再び、呪いの言葉

呪われよ。

黄金の月に魅入られし人の子よ。


呪われよ。

己の内に矛盾を抱えて生まれた人の子よ。

自らが放つ言葉に囚われ、
自由でありたいと願いながら己を束縛し、
愛したいと願いながら傷つけ、
愛されたいと願いながら憎み、
生きたいと願いながら殺す、
絶望的なまでに矛盾を孕んだ人の子よ。


その矛盾が、

その葛藤が、

その、胸に熱く渦巻く思いが。


何よりも、私を、愉しませる。

憤りと戦いの先にあるもの

「許せない……」
押し殺したような声で言ったのは、ミケのすぐ後ろに立っていたユキだった。
仲間たちがそちらを振り向くと、彼女は俯いた姿からさっと顔を上げ、ずいとミケの前に出る。
きっ、と鋭い瞳をロキに向けて。
「命を弄んじゃ駄目って教わらなかったの!?」
怒りの眼差しで迷うことなく彼を指差す。
「僕が師匠に一番最初に教わったのがそれだよ。
命は一人に一つだけの大切なもの。だから大切なものや自衛の為に奪うことはしても、命を弄ぶようなことはするなって。
多分、仕事とかグレーゾーンに入るのもあるとは思うけど……サンプルとか作品とか、そういうのは駄目だと思う。
命を弄ぶ人がいたら、それは人ではない、基本すら出来てないものを人とは言えないって師匠が言ってた。
だから、僕は君を人と認めない」
沈黙が落ちる。
ロキは相変わらずの無表情だったが、周りの仲間たちもどうにも微妙な表情をしていた。
「……まあ、人じゃないしねえ」
肩を竦めてもっともなことを言ったのは、フィリー。
ユキは心外だというようにそちらを見やった。
「違うよ?!魔族も人間も翼人も龍族も皆『人』だよ、みんな対等なんだ。
けど、僕は『人』と認めない存在を対等に扱うつもりはない、ってこと」
「そう?ま、向こうさんもハナから対等とは思ってないようだけど」
やはり白けたように肩をすくめて、フィリーはロキを見た。
無言のまま無表情で佇む彼の様子は、正しく彼女の言葉の通りで。
『人として認めてくれと言った覚えなどないが』と言葉に紡ぐ気すらない、という意思がありありと見て取れる。
「ま、私はわかってるけどね。あんたみたいな奴に何を言っても無駄ってことくらい。
こっちから言わせてもらえることがあるとすれば、そうね」
すらり。
腰の剣を引き抜き、ルナウルフに、そしてその先にいるロキに向かって切っ先を向けて。
「歪んだ理想に付き合ってるほど暇じゃないのよ。
あんたの思惑通りだろうがそうでなかろうが、問答無用で倒す、ただそれだけ」
フィリーの言葉に、ロキは僅かに愉しげに唇を歪めた。
「…そうだろうね。私からも、言うことは何も無いよ」
最後方に佇んでいたワーデンも、静かにそう告げる。
「あなたは言葉の逃げ道など必要としないくらいに強いのだろうからね、きっと」
「理解できんな」
意外にも、ロキはその言葉には言葉を返した。
静かに驚いた様子でそちらを見ると。ロキは無表情のまま僅かに首を傾げている。
「力の有無が発言を殺すのか、随分と息苦しい生き物だな、人間というのは。
言いたいことがあるのなら、心の赴くままに言えばいい。
それで何かが変わるかどうかは、貴様の言う通り、その言葉の持つ力次第だろうがな」
く、と喉を鳴らして。
「自分の言葉が何かを変える力を持たぬことを露呈するならば、いっそ口を噤む。
それを賢しさと呼ぶのもまた、理解の及ばぬ人間の思考だな」
「………」
ワーデンは無言のまま彼を見返す。
回りくどく言葉を連ねてはいるが、要はロキが彼らを侮り嘲っているのだということはよく伝わってきていた。
「言うこと、ない、なら、さっさと始める、いいですか」
張り詰めた空気の中で不意にぼそりと言ったアフィアの言葉に、仲間たちは意外そうにそちらを向く。
見れば、彼は相変わらずの無表情で、しかし鋭い瞳はまっすぐにロキに向けられていた。
それは、さきほど彼に殴りかかった時と同じ、決して彼を許していないのだと、静かに怒りをたたえた瞳で。
それに鼓舞されるように、千秋もスラリと刀を抜いた。
「そうだな…危うく片棒を担がされるところだったのは、利用されているようで気に食わんが…御宅を並べても、することは一つだ」
に、と薄く笑みを浮かべて。
「それに……強い奴を倒してこそ、俺の実力も判るというものだ。この体になってからなかなか闘争心が鎮まらなくてな」
この体?と、千秋の意味不明な発言に首をかしげる仲間たち。
ただ一人事情を知っているミケが、この人は内緒にしておきたいのか知られたいのかどっちなんだという表情をしつつも、ここで口にするのは薮蛇だと口をつぐんだ。
その空気を知ってか知らずか、千秋はすっと無駄のない構えを取ると、更に言う。
「ルナウルフが3匹。いいだろう、相手に不足なし、だ。どうせその辺に転がってる金も追加でくれるんだろう?なら、どこまで行けるか組み手と行こうじゃないか」
その表情は、義憤に駆られての仲間たちのものとは明らかに違う、この戦いを楽しんですらいるようで。
仲間たちは彼の様子にそっと戦慄した。
ちゃきっ。
その隣で、フェイもまた真剣な表情で剣を構える。
「お前のせいでナンナさん達は……絶対に許さない!!それに、ルナウルフの金も絶対に渡さない!!」
彼の言葉に、仲間たちはハッとしたように顔を上げた。
そうだ、あの金を持ち帰られては、また第二、第三のルナウルフが生み出されてしまう。
表情を引き締めて、それぞれに己の得物を構える冒険者たち。
ロキはそちらに向かって、ふっと嘲るような笑みを向けた。
「言いたいことは、それだけか。ならば」
ぱきん。
先程まで金のかけらを持っていたその細い指を、ひとつ鳴らして。

