第3週・ルヒティンの刻

からん。
開店からそう時間もたたぬ頃に、珍しく喫茶『ハーフムーン』のドアベルが来客を告げる。

「いらっしゃーい。あっ、こないだのお客さんだー、また来てくれたんだね!」

マスターはそちらに挨拶をすると、見知った顔に人懐こい笑みを見せた。

「おはようございます、マスター。また来ちゃいました」

入ってきた客――ミケは、言ってこちらもにこりと笑みを浮かべる。
先週の一件で、ミケはだいぶマスターに信頼を置いているらしかった。

「ご注文は何にするー?お客さん、朝ごはんは?」
「あ、朝食はもう食べました。そうですね、またアールグレイをいただけますか。この子にはアイスミルクを」
「はーい、かしこまりー」

ミケはまたカウンター席に座り、マスターも手際よくポットに紅茶を入れていく。

「はーい、アールグレイね。で、ポチくんにはミルク。こっちはおまけねー、手作りのネコおやつだよー」
「あっ、どうもすみません」
「ううん、ネコ好きだからやらせてよ。僕もねー、昔ネコちゃんの面倒見てたことがあるんだ」
「へえ、そうなんですか」

意外な話に身を乗り出すミケ。
マスターはニコニコしながら頷く。

「そう。ネコちゃんにね、曲芸みたいなの仕込んでたんだよー」
「きょ、曲芸ですか?」
「うん。まあちょっと違うのかもしれないけど、しつける間ずっと僕が面倒見ててね、エサとかの世話も全部やってたんだけど。しつけ終わっちゃったら元の飼い主のところ戻っちゃった」
「元の飼い主、ですか?」
「うん、今は妹が面倒見てるよ」
「ああ、こないだの…一番下の妹さん」
「そ、一番下の妹。かわいくなくてねー。ネコちゃんは可愛かったんだけどねー」

と、猫談義にひとしきり花を咲かせてから、マスターが話題の向きを変える。

「で、今日はずいぶん早いね、お客さん。どしたの?」
「えっ。え、ええ、まあ、そのー……」

いきなり痛いところを突かれたのか、ミケは気まずそうに視線を逸らし、それからため息をついた。

「…先週、このくらいの時間に来たって、仰ってたじゃないですか」
「このくらいの?…………あー、あーあーあー。えっと、レティシアちゃん、だっけ?」

マスターはしばらく考えて、合点がいった様子でうんうんと頷いた。
ミケはしょんぼりしたまま、こくりと頷く。

「会おうとすると、全然会えないんですよね。…なんででしょう?」
「あはは、まあそんなもんだよねー。神様のイタズラってやつかな」

PLという名前の。

2人がそんな話をしていると。

からん。

「いらっしゃーい」

ドアベルが新たな来客を告げ、マスターの挨拶につられてミケもそちらを見た。
そして、その瞳が丸く見開かれる。

「やあマスター、今日は早めに……あれ、ミケ?」
「クルムさんじゃないですか。こんにちは、お元気そうですね。素敵な偶然です」

ミケはカウンター席から立ち上がって、クルムのほうに歩み寄った。
クルムも嬉しそうに、ミケに微笑みかける。

「本当に、凄い偶然だな。ミケもこの店…」
「あれー、お客さんたち、知り合いなの?」

2人が再会を喜び合っているところにマスターがやってきて、驚いたように二人を交互に見る。
すると、2人とも嬉しそうにマスターの方を向いて頷いた。

「はい。クルムさんとは、もうずいぶん前からのお付き合いなんですよ」
「依頼で一緒になったのがきっかけで、な。それからもちょこちょこ、同じ依頼を受けることがあるんだ」
「へー。じゃあ、クルムくんと、えーと、ミケくんは、仲のいいお友達なんだね」
「そう……ですね、ええ。仲良くさせていただいています」
「でー」

マスターはそちらにひと段落置いてから、クルムの方を見た。

「クルムくんは、今日はカノジョつれてきてくれたんだー?」
「えっ」
「えっ」

何故か同時にきょとんとして、クルムの後ろを振り向くミケとクルム。
そこには、二十代半ばほどの女性が立っていた。ゆったりとしたワンピースに身を包み、ブラウンのゆるい巻き毛を一まとめにして肩から垂らしている。

「美人さんじゃーん♪姉さんカノジョ?いいねいいねー」
「えっ、ち、ちが……!」

慌てて首を振るクルム。
女性はマスターの言葉にきょとんとしてクルムに視線を向け、クルムはそれに気づいて慌てて言葉を並べた。

「いや、そのあの、マイトがこのお店のことを話したとき、アリシア、凄く興味がありそうだったし…そ、それで…」

切羽詰った様子のクルムに、女性はにやりと笑みを浮かべ、それからマスターの前に歩み出てにこりと微笑みかけた。

「はじめまして。私はアリシア・ネルソン。先日クルムと一緒にお店に来たマイトの妻です」
「あっ、こないだのマイトおにーさんの奥さん?うわーそうなんだー、あのおにーさんにこんなに綺麗な奥さんがいたんだねぇ」
「あらあら、お世辞が上手ね」
「お世辞じゃないよー、へーそっかそっか、なーんだー」

マスターはあっけらかんと笑った。

「僕、先週クルムくんに『カノジョでも連れてきてね』って言ったからー、それで連れてきてくれたのかと思ったよ」
「いや、そ、そんな、彼女なんて…!」

まだあわあわとテンパっている様子のクルム。
アリシアはまた意味深な笑みを浮かべてから、今度はミケに向き直った。

「あなたも、お久しぶりね。新年祭以来かしら」
「あっ、はい。お久しぶりです。その節はすっかりご馳走になってしまって…」
「いいのよ、パーティーは人数が多い方が楽しいわ。また、機会があったらぜひいらしてね」
「はい、お邪魔でなければ、是非」

ミケは前回の新年祭で、クルムの下宿先、ネルソン商会でのニューイヤーパーティーに参加している。アリシアとは、その時に面識があったのだ。

「あ、そういえばさ、クルムくん。こないだの棚のことなんだけど…」
「うん?」
「ちょっと来てくれるかな、こっちこっち」

マスターはそう言って、クルムを奥のスタッフルームへと連れて行った。
入り口付近に立ったまま、それを見送るミケとアリシア。
すると。

「ねえ、ミケさん、だったかしら?」
「えっ、ええ、はい?」

急に声を潜めて離しかけてくるアリシアに、ミケは驚いてそちらを見た。

「あなた、テアって覚えてる?ほら、パーティーの時一緒にいた」
「ええ、はい、もちろん。クルムさんの………あ」

想い人、と口に出そうとして、慌てて口をつぐむ。
アリシアはまた、にやりと意味深な笑みを浮かべた。

「いいのよ、判ってるんだから」
「そ、そうなんですか」
「一緒に暮らしてるのよ、判らないわけないじゃない?あの子は、気づかれてないと思ってると思うけど」
「は、はあ……」

アリシアにどんな意図があるのかいまいち掴めないミケに、アリシアはくすくすと可笑しそうに笑った。

「どうも様子がおかしいと思ってたけど…さっきのマスターの言葉で合点がいったわ」
「マスターの?」
「ええ、マスターがクルムに、先週、彼女でも連れてきてって言った、って言ってたでしょ?」
「言ってましたね」
「だから、クルム、本当はテアを誘うつもりじゃなかったのかしら」
「そ、そうなんですか?」

少し驚いた様子で、アリシアの話に食いつくミケ。
アリシアは頷いた。

「ええ。何か、テアに話しかけたそうにしてて、でもなかなか切り出さないものだから、私が声をかけたら、安息日にここに来ないかって誘われたの。あれ、本当はテアを誘いたかったのね。でも声をかけられなかったから、ごまかしついでに私を誘ったんだわ」
「はー……それはまた、なんという……」

なんという萌え話。
ミケはなんとなくほっこりとした気分で、苦笑した。

「私がたきつけるのも野暮だし、ずっと見守ってるんだけどね?でも、やっぱり上手く行ってほしいから…ねえ、あなたからも、クルムにテアを誘うように言ってあげてくれない?」
「ええっ、僕がですか?」
「あなたには、テアのこと話してるんでしょ?私よりあなたが言った方がいいと思うのよ」
「それは…そうかもしれませんが、でも僕には無理で……」

「わかったよ、あのお茶の別産地のものだね。マイトに言っておくよ」
「ごめんねークルムくん、頼まれてくれるかなあ?」

話が終わらないうちに、マスターとクルムがスタッフルームから戻ってくる。

「じゃ、お願いね」
「え、ええっ?!」

アリシアは短く言ってミケの肩をぽんと叩き、そのままカウンターの方へ歩いて行ってしまった。

「夫とクルムにあなたのことを聞いたんだけど、凄く美味しいお茶を出してくれるんですってね」
「えーっ、そんな風に言ってもらってるんだぁ、嬉しいなー」
「私も同業者だし、興味あってね。うちのお店のカフェスタンドで、お店で扱っている茶葉やコーヒーをお客さんに出しているの」
「え、そうなのー?うわー、じゃあがんばってお茶入れなくっちゃなー。何にするー?」
「そうね、何があるの?」
「えっとねー」

