ある乙女の話

乙女はきらきらと目をかがやかせて言いました。


わたし、あのきらきらと光る石がほしいわ。
夜空にかがやくお月さまみたい。きらきら光って、とてもきれい。
あの石で、わたしのゆびわを作るの。
あの石で、わたしのくびかざりを作るの。
わたし、きっととってもきれいになるわ。


魔法使いは言いました。


あの石は、ひとの命を吸ってかがやくもの。
あの石は、ひとの血と肉で出来ている。

それでも、お前はあの石が欲しいのかい?


乙女の目は、それでもきらきらとかがやいていました。


ええ、それでもほしいわ。
ええ、それでもわたし、あの石がほしいわ。

だれの命を吸ってもいい。
だれの血が流れてもいい。

あの石が手に入るなら、わたしそんなことちっとも気にしないわ。


魔法使いはにやりと笑って、ふしぎな杖をふりあげました。



お前の願いをかなえよう。

別離と考察

「おかえりなさい、ユキさん」

宿に戻ると、あらかじめ約束していたアフィアの部屋ではすでに残りのメンバーが集まっていた。
僅かに微笑んで、足を踏み入れるユキ。
「もうみんな来てたんだね。…あれ、えっと……?」
そこに、初顔合わせとなるワーデンの姿を認め、きょとんとして。
彼は立ち上がるとゆっくりと礼をした。
「失礼、突然見知らぬ男が加わっていたら驚くだろうね、すまない。私はワーデン。この村でオードくんに雇ってもらったんだ」
「そうだったんですか。僕はユキレート・クロノイアっていいます。ユキって呼んで下さい。よろしくお願いします」
「ご丁寧にありがとう。ワーデン・ユエンだ。こちらこそ、よろしく」
笑顔で握手を交わす2人を、他の面々もほほえましく見つめる。
と。
「……あれ、イッルさんは一緒じゃないんですか?」
フェイが不思議そうに訊いてきた。
ユキと行動を共にしていたはずのイッルの姿が見えない。
ユキは少し困惑した様子で首を傾げた。
「それが、帰り道の途中で『ちょっと用事が出来た』って別の方へ行っちゃったんだ」
「そうなんですか。どうしたんでしょうね……?」
心配そうに眉を寄せるフェイ。
すると。
「ごめんねー、心配させちゃって」
ひょい、と。
相変わらずの軽い様子で、ドアの向こうからイッルが顔を覗かせた。
「イッルさん!大丈夫なんですか?」
「あーんー、何かどうやら大丈夫じゃなさそうなんだよねー」
苦笑してドアを開いて。
その姿は、いつもの飄々とした様子より少しだけ憔悴して見えた。
彼は苦笑したまま、片手を顔の前に立てて申し訳なさそうに肩を竦める。
「ほんっっっっとに申し訳ないんだけどさー。僕、この件から手を引かなくちゃならなくなっちゃった」
「ええっ?!」
驚いて声を上げるフェイと同様に、仲間達も目を丸くして彼のほうを見た。
イッルは笑みを崩し、真面目な表情で仲間達を見返す。
「…詳しくは言えないんだけど、僕の個人的な都合でね?ホント、申し訳ないんだけど…後は任せていいかな?」
いつもとは違う真摯な表情に、仲間達は何も言えずに戸惑いの表情を浮かべた。
「…ご事情がおありのようなら、仕方ないですね。オードさんには、僕らからお伝えしておきます」
「ミケさん……」
いち早く立ち直ってそう言ったミケを、やはり複雑な表情で見やる仲間達。
イッルは苦笑した。
「…ありがとう。正直、助かるよ。出来るだけ早く、帰らなくちゃならないんだ」
「そうなんですね……何だかよくわからないけど、頑張って下さい。気をつけて」
「ありがと。みんなも、ごめんね」
短くそう別れの言葉を告げ、イッルは足早にその場を去る。
彼が去っていったドアを見つめながら、仲間達はぽつぽつと言った。
「どう…しちゃったんだろう、ね」
「さあ……でも、何か重大な事情のようでしたし、あまり突っ込んで訊くわけにもいかないでしょう」
「彼は……」
そこにワーデンが声を出したので、仲間達は皆彼の方を振り返った。
ドアの方を食い入るように見つめていたワーデンはそれに気づくと、言葉を続けぬままゆっくりとアフィアの方を見る。
アフィアは不思議そうに彼を見つめ返すだけで、何も言わない。
ワーデンは片眉を寄せて嘆息すると、首を振った。
「…いや、何でもない。こちらのことだよ。
一人抜けたのは痛いけど、どうにかするしかないだろうね。
気持ちを切り替えて、調べてきたことを報告しよう。みんなで考えれば、良い考えが浮かぶかもしれないからね」
ワーデンの言葉に、仲間達は我に返った様子で姿勢を正す。
そうして、お互いの調査報告が始まったのだった。