「始めるとしよう」

それが合図であるかのように、ロキの前に佇む3匹のルナウルフが一斉に地を蹴った。
「はあっ!」
「せいっ!」
「っ……!」
前衛に出たのは、千秋、フェイ、そしてユキだった。
大きく掛け声を上げた千秋とフェイとは対照的に、無言でルナウルフの喉元に飛び込むユキ。
持っていた大ぶりのナイフを素早く喉に食い込ませると、ぐおお、という唸り声とともにルナウルフがのけぞった。
すかさず距離を取り、軽快にステップを踏むように足踏みをする。
その両脇では、フェイと千秋が剣を振るっていた。
「ユキさん、戦ってる、ルナウルフ、早く、倒す、します」
後衛に残ったアフィアは、同じく残っているフィリー、ミケ、ワーデンに冷静にそう言った。
「ルナウルフ、一匹、一人、担当、リスク、高いです。
千秋、フェイ、凌いでる間、ユキのルナウルフ、集中して倒す。次、フェイのルナウルフ、倒す」
「なるほど、攻撃を分散させるより、集中して数を減らす作戦ですね」
得心がいったようにミケが頷くと、フィリーも頷いて同意した。
「わかったわ。じゃあ、私もユキの方を狙って攻撃する。それが終わったらフェイね」
「千秋くん一人に負担が行ってしまうことになるけれど……」
すでに全員に防御の付与魔法をかけながら、心配そうにワーデンがそう言うと、なぜかミケがあっさりと答えた。
「千秋さんなら大丈夫ですよ。ちょっとやそっとのことでは壊れませんから」
「どういう言い草だっ」
ルナウルフの爪を刀で弾きながら、千秋が言う。
なるほど、そういうツッコミをする程度の余裕はあるようで。
千秋は冷静にルナウルフに刃先を向けつつ、言った。
「まあ、見た感じ一番足止めに向いてそうなのは俺だろう。俺が一匹受け持つから、ほかの奴は頼むぞ。
なに、足止めとは言うが、別にアレを倒してしまっても構わんのだろう?」
「ほら、フラグ立てるくらいの余裕がある」
「ほっとけ」
「ということで、まずはユキさんのルナウルフから片付けてしまいましょう」
ミケがそう言ってユキの方を向くと、すでにフィリーがそちらに向かって魔法を放っているところだった。
「何時風、望風、ウインドグラヴィティ!」
ごうっ。
呪文の詠唱とともに、フィリーから竜巻のような風が巻き起こり、まっすぐにルナウルフへと向かっていく。
ユキがかろうじてナイフでその牙を防いでいたルナウルフが、その風で体制を崩した。
「ありがとう、フィリーさん!」
「気を抜いてる暇はないわよ、ほら!」
フィリーの声に、ユキは再びルナウルフにナイフを構える。
と、そこに。
ばりばりばりっ!
アフィアの放った雷が、駆けてきたルナウルフを直撃した。
ぐおおおお!
苦しげに身をよじるルナウルフ。
そして。
「ファイアーボール!」
ミケが続けて、炎の魔法をルナウルフの足元に放つ。
ごう、という音がして炎は燃え広がり、ルナウルフの体毛を焦がした。
「うーん、元が金属なら溶けて足止めになるかと思いましたけど、そういうものじゃないみたいですね…」
思ったような効果が出ずに眉を顰めるミケ。
「雷の魔法って、あまりやったことないんですけど…えっと」
その場で組み上げるつもりなのか、目を閉じて魔術の構成を組み上げ始めた。
「アフィアさん、すみません、もう一度サンダーブレスお願いできますか?そのあたりから何か参考にできそうです」
目を閉じたままのミケの言葉に、アフィアは無言で頷いて息を吸った。
ばりばりばりっ!
再び、彼から放たれる雷の吐息。ミケは精神を研ぎ澄ませてそれを感じ取ると、おもむろに印を切った。
「風よ、裁きの雷を呼び覚まし、金色の獣に架せられた呪いを解き放て!」
ばぢぃっ。
ミケの呪文とともに、大きな電撃がルナウルフを直撃する。
ぐおおおおっ。
その威力にか、ルナウルフは苦しげにのたうった。
「やっぱり火より雷の方が効くみたいですね。今です、ユキさん、フィリーさん!」
「わかった!」
「まかせて!」
息の合った様子でミケの言葉に答えると、ユキはかがみ込んで地を蹴りルナウルフの懐へ、フィリーは逆に高く跳んで剣を上段に構えた。
「……はっ!」
「たあぁっ!」
ユキが下からすくい上げるようにしてルナウルフの喉にナイフを食い込ませるのと、フィリーが空中で逆手に持った剣をルナウルフの背に突き立てるのが同時だった。
ごああああぁぁぁぁぁっ。
ひときわけたたましい断末魔をあげ、ルナウルフはその背をそらす。
そして。
がらり。
昨夜と同様、金塊となって崩れ落ちた。
「…っとと」
どうにか体制を保って着地するフィリーと、立ち上がって静かに瞑目するユキ。
「よし、この調子でどんどん行くよ!」
「はい!」
2人は頷き合うと、フェイが戦っている方へと駆け出した。

「ガルルルルッ!!」
一方のフェイは、獣化して戦っていた。
ロクス…ロキの家で獣化した時のような、二足歩行が可能なタイプの獣化で、もちろん剣も持って戦っている。獣化したことで抜群に跳ね上がる身体能力が、彼の剣の威力を増していた。
そのためか、彼より一回りは大きいであろうルナウルフに全く押し負けていない。
人のものではない咆哮じみた叫びは、それでもフェイのロキに対する怒りをよく表していた。
がっ。
襲い来る牙を大剣で弾き飛ばし、返す刀で斬りつける。
と、そこに。
「フェイさん!」
「加勢するわ」
ユキとフィリーが駆け寄ってきて、彼の後ろについた。
「ユキさん、フィリーさん。ありがとうございます」
獣化しているからか、少しくぐもった声で言うフェイ。
「僕は下から行くから、フェイさんは上から行ける?」
「はい!」
ユキの言葉に即座に頷き返して、フェイは地を蹴った。
すかさず、フィリーが後ろに退がって風の刃を放つ。
ぐおおぉっ。
顔面にカマイタチをくらって身を引くルナウルフのもとに。
ばりばりばりっ。
後方からアフィアが放った雷が直撃する。
ぐおおおぉぉぉ!
たまらず体を捻ったルナウルフの喉元に、先程と同様に滑り込むユキ。
「っ……!」
無言で息を詰め、手にしていたナイフをルナウルフの喉に深く食い込ませると。
「ルガァァァッ!!」
ルナウルフの背後に回っていたフェイが、咆哮とともに斬りつけた。
ごああああぁぁぁぁぁっ。
先ほどと同じような断末魔が響き渡る。
そして。
がらっ、という音と共に、金塊となったルナウルフがバラバラになって崩れ落ちた。
「…よし!」
フェイは小さなガッツポーズと共にそう言うと、早速残りの千秋の方へと駆け出すのだった。

