第2週・ルヒティンの刻

「よしっ、準備オッケ~♪」

ぴし、ぴし、ぴし。
カウンター、テーブル、キッチンを次々と指差して、マスターは満足げに頷いた。

「そんじゃ、今日も開店しましょっかね~」

からん。
外掃除のための箒とちりとりを持ってドアを開ける。
ルヒティンの刻とはいえ、まだ1日は始まったばかりだ。
せっかくの安息日、朝くらいはゆっくり寝ていたいものだろう。
商店街の人もまばらで、賑わうにはもう少し時間が要ることを思わせる。
ましてや普段から客のいないこの『ハーフムーン』なら、何をかいわんや、というところだ。

しかし、今朝は少しばかり勝手が違ったようだった。

「おはようマスター!!ねぇ!!私の事覚えてる?」

ドアを開けたマスターを待っていたのは、切羽詰った表情をした少女の勢いのいい声だった。

「おわっ。あれー、えっと……確か…」

マスターは目を瞬かせながら、それでも記憶を手繰り寄せた。

「先週……ウチに来て手紙書いてたコだよね?」
「そう!そうそうそう!」

少女……レティシアは、嬉しそうな表情を広げて何度も頷いた。

「そ、その手紙なんだけど、私、ココに忘れていかなかった?!」

再び、最初の迫力でマスターに迫るレティシア。
マスターは箒を持ったままへらっと笑った。

「あー、あの手紙ね。あのねー…」

と、マスターの言葉を遮るようにして。

ぐぎゅるるるるるるる~……

レティシアの腹部から響いた、非常にわかりやすい音に、二人ともきょとんと言葉を止める。
一瞬の後に、レティシアが顔を赤くした。

「あ、あらやだ私ったら…朝ごはんも食べずにココに来たから…」
「えー、ひょっとして開店するの待っててくれたの?」
「あ、うん、何時に開くかわからなかったから…」
「うっそー、ぜんぜん気づかなかったよー。んもー、言ってくれればいいのにー。さ、中に入って入って!」

マスターはレティシアを急かすようにして店の中に入れた。
綺麗に掃除された店内をもう一度見渡して、奥のカウンターの方へと足を進めるレティシア。

「モーニングセットでいい?トーストとサンドイッチとあるけど」
「あ、うん、じゃあトーストで」
「飲み物は?」
「そうだなぁ……じゃ、アイスミルクティーで」
「かしこまりー♪」

カウンターに座ったレティシアに水とおしぼりを出すと、マスターはカウンターの中に戻っててきぱきと調理を始めた。

「じゃあ、お客さん、忘れた手紙を取りにココに来てくれたんだ?」

モーニングのトーストをかじっているレティシアに、マスターはニコニコしながら言う。
レティシアは頷いてから、口の中のトーストを飲み込んだ。

「あれから私、すぐ次の仕事が入っててね。オルミナまで行かなくちゃいけなかったから、帰って洗濯物しまってからすぐ支度して馬車に乗ったのね。途中で手紙出せばいいやと思って。
それで、馬車の中でカバン確認したら、実家宛の手紙しか入ってなくて!
もー、びっくりしちゃってー」
「ありゃりゃ、それで1週間も経っちゃったんだねえ」
「そう。ココで手紙書いて、帰って支度して宿引き払って馬車に、だから……宿は引き払うときにちゃんとチェックしたし、忘れたとしたらココしかない!と思って。
ねえ、マスター、私の手紙なかった?」

心配そうに問うレティシアに、マスターはにこりと笑顔を返した。

「あー、そうそう。あの手紙ね、お客さんが出てった後に、そのあて先の当人が偶然ココに来たもんだから、そのまま渡しちゃったんだよー」
「えっ……あ、あて先の当人って…まさか」
「うん、ミケくん?っていう人、だっけ?えーと、ながーい茶髪を三つ編みにしてて黒ずくめの、黒猫連れた可愛い男の子」

マスターの言葉に、目を丸くするレティシア。

「……えええええええっ?!」

絶叫に近い声を上げて、マスターに詰め寄った。

「ミ…ミケ来たの?!
ココに来たのっ?!
しかも手紙渡しちゃったの?!」
「え、うん。だってちゃんと宛名書いてあって封もしてたし、そのお客さんも君のこと知ってるみたいだったから、いいかなと思って……まずかった?」

ばつが悪そうに言うマスターに、レティシアはようやく我に返ったようだった。

「あ…ううん、別に責めてるワケじゃないの。
どうせ出すつもりの手紙だったし。
むしろお礼を言わなきゃよね、ありがとう」
「あははー、ならよかったぁ」

マスターが安心したように微笑み、レティシアは力の抜けた様子で再び腰掛けた。

「あー…そっか、ミケにもう渡しちゃったんだぁ……う、なんか、チョット照れくさいなぁ…」
「あはは、ラブレターだもんねぇ」
「や、だから!違うって、ラブレターじゃないのよ?!
っていうか…離れてる間の事が知りたかった…のかなぁ。
ホラ、彼女が出来ました~とかいうなら、早めに知っておきたいし。
早く諦める算段つけなくちゃでしょ~」
「およ。諦めるだなんて、ずいぶんネガティブだねえ」

マスターがきょとんとして問うと、レティシアは複雑そうな表情で視線を逸らした。

「ん~…
諦められるかどうかはわからないけど、心の整理は必要だと思ったし」
「そうお?なんか、諦めること前提な感じじゃない?
恋はもっとポジティブに行かなきゃさ!
失敗した時のことなんて考えてたら、なーんにもできなくなっちゃうよ?」
「そ、そうかな……うん、がんばってみるわ」
「そそそ!ネガティブになってるとうまく行くこともいかなくなっちゃうからねー」

ニコニコとそんなことを言うマスターを、レティシアは改めてしげしげと眺めた。

「ん?なにかな?」
「……マスターって、ホントイケメンよね~」
「えぇぇ?なに、いきなりー」

唐突にそんなことを言われ、しかし言われ慣れているのか、マスターは苦笑して手をぱたぱたと振った。

「モテるでしょ~?
『好きですっ!!』とか言われない?」

とここまで言って、先週のマスターのミュー語りっぷりを思い出し、(ビミョーかも…)と思ってみるレティシア。
マスターは苦笑したまま肩を竦めた。

「そんなことないよ~。コクられたことなんて一度もないよー?」
「そうなの?何か意外~」

でもないかな、と心の中で付け足して、レティシアはさらに話を進める。

「好きな人は…ああ、ミューだったわよね」
「うん、そうそう。僕の永遠のプリンセスだよねぇ」
「例えばよ、ミューに恋人がいたとしても・・・いいの?」
「へっ?」

きょとんとするマスター。
その反応に、レティシアは苦笑した。

「ああ…えっと、マスターはミューを恋人にしたいとかいう好きじゃないのかな?
だとしたら質問が悪かったわね、ゴメン」
「あははは、ミューたんが恋人かぁ、なりたいような怖いようなカンジだなー」

あっけらかんと笑うマスター。
レティシアは複雑そうな表情で、マスターに訊いた。

「他の人を好きになる、ってことは…ないの?」

再びきょとんとするマスター。

「うーん……こないだも言ったけど、僕にはまだ、お客さんの言うような『運命の人』っていうのは現れてないなぁ。お客さんもさっき言ったでしょ?恋人にしたいっていう好きじゃない、ってさー。
お客さんの言う『好き』と、僕がミューたんに感じてる『好き』は違うものなんでしょ?じゃー、わかんないって言う他ないかな~」
「……ホントに?」

上目遣いで問うレティシア。
こんないい年こいたイケメン青年が恋のひとつもしてないなど、にわかに信じられる話ではあるまい。

が、マスターの表情は変わらない。

「あはは、お客さんこそ、どうなのー?」
「え、わ、私?」

自分に振り返されてきょとんとするレティシア。

「お客さんはー、その、ミケくん?っていう人に恋人がいたら、どうなの?」
「えっ……」

絶句するレティシアに、マスターはさらに続けた。

「恋人がいたら、どうするの?
諦めるって、好きでいるの辞めるってこと?他の人を好きになるってこと?」
「……それは……」

言いよどむレティシア。
マスターはにこりと笑った。

「好きになるのを辞めるとか、他の人を好きになるとか、努力してできるもんじゃないでしょ。
だから古今東西、いろーんなひとが同じよーな悩みでぐるぐるしてるんだしさ」
「…そうよねー…」

はあ、とため息。

「だからまー、いいんじゃない?お客さんはお客さんの好きなよーに好きでいればさ」
「マスター……」

いつの間にかマスター自身の恋愛話からは遠く離れてしまったが、レティシアはマスターの言葉に何ともいえない表情を返した。
店内に微妙な沈黙が訪れる。

と。

からん。

ドアベルが新たな来客を告げ、マスターとレティシアはそちらを振り返った。
入ってきたのは、髪の毛をすっぽりとバンダナに包んだ少年……ファンだった。

「あ、いらっしゃーい!」
「おはようございます、マスター。また来てしまいました…おや」

笑顔で入ってきたファンは、マスターの正面に座るレティシアに気づき、歩み寄る。

「貴女は、確か……」
「え?」

きょとんとするレティシア。
ほぼ初対面の人間からそのようなことを言われれば無理もない。まして、先週ファンが訪れたときにはレティシアは何かに取り憑かれたかのように手紙を書いていたのだから。
ファンはレティシアの様子に苦笑した。

「あ、これは申し訳ありません。確か、先週もこちらで、ミケさんへのお手紙を書いていらした方ですよね?」
「え、えっ?そうだけど……え?」
「不躾に申し訳ありません。私はファンブニル・アレイシスと申します…先週こちらに伺った時に、貴女が手紙を書いているのを拝見して…」
「あ、そ、そうなんだ。びっくりしたー、何かと思ったわ」

事情を飲み込んでようやく微笑むレティシア。

「私はレティシア・ルードよ。えーっと…ファンブニル?」
「ファンで結構ですよ」
「そう?じゃあファン、私ってそんなに印象に残ってた?」
「え……ええまあ。なんというか……勢いのよい様子で手紙を書いていらっしゃいましたし…」
「あはは、手紙書くのに夢中でファンのことにはぜんぜん気づかなかったわ、ごめんね?」
「いえ、お気になさらず……それに、その手紙がミケさんに宛てたものとあれば、記憶に残るというものですよ」
「えっ」

レティシアは再度きょとんとした。

「そ、そういえばさっきもミケ宛って……え?ファン、ミケと知り合いなの?」
「あ、はい。以前仕事で……。
あのミケさん宛ての手紙は、ちょうどあの後にミケさんがこちらにいらっしゃって、マスターがミケさんに直接渡してくださいましたよ」
「あ、うん、そうなんだってね。忘れ物するなんて私ってばオッチョコチョイよね~。
でも、手紙が無事にミケに届いてよかったわ」
「ええ、本当に。しかし、もう少しでお二人とも顔を合わせる事も出来たでしょうに……。運命とはこうも気まぐれなものなのでしょうか…」

唐突にポエミィになってから、ファンは改めてレティシアの方を向いた。

「これも何かのご縁ですし、もしよろしければ少しお茶をご一緒しませんか?」
「えっ?あ、うん!私もミケのこと聞きたいし」

笑顔で頷いて、カウンターの元の席へと戻るレティシア。
それに続いてレティシアの隣に座るファンに、マスターが楽しそうに話しかけた。

「なーにーお客さん、ナンパ?やるねぇ」
「な、何を言っているのですか…ミケさんの大事なご友人にそのようなことを出来るほど、私は度胸のある男ではありませんから」
「そうぉー?まあいいけどっ。お客さんは何にする?」
「そうですね…では先週と同じもので」
「ダージリンだっけ?かしこまりー♪」

マスターは座ったファンの前に水とおしぼりを置くと、早速カウンターに戻っててきぱきと紅茶を入れ始めた。
おしぼりで手を拭いているファンに、レティシアが楽しげに問いかける。