一通り、互いの情報を報告し終えた後。
「うーん……」
皆一様に難しい顔をして唸る。
「……聞けば聞くほど、やっぱりわからないってことが多いなぁ……」
難しい顔をして口火を切ったのは、ユキだった。
「やっぱり、ルナウルフっていう存在がピンとこないんだ」
納得行かないというように言って、仲間達を見回して。
「だって、金の爪痕しかルナウルフの特徴ってないんだよね。
その姿も見た人はいないみたいだし……村長さんは別かもしれないけど。
姿も何もわからない存在だもん。本当にそんな存在いるのかなって考えちゃう。
なんて言うか……幽霊とか都市伝説みたい」
そこまで言って、口をつぐむ。その続きは口には出さずに、心の中だけで反芻した。
(その存在がいるとして……なんで村の皆の前に姿を見せないのかな。そうすれば自分の存在をアピールできるのに。
少し、ううん、村の皆を傷つけなくても、その力を示すだけでもかなり恐怖を与えて儀式反対の抑止力にはなるのに。
それとも、動けない何かなのかな……生き物だけど生き物じゃない、みたいな……うーわからないや……)
考えが行き詰って、渋い顔になる。
すると、アフィアがぼそりと言った。
「ルナウルフ、誰も、見てない。村長、以外」
仲間たちの視線が集まる。
彼はそれにひるむ様子も無く、淡々と続けた。
「うち、ルナウルフ、情報、欲しい。ルナウルフ、どんなもの、わかれば、戦略、立てられます。
だから、まず、探偵、した。わかったの、少しだけ。村長、たぶん、全部、知ってる」
「結局、そこに行き着いてしまうんですよね」
そこに、ミケが嘆息して続く。
「ルナウルフが、そもそも本当にいるのかどうか良く分からない。獅子なの、狼なの?とかそんな話はいいんですけど、これも困るところで。
調べた結果、扉の傷跡から判断するに、四つ足の獣なら熊くらいの大きさの生き物で、何故か爪の後は金っぽくなっている。微妙に魔族っぽい嫌な感じの魔法痕跡がある。
これもね、不思議と言うか、変な話だと思うんですが」
「っていうと?」
フェイが相槌を打つと、そちらを向いて。
「傷跡に金がついてるっていうのが、変だなって。何となくそう思っただけなんですけどね。爪が金で出来ていてそれがこびりついたのか、それとも爪で引っかいたものが金に変わってしまうとか」
「……それだったら、ドアそのものが金に変わるのじゃないのかな…」
ワーデンが言うと、渋い表情になる。
「…まあ、そういう考え方もありですけど。だから、変だなと。あとは、自分ちの扉がガリガリ削られてるんだから、目を覚ましてもよさそうなものだと思うんですけどね」
「…すいません、僕一度寝たらなかなか起きなくって…」
何故かフェイが申し訳なさそうに言うので、ミケは慌てて首を振った。
「あ、いえ、まあ、そういう人もいますよね。すいません、変なところが気になって」
こほん、と咳払いをして、気を取り直して。
「ルナウルフに話を戻しますね。門に見張りがいるらしいので、そこから出てきている訳じゃない。門を開けて自分で閉められるくらいの知能があるとかなり怖いですが。
あとは、誰も見たことがない位の獣なのに、どこの家に生贄にしたい子が住んでいるのか知っているのも怖いですよね」
「確かに……そうね」
含みのあるミケの言葉に、言われてみれば、というように頷くフィリー。
ミケは続けた。
「ただ、誰も姿を見たことが無くて、10年前の生贄の時も、恐らくは爪痕のみ。
生贄を出さないと、金山に入る村人を皆殺しにする、という話は村長がしているだけで、事実は少なくとも長老の生きている間にはなかったらしい。
ルナウルフと金山についての全ては村長が握っていて、村人は『ルナウルフがいて、生贄を要求する。拒否したら金山に入る人が皆殺しなんだって』くらいの知識かもしれない。
いるとしたら、10年に1度とは言わずに、そこそこ村人の事を知っていて、知能もあって、熊くらいに大きな何か、ということになる」
ふう、と息をついて。
「…正直、あの……なんでしたっけ。地質学者の方」
「ロクスさんです」
「そう、ロクスさんが言っていたように、『実はいない』という考え方の方が、納得できるんですよね。
その場合は、村長が全部糸を引いていることになる。金山も生贄もルナウルフも、全部全部詳しく知っているのは村長さんということになる。
人を1人金山に突っ込んで、それを金と引き替えているのか、生贄自体を金にしちゃうのか」
「………」
もの言いたげにミケを見やるアフィア。
ミケは嘆息した。
「……だとしたら、本当に嫌な気分ですが」
沈黙が落ちる。
「……でも、そうすると…バルドルさんの様子が少し、腑に落ちないですよね」
沈黙を破ったのは、フェイ。
ミケは僅かに眉を寄せた。
「というと?」
「バルドルさん、『あんた達にルナウルフは倒せない』って言ったんですよね?
『倒せない』だなんて言葉、ルナウルフについて何か知ってないと出て来ないと思うんです。
ただの考えすぎかもしれませんけど、ルナウルフや生贄の事について何か知ってるんじゃないでしょうか?」
「それは……確かに」
「もしミケさんの言うように、ルナウルフが『いない』のだとしたら、まあ、いないんですから倒せないって言われればそれまでなんですけど、それってちょっと詭弁じゃないですか?聞いた感じだと、そういうことを言いそうな人には思えないんですけど……」
「そうですね……どちらにせよ、バルドルさんが何かを知っているのは確かでしょうね」
「それに…バルドルさんの反応が僕は正直納得できません」
フェイは眉を寄せて、さらに続けた。
「今のオードさんの状況って10年前のバルドルさんと全く同じような状況なのに、首を突っ込むな、忘れろ、だなんて……」
「それは、確かに気になるね。バルドル君には詳しく話を聞く必要がありそうだ」
頷いて同意するワーデン。
「しかし、それは勿論として、肝心の村長にどう話を聞くか、だよね。
ミケくんの言うことが正しいとしたら、村長は何か隠し事をしていることになる」
「そうですよね。生贄を止めに来た冒険者、って言えば会えそうですけど、すぐに追い返されちゃうでしょうし……
そもそも隠してることを余所者に話そうとは思わないですよね」
フェイの言葉に頷いて、続けて。
「そこに、生贄のことを詳しく訊こうだとか、何かを隠しているんだろうと問い詰めても、あまり良い結果は出てこないように思うんだ。
肝心なのは生贄の秘密を暴くことではなく、生贄を止めることなんだからね」
「あっ、そうか……」
ユキが少し驚いたように声を上げる。
「生贄の真実を突き止めることイコール生贄を止めることだって思ってたんだけど……そうじゃないよね。
真実追求よりも、生贄を止めないと」
表情を引き締めて、力強く続けた。
「そう考えると、村の皆を説得しないと駄目だと思う。
多分、村長さんは絶対生贄は決行!って思ってると思うから、数で勝負……っていうこと、かな。
皆諦めムードだし、ルナウルフがどういう存在なのかわかってない。
なら、言葉とか気持ちで揺さぶったりするのが一番だと思う」
「言葉とか気持ち、ですか?例えば?」
「うーん……ちょっとずるいかもだけど、姿を見た人がいないのはおかしい、爪痕から考えた大きさだと誰かが見てたとしてもおかしくないのにって存在の不確かさをちらつかせて揺さぶろうかなって。
それを踏まえた上で情に訴えかける……とか」
「…なるほど」
「もちろん、ルナウルフが何かの方法で姿を消せる、とかっていう可能性もあるけど……見破れる人がいるってはったりをかければいいかなって。
もし誰かがそれっぽい姿を見たって言ったら、有力な情報になるし。
ちょっと怪しいとこはあるけど、上手くいけば村の何人か、ううん、皆を味方につけることが出来るし。
筋道立てて上手く言い包めて正論っぽいこと言えば自然と味方が出来る、味方を作るなら手段は選ぶな信頼は後で築けって師匠が教えてくれた!」
「……そ、そうですか……」
満面の笑顔で言うユキを仲間達が生温い表情で見守るが、彼女自身はその『師匠』の言葉の微妙さには気づいていない様子で。
そこに、ワーデンが取り繕うように言葉を続けた。
「それも勿論方法のひとつだと思うし、いっそ正面から、ルナウルフを倒しに行きますから僕らを信頼して任せてくださいと説得するのもありかもしれないね」
「え、それを言ってしまうんですか?」
今日の調査で皆がひた隠しにしていたことをあっさりと言ってしまうワーデンに、フェイが驚いたように問いかける。
ワーデンは頷いた。
「うん。ルナウルフは私たちが必ず倒すから、信頼して任せてくださいと正面から説得するんだ。
ダメだったらどうするのかと言われたのだから、ダメじゃないと納得させられるような材料が必要だろうけれど」
「納得させられるような材料、っていうと?」
「そうだね、私はしがない細工師だから人様に威張れるような功績を残してきたわけじゃないのだけど。
でも、本職冒険者なら話は別だ。今までこれだけのことをやってきて、これだけの実績がある。何ならヴィーダの冒険者ギルドに問い合わせてもいい。
その実績で、この冒険者達なら必ずルナウルフを倒すことが出来る、信頼して任せてみてくれないかと正面から頼むんだよ」
「…なるほど……」
「で、正直なところ、どうなのかな?見たところ、かなりの手練れもいるんじゃないかとお見受けするけど」
ワーデンが冒険者達を見回すと、皆一様に戸惑った様子で顔を見合わせた。
「…私は、冒険者として仕事をするようになったのは最近のことだから。正直、これといって功績と呼べるものはないかな」
少し眉を寄せて、フィリー。
すると、アフィアが淡々と話し出した。
「一番、大きい、鉱山に棲む、巨大な蛇、倒した、です」
「へえ……」
ワーデンが感心したように目を見開く。
アフィアは続けた。
「あと、ザフィルス、殺人事件、解決」
「ざ、ザフィルスですか……」
何故か気まずそうに目を泳がせるミケ。
アフィアは頷いて彼の方を見た。
「原因、魔族、作った、アイテム。魔物化、したもの、倒しました」
「そ、そんなことがあったんですね……」
「それと、最近。海賊、倒しました」
「あっ、それ、僕もいました!あと、フェイさんも」
「はい、その件は僕もご一緒しました。アフィアさんもユキさんも、頼れる戦力でしたよ」
その言葉には、ユキとフェイが口々に言って頷く。
が、フェイはそのまますまなそうに眉を寄せた。
「でも、僕は功績って言われるとそれくらいかもしれません……あの、ミケさんは?」
「え、僕ですか」
話を振られ、ミケは困ったように首をかしげる。
「誰に言ってもすごいと思ってもらえるようなものとなると……リゼスティアルの女王…あ、いや、彼女はまだ皇女でした。皇女様を救った、っていうくらいかな…ハクがつくのは」
「いや、それもかなりすごいことだと思うよ」
やはり感心したように言うワーデンに、苦笑を向けて。
「あとは人探しとか護衛とか、地味なことが多いんで…考えてみると。戦いもそれなりにこなしてきましたけど、僕は魔術師ですし、攻撃魔法も使えますがどちらかというと回復や防御の方が得意ですから」
「そうなんだね。みんなはどうだろう。武器を見る限りだと、フェイくんやフィリーさんは剣を使って戦うようだよね?」
「あっ、はい!僕はこのグレートソードで戦います!」
「私も主にはこの剣になるわね」
「なるほど。ユキさんは……」
「そうですね、僕も魔法はあまり使えないから、近接武器が主になるかな」
「アフィアくんはどうなんだい?」
「うち、雷の魔法、使えます。あと、素手でも、戦えます」
「オールマイティなんだね。物理と魔法のバランスは取れてることになるか……」
ふむ、と唸ってから、ワーデンは再び苦笑を仲間達に向けた。
「私はさっきも言った通り、しがない細工師だからね。戦闘系技能をとんと持っていないのでひ弱な肉の壁くらいにしか……あ、いや、『肉の壁』は磨き上げられた肉体を持つ者にだけ与えられる称号だったね、失礼。肉の壁にもならない、と言っておくよ」
「それでも、それだけ功績があるってことは、いい説得材料になると思いますよ!」
フェイは意気込んだ様子で言った。
「村長さんの説得、いいんじゃないでしょうか。やってみる価値はあると思います」
「まあ、実際のところ、結局誰も正面から村長さんにはぶつかっていないわけですからね」
頷いて同意するミケ。
「僕が行ってみますよ。正面から頼んでみて、そのまま倒させてくれるならそれでいいし、それでも断られるようなら村長さんが何かを隠しているという線が濃厚になる、っていうことですから」
「何かを隠してるなら、それが村の人たちを説得する突破口になるかもしれないよね!」
ユキが意気込んだ様子で言い、そちらに頷く。
「そういうことです。何かを隠している、つまり村人達を騙して生贄を出させているかもしれないと訴えることは、村人達の思い込みを砕く突破口になるかもしれない。
それにはまず、その疑いを、村人にも疑問を抱かせられるレベルになるまで裏付けるのが重要です」
「そう、上手く行けばいいんだけどね」
ため息をついて言ったのは、フィリーだった。
「この村の頑なさっていうのは、異常だわ。オードが孤立してしまうのもしょうがないって感じ。
フレイヤの両親までもが、娘を生贄に出すのはしょうがないって諦めてる。正直許せないわよ」
すると、ミケがそれに頷いて同意した。
「それが、一番のネックでしょうね。大問題です」
ふう、と嘆息して。
「一般民間人に魔物に立ち向かえというのは、確かに難しいですけどね……声も上げずに粛々と生贄出すのも、いかがなものか、と僕は思うんですけれど。
分からなくもない。倒し損ねたときにどんな報復が来るのか、とか。
責任が取れるのか、と言われても、仰るとおり死んだら取れないんですが」
苦笑してそう言うと、仲間達も複雑そうな表情になる。
ミケは続けた。
「倒そうと努力して、ダメなら村人全員で逃げるとか、そういう前向きな発想はないかなぁ」
「そ、それは前向きなんですか?」
控えめにツッコミを入れてみるフェイ。
ミケは再び苦笑した。
「前向き云々はともかく、正直なところ、本当に村人全員逃げてくれないでしょうかね。現状村が存在するのはその生贄になった人がいるから金が採れて、生活とか村が成り立っているわけでしょう。
つまりは、誰かを生贄にしても、今の生活を続けたいと。
顔見知りの血肉を喰らって生きているのは、ルナウルフだけでなく、村人全員なのだと。
そう思っても尚、村に固執し続けることができるんでしょうかね。
……怖い話です」
「まあ、それは強者の論理だろうね」
苦笑して言葉を返したのは、ワーデンだった。
「ミケくんは困難を自分の力で切り開こうとし、それに成功してきた。広い世界も知っている。だからこそその発想が出るんだよ。
怖い、非道だ、何故立ち向かわない、そうやって責めて、悪いと切って捨てるのは簡単だ。誰かの命を犠牲にするくらいなら、その生活ごと切って捨てて逃げてしまえと、それも考えのひとつだとは思うよ?
けれど、切り捨てて逃げて、その後は?頼るあてもなく、住む場所も、資金も、職のあても無く、路頭に迷って飢えて死ぬ。責任を取れるのか、というのは、そういうことも含めてのことだろうね」
「それは……」
ミケは反論しようとして、しかし上手く言葉にならずに口をつぐんだ。
ワーデンは真剣な表情で続ける。
「私は、こういう歪んだ村で生まれたときから過ごしていて、歪んで育たざるをえなかった村人もまた、被害者だと思うよ」
「…僕も、そう思います」
辛そうな表情でそれに続いたのは、ユキ。
「この村の人たちは……なんだか、切ないというか、辛いというか……そういう感じがする。
だって、人として持ってて当然の心を無理矢理押し殺さないといけないんだよ。
そりゃ、人は生きてく上で心を殺さないといけないようなこともあるけど……それとこれとは、重みが違うもん。
多数の為の少数の犠牲を、その上に成り立つ平和を常に感じてるんだから。それは……辛いし、悲しいよ。ただの一般人には、その重みは耐えられないよ」
彼女の言葉に、ワーデンはゆっくりと頷いて同意した。
「そうだね。隣り合わせて生活を送っている親しい友人が、望まぬ形で命を絶たれようとしている、そのことを悲しく思わないはずがないんだ。
立ち向かわないことは確かに良い事とは言いがたいけれど、悪いことと切り捨ててしまうのは少し彼らが可哀想だし、何より建設的じゃない」
「建設的じゃない…ですか」
フェイが不思議そうに言うと、そちらに頷いて。
「そう。これはあくまでも個人的な考えなんだけどね。
私は、フォラ・モントが『普通』の村になればいいと思うよ」
「普通の村……」
「無論、普通の村にも色々とわだかまりはある。
ただ、話を聞くにつけ、この村はそれ以上の歪みを抱えているように思う。
それは生贄を出して村を存続させているという『罪悪感』かもしれないし、もっと厳しい表現を使えば『欺瞞』というのかもしれない。
だから私としては、村人が納得できる形でそれを解消できればいいと思う」
皆黙ってワーデンの話を聞いている。
「まず、大前提として生贄を止める。まあ雇われているし、当たり前だけどね。
それによって村の経済が打撃を受けるかもしれない。ルナウルフの正体と金生成のカラクリは横に置いておいても、単純に考えれば生贄を出さなければ金は採れなくなる。金細工を売ることで糧を得ているこの村に死ねと言っているようなものだ。
でも仮に、私たちが生贄を阻止するのを諦め、この村を去ったとして。長い目で見た場合、それより更に嫌な事態になるような気がするんだ」
「嫌な事態?」
フィリーが片眉を寄せて問う。
ワーデンはそちらに真剣な視線を向けた。
「バルドルさんは失敗した。オードくんはまだ冒険者を雇う程度で済んだけれど、その次は村を出ていく若者が出ても不思議ではないよ。もう出てるのかもしれないがね。
もっというと、生贄が若い女性であればいい、若者を確保できない、という事態になれば人身売買でもなんでも手を出すことだって考えられるんだけれどね。…流石に悲観的に過ぎるかな」
「そんな……」
「生贄を出し続けたとしても、そんなものはいずれ破綻する。だけどここで生贄を辞めさせたら、その『いずれ』を待たずに村が滅びることになる。
ルナウルフを倒し、生贄を辞めさせるだけじゃない。この村の『歪み』そのものを直してあげなければ、どちらにしろこの村は滅びてしまうんだ。
だから、『普通』の村にしたい、と言ったんだよ。
鉱毒もないし、まだ畑作だってできる。『金』の細工に革や宝石を合わせることもあるだろうから、この村はそういう技術も持っていると思う。
急には変われないだろうけれど、まだ変われる地点にあると思う。
…だから、変えられるなら変えよう、と思う」
「ワーデンさん……」
ルナウルフの討伐と生贄の阻止に留まらない、もっと大きな視点で事態を見ていたワーデンを、仲間達は驚きにも似た尊敬のまなざしで見やった。
その視線に、苦笑するワーデン。
「まあ偉そうなことを言っても、一人でできることは限られているのだけれどね」
「いや、でも、その通りですよ!生贄を辞めさせたとして、その先のことも考えないと。僕もそう思います!」
フェイが力強く言い、仲間達も無言で頷いた。
それを嬉しそうに見回してから、ワーデンが再び口を開く。
「まあそれはおいおい考えていくとして、今はミケくんの言う通り、村人達に疑問を投げかけられるだけの裏づけが必要だね」
「僕が村長のところに行くとして……皆さんはどうされますか?」
ミケが問うと、始めに答えたのはユキだった。
「僕、フレイヤさんのところに行きたいと思います」
少し辛そうに眉を寄せて、仲間達を見渡して。
「フレイヤさんのご両親と、フレイヤさん自身に、正直な胸のうちを聞きたくって。
村のためにって押し込めないで、正直に、辛いこととか、怖いこととか聞いて、村の人たちの説得材料にできればって思うんです」
「先ほど言っていた、情に訴える、ということだね」
「はい。同じ村に住んでる人が辛い思いをしているって実感できれば…心を動かすことが出来るかもしれない、って」
「なるほど」
ワーデンは頷いて言った。
「私はバルドルさんのところに行こうと思うよ。やはり、あの物言いは気になる。彼は確実に何かを知っているだろうからね」
「私もバルドルのところに行こうと思っていたの」
フィリーもその後に続く。
「あんな態度をとられちゃ、過去に何があったのか気になってしまうもの。
悲しい過去があったのかしら?」
「でも、私たちが行ったとして、また以前のように追い返される可能性はあるね」
「そうね……どうやったら話を聞いてもらえるかしら。無理やり入り込むわけにも行かないし…」
「あの、オードさんも一緒に行ってもらったらどうでしょう?」
2人の話にフェイが割って入る。
「10年前の自分と同じような立場のオードさんにも説得してもらえるなら少しは話を聞いてくれるかもしれないと思うんです」
「なるほど…それ、いいわね」
「そうだね。早速明日、オード君に頼んでみるとしよう」
話がまとまり、頷きあうワーデンとフィリー。
「あとは……そういえば、今日は金山の入り口は調べてないんですよね?」
ミケが言うと、ユキが申し訳なさそうに肩を縮めた。
「ごめんなさい、やっぱり他に入り口がないか気になって…僕もイッルさんも入り口は結局調べてないんだ。
途中でロクスさんにも会っちゃったし…」
「あ、いえ、いいんですよ。でもそうすると、いざ生贄の儀式でルナウルフを倒しに行こうってなった時に、どういう手段を取るかはわからないけど、現場の様子がわかってないっていうのは少し不安要素かな、と思うんですよ。地形とか、広さとか。戦うのならわかっているに越したことはないですからね」
「そうですね。一度、門や鍵がどんな感じか確認した方がいいかもしれないです。
いざ強行突破、みたいな事になった時に壊せるかどうか分かってた方がいいですし、もしかしたら抜け道とかもあるかもしれないですし」
フェイが同意して頷くと、アフィアがぼそりと言った。
「なら、うち、調べ、行きます」
「お願いできますか」
「ルナウルフ、調べる、難しい。なら、地形、調べる、戦い、有利、なります」
「そうですね、よろしくお願いします」
「じゃあ僕は……これを持って、ロクスさんのところに行ってきますね」
フェイがそう言って、フレイヤの家のドアから採取してきた金を取り出した。
「ロクスさんなら、フォラ・モントの金についても詳しいでしょうし…何かわかるかもしれません。
それから、この地域に伝わる伝承とか噂とかも。僕達の方は調べる時間も無かったですし……そういった事から何か分かるかもしれないですし」
「そうですね、そちらの方からも調べてみてもいいかもしれません」
ミケが頷いたところで、それぞれの明日の調査方針が固まった。

