大通り -ライラの刻-

喫茶ドラセナ

「喫茶ドラセナ……ここ、かな……」
まだ夜も明けきらぬ朝方。
ウェイトレスの募集であるにもかかわらず、集合時間はこの時間に設定されていた。
とはいえ、他にウェイトレスの仕事など受けたことの無い暮葉は、それが不自然なことであるという考えには至らなかった。ただ来いと言われた時間に来ただけである。
大通りの奥、中央公園に面した場所にオープンカフェ用の敷地らしきものは2ヶ所あったが、看板が立っているからおそらくこちらなのだろう。暮葉はそう判断して、入り口から中へと入っていった。
と。
「……」
中に入ったところで、すでにウェイトレス用の服と思しきものに身を包んだ少女が立っており、暮葉はそちらのほうに歩いていった。
「あの、おはようございます」
声をかけるが、返事は無い。
(……?お店の人じゃない…なんてことはないよね…)
人形のように動かないその少女を、暮葉は改めてしげしげと眺める。
年のころは14~5ほどだろうか。褐色肌に尖った耳はディセスの特徴だと聞く。ゆったりとしたウェーブのかかったブラウンの髪を後ろで一つにまとめ、三つ編みにして丸めている。およそ表情の見えない琥珀の瞳に、フリルがたくさんあしらわれたスカート丈の短いウェイトレス服は非常にアンバランスだった。
暮葉は意を決して、もう一度少女に声をかけた。
「あの。お伺いしたいのですが、今日こちらで営業されるオープンカフェの営業員の方でしょうか?」
暮葉の言葉に、少女がやっと顔だけを暮葉のほうに向ける。
ああ、人形じゃなかったんだと何故かほっとする暮葉に、少女は淡々と答えた。
「本日一日の勤務契約を結んでいる」
表情が機械的ならば、紡がれる言葉もまた機械的だ。暮葉は少々面食らいながら、丁寧にお辞儀をした。
「私、菊咲暮葉と申します。いたらぬところも多いとございますがどうかよろしくお願いします」
少女の返事は無い。
暮葉は気まずい空気を感じながら、おそるおそる少女に声をかける。
「……あの、お名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「……セレ」
少女――セレは、淡々とそう答えた。
どうやら、質問形式の言葉には返答をするらしい。
セレの他にまだ人はいない。暮葉は何とか場を持たせようと、果敢な挑戦を始めた。
「あの、こういったお仕事にはよく就かれるのですか?」
「こういった形態の指令を下された例は今までに無い」
「し、指令?……そ、そうなんですか、私もなんですよ。何だかドキドキしますね」
「………」
「……え、えーと、晴れてよかったですね。こんな日はカフェもオープン日和ですよね」
「………」
鉄面皮どころの話ではない。ゴーレムでももうちょっと表情豊かなのではないかというくらい反応の無いセレに、暮葉はどんどん気まずさを増幅させていった。
「おはようさん。何や、早いな。感心感心」
と、後ろからかけられた声に、暮葉はほっとしたような顔で振り向いた。
「キィリアさん。おはようございます」
この虎獣人の少女は、キィリアという。ウェイトレスのアルバイト募集に応募した時に、店長代理という事で面接をしていた。それ以上の面識は無いが、この気まずい状況で見知った顔というのは安心するものだ。
キィリアは無意味に腕など組んで偉そうに頷くと、言った。
「アンタは確か…暮葉ちゅうたな。あっちに着替え用意してあるさかい、さっさと着替えてき」
「わかりました。あの、今日は一日よろしくお願いします」
「はい、よろしゅう。ええから早よ着替えや」
「はいっ」
きちんとした答えが返ってくるというのは何と素晴らしいことなのだろう。
どうでもいい事に感動しながら、暮葉はキィリアが示した更衣室へと足早に駆けていった。

「うわぁ。この服、館のメイドさんたちの服と似てる。人前で着るにはちょっとドキドキするなぁ」
用意されていたウェイトレス服を手に取って、暮葉は呟いた。
先ほどセレが着ていたのと同じデザインの服である。黒を基調としたフリルたっぷりのデザインで、スカート丈はかなり短め。白いニーハイソックスも完備だ。
機能性よりは、ウェイトレスとしてたくさんの客を呼び込むことを目的としたような、そんなデザイン。
と。
「和服以外着るのは久々じゃない。なにを着たってあなたは緊張しちゃうわよ」
暮葉の口から、先程とはずいぶんと調子の違う、艶めいた声が零れ落ちる。
暮葉は服を手に取ったまま、少し眉を寄せ、どこを見るでもなく呟く。
「仕事の邪魔よ。あなたに構ってる暇はないの。だまって寝てなさい」
すると、その同じ口で、くすくすと笑いが漏れた。再び、妖艶な声が零れ出る。
「お祭り騒ぎの予感がするのに寝てなんていられないわ。そんな楽しそうなことあなた一人にはさせないわよ」
同じ暮葉の口から全く違う二人の言葉が語られている様子は、傍から見ると奇妙なことこの上ない。医者を呼ばれてもおかしくないだろう。もっとも、本人はいたって真面目に「会話」をしているようだが。
妖艶な声は清楚な声の叱咤にも引っ込む気は無いらしかった。なおもくすくすと笑いを漏らしながら、言葉を続ける。
「それより、ねぇ暮葉、あなたって小動物系の子に縁があるのかしら。上司がまた可愛らしいにゃにゃんだこと。ちなみにわたしは子犬くんのほうが好みよ」
「わたしは小さい子ならなんでも好きよ。わんわんでもにゃにゃんでも」
そっけなく答える清楚な声。妖艶な声はまたからかうような笑みを漏らした。
「あら。子犬くんって誰のことを指したか、わかってる?」
と、その時。
「暮葉ー?」
がちゃ。
唐突にドアが開いて、キィリアが顔を覗かせる。
「あっ…キィリアさん」
暮葉は少し身を竦ませて、キィリアの方を見た。
「着替え終わったんか?なんや、誰かおるん?」
更衣室の中をキョロキョロと見回すキィリア。
暮葉は恥ずかしそうに苦笑する。
「あ、ごめんなさい。ただの独り言です」
確かにまごうことなき独り言だが。
キィリアは不信そうに眉を顰めた。
「はぁ?そんな風には聞こえんかったで?何や、隠してるんちゃうやろな?」
「…いませんよ。わたしの他には、誰も」
キィリアはまだ不信そうにあたりをキョロキョロと見回していたが、やがて諦めて嘆息した。
「まあええわ。早よ着替えて準備手伝うてや」
「わかりました、すぐに行きますね」
「ほなな」
ぱたん。
慌しく出て行くキィリア。
暮葉はほっと息をついた。

「…ふう、こんなところかな」
セレと2人でホールのセッティングを終えた暮葉は、息をつくとあたりを見回した。
「キィ…じゃなかった、店長、あとは何を……あれ」
店長と呼べと言われていたので律儀に呼びなおし、キィリアを探す暮葉。
だが、キィリアの姿はない。
「セレさん、店長はどちらへ?」
セレは暮葉のほうを向くと、そのまま大通りの方を向いた。
その視線の先には、確かにキィリアの後姿が見える。誰かと話しているようだが…
「あ、じゃあ私、呼んできますね」
「了解」
セレは短く答えて、再び掃除に戻っていく。
暮葉はそれを目の端で確認して、大通りの方へと足早に駆けていった。

喫茶マトリカリア

東の空が白々と太陽の光を運び始める頃。
大通りの中心、中央公園に面した絶好のポジションであるブースには、早くもウェイトレスの少女たちが開店準備に訪れていた。
「うーん、いい天気になりそう!絶好の喫茶店日和ね!」
気持ちよさそうに伸びをして、フィルニィの母が言う。
「……喫茶店日和って……」
ポツリとつっこんでみるジル。
「細かいことは気にしない。そんなことより、ジルちゃんも制服よく似合ってるじゃない。頑張って作ったかいがあったわ~」
「……そう、かな……」
ジルは言って自分の服を見下ろした。
臙脂色を基調にした、膝より少し下くらいまでの丈のエプロンドレスである。パフスリーブの先は長袖で、襟ぐり袖ぐりにはレースのフリル。丸く小さめのエプロンも相まって、女の子らしい可愛いデザインになっている。
と、そこに、同じ服に着替えたフィルニィもやってきた。
「ジルさん、着替え早い……ってお母さん、まだ準備全然進んでなくない?早くしないと開店時間になっちゃうよ~!」
「あら、そう?じゃあそろそろ、始めましょうかしらねえ」
慌てるフィルニィと対照的にのんびりしている母。
と。
「うぃっす!お早うさ~ん♪」
道の向こうから、よく響くハスキーボイスと共に大柄な女性が歩いてきた。
両手にぎっしりと食材の詰まった袋。背中にも同じく食材の詰められた籠を背負っている。
母は女性を見ると、嬉しそうに声をかけた。
「あら~ケイトちゃん!おはよう~」
「こりゃあ店長、おはようさん。食材の仕入れ、やってきたよ!」
「まぁ~ありがとう~」
上機嫌で会話をするケイトと母。
フィルニィが不思議そうに母に尋ねた。
「お母さん、その人は……?」
「あら、初めてだった?今日のために臨時で厨房の募集をかけておいたの」
母が紹介すると、ケイトはフィルニィに向かって豪快に笑った。
「あんた達がオープンカフェの看板娘かい?あたしゃ厨房を手伝う事になったバイトのケイトだよ。今日は一日よろしく頼むよ!」
「火の魔法が使える料理人さんが来てくれて、本当に頼もしいわ。うちの子も火の魔法は使えるんだけど、制御できないせいで暴発ばかりなのよ~」
母が嬉しそうな困ったような表情で言うと、フィルニィは顔を赤くした。
「お、お母さん!」
「……あれ」
唐突に、ジルがケイトを見て声を上げる。
すると、ケイトもそれに気づいたようだった。
「あれ、あんた?前にもニューイヤーパーティーで会ったよね?たしかカニを差し入れてくれた……えっと、ジムじゃなくて、ビルじゃなくて…」
両方とも男の名前なことにむっとするジル。
「……………ジルだよ」
「そうそう、ジルさん!」
ケイトは気にならない様子で破顔した。
「いやー、奇遇だねえ?これも何かの縁ってヤツだね!
ジルさんも、今日は一日よろしく頼むよ!」
「……うん。よろしく……」
そんな和やかな朝の挨拶に、唐突に甲高い声が水を差した。

「何チンタラやっとんねんこのアホンダラ!開店何時や思てんねや、ボヤボヤしとらんとさっさと準備したれや!!」

この辺りではあまり耳慣れないシェリダン訛りに、一同きょとんとしてそちらを見やる。
大通りを挟んで向こう側。こちらと条件は同じ、いわゆる一等地に、こちらとよく似た設営をしている区画がある。
あわあわと開店準備をしているその店舗から、不機嫌そうな表情で出てくる一人の少女がいた。
「……あ」
見覚えのあるその顔に、ジルが小さく声を上げる。
年のころはジルとそう変わらないくらいだろう。短く切りそろえた金髪から覗く大きな耳には黄色に黒の鮮やかな縞模様が入っていて、腰のあたりから伸びる同じ模様の尻尾と合わせて彼女が虎獣人であることを思わせる。
少女はジルの声に気づいたらしく、不機嫌さを隠しもしない鋭い瞳を彼女の方に向けた。
「お前…っ、あんときのガキかいな。また間の悪いときに現れよんなぁ」
「……久し振り」
淡々と挨拶を返すジル。
以前、フィルニィともう一人とで彼女とその仲間に絡まれていた男性を助けたことがあり、その時に一悶着あったのだ。
絡まれていたのは借金をしていた男性で、彼女たちはその取立人だったようだったが、そこは気にするところではない。
少女はそれを思い出したのか、視線をさらにきつくしてジルに言った。
「久し振りちゃうわボケ。あの後結局ターゲットは見つからず金の回収もできんかって…雇い主にはどやされるわ、報酬は貰えへんわで大変やったんやで?」
それから、ふん、と嘲笑を投げる。
「ま、そんなん言うてもあんたみたいな恵まれとるガキにはわからんか」
ジルは少し押し黙ってから、ぼそりと言った。
「……ガキじゃない。ジル」
「あぁーっ」
唐突にフィルニィが隣でそんな声を上げ、驚いてそちらを見ると。
「どこかで見たことがある人だと思ったら。
あなた、こないだの感じ悪い人ですね!」
ずる。
テンポのずれたフィルニィの発言に、微妙に出鼻をくじかれるジルと少女。
「……思い出してたんだ…」
「つか、誰が感じ悪い人やボケ!どつくで!」
半ギレの少女に、フィルニィはほやっと笑って答えた。
「すいません、名前がわからなかったもので……」
あくまでもマイペースなフィルニィに、少女は割とヤケ気味に言った。
「ウチはなぁ、キィリアっちゅうねん。覚えときぃや!」
「キィリアさんですね。私はフィルニィです」
全くペースが崩れないフィルニィ。
「今日、私たちここでオープンカフェをするんですよ。良かったら来て下さいね」
うわあ。
今あからさまなライバル店舗から出てきたばかりの少女にかける言葉としてはかなり微妙だ。
ジルを始め、フィルニィ以外の全員が眉を顰める。
「あぁ?!」
案の定、キィリアも盛大に眉を顰めた。
「まさかまさかと思とったけど、よりによってあんたらかい!
はん!誰がこないな子供騙しの店に来るかいな!
悪いけど新年祭の客はウチの『ドラセナ』が全部いただくで!」
どうやらキィリアの店はドラセナというらしい。
盛大に啖呵をきってから、キィリアはふふんと笑って腕を組んだ。
「ま、せいぜいウチらの邪魔にならんようにやっとってや」
そのセリフに、さすがにフィルニィも状況を理解したようだった。
「な、なんですかその言い方は。それじゃあまるでうちの店が、町はずれで細々と経営してる小さな喫茶店みたいじゃないですか!」
「……それは否定できないけどね」
「ジルさんまでー!」
ジルに背中から撃たれて半泣きのフィルニィ。
キィリアは厳しい表情で、両手を腰に当てた。
「ウチらは儲けるためにやってんねんで?あんたらみたいなごっこ遊びとはちゃういうこっちゃ」
「う~……」
恨めしげにキィリアを睨むフィルニィ。
「うちの店を侮辱するのだけは許せません!ジルさん、この間みたいにやっちゃってください!」
「……えー……」
あからさまにやる気の無いジル。
というか、何をやるというのか。
「おいおい、ちょいと待ちなよ。あんたら店先でナニやってんだい?お互いに客商売なんだからさ、ケンカなら裏でやんな!裏で」
見かねたケイトが、そこで仲裁に入ってきた。
「ケイトさん、でもぉ~」
なおも食い下がるフィルニィに、説教をする母親のような表情を向けて。
「めでたい新年祭なんだよ?もちっと物事の分別ってヤツを……って、あたしが言っても説得力が無いな。わはははは♪」
途中でセルフツッコミを入れて、相貌を崩す。
「う~ん、そうだね。どうだい、ここは一つ客商売らしく今日の売り上げで勝負しちゃさ?」
「勝負?」
ぴく。
キィリアの耳が僅かに動く。
ケイトは頷いた。
「今日1日の売上が多かった方の勝ち。負けたら土下座して謝る……実にシンプルな決着だろ?」
「おもろいやん。ええ度胸や、その勝負、受けて立ったるわ!!」
キィリアがにぃ、と笑った。
「ま、ウチが負けるわけあれへんけどな!」
「う、うちだって負けませんから!」
無駄に対抗意識を燃やすフィルニィ。
大通りの一等地に対峙した2つのオープンカフェは、早朝から熱い戦いの様相を呈してきた。
と、そこに。
「店長、準備が整いまし………あら、ジルさんじゃないですか?」
スカート丈の短いメイド服のような制服を来た暮葉がやってきた。
「あ、暮葉。久し振り」
マイペースに挨拶を返すジル。
「ジルさんもアルバイトですか?奇遇ですね」
対する暮葉もどこまでもマイペースだった。
「暮葉も、こういうアルバイトするなんて…意外だな」
「ジルさんこそ。でもその制服、とてもよく似合っていますよ」
「…暮葉も、その服…可愛いね」
「ってナニ和んだ会話交わしとんねんおどれらー!!」
途中でキレたキィリアが会話をぶった切る。
「おら!ライバル店と馴れ合うとる暇あったらさっさと準備せんかい!」
暮葉を蹴り飛ばさんばかりの勢いでドラセナの方に追いやるキィリア。
「…いえあの、準備が終わったから店長を……」
「うるさいわ!はよ行かんかいボケ!」
ぐい、と暮葉をもう一押ししてから、キィリアはジルを振り返り、びしりと指差した。
「ガキぃ!商売のプロに喧嘩売ったこと、後悔させたるから覚悟しいや!!」
言うだけ言って、自分もさっさとドラセナに帰ってしまう。
残されたジルは、やはりマイペースにぽつりと呟いた。
「……だから、ガキじゃなくてジルなんだけど……」

大通り -ルヒティンの刻-

喫茶マトリカリア

「で、リィナ、出かけたのはいいけど……どこに行くんだ」
大通りに出てみたはいいものの、まだまだ人もまばらだ。
新年祭を楽しむというには、まだ少し早い時間帯で。
ショウの質問に、リィナは顔を上げて答えた。
「あっ、うん……えっとね、ここら辺にお友達のバイトしている場所があるんだけど……」
「お友達って、俺も知ってる子?」
「お兄ちゃんも知ってると思うよ、ほら……前に、パーティでリィナと一緒に歌ってた獣人の子。ジルちゃんっていうんだけど」
「獣人の………ああっ!」
ショウはしばし視線を泳がせてから、どこからともなく1枚の写真を取り出した。
「緑の衣装を着ていた……この子かな?」
「そうそう、その子……って、なんでお兄ちゃんがそんなの持ってるの?」
リィナの目が鋭くなり、ショウは慌てて誤魔化すようにへらっと笑った。
「あ、あははっ……まぁ、あの時は俺もいたからさ」
「もぅ!全く……いつ撮ったんだろ……」
ぶつぶつ言いながら前方に視線を戻すリィナ。
すると、目当ての場所の看板が見えた。
「あーっ!あれだよ、喫茶『マトリカリア』!」
言って、一目散に駆け出す。
「あっ、ジルちゃんだ!やっほー」
店の前で掃除をしているジルを見つけ、手を振りながら駆け寄る。
ジルはリィナの声に気づいてそちらを向くと、掃除の手を止めた。
「…リィナ。来てくれたんだ」
「うん、もちろん!へぇ~すごい……綺麗なオープンカフェだね!」
まだ客のいないホールを見渡して、リィナは感心したように言った。
ジルはそれには特にコメントせず、奥のほうに声をかける。
「…2名様ご案内…」
「はーい」
と、奥からフィルニィと母がやってくる。続いて、仕込みを終了したケイトも顔を出した。
「あれ、開店早々誰かと思ったら、リィナさんじゃないか。久しぶりだねえ」
「あーっ!ケイトさんだぁ、今年はここで料理作ってるの?」
「ああ、今年は真昼では何もしないみたいだしね」
「あら、ケイトさんのお友達ですか?」
のんびりした様子でフィルニィが会話に加わると、リィナはきょとんとしてそちらを向いた。
「ん?その人達は……」
「…経営者…になるのかな。…私の友達」
ジルが簡単に紹介すると、フィルニィが笑顔で挨拶をした。
「フィルニィです。よろしく」
「フィルニィの母です。ようこそ、いらっしゃいませ」
続いて母も笑顔で会釈をする。
「あっ、どうも……ジルちゃんのお友達のリィナ=ルーファです。よろしくね」
「兄のショウ=ルーファと申します。以後、お見知り置きを」
ぺこりとお辞儀をするリィナの横で、無駄に恭しく礼をするショウ。
母はそれは特に気にならなかったのか、さっさと踵を返すと先導して歩き始めた。
「さあ、立ち話もなんですからこちらへどうぞ。今日最初のお客様ですもの、一等席へご案内いたしますわ」

