真昼の月亭 -ルヒティンの刻-

「ふー、いやー買った買った」
「お疲れ様ですケイトさん、お荷物全部持ってもらっちゃってすみません」
「いいんだよ、全部あたしが買ったようなもんだからさ」
大きな荷物を抱えたケイトとアカネが戻ってきたのは、ルヒティンの刻を少し過ぎたところだった。
どさ、とカウンターの後ろにケイトが背負っていた大きな籠を下ろしたところで、上からトントンと誰かが降りてくる音が聞こえる。
「……お…おはようございます……」
少し眠たそうな目をしたコンドルが、おそるおそる言った。
「あ、おはようございます、コンドルさん」
「おはよう、コンドルさん」
アカネとケイトが元気にそちらに挨拶を返す。
「け、ケイトさん、アカネさん、は、早いんですね……」
言いながらカウンターに座るコンドル。
「ああ、今日の新年会の料理のために買出しをしてきたんだよ。コンドルさんも早起きだね。何か食べるかい?」
「あ、は、はい…お肉抜きのベジタブルチャーハンと、えと、あ、アイスティーを」
「なんだい、好き嫌いはよくないよー?ちゃんと食べないと大きくなれないよ?」
たしなめるように言うケイトに、コンドルは困ったように眉を寄せた。
「え、で、でも、あの、お、お肉は……」
ケイトは何かに思い当たったらしく眉を上げた。
「ああ、ベジタリアンなのかい。そいつはすまなかったね。でも、タンパク質を取らないと体が大きくならないのはホントだよ?どれ、チャーハンに大豆でも入れてやるよ、ちょっと待ってな」
「あ、あの…ぅ……ありがとうございます…」
コンドルは困ったように、それでもケイトに礼を言った。

「ふぅ……」
ケイトに出された山盛りの大豆ベジタブルチャーハンを何とかたいらげ、コンドルは多少辟易した様子で真昼の月亭を出た。
「…新年会は、夕方からか……確か、中央公園に色々お店が出てるって言ってたよね。
兄さまの誕生日も近いし、そこで何か、プレゼントでも買おうか、リュートくん」
肩に乗っている不可思議な生き物に言いながら、一歩を踏み出す。
と。
どん。
「わっ」
「うわっ!何だテメエ、いきなり出てきやがって!」
向こうの方から歩いてきた男に気付かずにぶつかってしまう。
コンドルは慌てて体勢を立て直すと、しどろもどろで謝った。
「あ、あの、ご、ご、ご、ごめんなさい、えと」
「んだぁ、うぜえガキだな!ごめんで済みゃ自警団はいらねえんだよ!」
見るからに短気そうな男は、見るからに短気な行動に出た。コンドルの胸座を掴むと、小さな体をひょいと吊り上げる。
「くっ………くるしい、です、や、やめてください…」
コンドルの途切れ途切れの声を無視して、ギリギリと喉元を絞める男。
すると。
「…やめなよ」
ぱし、と手を軽く叩かれ、男はそちらに目を向けた。
「あぁ?何だてめえ!」
男はコンドルを脇に放って、自分の手を叩いた人物に向き直った。
背はそれほど高くない。両脇から大きな耳が覗いている。獣人なのだろう。茶色い髪は短く整えられてはいるが、その華奢な体つきはどう見ても少女のそれで。
少女……ジルは、無表情の中にも静かな敵意を込めて、男を睨んだ。
「その子…よそ見しててぶつかっただけでしょ。そこまでする必要ない」
「うっせえ!ガキは家に帰って母ちゃんの手伝いでもしてな!」
男の言葉に、ジルはわずかに眉をひそめた。
「……自分よりも小さい子供を虐めるのが楽しいのかどうかは知らないけど。そういうのって、大抵は弱い自分を認めたくないからやるんだよね?」
かちん。
という擬音が聞こえそうなくらい、男の表情があからさまに変わる。
「…テメェ……何様のつもりだ?あんまりナメたこと言ってっとブッ飛ばすぞ!」
言われ、ジルは自分の失言を少しだけ悔やんだ。
相手は相当怒っているようだ。そら怒るだろう。
小さな女の子(もちろんコンドルのことだ)を助けようと勢いで出てきてしまったが、自分よりもかなり背が高く体格のいい成人男性を相手に、特に何か策があるわけでもなかった。
(……普通の人相手に…これを使うわけにもいかないし…)
ちらり、と腰に下げた短剣を見る。
「でやあぁぁっ!」
ジルが逡巡している間に、男は奇声をあげて殴りかかってきた。
しかし、必要以上に大振りなそのしぐさは、避けることはそれほど難しくない。
「だぁっ!このっ、ちょこまか、しやがっ、てっ!」
すいすいと自分の拳をかわしていくジルに、男はさらに逆上している様子だ。
ジルは仕方なく、牽制のために腰の剣に手をかけた。
「おおっと!」
そのしぐさに隙が出来たのか、ばっ、とジルの腕を取る男。
「あっ!」
勢いで腰から外れた剣は、あっという間に男に取り上げられた。
「物騒なもん持ってんじゃねえか。ガキには似合わないぜ、こんなもん。俺がもらってやるよ!」
アドバンテージが取れたことに、男は満足げに口の端を歪めた。
「…返して…っ……返せっ!」
ジルはきつく男を睨みやって、男の手に取られた短剣を取り返そうと手を伸ばした。
「あっ、このっ、何しやがる!」
男の腕に取りすがり、今にも噛みつかんばかりの勢いで手を伸ばすジル。
男はジルに剣を取られまいと、必死でそれに抵抗する。
「……あ……あぁ…あぶないっ!!」
少し離れてそれを呆然と見ていたコンドルは、やおら両手を前に突き出した。
ぶわ。
コンドルの頭上に、白い炎をまとった大きな鳥が現れる。
「?!」
「な、なんだありゃあっ?!」
驚くジルと男。コンドルはそのまま、びし、と男の方を指差した。
「…行け、シャイニングフェニックス!」
命令のままに、鳥は大きく羽ばたいて男の方へと突進していく。
「うわあっ!」
「ひゃあああぁっ!」
その鳥を避けようと、必死になって地面に転がる男とジル。
その拍子に、ジルは男から手を離してしまう。
「な、な、なななんだこりゃあ!うわあぁぁぁ!」
男は情けない悲鳴をあげ、もつれる足で必死に立ち上がると、一目散に逃げていった。
「…っ、待て……っ!」
ジルも必死に立ち上がり、男の後を追う。
真昼の月亭の前の小道から、大通りへ。
たっ、と角を曲がって、とおりに出た頃には。
「…っ………」
年末の異様な人出にまぎれ、すでに男はどこにいるのかわからなくなっていた。
ことん。
ふらり、と体が揺れて、すぐそばの壁に寄りかかる。
「……どう、しよう……剣…取られちゃった……」
不思議な力を持った剣。
否、それ以上に、エレーナとの思い出が詰まった、大切な剣。
今からこの広いヴィーダを、それも新年祭でこれだけの人が行きかう中を、ただ一人あの男だけを捜して歩いたところで、見つかる可能性は低い。
「あ、あの……」
ふいに後ろから声がしてそちらを見ると、先ほどの「小さな女の子」だった。
コンドルはもじもじしながらジルに言った。
「あの……あ、ありがとうございます…け、怪我とかありませんか?」
「怪我は、ない……けど」
ジルはわずかに眉を寄せて、剣が下がっていた自分の腰元を見た。
「あ……け、剣、取られちゃいました、ね……」
取られた理由の大部分はコンドルのシャイニングフェニックスだというツッコミはしないでおく。
ジルは少しうつむいて、ぽつりと呟いた。
「……探さなくちゃ…大事なもの、なんだ」
コンドルは困ったように首をかしげて、それから言った。
「…あ、あの、ボクにも探すの手伝わせてください。も、元々ボクのせいだし…」
ジルはきょとんとして、コンドルの顔を見た。
「……いいの?」
「は、はい!あ、あ、あの、ぼ、ボクはシェリク=ムー・ウェルロッドって言います。あ、で、でも、コンドルって呼んでくださいね」
ボク?
先ほどから何か違和感があると思っていたが、このどこからどう見ても女の子にしか見えない子供は、男の子だったのだろうか。名前も男性の名前だ。
しかも、初対面の人間にニックネームで呼べというのは…よほどこの名前が気に入っているのか、それとも本名を呼ばれたくない事情があるのか。
いろいろなことを考えたが、とりあえずさして断る理由もない。ジルは頷くと、名乗り返した。
「……コンドル、ね。…私はジル。宜しく」
「じ、ジルさん、ですね。よ、よろしくお願いします」
やはりしどろもどろに、しかし嬉しそうに微笑むコンドル。
「あ、あの、ぼ、ボク、とってもよくあたるって評判の占い師の人を知ってるんです。よ、良かったら占ってもらいませんか?」
「…占い師?」
「は、はい。あの、占いに頼るなんて、って思われるかもしれないですけど、えっと、ほ、ホントによく当たるんです」
ジルは少し考えた。
あの男の手がかりがない以上、その占いに頼るのも悪くない。
「……わかった。行こうか」
「は、はい!あ、あの、今日は中央公園のバザーに一緒に出展してるはずなんです……あ、あの、中央公園に…」
「……そうだね」
ジルは無愛想にそれだけ言って、一人中央公園の方向に歩き出した。
コンドルもあわあわとそれについていく。
そして、二人は人ごみの中に消えていった。