「では、明日もよろしくお願いします」
ミケの言葉に、冒険者達は改めて表情を引き締めるのだった。

閉ざされた扉

「あれが、金山、入り口……」

ミケとは別ルートで村長の家付近に来たアフィアは、村長の家の裏手に見える金山への入り口を離れたところからじっと見やった。
宣言の通りに、金山の入り口を調べに来たアフィア。調べてほしいと言ったミケのほかに、フェイからも頼まれたことを調べるつもりでいる。
狼獣人である彼のように匂いを探ったりすることはできないだろうが、門の造りがどの程度のものかは調べることが出来るかもしれない。
アフィアは早速足を踏み出した。

村長宅と金山の入り口は、オードの言うようにさほど離れていなかった。直線距離にして50メートルほどだろうか。
それでも、村長宅からしか行けないように囲いがしてあるというわけではなく、行こうと思えば誰でも入ることが出来る程度だ。
村長宅から金山入り口までは道のように平らにならされているが、それほど道幅があるわけではない。ここで戦うのは少し難しそうだった。
道の周りはゴツゴツした岩場が広がっていて、越えられないわけではないが足場が悪い。金山同様、植物はあまり生えていないようだった。
アフィアは用心深くそれらを見回しながら、問題の入り口まで足を進め……
「ちょっと、あなた!」
鋭い女性の声に、足を止めて振り返る。
見れば、村長宅の裏口と思しきドアから一人の女性が駆け寄ってきた。
「こんなところに来ちゃ……って、あら?昨日の……」
女性はアフィアを目にすると、きょとんとして足を止める。
彼女は昨日、村長の家にやってきたアフィアの応対をした使用人の女性だった。
アフィアは軽く会釈をすると、そのままのテンションで女性に言った。
「ここ、村長さん、家、でしたか」
「え?」
「道、迷いました。この村、まだ、よくわからない」
「そ、そうなんですか……でも、ここはね」
「あれ、金山、ですか」
戸惑いながらも立ち去ってほしそうな女性の言葉をさえぎり、アフィアは金山の方を向いた。
「えっ?え、ええ……」
戸惑ったように頷く女性。
アフィアは金山の方を見たまま、さらに続けた。
「扉、ついてる。中、何、ありますか」
「何って……その、金ですよ」
どう答えたらいいのやら、というかそもそも言葉が通じるのだろうか、という様子で戸惑いがちに答える女性。
「金、山の中。どうして、扉、つける、ですか」
「それはその……泥棒が入って金を持って行ったら困るでしょう?」
「鍵、村長さん、持ってる、ですか」
「ええ……まあ」
歯切れの悪いその様子は、これ以上根掘り葉掘り問うてくれるなという思いがあからさまに伝わってくる。
アフィアはしばし彼女の表情を見ると、言った。
「扉、近く、見て、いいですか」
「え?」
女性の表情には驚きと、そして明らかに迷惑そうな感情が表れている。
アフィアは気にせず続けた。
「鍵、ない。中、入れない。それ、構いません。近く、見て、いいですか」
「扉を見るって……どうして?確かあなた、郷土史の研究をしている学生さんでしたよね?」
「………」
確かに、そう自己紹介をした手前、金山に興味を持ってあれこれ訊くのは不自然だ。
アフィアは無表情のまましばし考え、やがておもむろに口を開いた。
「金山、いつごろからある、知りたい。ここ、歴史、資料ない。扉調べる、年代、わかる、かも」
「……ああ…なるほど……」
と言いつつも明らかに迷惑そうな表情で、女性はしばらく考えていたが、やがて嘆息して頷いた。
「…まあ、いいですよ。私もお供します」
「ありがとう、ございます」
本当はお供もあまり嬉しくないのだが、これがオードの言っていた見張りなのだろう。あまり遠ざけようとするのも不興をかうかもしれない、と、アフィアはおとなしく女性と共に入り口の方へ歩いていった。
ごつごつとした岩肌にぴったりとはめ込まれたような、鉄製の扉だった。さび付き加減はかなり年季が入っている。少なく見積もっても数十年前からありそうだ。かなり頑丈そうだが、例えば彼が本来の姿になったり、フェイあたりが力任せにあの大きな剣を叩きつけたり、ミケがそれなりの威力の魔法を放てば壊せなくもなさそうな感じではある。まあ、その場合何をどう考えても大騒ぎにはなるだろうが。
それとは別に、やはり年季の入った錠前は不必要に大きく、造りもかなり大雑把なようだった。大きな扉を吹っ飛ばすより、この錠前を壊す努力をした方がかなり現実的に思える。
扉の上下には通風のためだろうか、若干の隙間が見て取れた。が、仲間内で一番小柄なアフィアでさえ通り抜けるのは難しそうだ。
無論、中をのぞくのも難しい。ここから見える限りでは中に明かりなどはなく、また風が吹いてくることもなかった。
「……ありがとう、ございます」
アフィアが女性を振り返って礼を言うと、女性は少しほっとしたように息を吐いた。
「何かわかったのならいいんですけどね。さっきも言ったとおり、泥棒が来ると困るから、鍵もかけてあるしあまり近寄られても困るんですよ。
他に何もなければ、お宿に案内しますけど?」
「…方角、わかれば、ひとり、帰れます」
「そうですか?今度は迷わないようにしてくださいね?」
女性は仕方なさそうにそう言って、アフィアを先導して歩き始める。
アフィアはもう一度振り返って金山を一瞥すると、そのまま女性の後ろについて歩いていった。

その胸の内

「すみません、突然お邪魔してしまって」

ユキの訪問に、フレイヤとその家族は戸惑い気味の視線を交わしあっていた。
昨日訪問したミケとフェイの仲間で、オードに雇われたと名乗り出ると中に通してくれ、茶も出してくれたが、その表情には困惑の色がありありと浮かんでいる。
ユキは出されたお茶を一口すすると、そのままカップを置いて身を乗り出した。
「今日お邪魔したのは、もう少し詳しく、皆さんにお話を聞きたいと思ったからなんです」
「お話と言いましても…昨日の方々に、だいたいのことは……」
「事件のこともそうだし、もっと他のことも、いろいろお聞きしたいなって」
「他のこと……?」
眉を寄せて首を捻る父親。
ユキは真面目な表情で頷いた。
「三つ聞きたいことがあるんですが、いいですか?」
「ええ……どうぞ」
まだ戸惑った様子の父親に、ユキは薄く微笑んで礼を言うと、早速質問を切り出した。
「生贄に選ばれる前に、何かいつもと変なところはなかったですか?」
「変なところ……ですか?」
「はい」
再びゆっくりと頷くユキ。
熊ほどの大きさの獣が目撃されないとは考えにくい。だとすれば、村の中に協力者がいる可能性が高い。
もし村の中に協力者がいるとすれば、生贄を選ぶ段階で何かをするはずだ。
彼女はそう踏んで、この質問をすることにした。
「いつもなら見かけない人がいたり、してないことをした、しなければならなかったことがあったら聞きたいんです。
もしかしたらそれがルナウルフに繋がる何かかもしれないんです」
「さあ……私は特には…お前は?」
「いえ……私も…」
「昨日の方も、同じようなことを訊かれましたが、その時にも心当たりはないとお答えしましたし…」
やはり戸惑いの表情を見合わせる3人。
ユキは少し落胆した様子で息をついた。
「そうですか……」
「…すみません、お役に立てませんで……」
「あっ、いえ!気にしないで下さい、僕が見当違いなことをしてたのかもだし……」
申し訳なさそうな母親の表情に、ユキは慌てて首を振ってなだめる。
「えっと、あと、もうひとつ…あの、これは事件には直接関係ないかもしれないんですけど……」
ユキは一瞬逡巡したように視線をめぐらせ、しかしすぐに3人をまっすぐに見据えた。
「辛いかもしれないですけど……フレイヤさんが生贄に選ばれたとき、どう思いましたか?
思ったこと、なんでも言って欲しいんです」
「え……」
思ってもみないことを言われた様子で、両親は僅かに目を見開いた。
真剣な表情で続けるユキ。
「醜い感情でも、どうして、ということでも、全部聞きます。僕はこの村の人間ではありません。それをそのまま聞いても今後の生活に影響することはありません」
「………」
しかし、3人は戸惑った様子で顔を見合わせるばかりだ。
やがて、父親がおずおずとユキに問う。
「あの……それを聞いて、どうされるんですか…?」
「はい。村の人たちの説得材料にできれば、って」
「…説得材料?」
「生贄を辞めさせるための、です。同じ村の仲間が、こんなに辛くて不安な思いをしているってわかれば…勇気を持って、生贄を辞めようっていう人も出てくるんじゃないかと思って」
「む、村の人たちに話すんですか?」
「はい。いろいろ誇張や削ったりしますけど…」
「こ、誇張するんですか?!」
驚いた様子の父親に、きょとんとした表情を返すユキ。
「信用させて説得するためには、多少の編集は必要です。嘘を言ってるんじゃないんだし、大丈夫ですよ」
「ちょ、ちょっと待ってください」
父親の様子は、控えめだが怒りがこもっているように見えた。
「あなた、今『今後の生活に影響はない』って言ったばかりじゃないですか!私たちが『生贄を出すのは嫌だ』と言っているなどと村の皆に知れたら、私たちはこの村で生きていけなくなる…!」
「あ……」
ミケたちから、家族の様子は聞いていた。生贄阻止の協力をすることに消極的なのだと。
しかしそれは、自ら言う勇気がないだけだと思っていた。だから、自分達が代わりに言えばいい、上手く言えないなら手を加えて、それを説得材料に使えばいい、と。
しかし、父親の様子を見て、自分が事態を酷く軽く考えていたのだと悟る。
村の意向に沿わないことは、オードの言う通り『村八分』にされるということ。この閉鎖的な村で他の手を借りられないことは『死』を意味するも同然なのだ。少なくとも、彼らはそう思っている。だからこそ、どれだけ不本意でもそれに従わざるを得ない、のだ。
「……すみません、僕…」
二の句を告げず、ユキはしゅんとして頭を下げた。
「あの、説得材料にしたいっていうのはもちろん、そのつもりだったんですけど、それは建前で」
「…建前?」
まだ怒りが覚めやらぬ様子の父親。
ユキは頷いて、続けた。
「はい。正直な話、僕が聞きたいんです」
目を伏せて、何かに思いを馳せるようにして。
「僕も、心に押し殺してることがあった時、その感情を聞いてくれた人たちがいて、すごく心が軽くなったんです。
どうしようもないことでも、でも聞いてくれただけで前に進めたっていうか……」
再び目を開けると、まっすぐに父親を見据える。
「説得材料にしたいのは、したいです。
だって、その思いは。これから生まれてくる新しい命や、今はまだ何も知らない子どもたちに押し付ける思いなんですから。
でもいろいろ編集しても皆に伝えるのはって言うのなら、それは辞めます。約束しますし、信じられないならこれを」
言って、首に下げていたネックレスをゆっくりと外し、テーブルの上に置いた。
「僕の大切な人たちに渡したものの、片割れです。いつか再会できると信じて、持ってるものです。僕の大切な、宝物です。
これを預けます。僕が嘘ついたときは、これを捨てても壊してもいいです」
そして再び顔を上げ、まっすぐに見つめる。
「ただ、押さえ込むだけじゃ何も始まらない。前に進めない。
だから、お二人が前を向けるように。僕はその手助けになりたいんです。
立ち向かえとは言いません。ただ、最後の最後まで、希望を捨てないで欲しいんです。
僕達が、絶対に何とかします」
訴えかけるように、身を乗り出して。
「それにはお二人がまず前を向かないと。いつまでも暗い顔では、フレイヤさんも前を向けません。
本当なら励ますべき立場の人が、逆に不安にさせてどうするんですか」
「……おっしゃりたいことは、わかります」
父親は苦い表情で、唸るように言った。
「…だが、やはり、あなたはとても軽く考えていらっしゃるようだ。
力のある冒険者さんが、何の力も持たない私たちを歯がゆく思うのも無理はないし、何だってやってみれば何とかなると思うのも若さゆえのものでしょう」
す、と手を差し出し、テーブルに置かれたネックレスをユキに差し戻すように押し返す。
「これは、どうぞお持ちください。このようなものがあってもなくても、私はあなたに胸のうちを話すつもりはない」
「そんな……」
「このネックレスがあなたにとってとても大切なものだと、あなたは知っているだろうが私たちは知らない。あなたはこのネックレスに人質のような扱いを求めているのだろうが、あなたにとってこれが人質扱いできるほど大切なものだということも、あなたの言葉を信じる他ない。あなたが嘘をついていない、裏切らないという証明にはなりえないんですよ」
「っ………」
返す言葉が見つからず、再び黙り込むユキ。
確かに、このネックレスが彼女にとって命と同じほどに大切だと言うことは、彼女にしかわからない。価値のないただのネックレスを預けて信用しろと言っていることも考えられる。そして、そうでないと証明できるものは何もない。
つまりは。
「……僕は、信用に足らない、ということですね…」
「そうは言っていません。だが、あなたがもし、私たちに信用してほしいと言うのならば、あなたはこのネックレスのような、あなたにしか価値がわからないものではなく、あなた自身の言葉で私たちの信用を得るべきだ」
ふう、と、苦い表情で父親はため息をついた。
「そして、あなたは先ほど、私たちの胸のうちを聞いたうえで、それを村人の説得材料にするために編集し誇張すると言った。
その言葉は、あなたが私たちの状況を軽く考えていると、私たちに思わせるのに十分だと思いませんか」
「それは……本当に、すみません。でも」
「ユキさん、といいましたね」
ユキの言葉を遮って、父親は言った。
「村人達の説得ならば、どうかあなたご自身の言葉でしてください。
あなたが、あなたの大切な人を生贄に差し出せと、そうでなければ住処を追い出すと言われて、他に行くあても、生きていく力もなかったとしたらどれほど絶望するか、あなた自身に照らし合わせて考えてみてください。
私たちの思いは、それと大して変わらないものと思います。
だが、それを私たちが言ったものだと村の皆に言うのは、どうか辞めてほしい」
「…………そう、ですか……」
再びしゅんとして俯くユキ。
父親は深くため息をついた。
「昨日いらした、ミケさんとフェイさんという方は、私たちにふたつのことを言いました。
ひとつは、知っていることを教えてほしいということ。もうひとつは、彼らが生贄を辞めさせようとしているということを、他の村人に言わないこと。
私は、それだけでいいなら協力する、と言いました。それは今でもそのつもりです。
それ以上のことをするつもりはない」
「………」
「わかってください。それが、私たちに出来る精一杯なんです。私たちは、これからもこの村で生きていかなければならないのだから」
「……そう、ですよね……」
「ご質問は以上ですか。確か、3つおありと言っていましたね?」
「あっ、は、はい」
ユキはようやく思い出した様子で背筋を伸ばすと、最後の質問をした。
「あの、家の周りとか調べたいんですけど、いいですか?」
「家の周り、ですか?昨日、あのお二人が調べていったようですが」
「はい。ミケさんやフェイさんは、ドアの爪あとを調べていったんです。
扉とかに目が行きがちですど、家の周りとかその近くに何かないかなって。
時間経ってるし、なくなってる可能性もありますけど……」
「…何もないとは思いますが……どうぞ、お調べください」
「ありがとうございます!」
ユキは最後に元気よく礼を言って、リビングを辞した。