「っはぁ~美味しかったぁ。やっぱりケイトさんの料理は最高だね!」
「そうかい?そう言ってもらえると作った甲斐があるよ」
そういえば朝ご飯がまだだった、という2人のために、ケイトが少し豪華な朝食を作り、2人はそれを綺麗に平らげた。
「この鶏のスープなんてスパイスが効いてて絶品ですね。ケイトさんのオリジナルですか?」
ショウが訊くと、ケイトは嬉しそうに破顔する。
「お目が高いね兄さん!そうさ、これはラージアイランドでその名も高い炎の天才料理人、今はマヒンダ王宮で腕を振るっていらっしゃるプサイ師匠直伝の鶏スープなのさ!お代わりならいくらでもあるよ、お代は頂くけどね!」
からからと笑うケイトの横から、小さなケーキ皿を持ったフィルニィの母がひょこりと顔を出した。
「デザート代わりに、ケーキはいかがかしら~?サービスだから、お代は結構よ~?」
ことん。
言いながら、ケーキ皿を2人の前に置く。
リィナは嬉しそうに目を輝かせた。
「わぁ、いいんですか?!いただきまーす!」
「すみません、いただきます」
ココア地であろう、こげ茶色のスポンジケーキに、五分ほどに泡立てた生クリームがとろりとかかっている。
2人は笑顔でそれを口にして……
「………あ、り?」
たらり。
激しく予測と違う味がして、思わず首を傾げる。
「これ……ココアスポンジじゃ…?」
「これも……生クリームだと思って食べたけど…違う…のかな……」
母は眉を寄せて、困ったように腕組みをした。
「微妙なものを使ってみたんだけど…ちょっと微妙だったかしら?」
「微妙なものって…?」
「微妙なものは微妙なものよ~」
それは秘密ですポーズでにっこりと笑う母。
フィルニィが申し訳なさそうに2人の皿を下げる。
「ごめんなさい。お母さん、新メニュー開発に凝ってて…」
「え、実験台っ?!」
「俺たち…一体微妙な何を食べさせられたんだろうか…」
微妙に青ざめる2人に、母はにっこりと微笑みかけた。
「ごめんなさいね、お口に合わなかったかしら?」
「とんでもない」
途端にふっと気障な笑みを浮かべるショウ。
「失敗は成功の母……もとい、チャレンジ精神が無ければ新しい味は生まれません。こんな私でよろしければ、いつでも実験台……いやいや、お母様の飽くなき挑戦の見届け人としてご指名下さ……っっ!!」
セリフの途中でリィナが思いきり足を踏み、痛みに声を詰まらせる。
「まったく……!誰が誰のお母様だっつの!」
「しょうがないだろう、名前をお伺いしてないんだから!」
「じゃあ、フィルニィさんのお母様さんって呼べばいいでしょ、アクションにもそう書いてあったんだし!」
いや、それはちょっと。
「……別に名前を考えるのがめんどくさかったわけじゃないよ」
ぼそりと誰かに弁解をするジル。
「まあ、新メニューを考えるのは悪くないんじゃないかい?いいのが出来ればお客さんを呼ぶ手段にもなるしさ」
ケイトが鷹揚に頷く。
「…まあ、普通は店が始まるまでに作っておくものだけどね…」
ジルのもっともなツッコミは風に流れて溶けて消えた。
「新メニューかぁ…何かあるといいんだけどね」
リィナもふむ、と唸る。
と。
「ふはははっ!そんなことならお任せくださいっ!」
急にテンション高く立ち上がったショウが、自身満々の表情で歩き出した。
「では、少し厨房をお借りいたしますね」
「ちょ、ちょっとお兄ちゃん、そんな勝手に」
リィナが慌てて止めようとするが、ケイトが笑ってそれを制した。
「いいじゃないかリィナさん。あたしも兄さんがどんな料理を作るのか興味あるよ。いいよね、店長?」
「そうね、構わないわよ~。まだお客さんも少ないし、いいメニューが増えるなら」
ケイトに輪をかけて寛容な母の後押しもあり、リィナはしぶしぶ座ってショウを待つことにした。

「……っと、こんなもんでいかがでしょうか?」
数分後。
自信満々で出てきた兄が、持っていた皿を一堂が座っていたテーブルへと置く。
皿の上に置かれていたのは、小さな丸い団子にびっしりとゴマがあしらわれたものだった。
「へえ、リュウアンのゴマ団子だね」
一目で料理名を言い当てるケイト。
「そういうのがあるんですか。へえ、すごーい。いただきまーす」
フィルニィはマイペースに言って団子をつまむ。
「あ、おいしー!」
「……ホントだ」
ジルも同じようにつまみ、地味に感動しているようだった。
「素人にしちゃあ、なかなか美味いじゃないか」
余裕の笑みのケイト。
「うーん、そうねぇ……目玉のメニューにするには、ちょっと意外性が無いかしら」
母が言うと、ショウは苦笑した。
「そうですか、なかなか厳しいですねぇ……でも、燃えてきましたよ……必ずや、御満足いただける品を!」
懲りない…もとい、不屈の精神でなお一層燃え上がった様子のショウに、リィナも感化されて気分が高揚してきたようだった。
「えっと、リィナもお手伝いしてもいいかな?……リィナもみんなが喜んでくれるようなメニュー考えるよ!」
「え、そ、そういう流れなの?じゃあ、私も何か作ろうかな……」
少し慌てた様子で、フィルニィ。
「……じゃあ、私も」
満を持して、ジルも立ち上がった。
「あらあらあら、ウェイトレスが2人とも厨房に行っちゃったら困るわー」
あまり困っていない様子で母が言うと、ケイトが笑って制した。
「まあまあ。まだ客も少ないし、ちょっとぐらいいいじゃないか、店長。ホールはあたしと店長の二人で見れば」
「そう?ケイトちゃんがそう言うなら、いいけど…」
かくして、マトリカリアの名物メニュー考案会が始まったのだった。

「出来たよ!ダージリンのシフォンケーキっ!いい匂いでしょ♪」
リィナがはしゃいだ様子でふわふわのケーキを出せば。
「こちらは、焼きフルーツの盛り合わせです。冷めないうちにどうぞ」
再び無駄に格好をつけたショウが、綺麗にデコレートされた皿を出す。
「わ、私あまり大したもの作れなくて…チョコバナナプリンです」
フィルニィが自信なさげに、バナナソースのかけられたココアプリンを置く。
「どれどれ…うん、美味いじゃないか。目新しさもあるし、これはお客に出せそうだね」
料理人の目線で感想を述べるケイト。
「うん、美味しいわ。いいものが出来そうじゃない?」
少し嬉しそうな母。
「…あれ……そういえばジルさんは?」
ふと気づいてフィルニィが言い、リィナもきょとんとした。
「あれ、ホントだ。まだ作ってるのかな…?」
厨房の方を見ると、ちょうどジルが皿を持って出てきたところだった。
「あーっ、ジルちゃん、新作でき…た……」
明るく声をかけようとして、持っていた皿の上にあったものに絶句するリィナ。
ジルは自身満々の無表情で、皿をテーブルの上に置いた。
人のこぶしほどの大きさの、黒い岩の塊のようなものから、蛍光オレンジのゲル状の物体が零れ落ちている。
「…固まりかけの溶岩…?」
ぽつりと、見たままの感想を漏らすフィルニィ。
ジルは無表情のまま、自らが作ってきたその物体の製品名を告げた。

「…シュークリーム」

ジル以外の全員の表情が固まる。
シュークリーム。
シューというのはキャベツという意味なのだという。
キャベツのような外見の柔らかい皮の中に、カスタードクリームが詰められたお菓子のことだ。
間違っても、マグマのはみ出た固まりかけの溶岩ではない。
全員の表情がそう語る中、ジルはやはり無表情で、残酷な命令を告げた。
「……よかったら、食べてみて」
うっ。
固まった表情のまま、一様に冷や汗をたらす一同。
「……あの、リィナさん、よかったらどうぞ」
「え、ええええ?!ふぃ、フィルニィさんこそどうぞ!」
「いえいえ!わ、私はジルさんの料理、食べ飽きてますし!」
「うそっ?!」
「嘘ですけど」
「嘘なんだ……」
「こ、こりゃあ……て、店長。新メニューの試食、してみとくれよ…」
「そ、そうねえ……私、さっきのお料理で結構お腹いっぱいに…」
「お、お兄ちゃん、食べてみてよ!」
「うぇえっ?!」
譲り合いの矛先を突如向けられて、素っ頓狂な声を上げるショウ。
「そ、そうだねえ、ショウさん食べてみなよ」
「あれだけのお料理を作れるんですもの、きっと的確な評価をしてくれるわ」
「すごいですショウさん!自ら進んで犠牲……いえ、生贄………まあなんでもいいですけど、ジルさんのシュー……くり…いえ、あの」
「お、おおお兄ちゃん!早く、ほら、食べてみてよ!」
急かすリィナと、その他3名+ジルの期待のまなざしを裏切ることなど、ショウにはできなかった。
「……っ……」
おそるおそる、溶岩…いや、シュークリームという名の何かを手に取る。
(…神よ……!)
普段信じてもいないその名を心の中で唱え、目をつぶって一気に口の中に入れた。
がり。
シュークリームを食べた時の擬音としてはありえない音があたりに響く。
そして。

「あsdfghjkl!」

叫びにならない叫びをあげて、ショウはその場にひっくり返った。
「おおおおお兄ちゃん!」
「ショウさん!しっかり!」
「よくやった…あんたはよくやったよ…あんたの死は決して無駄にはしないよ…!」
妙な盛り上がりを見せる一同の中心で、ショウは意外に早く起き上がった。
ははは、と、乾いた笑いを浮かべて。
「……ちょっと、しょっぱ辛いかなぁ」
ショウの言葉に、一同に戦慄が走る。
「……分量、間違えたかな……」
ジルの的外れな呟きには、誰も答えるものはいなかった。

「さーて、とっ!新メニューも考えたし、お腹いっぱいになったし!
そろそろお店も込んでくるかもしれないから、リィナたちは退散するね」
満足げな表情で伸びをして、リィナはジルに向かって言った。
「…うん。来てくれてありがとう」
無表情で返すジル。
と。
「ちょっと待ってくれる?」
フィルニィの母がそれを呼び止め、立ち止まる2人。
「はい?」
「どうかしましたか?」
2人が問い返すと、母は笑顔でエプロンを外し始めた。
「実はさっき、材料をいくつか切らせちゃったのよ……私がそれを取りに行ってる間、店番を頼めないかしら?」
「お母さん、お客さんにそんな…」
咎めるように言うフィルニィは無視して。
「新メニューを作るのに、材料をたくさん使っちゃったからかしらねぇ……?」
意味ありげに、2人の方を見る。
「あ~……」
自分たちから作らせてくれと言った手前、激しく気まずい2人。
顔を見合わせてから、敬礼せんばかりの勢いで答えた。
「謹んでお引き受けいたします!」
満足そうに微笑む母。
「ありがとう、それじゃあ宜しく頼むわね!
制服の予備は更衣室にあるから」
言って、たたんだエプロンを持って裏口へと向かう。
「ああ、店長、買出しならあたしが」
「ケイトちゃんは厨房にいてー?お料理はケイトちゃんが作った方がいいと思うから」
止めようとしたケイトをさらりとかわし、母は裏口から外へと出かけていった。

「あはっ、この制服可愛い♪」
奥で着替えてきたリィナは、エプロンドレスのスカートを軽くつまむとくるりと一回転してみせた。
「……気楽だなぁ、リィナは」
同じく、ウェイターの格好をしたショウが苦笑しながらやってくる。
ジルは相変わらずの無表情でその様子を見つめ、一言。
「……何で男性用の制服まであるの」
「ケイトさんの予備じゃないですか。ケイトさんあの服着てますし」
「…ホントだ」
そこにきて、ジルはようやくケイトがウェイターの格好をしていることに気がついたようだった。
「…ケイトの服が、ショウさんにぴったりなんだね…」
「…ケイトさん、大きいから……」
微妙な気持ちになる2人をよそに、リィナははしゃぎまくっている。
「いらっしゃいませー、何名様ですか?ってやるんだよね!
こういうお仕事もいいよねぇ、制服も可愛いし♪」
制服が大きなポイントになっているようだ。
「…そうだね、リィナに良く似合ってると思うよ」
少し柔らかい表情で言うジル。
「え、えへへ、そう?」
リィナはひとしきり照れてから、ジルに歩み寄った。
「ジルちゃんも可愛いと思うよ~。このお耳がとってもいいよね」
ふにふに。
気持ちよさそうにジルの耳に触れる。
「そうなんですよ~。きっとこの耳、癒しのオーラを放ってるんですね」
ふにふに。
つられてフィルニィも触り始める。
「この耳で布団を作ったら、気持ちいいでしょうね~」
「そうかな……」
フィルニィの微妙な妄想に、適当に相槌を打つジル。
「ジルさん、この耳、切り取ったらまた生えてきませんか?」
「えぇ?!」
突然飛び出る過激発言に、さすがに驚くリィナ。
ジルは呆れたような無表情で、フィルニィに言った。
「トカゲじゃあるまいし……」
「は…はは…意外に怖いね、フィルニィさん……」
乾いた笑いを浮かべるリィナ。
「そうだなぁ……確かに、ジルちゃんは今のままでも十分可愛いけど、もっとメイクとかヘアースタイルとかいじれそうな部分が……」
話を戻して、顎に手を当てながら言うショウ。
きらり、とフィルニィの目が光った。
「それって、原石ってことですか?」
「そうだね、そう言うことかな?」
にこりと笑って、ショウ。
フィルニィの目が、さらに怪しい輝きをともす。
「と、言うことはもっと磨けば輝くってことですね」
ずい。
歩み寄って強調され、ショウは僅かにたじろいだ。
「あ、ああっ、もっとチャーミングになると思う……けどな……」
「ほらっ、ジルさん!」
ぎらぎらと光る目を、今度はジルに向けるフィルニィ。
「ジルさんは磨けば光るんですから、もっとおしゃれに気を使うべきなんですよ!」
ほら、ということは、常日頃フィルニィはジルにそう言っているのだろう。
ジルは少し困ったような無表情で、僅かに首を傾げる。
「でも…私、そういうのよくわからないから……」
「なら、リィナたちが一緒にやってあげるよ!」
と、リィナのほうを向けば。
彼女もフィルニィと同じような表情で、ジルに迫っていた。
「ぅ……」
その勢いに気おされるジル。
「今は制服ですから、服はいじれませんから…まずはメイクですよねっ!」
先程までのマイペースな様子とは一変、人が変わったように押しが強くなるフィルニィ。まあ、これはこれである意味マイペースなのだろうが。
じゃき、と、どこから出したのか、ファンデーション、アイライン、マスカラ、シャドウ、チークその他もろもろ、化粧道具一式を出したフィルニィが、ずい、とさらにジルににじり寄る。
「さあ、今日こそはばっちりメイクさせてもらいますから!」
「ぁぅ……」
反論の言葉も出ずに、ジルはフィルニィとリィナの2人に座らされるのだった。
……それにしても客のいない店である。ジル、さっそく土下座の危機。

「女の子の可愛さは目力(めぢから)ですよ!ラインは目を開けて、しっかり入れなくちゃ!」
「…目に入っちゃうよ……」
「それくらい恐れていては可愛くなれませんよ!誰だって失敗を経てだんだん上手くなっていくんです!」
「…目に入る前提なんだ……」
「次はシャドウですね…うーん、ジルさんには…」
「暖色系で暖かみを出したらいいんじゃないかな。ジルちゃん、ちょっとクールだから」
横からショウがアドバイスを入れ、笑顔で頷くフィルニィ。
「さすがショウさん!そうですね、じゃあオレンジから…髪の色に合わせてブラウンに…」
「あーっ、じゃあリィナはヘアスタイル担当するね!
ウォーターワックスでこう、ふわっと……」
「うーん。横は後ろに流すより、前に入れてシャギーみたいにするといいんじゃないかな?」
再びショウのアドバイスが飛ぶ。
「そう?こんな感じかな……うんうん、可愛い~!」
ジルを思う存分いじり倒す2人。
「だいぶいいんじゃない?ここだとこれが限界かな。時間も無いしね」
ショウも可愛らしく飾られたジルに、満足そうに頷いた。
「でも、まだなんか足りない気がするな~……あっ、そうだ!」
リィナはジルを見て眉を寄せると、やおらポンと手を叩いて、懐からオレンジ色のリボンを出した。
「ねぇねぇ、このリボンとかどうかな?」
「えっ……」
きょとんとするジル。
「でも……リィナのでしょ?」
「いいのいいの!ジルちゃんにあげるよ!」
笑顔のリィナ。
「……いいの?」
困惑した様子のジルに、リィナはなおも満面の笑顔で頷いた。
「もちろんだよ!この色、きっとジルちゃんに似合うと思うよ!」
リィナの言葉に、ジルは少し俯いて、ぼそりと言った。
「ん………どうも」
「んじゃ、つけてあげるね!」
と、リィナがジルの髪に手をかけたとき。
「あらー。あらあら、何をやってるのー?外にお客さんがいるじゃない」
「お、お母さん!おかえりなさい」
ちょうど帰ってきたフィルニィの母に咎められ、一同は慌てて席を立った。
「ケイトちゃんは外に出て呼び込みしてるわよー?向かいのお店と勝負する気なら、積極的にお客さん捕まえに行かなくちゃダメでしょ?」
「あわわ、そうだったわ…みなさん、行きましょう!」
先程のメイクで妙に気合が入ったのか、フィルニィが張り切って外を指差す。
「しょ、勝負?何だかよくわからないけど、呼び込みなら手伝うよ」
それにつられるように、ショウも慌てて出口へと向かった。
「あーっ、ごめんねジルちゃん!これ、あげるから自分でつけて!」
しゅるり。
つけかけたリボンを解いて、ジルの手のひらに載せるリィナ。
「お兄ちゃん、まってよー!」
「………」
ジルは少し名残惜しそうな無表情でしばらくオレンジ色のリボンを見ていたが、やがてそれをエプロンのポケットにしまうと、3人の後を追った。

喫茶ドラセナ

「ええか!客商売で重要なのは一にも二にも接客態度や!
接客態度は店の顔!顔が見苦しいヤツはモテへんやろ?!
男は顔!女も顔や!よう覚えとき!」
早速訳がわからなくなっている講釈をたれながら、キィリアは一列に並んだ店員の前をゆっくりと行ったり来たりしている。
店員は、暮葉とセレ、それにもう2人の可愛らしい女性ウェイトレスと、2人のウェイター(こちらは執事らしき格好をしているが)、それになぜかコックが3名。
どのような伝かは知らないが、全てキィリアが雇ったのだという。
「接客は、大きな声ではきはきと!どんなにムカつくイヤミなやつでも笑顔で接したれ!顔で笑って心で五寸釘や!ええな!」
「了解」
ぼそりと返事をしたセレに気を良くしたのか、キィリアは満足顔で頷くと、続けた。
「ほな、接客用語いくで!今からウチの後に続いて復唱しぃ!」
「了解」
「いらっしゃいませ!!」
「「いらっしゃいませ!」」
「い、いらっしゃいませ」
即座に声を張り上げる店員たち。暮葉も慌てて後に続く。
「おいコラそこ!もっとハキハキ喋らんかい!!何が『いらっしゃいませぇ~』じゃこんっのボケが!!覇気が足らんっちゅうねん覇気が!!」
「す、すみません」
びしりと指されて怒鳴りつけられ、暮葉はあわてて頭を下げた。
「もっかい!いらっしゃいませ!!」
「「いらっしゃいませ!!」」
「お一人様ですか!?」
「「お一人様ですか!?」」
「なんや寂しいやっちゃな!!彼女でも作って出直してこんかい!!」
「「……」」
黙り込む店員一同。
「おいコラ!何でそこで止まんねん!?接客業は不測の事態が付きもんや!どんな状況にも臨機応変に対応できんと勤まれへんで!?」
そこはむしろキィリア自身が不測の事態なのではなかろうか。
セレ以外の全員の表情がそう物語っていたが、誰も口には出さなかった。
「オラ次!本日のおすすめはオリーブオイルと香草のケーキです!!」
「「本日のおすすめはオリーブオイルと香草のケーキです!!」」
「アホ!今のはボケや!突っ込め!!食えるかー!て突っ込めや!!突っ込んでくれへんと虚しゅうなるやろ!?」
無茶苦茶なキレ方をしているキィリアに、暮葉はこっそりとため息をついた。
「難しい人だなぁ……」

そんなこんなで、ようやく開店した喫茶『ドラセナ』。
当然、開店したばかりで客はまだ入ってこない。まだ時間が早いのだ、大通りでさえ人がまばらな状態で。
張り切ってホールに乗り出した暮葉は、手持ち無沙汰そうにうろうろしていた。
すると。
「暮葉。ちょお、これ配ってきてくれへん?」
「はい?」
キィリアが持ってきた紙の束を暮葉に渡す。
ひらり、と一枚手に取ってみると。

