中央公園 -ライラの刻-

「ちょっと、早く来すぎちゃったかな」
前日に設営の終わっていた占いテントに、パフィとフカヤは連れ立ってやってきていた。
ルヒティンの刻までにはまだ半刻ほど早い。テントの設営が終わっている以上、他の準備は大して無いようなものだが…早く目覚めてしまったので、どうせならと来てしまうことにしたのだ。
早朝も早朝、日の短い冬には太陽さえまだ顔を出していないような時間。
さすがに新年祭とはいえ、中央公園も閑散としたものだった。
「人、ぜーんぜんいないのねー。昼間はあんなにひとでいっぱいになるのに、嘘みたいなのー」
パフィもそれが珍しいのか、少し楽しそうにあたりを見回している。
やがて、中央公園の一番奥、大勢の客が列を作っても問題の無い広い場所に立てられた、パフィの青い占いテントが見えた。
「ちょっと早すぎるし、二人で温かい飲み物でも飲もうか」
「じゃあ、パフィが作るのー」
そんな、ほのぼのとした会話を交わしていた2人だったが。
「……あれ、誰かいない?」
フカヤが言い、パフィも彼の見ている方向に目をやった。
すると、まだ遠めにしか見えない青いテントの傍らに、誰かがいるのが見える。
「…ホントなのー。こんなに朝早くから並ぶなんて、すごいのねー」
感心したように、パフィ。
確かに、昨年彼女の占いテントは大好評で、半刻待ちは当たり前、ひどい時には1刻待たなければ見てもらえないこともあったほどだった。
しかし、ここまで早くに並ぶ必要はないだろう。現に、一人しかいないのだし。
「こんなに早く並ぶほど、どうしてもパフィに見てもらいたかったのかな…」
「むー……そこまで思ってもらえるのは嬉しいのー、けど、なんかヘンなのー…」
眉を顰めるパフィ。
言いながら、2人の歩みは進んでいく。
「あれ……あの人、もしかしてマジュールじゃないかな?」
「えっ?」
フカヤの言葉に、パフィも驚いて足を速める。
2人の姿を確認して、マジュールもその場で深々とお辞儀をした。

「…おはようございますっ!お久しぶりですっ!」
ようやくきちんと話が出来る距離まで近づいたところで、マジュールは改めて礼をした。
「お久しぶりなのー」
「元気そうで良かった。どうしたの、こんな朝早くに」
笑顔でフカヤが問うと、マジュールはまた元気一杯に返事をした。
「今日はパフィさんの占いを楽しみにっ…いや、すがる思いで来ましたっ!
よろしくお願いしますっ!」
「え、え?え~?」
体育会系丸出しのノリに、戸惑うパフィ。
「パフィの占い、しに来たのー?
よくわからないけどー、ちょっと落ち着いてー?
まだお店始まってないけどー、マジュールはお友達だからー、今から占うのー」
「ほ、本当ですか!」
全く落ち着く様子の無いマジュール。
パフィとフカヤは苦笑して、とりあえず彼をテントに招き入れた。

「ある人を探しているのです」
テントに入り、占い机の前の椅子に座ってひとまず落ち着いたマジュールは、ゆっくりと話し出した。
「今日中に見つけなければならないのですが、手がかりが少ないので、このままでは駄目かもしれません。
ですから、パフィさん…あなたの占いで、何か手がかりが見つかればと思い、こちらに来ました。
よろしくお願い致します」
言い終え、再び深々と頭を下げる。
「探し人、なのねー」
パフィはこくりと頷いた。
「でも、どうして今日中に?ずいぶん…焦ってるみたいだけど」
横からフカヤが尋ねる。
マジュールの表情が暗くなった。
「実は、その人物を探さないと…、私は実家に連れ戻されてしまうのです…」
「……連れ戻される?」
あまり穏やかでない言葉に、フカヤの眉が寄る。
マジュールは暗い表情のまま、淡々と事情を説明しだした。
「…元々、私が村を出たのは、その人物を探せという一族の長老の命を受けてのことでした。
私が探しているその人物は、我々の一族に伝わる大事な宝、『黒炎玉』を盗んで逃げてしまったのです」
「っ………」
パフィの表情が硬くなる。
マジュールは苦笑した。
「少し…似ていますね。パフィさんの村と」
マジュールが以前関わったパフィの事件は、パフィが一族の秘宝を奪い村を滅ぼしたと虚言を弄したパフィの従姉妹が起こしたものだった。
「実を言うと、私は『黒炎玉』にどういういわれがあるのか、よく知らないのです。私だけではなく、村の者たちも…おそらくは長老もご存知ないと思います。
一説には、神あるいは異世界種族からもたらされたという話も聞く品なのですが…長い間伝えていくうちに、いわれが判らなくなってしまったのでしょう」
言って、マジュールは説明するように両手で丸い球の形を作ってみせた。
「黒炎玉は、文字通り黒い玉で…その中にちろちろと、炎のようなゆらめきがみえることから、そう名づけられたそうです。
私が知っているのは、その宝には強力なエネルギーが封入されており、それを悪用されると大変なことになるかも…という話だけです」
パフィは硬い表情のまま、黙ってマジュールの話を聞いている。
マジュールは苦しげな表情で、続けた。
「既に私が旅に出て何年も経っていますが、芳しい成果は得られなかったので、温厚な長老も遂に私に愛想をつかしたようです。
だから、今年中に何か大きな手がかりを…、その人物の足取りを掴むくらいの進展がないと、次の者にその使命を与えるぞ、という手紙が、先月届いてしまったのです…」
悲しそうに俯いて。
マジュールは切々と、心情を吐きだした。
「私には夢があるのです。
料理人として、愛する人とともに店をやりたいという夢が…!
私は料理人の修行として、世界を旅しながら、各地の美味しいものを食べ歩いてきました。
それは、来るべきその時に向けて、自らの味覚と知識を深める修行として。そして、師事すべき料理人を探す為でもあります」
「そうだったんだ……」
マジュールをそれほど深く知らないフカヤは、体格のいいマジュールと料理人という組み合わせが意外だったのか、感心したように相槌を打つ。
マジュールは頷いて、続けた。
「また、このヴィーダに来て、私は…愛する女性と出会いました。以前占ってくださった彼女のことです」
「ああ、憶えてるのー」
以前…それこそ、パフィと関わった事件の折に、マジュールはカモフラージュのために自分のことを占ってもらった。その時に相談したのが、愛しい恋人となかなか会えないことだったのだ。
マジュールは覚えていたパフィに一瞬嬉しそうな笑みを向け、しかしまた再び暗い表情になってしまった。
「実家…ここより北東にある、白虎獣人のみの小さな村なのですが、そこに戻った後は、村にいる一族の為に働け…と、一族の長老にいわれています。
しかも、その働きというのは料理人としてではなく…そもそも田舎過ぎて料理店など成り立たないのですから…。
戦士として…村の防人として生きろ、と命令されることでしょう。
それは、かつて傭兵であった私の父親の望みでもありますので」
苦々しそうに言うマジュール。
どうやら、彼は父親のことをあまりよく思っていないようで。
「そうすれば、私の料理人としての修行もできなくなるうえ、愛する彼女とも離れ離れとなってしまいます。
それだけは…それだけは、嫌なのです…!」
泣き出さんばかりの勢いで、マジュールはくしゃりと髪を掻きあげた。
「…その人を探しているのは、マジュールだけなの?」
フカヤが問うと、マジュールは沈んだ表情のまま頷いた。
「ええ、今のところは…。
我々白虎の一族は掟で、村の外に出て暮すことは許されておりません。
あ…近くの町に行って帰ってくるくらいはいいのですが」
「そうなんだ。厳しいところなんだね」
「はい。私は特別に許可を貰って、こちらに来ております。
それもあって、つい…、すぐに誰かに役目を取って代わられるわけがないからと、のんきに構えてしまいました。
大体、これだけ各地を渡り歩いていたら、何か一つくらい情報が飛び込んでくるだろうと思っていたのですけれども…」
「手がかりは、全然見つからなかったの?」
「はい。旅に出てからずいぶん経ちますが…それらしき情報からその地に赴いてみてもやはり消息はつかめないというような事ばかりで…。まあ、私が気楽に構えていたのもあるとは思うのですが」
「それは、困ったね…」
自分のことのように渋い表情をして腕組みをするフカヤ。
マジュールは続けた。
「最後通牒とも言える手紙を受け取ってから1ヶ月…各地の学友や冒険者仲間達にも協力して貰い、手を尽くして探していたのですが、やはり成果は芳しくありませんでした。
しかし、昨日の話です」
顔を上げて、身を乗り出す。
「一瞬ですが、それらしい人物をヴィーダ市内でみかけたのです」
「ヴィーダで?」
「はい。奇抜な…道化…そう、まさに道化師のような服装でしたし、髪も金髪だったのですが、その髪から突き出た耳は確かに私と同族のものでした。
また、ちらりとみえた横顔にも、その人物の面影がありました」
「マジュールは、その人のこと、知ってるのー?」
パフィが首を傾げて問い、マジュールは慌ててそちらを向いた。
「あ、は、はい。お話していませんでしたね。
もとより小さな村で、村人全員が顔見知りといってもおかしくないものですから…もちろん、私も彼のことは知っています」
姿勢を正して、パフィに向き直る。
「名前はジュナム=ウールノー。男性です。年齢は…確か29歳くらいのはずです。
少しおとなしい雰囲気の方でしたが、子供の頃の私にとっては、近所の優しいお兄さんでして…。
よく一緒に工作などして遊んでいただきました」
昔を思い出したのか、懐かしそうな、それでいて切なそうな表情になって。
「手先がとても器用で…、紙や木の枝があっという間に立派なアイテムに化けてしまう。
不器用な私には憧れの存在でしたよ…」
「そーなのー……」
対するパフィの表情も切なげだ。彼女も同じような事情で、自らの従姉妹と敵対しなければならなくなったことがあったのだから。
マジュールは感傷を振り払うように、表情を引き締めた。
「…とにかく。彼はまだこのヴィーダにいるはずです。
ただ、逃走しているはずなのに、何故道化などという目立つ恰好で歩いていたのか、皆目見当がつかないのですが…」
「道化…ピエロ、なのねー。うーん……」
パフィは難しい顔で唸って、それからマジュールに向き直った。
「わかったのー。占ってみるのねー」
「あ、ありがとうございます!」
立ち上がって礼をするマジュール。
パフィは笑顔を返してから、テーブルの上にあるタロットカードを手に取った。
そしてそれをテーブルの中央に置くと、目を閉じて手のひらを上にかざす。
ふわ。
パフィの力に応えて、タロットカードが宙に浮いた。
カードはゆっくりと無軌道に空を舞い、それから自ら位置を決めたかのようにふわりとテーブルに着地する。残りのカードはひとりでにまとまってテーブルの脇に着地した。
「相変わらず、さすがですね…」
「しっ」
感嘆の声を上げるマジュールを、フカヤが小さく制する。
パフィはテーブルに並んだカードを、奥の方から順番にめくっていった。
「MINU=TIMISS」時間神のカード。正位置。「MUHLA」月の女神のカード。逆位置。「LUHITESS」太陽神のカード。逆位置。
パフィは占いをしている時にしては珍しく、きつく眉を顰めた。
「……2つの力がせめぎあっている。欲望と節制、破壊と慈愛、対抗と逃走。常にお互いを凌駕しあおうとしている力は全く制御が利かない。道化の姿はそれらを内包する為の衣」
「……どういうことでしょうか……」
パフィの言葉の意味を図りかね、マジュールがポツリともらす。
パフィはそのまま、残りのカードをめくりながら占いの結果を話していった。
「…一つの方向から見たのでは、彼を理解できない。彼と同じ姿、同じ心になれば、おのずと道は見えてくる」
「同じ姿…」
最期のカードをめくり終え、パフィはふぅと息をついた。
「その人と同じ気持ちになって考えればいいのねー。
マジュールは、きっとその人を理解できるはずなのー」
「同じ気持ちに、ですか……」
むう、と唸るマジュール。
「マジュールが理解しようとすれば、二人の行く道は必ず交わるのねー。
焦っちゃダメなのー」
「わ…わかりました!」
マジュールは半ば叫ぶように言って、立ち上がった。
「ありがとうございます!道化の気持ちになって考えてみます!
ありがたい助言、感謝致します…!」
そして、パフィの手を取り、ぶんぶんと大仰に握手をする。
「では、私は早速行ってまいります!
お2人も、今日は一日頑張ってください!」
「あ、ありがとなのー……」
「うまくいくといいね。がんばって」
「はいっ!ありがとうございました!」
2人が戸惑いつつも返事を返すと、マジュールは再び深々とお辞儀をして、それから慌しくテントを出て行った。

