黄金の乙女の、最期の嘆き

怖いのは。

何よりも、怖いのは。

わたしを斬りつける刃でも、
わたしを焼く炎でも、
わたしを罵倒するひとの言葉でもない。


ニクイ


わたしのものでない声


シネ


わたしのものでない意思


ミンナ、ホロビテシマエバイイ


わたしのものでない、呪詛。


わたしを侵食していく、暗くどろどろとした何か


わたしが、わたしでなくなっていく。
わたしでないなにかに、ぬりつぶされていく。


それが

何よりも、怖い。

眩き獣との戦い

「ルナウルフ、こっちよ!」
フィリーがそう言って地面に剣を突き立てたので、仲間たちはぎょっとしてそちらを見た。
フィリーは戦意がないというように剣から手を離し、挑発的にルナウルフに手を差し伸べている。
「フィリーさん?!」
ユキをかばいながらも唖然としてそちらを見るフェイをよそに、ルナウルフはのそりと体の向きを変えた。
ずしん。
大きな前足が地面に降りる度に、小さな振動が地面を揺るがす。
緩慢な動作で向きを変えたあと、ルナウルフは一気にフィリーに向かって地を蹴った。
「フィリーさん!」
フェイの後ろに立っていたユキが悲痛な声を上げる。
だが、フィリーは余裕の表情で、自分に向かってくるルナウルフをしっかりと見据えると、差し出していた手を自分の口元へと向けた。
に。
不敵に唇を歪め、人差し指と中指をそこに当てると、投げキッスのようにそれを再びルナウルフに向かって差し出す。
と。
ごう、という音と共に、フィリーの周りから強烈な風がルナウルフに向かって吹き荒れた。
よろり。
風がルナウルフの巨躯をわずかに揺らし、軌道を変える。
その隙に、フィリーは地面に刺していた剣を抜き放ち、ルナウルフに向かって構えた。
がぎ。
そこに、体制を立て直して襲いかかってきたルナウルフの爪が襲いかかり、ぎりぎりと鍔迫り合いの音を響かせる。
「くっ……!」
さすがに歴戦の冒険者といえど、女性の身で自分の背丈の倍以上はあろうかという獣を跳ね除けるのは厳しいものがあるようだった。
じりじりと、妙に生臭い息遣いとともにルナウルフの牙がフィリーに迫っていく。
と、そこに。
「でやあぁぁぁっ!」
ざす。
ぐおおおぉ。
高く地を蹴ったフェイの剣が、無防備な背後からルナウルフを斬りつけ、たまらずルナウルフは身を捩らせて後退した。
「フィリーさん、大丈夫ですか!」
「どうにかね。助かったわ、フェイ」
剣を構え直すフィリーに、フェイは油断なくルナウルフに剣を向けながら、視線だけを彼女の方に向ける。
「フィリーさんも、ユキさんと一緒にさがっていてください。噛まれたらフィリーさんまでルナウルフにされてしまうんですよ?」
「でも、私は」
「自分の力を過信するのは危険です。現に、今噛まれそうになっていたじゃないですか」
「っ、それは……」
フィリーは悔しげに眉を寄せ、しかし何も言い返せずに口をつぐむ。
フェイは再びルナウルフの方に視線をやると、落ち着いた声音で言った。
「風の魔法が使えるなら、遠くからそれで攻撃してください。用心に越したことはありません」
「……わかったわ」
フィリーは頷いて剣を収めると、フェイの言うとおり後退した。
そこに、心配げな表情のユキが駆け寄る。
「フィリーさん!」
「ユキ、大丈夫?」
「僕は、フェイさんがかばってくれたから……フィリーさんはなんともないですか?」
「ええ、私もフェイに助けられたわ。でも、下がってろって言われちゃった」
「そうですよ!噛まれたら大変なんですから!」
ユキは拳を握って力説した。
「僕も、戦えはするんですけど近接武器が専門だから、今回は出番がないんです…遠くから石を投げるくらいしか…」
「そ、それはどうかな…あまり刺激しないほうがいいのかも…」
「うう、ですよね……フィリーさん、できるだけ遠くに、一緒にいましょう」
「でも……」
「ユキ、言う通り、思います」
淡々と割って入ってきたのは、アフィア。
「ルナウルフ、標的、あと、戦えない人、遠くに固まる、正しい。
狙われる方向、わかる、守りの人、最小限になる。
ユキ、フィリー、分散する、ルナウルフ、どこ行くか、わからない。危険です」
「なるほど……不本意だけど、アフィアの言うことに従うわ」
フィリーは頷いて、ユキと共にバルドルの方へと向かう。
アフィアはそれを一瞥し、ルナウルフの方に向き直った。
視線の先では、フェイがルナウルフと対峙している。
フィリーとユキは狙われているので員数外。ワーデンは自ら戦力にならないと言っていた。
あとのメンバーは…
と、アフィアは冷静にその場を見渡した。