ミドルの刻-真昼の月亭へ

ミドルの刻-中央公園へ

真昼の月亭 -ミドルの刻-

「こんにちはー……あれ」
真昼の月亭に顔を出したミケは、懐かしい顔に少し驚いたようだった。
「よっ、ミケさん!お久しぶり」
「ケイトさんじゃないですか。お久しぶりです」
にこり、と微笑んで。
すでにカウンターの中で何かを作っている様子のケイト。それを覗き込むようにして、ミケは言った。
「…ひょっとして、新年会の?」
「あったりまえじゃないか!ぜひあたしにも手伝わせておくれよ!」
がははは、と豪快に笑うケイトに、ミケは嬉しそうに笑顔を返した。
「ありがとうございます!僕の料理は個人レベルなので、プロの料理を見せてもらうのはありがたいです。御指南とかもよろしくお願いします」
「やだねえ指南なんて。照れるじゃないかこのー!」
「じゃあ、早速買い物を…」
「何言ってんだい、買い物なんて朝にとっくに済ませちまったよ!」
ケイトが笑い、ミケは驚いて目を見開いた。
「本当ですか!いやぁ…さすがプロですねぇ…」
「…っと、ミケさんお昼は済ませたかい?」
「いえ、準備しながらついでに何か作って食べようと思ってたところなんですが」
「じゃあ、あたしが軽くサンドイッチでも作ってあげるよ。ちょっと待ってな」
「あ、いえそんな、お構いなく」
「何言ってんだい。オードブルの残りを軽く挟んでサンドイッチにするだけのまかない飯みたいなもんだ、遠慮はいらないよ。さ、そこに座って。すぐ出来るからね」
「あ、ありがとうございます。じゃあ作ってる間に…アカネさん、先日預けた、飾り付け用の荷物は…」
「あ、2階の部屋に置いてありますよ。待っててくださいね、鍵空けますから」
「お手数おかけします」
ミケはアカネと共に2階の部屋へ。
「はい、こっちはポチさんのだよ」
手早くサンドイッチを作ったケイトは、スープをカップに入れてテーブルの上に並べ、さらにミケの使い間の黒猫ポチのために入れたミルクの皿も置くと、再び厨房へと姿を消した。
ポチは軽く牛乳の匂いを嗅ぐと、ぺろぺろと舐め始める。
軽く暖められたミルクは、ポチの口に合ったようだった。しばらく、夢中で舐めている。
と。
テーブルの下から、にゅ、と突き出た手に、ポチは気づいて顔を上げた。
手は正確にテーブルの上にあったサンドイッチをつかみあげると、取り去っていく。
持ち去られた方向を見れば、小さな女の子が、テーブルの上に必死に顔を出してサンドイッチを頬張っている。
肩までのウエーブのかかった金髪。一目で「金持ちそう」という印象を植え付ける、綺麗な青い外套。顔立ちは幼いながらも高貴さを感じさせ、彼女がやんごとない家の人間であるということがわかる。
もっとも、そこまではポチには判らないのだが。
「……なー?」
てち。
何してるの?というように、少女の腕に猫ぱんち。
少女はまったく意に介さず、次のサンドイッチに手を伸ばす。
「なー、なー」
ポチはめげずに少女の腕に猫ぱんちを続けた。しかし、少女は気にせずにひたすらサンドイッチを食べる。
少女の咀嚼する音と、ポチの泣き声だけが誰もいないフロアにしばし響き渡った。
「ポチ?どうしたのですか?」
上から荷物を抱えたミケとアカネが降りてくる。
ミケはテーブルの上で自分のものと思われるサンドイッチを頬張っている少女を見つけ、階段を下りる足を速めた。
「……あなたは……?」
ミケが顔を覗き込むと、少女はばつが悪そうな表情でふいと横を向いた。
「…この辺の家の子ですか?」
アカネに問うが、首を振る。
「いいえ、見ない顔です。というか、なんか見るからにお金持ちそうな服着てますし」
「そうですねえ…」
「なんだい、なんかあったのかい?」
厨房からケイトも顔を出す。
「おや。なんだいその子。ミケさんの子かい?」
「ぶちますよ」
半眼で言って、ミケは少女に向き直った。
「そうですね、じゃあまず名前と、お家を…」
「ママ!!」
言い終えぬうちに、少女はそう叫んでミケに抱きついた。
「ま……っ」
驚きのあまり硬直するミケ。
「なんだいミケさん、やっぱり子供なんじゃないか!ちくしょう、あたしというものがありながら!」
「なんでですか!」
あからさまに面白がるケイトに全力でツッコミを入れる。
「ミケさんったら私というものがありながらー」
「アカネさんまで何でノリノリなんですか!」
とりあえずそちらにも叫んでおいて、ミケは少女に向き直り、笑顔で頭を撫で…ているようだが鷲掴みにしているようにも見える。
「……ええと、ゴメンね?僕、男なんですよ……」
「ミケさん、笑顔が怖いです」
アカネが楽しそうにツッコミを入れる。
「…それはともかくとして。お名前と。どこから来たのか、教えてくれますか?」
ミケの再度の質問にも、少女はふい、と横を向くばかり。
「ふむ……」
ミケは腰を上げて、唸った。
家出か。迷子の可能性もある。人見知りをする子なのかもしれない。
どちらにしろ、むやみやたらに動くより、この場所に留めて預かっていた方が、見つかりやすいし見つけやすいかもしれない。しばらくして何の動きもなければ、それこそ観光課や自警団の出番となるだろう。
ミケは、ぽん、と少女の頭を軽く叩いた。
「きゃっ」
小さく悲鳴を上げて叩かれた場所を手で押さえる少女に、少し厳しい表情で告げる。
「……働かざる者食うべからず、です。これから料理をたくさん作らなきゃ行けないので、お手伝いしてくれますか?ま、バイキング形式の料理なので、形がよほど崩れない限りは、つまみ食いしてもわからないですけれどね?」
ミケの言葉に、少女はぽかんとした表情になった。
それを聞いて、ケイトも嬉しそうに表情を崩す。
「そうだね!じゃあ、さっき作ったオードブル、皿に並べてもらおうか。お嬢ちゃんの感性で構わないよ、綺麗に並べとくれ」
言って、厨房からオードブルの並んだ盆と皿を持ってくる。
「さ、ここは頼んだよ。綺麗に並べとくれ。まあ、並べる時点で、量が多すぎたものが少しぐらい減ってもわからないと思うけどね?」
テーブルにプレートを置いたケイトがそう言ってウインクすると、少女はぽかんとした表情のままケイトとミケを交互に見た。
ミケは少女ににこりと微笑みかけ、ケイトの方を向く。
「さあ、じゃあケイトさん、料理の続きを手伝いましょう」
「おうよ、やることはまだまだいっぱいあるよ。がんばっとくれ!」
二人はそのまま、連れ立って厨房へと姿を消した。
「さあ、じゃあがんばってやっちゃいましょう?」
アカネに声をかけられ、少女はうつむいて浅く頷く。
無言のまま、アカネを真似てオードブルを皿に並べていく少女。
言外にミケとケイトからつまみ食いの許可は出ていたが、それ以降は何も食べることなく、もくもくと作業をこなしていた。
が。
がちゃん。
「きゃあっ!」
ふとした弾みで、少女が触れた皿がテーブルから落ち、甲高い音とともに割れてしまう。
当然、皿に乗っていたオードブルもぺしゃんこだ。
アカネは慌てて駆け寄った。
「怪我はないですか?!お皿に触っちゃだめですよ、すぐにお掃除しますから!」
少女に触れないようにと注意して、すぐ側に立てかけておいた箒とちりとりを手に取る。
それを持って割れた皿に歩み寄ると、少女は顔を引きつらせて後ずさった。
「………っ!」
「あっ!」
アカネが何か声をかけようとする前に、少女はきびすを返して外へ走り去ってしまう。
「あぁ……気にすることないのに…」
挙げかけた手を所在無くぶらぶらさせて、残念そうな顔でアカネがつぶやいた。
「どうしたんですか?何か、音がしましたが」
「何かあったのかい?…あちゃー、やっちゃったねぇ」
厨房から顔を出した2人が、割れた皿とダメになったオードブル、そして姿を消した少女から事態を悟る。
「で?あの子は、逃げちまったのかい?」
「ええ……そんな、気にすることないのに…」
ケイトの問いに、アカネが答える。ミケが肩をすくめた。
「まあ、いいとこのお嬢さんなんでしょう、本当に。
お手伝いもあまりしたことがないんでしょうし…悪いことをしてもごめんなさいとはなかなか言いづらいのかもしれませんね」
「慧眼だね、ミケさん。…ちょっと偏見入ってる気がしないでもないけど」
「そりゃあ、僕は庶民ですから」
冗談めかして言って、片付けようとするアカネを手伝う。
と。
「…こんにちは…」
きぃ、とドアが開いて、一人の女性が入ってきた。
顔を上げたミケが、笑顔で迎える。
「オルーカさん。こんにちは、お久しぶりです。新年会の方に来てくれたんですか?」
「こんにちは、ミケさん。え、ええ、新年会の方には寄らせていただこうと思っているんですが…今はちょっと、別件で」
「別件?」
ミケが首をひねったところで、後ろにいたケイトがミケの肩をつんつんとつつく。
「ちょいと、ミケさん。この別嬪さんは誰だい?隅に置けないねえ」
「あ、ああ、ケイトさんは初対面でしたね。この間、依頼をご一緒した、オルーカさんです」
「オルーカです。よろしくお願いします」
ミケに紹介され、オルーカはケイトに向かって微笑んだ。
「カトリーヌ・ウォン・カプランだよ。ケイトって呼んどくれ。こちらこそよろしく」
ケイトもにこりと笑って、オルーカに握手を求める。
笑顔で握手を交わした後、オルーカは再びミケのほうを向いた。
「あの…人を探してるんですけど。
10歳くらいの、金髪で、青いコートを着た女の子、見ませんでしたか…?」
「10歳くらいの…」
ミケが言い、
「金髪で…」
アカネが続き、
「…青いコートを着た女の子?」
ケイトがつぶやいて、3人は顔を見合わせる。
そして、同時にオルーカの方を向いた。
「……見ましたよ」
「ほ、本当ですか?」
身を乗り出すオルーカ。
ミケは頷いた。
「……なんかおなかが空いていたみたいで……ちょっと気になったので、引き止めて料理を並べるお手伝いをしてもらってたんですが……その途中で一皿落としちゃって。それを怒られると思ったのか、逃げちゃったんです」
「こ、これもしかして、その子が?」
床のオードブルの惨状を見て、青い顔で問うオルーカ。
「はい。特に怒ったりはしなかったんですけど、片付けようとしたら逃げちゃって」
アカネが言うと、オルーカはそちらに向かって丁寧に頭を下げた。
「す…すみませんでした。お代の方は、全額弁償させてもらいますから…」
依頼主が。
余計な一言は心の中だけに留め、オルーカはアカネに言った。
「いいんですよ、気にしないでください。どうせ、週に1回くらいは何かしらお客さんが壊すんですから」
それもどうか。
申し訳なさそうにしているオルーカに、ミケはわずかに眉を顰めて言った。
「……あの、差し出がましいようでけれど、こんな日におなかを空かせて一人で町をうろつくのは、ちょっと問題があると思うんですけれど、どうしたんですか?」
オルーカは戸惑った表情のまま、言葉を選ぶようにして事情を話す。
「それが…依頼を受けて、今日一日面倒を見ることになった子なんです。けど、ちょっと目を放してる間にはぐれてしまって…」
「…そうだったんですか。本当に、ついさっきまでいたんですけどね。でもこの人出じゃあ、なかなか見つからないかもしれませんね」
「そうですね……」
ますます表情が翳るオルーカ。
ミケは少し考えて、ぽん、と手を叩いた。
「パフィさんに占っていただいたらどうでしょう?今日は新年祭で、中央公園にお店を出しているはずですよ」
「あっ…そうか、そうですね。そうしてみることにします」
オルーカの表情が、少しだけ明るくなった。
ミケはその様子に、再びにこりと微笑む。
「早く見つかるように祈っています。もし、良ければ……ご飯、残しておきますから。見つかったら……そのときもまだおなかが空いていたら、連れてきてください。勿論あなたもご一緒に」
「はい、是非」
オルーカが言って微笑む。
と、話がまとまったところでケイトがぱん、と手を合わせた。
「そんじゃ、ミケさんも食い損ねてたお昼がてら、オルーカさんもお昼といかないかい?どうせ何も食べずにずっと探し回ってたんだろ?」
「い、いえ私は…」
続けて探します、と言おうとして。
ぐるるるる~……
オルーカの腹部から盛大な音がする。
「あ……」
オルーカは顔を赤くして、次に3人と向き合って吹き出した。
「私のお腹は限界を訴えてるみたいですね。お昼、ご一緒させてください」
「あいよ!じゃあ、ちゃちゃっと作っちゃおうかねぇ!」
ケイトは大きな腕をぶんぶん振り回すと、再び厨房に消えていった。