「……やっぱり、何もない、かなあ……」
フレイヤの家の周りを調べていたユキだったが、一通り見回った後でふうと息をつく。
昨日、ミケとフェイがドアの辺りを調べた時に、扉に傷跡がついてから1週間は経っているのだから、痕跡はほとんど残っていないだろうと言っていた。
それでも、ドア以外のところならば何かがあると思ったが、ざっと見て回ったところ、特に気になるところは見当たらなかった。
周りの茂みや、庭の芝生、家の壁も、ごくありきたりのもので、大きな傷や変わったところなどは見られない。
「空振りかぁ……」
ユキは残念そうに息を吐いた。
生贄選定前後に変わったことがなかったかも、そういえばフェイが訊いたと言っていたような気がする。フレイヤの家族の胸のうちも、聞くことができなかった。そして家の周りの様子も、やはり目に留まるような異変はない。
ここに来てしようと思っていたことがほとんど空振りに終わり、がっくりと肩を落とす。
と。
「あの……」
声をかけられて振り向くと、そこにいたのは。
「フレイヤさん」
家から出てきたフレイヤが、申し訳なさそうに肩を縮ませて立っている。
ユキが駆け寄ると、彼女はやはりすまなそうに頭を下げた。
「先ほどは…すみません。父が、失礼なことを」
「いや、そんな…僕が軽く考えていたのは事実だし…お父さんが怒るのも無理ないです。僕こそ、失礼なことを言っちゃってごめんなさい」
「でも、助けて下さろうとしているのに…」
浮かない表情でユキを見返すフレイヤ。
ユキはしばらくためらってから、やはりフレイヤに言った。
「フレイヤさんは……生贄に選ばれたとき、どう思いましたか?」
「えっ……」
「あの、さっきも言いましたけど、説得材料にっていうより、本当にただ単に、僕が聞きたいんです。
僕はもう、フレイヤさんたちの気持ちだって村の人たちに話すつもりはないし……お父さんのように信じられないっていうなら、話してもらわなくても、いいけど…」
複雑そうに視線を泳がせて、ユキは続けた。
「僕は生贄になったなんて経験ありませんけど、危うく人質に、くらいはありますから」
「え……」
少し驚いた様子のフレイヤに、苦笑を向けて。
「僕には、親代わりに育ててくれた人がいるんです。でもその人、たくさん恨み買ってて……その人に一番近いらしい僕はちょうどいい人質だったんです。
未遂で終わりましたけど、その時はなんで僕が、とか、怖くてしかたなくて。
少しの間その人から離れることが出来なかったんです」
「そうだったんですか……」
「でもその人はいつも冷たくてそっけないのに、僕が落ち着いて平気になるまで、ずっと傍にいてくれたんです。
何も言わずに話を聞いてくれたんです。
だからかな、僕はすごく強くなれたと思う。吹っ切れたのかな」
「………」
「さっきも言いましたけど、説得材料にしたいっていうのは、本当にそう思ってました。今はもう、その気はないけど。
それは、お父さんにも言ったとおり、これから生まれてくる命や、何も知らない子供に、その思いを受け継がせちゃいけないって思ったから」
「……それは……」
「でも、それ以上に、フレイヤさんやご両親の心を、軽くしてあげたかった」
「えっ……」
フレイヤはまた少し驚いたように視線を上げた。
ユキは少し辛そうに、しかしまっすぐに彼女の視線を受け止める。
「説得材料とか、建前っていうか、後付けだったんです。話を聞いたからには、それを何かの役に立てなきゃって、ううん、役に立つことしかしちゃいけないんだって思って、話を聞くことに無理やり理由をつけた。僕がやりたいのは、話を聞くことそのものだったのに。その話が何か役に立つかどうかなんて、本当はどうでも良かったのに。
それが、結果的にお父さんの信頼を失うことになっちゃった。僕は、順番を間違えたんです。一番大事にしなきゃいけないものを」
「ユキさん……」
「僕は、生贄とは違うけど、怖かったこと、辛く思ったこと、全部聞いてもらって前を向くことが出来ました。
だから、フレイヤさんが前を向けるように。最後の最後まで希望を持てるように、話を聞きに来たんです」
ユキは改めてフレイヤを正面から見つめなおすと、真剣な表情で言った。
「抗えとは言いません。ただ、君の為に立ち向かおうとしたオードさんの想いを信じてあげて下さい。
僕達が、絶対に何とかします。
全部僕に吐き出して下さい。今抱いてる想いや感情を。
僕は君が、オードさんが、皆が笑えるように頑張りますから」
ユキが言い終えると、フレイヤはしばらくの間、黙って彼女を見ていた。
ユキも黙って、彼女が話し始めるのを待つ。
やがて。
「……そう、ですね……」
フレイヤはうつろな瞳で、唇を無理に歪めたような空虚な微笑を浮かべた。
「なんで、私なんだろうって…何度も思いました。
でも、私じゃなかったとしても、この村の誰かが選ばれることになる…小さい村ですから、同じ年頃の子達は皆仲良しなんです。
その誰かが絶対に生贄にならなくちゃいけないなら、私でもいいのかな、とか……」
「………」
ユキは黙ってフレイヤの話を聞いている。彼女の育ての親が……彼女の想い人が、彼女にそうしてくれたように。
フレイヤは続けた。
「でも、死ぬのは怖くて…どうなっちゃうんだろうって。私は金山に入ったことがないし、ルナウルフを見たこともないし、どんな場所か、どんな魔物かもわからない……全然知らない、わからないところに行って、ルナウルフに……」
その先は言葉を続けられずに、ぶるっと身を震わせる。
「…でも、そうするしかないなら、って……私の命で村が助かるなら、って、思うしかなくって……
あと何日もしないうちに、私はここからいなくなっちゃうんだから、仲のいい子や、お世話になった人たちに、お別れを、って……でも、オードが村を出て行っちゃって……生贄に反対してるって、村の皆はオードのことを悪く言って…私、心配で……心細くて」
はらり。
フレイヤの瞳から、涙が一粒零れ落ちる。
「オード……オードに、もう、会えなくなってしまうのが、きっと、一番辛いんです……
ずっと、一緒にいたい…おじいちゃんとおばあちゃんになるまで、一緒にいようねって、言ったのに……」
後はもう言葉にならぬ様子で、フレイヤは両手で顔を覆うと、静かにすすり泣いた。
「フレイヤさん……」
ユキは痛ましげに、そっとその肩に手を置く。
なだめるすべも知らず、かける言葉も見つからず、ただそっと、泣く赤子をあやすように、その肩を撫でるのだった。

新たな乱入者

「さて…これは困ったね」

痛む足をさすりながら、切り株に腰掛けたその男は途方に暮れたようにつぶやいた。
見たところ二十歳そこそこといったところだろうか。クセのある金髪を後ろで束ね、鋭い形をした青い瞳は今は疲労の色を濃く映している。やや派手な色のマントに探検を下げたそのいでたちは、冒険者とまではいかずとも旅人であることは一目で知れた。
もっとも、こんな田舎の森の奥深くに、旅人以外の者が好き好んでウロウロするはずもなかろうが。
「確か、地図ではこの辺だったはずなのだが……やはり、ケチケチせずに素直に馬車を使えば良かった。金のムダだと護衛を雇わなかったのも悪かった。後悔先に立たず、だ」
ぐちぐちとこぼしながら、もう一度大きなため息をつく。
たまたま立ち寄った酒場の主人にこの村のことを教えられ、儲け話と飛びついたはいいが、経費をケチりすぎて馬車も案内人も護衛も使わなかったために、結局こんな森の中で迷う羽目になってしまった。
「フォラ・モントの金……他ではない特殊なものだという噂のそれを手に入れることができたなら、このカラカラの懐も、きっとぴちぴちに潤うはず。
まあ、黄金そのものを入手することが叶わなくとも、装飾品のひとつでも買って帰ればそれも十分な収穫だ。
どこかで金持ちの馬鹿を捕まえて、高額で売りつけてしまえばいい。そうすれば、この当てのない金策の旅を終わらせて、また研究に励むことができる…!」
ギャラリーのいない静かな森の中で、独り言にしては大きすぎる声で高らかに言う男。
酒場の主人はどうやら、その装飾品ひとつに家ひとつほどの値段がつくというところまでは言わなかったようだ。高額で売りつける以前に、元手がなければそれは叶わぬ話なのだが。
まあそれはさておき、男は芝居がかった様子でそこまで言ってから、糸が切れたようにがくっと肩を落とした。
「…そう思って、わざわざこんな山奥まで来たのだけれど……ああ、まさかこんな障害に突き当たってしまうとは。これでは金策以前の問題だよ。
私にはこれでも翼がついているのだから、いざとなれば飛んで帰れるという油断があったことは否定しない。
というより、そうでなければ案内も着けずにこんな森に踏み込むものか。我ながら愚かな真似をしてしまった。
……ああ、どうしよう。本当に、どうにもならない状況なのだろうか。翼を出さねばならない、窮地」
男は頭を抱えて苦悩していたが、すぐに気を取り直して顔を上げた。
「いやいや、諦めてはいけない。ここもフォラ・モントの近郊であることに違いはないのだ。もしかしたら、村の人間が来ないとは限らないじゃないか。
どのような事態だろうと、飛ぶのはできるだけ避けたい最後の手段である」
なにやらどうしても翼を出したくない理由があるようだ。翼を出せることすらすっかり忘れていたユキとは好対照である。
男は顔を上げたもののすぐに苦い表情でため息をついた。
「財布に優しい判断を下したのは私だが、こういう時にこそ、誰かが傍に居てくれたらとても助かるんだけど……うん?」
そこまで言って、彼は森の奥に目をやった。
がさり。
遠くの方で、茂みが動く音がする。
「…魔物か? 獣か?」
彼は用心深くそちらの方を見やった。
「どちらにせよ、危険な相手なら幻でも見せて逃げるに限る……」
割と情けないことを呟いて、ゆっくりと立ち上がり、魔道の構成を練る。
いつでもそれを放てるように準備しながら、確認できるところまで気配が近づくのを待って。
「いや……あれは……ひょっとして、人影か?」
そう呟いて、彼はぱっと顔を輝かせた。
「人……人だ! ああ、助かった!私はまだ幸運に見放されてはいなかったのだ! これも日頃の行いだろう!」
喜びのあまり、文字通り空に舞い上がりそうになって、慌てて出しかけた翼を仕舞う。やはり翼を出したくはないらしい。
そんな彼をよそに、人影はしっかりとした足取りで茂みを掻き分け、彼に近づいてきた。
オールバックの黒髪に、眼鏡の向こうは片目だけが金色をした、白衣の地人。男は知らないが、ロクスである。
じろり。
ロクスが鋭い視線を男に向けると、彼はさっと表情をこわばらせた。
無理もない。鋭い眼光に威圧的なオーラ。にこりともしないその表情は美丈夫であるからこそ余計に相手を萎縮させる。彼を目の前にすれば、10人中9人が苦手なタイプと認識するだろう。残りの1人はドMだ。
「……こんなところで何をしている」
低く、ロクスがそう問うと、男は僅かに眉を寄せ、警戒の色を見せながら逆に問うた。
「……あなたは?」
その言葉に、ロクスの目がすうっと細められる。主に、不快だという表情をありありと見せながら。
「…人に名を尋ねる時は、まず自分から名乗ったらどうだ」
「…っそっ、それもそうだね、これは大変失礼をしました」
男は慌てて姿勢を正し、軽く礼をした。どうも、ロクスの反応が少し怖いらしい。
「私の名はトレザンド・ノーキス。旅の途中、今まさに道に迷っているところなのだよ。
あなたがこの近辺に住む者ならば、ぜひとも森を抜ける道を教えてもらいたい。
そして出来れば、私は少々疲れて動けそうにないので、少し早いが、一夜の宿をお貸し願いたいのです」
下手に出てはいるが微妙に尊大な様子で、しかし彼……トレザンドは、ロクスから若干視線を外してそう頼んだ。やはり怖いようで、微妙に敬語になっている。
ロクスはしばしトレザンドをじっと見つめていたが、やがてくるりと踵を返した。
「…ついて来い」
「えっ」
その答えが意外だったのか、きょとんとするトレザンドに、ロクスは顔だけ振り返って冷たく告げた。
「宿が必要なのだろう。私の家に来いと言っている」
「と、泊めてくれるのか」
「貴様が泊めろと言ったのだろう」
「いや、そ、そうなのだが…」
泊めてくれるという親切さと、口調のどぎつさのギャップに戸惑うトレザンド。
ロクスは変わらぬ冷たい声で続けた。
「私が調査に歩き回る森でのたれ死なれても迷惑だ。誰が死体の処理をすると思っている。鳥に食わせるにも移動しなければならないのだ、腐って原形をとどめぬ死体を運べば服が汚れる。死ぬなら人の迷惑にならぬところで死ね」
「そ、そうですね……」
実も蓋もない言葉に再び敬語が出てきてしまうトレザンド。
ロクスは無言で歩き出し、トレザンドは慌ててそれを追って歩き出すのだった。