「バルドルさん、バルドルさん。しっかりするんだ」
ワーデンはトレザンドに頼んで、呆然と膝をつくバルドルに語りかけていた。
「わからないかもしれないが、ワーデンだ、こんな姿で失礼だが手短に言っておく。
今から解呪を試みようと思うが、万が一に賭けてかえって徒に苦しみを長引かせるだけに終わるかもしれない、それともできるだけ速やかに終わらせるのとどちらがいいか」
ワーデンを肩に乗せていたトレザンドが、彼の発言に静かに驚いていたが、ワーデンは構わずに続けた。
「貴方はどうしたいか、ナンナさんならどう願うだろうか」
「………」
バルドルはワーデンの話が聞こえているのかいないのか、焦点の定まらぬ瞳を虚空にさまよわせている。
ワーデンは焦りをにじませたため息をついた。
と、そこにトレザンドが片眉をひそめて話しかける。
「ワーデンくん、解呪というのは…」
「ああ、もちろん、ナンナさんにいまかかっている、ルナウルフになるという呪いを解くということだ」
「そんなことができるのかね?」
「いや、やったことはないよ。それでも、何もしないよりかはましだと思うから」
ヤマネでは表情はわかりにくいが、苦笑の雰囲気をにじませてワーデンは言った。
「正直、私自身がナンナさんの立場でかつわずかなりと正気を残しているのなら、『いっそ殺してくれ』と言う状態だ、と思う。精神の髄までルナウルフになってしまっている方がまだ楽だ。
それでも、私はナンナさんを元に戻してあげたいと思う。何のことはない。こういう結末に持って行きたいという勝手な理想は、たぶん私の単なる我儘だ。
恨むなら恨んでくれとも思うし、多分そうしたほうがバルドルさんも楽だろうね」
「僕も、賛成です」
そこに、いつのまにやってきていたのか、ミケが頷いて同意する。
「魔族の呪いが、僕の風魔法で解呪の代用になるとは思えませんし、ワーデンさんと協力しても解けるかどうかはわからない。
それでも、戻せるかどうかはやってみないことにはわからないと思います」
「そうだろうか…正直、俺は無理だと思う」
言いにくそうに、だがはっきりと言ったのは、千秋だった。
「千秋さん…」
「そもそも解呪の魔法なんてものを使える人間を神官以外に見たことがない。
ナノクニでは多少心得のある人間を見たことはあるが、ことここにいる面子でそういうのが出来そうな奴はいなさそうだな。
俺の使える技も極めればあらゆる魔法、呪い、その他もろもろを気合とともに破することができるらしいが、残念だがそれほどの力量ではない。今は精神魔法を解くくらいしかできんな」
咎めるようなミケの視線に、千秋は渋い表情で続ける。
「それに、もし俺の考えが正しければ、ただ単に呪いを解くだけでは何も改善しない。
本業の魔術師であるミケなら分かると思うが、姿かたちを変える魔法には大別して2種類あると聞く。
ひとつは一時的に姿を変える変身の魔法。『自然なものを不自然なものに変えて留め置く』のだから、魔法が解ければ元の自然な状態に戻るのがこれだ。
カエルに変えられた王子様にお姫様がキスをしたら元に戻った、というのはこの類だろう。
もうひとつは体そのものを作り変えてしまう変質の魔法。同じ不自然な状態に変えるといっても、こちらは『不自然な状態が自然な状態になるように造り替えてしまう』魔法だ。
もし呪いを解いても、既に作り変えられてしまった体は元には戻らない……
過去の生け贄の犠牲者からルナウルフが消えても、元の金のまま砕け散ったというのがその証左だ」
「………」
言い返す言葉が見当たらず、黙り込む二人。
千秋は更に続けた。
「打ち消す方法はとりあえず3つ、解呪のみならず変質そのものをなかったことにできるような高位の魔法か、同じ変質の魔法をかけるか、より強い呪いで上書きするか。
ほかにもあるのかも知れないが聞いたことがあるのはこれだけだ。
あいにくどれも……この場で何とかできるものではない」
嘆息して、ルナウルフの方に視線をやって。
「……ただ、倒すにしても方法は選べるのではないかと思う。
例えばナンナが生け贄になったというとき……やはり前代の生け贄がルナウルフとなり、噛み付いてナンナを黄金に変えた後は魔力を使い切ったせいで元の生け贄は砕けた。
逆に考えれば、犠牲者を黄金に変えるだけの魔力を使い切れば相手は勝手に砕けるのではないか?
黄金像の魔獣ならば活動するだけで魔力を消費するように思えるし、犠牲者を黄金に変えたあとにすぐ砕けるならば10年置きの魔力とやらも人一人を黄金に変えるだけで精一杯なのかも知れない。
そう考えれば、ひたすら時間稼ぎに徹して相手の魔力を削りきればルナウルフを滅することもできるんじゃないか?」
「砕けたのが魔力を使い切ったからかどうか、わかりませんよ。魔力が新しい素体に移ったから、古いものには用がなくなった、とも考えられる」
ミケが言い返すと、千秋は肩を竦めて言った。
「あくまで可能性の問題だ。少なくとも俺はそのつもりで戦う。持久力にはそれなりに自信はあるし、諸事情で怪我もすぐに治る。
もしミケたちががんばるにしても、前衛が押し留める必要はあるだろう」
「そう思う、早く、加勢する、いい、思います」
そこに唐突にアフィアが横槍を入れる。
いつもの淡々とした、しかし僅かに冷ややかな声音で。
「今、前衛、フェイ、一人。呪い、解ける、解けない、答え、出ない。長話、無駄、思います」
「長話をしてるのは千秋さんだけです」
「おい。……いや、うん、その通りだ。すまん」
千秋は首を縮めて、早速足を踏み出した。
「俺はさっきも言った通り、持久戦に持ち込むつもりだ。解呪がもし成功するとして、仕掛けるならその間に頼む」
「……わかりました」
フェイに加勢するために駆けていく千秋を、苦い表情で見送るミケ。
「…もし千秋さんの言う通りだったとしても……魔力を使い切られて、砕けられては困るんです。
もちろん、普通の手段で倒すのも。僕たちの目的は、ナンナさんを元に戻すことなんですから……」
「…そうだね。微力ながら、私も協力するよ」
トレザンドの肩に乗っていたワーデンが言い、ひょいとトレザンドの方を向く。
「トレザンドくんも、よかったら協力してもらえないかな」
「ううむ……私も解呪をかじってみたことはあるがね、あくまで書物の知識で、実践したのも本当に試しの程度だから…どこまで力になれるかは」
「それでも構いません」
それには、ミケが真剣な表情で言った。
「一人では無理でも、何人かの力が合わされば。小さなものでも、呪いを解いた経験があるなら心強いです。僕は完全に専門外で、解呪をやってみたこともないですから」
「え、ええっ、やったこともないのに解呪しようとしているのかい?!」
度肝を抜かれた様子で言うトレザンド。
すると、ワーデンもこともなげに肩の上で頷く。
「私もそうだけれどね」
「な、なんだって?!」
ではこの中で解呪経験者は自分だけなのか、と、かなり呆れに近い驚きの表情で、トレザンドは言った。
「解呪の経験が全く無いのに、よく魔族のかけた呪いに挑戦しようだなどと思うね?!」
「それは…何事も、やってみないとわかりませんし」
「そうだね。少しでも可能性があるのなら、私はそれに賭けたいと思う」
「言葉は綺麗だけれどね……」
途端に苦い表情をするトレザンド。
まさか二人共、解呪の経験が無いのに魔族のかけた呪いを解こうとしているなどとは思わなかったのだ。
「それでいいですか、アフィアさん」
ミケは真剣な表情のまま、アフィアの方を向いた。
アフィアは先ほどの硬い表情のまま、首をかしげる。
「なぜ、うちに、訊きますか」
「……いえ、何となく、アフィアさんは反対するかなと思って」
「意味、わからない。解呪、反対する、理由、ない。賛成する、理由も、ない」
「…そうですか」
「解呪、する、戦闘、危険になる、なら、反対。今、前衛、フェイ、千秋。うち、後ろ、サポート。ワーデン、ユキ、フィリー、下げて、守る。
ミケ、トレザンド、解呪、回る、すると、戦闘、フェイ、千秋、うち。この3人、危険になる、解呪、諦める、いい、思います」
「……そうですね、わかりました」
要は、戦闘を担当する3人が危険になるような状況まで解呪を長引かせるならば、諦めて戦闘に加われ、ということであるらしい。
ミケが頷くと、アフィアはそれきりそちらに興味を失ったように、ルナウルフの方を向いた。
そこには、ちょうど千秋とフェイの刃を逃れてこちらへ向かってこようとするルナウルフが。
ばりばりばりっ。
間髪いれずに、アフィアから放たれた雷の嵐がルナウルフに襲いかかる。
ぐおおぉぉっ。
今は獣の姿をしているとはいえ、もともと金属であったルナウルフにはかなり効いたらしい。巨躯を仰け反らせて後退すると、ルナウルフは苦しげにのたうった。
「す、すごいね……」
「魔法のようには見えませんでしたが…アフィアさんがやったんでしょうか」
「しかし、ルナウルフだとわかっていても、ナンナさんが苦しんでいるようで心が痛い」
ワーデンが重い口調で言うと、ミケも頷いた。
「早くとりかかりましょう。苦しみは少しでも短いほうがいい」
「ああ、そうだね。トレザンドくん、よろしく頼むよ。きみの解呪の力が必要だ」
「え、あ、え?」
応とは言っていないはずなのだが、いつの間にか解呪のメイン戦力に組み込まれているようで、動揺してきょろきょろと辺りを見回すトレザンド。
「いや、しかし、その…そうだ、バルドルくんが危険に晒されるからね、私はそちらを…」
「こっちは任せて!」
こちらもいつの間に来ていたのか、バルドルの傍らには後退してきたユキとフィリーの姿があった。
「僕たちも前に出るのは危険だし、バルドルさんを守りながら後ろの方にいるから!」
「不本意だけど、私もそうするわ。隙があれば風の魔法で牽制はするから、こっちは大丈夫よ」
「そ、そうか、それは、頼もしい、ね……」
トレザンドは表情を引きつらせ、諦めてミケの方を向いた。
「…で、では、かかろうか、ミケくん」
「はい、よろしくお願いします」
ミケとトレザンド、そしてその肩に乗るワーデンは、真剣な表情でルナウルフを見据えた。

「くっ……!」
千秋はルナウルフの爪を弾き飛ばし、返す刀でルナウルフの前足を斬りつけた。
ざす、という手応えはあるが、血が流れた様子はない。金の乙女像から生まれた獣だから金で出来ているかと思ったが、別段そうではないようで。しかし血が流れないあたりは、呪いが生み出した、この世の理を無視した存在なのだろう。
ぐるるる、という音が、確かに自分の刃がダメージを与えていることを教えている。
「どうにも、やりにくいな…」
金かと思えばそうではない、血は流れないがダメージは与えられているようで。
そもそもこれは魔物ではなく、呪いが姿を変えてしまった、罪のない哀れな村の乙女なのだ。
ざっ。
そこに、ルナウルフの後ろからフェイが大剣で斬りつけ、ルナウルフはうなり声を上げて体を仰け反らせた。
「大丈夫ですか、千秋さん!」
「ああ、問題ない。ダメージは与えられているようだが、どうにもやりにくいな」
「ええ、刃を寝かすことで多少手加減はしてるんですが…」
「あまり消耗している様子は見えんな…もちろん、見た目ではわからんが」
「ええ。千秋さんの言うとおり、魔力切れを狙ってはいますが…」
「…ミケの言うように、魔力が切れるという問題ではないのかもしれんな…」
千秋は厳しい表情で眉を寄せ、再び刀を構える。
それこそ乙女像の姿のままであったならば、素手で関節を取ることもできたかもしれないが…いくら術を使ってあらぬ方向から動きを封じようとしたところで。相手が自分の倍以上もある獣ではいかんともしがたい。
逆に刀が通じることは幸いではあるのだが。
千秋は嘆息した。
「何にしろ、ミケたちが解呪に成功するか、諦めるかまで…時間を稼がねばならん」
「…そうですね!」
二人は気を取り直して、ルナウルフと対峙した。