中央公園 -ルヒティンの刻-

さすがに冬本番といった寒さではあったが、空はからりと晴れ上がり、絶好の新年祭日和と言えた。
太陽もしっかりとその姿を現し、大通りに建ち並ぶ店も次々と開店していく。
それに引き寄せられるようにして、通りにもだんだんと人が増えていった。

ここ中央公園では、バザーが催されるという。きちんとしたブースを借り切ってそれなりの設営をする大手商店から、個人用の1メートル四方ほどのブースを安価で借りて、要らなくなったものや手作りのものを並べて売る者まで、公園はにわかにその準備に沸き立っていた。
まだバザー開始の時間ではないが、準備をする者達が慌しく行き交い、店で買い物は出来ないまでもどんな様子かと見に来た一般客ですでにごった返している。
ヴィアロはそんな人ごみの中を、いつもの影の薄さをフル活用してゆっくりとしたテンポで歩いていた。
「……楽しそう、だね……」
祭りの雰囲気だけでも味わってみようと外に出たヴィアロだったが、楽しい祭りの雰囲気とは裏腹に寂しい気分になる自分に気づく。
忙しそうにあたりを駆け回る出店者たち。
自分のブースで協力して準備をしている者たち。
祭りの雰囲気の中、楽しそうに連れ立って歩いている家族連れ。
冷たい木枯らしを身を寄せ合って凌いでいる恋人たち。
「………」
一人でいるのは嫌いではなかったし、一人で過ごすことの楽しみ方も知っている。
だが、失った自分の記憶の中に、あんなふうに大切そうな仲間が、家族が、恋人がいたのかもしれないと思うと、無性に寂しい気分になった。
ここのところずっと感じていた、世界から自分だけ取り残されたような感覚。
記憶を取り戻せば…この空虚な気持ちは埋まるというのだろうか。
記憶を…失った大切な思い出を、大切な家族を取り戻すことが出来れば。
と、ヴィアロがそんな思いに沈んでいた時のことだった。

「お兄様!」

どん。
突如、少女の声と共に胴に衝撃が走る。
驚いて見やれば、自分の胴に誰かが抱きついていた。
「………え?」
耳慣れない単語と、慣れない経験に、それしか声が出てこない。
抱きついてきた誰かは、ヴィアロの胴に腕を回したまま、ぱっと彼を見上げた。
年のころは16、7といったところだろうか。
肩で切りそろえた黒髪に、意志の強そうな淡い空色の瞳。
冬の装いの服は、どう贔屓目に見ても彼の纏っている服の軽く10倍はかかるだろう、仕立てのよさそうなものだった。
少女は強い光を宿した瞳でヴィアロを見据え、先ほどの言葉を繰り返した。
「お兄様、やっと見つけましたわ!」
「え……?」
やはりそれしか声が出ないヴィアロ。
少女はもう一度、噛んで含めるようにヴィアロに言った。
「あなたは、私の、お兄様です」
「ちょ……ちょっと待って?俺、え?知らないよ?誰?」
脳がやっと少女の言葉を受け入れたのか、「え」以外の単語が出てきたヴィアロ。
「お兄様、アリスです。お忘れになったのですか?」
アリスと名乗った少女は、ヴィアロの腕を掴んで詰るように訴えた。
ヴィアロは困惑の表情で、その手をやんわりと抑える。
「いや……だって、そんないきなり……とにかく、落ち着いて?」
ヴィアロは戸惑った様子で…しかし、アリスの方を見て、言った。
「…君が本当に俺の妹かどうか……悪いけど、俺にはわからないんだ…」
「……え?」
きょとんとするアリス。
ヴィアロは続けた。
「…俺、8歳ぐらい、かな。名盗りって魔物に名前を奪われて……」
「名盗り……?」
「…うん。名前と一緒に…名前に含まれるすべてのもの…記憶を、奪っていってしまう魔物……らしい」
「では、お兄様の記憶は……」
「……うん。それより前の記憶が、無いんだ……
――だから、君のことも分からないし……思い出せない……」
「……」
アリスは一瞬悲しそうに眉を歪め…しかし、すぐに強いまなざしを取り戻した。
「…そのお話で確信しました。
貴方は私の兄、ミランディア・ハロ・ルクセンブラッテです。
……8歳の頃に…行方不明になっていたのです」
「…ミラン…ディア……」
「はい。ミラ、と呼ばれていましたわ」
「ミラ……」
呆然と呟くヴィアロに、アリスはにこりと微笑んだ。
「私、いつも肌身はなさずこのロケットに……」
言って、首にかけているペンダントを取り……そこで、はっと何かに気づいたように手を止めた。
首を傾げるヴィアロ。
「……ロケットに?」
「い、いえ、何でもありませんわ」
慌ててロケットから手を離し、誤魔化すようにヴィアロの腕を取るアリス。
「それよりも、一緒にいれば何か思い出すかもしれませんわ。参りましょう、お兄様」
「えっ……」
ヴィアロの返事も聞かず、アリスは彼の手を引いて歩き出した。

「私の名前はアリィシア・ロウィーン・ルクセンブラッテ。貴方の妹で、オルミナの商家、ルクセンブラッテ家の娘です」
「オルミナ……」
アリスの話に、ヴィアロはぽつりと繰り返した。
「ええ。古くから続く由緒正しい貴族や王室公認の商家も多いオルミナでは比較的歴史の浅い商家なのですが、ここフェアルーフにも拠点を持つ、それなりに名の知れた商家です」
「へえ……それで、君も、ここに…?」
「えっ……え、ええ、まあ…」
あいまいに言葉を濁して目を逸らすアリス。
ヴィアロはその様子に首を捻りながらも、さらに問いを続けた。
「俺……いや、行方不明になる前の、君の兄…って…どんな人だった…?」
「お兄様…そんな、他人事のように仰らないで?」
「…ごめん…なんだか、実感が湧かなくて……聞かせて?君の兄…俺が、どんな人だったのか…」
「…そうですね…お兄様は…はそれはそれは素晴らしい方でしたの」
アリスはどこか夢見るような表情で、兄のことを語り始めた。
「先ほども申し上げましたように、ルクセンブラッテは他の商家に比べると歴史が浅くて…成り上がりと謗る方たちもいらっしゃいました。私も、他の方たちにそう罵られ、虐められたことがありましたの。
……けれど、私がいじめっ子にとりかこまれてしまっても、お兄様はまるでおとぎ話のナイトのように駆けつけてくださって!」
「へえ……」
はしゃぐように語るアリスの表情は、兄を本当に慕っていたことがうかがえる。
「でも、いじめっ子を力でやっつけるなんて野蛮な事はしませんでしたわ。
『君達は僕の妹が気に入らないみたいだけど、それは何故?物事には必ず原因がある。もしかしたらアリスに何か非があって、君達はそれに腹を立てているのかもしれない。それだったら、アリスにも直すところはあるはずだ。それは兄の僕から言って聞かせよう。けれど、言葉で伝える前に暴力に訴える君達に何の咎もないとは言い切れない。僕は男だからとか女だから、と言うラベル貼りは好きじゃない。けれど、それは精神的な問題で、本人にもどうしようもない身体的な差と言うものは必ずある。そこに物を言わせて女の子を取り囲んでいじめる、と言うのは……残念だけど、アリスの兄、と言う僕の立場を差し引いても君達は卑怯者にしか見えない。けれど、そんな卑怯な手段を取らざるを得ないほどアリスが失礼をしたのかもしれないね。さあ、話してくれないかい?』
って!流麗かつ論理的にあいつらを追っ払ってくださったわ!」
「そ、そう……」
そんな長文をいじめっ子に対して冷静に説くことにも、とても自分とは思えないほど驚くが、それを一言一句違えずに憶えているアリスも大したものだと思う。
アリスははっと気づいたように、ヴィアロのほうを向いた。
「あっ、もちろん言葉の上で私を貶めた事もきちんと謝ってださって……。いつも柔和で優しいけれど、まるで霊のように賢い方でしたわ」
「れ、霊のように……?」
どういう誉め言葉だろう。
アリスはヴィアロの反応は気にならないのか、さらに続けた。
「こんな事もありましたわ……新しい事業を始めよう、と言う話が持ち上がって……けれど誰もいい案を出せずにいた時のことです。
お兄様が『以前から温めていた案があるから聞いてくれ』と……。何でも、当時オルミナの湾岸の漁師達はとても貧しかったのですって。良質な魚や真珠は獲れるのに、需要が分からずにうさんくさいインチキ業者にカモにされて安く買い叩かれていたとか……お兄様はそれに大変心を痛めていらして……。
そこで、お兄様がお考えになったのが…湾岸に漁業ギルドを設立、漁師さんたちを総括して需要を安定させ、しっかりした供給先を提供することでしたの。
同時に、技術を互いに提供しあい、運搬や加工方法、果ては調理の仕方までを確立させてオルミナ全体に魚介類の需要を発生させたのですわ!
もちろん、漁師さんたちとの話し合いや諸々の手続きはお兄様に任されて……それをすべてそつなくこなしたお兄様は、ルクセンブラッテ商会の名をまた一つ轟かせましたの……」
「へえ、すごいんだね……って…あれ?」
自分の武勇伝のように語るアリスに、ヴィアロは首を捻った。
「俺……8歳の時に行方不明になったんだよね…?
8歳で…そんなに凄かったの…?」
「ふぇっ!?」
ヴィアロの言葉に素っ頓狂な声を上げるアリス。
慌てて、かなり不自然な動作でかくかくと首を縦に振る。
「えっえぇそうです!お兄様は神童と呼ばれるぐらい才能に溢れた素晴らしい方だったのです!それはもう怖いぐらいに!ええそう!そうなの!うふ、うふふふふふ……」
「…そう……なんだ……?」
あからさまに様子のおかしいアリスに首を捻りながら、それでも頷くヴィアロ。
何だかんだ言いつつも、彼もまんざらでもないようだった。
「まあ、ヴィアロさまではございませんの?」
「のー?」
と、突如声をかけられて、ヴィアロはそちらを振り向いた。
声をかけたのは、赤紫色の髪と同色のおそろいの服を着た、見るからに双子といった様子の2人の少女。
ヴィアロは僅かに目を見開いた。
「あれ……エータ、シータ……久しぶり…」
「お久しぶりですわ―」
「ですわー」
エータ、シータと呼ばれた双子は上機嫌でヴィアロに駆け寄ってきた。
「…どうしたの…?こんな、ところに……」
「新年祭のセレモニーにお呼ばれしていますの」
「ますのー」
「ああ、なるほど、ね……」
「セレモニーまでにはまだお時間がありますから、街の様子を見させていただいてますのよ」
「のよー」
「……また、内緒で……?」
「うふふ、かくれんぼもなかなか楽しいものですわよ?」
「わよー」
エータの言葉の語尾を、シータが繰り返す。同じしぐさで繰り返されるやり取りは見ている者を和ませた。
「ヴィアロさまこそ、このような所でいかがなさいまして?そちらの女性は、ヴィアロさまの愛しい方でいらっしゃいますの?」
「ますのー?」
「…えっ……」
アリスを示されての言葉に、ヴィアロは驚いてアリスを見…そして、へらっと笑って双子に答えた。
「違う、よ……いや、違わない、かな……
俺の、妹……なんだって……えへへ、可愛い、でしょ?」
「お、お兄様ったら……」
でれでれのヴィアロに紹介されて、あわあわと照れるアリス。
『妹なんだって』という微妙に不自然な紹介は気にならなかったのか、双子は嬉しそうに手を合わせた。
「まあ、妹さまでいらっしゃいましたの!では、今日はヴィアロさまの家族サービスの日なのですわね」
「ですわねー」
「う、うん……そういう、ことに、なる……のかな?」
くすぐったそうな表情で頬を掻くヴィアロ。
と、そこに。
「陛下、このようなところにいらっしゃったのですか!」
慌てたような声と共に、向こうから黒いスーツ姿の青年が走ってくる。
ヴィアロはそちらも見知った様子だった。
一方で、少し不服そうな双子。
「あら、もう見つかってしまいましたわ」
「………」
青年は足早にこちらに駆け寄ってくると、ふうと大きく息をついた。
「陛下、お出かけになるのは構いませんから一言お声をおかけくださいと、あれほど…」
「……久しぶり、イオタ」
双子に小言を言おうとした青年に、ヴィアロはゆったりと声をかけた。
「えっ……あ、これは、ヴィアロさん。お久しぶりです」
青年…イオタは今ようやくヴィアロに気づいた様子で、軽く礼をした。
「…イオタも、一緒に来てたんだ」
「はい、僭越ながらご一緒させて頂いています。ヴィアロさんも、新年祭を?」
「…うん……妹と、一緒に……」
「妹君と?それは楽しそうですね」
にこ、と笑って。
「では、お邪魔にならないうちに私達は退散しますね。
行きましょう、陛下」
「わかりましたわー。ヴィアロ様、ご機嫌よう」
「ようー」
まだ微妙に膨れっ面の双子を連れて、イオタはその場を去った。
その姿が見えなくなるまで見送ってから、アリスは不思議そうにヴィアロを見上げる。
「お兄様、お友達ですか?」
「友達っていうか……依頼で、知り合ったんだ……」
「後からいらしたお連れの方、陛下、って仰いましたけど…あまり女の子らしくないあだ名ですわね」
「あだ名じゃないよ……本当に、陛下なんだ」
「え?」
「エータとシータは…マヒンダの、双子の女王なんだよ」
「へっ?」
きょとんとするアリス。
「またそんなお兄様、ご冗談を……」
「…………」
「……本当ですの?」
「…うん」
「まあ……!」
アリスは再び感激したらしかった。
「さすがはお兄様ですわ!記憶をなくされていても、王族のお知り合いがいらっしゃるなんて!」
「そんな、大したことじゃ…ないよ」
ヴィアロは僅かに笑った。
「…俺には……君がいるっていう事の方が、すごいこと、だから……」
「……えっ?」
ヴィアロの言葉に、アリスはきょとんとした。
「君が言うこと…いろいろ、わかんないことはある、けど――。嬉しい、よ。うん」
ヴィアロはまた照れたように頬を掻いた。
「孤児院にも…弟、とか…妹、みたいな子はいたけど……違うよね、やっぱり……
…あ、孤児院が嫌って訳じゃ、ないよ。
ただ、昔から――家族って、どんなんだろうなあって、思ってたから」
「お兄様……」
アリスは悲しげに眉を寄せた。
ヴィアロは穏やかな表情で、続ける。
「記憶は戻らないけど……嬉しいし、楽しい。これが、家族なんだあ、って――心の底から、そう思う」
暖かな表情で語るヴィアロとは裏腹に。
「………」
アリスは何故か、暗く沈んだ表情で黙り込んだ。