「ねえ、仕事でミケと一緒だったって言ってたわよね?どんな仕事だったの?」
「そうですね、私は以前ナノクニの魔術師ギルドで依頼を受けまして、そこで初めてミケさんと出会いました」
「へえ、ナノクニで…」
「ある人物の調査の依頼だったのですが、その時にミケさんは先頭に立って依頼を受けた皆さんをまとめていました。私の方は大した事も出来なかったのに……凄い方だと思いましたよ」
「うん、ミケはいつも率先してみんなを纏めて、先導して行動してくれるのよね」

嬉しそうにレティシアが言うと、ファンも同様に微笑んだ。

「ええ、とてもカッコいい人だと思いますよ。凄く落ち着きがあって、芯が強い人だと思います。そしてペットに全力で愛情を注いでいる感じが、先日もひしひしと伝わってきましたよ」
「あ、ポチちゃんね?あのコも可愛いわよね~」
「先週お会いした時は、そのナノクニ以来だったのですが…元気そうではありましたが、ミケさんとても苦労しているようでした……」
「く、苦労?」

唐突に飛び出した単語に、目を丸くするレティシア。
ファンは痛ましげに頷いた。

「はい。どうやら安定したお金が手に入らず、生活もままならないようでしたし……。私も常に安定したお金が手に入っているわけでは無いで、なんとなく気持ちは分かりますから、少し心配でした……」
「そ、そうなんだ……冒険者やるのも大変よね、私も明日は我が身だわ…」

そんなことを言いながら、レティシアはぶるっと肩を震わせる。
ファンはふっと微笑むと、言葉を続けた。

「それはそうと、私はレティシアさんとミケさんの関係が気になるのですが……。ミケさんは『お友達ですよ~』みたいなことを言っていましたが、そうでは無いですよね?」
「う。それがね……ミケの言うとおりなの…今のところ、不本意ながら『お友達』なわけ。
私が一方的に好きで!好きで!!好きすぎる!!!ってだけ。ただの片思いなの」

はあ、とため息をつくレティシア。
ファンは意外そうに目を見張った。

「そうなのですか?」
「うん、だから、今マスターにも言っていたんだけど、手紙の内容はただの近況報告なの」
「そうなんですね……レティシアさんの気持ちは、ミケさんには…?」
「あはは、好きだから、『好き~!!』っていっぱい言ってるんだけど、ミケにとっては、『友人として』好きなんだって思われちゃってるみたいね。
明け透けに言い過ぎちゃったかな?
でも、こればっかりは性分で、ガマンとか出来ない子だから」

あはは、とあっけらかんに笑ってみせるレティシア。
ファンは苦笑した。

「そうなのですか…しかし、それは少し切ないですね…」
「うーん、まあそういうところも含めて好きだからね!ハッキリ結果が出るまでは、諦めないでがんばるつもり」
「影ながら応援させていただきますよ」
「ふふ、ありがとう。
そういうファンはどうなの?」
「えっ」
「恋人とか、いないの?」
「うっ……やっぱりそう来ますよね。……残念ですがいません。あまりそういう事には縁が無くて……はは……」
「そうなのー?」

意外そうに相槌を打つレティシアに、ファンは苦笑した。

「……ですが、気になっているという意味では、とても謝罪した女性はいます」
「へえっ、誰?って名前聞いたってわからないか。
…でも、謝罪したいって?何か、その人に悪いことでもしたの?」

レティシアが興味津々の様子で訊くと、ファンはばつが悪そうに眉をひそめた。

「実はその女性、同じくナノクニの依頼を受けた方なんですよ」
「あ、えーと、ミケと知り合ったっていう?」
「はい。その時には、特にこれといって関わりはなかったのですが…」

レティシアから視線を逸らし、虚空を見つめながら、続ける。

「……少し前に、ある依頼を受けてその女性と再会しました。
そして依頼中に、その女性は目に痛みを訴えたんです」
「うんうん。それで?」
「依頼主は名のある魔具創作者で、その治療を頼んだついでに依頼をこなしているのだとか」
「え?何で魔具創作者に治療を頼むの?」
「っと、これは…言葉が足りませんでした。依頼主は魔具創作の傍ら、薬師のようなこともやっていて…その女性はもともと、薬師としての依頼主を頼って訪れたのです」
「えっと…もともと、その人は治療をしてもらうつもりでその…依頼主のところにいって、ちょうどその依頼主が依頼を出していたから、その依頼を受けた…その依頼をファンも受けていた、ってことでいい?」
「あっ、はい…正確に言うと違うのですが、だいたいそのような感じです。
申し訳ありません、ややこしい話をしまして……」

ファンはひとしきり恐縮してから、話を続けた。

「ですが、実はその依頼主は魔族だったのです」
「ええっ」

突然飛び出した不穏なワードに驚くレティシア。

「その女性は魔に属する物と二人でいるのは不安なので、以前から面識があり、薬師である私に付いてきてくれないか頼まれたのです」
「ええと、それは…治療に、っていうこと?もう依頼は終わった状態なのよね?」
「あ、いえ…頼まれて彼女についていたのは依頼中のことです。依頼は滞りなく……滞りはあったかもしれませんが…とりあえず終わりまして、改めて、依頼主とその女性と私とで、女性の症状を聞くことになりました」
「魔族が怖いのに、やっぱり治療は頼むんだ…」
「そ、そうですよね…しかし、こればかりは彼女の意向で…」
「うんまあいいわ、続きを聞かせて?」

何となく釈然としない表情で、しかし続きを促す。

「症状を聞き、治療法を見出した依頼主は、私にやってみろといいました。どちらかというと私は依頼主の腕前を見せて頂きたかった気持ちもあったのですが、私自身その女性にはお世話になりましたし、その恩に報いるためにも私は引き受けました」
「なるほど。依頼主に治療法を教わって、その人に施したのはファンだったのね」
「はい……」
「…それで、それがどう謝罪と結びつくの?ファンは治療してあげたんでしょ?」

まだ釈然としない様子でレティシアが訊くと、ファンはみるみるうちに顔を赤くした。

「そっ……それが…」
「…それが?」
「…その治療法とは、全身に薬を塗りこんで針治療をするというものだったんです……」
「全身に薬って……全身?え、まさか、ふ、服を脱いで…?」
「……はい……その通りです…」
「えええええ?!」

つられて赤くなるレティシア。

「それはー…治療とはいえ、ちょっとダイタンねえ」
「はい…いくら治療とはいえ、うら若き女性ですから…服は軽くはだける程度にさせていただいたのですが、男に素肌を触れられるのですから、とても恥ずかしかったでしょう……私も恥ずかしかったです」
「うーん、それはちょっとねえ……でもミケなら……私の全てを見せてもいいわっ…!」
「…れ、レティシアさん?」

一瞬にして、レティシアは遠く彼方の世界へと旅立ってしまったようだ。

「しかも治療とくれば、ミケはお医者様…白衣よ白衣っ!!さあ、服を脱いでそこに横たわって…大丈夫、痛くしませんから…でもどうしても痛かったら、僕の指を噛んでいいですからね……なーんて言っちゃったりしてきゃー!!」

ぶんぶん。
ひとしきり叫んで頭を振ってから、レティシアは唐突に我に返った。

「…はっ。ゴメンゴメン、またどこかに旅立っちゃってたわ。それで?」
「……え、ええと……」

何事もなかったかのように話を続行され、ファンは戸惑いながら続きを話し始めた。

「……私は、女性を落ち着かせながら、そして自分自身を落ち着かせながら治療を始めました…恥ずかしさに耐えながら」
「うんうん。ていうか、その依頼主っていうひとも、何でそんなことファンにやらせたのかしらね?
自分でやればいいのに」
「それは……」

くっ、と悔しげに喉を鳴らして、ファンは言った。

「……なんと、その治療は、その依頼主による全くのでまかせだったのです」
「はあぁぁ?!」

急展開する話に、唖然とするレティシア。

「えっ、その、薬塗りこんで云々っていう話自体が、ぜーんぶウソだったってこと?!」
「…はい……」
「な、何でそんなこと…」
「何を思ってそのようなことをしたのかは私も分かりません。結局治療法は無いということで、少しずつリハビリするしか無いとの事でした。ですが、私が無知なためにその女性をひどく辱めてしまう結果となりました……」
「はー……」

気の抜けたような声を漏らしてから、レティシアは先ほどのファンの言葉を思い出した。

『実はその依頼主は魔族だったのです』

そして、魔族ならねぇ…と妙に納得する。
目的もなく、しいて言うなら『面白そうだったから』という理由で色々なことをしでかす魔族には、彼女にも心当たりがある。ファンはそれを知るに至るほどには、まだ魔族というものにあまり深く接していないのだろうと思った。

しかし、そんなレティシアの内心は知る由もなく、ファンは虚空を見つめたまま言葉を続けていた。

「それがあってから……あの人のことを想うと、胸が苦しくなり、やりきれない気持ちになります。近いうちに謝罪したいと思っているのですが……」
「ふぅん…胸が苦しく、ねぇ……」

ニヤニヤと笑みを浮かべながら、レティシアはからかうように言った。

「それはあなた、恋よ!ファン!」
「え、ええっ?!」

再び瞬時にして顔を真っ赤にするファン。

「……まさか。確かに美しく、落ち着きがあり、時にたくましく、そしてとても思いやりのあるしっかりした女性ですが……」
「めっちゃ褒めてる」
「末期だねぇ」

マスターも一緒になってニヤニヤしている。
レティシアはさらに身を乗り出した。

「じゃあ、そうねぇ…ファンの好みのタイプって、どんな人?」
「好みのタイプ、ですか…?」

質問の方向性が変わり、ファンはきょとんとしてからうーんと考えた。

「ええと……しっかりとした人で、落ち着きのある雰囲気の女性とか、素敵じゃありませんか?」
「うわあ」
「末期だねえ」

さらにニヤニヤする2人に、不思議そうな表情をするファン。

「な、何ですか、お2人とも…」
「え?!まさか今ので自覚ないとか言う?!」
「そろそろ天然記念物だよねぇ」
「えぇ?ど、どういう……」
「じゃあさファン、その『好みのタイプ』、誰かモデルがいるの?」
「モデルになるような人…ですか……?う~ん………」

心当たりを探るファンの脳裏に、唐突に浮かんだ影は。

「………っっ!!」

ファンはさらに顔を赤くして、ぶんぶんと頭を振った。

(な、なぜ暮葉さんを浮かべたんですか俺は……!そのような……そのようなことを……!!暮葉さんに謝罪しなければならない立場の俺がなんというおこがましい!!)