「ナンナさん……」
ミケはトレザンドと魔力の波長を合わせ、ひたすらルナウルフにかけられた魔法の波長を探っていた。
トレザンドの肩に乗っているワーデンも、それに力を送るようにして協力している。彼はもともと冒険者でないのもあるが、何より今はヤマネの体を維持するのに魔力を使っているせいで、持てる魔力の全てを注ぎ込めないのが現状だった。もともと持っている、相手の力を高める魔法をトレザンドとミケにかけることで、二人のサポートをしている状態だ。
トレザンドに解呪の簡単なレクチャーを受け、ミケは彼と協力してルナウルフの魔力を探る。
ドアの魔力を感知した彼にならばわかる。この魔力は、あのドアに残された爪痕にわずかに残っていた…魔族の波動と同じものだ。
知りたくはないがよく知っている、暗く、冷たく、ねっとりと皮膚に絡みついて侵食してくるような、底冷えのする魔力の波動。
ミケは確信していた。この魔力の波動は、彼がよく知っている、あの一族のものである、と。
だが。
「………ダメだよミケくん。これは私の手には負えない。呪いの構成が複雑すぎる」
トレザンドは目を閉じたまま、焦ったようにそう言った。
「呪いを解くには、高度な聖なる力を以てするか、あるいは呪いを構成している魔力を力ずくでほどいていくしかない。
しかしこれは…さすが、魔族の呪いだ。ほどいてもほどいても、その先にまた緻密な構成の壁がある。これを全てほどくには、年単位の時間が必要だ…!」
「くっ……!」
トレザンドの言葉は的確だった。彼よりももっと魔導に長けているミケも、さすがにこの構成の前には歯が立たないことを認めざるを得ない。
あの一族の力に敵わないことなど、わかっていた。わかってはいたが。
「……っ、ナンナさん……!」
呪いの鎖を魔導の力で必死に引きちぎりながら、ミケはあらん限りの心の声で訴えた。
「ナンナさん、聞こえませんか?!
もし少しでも、あなたの心が残っているのなら、答えてください!
このまま死んで、いいんですか!
バルドルさんが、あなたが愛し、あなたを心から愛している人が、こうしてあなたを想って、あなたと共に死ぬ覚悟でここに来ているんです!」
ぴくり。
心の声と共に実際に口にも出しているミケの言葉に、呆然としていたバルドルの体がかすかに動く。
ミケはそのまま、続けた。
「ナンナさん、聞こえませんか!
何か、彼に伝えたいことはないんですか?!もう、こんな機会は二度とないんですよ?!」
叫ぶようにしてそう言ってから、バルドルを振り返って。
「バルドルさんも!ナンナさんに、呼びかけてください!あなたの声なら、聞こえるかもしれない!」
「っ………」
今度こそ完全に正気を取り戻した目で、バルドルは戸惑ったようにミケの方を向いた。
「ナンナさんを助けたくてここまで来たんでしょう!諦めないで、がんばってください!」
「っ、がんばれ、ったって、どうすれば」
「ここに来て!僕の背中に手を当てて、ナンナさんに呼びかけてください!
言葉に出せば、そのまま僕がお伝えします!」
「……っ」
バルドルは一瞬逡巡し、しかしすぐに立ち上がると、ミケに駆け寄った。
その背に手をあてがって、目を閉じて俯き、吐き出すように叫ぶ。
「ナンナ……!」
悲痛なその声は、最後の希望に必死にとりすがる彼の気持ちを痛いほどに表していて。
傍らにいたフィリーやユキも心配そうにその様子を見やった。
バルドルはゆっくりと、だが大きな声で、さらに続けた。
「ナンナ、頼む、頑張れ…!
もう一度……もう一度だけでいい、俺に、お前の声を……!」
「バルドル……」
「っ……!」
その姿を見ていたユキが、たまらないといったように駆け出す。
たたっ。
バルドルのとなりで足を止めると、彼と同じようにミケの背に手を当てて、目を閉じる。
「僕も呼びかけるよ…小さい声かもしれないけど、ナンナさんに気づいてもらうために…!」
そして、真剣な表情でナンナに語りかけた。
「ナンナさん…お願い、答えて…!バルドルさんと、もう一度…話したいでしょ?がんばって…!」
「ユキ……」
その姿を呆然と見ていたフィリーだったが、やおら彼女と同じように駆け出し、ミケの背に手を当てる。
「私も協力するわ。ミケ、私の魔力もよかったら使って」
目を閉じて、集中して。
「ナンナ、聞こえる?バルドルがあなたを待ってるわ。頑張って…!」
「みなさん……」
ミケはその様子に呆然とつぶやくと、きっと表情を引き締めて再び目を閉じた。
「ナンナさん、聞こえますか。
こんなにたくさんの人が、あなたの声を待っています。
もしあなたの心が少しでも残っているのなら…答えてください…!」
なおも呪いの構成をほどきながら語りかける。
ふわり。
ミケを中心に、バルドル、ユキ、フィリー、そしてワーデンやトレザンドの魔力と想いを乗せた魔法の波動が巻き起こり、洞窟内を満たしていく。
「……?」
「これは……」
突如、ルナウルフが動きを止めたことに、千秋とフェイは戸惑ったように剣先を下げた。
ぐぐ。ぐぐぐぐ。
喉を不自然に鳴らしながら、苦しげに体を震わせている。
「ミケの解呪が…効いているのか……?」
「ミケさん…!」
後ろを振り向けば、ミケたちが一心に何かを念じているのが見える。
アフィアも振り返り、その様子をじっと見た。

すると。

…………バルドル…………

はっきりと。

空気を震わせたのではない、しかし確かに響く声が、その場にいた全員に届いた。

「ナンナ?!」
ハッとして顔を上げるバルドル。
「ナンナ、ナンナなのか?!」

………バルドル………

「ナンナさん、聞こえますか!」
ミケがさらに声を届けようと張り上げる。
「正直、これ、ご自分で押さえられそうですか?どんな呪いなのか分かりますか?解いたり押さえられたりするためのヒントとかなさそうですか?」
矢継ぎ早に質問していくミケ。
だが。

………バルドル………

その声は、まるで壊れた蓄音機のように、単調に繰り返すだけだ。
ミケの声が届いているのかいないのか。
どちらにせよ、彼女にミケの問いに答える様子はなさそうで。
「ナンナ、まだ生きてるのか?大丈夫なのか、苦しくないか?!」
泣きそうな表情で問いかけるバルドル。
しかし、声はそれにも答える様子はんかった。

………バルドル………

………おねがい………

「なんだ、どうした?!ナンナ、俺は何をすればいい?!」

必死に問い返すバルドル。
が、それに返ってきたのは、残酷な言葉だった。

………おねがい………

………わたしを………

………ころして………

「!」
「っ……」
その場にいた全員が、目を見開いて固まる。
おそらくは、誰もが予想したことで。
そして、誰もが信じたくなかった、彼女の言葉だった。

………おねがい………

………わたしが、だれかをにくんでしまう、まえに………

………わたしが、だれかをころしてしまう、まえに………

………わたしが、ひとでなくなってしまう、まえに………

………わたしを………

………ころして………

「ナンナーーーー!!!」
がくり。
バルドルが吠えるように言って、膝をつく。
冒険者たちはかける言葉を見つけられず、俯いて視線を逸らした。

「…諦めないで、ください……」
ぎり、と歯噛みして。
ミケは絞り出すように言った。
「その力には、抗えないんですか…?
呪いを跳ね返すことは、できないんですか……?!
なんでもいい、なにかどうにかできる手段はないんですか…!!」
悲しさと、悔しさと。
怒涛のような感情を抑えられずに叫ぶミケ。

その問いに答えたのは。

ぐおおおおおぉぉぉっ!

ナンナの意識を振り払うように高く雄叫びを上げた、ルナウルフだった。
同時に、ナンナの声もふつりと聞こえなくなる。
「くっ………!」
「やはり、力及ばずか…!」
悔しげに言って、再び剣を構える千秋とフェイ。
アフィアも再び、冷静な表情でルナウルフに向き直る。
すると。

「頼む……!」

バルドルの絶叫が、洞窟にこだました。
そちらを振り返る冒険者たち。
彼はすっと顔を上げ、悲痛な表情で、しかしはっきりと言った。

「ナンナの願いを、叶えてやってくれ……!」

「!」
「バルドルさん…!」
「それって……」
冒険者たちは驚いて彼を見て。
そして、真っ先にワーデンが彼に問うた。
「……後悔しないね?」
「……ああ。俺にはその力がない。あんたたちの手で、ナンナを楽にしてやってくれ……」
静かに頷くバルドル。
それを合図に、冒険者たちの表情が引き締まった。

ごう、と、フィリーの投げキスとともに風が巻き起こる。
それはかまいたちを巻き起こしながら、まっすぐにルナウルフへと向かっていった。
ぐおおっ!
体を切り裂かれながら、ぐらりと体制を崩すルナウルフ。
そこに。
「泥濘!」
トレザンドの呪文と共に、ルナウルフの足元が急速にぬかるみに変わる。
ずしゃあっ。
派手に滑ったルナウルフは、そのままそのぬかるみへと体を横たわらせた。
「風よ、勇敢な人狼に軽やかなる羽を!」
ミケの呪文と共に巻き起こった風が、ふわりとフェイの体を軽くし。
「では、私は千秋くんを…!」
トレザンドの肩に乗っていたワーデンは、残る魔力を千秋の刀の強化に注ぐ。
ばりばりばりっ。
アフィアのサンダーブレスが、体を起こしかけたルナウルフに襲い掛かり、再びその動きを止める。
「行くぞ、フェイ!」
「はい!」
千秋とフェイが高く跳びあがり、空中で剣を逆手に持って。

ざっ。

二人は同時に、ルナウルフの巨躯にその剣を突き立てた。

ぐおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉおおおっっ!!

ひときわ大きな咆哮が、びりびりと洞窟の壁を震わせる。

やがて。

ぴき。
ぴきぴき。

びきびきびきびきっ。

ルナウルフの体に、みるみるうちに大きな皸が入っていき。

ぱきん………!