「ササさん、って、変わった名前ですね」
バザー開始の鐘が鳴り、中央公園がさらに活気に湧き出した頃。
オルーカは中央公園を並んで歩くササに、興味深そうにそう言った。
ササは片眉を顰めて、答える。
「名前っつーか、あだ名だな。フルネームはサンチアーガ・サルセード。ドミのやつらがササって呼ぶようになって、それからみんなササって呼ぶようになったんだ」
「へえ、学生さんなんですか」
少し驚いたような表情で、オルーカ。ササは頷いた。
「ああ。薬学のスクールに通ってる」
「アルディアさんとは、そこで?」
「あ……いや、先生って呼んでるけど、別にスクールの教師って訳じゃないんだ。
前さ、仲間と薬作成の依頼を受けた時、ミスって納期に間に合わなかったことがあってさ。困ってたら、風花亭の主人がアルディア先生を紹介してくれて。そしたら内容聞いただけですぐに薬を作って分けてくれたんだぜ。結構難しい調合だったのに…お礼もいらないっていうしさ。なんつーか…カッコいいよな」
「なるほど……」
「あの人、ああ見えて調合の腕はすげえだろ?速いし正確だし、オレらすっかり惚れちまって…あ、調合の技術にだぜ?
以来、たまに先生のとこ行っていろいろ教えてもらってんだ」
「そうだったんですか。やっぱり凄いですね、アルディアさん」
「だろ?」
ササは自分のことのように自慢げだ。
「あんたのことは…オルーカ、でいいのか?なんか、先生に呼び捨てって変なかんじだけど…」
「構いませんよ。なかみはアルディアさんではないのですし」
「そうだけどよ…面と向かってはやっぱ呼びづらいな」
「ふふ、そうですね。じきに慣れますよ」
ほのぼのと会話を交わしながら歩く2人。
「そういえば、なぜ中央公園に?」
「ああ、そうだそうだ。材料の中に、ダッラーラの卵ってのがあっただろ?」
「はい、発音しにくい鳥ですよね」
「あれ、結構珍しいものなんだよな。普段は朝一で買いに行かなきゃなくなっちまうけど、今は新年祭の準備で物流が盛んだから、中央公園に出ればまだ売ってるかもしんねえ、と思ってよ」
「そうなんですか」
「幸い、オレがいつも買い付けに使ってる店が今日バザーに出店してるって…ああ、あったあった」
ササは言いながら、目当ての店を見つけたようだった。
「ちょっとここで待っててくれ。卵、残ってるか聞いてくるから」
「分かりました、お願いします」
オルーカは軽く礼をして、その場で立ち止まった。
ササは軽く手を振って、急いでそのブースへと向かう。その周辺は結構込み入っているようで、わからない自分がついていっても邪魔になるだけだろうと、オルーカは人通りの少ない木の下でしばらく待つことにした。
と。
「…アルディアちゃん?アルディアちゃんじゃないの?」
突如話しかけられ、オルーカは驚いてそちらを見た。
見れば、人のよさそうなおばさんがニコニコしながらこちらへ歩いてくる。
「やっぱりアルディアちゃんじゃないのぉー!こんなとこで会うなんてホント奇遇ねぇ!ああ、この間はありがとね!あのお薬、ほんと助かったわぁ!おかげで主人のアソコもすぐ治っちゃってぇ!うふふ、もうね、ここんとこ最近毎日なのよぉ!もーーすごいわねっ、アルディアちゃんのお薬!また困ったらよろしくお願いするわねっ!ああ、そうそう、あれなんていったかしら?ほら、うちのおじいちゃんが階段から落ちた時に作ってもらった塗り薬…ゲ、ゲ、ゲ」
(ど、どどどどうしましょう……)
適当に微笑んで話を聞いていればそのうち立ち去ってくれるかもしれないと思うのが甘かった。薬の名前など、自分にわかるはずもない。
オルーカは、仕方がないので適当に言ってみることにした。
「ええと、その…げ、元気玉じゃな!?」
さらにアルディアの口調を真似しようとして、かなり最悪なことになっている。
「…そんな名前だったかしら?」
「あううあ……う、うむ!薬学の専門用語でそう呼ばれておってのう…別名オラニチカラヲワケテクレとも…」
「………」
きょとんとした顔で見返してくるおばさん。
汗ダラダラのオルーカ。
と、おばさんはまた満面の笑顔を浮かべた。
「へぇ!そうなの!?やっぱりすごいのねぇ、薬師さんは!難しいこと知ってるわぁー!へぇー!」
(ほっ……)
どうにか胸をなでおろすオルーカ。
ところが。
「あ、ちょっと良子さん良子さん!こっち、この人!すっごい有名な薬剤師の先生なのよぉー!もうホンットすごいんだからぁー!アンタも困ったことあったら頼んじゃいなさいよ!なんでも治してくれちゃうんだからぁ!ねぇ!」
(りょ、良子さん?!)
ナノクニの人だろうか。いや今はそんなことよりも。
「ええ?すごい薬剤師の先生だってぇ?」
「すごいらしいわよ、どんな病気も一発で治しちゃうんですってぇ!」
「あらそれじゃああたしもちょっと見てもらおうかしら、最近口内炎がひどくてねえ」
「私は水虫が」
「あたしゃ膝が痛くてねぇ」
「あんたそれ太りすぎよぉ」
「うっさいわねわかってるわよそんなことは!ついでに痩せ薬も作ってもらおうかねえ」
おばさんがおばさんを呼び、そのおばさんがまた次のおばさんを呼び。
いつしか人通りの少なかった木の下は、ちょっとした人だかりが出来ていた。
(……こ……これは…っ!)
たくさんの人々の期待に満ちた瞳。
ここで立ち上がらなければ、どこで立ち上がろうというのか。
そう!クマっ娘☆愛$オルーカるん♪(永遠の14歳)として!!
「皆……今日はわらわのために集まってくれてセンキュー!
薬学会に咲く一輪の赤いバラとして皆の質問に答えてみせようぞ!」
ばっ。
いきなり妙なポーズをつけて叫ぶオルーカ。
そして、びし、とおばさんの一人に指を突きつける。
「そこの買い物籠にフランスパン入れたデフォルト奥さん!何かないかね!?」
「ええぇ?あたしぃ?んー、そうねぇ…最近息子が部屋にひきこもりがちなんだけどぉ…」
「ふっ。その程度の悩みなら、即・解決!」
びし。キラッ☆
また妙なポーズを作るオルーカ。
「ひきこもりでピザでニキビの成人男性を救うには……宗教しかあるまい!!」
「しゅ、宗教?」
「そのとおり!」
ずびし。
完全にどこかに行ってしまっている目で、オルーカは続けた。
「今すぐ『みらくるクマっ娘☆愛$オルーカるン♪(永遠の14歳)(Iカップ)~妖精界の希望の星~』の道へ入信させなさい!」
なにやらまたパワーアップしている。
「さすれば私の懐が潤い…じゃなくて、コンサート及びサイン会及び記者会見及びファンの集い及びその他諸々の時には部屋から出てくるようになるであろう!」
「「「おおー!」」」
なぜか感心するギャラリー。
「ん何やってんだアンターー!!」
そこに、人だかりをかきわけてようやっと到着したササが力の限りツッコミを入れた。
「はっ!?サ、ササさん!?」
「おい、行くぞ!こんな人だかり作ってどーすんだよ!?ほら!」
ぐい。
ササはオルーカの手を引くと、ふたたびおばちゃんの波をかきわけて外へと脱出した。

「ったく、何やってんだよ?アンタ、先生に何か恨みでもあんのか?」
「そんな、とんでもない!ただつい…
私の中の眠れるスーパーアイドルの血が騒いでしまって…」
「なんだそりゃ?」
一応つっこんでから、ササははあ、と呆れたようにため息をついた。
しょぼくれるオルーカ。
「す、すいませんでした…以後気をつけます」
「そーしてくれ」
「あの、それより。ササさん、材料は…」
「ああ。ほら」
ササは言って、カバンを開けて中から丸いものを取り出した。
赤と白の縞模様の、なんとも形容のしがたい卵である。
オルーカは目を輝かせた。
「ダッラーラの卵…あったんですね!?」
「最後の一つだったけど、なんとか分けてもらった。
ついでにこれも」
言って、また袋の中に手を入れる。
取り出したのは、カーキ色のキノコ。
「こっちはモドシダケな。ま、これは結構出回ってるやつだから問題なかったけどよ」
「すごいです…!一度に二つの材料を手に入れられたなんて…
じゃああとは『レナトの花』だけですね!」
「ああ、うん。あれもちょっと、数が少ないから難しいかもしれないけど…ま、なんとかなるだろ」
「そうですか…良かった」
オルーカは、ほっと胸をなでおろして満面の笑みを浮かべた。
「…っ」
いつも無表情のアルディアが浮かべる満面の笑顔に、少し戸惑うササ。
「ササさん」
「あ?う、うん、なんだよ」
「お昼に、中間報告を兼ねて大通りのカフェでアルディアさん達と落ち合うことになっていたの、覚えてます?」
「あ、ああ、そうだったな」
何故か焦っているササ。
オルーカはそれには気づかぬ様子で、もう一度微笑みかけた。
「まだ少し早いかもしれませんけど、行ってみませんか?」
「あー…そうだな。ちょっと腹も減ったし」
「そうですね、お腹空きましたね」
2人は再び、連れ立って歩き出し…
「……あれっ」
「どうした?」
立ち止まったオルーカを振り返るササ。
「…あ、いえ……今、顔見知りを見た気がしたので……」
「ホントか?」
「ええ…あ、でも、人違いかもしれません。
真面目な方でしたし……いくらお祭りとはいえ、あんな格好するような人じゃないですからね」

その「変な格好をした真面目な人」――マジュールは。
パフィの占いに従い「道化の気持ちになる」ために、輸入衣料品を扱う店に行って道化の衣装を買い求め、それを纏っていた。
まっ黄色の道化服は大柄な彼には少し小さい…というかかなりぱつんぱつんで、その上にいつもの大剣と旅道具一式を身につけているので、道化服という以上にかなり珍妙なことになっている。
頭にはもじゃもじゃした緑色のカツラの上に、道化服とおそろいの黄色いハット。
そんな様相で、この人ごみの中に目当ての人物――ジュナムはいないかと、真剣な表情で探し回っていた。
「?…あれは……」
ふと見れば、噴水の正面になにやら人だかりが出来ている。
パフィの占いテントのものとも違うようだ。
「もしかしたら……!」
マジュールは期待を胸に、その人だかりの方へと駆けて行った。