『新年祭に特別出店!可愛いウェイトレスが祭りの疲れを優しく癒します。
フェアルーフ王室御用達のシェフ直伝の絶品料理が勢ぞろい!
喫茶ドラセナへ是非どうぞ!』

可愛らしいウェイトレスのイラストが描かれた、仰々しい煽り文句のチラシだった。
「えっ、王室御用達のシェフが?」
文面を読んで驚く暮葉。
キィリアはつまらなそうに言った。
「嘘に決まってるやん、そんなん」
「えええ、嘘なんですか!」
「王室御用達のシェフの料理なんぞ、祭りのオープンカフェに来るような連中が知るわけないやん。それに、シェフ本人が料理したとは書いてない。味がちゃう言われてもこのシェフのオリジナルです言うたったらええねん」
「それって、直伝の意味が無いんじゃ…」
「じゃかし。そもそも祭りに来る連中は祭りっちゅ―だけで気分が高揚してどんなモン食べても美味く感じんねん。それに加えて、上手いやつが作った言われたら同じモンでも美味く感じるやろ?多少の嘘は料理を美味しくする為のスパイスやねんで」
「そんなものですかね……」
暮葉はまだ釈然としない顔でチラシを眺めている。
「ま、そんなんはどーでもええやん。
そのチラシ、200枚。今から大通りにいる客に全部配って回ってや」
「はっ?!」
改めて言われ、暮葉は驚いてキィリアの方を見た。
「あの、ウェイトレスは?」
「あと3人もおるやん。客おれへんし。客呼ぶためにチラシ撒くねんで」
「は、はい…わかりました。…あのぉ、私一人で行くんですか?」
ちらり、と助けを求めるようにセレのほうを見る。もちろん、セレからの反応はない。
キィリアはにべもなく言った。
「当たり前やん。時間ないねん、はよ行ってきぃや」
「…着替えてから行っても?」
「何言うてんねん、アホか。チラシ渡すんが目的ちゃうねんで、こんなウェイトレスがいますいう宣伝やろ。普通のカッコで行ってどないすんねん、意味ないやんか」
「ご、ごめんなさい」
「言うとくけど、適当にアンタに配らせたんちゃうねんで?4人の中で一番アンタが目ぇ引きそうや思たから任せてん。せやからちっとは喜びや」
「は、はあ………あの、キィリアさんはこの給仕服に着替えないんですか?」
「ウチのことはどうでもええやろが!早よ行ってこいってなんべん言わせんねんボケがー!」
「はぃぃ!いってきます!」
余計なことを訊いてキィリアに怒鳴り飛ばされ、暮葉は慌ててチラシを持って外へと行くのだった。

「あの、喫茶ドラセナです…よろしくお願いします…」
暮葉はミニスカウェイトレスの格好のまま、恥ずかしそうに大通りでチラシを配っていた。
大通りはまだ時間が早いせいか、あまり人通りはない。しかし、ウェイトレス姿が目を引くのか、道行く人々は暮葉の配るチラシをスルーもせずに受け取っていた。
(この分なら、早く配り終えてお店に戻れそう…)
露出の多いこの服で、店の中でなく通りに出ているということが恥ずかしいのだろう。オープンカフェなのだから大して変わらない気もするが。
しかし、安心したのも束の間。

「おいっ、あれ暮葉タンじゃね?!」

びくう。
やや離れたところからかかった声に、暮葉は盛大に体を硬直させた。
「ややっ、まことナリか!」
「ほら、あそこでチラシ配ってるメイドさん!」
「や、確かにあそこにおわすはまごうことなき暮葉どの!
しかも眩しく麗しいメイド姿!絶対領域もばっちりでござる!
拙者、萌えフェス会場を離れ、こうして食料を捜しにきた先でこのような運命の出会いがあるとは思いもよらなかったナリよ!」
微妙な口調で会話をしている青年は、もしかしなくても。
ぎぎぎ、と暮葉が振り返った頃には、青年2人はもう暮葉のすぐ近くまで駆け寄ってきていた。
くたくたのジーンズに季節柄をわきまえないダルダルのTシャツ、やはり色あせたジーンズのジャケットにバンダナ、今から山登りですかというくらいの大きくごついリュック。二人とも判で押したように同じような格好だ。
「うっ…」
一瞬で気おされる暮葉に、青年たちは目をきらきらと輝かせて詰め寄った。
「おおおおお、本物のメイド暮葉タンキタ――――!!」
「暮葉どの、本日はそのように麗しくも悩ましい御姿でどちらのお店……否、どうされたのでござるか?!拙者、暮葉どののいる店なら全財産投げ打っても参上仕る所存にて!」
(ううう……)
暮葉は今すぐ逃げ出したい心境だったが、チラシを配るという使命を与えられたからにはそういうわけにもいかなかった。どうにか足を踏ん張り、持っていたチラシを青年たちに差し出す。
「こっ……この先の、オープンカフェで…あの、ウェイトレスをやってるんです」
青年たちはさらに表情を輝かせて、なかばひったくるように暮葉のチラシを手に取った。
「mjd?!暮葉タンがウェイトレスやってるオープンカフェktkr!!wktkが止まらないおwwww」
「これぞまさに桃源郷ナリいぃぃぃぃ!!」
(ううう……こわいよお……)
ぎこちない笑顔を作りながらも及び腰の暮葉。無理もない。
だがしかし、彼女はくじけなかった。精一杯の笑顔を青年たちに向けて。
「よろしければご友人と是非いらしてください。精一杯おもてなしさせていただきます」
「もちろんですとも!!」
「そうと判れば萌えフェス会場に取って返し、ミザリーどの達にもお伝えするでござるよ!」
「了解ぃ!待っててね暮葉タン!」
青年達は暮葉の返事も待たずに踵を返すと、一目散にもと来た道を走っていった。
「…………………はぁ…」
その姿が見えなくなるまで見送………否、硬直して動けなかった暮葉は、盛大にため息をついた。

大通り -ミドルの刻-

喫茶マトリカリア

「あっ、ここですね。喫茶マトリカリア出張店」
目当ての店を見つけたアルディア(中身オルーカ)は、早速ササと共に中に入っていった。
昼時なこともあって、店内はまずまずの盛況である。薄紫色の髪の可愛らしいウェイトレスに案内されて中に入ると、待ち合わせの人物――オルーカ(中身アルディア)は既に席についていた。
以下、中の人の名前で呼ぶことにする。
「アルディアさん!すみません、お待たせしてしまいましたか?」
「いや、私も今来たところだ。まあ、オルーカもササも座れ」
アルディアに促され、丸い4人がけのテーブルの残り2つの椅子に座る2人。
「あの、そちらの方は……?」
アルディアの隣にいるエルブランを見て、不思議そうな顔をするオルーカ。
アルディアはそちらを一瞥して、ああ、と言った。
「昔の知り合いで、エルブランだ。行きがけに出会ってね。…っと、確かオルーカと今朝ぶつかったとか言っていなかったか?」
「えっ?」
言われて、再びしげしげとエルブランを眺めるオルーカ。ややあって、思い当たったように手を打った。
「ああ、今朝の…!あの時は失礼いたしました」
「……いや」
ぶっきらぼうにそう言って、エルブランは軽くため息をついた。
「……老けましたね…」
それがどうやらアルディアの体についてのことだと察し、アルディアが言い返す。
「お互い様だろう」
「…と言うよりも、もはや別人じゃないですか……嘆かわしい…」
「何故嘆く」
小声でゆるい会話を交わす2人。
口を挟んで良いものか迷ったが、オルーカは恐る恐る自己紹介をしてみた。
「あの…オルーカといいます。こちらはアルディアさんのお知り合いで、ササさんです。よろしくお願いしますね!」
エルブランは見るからに嫌そうな表情でオルーカを一瞥し、吐き捨てるように言った。
「…かしましい女だ…!……全く、これだから女は…」
「ええっ」
いきなりの悪印象に驚くオルーカ。エルブランはササに顔を向けると、途端に優しい声で言った。
「君、よくこんな女と行動を共にしているな……同情するよ」
同情されてもササは一向に嬉しくないようで、眉を盛大に顰める。
「な、なんなんだよアンタ?オルーカのこと知りもしないくせに…」
「ササさん、いいんです、今朝ぶつかったのは私ですし、エルブランさんがお怒りになるのももっともですから」
不穏な空気になりかけたのを、オルーカが止める。
「だけど、オルーカ……」
「私は気にしていませんから。ね?」
「…ならいいけどよ……」
しぶしぶ椅子に座り直すササ。憮然として黙り込むエルブラン。
アルディアはそんな空気を察しているのかいないのか、早速本題に入ることにした。道具袋から数種の小袋を出し、テーブルの上に並べていく。
「トリム豆、キュバスの煙草、ユキゲシの実、エチオヘビの毒。とりあえずこちらは一通り揃ったぞ」
「ええっ?!」
アルディアの言葉に驚くオルーカ。
「も、もう全部揃えてしまったんですか?!」
「ああ、まあな。行くところに行って出すものさえ出せば、手に入れること自体はそう難しくないのでな。まあ、持ち合わせが足りずにエルブランの手を借りることにはなったが」
「すごいです、さすがです!」
ひたすら感心するオルーカの横で、ササも頷いている。
「やっぱり先生はすげぇな。オレらはモドシダケと…この、ダッラーラの卵を手に入れたよ」
ごと。
言いながら、ササも道具袋の中から小袋と卵を取り出す。
「おお、そうか。後1つじゃないか、頑張ったな」
アルディアの言葉に、へへ、と嬉しそうに鼻頭を擦るササ。
「この分なら、意外に早く全部集まりそうですね」
オルーカは嬉しそうにうんうんと頷く。
そんな感じで、場のムードが和みかけた時だった。
「……いらっしゃいませ。ご注文はお決まりで……あ」
注文を取りに来た、やたら棒読みのウェイトレスを見上げ、オルーカが硬直する。
「ジ、ジルさん……」
呟いてしまってから、自分がアルディアの体だったことを思い出して。
ごほん、と咳払いをひとつ。
「こ、こぉれはジル殿!お久しぶりじゃなあ!」
まだアルディアの口調を何か勘違いしているオルーカ。
「………久しぶり…アルディア、オルーカと一緒なんだ」
ジルはいつもの無表情で、アルディアとオルーカを交互に見る。
こんなところで知り合いに会ってしまうとは。いつばれてしまうか気が気でないオルーカ。
一方のアルディアは特に慌てていない様子で、ゆっくり頷いた。
「…ああ。今は事情が有って、一緒に行動をしている……ん、です」
しかし、こちらも微妙におかしい。
「……そうなんだ。そっちの人は?知り合い?」
見知らぬササとエルブランの方を見て、ジル。
「あ、ああ……ええと、ササだ。薬学生をしてる」
どう答えて良いか迷っている様子のササが自己紹介をすると、エルブランも仕方なさそうにぼそりと言った。
「……エルブラン。魔道研究家だ」
「……どういう関係?」
なおも淡々と問うジル。
「…お前には関係ないだろう。全くこれだから女は…!」
食って掛かろうとするエルブランを制するアルディア。
「エルブラン、落ち着け。……まあ、色々あったのだ。…ですよ」
「………ふーん…」
意味ありげな沈黙で、アルディアとオルーカを交互に見るジル。
なおもハラハラしているオルーカ。
ジルはたっぷりの沈黙の後、何事もなかったかのように言った。
「…それで、ご注文は?アルーカ」
「っはいぃぃ?!」
突如奇妙な名を呼ばれ、びくりと体をふるわせるオルーカ。
「は、はは、な、何を仰っているのですかな、ジル殿!私の名前はオル……いや、アルー…アルディアですぞ!ははは!」
動揺しまくってあからさまに挙動不審なオルーカの横で、ササがあちゃーという顔をしている。
「……そうだったね、ごめん、オルディア」
「は、はは、判ればよろしいのじゃ」
「……まだ間違ってるけどな」
汗ダラダラのオルーカに小さくつっこむササ。
「そそ、そんなことより注文じゃ注文!ええとそうじゃな…で、ではわたくしはベジタブルサンドイッチとオレンジジュースをいただくぞ!ササ君はどうするかね!?」
「……チキンライスとコーヒー……」
「だそうだ!おほん!頼んだぞ、ウェイトレスさん!」
どうにか誤魔化せた(誤魔化せていないが)と安心顔のオルーカ。続いてアルディアとエルブランも注文すると、ジルはそのまま厨房へと引っ込んでいった。
ほっと一息ついたのも束の間。
ジルが再び4人のテーブルの方に歩いてくる。
また挙動不審になるオルーカ。
「ど、どどどうされたのですかな、ジル殿?!」
ジルはテーブルにたどり着くと、手にもっていた草をオルーカに差し出した。
「…これ。ケイトが買ってきたハーブなんだけど、どうやら間違って買ってきちゃったみたいなんだ。薬草だと思うんだけど、よくわからなくて…アルディアなら何に使う薬草か、わからないかな」
「っえぇぇ?!」
あまりにも唐突なジルの質問にさらに動揺するオルーカ。
すると。
「…この薬草何に使うの?」
と、今度はアルディアのほうに向かって問うジル。当然見た目はオルーカなのだが。
「エブエの葉だね。白い産毛に覆われているだろう。これをこすりとって煎じて飲むと喉にいいよ」
そしてさらに、アルディアはさらりとその質問に答えてしまった。
(あああ、アルディアさーん)
内心叫びだしそうなオルーカ。
ジルは満足そうな無表情で頷いた。
「そうなんだ…ありがとう。さすがアルディ…オルーカだね」
これはまずい、と感じたオルーカは、何とか会話に混じろうとする。
「そう、そうですよ!」
「そうですよ?」
「あっ…いや、そうじゃ!喉にとても良いのじゃ!そ、それに花の部分は、えーと……そう、目薬になるのだぞ!」
「エブエは花をつけないよ」
苦し紛れに適当なことを言うオルーカを、即座に訂正するアルディア。
沈黙が訪れる。
エルブランとササは、明らかに気づいている様子のジルにからかわれる2人を生暖かい目で見守っていた。
ジルはだらだらと生汗をかくオルーカをしばらくじっと見つめていたが、再び淡々とアルディアに話しかける。
「…そういえば、こないだはすごかったね。アイドル」
「…アイドル?」
首を傾げるアルディア。
ジルはこくりと頷いた。
「…うん。……クマっ娘アイドル・オルーカルン(14歳)…」
「じ、ジル殿!何を仰る兎さんですぞ!」
アルディアの知らない話題を振られ、大慌てで止めようとするオルーカ。
と、ジルは今度はオルーカのほうを向いた。
「…アルディアはもう、オルーカから聞いた?」
「ああ、あのGIO(グレート・アイドル・オルーカ)の話じゃな!元に戻ったら耳が落ちるまで歌を聞かせてサインもしてやるからこの話はもう終了!はいジル殿!さっさと仕事に戻る!」
カッコ、カッコ閉じるまで口で言って、オルーカはなかばヤケ気味にジルの背を押してその場から退場させる。
ジルはつまらなそうな無表情で、しかし他の客も大勢いる手前、おとなしく仕事に戻っていった。
「ふう…まったく、やれやれじゃな…」
間違ったアルディアが抜けきっていないオルーカ。
「つか…あれ絶対バレてただろ……」
半眼でササがつっこむ。
「ええっ?!バレてたんですか?!」
「バレてないと思ってるのアンタくらいだよ…」
呆れたような表情のササに、うんうんと無言で頷くエルブラン。割とどうでもよさそうなアルディア。
オルーカはしゅんと肩を落とした。
「そうだったんですか……あとでジルさんに謝らなければなりませんね…」
「いや…謝るのは向こうの方だと思うぞ…」
「そうですか?」
オルーカはよくわからなそうに首を傾げ、水を一口。
と。
「マジだって。いたんだって。チョーキモかったんだって」
「マジでー」
隣の女性2人組の会話が聞くともなしに聞こえてくる。
「なんかさー、カッコはどっかの教会の司祭様?みたいなんだけど?なんかでっかい荷物抱えて大急ぎで歩いててさー、ミューたんハゲ萌えとかブツブツ呟いてんのー、もーチョーキモくてー」
「なにそれありえなくなーい?」
ばぎゃ。
「……お、オルーカ…?」
突然黒いオーラを出しながら持っていたコップを握り割ったオルーカに、ササが恐る恐る声をかける。
オルーカはすっくと立って2人組の下までつかつかと歩いていくと、満面の笑みをたたえて話しかけた。
「あの」
「はい?」
突然声をかけられてきょとんとする2人組。
「ガルダスの司祭の法衣を着てはいますがガルダスとは全く関係ない人物ですのでご安心を。今度見かけたら通報してくださって構いません」
「はっ………はぁ……」
誰もガルダスの名前は挙げていないのだが、オルーカの微笑みからだだ漏れのプレッシャーに気圧されて頷く2人。
オルーカは満足げによろしくお願いします、と言い置くと、席に戻って一息ついた。
「な…なんだったんだ、一体……ん?」
オルーカが割ったコップの後片付けをしているササが、ふと傍らの異変を感じてそちらに目をやる。
つられて目をやったオルーカが、視線の先にあるダッラーラの卵に触れた。
「どうしたんですか?……あれ、この卵、ちょっとあったかくなってません?」
先ほどササから受け取った時は、普通の卵と同じように冷たかったはずなのに。
オルーカが首を捻ると、卵から嫌な音がした。

ぴし。

「えっ?」
鋭い音と共に、大きな卵に亀裂が入る。
「えっ、わ、私何もしてませんよ?」
慌てるオルーカをよそに、卵の亀裂はどんどん広がっていく。
ぴし。ぴしぴしぴし。
「えええ?!た、た、た、卵が!」
ぱきゃ。
ぼうっ。
ついに卵が完全に割れ、中から異様な熱気があたりに噴き出す。
「熱っ!」
「うわぁぁっ!!」
がちゃ、がたん、がらがらがしゃーん。
テーブルの上のものが全てなぎ払われ、派手な音を立てて。
卵から生まれた怪鳥ダッラーラは、まさしく炎のような極彩色の翼をばさりと広げた。
「ダラ~!」
鳴き声は少し間抜けだが。
「えええ!?ふ、孵化しちゃいましたよ!?」
「ちっ…どーりで安価で譲ったと思ったら、孵化寸前の卵だったのかよ!」
驚くことしか出来ないオルーカの横で、悔しそうに舌打ちをするササ。
「…どうしたの……?!」
「一体何が…って、何ですかこれぇっ?!」
駆けつけたジルとフィルニィが驚きの声をあげる。
二人がそうするまでもなく、オルーカ達のテーブルの異変を目の当たりにしたカフェの客たちが既に悲鳴をあげてその場から離れていて。
「…ちっ……シールド!」
しゅうっ。
エルブランが咄嗟に呪文を唱え、テーブルの周り一帯に魔力の障壁を張る。
「私はこれを維持している!早くその化け物を倒せ!」
「はっ…はい!」
エルブランの言葉に勢いよく頷くオルーカ。
「な、なんなんだいこりゃ?!」
「ジルさんどうし…な、なにこれー?!」
騒ぎを聞きつけたケイトとフィルニィが厨房からやってきて、モンスターに度肝を抜かす。
しかし、ケイトはすぐに立ち直ったようだった。
「ふざけんな!このメチャ忙しい時に冗談じゃ無いよ!ガラスープにして煮るぞ!おととい来やがれってんだ、この唐変木!」
怪鳥に異性のいい野次を飛ばすケイト。しかし、自分で何をするつもりでもないようで。
「……ケイト、何にもしないなら静かにしてて」
「はい………」
ジルに静かにたしなめられて、しゅんと小さくなる。
ジルはエルブランの作った結界の中にフィルニィと共に入ると、身構えた。
「……加勢する」
「私もです!」
「ありがとうございます……行きます!」
オルーカも表情を引き締め、怪鳥に向かって構えを取った。