硬い音を立てて、その体は無数の金のかけらとなり、ガラガラと崩れ落ちた。

からり。
その音の最後の余韻が洞窟に響いたあと。

……………ありがとう………………

弱々しいナンナの声が、隙間から差し込む月の光のように、淡く空中に溶けて、儚く消えていった。

「ナンナ………」
呆然と、しかしどこか満足気な声音で、そっとつぶやくバルドル。

冒険者の誰もが声を発することができないまま、天井に空いた穴から差し込む光は、いつの間にか朝日のそれに移り変わろうとしていた。

それからのこと、これからのこと

「……と、そういうわけです」

翌日の昼。
ポチを通してのミケの連絡で村に戻ってきた村人たちに、ワーデンは真実を包み隠すことなく伝えた。
「ルナウルフの正体は、生贄に捧げられた村の乙女が姿を変えたものでした。
10年経ち、金に変えられた乙女がルナウルフとなって、また次の乙女を金に変える。
あなたがたが加工してきた金は、ルナウルフが乙女を金に変えたあとの残滓……元を正せば、前回の生贄の乙女なのです。
生贄を差し出さなければ、ルナウルフはきっと金山から村に出て、無差別に乙女を噛み、金に変えてしまう。しかし、ルナウルフを倒してしまうこともできない…なぜならば、ルナウルフも元は村の一員であり、家族だったのだから。
そんなジレンマの中で村長一族が取ったのが、生贄を自ら選び、差し出すことで、被害を最小限に食い止めるという方法だったのでしょう。家族の犠牲の上にこの村が潤っている、どころか、まさに家族の体を切り売りしているという罪悪感を、村人たちには背負わせたくなかったと考えたのかもしれない。だから、さもルナウルフが生贄を選んでいるように細工し、生贄を差し出さなければ皆殺しだという嘘をついた。
最も深刻な罪悪感を背負うのは、自分たちだけでいい。村長一族はそう思って、皆さんたちに嘘をつき続けてきた。彼らなりに、みなさんを守っていたという意識があったのでしょう。だからこその、昨日の発言だった」

『私達がどんな思いで、今までこの儀式を行ってきたと思ってる?!
お前達の身を守り、罪悪感を肩代わりしてやってきたと思っている?!
みな、みんな、お前達の、この村のためだというのに!!』

昨日の村長の言葉を思い出し、一同が暗い表情で俯く。
ワーデンは彼らに向かって、優しい口調で語りかけた。
「ルナウルフは、私達が確かに倒しました。もう、この村にルナウルフが現れることはありません。
最後のルナウルフは、やはり金になって砕けてしまった。あの金を加工すれば、もう10年ほどはその金で生活できるかもしれない。
しかし、その後はない。その金を使うにしろ、使わないにしろ、あなたがたは、金に頼らない、新しい生活のあてを探していかなければならないのです。
そういう意味では、私達があなたがたの生活の糧を奪ってしまったことになる。それは本当に申し訳ないと思うし――」
注意深く村人たちの様子を見ながら、言葉を続ける。
「……出来るならば、その方法を共に模索していけたら、と思っている」
「ワーデン殿……」
トレザンドが驚いたように目を見開く。
昨日、説得の前にワーデンが言っていたことは心からのことであったのだと。彼には到底、理解が及ばないのではあるが。
「ワーデン…いいのか?」
オードが申し訳なさそうに言うと、ワーデンはにこりと微笑んだ。
「ああ。生活の糧を奪ってしまった責任を取る意味でも、と思ってね。
奪った当人が何を言うのかと思うなら、その限りではないが…」
「んなことねーよ」
遠慮がちなワーデンの言葉を、オードは強い語調で遮った。
「昨日アンタたちが言ったろ。この金は本当にこの村に必要なのか、って。
アンタたちの説得に応じた時点で、オレらは金を捨てる覚悟をしたんだよ。
金を奪ったのはアンタたちじゃねー。オレらが、オレらに必要のない金を捨てたんだ。それを気に病む必要はねーよ」
彼の強い言葉と共に、村人たちも彼と同じような表情で頷いている。
「オードくん……」
嬉しそうに微笑むワーデン。
すると、隣にいた千秋も頷いて言葉を続けた。
「俺の方は昨日言ったとおりだ。もし本当にナノクニへの販路を求めるならば力になろう。
商館への直接のツテはないが、手広くやってるやつに連絡をつけることは出来るからな」
村人たちの方を見回して。
「あとはそうだな、後始末として祠だかを立てたほうがいいんじゃないか?
俺がそこまで面倒を見なくてもいいのかも知れないが、ナノクニやリュウアン独自の魔術体系で金属の属性を司る神の巫女に心当たりがある。
ここでは知られていない異教の神ではあるが能力は保障するぞ」
「千秋さん、いろいろなところにツテがあるんですね……」
フェイが感心したように言うと、千秋は肩をすくめた。
「キツネの眷属を遣うものなんだが……五行に当てはめれば狐は土気、そして力を得て尾を九本まで増やすと、数字の9から金気に転じる。
土生金だから九尾の狐はこと金気にたいしてめっぽう強い。ルナウルフの魔力なんか消し飛ばしてくれるんじゃないかな。
ま、いきなり異教の神を奉れといわれても釈然とせんだろう、紹介状くらいは用意できるから、あとは村で考えてくれ」
「ああ、なんか何言ってるか半分くらいわかんねーけど、みんなで話し合ってみるぜ。ありがとな」
オードも嬉しそうに頷いてそう返す。
すると、今度はフェイが村人たちの方を向いて言った。
「あの、今まで生贄になった人たちお墓とか、建てられたりしませんか?」
「お墓?」
「はい。あの、生贄になった人達がどうなったのか、誰も知らなかったってことは、ちゃんとお墓も作ってあげられなかったのかなと思って……もう亡骸も残ってないですけど、せめてちゃんと名前を刻んだお墓を作って、村のみんなに弔ってもらえたらと思います。
よければ、僕もお手伝いしますし」
「そっか、そうだよな。…ああ、でも、ここ最近の生贄は長老とかなら覚えてるだろうけど、それ以前は……」
オードが難しい顔をすると、千秋がそちらを向く。
「村長の家に記録があるかもしれんな。ミケが調べに行っているはずだ、俺も少し様子を見てこよう」
「ああ、すまねーな」
千秋が出て行ったあとで、ああ、とフィリーが思い出したように言った。
「大事なこと忘れてたわ。私、オードに報酬をもらわなくちゃ」
「えっ」
このタイミングでその言葉が、というように、残りの仲間がフィリーに視線を向ける。
が、トレザンドは満面の笑みでフィリーに続いた。
「そうだね、あんな危険な目に……もとい、命をかけて戦ったのだ、まさか無報酬ということもあるまいよ」
彼の言葉を受けてかそうでないのか、フィリーはにっと笑って、手を差し出した。
「報酬が何かは大いに期待させてもらうけど…」
が、すぐにその手を握り込み、ウインクをひとつ投げる。
「この村のこれからが一番の報酬かしらね。
賢いみんながどう導いていくのかも気になるし、村のみんながどの道を選ぶのかも。
滅んでしまったらそれはそれ。いいほうに向かったらラッキーね」
「フィリーさん……」
思いがけない彼女の言葉に、フェイはぱっと表情を広げた。
「僕もです!しばらくの間は大変でしょうから、依頼料は要りません!
そうですね……オードさんとフレイヤさんが結婚したら、その時は僕を呼んでください!」
「えっ……」
思いもよらぬことを言われ、オードは頬を染めてかたわらのフレイヤと顔を見合わせた。
照れる二人に満面の笑みを向けるフェイ。
「知ってる人が幸せになる。僕的には毎日ご飯が美味しく食べる為の大事な事なんです。
だから依頼料はそれで十分なんです」
「フェイ……」
オードは驚いて目を見開き、それから嬉しそうにぱっと微笑んだ。
「…ありがとな。オレたち、頑張るよ。
フレイヤと、そして村のみんなと、幸せになるためにな」
「はい!」
ほのぼのとした空気で、村の集会場が満たされる。
「そ、そんな…………」
その片隅で、まさかあの感動発言のあとに『フェイくんはフェイくんとして、私には報酬をくれたまえよ』と言えるはずもなく、トレザンドが絶望的な表情で崩れ落ちていた。
「フレイヤさん、よかったね!」
ユキがフレイヤに駆け寄り、本当に嬉しそうに声をかける。
フレイヤは涙目でユキに微笑みかけた。
「ユキさん……本当に、ありがとうございました」
「ううん、僕は本当に何もしてないから。フレイヤさんたちはこれからが大変になるけど……オードさんと、幸せになってね」
「はい……!」
優しく微笑んで言うユキに、力強く頷くフレイヤ。
ユキはその後ろに佇む、フレイヤの両親に目をやった。
「あの……」
言い出しにくそうに声をかけ、それから深々と頭を下げて。
「あの時は、気持ちも考えなくてすみませんでした。
もう一度、ちゃんと謝りたくて……」
「そ……そんな」
フレイヤの両親は戸惑ったように顔を見合わせた。
「…私たちこそ、余裕がなくて…あなたに酷い言い方をしました。申し訳ない…」
父が言うと、ユキは恐縮して首を振る。
「いいえっ!僕が深く考えずに言ったことが悪いんです。本当にごめんなさい」
「あんなことを言ったのに、私たちのことまで気にかけてくださって…ごめんなさいね…」
今度は母が申し訳なさそうに言い、ユキは苦笑した。
「お母さんが謝らないでください。いろいろあったけど…フレイヤさんが無事で、本当に良かった…ほっとしました」
「……ありがとうございました…」
申し訳なさそうな、しかし心からの安堵に満ちた表情で両親が頭を下げると、ユキは嬉しそうに微笑みを返すのだった。