人だかりの中心にあるのは、どうやらちょっとしたステージのようだった。
ステージの上にまだ演者はいない。集まった観客たちは、演者がステージに上がるのを今か今かと待ち構えている様子だった。
マジュールはその観客の中にジュナムがいないかと、早速足を…
「ピーターさん!」
ぐい。
踏み入れようとした瞬間に、そう呼ばれて腕を引かれる。
「え、えええ?」
驚いてそちらを振り返るマジュール。
手を引いたのは、彼より少し年下くらいの若い男性だった。
「まったく、こんなところにいらっしゃったのですか」
「は?私は」
「は?じゃありませんよ。次はあなたの出番ですよ?まったく、どこをほっつき歩いているのかと思ったら」
訳のわからないことを言う男性に、マジュールは軽いパニックに陥った。
「ま、待ってください、人違いでは…」
「何言ってるんですか。その道化の服装、そしてトレードマークの顔の模様!間違えようが無いですよ!」
「え…模様って虎の模様ですか…?」
そこで、マジュールの思考がさっと覚めた。
道化に虎の模様。もしかしたら。
「あの、その方というのは…」
しかし、男性は聞く耳持たないようだった。
「さあ、早くステージに上がってください!次がつかえてるんですから!」
ぐいぐい。
大柄なマジュールの体を、意外に強い力でぐいぐいと押す男性。
マジュールは強く逆らえず、結局ステージの上に立たされてしまった。
わっ。
待ち望んでいた人物が現れ、一斉に沸く観客。
『さあ、お待たせいたしました!いよいよ本日のメイン・ゲスト!』
それと同時に、司会が高らかに紹介する。
『シェリダン、クロソア、リュウアン、マヒンダと世界各地を廻り、各地で大好評を博した道化師の登場です!』
「え、え、え?」
再びパニックに陥るマジュール。
しかし、司会はそんな彼の様子などお構いなしで、大仰に手を振った。
『さあ、その奇跡のステージを見せていただきましょう!
クラウン・ピーター!』
わぁっ。
巻き起こった拍手に、マジュールは混乱したままステージの中央へと足を進めた。
「ど、どうも…」
弱弱しく礼をすると、観客が彼の芸を見るために静まり返る。
期待の視線に再び居たたまれなくなったマジュールは、わたわたと自分の道具袋を漁ってから、中からりんごと包丁を取り出した。
「あ…、あの…、はい、これからリンゴの皮むきをします」
しゅるしゅるしゅるしゅる。
言うが早いか、包丁でりんごの皮むきを始めるマジュール。
目がマイクロドットになる観客。
しゅるしゅると手際よく剥かれていくりんごの皮は細く細く、途切れない。
それはそれで、ある種特殊な、なかなか真似の出来ない技術だとは思うが……
ざわ…ざわ…
観客が明らかに不満そうな表情でどよめき始める。マジュールは慌てて、観客に訴えた。
「い、いいですか皆さん。私の皮むきはただ繋がってるのではなく、まるで糸のように細く、マフラーよりも長く…痛っ!皆さん石は投げないですください!…痛いっ!」
しかし、それは逆効果のようだった。観客は怒りの形相で足元にあった石を次々に投げつける。
ステージは開始3分で早くも大混乱の様相を呈していた。
と。
「……?」
そんな大混乱のステージに、何者かが悠然と上がってくる。
いかにも道化らしい、ゆっくりとした大仰なしぐさで、観客に一礼。
観客はどよめき、石を投げるのを辞めた。
(えっ…!?あれは…まさかっ…!?)
緑が基調のゆったりとした道化服。薄茶のもじゃもじゃとしたカツラの上に吹くとおそろいのハットをかぶったその姿は、まさしく昨日見かけた道化と同一人物だった。
驚愕の表情のまま、マジュールはしばし声も無くその場に立ち尽くした。
と、道化は彼の方を向き、まるで今彼に気づきましたといわんばかりに驚きのポーズをとる。
そして、たたた、と小走りに彼に近寄ると、ぽん、と肩をたたいた。
「………?」
訳のわからないマジュール。
道化は道化らしく無言のまま、マジュールが持っていたりんごを優しく手に取ると、次の瞬間。
ぽん。
わぁっ。
一瞬にしてりんごが花束に変わり、観客が再び沸き立つ。
「!……」
マジュールも、突然目の前で披露された手品に驚いて言葉も出ない。
道化はマジュールに花束を渡すと、拍手を送る観客に再び恭しく礼をし、舞台袖にチョコチョコと駆けて行っては大仰に転んで照れ笑いを浮かべながら起き上がるなど、観客の気を引いている。
マジュールは花束を持ったまま、ただ呆然とその様子を見守っていた。
そして、観客の拍手が引き、道化が再び彼の方を向く。
「……っ」
思わず身構えるマジュール。
が、道化は悠然と彼に向かって歩いてくると、特に何もせずにその横をすり抜けた。
と思ったその時。
しゅっ。
かすかな音がして、マジュールが手に持っていた花束を中心に幾筋かのカマイタチが巻き起こる。
「!……」
驚くマジュールをよそに、カマイタチによって切り裂かれた花びらがまるで紙吹雪のように舞い上がった。
わっ。
再び沸きあがる歓声。
おそらく観客にはカマイタチまでは見えなかったのだろう。単純に花吹雪を巻き上げたように見えたに違いない。
「っ……!」
さすがに振り返るマジュール。
と。
しゅっ!
道化は振り返ったマジュールめがけてナイフを投げ放った。
「くっ…!」
眉間を正確に狙って放たれたそのナイフをとっさに避ける為、顎を逸らすマジュール。
かっ。
ナイフはすんでのところでマジュールのかぶっていた帽子とカツラをさらい、後ろの壁へと突き刺さった。
わっ。
再び沸き起こる歓声。最初から帽子を狙って放ったように見えたのだろう。
観客の歓声に、得意げな表情で胸を反らしてみせる道化。
「…この………!」
それで完全に己を取り戻したマジュールは、身を屈めて彼に飛びかかろうとした。
と。
「!」
その時、マジュールは道化が懐から何かを取り出すのを見た。
黒く禍々しい光をその身に宿した珠。
「黒炎玉!!?」
驚いて叫ぶマジュール。
道化が薄く、に、と唇の端を上げる。
と、その黒い珠から、しゅうううという音と共に黒い煙のようなものが噴き出した。
「なっ?!」
驚き足を止めるマジュール。
煙はモクモクと寄せ集まって雲のような塊を形作り、道化の足元に移動した。
道化がそれに腰をかけると、雲は道化を乗せたままふわりと浮き上がった。
わあっ。
さらに大きくなる歓声。
道化は雲の上でゆったりと手を振ると、雲に乗ったままいずこかへ飛び去っていった。
「くっ……!」
慌てて駆け出すマジュール。
『皆様、ご覧になりましたでしょうか?!クラウン・ピーターの奇跡のステージ!
まさに不思議と夢にあふれた、奇跡のひと時でした……!!』
まだ続く司会の口上を聞き流しながら。
マジュールは雲が去っていった方へと、懸命に走っていった。

→ミドルの刻・中央公園へ
→ミドルの刻・喫茶マトリカリアへ
→ミドルの刻・謎のダンジョンへ

中央公園 -ミドルの刻-

ミドルの刻にもなると、中央公園はたくさんの賑わいに満ちる。
広場でやっているバザーを始め、その周りにも、大通りに面した有名店が出張で出店を出していたり、食べ歩きの出来るものやちょっとしたゲームの屋台なども出ていて、見て回っているだけでもウキウキとした気分にさせた。
そんな中を、ヴィアロはアリスを連れて…というよりはむしろアリスに引っ張り回されて歩いている。
「ほら、お兄様。見てくださいな、あの犬のぬいぐるみ!可愛らしいですわね」
楽しそうにディスプレイのぬいぐるみを指差しながら言うアリスを、微笑ましげに見つめるヴィアロ。
「……楽しそう、だね……」
「えっ?あ、すみません…私ばっかりはしゃいでしまって」
「ううん…楽しそうな君を見てるのも楽しいから……」
ヴィアロが言うと、アリスは不満げに眉を寄せた。
「また、君って仰いましたわ」
「…え……」
「アリスとお呼び下さいと申しておりますのに…」
「……あ……ご、ごめん……」
ばつが悪そうに頬を掻くヴィアロ。
「…そのうち……慣れたら…ね?」
「もう……」
口を尖らせたまま、ふいと横を向くアリス。
「あっ」
と、その視線の先に何かを見つけたらしく、ヴィアロの手を取ったままそちらに駆け出した。
「お兄様、ほら見て、綺麗な宝石の粒!」
目当ての屋台は、「宝石つかみ取り」と看板の掲げられたものだった。
「………」
アリスに連れられて見下ろすと、猫一匹入るかどうかくらいの大きさの箱に、色も大きさもとりどりの石がぎっしりと敷き詰められている。
が、その石はどれも、宝石というには程遠い、不純物の多いクズ石を適当に磨いたものか、ガラス細工や…中にはビーズのようなものもある。
あくまでもつかみ取りで売る程度の石、という様子だったが…なるほど、それもこうして敷き詰められると、光をキラキラと反射して美しい。
あるいはこの祭りの浮かれた雰囲気が、より美しく見せているのだろうか。
現に、アリスは魅入られたように箱の中をうっとりと見つめている。
「ほら、これなんか凄く綺麗ですわ。…あ、これも!綺麗な紫色…」
「…取って、あげようか…?」
「えっ」
ヴィアロの申し出は意外だったらしく、アリスはきょとんとして彼の方を見た。
薄く微笑みかけるヴィアロ。
「……うん、こういうのは、きっと……男の仕事、だろうし――ほら、手、大きいから……さ。一応、君よりも」
「お兄様…」
また君呼ばわりが引っかかったらしいが、アリスは複雑な表情をして、それから苦笑した。
「では、お願い致しますわ。すみません、1回お願いします」
「あいよー」
屋台の番をしていた青年が景気よく返事をする。
ヴィアロは代金の銅貨3枚を払うと、手を握ったり開いたりしながらアリスに訊いた。
「……どれがいい?」
「ふふっ、そうですわね……これと…これと」
アリスは楽しそうに、先ほど綺麗だと言っていた石を指差していく。
「これと…あっ、これも綺麗ですわ!あとは、これと、これと…」
「おいおい姉ちゃん、いくらこの兄ちゃんでもそんなには掴めないぜぇ?」
からかうように言ってくる屋台の青年。
アリスは眉を寄せて口を尖らせた。
「そんなことありませんわ!お兄様ならきっと全部取ってくださいます!」
「だってよ、おにいさま。がんばんなよ~」
青年はからかいの視線をアリスからヴィアロへと向けた。
ヴィアロは無表情のまま、こくりと頷く。
「……分かった……」
ざら。
ヴィアロが石の山に手を入れると、小さな石の粒がぶつかり合って音を立てる。
「…ええと……これ、と…これ……」
ヴィアロはアリスの示した石を丁寧に寄せ集めた。
「…あとは……掴んで………あ」
ぽろ。
全部を手の中に入れようとすると、端にある1つ2つがポロポロと落ちてしまう。
「……おかしいな……えぃ、……っと」
じゃらじゃら。ぽろ。
じゃらじゃらじゃら。ぽろぽろ。
何度かトライしてみるが、どうも上手くいかない。
「お兄様、がんばって!」
隣で、真剣な様子でヴィアロを応援するアリス。
ヴィアロは少し眉根に力をこめると、渾身の力で指と指を広げた。
「おいおい、兄ちゃん、手が攣っちまうぜぇ?」
またも、からかうような屋台の青年の声。
それは意に介することなく、ヴィアロはぐぐぐと指を広げ、手の中に詰められるだけの石を詰めた。
「…よっ………っと」
ざらざらざら。
ケースの外に用意されていた箱に手の中の石を全て入れ、ふうと息をつくヴィアロ。
「すごい、すごいですわお兄様!私が欲しいといったものを全て取って下さるなんて…さすがはお兄様ですわ!」
手を叩いて喜ぶアリス。
ヴィアロは僅かに表情を緩めると、屋台の青年に詰めてもらった袋を受け取った。