「……っ…!」
しゅっ。
ジルが腰を落として怪鳥を睨むと、手も触れていないのに空を切る音がして、その羽が何枚か削げ落ちた。
傍目には何も武器を持っているようには見えない(そもそもウェイトレスのエプロンドレス姿だ)が、怪鳥にはジルの手による攻撃だと理解できたらしかった。
「ダラー!!」
怒りの鳴き声をあげると、大きく翼をはばたかせてジルに向かって滑空する。
「ジルさん!」
オルーカは慌ててジルの元に駆け寄り、鋭く拳を繰り出した。
がさっ。
しかし、動きを読まれていたのか、怪鳥はそれをあっさりかわす。オルーカの拳は怪鳥の羽先を僅かに掠めたに留まった。
「くっ…やはり、アルディアさんの体では勝手が違いますね…」
悔しそうに眉を寄せるオルーカ。自分の体でない上に、手には武器もない。思うように戦えないことに焦りを隠せなかった。
「くそっ…オレのせいで…!」
テーブル付近の客を遠ざからせ、安全を確認したササが、同じように舌打ちをする。何か自分に出来ることはないかと、辺りをキョロキョロと見回して。
「…っ、そうだ!」
傍らにあった椅子に目を留めると、その背もたれを思いきり掴みあげた。
「でえやー!」
ぶん。
それほど重そうな椅子には見えなかったが、ササは渾身の力でそれを持ち上げると、思いきり投げつけた。
「うおわっ!」
しかし、やはり椅子の重量がササには荷がかちすぎていたのだろう。ササの投げた椅子はあさっての方向へと向かい、あろうことかシールドの魔法を維持していたエルブランにぶち当たった。
ごす。
鈍い音がして、エルブランが痛そうに体を捻る。
「ああっ?!わ、悪ぃ!」
「い、いや、良い…気にするな」
どうにかやせ我慢をするエルブラン。もしぶつけたのがオルーカだったら烈火のごとく怒っただろうが。
ササは申し訳なさそうに頭を掻いた。
「オレ実は、運動音痴で……」
「だったらおとなしくしていてくれ…!」
それでもやはり痛かったのか、ソフトに注意するエルブラン。
傍らのアルディアが肩をすくめた。
「まあ、そう尖るな、エルブラン」
「っていうかアルディアさんも何か手伝ってくださいよ…!」
のほほんとしている様子のアルディアに、叱責するように言い返す。
アルディアは僅かに眉を寄せ、首を傾げた。
「…そうは言ってもな。此の体はオルーカの物だから…態と挑発して腕に爪を食い込ませた所を狙って首を圧し折ると云う様な真似は出来んだろう」
「や、やめといてください!!」
プチ必死なオルーカ。
「だからって……!」
「私で出来る事が有れば、協力はしたいのだがな…」
嘆息して言って、怪鳥と戦っているオルーカ達の方をついと見やる。
「……ところで、さっきから見ていて思うのだが、何故皆、水を使わないのだ?」
そして、さも当然のことのように、さらりと言った。
「…は?水、ですか?」
アルディアの不可解な発言に眉を寄せるエルブラン。
「怪鳥ダッラーラは火の鳥だ。水が弱点だろう」
「そ、そういうことは早く言ってください!」
怪鳥の爪を必死に避けながら言うオルーカ。
「…言ってなかったか?」
「言ってません!」
「よぉっし、水ですね!まかせて下さい!」
フィルニィがそれを聞いて意気揚々と構えを取った。
「いきますっ!アイス・レイン!!」
ぼおおぉぉっ。
フィルニィの呪文と共に、怪鳥を中心に竜巻のような炎が巻き起こる。
「水だと言っているだろうが、馬鹿者がー!!」
青筋を立てて怒鳴りつけるエルブラン。
「はぁぁぁっ、ご、ごめんなさいいぃぃ、また失敗しちゃったー!」
一気に慌てだすフィルニィ。
「だらー!だらー!!」
「おい、何かさっきより元気になった気がするぞ…!」
「あ、あああ、荷物が!」
見れば、机の上に置いてあった薬の材料に引火してしまっている。
「ちっ…!今はそんなことより、水だ、水!」
「はっ、はい!」
ササの言葉を受けて、オルーカはテーブルの上に置いてあったコップを手に取った。
「えいっ!」
しゃっ。じゅう。
「だらー!!」
水があっという間に揮発し、苦しそうな叫び声をあげる怪鳥。
「よし、いいみたいだ!もういっちょ、いくぜ!」
続いて、他のテーブルから持ってきたコップの水をかけるササ。
「……えい」
「えーいっ!」
ジルとフィルニィもそれに続く。
しゅうしゅうと湯気がたちのぼり、その中心で怪鳥はへたりと地面に落ちた。
「…だらー……」

!!

「今こそ、総攻撃であります!」
「フィルニィ、それもう古いよ……」
「4はやってないんです!」

怪鳥は、瞬く間に袋叩きにされた。

「うう…すみませんでした……」
エルブランがシールドを張っていたものの、マトリカリアのホールは酷い有様になってしまった。ジルたちが客の整理と謝罪に回ったので、オルーカ達は散らかってしまったホールの片づけをすることにした。
幸いにも怪我人もなく、エルブランのシールドのおかげでめちゃくちゃになったのもオルーカ達のテーブルを中心にした狭い一角だったため、そう手間取らずに片付いた。
何故か怪鳥の遺体はフィルニィの母が持っていってしまったので、割れたグラスや倒れた観葉植物などを始末してから、周りの客に謝って、ようやく4人は再びテーブルについた。
「ああ……材料が…またダメになってしまいましたね……」
そして、フィルニィの魔法で焼けてしまった荷物を前に、しょんぼりとするオルーカ。
「仕方が無いよ。また1から集めれば良い」
対照的に、あまり落ち込んでいない様子のアルディア。
「…まったく……!」
エルブランは憤懣やるかたない様子だ。
「何故孵化しかけの卵なんか買ってくるんだ!見ろ、おかげで材料ばかりか、この店にまでこんなに迷惑をかけて!これだから女は…」
「ちょっと、アンタ!」
しゅんとするオルーカを上からガミガミ叱り付けるエルブランに、耐えかねた様子でササが割って入った。
「さっきから聞いてれば…ちょっと言いすぎじゃねえの?それにタマゴ買ったのはオレだ!オルーカだけの責任じゃねーよ!それをなんだよ?大人げねぇな!!」
「なっ……!」
まさか、ササからそんな反論が出るとは思っていなかったのだろう。エルブランは一瞬絶句して、次に怒りに顔を染めた。
「お、お、お…大人げないだとーっ!」
がたん。
椅子を蹴倒さんばかりの勢いで立ち上がって、ササに詰め寄る。
「君はその女に騙されているんだ!目を覚ませ!」
「はぁ?アンタ、オルーカのことろくに知らないくせに何で騙してるとかわかんだよ?さっきから思ってたけど、ちょっと言いがかりが過ぎんじゃねえの?」
「くっ…!おのれぇ~、いたいけな少年を色香で誑かしおって!」
「え、えええ?!」
「だから!オルーカはんなことしてないし!いいかげんにしろよ!」
「女に隙を見せたら、骨の髄までしゃぶり尽くされてしまうぞ!」
「隙とか意味わかんね。骨の髄までしゃぶり尽くされたアンタと一緒にすんなよな!」
「な…っっ、な、情けない!精神が弛んどるー!!それでも男かーー!!」
最後には訳がわからなくなったエルブランの叫びに、さすがに立ち上がるアルディア。
「こら、エルブラン、いい加減に…しろっ!」
ぐい。
彼の首根っこを掴んで、ずるずると引っ張り出す。
「あ、アルディアさん!」
「済まないな、オルーカ。そう言う訳で、また材料を揃えたら、今度は私の部屋まで来てくれ。頼んだよ」
「あ、は、はい……」
まだぎゃーぎゃー喚いているエルブランを、有無を言わせず引きずっていくアルディア。
「……あれ、アルディア、帰るの?」
普通にオルーカの姿のアルディアに話し掛けるジルに、アルディアも普通に返事をした。
「ああ、世話をかけたな」
「…さっきの鳥…料理にしたんだ…量があるから、お詫びもかねてお店の人全員にふるまおうと思ったんだけど…」
「おお、そうか。ダッラーラは料理すると美味いからな。しかし残念だが私は食べられそうにない。包んでオルーカに持たせてくれ」
「……うん、わかった。来てくれてありがとう…」
「なに、此方こそ迷惑をかけて済まなかった。ではな」
アルディアは淡々と言い置いて、エルブランを引きずってカフェを後にした。

「まったく…なんなんだ、あいつ…!」
アルディアに引きずられていったエルブランを見送って、しかしこちらも怒り心頭の様子のササ。
オルーカは申し訳なさそうに声をかけた。
「あの、ササさん……ありがとうございました」
「えっ」
突然の礼に、きょとんとするササ。
「あの……私を、庇って下さったんですよね。すみません…でも、ちょっと嬉しかったです」
ふふ、といたずらっぽく微笑むオルーカ。
ササは尊敬する先生の姿でそんなことをされて、逆に戸惑ってしまった。
「あ、いや、別に……」
「でも…喧嘩はいけませんよ」
オルーカは神妙な面持ちで続けた。
「エルブランさんはアルディアさんの大切なお友達なんですから。ササさんは、これからアルディアさんとも仲良くやっていきたいんでしょう?」
「わ、わかってるって……」
ササは居心地悪そうに視線を逸らした。
「…今度会ったら、ちゃんと謝るよ」
「そうしてください。約束ですからね」
念を押すその様子は、口うるさい母親のようで。
穏やかに見えて、彼女は言う通り、神に仕える僧侶なのだと改めて感じた。

「いらっしゃいませー!」
フィルニィの元気な声がこだまする。
先ほどの騒ぎにもかかわらず、マトリカリアへの客足は途絶えることがない。自分達のせいで店に客が来なくなるような事態にならなかったのはほっとしたが、しかし懐の広い客だ。
先ほどジルに振舞われた、ダッラーラの肉を使った料理を食べながらそんなことを考えたが、すぐにそんな思考をめぐらせる余裕は無くなった。
「あれ、アルディアさんじゃないですか。お久しぶりです」
びくう。
聞きなれた声でアルディアの名前を呼ばれ、オルーカはぎくりとしてそちらを見た。
いつもの魔道士姿とは違う格好をしているが、そこにいたのは紛れもなく、何度か依頼を共にした魔道士のミケだった。
「こんなところで会うなんて、奇遇ですね。お邪魔でなければ、席、ご一緒してもいいですか?」
にこにこ。
男女が一緒に座っているテーブルに相席というのは気にならないのか、屈託の無い様子でササに聞いてくるミケ。
「あ、ああ、オレはいいけどよ…」
ササは答えにくそうにオルーカの方を見た。
つられるようにしてミケもオルーカに視線をやり、固まっている彼女に不思議そうに声をかける。
「……アルディアさん?」
改めて呼びかけられ、オルーカははっと我に返った。
「あ、ミケさ…じゃなくて、うむ、ミケ殿!おひさしゅうなぁ!」
「はい?」
微妙どころでないおかしさに眉を顰めるミケ。
オルーカは慌てて向かいの席を勧めた。
「お、おおおお昼がまだであろう?そちらの席に座るがよいぞ!」
「ああ、はい……ありがとうございます」
釈然としない表情で椅子に座るミケ。
そして、改めてオルーカの顔をしげしげと覗き込んで、言った。
「アルディアさん…雰囲気変わられました?」
「ふぇっ?!」
いきなり核心。
オルーカはあからさまに動揺して、ぶんぶん首を振った。
「か、か、変わられてなどおりま千円!」
「……そうですか……?ええと、そちらの方は?お知り合いですか?」
ササを示して、ミケ。
「あ、ああ、オレは…」
「さ、ささささササさんいや、さ、ササと言ってな。わ、わしの弟子じゃ!」
ササに自己紹介を任せれば良いものを、混乱してさらに酷いことになっているオルーカ。
「お弟子さんなんですか。すごいんですねえ、アルディアさん」
「いや、オレは別に弟子ってわけじゃ…」
「そうなんじゃよ!さ、ささっささササはそう、と、とても優秀なで弟子なんじゃ!」
「……いったいサがいくつあるんですか?」
「……2つだ…すまん」
気の毒そうに目をやるミケに、ものすごく気まずそうに顔を手で覆うササ。
ミケは、ふむ、と一息置いて。
ひょい、とあさってのほうを向くと、ものすごい棒読みで呟いた。
「……そういえば、そこでオルーカルンって可愛いなぁって言っていたファンっぽい人がー」
すると、オルーカはいきなり照れたように視線を伏せて髪をいじりだした。
「えぇー?やだわぁ困っちゃう…ファンの人ってぇ、こっちの迷惑とかちっとも考えてくれないからぁ。
でもそれも、スーパーアイドルに生まれついちゃった宿命?みたいなぁ☆」
もはやオルーカですらない。
そこまで言って、オルーカははっと我に返ったようだった。
「…オルーカさん…もういいですから…見ていて痛々しいです……」
可哀想なものを見る目で、ミケ。
痛々しいのは、何もアルディアの似てないモノマネだけではないのだが。
「ば、バレちゃいましたね、あはは…」
乾いた笑いを浮かべるオルーカ。
ササもミケと同じような表情で、オルーカに言った。
「つうか、アンタさ……あの、さっきのやつ」
「え?スーパーアイドル列伝ですか?」
「ちげぇよ!先生のフリってさ…似せてるつもりか?もしかして」
「ええ、そうですけど。ふふふ、なかなか似てると思いません?」
自慢げに言うオルーカ。
ミケとササは、返す言葉もなく脱力した。

とりあえず、事情を全て話すわけにも行かず、アルディアと精神が入れ替わっているということだけ説明すると、ミケは驚いた様子で顔を近づけた。
「…………いや、入れ替わってるって、何故身体ごと入れ替わってるんですか?
双子の入れ替わってるとは訳が違うんですよ!?
一体どうしたんですか!?」
オルーカは気まずそうに目を伏せて、肩を竦めた。
「う、うう…これは実は、深い理由が。
でも、ちょっと事情があって、お話することができないんです」
「そうですか…そういうことなら、あまり深くはお聞きしませんが…」
「すみません…あ、でもそのうち自然に戻るので、心配なさらないでください」
「そうなんですか?」
「ええ、アルディアさんがそう言ってましたし…確かミケさんの時もそうだっ」
「オフィシャルのシナリオ以外の話はお受けしません!」
ストップ・ザ・サイドストーリー。
それで、オルーカの話はいったんそこで落ち着いた。
フィルニィがミケの注文を取り、厨房へと引っ込んでいく。
「よかったですね、ミケさん。こないだの依頼でお金が入って」
つい最近、ミケと共に依頼を受けたオルーカが、依頼を受ける前のミケの窮状を知っていただけに安心したように微笑む。
「ええ、本当に…ホットミルクティーにスコーンをつけるなんていう贅沢が許されるようになって、本当に良かったです…ポチにあげるホットミルクまで頼めるなんて…」
ほろり。
感慨深く語るミケの横で、ミケのこれまでの生活を想像して一人で青くなっているササ。
「本当に…いい稼ぎになりましたよね、テキ・トーさん…」
「ええ、本当に…いえ、別に彼の屋敷から何か持ち出して売ったわけじゃないですけどね?」
「ええ、そんなことするわけないですよねぇ、うふふふふ」
「ははははは」
微妙な雰囲気の2人に口を挟めず、さらに顔を青くするササ。
すると、そこにミケのメニューを持ったジルがやってきた。
「……お待たせしました、ミルクティーとホットミルクとスコーン……………あれ、ミケ」
「あれ、ジルさんじゃないですか」
思わぬ邂逅に表情が緩む2人。
「こちらでアルバイトされてるんですか?」
「……うん。友達の店なんだ…」
「へえ。そういう服も、よく似合いますね」
「……そう……?」
ジルはちょっと嬉しそうな無表情で俯いた。
「……ミケは、一人で新年祭回ってるの…?」
「そういえばそうですね。お一人で、どうしたんですか?今年は、去年みたいなパーティーもしないみたいですし…」
ジルの言葉に、オルーカも同調して問う。
ミケは少し眉を寄せて、しかし一息つくと話し出した。
「ああ、実はですね……せっかくだから、協力してくれませんか?」
「……協力?」
ジルが繰り返すと、ミケは頷いた。
「はい。ええと…今、なんていうのかな…ヴィーダ全体を使って、かくれんぼをしてるんですよ」
「かくれんぼ?」
唐突な単語に首をひねるオルーカ。
「はい。でもほら、広いじゃないですか。闇雲に探し回ってても時間が足りなくなるんで、まずはそのためのヒントを持ってる人を探してるんです」
「ヒント……ですか?」
「はい。彼女…ああ、ええと…隠れてる人のことですけど。その人の4人の部下が、ヒントを持ってヴィーダのあちこちにいるはずなんです。それで、お願いして、勝負みたいなことをして、ヒントをもらう…ことになってるんですけど」
「……勝負?」
繰り返すジルの方を向いて、頷く。
「はい。…あ、いえ、戦いでの勝負だとは限らないんです。知恵比べかもしれないし、ファッション対決かもしれないし…その場合自信ないですけど…とにかく、部下を負かすことが出来たら、ヒントを下さるそうなんですよ」
「…なるほど」
「それで、僕のほうで加勢を頼んでいいかと聞いたら、構わないという答えだったので、もし似た人を見かけたら僕の名前を出して、ヒントがもらえないか聞いてもらえませんか?ダメなら後でまたこのカフェに寄りますから、いた場所を教えてください」
「いいですよ」
オルーカは快諾した。
「私は面識がないのでどこまでお役にたてるか分かりませんが、似た人を見つけたら声をかけてヒントをもらえばいいんですね。それで、もう一度このカフェに戻って、ヒントを報告すればいい、と」
「はい。よろしくお願いします。見つからなかったら見つからなかったで、構いませんから」
「……そうだね…私も、お客さんにそれらしき人がいないか、見てみるよ…」
淡々と頷くジルに、嬉しそうに微笑みかけるミケ。
「ありがとうございます、ジルさん」
「それで、その方たちはどんな容姿なんですか?4人いらっしゃるって言ってましたよね」
オルーカが問うと、ミケはうーんと眉を寄せた。
「容姿…容姿ですか…うーん…改めて聞かれると難しい問題ですよね……」
えー。一番付き合いの長いグループの人が何を。
「うるさいな。ええとですね…全員、ジルさんと同じか、少し上くらいの女の子です」
少なくとも見た目は、と心の中で付け足して、ミケは続けた。
「メイさんと仰る方は…リュウアン風の動きやすい格好の、黒髪の女性です。とても丁寧な喋り方をするんですよ。格闘術を使うんです」
ふむふむ、と頷く2人。
「キャットさんという方は…虎模様の猫獣人さんです。喋るのが苦手で、ちょっとイントネーションが変わっている方です。変形術が得意なんですよ」
「変形術が得意ということは…変身しているかもしれないんですね?」
「ああ、その可能性はありますけど……でも、判りやすいようにウロウロしてるって言ってたんで、元の姿のままだと思います」
元の姿は縞猫ですよ。
「それから…リリィさん。桜色の鰭に亜麻色の髪のマーメイドです。手の見えないくらい袖の長い服を着ているので、分かりやすいかも」
「そりゃあ、ミケさんにはわかりやすいでしょうけどー」
「何のことですか」
ストッ(以下略)
「あとは…セレさんです。ええと…説明がしにくいな…あっ、ディセスの方なんですよ。褐色の肌に尖った耳をしていて…髪を後ろで一つにまとめていて、やっぱり動きやすい格好で。……無表情、というのかな…無いのは表情だけじゃないんですけど。こちらの強い心を感じ取れる力を持っているそうです。不思議な方です」
説明しづらそうに言葉を紡ぐミケの傍らで、ジルが何故かあさってのほうを凝視している。
「……ミケ」
「はい?」
呼ばれてジルの方を向くと、ジルはあさっての……向かいの店の方に目をやったまま、淡々と言った。
「…その、セレ、っていう人。褐色肌に尖った耳で…薄茶色のウェーブのかかった髪を後ろで纏めてる?」
「え?ああ、はい。その通りです」
頷いてから、あれ?と首をひねるミケ。
「…僕、髪の色まで言いましたっけ?」
「…服はわからないけど……無表情で、目は黄色?」
「黄色というか、琥珀みたいな。…って、え?」
ミケもさすがに腰を浮かせてジルの視線の先を追う。
「……あんな感じの人?」
ぴ、とジルが指差した先には。

何故か、フリフリのミニスカメイド服に身を包んだセレが、シルバートレイを持って客に給仕をしていた。

「いーーーたーーーーーーーー!!!」

→レプスの刻・中央公園へ
→レプスの刻・王宮へ
→レプスの刻・住宅街へ

喫茶ドラセナ

「と、ゆーわけでっ!」
リィナは無意味に胸を張り、勢いよく言った。
「敵地を偵察してきたいと思いますっ!」
「はいはい、わかってるって…」
リィナに大威張りで宣言されているショウが、苦笑しながら頷く。
「フィルニィちゃんのお母さんに頼まれたもんね、向かいのお店の秘密を探ってきて欲しいって!」
「セリフが説明くさいのが気になるが、まあそうだな。マトリカリアにもたくさん客が入っているが、向かいのドラセナも負けてない。何か客を呼ぶ秘密があるなら、実際に行ってみるのが一番だからな」
フィルニィの母が戻ってきたので、2人はとりあえずウェイターとウェイトレスの任は解かれ、元の服に戻っている。
そして、向かいのライバル店――喫茶ドラセナに向かうべく、入り口の前に立っているというわけだ。
「よし、じゃあ早速行くよ、お兄ちゃん!」
リィナはもう一度自分に気合を入れるように宣言すると、足を踏み出した。

「いらっしゃいませ、お2人様ですか?」
入り口で出迎えたのは暮葉だったが、2人の間に面識はない。
リィナは可愛らしいウェイトレスに笑顔を返すと、頷いて…
「はい、ふた……」
「いえ、別々です」
リィナの言葉を遮るように、後ろからショウが言ったので、リィナは驚いて振り返った。
「へ?」
振り返ったリィナに、軽く目配せをするショウ。
そこで、別々に調査をしようというショウの目的に気づいて、頷いた。
「1名様がお2組ですね、別々にご案内しますので、少々お待ちください」
暮葉はその辺りの齟齬はあまり気にならなかったのか、笑顔で礼をしてその場を去る。
リィナは表情を引き締めて、ウェイトレスの案内を待った。