「そ、そういえば名前をまだ聞いていなかったね」
「ロクス・クリードだ」
「そうか、ではロクス殿だね。いやあ、迷った場所でこんなに親切な人に出会えるとは思ってもみなかったよ。信仰心など欠片も持ち合わせていない私でも、思わず御像にして崇めたくなったくらいだ」
「そうか」
「先ほどは調査と言っていたが、格好からも察するに学者さんなのかね?」
「地質学者をしている」
「ちしつがくっ………そ、そうか、地質学者か。それはその、立派なお仕事をなさっている」
「立派かどうかは知らん」
「私も真理の探究を志す、まあ学者と言って差し支えない。ここはひとつこれを機会に仲良く……」
「少し黙れ」
「はっ?」
「やかましい。貴様の与太話に付き合ってやる気はない。黙れ」
「そ、それは失礼をした。もう黙るので、どうか許してもら……」
「黙れといっているのが聞こえないのか」
「はい……」
ピリピリというよりザクザクと切りつけるような空気に、トレザンドは観念して口を閉ざした。
本当に、親切なのか酷いのかよくわからない男だ、と口に出さずに思う。親切を装って(装っていない気もするが)家に連れ帰り、よからぬ事をたくらんでいないとも限らない。まあそうなれば今度こそ、持てる手段の全てを使って逃げればいい、と、かっこいいのか悪いのかわからないことを思いつつ、トレザンドはロクスの背中を追って歩いた。
と。
「………ん?」
突然ロクスが足を止めたので、トレザンドもつられて足を止める。
「どうかしたのかね?」
問いながら、ロクスの視線の先を目で追うと、森の中にひっそりと立つ山小屋の前に、人影があるのが見えた。
どうやらあの山小屋が、ロクスの家なのだろうが……立っているのは見たところ年端も行かぬ少年のようで。
「…知り合いかね?」
「いや、知らん。だが、おおかた昨日の冒険者の仲間だろう」
「昨日の冒険者?」
首を捻るトレザンドに説明ひとついれず、ロクスはそのまま再び足を踏み出した。
さくさくと草を踏み分けて歩いていく背中についていくと、小屋の前に佇む少年もこちらに気づいたようだ。小走りに駆け寄り、ロクスの前で足を止める。
背丈ほどの大きな剣を背負った、狼獣人の少年。フェイだ。
「初めまして、僕はユキさん達と同じ、生贄を止める為に雇われた冒険者の鳳 飛狼です」
緊張した面持ちのフェイは、早口でそう言うとぺこりと頭を下げた。
「ふぉん…ふぇいらん……?」
聞きなれぬ響きの名前を思わず反芻するトレザンド。フェイは頭を上げて彼のほうを見ると、不思議そうに首をかしげた。
「あの…ユキさんの話だと、ロクスさん一人だって……お友達、ですか?」
「ああ、違うのだよ。私はトレザンドといってね、旅をしていて迷っていたところをロクス殿に助けていただいたんだ」
「たすけっ……」
ユキから聞いていたロクスの人物像とかなり違うことに、フェイは一瞬面食らったようだった。が、すぐに笑顔をトレザンドに向ける。
「そうだったんですね。ええと、トレザンドさん。僕、ロクスさんに少し用があって……」
「ああ、私こそが突然の乱入者なのだからね。どうぞ、2人で話をしてくれたまえ、フェイくん」
トレザンドは鷹揚に頷くと、改まってフェイをしげしげと眺める。その視線は主に、彼が背中に背負っている剣に注がれていて。
「……いやはや、すごいものですね。
訓練用の棒を一振りしただけで息を切らしていた貧弱な我が愚弟とは、天と地ほどの差だ」
「え、あ、ありがとうございます」
唐突に褒められて、照れたように肩を縮めるフェイ。
と、そこにロクスの冷たい声がかかった。
「用があるのではないのか、無いのなら帰れ」
「あっ!あの!あります!用あります!」
フェイは慌ててロクスのほうを向き、トレザンドはこっそりと首を縮める。
ロクスはふんと鼻を鳴らすと、小屋の扉を開けた。
「いつまでもそんなところに突っ立っていないで、入れ」
ぶっきらぼう、よりかなり棘のある言い方でそう言うとロクスはさっさと小屋の中に入っていく。
フェイとトレザンドは複雑そうに顔を見合わせると、それに続いて中へと入るのだった。

「それで、何が聞きたい」
ロクスは意外にも、フェイとトレザンドに暖かい茶を用意して出した。
殺風景な、いかにも研究室という様子の小屋の中にしつらえられた簡素な机に落ち着かない様子で腰掛け、出された茶を一口すすってから、フェイは改めて表情を引き締めると、ロクスに言った。
「ユキさん達に話したもの以外でロクスさんが知ってる、村やフォラ・モントの金についての噂、この地域に伝わる民間伝承について聞かせてもらえませんか?
生贄の日まで時間が無くて、僕達にはそういった事を調べる時間がありませんでした。生贄を止める為にも少しでも情報が欲しいんです。
えっと、その代わり、と言っていいのかわからないですけど……」
そう言って、懐から小さな皮袋を取り出し、机の上に置く。
「今回、生贄に選ばれた女性の家の扉に付けられた、ルナウルフの爪痕から採取した金です。
これがフォラ・モントの金かどうか調べてもらえませんか?
僕達の中にはこれがフォラ・モントの金かどうか判断できる人はいなかったので……お願いします、ロクスさん!!」
そう言って勢いよく頭を下げたフェイに、ロクスはすいっと目を細めると冷たい声をかけた。
「…本当に代わりになっていないな」
「えっ」
顔を上げ、きょとんとした表情でロクスを見返すフェイ。
ロクスは面倒げに息をついた。
「噂や民間伝承について教えろ。金が本物か調べろ。どちらも私に対する『頼み』だ。『その代わり』という接続は成立しない」
「あっ、えっ?あ、そ、そうか……」
少し恥ずかしそうに呟くフェイ。どうやら彼の威圧的な雰囲気に飲まれてかなりテンパっていたようだ。
改めて、ロクスを見る。
「すみません、ちょっと混乱してて…でも、どっちもお願いしたいことなんです。お礼とか…あの、満足できるものが用意できるかわからないんですけど…」
「必要ない」
「えっ」
ロクスが短く言って立ち上がったので、フェイは再びきょとんとして彼を見上げた。
すると、ロクスはフェイが置いた皮袋を取り上げ、つかつかと奥の机へ歩いていく。
何に使うかわからない器具がひしめいている机に腰をかけると、ロクスは早速皮袋の紐を解いて中身を取り出した。
「金のサンプルだと言うのなら私も興味がある。調べてやるからそこで待っていろ」
「あ、ありがとうございます!」
フェイは嬉しそうに表情を輝かせ、言われた通りに座ったまま待っていることにした。
ロクスは手際よく中身の金を皿に取ったり何かの液に漬けたりしながら、淡々と言葉を続ける。
「それから、金の噂や民間伝承は、昨日の奴等に聞かせた以外のことは、大した情報はない。不確かな情報が散在しているだけだ、かえって混乱する」
「そ、そうですか……あっ、じゃあ!」
フェイは少ししゅんとしたが、すぐに立ち直ってロクスに聞いた。
「同じ依頼を受けた魔術師さんが爪痕に魔力が残って無いか調べたとき、ごく微量の魔力を感じたんですけど、その魔力は魔族の波動に似てるんだそうです。
噂やこの地域の伝承で魔族が関係してそうな伝承ってありませんか?」
ロクスの手が一瞬止まり、その視線がちらりとフェイのほうを向く。
「……ずいぶん優秀な魔道士がいるようだな」
「えっ?」
「確かにフォラ・モントの金には微弱な魔力が宿る。が、それは魔術師ギルドが高位の術者を使って鑑定させてようやく判明したものだ。
しかも、それが魔族の波動に似ていると判るならば、その魔道士は魔族の波動を知っていることになる。知らないものを似ていると判定は出来ないからな」
「そうなんですよね……」
神妙な表情で頷くフェイ。
「なんでミケさんは魔族の気配なんて知ってたんだろ?魔族を見たことがあるのかな?
魔族ってどんな感じなんだろ?依頼が終わったら聞いてみようかな?」
「それは好きにしろ」
ロクスはまた手元に視線を戻すと、作業を続けながら話した。
「民間伝承とはまた違うが、昔からこの辺りでだけ語り継がれる民話がある」
「民話?」
「地域限定の御伽噺のようなものだ」
手際よく作業を続けながら、淡々と話していく。
「ある女が、月のように美しく輝く石を欲しがった。その石で自分を美しく飾るのだと。
魔法使いは、その石は人の命を吸って輝くもの、それでもその石が欲しいのかと問うた。
女は、構わない、自分が美しくなるのなら誰がどうなろうと気にしない、と言った」
「酷い人ですね…」
「まあ、現実にもそういう女性はたまにいるものだけれどね」
眉を顰めて感想を漏らすフェイと、もっともらしいことを言うトレザンド。
ロクスは続けた。
「魔法使いは女の願いを叶えた。
魔法をかけ、女の体を石に変えた」
「えっ……」
ぎょっとして声を漏らすフェイ。
「……まあ、確かに石は彼女のものになっているし、彼女は美しくなっているね…」
妙に感心した様子のトレザンド。
ロクスは手を休めずに、さらに続けた。
「これが、その民話の内容だ。
民俗学的には、『悪い魔法使い』は魔族の比喩であるとされている。過去に魔族が起こした事件を、戒めとして語り継いでいるのだ」
「なるほど……」
難しい顔をして黙り込むフェイ。
話はそれで終わったのか、ロクスは黙ったまま作業を続けている。
部屋に沈黙が下りたところで、不意にトレザンドが持っていたカップを置き、身を乗り出した。
「失礼、部外者の私が無闇に口を挟むべきでないと黙っていたのだが、ちょっといいだろうか」
「あっ、はい」
物思いから帰ってきたフェイが顔を上げると、トレザンドは優しげに微笑みかける。
「生贄とか金とか魔族とか、物騒な単語が出ているものだからね。
その話、良ければ私にも詳しく聞かせて貰えないだろうか。内容によっては、君たちの力になれるかもしれない」
「え……と」
フェイは若干戸惑った様子で視線を泳がせた。雇い主でもない自分が事情を話してしまうのは、普通の依頼ならば御法度だ。
だが、イッルが抜けたばかりで人数に不安もあるし、ワーデンの時もオードは人数が欲しいとすぐに雇い入れていた。おそらくは大丈夫だろうと思う。
「……わかりました。実はですね……」
神妙な表情で話し始めるフェイ。
トレザンドは優しい笑みを浮かべながらその話を聞いた。
諦めかけていた金儲けの匂いを嗅ぎつけて、小躍りして喜びそうな内心をひた隠しにして。