「……これと…これと。これと…それから、これ、だったね……」
屋台から少し離れたところにあるベンチで。
二人並んで座り、先ほど取った石の中からアリスが欲しいと言ったものをより分ける。
「はい、それで全部です。ふふっ、ありがとうございます、お兄様」
屈託なく笑うアリスに、ヴィアロの表情も緩む。
「残った石はどうしましょうか……お兄様も、どれでもお好きな石を選んでくださいな」
つかみ取りであった為、アリスが望んだもの以外にもたくさんの石があった。アリスはそう言って、ヴィアロに微笑みかける。
「んー……」
ヴィアロは僅かに首を捻って、考えた。
丁寧に石一つ一つを吟味して、やがて、一粒のビーズを手に取る。
「……んじゃあ、これ――俺が貰うよ……」
空色をベースにしたそのビーズは、陽にかざすとオーロラのように緩やかに色を変えた。
「……あとは…君にあげる」
ざら。
残りの石が入った袋をアリスに渡すと、アリスは不満そうに眉を顰めた。
「それだけでいいんですの?」
「……うん…これで、いいよ…」
ヴィアロの口調に意思の堅さを感じ、アリスはまだ不満そうながらも石の袋を受け取った。
「…どうして、その石を?」
アリスが問うと、ヴィアロはぼんやりと視線を動かした。
「……うん。こういう、透明で――きらきらした感じが、好き……ってのもある、けど」
「……けど?」
「……話したよね、俺の記憶がないこと……」
「えっ…ええ……」
いきなり深刻そうになる話に、きょとんとするアリス。
ヴィアロは続けた。
「今の俺は、本当に何もなくて、空っぽなんだ――記憶を取り戻したら、俺は俺でなくなるわけで――あ、そうなると、君の『ミランディア』になるのかな?……うん、それならそれでいいけど…」
視線を動かして言葉を探りながら、ゆったりと話していく。
「『物より思い出』ってよく言うけど……俺にはその『思い出』が、まったくない。……俺じゃない俺が思い出を積み重ねても、それは俺の思い出じゃないのかもしれない。……そう考えるとね、訳、分からなくなっちゃって――」
「……お兄様…」
「そうした時にね、旅先で……ビーズ、見つけて。綺麗だなあって――元々、気に入ったのを見つけたら買って、何となく集めてる感じはあったけど。
思い出、って言う、記憶で考えるから分からなくなるから――ビーズの一粒に、変えちゃおう、って。
記憶なんて曖昧で――けど、ビーズは、形あるものだから。
ビーズの一粒一粒が、俺の思い出だとしたら……そしてそれが、部屋のガラス瓶に溜まっていくのなら。
……それは、俺の、『ヴィアロ』の歩いてきた、確かな軌跡になるんじゃないかなあ、って……」
アリスは無言でヴィアロの話を聞いている。
ヴィアロは、先ほどの空色のビーズを指先で弄びながら、続けた。
「もし、俺が記憶を取り戻して『ヴィアロ』じゃなくなっても、ヴィアロはこうやって歩いてきたんだよ、って、証拠を残しておきたいの、かも。
……瓶に詰めるだけじゃちょっとつまらないから、こうやって髪にもつけてるんだ」
しゃら。
ヴィアロが軽く頭を揺らすと、髪につけていたビーズが音を立てる。
それから、指先のビーズをまた陽にかざして…薄く微笑んだ。
「……これは、君の瞳と同じ色、だからね。君の記憶の、代わり」
「私の……記憶」
「……あれ、でも……記憶が戻らなくても、君が僕を兄と呼んでくれるなら……これ、いらなくなるね。……だって、これは代わりだから。……君が、ずっと一緒にいてくれるなら……それで十分、だよ」
「………っ………」
しかし。
アリスは嬉しそうなヴィアロとは対照的に、悲しそうに言葉を詰まらせて俯く。
「………?」
アリスの様子を訝るヴィアロ。
「……どうし……」
と、その顔を覗き込もうとした、その時だった。

「僕の可愛いアリス!一体何をやっているんだい?!」

妙に芝居がかった、癇に障る声が、2人に降りかかった。

「……?」
「!……」
不思議そうに声のしたほうを見やるヴィアロの隣で、はっと顔をあげるアリス。
「ウィル……!」
驚愕と嫌悪と、少しの恐怖が混じった表情で、アリスは言った。
ウィル、というのが彼の名前なのだろう。ヴィアロは目の前に立つ男をぼんやりと眺めながら、そんなことを考えた。
金髪碧眼、服装もいかにも金をかけましたといった風情の、文句無しの美形だった。少し自分に酔ったような表情も、大仰なしぐさも、好きにはなれないが似合ってはいると思う。
ウィルはアリスの表情に、困ったような笑みを浮かべて首を振った。
「大事なパーティーを抜け出して……こんなところで下級階層と同じ遊びをしているなんてね。
まあ、君の気持ちも分からないでもないけどね!家はもうじき僕のものになる。そして君もまた、僕の妻となる……」
「………ぇ…」
ウィルの言葉に、小さく驚きの声をあげるヴィアロ。
アリスは唇を噛み締めて顔を背けた。
ふっ、と髪をかきあげるウィル。
「独身最後の新年を自由に過ごしたかったんだね?ごめんよ邪魔をしてしまって!
でも、僕以外の男と連れ立って歩くのはいただけないな。どうせ下級階層の……」
と、ヴィアロに視線を移して、その顔が一転驚愕に染まる。
「……って、え?ミラ!?」
「…え」
きょとんとするヴィアロ。
一瞬遅れて、ミラというのがアリスの兄の名前だと言うことを思い出す。
ウィルはたちまち顔を真っ青にすると、後ずさった。
「ま、まさか…幽霊?!」
「……え?」
不穏な言葉に首を傾げるヴィアロ。
が、ウィルはすぐに立ち直った様子で、ハッ、と嘲笑した。
「…なるほどね、死んだと見せかけて混乱でもさせる腹積もりかい?でも、少々タイミングが遅かったんじゃないかな?
さしずめ、妹を取り戻しに来たナイトでも気取っているんだろうけど…もう遅いね。君の家も財産も妹もすべてこの僕、ワンディラッドが頂く事になっているんだよ!今更戻ってきたところで君の出る幕はない……」
「……っ」
再び、ぎっ、とウィルを睨むアリス。
ウィルはまだ少し青ざめていたが、虚勢を張るようにはははっと笑い声を上げて見せた。
「まあ、どうしてもというなら条件を出してあげてもいいけどね?」
「……条件?」
ぼそりと問うヴィアロ。
それで、ウィルは彼が幽霊でないと確認したのか、目に見えて顔色が元に戻る。
「ああ。僕と勝負して勝つことができたら、アリスとの婚約は白紙に戻してやってもいい」
「……なんで、そんなことを…?」
ヴィアロが問うたのが少し意外だったようだった。ウィルは大仰に肩を竦めると、首を振った。
「なに、結局僕と君が直接雌雄を決する機会は無かったからね…地獄から戻ってきた早々に済まないけれど、君に敗北という冥土の土産を持たせて地獄にたたき返してやるのも一興と思ったまでさ」
すると、今まで黙って唇を噛んでいたアリスが、2人の間に割って入る。
「なっ、さっきから聞いていれば好き放題……そんな勝負、受けられるわけが…!」
「……いいよ。勝負って…何をすればいい?」
「お兄様?!」
アリスの言葉をさえぎって言うヴィアロを、驚いてふり返るアリス。
ウィルは、ふん、と鼻を鳴らした。
「威勢がいいね、倒し甲斐があるよ。
じゃあこうしよう。ここ、中央公園にはワンディラッドもルクセンブラッテもそれぞれ出店している。君達がこちらの売り上げを上回ったら君達の勝ちだ。さっき言った通り、アリスとの婚約は白紙に戻してやるよ」
「……わかった…ルクセンブラッテの商品を、君たちよりたくさん売ればいいんだね?」
落ち着いた様子のヴィアロを、ぎろり、とひと睨みして。
ウィルは踵を返すと歩き出した。
「今のルクセンブラッテにどれだけのことが出来るか見物だね。せいぜいがんばるといいよ!」
言葉の内容とは裏腹に、悔しげに言い捨てながら。

「お兄様……どうしてあんなことを?」
アリスは咎めるような表情でヴィアロに訊いた。
「お兄様……今のお兄様は、記憶が……それなのに、ウィルと売上で勝負なんて…無謀、ですわ」
少し言葉を詰まらせながら言うアリス。
ヴィアロは相変わらずぼやっとした表情のまま、僅かに首を傾げた。
「……よく、わかんないけど。俺は、君の兄なんでしょ?――兄が妹を助けるのは、当然……だよ」
「!…っ………」
ショックを受けたように言葉を詰まらせるアリス。
ヴィアロはウィルの去っていった方向を目で追うと、僅かに眉を寄せた。
「それに、あいつは――君の結婚相手にはふさわしくないよ。多分ね」
妙にきっぱりとした口調で言い切る。
表情には出ないが、やはり鬱陶しい思いをしたのだろう。
アリスはそんなヴィアロを、やはり悲しそうな表情でじっと見やり…やがて、俯いてうなだれた。
「……ごめんなさい……」
「…どうして謝るの?」
きょとんとするヴィアロ。
アリスは顔を合わせづらいのか、俯いたままさらに顔を背けた。
「……嘘をついていました……あなたに」
「…嘘?」
おうむ返しに問うヴィアロに、小さく頷いて。
「……ミラお兄様は……ウィルの言う通り、もう亡くなっているんです…
2年前……事故で…」
「………」
ヴィアロは少しだけ驚愕に目を見開いた。
「8歳の時に行方不明になったというのも、嘘……お兄様が小さい頃から神童と名高かったのは本当だけど…お兄様はそのまま成長され、若くしてお父様の後を継いでルクセンブラッテの当主としてその商才を振るっていたんです」
うつろな表情で、淡々と話していくアリス。
「私も、お兄様やお父様のお手伝いがしたかったけれど…私にはそんな才能は無くて……お父様にとって、お兄様さえいれば、私はいてもいなくてもいい…私は良い所に嫁に行って家柄に貢献出来ればそれでいい…口には出さなくても、お父様の気持ちはわかりました…家中の者がそうだった……私は、いてもいなくてもいい存在だったの…
お兄様のことは誇らしいし大好きだけれど、お兄様がいるから皆は私を見てくれない……それが…とても辛かった…」
「…そう……」
ヴィアロは痛ましげにアリスの話に相槌を打つ。
「あの日もそうでした。お兄様とちょっとしたことで口論になって、私はお兄様に酷いことを言い捨てて飛び出してしまって……追いかけてきたお兄様は、私を探すのに必死で、走ってくる馬車に気づかずに……」
「………」
涙目のアリスに、もはやかける言葉も見つからない。
ヴィアロは黙ったまま、アリスの話の続きを待った。
「ずっと……後悔していました…お兄様に酷いことを言ったまま、ごめんなさいも言えずにお兄様に会えなくなってしまったこと……
でも…お兄様の死を悲しむ暇もなく、お兄様がいなくなってしまったという現実がルクセンブラッテに降りかかってきたんです」
アリスは少し顔を上げて、潤んだ瞳で虚空を睨み据えた。
「…お兄様の商才があまりにもずば抜けていて、実質会社を動かしているのはお兄様一人だったんです。それが、突然いなくなった…契約から末端の管理に至るまで、ルクセンブラッテの商いはガタガタになりました。
そこに目をつけたのが、ウィル…ワンディラッド家の若き当主です。
お兄様と同年代の彼は、やはりお兄様といろいろ比べられて相当コンプレックスを持っていたのでしょう。お兄様が亡くなると知るや、ルクセンブラッテと取引のあった得意先を次々と奪って、ルクセンブラッテは倒産寸前にまで追い込まれました。
そして…あの男は、私を妻として迎え、ルクセンブラッテの全経営権をワンディラッドに渡すという条件で、焦げついたルクセンブラッテの資産を全て引き受けると宣告してきたのです」
「……体のいい、買収……だね」
ヴィアロが言うと、アリスは頷いた。
「お兄様の会社を乗っ取ることで、お兄様への意趣返しをしているつもりなのでしょう……ウィルの魂胆はわかりきっていました…けれど、それに反抗するだけの力は、もうルクセンブラッテには残されていなかった……
私は、明日、ウィルの妻にならなければならない…私は、そのためにオルミナからフェアルーフまでやってきたんです」
「…………」
ヴィアロは僅かに眉を寄せたが、何も言わなかった。
「今日はお披露目のパーティーで…ウィルの選んだドレスで着飾って大勢の前で晒し者にされるかと思うと、たまらなくなって…飛び出してきてしまって……
行くあてもなくこの公園に来たら、あなたを見つけて……」
そこで、やっとヴィアロに視線を戻すアリス。
彼女は、悲しげに苦笑する。
「ああ……本当にお兄様にそっくり。ウィルも間違えていたでしょう?あなたがお兄様に似ているというのは、本当なんです。私、驚いて…お兄様が生き返ったのかと思って、思わずあんなことをしてしまって……すぐに別人だということはわかったのだけれど、もう少し…せめて、この新年祭の間だけ…あなたをお兄様だと思って、楽しい思い出を作ることが出来れば……その思い出を胸に、笑って嫁いでいくことができるかもしれない…そう思ったの。あなたに記憶がないと知って、あなたがお兄様でないことも知っていて……ご家族を知らないあなたに……私、酷いことを……」
アリスはまたしゅんと俯いた。
「だから…妹でもなんでもない私のために、ウィルの勝負を引き受ける必要はないんです。
巻き込んでしまってごめんなさい。あなたには、関係のないことなのに……」
「……どうして?」
ヴィアロが言った言葉に、アリスはきょとんとして顔を上げた。
「えっ……?」
ヴィアロは、またいつものようなぼんやりとした表情で、首を傾げる。
「関係なく、ないよ……今の俺は――君の兄だよ。君がそう言ったんだし、俺も今は君を妹だと思ってる」
「……っ、でも……」
なおも言いつのろうとするアリスを制して、ヴィアロは薄く笑った。
「……楽しかったんだ、今まで。ぜんぜん、酷いことなんかじゃない……君は俺に、楽しい思い出をくれたでしょう?
だから、恩返しさせて?せめて、年が明けるまでは……兄妹でいよう?」
「……いい……のですか……?」
「もちろん、だよ」
ヴィアロは笑みを深くして、頷いた。
「…でも……ちょっと、君の気持ち、わかった……かな」
「え?」
きょとんとするアリス。
「君って呼ばないで、名前で呼んで、って……そんなに違うものかな、って思ったけど。
今、君が俺のこと、『あなた』って呼ぶの聞いて…なんか、無性にザワザワした…」
ヴィアロの言葉に、アリスはぷっと吹き出した。
「お兄様ったら……!それでも、私のことは『君』って呼ぶのですね!」
アリスの呼び方が戻ったことに、ヴィアロは嬉しそうに微笑むのだった。