「バルドル、いる?」
ノックをしても返事はなかった。
フィリーは勝手にドアを開けると、中を覗き込む。
が、家の中から返事はない。
一緒に来ていたワーデンを振り返ると、彼も頷いたので、中に入ることにした。
「バルドル……?」
辺りを見回しながら、ゆっくりと中に足を踏み入れていく。
家の主は、程なくして見つかった。
一番奥の部屋で、窓辺の椅子に腰をかけたまま、呆けたように窓の外を見ている。
「バルドル……」
フィリーは気の毒げに彼を見やった。
ワーデンが苦笑して、彼に歩み寄る。
「バルドルさん…落ち着いたかな」
ワーデンが近づいて声をかけたところで、バルドルは初めて彼らに気づいたようだった。
「あ、ああ……なんだ、来てたのか。悪い、気づかなくて」
「いや、こちらこそ、勝手に入ってしまって済まないね」
「あなたのこと、気になったものだから。どうしてるかな、って」
ワーデンとフィリーが口々に言うと、バルドルは力なく苦笑した。
「後追い自殺でも、すると思ったか?」
「………」
正直そう思っていたフィリーは、答えずに肩を竦める。
ワーデンは近くの椅子を引き寄せて座ると、バルドルの顔を正面から覗き込んだ。
「私はね、バルドルさん。
あなたも重々承知したうえで、それでもナンナさんをどうにかして救いたくての行動だとは承知しているが、それでも」
そこでいったん言葉を切って、それからゆっくりと続ける。
「一緒に死ぬ、という決断は、少なくともバルドルさんの知っているところの彼女の望むところではない、と思う」
「………そうか」
淡々と言い返すバルドル。
その表情に、怒りも悲しみも、悔いの色も見えない。
「まぁ私はナンナのことは知らないけど…。ナンナがバルドルに生き続けてほしいと思ってる、ってことはバルドルが一番よく知ってるんじゃないかしら?」
フィリーが続けて言い、バルドルはそちらを向いた。
「生き続けてたらいいことがあるなんて言わない。辛いことばかりよ」
フィリーは苦笑して、再び肩を竦める。
「…でも。
ルナウルフの呪いがなくなった村がどう生き続けていくか、オードやフレイヤがきっと村の希望になってくんじゃない?
そういう、周りの希望や苦労を眺めていくっていうのもいいと思うの」
「………」
バルドルは、黙ったままフィリーを見上げている。
フィリーは続けた。
「ま、これは私がそうだったらいいなって思うことだけだから。
だから、希望を失って死ぬのはやめてね。
こっちの後味最悪だし、ナンナだってあなたを見たら平手打ちするわよ」
軽く叱るように、そう言って。
それから、ふ、と優しい微笑みを見せる。
「生き続けて。で、時々私が様子見にくるから。
ナンナの代わりに、バルドルが生き続けてるか見にくる」
「……どうして、そこまで?」
バルドルが不思議そうに首をかしげると、フィリーはははっと笑った。
「一度、関わった縁だもの。バルドルがどう生き続けるのか興味津々。
村の様子も見れて、一石二鳥だしね」
「……あんた、変わってるな」
バルドルは苦笑して、フィリーとワーデンの顔を交互に見、それから再び窓の外に目をやった。
「……ナンナの、最期の言葉を思い出してた」
「最期の…?」
「……ありがとう、って言った。あいつ」
どこか焦点の定まらない、遠い目をして。
「誰かを憎む前に、誰かを殺す前に、人でなくなる前に、私を殺して、って。
ナンナを苦しめたのは、斬りつけたとか、魔法をぶつけられたとか、そういうことじゃなかったんだな。
本当はそんなこと、したくないのに、誰かを憎まされる、殺させられる、自分が自分でなくなってく……
そのことが、本当にナンナを苦しめること、だったんだな」
はあ、とため息をついて。
それから、ワーデンの方を向く。
「あんたの言う通りだ。
もしあそこで、ナンナが俺を噛んで、俺が自殺したとしたら。
そのことで一番苦しむのは、ナンナだったんだな」
「バルドルくん……」
驚いたように呟くワーデンに、バルドルは苦笑して立ち上がった。
「村長は…いや、今の村長じゃなくて、生贄を考えた村長は、さ。
俺と同じように、家族を殺したくなくて、苦しめたくなくて、生贄を捧げることを選んだ。
だけど、それは…家族を苦しめたくない、んじゃなかったんだな。
家族を苦しめ、殺したという辛い思いを、自分がしたくなかった、それだけだ」
ふ、と顔を上げて、どこか清々しい表情で、続ける。
「たとえどんなに辛い思いをしたとしても。
自分の家族が、そいつじゃなくなる前に引導を渡してやること……それも、愛情の一つなんだなって、思ったよ」
そうして、初めて。
バルドルは、にこりと穏やかな笑みを浮かべた。
「希望や苦労を、ただ眺めてるのもつまらんしな。
俺も、オードたちを手助けして、この村の再生に力を尽くすよ」
「バルドル……」
フィリーが嬉しそうに表情を広げる。
ワーデンも、満足げに微笑んだ。
「………ありがとな」
バルドルはもう一度深く微笑むと、二人に心からそう言うのだった。