ミドルの刻-大通りへ

レプスの刻-真昼の月亭へ

真昼の月亭 -レプスの刻-

「こんにちはー」
きぃ、とドアを開けて、間延びした声でそういって入ってきた人物に、テーブルの準備をしていたミケはぱっと明るい表情になった。
「ミシェルさん!お久しぶりです」
持っていたはさみとテープを台の上に置くと、ミケは入ってきた女性…ミシェルに駆け寄る。
「こんにちはーミケ。お久しぶりー」
誰かが来た様子に、厨房からケイトも顔を出す。
「ミケさん、誰か来たのかい?」
「あ、はい。以前依頼でお世話になった、ミシェルさんです」
ミケが紹介すると、ミシェルは笑みを深くした。
「ミシェルよー、よろしくねー」
「そうかい。あたしはカトリーヌ・ウォン・カプラン。ケイトでいいよ、よろしく」
二人が笑顔で握手を交わしてから、ミケがミシェルに問うた。
「新年会に来てくださったんですか、ありがとうございます」
「うん、リィナに誘われてねー?ちょっと早かったかしらー」
「そうですね、始まるのはもう少し後です。もう少しどこかを回ってきていただいても良いですし、その辺に座って待っていてくださっても…」
「んー、せっかくだし、私も何か手伝うわー。何かすることはあるー?」
ミシェルの言葉に、ミケはうーんと唸った。
「そうですね…飾りつけは僕一人で十分ですし…料理もケイトさんがやってくださいますし…特にすることは……」
「あ、ねーえ?」
ミシェルは唐突に一本指を立てて、楽しそうに言った。
「せっかくの新年会なんだし、来てくれた人におめかししてもらうのはどうかしらー?」
「おめかし、ですか?」
きょとんとするミケ。
ミシェルは手のひらを合わせて頷いた。
「そうー。お衣装は私が用意するからー、自由に選んで着てもらうのー。ちょっとした仮装パーティー?」
「……まともな衣装なんですか、ねぇっ!?」
以前ナースの衣装を着ざるをえなかったミケが、少しミシェルを睨むようにして問う。
ミシェルはころころと笑った。
「やだー、あたりまえじゃなーい。
お衣装はー、すぐ用意できるからー。それじゃあ、そのあとは、ケイトを手伝って、私も何かお料理を作ろうかしらー」
「ああ、何か作ってくださるなら大歓迎です。よろしくお願いしますね。じゃあ僕は、飾り付けが終わったらその料理をテーブルに並べようかな。それくらいでちょうど、ストゥルーの刻になりますよね」
「そうねー。じゃ、早速行ってきましょう~♪」
上機嫌で厨房に消えていくミシェル。

それが、悲劇の序章になろうとは…約一名を除いて、まだ誰も知らなかった…。

ストゥルーの刻-真昼の月亭へ

真昼の月亭 -ストゥルーの刻-

「さて、ポチ、じゃあ受付はよろしくお願いしますね」
「にゃあ」
入ってすぐの場所に机を置き、その上に猫を、その右側に会費の徴収箱を置く。
会費の徴収と見張りは、ミケの使いまであるポチの役目だ。
「そろそろ、皆さんも来るはずです。準備の方、ありがとうございました」
後ろを振り返ると、準備に協力したケイトとミシェルがにこりと微笑む。
「さあ、あとは皆さんを待つだけ、ですね」
と、ミケが一歩踏み出そうとした、その時。
「やっとついたああぁぁぁっ!」
ばたん、と乱暴なドアの音がして。
レティシアが息を切らせながら、入ってくる。
「レティシアさん!どうしたんですか、そんなにボロボロになって」
「ちょ、ちょっと、い、いろいろあってね…
で、でもミケ、新年会のお手伝い、私も……」
と、顔を上げると。
真昼の月亭の中は、もうすっかり新年会仕様に出来上がっていて。
「……そ……そんなぁ…」
じわ。
レティシアの目尻に、涙が盛り上がった。
「ミケと…ミケと一緒に準備したかったのー!!お料理とか一緒にしたかったのー!!」
泣き出さんばかりの勢いで、がくりとくずおれるレティシア。
「れ、レティシアさん。そんなに気を落とさないでください」
慌ててミケが、その傍らにひざまずいて肩に手を置く。
「そうだ。まだデザートとかはちゃんと並べてなかったんですよ。一緒に並べましょう?ね?」
「ミケ……」
優しく微笑むミケに、潤んだ瞳を向ける。
「うーん、さすが紳士だねぇ、ミケさんは」
ケイトがからかうように言って。
「そうだー、レティシアー。よかったら、あとでミケにもお衣装選んであげてー?」
ミシェルが言い、レティシアはそちらを向いた。
「お衣装?」
「うんー、パーティーに来た人に、お衣装の貸し出ししようってお話になってー、向こうに用意してあるのー」
「僕はいいですよ、幹事なんですし。お客様に着ていただければいいですよね」
「とんでもないっっっ!!」
レティシアが立ち上がって力説する。
「ミケっ!ミケにぴっっったりの衣装、私が絶対に選んであげるからねっ!おおおお、萌えて…じゃない、燃えてきたわよー!!さあミケ、先にデザート盛り付けちゃいましょっ!!」
「あ、は、はい」
引っ張るようにミケを厨房に連れて行くレティシア。
ミシェルとケイトは、それを微笑ましげに見送った。