中央公園 -レプスの刻-

「うーん…なかなか見つかりませんね……」
アルディアとササは再び連れ立って中央公園にやってきていた。
もちろんこのアルディアは中身がオルーカと入れ替わっている。以下中の人の名前で呼ぶことにする。
先ほど、喫茶マトリカリアで怪鳥が孵化してしまった為、せっかく集めた材料が全てパーになってしまった。しかたなく、もう一度材料を調達しに来たのだが…
「孵化しかけなの売ってくるくらいだからな…相当数が無いんだろ。まいったな…」
どこに行っても物が無いと言われ、ササが困りきった顔で頭を掻く。
「モドシダケはどこに行ってもあるからいいとして…」
「あとは…レナトの花ですか。それは、ありそうですか…?」
「いや…こっちもなかなか手に入りにくいんだ。一応訊いちゃいるが、厳しいな…」
「そうですか…誰かがそれと気づかずに売ってたりしませんかね…どういう花なんですか?」
「ああ、赤紫の大きな花びらを持った花なんだ。ハイビスカスみたいな」
「赤紫の花ですか……あっ、あの方がつけてるみたいな感じですか?」
「えっ?」
言ってオルーカが指差した方向を見ると、噴水の傍にあるベンチに一人の少女が座っていた。
新年祭だからだろうか、綺麗な模様の施されたエキゾチックな服に身を包んでいる。白地に大輪の赤の花が描かれたその服は、結った黒髪に挿された赤紫色の花とよく合っていた。
ササはその少女を見て、目を丸くした。
「あれだ!あれだよ、レナトの花!」
「え!ホントですか!?」
オルーカも驚いてササを見、それからもう一度その少女の方を向いた。
「何とか譲ってもらえないでしょうか…ちょっと、話してみますね!」
「あっ、おい!」
オルーカはササの返事も聞かずに少女に向かって駆け出した。
「あの、すいません!」
オルーカが駆け寄って声をかけると、少女はゆっくりとオルーカの方を向いた。
「はい?」
「突然申し訳ありません。その、不躾なお願いで恐縮なのですが、ゆずっていただきたいものがありまして…」
早口でそれだけ言う間に、少女は値踏みするようにオルーカを見上げた。
「…?」
「ミケ様のお知り合いの方でいらっしゃいますか?」
「ミケさん?」
唐突に出てきた名前にきょとんとするオルーカ。
「え、ええまあ、ミケさんとは知り合いですけど……」
と、そこまで言って。
『リュウアン風の動きやすい格好の、黒髪の女性です。とても丁寧な喋り方をするんですよ』
ミケの言葉を思い出し、改めて少女を見る。
(ジルさんより少し上くらい…動きやすく…はないかもしれないけど、リュウアン風の衣装…黒髪で、丁寧な喋り方…あれ、この人もしかして…)
ミケが探している4人の部下の一人なのでは、と思ったところで、少女がにこりと綺麗に微笑んだ。
「そうですか…」
そして、ベンチに座ったまま少しだけ身をかがめると、目にも止まらぬ速さでオルーカの腹に向かって拳を繰り出した。
どす。
「ぐうっ?!」
不意をつかれ、まともに食らってしまうオルーカ。
少女はゆっくりと身を離すと、すっと姿勢を正した。
「げほっ……!な、何を……」
腹を貫く痛みに身を屈めるオルーカに、にこりと微笑みかけて。
「わたくしに勝ったら、譲って差し上げますわ」
「な、何なんだアンタ?!」
慌てて駆け寄ったササが、オルーカを助け起こしながら少女に食って掛かる。
先ほどの少女の攻撃で、噴水の辺りにいた者は驚いてその場を離れ、軽く人垣を作っていた。
「別に無理矢理奪おうってんじゃないだろ!必要なら金払うし、何かと交換したっていいし!」
「残念ながら、どちらも興味は御座いませんわ」
少女は依然、貼りついたような笑みを浮かべている。
「わたくしにとって、あの方がすべて。あの方さえいれば他に何も要りませんの」
「は……?!」
少女の言動に、眉を顰めるササ。
「ですから、これが欲しいのでしたら……力ずくでお奪いなさいまし」
少女――メイは、瞳に少しだけ力を込めると、悠然とそう宣言した。

「な、なんで、そんな……」
ササに支えられながらオルーカが言うと、メイは苦笑した。
「わたくしは、他の方々のように頭が良くも、器用でもございません。欲しいものは力で奪い取る。その方法しか知りませんし、その方法しか出来ませんから」
「そんな……」
驚愕に目を見開くオルーカ。
「そんな考え方…本当にそう思ってるんですか」
「もちろんですわ」
メイは揺らぐことなく答えた。
「あの方はそれで良いと仰ってくださいました。
わたくしを、わたくしの全てを、あの方は受け入れてくださるのです。
ですから、わたくしはわたくしであり続けますわ。
どんなに、それが愚かだと言われようと」
(あの方…って、誰だろう……)
オルーカは口に出さずに呟いた。
しかし、花を貰おうとして攻撃されたくらいなのだから、きっとその花はその『あの方』からの贈り物なのだろう。あの方、と口にする時のメイの陶酔するような表情が、自然とそう思わせた。
「……そこまでして守りたいものなんですね…」
「先ほども申し上げましたでしょう?あの方は、わたくしのすべてです」
メイはまた、にこりと微笑んだ。
「あの方に頂いたものを、わたくしが簡単に手放すとお思いですか…?」
思うかと言われても、彼女のことはよく知らないのだが。
しかし、これは訊いているのではなく、手放さないという意思表示なのだろう。
オルーカは表情を引き締めた。
「そう、ですか…その気持ち、分からないでもありません。
でも私も、どうしてもそれが欲しいんです。でないと…」
少し俯いて、思いつめたような表情をして。
「…親しい方に迷惑をかけました。
それがないと更に迷惑をかけることになります。
新しく知り合った方にも…だから!」
「奪うことに、ためらいなど必要ありませんわ」
微笑むメイの表情は、本当に面を貼り付けたように整っていて。
心の通わぬ人形を相手に話しているような錯覚にとらわれる。
「貴女様にもわたくしにも、譲れぬ何かがある。
そして貴女様もわたくしも、譲る気は無い……」
少しだけ、笑みを深くして。
「ならば、欲しいものは奪う…シンプルで御座いましょう?」
「その考え方は好きではありませんが…今は、そうするしかなさそうですね」
オルーカは厳しい表情で腰をかがめた。
しかし、やはり先ほどの不意打ちが効いている。しかもアルディアの体だ、思うように操れぬのは昼間の先頭でも痛いほどによく判っている。
すると、メイはふと思い出したように視線を動かした。
「ですが…そうですわね。貴女様は戦闘に慣れてはいらっしゃらないご様子。ここは、ハンデを差し上げますわ」
「ハンデ?」
「わたくしの攻撃をかわし…そうですわね、この……」
と、髪に挿した花を指で軽く触れて。
「この花を抜き取る事が出来たら、貴女様の勝ち…ということで如何でしょうか?」
そもそも花が欲しかったオルーカにとっては願ってもない。
オルーカは頷いて、メイに問うた。
「上等です…あなたが勝つ条件は?」
「もちろん、貴女様が死ぬか、戦えぬ状態になりましたら」
「…わかりました」
「オルーカ!」
ササが身を乗り出すが、オルーカはそちらを振り向かずに腕だけで制した。
「ササさんは下がっててください!!」