「……と、いう訳なんです」
「なるほど……10年に一度、生贄を。まったく、とんでもない話だ」
フェイが事情を話し終えると、トレザンドは憤慨した様子でそう言った。
「それにしても、そいつに捧げられる女性は可哀相だな。その恋人も。魔獣なぞに引き裂かれるとは……」
「そうなんですよ。オードさんもフレイヤさんも、気の毒で…」
「私はイケニエだとかギセイだとか、そういった悪習は大嫌いなんだ。こうして聞いているだけでも、虫唾が走るくらいにね。
戦いの腕にはあまり期待しないでもらいたいが、私に手伝えることなら何でもしようじゃないか」
「本当ですか。オードさんもきっと喜びます!」
「なに、女性が犠牲になるなどということを、黙って見過ごすことができないだけだよ。これも神のお導きだろう。この一件、私にもぜひ協力させてほしい」
「はい、よろしくお願いします!これが終わったら早速皆に紹介しますね!」
「ああ、よろしく頼むよ」
嬉しそうに顔をほころばせるフェイと、鷹揚に微笑んで頷くトレザンド。
もっとも、後者は依頼達成の末にあずかれるかもしれないフォラ・モントの金に思いを馳せての笑みだが。実際のところ、ロクスが弄っている金も気になって仕方がないが、ここで本性を見せて信用を失うわけにはいかないので黙っているのだ。
そんなトレザンドの内心には勿論気づくことなく、フェイは嬉しそうに微笑んでから、また急に表情を曇らせた。
「でも……たとえば、生贄を辞めさせたとして」
「うん?」
「ルナウルフを倒すことで、例えば金が取れなくなっちゃったとしたら…」
「そ、そんなことがあるのかね?」
若干焦って腰を浮かすトレザンド。
その不自然さには気づかぬ様子で、フェイはこくりと頷いた。
「はい。調べていくうちに、そうなんじゃないかって思えることがいくつかあって…あとでお話しますけど。
でもそうなると、村の人達の生活が大変だろうし……
取れなくなったせいで、オードさんやフレイヤさん達が責められるようなことになったら嫌だし…と思うと……」
フェイは思いつめたように言ってから、再びロクスのほうを向いた。
「ロクスさん、金以外でフォラ・モントの村が収入を得る事が出来そうな鉱石、とかそういうのに何か心あたりはありませんか?」
ロクスはフェイの言葉に、ちらりとそちらに視線を動かして、すぐに手元に戻した。
「山岳地帯だ、掘れば鉄鋼や銅鉱もあることは確認されている」
「本当ですか!」
「利益は金の100分の1ほどだろうがな」
「…そうですよね……」
喜びかけるも、再び肩を落として俯くフェイ。
「そんな上手い話はないと思ったんですけど……」
「そういうことだ。上手い話が上手く行っているのは、どこかに歪みがあるからだ。そしてその歪みが、取り返しのつかない犠牲を生み出しているからだ」
ロクスは淡々と言って、立ち上がった。
「出来たぞ」
「え」
「金の成分だ」
「も、もうわかったんですか!ありがとうございます!」
フェイが嬉しそうに立ち上がると、ロクスは右手に持っていた試験管を掲げて見せた。
そこには、何かの液体の底に金色のものが沈んでいるのが見える。
ロクスは試験管をかすかに振りながら、淡々と言った。
「この物質は、間違いなくフォラ・モントの金だ」
「本当ですか!」
「30%ほどだがな」
「えっ」
思いもよらぬことを言われ、きょとんとするフェイ。
ロクスは持っていた試験管に視線をやった。
「30%はフォラ・モントの金。残り70%は別の物質だ。おそらくは、金を粉末状にして混ぜ込んでいる」
「べ、別の物質って?」
「塗料だ」
「塗料?!」
思わず素っ頓狂な声を上げるフェイ。
ロクスはじろりと彼を見ると、淡々と言った。
「この金を採取してきたのは、貴様か」
「えっ、あ、はい」
「生贄の家につけられていた爪痕だと言っていたな」
「はい、そうです」
「どの程度の大きさだった」
「ええと……これくらいの」
「高さは」
「僕の背丈くらいだったと思います」
「その高さで、この爪幅の獣か」
「それは、僕も不思議だったんですよね」
フェイはそう言って、ミケに話したのと同じことを話して聞かせる。
ロクスは顎に手を当ててしばらく何事かを考えていた。
「…貴様、獣人だな」
「えっ、は、はい、そうですけど」
「今ここで獣化してみろ」
「ええっ?!」
「いいから早くしろ」
「は、はい。あの、二足歩行と普通の狼と二通りになれますが、どっちがいいですか」
「どちらでも構わん。早くしろ」
「はーい……」
にべもない上に超絶上から目線のロクスに何か言いたげな表情で、それでもフェイは目を閉じて気合を入れた。
途端に、彼の肩口の筋肉が盛り上がり、彼の体全体が一回りほど膨れ上がる。
「うおっ…」
獣化を見たのは初めてらしいトレザンドの妙な悲鳴が聞こえる頃には、フェイの姿はふさふさの毛に覆われた二足歩行の狼になっていた。小柄な体が大柄な男性ほどの大きさになっているので、着ていた服がピチピチで今にも破れそうだ。
「…これでいいですか」
人間態の時とは口内の造りが違うのか、くぐもった声で言うフェイに、ロクスは頷いておもむろに1枚の板を差し出した。
「これを引っ掻いてみろ」
「え?」
「いいからやれ」
説明も何もないロクスの言葉に、しかし抗えない何かを感じてフェイは言われたとおりに板に爪を立てる。
がり。
鈍い音がして、30センチ四方ほどの木の板に爪あとが残った。
ロクスはそのあとを見て頷くと、フェイに言った。
「いいぞ、戻れ」
「………」
他に言い草はないのかと思いつつも、無言で人間に戻るフェイ。服の裾は若干破れている。
ロクスはフェイが引っかいた板を彼らに改めて向け、言った。
「獣の爪で引っかくと、このような痕が出来る。木は細かい繊維の塊であり、爪は鋭くはあるが刃物ではない。当然、繊維の方向に垂直に引っかけばこのように、周りの繊維が巻きこまれて折れ、端の辺りが乱れる」
「……確かに、そうですね」
ロクスの言う通り、フェイのつけた爪跡は端のほうの繊維が毛羽立って乱れている。
ロクスは続けた。
「では、同じような痕を、このナイフでつけたらどうなるか」
す、とナイフを出し、木の板に立てて。
ぞり。
先ほどフェイがやったのとは明らかに違う種類の音がして、ナイフはフェイの爪あとの下を滑っていく。
ロクスは角度を変えてもう一度ナイフを滑らせると、切り離された木片を刃先ではじき出した。
先ほどとは違い、ナイフで切っているので繊維の乱れのない綺麗な彫り痕が出来ている。
「貴様が見た爪跡は、どちらに似ている?」
「!………こ、こっちです!ナイフでつけた方!」
「そしてそれに、先ほどの金と塗料の混合物を再現したこれを塗りつければ」
驚くフェイの目の前で、机の上にあった金色の塗料を小筆でさっと彫り痕に塗りつけるロクス。
そこには、サイズは小さくとも、昨日フレイヤの家で見た爪あとと同じものがあった。
「って、いうことは……あれは、ルナウルフがつけた爪あとじゃ……」
「100%違う、とは言い切れんな。ルナウルフがナイフ状のものを持って扉に傷をつけ、金の混じった塗料を塗ったという可能性もなくはない。またはルナウルフの爪が通常の獣よりはるかに切れ味がよく、1本1本がナイフのような切れ味をもたらすということもある。現実的ではないが」
「そ、そうですよね……」
「だが、普通に考えれば、刃物を使って爪のようなあとを再現し、金を混ぜ込んだ塗料を塗りつけた『人間』がいた、と考える方が妥当だろう。
先ほどやってみてわかったろうが、爪を以って乱暴に引っかくより、刃物で彫った方が音がはるかに小さい。寝ている家人に気づかれずに痕を残すには適している」
「あっ……!」
ミケが、あんなに大きな爪あとを残しているのに家の人が気づかないのが変だ、と言っていたことを思い出す。
ロクスの説明でさまざまなことが腑に落ちて、フェイは言葉もなく口をあけた。
なおも淡々と続けるロクス。
「この村の人間は、金の細工を生業としている。私は専門外で判らんが、そのような工具もあるのではないか。そして、それらしく見せる技もまた、私より優れていよう。
無論、誰もが金の細工をしているのだから、その過程で不要な金の屑も出てくる。
この村の誰もが、爪痕を偽装するのは容易であるという訳だ」
「………」
ロクスの言葉に、返す言葉もなく呆然と佇むフェイ。
ロクスも口を閉ざし、小屋の中に静寂が広がる。

小さな板切れに刻み付けられた偽りの爪痕に、塗料に混ぜられた金が鈍い光を放っていた。

かつての自分

「なあ、バルドルさんが前の生贄の恋人だったってマジか?」

バルドルの家への道すがら、ワーデンとフィリーに連れられたオードは確認するようにそう言った。
頷いて答えるフィリー。
「ええ。長老さんから聞いたし、間違いないと思う」
「でも、追い返されたんだろ?」
「そうなんだよ」
困ったように頷くワーデン。
「彼は言うなれば、10年前の君、なのだからね。ルナウルフは自分の恋人の仇と言っていい。だから、私たちにも協力してくれるものと思っていたのだが……
『あんた達にルナウルフは倒せない』と言われて追い返されてしまったんだよ」
「おい、それって……」
「ああ。彼は『私たちにルナウルフが倒せない』ことを知っている。つまり、ルナウルフのことについて何か知っているんだ。
是が非でも、話を聞きに行かなくてはならない。そこで、10年後の自分、である君に一緒に来てもらったんだ」
「なるほどな……」
「バルドルさんとは、面識は?」
「もちろんあるぜ。この村は全員顔見知りみたいなもんだ。そんなに親しく付き合いがあるわけじゃねーけど、会えばフツーに話するし」
「君から見て、どんな人物かな?」
「オッサンなんてあんなもんかなーと思ってたんだけどよ、いつもムスっとしてて、無口な感じだな。
オヤジやオフクロは、昔はあんな人じゃなかったつってたんだけどよ……」
「ひょっとしたら、恋人を生贄に出されたという経験が、彼を変えてしまったのかも知れないね」
「……」
「宿や周りの家の人たちに聞いてきたんだが、彼はいつもこの時間には家にいるそうだ。手土産も持ったし、君もひとつ、話を聞いてもらえるように協力してくれ」
「手土産?」
「ほら」
ワーデンは左手に持っていた酒瓶を掲げてにこりと微笑む。
フィリーが楽しげに笑って言った。
「あらワーデン、気が利くわね。私じゃそういうのは思いつかなかったわ」
「いや、私は戦いはまるでダメだからね、こういうところで役に立たないと。
フィリーさんの活躍も期待しているよ」
「活躍、出来るといいんだけどねぇ」
嘆息して宙を見上げるフィリー。
バルドルの家はもうすぐそこだった。

「またあんた達か…話すことはないと言っただろう、帰ってくれ」
ドアを開けて訪問者を確認したバルドルは、あからさまに嫌そうな顔をしてそう言った。
そこに一歩踏み込んで、訴えかけるフィリー。
「フレイヤを助けたいの。バルドル、昔に何があったかわかれば、解決策が何かわかるかも知れないわ。あなたの話が聞けなくても、私がフレイヤの身代わりになって生贄は何としても止めるつもりでいる。村のことも、ルナウルフの被害に合わないように必ず倒してみせるわ」
フィリーの言葉に、バルドルはきっと彼女を睨みつけた。
フィリーはさらに続ける。
「あなたにどんなことがあったのかわからないけれど、これ以上あなたと同じ思いをする人をなくすためにも、話を聞かせてほしいの」
「何度も言うが、話すことはない、帰ってくれ」
「バルドル!」
にべもなく言ってドアを閉めようとするバルドルを、ガッとドアを手で止めて遮るフィリー。
「離せ」
「離さないわ。ドアを壊してでも入れてもらうから」
「何考えてんだ!」
「どうしても話をしたいのよ!」
ドアを引っ張るバルドルと、開けようとするフィリーの押し問答になる。このままでは本当にドアを壊しかねない。
と、そこに。
「バルドルさん!」
オードがその横から顔を出して呼びかけ、バルドルはぴたりと手を止めた。
「オレ、知らなかったよ…バルドルさんの恋人が、フレイヤみたいに生贄にされてたなんて」
痛ましげに言うオードに、ばつが悪そうな表情をしてドアから手を離すバルドル。
オードはさらに言い募った。
「なあ、何か知ってんなら教えてくれよ。オレ、フレイヤを助けてやりてえんだよ。
この人たちが力になってくれる、頼むよバルドルさん!」
「………」
バルドルはしばらく押し黙ってから、ち、と舌打ちをして踵を返した。
「……入れ」
パッと表情を輝かせる3人。
「ありがとう!バルドルさん!」
「やったわね、オード」
「うん、よかった。では、お邪魔するとしよう」
嬉しそうに家の中に入る3人をじろりと見やって、バルドルは無言で奥へと足を進めていった。

