に詰め寄るササ。
「マジか!あのさ、じゃあ、タマゴ!タマゴ譲ってくれ!」
「サ、サササササさん……」
オルーカは慌ててササの袖を引っ張った。
主人はぎょろぎょろした目でオルーカとササを交互に見やり…やがて、無言で窓の外を指差した。
「え……?な、なんですか?」
こわごわオルーカが訊くと、主人は外を指差したまま、初めて声を発した。
「大きな木、三本目」
意外と普通の声である。
「三本目?」
ササが重ねて問うと、主人はそちらを見た。
「ダッラーラの巣、ある。しかしタマゴ、ある、分からない。
あるなら、やる」
再びにぃ、と不気味に笑う主人。
しかしササは今度は怯まずに、主人に詰め寄った。
「あったら貰っていいのか?ホントに?タダで?」
こくり、と頷く主人。
「い、いいんでしょうか。だって結構珍しいものなんじゃ……」
「よし、行くぞ、オルーカ!」
「きゃ!」
躊躇するオルーカを、もはや『アルディア』と呼ぶことさえ忘れて引っ張っていくササ。
主人はその様子を、ニヤニヤと見送った。

「ちょ、ササさん、だ、大丈夫なんですか?」
ササに庭に連れ出されたオルーカは、心配そうにそう尋ねた。
「いいって言ってんだから、気が変わらないうちに貰って帰ろうぜ!時間ないだろ!」
「それはそうですが…」
「三本目三本目……えと、あれか?」
まだ心配するオルーカをよそに、ササは主人の言った木を探した。
ササの指差す方向に、一本、不自然なほどに背の高い木が見える。
辺りが薄暗いこともあって、梢の辺りは見えない。太さは大人が5人ほど手をつないでようやく囲めるほどに太く、枝ぶりも見事な木だった。
「これ、だよな?」
「ええ多分。ご主人の話では」
「うーん、巣…あるかぁ?」
ササは眉を寄せ、目を凝らして木の梢の方を見るが…
「……ここからでは、ちょっと見えませんね…」
やはり、暗いのと無意味に高いこともあって、巣があるかどうかすら判らなかった。
「うーん……」
ササは少し考えて、そして軽く言った。
「よし、ちょっと登ってくるわ」
「ええ?!」
オルーカは驚いて声を上げた。
「あ、危なくないですか!?」
「大丈夫、木登りならガキの頃から得意だから」
運動音痴だったんじゃ…?
という言葉は上手く飲み込んで、オルーカはササに言い募った。
「そうでなく、怪鳥ダッラーラが本当にいたら……タマゴを取ったりしたら、襲ってくるんじゃないでしょうか?」
「まあなぁ。それでも取りに行かなきゃだろ?ここまで来たら。
どうしても必要なものなんだからさ」
ササの軽い口調の中に、固い決意が見える。
「だいじょぶだ、危なくなったらすぐ逃げるから」
オルーカは複雑な表情でそれを見やった。
「そう…ですね、必要なものですね。アルディアさんのために…」
「…別に、まあそれだけじゃ…」
「え?」
きょとんとして問い返すオルーカ。
ササは誤魔化すように木の上を見た。
「とにかく、行ってくるから」
「あの……私が行きましょうか?」
「いいんだよ、こういうのは男の仕事だから。でも上からタマゴ放るかもしんないから、そしたらキャッチしてくれ。かなり硬い殻だから、割れないとは思うけど一応な」
「はい……わかりました」
オルーカが頷くと、ササは厳しい表情で木を見上げ、早速その幹に手をかけた。

ササは意外にもするすると上手に木を登っていた。どうやら木登りが得意というのは本当らしい。
が、下で見ているオルーカは気が気ではない。不安定な枝ぶりの木に足をかけようとして踏み外すたびに、手を握り締めて冷や汗をかく。
「ササさん!気をつけてくださいね!」
と声をかけるが、果たして届いているのかどうか。
もうここからもよく見えないほどの高さまで登っていて、もし足を踏み外したら…と気を揉みながら、オルーカは一人でそわそわと木の下を歩き回っていた。
と。