そのままマスターと茶オタク話に突入してしまうアリシアに、本当にお願いされてしまったのだと悟ったミケは、こっそりとため息をついてカウンター席に戻った。
そこに、アリシアとマスターが話を弾ませていることに安心した様子のクルムがやってきて、二人は並んでカウンター席に座ることになった。

「ポチも久しぶりだな。よしよし」

カウンターの上に鎮座したポチを撫でるクルム。ポチは気持ちよさそうに撫でられている。

「ミケもここを知ってるなんて驚いたな、オレも最近ここを知ったんだよ」
「あ、そ、そうなんですか。僕も最近知ったばかりで…」

無意味に挙動不審になるミケ。
クルムはそれは気にならなかったのか、笑顔で続けた。

「そうなのか。じゃあ、来る時間をずらしてたらもしかしたらもっと早くミケに会えたかもしれなかったな」
「そう、ですねー……来る時間が、まずいんですかねー…」

はあ。
沈うつそうにため息をつくミケに、クルムはきょとんとして尋ねた。

「…どうしたんだ、ミケ?何か…あったのか?」
「え…い、いえっ、別にそんな、大したことじゃ………」

はた。
慌てて否定してから、ミケはふと気づいた。
これにかこつけて、アリシアに任された話を振ってみればいいのでは、と。

「あっ、あのですね、クルムさん」
「うん?」

優しい表情で首を傾げるクルムに少し罪悪感が沸いたが、誰かに相談したいと思っていたことは確かだ。ミケは己に言い聞かせ、話を切り出した。

「ええとですね。レティシアさんから、会いたいなーって書かれた手紙が、届いたというか拾ったというか」
「レティシアの、手紙?」
「ええ、はい」

ミケは頷いて、ここ2週間の話をかいつまんでクルムに伝える。

「そうか、レティシアが…。最近会っていなかったけど、彼女も元気なんだ。良かった」
「ええ、僕も元気でいてくれたことはとても良かったと思います」

嬉しそうなクルムの言葉にやはり笑顔で頷いてから、ミケは少し複雑そうな表情を作った。

「新年祭の時にも、少しお話ししましたけれど、ちょっとこう……意識したりとか、やっぱり色々考えちゃったりとか」
「………うん」
「なので、頭だけで考えてるのも堂々巡りのような気がしたので、素直に会いに行こうと思ったんです。そうしたら、急にすれ違いが多くなって……結局会えず仕舞いで。どうしたら、いいかなぁっと考えているところです」

2週間前は、傘を返しに行ったらもう宿を引き払ったあとで。
1週間前は、彼女が帰ってしまったあとに自分がやってきた。
見事なすれ違いっぷりに、運命の女神を呪ってみたくもなるというものだ。

「そうか…会いたい時に限ってすれ違ってばかりか。そういう時もあるよな」
「そうですよねぇ。間の悪い時って、ありますよね」

はぁ、とため息をつくミケとは対照的に、クルムは少し嬉しそうに笑顔を作っていて。

「…クルムさん?」
「ん?あ、ごめんな、ミケが悩んでるのに。
でも、オレはずっと二人のことを傍で見ていたから、なんだか嬉しいよ」

ミケが自分の気持ちと向き合い、レティシアと正面から向き合おうとしていることが。
レティシアが長く抱き続けてきた願いが、ようやく動き出そうとしていることが、純粋に嬉しい。
その気持ちはミケにも伝わったようで、ミケは少し恥ずかしそうに肩を縮めた。

「……う、すみません、なんか心配かけたたり……?」
「え、そこはミケが謝るところじゃないよ。上手くレティシアと会えると良いな」
「は、はい…がんばります………って」

しまった。
完結してしまった。
内心冷や汗をたらすミケ。

ちらりとアリシアのほうを伺えば、アリシアはマスターと楽しく話している風を装いつつ、こちらの様子を伺っている気配がある。
ちらり、と向けられた視線がぶつかって、ミケは慌てて目を逸らした。

(ええと、こ、ここから上手く繋げないと……でも直球で訊くのは……ああ、でも何て訊いていいのか…!)

冷や汗を流しながらぐるぐると考えたミケの結論は。

「あー、……ええと、クルムさんは、テアさんとはその後どうですか?」

直球だった。

クルムの向こうで、アリシアが頬杖から顎をずり落としているのが見える。
問われた当のクルムは、急に自分に矛先が向けられたことに動揺し、そのあたりの不自然さには気づいていないようだった。慌ててアリシアのほうを伺いながら、人差し指を口の前に当てて。

「わ、み、ミケ…!」

今のがアリシアに聞こえたかどうかをしきりに気にしているようだ。
が、ちょうどそこにタイミングよく、マスターがアリシアに茶を運んでくる。

「わぁ、良い香り。スパイスティーね。エキゾチックな香りね」
「はいどうぞー、召し上がれ」
「…うん、美味しいわね」
「このお茶は香りが強いから、味も楽しめるようにミルクを入れたんだ」
「ええ、とても飲みやすいわ。紅茶にミルク、蜂蜜。
入っているスパイスは…カルダモン、クローブ、シナモン、あと胡椒に…八角…かしら?」
「あったりー。さすがだね」

こちらの会話は気にした風も無く、再びマスターと茶オタトークを展開させるアリシアにほっと胸を撫で下ろし、小声でミケに答える。

「ど…どうって、どうも…無い…よ?」
「……クルムさん……」

本当にバレてないと思ってるんだなあ、などと感心しつつ、クルムの反応の可愛らしい初々しさに萌……和んでしまうミケ。
クルムは少し俯いて、照れくさそうに続けた。

「テアの笑顔が見れたら嬉しい、そばに居られたら嬉しい、そう思う。
けど、じゃあこの気持ちを今テアに伝えて、つきあいたいかと聞かれたら…わからないんだ。
自分のことなのにな。
でもいつか、伝えたいと思う時が来ると思う。
だからそれまで、彼女の近くで、彼女の笑顔が守れたらなって…思ってる」
「クルムさん……」

クルムの真摯な言葉に、ミケは思わず目を細めた。

「ふふ、いいなぁ」
「え、な、何が?」
「クルムさんは、焦らなくても、いいと思うんです。ゆっくり、その気持ちを暖めていったら、きっと。……きっと、素敵な関係になれるんじゃないかな、と思います」

先ほどのクルムと同じように、暖かい表情でそう言うミケ。
クルムはまだ頬を染めたまま、それでも嬉しそうににこりと微笑んだ。

「…うん。ありがとな、ミケ」
「こちらこそ、ありがとうございます、クルムさん」

にこにこしながら、マスターの出した茶とココアをすすり合う2人。

そしてそれを、マスターとの話の傍ら、耳ダンボにして聞いていたアリシアに、マスターがこそりと話しかけた。

「気になる?あっちの会話」
「ふふ、分かっちゃった?」
「まあねー。てか、僕も気になるし」
「でしょ?本当はクルムにいろいろ聞いてみたいわ」
「訊いてみないの?一緒に住んでるんでしょ?」
「そうねえ、でも、私がそんなこと言ったら、意識されちゃうもの」
「まー、いかにも恋愛初心者ですって感じだしねー」
「でしょ」

くすくす笑いながら、アリシアはマスターに言った。

「あの子ね、普段大人びてるけど、好きな子の前だとすごく可愛いのよ。
これぞローティーンの恋って感じで、初々しいの。
そんなクルムを、こっそり見守るのが私の趣味なの。…悪趣味かしらね?」
「あはは。クルムくんのこと、可愛くてしょうがないんだねー」
「ええ、可愛いわ。クルムのことは本当の弟みたいに思ってる」

マスターに答えて、アリシアは少しだけ遠い目をした。

「クルムは小さい頃、良くうちの店にお使いに来ていたの。それが縁で、うちに下宿することになったんだけど。
感慨深いわよ。あの小さかったクルムが、一人前の冒険者になって、恋もしてるなんてね」
「うんうん、なんとなく気持ちはわかるなー」
「でしょー」

微妙に茶オタトークから可愛い弟トークになってきた2人をよそに、ミケとクルムの話も続いていた。

「クルムさんは、凄く素敵な人ですよ。勇気があって、聡明で、真っ直ぐな気質の方です。そうして優しさと強さを持っている人です。凄く、格好良い。おそらく、あなたを知る人は、皆そう言うと思います。……テアさんも、きっとあなたをそう思っていると思いますよ」
「そ、そんな褒め過ぎだよ」
「そんなことないですよ。いいじゃないですか、デートに誘ってみたら」
「で、デートに?!」
「ええ。ほら、こことか良い感じじゃないですか、ねぇ、マスター?」
「えー?あはは、デートに使ってくれるなら嬉しいなー」
「ま、マスターまで……」