「思ったより順調だね」
後方で戦いの様子を見ながら言うワーデンに、ミケは用心深く構えたまま頷いた。
「昨日は、戦っている相手がナンナさんという状況でしたからね。呪いを解きたいという要素もあった。それが刃を鈍らせていた部分はあったでしょう。
今日はロキさんの作り出した単なる魔法生物です。牙にさえ気を付ければ、充分戦って勝てる相手ですよ」
付与魔法をかけ終えて出番のないワーデンが、ルナウルフが減っていくことで必然的に雷の術をアフィアに任せて戦況をじっくり見定められるミケと、こうして言葉を交わす程度には、余裕のある戦いだということだ。
ワーデンも油断なく戦況に目をやりながら、ミケに言った。
「では、ミケくんに一つお願いができないかな」
「お願い、とは?」
「その場での急な提案になるのだけれど、地面に散らばっている『金』を風魔法で一気に回収できないかい?」
「え」
ミケは思わずワーデンの方を見た。
真剣な表情で頷くワーデン。
「とりあえずロクスさんから遠ざけるだけでもしたい。ほらええと、ダイソンの掃除機みたいに」
「ダイソンノソージキというのがなんだかぼくにはわかりませんが」
棒読みで言ってから、ミケはうーんと眉を寄せた。
「確かに、持って帰ってもらうわけには行かないとは思うんですけど…」
「現在も確か地面にルナウルフの残骸である金が散らばっている状態だと思うけれど、一体ずつルナウルフを倒していってもこの金は発生する。
これをロクスさんが利用できる状態だと、際限なくルナウルフが出現する状況にもなる。それは避けたい」
「距離は関係ない気がするんですけどね、術だとするなら。むしろこちらにかき集めたところで一気に全部ルナウルフにされでもしたらそれこそ致命的です」
「そうか…そういう考え方もあるね」
うーん、と唸るワーデン。
「しかし、このままにしていくのも…」
「まあ、多分、研究としては一定の効果は上げたと思うんですよ。理論は証明されただろうし、実際に使ってもみた。後は性能を確認するだけなんじゃないかと。
改良したり細部を調べたりするためには一つ持って帰れたらそれで充分、持って帰れなくても、時間がある種族なんだから、理論は頭の中だろうし、もう一回やればいいんだろうから、今撤退することになっても、さほど彼にとっては痛い事態ではないんじゃないかと思うんですが」
「…そう言われてみれば、確かに」
「彼の目的は、僕たちを殲滅すること、じゃないんですよ。あくまで、ルナウルフの性能を調べること。
僕たちにこうして倒されることすら、彼の予定調和のうちなんですよね、悔しいことに」
ミケの言葉に、アフィアが隠しきれぬ苦い表情をしてそちらを一瞬振り返った。
ミケは続ける。
「だから、ルナウルフを『今』増やすことに意味はない。そういう意味では、戦いにおいては心配することはないと思うんです。
ただ…持って帰られるのがまずいのは、僕もそう思います。こんなものほいほい使われたら大変すぎる。
かといって、僕たちが持って帰るのも、村人に拾われるのも困る……いっそ、埋めるしかないかな、と思うんですが」
「埋める、というと?」
「千秋さんがさっきちょっと言ってたんですけどね。あの天井……光が差し込んでるくらいだから、さして分厚くはないでしょう。
あそこを壊せば、ロキさんごとこの金を埋められるんじゃないかな、って」
「それは私たちも埋まるんじゃないだろうか……」
「ですよね。だからそれは最後の……」
ぐおおおぉぉっ。
そんな会話をしているところに、フェイがルナウルフを倒した断末魔が聞こえた。
ガラガラと崩れ落ちる黄金の獣に、仲間たちの表情も僅かに明るくなる。
「…よし、あと1体だね」
「ひとまずは、この戦いに集中しましょう」
二人は言って、最後の一体の方へと駆け出した。

ぐおおおっ!
「くっ…」
一方の千秋はといえば、残る一匹のルナウルフと派手な流血戦を繰り広げていた。
噛んだものを金に変えてしまうという牙にだけ気をつけ、鋭い爪が腕や足を引っ掛けようとお構いなしに剣を振るう。
鋭い爪は千秋の服を派手に引き裂き、腕と言わず胴と言わず無数の傷をつけていた。
「……ふん、散らばった金が血で汚れるのを嫌がっていたからな、正しく嫌がらせにもなるというものだ」
どうやらそのためだけに無茶な流血戦を仕掛けていたらしい千秋。そんな無茶も、切れる端から驚異的なスピードで治っていく傷を前にすれば通ろうというものだった。
「そろそろ飽きてきたな…ならば、こういうのは、どうだっ…!」
千秋はそう呟くと体制を翻し、両手で構えていた2本の刀のうち左手の一刀をふっと放り投げた。
音もなく、さっと空に溶けるようになくなってしまう刀。
「…上手く行ったか」
千秋はにやりと笑ってそう言った。
否、正確にはなくなってしまったのではなく、霧となって彼の体の周りを漂っているのだ。
ミケがいれば、千秋が自らの体を霧に変えて自在に移動することができる吸血鬼のような能力を持っていることを知っていただろうが、千秋はその術を己の刀に使ったのだ。
「そうすれば……こうだっ!」
ぐおおっ!
大きく口を開けてちあきに噛み付こうと襲い掛かってきたルナウルフの、まさにその大きな喉奥に、千秋は再び己の刀を具現化した。
ざす。
ぐおおおおおっ!!
喉の奥に刃を突き立てられ、たまらずのけぞるルナウルフ。
「いいな……このやり方、俺の刀の流派には相性がよさそうだ。なかなか体になじむ」
再び霧に変えた刀を手にして、千秋は確かめるようにそれを握った。
「一刀で斬り、二刀で守り、すぐさま霧に変えて無刀となって相手を掴み、極め、投げて殴る。
このスタイルは……昔見た師範の動きにも繋がるかも知れん。
なるほど、どうやら俺はまだ強くなれるようだな」
その瞳の色に浮かぶは、純粋な強さに対する喜びか、それとも。
ぐおおおおっ。
そこに、フェイがルナウルフを倒した断末魔が聞こえる。
千秋はもう一度ぐっと刀を握り締めると、二刀を構え直した。
「よし、こっちもそろそろケリをつけてやる……!」
と、そこに。
「風よ、裁きの雷を呼び覚まし、金色の獣に架せられた呪いを解き放て!」
ばぢっ。
ぐおおおっ。
ミケの放った雷の魔法がルナウルフを直撃し、ルナウルフは再び苦しげに体をよじらせた。
そこに、フェイが駆け寄ってくる。
「千秋さん!」
「フェイか。よし、いくぞ!」
「はい!」
昨夜のように、二手に分かれる千秋とフェイ。
「ウガアァァァッ!!」
「たあぁぁぁっ!!」
高く跳んで躍りかかるフェイと、下に滑り込んで二刀の切っ先を喉元に向けた千秋の刃が、まるで示し合わせたかのように同時にルナウルフに食い込む。