「こんばんは。もう始まってる?」
最初に現れたのは、クルムとアルディア。
「ああ、クルムさん!こんばんは」
「こんばんは、クルム!久しぶり!」
出迎えた二人の顔に、クルムは微笑んだ。
「ミケ、レティシア。久しぶり。わぁ、2人とも決まってるね」
ミケはきっちりとしたシャツに黒いベスト、黒いパンツに黒いコックコートという、ウェイターのいでたちに身を包んでいる。
対するレティシアは、ミニのタイトなスカートに小さなエプロンという、ウェイトレスの格好だ。
「私が選んだの!どう、似合うでしょ?」
「うん、似合うよ。2人とも、ロッテの依頼以来だね。元気だった?」
「うん、私は元気よ。クルムも元気そうね」
「そうだね、がんばってやってるよ」
「クルムさん、そちらの方は…」
ミケに促され、クルムはアルディアの方を向いた。
「ああ、こないだの依頼で知り合ったんだ。オレが新年会に誘ったんだよ。アルディアっていうんだ」
アルディアはクルムに紹介され、浅く頭を下げた。
「アルディアという。初めまして、ミケ」
「アルディアさん、ですか。ミケです、よろしくお願いします」
「レティシアよ、よろしくね」
「……と、一品持ち寄りだと聞いていたが、何処に置けば良いのだろうか?」
アルディアが持ってきた瓶を示し、ミケは手を差し出した。
「ああ、はい。僕がお預かりします。これは…?」
「うん?…ああ、青汁だ」
「あ、青汁…?」
微妙な顔をするミケ。
「……健康に良いぞ。…いや、本当に」
問題はそういうことではなく。
「わ、わかりました。ありがとうございます」
引きつった笑顔でミケはそれを受け取った。
「あ、オレはこれ。フルーツケーキとチョコレートケーキだよ」
「わぁ!ありがとうクルム、みんなで食べましょうね」
クルムが持ってきた包みを、レティシアが嬉しそうに受け取る。
「あーっ!ミケちゃんだぁ、久しぶりー!!」
続いて、リィナが店に飛び込んできた。
「リィナさん、お久しぶりです。……あれ、後ろの方は?」
リィナの後ろに立っている男性に気付いたミケが促すと、リィナは笑顔で彼を紹介する。
「えっとね、リィナのお兄ちゃんなの!」
リィナの紹介に応じて、ショウがにこりと微笑む。
「初めまして、ショウ・ルーファです。こんなに美しいお嬢さんとお知り合いになれて光栄ですよ…」
と、すかさずミケの肩を抱くショウ。
「お兄ちゃん!」
怒るリィナのセリフと同時に、ミケがぴしゃりとその手を叩いた。
「僕は男です。よろしくお願いしますね。ショウさん」
「えっマジで。俺の目も衰えてきたのかなぁ…」
「もう、いいから!さっさと行くよ、お兄ちゃん!あ、ミケちゃん、これ持ちよりの一品ね。海老の香草炒め~」
「あ、ありがとうございます…」
リィナはミケに持ってきた皿を渡すと、ショウの手を引いてずんずん遠くへ入っていく。
「こ、こんばんは……」
つづいて、控えめな声が彼らを呼んだ。
「ああ、コンドルさん。お久しぶりです」
ミケは笑顔でそれを迎える。
「ぽ、ポチくんが、受付、してるんですね……リュートくんもテイルちゃんも、ポチくんと一緒にここにいなよ。一緒に受付してあげて」
コンドルの言葉に、両肩に乗っていた白と桃色の不思議な動物がぱたぱたとポチの隣まで飛んでいく。
「そちらの方は?」
ミケが問うと、コンドルは後ろの少女たちの方を向いた。
「あ、あの…さ、さっき、知り合ったんです…えっと、ジルさんと、レオナさんです」
「……こんばんは。私はジル。よろしく」
軽く礼をして挨拶をするジルに、ジルの後ろに隠れるようにしてミケを見上げるレオナ。
ミケはにこりと微笑んだ。
「初めまして。ミケです。よろしくお願いします、ジルさん」
「………これ。差し入れになれば…」
「…なんでしょうか?」
ジルが差し出した箱を受け取り、中を改めるミケ。
「…うわあっ!」
箱を開けたとたん、中から大量のカニがあふれ出る。
「……あ……生きてたんだ…」
ぽつりと呟くジル。
「わ、わ、わ。ちょ、ちょっと、わあっ!」
ミケが慌てて床に散らばったカニを拾い集め、レティシアがそれを手伝う。
入り口でそんなやり取りをしていると、奥のほうからミシェルがやってきた。
「まあー、たくさんお客さんが来たわねー。私はミシェルよー、よろしくねー。
あのねー、向こうの方にー、パーティー用のお衣装を用意してあるのー。無料で貸すから、おめかししたいなーっていう人は是非来てー?」
ミシェルの声と共に、何人かが彼女についていき、残りの者たちは会場の中へと足を進める。
「…ふう。やっと集まった」
何とか全てのカニを箱に詰め終えたミケは、厳重に蓋をすると、厨房に続く窓のへりに置いた。
「ケイトさーん!カニをもって来てくださった方がいるんです、料理していただけますか?」
「あいよー、まかせときな!」
客が来たことで、熱を加える料理に取り掛かっていたケイトが、顔だけ振り向いてそれに答える。
ミケはふうと肩を落とすと、ジルの後ろに隠れるようにしていたレオナのほうに歩いていく。
レオナはミケが歩いてくると、ばつが悪そうに目を逸らした。
ミケは微笑んでしゃがみこみ、レオナと視線を合わせる。
「レオナさん、とおっしゃるんですね。名前」
「…………」
「ミケ……知り合いなの?」
ジルが問うと、ミケはそちらに目をやった。
「はい。先ほど少し」
ミケはもう一度レオナに視線を戻す。
「オルーカさんが探していらっしゃいましたよ。もうすぐここに来ると思います。一緒にみんなで、パーティーしましょうね」
「………」
レオナはなおも目を逸らして黙っている。
と。
「こんばんは!」
ばたん、と戸が開いて、息を切らせたオルーカが駆け込んできた。
びくっとしてそちらを向くレオナ。
オルーカはレオナを見つけると、駆け寄ってしゃがみこんだ。
「マ……」
「よかった、レオナ…!!」
レオナが何か言う前に、オルーカがレオナを抱きしめる。
レオナは驚いて身を竦ませた。
「心配したんですよ。大丈夫ですか?どこか痛いとこないですか?」
体を離し、心配そうな表情でレオナの顔を撫で回すオルーカ。
レオナは眉をしかめて小さく言った。
「マ、ママ…痛い」
「え!どこが痛いんですか!?」
「そうじゃなくて…ママの手が…」
「あ、ああ、すいません!でも…心配したんですよ」
「うん…ごめんなさい、ママ…」
レオナはしゅんとして言った。
「コンドルさんとジルさんが連れてきてくださったんですよ」
「ほ、本当ですか。コンドルさんは…」
「…あ、さっき向こうに行っちゃいましたけど。じき戻ってきますよ」
「じゃあ、後でちゃんとお礼を言わなければ…」
オルーカは呟いて立ち上がり、ジルのほうを向いた。
「ジルさん、と仰るんですね。私はオルーカです。初めまして。
助かりました……ありがとうございました」
深々と頭を下げるオルーカに、ジルは頷いた。
「……よかったね。やっぱり、親と一緒にいるのが一番だよ」
「あ、いえ、私は親では……」
「…あれ、違うの?…まあいいや、とにかく会えてよかった。一緒に新年会、楽しもう?」
ジルが言い、オルーカは笑顔で頷いた。
「はい、もちろん。…あ、そうだ、レオナ」
何かを思い出したオルーカは、レオナのほうを向いて少し怒ったような表情をした。
「あなた、ミケさんのお料理をひっくり返したんですって?
ちゃんと謝ったんですか?」
オルーカの言葉に、困ったような顔になるレオナ。
「ま、まだ……ご、ごめんなさい……」
ぺこり、と頭を下げるレオナ。
ミケは笑顔で頷いた。
「はい、よくできました。悪いことした時は、きちんと謝らなければダメですよ。
ちゃんと言えば、みんなわかってくれるんですから」
「………うん」
「さあ、一緒に新年会を楽しみましょう。お腹空いたでしょう?あちらに、お料理がたくさんありますよ」
ミケは言って、オルーカと共にレオナを中へと連れて行った。