「どうだ、何かめぼしいものは見つかったか」
部屋に入ってきた千秋の言葉に、ミケは読んでいた書物から視線を上げて答えた。
「…ええ、まあ」
手にしていたのは、古い手記のようなものだった。生贄を始めた村長の苦悩が綴られている。
「おおむね、ワーデンさんが言ったとおりでしたよ。そのままにしていれば、ルナウルフは無差別に乙女を噛む。それだけじゃない、止めようとした村の他の人間が大怪我をした。ならば、こちらから生贄を捧げるのが、被害を最小限に食い止める方法なんだって。その頃は、村の人間の同意もあって、苦渋の選択をしたようです」
はらり。
ゆっくりと手記をめくって、ミケは手記の続きに目をやった。
「自分たちの苦渋の選択は、しかし後ろめたさもあったのでしょう。生贄を決めた大人が口をつぐみ、多くを語らないことで、次第に生贄は村人たちではなく、ルナウルフが求めたように改変されていった。いつしかその大人たちも何も語らぬままこの世を去り、村長の一族だけがその重荷を背負うようになった。その代わりに金の売買のすべての実験を握り、村を支配するようになっていった……」
ぱたん。
手記を閉じてから、ミケは奥の棚に目をやった。
「見てください」
「うん?」
つられるようにして千秋も目をやると、奥の棚には手のひらほどの大きさの金の像がずらりと並んでいた。
「これは……」
近づいてみれば、それは乙女の像だった。安らかな表情で、祈るように手を組んでいる。
そして、乙女の着る服には大きく、名前が彫られている。やはり女性の名前のようだ。ざっと見ても30体以上ある。
一番新しそうな、手前にある乙女の像には、『ナンナ』と彫られていた。
「………墓標代わりの、乙女の像か」
複雑そうな表情でそれを手に取る千秋。
ミケは嘆息した。
「村を支配したかったのも、金の実験を得たかったのも……そして、村を守っていたと思っていたのも、生贄の乙女にすまないと思っていたのも、全部本当だったのかもしれません。
人は、一面だけで決めつけられるものじゃない。
村長さんも、優しさと欲望と、義務と悔恨と、いろいろな感情の狭間で葛藤していたのかもしれないな、と思いました」
「…そうだな」
ふむ、とつられるようにして息を吐く千秋。
「そういえば」
と、ミケは思い出したように千秋に聞いた。
「狐の神様を祀る話、どうでした、村の人たちは」
「ああ、考えてみると言っていた。まあ、どうにかしてくれるかもしれんという俺の予想も半分以上は当てずっぽうだからな。ルナウルフの魔力がこの土地に残るかどうかも、専門外の俺にはわからん。ま、伝は多い方がよかろう、というだけの話だ」
「千秋さんもいいかげん、色んなツテがありますよね」
「先日受けた依頼で、ちょっとな。個人的に調べたいこともあって、少し詳しく調べたんだ」
「呪いのこととかも、その一環ですか?」
戦いの場で、千秋がやたら詳しく呪いについて語っていたことを思い出す。
今まさに戦っていますという状況で長口上を垂れたことへの文句はとりあえず引っ込めて。
千秋は何とも言えない表情で、肩を竦めた。
「ああ、何とかならないかと色々調べていたんだ。自分で似たような呪いを受けた経験があるからな」
「え………」
思わぬ答えに、きょとんとするミケ。
千秋は続けた。
「俺も魔のものに変わっていく呪いを受けているんだ。
俺の場合は進行がゆっくりだったことと、完全に変わってしまう前に何とかする方法にめぐり合えた幸運から今こうしてここにいて、“まだ”人間のままでいられている」
「……そうだったんですか。
今は…その、大丈夫なんですか?」
心配そうにミケが問うと、千秋は僅かに表情を緩めて頷いた。
「まあ、確かに色々大変なところはあるが、これはこれで生きていくしかない。
体が頑丈になったし、まあそう悲観するものでもないよ。
闘争心が前より強くなったのはたまに困るが……理性を失って暴れるよりかマシだな」
言って、自分の左手に目を落とす。
その視線の先には、薬指に填る2本の赤い輪があった。
「やってもらったことといえば力を受け流して吐き出すための蛇口を作っただけだ。
一番肝心なのはやはり本人の気の持ちようだからな」
「……そう、なんですね」
どう声をかけたらいいか分からずにミケがそれだけ言うと、千秋が今更のように声を潜めて言った。
「…あ、ほかの人間には内緒だぞ」
「わかってます」
ミケは微笑んで頷き、窓の外へと視線を投げる。
「神様の力を借りるにしても、そうでなくても。
この村が、呪いの残滓を振り払って、幸せな生活をしていけるようになると、いいですよね」
「ああ、そうだな」
千秋も感慨深げに頷いて。
そしてさらに、言葉を続けた。
「ワーデンたちは少しこの村に残っていくようだが、俺は出て行った村長を探そうと思う」
「村長さんを?」
ミケは意外な発言に目を見開いた。
「また、どうして」
「まあ思惑のすれ違いはあったがその辺の獣やら何やらに襲われて終わるのは酷だろう。
あと、何か変な魔族が出てきてとかも嫌だな。あれが魔族の仕業だったとしたなら絶対近くで見ていたはずだ。
ルナウルフのほうは結局終わりになるだろうが、フォラモントの村をああいう形で維持した『役者』をそのまま放置するのはもったいない、と考えるんじゃないかな……想像だが」
「…………」
千秋の話を黙って聞くミケ。
「であれば一応、様子を見に行くのも悪くは無いはずだ。向こうの印象は最悪だろうがな。
俺の仕事をうけたのはあの村長だし、最後まで責任もってやり遂げてもらいたいものだが……もうそういう状況じゃないか。残念だ」
「……それは、オードさんたちに言えば引き継いでくれるんじゃないでしょうか」
「まあ、そうだろうが……」
千秋は不服そうに唸って、眉を寄せた。
「思うに、もしこの事件に魔族の介入があったのであれば村長が外に助けを求められなかったのはその魔族の介入のせいだろう。
ひとつの環境を思い通りにするためには、外との交流があると影響が薄れてしまう。
世界を閉ざして、少しずつ狭くしていくことで魔族は自分の思うままに状況をコントロールするのではないか……そんなことを最近考える。
なんでもかんでも魔族のせいにしすぎかも知れんが、そもそも奴らが何にもしでかさなければこういう事件は起きないのだから、結局それはそれでいいんだよ。
人間の間で起きる事件なら人間の間で解決できるし、それなりの場所に収める方法だってあるのに奴らがかき混ぜるせいでぐちゃぐちゃになるんだ」
「………」
ミケは黙ったまま俯いている。
「そう考えると村長も被害者ではあるから護衛を兼ねて付いていくことを提案してみるか。
言うなれば『ならず者の押し売り』だが、俺の仕事を放り出したんだからその分俺の稼ぎに貢献してくれてもいいんじゃないか?」
「……そう、ですね」
「ま、あの村長は断りそうだが。それだけの元気がありゃ十分だな。これから先も元気で生きていけるだろう」
「………」
「…ミケ?どうした?」
様子のおかしいミケを覗き込む千秋。
ミケはうつむいたまま、ぼそりと呟いた。
「……そう、でしょうかね……」
「うん?村長は断りそうでもないということか?」
「そちらではなくて」
顔を上げて、千秋の方を見て。
「思うがままにコントロールする……それが、魔族の目的、なんでしょうか」
「…違うのか?誰にだって、何かをするからには、何がしかの目的があるはずだろう。その目的のために様々な手を講じることは、何も魔族に限った話ではない」
「じゃあ、魔族の目的って、何ですか?」
逆に問われ、千秋は面食らって口ごもった。
「……さあ、俺は魔族ではないからわからんが。ルナウルフを村に放つことで、村人たちが翻弄されるのを楽しんでいたのじゃないのか」
「そのために、外との交流を断たせて、孤立させて、生贄を出さざるを得ない状況にさせていった、と?」
「そう考えるのが自然だろう」
「……そういえば千秋さんは、結局はチャカさんと、それほど関わっていないんでしたね」
「うん?」
言われて、記憶を反芻する。
チャカ。
昨日の相談の席でミケが口にした、『エスタルティ』という氏を冠する魔族の女性。
妖艶な美貌と空虚な瞳を持つ、得体の知れない存在だった。
だがしかし、確かに。
「…そうだな。ムーンシャインの事件のあとに会ったのは、こないだのガイアデルトの件だけだ」
「彼女の考えにそれほど触れていないなら、わからないのかもしれません。僕だって、何度聞いたって理解できる行動指針じゃない」
「……というと?」
「彼女には、目的があるわけじゃないんです。ムーンシャインもそう、ガイアデルトの事件だってそうだった。
彼女は、最初のきっかけとなる一石を投じただけで、あとはその石がどんな波紋を描いていくのか、笑って見ているだけだった。
彼女は言いましたよ。何もかも自分の思い通りになることなんてつまらない。何が起こるかわからないから楽しいのだと」
「………」
「彼女は、彼女たちは、明確な目的を持って、その目的に向かって行動してるんじゃない。
こうしてみたらどうなるのか。こういうきっかけを与えたら、人間がどう狂って、どう踊って、悲劇を紡いでいくのか。
行く先のわからない、楽しい『ゲーム』を、彼女たちは笑って見てるだけなんですよ。
思考を狂わされた人間が、悲劇を紡いでいくのも。惑わされずに正しい道を見つけ、苦難を乗り越えていくことすら。
彼女たちにとっては、『何が起こるかわからない、楽しい見世物』なんです」
「――ミケ」
千秋は呆然として、ミケの言葉を遮った。
「この事件のお膳立てをしたのは、やはり、彼女なのか?」
「…いえ。チャカさんは魔法は使えないはずです。このやり口も、彼女のものとは違う。
けれど、ルナウルフにかけられた魔法の構成から読み取れたのは、間違いなく彼女の一族に酷似した魔力でした」
「そうか………しかし、奴らの行動指針がミケの言った通りだとすると、『楽しい見世物』の終わったこの村には、もう用はないのかもしれんな……まあ、念のため村長の行先は……」
「千秋さん」
今度はミケが、強い口調で千秋を遮った。
千秋は言葉を途切れさせ、ミケのほうを向く。
ミケは立ち上がって、強い瞳で千秋の方を見た。

「…………確かめたいことがあるんです」

金の魔法使い、赤の呪術師

ざり。
がらんとした洞窟に、砂利を踏みしめる乾いた音が響く。
一夜をかけて悲しい死闘が繰り広げられたその場所は、今は天井の隙間から陽の光がこぼれ落ちる寂しい洞窟へと姿を変えていた。
地面に散らばった金のかけらが、キラキラと陽光を反射している。
彼はその隙間をゆっくりと歩きながら、無表情でその輝きを見回した。

「やっぱり、ここにいたんですね」

そこに、彼のものでない声が入口から響く。
彼はゆっくりと振り返った。
天井から差し込む僅かな光が、穏やかな足取りで入ってくる者をじわりと照らし出していく。
その人物は、同じように細く差し込む陽光に照らされた彼を認め、にこりと微笑んだ。

「初めまして、ロクスさんですね?僕は、ミケと申します。ルナウルフを倒しに来た冒険者の1人です」

彼――ロクスは、そう言って微笑むミケを黙って見詰め替えしていた。
その表情には、驚きも怒りも何も見て取れない。鋼のように冷たく美しい容貌に、メガネの奥の左目だけが妖しい光をたたえている。
まるで睨んでいるかのような彼の態度に、ミケは微笑みながらも一瞬引きつったような表情を見せた。
「……やはり、そっくりですね」
「……何がだ」
「いえ、こちらの話です」
ミケは気持ちを落ち着かせるように息を吐くと、再びにこりと微笑んだ。
「色々、情報をありがとうございました。中にいたものは倒せたと思います。
で、ちょっと更にお伺いしたいことがいくつかあって参りました。
お家にもお伺いしたんですけどね、お留守だったので。じゃあ、ここかな、って」
ロクスは黙ったままミケの言葉を聞いている。
ミケはわざとおどけるようにして、大げさな身振りをした。
「やっぱり、どーーーーーーしても、気になってしまっていたんです。
イッルさんたちがあなたから聞いた『金色の獅子』という表現」
ミケの言葉に、彼の後ろからついてきていた仲間の何人かが、あっ、という表情をする。
ミケは微笑んだまま、続けた。
「実際見てみたら、ああ、なるほど、金色の獅子って外見だなって、思いましたよ。確かにね。
でも、僕らが『ルナウルフ』という言葉から想像する外見とは違った。獅子は猫っぽくて、狼は犬っぽい印象でしょう?
狼にはたてがみもない。なぜ『ルナウルフ』と呼ばれるようになったかは、わかりませんが」
「………確かに」
仲間のうちの誰かが、呆然と言葉を紡ぐ。
ミケはそれに向かって頷いて、続けた。
「これも話題にはなりましたが、そもそも、いくら村長が金の価値を上げるためとはいえ、そんなこと口にする物でしょうか?そもそも……もしかしたら村長だって見ていない可能性があります。……まかり間違って襲われたら、困るでしょうしね。
もちろん、村人はそもそも姿形を知りません。ならば口外することもできない。
あなたは、よそ者です。そして、金山には入ったことはない、と仰っていたそうですね?」
そこで、言葉を切って。
ミケはすっと笑みを消すと、ゆっくりとロクスに問うた。