席についてしばらくすると、暮葉とは違うウェイトレスがリィナの注文を取りに来た。
暮葉と同じミニスカメイドのユニフォームだが、ツインテールにした金髪ときつめの目元がずいぶんと違う印象を与える。
彼女はリィナの席まで来ると、かったるそうに伝票を構えた。
「いらっしゃい、メニューは何にするの?」
「あっ、ええと……」
店の観察に気を取られていてまだメニューを選んでいなかったリィナは、慌ててメニューに目をやった。
はぁ、とため息をつくウェイトレス。
「早くしなさいよ。全く、とろいわね」
「……」
リィナはむっとしてウェイトレスを見た。
ウェイトレスは全く気にせずに冷たい瞳でリィナを見下ろしている。
「……じゃあ、これとこれ」
リィナはむっとしたまま、オーダー名さえ言わずにぶっきらぼうにメニューを指差す。
ウェイトレスはそれをメモしてから、きょとんとした様子で言った。
「……それだけでいいの?」
「…いいけど?」
まだむっとしているリィナ。
ウェイトレスは慌てたように視線を逸らした。
「べ、別にもっと食べて欲しいわけじゃないけどっ」
「……はあ」
「すぐ持ってくるから、それ食べたらさっさと帰りなさいよね!あ、あんたの他にだってお客なんかたくさんいるんだから!」
ウェイトレスは叩きつけるように言うと、さっさとその場を後にした。
お好きな方にはたまらないこの態度、ツンデレという言葉さえ知らないリィナにはただの態度の悪い店員である。
リィナは頬を膨らませて呟いた。
「……なんでこんなお店が人気なんだろ……不思議」

しばらくして。
先ほどのツインテールの女性とはまた違う店員が、リィナの注文の品を持ってやってきた。
「お待たせ…いたしました……」
長い黒髪の、どこか暗い表情をした女性である。ぼそぼそと陰気に言って、ひとつ、またひとつと、ゆっくり皿を置いていく。
リィナはきょとんとして、店員に言った。
「えっ、これは頼んでないよ?」
「あっ、も、申し訳ございませんっ!」
ウェイトレスは驚いて頭を下げた。
「申し訳ございません、申し訳ございません、申し訳ございません……」
頭を下げたまま、ぶつぶつと呟いている。
リィナは慌てて彼女をなだめた。
「いや、大丈夫だよ……落ち着いて……ね?」
「いいえ、このようなご無礼を働く女は、逆さに磔にして血を垂らし、床を紅く染めてしまえばいいのです……ふふ…ふふふ…」
「い、いい!いいから!そんなことしなくても!間違ったものだけ持って帰ってくれれば!ね!」
「そう……ですか…?お優しいのですね…」
にたあ。
微笑とは程遠い顔のゆがみ方に、ドン引きするリィナ。
「あ、あーっ、こ、このデザート、いちごソースで頼んでるはずなんだけど?」
何とか話を逸らすと、彼女はゆっくりとそちらを見た。
「はい、ただいま……ご用意致します…」
そして、す、と取り出したのは、やたらキラキラとした装飾が施された、銀色のナイフ。
「…え」
彼女は再びにたりと笑うと、つ、とその切っ先を手首に当てた。
よく見れば、その腕には無数の傷跡がある。
「ご存知ですか…?この穢れた身にも、紅い血が流れているの……血が、黒ければ…私の中の黒を、全部洗い流せるのに…」
ノリノリだ。
リィナは驚いて腰を浮かせた。
「そ、それで何するつもりなの?!」
「ふふ…この綺麗な紅で……あなたのデザートに、ソースを…」
「……いやいやいやいやいや!」
慌てて女性の手首を掴み、動きを止めさせるリィナ。
「あ、あのね!い、いいから!なんか、食欲なくなっちゃったから!もういらないから!帰るから!」
「…そう……ですか……私が…至らないから…帰ってしまうんですね…」
「いや、そそそそうじゃなくってね!」
「こんな至らない私なんて……逆さに」
「はりつけなくっていいから!ってだからナイフ構えないでー!」
最近密かなブームを呼んでいるとかいないとか言われているこのやりとりも、ヤンデレという言葉すら知らないリィナにとってはただの恐ろしい店員である。
リィナは女性のナイフを取り上げるべく必死になって揉み合いをしながら、助けを求めようとショウの姿を探した。
「お、お兄ちゃ~ん……って」
そして、すぐ近くの席に座っていたショウはというと。
「いやいや、本当だよ?君ってとっても、可愛いと思うよ」
「そう……ですか?よく判らないのですが…そう言ってくださるなら、少し嬉しいです」
給仕に来ていた暮葉と、楽しそうに談笑していて。
ふつ。
その時、リィナの中で、何かが、キレた。
「……リィナがこんなに怖い思いをしてるのに……
お兄ちゃん……お兄ちゃんの……お兄ちゃんのぶっわぁかぁぁぁぁぁぁっ!」
どんがらがしゃーん。
常軌を逸したオーラを放ちながら、ショウのいたテーブルへと突進するリィナ。
「うわっ!」
ショウが思わず避けたため、リィナは体勢を崩してそのままテーブルにぶち当たる。
がしゃ、ぐわしゃ、からからから。
派手な音を立てて、リィナはテーブルをなぎ倒して転倒した。
静まり返る店内。
「…………あははははははっ」
ショウは乾いた笑いを浮かべると、倒れたリィナをひょいと抱え上げ、同じく立て直したテーブルに金貨を.3枚置いた。
「失礼しましたっ。これ、お代ね!壊しちゃったものの弁償も含んでるから!
じゃ、ごちそうさま!」
傍で呆然としている暮葉にそう言い置くと、リィナを抱えたまま急いでその場を後にするのだった。

「…もう…なんだったんでしょう、今の……」
暮葉はぽつりとぼやきながら、セレと共にリィナが散らかしていったものの後片付けをしていた。
「…ふう。あとはこの割れたグラスを裏に持っていけば完了ですね。
私はテーブルのセッティングをしますから、セレさんはこれを持っていっていただけますか?」
「了解」
セレは暮葉が差し出した袋を受け取ると、さっさと裏へ回ってしまう。
セレのこの無愛想な態度にもだいぶ慣れてきた。この態度は接客としてどうなのかとハラハラし、もっと仕草を女性らしく、微笑みを浮かべて接客するように忠言してみて見事に無視されたりしたが、世の中わからないもので、『無機質萌え~!』と叫びながら大喜びの客も多いらしい。
少し変わった客層が多いように思ったが、キィリアによると今日この辺りにはそういうタイプの客がうようよしているそうで、普通の客よりもそういった客の方が金を落としていくのだそうだ。暮葉にはよく意味がわからなかったが。
暮葉はテーブルと椅子を並べなおし、割れてしまった花瓶の代わりと、新調した紙ナプキン、各種調味料とフォークセットを置いていった。
すると。
「おおっ、本当にいらしたのですな暮葉どの~!」
「友達連れてきたよ、暮葉たん!」
びく。
聞き慣れたくない声が後ろから響いて、暮葉は反射的に身を竦ませた。
「ホントだ、ミニスカメイド服だぜ!」
「釣りだと思ったらマジかよwwwテラワロスwww」
「ウェイトレスたんたちも粒ぞろいで、ズザカワユスなあ」
わらわらわら。
振り向けば、先ほどの2人のほかに、やはり判で押したように似た格好をした男性たちがぞろぞろとカフェの入り口に押しかけていた。
ひき。
暮葉の表情がやや引きつる。
が、彼女もここで引き下がるわけには行かなかった。
「本当にいらしてくださって誠にありがとうございます。ただいまご案内いたします、どうぞごゆっくりおくつろぎください」

だがしかし、本当の地獄はこれからだった。
「お待たせいたしました、オープンサンドAセットでございます」
「んふふ、ありがとー暮葉たん。
ねえねえ、この仕事いつ終わるの?一緒に遊びに行かない?」
「えぇ!あの、えと、勤務中なのでそういったお誘いは受けかねます。ごめんなさい!」
「暮葉たーん、こっちこっちー!」
「は、はいぃただいま!」
「ねぇ、ジュースこぼしちゃった」
「は、はい、ただいまタオルをお持ちします」
「ありがとー。ほらここ、ズボンにこぼしちゃってさあ」
「こちらのタオルをお使いくだ……」
「………」
「え!私が拭くんですか!」
「なにやってんだよキモオタ!暮葉たんは俺の隣に座るんだよ、なー暮葉たん!」
「やぁ!ちょ、申し訳ないのですが他にもお客様がおりますので今席に着くわけにはいきません。あ、あの離してください~、セレさん手を貸してくださーい!」
押しかけてきたオタたちにもみくちゃにされながら、暮葉は懸命にウェイトレスの仕事を続けるのだった。

一方その頃。
「ん~、これは美味しいお茶だ!良い茶葉を使っているのですね、ワタクシすっかり気に入ってしまいましたよ」
喫茶ドラセナの一角で、非常に満足げな笑みを浮かべながら砂糖を5杯入れた激甘紅茶を飲んでいる男がいた。
派手な道化師の装束を着た、大変目立つ男性である。大きな耳にも頬の一部にも黒い縞模様が入っていて、虎獣人…それも、白虎の獣人であることが伺えた。
「なんや自分、よぉ味がわかってるやないの。さすがは虎獣人やなぁ」
同じ虎獣人であるキィリアが、給仕の手を休めて男性に話しかける。
男性はキィリアに向かってにこりと微笑みかけた。
「このお店のメニューは、アナタが?」
「せや。ウチはこの喫茶の実質的な経営者やさかい、食材の調達も全部ウチがやったんやで。もちろん、この茶葉も遠くシェリダンから品質を厳選して取り寄せてん。向かいのダメ喫茶とは比べ物にならへんで!」
「そうなのですか~、いや~、ワタクシ、とても気分が良くなりました☆
お礼に、こちらのお店のお手伝いをさせていただきたいのですが~」
「はぁ?」
突然の申し出に、眉を顰めるキィリア。
男性は依然ニコニコと上機嫌な笑顔のままだ。
「ワタクシ、見ればお判りかと思いますが、大道芸で世界を回っているのですよ~。
ワタクシの芸で、このお店にお客さんをお呼びしましょう。もちろん、ギャラは要りませんよ~!」
「アンタいきなりなに言うてんの。
気持は嬉しいねんけどな。ウチはあんたが何者か知らんし。いきなりは信用でけへんわ」
やはりそこは商売人根性か、厳しい表情で突っぱねる。
男性は苦笑してうーんと唸った。
「う~む・ワタクシの実力ですか~?
いやいや、お疑いになるのもわかりますよ~。
通りすがりの芸人をいきなり信用するよりは、ずっと健全な反応ですよ~」
しかし、好感度が下がった様子はなく、むしろ笑顔でうんうんと頷いて。
「しかし、ワタクシもプロです。
少なくとも、お店の恥をかかせるようなことにはならないことを保証しますよ。
勿論、手抜きも一切致しません」
しかし、キィリアの表情はいまだ渋い。
「せやかて、ウチらもあんたの芸見たことある訳やあらへんしな…」
「芸、芸ですか…そうですねぇ……たとえば、このような?」
ぽん。
男性がキィリアの目の前でぱちんと指を鳴らすと、大きなバラが現れる。
恭しい仕草でキィリアにそれを渡すと、男性は再びにこりと微笑んだ。
そこで、ようやくキィリアに笑みが戻る。
「…わかった、頼むわ。ウチらもちょうど何かしらの宣伝材料が欲しかったとこや。
なんや向かいはドタバタやかましいみたいやし、ここが引き離し時やな。
あんたの実力、見せてもらうで?」
「ハイ、お任せ下さい☆」
男性は軽くひとつウィンクをすると、ゆったりとした足取りで店の入り口へと向かっていった。
確かに、向かいの喫茶店では何かドタバタやっているようだ。モンスターが出ているように見えるが…結界でも張っているのか、目立った被害はないようだ。店の外に野次馬がたむろしているのが見える。
男性は店の前に立つと、ばっと両手を広げた。
ぽん。
ぽん。ぱん、ぱん、ぱん、しぱぱぱぱん!
派手なクラッカーのような音がして、色とりどりの紙ふぶきと花びらが舞い上がる。
向かいの店にたむろしていた見物客は、まずその音に驚いて振り向き、そして舞い散る紙ふぶきと花吹雪に感嘆の声を上げる。
「さあ、新年祭にお越しのレディス・エン・ジェントルメン!
歩き通しで疲れた足を、この喫茶ドラセナでおやすめになってはいかがですか?」
さっ。
男性は言うが早いか、懐から手のひらほどの大きさの輪を数本取り出し、それでひょいひょいとジャグリングを始めた。
わっ。
再び巻き起こる歓声。
男性はいともたやすく輪を操りながら、観客の前をゆっくりと歩き回り、時折子供の前で立ち止まっては頭を撫でたり、どこからか小さな菓子を出して差し出したりしている。その間、輪は頭の上や背中をぽんぽんと跳ね回り、まるで生きて動いているようだ。
男性は一通り観客の前を練り歩くと、再び中央に戻り、ジャグリングしていた輪をひょいひょいと片手に集め、一気にそれを空に放った。
ぽん!
空中に散った輪はカラフルな煙を吹くと、再び色とりどりの紙ふぶきに変わり、あたりに降り注ぐ。
わあっ。
集まった観客は、男性の芸に惜しみない拍手を送った。
男性はもう一度恭しく例をすると、一歩引いてドラセナの入り口を指し示した。
「美味しい紅茶と、美味しいお菓子。新年祭のご休憩は、是非こちらの喫茶ドラセナに!」
割れるような拍手の中、男性は笑顔で何度も礼をする。
「あ、そうそう」
そして、ふと思い出したように、ひらり、と右手から数枚の紙を取り出すと、観客の中の数人に渡していった。
「これ、ワタクシと同じような姿の、バカデカイ男性をみかけたら、渡していただけますか~?
よろしくお願いしますね~」
観客達が不思議そうにその紙を見ている間に、男性はひらりと身を翻して、歩いて去っていった。
「…何かしら?これ……」
紙を貰ったうちの一人の女性が、それに書かれた文面に首を捻る。

『ストゥルーの刻 郊外の廃墟にて待つ ジュナム』

→レプスの刻・住宅街へ

大通り -レプスの刻-

喫茶マトリカリア

「そうかい……あのセレさんがドラセナに居るんだね?ふっふっふ、こりゃ面白くなってきたじゃないか……」
ジルから事の次第を聞いたケイトは、向かいの喫茶にいるセレを見てにやりと笑った。
「……ケイト、セレと知り合いなの?」
ジルが問うと、そちらを向いて頷く。
「ああ、以前ちょっとね…するってえと、ウェルドの港で見かけたのはやっぱりセレさんだったんだねえ。瓢箪から駒って言うけど、物事ってはナニがどう転ぶか判ったもんじゃいない。まったく、世界は広いが世間は狭いもんだ」
「……その通りだね」
淡々と相槌を打つジル。
彼女のドライさとは裏腹に、ケイトはがぜん燃えてきたようだった。
「ジルさん!この勝負、ナニがなんでも負けられなくなったよ!うおおおおおおっ~~~燃える闘魂っ!!!」
「……ケイト、ちょっと静かにしてて」
「はい……」
ジルにぼそりと注意されてしょんぼりするケイト。
ジルはそちらはどうでもよかったのか、真直ぐにセレを見据えながら、大通りを越えて喫茶ドラセナに向かった。
ちょうど客の散らかした入り口前の掃除をしていたセレの前に立ち、呼びかける。
「……セレ?」
名を呼ばれ、顔を上げるセレ。
ジルはそれで相手がセレだと確認すると、やはり淡々と問い掛けた。
「……ミケに、ヒントを貰ってくるように頼まれたんだけど」
セレは立ち上がって、ジルを真直ぐに見返した。
「彼女と勝負をして勝ったらヒントを与えよとの命令である」
「…いいよ。何の勝負をする?」
「勝負の内容については命令されていない」
「……そうなの?」
「………」
黙っているセレ。
それを肯定ととったジルは、視線を動かして考えた。
「そうだね…ここで戦いをするのは人を巻き込む恐れがあるから、何か別のもので勝負が出来ればいいんだけど…」
と、大通りのど真ん中でそんな不穏な会話を交わしていると。
「セレー!いつまで掃除してんねんコラー!」
店の中から、怒りの形相のキィリアがやってきた。
「あぁ?なんや、向かいのガキやないか。なんや、自分とこ売れへんから営業妨害しに来たんかいな?」
ジルを認めると、嘲笑を浮かべてそんなことを言ってくる。
ジルは少しムッとして、言い返した。
「ガキじゃない、ジル」
「どっちゃでもええわそんなモン。ええから早よ帰り、仕事のジャマや」
「…今はセレと話してる」
「あぁ?なんや、アンタら知り合いかいな?せやけどセレは今はウチの店のモンや、ウチの命令には従うてもらうで」
「……どうしても今日中に、セレと勝負をしなくちゃいけないんだ」
「勝負?どうせウチが勝ってアンタが土下座すんのやろ?」
「それはキィリアとフィルニィの勝負。私は、今、セレと、勝負をしたい」
退かないジル。
そしてどさくさ紛れに喫茶店同士の売り上げ対決から自分を外している。
キィリアははあとため息をついた。
「しゃあないな…なら、こうしよや」
そしてすぐに、にっと笑って。
「アンタとウチのセレとで、接客対決をしてもらう」
「……接客対決?」
「せや」
淡々と問い返すジルに、キィリアは得意げに胸を張った。
「お客さんの中から有志を募って、アンタらんとことウチのとこと両方に入ってもらう。
もちろん、そのお客さんのことはアンタとセレが接客をする。
で、店を出た後、どっちの接客が良かったか、いいと思うほうに票を入れてもらうんや。
票の多い方が勝ちや。どや、シンプルやろ?」
「………いいね」
ジルは無表情のまま頷いた。
「…セレも、それでいい?」
「問題ない」
セレも無表情のまま頷く。

かくして、ここに史上初、無愛想なウェイトレスによる接客対決が実現するのであった。

「ほないくで!」
ジルから事情を聞いたフィルニィとその母、そしてキィリアの手回しによって、審査員となる客数十名と、接客のための空きテーブルが用意された。それ以外のテーブルでは他のウェイトレスの面々によってきちんと営業を行っているのだが、それにしてもノリの良い連中である。
「よーい!ドンって言うたら始めんねやで!」
「古……」
「いくで!よーい!ドン!」
キィリアが手を上げて、フィルニィや審査員たちがいっせいに期待の表情をジルとセレに向ける。
が。
「………」
「………」
微動だにしないジルとセレ。
牽制しあっているのかとも思ったが、そもそもそんなことをしても意味が無い。
顔を見合わせてざわめく客たち。
「こ、こらー!何ボーっと突っ立ってんねん、呼び込みしぃや!」
キレ気味にキィリアが言うと、ジルはきょとんとした。
「…………するの?」
「当たり前やろが!!こらセレ!ちゃっちゃと呼び込みせんかいボケ!」
「了解」
セレは浅く頷くと、とてとてと審査員の方へ歩いていった。
「………いらっしゃいませ」
「えっ、俺まだそっちの店行くとは……」
ぎらり。
セレはどこから出したのか、少し大きめのナイフを客の喉元に突きつけると、再度言った。
「………いらっしゃいませ」
「ふ、2人、禁煙席で」
「禁煙席お二人様ご案内します」
棒読みで言って、客を誘導するセレ。
「あー!ず、ずるいですよ、あんな呼び込み!」
「……あれ、呼び込みなの…?」
悔しがるフィルニィにささやかに突っ込んでみるジル。
「ほら、ジルさんも負けてられませんよ!がんばって!」
「……うん…」
ジルは浅く頷いて、ようやく足を踏み出した。

「……ご注文は」
オーダーを取るジルに、客はうーんと考え込んだ。
「そうだなあ……お勧めは?」
「…国産地鶏を使用したチキンカレーです」
「カレーかぁ……うーん…他に何かないの?」
「……80種類のスパイスを使用したキーマカレー…」
「またカレー?俺ちょっとカレー苦手なんだよね。他に何かないの?」
「……マイルドなココナッツカレー…」
「いや、いくらマイルドでもカレーはやなの!」
「………すっぱい辛さがやみつき・グリーンスープカレー……」
「すいませーん!チェンジお願いしまーす!ウェイトレスさんの!」