「こんなのがいいんじゃないかしらー。はい、アルディア」
「ふむ、わかった、其れを着よう」
アルディアはミシェルに渡された黒いナイトドレスを手に取り、浅く頷く。
「じゃあ、私は向こうにいるからー」
「手数をかけたな」
ミシェルは言い残して、衣装室を後にする。
と、フィッティングルームからクルムが出てきたのに気付き、アルディアは声をかけた。
「なかなか似合っているぞ、クルム」
タキシードに身を包んだクルムは、照れくさそうに頭を掻く。
「オレはこのままでいいって言ったんだけどね、何か芸をするならそれなりの格好をしろってミシェルに言われちゃって…あ、あとで手品をするんだ。そのときにだけ着ることにするよ。
この格好のままずっとパーティーにいるのは、なんだかちょっと恥ずかしいし」
「…そうか?私は其れでも良いと思うが…」
「じゃ、じゃあオレ、着替えるからっ」
クルムは恥ずかしそうに、もう一度フィッティングルームに戻ってしまった。
「え、ええと…ど、どれにしよう……」
こちらはたくさんの衣装を前にして、うろうろと迷っているコンドル。
アルディアはそれをみとがめ、そちらに歩いていった。
「………どうした」
コンドルはアルディアを見上げ、困ったように言った。
「あ、あの、い、衣装が決まらなくて……」
「そうか…ふむ……私は人に勧められる程センスが良いとは言えないかもしれんが…。
まぁ、困っているようだし、私で良ければ協力しよう」
「あ、ありがとうございます……」
「さて……では………」
アルディアは衣装を一枚一枚見ながら呟いた。
「ううむ……此れは…何だか違う気がするし…此れもあまり……。
…お?…此れなんかどうだ?」
アルディアはその中から、一枚の服を取り出し、コンドルに差し出した。
「サイズは大丈夫だと思うが…着てみると良い」
「え、え…あ、あの……それは……」
アルディアの差し出した、フリルのたっぷりきいたワンピースを見て、青ざめるコンドル。
彼はとりあえずそこから逃げ出そうと、震える足で一歩、また一歩と下がった。
が、アルディアはその肩をがしっと掴み、フィッティングルームの方まで引いていく。
「どうした、試着室はこちらだぞ。さあ、着てみるといい」
有無を言わさずにワンピースと共にコンドルをフィッティングルームに放り込み、アルディアは満足そうな無表情で頷いた。
「さて、コンドルが着替えている間に、もう2~3着見繕ってくるか」
「……ううぅ……」
コンドルは半泣きになりながら、仕方なくそれをもそもそと身に着ける。
「うむ、着替えたようだな」
コンドルが出てくると、アルディアはそちらに向かって頷いた。
「どうだ?…中々似合っていると思うが」
「あ、あ、あの、ぼ、ボク、あの、男なんですけどっ」
必死にコンドルが言うと、アルディアはきょとんとした。
「何、男だと?…ふむ、そうか。……其れで?」
「え……」
アルディアはさして気にした様子もなく、平然と言った。
「男が綺麗な服を着るのは、別に、何ら可笑しい事ではないと思うが」
「そ、そ、そんなことは……」
「まぁまぁ、其れが気に入らないのならば、別のを着てみたらどうだ?此れなんかどうだ?」
と、再び差し出したのは、やはりフリルびらびらの白いAラインドレス。
「え、あ、あのぉ……」
「ほら。良いから、良いから」
アルディアはまた同じように、コンドルをフィッティングルームに放り込む。
それで着る方も着る方だとは思うのだが。
「うむ、似合っているぞ」
「あ、あのぉ……」
「……何だ、其れも不満か?可愛いと思うが…。
まぁ良い、では、こちらはどうだ?」
「で、ですから……」
「ほらほら、早く着替えないと折角の宴会に乗り遅れてしまうよ」
ガンガンと強気なアルディア。何かのスイッチが入ってしまったようだ。
コンドルは観念して、アルディアの選んだ水色のワンピースを持ってフィッティングルームに入った。
「うむ、可愛いぞ」
「………はぃ……」
コンドルは観念してうなだれた。
「うむ、此れでいいな。では、折角綺麗な格好をしているのだから、髪を纏めなければな。私が結ってあげよう」
「え、ええっ」
「…なに、遠慮するな。どのような形が良い?」
コンドルの返事を待たずに、彼を化粧台の前に座らせて後ろに立ち、髪をブラシで梳き始めるアルディア。
「此れだけ長いと弄り甲斐があるな。サラサラだし」
その表情は心なしか楽しそうで。
「あ、あのぅ…」
「ふふ、私にもしも娘が居たらこのような感じなのだろうな…」
「…アルディアさん……」
アルディアの様子に、コンドルは止める言葉を引っ込める。
アルディアは楽しそうにコンドルの髪を編み、器用に纏め上げた。
「……良し、出来た。
では、此方を向いて。薄くだが化粧もしてあげよう」
くるりとコンドルの椅子を回転させるアルディア。
「え、ええっ?!」
さすがに逃れようとするコンドルを、がしっと捕まえて。
「ほら、動いては駄目だ、ずれるぞ」
「あうううう……」
コンドルはまた泣きそうな声を上げた。

「うわぁ、アルディア、綺麗ー!」
衣装室から出てきたアルディアに、レティシアが歓声を上げる。
「ホントだ、アルディアさん、すごく似合ってるよー。グー!だね」
リィナもウインクして親指を突き出す。
「そう…か?正直、肩が凝ってかなわんのだがな…こういう服は」
トントン、と肩を叩くしぐさが婆臭い。せっかくのドレスも台無しである。
「……で、そっちの可愛い女の子は……ひょっとして、コンドル?!」
レティシアが、アルディアの後ろに隠れるようにしていたコンドルを見つけ出し、引っ張り出す。
「あ、あうぅぅ……」
「いやー、ちょっと、可愛いぃぃぃ!」
「ホントだー、コンドルくん、可愛いっ!このこのこのー!」
2人の乙女にこれでもかとかまい倒され、コンドルは再び泣きそうな声を上げた。

「こんばんは。盛況ね」
入り口から入ってきたリーに、ミケは皿をテーブルに置いて駆け寄った。
「リーさん!お久しぶりです。来てくださってありがとうございます」
「いいえ。突然来ちゃって、ごめんなさい」
「とんでもないですよ。今日はお一人なんですか?ロッテさんは?」
ミケが問うと、リーは苦い顔をした。
「あー…ちょっとね」
その様子だと結局ロッテは見つからなかったらしい。ミケは首をかしげた。
「それより、ママ来てる?」
「ああはい、ミシェルさんですね。結構早くに来て、色々手伝ってくれましたよ」
「その服…ママでしょ?」
「あ、わかります?」
「まったく…年甲斐もなくこういうの大好きなんだから…」
呆れたようなリー。
ミケは苦笑してフォローを入れた。
「あ、でも、他にも色々と手伝ってくれましたよ?お料理作ってくれたり…」
「料理?!」
何気なく言った一言に激烈に反応され、驚いて口をつぐむミケ。
リーは顔面蒼白になって言った。
「……ママに…料理を作らせたの…?!」
「え、ええ……ど、どうしたんですか?」
「た、大変、すぐに回収」
ばたっ。
リーの言葉が終わらぬうちに、テーブルの方で何かが倒れる音がした。
「きゃーっ!じ、ジルちゃん、大丈夫ー?!」
リィナが倒れたジルに駆け寄って揺さぶっている。
リーとミケは顔を見合わせてから、急いでそちらに向かった。
「そ、その料理、ちょっとストップー!!」