急に話を振られ、しかし笑顔でそう答えるマスター。
クルムはもはやアリシアのほうを伺う余裕も無いほどにテンパっている。
ミケは続けた。

「……やだな、喫茶店でお話しするだけじゃないですか。大丈夫ですよ、ねっ。
彼女じゃないから誘えないとか、そんな難しく考えずに、誘ってみたら良いのに。
大好きな人と、素敵なお店で美味しいお茶を飲んで、楽しいと思いますよ?」
「…あー……」

クルムは頬を染めたまま、ミケに何を言おうかと考え、そして。

「……じゃあオレがテアを誘ったら、ミケも、レティシアを誘う?」
「ええっ?!」

まさかそういう返しをされると思っていなかったのか、ミケは頓狂な声を上げた。

「そういうミケは、レティシアのことどう思う?どんな風に向き合おうと…思ってる?」

先ほどちらりと聞いたが、改めて真剣なまなざしでミケに問う。
ミケは困ったように眉根を寄せて、それから苦笑した。

「分かりません。女性としてちゃんと意識していなかったから。でも、ですね。…………会えなくなって、ちょっと思ったんですよ」
「うん?」
「レティシアさんって、依頼で会ったときはいつも、一緒にいたんじゃないかなって。だから、呼んで振り返ったら、なんだかいつでもそこにいるような気がして。そんなはずないのに。……会おうと思っても、そんなに簡単に会えるような、そんな存在じゃないのに。そこにいないのが当たり前のはずなのに、なんだか……凄く不思議な感じがしたんですよね。なんでしょう?」

何でしょうも何も。
隣で聞いていたアリシアとマスターが、同じ表情で内心つっこむ。

クルムのほうはといえば、ふっと表情を和らげて、優しく言った。

「アリシアがマイト…自分の旦那さんのことを、そういう風に話していたのを聞いたことがあるな。
ねえ、アリシア?」
「え?そうねえ、マイトはもう、空気みたいな存在ね」

いきなり自分に振られ、それでも、当たり前のことのように答えるアリシア。
クルムは再びミケに向き直った。

「それって、ミケにとってのレティシアが、すごく大事な存在ってことなんじゃないかな」
「…………え。ええええ、いや、あの、……え、ええと」

ミケは顔を真っ赤にして言葉を詰まらせた。

「…ごめんなさい、自分じゃよく分からないんです……。自分で考えてしまうと、余計にわからなくって。これって、どういう気持ちなんだろう……?」

うーん、と考え込んで。

「なんて、言おう……。素直に『会いたかった。会えて、嬉しい』と。そこからかなぁ、って思いますけど。……。……………………。あれ、何か……」

それから、混乱した様子でしきりに首をひねる。

「場合に寄りますけど、これって……おかしい、のかな」
「え?…お、おかしくない、と思う、けど……」

しきりに首をひねる恋愛初心者2人。
ミケは苦笑した。

「本当は、あんまり僕も何が恋とか、全然分からなくて。でも、会って話してみたら、少し変わるかなって、思って。……僕は、レティシアさんを、多分、今まで意識したことがないから……ちょっと混乱してて。この間会った兄のように何か秀でている訳でもないのに、好かれているのかも、って自惚れるなって感じですけれどねー」
「お兄さん?って、ええと、パパヤ・ビーチで会った…」
「あ、はい。その兄です。先週、兄と一緒にここに来たんですよ。ね、マスター」
「うん、イケメンお兄さんだったよー。ミケくんに似て」
「え、えええ?僕はあんなに、その……」
「なんだ、まだそんなこと言ってんの?お兄さんはお兄さんで、ミケくんはミケくんでしょー?」
「あ、はい……その節は、色々と励ましていただいて……」
「?ミケ、マスターと何かあったのか?」
「あ、はい、実は、ですね……」

事情のわからないクルムに、ミケはかいつまんで先週の出来事を話した。

「そうなのか……」
「はは、兄みたいに綺麗で何でも出来たらともかく、僕みたいのが好かれるなんて、自惚れるなっていう話ですよ」

苦笑しながら自虐的な言葉を言うミケに、クルムは真剣な表情で向き直った。

「自惚れじゃないよ。もっと自信を持っていいと思うよ」
「クルムさん……」
「前にも言ったかもしれないけど 、
ミケは誰かの為に、心底一生懸命になれる心の温かい人で 、そういう所が、男のオレから見ても、すごく格好いいと思う 。レティシアに好意を向けられるのも、とても自然なことだと思うよ」
「そ、そう……でしょうか……」
「そうだよ。マスターも言ったけど、お兄さんはお兄さんの、ミケにはミケの魅力があるんだよ。どっちが優れてるってことじゃないだろ?」
「はは…ありがとうございます、クルムさん」

苦笑のまま礼を言うミケ。しかし、納得しているというよりは、慰めてくれていることに礼を言っている風で。
この問題は相当根深そうだと、クルムは嘆息した。

「…うーん。レティシアは最近この店に良く顔を出すんだろ?
今日もここで待って会えないようなら、マスターに言伝てを頼んで、今度ここで会う約束をしたらどうかな」
「言伝…ですか?」
「うん。レティシアがやったみたいに、手紙を託してもいいし」
「手紙、かぁ……そ、そうですね……その方がいいかなぁ」

ミケは言って、荷物の中からごそごそと紙とペンを取り出す。
クルムがティーセットを除け、ミケはそれに礼を言ってカウンターの上に紙を広げた。
ペンのふたを開け、ペン先を紙につけようとして、ぴたりと止まる。

「マスター、クルムさん。……あの、基本的なことなんですけど。なんて言って誘ったら、いいんでしょうか……?」
「えぇ?」

困ったように視線を向けるミケに、半笑いになるマスター。
クルムのほうは少し驚いた様子で、しかしすぐににこりと微笑を返した。

「うーん、ストレートに伝えればいいんじゃないかな。
ミケが会って話がしたいって言えば、レティシアは喜んで来てくれると思うよ」
「……ん。まぁ、これが彼女に届けば、ですけれどね」

まだネガティブになっているミケ。
マスターは軽く笑って、手をひらひらと振った。

「まーまー。今日来なくっても、来たら渡しておくからさ。
手紙書く前からそんなこと言っても始まんないでしょ。まずはやってみよ?」
「は、はい……そう、ですよね」

さらさら。
まだ自信なげに筆を運んでいくミケ。

「レティシアに、届くといいな」
「そうですね。会えたら……まぁ、兄から貰ったアドバイス通りなるべく普通に、お話ししてみます」
「そうだな、そうするといいよ」

笑顔で頷くクルムに、ミケは少し悪戯っぽく笑いかけた。

「……Wデートも、楽しそうですよね」
「だ、Wデート?!」
「はい。お昼ご飯くらいの時間帯に、と書いておきましたので……会えたら、一緒にお話しします?」
「そ、それは嬉しいけど…」
「ふふ、僕がレティシアさんに会えなかったら、お邪魔しないように隅っこにいますから」
「な、なんだよそれ?」

もはや自分のことはさておいて、見守る気満々らしいミケ。
いや、あなたも見守ってる場合じゃないですよ、と顔に書いてあるマスターとアリシア。
もはやアリシアに隠すことは頭から抜けてしまったらしいクルム。

じんわりカオスな状況の中で、ミケは手紙を書き終え、署名と封をすると、マスターに手渡した。

「これ、お願いできますか、マスター」
「うん、レティシアちゃんが来たら渡せばいいんだよね?おっけー、預かるよ」
「お手数かけます、よろしくお願いしますね」
「はいはーい」

マスターは受け取った手紙をエプロンのポケットに入れると、笑顔で手を振った。
改めてカウンター席に座り、ふうと一息入れて、茶の残りを飲み干すミケ。

「そういえばさ」

クルムも冷めたココアを一口含んで、話題の方向を変えた。

「ミケはここの店が喫茶店になる前『リーフの店』だったの…覚えてる?」
「リーフさんの…?」

ミケはきょとんとして、店の中をぐるりと、それから外の景色を見やった。

「…………あ、そういえば!?うわ、吃驚だー。凄い偶然ですよねー」

心底驚いた様子のミケに、苦笑するクルム。

「そうか、ミケはあの時リーフに付いて行かなかったものな」
「あれは、……自分の我が儘を優先しただけですよ。何も、できなかったけれど」
「そんなことないよ。ミケは立派に、あの事件を解決したじゃないか」
「はは、あれを解決と言うなら、ですね」

少し自嘲気味に笑って、ミケは視線を落とした。

「チャカさんって、どーしてこう…… まぁいいんですけど」
「チャカ、か……あの事件が、彼女たちとの出会いだったよな…」
「おのれ、リリィさん……いつか絶対にはっ倒すんだから」
「…み、ミケ?」