ごああああぁぁぁぁぁっ。

3つ目の、そして最後の断末魔が洞窟に響き渡って。
がら。がらがら。
金の塊となって崩れ落ちたルナウルフの音だけを残し、再び洞窟内に沈黙が落ちる。
はあ、はあ。
冒険者たちの息遣いが、妙に大きく響いていた。
ざっ。
地面を踏みしめ直し、息を整える間もなく再び構えを取る。
「次は……お前だ、ロキ!」
大剣の切っ先を向け、フェイは高らかに言い放った。

諸悪の根源である、金の瞳をした悪魔に。

黄金の呪いが崩れる時

「…ふむ。戦闘能力に関するデータの採取はこんなところだな。ご苦労だった」
金塊となって崩れ落ちたルナウルフを見下ろしながら、ロキはさして落胆することも、そして高揚している様子もなく、淡々とそう言った。
「…別にあなたのデータ採取に協力したつもりはないんですけどね」
厳しい表情で彼を睨みながら、すっと構えを取るミケ。
「あなたに、それ。持って帰ってもらうわけには行かないんで。
力では敵わないと、わかっていますけどね。抵抗はさせてもらいますよ」
「……そうか」
ロキは淡々と言って、そちらを向いた。
と、そこに。

がざざっ!

鈍い音がしてそちらを振り向くと、アフィアがこれ以上ない不機嫌そうな表情で、地面に散らばる金塊を土ごと蹴り上げていた。
思うより強い力で蹴り飛ばされた金塊は、まっすぐにロキの方へと飛んでいく。
ぱし。
ロキはどうということもなくそれを受け止めると、しげしげと眺めた。
「……持って帰ってもらうわけには行かない、のではなかったのか」
「もちろんそれごと葬ってやりますよ!ファイアーボール!!」
ごっ。
ミケが生み出した巨大な火の玉が、ロキに向かってまっすぐに飛んでいく。
だが。
す、とロキが差し出した手の前で、まるで何かに吸い取られるように、火の玉は跡形もなく姿を消した。
「なっ……」
驚きに目を見開くミケ。
ロキはすっとそちらを向くと、無表情のまま淡々と言う。
「魔力の波動の逆をぶつけることで効果を打ち消す。ディスペルマジック、だ」
「ディスペルマジック……」
その術に何やら覚えがあるのか、ミケは渋い表情で呟く。
と。
「グウォオォォォォッ!!」
咆哮に近い声を上げて剣を振りかぶり、ロキに躍りかかったのは、フェイだった。
「ルガァッ!」
高く飛び上がり、まっすぐにロキに斬りかかる。
が。
びっ。
ロキが指を差し出すと、まるでそれにはじかれでもしたかのように、フェイの体が跳ね返って地面に叩きつけられた。
ずしゃあああぁっ。
派手な音を立てて、地面に散らばる金塊の中を滑り戻っていくフェイ。
が、彼はすぐに立ち上がると、再び剣を構えた。
「ミケさん!」
呼びかけられ、ミケははじかれたように顔を上げる。
「はっ、はい?」
「魔法を!それも、できるだけ広い範囲のやつ、お願いします!」
「そ、それは構いませんが、おそらく効果は……」
「いいから!」
それだけ言い捨てて、フェイは再びロキに躍りかかり、そして再びはじかれて地面に叩きつけられる。
「…っ、なんだかよくわかりませんが……風よ!」
ミケはフェイの意図がつかめぬままに、術を組み上げ始めた。
他の仲間達も、フェイが何をしようとしているのかわからない様子で戸惑ったまま成り行きを見守っている。
ミケの言う通り、広範囲の術ならば先ほどのようにピンポイントで効果を消すのは難しい。だが、その分どうしても威力が落ちる。ディスペルマジックなど使わずとも、魔族ならばまともに喰らったとして蚊ほどのダメージも与えられないのではないかと踏んでいた。
「風よ、炎を援け熱き嵐となれ!」
ごう。
以前組み上げた炎の竜巻の術が、狭い洞窟内に荒れ狂う。
味方を巻き込まないのが精一杯だ。広い空間に熱い風が吹き荒れるのを、仲間たちも身を屈めながら耐える。
「くっ……」
その嵐の中心にいるロキがどうなっているのかもよくわからなかった。
だが。
ひゅう。
風がやみ、それと同時に炎も燃やすものを失って消える。
そこには、さきほどと変わらぬ姿で佇むロキがいた。
「……っ、やはり……」
苦い表情で呟くミケ。
だが。
「であああぁぁっ!」
そこに、間髪いれずに再びフェイが躍りかかる。
ばちん。
そしてまた弾き返され、地面を滑る。
「フェイさん…」
彼の意図が本気でつかめず、戸惑った様子のミケ。
だが、フェイはもう一度立ち上がると、ロキを睨んだままミケに言った。
「やめないでください!もう一度、やまずに攻撃を!」
「しかし……」
「お願いします!」
フェイはそう言って、満身創痍にもかかわらず再び斬りかかっていく。
ミケはその姿を見ながら印を組み、そして隣にいたアフィアに言った。
「アフィアさん、サンダーブレスお願いできますか」
「え」
「僕の術と組み合わせてみたいんです。アフィアさんがブレスを出してくれれば、僕がそれに合わせます」
「…わかり、ました」
戸惑った様子で、それでも頷くアフィア。
ミケはお願いしますと言って再び目を閉じ、精神を集中させた。
ばちん。
そこに、何度目になるだろう、フェイが弾き飛ばされて地面を滑ってくる。
そのタイミングを狙ったように、アフィアが息を吸い込み、ミケが組んだ術を解き放った。

ばぢばぢばぢばぢっ!
「風よ、炎を纏いて雷の裁きを黒き悪魔に下せ!」

ごうっ。
ミケの巻き起こした炎の竜巻が、アフィアのサンダーブレスを巻き込んでさらに勢いを増し、けたたましい音を立てながらロキへと向かっていく。
「うわっ…!」
「これは…」
そのあまりの勢いに、仲間たちも目をかばいながら身をかがめるしかない。
が、そこに。
「ルガァァァァッ!」
大剣を振り上げたフェイが、その嵐の勢いに乗らんとばかりに跳び、剣を振り下ろした。
「フェイさん?!」
「何を……!」
炎と雷の嵐に乗り、斬りかかってくるフェイ。
ロキは僅かに眉を寄せ、それを見上げると。
「……面倒だな」
そう短く呟いて、右手を大きく払うように振った。

