ある乙女の、呪いの言葉

どうして私が。
どうして私がこんな目に遭わなくてはならないの。

私には若さがあり、美貌があった。
村中の男達が私に夢中になり、私の言葉一つで舞い上がった。
その美しさを、もっと欲するのは自然な気持ちだわ。

あの石は私にこそ相応しい。
私の美しさの足元にも及ばない連中の血を吸っていたからといって、
それがなんだというの。

私の美しさの礎となれることを光栄に思いこそすれ、
憎むだなんてありえないわ。

世界の全ては、私の美を称えるためにあるのよ。
全てのものは、私を美しく飾るために存在する。
なのに。

ああ、どうして私がこんな目に遭わなくてはならないの。

ひとの言葉を悪意で捻じ曲げて、私をこんな体にした、
あの魔法使いが憎い。
憎んでも憎んでも、憎み足りない。
いいえ、それだけじゃない。

この美しい私を失ったというのに、のうのうと生きている奴らが憎い。
私を失って嘆き悲しむ男達につけ入って、奪っていった泥棒猫が憎い。
それは私のものよ。
私が得るはずだった賞賛、私が得るはずだった幸せ、
それを全て奪い去って幸せ面をする女達が憎い。

憎い、憎い、憎い。
憎い憎いにくいにくいにくイニクイニクイニクイ

私の幸せを奪った奴らを、私は絶対に許さない。
残る力を全てかけても、ここに引きずり落としてやるわ。

私の幸せを奪った奴らを、
私のところへ落としてやる。


私と、同じにしてやるんだ。

作戦会議

「最初に謝っておきます…」
宿屋に戻ってきた冒険者達を前に、ミケは申し訳なさそうに頭を下げた。
「すみません…挑発しすぎました」
その背に陣取る小窓から見えるのは、宿を取り囲むたくさんの村人達。
彼らが宿に帰ってきてから、宿の主人も入り口に鍵をかけて外の村人達に混じっていってしまった。
勝手に台所を拝借して入れたお茶をすすりながら、仲間達も重い表情で互いの顔を見やっている。
「こんな手に出るなんて…みんなも村長の言うこと真に受けてこんなことするとか、どうかしてるぜ…!」
ワーデンたちと一緒に帰ってきたオードも、悔しげに外の様子を見ていて。
「すみません、オードさん。僕が言い過ぎたせいで」
「そ、そんなに気にしないで、ミケさん」
こちらも若干しょげた表情で、ユキがフォローを入れる。
「僕も上手く話を出来なくて、フレイヤさんのご両親を怒らせちゃったような気がするし…」
「それを言うなら、私もだわ」
同様に、すまなそうに肩を竦めるフィリー。
「バルドルを上手く説得できなかった。少し喋ってはくれたけど、正直実になる情報かどうかは…」
「いや、バルドルさんを逆上させたのは私だよ。フィリーくんはそんなに気に病む必要はない」
ワーデンがフォローするように彼女に言った。
「いずれにせよ、こうなってしまったものは仕方がない。まずはお互い、情報交換をしよう。話はそれからだ」
「そうね。どうやらまた新顔がいるようだし」
フィリーが言って、ミケの隣にいる千秋と、フェイの隣にいるトレザンドに順番に視線をやる。
それを感じた千秋が、改めて会釈と共に一同を見渡した。
「何人かは面識はあると思うが、自己紹介をしておこう。一日千秋という、千秋と呼んでくれても構わん。
フォラ・モントへは別の仕事で来たが、まあ見てのとおり巻き込まれてしまったのでな。一枚噛ませてもらうことにした。よろしく頼む」
「千秋さんは何度か依頼をご一緒させてもらってますけど、とても頼りになる方なんですよ。イッルさんが抜けた穴もありましたし、僕のほうからもお願いして仲間に加わってもらったんです」
ミケが笑顔でフォローを入れる。
すると、フェイのほうも満面の笑みでトレザンドのほうを見た。
「トレザンドさんも、すごくいい人なんですよ!ロクスさんのところでお会いしたんですが、話を聞いて是非協力したいって言ってくださって!」
ね!と無垢な笑みを向けられ、鷹揚に頷くトレザンド。
「ああ、フェイくんには言ったが、生贄などという悪習に乙女が犠牲になろうとしているのが我慢ならなくてね。
戦いの腕はあまり期待しないで欲しいが、是非私にも協力させて欲しい。
ああ、自己紹介が遅れて申し訳ない、私の名はトレザンド・ノーキス。トレザンドと呼んでくれたまえ。短い間だが、よろしく頼むよ」
完璧なイイヒト仮面を駆使して、丁寧に挨拶をするトレザンド。
だが、彼はこの後すぐに、この仲間に入ったことを後悔することになるのだった。