鬼気迫るミケの様子に少したじろぐクルム。
ミケはもう一度ふうとため息をつくと、視線を動かさずに、語り始めた。

「まだまだ未熟で、あんまり成長できていないので、悔しいですね。カレンさんのことも、麻薬のことも、どこかにやっぱり後悔が残る」
「…そうだな……ミケは、新年祭の時に彼女に会ったんだっけ」
「新年祭の時は……特に事件はなかったけれど……。なるべくなら、あまり会いたくは、ない人ですね……」
「はは、そうかもな」
「……なんて、その割に、チャカさんに人生初のナンパを仕掛けてわざわざ遊んで貰った訳ですけどね、あはは」

がちゃん。

カウンターの中から派手な音がして、2人は驚いてそちらを見やった。

「マスター?」
「あ。ごめんねー、失礼しました。ちょっと手が滑っちゃって」

割れたカップを手早く片付けながら、マスターはへらりと笑った。

「だ、大丈夫ですか?」
「へーきへーき。でもミケくん、恋愛初心者みたいなフリして、意外とやるねぇ」
「な、なにがですか?」
「え、誰か女の子ナンパして、遊んでもらったんだよね?んもうっ、この女泣かせ!」
「ち、ち、違いますよ!あれはナンパというか…その、せ、宣戦布告です!」
「おっ。これから君のこと攻めちゃうよーってこと?いやー、昼間っからダイタン発言だね!」
「い、いいいいいからマスターは早くカップ片付けてくださいよ!」
「んふふ、はいはーい」

マスターはヘラヘラしながら、カップのかけらを持って奥へと引っ込んでいった。
ミケは憤然とした様子で、カップの冷えた茶をもう一口。

「…まったく……いずれにしても、関わらない方が、人生確かに平穏無事でいいと思います」
「そ、そうだな……」

苦笑して相槌を打つクルム。
ミケは茶を飲み干してから、またため息をついた。

「……でもね、色々チャカさんの遊びに付き合わされて、一番思ったのは…
…ひとの心が一番怖いな、って事ですね」
「…ミケ……」

いたましげな表情でミケを見てから、クルムも視線を落として頷いた。

「そうだな…。魔族より怖いかもしれないな。人間の、心の闇は」
「ええ……あるいは、人の心の闇そのものが、魔族という存在なのかもしれませんけど」

それきり、口をつぐむ2人。

アリシアは、戻ってきたマスターが淹れてくれた茶のお変わりを飲みながらその様子を見やって。

マスターは相変わらず、何を考えているかわからない笑顔で皿を磨いているのだった。

第3週・ミドルの刻

からん。

相変わらず閑散としたランチタイムを迎えた喫茶「ハーフムーン」のドアベルが、新たな来客を告げる。

「いらっしゃーい。あー、こんにちはー」
「マスターこんにちはー!」

入ってきたのは、金髪をポニーテールにした元気少女、先ほどこれでもかというほど話題に上っていた、レティシアその人だった。

「また来てくれたんだねー、ありがとー」
「ううん、ここのお茶もケーキもすごく美味しいもん!これからも通わせてもらうわ!」
「それは嬉しいなー」

いつも元気な彼女だが、今日はとみにテンションが高い。かなり浮かれている様子で。
それは、彼女の連れのせいかもしれなかった。

「あれー、今日はお友達連れ?」
「そうなの!!」

レティシアの後ろに立っていた女性をひょいと覗き込んでマスターが言うと、レティシアは嬉しそうに頷いた。

「ルシェ姉ちゃん!幼馴染で、私の憧れのお姉ちゃんなの」
「よしてよ、レティ」

少し苦笑したその女性は、なるほど、少女の憧れになりそうな、クールな外見をしていた。
銀色の長い髪を、後ろでひとくくりにしている。紫色の瞳は涼やかな印象で、飾り気の無いカジュアルな服装と合わせて、さっぱりとした印象を与えていた。

ルシェと呼ばれた女性は、マスターの前に一歩歩み出ると、にこりと気さくな笑みを見せた。

「どうも、アルシェリア=メル=フェルシアスです」
「ルシェ姉ちゃんはね、冒険者なの!ルシェ姉ちゃんが冒険者になったから私も冒険者になろう!って決心したんだ~」
「へぇー、カッコイイね!」
「褒め過ぎよ、レティ」
「そんなことないよ!姉ちゃんは今でも私の憧れなんだから!」

レティシアは本当にはしゃいでいる様子で、ルシェの手を引いてテーブル席に着いた。
そこに、マスターが水とおしぼりを持ってやってくる。

「はいどーぞ。ご注文お決まりかな?」
「あっ、えーと、私はランチで!」
「はいはい、ランチね。ドリンクは?」
「んー、じゃあ、アイスレモンティー」
「はいはーい。そっちのお姉さんは?」
「何にする?ルシェ姉ちゃん。
ココはお茶も食べるものも美味しいんだよー。何でもオススメだけど、お腹空いたしランチメニューはどう?」
「そうね、じゃあ、彼女と同じものを」
「はーい、かしこまりー」

マスターはさらさらと伝票に記入すると、カウンターへと引っ込んでいった。

「でも、ホントビックリしちゃった。
まさかルシェ姉ちゃんに会えるとは思わなかったもの」
「私もビックリしたよ。まさかレティが冒険者になって、ましてヴィーダにいるなんてさ」
「エヘヘ…ルシェ姉ちゃんが出て行ってからしばらくして…かな。
エール兄ちゃんにはものすっごい反対されたからね、家出しちゃったの」

ぶほ。

レティシアの衝撃発言に、口に含んでいた水を噴出しそうになるルシェ。

「うっ……ケホケホ…あんた…家出って…。今頃エールは寝こんでるんじゃないの?」
「ううん、連れ戻そうって追っかけてきた」
「それはそれでアイツらしいね」
「でしょー」

くすくすと笑いあいながら、レティシアの兄エールのことを語る二人。

「でもね、ミケ……あ、えっと、その時一緒に依頼を受けてた仲間がね、説得してくれて。
頑張ってる私の姿を見てエール兄ちゃんも応援してくれるようになったの」
「へぇ…」

ルシェは少し意外そうに目を見張った。
しかしそこで、大きくため息をつくレティシア。

「でもね、月1の手紙と、半年に一度くらいの里帰りが条件なのね。
まあ、それでもエール兄ちゃんにしては譲歩してくれている方だからね、ちゃんと条件は守ってるよー。
それに、ルティア兄ちゃんの様子も気になるし」

先ほどとは違う兄の名前を口にすると、ルシェの表情が曇る。

「ルティア……相変わらずなの?」
「うん……」

それにつられるようにして、レティシアの表情も少し曇った。

「だいぶマシになってるはずなんだけど、時々大きな発作を起こしちゃうらしくて。
心配でたまらないから、里帰りも悪くないかなって」
「……心配なのに、一緒にいてあげないの?」
「え?」

ルシェの言葉に、レティシアはきょとんとしてルシェのほうを見た。
彼女の表情は咎めるようでもなく、ただ静かにレティシアの方を見ている。
レティシアは少し考えて、それから苦笑した。

「うん…本当は、一緒にいた方がいいのかもしれないね。
でも…」
「でも?」
「…ねえ、ルシェ姉ちゃん覚えてる?
昔みんなで遊んだ時の事。
私達は外で駆け回っている間、ルティア兄ちゃんは外に出られなくて一緒に遊べなくて」
「ああ…窓から悲しそうに見てた事もあったね。あの目を見るのは切なかったよ」
「私ね、遊び終わると、いつも兄ちゃんにその日にあった事とか話してたの。
そうすると、ルティア兄ちゃんすごく嬉しそうに話を聞いてくれてね。
私、その時間がとっても大好きだったの」

どことなく遠い目をしながら、レティシアは自らの思い出を探っているようだった。

「家出しちゃおうか迷った時も『頑張って、レティのしたいことをしておいで。そして、いつか僕に聞かせて。いつもみたいに、レティが見てきたもの、聞いた事、体験した事。僕はそれを楽しみにしてるから』って言ってくれてね。
それで、決心がついたの」
「レティ………」

その瞳には、迷いはなく。
ルシェは少しまぶしそうに、レティシアを見つめて微笑んだ。

「レティ、逞しくなったわね」
「えええ、そ、そうかなあ?」

レティシアは嬉しそうに頬を染めて、頭を掻く。
と、そこに。

「はーい、ランチ2つ、お待たせー」
「わ、美味しそう~!いただきまーす!」
「いただきます」

マスターの運んできたランチに、嬉しそうにフォークを取るレティシア。
それに続き、ルシェもフォークを取って食べ始める。

「……うん、美味しいじゃない」
「でしょでしょ!お茶もケーキも絶品なんだ、また来ようね!」
「ふふ、まずはこれを食べてからね」

しばし、和やかな時が流れる。

やがて、レティシアとルシェが食べ終わった頃を見計らって、マスターがテーブル席の方に歩いてきた。

「ごちそうさま、マスター。今日もすっごく美味しかったわ!」
「わ、そう言ってくれると嬉しいなー」

マスターは嬉しそうに微笑みながら、テーブルの上の皿を片付けた。

「っと、忘れないうちに。レティシアちゃんに、お手紙だよ」
「手紙?」

きょとんとしてマスターを見るレティシア。
マスターはにっこりと笑って、エプロンのポケットに入れていた手紙をすっと差し出した。

「私宛に?誰から?」
「んふふ、たぶんレティシアちゃんがいっちばん待ってる人からだよ」
「へ?」

かさこそ。
頭の上に疑問符を浮かべながら、それでも手紙を開いてみるレティシア。

中には綺麗な字で、丁寧にこう綴られていた。

レティシアさんへ

ミケです。先日はお手紙をどうもありがとうございます。
……勝手にいただいてしまいましたが、よろしかったでしょうか?