「いやーこのお店の制服可愛いねえ」
セレに案内された客は、あからさまに鼻の舌を伸ばしてニヤニヤしていた。
「こんなにスカート短くして、捲ってくれって言ってるようなもんだろぉ?」
下品な中年親父のようなことを言って、セレのスカートの裾に手を伸ばし……
じゃきん。
「うおっ?!」
セレの二本のナイフが交錯し、あわや指を切り落とされそうになる。
「な、何すんだよぉ?!」
「…その領域はチャカ様だけに許されている」
「は、はぁ……?」
「注文を」
「こ、コーヒー……」

「ごっそさん。おあいそ頼むよ」
そう言って会計を頼んだ客を、ジルはじっと見やった。
「……何?」
「………残ってる」
「ああ、悪いな。腹いっぱいになっちまって」
「…なんで…?」
「は?」
「……残すの?……なんで…?」
「い、いや、だから」
「……なんで……?」
「……最後まで食べさせていただきます……」

「おい、ナノクニの納豆卵かけご飯ってのを、出せよ。まさか客の要望に応えられねぇってんじゃねぇだろうなぁ?」
半ば嫌がらせのように横柄な客の態度に、ジルはしかし淡々と頷いた。
「…あるよ。ちょっと待ってて」
そして、ややあって皿にてんこ盛りにされた、異臭を放つ豆を持ってくる。
「…お待たせいたしました…」
「おい、これは納豆じゃなくて腐った豆……」
「納豆の豆は、腐ってるんだよ」
ぐりぐり。
ジルは無表情のまま、淡々と腐った豆を客の頬に押し付けた。

「ちっ、なんや、向こうのチビ、思ったよりやりよるな……」
キィリアはイライラしながら、勝負の様子を見守っていた。
この展開でそのコメントが出てくるのが少し微妙だが。
「こうなったら……セレ!そろそろ本気出しぃ!全力でいてこましたれや!!」
キィリアがそう怒鳴りつけると、セレはそちらの方を向いた。
「了解」
言うが早いか、セレはひょいとドラセナの柵を乗り越え、大通りを駆け抜けて、マトリカリアに突撃。
「な、何?!」
驚くフィルニィを意にも介さず、まっすぐにジルに飛び蹴りをくらわした。
どす。
「ぐっ……」
鈍い音がして、よろめくジル。
「な、何をするんですかー!!」
ジル本人よりも、むしろフィルニィの方が怒り心頭の様子でセレに怒鳴りつけた。
「こ、こらー!!なにしとんじゃアホー!!」
まさか本当に物理的に「いてこまされる」とは思っていなかったキィリアが、慌ててセレの後を追ってマトリカリアにやってくる。
そこに、フィルニィがくってかかった。
「キィリアさん!いくらジルさんのほうが優勢だからって、妨害工作ですか!
なんて卑劣な!」
「アホか、ちゃうわ!そのアホがウチの言うたこと真に受けて暴走しただけやっちゅーねん!」
「またそんなデタラメを!」
「まあまあフィルニィ」
止めたのは、意外にもフィルニィの母だった。
「セレさんも悪気があってやったわけじゃないんだから、試合を続けましょう?」
「悪気…なかったのかなあ……」
意思が存在しないというセレの特性を知らないフィルニィは首を傾げるが、母は今度はにこりとセレに微笑みかけた。
「セレさんも、これは勝負なんですから、ルールに従ってお互い気持よく勝負しましょう?」
「了解」
セレは意外にもあっさりと頷くと、さっさとドラセナに帰っていった。
フィルニィはまだよくわからなそうに首を傾げている。
「なんなんだろ…よくわかんない人。
でもまあ、ちゃんと勝負する気になったんなら、ここは正々堂々、邪魔の入らない勝負を……って、おかーさーん!?なにやってるの!?」
「え?」
見れば、母はいつの間にかドラセナに足を運び、柵の外から自作の虫の模型を放り込んでいるところだった。
慌ててそれを追いかけるフィルニィ。
「お母さん!今その口でルールに従ってお互い気持ちよくって言ったばかりじゃないのー!」
「うーん、でもやられた分はやり返さなくちゃ」
ひょいひょいひょい。
笑顔でそう言いながら、どんどんと黒い悪魔のおもちゃを放り投げている母。
そのうちいくつかがセレの運んだ皿の中に命中する。
「うわああ?!なんだこの料理、ゴキブリが入ってるぞ?!」
ものすごい勢いでうろたえる客。
しかし、セレは慌てず騒がず、ナイフを取り出して虫の模型を細かく切り刻み、皿から放り出す。
「駆除完了。摂取可能」
「食えるかああぁぁぁ!!」
「おいコラ!何すんねんこのアマっ!!」
母の暴挙に気づいたキィリアが店の中から怒鳴り込むが、母は涼しい顔で言い返した。
「先に手を出してきたのはそっちだし、これでお相子でいいんじゃないかしら?」
「いいわけあるかぁぁ!!」
「ちょいとー!!店長、フィルニィさん!」
ドラセナから慌てた様子でケイトが駆けつける。
「ったくもー、何やってんだい一体!
ジルさんが頑張ってるのに、そんな真似したら折角の努力が台無しじゃないか!」
ぐい。
フィルニィと母の腕を引いて、ずるずると引っ張っていく。
「さあ行くよ!ったく、そもそも人手が足りないからバイトを雇った筈なのに、妨害活動にマンパワーを投入したら本末転倒じゃないか!」
「ああんもぉ、ケイトちゃんったら厳しいんだからー」
「な、何で私まで怒られてるのー…?」
ぷりぷり怒りながら、ケイトは二人を引きずっていくのだった。
「…アイツら…何しに来てん……」
キィリアはげっそりとした顔で、ぼそりと呟いた。

そんなこんなで、半刻後。
審査員の客たちも一巡し、早速投票が行われることになった。
開票するのは、正真正銘、正々堂々を自認するケイト。
キィリアもフィルニィも、固唾を呑んで開票の様子を見守った。
ぺら、と中に入っていた票を開けるケイト。
「…ジルさん」
「おおっ!」
ガッツポーズを取るフィルニィ、悔しそうに眉を寄せるキィリア。
「セレさん」
「よっしゃあ!」
今度はキィリアが嬉しそうに拳を握る。
ケイトはどんどん票を開けていった。
「ジルさん」
「セレさん」
「ジルさん」
「?……暮葉さん」
「……は?」
僅かに眉を寄せるジル。
ケイトは続けた。
「フィルニィさん」
「フィルニィさん」
「セレさん」
「フィルニィさん」
「フィルニィさん」
「ちょ、ちょっと?!」
「どないなってんねん?!」
騒然とする一同をよそに、開票はどんどん進み。
結果。

「栄えある第一位は………フィルニィさんに決定ー!」

ケイトは大仰にそう言って、フィルニィの右手を高々と上げさせた。
わっ、とギャラリーから拍手が巻き起こる。
「え、え、ええ?い、いいのかな?」
混乱するフィルニィ。
「いいわけあるかー!!」
半ギレのキィリア。
「何やこれ、勝負になってへんやん!?」
「…まあ、予想外の結果だったけど……」
フィルニィの母は相変わらずのんびりとした様子で、キィリアに言った。
「どちらにせようちの店の勝ちよね?」
「ぐっ………」
言葉に詰まるキィリア。
ジルもやはり少し複雑そうな表情で、しかしセレの前に立つと、言った。
「…そういうわけで、勝ったから。ヒント、教えてもらえる?」
セレはジルの方を見ると、意外にあっさりとヒントを口にした。
「前だけを見ている者には見つからぬ場所にある」
「……それが、ヒント?」
「二度は言うなと命令されている」
「…わかった、ありがとう」
ジルが言うと、セレは無表情のまま踵を返した。
「任務完了。引き続き、喫茶店給仕の業務に戻る」
そして、さっさとドラセナへと帰っていくのだった。
「………私達も行こうか」
ジルも踵を返すと、フィルニィたちを促してマトリカリアへと戻っていった。

それからしばらくして。
「いらっしゃいませー!」
マトリカリアに、フラフラと一人の大男がやってきた。
大きな獣耳に黒い縞模様。ピエロの装束はさすがに脱いでいるが、謎のダンジョンからフラフラとここまで歩いてきたマジュールである。
フィルニィが席に案内し、メニューを差し出すと、マジュールはそれをぱらりと開いて…それから、すぐにパタンと閉じた。
「あの、お客様…?」
フィルニィが不思議そうに覗き込むと、マジュールは俯いたままぼそりと言った。
「……全部、持ってきてください」
「えっ?」
「…全部、です」
「え、えっと、フードとドリンク全てを…1品ずつでよろしいですか?」
驚きつつも恐る恐る訊いてみるフィルニィ。
マジュールはイラっとした様子で、フィルニィの顔を見上げて声を荒げた。
「ええ、フードメニューとスペシャルドリンクの枠の中、全部です!!」
「は、はいっ!しょ、少々お待ちくださいっ!」
フィルニィは慌てて厨房へと戻っていった。

「んなぁにぃ?!メニューフルオーダーだってぇ?!」
フィルニィの注文を聞きつけ、ケイトは驚いて声を上げた。
「なんだい、どんな団体さんが入ったんだい?」
「そ、それが、お一人なんです…」
「なんだってぇ?!フードファイトはもう時代遅れなんじゃないかねぇ…」
ケイトは心配するように眉を寄せた。
だが。
「ま、フルオーダーともなればあたしとしても腕が鳴るってもんだよ!どんどん作るから、じゃんじゃん持っていきな!」
「は、はい!ありがとうございます!」
ケイトは言うが早いか、早速一品目の料理に取り掛かった。

「ううっ…どうして…。
どうして私がこんな目に…?」
一方、ケイトのそんな情熱と反比例するように、マジュールの気分は急滑降だった。
「キャティ、違うんだ…父の言うことは真に受けないで欲しい…。
あの人は私のことをまったく理解してくれない人なんだ。
君にだけは私を信じてもらいたいのに…!」
そんなところに、フィルニィがおずおずと3皿の料理を運んできた。
「あ、あの、とりあえずこれだけ…残りは出来次第持ってきますから……」
ミネストローネスープ、山菜とキノコのサラダ、ラザニア。どれも美味しそうなできばえだ。
マジュールはじっとその料理を見ていたが、やおらフォークを取って、皿をかっ込み始めた。
「うぉおおーーーーっ!!!!」
味わって食べるのとは程遠い。喉に流すという表現がぴったりだ。
かかかか、どすん。
あっという間にサラダを食べ終わると、据わった目で虚空を見据えながら、フィルニィに言った。
「どんどん持ってきてください!」
「は、はいっ!」

そして、フィルニィが持ってきては皿を空け、持ってきては皿を空け。
9皿ほどまで達した時に。
とん。
「はぁ………」
マジュールは急にため息をつき、ふたたび落ち込みモードに入った。
「何をやっているんだ……私は」
「あのう……」
次の皿を持ってきたまま、心配そうに覗き込むフィルニィ。
「お客さん……どうしたんですか……?」
「ウェイトレスさん……」
フィルニィは持ってきた皿をことりとテーブルの上に置くと、マジュールの目線まで屈んだ。
「私でよければ、お話を聞かせてください」
「ウェイトレスさん…」
じわ。
マジュールの目じりに涙が浮かび、こらえきれずに俯く。
「実は……私は、人探しをしていたんですが……」
「人探し?」
「はい。その人が、ようやく見つかったのに…取り逃がしてしまったんです」
「そうなんですか…でも、一度会えたんです、きっとまた見つかりますよ」
苦笑して慰めようとするフィルニィ。
だが、マジュールの愚痴は止まらない。
「そのうえ……その、取り逃がした折に…大勢の人の前で、とんでもない恥をかいて…」
「まあ……でも、人生に失敗はつきものですよ。私も仕事柄、恥はよくかきます」
「実家には、私のかなえたい夢などお構いなしで、その人物を見つけられないなら早く帰って来いといわれ……」
「大変ですね……でも、自分のしたいことを根気よく伝えれば、きっとご両親も理解してくれますよ!」
「トドメには、大事な彼女に嫌われてしまったようで…」
「そんな!え、ええと、女なんて星の数ほど…じゃなくて!女心はブラックボックスですから。本当に嫌われたとは限りませんよ」
まったくフィルニィの慰めを聞いていない様子でつらつらと愚痴を並べていくマジュールと、いまいち実感のこもらない慰めをそのつど繰り出していくフィルニィ。
まあ、彼女に嫌われ云々は謎のダンジョンが作り出した幻影であるので、本当のことではないのだが、もちろんマジュールはそのことには気づいていない。
はあ、と、マジュールはもう一度深いため息をついた。
「この先、一体どうすればいいのか…」
フィルニィは困った様子であわあわと周りを見て、それからぎゅっとこぶしを握って、マジュールを見た。
「えっと…その…き、きっと何とかなりますよ!下がるところまで下がったら、あとは上がるだけですから!」
「……励ましになってないよ」
フィルニィがなかなか料理を取りに来ないので変わりに持ってきたジルが、ぼそりとツッコミを入れる。
「……チキンカレーとキーマカレー、お待たせしました…」
こと。
ジルはカレーの皿をテーブルの上に置くと、フィルニィの腕を引っ張った。
「……行こう」
「え、で、でも……」
「…私達に出来ることはないよ。仕事に戻ろう」
「…は、はい…」
フィルニィは後ろ髪を引かれつつも、ジルの言う通り仕事に戻ることにした。

「私はただ、愛する女性と、小さいけれど沢山のお客様が訪れてくれる料理店を切り盛りする…。
ただそんなささやかな夢を持っているだけなんだ…。
何が悪い…?
私だって、私だって夢を追って生きたっていいじゃないか…!」
マジュールはフィルニィが去ったあとも、一人でぶつぶつと愚痴を呟いていた。
すると。
「……あれ、そこにいるのは、マジュール?」
聞き慣れた声がして、マジュールは顔を上げた。
「ふ、フカヤさん!」
見れば、フカヤがジルの案内で店に入ってきたところだった。
「……お知り合いですか?」
「ああ、ちょっとね。彼は一人なの?相席をして構わないかな?」
「…構いませんが…」
ジルは少し逡巡してマジュールの方を見た。
慌てて、自分の向かい側の席を指し示すマジュール。
「あっ、ど、どうぞどうぞ!」
「ありがとう」
フカヤはにこりと微笑んで、マジュールの向かい側の席に座った。
「すごい量の料理だな……これ、全部マジュールが?」
「あっ、は、いえ、あの、よろしければフカヤさん、どうぞ…」
「え、いいの?」
「は、はい、私一人では食べきれないと思っていたところで…」
「それなら遠慮なく。ようやくパフィの店も落ち着いてきて、俺もちょっと抜けて遅い昼を食べようと思って来たんだよ」
「そうなんですか…あっ、今朝はどうもありがとうございました」
マジュールが早朝の件で礼を言うと、フカヤは再びにこりと笑った。
「いや、俺は何もしてないけどね。
それで、探し人は見つかったの?」
「ええ、見つけることはできましたよ。
…あっさり逃げられてしまいましたがね…。はぁ…」
再び暗い表情でため息をつくマジュールに、フカヤはカレーを食べる手を止めた。
「…他にも、何かあったのか?俺でよかったら、話を聞くよ」
「ありがとうございます……」
マジュールは自嘲気味に笑うと、ポツリポツリと話し始めた。
「私は…、幼い頃から父親に、ずっと夢を否定され続けてきたのですよ。
父がごりごりの武人というのは…本当に窮屈で…」
「……うん」
「私が…半端に剣術が出来てしまったのが災いの元だったんでしょうね…。
毎日毎日、やれ走り込みだ、やれ素振りだ、やれ試合だ…。遂には、村と一族を守る最強の戦士になれ!と檄を飛ばされ…。そんな期待が重くて重くて…」
「……うん」
フカヤは相槌を打ちながら、カレーを食べている。
マジュールは続けた。
「大体私、白虎と人間の混血なんですよ…。
変身こそできますがね…単純に身体能力だけなら、私より優れた人が沢山いるという話ですよ。
それなのに…はぁ…」
「うーん…」
フカヤは何か言いたそうに、だが何も言わずにマジュールの話を聞いている。
「きっと村に連れ戻されたら、また毎日うるさく言われることになるのも目に見えているという話ですよ。 やってられません…」
マジュールは頭を抱えてゆっくりと振った。
「本当なら、使命なんて放り出してどこかへ逃げ出したい位なのですよ。
実は一族の特例でしてね…獣人以外との混血は、本当は冒険者になろうが自由なんですよ。
ですが、長老様は私を子供の頃からずっとかわいがってくださっていて…、ですから、長老様の頼みは断れなかったんですよ」
「…そうだったんだ」
「でも、こんなことになるなら…あー、どうして安請け合いしちゃったのか…」
フカヤは黙ったまま二口、三口とカレーを食べ、そしておもむろに訊ねた。
「…マジュールは、どうして料理人になろうと思ったの?」
「えっ…」
マジュールは思わぬ方向からの言葉に一瞬きょとんとした。
「それは…。 私が幼い頃死んだ母の影響ですね…」
言って、どこか懐かしそうに表情を緩めるマジュール。
フカヤはにこりと微笑んだ。
「そうなんだ。お母さんは料理人だったの?」
「いえ、料理人ではありませんでしたよ。
長く病気で臥せっていた女性だったのですが」
自分の母親のことなのに、どこか他人のように、マジュールは語りだした。
ある時、…その日は体調が良かったのでしょうね。私にお菓子を作ってくれたことがあったのです。
素朴なパウンドケーキでしたが…温かくて、ふかふかで、優しい味でした。
その美味しさは今でも忘れられません」
マジュールは優しい表情で、目を閉じた。
母のパウンドケーキの味を思い出しているのだろうか。
「愛のこもった料理は、食べる人の心と身体の糧となるのですよ。
母は亡くなりましたが、母の愛のこもった料理は、私の心と身体の一部として、今もここに在り続けているのです。
なんと素晴らしいことか…!」
「そうだね…」
力説するマジュールに、フカヤも優しい微笑を向ける。
「私も、愛をもってお客の心と身体に美味しい料理を作る、そんな料理人になりたいのです」
「そうなんだ」
フカヤはにこりと笑って、カレーの最後の一口を食べた。
「俺もね、夢があるんだよ。
父さんみたいな、立派な戦士になりたいっていう夢が」
「えっ……」
マジュールはフカヤの言葉に、ようやく彼がどんな人生を歩んできたのかを思い出した。
肉親の差し向けた刺客に追われる日々の中、フカヤは母を亡くし、最後までフカヤを守った父も目の前でなぶるようにして殺された。
しかし、フカヤは誰のことも恨まず、今こうしてこんなにも穏やかな表情で語っている。
「俺にも、どうにもならないことはあると思う。父さんにも母さんにも、生きていて欲しかった。父さんや母さんを殺そうなんて、愚かなことを考える人がいなければ。…そう思ったことは何度もあったよ。
でも…仕方がないという言葉は好きじゃないけど、もう起こってしまったことを悔やんでも…譲れない信念の元に生きてる人に文句を言ってみても、それで何かが変わるわけじゃない。
大事なのは、本当に自分が何をしたいのかを見失わないこと。どんなにそれを邪魔するものがあっても、その気持ちさえ見失わなければ、そのために何をすればいいのかは自然とわかってくる。
俺は、そう思うんだ」
「フカヤさん……」
「俺は、命を賭けて母さんや俺を守ってくれた父さんを尊敬してる。だから、そんな父さんのような立派な戦士になりたい。
マジュールは?」
空になったカレーの皿を避けて、マジュールに問うフカヤ。
「料理人になりたいんだよね?そのために何をした?
戦士になりたくない、向いた人ならいくらでもいる、そんな話じゃなくて…なぜ料理人になりたいと思ったのか、料理のすばらしさはどんなものなのか、お母さんが作ってくれた料理がどんなに素敵だったか、お父さんに話した?」
「それは……」
「…料理人になるために、可愛がってくれた長老や、頑固なお父さんにきちんと話を通すために。
今一番するべきなのは、何だと思う?」
マジュールは、真剣に話すフカヤの瞳を、やはり真剣に見返して。
そして、ややあって、憑き物が落ちたような表情で、薄く微笑んだ。
「…そうですね。
私は何故こんなところで腐っていたのでしょうか。
やるべきこともしないで、ただいじいじと…。
こんなことで夢を語っている場合ではなかった」
テーブルの上に山と並んだ料理を見て、苦笑して。
「大体、こんな風に食べ物を食べ散らかすなど…お店の方に申し訳ないことをしてしまいました」
フカヤはそんなマジュールを見て、嬉しそうに微笑んだ。
「もう大丈夫そうだね」
「…はい。行ってきます。
一族の長の命令だからではありません。自由を手に入れる為の、私自身の戦いです」
「うん。がんばって」
「はい!」
マジュールは勢いよく頷いて、立ち上がった。
「すみません、お会計を!」
「あっ、はい!」
近くにいたフィルニィが、慌てて寄ってくる。
会計を済ませながら、マジュールはフィルニィに申し訳なさそうに頭を下げた。
「申し訳ありません。
今度は普段のお店の方に…ちゃんと美味しいものを味わいに行きますね」
「あ…は、はいっ!お待ちしてますね!」
フィルニィは笑顔で、マジュールからとんでもない額の会計を受け取った。
「それじゃあ、フカヤさん!ありがとうございました!」
「うん、がんばってね」
マジュールはもう一度フカヤに礼をすると、意気揚々と店を出て行った。
「ありがとうございました!それでは、夢に向かって頑張ってくださいね~!」
フィルニィは嬉しそうに手を振って、マジュールを見送った。