心の声で自分を叱咤しながら、わかりやすいリアクションをするファンを、2人はさらにニヤニヤと笑いながら見やった。

「いやー、見てて飽きないねぇ」
「ホント、初々しいわねー」

完全にからかいモードに入っている。
マスターが楽しそうに質問を続けた。

「でー、その、さっき言ってた謝りたい女の人ってのは、それからどうなったの?それっきり?」
「えっ。え、ええ………その後宿に二人で放置されて……」
「…………されて?!」
「いっ、いえ、もういいじゃないですか!」
「よくない!その後が一番聞きたいんでしょ?!」

まったくである。

ファンに詰め寄るレティシアをまーまーとなだめ、マスターはニコニコしながら続けた。

「意識してるんじゃないのー?その子のことさ、異性として」
「…そう…なのでしょうか………よく分かりません。今まで感じたことも無い感覚ですし……」
「はぁ…甘酸っぱいわねぇ……」
「……とりあえず、その女性に会ったらきちっと謝罪して、このごちゃごちゃした気持ちをさっぱりさせてから考えてみようと思います」

そう、ファンが締めくくった、まさにその時だった。

からん。

ドアベルの音が、3人目の来客を告げる。

「あ、いらっしゃーい♪」

マスターのかけた声とともに、ファンとレティシアも何気なくドアの方を見る。

そして、ファンの目がこれ以上ないくらい丸く見開かれた。

「すみません……あの、やってます…か?」

入ってきたのは、ここフェアルーフでは珍しい、ナノクニの民族衣装を着た少女だった。
年のころはレティシアと同じくらいだろうか。ストレートの黒髪を肩口より少し下ほどで綺麗に切りそろえている。黒い瞳は落ち着いた色をたたえ、見掛けの年齢よりぐっと大人びて見せていた。
彼女の名は……すぐに、ファンが口にしてくれた。

「く、くく、く、暮葉さん!!?なぜ!!?」

完全にパニックに陥ったファンが放った言葉に、暮葉と呼ばれたその少女はきょとんとして彼の方を見た。
そうして、すぐにふっと笑みをたたえ、一礼する。

「あ、おはようございます。ファンさん…ですよね…?お久しぶりです」
「は、ははははい、おひ、お久しぶりです」

かくかくかく。
壊れた自動人形のようにぎこちなく何度も頷いてから、ファンは慌しくカウンター席から立ち上がり、やはりかくかくとした動きで暮葉に歩み寄った。

「これは、もしかしなくても……」
「うん、あのコがくだんの女の子みたいだねー」

ニヤニヤしながら囁き合うレティシアとマスター。
ファンはあわあわと暮葉の前でしきりに手を動かしていたが、やがて深呼吸をして無理やり自分を落ち着かせると、改めて暮葉に向き直った。

「す、すみません。取り乱しまして。え、ええとですね、こちら、レティシアさん、です」

喫茶店に立ち寄っただけの知人にいきなり知人の紹介から始めるあたり、まだ混乱が抜け切っていないようだが。
レティシアは楽しそうにその様子を眺めながら、ファンに合わせてひらひらと手を振った。

「レティシア・ルードよ。よろしくね」
「これはご丁寧にありがとうございます。わたしは、菊咲暮葉と申します。暮葉とお呼び下さいね」
「うん、よろしくね、暮葉。私のこともレティシアでいいよ」
「レティシアさん、ですか…」

暮葉は眩しそうにレティシアを見て微笑んでから、傍らにいたファンにこそりと囁きかけた。

「……恋人さん、ですか?」
「え、えええぇぇっ?!」

ファンは再び顔を真っ赤にして大仰に首と手を振った。

「いえいえいえいえ違いますよ先ほど知り合ったばかりですしそもそもレティシアさんはミケさんと恋人なんですから」
「ええっ、ミケさんの?」
「やだー、恋人じゃないのよ?少なくとも今はまだ、恋人候補ってところかな!
ファンとは今言ったとおり、ここで知り合ったばかりだから、安心してね!」
「はぁ……」

何を安心するのだろう、というようにきょとんとする暮葉に、これは脈なしかなー、と苦笑するレティシア。
助け舟を出すつもりで、ファンに声をかけてみる。

「ねえ、ファン、暮葉でしょ?さっき言ってた人って」
「え、ええっ?!何故それを?!」
「この期に及んで何故とか……まあいいわ。暮葉に、何か言うことがあるんじゃなかったの?」
「はっ。そ、そうでした……」
「言うこと、ですか…?」

レティシアの言葉に襟を正すファンと、再びきょとんとする暮葉。

ファンはこの謝罪の気持ちをどう表すか、テンパっている頭で必死に考えた。
ただ頭を下げるだけでは申し訳ない気がするが、かといって通り一遍の謝罪ではこの気持ちを表しきれない。
どうすれば……と考えをめぐらせたところで、くだんの『依頼人』…魔具創作者ゼルとの会話を思い出した。

「ジャンピング……土下座…?ですか?」
「ええ。ナノクニでは最大級の謝罪の意を表すとされているんですよー。跳躍の体制から膝をつく、勢いで怪我までしかねないほどの大仰な動作を見せることで、それほどの覚悟を持って謝罪の意を示すことになるんです。ナノクニの方に謝罪をしたいなら、これが一番ですよー」

(ジャンピング土下座……暮葉さんに謝罪を示すなら、これしかない……!)

ぐ、と拳を握ってから、ファンはふっと我に返ってみた。

(……いや待て、待つんですファンブニル・アレイシス。ゼルさんの言うことを信じた結果がこれなんですから、これもまた嘘かもしれない……)

少しは学習したようだ。

(ナノクニの最大級の謝罪の意を示す方法なんです、怪我をしかねないなどという程度で最大級な訳が無い……。そうですか。ゼルさん、また恥をかかせようとしましたね。流石に3度も騙されませんよ)

2度は騙されたらしい。

(おそらく、跳躍から額を地に当て、それによる大量の出血を促す。そしてその血でもって謝罪と覚悟を示す。そうですね、半端なことをしては逆に反感を買ってしまいそうですからね)

……そして今、3度目が始まろうとしていた。学習は少しだけだったようである。

「では。………ハッ!」

たたた、たんっ。

少しバンダナをずらして額を露にしたファンは、そこから軽く跳躍すると、ものすごい勢いで額を床に打ち付けた。

ごっ。

鈍い音がして、ファンの額が床に着地する。

「ファン?!」
「ファンさん?!」
「お客さーん?!」

驚いて駆け寄る3人。

どくどくとファンの額から流れ出る血が床を染めていく。

「ふ、ファンさん、何を…ああ、こんなに血が…」
「暮葉さん!」
「はっ、はい?!」

ファンは床に額をこすりつけたまま、叫ぶようにして暮葉に言った。

「私が無知なために、間違った治療であなたを傷つけてしまったことを心からお詫びします。
真に、申し訳ありませんでした……!!」

しかし、暮葉の方は戸惑うばかりだ。

「え?えぇ?何を言ってるんですか、ファンさん?
やめてください!自傷してまで謝罪するなんて何があったんですか?!」

何に対しての謝罪なのか全く通じていない。
マスターとレティシアは、笑ってはいけない場面なのだろうが、薄ら笑いが浮かぶのを止められなかった。

「とにかく、血を止めないと…ファンさん、顔を上げてください」
「暮葉さ……」

ふわ。

顔を上げたファンの額の傷に、暮葉がそっと唇を寄せる。

「あら」
「あれまー」

ニヤニヤ笑いから一転、近所のおばさんのように両手で口を押さえてその様子をガン見するマスターとレティシア。

暮葉は何か術のようなものを使っているのか、ふわりと不思議なオーラが二人を包みこみ、ファンの傷をみるみるうちに癒していった。

「く…暮葉さん……」
「はい、もうこれで大丈夫ですよ。何があったか知りませんけど、こんな、自分の体を傷つけるようなことをしてはダメですよ?」
「は、はい………」

呆然とした表情で、ゆっくりと頷くファン。
暮葉は安心したように微笑むと、立ち上がってカウンター席に向かった。
その後姿を見つめながら、ファンはまだ呆然とした様子で考える。

(……許して……いただけたのでしょうか?その上傷を治してくださるなんて……
暮葉さん……不思議な方です。羊を投げるようなワンパクな一面を見せたり、今のような女神の如く優しさを見せてくれたり、メイド服を着て掃除を始めるような一面を見せたり……。そして、口付けで傷を治したりと、神秘的な力を使ったり…………)

かきん。

という音がしたかと思うほど、劇的にファンの体が硬直した。

「く……く、ち、づ、け……?!」

今更事態を理解し、かすれた声でそれだけ呟く。

「ファンさん、こちらのお席……あら?ファンさん?」

カウンター席に着こうとしてファンを振り返った暮葉が、硬直して動かないファンに声をかけるが。

「どうしちゃったんでしょう…?返事がありませんね…」
「あー、ちょっとシャットダウンしちゃったみたいだねぇ。
ま、しばらくほっとけば治るでしょ♪」

ファンの血の後片付けにモップを持ってきたマスターが、モップの柄でつんつんとつついてみるが、反応はなく。
あっけらかんとしたマスターの言葉に、暮葉は釈然としない表情で、それでも頷いた。

「そう、ですか…?」
「そーそ。お客さんは何飲むー?いちお、ナノクニのお茶も取り寄せてるよ?」
「まあ、本当ですか?あぁ、でも、緑茶はいつでも飲めますし…林檎のジュースを、お願いできますか?」
「はーい、かしこまりー♪」

床の血だまりを手早く拭き終えて、マスターはサッとカウンターに戻った。
慣れた手つきでグラスに氷を入れ、ビンの中のジュースを注いでいく。

「はい、どうぞー♪」
「あ、ありがとうございます…」

カウンター越しに渡せばいいものを、またわざわざホールに出てきて暮葉の後ろからジュースを差し出すマスター。もちろんこれは、レティシアにもファンにもそうなのだが。
暮葉は少し気恥ずかしげにマスターに礼をいい、去った後でこそりとレティシアに耳打ちをした。

「気さくで素敵なマスターさんですね」
「ねー、イケメンよね!」
「はい、とても。なんだか甘い香りが漂ってくるような…」
「…それはりんごジュースの匂いじゃない?」
「体が熱くなって……ドキドキします…」

レティシアの冷静なツッコミもどこ吹く風で、うっとりとマスターを見つめる暮葉。
レティシアはまだ固まっているファンのほうをちらりと見てから、苦笑した。

(あー……これは、前途多難かもねえ……)

第2週・ミドルの刻

「こんにちはー」

からん。

ルヒティンの刻に訪れた3人が帰ってからしばらく経った頃に、またドアベルが新しい来客を告げた。

「いらっしゃー……あっ。やー、お客さん、また来てくれたんだねー♪」

挨拶を途切れさせて人懐こい笑みを浮かべるマスター。
迎えられた青年……ミケは、苦笑して手に持っていた傘を差し出した。

「すみません、傘、お返しに上がりました……」
「わー、わざわざごめんねー?僕てっきり、えーと、レティシアちゃん、だっけ?あの子と一緒に返しに来るんだと思ってたけどー」
「それが、行ってみたんですけど、会えなかったんですよ。
せっかく貸してもらったのに、すみません……」
「あー、そういえば、あれから帰ってすぐ宿引き払ったって言ってたもんねえ。
んー、すれ違い残念だったね」
「……え?マスター、どうしてそんなことを?」
「ん?ああ、さっきまであのコ、ここにいたんだよねー」
「え、えええええ?!」

ミケは大仰に驚いてから、がくっと肩を落とした。

「…………タ……タイミング悪いーーーーーっ!」
「あはは、すれ違いは続いてるみたいだねえ。
ま、そういうこともあるよ。とりあえず傘はありがと♪」

マスターはミケから傘を受け取ると、ニコニコしながら続けた。

「で、今日も何か飲んでってくれるのかな?そちらのイケメンと一緒に」
「あっ、はい」

そう。
今日のミケには連れがいた。

髪はミケと同じ栗色。背中ほどまでの長さのものを後ろでひとつにくくっているだけの無造作なヘアスタイルに、簡素な旅装束というシンプルないでたちだったが、恐ろしく整った容貌はそれさえも全て魅力的に見せている。マスターの言うとおり、イケメンそのものだった。

「誰?彼氏?」
「な、ななななんでそうなるんですか!」

軽く冗談をかましてみるマスターにあわてて否定してから、ミケははふ、とため息をついた。

「……兄です」
「こんにちは、兄でーす♪」

軽い調子で挨拶をしてみせる兄。
名を、クローネといった。

「あー、お兄さんなんだー。うん、タイプは違うけど、ちょっと面影似てるよねー」
「そ、そうですか?」
「うんうん。じゃあま、お好きな席にどうぞー♪」
「はい、失礼します」

ミケとクローネはさっと店内を見回してから、カウンター席に座ることにした。
ミケは二度目だが、クローネにとっては初めての場所である。彼は座ったままゆったりと店内を見渡して……

「へー、随分…………個性的な店を、知ってるんだね」
「うう……」

案の定、出窓のフィギュアでミケと同じ感想を述べる。
そこに、マスターが水とおしぼりを持ってきた。

「はい、どうぞー。ご注文はお決まり?」
「あ、はい…えーと、アイスティーとアイスミルクと……軽食を何か。あの、兄上は?」
「ん、ダージリンと、サンドイッチで」
「はーい。弟さんは、軽食って、おにーさんと同じでいい?あとはそうだなー、ピザトーストとか、かるーくパスタとかもあるけど」
「あー…じゃあ、兄上と同じでいいです」
「はい、かしこまりー♪」