「の、呪い……」
若干青ざめた顔で、トレザンドはワーデンとフィリーの報告にぽつりと一言だけ漏らした。
渋い表情で頷くワーデン。
「ああ、バルドルくんは確かに、この村は呪われている、と言った。私たちにも、早くこの村を去らねば、呪いは私たちをも巻きこむことになる、とね」
「わ、私たち、だって?」
裏返った声で言うトレザンド。
(ひょっとして私も含まれるのか? ――なんということだ。それは困る、非常に困る!)
叫びだしたい内心をどうにか口に出さずに、青ざめたまま俯く。
(まったく、とんだとばっちりだ。自ら火の中に飛び込んだようなものとはいえ。
村人じゃないが、いっそ、この冒険者連中を恨みたくなるな。こいつらが変につつき回したからこんなことに……いやいや。
目的の金も手に入りそうにないし、ああ、こんな所、来るんじゃなかった。…………酒場の亭主を恨むか)
そんな彼の内心を知る由もなく、冒険者達は話を続けていく。
千秋が嘆息して、言葉を続けた。
「裏に何があるのかは分からないが、聞くだに妙な事件だ。
魔獣が実在していないかも知れず、しかも魔族絡みの可能性があるのか」
言ってから、ミケに視線を移して。
「…それで、それは『あの』魔族の一派なのか」
「…さあ、それは何とも。本人が出てきてないことには。僕が感知した魔力も微量で、個人まで特定できるものではないですし」
「あの、お2人とも……えっと、魔族に関わったことがあるんですか?」
ミケと千秋の会話に、ずっと気になっていたという様子でフェイが口を挟む。
「ミケさんが、金に残っていた魔力を魔族の波動だって言ってたのがすごく気になってて…
それって、魔族の波動を知ってるってことですよね?」
「まあ、世間一般では魔族の起こす事件なんて一生に一度会うかどうかだからな。俺とミケはなかなか奇妙な星の巡りに会うらしい」
千秋が感慨深く言ったのに続いて、ミケも頷いて言う。
「僕らが関わった事件には、とある魔族の一族が関わっていることが多いんです」
「とある…魔族の一族?」
「はい。『エスタルティ』というファミリーネームの一族で、魔界でも高位の貴族なのだそうです。
とても強い力を持っていて、現世界にもちょくちょく顔を出しているようです。といっても、自ら力を振るうことはなく……まあ言ってみれば、少しだけちょっかいをかけてそれで振り回されて自滅していく人間を楽しく見ている…という感じですかね……」
「そ…それは…なんというか、怖いですね…」
苦々しげに言うミケに、少し青ざめてコメントするフェイ。
「では、今回もその魔族が関わっているということですか?」
「先ほども言いましたが、わかりません」
冷静な様子で、ミケは首を振った。
「魔族がエスタルティだけとは限らないし、僕が感知した魔力もエスタルティと確定できるものではない。
エスタルティ以外にも魔族はたくさんいるでしょうしね」
「それ、同意、します。現世界、魔族、他にも、いる」
「ええっ」
アフィアが淡々と言ったので、フェイは驚いてそちらを見た。
「あ、アフィアさんも魔族に遭ったことあるんですか?!」
アフィアはゆっくりと頷いて、言った。
「うち、魔族、遭いました。エスタルティ、名乗ってない。別、一族」
「そうか……してすると、取り立てて奇妙な星の巡りというわけでもないのかもしれんな」
何故か若干残念そうに呟く千秋に、フィリーがははっと笑う。
「まあ、冒険者ならトラブルに首を突っ込むことも多いしね。残念ながら私は遭ったことはないけど」
「遭わないに越したことはないですよ」
肩を竦めてそう締めて、ミケは本来の話に戻した。
「まあ、魔族が関わっているかもしれない、という点を置いておくとしても、裏がありそうではありますね」
「はい、僕もそう思います」
その言葉に、強く頷くフェイ。
「爪跡が人間による偽装の可能性が高いこと、ミケさんが感じた魔力の波動、ロクスさんから聞いた民話の内容。
『ルナウルフ』の正体は魔族、もしくは魔族の作ったアイテムで、フォラモントの金は……やっぱり人を元にしているものだと思います」
誰もが考えていたことだろうが、改めて言葉にされ、表情を引き締める一同。
「私も同意だよ」
ようやく落ち着きを取り戻した様子のトレザンドも、頷いて同意した。
「魔力が宿る金というのは、フェイくんも言っていたように、おそらく生贄の女性を素材に作られたもの……なのだろう、と思うよ。
世の中には変形術というものもあることだし、儀式を始めるのが決まって”満月の夜”というのも、最も魔力が満ちる時を狙っているのだろう。
生身の人間を非生物に変えるんだ、きっと多大な魔力を要するだろうし、そうして出来あがった金に力の余韻が残っていたとしても不思議ではない」
トレザンドの言葉を、仲間達は真剣な様子で聞いている。
彼は続けた。
「それを前提に考えてみれば、”ルナウルフ”は、やはり、魔族か、それに類する魔力を持つものなのだろうな。
この儀式というのは100年以上も続いているのだろう? 少なくとも、そういうような話は出ていたな。
ルナウルフはずっと金山に留まっているのか、それとも儀式の時期に戻ってくるのか……はたまた、代替わりでもしているのか。
ひょっとしたら、民話に出てくるあの石にされた女性は、実は村長の一族の者で、ルナウルフという魔族と契約を交す姿を比喩している……は、考え過ぎだろうか」
「なるほど、そういう考え方もあるんですね」
感心したように頷くフェイ。
「僕は民話をルナウルフの話のベースにしたと思ってるんですけど、その民話の内容でも悪い魔法使い――魔族が生贄と思えるようなものを望んだ話は無かったし、この民話の指すものが戒めである以上、その部分が伝わっていない、という可能性も低いと思います。
だから、村の人達が聞いてるような、ルナウルフが『生贄を要求して、拒否すれば金山に入る者を皆殺しにする』というのは、定期的に金にする人間を手に入れる為の嘘だと、僕は思います」
「確かに、その民話は気になりますよね」
ふむ、と考え込みながら、ミケが続く。
「どう考えたらいいのかな。
生贄になった人が金が欲しい、と望むと自分が金になる、ということですかね」
「その辺りは、何とも言えないね。口伝で伝わってきた民話だとしたら、伝わる過程で伝言ゲームのように内容が改変されていることも考えられるし」
「なるほど」
ワーデンが言うと、そちらの方に頷いて。
「それに…前回冒険者が関係したとするなら、その冒険者はどうなったんでしょう。冒険者では何もかえられない、とはどういう事なんでしょうね」
「何も変えられない?」
きょとんとして首を傾げるフィリー。
「誰か、そんなこと言ってた?」
「え、バルドルさんがそう言ってませんでしたっけ?」
「……言ってた?」
若干不安げにワーデンの方を見るが、彼も不思議そうに首を振った。
「いや、そんなことは言ってなかったと思うよ?」
「え、だって、冒険者がどんなに強くても無駄だ、何も変えられない、みたいなこと言ってませんでした?」
「そういう解釈も出来る…のかな?」
苦笑して、ワーデン。
「彼はただ、どんなに功績があっても、私たちにルナウルフは倒せない、とそう言っただけだよ。
加えて言うなら、彼が自分の恋人のために冒険者を雇ったかどうかも、確認は取れていない。彼は何も語ってはくれなかったからね。
むろん、語っていないだけで、冒険者を雇ったということも考えられるが」
「なんだか、冒険者に対する態度がきつすぎるのが、前に冒険者を雇ったけど裏切られた、とかそういうことがあったのかな、と思ったんですよ」
ミケは眉を寄せて、再び考え込んだ。
「先ほどの話ともあわせると、金を見て、欲しいと思った。だから、金に変わってしまったとか?」
「そ、それは考えるだに恐ろしい話だね…」
その話が本当だとするならば真っ先に金に変えられてしまいそうなトレザンドが戦々恐々としている。
そんな彼の内心はやはり知ることもなく、仲間達は話を進めていった。
「ま、今の段階じゃ想像するしか出来ないわ。それより」
フィリーがもう一度窓の外に目をやって、眉を寄せる。
「……あれを、どうするかよね」
険しい表情で宿の周りを固めている村人達。
ざっと見たところ、宿の周りをぐるりと取り囲んでおり、裏口からこっそりと出るというのは難しそうだ。空を飛んで出れば物理的に脱出することは可能だろうが…
一様に困った顔をする冒険者達の中で、ただ一人アフィアだけが淡々と言葉を紡いだ。
「村人、力ない。ルナウルフ、倒し行く、邪魔、ならない。
眠らせる、退かせる、方法、いろいろ。うちたち、力、問題ない。退かない、言うなら、脅す、実力行使、あり、思います」
「強行突破、ということか」
彼の発言に、ワーデンが渋い顔をした。
「しかし、それだと村人達の私たちへの不信感はいや増してしまうのじゃないだろうか。
出来れば村人達の納得のうえで生贄を止めたいと思うのだけれど」
「うちたち、一度、忠告、しました」
アフィアは強く言うでもなく、不思議そうに首を傾げる。
「それでも、村人、動かない。なら、うちたち、何かする、理由、ありません。
負けたまま、立たない、それでいい、思う、自由。なら、うちたち、自由にする、当然、思います」
「…強者の論理、だね」
ワーデンは苦笑して、昨日ミケに言ったことと同じことを言った。
「アフィアくんは負けずに立ち向かうだけの強さがある。物理的なものではなく、心の強さがね。
けれど、それを村人達にも求めるのは酷だと、私は思うよ。誰もがそんなに、思い切り良く割り切れるものじゃない」
「割り切らない、自由。うちたち、好きにする、うちたち、自由、思います」
「…そんな風にきっぱり切り捨ててしまうのは、悲しいと思うよ。もちろん、それはアフィアくんの自由ではあるけれど」
「………」
「村人達が自分達で立ち上がらないのは、確かに村人達の自己責任だ。でも昨日言ったように、彼らは『立ち上がれないようにさせられてしまった』んだよ。この村を古くから縛り付けている、忌まわしい風習によってね。あるいはそれこそが、バルドルくんの言う『呪い』なのかもしれない」
「そうですよ、アフィアさん!」
意気込んだ様子で同調するフェイ。
「自分達が金を手に入れるために村人達を騙して人を捧げさせているかもしれない、もしその予想が当たっていたら、なおさら、生贄は止めて、二度とこんな事が起きないようにしないと駄目です。
生贄を2度と出さないようにするには、村の人達の協力が不可欠です。その為にも、まずは外にいる村の人達を説得しちゃいましょう」
「それが一番妥当な策でしょうね」
落ち着いた様子で、ミケが続く。
「強行突破をしても根本解決にはなりそうにないと思います。
生贄を今後止める、そのために必要なのは、村人がルナウルフとそのもたらす金から自分で決別しよう、と思ってもらわないといけない。
話してみて、村人は決して生贄を出すことを良いことだとは思っていない。ただ、ルナウルフに皆殺しにされることが怖いので、『生贄を出さない』という意見を出せない。それはその人だけではなくて村全体の命に及ぶ話で、1人で出せる結論ではないし、極端な話、出さないと言うことは村人全員に死ねと言う話になる。
当然村と仲間を全拒否する形になるから、村八分になる。死ねと言い返される形になる。だから、言えない、と。
そして、金が無くなったら生活が苦しくなるから、生贄に頼らざるを得ない部分もある、と」
ふ、と嘆息して。
「難しいなぁ、と思うんですよね。
お互いが全員監視者で迂闊なことは言えないし、それで生活しているから尚更否定の意見が言えない。普段は仲良しで絆もあるけれど、全体の幸せのためという何かのために犠牲を互いに強いて、押しつけられた犠牲を受け入れざるを得ない状況で」
「僕も…そう思います」
悲しそうに胸元を押さえて、ユキも同意する。
「やっぱり、村の人皆、すごく哀しいなって思う。
頭の中…いろいろごちゃごちゃしてて、言葉に上手くできないけど……恐怖で縛り付けられて、それを言葉にすると村八分になっちゃうから言えなくて……でも皆が同じこと思ってて。
村の中ですれ違いが起きてるっていうのかな。同じ村の中で生活してるのに……」
「ええ。正直、村のためのようで、誰のためにもなってない気がする」
ミケは頷いて、再び言葉を続けた。
「それによって、村はよい方向に行くかと言ったらそういうものじゃない。
見えないから余計怖い『ルナウルフ』っていう何かと、人から悪意や憎悪を向けられること、将来への不安、そういうのがあるだけなんじゃないかな、と」
はあ、とため息をついて。
「生贄を辞めるって言うことは、金による収入が無くなるって言うことだから、その先の道もちゃんと説明しなきゃダメですよね。
生贄を出し続ける村ではなく、前に進める村になってほしいな、と。
それは、説得して、とにかく村人自身が考え方を変えないと、できないことじゃないか、と僕は思います」
「そうだね。それに関しては私も同じ意見だよ。昨日も言ったように、私はこの村を『普通の村』にしたい。そのためにはミケくんの言うように、村人自身の意識を変える必要がある」
ワーデンも頷いてあとに続いた。
「だが、それ以前に…これは非常に個人的な嫌悪の問題なんだけれど、村人を『肉の盾』にしようという村長の考えが、どうも私は好きではないんだ」
苦い表情でそう言って。
「本音を言えば、この件が片付いてからもしばらくこの村に滞在して経過を見届けようかと思っているけれど」
ワーデンのその言葉に、仲間たちの何名かが驚いた様子で彼を見る。
が、彼はすぐに目を閉じて首を振った。
「それは今言いだしても村人の反感を買うだけなので黙っておくよ」
「ああ、それがいいだろうな。今の状態では時期尚早というものだろう。俺も村人たちの説得に回ったほうがいいように思う。
ルナウルフが本当はいないかもしれない、ということならば、妄信している村人たちを説得するきっかけにはできそうだ。
村人たちの心情を慮って、というのもあるが、説得したほうが格段にやりやすくなるというのもある」
「やりやすくなる、ですか」
首をかしげるアフィア。
千秋はそちらの方に頷いた。
「ああ。強行突破はひとつの手段だろうが、これからルナウルフと対峙しようという時に、余計な疲弊は避けたい。ルナウルフはいないかもしれないが、もっと危険な別の何かがいない保証はどこにもないのだからな」
「も、もっと危険な別の何か…」
若干青ざめつつ、ごくりと唾を飲むトレザンド。
「あくまで可能性の問題だ。
それに、ワーデンの言うように終わった後のことも気にはなる。
村長の言うことは狡猾だが的を射ているんだ。村人の理解を得ないで、村人たちを脅したり傷つけたりして先に進んで、たとえルナウルフを倒しおおせたとしても、俺たちへの見方が『ならず者』から『救世主』に変わることはないだろう。
たとえ汚名を着ようとも、村の危機を取り去れればそれでいい、そういう考え方もあるが、村を去る俺たちはともかく、俺たちを雇ったオードが針の筵のような思いをすることは想像に難くない」
「あ……そうか、オードさんはこれから先も村で生きていかなきゃならないんだもんね…」
ユキがつぶやくと、オードは唇を噛み締めてうつむいた。
そこに、ワーデンが続く。
「そうだね。私たちのにらんだ線が確実ならば、ルナウルフを倒せば高い確率でフォラ・モントの金は採れなくなる。それを村人たちが知らないままルナウルフを倒してしまうのは可哀想だと思うよ。
ルナウルフ倒しました、でも金が採れなくなりました、と事後に言うのはフェアじゃない」
そこまで言って、厳しい表情でオードに視線を向けて。
「そんな状態のまま私たちがこの村を去れば、オードくんは『この村から金を奪った裏切り者』となる可能性は極めて高い、と私は思うよ。
そんな状態で、ルナウルフを倒せばそれで全て解決、とは私には思えない」
「そうですよ!それにこれは、ピンチじゃなくてチャンスなんです!」
フェイが意気込んで言うので、全員がそちらをむいた。
「そもそも説得するにしても村の人達を集めなきゃいけなかったわけですし、むしろ、その方法を考えるのと実行するための時間を省いてくれたと思えば、この状況は大チャンスですよね!」
「そ、そうですよね、村人全員集められるみたいだし、説得には最適な舞台には、なりましたよね、ははは」
から笑いをしてから、はあぁぁぁ、と深くため息をつくミケ。
「ぐ、ごめんなさ……」
「だから、全然ピンチなんかじゃないんですって!」
フェイはなおも、元気づけるようにミケに明るく声をかけた。
「村の人達が今恐れているのは『僕たちに生贄を邪魔されると、ルナウルフによって皆殺しにされる』という事です。
これは村の人達の、ルナウルフを『生贄を要求して、拒否すれば金山に入る者を皆殺しにする』存在だという思い込みから来てるんでしょう。
だから、そんな『存在』はいない、って証明しちゃいましょう」
「そうね、私も賛成。バルドルが説得できなかった私に何ができるかわからないけど」
フィリーが言うと、ワーデンが苦笑した。
「それを言われると私も辛いのだけれどね。
ということで、アフィアくん」
そしてもう一度アフィアに向き直り、真剣な様子で言う。
「私たちは村人たちを説得しようと思う。
君にも説得に協力してくれ、とは言わない。だけど、説得をする私たちを待っていてはくれないか。
幸い、生贄の儀式は明日の夜。今日は休んで、明日の朝まで英気を養ったとしても、説得にかける時間は十分ある。
けれど、説得にかかる前に彼らの包囲網を抜け出そうとしたり、まして力ずくでどうこうしようなどしたら、村人の心は完全に閉ざされてしまうだろう。彼らの神経を逆なでするようなことは、もうそれ以外に手段がないという状況にならない限り避けたほうがいい。
村人を傷付けずかつ気付かれず抜け出す手段が確実にあり、なおかつ効果的な行動がとれるなら二手に分かれるのもありだと思うが…」
「その必要、感じません。二手、分かれる、やること、ない」
アフィアはやはり淡々と首を振った。
「うち、説得、反対、ちがう。説得、必要性、うち、感じない。だから、やらない。
けど、みんな、説得、必要、思う、理解、します。手、出さない、代わり、邪魔、しない」
「ありがとう、アフィアくん」
ワーデンが嬉しそうに微笑むと、ユキもこっそりと息をつく。
「僕も…説得がうまくできる気がしなかったから、それなら二手に分かれて何かしたほうがいいかなと思ったけど……そうだね、ワーデンさんの言うとおり、村の人たちに気づかれないように抜け出す手段はないし、抜け出せたとしても効果的な行動のあてがあるわけじゃないから……みんなと一緒に説得に当たるね」
今日のフレイヤの両親への話が上手くいかなかったことをまだ気にしている様子でそう言うと、ワーデンもゆっくりと頷いた。
「そうだね、その方がいい。明日は村人の説得と、肝心のルナウルフ退治が待っている。今日はみんなでゆっくり休むのがいいと思うよ。
けどその前に……オードくんに、最後にひとつ、確認しておきたいことがある」
「お、オレか?」
急に自分に話を振られて、オードは困惑した様子でワーデンの方を向いた。
ワーデンはぐっと表情を引き締めて、ゆっくりとオードに問う。
「もし生贄をやめる代わりに『金』が取れなくなるかもしれない、となったら、君はどうする?」
他の仲間たちも、その質問にはっと表情をこわばらせる。
そして、当のオードは迷うことなく、決意を表情にみなぎらせた。
「そんなん、決まってんだろ。生贄なんてやめさせる。金がなくなっても、オレたちは生きていける。いや、生きていかなくちゃいけない。
そもそも、誰かの命の上にあぶなっかしくたってるこの状況が異常なんだよ。誰かがどうにかしなくちゃいけなかったんだ。
今がその時なんだよ」
「………ああ、その通りだね」
にこりと微笑むワーデン。
仲間たちの緊張感もふっと緩む。
「僕からもいいですか、オードさん」
続いてミケが軽く手を挙げて言い、オードがそちらを向いた。
「オードさん自身は、まだ金の加工をしたことがないんですか?金の加工を見たことはないんですか?」
「ん?オレんちの担当は仕上げみたいなもんだからな。家によって担当は違うんだ」
「そうなんですか」
ミケは驚いたように言い、それから眉を曇らせた。
「それじゃあ、村長から金がどのような状態で渡されるかは……」
「ああ、金の形を整えるのは別のところでやって、そこからオレんちに回されて最終的な細工をする、って感じだからな。
オレは他んとこがどんな感じでやってんのか、まだ見せてもらったことねーんだよ」
「そうですか…ワーデンさんがご存知の金の細工方法と比べて、何かおかしなところがないかわかるかと思ったんですが…」
「そっか、そういうことか。悪ぃな、力になれなくて」
「いえ」
ミケは短く言ってかぶりを振ると、さらに続けた。
「では、これは…今聞く質問でもないのかもしれませんが……その。
村長さんの息子さんって、フレイヤさんに懸想していたり、しませんか?」
「は?」
あまりにも予想外のところから降ってきた質問に、唖然とするオード。
「懸想、って、フレイヤのこと好きかどうか、ってことだよな?」
「あ、はい、そうです」
「や、そりゃ、本人の口から聞いたわけじゃねーし、ありえねーって断言はできねーけどよ」
困ったように頭を掻いて。
「…ねーんじゃねえの?だってあいつ、彼女いんぜ?」
「え、あ、そうなんですか」
拍子抜けしたような表情で言って、ミケは眉を寄せた。
「じゃあ…こっちも違うかな」
「まあ、どんな事実が隠されているにせよ、生贄の儀式に行けば全てがわかる。そう結論を急くこともあるまい」
千秋が言うと、ミケは不満げに嘆息する。
「まあ…そうですけど」
「それより、俺はその…地質学者の方が気になるな」
今度は千秋が腕を組んで唸った。
「ロクス、と言ったか。話を聞いている限りでは本当に色々なことを知っているのだな。
彼は確かに『魔術師ギルドが高位の術者を使って鑑定させてようやく判明したものだ』と言ったのだな?」
「えっ、は、はい。確かに」
慌てて答えるフェイ。
千秋はさらに眉を寄せた。
「ロクスがフォラ・モントの金について調べる中で魔術師ギルドに鑑定を依頼したのであれば『魔術師ギルドの高位の術者を使って』となるのでは無いか?」
「そ…それはさすがに考えすぎじゃないかと思うんですが…」
助詞一つの違いでそこまで言及されて、困惑した様子のフェイ。
トレザンドも、何を言っているのだという様子で眉を寄せる。
「ロクス殿が魔術師ギルドに依頼をして、魔術師ギルドがその依頼を叶えるべく高位の術者を呼び寄せたとしたら、そういう言い方でも間違いではないと思うがね」
「まあ…確かにな」
納得は行っていない様子で、千秋は更に考え込んだ。
「あるいは前々から魔術師ギルドが調査していて、その内容を文献の中から拾っただけなのか?
……どうも変な感じだ。念の為、気にかけておいたほうがいいかも知れない」
「気にかける…ですか?」
「そうだ、彼も金山に入る機会をうかがっているのであれば、我々が入る時に声をかけてみるのはどうだろうか?」
「ロクスさんも連れて行く、っていうことですか?」
驚いたように言うフェイに頷きかけて。
「危険は危険だが……調査に協力してもらっているのだろう?
話だけは持っていくべきではないだろうか。俺も一度直接会って話してみたい」
「そうですか…?」
これにはミケが難色を示した。
「僕は反対かなぁ、と思うんですよね」
「というと?」
「生贄の話を確認しに来た神殿の人という可能性も無いとは言えないし」
「…なるほど」
「……やっぱり気になるんですよね。
金色の獅子、っていう発言」
ミケは嘆息して、一同を見回した。
「普通ルナウルフから想像するのは、狼ですから。10年に1度の生贄の話も、伝承も、なかなか村人は口を割りたがらない内容じゃないかなーと思うこともよく知っていますしね」
「えっ、でも、それは」
これには、ユキがきょとんとして口をはさんだ。
「あの、僕の解釈が変かもしれないんだけど…ロクスさんは、富裕層の間で、生贄の話がまことしやかに囁かれてる、そのことが金の価値を上げてる、って言ってて…僕はむしろそれを聞いて、村長が金の価値を高めるために、顧客に対してわざと内緒話を漏らしたって思ったんだ」
「えっ……」
ミケはきょとんとして声を漏らし、それからまた俯いて唸った。
「…そうか、そういう解釈もできますよね……」
「それに、伝承って、ひょっとしてあの昔話のことですか?石にされてしまった乙女の」
「はい、そうです」
こちらはフェイの言葉に、そちらに向かって頷きかける。
フェイは困ったように言った。
「ロクスさんは、このあたりでだけ語り継がれる民話、って言ってたんですよ。フォラ・モントだけだったらこの村だけでって言うと思うんですよね。なんとなく、フォラ・モントを含めた近隣一帯っていうニュアンスを感じました。
それに、僕らは生贄の女性が金に変えられてしまったかもしれないと思っていて、さらに爪痕の金に魔族の気配が残っていることを知っているから、あの話と今回のことを結びつけましたけど、その前提がなかったらただの自業自得を戒めた昔話だと思うんです」
「そうだね、私も少し、村人の知識で結びつけるのは遠い話だと思うよ。彼らは金は掘り出してくるものだと思っているし、魔族の気配が残っていることも知らない。もっと言えば、魔法使いが魔族を比喩するものだということも、一般の人は持ち合わせない知識だと思うしね」
ワーデンも同意して頷いた。
「あのお話で女性が変えられたのは石であって金じゃない。女性が欲しがる綺麗な石と言われて普通連想するのは宝石だ。村人たちがそれを生贄と金と結びつけて口を閉ざすというのは、少し考えにくいと思うよ」
「そうですか……?」
千秋同様、納得は行っていない表情で眉を寄せるミケ。
ワーデンは苦笑した。
「私も、ロクスさんの発言は腑に落ちない点があると思うけれどね。でもそこまではさすがに、穿ちすぎかと思うよ」
「うーん…考えすぎならそれはそれでいいんですけどね。やっぱり気になるのは確かなんで。勘、っていうのかな」
ミケは虚空を睨みつけるようにして、言葉を続ける。
「監視という意味で手元に置いておきたい反面、本当にただの地質学者だった場合、まずいものを発見しちゃったときが、困る。どうなるかなー…」
「不安要素という意味ならば、私は近くにいてもらったほうがいいと思うけれどね」
ワーデンが言うと、ミケはさらに難しい顔になった。
そこに、千秋が嘆息して言う。
「…まあ、いずれにせよ、会ってみたいというのはあるのでな。ミケにはすまんが、生贄の儀式の前に時間があれば立ち寄ってみようと思う」
「そうですね、そこは千秋さんにお任せします」
決定権を千秋に委ね、ミケは再び一同を見回した。
「では、他に何もなければ、僕はちょっと台所を拝借して、精のつきそうなものを作ってきますよ。ご主人も外の人垣に参加されてしまいましたし。しっかり食べて、しっかり休んで、明日に備えましょう」
「あ、僕も手伝うよ。こんなに大勢じゃ、大変だろうし」
立ち上がるミケにユキも続き、二人は厨房へと姿を消す。
皆が落ち着いて相談の雰囲気が和らいだところで、トレザンドが何とはなしに仲間たちに問いかけた。
「それにしても…ちょっと聞かせてもらっていいかね?」
「うん?何をだい?」
きょとんとするワーデンに、ためらいがちに視線を泳がせて。
「君たちは…なぜそこまで赤の他人である依頼者たちに入れ込めるのか。
呪いが降りかかるかもしれないんだよ?依頼を放棄して、逃げようとは思わないのかい?」
平静を装ってはいるが、その表情と語調には、うっすらと『理解できない』という色が滲んでいる。本当に僅かで、よく注意して見ていなければ気にならない程度ではあるが。
「オードくんには失礼だが、それほど多額の報酬が積まれているというわけではない。命の危険もある。それなのに、生贄を助ける理由があるというのなら、後学のためにも是非その心情を聞かせてもらいたいと思ってね」
仲間たちは不思議そうに顔を見合わせる。
そして、最初に淡々と答えたのは、アフィアだった。
「うち、依頼、受けた。依頼、遂行、するだけ。呪い、命の危険、はねのければいい」
「そうですよ!受けた依頼はきちんとこなしたい、それもありますし、何より生贄にされるなんて可哀想すぎます!」
意気込んで言ったのは、フェイ。
「オードさん、フレイヤさんのためにも、そしてこの村の未来のためにも、どうにかしてあげたいんです!」
「成程ね…」
納得した様子はないが、とりあえず頷いて見せるトレザンド。
そして、ワーデンに視線を向ける。
「ワーデン殿も、かね?失礼だが先ほど、事件が終わったあとも村に残りたいと言っていたようだが…そこまでこの村に入れ込める理由があれば、ぜひ聞かせてもらいたいな」
「理由……理由、ね」
ワーデンは困ったように苦笑した。
「改めて考えたことはなかったな……そうしたいから、ではダメなのかな?」
「…まあ、理屈より感情が先に動くということはあるだろうがね」
「その感情が動いた理由が知りたい、ということだよね。わかった、今夜一晩考えてみるよ」
ワーデンはにこりと微笑んで、それから再び窓の外に目をやった。
「…今は、目の前の問題をひとまず解決しなくてはね。
明日は、長い一日になりそうだ」
感慨深げにつぶやいてから、再び仲間の方を向いて。
「ミケくんの料理をしっかりと食べて、彼の言うとおり、明日に備えよう」
ワーデンの言葉に、仲間たちは無言で強く頷くのだった。