「…では、あなたはルナウルフのその姿、どうやって知ったんでしょうね?」

沈黙が落ちる。
唖然としてミケの言葉を聞いている仲間たち。逆に睨むようにしてロクスを見据えるミケ。
ロクスはやはり黙ったまま、まっすぐにミケを見つめ返している。
ミケは再び、ゆっくりと口を開いた。
「それは、嘘で……本当はルナウルフを見たことがあるから、に他ならないのではないでしょうか?」
そこまで言って、苦笑して。
「僕もツメが甘いなぁ、と思っていたんですよ。ちゃんとオードさんに確認していなかった。『ロクス』という学者が、3年も前から村の近くに住んでいることを知っていたかってこと。金を調べているよそ者がいたら、絶対監視が付くでしょう。特にそんな話が出なかった」
「……そういえば」
誰も、村人にロクスのことを聞かなかったことを思い出し、顔を見合わせる仲間たち。
ミケは嘆息すると、ロクスの方を見た。
「今からでも、聞いてみましょうか。オードさんたちに、あなたのことを知っているかどうか」
「………聞いてみたらどうだ」
淡々と返したロクスに、ミケは目を見開いた。
ロクスは表情ひとつ変えることなく、相変わらずの口調で言い放つ。
「私は嘘をついてはいない。貴様らが私の言葉をどう解釈するかは勝手だがな。
私は確かに、ここに足を踏み入れるのは初めてだ。あの住処に暮らし始めたのも3年ほど前の話だ。もっとも、間を置いてそれ以前にも住んだことがあるとは言っていないがな。
だが――そうだな、あの時の金竜はここにはいないようだが、そこの小娘ならいただろう」
ロクスは顎でユキを示し、冷たい口調で言い放つ。
「そいつに一言一句思い出させてみろ。私は」
噛み締めるように、ロクスはゆっくりと言葉を吐いた。

「私は、山に入ったことがないとは言ったが、ルナウルフを見たことがないとは言っていない」

冒険者たちが唖然として絶句する。
「では、認めるんですね」
その中で、ミケだけが強い口調でロクスに問うた。
「山に入ったことがない。しかし、ルナウルフを見たことはある。それがどういうことか。
可能性は、たった一つです」
す、と。
人差し指をまっすぐ向けて。
ミケは断定的に言い放った。

「あなたが、ルナウルフになるように術をかけた。そうですね?」

固唾を飲んで、双方の次の言葉を待つ仲間たち。
しかし、ロクスは黙ったままミケを見つめている。
だが、『嘘はついていない』という彼の言葉を間に受けるならば、その沈黙は肯定しているも同然だった。
広い洞窟に、一気に緊張感が走る。
と。

「ほんとう、ですか……」

ぼそり、と。
珍しく震える声でつぶやいたのは、アフィア。
彼は顔を上げてロクスを見据えると、ぎっと睨むように目に力を込めた。
「ほんとうに、あなた、呪い、かけた、ですか」
珍しい彼の怒りの表情に、仲間たちは別の意味で唖然として彼を見やる。
そして、ロクスの沈黙を肯定と理解したアフィアは、不意に駆け出した。
たたっ。
まっすぐロクスに向かって走り、拳で殴るべく腕を振りかぶる。
彼の意図を察したミケが、慌てて声を上げた。
「ダメです、アフィアさん、危ない!!」
「ゆるせない……!」
吐き出すようにそう言って、アフィアは思いきり地を蹴り、振りかぶった拳をまっすぐロクスに向かって振り下ろした。
が。

ばちん!

人の体が立てる音としては有り得ないたぐいの音が響く。
一体、何が起こったのか。
次の瞬間に冒険者たちが目にしたのは、駆けていった方向からものすごい勢いで地面を滑り戻ってくるアフィアの姿だった。
「アフィアさん!」
慌ててミケが駆け寄る。
助け起こして無事を確認し、改めてロクスを見やると、彼はたった一本、指をこちらに差し出しているだけだった。
彼はふっと息を吐くと、腕をおろした。
「あまり暴れるな。血を流さぬよう、加減をするのも骨が折れる」
「……随分と、お優しいんですね」
「私の金が汚れるからな」
なおも無表情のまま、足元に散らばる金の屑を見やるロクス。
ミケは眉を寄せて、彼に言った。
「昨日から、不思議に思っていたんですよ。フェイさんに言われて思い至ったんですが。
あなたは『魔法使いが、女性を、石に変えた』という伝承を教えてくださった。僕は、この村のことに絡めて、『魔族が、女性を、金に変えた』という方向に思ったんですが、そうじゃないんですよね」
いたわるようにアフィアの体を抱き起こしてから、立ち上がって。
「実際にルナウルフに噛まれた女性は金になり、金になった女性がルナウルフになったのですから、そのまま『魔法使いが、女性を、金に変えた』と言っても良かった。でもあえて『石』と表現したのには、何か意味があるんじゃないかと思ったんです。
もしかしたら自分の考えた物と違ってしまったから、敢えて倒させたのかな、とか、自分じゃないものが別のルナウルフを作ってしまったのかな、とか。色々考えてみたけれど、分からないことが多すぎるので、直接そこら辺もお聞きしようと思って」
ロクスに向き直り、真剣な表情で問う。
「……あなたは、一体、どのような存在なのですか?どんな理由があって、僕らに彼女を倒させたのですか?何がしたかったのですか?」
沈黙が落ちた。
一同がかたずを飲んで、次の言葉を待つ。
が、その沈黙を早々に破ったのは、ミケ自身だった。
ははっ、と笑って。
「実は倒したあのルナウルフを生み出した人と別だったりとか、しないかなって。そもそも魔族でもないかも、という可能性もあるし、話ができないかな、と思っていたんです。
魔族かどうか、もそうですが。あの金色の獅子との関係性も知りたくて、魔力感知もするけど気にしないでくださいね、なんて」
おかしくて仕方がない、というように、肩を揺らす。
「……言おうと思ってきたんですよ。ええ、……そう、言おうと思って、来たんですけどね?
…本当に、確かめたかっただけなんです。そうじゃなかったらいい、と思って。でも」
はあ、と。
深く深く、自らに呆れるようなため息をついて、ミケは言った。
「本当に。どうして最初から僕が行かなかったのか、今更そんなこと言っても遅いんですけど。
最初から、気に留めるべきでした。出会った方に、もっと詳しく聞けばよかった。
地人特有の……褐色の肌、尖った耳。そして、黒い髪。
特徴を伝え聞いた時には、皆さんが、あなたのその、金色の左目だけに目がいっていて、それだけしか聞いていなかった。
実際にこうしてお会いすれば、もう片方の目が……光の加減で、血のような赤い色にも見える、濃いオレンジ色の瞳だと分かっていれば、もっと早くに結論にたどり着けたかもしれません」
「………おい」
かたわらの千秋が、目を丸くした。
ミケはそちらにちらりと目をやって、肩を竦める。
「千秋さんも、ひと目で思ったんでしょう。似てる、と。他人の空似じゃなかったんですよ。
魔力感知なんて、するまでもない。
本当に、あなたがたはそっくりです」
再び、ロクスに目をやって。
「……ロクスさん。ロクス・クリードさん、でしたっけ。
実はそのお名前、もっと長いんじゃないですか?本当はそのあとに、まだファミリーネームが続くんでしょう?
例えば、そう」
そこで、言葉を切って。
勿体ぶるようにして、ゆっくりと続ける。

「………エスタルティ、とか」

沈黙が落ちた。
千秋以外は、その名を初めて聞く者ばかりだ。しかし、昨日の相談の折に耳にしている。
ミケと千秋が遭遇したという、魔族の一族。
目の前の男性…ロクスが、その一族に似ているのだという。
ごくり。
誰かが唾を飲み込む音がはっきりわかるほど、あたりは緊張感に満ちていた。
小石一つ落ちても戦いが始まりそうな、そんな空気の中。

「………ふ」

初めて。
鉄面皮だったロクスが、楽しげに唇を歪めた。
「そうか、奴らの知り合いか」
「…奴ら?」
不審げに眉を寄せるミケ。
ロクスは楽しそうに口の端を歪めたまま、わずかに肩を揺らす。
「私の駄妹どものことだ。現世界にちょくちょく出入りしているとは、話にだけ聞いている。そのあたりのことだろう」
「ええ、まあ。妹さんだけでなく、弟さんにも、甥御さんにも姪御さんにもお会いしていますけど」
「姪?………ああ、兄上が作った出来損ないか」
くっ、と楽しげに喉を鳴らして、ロクスはこつりと足を踏み出した。
「人間にしては上出来な論理構成だ。まあ、そうでもなければあのじゃじゃ馬についてこれはすまいがな」
こつ、こつ。
地面に散らばる金のかけらの間を、ロクスはゆっくりと歩いていく。
ミケたちに近づくのでもなく、遠ざかるのでもなく、ただその行為を楽しむように、金の周りをゆっくりと歩いて。
「だが、論点が絞れていない。相手が私でなくば、逃げられていたろうな」
「…というと?」
「貴様の論理構成は、『私が全てにわたって嘘をついている』という前提のもとに成り立っている。解らなくなるのも道理だ。
繰り返すが、私は嘘をついてはいない」
「真実すべてを語ってもいないが、ということですか。詭弁ですね」
「語ることの取捨選択をするのも、聞いた話の解釈をどう付けるも、己次第だということだ」
ロクスはつまらなそうに言って、ミケに視線をやった。
「私が地質学を学んだのも、その上でこの村に地質学者としてやってきたのも、魔術師ギルドに鑑定を依頼して金の残留魔力を調べさせたのも、私が語ったフォラ・モントの金の噂も、このあたりに語り継がれる民話も、全てその段階で情報収集をし、事実として得た情報だ。
私はその情報を、与えるべきものとそうでないものを取捨選択して貴様等に提供していたに過ぎん。
情報そのものに嘘はない。
裏を取るか取らないかは、貴様等の勝手だがな。裏も取っていないのに嘘つき呼ばわりとは、随分と頭の悪さを披露して回るものだ」
「……しかし、村長がそんな噂を流すはずが」
「ない、と決め付けるから思考が閉じる。
絶対が存在すると思うからこそ迷路に迷い込む。
絶対に漏れぬ秘密など無い。噂が村長だけから流されたと何故思う?
村の者が率先して流さずとも、仲介業者が利潤を上げるために中途半端に調べた可能性もある」
「…しかし、乙女を石に変えたという話は」
「その疑問も、その話そのものが私の作り話だという前提に立つから解らなくなるのだろう。
村の者に聞いたのか?この話が本当に民話として語り継がれているのかどうか」
「……それは、でも」
「聞いた話を頭の中で何度も反芻しているうちに、自分の望む別の言葉に置き換えられた経験は誰にもあるものだ。
そうして伝言ゲームのように事実が次々と歪められて伝わったとしても何の不思議もない。口伝の民話とは、本来そういうものだ」
「…………」
自らがバルドルの言葉を間違えて覚えていたことを思い出し、反論できないミケ。
ロクスは続けた。
「そうして、絶対に正しいことだけが残り、悪は絶対に嘘しかつかない、という前提から考えるから、論理が破綻するというのだ。
何もかも信じることと、何もかも嘘だと思うことは、結局は同じことだ。事実を自分の頭で検証しないのだからな。
私の言うことが全て嘘であると考えるから、真実がどこにあるのかがわからなくなる。
探して迷ううちに、何に疑問を持っていたかもあやふやになる。
貴様、魔道士のようだが、実践型だな。論文は苦手だろう」
「ほっといてください」
その通り過ぎて何も反論できない。
ロクスは、それこそ学者が書生に諭すように言った。
「貴様が、『私が呪いをかけた張本人である』と導き出したのなら、その事実から最も矛盾する事象はなんだ?
そこに論点を絞って問え。自らの感情に惑わされるな」
「………」
言われて、考える。
そもそも、自分が何に疑問を持っていたのか。