マスターは陽気にそう言ってカウンターの中に戻ると、てきぱきと注文の品を作っていった。

「はいよー、アイスティーと、おにーさんにはダージリン。サンドイッチが二人分と、ポチちゃんにはアイスミルクねー」
「あ、ありがとうございます」

カウンターの上に置かれたミルク皿に、早速ポチが口をつける。

「そんじゃ、ごゆっくりー♪」

マスターはそれだけ言い置くと、再びカウンターの中に戻っていった。
ミケたちの座っている位置から離れたところで、皿を磨き始める。どうやら、2人だけの話にしてくれているようで。

「すみません、お昼休憩の時に引っ張り出しちゃって」
「ん?それは気にしなくていいけど…」

申し訳なさそうに言うミケに、クローネはサンドイッチを一口かじりつつ、先を促した。

「お前からお茶に誘ってもらえるとは思ってなかったなー……なんか、あった?」
「あったような、なかったような?ええとですねー」

ミケは言いにくそうに一瞬考えて、それから覚悟を決めた様子で口を開いた。

「ええーと、レティシアさん、ご存じですよね?」
「……リーヴェルの休日の時に、ボンテージ着てた子?」
「そうですけど、そうなんですけど……っ!普段はもっと、違いますっ!」

そういえばクローネはあのレティシアしか見ていない。
気持ちはわかるが、彼女のために否定しておく。

「ちょっと、最近……好かれてるんじゃないかなって、思うようなことが、あってですね。
これって、友達としてじゃなくて、好かれてる、のかな、と。
それで、分からなくなって。どうしたら、いいのかな、って」

ぽつりぽつりと話していくミケを、クローネはまじまじと見て。
それから、はぁ、とため息をついた。

「…………えーと、どうしよーかなー…………」
「兄上?」

きょとんとするミケに、クローネは単刀直入に訊くことにした。

「お前、その子のこと、どう思ってるの?」
「え。その、それがちょっと自分でも……。
あの、凄く可愛い人なんですよ!優しくて元気いっぱいで可愛いんです。
友達としては絶対好きです、って言い切れますけど」
「…………で?」
「え?」
「そうじゃなくてさ。とりあえず、彼女の気持ちは……分かってるから」

クローネの言葉に、ミケは目を丸くした。

「分かってるんですか!?」
「どうして分かんないんだって、俺は聞きたいね!」
「ええっ!?」

もはや漫才に近いやり取りが繰り広げられ、クローネは心中で頭を抱えた。

「ええと、それはもう、1回横へ置いておこう。
とりあえず、お前は好かれているような、気がする。じゃあ、どうしたらいいだろうか、という話だよね?」
「……はい」
「好かれているかもしれない、という話は、まず、考えるな。OK?」
「はい」
「で、彼女を異性として好きなの、嫌いなの?それだけ、シンプルに考えて。
……人として好きなのは、分かってるから!」

先手を打って釘を刺され、ミケはうーんと考えた。

「多分、好きだと、思います、けど」
「けど?」
「……けど。女の子だな、と思うんですけど…
…異性として意識したこと、あんまり無い、と思うんです」

確かに。
共に依頼を受けた時に、元気付けて欲しいと言われて握った手が。新年祭の折には何故か急に気恥ずかしくなって離してしまったりもしたけれど。

「好かれているのかも知れない、と気がついたら、何か答えを出さなきゃいけない気がして。でも、答えが見つからなくて」

沈んだ表情で言うミケに、クローネはうーんと渋い顔をした。

「…………普通で、いいんじゃないの?」
「はい?」
「普通。今まで通り。仲良く。喋ってみたり出かけてみたり。……人生、好きか嫌いかの2択じゃないだろ?まして、はっきり言われてるわけでもないし。…………気のせい、もありうるだろう!?」

割とヤケ気味に、『それはないでしょう』とツッコミが入ることを前提に言ってみる、が。

「気のせい……そーですよね」

この歩く天然記念物に、そんな感情の機微を悟らせることが、無理というものだった。
クローネは完全にあきれきった表情で、額を押さえる。

「…………っ、あ、も、もうお前、ほんっと……、ごめん、ちょっとお前、どれだけ空気読めないのかと……!」
「…………うう」

何かまずい答えを出してしまったらしいことは理解して、再びしょんぼりするミケ。
クローネはもう一度ため息をつくと、肩を竦めて纏めに入った。

「俺から見たら、お前はその子のことは、気にはなるけど恋はしてない……っていうか、恋までいってない、って感じだよね。だから、答えが出ない。でも気になっているから、好かれているかも知れないと気がついてちょっと混乱してる。……だから、何しなくてもいいよ。とりあえず、落ち着け」
「……はい」
「んで、普通で良いから、今までよりもうちょっと彼女のこと、気にして見てるといいよ。どんな顔してるかな、とか。何を見ているのかな、とか。何に興味があるのかな、とか。そうやってるうちに、何か答えが見えるようになるよ」
「…………ありがとうございます」

口では礼を言いつつも、まだ何か言いたそうなミケ。

「…納得し切れてないみたいだね?」
「……はあ…」
「言ってごらん?お兄ちゃんが聞いてあげるから」
「…でも、僕は……」
「うん?」

ミケはクローネから視線を逸らして、拗ねたようにぽつりと言った。

「…僕は、好かれるような人間ではないと思うんですけれど」
「は?」

眉をひそめるクローネ。
ミケはそれすらも予想していた反応という風に、続ける。

「好かれてるんじゃないかな、とは、思ったんです。でも、どう考えてもこう、僕に好かれるような要素が、あるとは思えなくて。それで、好かれているのかどうかも怪しいなーって思うようになってきて」
「どうして?」
「……どうして、と言われても…そう、思うからとしか」
「じ、じゃあ、お前、どうなったら好かれるような、気がしてる?」
「え、もっと……誇れるような自分になれたら?」
「誇れるような自分って、何!?」
「え!?」

だんだんイライラが限界に達してきたクローネは、思わず声を大きくした。
驚いてクローネを見るミケ。
その端正な顔は、明らかに怒りの表情をはらんでいて。

「前に会った時、お前、もう少し自分に力が付いたら帰るっていったよね?もう少しって、何ができたら?向上心があるのはいいけど、区切りくらいつけなよ。……何がどれだけできたら、お前の自信になるの?」
「……それは……」

またしょんぼりと視線を落としたミケに、クローネは仕方がなさそうに嘆息した。
彼がこうなってしまった原因は、クローネにもわかっていたから。

「……言っておくけどね。俺は、俺たちは。お前が、なにもできないとは思ってないし、好かれる要素がないとは、思ってないからね。俺たちは、お前に、できないの?っていったことは、無いはずだよ?……俺は、お前を認めているから。誇れる弟だと、思っているから。それだけは、覚えておいて」

クローネの言葉に、ミケは顔を上げて兄を見た。
しかし、何も言えずに、決まり悪そうにまた視線を落とす。

と。

「おにーさんさ、それ慰めになってないよー」

突然カウンターの中からかけられた言葉に、クローネは驚いてそちらを見た。
マスターが磨いていた皿を置いて、ニコニコしながら2人のところに歩いてくる。

「できるヤツができないヤツに何言ったって、イヤミにしか聞こえないってこと」

暢気そうなその表情からは結びつかないような辛辣な言葉に、絶句するクローネ。
マスターは苦笑した。

「もちろん、おにーさんが心底そう思ってるのはわかるよー?
でも、言われる方にとってみたらそんなん関係ないわけ。
所詮、できるところから見下ろすことしかできない人に何言われたって、慰めにもならないんだよねー、残念なことにさ」

クローネも驚いていたが、その隣のミケはもっと驚いていた。
何か止める言葉を発さなければと思うが、気ばかりがあせって何も言葉にならない。

と、クローネが申し訳なさそうにミケのほうを見た。

「……ごめん、そんなつもりじゃ、なかったんだけど。そうかもね、ちょっと、無神経、かな?」
「え、いえ、そんなことは!あの、凄く、嬉しかったし……あの」

慌てて言い繕おうとするミケ。
クローネは表情を引き締めると、諭すようにミケに言った。

「でもね、俺がそう思ってるのは、事実だから。少なくとも、それだけはどっか頭の隅に置いておいてくれたら、いいかなって、思うよ?」
「兄上………」
「……さ、俺もそろそろ休憩終わるし。おあいそ、してもらえるかな」
「はーい、まいどありー」

マスターは先ほどの辛口批評など全くなかったかのようにクローネの会計を済ませた。

「ご馳走様。じゃあ、またね、ミケ」
「あ、はい……ありがとうございました」

何かフォローの言葉をかけたいのに、上手く言葉にならないままに、兄は寂しそうに背中を見せて店を出て行った。
からん。
ドアベルが客の退店を知らせ、店の小窓からもクローネの姿が見えなくなって、それから。

「……い、今のは……っ!なんであんなこと……っ!」

ミケは勢いよくマスターを振り返ると、言葉にならない抗議をぶつけた。
マスターはきょとんとして、平然と言い返す。

「えー、でも、思わなかった?さっきのお客さん、あんまし『僕のこと認めてくれてありがとう』っていう風には見えなかったけど?」
「……そりゃ、少し……思いましたけど!」

微妙に悔しそうに言うミケに、マスターは苦笑した。

「んー、だってお客さん、アレでしょ?ちっちゃいころからあのおにーさんと比べられて、それで自分に自信が持てなくなっちゃったとか、そーゆーパターンでしょ?話の流れで、なんとなくそう思ってさ。違ったらごめんね?」

マスターの言葉に、ミケは驚いて目を丸くし…それから、しょんぼりと肩を落とした。

「……そーです。まんま、そのとおりです」
「あは、やっぱり」

マスターは、たははと笑って言葉を続けた。

「おにーさんが、お客さんのこと大事に思ってて、お前は何にもできないヤツなんかじゃない、って本気で言ってるのはね、僕にもわかったんだ。でもさー、よりによってあんたがそれを言うんだ?って、思っちゃったんだよねー」
「………」
「何にもできない、って感じるようになっちゃったのは、他でもないあのおにーさんの存在があったからでしょ?言われるほうにしてみたら、哀れまれてるような感じがしちゃうじゃんさ。そんで、そんな風に思うことに自己嫌悪、のデフレスパイラル」
「……ええ、そのとおり…なんですよねー」

はあ。
幼少の頃から、たまりにたまったため息がついて出る。

「気にかけてくれてることも、分かってます。昔から、そうです。また、手を貸してくれるタイミングとかが、ばっちりでー。あははは……はぁ……」
「ははっ、向こうはお客さんの力になってあげたくてやるんだけど、それが逆効果なんだよねぇー。
自分は手を貸してもらわないと何も出来ないんだって余計鬱になる」
「ううう……」

ミケは肩を落としたまま、小さくうめいた。

「ごめんなさい、言ったら駄目な事ばっかり、ちょっと口に出そうで」
「あはは、いいよいいよー、この際だから吐き出しちゃえば?」

マスターはあっけらかんと笑った。

「僕にも兄弟がいてさー、気持ちはよーくわかるんだー。だから、お客さんとわかっていても、言わずにいられなかった、みたいな?
こんなんだからお客さん来ないのわかってるんだけどさー」
「マスターにも…ご兄弟が?」

ミケは意外そうに顔を上げた。
目の前の人はどこまでも明るくて、そんな悩みとは無縁のように見える。
自分の気持ちの何が判るというのだろう、そんな批判めいた気持ちを押し込んで、ミケは訊いた。

「どんな…方です?」
「うちはねー、超子沢山なの。にーちゃんが4人、ねーちゃんが3人、妹が1人。男の子は僕が末っ子でねー。全部で…ひのふのみ…9人だねえ。やー、とーちゃんがんばるよねー」
「えっ、いや、その、………そう、ですねえ」

コメントに困るフリにどぎまぎするミケ。
マスターは相変わらずあっけらかんとした様子で、続けた。

「そんでもって、うちは超弱肉強食なわけ。弱いヤツは何されても文句言えない、これが暗黙の掟。だから、男の子で一番下の僕はにーちゃんにもねーちゃんにも割とひどい扱いを受けててねー。生き残るために必死だったんだ、これが」
「そんな……」