「これはちょっとしたお土産だよ。よかったら一緒に飲まないかい」
ワーデンが持っていた酒をテーブルに置くと、バルドルは仏頂面で言った。
「いらん、持って帰れ」
「まあまあ。置いていくからよかったら飲んで」
ワーデンは気を悪くする様子もなく微笑んでそう言うと、椅子に腰掛ける。
バルドルは茶などを出す様子はなかったが、一息ついたところで早速フィリーが切り出した。
「じゃあ、いろいろ聞かせてちょうだい。まずは……そうね。
前はどうやって生贄を止めようとしたの?」
「………」
「ひょっとして、止めていない?そうならどうして?村の人に説得されたから?村長に何かされたの?」
「………」
「生贄当日は村全体はどんな雰囲気だった?誰かが行動を起こせそうな感じはしたかしら?例えば、暴動とか」
「………」
「生贄後日はどうだった?金がたくさんとれるようになったとか、目に見える変化や、目に見えない変化、例えば村人たちの様子や、村長の態度なんかはあった?」
「………」
バルドルは一向に口を開こうとしない。
焦れたフィリーは、眉を寄せてバルドルに言い募った。
「ねえ、聞いてるの?」
「聞いているが、答えるつもりはない。話すことは何もないと言ったはずだ。あんた達が無理に入ってきたんだ、それでどうして愛想よく答えると思う?大概にしろ」
「それは……ごめんなさい。でも」
「生贄の日も、その後も、村はいつもと変わらない」
フィリーの言葉を遮って、バルドルは言った。
「今もそうだろう。よそ者のあんた達には何もないふりをする……いや」
自嘲するように視線を下げて、呟くように言う。
「…何もなかったことにする。ここはそういう村だ。何十年も、何百年も、この村はそうして生き延びてきたんだ」
「バルドル……」
痛ましげにバルドルを見てから、フィリーはさらに質問を続けた。
「……あと聞きにくいことだけど、生贄になった子はどうなったかわかる?服が残された、とか何か身につけていたものが見つかったとか、そういうことはあった?」
じろり。
フィリーの質問に、バルドルは睨むように彼女を見上げた。
暗く渦巻く感情のこもった視線に、手練れの冒険者である彼女も思わずひるんだように口を閉ざす。
「………知らん」
だが、帰ってきたのは短い答えだけ。
フィリーは首を振って気を取り直すと、さらに訊いた。
「村長があなたに話しかけることはあった?あったら、何をどういう風に言ったのかなるべく詳しく話して、思い出せる限りのこと。あなたが少しでも気になったことを」
「無いね」
吐き捨てるように言うバルドル。
「あいつらの中にあるのは、事を大きくしたくないってだけだ。村のためとか言って、あいつらは自分が可愛いだけなんだよ」
「ねえ、バルドルさん」
そこに、ワーデンが身を乗り出すようにして割って入る。
「さっき、フィリーさんも言ったでしょう。彼女は自分がフレイヤさんの身代わりになってでも生贄を止めようとしているんだ。
他にも、素晴らしい実績のある冒険者もいる。中には過去に、生贄を要求していた大蛇を倒した人もいたんだよ。戦力としては十分だろう。
今がチャンスなんだ。ルナウルフを倒すことに、協力してはもらえないだろうか」
「………」
再び黙り込むバルドル。
ワーデンは続けた。
「あなたは、ルナウルフを見たんでしょう。そうでなければ、私たちに『倒せない』と断言はしないはずだ。あなたは、ルナウルフを見て、知っている。
……何があったんですか。恋人を生贄に捧げられ、おそらくはそれを止めにいったあなたは、一体、何を見たのか。教えてはもらえませんか」
「………」
バルドルはなおも口をつぐんでいる。
ワーデンは真剣な表情で彼を見つめ、低くゆっくりと言った。
「もうやめにしませんか」
優しく、諭すような声音で。
「家族友人を犠牲にして生きているって言う『罪悪感』をこれ以上増やすのはつらいでしょう。もう、やめにしましょう」
「………っ」
が、その言葉にバルドルはかっと目を見開いて立ち上がった。
「あんたに何がわかる…!」
がた。
勢いよく跳ね飛ばされた椅子が音を立てて転がる。
バルドルは激昂した様子で、なおも言った。
「俺達の生活はナンナの犠牲の上に成り立ってる。動物を屠って食らい、木々を薙ぎ倒し草を踏み躙って住まいを作る、それと同じように、俺達は仲間の肉を食らい、血を啜り、骨を踏み砕いて生きてる。そんなことは俺達が一番良く知ってんだよ!」
だん!
やり場の無い怒りをぶつけるようにテーブルを叩くと、バルドルはオードのほうを向いた。
「オード」
「な、なんだよ」
「俺があんた達を家に入れたのはな、他の誰でもない、あんたに言うためだ」
「オレに……?」
バルドルはオードを見下ろし、一瞬辛そうに眉を寄せると、低く抑えた声で言った。
「フレイヤのことは、諦めろ」
「なっ………」
驚きのあまり絶句するオード。
バルドルは続けた。
「この村は、呪われてるんだ。遥か昔から。
俺も、あんたも、ナンナも、フレイヤも。この村の人間は、その呪いから逃れることは出来ない」
「の……呪いって、何だよ……何言ってんだ、アンタ……」
「この村に生まれた以上、一生その呪いを背負って生きていくしかない。俺達、全員がだ」
混乱している様子のオードに一方的に言い放って、バルドルはワーデンとフィリーのほうを向いた。
「あんた達にももう一度言う。ルナウルフはあんた達には倒せない。どんなに戦力があろうと功績があろうと関係ない。
早く帰れ、そしてこの村のことは忘れろ。でなければ」
すう、と息を吸い、最後の一言をゆっくりと放つ。

「……あんた達も、呪いに巻きこまれる事になる」

しん、と静まり返る室内。
バルドルはひとつ大きな息をつくと、倒れていた椅子を持ち上げた。
「話はそれだけだ。気が済んだら帰れ」
低くそれだけ言うと、奥の部屋に向かって踵を返す。
「バルドル!」
その背中に、フィリーが腰を浮かせて声をかけた。
「話をしてくれてありがとう。必ず、フレイヤを助ける」
一方的に訳のわからないことを言われたにもかかわらず、それでも家に入れ、完全ではないにしろ質問に答えた、その事に対して礼を言うフィリー。
バルドルは一瞬足を止め、彼女を振り返った。
「…何度も言わせるな。早くこの村を出て、そして全てを忘れることだ」
「………」
「………」
ワーデンとフィリーは黙ってその姿を見返す。
バルドルは今度こそ踵を返すと、奥の扉を開けて部屋に入っていった。

閉じられたその扉を、2人はただじっと見つめているのだった。

偶然の再会

「ふう……やっとたどり着いたか」

村の入り口で、その男は積もっていた疲労を吐き出すように深く息をついた。
東方大陸はナノクニの装束を違和感なく着こなした、二十歳ほどの青年である。腰にさした二振りのカタナと、年齢に似合わぬ落ち着いた雰囲気、そして油断のないまなざしは、彼が冒険者であろうことを容易に想像させた。
「上手く乗合馬車が捕まらなかったとはいえ…歩いてくるのは無理があったな。
一人の野営はどうも落ち着かん……用を済ませたら宿でゆっくり休むとしよう」
彼はそう呟きながら、村へと足を踏み入れる。
あらかじめ地図を受け取っていたので、その通りに村の中心部にある村長の家へ向かったのだが。
「………?」
村の中に漂う違和感に、彼は僅かに眉を顰めた。
緊張感、というのだろうか。何がどう違うという訳ではないのだが、都市から遠く離れた、ありていに言えば田舎のこの村にそぐわない雰囲気。
何かがあったのだろうか、と思うが。
「……まあ、来たばかりの者が根掘り葉掘り嗅ぎ回るのもよろしくないだろうし、手早く仕事を済ませてしまおう」
気にはなったもののそう完結させて、千秋は足を速めた。
町の中心部、他の家々より一回り大きな建物が見える。あれが村長宅だろう。
目標物が見えたところでさらに足を早めようと踏み出すと。
「………うん?」
そこに、見知った姿を見つけて、思わず足を止める。
村長宅の前で建物を見上げる、黒いローブに長い茶髪には見覚えがあった。
「……おい、もしかして、ミケではないか?」
彼がミケと呼んだその青年は、驚いて彼を振り返る。
「……千秋さん!どうしたんですかこんな所で」
「それはこちらのセリフだ」
彼――千秋は、再び足を踏み出してミケに駆け寄ると、息をついた。
「久しぶりだな」
「はい、お久しぶりです。千秋さんはどうしてここに?」
「届け物の依頼を受けてな。ヴィーダからここまで来るのにずいぶん骨が折れた」
「…まさか歩いてきたんですか?」
「乗合馬車のタイミングが悪くてな」
「凄いですね……僕には出来そうにありません」
「それにしても、こんなところでも鉢合わせるとは、よほど何かの縁があるようだ」
「そうですね。ヴィーダを活動拠点にしていれば、依頼がかぶることもまああるんでしょうけど」
「しかし……なにやら深刻そうな気配がするな。村の変な空気と関係があるのだろうか」
「ええ、まあ……」
曖昧に頷いて、視線を動かすミケ。
千秋はそれには特に触れず、話を続けた。
「ミケに出くわすたびに厄介ごとに巻き込まれているような気がするぞ」
「えー、人聞きの悪いこと言わないでくださいよ」
「だが、ムーンシャイン、あるいはチャカの事件に始まり、レヴィニアとエリウスの依頼、ダザイフでの仕事やガイアデルト商会の事件……。
マシだったのは魔道学校のウォークラリーくらいか。あの時はあの時で俺が途中で離脱してしまったが……」
げふん、と咳払いをひとつしてごまかして。
「まあ、冒険者家業なんてそんなものだろう、きっと。うん。俺は冒険者ではないが」
「そうですよ。それにそれ、僕も同じことが言えますから」
「うん?」
「千秋さんと出くわすたびに、事件が厄介になっている気がします」
「……まあ、そうかもしれんな……」
思い返してみて、何となくそう思う千秋。
そこに、ミケが訊いてきた。
「千秋さん、届け物の依頼って言ってましたよね」
「ああ、そうだ」
「ひょっとして、ここのお宅ですか?」
「そうだな、ここは村長の家だろう?」
「ええ、そうです」
ミケはそう言って、にこりと嬉しそうに微笑んだ。
「ちょうど良かった」
その笑顔を見て、千秋はまた厄介なことになりそうだと何となく思うのだった。