震える羊たちへの言葉

ざわっ。

翌日の太陽が出てまもなくの頃。
宿屋のドアが開いたことで、周りを囲んでいた村人達の間に緊張が走った。
「出てきたぞ……」
「あいつらか…」
そんなことを口々に囁きあいながら、ぞろぞろと出てきた冒険者達に警戒の姿勢を見せる。
冒険者達はゆっくりと歩みを進め、おもむろに村人達の前で足を止めた。
中央にはワーデンとミケ。その両脇にフェイ、千秋。フィリーとトレザンドは後方に控え、アフィアは一番後ろでじっと全体の様子を伺っている。
最初に一歩前に出て、満面の笑顔で村人達に向かって言葉を放ったのは、ミケだった。
「わざわざお集まりいただいて申し訳ありません、僕はミケ。生贄反対派で、今夜の儀式を止めたいなと思ってます。よろしく」
村人達のどよめきがさらに増す。言った通りだ、やっぱりこいつらは、などと口々に言い合い、事態は早くも収拾がつかなくなってきた。
と、そこに。
「………ファイアーボール」
ぶおっ。
何の前触れもなく唱えられたミケの呪文と共に、彼の手のひらの上に大きな火の玉が生まれ、村人達はもちろん、仲間たちまでも唖然としてそれを見る。
ミケはなおもにこにこと満面の笑みを浮かべながら、村人達に向かって言った。
「すみません、ちょっとお話を聞いて欲しいんです。大丈夫です、やりませんから」
全く説得力のない言葉を吐くミケに、ますますパニックに陥る村人達。そこかしこから悲鳴も聞こえ、何かの工具を構えて応戦の姿勢を見せている者もいる。
「だから、大丈夫ですって。ちょっと静かにしてください、お話を聞いてくれればいいんですから」
「聞くかーーー!!」
ぱこん。
やっとのことで傍らにいた千秋がミケの頭をはたくと、火の玉はあっという間に空中に解けて消えた。
「何するんですか千秋さん」
「それはこっちのセリフだっ!刺激しないように説得するのにしょっぱなから刺激してどうする!」
「…いえ、これが女の武器だって僕の先生が」
「お前はいつから女になった!」
「千秋さん、つっこむところはそこじゃないです」
思わずさらにツッコミを入れるフェイ。
「ミケさん、挑発ならもういいんですよ?」
「え?これなら一般市民相手に要求飲ますには最適じゃないですか」
「今のミケさんの言動と行動は誰がどう見ても悪役です」
「……まあ、つかみの冗談はこのくらいにして」
「今の行為で何をどう掴めると言うんだ……」
村人達は3人の掛け合いを不安そうな面持ちで見ながらひそひそと囁きあっている。
ワーデンは苦笑して、ミケと同様に一歩前に出た。
「驚かせて申し訳ありません。私はワーデン。ここにいるオードさんに雇われた冒険者…いえ、ただのしがない細工師です。
こちらには金細工のデザインを一目見ようと伺ったのですが、生贄の話を聞いて放っておけず、仲間に加わらせていただきました。
あなた方にもあなた方の言い分や、大切なもの、守りたいものはあるでしょう。しかし、ひと時でいい、私達の話を聞いてはくれませんか」
ワーデンの静かな、しかし真摯な訴えかけに、どよめいていた村人達も徐々に静まり返ってくる。
なにがどう、と言葉で説明するのは難しいが、彼の言葉に何故か従ってしまう、そんな不思議なオーラを彼は纏っていた。
「すごいですね、ワーデンさん」
「お前も少しは見習え」
ミケと千秋のかけあいを背に、ワーデンは微笑んで頷くと、再び村人達に向かって口を開いた。
「ありがとう。
ではまず、皆さんに問いたい。
ルナウルフ、とは何であるのか」
彼の最初の言葉に、村人達は戸惑ったように顔を見合わせた。
「何って…」
「化けもんだろ…山に住んでる」
再び小声でざわざわと囁きあっている。
「では、少し整理してみましょうね」
そこに、ミケが一歩前に出て、先ほどの笑顔全開の脅迫などまるで無かったかのように落ち着いた様子で村人達に言った。
「まずは、生贄を捧げないと、金山に入る村人が皆殺しにされる、と言われている、ということですが。
これ、村人全員が、という訳ではないのですね。『金山に入る村人が』というものです。屁理屈だと言われればそれまでですが。
これは『金が取れないと村人が飢えて死ぬ』というだけの話ではないですか?正確な言い伝えは皆さんの方が詳しいと思いますが、生贄を出さなかったら村人が皆殺しにされる、という言い伝えはなかったかと思いますが、どうでしょう」
村人達のざわめきが少し大きく響く。
「し、しかし」
その中の一人が、恐怖半分、怒り半分という様子で言った。
「生贄が来なかったら、金山から絶対に出ない保障なんてどこにもないじゃないか。金山に入る奴を殺したら満足するなんて思えない」
「ふむ、そういう考え方もありますね」
特に反論せずに頷くミケ。
とそこに、フェイが一歩前に出て、よく通る声で言った。
「では、皆さんの中で、過去、生贄が選ばれた日の前後にルナウルフの姿を金山以外の場所で見かけた人はいますか?」
その質問に、村人達は顔を見合わせたまま黙り込んでしまった。
頷くフェイ。
「誰も見た事が無いみたいですね。
僕たちも、ルナウルフの姿について聞いてみると、聞いた人はみんな『見た事が無い』と言いました。
でもこれっておかしいですよね? 生贄を選ぶ以上は外に出てるのに、今まで誰も見た事がないなんて……
こっそり隠れて爪跡を残している、っていうならまぁ、分からなくはないですけど、これはもっとおかしいです」
フェイの言葉に、不思議そうに眉を寄せる村人達。
フェイは瞳に強く力をこめて、続けた。
「だって姿を見せたらいけない理由はルナウルフには無いんですよ?
むしろ見せた方が皆さんの恐怖を煽って生贄をより得やすくなりますよね。
退治されるのを恐れたという可能性も無いでしょう。
だって、初めて生贄を要求した時点でそうされる可能性は高いんですから、そして今でもルナウルフが存在する以上、退治しようとした相手はいたとしても、尽く返り討ちにされていることになります。
ほら、ますます姿を現さない理由が無いですよ?」
村人達はなおも戸惑った様子でお互いの顔を見合わせている。
そこに再び、ミケが淡々と説明を始めた。
「10年おきに生贄を要求する、ということもそうです。
確実な期間として、60年前後の間にルナウルフを見た人はおらず、生贄以外で死んだ人もいない。金山に入る人も村人も惨殺された形跡がない。
10年おきに生贄を要求するのに、どの家に生贄となるべき人がいるのか分かっている。
金山の入り口には鍵がかかっている。扉にも鍵にも錆が浮いたりしていて、壊された形跡もなく、中から何かが出てこられるとは思えない。
誰も入れないように村長さんの家では見張りがいるのに、出てきたルナウルフを見ていない」
一気に挙げてから、ふう、と息をついて。
「普通、肉を食べる生き物で、10年籠もりきる生き物など、いるとは思えない。餌をとりに出る必要があるでしょう?なのに、この周辺で、見た人が誰もいない。……言い方は悪いですが、10年保つ食料も、そうは無いと思います。腐るでしょう、普通。中に氷室でもあるとか魔法で凍らせ続けるとかできるなら、あるかもしれませんが。
入れないように見張っている人がいるなら、中から出てくるものを見ることもできるはずなのに、そんな話は聞いたことがないでしょう?そもそも、扉には鍵がかかっている。内側から開けたなら、壊れていてもいい。上の通風口から出てこられるなら、フレイヤさんの家の爪痕はもっとずっと小さいはず。……金山の中に別の出入り口があるなら別ですが、ざっと見た感じなさそうです。
村の皆さんで、他に金山に入れそうな道を見つけた人っていらっしゃるんでしょうか?」
ミケの言葉に、また無言で顔を見合わせる村人達。
その中の誰も、ミケの問いに答えられる者はいないようだった。
「それに、です」
再びずいと前に出るフェイ。
「生贄を選定した証である爪跡ですけど、調べてみた結果、あれは人が偽装したものだという事が分かりました」
どよっ、とひときわ大きなどよめきが村人達に沸き起こった。
「今からその証拠を見せます」
高らかに宣言して、フェイはロクスから預かってきた板やナイフ、金色の塗料を取り出した。
そして、昨日ロクスがやったのと同じことを、村人達の前でやってみせる。今日は少し大きめの服を着ていたので、獣変身をしても服が破れることはなかった。ルナウルフの手前、狼に変身したフェイに軽くパニックにはなったが。
それでも、フェイがつけた爪痕とナイフで偽装した爪痕に金の塗料を塗って見せると、村人達の表情が変わった。
「見てのとおりです。どうですか、僕の爪でつけたものと、ナイフを使ってつけたもの、どちらがフレイヤさんの家の爪跡に似ていますか?」
「こ……こっちです」
呆然とした表情でナイフの傷を指差すフレイヤの父。
「僕もそう思います」
フェイは厳しい表情で頷いた。
「そもそも、おかしいことだらけなんですよね」
肩を竦めて、ミケがそれに続く。
「扉に思い切り爪を叩き付けたら凄い音がしますよ。普通にするノックとは違うんですよ?えぐれるくらいに叩き付けるんですよ?言ってみれば斧を扉に突き立てるようなものです。家人もですが、ご近所でもそんな物音を、誰か聞きましたか?そもそも家人が気がつくのは翌朝でした。
気づかれないように、そっとルナウルフが爪で削って、塗料塗っているとは……ちょっと想像したくないですね」
「そうですね、ありえません。こうして並べてみれば、爪がつけた傷跡と違うのは明らかなんですから」
再びフェイが頷いて同意し、村人の方を見る。
「選定の証である爪跡が『人間』が偽装したものなら、何故偽装する必要があるんでしょう?
金山に入れる村長さん達以外は誰も、一度すら見た事の無い姿、そして、人間によって偽装された爪跡」
一息入れて、ゆっくりと結論を語るフェイ。
「……僕達はこう考えました。
生贄を要求して、拒否すれば金山に入る者を皆殺しにする『ルナウルフ』何ていう存在はいないってね」
再びざわざわと村人達がざわめきだす。
フェイの言葉に続く形で、ミケも言った。
「ルナウルフは、いない。または、いたとしても、金山からは出てきていない。
前者は保証できない。けれど、後者は自信を持って言えます」
「では、なぜ」
それを統括するように、ワーデンが再びゆっくりと言った。
「ルナウルフが実在しないというならば、
儀式を続けて生贄を出させる意味はなんだろう、ということになる」
新たに投げかけられた疑問に、村人達は神妙な様子で彼の話を聞く。
ワーデンはゆっくりと、一言一言を噛み締めるように、続けた。
「村の人たち、貴方がたの中でもうすうす気づいていらっしゃる方はいると思いますが───生贄と引き換えになっているのは…実在しないかもしれないルナウルフの脅威に対する保障ではなく、───実は『金』なのではないか、ということです」
「金、だって?」
意味がわからない、というように声を上げる村人。
それには、ミケが頷いた。
「そうです。その金も、ちょっと不思議なんですよね」
再び彼の方を向く村人達。
ミケは続けた。
「金とは、鉱物ですので、採掘には本来重労働が伴います。人海戦術で掘るわけですね。よって、金山周辺には人が集まって、ゴールドラッシュとかも起きたりします。川が汚れ、動植物、果ては人間にも影響が出ることもあります。落盤だってあるでしょう。
しかし、このフォラ・モントは平穏そのものです。今言ったような被害はまるで出ていない。
ついでにいうと、掘るのに人もいらない。だって、村長さんの一族だけが金山に入るわけですよね?」
村人達の反応がないのを肯定と判断して、ゆっくりと言葉を続ける。
「まるで、中に金がそのままぽん、と置いてあるようじゃないですか。
それなら簡単ですよね。人はいらない、重労働も必要ない。近隣にもなんら影響がありません。『ルナウルフ』がくれるのならば説明はつきます」
「ルナウルフが……くれる、だって?」
「あんた、さっきルナウルフはいないって言ったじゃないか!」
言い返す村人に、ミケは静かに首を振った。
「僕がいないと言ったのは、10年に一度生贄を要求し、選定するためにあの金山を出て、爪痕を残し、そして捧げられた生贄の乙女を食らう魔獣などいない、ということです。
しかし、ワーデンさんの言葉の通り、生贄は捧げられている。それには必ず、意味があるはずです。生贄を捧げなければならない理由がある」
「金山に入るのも、金の採取も、金の収支も村長一家以外のものは知らないのですよね?」
それを引き継ぐように、さらに言葉を続けるワーデン。
「村全体の収益を公開しない、どころか村人の生死にまで関わる事柄でありながら、殊更に他の村人を関与させないのは、『見せられないこと』があるからではないのですか。
そして、村長一家が儀式に強行的なのも、それが『金』産生に関わることなのだとしたら理由は通ります」
「見せられないこと……」
「村長が…まさか……」
ざわざわと囁きあう村人達。
ミケはひとつ息をつくと、再びゆっくりと語り始めた。
「僕は魔導師をやっています。それなりに高位の魔導師のつもりです。
……さっきの扉の金と塗料なのですが、魔力を感知してみたんです」
「魔力を、感知?」
「はい。魔法を知らない方にはあまり馴染みのない言葉でしょうが、僕たち魔導師は、魔法がかけられたものを調べて、それがどんな魔力か、果ては誰が使った魔法か、とということを感じ取ることが出来るんです。
そして、それと同じことを、あの扉の爪痕にやってみた。思ったとおり、ごくわずかですが魔力を感じました。……聞いた話なのですが、フォラ・モントの金の特徴なのだそうですね」
そこで一旦言葉を切って、ゆっくりと続ける。
「……僕が気になったのは、これ……恐らく魔族の波動が一番似ているんです」
「なっ……」
「ま、魔族だって……?!」
にわかに村人達の間に動揺が走る。
ミケはゆっくり頷いて、続けた。
「先ほども言いましたが、ごく僅かなんです。塗料に混ぜられた僅かな金から感じられた、それもあの金にかけられたというよりは、魔力がかすって去っていった、という程度の僅かな魔力。大元の金塊でなら判別できるかも知れないし、できないかもしれない。けれど、これは決して良い物ではない。それは断言できる。
これに関しては、他に分かる人がこの場にはいないから、信じてもらうしかないですが」
「金山に決して立ち入らせない村長一族。生贄の乙女を連れて行き、あなた達に『見せられないこと』があって、それはおそらく金の産出に関わるもの」
再び、ワーデンが先ほどの説明をくり返した。
「そして、そこから産出される金には…魔族の気配がある。
このことから、どういう結論が導き出されるか…想像がつく方もいらっしゃるんじゃないでしょうか」
「村長が……魔族に、生贄を捧げて…その代わりに金をもらってる、っていうのか」
青ざめた顔で言う村人に、ワーデンはイエスともノーとも言わずに言葉を続けた。
「断定は出来ません。しかし、それに近い事実があるのではないかと思います」
「それが何を意味するか、フォラ・モントが相当危ない橋を渡っていることに気付いている奴はいないのか?」
そこに千秋が言葉を挟み、村人は一斉にそちらを向いた。
「危ない橋、だって?」
「ああ」
村人がくり返すと、そちらに向かって頷いて。
「ルナウルフなる魔獣に生け贄を捧げて、代わりに得られる金を売って生活しているということ……それを、どこかの神殿が聞いたらどうなると思う?
俺はナノクニの人間だから良く分からないが、ここにいる10人そこらの冒険者とは比べ物にならないほどの軍隊を引き連れて討伐に来るんじゃないか?
相手が話しを聞いてくれる保障も無い。『フォラ・モントの村人は生け贄を捧げることを是としているんだから、もはや更正の余地はない』とか言われて村ごと火あぶりにされても文句は言えない状況なんじゃないかと思うんだが、違うか」
再び村人達の間にどよめきが走る。
そこに、ミケが言葉を続けた。
「この村の金は、産出量が少ない。そして質が良い。それを更に値を上げる宣伝文句があるのだそうですね。皆さんご存じかどうかは知りませんが。
『うら若き乙女の命と引き換えに生まれた金』……」
村人達のどよめきがさらに音を増した。
「表立ってではないが、裏で話が回る程度には生贄を出していることは有名だと、いうことですね。この話をしてくれた人は、10年に1度生贄を捧げる話もしていましたから、案外詳しい話が出回っているのかも知れません。
この金が王侯貴族を飾る日が来るかも知れない。……この金の価値なら、献上品となってもおかしくはないでしょう?
そのとき……彼らが身の安全のためにその献上品を調べたとしたら?おかしな細工がないか、魔法がかかっていないか、調べたとしたら?宮廷魔導師ともなれば……僕などよりもはっきりこの金の魔力について分かることでしょうね。
それとも、出回る噂が正義感溢れる誰かの耳に入る方が速いでしょうか。
既に、魔導師ギルドでは魔法鑑定していることがありますし、魔力を帯びていることを真贋の判定に使われていけば、いつか魔族の気配に気づく魔導師も出るでしょう」
ふ、と息をついて。
「皆さんは、被害者です。出さなかったら村八分にされる。……もしかしたらルナウルフが出てきて殺されるかも知れない。だから、生贄を出す。出して殺さないで欲しい、と。それだけなら、被害者というだけですみますが……
先ほどワーデンさんが言ったことが本当なら、あなた方は見返りに金を手にして生活している。……金ほしさに魔族に人間を捧げている集団だと見えませんか?
古来より、魔物と手を結んだ者に対して、この世界はどんな制裁を加えるのか、なんとなく理解はできますね?
皆さんが恐れる村八分などではすみませんね、世界からこの村は敵と見なされます。人は、敵だと見なした相手には、非情です。まして、魔に属するものに与している場合は明らかに世界の敵ですから。
今回は、冒険者だけで済みました。けれど、次は?10年後の生贄までに神殿からの大軍がくるかもしれません。10年後、生贄を出している儀式の最中を押さえられたら、言い逃れする間もなく村ごと始末されますね。それを凌いだとしてその先は?あなたがたは今、既に薄氷の上です。
その情報が神殿だったり、魔導師ギルドだったり、国だったりの高位の人の耳に届いたら、おしまいです。
なにせ、情報は宣伝文句として、証拠になりうる金と共に広まっているのですから」
ざわ。ざわざわ。
村人のどよめきは、すでにミケの声も届かぬかというほどに高まっていた。
「まさか、村長くらいは分かっててやってるものだと思っていたんだが……誰もそういった話を聞いていないのか」
嘆息して千秋が言うと、ざわざわとお互いに確かめ合う。