マスターの話に、眉を寄せるミケ。

「一番下だったら、弱いの当たり前じゃないですか。経験の差だって、子どもの時なら体格の差だってあるのに。……酷いなぁ。妹さんも、そうすると大変だったんでしょうね。一番下で、女の子じゃなおさら…」
「あー、妹はね、ちっちゃい頃から強かったよー、いろんな意味で。だからヒエラルキーでは僕が一番下、みたいな?たまに使いっ走りさせられるんだー」
「そ、そうなんですか?」
「うん。あれ絶対僕のこと兄だと思ってないよね、にいさまにいさまって口では呼ぶけどさー」

ひとしきり妹への不満を口にしてから、マスターは話を元に戻した。

「僕の一族も、無意味に色々と優秀だったから、僕肩身狭くてさー。優秀な兄弟持つと、ホント肩こるよね!あれこれぎゃーぎゃー言ってこないだけマシかもしんないけどさ」
「……ほんっとに、肩身は狭いですよね…」

実感のこもった相槌を打つミケ。
マスターはははっと笑った。

「あはは、だから、僕の兄弟に比べたら、お客さんのおにーさんは超優しいよね!あんなこと言っちゃって悪かったかなぁ」
「そうですねぇ、超、優しかったですよ。あの方々から何かされたこと、なかったですし。むしろ、周りから色々言われたり、何かされたりしたって、必ず手をさしのべてくれましたし」
「おっ。あの方々、ってことは、お客さんも兄弟たくさんいたりするの?」

マスターの問いに、ミケは頷いて話し始めた。

「兄が2人、姉が、1人です。兄2人は騎士になってますけど……姉上は神官になった、と聞いてます。
一番上の兄は……いつも沈着冷静で、見とれるくらい綺麗で、格好良くて。
さっき一緒にいた人は、二番目の兄です。明るくて、太陽みたいな……人です。強くて、綺麗で。騎士としても人としても兄たちは、素晴らしい人で、……」

ぐ。
そこで、言葉を詰まらせる。

「姉も、すっごい綺麗なんですよー。聖女って、感じですよー。…多分」
「…たぶん?」
「………ええ、多分」

微妙に青い顔をして、俯いて。

「僕から見たら、何でもできる人たちでした……。何でもないような顔をして、必死になって僕がやっていることも、できた。もしかしたら影で練習していたのかも知れませんけど」

はは、と笑おうとした顔が、歪む。

「どうして、僕は、何もできないんだろう。あの人達が持っている才能の、ほんの僅かでも僕にあればよかったのに」

するりと出てきた言葉に、違う、と即座に首を振った。

「……どうしてできないんだ、って。あの人達はあんなに綺麗なのにどうして僕だけ、って言われて。……何でもできる兄たちが、……凄く羨ましくて、妬ましくて。だから、そんな風に思う僕自身が、何もできない僕が、僕は嫌いです。あの人達は悪くないのに、そう思う事も」

判っている。
兄たちと自分とを、一番比べていたのは…父でも、周りの目でもない。他ならぬ自分だった。

だから、自分が嫌いだった。自分に絶望していた。
…こんな自分が、好かれるはずがないと、そう思っていた。

「でもね、剣が持てなくて、騎士にはなれないって諦めて。
……それでも、魔法は使えるって分かったから。あの人達の顔を見ていたくなかったし、比較され続けるのも嫌だったし、……深く考えずに『そうだ、魔法使えるんだし、魔導師になろう!』とかって思って家出してきちゃったんですけど……まだ、駄目だな……」

はあ、とまたため息をつく。
まだ、笑って話をしようと思えるほどには、回復してきたのだと思うけれど。

「ごめんなさい、おかしな話をしました。……あんまり、こういう話したことないんだけどな……自分が駄目な人間だって、思い知るから。できたら、忘れてください」
「………」

マスターは、しばらく黙ってミケを見て。

それから、カウンター越しに、空になったミケのカップに紅茶を注いだ。

「あ、ありがとうございます」
「……うちはさ」

注ぎ終えたポットの口を拭きながら、マスターは穏やかに語りだした。

「さっきも言ったけど、超弱肉強食なのね。故郷の辺りでは、それなりに名家?みたいな感じだったし、お約束でとーちゃんの後を誰が継ぐかでモメたわけさ」
「…そう……なんですか…」

きょとんとして、それでもマスターの話を聞くミケ。

「一番上のにーちゃんは、んも、えっらい強くてねー。うちの家系にしては珍しくストイックで、家風に合わない的なことも言われてたけど、それでも自分を曲げたりしない人だったなー。強いから、にーちゃんに文句言う人なんていなかったしね」
「へえ……」
「けど、二番目のにーちゃんは、それが気に食わなかったんだろうねー。まあ、いろいろモメてさ。今は二番目のにーちゃんが、とーちゃんの後を継いでるんだよ」
「えっ……一番上のお兄さん、は……?」

思わず尋ねたミケに、マスターはあっけらかんとした様子で答えた。

「ん?ああうん、二番目のにーちゃんが、一番上のにーちゃんを、ハメて殺しちゃったんだよ」

絶句するミケ。

「………っぇ……な…」
「ん?あぁほら、言ったじゃん。うちは弱肉強食だってさ。だから僕も生き残るのに必死だったなー」
「生き残るって……そういう…えぇ?」

普通に、9人もいる兄弟の中で自分を親に印象付けるという意味での『生き残る』だと、思うだろう、普通は。
だがまさしく、マスターが言っているのは『命がある』という意味の『生き残る』であるようで。
そんなことを平然と言うマスターの家庭は、どんな殺伐としたところなんだ、と。
言葉もないミケ。

「……あ、いえ、お家騒動は、名家だったりすると、ありますよね。……うん」

そんな無難なコメントを残してみる。
マスターは嘆息して、続けた。

「二番目のにーちゃんは、当主になることこそが自分の価値だと思ってるっぽかったからね。
でも、僕はさ。そのことがあってから、なんか急に馬鹿馬鹿しくなっちゃったんだ」
「馬鹿馬鹿しく……?」
「そ。すごい強いとか、すごい魔法が使えるとか。
強くなくちゃいけない、力をつけなきゃいけない、とか。
そーゆーことがさ」

肩を竦めて。

「だって、あんなに強かった一番上のにーちゃんだって、殺されちゃったんだよ?
当主になった二番目のにーちゃんだって、他の兄弟がいつ自分みたいに自分を殺すか、ピリピリしながら暮らしてる。
じゃあ、強さとかさ、力とか。そんなことに何の意味があるんだろ?」
「………」

何ともいえない表情で話を聞いているミケに、マスターは苦笑した。

「…あはは、がんばって力をつけようとしてるお客さんに失礼だったかな?」
「あ、いえ、そんなことは」
「もちろん、そーゆー価値観も、アリだと思うよ?それに向かって努力することは、大事だと思うし。
でも、もう僕には、それに価値を感じることはできなくなっちゃったんだ」

しみじみと言って、自分の店をゆっくりと見回す。

「だから、にーちゃんの近くにいてにーちゃんを殺そうとしてるって勘ぐられるのも面倒だったし、こうして故郷からめっちゃ遠いここに来て、喫茶店なんかしちゃってるわけ。
ちょっとばかし手先が器用だったからね。こういうのに人生費やすのも悪くないかなって。
あはは、家出してぜんぜん違う分野、ってとこは、なんかお客さんに似てるよね」
「そう……です、ね。ふふ」

あまりに常識の違う家庭環境に、似ていると言うのもはばかられたが、家を出て全くの別分野、というところだけを見れば、似ていると言えなくもないだろう。
楽しそうにミケが同意して笑うと、マスターも微笑んだ。

「僕はね、最終的に『自分の価値』を決めるのは、『自分』だと思うんだ」
「自分の…価値、ですか?」

きょとんとするミケに、マスターはゆっくり頷いた。

「僕は、強くなくても、すごい術が使えなくても、ここでお客さんをもてなして、僕の出すものをお客さんが『おいしい』って言ってくれたら、それが自分の価値だと思うよ。
でも、お客さんはそうじゃない」
「………」
「おにーさん達とは違う分野でどれだけがんばっても、自分への賞賛を素直に受け取れない。それは、お客さんがどれだけ変わっても、お客さん感じる『価値』が昔のまんま、だからだよね」
「僕の感じる……価値…」
「どんだけ褒められても『でもにーちゃんに比べたら』ってどこかで思っちゃう。
お客さんの中の『価値の基準』が『にーちゃん』である以上は、お客さんがどんだけがんばっても、お客さんのおにーさんがどんなことを言っても、意味がないんだ。そうでしょ?」
「………」

ミケは少し俯いて、マスターの言葉を反芻した。

「そう…かもしれません。
確かに、全然別の分野なのにあの人達と比べるのは、おかしいのかもしれない。
兄が認めてくれても、ちょっとそんな風には……納得できない。
多分、追いかけているのはあの人達の背中、なんです。
誰かを守ったり助けたりしたいって思ったときに一番最初に浮かぶのは、あの人達の姿だから」
「うんうん、それは、お客さんがおにーさんたちを大好きだっていうことだよね」
「えっ……」

思いも寄らぬことを言われ、ミケはきょとんとして顔を上げて…それから、嬉しそうに微笑んだ。

「……はい。尊敬しています。あんなふうになりたいと思う」
「うんうん、じゃあ、それでいいんじゃないかな?」

マスターもニコニコと笑いながら、いつもの調子で言う。

「価値観を変えることなんて、実力をつけることより遥かに難しいよ。変えようとして変わるもんじゃないでしょ、そんなもん。
けど、僕みたいに、ある日ゴロっと価値観が変わっちゃう事だってあるんだよね。そればっかりは、神様の采配ってヤツかなあ」
「そう、ですねー……僕にも、この価値観が変わる日が来るなんて、思えないし…」
「そうそ。だから、さ。それまでは、いいんじゃないかな?悩んで傷ついて、自己嫌悪して。
自分の問題から目を逸らして見ないフリしてるより、そのほうがずっとカコイイよ!」

マスターにそんなことを言われ、ミケはくすぐったそうに苦笑した。

「…………格好良い、かなぁ……。とても、今の僕がそうだとは、思えないんですけども。
ぐだぐだ愚痴って、嘆いていて」
「まーま、そゆこともあるよ!失敗しない完璧超人なんて、お話の中にしかいないって!」
「そうです、かね」

ミケは妙にすっきりした笑顔で、マスターの方を向いた。

「…………ありがとう、ございます。
さっき、兄に……僕の本音、言ってくれて。愚痴を聞いてくれて。励ましてくれて。……解決のヒントをくれて……ありがとうございます。
あなたは……凄く、格好良いひとですね!」
「えーなにー、照れちゃうー」

あははは、と陽気に笑ってみせるマスターに、ミケは笑顔のままさらに言った。

「ええもう、これは、素直に、付随する悪い感情無しで、ね。羨ましいなぁって。
吹っ切っている、今のあなたが、凄く格好良いって、思います」
「ふふん、僕にホレると火傷するよん?」
「な、な、何でそうなるんですか!」

茶化すマスターを慌てて叱咤してから、苦笑する。

「何か変わると、いいんですけどね。もうちょっと足掻いてきます」
「うん、そーだね。足掻いた時間も、きっとお客さんにとって大事なものになると思うよ」
「はい。ふふ、ありがとうございます、マスター!」