「ヴィーダからの使いとは、あなた方のことですかな」
応接間にやってきたのは、50がらみの恰幅の良い男性だった。
いかにも村長ですという風体の、田舎暮らしにしては身なりのいい男である。頭髪にやや不自由している辺りが余計にそれっぽさを醸し出している。
「ああ。あ、いや、こちらの方は今そこで」
と、千秋がミケを指し示そうとしたところで、笑顔でミケが頷く。
「はい、そうなんです。あなたが村長さんですか?」
彼の言い草に千秋は少し驚いたが、すぐにミケが目配せをしたので話をあわせることにした。
男性は笑顔で頷くと、彼らの正面に座る。
「はい。フォラ・モントの村長を務めております、ドヴェルグと申します。
それで、本日はどのようなご用件で?」
愛想よく訊いてくる村長……ドヴェルグ。
千秋は頷いて、荷物をテーブルの上に置いた。
「この村の細工職人に金物細工を依頼したい、という者がいる。俺はその者から依頼に関する書面と材料、そして報酬を預かってきた。内容を確認いただきたい」
「金物細工……ですか」
ドヴェルグは意外なことを言われたというように目を丸くした。
「この村の金をご所望なのではなく、細工のみのご依頼、ということですかな?」
「ああ。残念ながら、依頼主もこの村の金は高価すぎて手が出ないのだそうだ。だが、この村の細工技術は高くかっている。この村の金でなくとも、その技術は対価を払うに値するものだろうとのことだ」
「……拝見しましょう」
ドヴェルグは千秋が置いた荷物を探り、中から書状を抜き出して広げた。
熱心に書状の内容に目を通してから、ひとつ頷いて書状をたたむ。
「なるほど。金をご所望でないのは残念ですが、材料をご用意いただいてこの報酬であれば、申し分ない。お話の方、お受けいたしましょう」
「そうか、ありがたい。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします」
がっちりと握手を交わし、嬉しそうに微笑むドヴェルグ。
と、そこにミケがやはり笑顔で割って入った。
「それじゃあ、僕の方もお話させてもらっていいですか?」
その笑顔に、ただならぬものを感じてたじろぐ千秋。
ドヴェルグは不思議そうに首をかしげた。
「そちらの方も、ヴィーダからのご依頼ですか?」
「いえ。僕はオードさんの友人で、ミケといいます。初めまして」
「オードの?」
その名を聞いて、ドヴェルグの表情が一気に険しくなった。
「ヴィーダからの使いの方だとおっしゃったではありませんか」
「僕がヴィーダから来たのは本当ですし、千秋さんが使いの方なのも本当ですよ?」
「詭弁だ」
「そうですね、それは謝ります。でもどうしてもお話を聞いていただきたくて、千秋さんと一緒に入れさせていただいたんです」
「話?」
「オードさんから、許嫁が生贄に出されてしまうと聞いて、心配しています」
「生贄?…ま、待て。そんな話は聞いていないぞ。一体何が……?」
千秋が驚いた様子でミケのほうを向いた。
焦った様子で口を挟むドヴェルグ。
「な、今その話は……!」
「堂々と話せないようなことをやってる自覚はあるんですね」
ミケはきっぱりと言って、構わず話を続けた。
「何故、生贄なんか出しているのですか?ルナウルフという魔物だそうですが、それはどんなものなのですか?」
「な、なぜそれに答えねばならん。あなたには関係のない話だろう」
「友達が困っているのを見過ごすことは出来ないですよ」
身を乗り出し、訴えかけるようにして。
「生贄を出し続けて金を掘る、というのは……隣人の肉を村人達が食べて、生きて、裕福になる、ということになるのではないでしょうか。それは……怖い話だと思いませんか?
確かに、魔物は怖いでしょう。けれど、親しい人を捧げ続けて生き延びても、罪悪感は残るのではないですか?10年に1度、それこそ次は自分が選ばれるかも知れないし、自分の子どもが選ばれる日が来るかも知れない。そんなままで、いいんですか?
だから、生贄なんて、止めませんか?出さない方法を考えるわけにはいきませんか?金山のことや生贄のことは、村長さんが取り仕切っているのですよね?」
「いかにも。この村のことは、私が、私とこの村に住む者達が決めることです」
ミケが話している間に動揺から立ち直った様子のドヴェルグは、きっぱりと言い放った。
「よそのあなた方にどうこう口出しされるいわれはない。
私達は何十年、何百年も前から、ルナウルフの怒りを鎮めることで生き永らえてきたんだ。今生贄を辞めて、ルナウルフの怒りをかったら、村が滅びてしまうかもしれない」
「昨日、ちょっと酒場に行ったら、冒険者の方を見かけました。それで、少し話をしてみたんです」
ミケは唐突に話の向きを変えた。昨日打ち合わせた通りの設定で、自分とフェイはオードに呼び寄せられ、たまたま居合わせた冒険者と意気投合、と語る。
「僕も魔導師なんです、少しは名の知られた。宿で見かけた冒険者の方々も、手練れの方とお見受けしました。もしかしたら、手を借りて倒しにいけるかも知れません。もっとも、今、一緒にいないオードさんがスカウトしているかもしれませんが。……そのルナウルフ、倒しに行かせていただけませんか?
僕が、身代わりになっても良いし……その、ちょっと背が大きすぎるかもしれないので……、女性がいらっしゃったので、お願いしてみてもいいかと思うんです」
昨日見たフレイヤは小柄であったし、いくら女顔でも上背のありすぎるミケが身代わりを務めるのは無理がある。
事前に女性陣2人には身代わりを買って出ても良いと言ってもらっているので、それをその通りに伝えた。
「力を合わせたら、倒せるかも知れないでしょう?……オードさんは、フレイヤさんと一緒に逃げたりせずに、村の事を思って、生贄を出さないことはできないかと思っています。そのために、力になりたいと思っています。……今のままではオードさんは納得できません。どうしても出すというなら、ちゃんと説明して欲しいんです」
「オードはどう思っているか解らんが、彼にはちゃんと説明をしました。フレイヤには可哀想だが、そうするしかないと」
ドヴェルグはゆっくりと頭を振って言った。
「確かに褒められたことではないのは解っております。だが、私達はこうすることしかできない。
命を賭して我々の生活を守ってくれた、代々の生贄の乙女のために、私達は毎日を大切に生きている。それで良いとは言いません、だが私達にはそうするしか道はないんだ」
「だから、僕達がルナウルフを倒すと言っているんです」
少し焦れたように言い募るミケ。
「僕も、もちろん宿屋にいる冒険者の方たちも、さまざまな依頼をこなしてきました。中にはそれこそ、生贄を求めていた大蛇を倒したという人もいる」
「む……?」
何か心当たりがあるようで千秋は微妙に眉を動かしたが、黙ってミケの言葉の続きを待った。
「腕のいい冒険者が集まって協力してかかれば、例えルナウルフがどんな魔物であろうと勝算はあります。
僕達に任せていただくことは出来ませんか。生贄なんて本当は出さない方がいいと、あなただって思ってるんでしょう」
ミケの訴えに、ドヴェルグはしばらく険しい顔で口を閉ざしていたが、やがてゆっくりと首を振った。
「…お引取り下さい」
「どうしてですか」
「倒せるかもしれない、勝算はある、そんな心もとない言葉で不安を煽るような、しかも今お会いしたばかりでどんな力量かもわからぬ方に、我々の生活を預ける気にはなれん。
あなた達にとっては、今まで退治してきた魔物と同列かもしれない。失敗すれば命は無い、あなた達だって命を懸けて戦う、それはわかります。
だがそれは、あなた達の命の上に、私達の命を乗せて戦うということだ。そのことを、本当にあなた達は理解していますか。
あなた達が失敗すれば、村の全員が死ぬかもしれない。それを本当に解って、そう言っているのですか」
「っ………」
一瞬言葉に詰まったミケに、たたみかけるようにドヴェルグは言葉を続けた。
「あなた方がどれほど力があり、どれだけの功績があるかは知らない。そこまで言うからには、さぞかし力があり、名がある冒険者なのでしょう
だがあなた方は、自分達が戦えない状況で、自分の命を左右する戦いを、見も知らぬ相手に預ける気になれますか」
「それは……だから、協力し合おうと言ってるんじゃないですか」
「お引き取りください」
「ドヴェルグさん!」
「お引き取りください!」
強い口調で言って、ドヴェルグは立ち上がった。
「この方からのご依頼は責任もってお受けしましょう。だが、あなたの申し出を受ける気は無い。お引取り下さい。出来ればこの村からも」
毅然とした態度でそれだけ言うと、千秋が持ってきた荷袋を手に歩いていき、ガチャリとドアを開ける。
「おい、お客様がお帰りだ!お見送りをしろ!」
その後姿に、ミケは取り付く島もないと判断してこっそり息をつくのだった。

「本当に厄介ごとだったようだな……」
村長の家を追い出された後、宿に移動した二人は、千秋が取った部屋で改めて話をしていた。
申し訳なさそうに肩を竦めるミケ。
「すみません。何だか巻きこんでしまったみたいで…」
「まあいい、こうなったら引き下がるのも目覚めが悪い。詳しい話を教えてくれないか」
「わかりました」
頷いて、これまでの経緯を話すミケ。外で喋るのははばかられたが、ここでなら問題ない。
「なるほどな……」
千秋は難しい顔をして唸った。
「確かにきな臭い話だ。捧げられる者を助けるのが目的だと言うのならば手伝わせてもらおうか」
「本当ですか。千秋さんが加わってくださるなら力強いです。昨日、一人抜けたばかりだったので……」
別場所でも一人加わっていることをミケはまだ知らない。
千秋は頷いた。
「ああ。それに、似たような経験はあるしな」
「似たような経験?」
「ああ。シェリダン南部の小さな町で、あそこは金ではなくガラスだったか。長い封印が地震で解け、住人に生け贄を要求してきた魔物が居た。
住人の協力を得て、封印の力を使って弱体化させたところを斬ったが……」
とそこまで言って、ふと何かに思い当たり、聞いてみる。
「そういえば、先ほど生贄を求めた大蛇を倒したというのは…」
「あ、えっと、アフィアさんという方が、そういう依頼を受けたことがあるって」
「何と。アフィアもここにいるのか」
「お知り合いですか?」
「ああ、生贄を要求した魔物とは、まさにその大蛇のことだ。そうか、アフィアもここにいるのか…」
「世間って狭いですよね」
「全くだ」
肩を竦めて空笑いをしてから、千秋は再び考え込んだ。
「今回は、噂はすれど姿は見えず、か。儀式の日が近いのであればあまり準備に時間を費やすことは難しそうだな。そうであれば人手が多いに越したことは無かろう」
「はい、助かります。オードさん…あ、依頼人ですけど、やっぱり一人でも多く雇いたいみたいでしたし。大丈夫だと思いますよ」
「そうか。ならば決まりだな」
力強く笑って見せる千秋に、ミケも嬉しそうに微笑み返す。
「それにしても、生贄か。まだそんなことをしているところがあるのだな」
「そうですね……怖い話ですよ。仲間の血肉を食らって生き延びてるのと同じじゃないですか、しかも唯々諾々と」
憤慨した様子のミケに、千秋は少し痛ましげな視線を向ける。
「だが正味な話として、生け贄を使うというのは捧げる側、捧げられる側の両方にとって悪い物だと、聞いたことがある」
「……両方にとって、ですか?」
「ああ。言っていたのはまさに捧げられる側の方の奴だから、信憑性は保障するよ」
言って、千秋は自分が聞いた話の大筋を語って聞かせた。

『人身御供、あるいは自己犠牲。確かにその魂は尊いものだが、それが相手の餌であり、まして1回や2回ではなく何回も続くとね。どっちも神経が麻痺していくんだよ』
『どちらも……とは?』
『捧げられる側は、わざわざ外で暴れなくても必要な食料を得ることが出来る。それが何年も、何世代も続けば、待っているのは堕落だよ。“何もする必要が無い”のだからね』
『……まあ、それはそうか』
『捧げる側もひどいものさ。最初のうちは嘆き悲しみ打ちのめされるのに、何回も同じことを繰り返していくと……慣れてしまうのさ。しまいには自分たちに都合の悪い人間を厄介払いするために、あるいは思い知らせて言いなりにするための道具として使う。待っているのは人心の荒廃だよ』
『……まるで見たことがあるような言い草だな』
『まあ、ね……かつて袂を別った血筋の家がそうだったのだよ』
『その家はどうなったんだ?』
『滅んだよ、随分と前に。爪も牙も失い、食料を集める術さえも失伝していたんだ。疫病で村が絶えた後は……ね。探し出した時はもう、骨しかなかった』
『……』
『そんな顔をしないでくれたまえ。誰が悪い訳でもない、そう、仕方の無い話だったのさ。ただせめて、同じ鬼であるならば刃を交えた上での滅びであって欲しかった。それだけだよ』

「…というような感じだったか」
「千秋さん、それって……」
「うん?」
「えっと…ナノクニでお会いしたり、ジョンさんの幻影の世界に出てきた…ええと、柘榴さん、の話ですよね」
「そうだが、何か?」
千秋が言うと、ミケは何ともいえない微笑を浮かべた。
うろたえる千秋。
「な、何だ……?なんでも無い話じゃないか」
「そうですねぇ、なんでもない話ですねぇ」
「別に、奴の寂しそうな顔が心に残ったから、同じような話にならないようにしたい、とかそういう訳では……」
「人のこと言えないですけど、千秋さんもたいがい墓穴掘り魔ですよね」
「ええい、話を聞けっ!」
「聞いてます、よーく聞いてますよ。あんまりルナウルフに感情移入しないで下さいねー、柘榴さんじゃないですからねー」
「するかっ!」
と、ひとしきり漫才のような押し問答を続けていると。
ミケは不意に、何かに驚いたように目を見開き、後ろを振り返った。
「…どうした?」
千秋が問うと、ひどく苦い表情をして再び彼の方を向く。
「見張りがつくくらいの覚悟はしてたんですけどね…いざとなれば、幻影や眠りの魔法で撒いてしまえばいいと思ってたし」
「…村長が、見張りをつける、ということか?」
「そうです」
ミケは頷いて、もう一度後ろを振り返る。
そちらの方角には、先ほど訪れていた村長の家があった。

「でも……それ以上に、厄介なことになったかもしれません」

ちょうどその頃。
ミケと感覚が繋がっている使い魔、ポチという黒猫が、村長の家の窓の傍で、中の会話に聞き耳を立てていた。
「冒険者だと…!オードの奴、いらんことしやがって…!」
声は、村長のものより若いようだった。息子がいると言っていたが、その息子なのかもしれない。
「どうする、オヤジ」
「そうだな……ルナウルフを見せるわけにはいかない。あれがよその者に見られたら大変なことになる」
「だが、冒険者なんだろ?力ずくで出てけって訳にも……」
「ああ、私達は非力だ。だが、非力だからこそ出来ることがある」
「っていうと?」
しばしの沈黙の後、村長は低く言った。
「村の大人全員に伝えろ。生贄の儀式の邪魔をする奴らが、宿に宿泊している。奴らに生贄の邪魔をされたら、私達はルナウルフに皆殺しにされる。
みんなで宿を囲んで、奴らを宿から一歩も出すな。今夜から、明後日の朝まで…生贄の儀式が終わるまで、全員で奴らを足止めするんだ」
「そ、そんなことして大丈夫なのか…?!」
「無抵抗な村人を押しのけ傷つけて動くわけにもいくまい。そんなことをすれば、奴らは村を救う英雄ではなく、村の平和を蹂躙するならず者だ。
生贄の儀さえ乗り越えればいい。そうすれば奴らも諦めて帰るだろう」
「よ……よし!わかった、早速連絡してくる!」
バタバタと部屋を出て行く足音。
部屋が再び沈黙に包まれる。

その沈黙は、これから起こる波乱の前触れのように、静かな緊張を孕んでいた。

To be continued…

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