しかしやはり、そのような話を聞いている者はいないようで。
「村長が…」
「まさか……」
「だって…」
口々に囁かれる言葉の響きに、だんだんと村長への不信の色が濃くなっていっている。
千秋はさらに続けた。
「オードがフェアルーフの冒険者の店に依頼として話を持ち込んでいるし、ミケの言うように魔術師ギルドは魔術師ギルドでフォラ・モントの金に怪しい魔力が混ざっていることには感づいているようだ。
『うら若き乙女の命と引き換えに生まれた金』だなんて売り文句で富裕層の手に渡っているなら、貴族や神殿がその話を聞いて調べだすのも時間の問題だと思うぞ。
それならまだ、話が通じて利害のためなら平気で口をぬぐう冒険者なんていう人種に厄介ごとを押し付けてしまえば、最悪の事態は回避できるのではないかな」
「ち、千秋さん……」
微妙な表現をする千秋を複雑な表情で見やる仲間達。
千秋はまあそう怒るな、と目で合図して、さらに言った。
「言い方は悪いが、俺たちにはことを公にせずに穏便に収める気がある、ということだ」
「ええ、あとは皆さんの気持ち次第なんですよ」
にこりと微笑んで、ワーデン。
「すなわち、ここで生贄をやめて『金』に頼らず生きる道を模索するか、
今まで通り『金』を得て、10年ごとに必ず愛する誰かを失わなければならない業を続けるか、ということです」
そしてふっと微笑を消すと、真剣な表情で続けた。
「…さて、そこで一度、一人一人にお伺いしたいと思います。
『村全体』のことは一度横に置いておいて、それぞれ御自身の心情にお尋ねします。
『金』は、貴方方の大切な家族、恋人、友人の命と引き換えに出来るものですか?未来の子孫に対して負う罪に足りるものですか?」
ワーデンの言葉に、神妙な様子で口をつぐむ村人達。
ワーデンはしばらく沈黙してから、ゆっくりと告げた。
「───今、皆さん方一人一人が思った事の総和が、すなわち本来のこの村の意志ではないですか」
村人達を勇気付けるように、力強い笑みを見せて。
「儀式を続けることは過去の生贄の乙女達への贖罪にはなく、儀式を止める事は彼女達の遺志を貶めることではありません。
なぜなら彼女達の多くは『自分一人の犠牲で済むのなら』と、自分を納得させていたのではないですか。つまり、『他の誰かが犠牲になるよりは』と。
違いますか、フレイヤさん」
突如呼ばれたフレイヤの名に、村人達は驚いてワーデンの視線を追った。
そこには、いつの間にかオードに連れられてきたフレイヤの姿がある。
おどおどと視線をさ迷わせ、ここにいて良いのだろうかと不安げな表情を張り付かせて。
「フレイヤ!家にいろと言っただろう!」
「父さん……」
フレイヤの父が叱りつけるが、オードがフレイヤの前に立って毅然と言い返した。
「おじさん、オレが無理やり連れてきたんだ。フレイヤは悪くねーよ」
「オード……」
複雑な表情で2人を見やる父親。
そこに、ミケが声をかけた。
「フレイヤさん。
あなたは、今、怖くはないですか?死にたくないと思ったりしていませんか?」
「それは……」
俯いて口をつぐむフレイヤ。
ミケは答えを待たずに頷いた。
「そう。答えられませんよね。それが正しいんです。そうでないと家族が追い出されてしまう。そうでないとルナウルフに村のみんなが殺されてしまうから。金が取れなくなってしまうから」
村人達も気まずげに視線を逸らす。
ミケは続けた。
「でも、こっちなら答えられますよね?
『なぜ、生贄になろうと決心したのか?』。どうですか、フレイヤさん」
「それは……」
村人達を前にして、言葉に詰まった様子のフレイヤ。
「…っ、フレイヤさん!」
たまりかねたように、ユキが一歩前に進み出た。
「大丈夫だよ。僕達がいるし、オードさんだっている。
フレイヤさん、オードさんと約束したんでしょ?おじいちゃんおばあちゃんになっても一緒にいるって。
見も知らない、存在していないかもしれない存在のために、その約束を守れなくなるなんて、そんなのおかしいよ。フレイヤさんも嫌でしょ?」
「ユキ……さん……」
「僕は、傍にいることはできないけど……応援、してるから。
フレイヤさんの傍にはオードさんもいる。……大丈夫だよ」
「………」
フレイヤは一瞬泣きそうな表情で、それでも微笑んだ。
「……私……」
か細い声で、ぽつり、ぽつりと語り始める。
「死ぬのは…怖いです。嫌です。生きていたい。けど」
だが、その声にはもう迷いの色は見られなかった。
「私が行かなければ、他の誰かが行くことになる……他の誰かが犠牲になるくらいなら、私が行ってもいいかな、って…
私の命で、友達が、村のみんなが救われるなら……って」
「フレイヤさん……」
心情を吐露したフレイヤに感謝するように、ユキが涙目で呟く。
すると、千秋が肩を竦め、理解できないというように息を吐いた。
「見知った人間を生け贄に捧げるとは、よくもそんな踏ん切りがつけられるものだな。
フレイヤは同じ村の一員じゃないのか?
年を重ねた者なら、彼女の両親がどのように結ばれたかを知っているはずだ。もちろんそれは祝福されてのことだっただろう。
フレイヤを身ごもった彼女の母と、生まれてくる子供が男か女か、なんて話をしたこともあるんじゃないか?産気づいた彼女の母を助けた者もいれば、取り出した産婆もいるだろう。すやすやと眠る彼女を恐る恐る抱きかかえたことのある奴はいないのか」
彼にしては珍しい、感情のこもった訴えに、村人達は気まずげに視線を逸らす。
千秋は続けた。
「父親の仲間入りをした彼女の父と、杯を酌み交わしながら娘の育て方や可愛らしさを語り明かしたことは無いのか。
フレイヤの服を編む彼女の母と世間話をしたことがある者は?幼い頃から山や河や野原を駆けずり回って遊んだことがある奴くらいはいるだろう?年月を重ねて、彼女のことが気になり出した経験は無いのか?あるいはオードと付き合い始めたことを聞いて祝福した経験は?
そして、あの二人がやがて結婚して子を儲け、この村で静かに老いていく様子をまぶたの裏に重ねたことは?」
妙に具体的な言葉に、年老いた何人かが辛そうに目を伏せる。
千秋はフレイヤをいたわるように支えるオードに目をやって、さらに続けた。
「オードは『フレイヤを生け贄に捧げて得る生活なんて嫌だ』と言ったぞ。他に同じことを思っている者はいないのか?
俺にあんたたちの気持ちが全てわかるかと言われればそれは否だが、フォラ・モントの村人全員が分かっているということは知っている。
何故わざわざそう辛そうな道を選ぶんだ」
「千秋さんの言う通りです」
傍らのミケがそれに続く。
「オードさんもフレイヤさんも、生贄なんていうことから逃げて、この村を出ることだって出来た。でも彼らはそうしなかった。
ワーデンさんの質問に答えたこと、もう一度言ってくれませんか、オードさん。
どうしてフレイヤさんを連れて逃げなかったんですか?」
「そんなん、決まってるだろ」
オードはフレイヤの肩を抱いて支えたまま、勢いよく言った。
「フレイヤがいなくなったって、ルナウルフがいる限り他の誰かが生贄に捧げられる。
フレイヤは大事だけど、他のもん全部どーだっていいってわけじゃねえよ。村の奴らもみんな大事だ。
オレはルナウルフから、フレイヤも、村のみんなも全部救いたかったんだよ」
「そうですよね」
ミケは笑顔で頷くと、再び村人達に視線を移す。
「オードさんもフレイヤさんも、村のみんなが大事だから、と口を揃えて言うんです。
……皆さんも、そうですよね。
死ぬことが怖くないはずがない、僕だって怖いです。けれど村の人たちが大事だから、我慢してくれ、という訳ですよね。自分がそうなったときでも、我慢しようと思えるわけですよね。それの延長が、村八分なのですよね?」
ミケの問いに、俯いて黙り込む村人達。
彼は苦笑した。
「でも、その我慢、少し違う方向に使いましょうよ。
村のみんなが大事なら、その気持ち、生贄になるフレイヤさんにも分けてあげてください。
それで、生活の不自由を、みんなで我慢して欲しい、とお願いしたいんです。他ならぬ、村のみんなの安全と幸せのために。
生贄が良くないことだってことくらい、皆さん分かっているのだと知っています。けれど、村のため、みんなのため、安全のために仕方がない、と思っていることも知っています。誰も、積極的に仲の良い誰かを、身内を殺したい訳じゃない」
「ミケさんの言うように、オードさんやフレイヤさんがそうであるように、皆さん一人一人が、もし自分が生贄になれと言われたら我慢することを選ぶ…この村の全てが、そんな悲しい思いやりにあふれた人たちであるということなのだと思います」
言葉を続けたのは、ワーデン。
「その真心まで利用されているとしたなら。
それでも何の確認もせず、目を瞑ったままでいるべきですか」
再びざわざわと囁きあう村人達。
ミケがそれに向かって、さらに言い募った。
「今まで多分、不文律で、お互いにお互いを見張るような形になって、そんなことを言ったら村が大事じゃないんだ、みんなが大事じゃないんだと思われてしまう。
全員で顔を合わせてこんな話をすることは無かったんじゃないかと思います。だから余計に互いに警戒していたところがないですか?」
ぐ、と瞳に力をこめて。
「今が、チャンスじゃないかと思うんです。
全員顔を合わせている。こんな話をしているのはよそ者の僕らだ。村八分を恐れることもなく、そんな意見が出せる。
あなたが大事だと思うひとたちは、同じようにあなたを大事だと思ってくれている。だから、大丈夫でしょう?口にしてみませんか?生贄を止めよう、と。逆に今言わなかったら、きっと……このままこの村は転がり落ちていくと思います。
どうしても怖かったら僕に責任を転嫁して欲しい。
僕が『生贄を止めないなら、世界から敵と見なされて、村ごと滅ぼされる』と言ったからだと。この場で罵ってくれて構いません。お前が脅迫したからだ、と。
それで言えるのなら、いくらでも」
再び、村人達が口をつぐみ、あたりに静寂が訪れた。
ミケの言うように、彼を糾弾するものはいない。が、彼の言うように生贄を辞めようと言い出すものもまた、一人もいない。
不安げな表情で目を泳がせながら、辺りの様子を伺っているようで。
「……私はね」
たっぷりの沈黙の後、おもむろにワーデンが口を開いた。
「まだフォラ・モントが生贄儀式など無い、普通の村に戻れる地点にあると思うんですよ。
鉱毒も無く、畑作も十分出来ます。『金』に他の材料を合わせることもあるでしょうから、皆さんそういう技術も持っている筈です。ヴィーダに三日という立地も何かを出荷するのにそう悪くない」
「そうだな」
それに、千秋が頷いて同意する。
「確かに高価で売れる金細工はこの村の大きな資金源になっているのは事実だろうが、ただこの村の細工職人の作品がほしい、という人間もいるようだぞ。
村長にその話を持っていったが、二つ返事で引き受けていた。俺は介在しただけだが、それなりの値を付けられたのではないか?
この村の多くは細工職人だと聞いた。
冒険者のような生き方をしている者には金物細工のことはからっきし分からないが、それが一朝一夕で身に付くものではないことは承知している。
であればゆえに、皆の腕前こそを金に変える方法はあるのではないか。
ルナウルフさえいなければ、別におっかなびっくり生け贄を捧げて生きるよりも、自分の作品を評価されて、真っ当な方法で金を稼ぐ生き方ができるのではないか?」
ふむ、と一息入れて。
「ヴィーダの富裕層もそうだが、外国に目を向けてみるのも良い。
例えば俺は見ての通りナノクニの生まれだが、故郷には外国の金細工はそう多くは出回っていないし、この国の者から見て驚くほどの値が付くことも珍しくは無い。
別にナノクニの富豪やら貴族やらを狙わなくても、フェアルーフの大通りの露天で売ってるような庶民向けの小さなアクセサリーを持ってくだけでも、皆珍しがって買っていくのではないか。
ナノクニ向けなら俺も口添えができるし、儲け話になれば寄って来る商人もいるだろう。
ルナウルフ生け贄を捧げて得られる金があるからといって、それに囚われて別の可能性を閉ざすのはもったいないとは思わないか」
「金があった頃に比べれば、ずっと生活水準は落ちるかと思います。
けれど、人であることができるかと思います」
それに続けるようにして、ミケが静かに言った。
「人として生きて、人として死ぬことができると。魔物の手先ではなくて」
沈黙が落ちる。
村人一人ひとりの表情を噛み締めるようにして見つめながら、ミケはさらに言った。
「先ほどワーデンさんが言ったことを、もう一度くり返しますね。
この金は、本当に皆さんにとって、必要な物ですか?」
よく通る声で、静かに、しかし切々と訴える。
「親しい人、昨日まで村の仲間だった誰かを差し出して、得られた金は確かに生活の糧にはなるでしょう。しかし、それはあなた方の未来を閉ざす物でしかない。
悲しい思いをして、一時の生活の安定を手に入れて、魔物の手先として残酷な制裁を、それこそ村人全員で受けるリスクを負い、その未来がいつ来るのかと怯えながら生きていくのですか?……気がつかなかったらやっていけるでしょうが、それを聞いてしまった今、生きていけますか?」
村人の誰も、声を発するものはない。
その沈黙にそっとすべり込むように、ワーデンが穏やかな声で言った。
「逆に言えば、ここで変われなければこの村は緩やかに衰退していきます」
村人達が一斉にそちらの方を向く。
「バルドルさんやオードくんはまだ冒険者に依頼する程度で済んだかもしれませんが、打破できないとなれば、次は村に失望して去る若者が出るでしょう。…もう、出ているのかもしれませんが。
今がチャンスなんです。皆さんの意志を再確認して、不幸な儀式を断ち、村の進む方向を変える」
再び、沈黙が落ちる。
皆一様に不安の表情を貼り付けて、お互いの顔を見合わせて。
今まで信じていたものを根底からゆすぶられ、混乱のあまり言葉が見つけられない、そんな風でもあった。
「……で、でも」
中の一人、壮年の男性が、おそるおそる手を挙げて声を絞り出す。
「あんたたちの言うことが本当なら……あの山には、魔族がいるんだろ?
なら…ルナウルフと同じじゃないか。逆らったら殺される…そのことが村長の嘘でないとは言えないんじゃないのか?」
村人達の表情に、さらに恐怖の色が滲んだ。
ワーデンはゆっくりと頷くと、彼に言葉を返す。
「そう思われるのも、無理はありません。ですが、大丈夫ですよ」
そう言って、仲間の方を振り返って。
「非常に幸いなことに、今ここの村を訪れている冒険者の中には、ヴィーダでも屈指の手練れが何人かいます。誰かの替わりに危険に身を投じることを生業にしている、その中でも相当の熟練者が、ね。
鉱山に住む巨大な蛇を退治したり、ザフィルスの殺人事件に対処して解決した人や海賊退治の英雄、リゼスティアルの皇女を救出した勇者も居ます」
「勇者って……」
「しっ」
他の事件はともかく、自分は盛りすぎではないのかと思わず呟いたミケが、そっと千秋に制される。
ワーデンは続けた。
「疑問があるなら後日にでも冒険者ギルドに照会されると良いでしょう。…オードくんは随分強力なカードを引き当てたものだと正直感嘆することになりますよ」
村人達が再びざわざわと囁きあう。
しかしその表情は、先ほどまでの不安や不審の色から、この冒険者達を信じてみても良いのだろうかというためらいの色へと変わっていた。
にこりと微笑むワーデン。
「もし皆さんが道を開けて下さるのであれば、私も彼らと共に行って生贄の儀式を止めます。今回だけでなく、未来永劫に。
ルナウルフなどいなくても、金山の中に今後村に危険を及ぼすような存在があれば、ついでに排除することも仕事の内かと」
そうだよね?とミケに視線を向ける。
と。
「そうですね、中に何があるのか、確認してこようと思ってます。これだけはやらないといけませんよね?
……ただ」
ミケは神妙な表情で言い、言葉を止めた。
一同が固唾を呑んで次の言葉を待つ中、ミケは僅かに眉を寄せ、不本意そうに続ける。
「正直、万が一ということがある。
昨日、村長さんにも言われたんですよ。『君たちは村人全員の命を背負って、且つ倒す保証ができるのか、倒せなかったら村人全員を死なせる羽目になるんだ』と。
正直、保障できるのかと言われたら、絶対にという保証はできません、残念ながら。皆さんにも死ぬ覚悟をしてもらう必要がある」
ざわり。
村人達にどよめきが広がるが、ミケはすぐに首を振って自分の言葉を否定した。
「いえ、死んでいただく覚悟はいらないんですけどね。
でも結局、今のままだと、なんだか良く分からないルナウルフが金山の中にいるかも知れない、いないかもしれないという状況です。安心して住めますか?多分無理ですよね、僕もそう思います。
生贄の儀式を出す、と村長が言うからには、何かがある可能性があります。
しかし、ルナウルフは金山からは出てきません。生贄を選んだ訳でもない。みなさんの顔なんて、わからないと思います。つまり、追えないということです」
落ち着いた声音で言って、一旦言葉を止め。
それから、村人達の顔を一人ひとり確認するように見渡して、静かに告げた。
「万が一の時は離散してでも生き延びていただけませんか?その覚悟をして欲しい」
「ミケくん……」
安心させるような頼もしい言葉を期待していたワーデンは、ミケの言葉に目を丸くした。
再びざわざわと囁きだす村人達。
ミケはさらに言った。
「万が一の時、の話です。何もなければ、あるいは僕らが首尾よくルナウルフ、あるいはそれ以外の脅威を倒すことが出来れば、皆さんは離散する必要は無くなる。もちろんそれに向けて僕らも精一杯努力します。
けれど、何があるかわからない以上、絶対の保障など出来ない。それは僕らだけじゃなく、どんなに力のあるひとが向かっても同じです。
ですから」
もう一度村人達を確認するように見回して、続ける。
「一旦村を離れていただくことはできませんか?
儀式が今夜ですよね?それなら明日の朝から昼くらいまでに、ちゃんと片が付いたら花火とか打ち上げて合図する、と。
もし、合図がなかったら……ヴィーダに行って、事情を説明してください。金山に住み着いた魔物を倒しに行った冒険者が帰ってきませんとか。それが怖かったら……そのまま逃げてください。
村はなくなってしまうかもしれませんけれど……村のみんなは生き延びてくれる。
今、昼間です。……準備して逃げたら、当面の生活は大丈夫じゃないでしょうか?」
ざわめきはさらに音量を増し、パニック一歩手前という様相だ。
仲間達も困惑したように、その様子を見やっている。
すると。

