呪いの言葉

呪われよ。

黄金の月に魅入られし人の子よ。


その血肉までも黄金に捧げ、
愛しきものたちの血をすすり、
愛したものの肉を糧として生き永らえ、
そしてその全てを黄金に捧ぐがいい。

汝らが黄金を求めるのか、
黄金が汝らを求めるのか、
答えの出ぬ問いを抱えたまま、
閉じられた場所で永劫の時を生き続けるがいい。


呪われよ。

黄金の月に魅入られし人の子よ。


この黄金の呪いを終生語り継ぎ、
汝らの罪を子々孫々受け継いでゆくがいい。

顔合わせ

「えっ……本当に?!」

がたん。
届いた手紙を破れんばかりに握り締め、少女は嬉しさを隠しきれぬ様子で立ち上がった。
鮮やかな茶髪は襟足だけ伸ばし、黒い瞳を大きく見開いて手紙を見るその様は、立派な成人女性であるにもかかわらず10代後半にしか見えない。
「フォラ・モント……そこに、師匠がいるかもしれないんだ…!」
喜色満面でそう言うと、傍らの荷物をひったくるようにして取り上げ、彼女は早速部屋を出た。
ヴィーダいちの規模を誇る、冒険者のための酒場、風花亭。
宿屋もやっているこの酒場に滞在していたユキは、早速チェックアウトを済ませるべくフロントに向かう。
たた、と軽快な足音が、酒場の喧騒にまぎれてゆき。
「…あれっ」
と、そこに見知った顔を見つけて足を止めた。
「あれって確か……」
と言いながら、酒場の一角にある広めのテーブルへと足を向ける。
彼女が近づいていくと、テーブル席についている何人かが彼女に気づいて視線を向けた。
「あれっ、ユキさんじゃないですか!」
嬉しそうに腰を浮かす獣人の少年。その傍らにいたおとなしそうな少年と、長い髪を三つ編みにした魔術師風の少年も穏やかに会釈する。
「…ひさしぶり。でも、ない」
「先日はお世話になりました」
「ミケさんに、アフィアさんに、フェイさんも!お久しぶり!」
ユキと呼ばれた彼女は、嬉しそうにテーブルに駆け寄った。
「みんなはお仕事?」
「……そう」
「ユキさんもですか?」
「ううん、僕はこれからフォラ・モントっていうところに行くんだ。探してる人が、そこにいるかもしれなくて」
「フォラ・モント?」
ユキが村の名を告げると、一同は目を丸くする。ユキはきょとんとして首をかしげた。
「知ってるの?僕も初めて聞いたんだけど」
「えっと……」
獣人の少年が困ったように後ろに視線をやる。
視線の先には、一人の少年。
テーブル席のほかの面々も、明らかに彼のことを気にしている様子だ。
彼は意志の強そうな瞳をユキに向けて、言った。
「オレらもこれから、フォラ・モントに行くんだ。オレの依頼で」
「依頼で、フォラ・モントに?」
おうむ返しに問うユキ。
「フォラ・モントで…何かが起こってるんですか?」
「ああ。アンタも冒険者なんだろ?ひとりでも多い方がいい、よかったらオレの依頼、受けてくんねーか?」
「あっ、はい!僕でよければ!」
ユキは即答して頷いた。
そこに、先ほどの三つ編みの少年が心配そうに問う。
「でも…いいんですか?人を探してるんでしょう?」
「ううん、人探しなら後でも出来るし…どっちにしてもフォラ・モントには行かなくちゃいけないから。
それに、何かが起こってるなら見過ごせないよ」
「ありがてえ」
依頼人らしき少年はニッと笑って立ち上がった。
「じゃあ、早速話を聞いてくれ。そこ、ひとつ空いてるから」
「はい、ありがとうございます!」
ユキはにこりと微笑んで、はきはきと名乗りを上げた。
「僕、ユキレート・クロノイアっていいます!ユキ、って呼んでくださいね!」