ミケはもう一度礼を言ってから、財布を取り出した。

「じゃあ、お会計、お願いします」
「はーい、まいどありー」

会計を済ませると、ミケは昼寝寸前だったポチを抱き上げて肩に乗せる。

「また、寄らせていただきますね。ご馳走様でした」
「うん、まったねー♪」

からん。

ミケがドアを開けるのと同時に、ドアの向こうから来客があったようだった。

「っと、すみません。どうぞ」
「あっ、すみません、ありがとうございます」

ミケがドアを押さえて促すと、新しい二人連れは会釈して中に入り、ミケはそれを見届けてから軽く礼をして店を後にした。

「さて、ここでお昼にしましょうか」
「ふーん、あんたにしちゃいいとこじゃないか」

現れたのは、男女の二人連れだった。旅装束の大柄な女性と、同じく大きなリュックを持った旅装束の少年。
少年の方に見覚えのあったマスターが、早速声をかける。

「あっ、先週のお客さんじゃん。いらっしゃーい♪」
「あっ、マスターさん。先週は色々とお世話になりました」

少年……ファリナは、マスターに向かって深々とお辞儀をした。

「そっちのおねーさんが、こないだ言ってたデートのお相手?」
「だっ、だからデートじゃないって言ってるじゃないですか!
そうですよね、おねー………さん?」

ファリナが同意を求めようとして女性を振り返ると、女性がこの上ない渋面を貼り付けていたので、思わず声がすぼむ。
女性は嫌そうな表情のまま、ゆっくりと口を開いた。

「……えー、……ない」
「えー、デートじゃないのー?」
「あんた、人を見る目が無い訳じゃないんでしょ?相手がこれだよ?ないさね」

これ、とファリナを指差して。
マスターはきょとんとした。

「やー、人の好みはそれぞれだし。それに、今流行でしょ、草食系男子って」
「……いや、絶対ありえないね、うん。お世辞だろうと言わないでくれ、せっかくのメシが不味くなる」
「ひ、ひどすぎますよ~」

心底嫌そうな女性に、ショックを受けた様子のファリナ。
マスターはあまり気にしないことにしたのか、さっとカウンターの方に足を踏み出した。

「んーまー、デートじゃないならそゆことにしとこっか。
どこでも好きな席に座ってよ、今お水出すからさ」
「あっ、はい!」

ファリナは元気に返事をすると、フィギュアのある出窓から離れた席の方へとてててと歩いていった。

「おねーさん、ここにしましょう!」
「ん、いいよ」

軽く了承し、ファリナと共に席につく女性。

「よいしょっと。おねーさん、何食べますか?」
「んー?何でもいいよ」
「お勧めは、えっと」

と、そこで懐からメモを取り出し、パラパラとめくって確認して。

「キノコ盛りだくさんのソイソースパスタなんだそうですよ。どうですか?」
「じゃあそれにしようかね。あんたは?」
「ボクは日替わりパスタにします~」

そう言ったところで、マスターが水とおしぼりを持ってきた。

「はいどーぞ。ご注文はお決まりかな?」
「あっ、はい!キノコ盛りだくさんのソイソースパスタと日替わりパスタお願いします。飲み物は…おねーさんはどうします?」
「私は水でいいよ」
「そうですか?あ、ボクは前と同じコーヒーで」
「キノコと日替わり……ドリンクなしと、コーヒー…ね。かしこまりー」

マスターはさらさらと伝票にメモして、カウンターへと引っ込んでいった。

「どうですか、ヴィーダは?」
「そうさね、いいとこじゃないか?」

ファリナが尋ねると、女性は特にこれといった感慨もなくそう答えた。
多分にサバサバした気質の女性であるらしい。

「で、この後はどこ行くんだい?」
「あ、はい。ここからちょっと行ったところで見つけた雑貨店に行ってから、学校の並ぶレンガ造りの通りを見に行きませんか?」

どんどん話を進める女性に、ファリナは慌ててメモを見る。

「お、いいねぇ。学校、か……中は入れるかね」
「おねーさん、学校に入りたいんですか?」
「そうさね。どんな事をやってるのか興味があるよ」
「でも、さすがに無理じゃないですか?さすがにおねーさんは学生って歳じゃな痛てっ!」

ごっ。
余計なことを言ったファリナに鉄拳制裁が振るわれる。

「そこは『美人教師にでもなるんですか?』と言え!そして別に通う訳じゃないよ!」
「痛いですよぅ!それに、自分で美人って言うのはギャーー!!」
「誰が痛い奴だってこのバカファリナがーー!!」
「ち、違いますよ痛いのはおねーさんじゃなくて僕の頭がぁあああ!!」

拳をそのままぐりぐりとファリナの頭にねじ込む女性。
と、そこに料理を持ったマスターがやってきた。

「おまた……うお、なにこのコント。今お客さん他に誰もいないよ?」
「ああ、もう出来たのかい?早いね」

女性がファリナから手を離したところで、マスターが皿をテーブルの上に置く。

「キノコとソイソースのパスタと、今日の日替わり、温泉卵のカルボナーラね」
「美味そうじゃないか。早速いただくとしようかね。大丈夫かい、ファリナ?」
「……もう少し経てば…」
「なら良し。うるさくして悪かったねマスター」

自分で鉄拳制裁を食らわせておいてずいぶんな言い草だが、一応ファリナの無事を確認してから、女性はフォークを手にとってさっさと食べ始めた。
ファリナは頭をさすりながら、それでもどうにかパスタを食べ始める。

「そうだマスター、学校てのは一般人も入っていいものかい?できれば入ってみたいんだけど」
「学校?学校って、どの学校?」

飲み物を持ってきていたマスターに女性が質問し、マスターはきょとんとしてそれに答えた。

「どのって、今こいつが言った、レンガ造りの通りの……」
「あーはいはい。あそこね、学校がひとつだけあるんじゃなくて、あの辺が学校街、みたいになってるんだよね。
シニアハイもあるし、貴族が通うカレッジとか、魔道学校とか執事学校とか、とにかく学校がひとかたまりになってる区域なんだよ」
「ああ、そうだったのかい。なるほどねぇ」
「魔道学校とか専門的な学校は、言えば見学くらいはさせてくれるんじゃないのかな?飛び込みはどうだかわからないけどー」
「魔道学校はいいね。飛び入りだけど、少し交渉してみるか。ありがとマスター」
「いえいえ、どーいたしまして♪んじゃ、ごゆっくりー」

マスターは飲み物を置くと再びカウンターへと引っ込んだ。

「おねーさん、魔道学校に興味があるんですか?」
「ん?ちょっとね。学校なら色々と本もあるだろうし、見てみたいよ」
「そうなんですか…ボクも下見はしましたけど、学校の中に入れるかどうかまでは…すみません」
「いや、気にしないでいいよ。ダメだったら他の学校に総当たりさね。…学びの庭、若い奴らがたくさんいるのかね……はぁ」

女性はそう言って少し考え込んだ。
首を傾げるファリナ。
と、女性はかすかに不敵な笑みを浮かべ、ファリナに訊いた。

「それで、予定としては大丈夫なのかい?」
「…あ、はい、大丈夫だったと思いますよ…ええと」

ファリナはそこで、また先ほどのメモ帳を取り出した。
きらり、と女性の目が光り。

ひゅばっ。

「…ふぅん、こんなことが書いてあったのか」
「あ!か、返して下さいよ~!」

ファリナのメモを電光石火の速さで取り上げて、中身を見る。
取り返そうと手を伸ばすファリナの頭をもう片方の手で押さえて。
じたばたするもリーチの差で全く手が届かないファリナ。

「…へぇ、あんたにしてはちゃんとした内容じゃないか。ただ、書き方や文字はちゃんとしてないけど」
「あーうー、ぼ、ボクしか見ないんですからいいじゃないですか~」
「色々調べ回ったみたいだね。たかが知り合いの観光案内に、よくここまでやれるもんだ」
「あ、あはは。だって、頼まれたからにはそれなりに、と思いまして。ダメでしたか?」

何か悪いことをしたのだろうか、と上目遣いで伺うファリナ。
女性はその鋭いまなざしをさらに細くして、ファリナをぎっと睨みつけた。

「あんたはいいのかい?見返りもなしに。私としてはいいけどさ」

大柄な女性のまっすぐな視線は見ようによってはかなりの迫力があったが、しかしファリナに一切動じる様子はなかった。

「なら、いいじゃないですか」

にこりと笑ってそう返すファリナ。
女性は再び渋面を広げると、ファリナのメモをポイと放り出した。

「……はぁ、もういいや。返す」
「あ、わわ!っと」

あわててメモをキャッチするファリナ。
女性は再び不敵な笑みを浮かべ、ふふん、と笑いかけた。

「…ま、あんたがいいなら私も別にいいさね」
「…?……変なおねーさんですねー…」
「うるさいよ。あんたもさっさと食べな」
「う、はーい……」

そう言って、2人はやや冷めたパスタを再び食べ始めた。

「さて、それじゃあそろそろ出るとするか。マスター、お会計頼むよ」
「あ、はいはーい」

パスタを綺麗に食べ終え、女性はカウンターのマスターに声をかけた。
拭いていた皿を置いて、テーブル席の方にやってくるマスター。

「えーっと。日替わりが銅貨8枚、キノコが銅貨6枚で、銀貨1枚と銅貨4枚ね」
「へぇ、なかなかお得じゃないか。人は入ってないようだけど、大丈夫なのかい?」
「あははー、痛いとこつくなー」
「ま、安さの裏に何も無いんだったらいいんだがねぇ」
「ぎくっ」
「ぎく?」
「実は僕にもあのキノコの名前わかんないんだ…パッケージに『謎』って書いてあったんだけど、おねーさん体なんともない?」
「んなんだってえぇぇぇ?!」

目をむく女性に、マスターはけらけらと笑いを返した。

「なーんちゃってー。大丈夫だよー、あのパスタに使ったのはエリンギとマイタケとシメジとエノキ、それからマッシュルームとシイタケ!ソイソースは本場ナノクニはユゲタの一級品、パスタはマヒンダ産のフェデリーニだよー」
「あ、あんた!からかったね?!」

ぎっと睨みつける女性に、マスターは苦笑して手を振った。

「あっははーゴメンゴメン。でもおねーさんも、お店の人を試すようなこと、あんまり言わない方がいいよー?
誠心誠意お料理作って出してるのにそんなこと言われたら、お店の人も傷つくでしょ?」
「うっ……」
「そうですよおねーさん。今のはおねーさんが悪いと思います」

ファリナにも畳み掛けられ、女性はしぶしぶ拳をおろした。

「…悪かったよ。訊き方を変えよう。ここの美味さと安さの秘密はなんだい?」
「んふふ、ここは僕の趣味でやってるようなもんだからねー。お客さんに美味しいって言ってもらえたら、別に儲けはあまり気にしてないんだー」
「そうかい。確かに、美味かったよ。ありがとね」
「はい、ちょうどいただきましたー。まいどありー♪」

ちゃりちゃり。
銀貨と銅貨をマスターに渡し、踵を返す女性。
と、その後ろから慌ててファリナが声をかけた。

「っておねーさん、ボクの分まで払っちゃってますよ!」
「…はぁ、あのね、あんたじゃないんだからそんなとこで間違えないよ」

女性はファリナを振り返り、呆れたように息をつく。
きょとんとするファリナ。

「え?では何で…?」
「観光案内させてるんだからこれくらい奢るさね」
「で、でも…」
「いいから次行くよ次!」
「あ、待って下さいよ~!」

からん。
颯爽と店を後にする女性を追いすがるように、ファリナも慌てて店を後にする。

マスターはそれを見送ってから、2人がいたテーブル席の片づけを始めるのだった。

第2週・レプスの刻

ランチの時間も終わり(客が来ないのでランチタイムの設定にもあまり意味はないのだが)、陽も頂上からだいぶ傾いてきた頃。

からん。

「こんにちは!」

ドアベルと元気な挨拶の声が、新しい客の訪れを告げた。

「いらっしゃー……ああっ。えーと、クルムくん、だっけ?」
「遅くなってごめんな、マスター。約束通り、連れてきたよ」

マスターにクルムと呼ばれた少年は、笑顔でそう言うと、入ってきたドアの方を振り返った。
視線の先には、クルムに続いて入ってきた大柄な青年が一人。大きな棚を担いでいる。

「うわー、えー、なに?どうしたの?」

その様子に驚くマスターに、クルムはにこりと微笑んだ。

「先週、壊してしまった棚を作ってもらったんだ。弁償するって言った茶葉もやっと仕入れが完了したから、一緒に持ってきてもらったんだよ」

言って、自らが持っている袋をマスターに見せる。
マスターは驚いた様子で、棚を持った青年に駆け寄った。

「えー、ホントに棚まで作ってきてくれたのー?!なんだもー、よかったのにー」
「なに、うちで世話してる奴がご迷惑をかけたとあっちゃ、黙っていられないからな。
詫びにもならないが、取っておいてくれよ」