「ゴチャゴチャ言ってる場合じゃねーだろ!」

オードが放った言葉が、冷水を浴びせたように村人達を一気に黙らせた。

覚悟と脱出

皆が一斉にオードの方を見ると、彼はまだフレイヤの肩をいたわるように抱きながら、厳しい表情を村人達に向けていた。
「アンタら、文句ばっか言って結局自分らでは何もする気ねーだけだろ!
ここは誰の村だよ?!この人らの村じゃねーだろ?!自分の村だろ?!
この人らが助けようとしてくれんのは、誰の命だよ?!アンタらの命だろ?!」
その厳しい物言いに、村人達の表情がこわばる。
オードは続けた。
「この人らが言ってる通りだよ。オレらには二つの選択肢しか残されてねー。
『腐って死ぬのを待つ』か、『生きられるかもしれない可能性に賭ける』かだ。
その可能性のために、この人らは命を賭けようとしてくれてんだよ!何の義理もねー、しかもこんなことをしたオレらのために!
なら、オレらも腹くくって、この人らがしてる覚悟の何分の一かでも肩代わりするべきじゃねーのかよ?!
可能性に賭けても負けるかもしんねー。でもどうせ死ぬなら、少しでも生きられるかもしんねー方に賭けようってヤツはいねーのかよ?!
オレらの村だろ!オレらが変わんなきゃ、何も変わんねーんだよ!!」