先日もいらしていたので、マスターから聞いていると思いますが、今はヴィーダにいます。
色々アルバイトしながら、魔法を勉強している毎日です。
あはは、色々悩んだりしながら、頑張ってます。

レティシアさんは、マヒンダに帰っていたんですね。
ご家族と、楽しく過ごされていたんでしょうか。
あなたは、優しいから。明るくて素敵な人だから。きっとご家族も喜んだことでしょう。

僕にも、あなたの事を、教えてくれませんか?
何をしていたとか、ご家族とどんなことをしたとか。
宜しければ、会って、お話ししたいのですけれども。

ただ、レティシアさんが今、どちらにいらっしゃるのか、分からないのです。
お手紙を貰ってすぐ、探しに行ったんですけれど、会えなくて。
なので、先週も先々週もいらしていたので、マスターに手紙を預けます。

もし、あなたに手紙が届いたら。
来週の安息日に、ここでお話でもしませんか?
お昼過ぎくらいにここにいますから、都合が良ければ。

僕も、あなたに、会いたいと思っています。
この手紙が、あなたに届きますように。

ミーケン・デ=ピース

「…………っ、…っ、……っっ!!」

手紙を読むレティシアの顔が、見る見るうちに真っ赤になっていく。
ルシェとマスターはその様子を、楽しそうに見守っていて。

わしゃ。

手紙を握り締めたレティシアが、感極まった様子でルシェに詰め寄った。

「ミケが!!
ミケが会いたいって!!!!
どうしようどうしよう!!コレって、ねぇ!デートの誘い?!」
「単に会いたいだけじゃない?」
「やーんどうしよう!!何着て行こうかなー!!ちょっと大胆に攻めた方がいい?」

ルシェのツッコミも、まるで聞こえていない。
というか、ミケというのが誰なのかもなんら説明は無かったのだが、先ほどエールのことを話した時に名前が出ていたし、その時の様子からも彼女にとって特別な存在なのは窺い知れたので、あえてつっこんで訊くことはしなかった。

「ねえねえどう思う、ルシェ姉ちゃん!やっぱり露出度高めの方がいいかな!」

その服装からさらに露出度を高くしたら自警団が来ないだろうか。
そんなツッコミをぐっとこらえて、ルシェは苦笑してレティシアに答えた。

「普段どおりでいいんだよ。本当に好きなら、ありのままの自分を見せるといい」
「えぇぇ、でも……」

レティシアは少し逡巡して、しかしややあって力強く頷いた。

「そうね!いつもどおりで行くわ。ありがとルシェ姉ちゃん!」

レティシアはやっと落ち着いた様子で、しわになったミケの手紙を嬉しそうに眺めながら、椅子に座った。
ルシェはそれを意味ありげな笑みで見つめながら、からかうように言う。

「それにしても、レティが恋ねぇ…。随分大人になったじゃないの」
「ちょ…恋とかそんな大きな声でー!!恥ずかしいじゃないのー!!!」

あなたの声のほうがでかいですよ。
頭をぶんぶん振って大仰に照れるレティシアをもう一度まぶしそうに見つめてから、ルシェはアイスティーの残りを飲み干し、立ち上がった。

「さて、時間だわ。そろそろ行かなきゃ」
「……え、もう?!」

続いて立ち上がるレティシアの頭を優しく撫でて、穏やかな笑みを見せる。

「仕事キャンセルするわけにいかないでしょ。じゃあね」
「あ、じゃあ私途中まで送ってく!!」

レティシアは慌ててポーチを手に取ると、慌しくマスターの元へ駆けた。

「マスターお会計お願い~」
「はいよー、まいどー」
「ああ、じゃあ私もお会計してくれるかしら」
「あ、ルシェ姉ちゃんはいいよ。今日は私のおごりー」
「え?いいよそんな。これくらい自分で出すから」
「いいからいいから!また次に会った時はご馳走してね」
「……しょうがないね。じゃあ、今日はご馳走になるね」

ルシェはまたレティシアをまぶしそうに見やった。
幼馴染の妹分だった彼女が、自分に奢ると言い出す日が来るなんて。

「じゃあ、マスター、来週もランチ食べに来るわ~。
またねー!」
「ごちそうさま」
「はーい、ありがとうございましたー」

からん。

昔のように仲良く手を繋いで、まるで姉妹のような二人は連れ立って店を出て行く。
マスターはそれを、嬉しそうに見送るのだった。

第3週・レプスの刻

からん。

レティシアたちが帰ってからしばらくして、再びドアベルが来客を告げる。

「いらっしゃーい。あっ、お客さん、また来てくれたんだねー」
「こんにちは……」

マスターが明るく声をかけた少年は、やはり先々週から三度現れたバンダナ少年、ファンだった。
しかし、今日は先週までとは違い、ジャケットの中にぴしっとしたシャツを着込み、ネクタイまでしている。ちょっとした正装だ。しかしバンダナは相変わらずびっちりと頭を包んでおり、違和感バリバリである。

ファンは少し身を硬くして店内に入ってきた。右手と右足が同時に出てもおかしくないほどの緊張振りだ。
とりあえずそこは置いておいて、マスターはまず目に飛び込んだ正装についてツッコミをいれてみることにした。

「どーしたの、何か今日はオシャレだね?」
「え、は、はい…ええと……実は人とここで会う約束をしてまして、少し身なりを整えに洋服屋を訪れた後なのです。あまり私は服装のセンスなどは分からないので、店員の方にお任せしたのですが……何か変でしょうか……?」
「変ってゆーか……まー、そのバンダナと思いっきりミスマッチだよね」

直球のマスター。
ファンはぐっと言葉に詰まり、苦しげに言葉をつむいだ。

「うっ…そ、それは店員の方にも言われたのですが…し、しかし、私はこれを取る訳には…!」
「取るとお客さんの中に眠る恐怖の大魔王が甦っちゃうとか?」
「な、何ですかそれは!違います!」
「だよねー。まあ、個人のファッションセンスに口出すほど野暮じゃないよー、事情があるならしょうがないしね」

マスターはフォローにならないフォローを入れて、先を促した。

「で?何、誰と会うの?」
「…ええ、実は、この後暮葉さんが訪れる予定なので…」
「暮葉ちゃんっていうとー、こないだ血まみれのお客さんにチューぶちかましたナノクニの女の子?」
「ちゅっ……!」

ぼふ。

マスターの発言にファンの顔が瞬時に赤く染まる。

「あ、あ、あれは事故のようなものでですね、私はその」
「よかったじゃーんお客さん、そのコとデートまで持ち込めてさ」
「でっ!べっ、別にデートとかではありませんっ!あくまでお茶ですっっ!」
「オシャレしてお茶を飲むことを、一般的にデートって言うんだよー」
「なっ……?!」

ファンの顔がさっと青くなる。なかなか交感神経系の元気な少年だ。

「…ああ…落ち着いて考えれば、ただお茶をするのに、身なりを気にするのは不自然だったかもしれませんね……。そのせいで、私などと、でっ、デートだなどと思われてしまうとは…ああぁ……しまった……」
「お客さーん、大丈夫ー?」

ずーんと落ち込んだファンをマスターが覗き込み、ファンははっと我に返ったようだった。

「はっ。も、申し訳ありません。
と、とにかく落ち着くためにも、今日はラベンダーのハーブティーを一杯だけ頂けますか……。
あまり先に頼むのも気が引けますので……」
「はいよー、ラベンダーティーね。とりあえずまー、座って落ち着いてー?」

マスターはファンをテーブル席まで案内して座らせると、水とおしぼりを出してからカウンター席に戻り、手早くハーブティーを入れてきた。

「はい、どうぞー」
「あ、ありがとうございます…」

ファンはマスターの運んできたラベンダーティーを静かにすする。

「んで、こないだはお客さん、固まっちゃって何も出来なかったみたいだけど、そこからどうやってデートまでこぎつけたのん?」
「だっ、だからデートではないと…!」
「はいはい、お茶ね、お茶。で、どうやってお茶までこぎつけたのん?」

軽く流されてなんとなく釈然としないが、ファンはふうと息をつくと、経緯を語り始めた。

「……私はここ1週間の間、正気を失い、仕事もロクに手をつけられずに街を彷徨っていました。道行く人に異常な目で見られたり、本屋で本を逆さまにとって見ていたり……」
「はー、重症だねえ」