戦いが始まることを察して、人垣を作っていた人々はさらに後退して、噴水の周りはササだけをぽつんと残した軽いステージのような様相になった。
「はぁっ!」
びし、びし。
メイの拳が次々とオルーカに向かって繰り出される。
彼女の服装はリュウアン風のドレスに裾の長いスカートと、とても格闘に向いているようには見えなかったが、無駄の無い足さばきでオルーカとの距離を詰め、正確に拳を繰り出してくる。相当戦い慣れているように思えた。
「くっ…!」
先ほどの一撃の痛みが残っている…しかも、使い慣れぬアルディアの体では、急所に当たらぬように体を捻るのが精一杯だった。
びし、がっ。ざざっ。
メイの攻撃を受けながら、オルーカはひたすら、彼女の急所を狙える機会を待った。この圧倒的なハンデの中で勝つにはそれを狙うしかない。
しかし、メイはそれもお見通しといった様子だった。薄く唇の端を上げると、嘲るように言ってくる。
「どうなさいまして?攻撃をしないのでは、いつまで経っても勝てはしませんわ?」
びし。
肩を狙って繰り出された拳を、どうにか弾き飛ばして。
オルーカは顔をしかめ、メイと距離を取ろうと地を蹴った。
と。
「甘いですわ」
たっ。
メイはその動きを読んでいたかのように、オルーカが退いた分だけ距離を詰めた。
「!」
がっ。
着地した足を正確に払われ、オルーカはバランスを崩して地面に倒れこんだ。
「くはっ…!」
どす。がっ。
倒れたオルーカの肩を、スカートの上から膝で押さえ込むメイ。
息ひとつ切らせず、メイは薄く微笑んだ。
「…これで、終わりですかしら」
「っ……!」
悔しげに眉を寄せるオルーカ。
すると。
「オルーカ!!」
ばっ。
後ろから駆け寄ってきたササが、2人に向かって何か粉のようなものをぶちまけた。
「くらえ!!」
「っ……?!」
メイの表情がゆがむ。
「この香りは……?」
オルーカはきょとんとして鼻から息を吸った。何か鼻につく香りがするが、それだけでなんともない。
が。
「……っくっ……!」
がく。
メイの体が、突然こわばったように動かなくなった。
オルーカを抑えていた膝の枷が外れ、地面にうずくまるような体勢になる。
「?!これは……」
「オルーカ!花を取れ!」
ササが叫び、オルーカはそちらを向いた。
「ササさん!?」
「痺れ薬だ!いいから早く!」
「……っ、はい!」
オルーカは慌てて起き上がると、うずくまるメイの髪からレナトの花を抜き取った。
「ふう……」
「オルーカ、大丈夫か!」
ササが心配そうに駆け寄ってくる。
「ササさん、これは…」
「痺れ薬。即席で作った。
先生の体は毒に耐性があるからきかないんだ。
即席で作ったから、こいつもすぐに動けるようになると思うけど…」
と、メイを見下ろす。
メイはまだ薬の効果で、思うように体を動かせないようだった。
ぐぐぐ、と、不自由そうに首を動かし、2人の方を見る。
オルーカは厳しい表情で、メイを見下ろした。
「約束どおり……この花はいただいていきますね」
「え?花……でございますか?」
何故かきょとんとするメイに、オルーカも思わずきょとんとする。
「えっ、はい。あなたの髪に挿してあったこの花を頂きたくて、声をかけたんですけど……」
すると、メイは不思議そうに首を傾げた。
「……ミケ様のお知り合いだと仰っていたのでは?」
「ええ、ミケさんとは知り合いですよ」
「……ミケ様に頼まれて、わたくしからチャカ様を探すヒントを貰いに来たのではございませんの?」
「えっ?」
そこまで言って、オルーカはようやく、殴られたためにすっかり忘れていたミケとの約束を思い出した。
「あ、あああ!そ、そうでした!あ、え、っていうか、やっぱりあなたが、ミケさんが言っていた、あの、ええっと」
くす。
メイは、そこで初めて可笑しそうに笑みを漏らした。
「……メイ、でございますわ。良しなにお願い致します」
身体が上手く動かないようだが、メイは動く限りで礼をした。
「あ、あの。オルーカで……ああいえ、今この身体は私のじゃないんですけど」
まだ混乱している様子のオルーカ。
「す、すいません!そうとは知らずにこんな…!い、いえ、ヒントも欲しかったんですが……」
「その花が、どうかなさいまして?」
「あの、これ、お薬の材料になるんです。それでずっと探していて…あなたに譲っていただきたかったんですけど、こんな形になっちゃって…その、ええと、チャカさん、っていう人がくれた大切なお花なんですよね?」
「いいえ、その花は知り合いが摘んできたものを分けていただいただけですわ。どうぞ、お使いなさいまし」
「そう……ですか?」
「ふう…ようやく、動くようになりましたかしら」
メイは息をついて、すっと立ち上がった。
「貴女様と一対一での対決だとは、申し上げておりませんでしたものね。紛れもなく貴女様方の勝利…お約束通り、チャカ様にいただいたヒントをお教えいたしますわ」
「あ……ありがとうございます!」
嬉しそうに礼を言うオルーカに、メイはにこりと微笑んだ。
「………空に浮かぶ月のように」
「えっ」
「それが、チャカ様からいただいたヒントです」
「空に浮かぶ月……ですね。わかりました」
オルーカは心のメモ帳にしっかりとそれを記して、頷いた。
「…では、わたくしはこれで失礼致しますわ」
メイは穏やかにそう言って、踵を返す。
「あ、あの!」
オルーカに呼び止められて足を止め、顔だけ振り返って。
「メイさん、でしたよね。えっと……」
しかし、声をかけたはいいものの、何を言っていいかわからず。
「…あの。…あなたの大切な方に、よろしくお伝え下さい」
そんな、煮え切らない別れの挨拶を投げかける。
「………有難う御座います」
メイはまた人形のような微笑を浮かべると、今度こそその場を後にした。

一方、その頃。
噴水広場と対極にある大広場では、一般に募集をかけたフリーマーケットのほかに、企業が買い取って商品を並べるブースも展開されており、そちらの方も大盛況だった。
そしてその一角、商社ルクセンブラッテのブースに、ヴィアロはアリスと共にウィルとの勝負に臨んでいた。
相手より多い売上を上げた方の勝利となる。ウィル率いるワンディラッドのブースは通りを挟んでちょうど向かい側。客の動きも相手の様子もよく見える位置だ。
「狙ったように、こちらの商品にかぶせてきたわね…」
アリスはワンディラッドのブースに並ぶ商品を見て、悔しそうに言った。
ルクセンブラッテが並べているのは、新年祭向けのステンドグラスのケースに入ったキャンドル。精巧な作りではあるが、その分銀貨5枚と少々値がはる代物だ。
対するワンディラッドは、最新の魔道技術を駆使し、コストダウンにも成功したという売り文句のランプ。明かりを灯せば連続で30日は持ち、しかもそれがたったの銀貨1枚。そんな売り文句も覚えてしまうほどに、ブースの前で従業員が必死に道行く人に声をかけている。
ワンディラッドのブースにはちらほらと人が足を止めていくのに対し、ルクセンブラッテのスペースは前を通る人々がちらりと視線をやるだけでほぼ素通りの状態だ。
「お嬢様、若旦那、どうしましょう…?」
従業員が心配そうにヴィアロとアリスに言ってくる。従業員にはヴィアロがミラでないことを説明済みだが、似ているのと混乱するので若旦那と呼ぶことに決めたらしい。
ヴィアロは少し眉を寄せて、考え込んだ。
「……とにかく…お客さんの目を、こっちに引き寄せないと……ディスプレイを、見やすく工夫しよう…値札も…少し凝ったものにして……」
「はっ、はい!」
早速ヴィアロの指示どおりにディスプレイを動かす従業員。
「…あとは……とにかく、目を引こうか……」
言って、す、と手を動かすヴィアロ。
「お兄様?」
何をするのかときょとんとしたアリスだったが、ヴィアロの指先で起こった出来事に目を見張った。
「これは……!」
ヴィアロの腕が落とす影が、何故か形を変えて動き出している。
列をなして動く兵隊、猫とネズミの追いかけっこ。影だけで表現される小活劇に、アリスの目が輝いた。
「すごいですわ、お兄様!影絵ですの?」
「うん……ちょっとした、特技……」
ヴィアロは少し自慢げに薄く微笑んだ。
やがて、その影絵につられるようにして子供が群がり、そしてその子供の母親が人垣を作っていく。
「なあに?一体」
「影絵ですってよ」
「まあ珍しい」
「見て、あんなに細かい動き!」
集まった人々がヴィアロの影絵に歓声を送る。
が。
「……えっと。この影絵と同じように…キャンドルの明かりも、素敵…だよ」
ヴィアロが売り場のキャンドルを示すと、みな一様につまらなそうな表情になった。
「なーんだ、セールスか…」
「ねー、もうおしまい?もっとやってー」
「リタ、もう影絵の劇はおしまいですって。帰るわよ、ほら」
中にはキャンドルに興味を示す者もいたが、大半の者が興味を失ってその場を去っていく。
「あ、あの……お客様、どうぞご覧下さい!」
従業員が声をかけると、中の女性の一人がうるさそうに振り返った。
「なあにー?そんな薄暗いキャンドルなんて興味ないんだけどー。
だいたい、なんでキャンドルなんて買うわけ?明かりならランプで充分じゃない、向かいの店みたいなさ」
言われてぐっと詰まる従業員。
ヴィアロも上手い言葉を見つけられず、ただそこに立ちすくむ。
すると。

「ランプの明かりだけでは、見えないものがあるからです!」

後ろから聞こえてきた、きっぱりとしたアリスの声に、ヴィアロも従業員も驚いて振り返る。
立ち上がっていたアリスは、真剣な表情で売り場まで歩いてくると、女性に向かって言った。
「何故、私達がキャンドルを売っていると思います?……ただの雰囲気作りのためではないのよ?」
「え……?」
アリスの言葉にきょとんとする女性。
アリスは続けた。
「新年の最初に口を聞いた人と一年幸せにいられる……皆さんご存知のジンクスだと思います。
だけど、そんなのはただのジンクスでしかないの。そんな、新年最初に一言言葉を交わしただけの相手と一年中仲良く出来ると思って?私は、そうは思いません」
胸元で腕を組んで、祈るようにして。
「人と人との気持ちの行き来には、時間が必要だわ。家族も恋人も、友達もそう。お互いに心を開き、いろいろな事を語り合って……少しずつお互いの距離を縮めていく事で、初めて幸せが訪れるのではないかしら。
……ええ、でも、今からでは少し時間が足りないかしら。……お祭りを楽しんで、親愛を深めるのも一つの形なら、二人でそっと語り合うのもそうだと思うの。このキャンドル、一刻の間しか持たないの……けれど、一刻もあれば十分。このキャンドルが尽きるまででもいいから、お互いにいろいろおしゃべりしてはいかが?どんな些細な事でもいいの、時にはケンカになってしまうかも……でも大丈夫、このキャンドルが丁度いいタイミングで消えて、ケンカの火も一緒に消してしまうから。今年最後の静かな時間のお供に。新年最初に口を聞きたい人と、寄り添いながら眺めても素敵ね。口を聞いてはいさようならじゃあなくて、新年最初のどこか厳かな空気の中、このキャンドルと一緒に新年最初のおしゃべりをしてみてもいいかしら。生憎と照明には力不足だけれど…」
そこで、言葉を止めて。
しかし次の瞬間、アリスは力強く、ゆっくりと言った。
「でも、このキャンドルはきっと、明るいだけの光では照らせないものを映し出してくれるはずよ」
アリスの口上は、呼び止めた女性だけでなく、その場に居合わせた他の客の心も引いたようだった。
「そうねぇ…少し高いけど、たまの新年祭くらい、ちょっと贅沢な気分を味わってもいいかも……」
「ママー、あのきれいなガラスほしいー!」
「そうねえ、綺麗ねえ。神様の模様が描いてあるわね」
「ね、あれ綺麗じゃない?雰囲気ありそう」
「そうだな、ちょっと買ってみるか」
中の何人かがキャンドルに手を伸ばし始め、ブースの前にはちょっとした人だかりが出来る。
「すごい……すごいですよ、お嬢様!」
従業員が感心したようにアリスに言った。
アリスは強く頷く。
「ええ、これだわ。この路線で行くのよ」
そして、売り場担当以外の従業員に向かう。
「大至急、今から言うようなデザインのチラシを作って!
文字は手書きでいいわ、その方が温かみがあるから!
ランプの絵と、それからキャッチコピー!そうね……さっきの言葉、まるまる頂きましょう。
『明るいだけの光では照らし出せないものがある』
『年に一度の新年祭、大切な時間をほのかな明かりと共に過ごしてはいかがですか』
それを作れるだけ作って、この公園と、それから大通りでも撒いて!このブースの場所をしっかり入れるのよ!」
「はい!」
勢いよく返事をし、早速駆けていく従業員。
「あなたは、売り場の方をデコレートして。どこからか、恋人同士が寄り添って話しているような感じの人形を調達して飾りましょう。
もう少ししたら日が落ちるわ。それまでに、売り場の周りを小さいキャンドルでたくさん飾るの。
暗くなれば、キャンドルの光は一層映えるわ!宣伝の為にいくつか離れた場所にも置いてきて。もちろん、横にチラシを置くのよ!」
「はいっ!」
こちらも元気よく頷く従業員。
アリスの指示で、ルクセンブラッテのブースは息を吹き返したように生き生きとし始めた。
そして、その生命力に導かれるように、たくさんの人々がこのブースにやってくるのだった。

→レプスの刻・喫茶マトリカリアへ
→ストゥルーの刻・中央公園へ

中央公園 -ストゥルーの刻-

「ふ……ふん、なかなか……やる、みたいじゃないか」
中央公園での出店時間が締め切られ。
客がぱらぱらと去っていく中、ルクセンブラッテとワンディラッドの売り上げが集められ、両者立会いの下で集計された。
結果は、からくもルクセンブラッテの勝利。
楽勝だと思っていたウィルは、あからさまに引きつった表情で、それでも胸を張ってみせた。
「ふん、僕もワンディラッドの当主だ。一度言ったことは守ろう。
…アリスとの婚約、白紙に戻してやる」
ウィルの苦しげな宣言を、しかしヴィアロとアリスは黙って聞いていた。
あからさまに喜びも蔑みもしない2人に、ウィルはさらに馬鹿にされたように感じたらしかった。
忌々しげに眉を寄せると、吐き捨てるように言う。
「…ふん、覚えておくんだね、ミラ。今のルクセンブラッテにかつての力はない。当主は死に、先代も息子を亡くして意気消沈中。今更立ち上がる力なんて残されていないのさ」
まだヴィアロをミラだと誤解している様子だったが、訂正してやる義理もない。ヴィアロは黙ってウィルを見返した。
ウィルは次にアリスに視線を移すと、引きつった顔で懸命に嘲笑を繕ってみせた。
「……アリス、一人の時間が増えてよかったね。せいぜいまた思い出作りに勤しむがいいよ!けど、君達がワンディラッドの一員になるのは時間の問題なんだからね!」
はっはっは、と、乾いた高笑いをあげると、ウィルは踵を返してその場を後にした。
ワンディラッドの従業員も、おろおろとその後についていく。
その姿をずっと見送っていたヴィアロとアリスだったが、ふいに2人の周りにいた従業員が、興奮した様子で2人に声をかけてきた。
「すごい、すごいじゃないですか若旦那、お嬢様!あのワンディラッドを倒すなんて!」
「え……」
その様子に戸惑ったように見返すアリス。
従業員は満面の笑顔で、アリスに言った。
「さっそく、大旦那様に報告をしてきますよ!きっと喜ぶと思います!それじゃ!」
「あ……」
従業員はアリスの返事も待たずに駆けていく。
アリスは複雑そうな表情で、それを見送った。
「……凄いね」
「えっ…」
ふいに、ヴィアロからぼそりとかけられた言葉に、驚いて振り向くアリス。
ヴィアロは薄く笑って、アリスに言った。
「俺にはあんな売り方、無理だ……口下手だし。……助けられちゃったね。商才、あるんだね……」
「商才……私に…」
「……うん…お兄さんはすごいって言ってたけど……やっぱり、血は争えないね…君も、すごい才能を持ってるんだ……」
「私に……ああ…!」
アリスははっとして、両手を頬に当てた。