「……滅波」

ざあっ。
先ほどのミケの嵐よりも数段強い風が、ロキが振った手を中心に広間中に広がっていく。
何らかの魔法がかかっているのだろう、その風が触れたところからミケの巻き起こした竜巻は侵食されるように消えていった。
「うわあぁっ」
風は物理的な力もあったらしく、空中に跳んでいたフェイはあっという間に跳ね飛ばされ、再び地面に転がる。
ずざざざ、ざっ。
先程までよりかなり盛大に地面を引きずってから、フェイは痛そうに体を起こした。
「いったたた、ったー……」
「フェイさん!」
駆け寄ってくる仲間たち。
だが、術がかき消され、自身は吹っ飛ばされたにもかかわらず、彼の表情は晴れやかだった。

「ははっ、は、やった……!」

「え……?」
その言葉の意味が分からずきょとんとする仲間たち。
やや遅れて、ロキの眉がわずかに寄った。

「…………それが、狙いか」

まるで、彼のその言葉を合図にしたかのように。
フェイの周りに、そして先程の風によって広間中に散らばった金塊のかけらが、一斉に輝きだした。
「な、なに……?!」
「これは……」
突然起きた現象に戸惑う仲間たち。
フェイはまだ痛そうに上半身だけ起こしたまま、勝ち誇ったようにロキに言った。
「『自身の魔力で倒すと術が根本から瓦解する』、だったっけ?
ホント、その通りになったみたいだな!」
「あっ……!」
「そういえば………!」
フェイの言葉で、ミケもワーデンもロキの言葉を思い出す。
フェイが闇雲に突っ込んでいったのも、ディスペルマジックでピンポイントに消すことが難しい広範囲の術を執拗に使わせたのも、すべてはロキに魔法を使わせ、その魔力の波動を広間に散らばる金塊のかけらに浴びせることが目的だったのだ。
金はだんだんと輝きを増し、まるで太陽のようにひときわ大きな輝きを放ったあと。
「………あ………」
「うわぁ………」
音もなく、金色の塵となって霧散し、やがて跡形もなく消え去った。

くっ。
静寂が戻ってきた広間に、小さな笑い声が響く。
くっ、くっくっくっ。
見れば、ロキがこれ以上ないほどに愉しげに笑っていた。
「………成程、な。
なかなか、楽しませてくれる」
おそらく初めて見るだろう、その心底楽しそうな冷たい美貌を、冒険者たちは呆然と見つめていた。
ロキはひとしきり楽しそうに笑うと、ふわりと白衣を翻して踵を返した。

「いずれにせよ全ては終わった。もうここに用はない。
最後の最後、楽しませてもらった」

それだけを言い残し。
す、と。
闇に溶けていくように、白衣姿が音もなく消えた。

しばし、呆然とそれを見守る冒険者たち。
だが、やがて。
「………すごい」
ユキが呆然と言ってから、我に返ったようにフェイを振り向く。
「フェイさん、すごいよ!すごい!」
満面の笑みで、満身創痍のフェイに駆け寄っていく。
その後に、他の仲間達も続いた。
「本当にね、すごいよ、フェイ。あの魔族に一泡吹かせるなんてさ」
フィリーも笑ってそう言うと、フェイは照れたように頭を掻く。
「上手くいってよかったです。イチかバチかだったけど……」
「それでも、私には思いもよらない作戦だった。すごいよ、フェイくん」
笑顔で言うワーデンに、ミケも頷いて同意する。
「本当に。悔しいけど、僕にも全くなかった発想でした。あ、今治しますから、じっとしててくださいね」
ミケはフェイの後ろ側に膝をつき、その背に手を当てて回復魔法を使い始めた。
「一件落着、だな。呪いの根幹になっていた金も、術が瓦解したことでこの世から綺麗さっぱり消えてなくなった。
ロキがいる限りは何度でも作り出せるとも言えるが、今はこれが最上の結末だろう」
すっかり傷も治った千秋が安心した様子で息をつくと、その傍らでアフィアも頷いた。
「…ロキ、一矢報いた、本当、良かった、です」
「そうだね、何といっても金を始末できたことが大きいよ」
大きく頷くワーデン。
「ルナウルフを退け、ロクスさんに金を持ち帰らせないことが成功したとして、その処分をどうしたものかと思っていたところだったからね。
溶かしてほかの金属との合金にして埋める、とかね」
「合金、か?」
千秋が問うと、ワーデンはそちらに向かって頷いた。
「金属というのはほんの少しでも混ざりものがあるとその性質は大きく変わる。よく知られている例だと、銅と錫で出来る青銅などがある。剣に使う鋼なんかもその一種だと言われているね。
今回の場合だと…そうだなあ、聖別された銀なんかが手に入れば一番いいのだろうけれど、予算的に多分無理だから……鉄とか銅でもいい。
追加で提案するなら、フォラ・モントの村の女性たちが長年使っていた鍋やフライパンなんかをね」
「そんなものも、合金の材料にするの?」
意外そうなフィリーの声。
ワーデンは頷いた。
「ああ。人間の精神も、ほんの少し何かが混ざるだけで大きく変わることがある、今回のようにね。金属としての『金』だけでなく、そこに蓄積された百年の恨みつらみに一石を投じるのだとしたら、それはやはり同じ村に生きて家庭の幸せを願いながら日々生きて、そうして死んでいった人間の想いではないのかな、と思ったんだよ。
まあそれもこれも、問題の金が綺麗さっぱり消えてなくなったならば、余計な憂いだったということだ。本当に喜ばしいことだと思うよ」
「そうだな。俺が提案した狐を祀る話も、どうやら必要無さそうだ」
千秋も微笑を浮かべて息をつく。
「まあ、ロキの口ぶりだとフォラ・モントの村の魔術的な特性とかもありそうだし、何かしらやっておいたほうがいいのは間違いない。
ほったらかしにしたせいで邪なたくらみを持った輩が現れて“2度目”が起きてしまったら、これほど悲惨なことはないからな……」
「そうだね、そのあたりはきちんと進言をしたほうがよさそうだ」
頷き合うワーデンとロキ。
そこに、回復魔法をかけ終えたミケが、ぽんとフェイの背を叩いて立ち上がった。
「さ、本当に何もかもが終わりです。
戻りましょう、フォラ・モントに」
晴れやかなその顔に、仲間たちも笑顔で頷き合うのだった。