しん。
辺りが静まり返り、重苦しい空気が漂う。
オードは厳しい表情で、冒険者達は緊張した面持ちで、村人達の選択を見守っていた。

が、やがて。

「…………」

無言のまま、村人達は冒険者達の行く道を空けるようにゆっくりと移動していく。
「みんな……!」
ようやく自分の思いが通じたことに、涙混じりに喜びの声を上げるオード。フレイヤとも笑顔を見合わせる。
冒険者達も、ほっとしたように肩の力を緩めて、互いに笑顔を見合わせた。
「よかったね、フレイヤさん!」
ユキがとても嬉しそうにフレイヤに駆け寄る。先ほどは、フレイヤのそばに行けば強制的に言わせていると言われそうでためらわれたが、村人達が理解してくれたならもうその必要は無い。
「ユキさん……ありがとうございます」
フレイヤが涙目で礼を言うと、ユキはううんと首を振った。
「村の人たちがわかってくれたのは、フレイヤさんが勇気を出したからだよ!
それに、まだ終わりじゃないよ。僕たちがルナウルフを倒すまでは」
「それは……」
「安心して、僕がフレイヤさんの代わりに生贄として中に入るから!フレイヤさんを追いかけてくることはないよ。
だって、ルナウルフは僕がフレイヤさんかどうかなんてわかんないでしょ。あの傷をつけたのはルナウルフじゃないんだからね。
それに、頼もしいみんなが一緒に行ってくれるから大丈夫。きっと、ルナウルフを倒せるよ」
安心させるように微笑みかけると、フレイヤも嬉しそうに笑みを深める。
とそこに、ミケがやってきて話に加わった。
「フレイヤさんは、ユキさんと代わってもらうとして。
オードさんは一緒に来るんですよね?」
「うえっ?!」
思いもよらないことを言われた様子で、オードが素っ頓狂な声を上げる。
ミケはきょとんとした。
「来ないんですか?」
「ちょ、か、勘弁してくれよ!魔族かもしんねーんだろ?!」
「自分の目で真実を確かめたくないですか?まあ、正直命の補償はしませんが。ルナウルフはいないにしても、なにがいるかわかりませんから」
「恐怖を煽るな恐怖を」
やはり後ろからミケの頭を小突いてから、千秋が嘆息して言う。
「まあ、オードは危険だから村の奴らといる方がいいだろう。フレイヤを守ってやれ」
「ああ、そうするつもりだ」
「あ、そうだ、フレイヤさん」
そこで思い出したというようにミケが声を上げ、いつの間にか戻ってきていたポチを抱き上げる。
「あなたやご家族に何かあったり、何か異変があったら、この子に伝えてください。そのことは必ず僕たちに届きますから。少しですがこの子も戦えますので、護身用に」
「あ、え、え?あの、はい……」
訳がわからぬ様子でそれでもポチを受け取るフレイヤに、ミケはにこりと微笑みかけた。
「……それから、村のため、みんなのため、あなたのため、オードさんのため……元気で生きていって欲しいと思ってます。オードさんを無傷で返すべく、頑張りますので、あなたも祈っていてくださいね」
「だから何で当たり前にオレが行くことになってんだよ!」
ものすごい勢いでツッコミをくれてから、オードは村人達の方を向いた。
「そうと決まれば、みんなは家に戻って、当座必要なもんだけ荷造りしてきてくれ!」
村人達の方に歩いていき、てきぱきと指示を始める。
「残りたいヤツは残ってもいい、けど女と子供は必ず逃がそうぜ!
山を降りたところにあるノイモンの村なら、大きな集会所があったはずだ。事情を話して、そこに寄せてもらおう。オレら全員は無理でも女子供が寝る場所くらいにはなる。男は交代で周りを見張りな。万一のことがあったらやべーから」
意外なリーダーシップを見せるオードに、村人達は呆気に取られつつも頷いている。
彼のそんな様子を、冒険者達もまた緩く微笑みながら見守っていた。
「やるじゃない、オード」
「ふむ、確かに彼は戦いは出来ないだろうからな。フレイヤくんについていて守りたいと思うのは当然だろう」
フィリーとトレザンドが口々に言うと、ワーデンも満足げに微笑む。
「今ある状況を良しとせずに、自力で冒険者を雇おうと動ける彼には、もともとリーダーシップの才があるのかもしれないね。
金が採れなくなっても、この村の未来はそう暗いものではないのかもしれない」
「そうですね……」
フェイも嬉しそうにその様子を見守っている。
すると、トレザンドがごほんと咳払いをひとつした。
「…ならば私も、彼らについていって、彼らの警護を……」
「えっ、トレザンドさん一緒に来ないんですか?!」
思いもよらないことを言われたというように、大きな声でフェイが言う。
「僕たちと一緒にルナウルフと戦ってくれると思ってたのに…トレザンドさんがいなくなったら、魔道士はミケさんだけになっちゃいますよ!」
「そうですね、いろいろなことを考えると、トレザンドさんにもいてもらった方がいいと思います。頼りにしてますよ」
ミケもにこりと微笑んで言い、トレザンドは引きつった笑みを返した。
「そ、そこまで言われてしまっては…協力しないわけには、いかない、ね」
彼の内心をやはり誰も知ることなく、仲間達は笑顔で彼を囲んでいる。
「しかし、ミケが逃げろと言い出した時には正直驚いたぞ。そんな話はひとつもしてなかったじゃないか」
千秋が言うと、ミケは申し訳なさそうに肩を縮めた。
「うう…すみません。なんか、喋ってるうちにそうしたほうが良いのかなって思えてきて…」
「気持ちはわからないでもないが、前もって言っておけ。肩透かしを食らったワーデンが気の毒だ」
「すみません、ワーデンさん」
「何、気にしないでくれ。ああいった言い方をするのもひとつの手だと思うよ。実際問題、どこか離れた場所にいてくれた方が安心ではあるしね。
私は、それがかりそめの安心でも、全面的に委ねられる何かがあった方が説得を聞き入れる気になると思ってああしたのだけど……まあ、どちらにせよ上手く行ったのだからいいじゃないか。ありがとう、ミケくん」
「ほ、本当にすみません……」
結果的にワーデンの目論見を根本からひっくり返すことになってしまったのだから、ミケはさらに肩を縮めて謝った。
「まあ、いいじゃないの。こうして上手くいったんだから」
フィリーが鷹揚に頷いて言う。
「村人達も生贄を辞める気になってくれたようだし、あとは彼らが無事に逃げて、私達がルナウルフを倒すだけね」
言いながら村人たちの方を見れば、まだオードと逃げる打ち合わせをしているようだった。
だが、その人垣の向こうから近づいてくる人影を認め、彼女はぎょっとして仲間達に言った。
「ねえ、ちょっと、あれって…!」

「おい、何をしているんだ、お前達!!」

鋭い声で村人達の相談を止めたのは、ミケには声だけ聞き覚えがあった、村長の息子のようだった。
黒髪を短く刈り上げた、かなり体格のいい青年である。慌てた様子で村人達の下へかけてくるその後ろから、村長が歩いてくるのも見えた。
「デック………」
おそらくそれが彼の名前なのだろう。オードはそう呟くと、彼……デックに厳しい視線を向けた。
デックはぎらりとオードを睨むと、村人達にさっと視線をやった。
「何をしてる、冒険者達をここから出すなと言ってあるだろう!
生贄の儀式を止められたら、俺達が皆殺しになるかもしれないんだぞ!」
脅すようにそう言うが、村人達から返ってきたのはむしろ不信と非難のまなざしだった。
「……っ?!」
ひるんだ様子で足を止めるデック。
それに、後ろから着いてきていたドヴェルグが追いついた。
「ちょうどいい、聞かせてもらおうじゃんよ」
挑発的に言い放って、オードは一歩前に足を踏み出した。
「生贄の儀式って、具体的には何をどうしてるんだ?
アンタらの一族がやってるんだ、わかるだろ?教えてくれよ」
「なっ……」
デックがひるむと、その後ろからドヴェルグが不機嫌そうに言い放つ。
「何故そんなことを言わねばならん。ルナウルフのことを話して、皆をいたずらに怯えさせることもないだろう」
「はっ、もっともらしいこと言ってんな!」
オードは鼻で笑ってさらに言い返した。
「言わないんじゃなくて、言えないんだろ?!
本当はルナウルフなんていない、アンタらが魔族に生贄を捧げて金をもらってるんだからな!」
「なんだと……?」
眉を寄せるドヴェルグ。
もはや完全に敵対の視線を送る村人たちを背に、オードは更に言い募った。
「この人たちが調べてくれたんだよ。
確かに、ルナウルフの姿を実際に見た奴はオレらの中には一人もいねー。ルナウルフがいる、金山に入る奴を皆殺し、っつってんのもアンタらだけだ。
オマケに、フレイヤんちのドアについてた、ルナウルフの爪痕。あれ、ナイフで付けた傷に金入りの塗料を塗っただけの偽装だったんだってな!」
「っ………」
ドヴェルグの表情に、明らかな同様が走る。
オードはにっと笑って、さらに続けた。
「さらに言やぁ、その金には…つうか、ウチで細工してる金は魔力をおびてるんだってな。
しかも、その魔力は魔族の魔力だっつーじゃねえか」
「なに……?!」
さらに動揺の色を見せるドヴェルグ。
それは、オードがその事実を知っていることにというよりは、その事実そのものに驚いているように見える。
冒険者たちはその様子に眉を顰めるが、オードは構わず続けた。
「っつーことはだ!
ルナウルフなんてホントはいねえ。
アンタらは生贄の乙女を魔族に捧げて、その見返りとして金をもらってる。
そういうことなんだろ?!」
直球で叩きつけられた質問に、あたりが沈黙に包まれる。
オードも、村人たちも、冒険者たちも、固唾を飲んでドヴェルグの反応を待った。
デックはドヴェルグの後ろに退がり、不安そうに父の様子を伺っている。
ドヴェルグは項垂れて俯き、よろり、と足を踏み出した。

やがて。

「………………ふ、ふ」

低く。
地の底から響くような、暗く低い笑い声を漏らし、ドヴェルグは肩を揺らした。
「ふ、ふふ、ふは、はは、ははは、はっははは!!」
狂ったような笑い声に、ぎょっとして後ずさる一同。
ドヴェルグは目を見開き、大声で村人たちに怒鳴りつけた。
「お前達!そんなならず者の言うことを間に受けて、それでいいんだな!!」
その剣幕に、村人たちがびくりと身を竦ませる。
ドヴェルグは狂気すら滲んだ眼差しで村人たちを見ながら、さらに続けた。
「私達がどんな思いで、今までこの儀式を行ってきたと思ってる?!
お前達の身を守り、罪悪感を肩代わりしてやってきたと思っている?!
みな、みんな、お前達の、この村のためだというのに!!
そんな私達よりも、昨日今日でぽっと出てきたこんな奴らの言葉を信じるのだな!!
知らなくてもいい真実からお前たちを守った末の仕打ちがこれなのか!!」
叩きつけるように言って、だん!と勢いよく地を踏みしめる。
「なら、もういい!私は降りる!もうこんなことはたくさんだ!!」
くるりと踵を返し、デックに行くぞ、と短く告げて歩き出す。
村人たちはさっきまでとは一変して、不安げにお互いの顔を見合わせた。
「村長!」
オードが慌てて呼び止めると、ドヴェルグは顔だけ振り返って冷たく告げた。
「お前たちも逃げるのか。私も逃げる。そうするのが最善の方法だろう。
だが、もうこの村に戻ってこられると思うな。お前達に大言壮語したそこのならず者たちが、金山に入ってどうなろうともう私の知ったことではない。私の信頼を踏みにじったお前達も、もう二度とこの村に近寄らないことだ。それが、お前達のしたことに対する報いだと思え」
「ど……どういうことだよ?!」
慌てるオードに、ドヴェルグはもう一度、ふん、と鼻を鳴らした。
「そいつらがこの村に永い間かけられてきた呪いをこじ開けようとしているなら、そいつらがその呪いを解こうと、失敗して呪いがそいつらに降りかかろうと、どちらにしろ私たちは逃げるという選択肢しかないということだ。
悪いことは言わない、逃げろ。お前達の安寧な生活に土足で踏み入って、この村を追い出したならず者たちと、そのならず者をこの村に招き入れたオードを恨みながらな」
「なっ………」
ははは、と高笑いを残して、ドヴェルグはもと来た方向へと帰っていった。
後に残るのは、呆然とその場に立ち尽くす村人たちと、そして冒険者たち。
「………これは……正直、予想外の反応でしたね……」
いち早く立ち直ったミケが、眉を寄せて呟く。
「しかし、ハッタリではないのかね?の、呪いだの、逃げろだのと……」
かすかに怯えの色をはりつけたトレザンドが言うと、フェイも勢いよく頷く。
「そうですよ!自分の悪事がバレたから、腹いせにオードさんや僕たちを貶めようとしてるだけです!」
「そうだね……皆さん、心配はありませんよ」
ワーデンが村人たちを落ち着かせるように言った。
「今フェイくんが言ったように、悪事を露見した末の腹いせという線が濃厚です。
しかし、今はひとまずこの村から遠ざかったほうがいい、というのは、村長が言うまでもなく、ミケくんが先ほど言った通りです。
とりあえずは麓の村に行って、吉報を待っていてください」
落ち着いた声音に、村人たちはまだ不安げな表情をしながらも、ひとまずは納得したようだった。
「オードくん、それじゃあ急いでみんなを誘導して。残りたい人がいても、全員連れて行ったほうがいい」
「わ、わかった。みんな、行こうぜ!」
オードの声かけで、村人たちがぞろぞろと散っていく。
その様子を見送ってから、冒険者たちも顔を見合わせた。
「…とりあえず、説得は片付きましたが……村長のあの発言については、今は考えないほうがよさそうですね」
苦い表情で、ミケ。
「そうね、どちらにしろ金山に入れば何があるかははっきりするわけだし。呪いなんてただのハッタリよ」
こちらはさほど恐れてはいない様子で、フィリーが言う。
「そうだね、あとは直接自分たちの目で確かめるしかない、か」
ワーデンも気になっている様子で唸った。
「とりあえず、準備、する、いい、思います」
相変わらずの調子で言ったのは、アフィア。
「村長、逃げる、言ってました。今、見張り、いない。金山、いつでも、入れる」
「そうですね、万全の準備を整えていきましょう!」
フェイが意気込むと、ワーデンが思い出したように顔を上げた。
「そうだ、いざ入る時になったら言おうと思っていたのだけれど。
私は最初に言った通り、細工師であって冒険者ではないからね、戦いの役には立てないんだ。
だが、私も一緒に結果を見届けたいという気持ちはあるからね。そこで相談なのだけれど、私がヤマネに変身するから、誰かの肩に乗せて連れて行ってもらえないだろうか?」
「え、ワーデンさん、ヤマネに変身できるんですか?」
驚いたように、フェイ。
ワーデンは頷いた。
「ああ、数種類の動物に変身できる術を使えるんだ。それで、邪魔にならないように小さくなっているから、できればあまり激しい動きをしない人の肩や…フードなんかがあればちょうどいいのだけど」
と言って、ぐるりと見わたすが、あいにく激しい動きをしないだろう魔道士の2人の両方ともマントにフードはついていない。
「…じゃあ、肩に乗せてもらえればと思うのだけれど」
「そうか、それでは私の肩に乗っているといいよ、ワーデン殿」
それには、トレザンドが手を挙げて応えた。彼はなぜかワーデンと千秋にだけ「殿」をつける。
「補助系の魔法はわりと得意だから、ワーデン殿に怪我を負わせることも無いだろう。たぶん」
最後の付け足しが少し引っかかるが、ワーデンは笑顔でトレザンドに頷き返した。
「では、よろしく頼むよ、トレザンドくん。入口で変身して、服などは袋に入れて持っていくことになるから、それもお願いしていいかな?」
「ふぅ、仕方がないね。頼まれてあげよう」
「では、そちらの方も準備をしないとね。みんなも準備にかかるだろう?
夜までまだ少しある、必要ならば休息もとって、万全の体制でかかろう」
「はい!」
ワーデンの声掛けに、フェイが勢いよく頷く。他の面々も、瞳に強い光をたたえて頷き返していた。
「では、準備の間に、俺はくだんのロクスとやらのところへ向かうとしよう」
千秋が言うと、ワーデンとミケがそちらを向く。
「一緒に行こうと誘うんですか?」
「いや、あれから考えたが、ひとまずは金山に入ることになったと報告のみに止めようと思う」
「そうだね、彼に借りがあるのは事実だから」
頷くワーデン。
千秋は更に続けた。
「向こうに何がしかの意図があれば、自らついてくると言い出すだろうしな。あえてこちらから探りを入れるより、向こうの出方を見ることにした」
「そうですね、それも方法の一つだと思います」
納得した様子で頷くミケ。
「よろしくお願いします、千秋さん」
「心得た。では、どんな結果が出るにせよ、なるべく早めに帰る」
「はい。僕たちは準備を進めていますので、またここで」
千秋を見送ってから、冒険者たちは各々の準備をすべく、再び宿へと戻っていくのだった。