『ただいま……』
『あ、お帰りアリス。丁度いい所に来てくれたね、このブローチのPR文を考えてるんだけど……お前の意見も聞かせてくれないか?』
『ッ、何よ!お兄様ならお一人で何でも出来るでしょう!?』
『? 何を怒ってるんだいアリス?僕はそんな完璧じゃあないよ。どうも物事を理屈で捉える癖があって……お前の柔軟な考え方は僕にはないものなんだ、だから……』
『かわいそうな妹へのお世辞はやめて頂戴!どうせ私はお兄様が持ってる物を何も持っていないわ!「ルクセンブラッテのお荷物」なのよ!中途半端に持ち上げないで!』
『……!アリス、また誰かに陰口を言われたのかい?誰だ、僕が話をする』
『哀れまないで!何でも自分で解決できると思って!本当に解決してしまうのが腹立たしいわ!私はいつまで小さくて愚かで弱いミランディアの妹でなければならないの!?』
『それは違う、アリス。お前には確かに才能がある、僕が持っていない輝きを――』
『またそうやって言いくるめようとなさるのね!もういいわ!』

「……そんな、あの時、お兄様は、本当のことをおっしゃっていたの……?」
アリスはわなわなと震えながら、兄と会話をした最後の日のことを思い出していた。
この後、アリスは家を飛び出して、それを追って道に出た兄は――
「私は、お兄様にないものを本当に持っていた……ああ、お兄様はそれもきちんと分かっていてくださったのだわ。『お荷物』だなんて……思っていなかった」
かくん。
アリスは力なくひざを落とし、目にいっぱいの涙を浮かべた。
「それなのに私……!メイドの陰口に踊らされて、一人でイライラして、お兄様に当り散らして……!そうよ、私はお兄様と比較されていつも嘆き悲しんで、悔しがって……。自分で変える努力を一切していなかった!そんなところまでお兄様は手伝ってくれようとしていたのに……。それなのに……!」
はらり。
目にいっぱい溜まった涙が、静かに零れ落ちる。
「私……私、何て事をしてしまったの……ごめんなさい、お兄様……!」
「………」
自分が泣かせたわけでもないのにいたたまれないような気持ちになって、ヴィアロはそっとアリスの肩に手をやる。
アリスはそのまま、しばらく手のひらで顔を覆って静かにすすり泣いた。

「ワンディラッドに勝ったというのは、本当なのか?!」
するとそこに、先ほど去っていった従業員を伴って、一人の男性があわただしく駆けつけた。
40代そこそこといった感じの、黒髪のナイスミドルである。焦りの見えるその表情はやや疲れたようなやつれ方をしていたが、どこかアリスの面影を宿していた。
(この人……)
顔を上げて男性を見たヴィアロを、男性は驚愕のまなざしで見つめた。
「ミラ……?!い、いや、そんなはずが……」
「お父様……」
ようやく落ち着いたアリスも、顔を上げて男性に声をかける。
(ああ……やっぱり…)
淡々と納得するヴィアロ。
アリスは立ち上がると、ヴィアロのほうを向いた。
「お兄さ……あ、ええと…ヴィアロさん。
こちら、私の父で……ルーウィンス・チャロヴァ・ルクセンブラッテです」
ヴィアロの名をあえて呼んで父を紹介したのは、ヴィアロとミラが別人であるということを父に印象付けるためでもあったのだろう。
父…ルーウィンスは、狐につままれたような表情でアリスとヴィアロとを交互に見やった。
「な、何がどうなってるんだ?私にも、1から説明してくれ、アリス」

「……そういうことだったのか……」
アリスから一通りの事情を聞いたルーウィンスは、腕組みをして重く唸った。
「ミラの死からなかなか立ち直れず…ワンディラッドの手の平の上で、あれよと言う間に家を傾けてしまった…こうなることも仕方がない、と思っていた……
しかし…死にかけていたルクセンブラッテが、ワンディラッドに一矢報いることが出来たのだ…
君なら……私達の希望になってくれるかもしれない」
ルーウィンスの瞳には、先ほどまでにはなかった輝きが灯っている。
彼はヴィアロの手を取ると、熱のこもったまなざしを向けた。
「亡き息子に瓜二つなのも何かの縁だ。どうか、私の息子に、アリスの兄になってはくれないだろうか?」
その瞳は、真剣そのもので。
ヴィアロはしばらく困ったようにそれを受けていたが、やがておもむろに、その手を押し返した。
「……そう言ってくれて、嬉しい。ありがとうございます。
……けど、俺には……目的が、あるし。
それに……」
ヴィアロはアリスの方を向いて、続けた。
「――家を建て直したいなら、彼女がいる」
「…アリスが……?どういう…ことかね?」
不思議そうな表情のルーウィンス。
ヴィアロは再び、ルーウィンスのほうを向いた。
「今回の勝負……俺は、何もしてない、よ……
…この商品の『売り』を見抜いて、魅力的な口上でお客の興味を引いて……
店の人たちに指示をして、これだけの売り上げを上げたのは………全部、この子……」
「なんだって……?!」
ルーウィンスは驚いて、従業員の方を向いた。
「本当です、大旦那様!」
従業員はこぶしを握り締めて力説する。
「お嬢様は、私たちが考えもつかなかったようなコピーでお客さんをひきつけて、そのコピーを盛り立てるディスプレイやチラシ撒きの指示なんかをしてくださったんです!
そりゃあもうてきぱきと……本当に、生きていらした頃の若旦那様のようでした!
お嬢様にも、確実に、大旦那様と若旦那様の血が流れておいでなんですよ!」
「まさか……そんな…アリスに、そんな才能が…?」
ルーウィンスは信じられないといった様子で、呆然とアリスの方を見た。
そこに、ヴィアロが静かに続ける。
「……どうか、この子の話も聞いてあげて。この子も、きっと……ミラと、同じぐらい……この家を愛してるはず、だから」
「お父様……」
もの言いたげな表情でルーウィンスを見上げるアリス。
ルーウィンスは苦悩の表情で、目を逸らした。
「……しかし、女が商売の道に入っても……」
「お父様、聞いて」
アリスは強い瞳で、ルーウィンスに言い募った。
「私は、今まで無力でした。お兄様の才能の陰に隠れて、お荷物扱いされて……。
けれど、それは私の怠慢でした。自分で脱却する努力もせずただメソメソしていただけ。
……お兄様は、そんな私を認めていてくださった。
私は愚かだったから、お兄様が生きているうちに気づくことが出来なかったけれど……」
少しだけ、辛そうに目を閉じて。
しかし次の瞬間、より強い瞳で再び父を見上げる。
「お父様、私はお兄様の跡を継ぎます。
当主にしろとは言いません。私を、商会の仕事に関わらせて欲しいんです。
私は、お兄様ではないから……お兄様ほど上手くは出来ないかも知れないけれど。
お兄様が認めてくださった、私にしか出来ないやり方で、家を立て直したいんです。
それが、お兄様のご遺志だと思うから」
「アリス……」
ルーウィンスは、今初めて娘という生き物を見るように、呆然とアリスの瞳を見返した。
それを静かに受け止め、強い決意で父を見上げるアリス。
やがて、ルーウィンスは、微笑と共にアリスの肩に手を置いた。
「……アリス、すまなかった……ミラを跡継ぎにする事に必死で、そしてミラに頼りきりで……お前を、しっかり見てやることが出来なかった。
父親、失格だな……」
「そんな……」
「こんな私を、家を、お前は立て直したいと言ってくれている。
……一度は潰れる覚悟をした身だ。
一緒に、戦ってくれるか、アリス」
ぎゅ。
大きな手で、今度はアリスの両手を取って。
「私の娘で……いてくれるか?」
アリスは満面の笑みで、大きく頷いた。
「もちろんです、お父様!」
感極まって、そのまま父を抱きしめる。
「アリス……!」
ルーウィンスも感激した様子で、アリスを抱きしめ返した。
従業員が嬉しそうに目頭を押さえている。
今初めて通じ合えた心をじっくりと確認するように、父娘の抱擁は長い間続いた。

…アリスが、ヴィアロがいないことに気づくまで。

中央公園 -マティーノの刻-

「お兄様……!!」
中央公園の外れ。
ちょっとした森のようになっている散歩道を一人歩いていたヴィアロは、後ろからかけられた声に驚いて振り返った。
「……あ…」
道の向こうから、息を切らせてアリスがこちらへ走ってくる。
「おにい、さま……!はぁ、は、やっと、見つけ、た……!」
はあ、はあ。
ようやくヴィアロの前まで走ってきたアリスは、肩で息を整えてから、ヴィアロを見上げた。
「いきなりいなくなってしまうんですもの…!探しましたわ…!」
「…ご、ごめん……二人きりにしてあげたいと思って…」
「もう……!」
アリスはかなりご立腹の様子だったが、改めてヴィアロを見ると、ぺこりと頭を下げた。
「今日は……迷惑かけて、ごめんなさい」
「え………」
「私、ただ思い出を作りたくて……」
申し訳なさそうに言うアリスに、ヴィアロは微笑を返した。
「……思い出を作る事って、何か悪い事だったっけ……?」
「……え…」
きょとんとしてヴィアロを見上げるアリス。
ヴィアロは何か考えるように、視線を動かした。
「それに、その思い出はもう、いらないはずだよ。結婚しなきゃいけないから、思い出が欲しかった…んでしょう…?
……君の結婚は、とりあえず先送りになった……。あとは、君と、お父さん次第、だよ――」
「お兄様……」
アリスは困ったようにヴィアロを見上げ、それから苦笑した。
「……いらないこと、ないです」
「……?」
「楽しかった……また、お兄様と話せて、一緒にお祭りを楽しめた……そんな風に思ってるんです。
ヴィアロさんにとっては、今日は知らない小娘に連れまわされて迷惑な一日、だったんでしょうけど」
「――そうは言ってないよ」
ヴィアロは少し不満そうに口を尖らせ…そして、再び微笑した。
「……俺もね、楽しかった。……妹が、出来たみたいで。――家族って、こんなんなんだ、って……感じる事ができて。
……名前を奪われる前は、家族とあんな風に楽しんでいたのかなあ、って思える。
……前は、そうやって重ねて考えるの、苦手だったんだけど――ちょっと、好きになれそうだよ」
「ヴィアロさん……」
「今日が終わるまでは、お兄様……だったよね?」
ヴィアロが言うと、アリスは微笑んで頷いた。
ヴィアロは少しだけ笑みを深くして、続けた。
「俺に、家族の暖かさと……そして、素敵な新年祭をくれた……すごく、感謝してる……
ありがとう……いろいろ大変だろうけど、頑張って」
「こちらこそ」
アリスはもう一度微笑んで、頭を下げた。
「……本当に、ありがとうございました。……誰が何と言おうと、貴方は、私のもう一人の兄様です」
言って、何かを期待するようなまなざしで、ヴィアロを見上げる。
「……またいつか、会える時が来たら……兄様って呼んでも、いいですか?」
ヴィアロは、微笑んで即答した。

「―――――もちろんだよ、アリス」

アリス、と。
初めて、名前で呼んで。
ヴィアロはぎこちなく、アリスの頭を撫でた。
「君という妹に会えて……嬉しい。今年は、いい年になるよ、絶対にね」
「お兄様……」

かーん……かーん……
新年の鐘と共に、ちらちらと雪が舞い降り始める。

新年の鐘までの兄弟の絆は、もう少しの間だけ、延長されるようだった……。

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