「こんばんはー。ここでいい、のかな?」
続いて現れたラヴィの姿に、ミケは料理を回収し終えて少しげっそりとした様子で駆け寄る。
「ら、ラヴィさん!お久しぶりです…」
「…ミケ、どうしたの?何か疲れてない?」
心配そうにまじまじと見られて、ははは、と乾いた笑いを浮かべるミケ。
「いえ、大丈夫です……って、あれ?式典とか、大丈夫……なんですか……?」
「あははは、大丈夫大丈夫、一般の人たちも来てるし、ちょっと抜け出したってわかんないよ、ね、エータ、シータ」
パタパタ手を振って、後ろにいるエータとシータに同意を求めるラヴィ。
「そうですわ。新年の鐘が鳴る頃に戻れば大丈夫ですわよ」
「ですわよ」
「こちらの方々は……」
きょとんとするミケに、ラヴィはにこりと微笑んだ。
「こっちに来て友達になったんだ。エータとシータだよ。そっちはお付きのイオタ」
「エータと申します。こちらは双子の妹のシータですわ。よろしくお願いいたします」
「ますー」
挨拶をして礼をするエータと、その語尾を繰り返すシータ。
「そちらはイオタと申しますの。わたくしたちの家の執事長をしておりますわ」
「イオタです。よろしくお願いします」
2人から一歩下がって立っていた、タキシード姿の青年も、エータの紹介に応じて礼をする。
ミケは笑顔でそれに答えた。
「初めまして、ミケです。よろしくお願いしますね」
ラヴィさんは皇女様だからそんなに親しい友達も出来ないんだろうな、友達が出来てよかったな、などとのんきに思うミケ。
が、フェアルーフに来て友達になったということは、同様に招待されていた他国の王族という可能性もある、という頭はないらしい。もっとも、エータとシータを見てマヒンダの女王だと思う人はあまりいないだろうが。
「マリーちゃんもいますのよ。そこで一緒になりましたの」
「マリーちゃん?」
ミケが首をかしげると、ドアを開けてルーイとマリーが入ってきた。
「ルーイさん!お久しぶりです」
「ミケさん。お久しぶりです。ごめんなさいね、突然押しかけてしまいまして」
「いえいえ、大歓迎ですよ。そちらの方は、お知り合いですか?」
ルーイの向こうにいるマリーに目をやって問うと、マリーはにこりと微笑んだ。
「はい。ルーイの友人です。マリーと申します、良しなにお願い致しますわね」
「あ……は、はい。ミケといいます。よろしくお願いします」
マリーの浮世離れしたいでたちと作り物のような微笑に、少し気後れしながらも、ミケは挨拶をした。
「本当はもう一人、いたのですけれど。お身内の方に御呼ばれになったということで、エータ様のお誘いも御座いましたし、こちらに参りましたの」
「あ、あれ…エータさんたちともお知り合い、なんですね?」
少し混乱した様子で、ミケ。
エータはにこりと微笑んだ。
「はい。マリーちゃんはわたくしたちの国で、魔術師ギルドの総評議長をしていらっしゃいますのよ」
「ぎ、ギルドの…?!」
思いがけない役職名に、ミケが硬直する。
マリーはにこりと微笑んだ。
「只の肩書きですわ。それだけで申しますなら、マヒンダ国の女王であらせられるエータ様とシータ様の方が、よほど素晴らしい方では御座いませんこと?」
「じょっ…!」
今度こそ絶句するミケ。
リゼスティアル国の皇女、マヒンダの女王、魔術師ギルドの総評議長。そうそうたる顔ぶれである。
ぽかんとミケが口を開けていると、後ろの厨房からばたばたとケイトが駆け寄ってきた。
「マリーさんと、エータちゃんとシータちゃんが来てるんだって?!」
それに気付いた3人が、笑顔で挨拶をする。
「ケイト様。お久しぶりで御座います」
「お久しぶりですわ、ケイト様」
「けいとさまー」
「いやー、お久しぶりです。お変わり無いようで。イオタさんも一緒にいるんだね」
ケイトがイオタを見て言うと、エータが力説する。
「もちろんですわ!イオタにはシータを守ってもらわなければいけませんもの!」
「え、エータ」
慌てた様子で頬を染めるイオタ。ケイトは豪快に笑った。
「はっはっは、そうだねえ、そうでなくちゃだよ!がんばんな、イオタさん!」
ばし、と背中を叩かれ、困ったように笑うイオタ。
「は、はい。ありがとうございます」
「しかしケイトさん、いつの間に着替えたんですか?それ、アオザイっていうやつですよね。リュウアンの近くの国の民族衣装…」
ミケが言うと、ケイトは着ている衣装を見下ろした。
「ああ、ミシェルさんに借りたんだよ。さすがにマリーさんたちの前でシャツ1枚って訳にはいかないだろ?」
「大変お綺麗ですわ、ケイト様」
マリーがにこりと微笑み、ケイトは照れて頭を掻いた。
「いやー、照れるねぇ。普段こんなの着ないからさあ」
「ですが、おめかしをなされるのでしたら、お化粧は欠かせませんわ?さあ、わたくしが整えて差し上げましてよ」
「え、えええ?い、いいよ化粧なんざ、これからまたシャツに着替えて厨房に戻って料理するんだからさ」
「お料理などどうでもよろしいですわ!」
いつになく強い口調で、マリー。
完全に目が据わっている。
「さあ、こちらにお座りになって!その赤銅色の素敵なお肌に合う色をわたくしが見繕って差し上げますわ!さあさあさあ!」
「マリー、落ち着いて!」
慌ててルーイが止めに入る。
「よ、酔ってるのかい?マリーさんは」
ケイトが引き気味に言うと、ルーイは困った顔で頷いた。
「ええ……あの、ここに来るまでにすでに3軒の店を回っているんです……」
「ここが4軒目なのかい?!そりゃあ……っと、ルーイさんが止めてくれてる間に、あたしは厨房の方に戻らせてもらうよ!」
言うが早いか、ケイトは厨房の方へと駆け足で戻っていった。
「ケイト様!逃がしませんことよ!」
「マリー、いい加減にしてください!」
ケイトを追おうとするマリーを必死で止めるルーイ。
すると。
「あらー、マリーにルーイじゃなーい。お久しぶりー」
奥のほうから声がして、2人はそちらを振り向いた。
「み、ミシェル様?!どうしてこちらに?」
ルーイが声を上げて、ミシェルに駆け寄る。マリーの瞳にも、すっと正気が戻ったようだった。
「うふふー、娘の付き合いでねー。ルーイも、ミケと知り合いなのねー?」
「え、ええはい、以前依頼を受けてくださって…」
「あれ、皆さんもお知り合いなんですか?」
ミケが不思議そうに言うと、ミシェルは頷いた。
「ええー、ちょっとねー」
「ミシェル様には、ギルドも大変お世話になっているのですわ」
マリーが言い、ミケはああ、と頷いた。こんななりでも、ミシェルは降下した天使である。おおっぴらでないとはいえ、魔術師ギルドにもたらされる恩恵は計り知れないだろう。
「久しぶりだから、あっちでお話でもしましょうー」
「はい、お供いたします」
ミシェルはルーイとマリーを連れて奥の方へ。ラヴィたちはクルムとすでにテーブルの方へ向かっている。ミケは満足そうに微笑んで、給仕に戻………
「……………」
…ろうとして、ぴたりと止まる。
振り向いてはいけない。
振り向いたら負けだ。
ああ、しかし。
ふるふると肩を震わせて、ミケは耐えた。
が。
「こんばんはミケさん、盛況ですね」
高く澄んだ声で、にこやかにそう言われ。
ミケは振り返って指を突きつけ、全力で叫んだ。
「……な、何しに来たんですかーーーーーーーーーー!帰れーーーーーーーーーー!」
周りの者たちも、驚いてそちらを向く。事情を知っている何人かが、入ってきた女性の名を呼んだ。
「…リリィ!」
リリィはにこりと微笑んだ。
「嫌ですねミケさん、会費も払いましたし差し入れもちゃんと持ってきましたよ?人種差別反対です」
「…っ、あなたは人種差別とかいう問題では…!」
「でも、ポチちゃんは入れてくれましたよ?」
入り口のポチを振り返ってリリィが言う。
だ、ダメだった?という風に首をかしげるポチ。
ミケは脱力してポチのところまで歩いていき、頭を優しく撫でた。
「……っ、ご、ごめんなさいね……銀貨2枚と差し入れ持ってきた人は誰でも入れて良いですよとか命じたばっかりに……あなたは悪くないですね」
「うふふ、これ差し入れです。桜の香りのするクッキーですよ」
リリィが差し出した箱を、心底嫌そうに受け取るミケ。
「……どぉもありがとうございます」
と、そこにすごい勢いで身構えた様子のレティシアが声をかける。
「り、りりりりりりリリィ!」
「鈴虫ですか?季節外れですよ、レティシアさん」
先ほどのことなどまるでなかったかのように、リリィはにこりと微笑んだ。
「なっ……!さ、さっきはよくもっ……!で、でも、あなたより先に会場に着いたんだから!」
負けじとレティシアが言うと、リリィは笑みを崩さずに答えた。
「そうみたいですね。でも勝負は鐘の音が鳴るまでわかりませんよね…?」
ぐっ、と言葉に詰まるレティシア。
リリィは優雅に微笑んで、パーティー会場の中に足を進めた。と同時に、店内の者たちもそれぞれの話を再開させ、元の喧騒が戻る。
リリィの服は、先ほどの服ともまた違う、綺麗なブルーのマーメイドドレス。綺麗に広がる袖と裾は、ブルーから淡いグリーンにグラデーションで染め上げられていて。まさに人魚姫、といった装いである。
しかし、その服と酷似した服を着ている人物が、もう一人いた。
「……こんなところにいらっしゃってよろしいのですか、皇女様?」
リリィは優雅に…まさに皇女然とした様子で、ラヴィに微笑みかける。
ラヴィは複雑な表情で彼女を見やり…やがて彼女も、優雅に微笑んだ。
「…ご心配有難う御座います。式典が始まるまでには戻りますから、それには及びませんわ」
微笑みあう皇女と元皇女の間に、緊張が走る。
やがて、リリィが嬉しそうに微笑むと、ラヴィの横を通り抜けていく。
ラヴィも何事もなかったかのように、かつての仲間たちとの歓談に戻っていった。