「…らー……だらー……」

どこかで聞いたような鳴き声がして、オルーカははっとして上を見上げた。
「あれは……!」
高くて暗くてよく見えないのだが、梢の方をぐるぐると旋回して飛んでいるのは紛れもなく、昼間マトリカリアで戦った、怪鳥ダッラーラの成鳥だった。
しかも、2匹いる。つがいなのだ。
「やっぱり、この木の上には巣が…!」
オルーカは呟いて、手を握り締めた。
ダッラーラは奇妙な鳴き声をあげながら、一点に注目して旋回している。
ちょうど……ササが登っているだろう辺りに。
「!……ササさん……!」
オルーカははっとして、声を限りに叫んだ。
「ササさん逃げてください!!ダッラーラが!ササさん!!」
がさ、がさ。ばさ。
ササはどうやら、適当な枝を折って怪鳥に対抗しているらしかった。遠目で、怪鳥と枝がばさばさと交差しているのが見える。
「ササさん……!」
オルーカは両手を握り締めて、その様子を見守った。
「だらー!!」
ごう。
怪鳥の一匹が、木に向かって炎を吐く。
「ああ!さ、ササさん!!」
オルーカは驚いて目をむいた。
が、怪鳥も自分の巣があるからか、木が燃えるほどの火は吐いていないようだった。ササがどうなったのかはわからないが、ここはもう祈るしかない。
「ササさん……!」
オルーカは固唾を呑んで、木の梢辺りを凝視していた。
と。
ざっ。
枝の端が動いて、葉と葉が擦れ合う音がする。
「……?……」
オルーカが眉を寄せてそちらを見ると、その枝はとたんに派手な音を立ててゆれ始めた。
がさ、がささ、がささささ!
揺れた枝の間を滑り落ちるようにして、ササが一気に滑り降りてくる。
「さ、ササさん!!」
オルーカは驚いて、ササが着地するであろう地点に駆け寄った。
が。
どすん!
「ってええぇぇ!!」
オルーカの健闘も空しく、尻から着地するササ。
服はあちこちが擦り切れ、肌や髪にまで少し焼け焦げた跡がある。
「さ、ササさん、大丈夫ですか?!」
「は、はは、だ、大丈夫だ……それより、オルーカ、タマゴ…!」
「逃げますよ!!」
何か言おうとしたササを遮って、オルーカはササの手を引いて走り始めた。
ぐおん!
間一髪、ササの背中を掠めるようにしてダッラーラが急降下する。
「うわあ!」
「走ってください!早く!!」
オルーカは言いながら、ササの手を引いて一目散に屋敷に向かって駆けていった。
「ダラー!!」
奇声を上げて追いかけてくる怪鳥2匹。
ごう、と火を吐いてくる勢いを感じるが、2人は何とか逃げ切り、先ほどの窓から屋敷の中へと入る。
ばたん!
窓を閉めてしまうと、怪鳥はそれ以上入ってこれないらしく、悔しそうに2、3度旋回して、やがて木の方へと帰っていった。
「はあ、はあ、な、なんとか、逃げ切り、ました……」
「はあ、はあ、死ぬかと、思ったぜ……」
閉めた窓にもたれかかってぜえぜえと息をする2人を、屋敷の主人は椅子に座ったままにまりと見つめていた。