「ここか………」
フェイたちに聞いたロクスの家にたどり着き、千秋は息を吐いてドアを見上げた。
どこからどう見ても普通のログハウスである。森の中に佇むその家は、とても正体を隠した何がしかの居城には見えない。もっとも、地質学者の家にも見えないが。
千秋はひと呼吸おいて気持ちを落ち着かせると、コンコンとノックをした。
がちゃり。
ややあって、中からは何の返答もなく唐突に扉が開く。
「………っ」
中から現れた男の姿を、千秋はぎょっとして見やった。
「………誰だ」
「……っ、お……いや、貴殿が、ロクス、なのか……?」
何故か若干の動揺とともに問う千秋。
ロクスは眉を寄せた。
「………誰だと聞いている。言葉がわからないのか」
「……いや、失礼した」
聞いていた通りの不遜で威圧的な物言いに、帰って冷静になった千秋は、居住まいを正して礼をした。
「お初にお目にかかる。先日よりたびたび伺った冒険者の仲間で、一日千秋という」
「……ロクス・クリードだ」
「あまり時間が無いので無礼を承知で簡潔に申し上げるが、貴殿の力添えのおかげもあり村人を説得でき、今夜にも金山に踏み込むこととなった」
「……そうか」
ロクスは淡々と言い、その表情には何も現れていない。
千秋は続けた。
「聞けば貴殿は地質学者とか。
いかなる危険があるか分からない故、すぐには難しいが、ことが片付いた暁には調査のため金山に入れるよう村人にも説かせて頂くが、いかがだろう」
千秋の問いかけに、ロクスは黙って彼を見返した。
眉を顰める千秋。
「……ロクス殿?」
「貴様は、何が言いたい?」
「…というと?」
用心深くロクスを見返すと、ロクスは嘆息した。
「私のおかげで村人を説得した、その礼として金山に入れるよう取り計らってもいい、という報告をしに来たのか?」
「…まあ、そういうことだが」
「それを、今このタイミングで問うてくる貴様の意図を訊いている」
ぎろり。
冷たくえぐるような語調と共に放たれる鋭い眼光は、なるほどなかなかの迫力だ、とどこか冷静に思う。
千秋の内心をよそに、ロクスは続けた。
「今夜にでも踏み込むということは、今は踏み込む準備をしている真っ最中のはずだろう。
その忙しい時間を割いて、わざわざ、私のところに来て、それを宣言する理由は何だ、ということだ。
私のおかげで金山に入ることが出来た、礼として金山に入れるよう便宜を図る、というのなら、便宜を図ってから来るものだ。
それこそ、どんな危険があるかわからないのならば、山の中を隅々まで調べ、危険が完全に取り払われたことを確認し、村長にも入山の許可を得てから来るだろう。礼とはそういうものだ。
……もし」
そこでひと呼吸おいて、ゆっくりと告げる。
「もし貴様が、私のことを本当に『捜査に協力したただの地質学者』だと思っているのなら、な」
「っ…………」
言葉に詰まる千秋。
ロクスはさらに続けた。
「ならば今すぐにでもともに行こうとでも言うと思ったか?あるいは、金山に立ち入らせぬよう妨害を図るとでも?
残念だったな、私には貴様等の茶番に付き合ってやるほどの暇はない。
魔族が潜んでいる危険のある山に、戦う気満々の冒険者と共に入ろうという阿呆が何処にいるというのだ?
地質の調査なら、貴様らが体を張って危険を解除した後でゆっくりやればいいだけの話だ」
「………魔族が潜んでいると知っているのか?」
「貴様等に、ルナウルフが居ない可能性を提示したのも、金に魔力が宿っている情報、このあたりに伝わる民話の情報を伝えたのも、全て私だ。そこから魔族が介在する可能性を導き出すのは容易い。貴様等に出来たものが、私にできないはずがないだろう」
「……ふむ、道理だな」
「私はあくまで学者だ。事象から事実を導き出すことを生業としているが、戦いは戦いしか知らぬ荒くれ者に任せるのが賢いやり方というものだ。
いいからさっさと準備をして、金山から脅威を払ってくることだな。貴様といい、昨日の狼獣人といい、礼やら交換条件やらの意味を理解していない輩ばかりだ。繕うにしても、もう少し頭を使え。頭を使えないというなら、得意の腕っ節でくらい役に立って見せろ」
暗に意図がバレバレですよと言われ、千秋は肩を竦めて嘆息した。
「…ご忠告、いたみいる。では貴殿の言う通り、早速準備をして金山に乗り込むとしよう」
「そうすることだな」
「貴殿は共には来ないのだな?」
「くどい」
「……心得た。吉報を待っていてくれ」
千秋はそう言い残し、くるりと踵を返す。

歩き出したその背中に声をかけることなく、ロクスはその姿を見送るのだった。

扉の奥の真実

「鍵が…開いている……?」

金山の入口に到達した冒険者たちは、その扉の鍵が開けられていることに少なからず驚いていた。
ワーデンは既にヤマネの姿になってトレザンドの肩に乗っている。フェイもあらかじめ半獣人の姿になって、万全の戦闘態勢だ。
意気込んでやってきた彼らは、鍵を適当に壊すつもりで扉にやってきたが、予想に反して扉は既に開いていた。
「村長でしょうか…?」
「いや、彼は村人たちより先に村を出ていくのが目撃されている。扉だけ開けていったとも考えにくいしね」
「ということは、誰かがこの扉を開けて先に入っていった…?」
「鍵のありかを知っているなら、村長がいない以上鍵を持ってきて入るのは難しくないでしょうね」
ミケが頷いて言って、一歩前に出た。
「とりあえず、索敵の魔法を使ってみましょう。広さと構造と、生命体がいるならそれくらいはわかると思います」
「ああ、よろしく頼む」
千秋の言葉を受け、目を閉じる。
ミケの周りをひゅうと風が取り囲んで、それから入口の中へと吹き込んでいった。
「………」
目を閉じたまま、集中している様子のミケ。
やがて。
「…そんなに深くはないみたいですね。あまり詳しい構造はわかりませんが、分岐路もないようです」
「え、一本道ってこと?」
「はい。奥に大きな空間があって、そこに続く一本道のようです。多少曲がりくねってはいるようですが。
……そこに、一人、誰かがいます」
「誰かはわからないのかい?」
「ちょっとそこまでは……でも、生命体はそれだけのようですね。動物も見当たりません」
「……そうすると、その人物が魔族であるということかな…」
「さあ…断定するのは早いかもしれませんが。とりあえず、生命体が一人、ということだけはわかりました」
「まあ、正体はなんであれ、ここで立ち止まっていても仕方があるまい」
千秋が言って仲間たちを見回した。
「早速、入るとしよう」
仲間たちは表情を引き締め、彼に向かって頷き返した。

ワーデンの提案で、戦闘にフェイと千秋、その後ろにミケとユキ。そのさらに後ろにトレザンドがワーデンを肩に載せて歩き、しんがりをフィリーとアフィアが歩いている。
先頭のフェイと千秋は、何かがあった時に盾になれるよう、用心して歩いていた。
フェイはいつもは背中にかけている大剣を肩から下げるようにかけ、とっさの時に盾替わりにできるよう身構えている。
千秋はトレザンドの作った魔法の光球を掲げて、フェイよりも少し前を歩いていた。
「千秋さん、大丈夫ですか?何があるかわかりませんから、用心してくださいね」
心配そうにフェイが言うと、千秋は特に気にした様子もなく頷く。
「ああ、心配いらん。それなりに用心しているつもりだし…トラップ踏んだり奇襲を受けてダメージ食らっても生半可な怪我ならすぐに治るしな」
「な、治る?」
「俺は…まあ、少し特殊な鍛え方をしているのでな。たいていの怪我は直ぐに治ってしまう。仕掛けてある罠を踏んで見つけ出すという手もあるな」
「い、痛くないんですか?」
「痛いが、全体に被害が及ぶよりは俺ひとりが痛い思いをしただけで済む方が効率がいいだろう」
「お、漢感知…」
若干引き気味に感心するフェイの横で、千秋は改めて辺りを見回した。
「ロクスから聞いた地元の民謡を信じるなら、この坑道の奥には何か、人の心を誘惑して、乗せられると金に変えられてしまうようなものがあるのかも知れない。
バルドルの言った『村の呪い』というのは、案外そういう者だったりするのかもな」
「そうですね…そこのところ、詳しくお聞きできればよかったんですが。バルドルさん、どこに行ってしまったんでしょう……」
ミケが表情を曇らせる。
冒険者と村人たちがそれぞれの準備に追われている時に、ミケは実はバルドルを訪ねていた。彼が見たものを、詳しく聞かせてもらうために。
だが、彼の家には誰もいなかった。他の村人のように、荷物をまとめて逃げた様子もない。ただ彼の存在だけが、家の中になかった。そういえば宿を取り囲んでいた村人たちの中にもいなかったように思う。
「彼はどうして、冒険者を嫌ったり、ルナウルフを倒せないと言ったり、呪いだと言ったりしていたんでしょう…彼が何かを見たのは、間違いないんでしょうけど」
「……ま、実際には何があるか分からないが、用心に越したことは無いだろう」
千秋はそう言って肩を竦めた。
「仮に精神操作系の魔法があったとしても、人間相手にかけることを考えているものなら先頭を歩く俺には効かない自信がある。
鍛えられ方がちょっと違うんでな」
「主に齧られたり、齧られたり、それから齧られたりとかですか」
「齧られてるだけじゃないか!…まああながち間違いではないが」
よくわからない応酬をしていると、最後尾からアフィアが淡々と横槍を入れた。
「あまり、うるさい、よくない。敵、いたら、聞こえます」
「む、すまないな」
「大丈夫ですよ、この辺り一帯の音が周りに漏れないよう、風を操っています」
ミケがにこりと微笑み返し、隣にいたユキが感心したように表情を広げた。
「へえ、すごいんだね、ミケさん!」
「大したことではないですよ。しかし、生贄役のあなたは全力でお守りしますからね、安心してください」
「そうですよ、ユキさん!」
妙に気合の入った様子のフェイも、振り返ってユキに言う。
「絶対にお守りしますから、何かあったら僕の後ろにいてくださいね!」
「うん、ありがとう、フェイさん」
にこりとユキが微笑み返すと、フェイは照れたようにうろたえて再び前を向いた。彼が注意すべきはルナウルフの脅威ではなく、ユキのストーカーの脅威かもしれない。
「いや、なんとも微笑ましいね」
耳慣れぬ甲高い声でそう言ったのは、ヤマネに変身したワーデンだった。フェイ同様、変身してしまうと口内と声帯の構造が変わるので、どうにか喋れるにしても元の声や喋り方とはだいぶ印象が違ってくる。
トレザンドは少し感心したように、肩に乗っている小さなヤマネに問いかけた。
「ワーデン殿は獣人なのかね?そのようには見えないが…」
「いや、獣人ではないよ。ヤマネの他にも数種類の動物になれる。狼になることが多いかな」
「ほう、狼に」
「ああ。でもフェイくんのように戦闘能力があるわけではないから、今回は邪魔にならないような小動物になった、というわけだ」
「なるほど」
ふむ、とトレザンドは唸って、ぼそりと呟いた。
「…獣人ではない喋るネズミとして、見世物小屋にでも売り飛ばせば良い儲けに……」
「………トレザンドくん……?」
怯えたような声を出すワーデンに、トレザンドははっと我に返った。
「――いやいや、変身を解いてしまっては意味がない。駄目だ」
「…それは変身を解かなければ売り飛ばすということかい……?」
「はは、なに、ほんの冗談、本気ではないさ」
「…………」
そんな和やかな会話などもかわしつつ、しかし彼らは警戒しながら足を進めていった。
千秋とフェイが前からの攻撃に、アフィアは後ろからの攻撃を警戒しながら、じりじりと歩みを伸ばす。