マスターの相槌が聞こえているのかいないのか、ファンはうつろな目で続けていく。

「気がついたら私はラージサイトの近くで、何人かの男性と共に『クレハタソモエー』とか『クレハタソハボクタソノヨメー』などといった呪文めいた言葉を叫びながら怪しげな踊りをしたりしていました……」
「………そ、そうなんだー……」
「『クレハタソ』とは一体何なのでしょう…」
「何なのかわかんないで踊ってたの…?」
「はい……あの時の私は、本当にどうかしていたとしか…」
「それは…全くその通りだね……」

かなり引いている様子のマスターに、ファンは懐からごそごそと何やら取り出した。

「彼らは私に声を掛けてくださって、このような物を渡してくださいまして…」
「ほほう」

マスターが覗き込むと、それは黒髪セミロングの萌え美少女がナノクニの民族衣装を着て可愛らしくポーズを取っているイラストがプリントされ、「GO!GO!暮葉!!」というロゴの入っているバンダナだった。

「……あー……」
「他にも暮葉さんの写真や人形を見せられ、私が彼らと何かをしていたことはなんとなく覚えています…」
「…パンピーに無理な布教はタブーなんだけどなー…これだから妙なレッテル貼られるのに、しょーがない奴らだなー…」
「…マスター?彼らをご存知なのですか?」
「ん?ううん、こっちの話ー。んで?それが暮葉ちゃんとのデートとどう繋がるの?」
「でっ、デートでは」
「はいはい、お茶お茶。で?」
「………その時に暮葉さんが私を発見して、正気に戻してくださったのです」
「正気に?」
「はい。私も記憶が曖昧なのですが、なにやら鬼気迫る様子で私に術を施してくださいました」
「術を」
「ええ。その余波で、私の周りにいた方々も吹っ飛ばされてしまったようなのですが……」
「…それは、最初からその周りの人たちがターゲットだったんじゃ……」
「目を覚ましたら体中が痛かったのですが、それも私を正気に戻す術の余波だったのでしょう」
「術って言うか……単なる物理攻撃じゃ……」
「……今思うと、あの方々は何かの宗教団体だったのかもしれませんね。常に『~ナリ』とか『wktk』等、よく分からない言葉を使っていたりして、思い出しても意味が理解できないですし……」
「世の中には、知らない方が幸せなことがいくつもあるんだよ……」
「しかし……何故暮葉さんの写真などが出回っているのでしょうね……。相変わらず色々なことをする人です」
「暮葉ちゃんも、気の毒にね……」

微妙にかみ合っているようなか見合っていないような会話を経て、マスターはようやく状況を理解した。

「なるほど。んじゃあ、その正気に戻してくれたお礼にって、お客さんがデートに誘ったわけだ」
「だっ、だから…!」
「はいはい、お茶お茶。んで?お茶に誘って、お礼をするわけだね?」
「はい……暮葉さんが来たら…」
「暮葉ちゃんが来たら?」
「ひとまず落ち着いて『お待ちしていました、こちらの席へどうぞ』と席に誘導して、暮葉さんに飲み物を何にするか伺い、マスターに『暮葉さんの注文する品と、私はダージリンください』と」
「ふむふむ」

いつの間にやらデートシミュレーション大会になっている。
ファンは懐から取り出したメモにさらさらと書きながら、続けた。

「そして『先日は取り乱してしまい申し訳ありませんでした。そして先ほどは私を正気に戻してくださってありがとうございます』と、ひとまずお礼と謝罪を申し上げて、後は談笑しながらお茶を……」
「お客さん、熱心だねえ」
「…はっ?!いつの間にかメモを取ってしまった……。だからデートじゃないんですからこんな綿密に計画立てることも……」
「そうそう、デートじゃないんだからさ」
「そう。これはあくまでただのお茶会です。ごく自然なお茶会なのです……」

くしゃ。
ファンは自分に言い聞かせるように呟きながら、書いたメモを一枚取って丸めた。

と、そこに。

からん。

「こんにちは」

ドアベルが来客を継げ、落ち着いた女性の声が店内に響き渡ると、ファンが目に見えて硬直した。

案の定、入ってきたのはくだんの暮葉だった。いつものナノクニの民族衣装を身に纏い、楚々とした動作で店の中に入ってくる。

「あー、いらっしゃーい」
「こんにちは、マスター。あの、待ち合わせをしているんですが…」
「うん、お待ちかねだよー」

やってきたマスターに僅かに頬を赤らめる暮葉。
マスターはあっけらかんとした様子で、テーブル席のファンを指し示した。
会釈をしてそちらに歩き出す暮葉。

「ファンさん。お待たせさせてしまい申し訳ございません」
「い、いいいえそんな、とんでもない。ど、どうぞこちらにお座りください」

早速ぎこちなく席に案内するファン。
ここまでは一応、シミュレーションの通りだが。

「ええと、私にはダージリンを…………っ!」

思わず自分の注文を先にしてしまい、慌てて暮葉の方を向く。

「え、ええと、暮葉さんは何になさいますか?」
「私はそうですね…ナノクニのお茶も取り扱っていらっしゃるんですよね」
「うん、ナノクニ好きなんだー」
「ああ…そういえば、あちらに暖簾もありますよね。ヴィーダで見るのは初めてです」
「うん、あれもナノクニから取り寄せたんだよー。しぶいデザインでしょ、特注なんだよ」
「…あの、『美悠』という文字は…?」
「ああ、あれも特注で入れてもらったのー。僕の大好きな子の名前!」
「そ、そうなんですか……」
「ナノクニ茶は、今だと普通のグリーンティーと、マッチャと、あとこないだ入れたウジのギョクロがあるよ」
「まあ、玉露ですか。お高いですよね?」
「そぉだねー、銀貨1枚になっちゃうけど、どうする?」
「えっ、そのくらいでいいんですか?じゃあ、お願いします」
「はいよー、かしこまりー」

マスターはさらさらと伝票を書いて、カウンターへと引っ込んだ。
一息ついたファンが、改めて暮葉に向き直り、深々と礼をする。

「ええと……先日は取り乱してしまいまして申し訳ありませんでした」
「えっ?あ、いいえ、気にしないでください」
「そして先ほどは私を正気に戻してくださりありがとうございます。おかげさまで仕事にも手をつけられそうです」
「それはよかったです」

笑顔で頷く暮葉。
ファンはそれを見てはっと言葉に詰まり、次に俯いてしまった。

「はーい、おまちどうさまー」

そこにタイミングよくマスターがお茶を運んできて、ふっと空気が緩む。
ダージリンと玉露のいい香りが漂い、しばし和やかな空気が流れるが…しかし、相変わらずファンは話を切り出せずに、もじもじと手元を動かしながら視線を泳がせていた。

「ファンさん…どうかされましたか?まだ体調が良くないのですか?」

不審に思った暮葉がそう問うと、ファンは慌てて首をぶんぶんと振った。

「い、いえ、大丈夫です心配しないでください……。ええと……ただ……今日の暮葉さんがとても美しく見えて……っっっ!」

ばっ。
焦りのあまり思わず漏れた本音に、ファンが慌てて口を塞ぐ。
暮葉はと言えば、一瞬固まった後、みるみるうちに顔を真っ赤に染め、俯いてしまった。

「………ち、違うんです!いえ、違わないんですけれど!ええとええと……ごめんなさい……今のは聞かなかったことにしてください……」

慌てて言い訳をしようとするファン。
だが。

「……と言われましても、すでに聞いてしまいましたし」

ふ、と上げた暮葉の顔が。
どう形容したらいいのか。先ほどまでは確かに暮葉だったその少女が、いつの間にか違う人間に摩り替わっていたような…そんな印象を受けた。

黒い瞳は、どことなく妖しい色をたたえ。つややかな唇は、先ほどまでの穏やかな笑みではなく、端の方だけが僅かに上がった、蠱惑的な笑みを浮かべている。

「く……暮葉、さん……?」
「……何を見て、美しいだなんて思われたのですか?」
「……ぇっ」

不可思議に思ったファンも、続く暮葉の言葉に、冷静さを失ってしまう。

「……そ、れは……」

視線を泳がせながらたっぷり沈黙した後、ファンは吐き出すように言った。

「……分かりません。初めてお会いした時のも確かに美しい女性だと思いました……。しかしそのときはそれ以上何かを思ったわけではなかったと思います……」

すう、と息を吸って、呼吸を整えて。

「ですが……何度もお会いして暮葉さんを知るうちに、あなたがまた違った美しさを放つように見えてきてしまったのです……。私はそれに凄く惹かれているのだと思います……」

そこまで言ってから、悔しげに頭を振る。

「……申し訳ありません。あまり……上手く表現できないです……」

暮葉の瞳がすうと細められ、唇にたたえられた笑みが深まった。

「……つまり、私の女性としての魅力に惹かれているんですか?」
「……はい。その通りです……。女性としてあなたに惹かれているのだと思います……いえ、惹かれています」