「ササさん…怪我は、ありませんか?」
「へーきだ。それよりこれ、ほら!」
ササは嬉しそうに言うと、服の下から何か玉のようなものを取り出した。
「これは……!」
紅白の縞模様の大きな卵。
ササが掲げたそれは、紛れもなく昼間見たのと同じ、怪鳥ダッラーラの卵だった。
が。
オルーカは痛々しげに、ササの傷らだけの腕に手をやった。
そして、回復魔法をかけようとするが……
(……あ、そ、そうでした……今は、アルディアさんの身体なのでしたっけ…)
念じてみるも発動しない魔法に、オルーカはがっかりと眉を下げる。
「?どうしたオルーカ?」
きょとんとして問うササに、オルーカは慌てて首を振った。
「い、いえ…何でもありません。…痛くないですか、ササさん」
「こんくらい平気だって。それよりタマゴ、な!材料揃ったじゃねーか!」
ササは本当に嬉しそうに破顔した。
「ササさん……」
オルーカはその表情に、何故か胸が締め付けられるような感覚に襲われる。
「……っ……」
思わず俯いたオルーカを、ササは心配そうに覗き込んだ。
「オ、オルーカ?どうした?どっかケガでもしたか?」
「いいえ、大丈夫です…ササさん、ありがとうございます…」
俯いたまま小さく言うオルーカ。
ササはその様子に首をかしげながらも、小さくどういたしまして、と返した。
そして、今度は主人の方を向くと、言った。
「タマゴ、3つくらいあったぜ。でも1つありゃ十分だからもらっていく。いいよな?」
主人はやはり無言でゆっくりと頷く。
ササは笑顔で頷いた。
「サンキュ。助かる。この借りは何かあったら返させてくれ。
オレはヴィーダの薬学院生のサンチアーガ・サルセード」
主人に名乗りを上げたササに、オルーカも慌てて顔を上げる。
「わ、私は、『アルディア』です。…ですが、何かありましたら、西のガルダスの僧院の『オルーカ』にお申し付けください。
きっと力にならせていただきます」
主人は黙ったまま、二人をニヤニヤと見つめている。
「…オルーカ、行こうぜ。先生が待ってる」
「は、はい」
ササに促され、オルーカは頷いて、もう一度主人に頭を下げた。
「それではご主人、夜分にどうも失礼しました。ありがとうございました……」

そして、2人はこの奇妙な屋敷を後にしたのだった。

→ストゥルーの刻・宿場街へ

郊外 -ストゥルーの刻-

ヴィーダの大通りを少し外れると、少ししか歩いていないにもかかわらず驚くほど人気のない場所に出る。
まるでそこだけ何かの呪いにでもかかっているかのように、人影もなく、荒れ果てた民家が崩れたままにされ、ちょっとした廃墟のようだった。
「ジュナムさん!」
ジュナムの託したメッセージに導かれてここにやってきたマジュールは、辺りを見回しながら大きな声でその名を呼んだ。
「ジュナムさん!いるのでしょう、出てきてください!」
すると。

「その名前はやめてくれたまえよ~、もう捨てた名だ」

陽気な声が響き、マジュールは慌ててそちらを向いた。
廃墟の一角、崩れかけた教会の祭壇に。
ジュナムは昼間と同じ道化の姿で…昼間と同じように、ふわふわと宙に浮いていた。
その手には鈍い黒色の輝きを放つ石……マジュールが捜し求めていた、黒炎玉。
「……ジュナムさん……」
マジュールが厳しい表情を向けると、ジュナムはちちち、と指を振った。
「やめてくれたまえ、と言ったろう?今のボクは、道化師ピーターさ。
キミだって、『グーディオ』とは呼ばれたくないだろう~?
あ・の・父上くらいだものね~、ファーストネームで呼ぶの?」