「んじゃ、改めて顔合わせな」
ユキもテーブル席に着いたところで、依頼人の少年は改めて表情を引き締めた。
「オレはオード。オード・アスガルだ。フォラ・モントって村で暮らしてる」
少し乱暴な口調だが、いかにも若者らしいエネルギーにあふれた感じのする少年だった。
年のころは17、8歳といったところだろうか。くすんだ金髪を短く刈り、緑色の瞳は少しきつめの光を宿している。本人が村に暮らしていると言ったとおり、茶色を基調とした服装は少し野暮ったく、ヴィーダの若者に混じっては少し浮いてしまうだろう。
オードはテーブルを囲んだ冒険者達をぐるりと見回すと、改めて言った。
「じゃ、順番に自己紹介してくれるか。ユキはさっき済んだからいいよな」
「あっ、はい」
「じゃあ、そっちから頼むぜ」
「あ、僕からだね」
オードのすぐ隣にすわっていた青年が、柔らかく微笑む。
青年と言っても、その柔らかな物腰と美しい顔立ちは女性と見紛うものだった。年のころは二十台半ば。鮮やかな金の巻き毛をポニーテールにして、垂れ気味の灰色の瞳はやはり優しい色を宿す。白を基調とした旅装束は、手に嵌められた籠手も併せてよく見ると胴着のようだ。雰囲気に似合わず、格闘を専門とするのだろうか。
「はじめまして、僕はイルト・クエンティ。イッルでいいよ」
「イッルさん……え、えっと、あの、男性…ですよね」
念のため、というように横槍を入れたのは、先ほどの三つ編みの少年だった。
きょとんとするイッル。
「そうだけど?」
「で、ですよね、すみません……女性だと思ってました」
「ふふ、そういう君もあまり人のことは言えないと思うよ?声を出すまで僕も可愛い女の子だと思ってたし」
イッルの言う通り、少年の容貌もおおむね、可愛らしい少女と言っても不思議はないものだった。膝ほどまでの長い茶髪を三つ編みにし、大きな青い瞳があどけない印象を与える。いかにも魔術師という風情の黒いローブに黒マント、肩には黒猫という徹底ぶりだが、声さえ出さなければ可愛らしい魔術師の女の子そのものだった。
「…僕は女の子扱いされるの久しぶりなんで逆に新鮮ですけど。
ミーケン=デ・ピースといいます。ミケと呼んでください。これでも一応、成人男子なんですよ」
「ええっ」
ミケと名乗った少年………青年の言葉に驚いたのは、傍らにいた獣人の少年だった。
「あっ、す、すみません、僕も同い年くらいの女の子かなと思ってました……」
申し訳なさそうに肩を縮める彼の容貌はといえば、あどけなさの残る小柄な少年、といった感じだ。灰色の髪を後ろでひとつに束ね、その間から同じ色の大きな獣耳がのぞいている。今は座っているので良く見えないが、腰からは同じ色の大きな尻尾が出ていて、おそらくは狼の獣人であろうことが伺えた。空色の瞳はまだ幼さを残しており、今は傍らに立てかけられたグレートソードがその風貌に不釣合いな印象を与えている。
ミケは少年ににこりと笑いかけた。
「気にしないでください、よくあることなので。それで、あなたは?」
「あっ、すみません!僕は鳳 飛狼です」
「ふぉ……?」
「フォン・フェイランです。リュウアンの出で…みんなには、フェイ、ってよく呼ばれますけど、呼び方は好きなように呼んでください」
「フェイ、だな。わかった」
オードが頷いて、その隣に視線をやる。
視線を受けた少年は、無表情のまま浅く頭を下げた。
「……うち、アフィア、いいます」
短く、それだけ言う。
年のころはフェイと同じくらいだろうか。青みがかった白髪と金の瞳の、言葉少ななところさえどこか神秘的な雰囲気に感じられる少年だ。
アフィアと名乗った彼をしばらくじっと見つめてから、イッルがおもむろににこりと微笑んだ。
「…ミケくんたちとは、知り合いなの?」
アフィアもじっと彼を見つめ返してから、浅く頷く。
「仕事、一緒したこと、あります。ユキ、よく一緒。ミケ、フェイ、最近一度。別の依頼」
言葉少ななアフィアを補うように、傍らのフェイが笑顔で補足した。
「はい、アフィアさんとユキさんとはご一緒しました。ミケさんとは初めてです。お2人と知りあいだなんて、偶然ですね」
「そうなんだ」
イッルは何故か少し安心したように微笑んで、頷く。
すると、アフィアの横にいた女性がはっきりとした口調で言葉を続けた。
「次、私の番でいい?」
「ああ、ごめんね。どうぞ」
「それじゃ、遠慮なく。フィリオーラ・アデンセルよ。フィリーって呼んで」
さばさば物言いではあるものの、少し不機嫌なのだろうか、と感じさせる表情をした女性だ。年のころは成人しているかしていないか、といったところか。黒髪に黒い瞳、戦士らしいいでたちまではごく普通の女冒険者、という風だったが、白い肌のあちこちについている傷跡、それに焼印のようなものが非常に痛々しく目立っていた。彼女が不機嫌そうに見えるのは、それもあるのかもしれない。
フィリーは口の端だけをにっと吊り上げて、オードに言った。
「…報酬、弾んでくれるわよね。期待してるわ。もちろん、それに見合った働きはする」
「あー、都会の冒険者サンが満足してくれるかどーかはわかんねーけど、出来るだけ用意させてもらうぜ」
若干苦い顔で頭を掻くオード。
フィリーはそれ自体は気にならないのか、ぐるりと仲間達を見回して、これで全部ね、と締めた。
オードも頷いて、改めて冒険者達を見回す。
「じゃあ、早速依頼の話に入るぜ。
ざっと依頼書には書いたが、ユキもいるしな。
改めて内容を説明させてもらう」
はっきりとした口調でオードが言うと、冒険者達は表情を引き締めた。