きっぱりと。
顔を真っ赤にしつつも、ファンはそう断言した。

に、とさらに暮葉の笑みが深くなる。

「あー、そうか。じゃあこの前の身体愛撫の件って、耐え切れなくなった欲求から冒してしまったと?」
「断じて違います!」

ファンは即座に、大きな声で否定した。
動じる様子の無い暮葉は、すいと顔をファンに近づける。

「……でも、したいとは思わなかったのかしら?」
「……っ……それは……」

この暮葉は、明らかに様子がおかしい。
が、今のファンには、それを冷静に判断する余裕すらなくなっているようだった。

「……確かに、暮葉さんを強く意識するきっかけにはなってしまいましたが……アレは、ただ私に出来ることであればと……。結果的に間違ったことだったので、あなたを辱めてしまう結果となってしまったことは何度でもお詫びします。申し訳ありませんでした……。……私は、そのような浅ましい事をしようとは思っていません。いえ、思ってはいけないのです……」
「まあ、それはどうして?」
「……欲望にかられて、理性を失うってしまうような行動は……私には許されざることなのです……。それは……必ず悲しみを呼んでしまう……」
「あら、そう」

中2病全開のファンの台詞にも、興味なさげに嘆息する暮葉。

「でもね、私は別に構わないわよ?」
「えっ……」

顔を上げたファンに、暮葉がにっと妖しい笑みを投げた。

「遠慮はいらないわ。さあ、何がしたいのですか?」
「な、何……とは……」

す、と。
暮葉の細い指先が、ファンの顎にかかる。

「どんなことでも受け止めてあげるわ。さあ、いらっしゃい」
「なっ……わ、私、は………っ!」

がたん。
ファンは動揺したまま、慌しく椅子から立ち上がった。

「ごめんなさい、今日は……失礼します」
「待ってよ」

かた。

「……っ!!」

その場を去ろうとしたファンに、同じく立ち上がった暮葉がふわりと抱きついて、ファンは再び全身を硬直させた。

「……私、あなたに構ってほしいの。私のことが好きなら、もっと可愛がって?」

耳元で囁いてから、しなだれかかるようにしてファンの体を導き、まるで動物をあやしておとなしくさせるように、再びファンを椅子に座らせた。

「……ダメです。こんな……暮葉さん……私はこんなことを望んだわけでは……!」
「ずいぶん震えてるわね。、風邪かしら。前の傷のように治してあげる。さあ、目をつぶって」
「暮葉さ………!」

ファンは動揺しながら、それでも何かを堪えるようにぎゅっと目をつぶった。
くす、と妖しく微笑む暮葉。

そのまま、彼女の唇が近づいていって。

と、そこで。
ふ、と、暮葉の瞳の色が変わった…否、元に戻った。

「ちょっと待てぇぇぇぃぃぃ!」

どん。
どか、どすん、がしゃん。

いきなりものすごい勢いで暮葉がファンを突き飛ばし、カウンター席まで吹っ飛ばされた衝撃で席の上のガラスがものすごい音を立てて落ちて割れていく。

「がふっ……な、何が……?」
「ご、ごめんなさい!いきなりの事態だったものでびっくりしてつい!」
「大丈夫ー、お客さん?」

慌ててファンに駆け寄る暮葉。というか、それはまるっきりファンの台詞だろう。
マスターもカウンターの上から、相変わらず暢気な様子で覗き込んでいる。

「…一体……私はおかしな事をしたのか……。いや……むしろ……」

暮葉の声が聞こえているのかいないのか、うつろな目で呟くファン。
カウンターの椅子軍に派手に打ち付けられ、木の破片で切ってしまっているのだろう、額から血が流れ出ている。

「今治しますので、じっとしていてください」
「えっ……」

暮葉はそう言うと、先週と同じようにファンの額に顔を近づけてきた。
再び固まるファン。

「く、暮葉さ……」

しかし、それもまた、突然の乱入者に遮られることになる。

ちゅどーん。がしゃん、ごろごろごろ、がたん。

「きゃっ?!」
「ぐっ……!」
「わー、今度は何ー?」

いっせいに、衝撃音のした窓の方を振り向く3人。
飛び込んできたのは、大きな動物……ではもちろんなく、それと見まごうほどの小さな少年だった。
窓からガラスを破って突入してきた彼は、エメラルドグリーンの長い髪を見事になびかせて、どしゃ、と床に叩きつけられる。
んぎゅ、という声を出して、そのまま動かなくなる少年。

「え!シェリー?!」

その姿に見覚えがあったらしく、暮葉は慌ててそれに駆け寄った。
暮葉にキスの洗礼を受ける直前だったファンは、ずきずきと傷む体を動かせぬまま呆然とそれを見送る。

「何で窓から…?!大丈夫、シェリー!」

倒れ付したままの少年の傍らに膝をつき、揺り動かしてみる暮葉。

「わ、悪い!大丈夫か、シェリー?!」

からん。
それに続いて、慌てた様子の少年が一人、派手にドアベルを鳴らして入ってきた。
窓を破って飛び込んできた少年よりは少し濃いめの、エメラルドグリーンの髪。こちらは短く切ってそろえてある。

が、暮葉はそちらに気づいていないのか気にならないのか、動かなくなったシェリー少年の体をごろりと動かして、髪を除けて顔を露にする。

そして、その唇にためらうことなくキスをした。

「?!……」
「なっ……?!」
「おー」

色々な意味で衝撃的な光景に、絶句するファンと、駆け込んできた少年。
完全に傍観者のマスター。そろそろ怒っていいですよあなた。

キスをする暮葉と、それを受けるシェリーの体が淡く光り、暮葉がシェリーになにやら術を施していることが知れた。
やがて、あれだけ派手に飛び込んできたにもかかわらず、むくりと起き上がるシェリー。

「……あれ……ここ……」

目覚めたばかりで寝ぼけているように、とろんとした瞳できょろきょろと辺りを見回す。
そしてすぐに暮葉を認め、へらっと笑いかけた。

「あ、おはよー暮葉ちゃん」
「おはよう、シェリー。痛いところない?」
「痛いところ?ううん、別に大丈夫だよ?」
「そう、それならよかった」

暮葉は安心したように微笑んで、立ち上がった。

「え、あ、お、おい……?」

後から駆け込んできた少年は、2人のあまりのあっけなさに、何を言っていいか判らずにわたわたと手を動かしている。
暮葉はその様子に、きょとんとしてそちらを向いた。

「あらレオンもいたの!久しぶり~。しばらくみない間にシェリーっぽくなったね」
「なっ……そんなワケあるか!お前がいきなりそんな事したから驚いただけだ!」

レオンと呼ばれた少年は、気を取り直した様子でそう言い返す。

「そんなことって?」
「そんなことは……っ、もういい!…そういや、しばらく振りだったな」
「そうだった?ああでも、新年祭のアルバイトの前に寄ったきりだったね」
「…お前も、不義理ばかりしていないでたまには顔を見せろ」
「不義理をしてるつもりはないけど…そうね、そうするよ」

そのあたりで、ようやっと目の覚めた様子のシェリーが、きょろきょろとあたりを見回した。

「あ、あの、これは……?」
「あはは、大丈夫ー?お客さん、あの窓ぶち破って店の中に入ってきたんだよー」
「え、ええええ?!」

マスターのあっけらかんとした解説に、シェリーは慌てて立ち上がり、頭を下げた。
レオンもそれに倣い、頭を下げる。

「ご、ごごごめんなさい!!」
「すっ、すまない……!」
「やや、それはそれとして、なんでこんなことになったのー?」

マスターが尋ねると、シェリーとレオンは困ったように顔を見合わせた。

「そ、それは……」
「俺の魔法で、シェリーを吹っ飛ばして…」
「ふ、吹っ飛ばされたボクが、窓を破って……」

要領を得ない二人の質問。そもそもなぜシェリーが魔法で吹っ飛ばされるような事態になったのか。
聞きたいのは山々だが、深く追求するのも面倒になりそうな気がして、マスターはそれ以上つっこんで訊くことはしなかった。

「ご、ごめんなさい……ボ、ボク達で半分ずつ弁償します……」
「そうだな…すまなかった。いくらになるだろうか?」
「えーっ、どうしよう困ったな、お客さんたちだけで壊したものだけじゃないし……」
「ん?それはどういうことだ?」
「っとぉお、そんなことはともかくとして、シェリー?」

どさくさ紛れに自分が壊した分まで弁償させる気満々だった暮葉は、話の向きが怪しくなって慌ててシェリーに話しかけた。

「ん、なに?暮葉ちゃん」
「魔術のお勉強も大切だけど、シェリーは少しぐらい体を鍛えたほうがいいよ?体の使い方なら私が教えてあげるから。手取足取りね」
「うん、そうだよね。今度よろしくねー」