「……余った料理、どうするの?」
後ろにいたジルがぼそりと呟くと。
「あ、大丈夫。俺が全部食べて帰るから。
まだあるの?よかったらこれとこれとこれ、包んで持たせてくれない?連れにお土産にするから」
ちゃっかり人の会計で腹いっぱい食べているフカヤが、笑顔でそう言ってのけたのだった。

そして、さらにしばらくして。
出先でそれぞれチャカの配下に会った者たちが、報告のためにマトリカリアにやってきていた。
「オルーカさん、こっちです、こっち」
「あ、ミケさん。お疲れ様です」
ササを伴ってやってきたアルディア(中身はオルーカ)は、ミケの席について一息入れた。
すかさず、ジルが水を持ってやってくる。
「……ふたたびいらっしゃい。ヒント、もらえたよ」
「えっ、本当ですかジルさん!ありがとうございます」
淡々と言ったジルに、ミケは嬉しそうに頭を下げた。
「それで、ヒントとは?」
「ええと……前だけを見ている者には見つからぬ場所にある、って言われたよ」
「前だけを……そうですか。わかりました。
お手数をおかけしました、ありがとうございます、ジルさん」
「…どういたしまして。
………お礼は一品多く注文してくれれば」
「え、そんなのでいいんですか?」
「うん」
「じゃあ…ええと、キャラメルラテとマーブルデニッシュ、あとこの子にぬるめのホットミルクを」
「あ、じゃあ私はこのゆず茶を」
「…ホットコーヒー」
続いてオルーカとササも注文し、ジルは伝票にメモをすると一礼した。
「…かしこまり。じゃ、ごゆっくり」
淡々とそう言うと、厨房へと引っ込んでいく。
3人は一息つくと、早速話を切り出した。
「それで、オルーカさんのほうは…」
「あ、はい。ええと、無事メイさんにお会いできまして、ヒントを頂くことができました」
「そうですか……ていうか、大丈夫ですか?ずいぶんよれよれに見えますけど……」
心配そうにミケがオルーカを覗き込むと、ササがその隣で憮然として言った。
「アイツ、オルーカが話しかけたら、いきなり殴りかかってきやがったんだ」
「ええっ?!」
驚くミケに、オルーカはたしなめるようにササを見た。
「ササさん…!」
「いいだろ別に。そのせいでオルーカがこんな怪我をしたんだからよ」
ササは少しご機嫌斜めのようだ。
ミケは申し訳なさそうにオルーカに頭を下げた。
「すみません、オルーカさん。少しじっとしていてくださいね」
そして、オルーカの肩に手を当てて、目を閉じる。
「風よ、優しき乙女に癒しの加護を」
ふわ。
オルーカの身体を優しく風が包む。
「あ……だいぶ楽になりました。ありがとうございます、ミケさん」
オルーカが微笑むと、ミケはほっとしたように手を離した。
「いえ、僕のせいでこんな怪我をしてしまったんですから。お礼を言うのはこちらのほうですよ」
「そんな。このおかげで、私も目当ての材料を手に入れることが出来たんですから。
ササさんはこう言ってますけど、私は気にしてませんから。ね?」
オルーカが笑顔でミケをなだめると、ササは憮然として目を逸らした。
「それならいいんですが……それで、ヒントのほうは?」
「あっ、そうでした。ええと…空に浮かぶ月のように、と仰っていましたよ」
「空に浮かぶ月、ですね…わかりました」
ミケが心のメモ帳にメモしていると。
「あの……」
オルーカは遠慮がちに、ミケに訊ねた。
「メイさん……って、どういう人なんですか?」
「えっ」
オルーカの口からそんな質問が出たことに、ミケは驚いた様子で…それでも、うーんと考えながら答えた。
「そうですね…物の怪よりも生きている人の心の方が恐ろしい魔物である、と知っている人ですね。
噂によって村人に魔物扱いされて、酷い体験をされた方です」
「酷い体験、ですか…ええと、どなたかの部下だって仰ってましたよね?」
オルーカはメイが『あの方』と言っていたことを思い出し、ミケに問う。
「はい。チャカという……ええと、魔族の部下なんです」
「魔族……!」
オルーカは目を丸くした。
ミケは少々渋い顔で、チャカの説明を続ける。
「…面白いことが大好きで、わざわざ人の弱そうなところをつついて、どうなるのかを見て楽しむ…そういう方です。
メイさんのことも、魔物扱いした村人に、ほとんど私刑のような酷い目に合わされたところを拾って、自分の部下にしたんですが……でも、村人を扇動する噂を撒いた張本人というのは、他でもないチャカさん本人なんですよ」
「ええっ」
意外そうに目をむくオルーカ。
「え、メイさんはそのことを…」
「知っている、と思います。メイさんは自分を酷い目に合わせた村人をというよりは、噂に簡単に流され、きちんと自分の目で確かめることもせずに他人に酷いことをしてしまえる…人間という物自体に対して絶望してしまったのでしょう。チャカさんのことも、そんな人間の酷い面を理解させてくれたとさえ思っていると思いますよ」
「そんな……」
俯くオルーカ。
ミケは肩を竦めて嘆息した。
「面白いことをするためなら、仕込みに数十年かけることも珍しくはない。
かと思えば、甥っ子と姪っ子の恋愛に口を出してみたりするし。
まぁ、僕ら人間には理解しえない考えの方ですよ」
「なるほど……」
オルーカは顔を上げて、再び頷いた。
「でもね、彼女の見方も考えも、一片の真理です。
たまに聞いていて、そういう見方もあるんだなぁと思いますよ。そう言う意味では、面白い人です。
個人的に彼女のやり方は好きじゃありませんけど」
ミケは言って、オルーカに問うた。
「あなたは…彼女を、どう思いましたか?」
オルーカはあいまいな表情で、考えながら答える。
「私は、メイさんにしかお会いしていないのですが…
大切な方…チャカさんですね、彼女のことを強く思っていて…とても頑なでまっすぐで純粋で…素直な方だと思いました」
「そうですか……」
ミケが頷くと、オルーカは苦笑した。
「でもまあ、やり方は私も好きになれませんね」
「ですよね、いきなり殴りかかるのは僕も勘弁してほしいですから」
ミケもあわせて苦笑して、改めて頭を下げる。
「本当にすみませんでした。何か大変な時に、余計なお願いをして、怪我までさせてしまって」
「あっ、いえ、そんな。さっきも言いましたけど、そのおかげで欲しかったものも手に入ったんですから、本当に気にしないでください」
「じゃあ、せめてここのお会計は僕が持ちますよ。それくらいはさせてください」
「…そうですか?じゃあ…」
オルーカは微笑んで、注文したゆず茶を口にする。
ミケも笑顔でそれを見守って、マーブルデニッシュをひとかけ口に放り込んだ。

オルーカがあわただしくササとその場を後にしてから、しばらくして。
「あ、ミケ!ごめんな、遅くなって!」
クルムがマトリカリアに駆けつけ、ミケは笑顔で手を振った。
「いいえ、大丈夫ですよ。どうぞこちらに」
ミケの招きに応じてマトリカリアに入ると、ジルが淡々と対応する。
「…いらっしゃいませ」
「あれ、ジル!なんだ、ここでバイトしてるのか?」
「…うん。クルムも、ミケのヒント持ってきたの…?」
「ああ。っていうことは、ジルも?」
「……そう。あとはクルムだけみたいだよ」
「そうなのか。全部集まったなら良かったな」
そんな会話を交わしながら、ミケの席まで歩いてくる2人。
「どうぞ、クルムさん」
ミケが向かいの席を指し示し、クルムは一礼して椅子に座った。
「…ご注文は?」
「あ、じゃあ…ミルクココア」
「…かしこまり。じゃ、ごゆっくり」
ジルは伝票にクルムの注文をしたためると、厨房に引っ込んだ。
「すみません、クルムさん。お疲れ様です」
「ああ、ミケもお疲れ様。ヒント、全部集まったんだって?」
「はい。ジルさんがセレさんで、オルーカさんがメイさんで、僕がリリィさん……ということは、クルムさんはキャットさんですか?」
「ああ。ちゃんとヒントももらってきたよ。これだった」
ことん。
言って、机の上に置かれたブローチを、まじまじと見るミケ。
「…黒猫……ですか」
「ああ。これがヒントだって言われて渡されたんだよ」
「そうですか……ありがとうございます」
ミケは狐につままれたような表情で、そのブローチを手に取り、懐にしまう。
「でも…意外でしたね。精神に干渉する術を使うなら、リリィさんかと思ってたんですけど。
あのダンジョン、キャットさんが作ったものだったんですか?」
「え?あ、それがな…」
クルムは苦笑して、ざっと事情を説明した。
「えええ、ジョンさんが?!」
驚くミケ。
「ああ。あのダンジョン自体は、チャカの部下とは何も関係がなかったんだよ。ジョン先生が作ったマジックアイテムが作り出した世界に、キャットも迷い込んでいたらしかったんだ」
「何とまあ……でも、結果オーライでしたね」
「ああ、テアも助け出したし、ダンジョンも消えたし、キャットからヒントももらえたし。
本当に良かったよ」
にこりと嬉しそうに微笑むクルム。
「それで、チャカの居場所はわかりそうか?」
「あ、はい……4つのヒントを照合して…どうにか」
「そうか、なら手伝った甲斐があったな」
「はい、本当にありがとうございます。
よかったら、食事でもおごらせてくれませんか?これから、予定とかあります?」
そんなことを申し出たミケに、しかしクルムは申し訳なさそうに表情を曇らせた。
「あ…ごめんな、これからお世話になってる下宿先でニューイヤーパーティーなんだ。
すぐに戻らないといけないんだけど…」
「あ、そうなんですか。それなら、是非そちらに行って下さい。
僕のお礼は、また次の機会にでも」
「いや、もしミケがこの後食事をする時間があるなら、よかったらオレの所に来て一緒に食べていかないか?」
「ええっ?!」
思わぬクルムの申し出に、ミケは驚いた。
「いや、でもそんな。僕がお礼をする立場なのに」
「お礼なんて、良いよ。オレも別の目的があってしたことだし。
パーティーはみんなでやった方が楽しいだろ。オレも、テアにミケのこと紹介したいし」
「あ……テアさんて、先ほどの…ええと、以前ジョンさんの幻術世界でお会いした方ですよね?」
それはちょっと会ってみたいかもしれないと思うミケ。
「じゃあ…お言葉に甘えちゃっても良いでしょうか?」
「もちろん。楽しいパーティーになりそうだな」
クルムは微笑んで、運ばれてきたココアを一口飲んだ。

というわけで、ミケとクルムはこれからクルムの下宿先でのニューイヤーパーティーに向かうことになったのである。

→ストゥルーの刻・王宮へ
→ストゥルーの刻・郊外へ
→ストゥルーの刻・住宅街へ

喫茶ドラセナ

「て、店長もセレさんも、一体何をやってるんでしょうか…」
向かいの喫茶と勝負と題して、店の一角を貸しきり状態で妙なことをやっているキィリアとセレを、暮葉はオーダーに追われながらハラハラと見守っていた。
キィリアと、そして店の中で一番の機動力を持つセレが抜けたことで、店の残りの区画はそれこそてんてこ舞いである。あと2人ほどウェイトレスがいるにはいるのだが、どちらも客からオーダーを聞くのにも出来たメニューを持っていくのにもえらく時間がかかるため、結局暮葉が一人で奔走する羽目になっていた。
「暮葉たーん!そんな野郎のところにいつまでもいないでこっちに来てよー!」
「暮葉どのー!こちらでござる!早く拙者に酌をしてたもれー!」
昼に押しかけてきた妙な軍団はまだまだ居座る気満々のようだし。
「はぁ……な、何でわたしばっかりこんなことに…!」
暮葉はあちこちから舞い込むオーダーやら客の要望やらで、かなりテンパってきていた。
と。
「…………」
ふ、と。
何の前触れもなく、暮葉の瞳の色が……色彩という意味でなく、持っている表情が、唐突に変化した。
持っていた盆もオーダーされたメニューもそのままに、今まで特に変わったところのなかった暮葉の立ち姿が、急に艶を帯びたものになる。
ナノクニに行った事のある者なら、ゲイシャという職業のそれによく似ていたのだが、今それを指摘できるものはいない。
「……ふ、ふ」
にぃ。
暮葉はあでやかな微笑を浮かべると、盆の上に乗っていたミートスパゲティをことりとテーブルの上に置いた。
「……ミートスパゲティ、お待ちどうさま」
「く、暮葉たん……あれ、雰囲気…変わった?」
「…そう?私は私、何も変わってはいないわよ?」
くすくす。
暮葉はそう鼻で笑うと、さっとそのテーブルを離れる。
向こうでは勝負の開票が行われているようだった。
セレとジルの勝負に意外な決着がついたようで、キィリアがかなりキレまくっている。
「あぁ…こんなに楽しい雰囲気に包まれてると、私も陽気になってくるわぁ……」
足を止めたままそちらを見やり、楽しそうに微笑を浮かべる暮葉。
そこに、怒り心頭の様子のキィリアが戻ってきた。
「……ったく!なんやっちゅーねん一体!ってコラァ!!」
キィリアは足を止めていた暮葉を見つけると、早速怒鳴りつけた。
「このクソ忙しい時に何ボーっと突っ立ってんねん!サボっとらんでキリキリ働かんかい!」
「あら……」
暮葉はきょとんとした表情で唇に人差し指を当てると、そのままキィリアに歩み寄り、顔を寄せた。
「キィリア、あなたイライラしてばかりいないでもうすこし楽しんで仕事したらどう?」
「は、はぁ?!」
今までの暮葉とは違う、妙に艶かしく迫力のある様子に、キィリアは思わず頓狂な声を上げた。
暮葉は構わずに、先ほどの人差し指をキィリアの頬から耳へと滑らせる。
「あのセレでさえ、向かいのカフェ店員と迫力満点の見世物をしているのよ。あなたのそのネコミミは飾りじゃないでしょ?もったいない、もっとはしゃぎなさい」
「な、何やアンタ……さっきとエライ人が違うやんか…」
キィリアはさすがに少しおびえた様子だった。
くすり、と鼻を鳴らす暮葉。
「別人?あなたにはそう見えるの?おもしろいこと言うのね。口調がすこし砕けただけではなくて?それともあなたの目には本当に私とは別の私が映って見えるの?」
す、と、肩と肩を密着させるように近づいて。
暮葉はキィリアの瞳を覗き込むように顔を近づけると、にぃ、と妖しい笑みを浮かべた。
「ねぇキィリア、その可愛いお目々に今の私がどう映っているのかよく見せて?」
「ちょ!近!寄るな触るな近寄るなー!かーっっ!!」
顔を真っ赤にしたキィリアは、猫が毛を逆立てるようにして暮葉を遠ざけた。
「さてはアンタ!売り物の酒に手ぇだしよったな!」
そのキィリアの様子が可愛らしくてたまらないのか、暮葉は楽しそうにくすくす笑って、答える。
「お酒は好きだけれどまだ手はだしてないわよ。ほら、アルコールの臭い、する?」
「顔を近づけんなっちゅーねん!噛むで?!」
「あら、そういうプレイがお好み?私は別に構わないけれど」
「プレイって何やねんコラー!」
暮葉に絡まられながらじたばたともがくキィリア。
と、暮葉が思い出したようにキィリアの服を見た。
「そういえば、なぜあなただけ私服なのよ?」
「はぁ?アンタ、さっきも言うとったな…ええやんそんなんどうでも、ウチは店長なんやで?」
キィリアが先ほどと同じように言い返すと、暮葉はつまらなそうな表情ですっと目を細めた。
「そんなの関係ないわ。見苦しいから着替えなさい。一人で着替えられないなら、お姉さんが手伝ってあげようか?」
「な、何でそうなんねん?!」
「ほら、更衣室はあっちよ?店は私が見ていてあげるからさっさとお着替えなさい」
「アンタ、人の話を……」
「やっぱり着替えられないのね?それならそうと言ってくれれば……」
「がーっっ!ボタンはずすなちゅーねん!!き、着替えればええんやろ着替えれば!」
キィリアは暮葉から必死に離れると、しぶしぶ更衣室に入っていった。

「こ……これでええんか!」
ややあって、更衣室から出てきたキィリアは、見事なミニスカネコ耳メイドに変貌していて。
どよ、と妙な一団の間にどよめきが走る。
暮葉は満足げににこりと微笑んだ。
「素敵よキィリア。これで私も楽しく仕事が出来るというものだわ」
「な、何でもええから早よ仕事しいや…」
キィリアは恥ずかしそうに、それでも精一杯暮葉を睨みつけた。

「ねえねえ暮葉たん、やっぱりこんなところ早く終わらせて一緒に遊びに行こうよー」
先ほどの男性が懲りずに誘いをかけてくるが、暮葉はそっけない表情でぺしんと彼の額をはたいた。
「いやよ、楽しくなさそうだもの。そんなに構ってほしかったらオーダーしなさい。そうしたら、お話ぐらいしてあげてもいいわ」
「暮葉たーん!俺オーダーしたよ、隣に座ってくれるよね?!」
「ふふ、はい、ただいま」
先ほど隣に座るように強要した男性が言うと、暮葉はすぐさまそちらの方に向かって、椅子をぴたりと寄せ、足を高々と組んで男性にしなだれかかった。
「うはwww暮葉たんktkrwwww」
「パフェをオーダーしてくれたのね。それじゃあ…」
暮葉は男性の前にあったパフェのクリームを長いスプーンでひと掬いすると、ゆっくりと口元へ近づけた。
「はい、あーん」
「あ、あーん…」
暮葉にクリームを食べさせてもらい、男性はかなり満足げな表情で咀嚼する。
と、暮葉はスプーンを置き、すっと立ち上がった。
「はい。以上」
「え、えええ?!もう~?!」
不満げな男性に、暮葉は再び嫣然と微笑みかける。
「おかわりほしかったら言ってね。また持ってきてあげるから。頼まなかったら、もう来て上げないわ」
そして、さっさと次の仕事にかかった。
男性はしばらくその後姿を見送っていたが、やおら再び手を上げると、近くのウェイトレスに怒涛のように注文した。
「お姉ちゃん!パフェ10個!大盛りでね!!」

「え?またパフェのオーダーが入ってるの?しかも10個も?」
事の次第を聞いた暮葉は鬱陶しげに眉を寄せた。
「セレ。わたし今手が離せないから、あなたから持っていってもらえないかしら?わたしがさっきやったようにするのよ。よろしく、ね」
「了解」
セレは淡々と頷いて、パフェ大盛り10個の乗ったトレイを持っていくのだった。

しばらくして。
「………もが……」
スプーン10本と大量の生クリームを口に突っ込まれた男性が椅子の上でぐったりとしているのを見て、暮葉はまた楽しそうに微笑んだ。
「さすがよ、セレ。やかましかったあの子たちが沈静したわ。これからトラブルバスターと呼んでも構わないかしら?」
「却下」
淡々と言って、セレは次の仕事にかかるのだった。

大通り -ストゥルーの刻-

日もすっかり傾き、大通りは家族連れよりカップルで賑わってきた。
中央公園に面した喫茶マトリカリアと喫茶ドラセナは、いろいろな騒動があったものの立地条件が良いからか大盛況。
マトリカリアにいるジルたちも、ドラセナにいる暮葉たちも、忙しく仕事をこなしていた。
そんな時のこと。