棚を担いだ青年は、言って力強い笑みを浮かべる。
クルムは青年の隣まで来ると、マスターに青年の紹介をした。

「この人は、オレが世話になってる薬草卸の『ネルソン商会』の、マイトっていうんだ」
「マイトだ、よろしくな」
「うん、よろしくねー」

人のよさそうな笑みに、マスターもニコニコしながら挨拶を返す。
相変わらず名前は名乗っていないが。

「オレが事情を話したら、マイトが棚を作るのを手伝ってくれたんだよ。
早速、置かせてもらっていいかな?」
「もちろん!こっちだよー、どうぞどうぞ」

マスターは二人を先導するようにして、カウンターの奥のノレンをめくり、スタッフルームに案内した。
店内スペースの半分ほどの、さほど広くないスタッフルーム。ロッカーや掃除用具などの備品のほか、大小の棚にさまざまな種類の茶葉、コーヒー豆などが並べられている。

その中の一角に、先週無残に壊されたままの棚があった。
床に散らばった分はさすがに掃除されていたが、残骸は捨てる機会もなくそのままそこに置かれていたらしかった。

「ははぁ、こりゃ派手にやったな」

マイトは残骸を見ると、苦笑した。

「これはテアに言ったら、気にするだろうなぁ。内緒にして正解だな」
「そうだね」
「さて、やってしまおうか」

マイトは早速、残骸をひょいと持ち上げて脇に置くと、作ってきた棚の取り付けを始めた。
持ってきた転倒防止用の工具を棚と壁とに取り付けていくマイトの横で、クルムが袋に入っていた茶葉を取り出していく。

「よし、こんなものでいいだろう」
「じゃあ、並べていくね」

クルムはマイトが取り付け終えた棚に、順番に茶葉を並べていった。
そんなに大きな棚でもなく、全て並べ終えるのにさして時間はかからない。

「これで、完了かな」

ことり、と最後の瓶を並べ終えて、棚から離れるクルム。
後ろにいたマスターが、嬉しそうに両手を合わせた。

「うっわー、ありがとー!見違えたね!やー得しちゃったな、こんな綺麗な棚にしてもらえて、在庫も新品にしてもらっちゃって。かえって悪かったねえ」
「いや、元はといえば俺が壊したんだし」
「しかし、こうやって並べると壮観だな」

工具を片付け終えたマイトが、棚に並んだ茶葉を見渡して感嘆の声を上げる。

「マスター、これだけの銘柄を、よく集めたな」
「え?やー、ここの棚は趣味で集めたようなものばっかりだからさー」
「というか、商いをしている俺から言わせれば、よく知っていたなぁ、という感じだ。
どれも一般にはあまり知られていない、珍しいものばかりだ。特に、これ」

こと。
マイトは棚の隅に置かれていた茶葉の瓶を手に取った。

「イェイン茶…これは、今まで一部の愛好家にしか知られていなかった名品だ。
すごく手に入れるのが難しいんだよ。
メモに書かれたこの名前を見たとき、 この茶を出す喫茶店のマスターっていうのは、いったいどんな人なのか、是非会って話してみたいと思ったんだ」
「やー、なんか照れちゃうなー」
「クルムから聞いていたが、本当に若いマスターで驚いたよ」

マスターににこりと笑いかけてから、マイトはまたイェイン茶に視線を戻した。

「リュウアン地方のイェインは、地図にも載っていない、山奥の小さな集落だ。
切り立った崖に挟まれた峡谷にへばりつくように佇んでいるその村で、イェイン茶は作られているんだ。
イェイン茶は、もともとこの地に自生していた茶の原木、しかも樹齢千年を超えるという、数本の古木から採れた茶葉のみで作られたもののことを指す。
村人は、その古木を御神木として大切に守り、夏にその茶葉を摘む。
収穫を増やす為に、挿し木なり接ぎ木なりして茶の木を増やせばいいものを、彼らがわざわざ、たった数本の御神木から葉を収穫するのには訳があるんだ」

うわ、と、クルムが少々慌てたような表情になる。
が、マイトの語りは止まらない。

「夏になると、イェインで『光虫』と呼ばれるピクシーが、渓谷の川に涼を求め、山から降りてくる。
その時ピクシー達は、決まってイェイン茶の御神木をねぐらにする。
樹齢千年を超える御神木の、放つ力に惹かれ集まるらしい。
そして眠りに着くまでの間、ピクシー達は御神木の中を飛び回り、茶の若芽に傷を付ける。
希少な茶の葉を傷つけるなんてとんでもないことのようだけど、村人は毎年、ピクシーが御神木に宿るのを心待ちにしている。
というのもイェイン茶は、ピクシーが葉を傷つけた若芽から葉液が出て、芽や葉の内部に独特の香りや味が生まれ、茶葉の発酵が進むという稀有なお茶なんだ」

とうとうと語るマイトの様子は、茶葉…というよりは薬草全般をこよなく愛する、過剰なまでの愛情に満ちていたが、興味のない者にとってはやはり鬱陶しく感じることは否めない。
クルムはもう慣れたものだったが、初対面のマスターに嫌がられないだろうか…と、マスターの様子をこっそりと伺ってみるが。

意外にも、マスターはニコニコしながらマイトの話を聞いていて。
クルムは少し驚いて目を見張った。

「イェイン茶の香りと味わいは、『蜜』と『果実』の2種類の品評基準に形容される。
ピクシーに傷つけられ、この二つの香りと味わいを持つまでしっかりと熟成する茶葉は、全体の収穫量の1割にも満たなかった…数年前までは。
数年前の夏、山からピクシーと共に、一人の少女、ソヨンがやって来た。
ソヨンは山中で命を落とした旅人の子供で、山の精霊に拾われ育てられたという。
彼女はピクシーを自在に操る事が出来、イェインの民に『虫愛ずる姫』と呼ばれた」
「……んー?」

だんだん逸れてきた話に、マスターが首をかしげる。
しかし、マイトの語りは止まらない。

「ソヨンは村の長の息子、コウシュウと仲良くなり、ピクシー達を操って、御神木の若芽に上手に傷をつけ、夏中、イェイン茶の製法に貢献した。
夏が終わり、ピクシー達が山に帰る時が来たが、ソヨンは共に帰らず、村に留まった。
『ソヨン、コーシュー、スキ』
ソヨンは押し掛け女房よろしく、コウシュウの家に転がり込んだ。
ソヨンを育てた山の精霊は、娘を奪われたとたいそう怒り、ある夜、コウシュウの夢枕に現れた。
『人の子の分際で…お前にソヨンが救えるか』」
「あー、なんか混じってるねぇ」

楽しそうに頷くマスター、訳もわからずに目をしばたたかせるクルム。

「で、その後色々あって、今コウシュウとソヨンは、イェインで仲良く暮らしてるんだと」
「はしょった!」

ツッコミをくれたマスターの方に視線を移し、マイトは続けた。

「さっきイェイン茶は一部の愛好家にしか知られていなかったと言ったけど、この春あたりから、イェイン茶の名が急に知られだして、注文が殺到して、今はずっと品切れ状態になっているらしい。
なんでも、ソヨンをモデルに人形がつくられて、それがきっかけだとかなんとか…」
「あー、『山の上のソヨン』でしょ!」

突然すごい勢いで話に食いついたマスターを、クルムはぎょっとして見やった。

「ソヨンたんフィギュア、持ってるよー!
それ作ったの、僕の知り合い原型師さんなんだ。
PR用って、彼はただ、たまたまお茶の行商人から聞いた、萌え幼女のシチュエーションに食いついて、萌え萌えなるままに、ソヨンたんを作ったんだよねー。
そのソヨンたんフィギュアが『くれいからー』社の目に留まって、春に商品化されたんだ!」
「うちの店は前から仕入れていたから、以前通りの価格で回してもらえたけど、なんだかある層の客が、競って買っているらしい。
オークションで、ものすごい価格が付けられたって聞いたな」

(………ん?)

クルムは二人の会話を聞きながら、首をかしげた。
気のせいだろうか。

(会話が…かみ合ってるようで…二人とも全然別のことを話してる気がするんだけど……)

「春フェスの企業ブースで、フィギュアが発売されてからでしょ、その爆発的人気は。
僕は作者の原型師さんにソヨンたんの原型から見せてもらってて、みんなより先にイェイン茶の事を知ったから、手に入れられたんだよね。
このお茶好きなんだけどー、品薄状態はいつまで続くかなぁ。
一過性のブームか、根強い人気になるか。フィギュアは続けて第二弾、第三弾と出して行くのかな?」
「どうだろうな、どんなものにも流行り廃りはあるものだが…まあきっかけはどうあれ、これはいいお茶だから…これを機会にこのお茶を好きになってくれる人が増えるのなら、それはそれでありがたいことだ」
「あーでも、アレはヤだな。
聖地巡礼っつって、みんながイェインに押し掛けちゃうの。
せっかくのイェイン茶の神秘性とソヨンたん萌えが薄れちゃうー。
イェインの場所が知れないように、ちょっと手を回そっかな。偽情報流したりとか…」
「そうだな、作り手にとってみたら、興味本位であれこれ詮索されるのは好ましくないだろう。茶葉にとっても、騒がしい環境はあまり好ましくないからな…」

そうして。
微妙に話が弾んでいるようで、その実まったく噛みあってない会話は、四半刻ほど続くのだった…。

「いや、しかし、居心地のいい店だなぁ。なにしろ、茶が美味い」

店舗スペースへと戻ってきた3人は、クルムとマイトがカウンター席に座り、マスターの入れた茶で休憩をすることになった。
出された茶を飲んでしみじみとそう言いながら、マイトはぐるりと店内を見渡した。

「クルムと喫茶店に入るのって、初めてだよなぁ。
前にクルムと行った『真昼の月亭』や『風花亭』は、こういう正統派の喫茶店じゃなかったもんな」
「そうだね。真昼や風花は、飲食をするというよりは、冒険者が仕事を求めて集まる、宿屋兼酒場だから……」
「あれ、クルムくん、冒険者なの?」

マスターがきょとんとして問うと、それにはマイトが答えた。

「ああ、見た目はあどけなさ残る少年だけど、なかなか立派な冒険者だよ。
これまでたくさん依頼をこなしてるんだ。
うちの家族は、依頼を終えたクルムから冒険話を聞くのをいつも楽しみにしていてね」
「へー、すごいんだねぇ」
「そ、それほどでもないよ……」

素直に賞賛するマスターに、少し照れるクルム。
マイトは続けた。

「依頼のない時は、うちの店を手伝ってくれるんだけど、クルムは冒険者で旅慣れているから、遠くの街への使いを頼んだりもする。
時には行った先でトラブルに巻き込まれたりもするけど、居合わせた人達と協力して、逆にトラブルを解決してくるしな。
たいしたやつだよ」
「そ、そんな…居合わせた人が皆強い人で、オレはラッキーだったんだよ」

多分に親バカならぬ保護者バカの入ったマイトの言葉に、ひたすら恐縮するクルム。
と、マイトが再び店内を見渡し、例の出窓のフィギュアに目を留めた。

「ん?あれはなんだ?」
「あっ……」

フィギュアのことに話を振るとマスターのエンドレス語りが始まってしまう。
クルムは慌てて話題を逸らそうとしたが、時はすでに遅かった。

「あー、あれねー、ミューたんっていってね!」

(略)

「……で、来年のツアーはリゼスティアル凱旋ツアーかなーなんて話してるんだー」
「そうなのか。それは楽しみだな」

また四半刻にわたった語りに、しかしマイトは嫌な顔ひとつせずに相槌を打っていた。

「あ、お茶が切れちゃったね、入れなおしてくるよー」
「ああ、すまないな、マスターの入れるお茶は美味いからすぐ無くなってしまう」
「んふふ、そういってくれると嬉しいなー。ちょっと待っててねー」