そんな、旧知の間柄によるほのぼのとしつつも外部にはよく分からない会話が展開されている横で。

ファンは、先ほどのキスシーンからまだ立ち直れずに、ぐわんぐわんと回る頭を抱えて、俯いていた。

(……俺は……いや……これが遊ばれたと言うことなのでしょうか……。
いや、もしかしたら俺の態度に嫌気がさしたのかもしれませんね……)

何をどうしたらそういう結論になるのかわからないが、ファンはふっと自嘲気味に笑うと、よろよろと立ち上がった。

「……マスター…お会計をお願いします……。暮葉さんの分とご迷惑をお掛けした分も払います」
「ファンさん?!」

暮葉はそれに驚いてファンを振り返った。

「お客さん、大丈夫?ケガの方は」
「大丈夫、です……こう見えても、薬師ですから…」
「そう?無理しないでね」
「それで…お代の方は」
「んー、とりあえず今日は注文の分だけもらっとくね。ちゃんと片づけしてから、改めて領収書と一緒に出させてもらうよ」
「……ありがとうございます…」

ちゃりちゃり、と、マスターに注文の代金を払ってから、ファンは悲しげに暮葉の方を振り返った。

「……今日はお忙しい時間を割いてお付き合いくださりありがとうございました。お先に失礼します……」
「え、ちょっとファンさん?どうしたんですか?」

不思議そうにファンを覗き込む暮葉に、ファンは一瞬だけ泣きそうな表情を見せて、それから苦しげに胸を押さえて、暮葉の横を通り過ぎ、出口へと駆けていった。

「…失礼します……!」
「あ、ちょっと、ファンさん!待ってください!」

慌ててそれを追いかける暮葉。
からん。
2人の退店を告げるドアベルの音だけが響き、残された少年たちとマスターは呆然とそれを見送った。

「………な、なんだった…のかな……」
「……さ、さあ……」

訳がわからず、呆然と呟くシェリーとレオン。

「っとー、呆気に取られてないで、さっさと片付けなくちゃ。お客さん、ちょっとごめんねー」

ようやく我に返ったマスターが、箒とチリトリを持ってカウンターから出てくる。
そこで、シェリーとレオンも慌ててそちらを向いた。

「あ、あのあの、て、手伝います……」
「そうだな、壊してしまったのだし…本当にすまなかった」
「いいよいいよー、お客さんたちは座ってて?あ、そこ破片気をつけてね」

手伝いを申し出るも、あまりのマスターの手際のよさに手すら出せない2人。
あっという間にガラスの破片と椅子の残骸を片付けたマスターは、2人に向かってにこりと微笑みかけた。

「さ、これでいいかな。お客さんたちは、注文どうするー?」
「え、えっと、あの、そ、そんなことより……」
「そうだ、弁償をしなければな。いくらになる?」

困った様子で弁償を申し出る2人に、マスターも困ったように眉を寄せた。

「うーん、さっきのお客さんにも言ったけど、ちゃんと片づけして、直してみないと、弁償額って判らないでしょ。もし弁償してくれる気持ちがあるなら、来週当たりもう一回来てよ、ね。
お客さんたちが壊した分だけ、正確に計算しておくからさ」
「あ、あの、そ、それでいいんですか…?」
「このまま逃げてしまうことも出来るんだぞ?いいのかそれで?」

心配そうなシェリーと、壊しておいて態度のでかいレオン。
マスターはにこりと笑った。

「うちは、来てくれたお客さんは信用することにしてるんだー。
だから、ね。今日のところはひとまず、普通にここでお茶してってよ」
「そ、そう、ですか……?」
「……まあ、そこまで言うなら…」

2人はしぶしぶといった様子で、窓際のテーブル席に腰掛けた。
手早く水とおしぼりを持ってくるマスター。

「はーい、じゃあ、ご注文は?」
「紅茶かな。アールグレイがあったら、それで頼む」
「はーい、アールグレイね。そっちのお客さんは?」
「え、えと……チャイがあったら、ストレートでお願いします」
「はーい、チャイをストレートでね」
「…お前、よくアレをそのままで飲めるな……」
「えー?そのままでもすっごくおいしいよ?あのお茶は」

そんなこんなで。

ごたごたと慌しかった昼下がりは、静かに終わりを告げていくのだった。

第3週・ストゥルーの刻

からん。

もう日も沈んでそろそろ閉店かと思われる時刻に、ドアベルの音が響く。
マスターは顔を上げて、そちらに挨拶をした。

「いらっしゃー………ああああ!」

とたんに、その表情がぱっと輝く。
マスターは磨いていた皿をそこに置き、慌しくカウンターの中からホールへ駆け出した。

「ミニたーーーーん!」
「カーくーーーーん!」

ひし。

入ってきた客と、熱い抱擁を交わしあうマスター。

「うわー、ミニたん久しぶりー!元気だった、元気だったー?」
「ぼくはいつでもげんき!だよー。カーくんのにおいがしたから、はいってみちゃった、はわわ…!」

すりすり。
ひとしきり頬ずりをし合ってから、マスターは来訪者を解放する。

解放、という言い方がしっくり来るほどに、来訪者は一見小さな少年のように見えた。蛍光オレンジの大きな帽子に、蛍光グリーンのチュニックというド派手ないでたちで、背にはギターのような変わった形の楽器を背負っている。長い亜麻色の髪が目元をすっぽりと覆い隠していて、瞳の色までは窺い知れない。

彼(彼女?)は、名を、ミニウム、といった。

「いやー、ミニたんが来てくれるなんて嬉しいなー、僕もね、最近このお店始めたんだよ」
「カーくん、きっさてん、やりたがってたもんね」
「うんうん、妹からこの土地譲り受けて、やっと開店できたんだー。
さあさ、座ってよミニたん。僕ミニたんにとっておきのブレンドティー作っちゃう!」
「はわわ、うれしいな、なー…!」

とてて。
ミニウムは軽やかな足取りでカウンター席まで駆け寄ると、ちょこんと座った。

「にしても、ホント久しぶりだねー。ミニたんがヴィーダに来るのも」
「んうー、さいきんは、パチられたぼくのだいじなキャンディー、とりかえしに、ちょっととおくまでいってたの」
「え、キャンディーって、あのキャンディー?」
「そそそ、あのキャンディー」
「っひゃー、ミニたんのキャンディーパチってくなんて、怖いもの知らずなヤツもいたもんだねえ」

こぽぽぽ。
マスターは半分呆れたようにそう言いながら、ティーポットから茶を注いでいく。

「はい、どうぞー」
「ありがと!はわわ、おいしそ…!」

こくこく。
マスターの出したお茶を、たどたどしいしぐさで飲んでいくミニウム。
マスターはニコニコとそれを見やりながら、話を続けた。

「んで、ヴィーダには何で来たのん?何か、面白そうなことでもあった?」
「んうー、ぼくがトラブルおっかけてるみたいないいかたー」
「あはは、ゴメンゴメン。でも、何かあったんでしょ?」
「べ、つ、にぃー。もうすぐ、フルるんのおまつり、でしょ」
「ああ、そういえばもうそんな時期だねえ」

マスターはきょとんとして、後ろのカレンダーを見やった。

「フルるんのおまつり、みにきてみたら。カーくんのかわいーいもーとちゃんが、なんかやってるの、みたよー」
「ありゃー、やっぱりそれでかー」

マスターは困ったように眉を寄せ、頭を掻いた。

「ごめんねえ、あんまハデなことすんなって言ってるんだけどね、聞かないんだよ」
「んーん、ぼくはただ、みーてーるーだーけー、だから。べつに、どうもないよ、よー。
フルるんのおまつりまで、たいくつしないかな、って」
「あー…まー、確かに、見てる分にはねー」

苦笑して肩を竦めるマスター。

「手が足りなくなった時にこっちに押し付けさえしなければ、まるっきり他人事なんだけどねー」
「んくく、かわいーいもーともつと、たいへんだね、ねー」
「あはは、まったくだよー」

ミニウムは茶をもう一口すすると、ことんとカップをソーサーに置いた。

「カーくん、きっさてん、あんまおきゃくさんきてない…の?」
「うわー、ミニたん直球だねえ。あはは、ぶっちゃけ閑古鳥だよ」

マスターが苦笑して言うと、ミニウムは、んくく、と奇妙な笑いを浮かべて、背負っていた楽器を手に取った。

「んじゃ、らいしゅうはー、ぼくがいちにちじゅう、ここできゃくひきしたげるね!」
「え、ホント?!」
「ほんと、ほんと!おきゃくさんのリクエストにも、こたえちゃったりしちゃったりしちゃお!」
「うっわー、嬉しいな!来週が楽しみになってきちゃった!」
「そんなことゆっておきゃくさんぜんぜんこなかったらごめんなさ……!」
「いいよいいよー、ミニたんが1日いてくれるだけでも嬉しいよー」

こうして、来週への予感をそこはかとなく秘めつつ。

喫茶『ハーフムーン』の夜が、静かに深まっていくのだった……。

…To be continued…

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