が、実際には拍子抜けするほど、何も起こらなかった。
ミケの言う通りなら、最奥にいる何者かの他に生物は存在しない。普通に使っていた坑道であるならば、派手な罠を警戒する必要もないだろう。罠に生贄がかかってしまったら元も子もないのだから。
それでも彼らはジリジリと先へ進み、やがてようやく、問題の最奥の広い空間へとたどり着いた。
千秋の前にあったトレザンドの光球が、彼の意思でふわりと動かされ、広間をゆっくりと照らしだしていく。
その光が照らし出した人影に、冒険者たちは息を飲んだ。

「!………」
「君は……」

「バルドル………!」

フィリーが彼の名を呼び、仲間たちはそこに佇んでいた意外な人物に目を丸くした。
バルドルは彼らをきつく睨み、仁王立ちをしている。何も持っている様子はなく、戦いに来たとも思えなかった。
「どうしたの、バルドル、こんなところで!村の人たちは皆逃げて……」
「あんた達を、止めに来た」
フィリーの言葉を遮るようにして、きっぱりと宣言する。
「止めに……?」
バルドルはゆっくりと息を吸うと、大きな、しかし落ち着いた声で、言った。
「最後にもう一度言う。帰れ。そして全て忘れろ。村のやつらが逃げたならちょうどいい。俺が、この呪いを終わらせる」
「その、呪いというものは、一体どういうものなんですか?」
ミケが眉を寄せてバルドルに問う。
「あなたは、なぜ冒険者を目の敵にするんです?僕たちがルナウルフを倒せないと思う根拠は?
あなたは、何を見て、何を知っているんです?話してはもらえませんか?」
冷静な口調で紡ぎだされるミケの問いは、この場にいる仲間全員が抱えていた問いでもあった。
バルドルはゆっくりとミケに視線を向け、言った。
「…知らないほうがいいこともある」
「いいえ、僕はそうは思いません。少なくとも、知らないほうがいいか悪いかを判断するのは、あなたじゃない。
村長も同じことを言っていましたね。だけど僕は、知らないほうがいいという言葉は相手を気遣っているようで、その実、相手の意思を真っ向から無視する言葉以外の何者でもないと思います。
何より、僕たちが知ることで、僕たちに出来る何かがあるかもしれません。
オードさんの依頼というだけじゃない、この村の窮状を僕は放ってはおけない。話してください、バルドルさん」
「……話さなければ、帰らないということか」
「そうです」
きっぱりと言うミケに、バルドルは深い溜息をついた。
「……いいだろう。もうすぐだ。その目で確かめろ。そして……帰れ」

彼の言葉とともに。
彼の頭上から、キラキラと光が溢れるのが見えた。

「これは……?」
「あっ、あそこですよ!天井!」
フェイが指さす先には、広い空間の天井、つまり山の頂上にあたる部分に、人は通ることはできないがいくつかの穴があいているのが見えた。
今になってそれが見えたのは、その穴の向こうに、黄金のように煌々と輝く満月が顔を出していたから。
「黄金の……満月」
雲間から差し込む太陽の光のように。
まばゆいほどの満月の光は、ゆっくりと、じりじりと、広間を金の光で照らしていく。
真っ暗だった広間に、カーテンが引かれたようにだんだんと光が広がっていって。
そして。

「あっ……あれ……!!」

ユキが指さした方向。
バルドルの後ろにある大きな一枚岩の上に、キラキラと輝く金色の何かがあるのが見える。
それは月の光を受けてキラキラと、妖しい輝きを放つ……
「あれは……女性、の、像……なのか?」
呆然とつぶやくワーデン。
だんだんと月の光が、その姿をくっきりと映し出していく。
それは確かに、苦悶の表情を貼り付けた、女性の黄金像だった。
「な……なんだ、あれは…?!もしや、金を望んだ女性が、金になってしまったというあれなのか…?!」
混乱した様子で言うトレザンド。
そこに、バルドルが深いため息をついて、苦しげに告げた。

「あれは………ナンナだ」

「えっ……」
「ナンナさん…というのは……前回の……」
きょとんとする冒険者に、バルドルはゆっくりと言葉を続けていく。
「10年前。
俺はナンナが生贄に捧げられたことに納得がいかなくて、一人でここに忍び込んだ。
その時にここの鍵は複製しておいた」
「それで…君がここの扉を開けることができたのか…」
ワーデンが言うが、それには特に反応を返さず、バルドルは淡々と続ける。
「その時に俺が見たのは、ナンナの前にある、黄金の乙女の像だった」
「この…像のことか…?」
「いえ、でも今、あれはナンナさんだって……」
混乱している様子の冒険者たち。
バルドルは更に続けた。
「俺はナンナを連れて帰ろうとした。ルナウルフはいない。あるのは黄金の乙女像だけ。
きっとあれは、村長が生贄に出して、金にされてしまった前回の乙女だと思った。ナンナが同じようにされてしまう前に、ナンナを連れて逃げる。そして村長の悪事を皆に知らせる。俺はそう思って、ナンナの手を引いて逃げようとした。
だが」
バルドルは言って、黄金の乙女像を見上げた。

「あの時…黄金のように輝く満月の光が、あの像に集まって……
そして、あの像は……みるみるうちに姿を変えた。
大きな……大きな、黄金の、獣の姿に」

「なっ……」
「なんだって…?」
バルドルの話に驚く冒険者たち。
彼は更に続けた。
「俺たちは……驚きと、そして恐怖で、その場を動けなかった。
すると、あの獣は……恐ろしい声で吠えてから……ナンナに、飛びかかった…っ」
苦しげに、記憶を語るバルドル。
「止めるどころか…動くことすらできなかった…
あの獣が……ルナウルフが、ナンナに飛びかかって、その喉笛に食らいつくのを、俺はただ見ていることしかできなかった……!」
悔しげに頭を振って、そう告げるバルドル。
冒険者たちは彼の話に相槌すら打てず、ただ呆然と聞くしかなかった。
「異変は、すぐにやってきた。
喰らいつかれたはずのナンナの喉からは、不思議なことに血が流れなかった。
が、その傷口から、じりじりと……ナンナは金に変わっていった」
「ええっ……?!」
思わず声を上げるフェイ。
バルドルは続けた。
「止める間もなく……いや、止め方なんてわかんねえから、俺はただそれを呆然と見ているしかできなかった。
やがて、ナンナの全身が金に変わり、それに満足したようにルナウルフがひと吠えすると、その鼻先から……今度は、ルナウルフが金の塊となり、ガラガラと崩れていった」
「………なんという……」
「じゃ、じゃあ……村長さんが持って出て、みんなに細工させている、金、って……」
ユキが恐る恐る言うと、バルドルは頷いた。
「ああ。ルナウルフが乙女を金に変えたあとの、残りカスだ」
「それで……魔力がわずかしか残っていなかったんですね……」
納得したようにミケが呟く。
「乙女を金に変えたことで、魔力は乙女の側に移動した。乙女は金に変えられた姿で、10年間、次の月の魔力が降り注ぐまで、次のルナウルフになるために、じりじりとその身を作り替えられていく…」
「そのルナウルフも、元を正せば前回の生贄の乙女。
ルナウルフとはすなわち、代々の生贄の乙女が、金になる因子を次に植え付けるために作り替えられた姿というわけか…」
千秋がその後に続き、いたましげに目を伏せた。
「……わかるだろ?」
バルドルは言い、もう一度像を見上げる。
「あれはもう、ナンナじゃないのかもしれない……けど、あれはナンナなんだ。
生まれた時から一緒にいて、好きになって、思いを告げて、一生一緒にいようと誓った女なんだ!
その女を、どうして殺せる……?!
そんなことが、あんたたちに出来るのか……?!」
そして、再び冒険者たちを睨みつけ、叩きつけるように言う。
ユキは悲しげな表情で、バルドルを見た。
「バルドルさんが、ルナウルフは僕たちには倒せないって言ったのは……
倒せない、んじゃない……倒して欲しくなかった、んだね……
だって、あれは……ナンナさんだから……」
「村にかけられた呪い…とは……そういうことだったのだね」
こちらも悲しげに、しかしどこかほっとしたように、トレザンドが言う。
「ルナウルフは乙女を金に変えてしまう…しかし、ルナウルフを殺すことはできない。
なぜなら、そのルナウルフもかつての村民…可愛い娘であり、親しい友人であり、愛する人だったのだから。
そうして、狂った連鎖がどこまでも続いていく……それこそが、この村にかけられた、呪いだと」
沈黙が落ちる。
想像していなかった真実に、冒険者たちの誰も、言葉が出てこない。
「わかっただろう」
バルドルは静かに告げた。
「わかったなら、帰れ。ナンナがあんたたちに噛みつけば、あんたたちが次のルナウルフになる。
そうしたら、被害はこの村だけじゃない、村の外に及ぶかもしれない。
それが嫌なら、あんたたちはもう帰れ。そして、この村のことは忘れろ」
「でも」
ミケが鋭く言い、一歩前に出た。
「あなたは、ナンナさんを倒すつもりはないのでしょう?
でも、あなたは呪いをここで終わらせると言った。
一体……どうするつもりなんですか」
「………」
ミケの問いに、バルドルはまっすぐ彼を見返した。
「……ナンナには、俺が噛まれる」
「…ええっ?!」
「ナンナの受けた苦しみを、俺も受ける。そうすれば、ナンナは解放される」
「しかし、それではお前が次のルナウルフになるだけではないのか」
千秋の問いに、バルドルは首を振った。
「金に完全に変わるまでには時間がかかった。
その前に……これで」
す。
どこに持っていたのか。
バルドルは小ぶりのナイフを手に持つと、胸の前に掲げた。
「俺が完全に金に変わる前に、命を絶つ。それで、この呪いは終わる」
「だ、ダメだよそんな!」
即座に頭を振って止めたのは、ユキだった。
「自分で命を絶つなんて、そんなの絶対ダメだよ!」
「そうですよ!そんなの、ナンナさんだって喜びません!」
同じように必死になって止めるフェイ。
バルドルはきっと彼らを睨んだ。
「なら、どうしろと言うんだ?
ナンナを殺すか?ナンナは何も悪くないのに?」
「っ………」
「ナンナは何も悪いことはしていない。ただ生贄の乙女に選ばれて、村のみんなのためにその身を犠牲にする覚悟をしただけだ。
この先の人生も、やりたいことも、俺との結婚も全て諦めて、村のみんなのために身を捧げた……それだけだ。
なのに、あんたたちはナンナを痛めつけて、苦しめて、そして殺そうっていうのか?!
ナンナが一体何をしたっていうんだ?!」
「バルドルさん……」
辛そうに絶叫するバルドルに、一同は声もかけられない。
だが。

そんなやりとりをしている間にも、時間は過ぎていたのだった。

びきっ。

硬い物がいみり割れるような不快な音が響き、一同は一斉にそちらを見た。
苦悶の表情を貼り付けた乙女……ナンナの像が、ぴきぴきという音と共にその姿を歪めている。

みりっ。

みし、みしみしっ。

黄金の乙女像の中から何かが生まれるように、その背中が盛り上がり、そして形を変えていく。
やがて。

ばきっ。

ひときわ大きな音がして、像はまばゆい光を放った。

「っ………!」

圧倒的な光に思わず目をかばう一同。
そしてその耳に、鼓膜が破れんばかりの咆哮が響き渡った。

グオオォォォォォォッ!!

驚いて目を開けると、そこには。
巨大な……人が3人分はあろうかというほど巨大な、黄金の獣が、大きな一枚岩の上で月の光に照らされているのが見えた。

しなやかなその体は、イヌ科のものよりもどちらかというとネコ科のそれに近い。
堂々と前足を踏み出し、そして顔の周りに豊かにたくわえられたフサフサとしたたてがみは、月の光を受けてキラキラと輝いていた。

「黄金の…月の…獅子……」
どこかで聞いたフレーズを、誰かが呟く。

黄金の獣……ルナウルフは、ぐるる、と獣らしい唸り声を上げると、紅い瞳を人間たちへと向けた。
「…ナンナ!」
バルドルが言い、ルナウルフに向かって手を広げる。
「こっちだ、ナンナ!さあ、俺を噛め!!」
「バルドルさん……!」
彼の言葉に、ユキは慌ててそれを止めようと足を踏み出す。
だが。

たたっ。

ルナウルフはバルドルの呼びかけには目もくれず、地を蹴った。
「なっ……」
「え……?!」
その爪は、まっすぐにひとりの人間へ向かっていく。
ルナウルフに一番近くにいた乙女……ユキの元に。
「っ……!」
まさか自分に飛びかかってくるとは思っていなかったユキが、一瞬身を固くした。

がぎっ。

ユキの前に立ちふさがったフェイが、大剣を平らに突き出して、ルナウルフの爪を受け止めている。
「ふぇ、フェイ…さん…」
「ユキさん、大丈夫ですか!」
「う、うん……ありがとう…!」
ユキはすぐに気を取り直して後ろに下がり、安全を確認したフェイが剣を薙ぎ払ってルナウルフの爪を弾き返す。
ぎん、という音と共に、ルナウルフは後ろにはじかれ、距離をとって地面に着地した。
「な、なんだ……どういうことだ……?!」
混乱している様子のバルドルに、ミケが冷静に言った。
「生贄が乙女なのには、理由があったということですね……
ルナウルフが金の因子を埋め込むのに選ぶのは、男性ではなく女性…だからこそ、生贄には乙女が選ばれる。
選んだのは、おそらく村長なのでしょう。あの爪痕を偽装したのも。
ルナウルフが女性しか噛まないことを、知っているから」
「っ………」
バルドルは目論見が外れ、悔しげに頭を振った。

「そんな……ナンナ……ナンナ、もうダメなのか…?!俺は、お前を救ってやることができないのか…?!」

泣き出しそうな彼の叫びを聞きながら、冒険者たちはそれぞれに身構える。

黄金のように輝く月の明かりの下。

悲しい戦いが、今、始まろうとしていた。

To be continued…

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