解き放たれた金の村で

「…では、契約金は確かにお渡しした。契約書も責任をもって渡しておこう。
期日になったら、また取りに来る。色々忙しいだろうが、よろしく頼む」

翌日。
村の出口にある乗合馬車の停留所で、千秋はオードに最後の確認をしていた。
彼と一緒に帰るはずのミケ、フェイ、フィリーもそこにいる。オードの横にはフレイヤと、ワーデンも立っていた。
オードはこの2、3日で随分頼もしげになった様子で、千秋の言葉にしっかりと頷き返す。
「ああ、村の復興も、まずは先立つものがねーとだしな!この仕事、やってくれるやつも手配したし、責任もってやらせてもらうぜ」
「よろしく頼む」
「にしても、もーちっとゆっくりしてってくれても……っても、この状況じゃゆっくりって訳にもいかねーか」
オードが苦笑すると、冒険者たちもふっと笑って雰囲気を和ませた。
「また落ち着いたら、ゆっくり遊びに来てくれよな。ワーデンもいるしよ」
「ワーデンさんは、本当にこの村に残るんですか?」
フェイが問うと、ワーデンは微笑して頷き返す。
「ああ。最大の問題である金はかたがついたけれど、これまで生贄になった娘さんたちの弔いをしたり村長の家の整理をしたり、たぶん猫の手でも必要な状態になるだろうからね。まあそこは気長に。
何年か掛かるかもしれないけれど、人生においては一瞬だよ。
私自身にも他にこれといった目的があるわけではない。なら、こうなったのも何かの縁だ。見届けるのも良いかな、と個人的に思う」
ゆっくりとそう言ったあと、少しだけ悪戯っぽくオードに視線を向けて。
「もちろん、その間に村の金細工のデザインなんかを教えてもらいながらね」
「あ?しょーがねーなー、代わりにワーデンにも細工職人として働いてもらうかんな?」
「ああ、それはもちろんね」
冗談めかして言い合うが、おそらくその言葉の通りになるだろうことは、仲間たちにも知れた。
和やかな雰囲気の中、フレイヤもにこりと微笑んで、フェイに頭を下げる。
「フェイさんも、ありがとうございました。みんなのお墓を作るのを、手伝ってくださって」
「あ、いえ、そんな」
フェイは改めて例を言われたことに驚いたように手を振った。
「ワーデンさんの言うように、ちゃんと弔ってあげたかったし……それに、ちゃんとしたお墓じゃなくても、家族や村長の一族がそれぞれの形で弔っていたようだったから、それをちゃんと形にするお手伝いをしただけですよ」
「それでも、嬉しかったです。ありがとうございます」
笑顔で言うフレイヤの表情に、もう怯えの色は欠片もない。
フェイは安心したように微笑むと、オードとフレイヤを交互に見た。
「昨日も言いましたけど、お二人の結婚式には、ぜひ呼んでくださいね!」
「えっ、あの…!」
「おう!招待状出すから、待っててくれよな!」
再び頬を染めるフレイヤの肩を抱いて、陽気にそう言い返すオード。
「お幸せに。応援してるわよ」
フィリーが言うと、オードはそちらの方にも笑顔を向けた。
「おう!フィリーもありがとな。また遊びに来てくれよ」
「もちろん。それから、何か困ったことがあれば、頼ってくること。いい?」
「ああ、また何かあったら、頼りにさせてもらうぜ」
「よろしい」
鷹揚に頷いて微笑むフィリーに、オードもははっと笑みを返す。
「僕も月並みですみませんが、がんばって村を盛り立てていってくださいね」
ミケもそれに続いて、励ますようにオードに声をかける。
オードは元気いっぱいに頷いた。
「おう!まだまだこれからだけどよ、なんかみんな、夢から覚めたみたいにスッキリしてやる気満々だぜ!」
「そんな感じでしたね…まあ、名産品が無くなったわけですし、その中で村を守っていくのは大変だと思います。若い世代が頑張るのがいいんじゃないかな、と思うんで、ぜひオードさんが先導して頑張っていってください」
「せ、先導か…自信ねーけど、頑張ってみるよ」
「遠くから応援してますよ。……と、そういえば、アフィアさんとユキさんは?」
その問いには、千秋が答えた。
「アフィアなら、オードから依頼料を受け取ったらさっさと帰ってしまったぞ」
「相変わらずドライですね……」
「ユキは飛んで帰るって言ってたわ。そういえば翼人だったわね、あの子」
フィリーがそう言って遠い空の方を見る。
「トレザンドも、最後まで居られたらよかったのにねえ」
「まあ、急ぎの用があったのだから仕方があるまい」
「ちゃんと最後まで解呪ができたこと、お知らせしたかったですね」
「そうですね、本当に残念です……トレザンドさんならきっと喜んでくれたと思いますし」
残念そうに、昨日の突入の時点で急ぎの用を思い出して帰ったトレザンドのことを思う仲間たち。
そこに、申し合わせたようにポクポクと馬車の音が近づいてきた。
「おっ、来たみたいだな。
じゃあみんな、今回はホントにありがとな!
元気でやれよ!」
「皆様、お気を付けて」
オードとフレイヤが礼をすると、冒険者たちは口々に別れの言葉を告げて、馬車へと乗り込む。
4人を乗せて走り出した馬車を、ワーデンはオードとフレイヤと共に、その姿が見えなくなるまで見送るのだった。

「みんなは、ヴィーダに着いたらどうするの?」
動き出した馬車の中で、不意にフィリーがそんなことを訊く。
「俺はそのままナノクニへ行くつもりだ」
千秋は淡々と即答した。
「依頼人の元へ、契約書を届けに行かねばならんからな」
「そういえば今回はどういう関係のお仕事だったんです?」
「いや、単に簡単な仕事を紹介されただけだ。俺だっていつでもあいつの仕事ばかりやってるわけじゃない」
「…別に何にも言ってないじゃないですか」
わけのわからない会話をするミケと千秋をよそに、フェイが続けて言った。
「僕はまた、ヴィーダで仕事を探すつもりです。美味しくご飯を食べるには、先立つものも必要ですからね!」
「今回はそんなにたくさん報酬はもらえなかったしね」
冗談めかしてフィリーが言うと、フェイは不服そうに口を尖らせる。
「今回は、それでいいんですよ。それはそれ、これはこれ、です」
「まあ、私もそれは同感だけど」
「僕も新しい仕事は探すつもりですが、その前に行きつけの喫茶店へ行くつもりです……」
「…喫茶店?」
「ええ………ちょっと物申したい人がですね…」
微妙に座った目つきで言うミケに首をひねりながら、フィリーは改めて仲間たちを見回す。
「みんなは、冒険者やって長いの?」
「そう……ですね、それなりには」
「そうだな」
「僕は、長いというほどではないかもしれません」
ミケ、千秋、フェイがそれぞれに言うと、フィリーは神妙な面持ちで3人に訊いた。
「じゃあ、もし知ってたら教えて。
人を探してるの」
「探し人……ですか」
「ええ」
ゆっくりと頷いて、フィリーは続けた。
「赤毛で長髪の綺麗めの男エルフなんだけど。瞳は金よ。エルフなんだけど耳が短いの、切り取った感じ。
あと槍を持ってる冒険者風。魔法は使わないわ。使えないのか知らないんだけど。
あまりエルフに見えないのよね。耳を隠してたら種族がわからない」
「うーん……」
眉を寄せて首をひねる仲間たちに、フィリーはじれたように言葉を重ねる。
「…これだけじゃ情報少ないかしら。
あぁ、名前は名乗らないと思う。名乗っても偽名だからアテにならないわね。
冷たくて印象はよくないほう。けど本当に困ってると助けてくれるはず。
嫌味な男だけど人情は捨てきれてないのよね」
「そう…なんですか。ちょっと…心当たりはありませんね」
「俺もだ。役にたてなくてすまんが」
「あ、いいの。知ってたら、って思っただけだから」
首を振りながら努めて明るく言うも、わずかに落胆の色を残すフィリー。
ミケは恐る恐る、彼女に聞いた。
「あの……その方は、どういった…?」
「ああ、ごめんね、私ばかり一方的に」
が、フィリーは対照的にさばさばと笑ってみせた。
「相棒なのよ。はぐれちゃってね、ずっと探しているんだけど」
「そうなんですか…すみません、お役に立てなくて」
「いいのよ、自力で探すだけだから。
ヴィーダは大きな都市だしね。色々聞きまわれば、何か情報もあるでしょ」
「そうだな。月並みだが、見つかることを祈っているよ」
「ありがと」
フィリーはにこりと笑うと、馬車の進む方向へと視線を向けるのだった。