言って、ポットを持って引っ込むマスター。
それを見送りながら、クルムは感心した様子でマイトにこっそりと耳打ちした。

「よく……その、聞いてたね。マスターの話」
「ん?ああ、言ってる事はほとんどわからないけど、熱中するものが有るって良いよなぁ。
彼の好きな物に対するアツい気持ちは、良くわかったよ!」
「そ、そんなものなのか……」

よく分からないが、感心するクルム。
そこに、マスターがポットを持って再び現れた。

「おまたせー。はいどうぞー」

再びポットから茶を注いでいくマスターに、クルムが思い出したように口を開いた。

「そういえば……マスター」
「うん?」
「オレの知り合いに、マスターにとても良く似た人がいるんだ」
「へえ?」

マスターはニコニコしたまま、クルムのカップにも茶を注ぐ。

「彼もマスターと同じで、ミューの大ファンで、フィギュアにも詳しいんだ。
見た目も雰囲気も凄く似てるんだよ。年は全然違うけど…彼は10歳くらい…かな?
かるろって言うんだけど、もしかして、マスターの親戚じゃないか?」
「かるろ、くん?んー、さあ、わかんないなー」

マスターは眉を顰めて言い、ポットを置いた。

「コンサート仲間の中では、みんなライブネームっていって、好きな名前を名乗って交流したりすることが多いんだよ。その子もきっと、そうなんじゃないのかな?」
「そう、なのかな?じゃあ、今度本名を…」
「ちっちっち。クルムくん、コンサートっていう夢の世界の中で、本名っていう現実の世界の話題を出すのはマナー違反だよ?」
「そ、そうなのか?」
「そうそう。僕らは、ミューたんが作り出す夢の世界の中にどっぷり浸かって楽しみたいんだからさ」
「そうなのか……」
「それに、さ」

マスターはまたにこりと笑うと、諭すようにクルムに言った。

「どんな名前だって、どんな関係だって、僕は僕だし、クルムくんはクルムくんでしょ?」

クルムは一瞬言葉を失って、それからやわらかく微笑んだ。

「……そうだな。マスターの言うとおりだ」
「んふふ。ま、僕もその、かるろってコ見つけたら話しかけてみるよ。
僕と似てるなら、気が合うかもしんないしね!」
「うん、きっと気が合うと思うよ」

クルムは微笑んでマスターに言い、カップの茶をこくりと飲み干した。

「さ、そろそろ休憩も終わりだろ、マイト。手伝ってくれてありがとう」
「おお、もうそんな時間か。まったく、時の経つのは早いな」

クルムに言われ、マイトもカップの茶を飲み干して、席を立つ。

「ご馳走様、マスター。お愛想してくれるかな」
「え、お代はいいよー!棚も作ってもらったし、お茶も持ってきてくれたんだし。
今日はチャラ、ってことで。ね!」
「しかし……」
「あー、じゃあさ、前と同じように、クルムくんとマイトさんと、また一人ずつお友達連れてきてよ!
その時は、ちゃーんとお代もらうからさ。ね!」

マスターの言葉に、クルムとマイトは顔を見合わせた。

「…そんなことでいいのか?」
「うん!ほら見ての通り、ここまだお客さん少なくてさー。宣伝活動してくれるのが、一番嬉しいんだ。ね、お願い!」
「…マスターがそう言うなら…」
「すまないな。じゃあ、必ず、また寄らせてもらうよ」
「うん、待ってるねー!」
「じゃあ、行くぞ、クルム」
「うん」

マイトが先導してドアに向かい、クルムがそれに続く。
からん。
ドアを開けてマイトが外に出、クルムは出る前にもう一度マスターを振り返った。

「じゃあ、ごちそうさま、マスター。また来るよ」
「うん!今度は、彼女とか連れてきてね!」
「えっ……」

『彼女』というワードに、さっと頬を染めるクルム。

「クルム、行くぞー」
「あっ、う、うん、わかった」

マイトの呼びかけに少し慌てた様子で、クルムはもう一度マスターに手を振ると、ドアから出て行った。

マスターはそれを見送ってから、カウンターの片づけを始めるのだった…。

第2週・ストゥルーの刻

からん。

ドアベルが告げた新たな来客に、マスターは笑顔をそちらに向ける。

「いらっしゃーい」

入ってきたのは、2人連れの旅装束の少女だった。

「あー、疲れちゃったぁ。ねぇリー、ちょっと休んでこ?」

先に駆け込んできたのは、小柄な褐色肌の少女。尖った耳やオレンジ色の瞳はちょうどマスターと同じだったが、髪は白茶けた金髪に前髪だけ赤くメッシュが入っているという派手な様相をしている。

「仕方ないわね……ちょっとだけよ?宿でエリーも待ってるんだから…」

後から入ってきたのは、正反対の印象の少女だった。銀髪に紫の瞳、白基調のシンプルで可愛らしい旅装束は、全体的に清潔で礼儀正しそうな印象を受ける。

褐色肌の少女がカウンター席に座ると、銀髪の少女もそれに続いた。

「んーとー、何にしようかなー。リーはなににする?」
「うーん…ロッテはどうするの?」
「んー…疲れちゃったから、なんか甘いものにしようかなー」
「あら珍しい。あたし、アイスミルクね」
「んじゃ、ボク、マンゴージュース!」
「アイスミルクとマンゴージュースね、かしこまりー」

マスターは笑顔で伝票にメモすると、早速注文を作り始めた。
手際よくジュースを作ってグラスに注ぐと、コースターと共にカウンター越しに二人の前に出していく。これはマスターにとっては珍しいことなのだが、2人は知る由もない。

「わ、おいしそ。いただきまーす」

ロッテと呼ばれた褐色肌の少女は、色鮮やかなジュースに嬉しそうにマスターを見上げ、早速ストローを口につけた。
隣のリーも、アイスミルクのグラスを持って傾け…

次のマスターの言葉に、凍りつく。

「キルくん、元気ー?」

リーはぎょっとして、ロッテも目を丸くして手を止め、マスターをまじまじと見やる。
当のマスターは、相変わらずニコニコとロッテに笑みを向けていて。

やっと我に返ったリーが、厳しいまなざしをマスターに向けた。

「……あなた……誰?」

マスターはリーの方を向くと、相変わらずの口調で答える。

「僕はカールヴェクトロ・デル・エスタルティ。
このコの、叔父さんだよ」
「!………」

絶句するリー。
同じく目を丸くしたままのロッテが、やっとのことで声を出した。

「……マジで?」
「うん、マジで。
ずっと会いたかったんだー、ティー兄の遺した娘にさ。
うんうん、ティー兄に似て美人さんだねぇ」
「………」

どう反応したものかと、きょとんとしているロッテ。
一方のリーは、椅子から腰を浮かせてさらに視線を鋭くする。

マスターは苦笑してリーの方を向いた。

「そんなにコワい顔しないでー?
僕は何もしないよ?ツー兄の言うことに従う義理もないしさー」
「そんな言葉が信じられるとでも?」
「んー。困っちゃったなぁ。別に君に信じてもらわなくてもいいんだけどさぁ」

マスターは嘆息してから、体を屈めて、こつん、とカウンターに肘をつく。

「僕もね。………腐っても、エスタルティなんだよねぇ」

すぅ、と空気が冷えるような感覚がした。

先ほどまでマスターを包んでいた穏やかな空気が、一変して触れたら切れてしまいそうな鋭いものに変わる。
あっけらかんとした微笑みは、どこまでも冷たくて…淫靡で妖艶な雰囲気をたたえたものに変わっていて。
彼が、紛れもなく魔に属するものであることを示していた。

「……っ」
「君の気持ちはわかるけどね、天使ちゃん?
でも、とりあえずおとなしくしてる相手に対して、敵意をむき出しにしても、損するだけだよ?」

気圧されるリーに、妖しく微笑みかけるマスター。
すると。

「そーだよリー。ちょっと落ち着きな」
「ロッテ…!」

元の調子を取り戻したロッテが、マンゴージュースを飲みながら言う。
リーは彼女に、非難のまなざしを向けた。

「このヒトがボクに何かするつもりなら、小細工をする必要なんてないでしょ。
所詮ボクたちはハーフだし。力は圧倒的にこのヒトの方が上なんだしね」
「それは……そうだけど」
「それを判った上で、わざわざこうやって名乗ってきたんでしょ?
だったら、信用するしないはともかく、この場はおとなしくしといた方が利口だよ」

リーの方を一瞥して、つまらなそうに言うロッテ。
リーは納得行かない表情で、それでも再び椅子に腰掛けた。

「んふふー、度胸据わってるねぇ?さすがティー兄のお嬢さんだね」

元ののほほんとした表情に戻ったマスターが、カウンターに肘を着いたままにこりと微笑みかける。

「最初はびっくりしたけどねー。でも……」
「でも?」

ロッテは言葉を切ってマスターを見上げてから、マスターと同じようににこりと微笑んだ。

「このマンゴージュース、美味しいし」
「そっかー、それは嬉しいなー」

ニコニコ微笑みあう2人は確かによく似ていて、血の繋がりを思わせる。
リーは少しはらはらした様子で、それでも黙って2人の会話を見守った。

「んじゃ、ボクの名前はもう知ってるのかな?ロッテだよ、よろしくね、おじちゃん」
「うわー、おじちゃんは傷つくなー。これでも君のお父さん連中の中では一番若いんだけどー。
僕のことは、カーリィ、って呼んでよ」
「かーりー?男のコなら、カールじゃないの?」
「んー、でもカーリィって呼んだほうが、萌えるじゃん?」
「…そぉ?よくわかんないけど…んじゃ、間を取って、カー兄」
「カー兄?」
「さっき、パパのことティー兄って呼んでたでしょ。なんかいいな、って思ってさ」
「そっかー、カー兄かぁ、んふふ、何かちょっと嬉しいなー」

マスターは本当に嬉しそうにそう言って、体を起こした。

「ずっと会いたかったのはね、ホントだよー。チャカちゃんやキルくんばっかり君と遊んでて、ずるいなーって思ってたんだ。
ここで喫茶店始めて、ヴィーダだったら、いつか君が来ることもあるかなって思って、楽しみにしてたんだよ。意外に早く会えたね、ビバご都合主義ー」
「そなんだ?つか、なんでこんなトコで喫茶店なんてやってんの?」
「んー、魔界には僕の求めるものがなかったから、かな?」
「求めるもの?」
「そそ。僕の求める…萌えるものが!」

力説するマスターに、ぽかんとする2人。

「も…もえる…もの?」
「そう。僕はさー、権力争いだとか、勢力争いだとか。どっちが強いとか弱いとか、そーゆーのぜーんぜん興味がないわけ。
うちにいてツー兄の毒電波浴びるのもしんどかったし、好きなところで好きなことやってた方が楽しいじゃん?
もうずいぶん前から、こっちの世界にいるよ。ここを始めたのはつい最近だけど」
「そーなんだ」

ふーん、と、興味のあるようなないような相槌をうつロッテに、マスターは再びにこりと微笑みかける。

「僕はツー兄のやることにはノータッチだし。ここで僕の好きなようにやってるからさ。
またヒマな時にでも遊びに来てよ。歓迎するよ?」
「そだね、また遊びに来るよ」
「ちょっと、ロッテ!」

軽い調子で答えるロッテに、咎めるような視線を送るリー。

「イヤなら、リーは来なくていいよ。ボクだけで来るからさ」
「あっ、じゃあじゃあ、今度はキルくんとか連れてきてよ!
最近会ってなくてさ、元気?」
「んー、実はボクも最近全然会ってないんだー。忙しいんじゃないかな?」
「またツー兄がろくでもない用事でこき使ってんのかなー。もー、しょうがないよねー」
「今度来たらここ連れてくるよ」
「マジで。約束だよー。楽しみにしてるね!」
「んふふ、ボクも楽しみー」
「………もう……!」

和やかな空気の中に、少しだけ緊張をはらんで。

喫茶『ハーフムーン』の1日が、静かに終わりを告げようとしていた……。

…To be continued…

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