「そういえばクルムさま、ヴィーダには素敵なジンクスがあるそうですわね?」
「ジンクス?」
エータが唐突に言い、クルムはきょとんとした。
「ええ。わたくし、この国の王女さまから聞きましたの。
新年を迎えて、一番最初にことばを交わした方と、その年一年幸せに過ごせる、というそうですわ」
「ですわー」
「へぇ……」
クルムは感心したように、エータの話に聞き入った。
エータはシータの後ろに回ると、その背をいそいそと押した。
「ささ、シータはこちらに、イオタはこちらですわ。鐘が鳴ったら、あけましておめでとう、ですわよ?イオタ」
「え、エータ…」
シータを向かい合わせに立たされ、慌てるイオタ。
クルムはくすくす笑って、エータに言った。
「エータ、まだ新年の鐘は先だよ?というか、その頃には君たちはお城に戻ってなきゃいけないんじゃ?」
「まあっ、そうでしたわ!うーん残念ですわ、ではお城に戻りましたら改めて!」
エータは意気揚々とガッツポーズを取った。

「はいミケ、給仕ばっかりで疲れちゃったでしょ?」
レティシアからグラスを差し出され、ミケは笑顔でそれを受け取った。
「ありがとうございます。…あ、でもこれお酒ですね」
「お酒はダメだった?」
「あ、いえ、あの、飲むとすぐにつぶれてしまうんですよ。次の日に記憶もないですし。
一応ホストなんで、ちゃんと皆さんをもてなさないと…」
「あ、そっか。じゃあ、何かお料理持ってくるね」
「あ、それくらい僕がやりますよ。レティシアさんは自分のお料理を取ってきてください」
「ううん、私がやりたいの。ほら、ミケはここで座ってて!」
レティシアに半ば強引に椅子に座らされるミケ。
軽やかにテーブルの方に駆けていく彼女をほほえましく見ていると、横からすっとグラスが差し出された。
「はいミケさん、給仕ばかりでお疲れでしょう?」
同じ言葉をかけられ、しかしそちらには冷たい視線を返すミケ。
「あなたが勧めるものを、何の疑いもなく口に入れられるわけがないでしょう……?」
リリィは堪えた様子もなく、きゃっと頬に手を当てた。
「えーっ、でも会場にあるものはミケさんが用意したものでしょう?」
「それでも絶対に嫌です。しかも何ですかこれお酒じゃないですか!今僕酒飲めないって言ったの聞こえなかったんですか?」
「レティシアさんと反応がずいぶん違いますねぇ」
「当たり前です!っていうか、優しくて明るくてまっすぐな彼女とあなたを同列に並べないでください、彼女に失礼でしょう!」
「えー、私だって優しくて明るくてまっすぐでしょう?」
「ど・こ・が!!」
と、いつもの掛け合い漫才が始まりかけて、ミケははっと気付きふいっと顔を逸らした。
「ミケさーん?」
「駄目だ。この人の挑発に乗っちゃ駄目だ。今日は新年会。来てくれた人に楽しく過ごしてもらうのが目的なんだからっ。こんな場で喧嘩してどうする。落ち着け、落ち着けーーーーーーーーっ」
「ミケさん、内部葛藤が声に出てますよ。というか、私も来てくれた人の一人なんですけど?」
「あなたは除外です!」
「ひどーいミケさーん」
楽しそうに笑うリリィと、結局リリィと掛け合い漫才をしているミケ。
料理を持ってきたレティシアが、複雑そうな表情でそれを見つめている。
「………あからさまにケンカをしているのに…負けた気分なのはどうしてかしら……」

「………さて。煩い魚は置いといて、告知していました一芸大会を行いたいと思います」
ようやくいつもの調子を取り戻したミケが、会場に用意しておいた演台の上で宣言する。
「どなたか、一番手はいらっしゃいませんか?何でもいいですよ、なかなか出来ないことを披露して下さい」
「一芸か……そのような事を言われてもだな…一体何をすれば良いものか…何でも良いと言われてもだな…」
ぶつぶつと言うアルディア。
「仕方ない、では…」
しかし、やおらテーブルの上にあったジョッキを片手に取ると、演台に上がった。
「あ、アルディアさん、それは……」
アルディアの手の中にあったジョッキ。それは、彼女が差し入れながらも、誰一人として手をつけようとしなかった、毒々しい緑色をした飲み物。
「青汁・一気飲みをやらせて貰おう」
言うが早いか、アルディアは手にしたジョッキをためらうことなく口に運び、一気に傾けた。
ごく、ごく、ごく。
皆が呆然とそれを見守る中、平然と青汁を飲み下していくアルディア。
「……ふう」
やがて、飲み終えてアルディアが息をつくと、テーブル席のほうから拍手と歓声が上がった。
「すごーい、アルディア!」
「苦くないの?!」
観客の問いに、アルディアは淡々と答える。
「いや…私はこのような味には慣れてしまっているからな…あまり良く分からんのだ」
「へえ…薬師ってすごいんだね……」
観客の感心したような声の中、アルディアは演台を降りた。

「クルム・ウィーグです。手品をします」
タキシードに着替えたクルムが演台に上がると、テーブル席から拍手が上がった。
クルムはこほん、とせきをすると、スカーフを取り出した。
「種も仕掛けもない、ただのスカーフ。ですが、このスカーフに包まれたものは、どんな大きなものでもたちどころに消えてしまいます」
場慣れしていない様子でぎこちなく言い、演台を降りてテーブルに近づく。
テーブルの端に置いてあるのは、誰が頼んだのか大きなウェディングケーキ。
「上手くいきましたら拍手をお願いします。失敗してもご愛嬌」
そう言って、ケーキにスカーフを被せる。
上の方からするすると、ケーキはスカーフの中に吸い込まれるように消えていった。
おおおお、と歓声が上がるテーブル席。
クルムはスカーフを取り上げて丸めると、手で包んで揉むようなしぐさをし…再びテーブルに広げ、指をぱちんと鳴らす。
そして、スカーフをそっと持ち上げていくと、消えたケーキが、スカーフの下から徐々に姿を現していった。
おおおおお!
先ほどより大きな歓声がテーブル席から上がる。
「テーブルに穴が開いていて、そこに隠してるっていう仕掛けじゃないよね?」
「テーブルの下にそんなスペースないよ」
「えーっ、じゃあ、どうやってやってるの?」
騒然とするテーブル席。
クルムは演台に立つと、観客に向かって言った。
「何か、消して欲しいものありますか?」
ざわざわとお互いに声を掛け合う観客。
「では、これをお願いします」
上がった声のほうを振り向くと、そこにはリリィ。
手には、魔王ゲーミ1/10フィギュア(えすたる亭:かるろ作)が。
「あああぁぁっ!いつの間に!」
声を上げるレティシア。
その横で、完全に硬直しているミケ。
状況がよくつかめず、リリィとレティシアを交互に見るクルム。
「え、ええと、いいのかな」
結局レティシアもそれ以上何も言わず、クルムはリリィの手からフィギュアを受け取ると、上からスカーフを被せた。
再び、するするとスカーフに吸い込まれていくフィギュア。
ニコニコと微笑むリリィ。複雑な表情のレティシア。その横で完全に魂が抜けているミケ。
クルムは先ほどと同様に、ぱちんと指を鳴らして、スカーフを引き上げた。
しかし。
「……出てこないですね」
スカーフの中から、フィギュアは出てこない。
「…て、手品でしたーー!」
クルムは慌ててごまかすと、演台を降りた。