「村の名前はフォラ・モント。こっから馬車で北へ3日くらいのところだ。
村で取れる金が、なんかすげー珍しいモンらしくてな。それを細工にして売ってる。金持ちのあいだでは有名らしい」
「へえ……」
「僕達には縁の薄い話ですね」
フェイとミケが相槌を打つ。
オードは続けた。
「だが、その金山には……ルナウルフ、って魔獣が棲みついていて、10年に1回生贄を要求するんだと」
「生贄?!」
不穏な響きに驚いて声を上げるユキ。
オードはゆっくりと頷いて、続けた。
「ああ。オレも知らなかったんだけど、どうも村は10年に1回、村の女をそのルナウルフとやらに捧げてきてるらしいんだ。
前回はオレも子供だったからって、大人は子供に聞かせないようにしてたんだな……。
だが、今回の生贄に……オレの恋人が選ばれちまったんだよ」
「恋人さん……」
「ああ。フレイヤ、ってんだ。
フレイヤのおふくろさんが朝起きたら、ドアに金色の爪あとがあって…それが、ルナウルフが生贄の娘に選んだって合図なんだと」
苦々しい表情で言うオード。
「生贄を差し出さなきゃ、金山に入る村の奴は皆殺しにされる。金山の金が採れないってことは、村に死ねって言ってるようなもんだ。
だから、フレイヤが犠牲になるしかない……村長は、そう言った。
村のみんなも生贄を捧げるもんだと思ってる。生贄に反対する奴なんかいない、って……」
だんっ。
悔しげにテーブルにこぶしを打ちつけ、オードはさらに続けた。
「おかしいだろ!フレイヤが犠牲にならなくちゃならねーとか……そんなワケわかんねー魔獣なんかにフレイヤが殺されるのを見過ごすなんて出来るかよ!」
「まったくです!」
オードと同じように憤慨して、フェイが続く。
「村の大切な金山を盾に生贄要求だなんて、狼の風上にも置けませんよ!」
狼獣人である彼には、一族としての誇りもあるのだろう。拳を握り締めて力説している。
「知った以上は見て見ぬ振りなんて出来ません。フレイヤさんを助けなければ、後悔でご飯が美味しく食べれなくなりそうです!」
「ご飯のために依頼受けるんだ……」
乾いた笑いで控えめなツッコミをするイッル。言っている内容自体は至極尤もなのだが。
「報酬とかは気にしないでください!フレイヤさんを助けるために、僕、一生懸命がんばります!」
「何だか私が金に汚いみたいに映るかしら?」
フィリーが冗談めかして言うと、フェイは慌てて首を振った。
「い、い、いえ!そういうことではなくてですね!あの、冒険者にはお金も必要ですし、その……」
「冗談よ。私も依頼を受けた以上、最後まできっちりやらせてもらうわ」
「報酬は報酬で頂くとして……僕も生活かかってますんで。でも、僕もフェイさんと同じ気持ちですよ」
横から笑顔で言うミケ。
「僕も、生贄、とか、好きじゃないなって。まあ好きな人はいないと思うんですけど。誰かを犠牲にしてのうのうと生きるのは、嫌だなって思うんですよ。
それを覆そうとして依頼を出したオードさんは、勇気のある人ですね」
「お、おう……」
思いもかけず褒められて、よくわからないリアクションを返すオード。
ミケは彼の方にもにこりと微笑んだ。
「生贄なんか出さなくても良いように、頑張りますのでよろしくおねがいします」
「ああ!こっちこそよろしくな!」
オードが言い、冒険者達は再び表情を引き締める。