「………あれっ」
空を飛んで帰路に着いていたユキは、下に広がる森からチカッと何かが光ったのに気がついた。
「……なんだろ」
不思議に思って着地してみる。
森の中を一本通る道。おそらくは最初に来た馬車道だろう。
ミケたちが通るのはまだ先で、辺りには何もない。
「気のせいかな……?」
不思議に思いながら歩いていると、不意に。

カッ。

横からナイフが飛んできて、ユキの横にあった木の幹に刺さる。
「!………」
全く気配を感じなかったことに驚きつつも、ナイフが飛んできた方向にさっと身構えるユキ。
だが彼女が見たのは、彼女の予想から最も遠いところにいたものだった。
「これしきの事にも気づかないとはな」
低く、抑揚のない声。
全身を黒い装束で包み、肩までの銀の髪の隙間から覗くのは艶やかな美貌と鋭い漆黒の瞳。
ユキは信じられないものを見るように目を丸くし、それから彼の名を呼んだ。
「リグさんっ!?」
そう。それこそが彼女の探し人であり、師匠であり、そして思い焦がれる人である、リグトゥ・ファレゼその人だった。
「リグさん、やっと……!」
「勘違いをするな」
駆け寄ろうとしたユキを、だがリグは冷たい言葉で止めた。
「かん…ちがい……?」
「お前が俺を見つけるのは、俺がお前に課した試練だ。姿を消した俺を、お前自身の力で見つけることに意味がある。
俺の方から姿を現したのだから、試練は達せられていない。お前は、まだ不合格だ」
「……そっ、か……そう、だよね……」
しゅんとして俯くユキ。
リグは小さく嘆息すると、淡々と言葉を紡いだ。
「…戦いの音がするから覗いてみれば、何だ、あの戦いは」
「…えっ」
それは、昨日のルナウルフやロキとの戦いのことを言っているのだろうか。
きょとんとするユキに、リグは言葉を続けた。
「ナイフはもっと効率的に使えと言ったはずだ。踏み込みも甘い。一つ間違えばお前が喉を切り裂かれていたところだ。
何より後半の、あの魔族の男との戦いに至っては、お前は何もしていない。奴の話をよく聞いていれば、あの獣人の男と同じ考えには至れたはずだろう」
淡々と、しかし容赦なく襲いかかる師匠のダメ出しを、ユキは悄然と聞いていた。リグもそれが当然とばかりに、なおも淡々とダメ出しを続けていく。
やがて一通りダメ出しを終えると、リグは息をついて最後にこう締めくくった。
「…以上だ。精進しろ」
それだけ言うと、踵を返して脚を踏み出そうとする。
ユキは慌てて顔を上げた。
「リグさん!」
リグはその声に立ち止まり、視線だけをユキに返した。
ユキは逡巡した様子で、しかしたどたどしく思いを口にする。
「もし……もし、なんだけど……僕が間違った道に進んだら……命をなくさなきゃならなかったら……驕るようになったら……リグさんは、どうする?」
今回のことで、彼女もなにか思うことがあったのだろう。
何かに迷うように瞳をさまよわせながら、ユキはリグに訊いた。
もし、自分がナンナのように、意に反して誰かを憎まされ、殺させられるようなことになったら。
もし、自分がバルドルのように、命を捧げて誰かを救いたいと心に決めたら。
もし、自分がルナウルフにされた女性のように、全てのものは自分のためにあるのだと驕る心をもってしまったら。
その時、最愛のこの人はどうするのだろうか。
答えを聞きたいような、聞きたくないような複雑な心境で、ユキはリグを見上げた。
しばし、沈黙が落ちる。
やがて、リグは沈鬱そうに、はあとため息をついた。
「…………馬鹿弟子が」
「……え」
「……弟子が教えを誤ったら、叩き直すのが師匠だろうが。
半人前以下が馬鹿なことを聞くな」
「!………」
普通に聞けば罵倒の言葉も、ユキの表情を開かせるには十分だった。
もし自分が誤った道に行っても、この人は助けてくれる。その事実が彼女を笑顔にした。それだけで十分だった。
「……うん……!」
満面の笑顔で頷く彼女を一瞥し、リグは再び踵を返す。
「早く俺を捕まえろ」
その言葉とともに、リグの体は竜巻のような突風に巻かれた。
びゅう。
「うわ……っ」
思わず目をかばって腕を交差させるユキ。
風はすぐに収まり、目を開けた時には、そこには誰もいなかった。
「リグさん……リグさん…!」
二、三歩、彷徨うように足を踏み出してから、ユキはさっと翼を出し、空へと飛び立つ。
愛しい人の姿を探して、彼女は再び空を翔けた。