からかうような笑みを漏らすジュナム……否、ピーターに、マジュールはぐっと言葉を詰まらせた。
「キミとは、いつかじっくり話したいと思っていたのだよ」
「……私と……?」
不審げに眉を寄せるマジュール。
ピーターは、感慨深げに辺りを見回した。
「ここなら、誰にも邪魔は入らないよ。
子供達に見られて、夢を壊すこともないからね」
マジュールの眉が、ますます寄った。
「…ジェナムさん。
私は、あなたが今考えていることが理解できません。
一族の大事なものを奪って、行方を眩ませて…、一族の皆を困らせて…。
その一方で子供の夢…などと…」
「うーん」
ピーターは大げさに肩を竦めた。
「マジュりん、キミ、わかってないでしょ?」
「ま、マジュりん?」
頓狂な呼び名にうろたえるマジュール。
ピーターは黒炎玉を顔の上にまで掲げて、憎々しげに笑ってみせた。
「むしろ、こんなもの、村に無い方が皆の為なのさ~」
「…何を……」
「だって、この玉はね~、本当は白虎の一族に不幸を呼ぶものなの・さ♪」
「…は……?」
陽気にそう言うピーターに、マジュールは理解できないというように表情を歪ませる。
ピーターは面白そうに、黒炎玉をひょいひょいと指先で弄んだ。
「キミは、この玉が単に凄い力を秘めたすごいもの、としか聞いたことがないだろう?
というより、真実を知っている人って、今ほとんどいないんじゃないかね」
「……真実…?」
「こいつは元々、魔族がボク達のご先祖様を僕として操る為に作ったアイテムでね~。
それをご先祖様がうまいこと自分のものにしたら、なんとすっごい力を使えるようになっちゃったんだ」
「な……」
なぜあなたがそんな話を、と言う隙もなく、ピーターの話は続く。
「だけど、その力を使いすぎると、心のバランスがガラガラ、ガラ…。
ホラ、白虎族の連中って、力が強ければ偉いって考えているような、頭の悪い奴も多いじゃないか。
そんなやつが、この闇の力に影響されてごらんよ?たちまち悪の手先一号完成、だよ?」
「…待ってください」
マジュールは強い口調で、ピーターの話をさえぎった。
「その話が本当だと…本当にそうだとして…」
きょとんとするピーターに、一瞬ためらって…それから、思うことを口にする。
「あなたは?
あなただって、その玉の力を使い続けているなら、いつか心のバランスを崩して…」
「そうさ♪」
ピーターの答えは、あくまで陽気なものだった。
黒炎玉を懐かしそうに見やって、語る。
「この玉を初めて手にした時、そしてこの玉の力で初めて村からリストフまで『飛んだ』時は、とても嬉しかったものだけどね。
その分、ボクも最初は壊れかけたよ?」
「な………」
「…だけど。
笑顔って凄いよね」
「えっ……」
ふいに。
ピーターの表情がふわりと柔らかくなって、マジュールは驚いて言葉を失った。
柔らかい笑顔のまま、ピーターは続ける。
「笑顔さ、笑顔☆
壊れかけたボクの心は、通りすがりの子供の笑顔でぱぁああっ♪と明るくなってね~。
それで知ったのさ。玉に取り込まれそうになったボクを助けてくれるのは、子供達の裏表のない純粋な笑顔だってことに」
「…それで、道化に?」
「ピンポーン!正解!」
ピーターは陽気に手を上げて、くすくすと笑った。
「ボクは昔から手先が器用だった。
人前に出るのは最初は苦手だったけど、そこはこの玉の力も少しだけ借りてね。
子供達に沢山笑ってもらって、ボクも彼らに癒されてハッピー☆
ボクにとっては、この玉は自由をくれる玉なのさ」
「…………」
マジュールは複雑な表情でピーターを見やった。