「うぉれ、うぉまえぇぇぇ!金カネかねかねかかかかかねぇ!」

突如、ドラセナの入り口で上がった奇声に、客はおろか従業員までもがびくりとして振り返る。
ドラセナの入り口では、薄汚れた白衣に身を包んだぼさぼさ頭の痩せこけた男が、片腕を振り回しながらわめいていた。
「…なんなの、あの汚いの。向かいの店の営業妨害…?」
まだ妖しい雰囲気のままの暮葉が眉を顰めて呟くと、隣にいたキィリアがあちゃーと片手で顔を覆った。
「やばいわー…何でこんなところまで来たんやろ…」
「キィリア、知り合い?」
「店長や、この店の」
「店長?」
眉を顰める暮葉。
「あなたが店長なのではなくて?」
「言うたやろ、実質店長て。この店の場所を抽選で当てたんはあの男やねん。ウチは頼まれて、この店のプロデュースしたっちゅーわけや」
「あら、そうなの……」
暮葉はつまらなそうに嘆息して、店長…と呼ばれているおかしな男のところへと歩いていった。
「あ、ちょ、暮葉!」
キィリアが止めるのも聞かず、早速店長に話しかける。
「おつかれさまです店長。その髪型決まっていますね。セットに時間を要しましたでしょう。最近はやりなのですか?」
ぎろり。
店長は血走った目で暮葉を睨むと、ううううと謎のうめき声を上げた。
ひき、と一瞬顔が引きつるが、暮葉も負けていない。
「セレにいたってはそのヘアに見とれっぱなしですよ。ほら御覧ください。この通り熱いまなざしで。」
そばにいたセレを示して見せるが、セレはガン無視でてきぱきと仕事を進めている。
「オイコラ暮葉!やめぇ言うてるやろが!」
ぐい。
キィリアに引っ張られ、暮葉はようやく店長の前から退いた。
「何してんねんアホ!」
「いえね、一応挨拶しておくべきかと思って」
「言葉通じる思うんか、これに!」
「…まあ思わないけど」
「ええから、アンタはさっさと仕事に戻り!」
キィリアは暮葉を押しやって、代わりに店長の前に立った。
「何してんねん、ここには来るな言うたやろ!」
「うぉれぇ、金ぇ、なくなったぁぁ。この店、うぉれのものぉ。金もうぉれのものおぉぉ」
「はぁ?!アンタ、また研究費使い切ったんか?!売り上げはちゃんと等分の約束やったやろ、営業終わるまで待ちいや!」
「この店のもの、うぉれのものおおぉぉぉ!」
「あーもう!ここで騒ぐな!暮葉、ウチちっと出てくるで!店、頼むな!」
キィリアは埒が明かないといった様子で店長の腕を取ると、強引に店の外へ連れ出していった。
「………言葉が通じてるわね……さすがと言うべきかしら」
暮葉は嘆息して、それを見送るのだった。

「だから!年明けて、営業が終わったらウチの取り分残して渡すいう約束やったやろ、ちゅーてんねん!」
「うぉれの金うぉれの金うぉれの金えええぇぇぇ!!」
店を出たものの、大通りのど真ん中で口論しているキィリアと店長は、いろんな意味で悪目立ちしていた。通りを通る者たちが、遠巻きに避けて歩いている。
人だかりこそ出来ないものの、明らかに異常な光景に、さすがにマトリカリアの面々も気づいたようだった。
「?何でしょうか、あれ…」
「ホントだ。通りの真ん中で何やってんのかな…?」
ようやく戻ってきて何故かまだ店の手伝いをしているリィナも、きょとんとしてそちらを見やる。
「なんか、言い争いをしてるみたいだな…」
ショウが言い、眉を顰めるリィナ。
「なんだろ。あれって向かいの店の子だよね?なんかあったのかな…」
「……私、ちょっと見てくるよ」
「あーっ、ジルちゃん!」
リィナが止める間もなく、ジルはマトリカリアを出て通りの中央へと走っていった。
人々が遠巻きに避けて歩いていく中心で、キィリアと店長が言い争いをしている。
ジルは迷惑そうな表情を作って、声をかけた。
「…ねえ、何やってんの」
声をかけられ、一斉に振り向く2人。
「あっ!アンタは向かいのガキ!」
キィリアが険しい表情をさらに険しくして噛み付いてくる。
が。
キィリアよりもっと激烈な反応を返した者がいた。
「うぉ……」
かくかく。
かたかたかた。
膝と肘をそんな音がするほどに揺らし、震える指先をジルに向ける、店長。

「うぉ、うぉま、うぉまええええぇぇ!!」

「……?」
ジルは眉を顰めてそちらを見……
「……!……去年の……変態科学者…!」
その顔を記憶の底から掘り起こして、驚愕する。
ドラセナの店長、奇妙なマッドサイエンティストは…紛れもなく、去年、自作のゴーレムをジルにけしかけた男だった。
マッドサイエンティスト(以下面倒なのでマッド)は、びしぃ!とジルに指を突きつけると、どなりつけた。
「うぉま、うぉまえのせいでえぇ、うぉれ、うぉれの金ぇ、無くなったあぁぁ!!」
「お前にゴーレムを倒されたせいで、スポンサーに援助を打ち切られて研究資金が尽きたんやでー」
マッドのセリフを淡々と訳すキィリア。
ジルは眉を顰めた。
「……知らないよ。けしかけたのはそっちだし……」
「うぉれ、びびび貧乏ぉ!研究ぅ、研究ぅ、でけんきゅううぅぅ!!」
「資金も尽き、研究も日の目を見ない、どん底の日々やった……」
キィリアがやはり淡々と超訳をする。
「しかぁぁああし!うぉれ、ついにぃぃ、ついに完成させたあぁぁ!」
「しかし!俺はついに新たな研究を完成させたのだ!」
「うぉれぇぇ、これで、うぉまえぇぇ、ぶっつぶうううううぅぅぅす!!」
「この新しい研究作品で、お前の息の根を止めてやる!」
「………キィリア、よく判るね」
「人間、何事も努力が肝心やで」
淡々とそんな会話を交わすジルとキィリアの横で。

「いでよおぉぉぉ、うぉれのさぁいこうけっさくぅ、クーゲルシュライバー!!」

ぼご。
マッドが両手を振り上げると、彼の足元の地面が急に盛り上がった。
「なっ……」
「なんやて…?!」
おぼつかなくなった足元に、膝をつくジルとキィリア。
ぼご、ぼご、ご、ごが、ごがががが!
地面は次々と盛り上がり、3メートルほどの小山を作ると、いっきにぱーんとはじけた。
きゃああああっ!
辺りにいた人たちの悲鳴がこだまする。
「これは……!!」
小山の中から現れたのは、大きなモグラのような、奇妙な生き物だった。
鋭い爪に、大きな牙。モグラにはないものまで兼ね備えていたが、やはり目は退化しているらしく、厚い毛皮に覆われてうかがい知ることは出来ない。
「今度は、キマイラ…?」
「な、ななな、なんやっちゅうねん、こないなもん呼び出してからに……!」
明らかに腰が引けているキィリア。
マッドは高らかに笑い出した。
「はーーっはっはっはっはぁ!いけぇ、クーゲルシュライバー!にっくき小娘をぉ、ふみつぶしぎゅ」
「…ぎゅ?」
キマイラ(おそらく名前はクーゲルシュライバー)の足元にいたマッドは、さっそくキマイラに踏み潰される。
「……制御は利いてないみたいだね」
「よ、余計に始末に悪いやんか!どないすんねんコレ!」
動揺するキィリアの横で。
ジルはウェイトレス服の下に装備しているナイフに、服の上から触れた。
「どうにか……するしかないね……!」

どがん、がしゃーん。
キマイラは本当に目が見えていないらしく、ひたすら辺りのものをなぎ倒してはばりばりと踏み潰していた。
マトリカリアにいた客も、ドラセナにいた客も、悲鳴をあげて逃げ惑う。
「いやいや……どうしてこういうわけになるんだ?」
「そんなこと言ってる場合じゃないよ!どうにかしなきゃ!」
のんびりと言うショウに、慌てて構えを取るリィナ。
と。
「すとーっぷ」
ショウはリィナのグローブに手を置いて、それを止めた。
「ええっ、どうしたのお兄ちゃん?」
「俺らのお仕事は、こっち」
と、逃げ惑う人々の方を指し示す。
「とりあえず、鎮圧しても被害で出ればおじゃんだ、俺らが食い止めるぞ」
「……うん!わかったよ!」
リィナは頷いて、逃げ惑う人々を安全な場所へと誘導することにした。
「落ち着いて、慌てないで!あっちです、あっち!中央公園に逃げてくださーい!」
完全にパニックに陥っている人々を、キマイラに近づけないようにしつつ、安全な場所へ誘導していく。
と。
「うあーん、ママー!いたいよ、痛いよー!!」
瓦礫のそばで泣いている子供に、リィナは慌てて駆け寄った。
「きみ、大丈夫?!」
怪我をしている様子の子供に、肩を貸して助け起こして。
「リィナにしっかりつかまっててね!」
そのまま子供を背負うと、安全な場所へと駆け出した。
と。
ごしゃ!
キマイラが吹き飛ばした瓦礫の一部が、リィナに向かって飛んでくる。
「うわっ?!」
子供を背負っていたリィナは、とっさにそれを避けることができなかった。
どうにかして身体をひねり、とにかく子供を守るようにかばう。
と。
「リィナっ!」
ごが。
瓦礫が直撃する寸前にショウの声がして、瞬間、瓦礫が粉砕される。
「大丈夫か、リィナ!」
いつの間にか大剣を携えていたショウが、油断なくキマイラに向き合ったままリィナに声をかける。
「あっ、た、助かった……」
恐怖から開放され、あやうく腰を抜かしかけるリィナ。
すると。
「へばるな!リィナ!まだ避難は終わってないだろう!」
ショウから檄が飛び、リィナの表情が引き締まる。
「う、うんっ!お兄ちゃんも頑張ってね!」
リィナはすっくと立ち上がると、そのまま子供を背負って中央公園へと駆けていった。

「なんて真似しやがるんだい、このバカヤローっ!!お客さんは神様なんだよ?そんなウドの大木を引っ張り出しやがって……おいコラ!ちったぁヒトの話を聞けぇ~~!!!」
厨房から出てきたケイトは、キマイラが辺りを荒らしまくっている惨状を目の当たりにして、真っ赤な顔をさらに真っ赤にして怒鳴りつけた。
と、その音を聞きつけてかは判らないが、むくり、とキマイラがケイトの方を向く。
「……あ、こっち見た」
どしん。
どし、ごす。
そのまま、キマイラはまっすぐにケイトの方へと歩みを進めた。
「……え?え?こっちに来るんじゃない!……うぎゃ~!?」
慌てて逃げようとするケイト。
すると、そこに。
「出でよ、糾鎖(あざない)!」
がきん。
凛とした声と共にどこからか鎖が飛んできて、キマイラの爪を絡め取る。
「?!……」
驚いてそちらを見ると、暮葉が鎖のもう一方を握り締め、キマイラの動きを封じているところだった。
「あんたは…?!」
ケイトと暮葉に面識はない。制服から向かいの喫茶店の従業員であることはわかるが。
しかし、それは暮葉も同じようで。
「おいたしてる暇があったら、さっさと逃げなさいな?」
面倒げに言って、ぐいと鎖を引っ張る。
「あ…、ありがとう!」
ケイトは立ち上がって体勢を立て直すと、その場から離脱した。
「さて……どうしてくれようかしらね、このちっとも可愛らしくないでくの坊を?」
暮葉は絡めた鎖でキマイラの動きを封じたまま、向かいに立つジルにそう問いかける。
「…とにかく…攻めてみるしかない、ね」
ジルはひゅっと息を吸うと、服の下のナイフに触れた。
「……爪撃、閃」
しゅしゅしゅっ。
ジルの声と共に、キマイラの周りにかまいたちのようなものが現れ、その毛皮を切り裂いていく。
ぐおおおお。
キマイラは鈍い声を上げて暴れ、さすがに暮葉も鎖を解いてそれを戻した。
「あらあら…効いていないようよ?」
「…そう、だね…あの毛皮……結構丈夫みたいだ……」
暮葉の言葉に、淡々とそう呟くジル。
「ジルさんっ!」
そこにフィルニィも駆けつける。
「大丈夫ですか?!」
「…何とか、ね……けど、生半な攻撃じゃ、効かないみたいだ…」
僅かに眉を寄せて、再びキマイラの方を見るジル。
「うーっ……じゃあ、私が魔法で…!」
フィルニィはそう言うと、両手を構えて印を結んだ。
「大気よ。我が元に集いて、立ち塞がるものを吹き飛ばせ!エア・ウェイブ!!」
ぼうっ。
フィルニィの呪文と共に、勢いよくキマイラが燃え上がる。
またしても、呪文とは裏腹の効果が出たわけだが。
「あああああ、どうしよう…また失敗しちゃいました…!」
「…いや…そうでもないで!」
「えっ」
思わぬところからかけられた声にそちらを見やると、そこにはキィリアがいた。
「キィリアさん!まだ逃げてなかったんですか!」
「ええやろどうでも!それより、見てみい!」
キィリアは厳しい表情で、キマイラを指差した。
ぐおおおお、うぐおぉぉぉぉ!!
キマイラは苦しげに身をよじり、その身体を覆う火を一心にに消していた。
「アイツ、火が弱点や!頑丈なんは毛皮のせいやろ?!その毛皮を燃してしまえば、普通の攻撃も効くんやないか?!」
「火と聞いてケイトが飛んで参りましたあぁぁぁ!!」
ばびゅん。
何故か寸胴を抱えたケイトが、喜色満面で飛んでくる。
「ケイトさん?!なにやってるんですか!」
やってきたことより、寸胴を抱えていたことにむしろ驚いた様子のフィルニィ。
「いやね、これで陽動でもしてやろうかと思ったんだけどさ!
でも、火が弱点だってんなら話は別さ!
炎の料理人の腕前、見せてやるよ!」
がん。
ケイトはその場に寸胴を置くと、かっ、とキマイラに向かって両手をかざした。
「ファイヤー!!」
ごう。
ケイトの呪文と共に、キマイラの毛皮が勢いよく燃え上がる。
ぐぎゃああああ!!
キマイラはものすごい悲鳴をあげて、じたばたと暴れまわった。
「煩いわよ。ちょっと……おとなしくなさいな!」
じゃららら。
暮葉が言って鎖を飛ばし、長い鎖はあっという間にキマイラの身体をがんじがらめにする。
「今だよ、ジルさん!」
ケイトが言い、ジルはこくりと頷いて、腰のナイフに触れた。

「…斧舞、砕……!」

がご。
目に見えない大きな刃が、鎖でがんじがらめにされたキマイラの身体に振り下ろされる。
ぐぎょえぇぇおぉぉぉぉぉ………
キマイラの悲鳴が、徐々に弱くなって。

そして、完全に沈黙した。

→マティーノの刻・宿場街へ

大通り -マティーノの刻-

キマイラは倒され、マッドも自警団に連れていかれ。
死人さえ出なかったものの、マトリカリアとドラセナおよびその周囲一帯は、誰がどう見ても大惨事だった。
昼間まで客が座っていたテーブルも椅子も残らずなぎ倒され踏み潰され、料理などは言わずもがなである。営業どころの話ではない。片づけにもどれだけかかるか、考えるだけで途方にくれそうだった。
「…見事にメチャクチャになっちゃったね…」
「そうですね…」
景色を見回してたんたんと言うジルに、フィルニィが苦笑して頷く。
すると。
「すまんなぁ…ウチらが暴れたせいで商売できんようになってしもて…」
キリィアの声がして、2人は振り向いた。
すると、キィリアが申し訳なさそうに、フィルニィの母に謝っているところだった。
意外な光景に言葉を失う2人。
しかし、フィルニィの母はいつもの調子でぱたぱたと手を振った。
「いえいえ~、むしろ感謝したいくらいだわ。あなたたちのおかげで久々に刺激的な一日が過ごせたんですもの。あなたは凄腕の商売人さんね」
「そっか、ありがとうな?」
照れたように微笑むキィリア。
「……お母さん、懐広いね…」
「ははは…それだけが取り得ですよ…」
ぽつりともらすジルに、再び苦笑するフィルニィ。
と、まだもじもじと何かを言いたそうにしているキィリアに、母が首をかしげた。
「…その…」
「何かしら?」
キィリアは逡巡して…それから、にっと母に向かって笑いかけた。
「……あんたらもええ仕事しとったで!」
「良かった~、何か変なことをしちゃったかと思ったわ。ありがとうね」
非常に和やかなムード。朝の雰囲気からは想像もつかない。
だが。
キィリアはばっとジルの方を向くと、びし、とジルを指差した。
「せやけどな…ガキ!お前のことは認めへんからな!!」
「……ガキじゃない。ジル」
やはり淡々と返すジル。
「どっちも同じくらいの年だと思うんですけど…」
フィルニィが苦笑してそんなことを呟いて。
「あらあら~二人とも仲がいいのね」
のんびりとそんなことを言う母に、キィリアは真っ赤になった。
「あ、アホ!そんなんちゃうわ!!」
「………」
慌てて首を振るキィリアを、無表情で見つめるジル。
と。
「ほ~ら、みんな炊き出しだよ!」
先ほどの寸胴を暖めなおしたケイトが、それを持ってやってきた。
「魔法王国マヒンダの偉大なる天才宮廷料理長プサイ師匠に教わった直伝の鶏スープさ。ほら、みんな食べてみな!」
言いながら、割れずに残ったマグカップに次々と注ぎ、振舞っていく。
「ピリリとスパイスが効いたシェリダン流だからポカポカと体が暖まってくるだろ♪けっこうアレンジも加えた自信作なんだけどね……どうだい味は?」
「お、美味いな」
スープを一口すすったキィリアが、素朴な感想を述べる。
「おっ、嬉しいねえ。シェリダンの人にそう言ってもらえると」
「ケイト、言うたな。料理上手いなあ。ウチのシェフにも負けとらんで」
「ははは、ありがとさん」
ケイトはそう言って、新しいカップに注いだスープを、今度は暮葉に差し出す。
「はいよ、あんたにも」
「えっ……わたしにも、ですか」
すっかり元に戻った様子の暮葉は、きょとんとして言った。
豪快な笑みを見せて頷くケイト。
「ああ、もちろんさ。さっきはありがとね、おかげで助かったよ」
「い、いえ……じゃあ、ええと、いただきます」
暮葉は遠慮がちにマグカップを受け取った。
「ジルさんのお友達なのかい?今朝もちょっと話してたけど…」
「あ、はい…何度か一緒に、依頼を……」
「そうかい。あたしはカトリーヌ・ウォン・カプラン、通称はケイト姐さん。根無し草の料理人ってヤツでね、今はマトリカリアの厨房でバイト中なわけさ……ま、よろしく頼むよ♪」
「菊咲暮葉と申します。よろしくお願いいたします」
「おや、ナノクニの人かい?あたしゃこないだまでナノクニにいたんだよ」
「そうなんですか」
そんな会話を交わしつつ、ケイトはもう一つのマグカップにスープを注ぎ、それをそのまま……少し離れて立っていたセレに差し出した。
「ほらよ、セレさん。飲みな」
セレはしばらく黙ってケイトの方を見ていたが、やがてカップを受け取ると、それをそのまま口にした。
「どうだいセレさん?……なかなか美味しいだろ?」
豪快に微笑むケイト。
セレは口を離すと、淡々と言った。
「充分な栄養摂取が可能である……」
「充分な栄養って……そ~ゆ~問題じゃないだろ!?美味しいか、美味しく無いかって訊いてるんだからさ~」
眉を顰めて言うケイトに、セレはさらに言った。
「旨み成分であるアミノ酸は多く含有している……」
「いや、あのね……」
「チャカ様は美味しいと仰ると推測が可能……」
「ふぅ……ま、いっか」
ケイトは苦笑して頭を掻いた。
「セレさんなりに肯定してくれた表現と思う事にするよ♪」

かーん……かーん……

そこに、王宮から新年を告げる鐘の音が鳴り響く。
「あ……」
「年が明けた、みたいだね……」
「わぁ…!」
同時に、空からちらちらと舞い降りた粉雪。
「ホワイトニューイヤー、やな」
キィリアが満足げに笑う。
「あけましておめでとうございます」
「……おめでとう」
「おめっとーさん!」
「おめでとうございます」
皆が口々に新年の挨拶をする中。

すく。

「あっ……セレさん!」
無言でその場を離れようとしたセレを、ケイトは慌てて呼び止めた。
「どこに行くんだい?!」
「…チャカ様からの召集命令」
淡々と答えるセレ。
「そうかい。じゃあちょっと待ちな」
ケイトは寸胴の横に置いてあった包みを手に取り、セレに渡す。
「さっき、ついでに作ってきたのさ。特製サンドイッチだよ、5人分。
あまり食材が残ってなくてさ。これくらいしか用意できなかったけど……ま、手ぶらで帰らせるのも野暮だからね♪」
セレは無表情のままケイトを見上げた。
「ああ、それと、チャカさんにはナノクニ名産の米酒をね。お土産に持ってっとくれ。酒好きならきっと喜ぶはずさ」
チャカの名前を出されたからか、ケイトが差し出したものを素直に受け取るセレ。
そして、そのまま無言で踵を返すと、足音も立てずにその場を去った。

ケイトはいつまでも、その後姿を見送っていた……。

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