そして、そのさらに高みから。
リグは彼女の姿を見下ろし、彼女には決して向けなかった暖かな笑みをこぼすのだった。

「ちょっと、マスター!」
からんからん。
ドアベルが鳴るのにかぶせるようにして、ミケはそう言いながら店内に入った。
ヴィーダ中心部、サザミストリートにある小さな喫茶店、『ハーフムーン』。
年中無休で閑古鳥が鳴いているこの店だが、日も暮れ夜になったこの時間はマスター一人しかいなかった。
「お、ミケくんじゃーん、いらっしゃい、久しぶりー」
相変わらずののほほんとした様子でミケを出迎えるマスター。
しかし、その様子とは裏腹の妖艶な美貌に非常に良く似た眼鏡白衣に、つい最近まで悩まされたばかりだった。
ミケはどっかりとカウンター席に座ると、ずい、とマスターに詰め寄った。
「……すみません、出先で会ったお宅のお兄さん、凄くおかしいんですけど!」
「はいー?」
唐突なミケの言葉に、マスターは面食らった様子で言葉を返して、しかしすぐにいつものようにへらっと笑った。
「すごくおかしいお兄さんって、どのお兄さんかなー?」
「そんなにたくさんおかしいお兄さんがいるんですか」
「僕のお兄さん達、一番上以外は満遍なくおかしいからねー。お姉さんも妹さんもみんなそうだけど」
「ま、マスターはおかしくは…………いえすいませんなんでもありません」
「ははは、ミケくんはそろそろ世渡りを覚えたほうがいいよねー」
マスターはさして気にする様子もなくそう言うと、慣れた様子で注文を取り、あっという間に作ってミケの前に並べた。
「はい、コーヒーとフォンダンショコラ。ポチくんにはミルクね。まあちょっと落ち着いてよ」
「とっても落ち着いていられないんですけど、すいません、いただきます」
ミケは香りのいいコーヒーを一口飲んで、息をつく。フォークを入れたフォンダンショコラからはとろりとチョコレートが溢れ、口に入れるとまろやかな甘みとカカオの香りが口いっぱいに広がった。相変わらずこの店のメニューは無意味に美味しい。
「で、おかしいお兄さんっていうとー、現世界にいるんだったら、ロキ兄かな?」
「そうです、その人です」
なおも軽い調子で言うマスターに、ミケは憮然として肯定した。
「どういう人なんですか、あの人」
「どういう人もこういう人も…ああいう人だよ。なんつーか、属性で言うとドS?」
ははは、と軽く笑い返すマスター。
「その調子だと、呪いの実験台にでもされた?」
「呪いの実験台っていうか、実験台の性能テストをさせられました」
「あはー、そりゃ災難だったねえ」
完璧に他人事といった様子でからから笑ってから、マスターは自分に入れたコーヒーを一口飲んだ。
「ロキ兄はね、上から3番目の男子だよ。ロッテちゃんのお父さんと、キルくんのお父さんの下のお兄さん。
まーヘンつうか、学者さんだよね。自分以外のものはみんな実験台だと思ってると思うよ」
「やっぱりですか……」
「ま、それは僕やチャカちゃんとかだって一緒だしね。人間とか魔族とかそういうことで態度変えたりはしないよ。そーゆー意味ではなんつーか、分け隔てない人だよね」
「分け隔てなく酷いんですね」
「ま、そーゆーこと」
マスターの言葉に、ミケは嘆息した。
「まぁ、なんていうんだろう、学者・研究者としては分からなくもない、んだろうな、と思うんです。僕も新しい魔法とか開発したら使ってみたいと思うだろうし。
ただ、モルモットがネズミでなく人間だと言うだけで。……僕も人間だから、それが大変気に入らない、というだけで」
「まー、モルモットもネズミも、人間に対してそう思ってるだろうしねぇ」
「ですよねぇ」
もう一度ため息をつくミケ。
「あとはまぁ…チャカさんのことを『駄妹』って言ってたのがちょっと、イラッと」
「ああ、言うよねー。僕もしょっちゅう『駄弟』って言われるよ。一瞬何言ってるのかと思うよね、だまい、とか」
「なんていうか、マスターやロッテさんのこともそうですけど、チャカさんだって僕はその、まあ、決して嫌いじゃないというか、一目置いているんで…聞いて『なんだと?』と思う程度には」
「ははは、今度チャカちゃん来たら伝えとくね、ミケくんの熱い思い」
「やめといてください…」
「それとも百合ちゃんに言う?」
「それはもっとやめてください」
ひとしきりマスターと会話を楽しんで(?)から、ミケはもう一度息をついて空のカップを置いた。
「ごちそうさまでした。ロキさんのこと、話してくれてありがとうございました」
「まー弱点とかそういうのはなしてあげられなくてゴメンけど。僕も知らないし」
「いえ、別にそういうのが聞きたかったわけじゃないんで。ただどういう人か知りたかった、っていうか」
「あはは、ミケくんらしいね。そういう、いかにも寿命を縮めそうなことばっかりするの」
「ほっといてください。じゃあ、これ代金です」
「はーい、まいどありー」
ちゃり。
ミケから代金を受け取ると、マスターはひらひらと手を振った。
ミケはもう一度ごちそうさまでしたと礼をすると、そのまま店を後にする。
マスターはミケの残した食器をカチャカチャと片付けながら、誰にともなく話しかけた。

「…だってよ、ロキ兄。よかったじゃーん、高評価?」

その言葉に呼応するように、すう、とカウンターの末席に人影が現れる。
白衣に身を包み、短い黒髪をオールバックにした、マスターによく似た男性。今の今まで話に上がっていた、ロキ本人だった。
「高評価をもらいたいと言った覚えはないが」
「まあそう言うと思ったよ。んじゃ、ロキ兄の方はどうなの」
「どう、とは?」
「あのコたち。チャカちゃんも言ってたでしょ、面白い、ってさ。
ロキ兄的にそのへんどうだったのか、僕もちょっと気になるねぇ」
慣れた様子でカクテルを作ってロキに差し出すと、マスターはいたずらっぽくウィンクした。
ロキは渡されたカクテルを一口啜り、冷たい視線を横へと逸らす。
しばしの沈黙。
「……面白い、か」
ふ。
薄い唇が、不敵に歪められる。

「…成程、駄妹の言うことも時にはあてになることもある、と言ったところだな」

「でしょー」
マスターは嬉しそうににこりと微笑む。
ロキはもう一度カクテルに口をつけると、横に逸らした視線をそのまま窓の外へとやった。

窓の向こうには、すっかり暮れたヴィーダの街並みが広がっている。
ロキは虚空を見るような瞳でそれを見やると、独り言のようにつぶやいた。

「人間というものは、思ったより興味深い生き物だ。研究し甲斐のある存在、だな」

マスターはそれを聞いているのかいないのか、上機嫌で片付けを続けている。
ロキの放った言葉は誰にも捉えられることなく、暮れていくヴィーダの街並みの中に、溶けて、消えた。

“Sacrifice for the GOLD” 2013.1.26.Nagi Kirikawa