幼い頃。
マジュールより少し年上のピーター…ジュナムは、自分にとっては優しくて頼れるお兄さんだった。
手先がとても器用で…同じ木のおもちゃを作っても、不器用な自分の木馬は立てても立てても転がり、一方のジュナムの木馬は支え無しで立ち、おまけに肘や膝が自由に動かせる優れた出来だった。
それでも、2人はただ笑っていた…懐かしい、あの頃。

「確かに…あなたならば、子供達を笑顔にすることは可能かもしれない」
そんな風景を思い出して、マジュールは素直にそう言った。
「でも、あなたは何故、そこまでして『自由』を求めるのです?
あなたは村一番の勇士と言われ、皆の尊敬を集める方の息子ではないですか。
お父上だって、武力があるだけではなく、家族や村の人々を思うとても優しい方だったではありませんか。
お父上の愛した村を、一族を、何故捨てようと?」
マジュールが父の名を出した瞬間、ピーターの表情が眼に見えて翳った。
「…そうだね。
確かにいい父親だったさ…。ひどいお人よしだったよ」
吐き捨てるように、言う。
「だから、あの男に騙されて、危険な地にのこのこと死にに行きやがった」
ず、ず。
地の底を這いずるような音がして、ピーターの身体がじっくりと獣化していく。
「父は…信じていたのだ…
負け戦の最前に立たされて、死が目前に迫っている時も…。
まもなく親友である貴様の父親が助けに来てくれると信じてな…!」
「な……?!」
獣化と共に、口調まで変化していくピーターに、そして彼の口から語られる話に、マジュールは驚愕と共に言葉を失った。
ぎり、と厳しい視線で睨まれ、ピーターの憎しみの深さを知る。
「そして、後に残された家族の、ただ一人の男が俺様だぞ…?
貴様は良かった。人間とのハーフのくせに、父親の戦士としての才能はしっかり受け継いでいやがった。
だが俺様には…そんな才能はかけらもなかった…!
あの村の人間からどんな目を向けられたか、どんなに蔑まれて生きてきたか、貴様にはわかるまい!」
「でも!」
マジュールはようやく、ピーターに反論した。
「昔から革細工を作ったり、楽器を奏でたりするのは得意だったじゃありませんか!」
拳を握り締め、懸命に訴える。
2人で玩具を作って遊んだ…仲良く笑いあったあの記憶までが、憎しみで塗りつぶされるとは思いたくなくて。
「確かに…我々の一族は、武勇を誇りすぎるところがある。
身体能力や武術を重んじるあまり、頭の良さや手先の器用さは軽んじられるところがある…。
でも、その辛さは私だって感じています。
私もその辛さを引き受けたうえで、自分の夢を…遠いかもしれませんが、料理人となる夢を追いかけているのです!」
「フン!」
だが、ピーターはマジュールの訴えを鼻で笑って退けた。
「…貴様、何か忘れているんじゃないのか!?」
「…えっ」
「その料理人の夢、どうやったら叶えられる?
それは、あの狭い村の中で叶うことなのか!?
白虎の一族の他は、たまに旅の商人が立ち寄る程度のあの村で!?」
「……っ……」
痛いところを突かれ、言葉を詰まらせるマジュール。
ピーターは続けた。
「特定の価値観で染まった小さな村の中で、掟でそこから出ることができず。
それで夢を追えるというのか!?」
「…………」
言葉もなく見つめ返すマジュールに、ピーターは苦々しげに言った。
「…居場所が無かったんだよ。あの村に」
ず、ず。
先ほどとは違う音がして、黒い何かがピーターの周りを覆っていく。
よく見れば、それは黒炎玉から漂う霧だった。
「『父親のような戦士になれ』村の連中に何度言われたことか。
俺の才能がどんなものかも見極めもせずな…!」
憎々しげなピーターの言葉と同調するように。
黒炎玉から吹き出た霧は、ピーターの身体にまとわりつき、徐々に霧から実態へと変化していった。
「そして、皆俺に愛想を尽かし、俺は孤独となった……」
肩から胸を覆って、黒い鎧のように。
そして、背中からまっすぐ天に伸び、黒い竜の翼のように。
黒炎玉の霧は、ピーターを徐々にピーターでないものに形成していった。
「…俺様はもう、あんなところに戻る気はない!
何ものにも縛られぬ自由!それを望んで何が悪い!!」
ばっ。
ピーターが右手を上げると、実体化した黒い翼が勢いよく空を切り裂いた。
「まして、あの男の子である貴様に降ることだけは、断じてできない!!」
「!……」
ぶわ。
大きな翼が動き、ピーターは黒い鎧を纏ったまま、漆黒の夜空に舞い上がる。
マジュールはピーターの羽根が動かした空気を片手で受けながら、ただ呆然とその姿を見ていた。

そこにいるのは、幼い頃によく遊んだ『ジュナム』ではない。
そして、一族の宝を盗み、姿を消した白虎族の青年でも、なかった。
黒い鎧と羽根に身を包んだ、異形の獣人の姿が、そこにあった。