「……あなたが、ルナウルフを生み出した張本人だというのなら。
なぜ、その自分の作品を、僕たちに倒させたのか……」

「上出来だ」
満足げに口の端を上げ、ロクスは頷いた。
「繰り返すが、私は学者だ。
地質学は必要に迫られて学ぶことになったが、専門は別のところにある」
「………専門?」
「もちろん」
すい、と。
ロクスが指さした先にあった金の塊が、手も触れずに宙に浮いて彼の指先に収まる。
「呪術だ」
彼の褐色の指先に収まった金のかけらは、さらに妖しく輝いているように見えた。
「呪術とは一般的に、相手に害を成すために長い時間術を施す必要がある。
成された害がどのようなものであるかは千差万別だが、術者が呪いを施している間はずっと被術者が苦しむことになる。
逆に言えば、呪いをやめればその害も終わる。施術を中断した後も効果が持続するようにするには、何がしかの媒体を必要とする」
淡々と語るロクスの話は、確かに彼が専門の学者であることを物語っている。内容はともかくとして。
「この媒体に呪術を定着させるわけだが、これがなかなか厄介だ。
呪術に最も必要なものは、何だと思う?」
「………さあ?僕は呪術師じゃないので」
肩を竦めてミケが言うと、ロクスはもっともだと頷いた。
「呪術に最も必要なものは、執着心だ」
「……執着心?」
思っても見ないことを言われ、思わず聞き返す。
ロクスは頷いた。
「相手を長期間苦しめるために、自らも長い時間を費やす。
寝食も忘れ、ひたすら相手の不幸を願い、休むことなく呪いの念を送り続ける。
呪術に必要なのは、そも、そこまでその相手に執着をする精神力だ」
「……なるほど」
人生で最も不要な知識のひとつに数えられるような情報を淡々と教えられ、乾いた相槌を打つ。
「残念ながら、それは私にはない」
ロクスは手に取った金をしげしげと見ながら、淡々と言った。
「私だけではない、魔族はそもそのような執着は薄い。相手を不幸にするために、自分の時間と命を費やすなど馬鹿げている。
気に食わないのなら、その首を切り落とせばいい。それだけで不満なら、気の済むまで嬲ればいい。
だが、だからこそ私は呪術というものに興味を持った」
に、と僅かに唇の端を上げて。
「自らの時間と、知識と、力と、命を費やし、相手を不幸にしたいというただその一点のみを思い、施す術。
その、ある意味実に一途で純粋な思いが生み出す力のメカニズムに、実に興味が湧いた。
しかし、その思いは私にはない。
だから」
ぴ、と金のかけらを弾き上げ、空中に舞い上がったそれを同じ手で捕まえる。
ぐっとその手に力を込めると、ロクスは言った。
「サンプルの採取は、精力的に行っている」
「サンプル………」
嫌悪をにじませた声で、誰かが呟く。
ロクスは彼らの方を向くと、続けた。
「あの女は、実にサンプル採取に向いていた。
自分の美しさを誇り、世界の全ては自分の美しさを称えるためにあると思っていた。
村の男は自分に夢中になるために、美しいものは自分を飾るためだけに存在すると本気で信じていた。
だから、問うた。
美しい金がある、しかしそれは誰かの命を犠牲にしなければ手に入らない、貴様はどうする、と」
淡々と語るそのさまは、相変わらず表情に乏しかったが、どこか楽しそうで。
ロクスは再びこつこつと歩き出しながら、語り続けた。
「女は、構わない、誰かの命で私がより美しくなるのなら、その人間は私に命を捧げるべきだと言った。
だから、その願いを叶えてやった。
女自身の命を使い、女を金で美しく彩った」
こつ。
革の靴先が、金のかけらに当たって音を立てる。
「女自身の精神力を、体を金に変換する力に結びつけるよう術を施した。
女が私を、村の者を、他の女を憎めば憎む程、女の体はより確かな、より美しい金となっていく。
そしてその執着心が金を生み出すことで、呪いに必要な精神力を金そのものに定着できる。
そこにこの村の地場が引き寄せる月の魔力が加わり、黄金の獅子へと変化させる。
女の執着は獅子の牙に宿り、噛んだ者を新たな金へと変えた。
噛まれた者の無念、怒り、悲しみ、憎しみが女の精神力と結びつき、より純粋で、より強固な執着心へと変貌する。
私の術は完璧だった。憎しみが憎しみを呼び、何人もの女の負の感情が絡まり合って、金はより純粋な呪術の媒体へと変化していった。
だが、誤算があった」
「誤算……?」
「村人たちが、獅子を倒さず、生贄を捧げるという習慣を作り出したことだ」
ロクスはなおも淡々と語った。
「若い女だけを狙って噛み、金に変える魔獣。そして変えられた女が次の魔獣になる。
幾度か繰り返せば、自分たちの力ではどうにもならずとも、国や教会に助けを求めるなり、冒険者を雇うなりして、魔獣を倒すだろうと踏んでいた。
だが村人たちが取ったのは、生贄を一人捧げることで被害を最小限にするという方法だった」
つまらなそうに嘆息して。
「家族を殺したくなかったのか、魔獣がもたらす金に目が眩んだのかはわからんがな。
だが、魔獣が倒されなければ、折角形成させた呪術の媒体が私の手に入らない。
乙女を金に変えた後に残ったものなど、ただの哀れな女の残り滓だ」
「……あなたが、倒せばいいじゃないですか」
色々な意味で理解できない、というように、ミケ。
ロクスは半眼で言葉を返した。
「私が構成した術だ。私の魔力で倒してしまっては、術が根幹から瓦解し、折角定着した精神力が霧散する。
故に、私は手が出せなかった」
「それで、僕たちに倒させた、と……」
「そろそろ、待つのにも飽いてきたのでな。
心を操る術は専門外だが、少しは使うことができる。
それを使い、村で最も血の気の多い男の恋人を生贄に選ぶよう誘導した。
その後は知っての通りだ」
に。
再び、唇の端をわずかに歪めて。
「だが、先程も言ったとおり、私は嘘をついていない。
貴様等も私の情報のおかげで事件を解決できたのだろう。
礼を言われてもいいくらいだ。それには及ばんがな。
貴様等は実によく動いてくれた。私の思惑通りに。
おかげで、良質なサンプルが手に入った。私の方こそ、礼を言おう」
「っ………」
ロクスの言葉に気色ばむ冒険者たち。
ロクスは手にしていた金のかけらを手のひらに乗せ、すっと前に差し出した。
「サンプルさえ手に入れば、サンプルに宿る精神パターンを分析できれば。
その精神力を使い、様々に展開をすることができる。
例えば」

こつん。

手のひらをひっくり返し、その金が再び地面へと落下する。
すると。

ぶお、という音ともつかぬ音が洞窟内に響き、その金がまばゆい光を放った。
思わず目を閉じる冒険者たち。

やがて光が消え、目を開けると。

「なっ……!」

彼らの前に、3体のルナウルフが鎮座していた。
その後ろに、満足げな表情で佇むロクス。
「安心しろ、今度はきちんと男も襲うようにしてある。
噛まれれば金になるのは変わらんがな」
こつ、こつ。
彼はそう言いながら、ゆっくりと後ろに退がった。
「仕上げだ。
私の術の成果を見せてもらおう」
こつり。
距離をとって足を止めると、ロクスは、ああ、と思いだしたように言った。

「そういえば、そこの魔術師は私の名に拘っていたな。
ならば、正式に名乗っておこう」

す、と右手を胸に当てて。
意外にも、形式ばった礼をする。

そして顔を上げると、変わらぬ落ち着いた、しかしよく通る声で、名乗りを上げた。

「私の名は、ロキ」

「ロクスクリード・デル・エスタルティだ」

To be continued…

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