「クルム、今のフィギュアはー!」
レティシアに駆け寄られ、クルムは申し訳なさそうにスカーフを広げた。
「ゴメンな、レティシア。これ、実はこういう仕掛けなんだ」
スカーフの裏には、小さな卵が。
ナンミンに作ってもらった、通称「クル玉」だ。その異次元に続く口の中に、何でも飲み込み、そして飲み込んだものを自由に取り出すことが出来る。
「本当はすぐに取り出せるはずだったんだけど…ごめん!あとでなんとか像を取り出すから」
「い、いいのよクルム」
レティシアは苦笑してクルムに言った。
「そりゃ、あればあったでいろいろ楽しめ…じゃなくて!
もとから私のものじゃないし、それにあれは造形師さんが作った、彼の想像で妄想のミケだもの。二次創作も楽しいけど、オフィシャルにはかなわないわ!
私は、ほんとのミケが、一番好きだから!」
力説するレティシアに、笑顔を向けるクルム。
「そうか。じゃあ、取り出すことが出来たらリリィに返」
「取り出せるんだったら私にちょうだい是非」
「……そ、そう?」

「ねえねえオルーカさん!衣装、持ってきたんだよね!」
一芸が次々と披露されていく中、リィナはわくわくした様子でオルーカに駆け寄った。
「ええ、もちろんですリィナさん、がんばりましょうね!
ええと、でも……」
「でも?」
言いよどむオルーカに、首を傾げるリィナ。
「ちょっと張り切りすぎて、作りすぎてしまったんです、衣装。
5人分も……ちょっと、多すぎですよね」
「5人分かぁ……」
リィナはにやりと笑った。
「ねえねえねえねえリーちゃん!あのね、リィナたちと一緒に可愛い服着て歌歌わない?!」
「ええ?何の話?」
突然の誘いに驚くリー。
「あのね、オルーカさんとリィナで一芸やるの、っていう話、もうしたでしょ?
その衣装がね、まだ何着か余ってるんだ。ね、リィナたちと一緒に歌歌おう?」
「え、そんな、いきなり言われても……」
渋っているリーに、後ろからミシェルが声をかける。
「いいじゃなーいリー、一緒にやってあげたらー?私も見たいわー、リーの歌ー」
「ママ。でも……」
「はいじゃあリーちゃん決まりー!あ、と、は~っと♪」
「ちょ、ちょっと、今ので確定?!」
「レティシアちゃん、一緒に歌歌わない?!」
給仕中のレティシアに声をかけると、彼女は笑顔で頷いた。
「歌?うん、私歌好きだよ。一緒に歌おう」
「やぁったぁ!それじゃあ、残りはぁ………」
「おっ。何の話だい、大勢で」
そこに、追加の料理を運んできたケイトが現れる。
リィナはケイトをじーっと見上げ……
くるりと向きを変えると、向こうの方にいたジルに声をかける。
「ジルさぁーんっ!リィナたちと一緒に歌わない?!」
「ぉおいっ!なんだい今の間は!!」
ケイトは釈然としない様子で叫んだ。

「水兵ムーン!」
大きなリボンのついたスーツに、青いミニスカート姿のリィナ。
「す…水兵マーズ!」
同じスタイルの、赤いミニスカート姿のリー。
「水兵マーキュリー!」
同じく、水色のミニスカートを履いたオルーカ。
「……水兵ジュピター」
少し恥ずかしそうな、緑色のミニスカートのジル。
「水兵ヴィーナス!」
ノリノリで、黄色のミニスカートを履いたレティシア。
「5人揃って!」
「水兵スターズ!」

おそろいの服を着て、演台の上に立つ少女たち。テーブル席から歓声と拍手が上がる。
「う、うう…恥ずかしい」
うつむいてぼやくリー。やる気満々のリィナ。
「行くよ!『月光レジェンド』!」
高らかにタイトルを読み上げると、どういう仕組みか、どこからか伴奏が流れ出した。

ゴメンね 素直じゃなくて 真昼の月でなら云える
思考回路はショート寸前 朝まで いたいよ
笑い転げるよなtalking
呼吸も出来ないchatting
だって下心 どうしよう ハートは 薔薇色
萌えの神に 導かれ 何度も 巡り会う
締め切り日数 数え 占うシナリオの行方
同じヴィーダに生まれたの トラアゲ・ロマンス★

微妙に上手いリーとレティシア。一人気持ちよさそうに歌っているオルーカ。
少女たちの歌声と、テーブル席からの歓声に包まれながら、真昼の月亭の夜は賑やかに更けていった。

マティーノの刻-真昼の月亭へ

マティーノの刻-中央公園へ

マティーノの刻-大通りへ

マティーノの刻-王宮へ

真昼の月亭 -マティーノの刻-

「ミケさんミケさん、見てくださいこれ!カニさんが水槽の中踊ってますよ!」
「あーはいはい、よかったですね」
「もー、何でそんなにつれないんですかミケさん!キューティクルですか?!このキューティクルがあなたをそうさせるんですか?!」
「髪を引っ張らないでください訳がわかりません!つうかいい加減帰ってくださいよ、チャカさんはどうしたんですか!」
「あらん、ミケさん妬いてるんですか?」
「妬いてません!ここであなたを焼き魚にしてやりたいですけどね!」
「うふふ、だいぶ壊れてきましたねミケさん、酔ってます?」
「あなたがさっき僕のウーロン茶とウーロンハイをすり替えたんじゃないですかー!!」
酒の入ったミケとリリィの漫才を、レティシアが傍らでハラハラしながら見守っている。
もうすぐマティーノの刻。新年の鐘が鳴ってしまう。
外からは花火の音が聞こえ、通りの喧騒も一段と高まっている。
どん、どどん。
花火の音が鳴るたびに、焦りを増すレティシア。
しかし、リリィに気後れをしてしまって、どうしても一言がかけられないでいる。
そんなことを言っている間に。
どん。
ひときわ大きな花火の音が、窓枠がカタカタと揺れるほどに響き渡った。
それが引き金となったように。
「も………いいから……表に出ろーーーーーっ!」
ミケが険しい表情でネクタイを緩め、敬語さえ忘れてリリィに向かって怒鳴りつける。
ごーん……ごーん……
と同時に、新年の鐘が高らかに鳴り響いた。
「あ………あああぁぁ……」
がくり、と膝をつくレティシア。
リリィはにこりと微笑むと、ミケの手を引いて入り口に向かった。
「はい、望むところです。じゃ、ミケさん、お外ででぇとしましょうね~」
「デートじゃありません!」
「はいはい、判りましたから。私達のデートは、いつも攻撃魔法の応酬に始まって終わるんですよね」
なおも言い争いをしながら、入り口から出て行く二人。
「そ……そんなあぁぁぁ……」
後には、がっくりとうなだれるレティシアが残された。

「……うん…?…寝ていたのか…」
「……大丈夫?」
アルディアが体を起こすと、窓際にいたジルが問いかけた。
「ああ、少し酔ったかもしれない。もう、新年になったのか?」
「……まだ、だよ……今、花火が鳴ってる」
窓から外を見るジルに倣って、傍らに行き、同じように空を見上げるアルディア。
「ほう、綺麗なものだな」
後ろから何やらケンカの声が聞こえるが…アルディアとジルは静かに大空に咲く大輪の花を見守った。
ごーん…ごーん…
やがて、新年の鐘が鳴り響き、同時にちらちらと雪が降り始める。
「………」
「………」
ジルもアルディアも、ただ無言でそれを見守った。
外で何やら爆発音のようなものも聞こえたが、2人は動じることなくじっと雪を見ている。
「………エレーナ……」
ジルがポツリと呟き、アルディアがそちらを向いた。
「うん?何か言ったか、ジル?」
ジルは窓の外を見たまま、うわごとのように言った。
「……ううん、なんでもない…」
そして、アルディアの方を見て。
「…あけまして、おめでとう」
「…ああ。新年おめでとう」
無表情の2人の表情が、ほんの少しだけ緩んだ。

ごーん…ごーん…
新年の鐘に誘われるように、裏口から外へ出たコンドルは、降り出した雪を放心したように見上げた。
「あ……雪だ……」
「よっ、コンドルさん。あけましておめでとう」
と、横から声をかけられ、驚いてそちらを見るコンドル。
「け、ケイトさん……」
「料理ももういいだろ。ちょっと休もうかと思ってねえ。
風が冷たいと思ってたけど、降り始めたねぇ……ホワイト・ニューイヤーだね」
豪快に笑うケイトに、コンドルは控えめにはにかむ。
ケイトは店の中から持ち出したであろうグラスを空に向かって掲げると、上機嫌で言った。
「ハッピー・ニュー・イヤー!
新年に乾杯♪ってね」
そうして、そのままそのグラスを呷る。
コンドルはそれを笑顔で見守って、そうしてから手を組んだ。
「いい年になりますように」
祈るようにそう言って。
へちゅっ。
唐突にくしゃみをしたコンドルに、ケイトが笑った。
「寒いからね。さ、風邪引かないうちに戻って休もうか」
「そ、そうします」
再び、2人は裏口から真昼の月亭に戻っていった。

エピローグへ