「貴様が俺様の自由を汚すというのならば、貴様を殺す!!」

異形の獣人は、高らかにそう吼え。
マジュールは苦悶の表情で……それでも、背中の大剣を、抜いた。

郊外 -マティーノの刻-

きぃん!
ピーターの放った無数のナイフを、マジュールが剣ではじく音があたりに響く。
「くっ……!」
マジュールはたたたっと地を蹴って、ピーターが繰り出す攻撃を避けていた。
異形のものへと変化したピーターは、攻撃方法ももはや人のそれではなかった。
翼で空を切れば、その切っ先がかまいたちとなってマジュールに襲い掛かる。
5本の指先をマジュールに向ければ、そこから七色の光線が飛ぶ。
「ジュナムさんっ……!」
マジュールはそれを必死になって避けると、体勢を立て直してピーターに叫んだ。
「落ち着いてください!こんな…こんなことをして、何の意味があるんです?!」
「ハッ!」
鼻で笑って、再び光線を放つピーター。
マジュールはすんでのところでそれを避けると、続いて襲い来るナイフを剣ではじいた。
「……私も、つい先ほどまでは…あなたと同じように、どうにもならない現実に悪態をつくだけでした。
あの父の元では、あの村では、私の夢なんか叶いっこないと。
どうして私ばかりがこんな目にあうのか、私だって夢を追いかけていいじゃないかと、ただ文句を言っていました。
…夢を追いかけるための努力を、何一つせずに!」
がっ。
崩れかけた壁を踏み台に、高く跳んでピーターに斬りかかる。
しかしピーターは難なくそれを避けると、再びかまいたちをマジュールに放った。
ひゅっ。
ぴぴっ、という軽い音がして、マジュールの頬と肩に小さな亀裂が走る。
マジュールはそれに構う様子もなく、剣を構えなおしてジュナムに言った。
「ジュナムさん、あなたはどうなんですか?!
あなたの才能を、あなたがすばらしいと思うものを、認めてもらうために何をしましたか?!
ただ認めてくれない、何故、と言うばかりではなかったんですか?!」
「……っ、やかましい!!」
ごおっ。
ピーターは何かを振り払うように大きく翼をはためかせ、その勢いで巻き起こった大きなかまいたちがマジュールを襲う。
ごが。
避けたマジュールの足元に命中したかまいたちは、大きな石を真っ二つにした。
「偉そうなことを言うな!友人を騙して殺した男の息子の癖に!!」
ピーターは怒りの形相で、マジュールに叩きつけるように言う。
「何もかも恵まれた貴様に、俺様の気持ちが判ってたまるか!」
「気持ちは、伝えなければ判りません!」
しかし、マジュールも怯むことなく言い返した。
「私の父があなたの父上に何をしたのか、それは私にもわかりません。
誤解であって欲しいと願いますが、私の口からは何も言えない。
真実は、父の口から伝えなければ、あなたにも私にも伝わらない。
同じように、あなたの気持ちも私の気持ちも、口にしなければ誰にも伝わらないんです!!」
「やかましいいぃぃぃっ!!」
ピーターの絶叫が、廃墟にこだまする。
マジュールは剣の柄を握り締め、ピーターをじっと見据えた。
「は……ははっ、面白い」
ピーターは凄絶な表情で、マジュールをびっと指差す。
「まどろっこしいことしてないで、決着をつけようじゃないか!
来い!貴様の力で、俺様を抑えられると思うのならな!!」
ピーターは言って、崩れかけた教会の屋根の頂上に降り立った。
「……っ!」
マジュールは表情を引き締めると、剣を振りかぶって駆け出す。
「うおおおおぉぉぉおおっ!!」
とす、と、とと、とっ。
その体躯からは想像もできないほど、身軽に瓦礫を駆け上っていくと、ピーターに向かってまっすぐに斬りかかった。
「はあああぁぁっ!!」
向かってくるマジュールを迎撃するように、体中から光線を放つピーター。
びび、びっ。
光線のうちのいくつかが、マジュールの腕や足を焼く。
が、マジュールは構わずにそのまま剣を振りかぶった。
「おおおおおおおっ!!」
異形のピーターの頭に、自分の体躯ほどもある大剣を、勢いよく振り下ろし……

ぶんっ。

「?!」

剣は、まったく手ごたえを残さずに、ピーターの身体をすり抜けた。
たた、たっ。
勢い余って教会の屋根でたたらを踏むマジュール。
そこに。

かーん……かーん……

王宮の大きな鐘の音が、ここにまで響き渡ってくる。
マジュールはすり抜けたピーターの身体を捜して、慌てて辺りを見回した。
すると。

『あ・はっぴ~にゅ~いや~!』

どこからともなく、ピーターの声が響く。
変身する前のような、陽気な声で。
『ごめんね~。
ボクはまだ、連れ戻されるわけにも、死ぬわけにはいかないのさ~。
今日はこれから、とある街の新年イベントで、子供達に笑顔を届けにいかなければならなくてね~』
「……ジュナムさんっ……どこに…?!」
マジュールは必死に辺りを見回すが、どこにもピーターの姿はない。
ピーターの声は、なおも響いた。
『あと、金輪際ボクに構わないでくれたら、ボクもキミの夢を応援してあげてもいいよ。
そうじゃないなら…もう二度と会いたくないな。じゃあね』
はははは、という笑いを残して。
ピーターの声は、それきり聞こえなくなった。

「くっ……!!」

いつの間にかちらついていた雪の中で。
マジュールは、悔しさに拳を握り締めるのだった。

エピローグへ