こうして、生贄阻止の依頼は動き出したのだった。

作戦会議

「えっと、じゃあ、詳しいことをお聞きしていいですか?」
フェイが早速身を乗り出してオードに訊いた。
「生贄が捧げられる場所はどこかわかりますか?」
「それ、うちも、訊きたい。場所、毎回、一緒、ですか?」
アフィアも質問を重ねると、オードは二人のほうを向いて頷いた。
「ああ。金山に捧げてるって話だ」
「金山……」
「下見、できますか?」
「あーんー……」
重ねての質問に、渋い顔をするオード。
「金山には代々の村長の一族しか出入りできねーんだよ。下見はちょっと無理っぽいな」
「こう、普段から見張りがいるとか鍵がかかってるから無理だったりとかします?」
「ああ。頑丈な鍵のかかったでっけー門の前に村長の家があって、まー入ろうとすれば村長の家にいる奴に見つかると思うぜ。
金山に入ること自体が村長一族の特権みたいな感じだからな、見張ってるに近い状態だろうな」
「そうなんですね……」
「あの、金山自体に近づくことは出来るんですか?」
ユキが質問し、オードはそちらを向いた。
「えっと、中には入れなくても、近くに行くことはできるかな、って。許可がないと、とか、見張り付なら、とかも含めて」
「近くに行くだけならいーんじゃねーの?ま、声くらいはかけられるかもしんねーけど。
結構頑丈な門だし、ちょっとやそっとじゃ入れねーから、入ろうとして派手なことしない限りは近寄れると思うぜ」
「他に入り口はないの?」
イッルがさらに質問し、オードは眉を寄せて首をひねる。
「んー…聞いたことねえな。少なくともオレは知らねーし、村の奴らも同じじゃねーかな?村長はどうだか知らねーけどよ」
「じゃあ、入り口が表だとすると、裏に回ることは出来ますか?」
再びユキが問い、オードは眉を寄せたままそちらを向いた。
「さー…道はないと思うぜ。悪ぃな、テキトーな答えでさ。村の奴らはあんま金山には近寄んなって言われてんだよ」
「そうですか……」
ユキは難しい顔をして考え込み、それから再び口を開いた。
「生贄の約束っていつ頃されたんですか?何年前とか、なんで生贄を捧げるってことになったのか、とか」
「うちも、それ、訊きたい」
アフィアが再び質問を重ねる。
「ルナウルフ、いつごろから、いる?」
「それが、わかんねーんだよ」
オードの表情は渋いままだ。
「オレだって、今回フレイヤが捧げられるって聞かされて初めてルナウルフのこと知ったんだ。
前回は子供には知らせたくなくて黙ってた、って言ってたから、少なくとも10年以上前ではあるんだろうけどよ。
けど、ありゃ相当昔からずっと、みたいな口ぶりだったな」
「そうなんですね…普段どこにいるのか、とか、わかりますか?」
フェイが言うと、オードは首を振った。
「いや。金山に捧げるっつってんだから、金山に棲んでんじゃねーの?」
「金山に棲んでて、鍵かけて閉じ込められてて、食事は10年に1回女の子を食べるだけなのかぁ」
のんびりと言うイッル。
「それで足りるのかな?普段は金山の中で何を食べてどうやって生きてるんだろう?」
オードに訊くでもなく、空中に投げかけられた問い。
そこに、アフィアが淡々と言葉を続ける。
「うち、魔獣の知り合い、いない。餌、10年に1度、足りるかどうか、わからない」
「まあ、そうだよねぇ」
「でも、生贄、餌、違う、可能性、ある」
「……どういうこと?」
イッルがきょとんとすると、アフィアはそのままオードに顔を向けた。
「生贄、なった人、どうなったか、わかりますか。死体、見つかった、行方不明、毎回違う?」
「ああ、なるほど。食べるために生贄を求めてるわけじゃない可能性もある、ってことだね」
納得顔で頷くイッル。オードはやはり渋い顔で首を振った。
「悪ぃ、ちょっとわかんねーや。村長も生贄のことになると口が重いしな」
「ルナウルフ、目撃者、いますか」
「いや、オレの知ってる限りではいねーな。つか、オレもそんなんいるって今回初めて知ったし」
「生贄を出す時期以外でルナウルフを、それっぽい姿でもいいんで見た事があったりとか、村の人が噂にしてたりとかしてませんか?」
フェイも重ねて訊いてきたので、そちらを向いて。
「オレが知らねーくらいだから、ねーんじゃねえの?
つか、生贄捧げて鎮めてんだからそれ以外に出てきたらまずいだろ。契約違反?とかになんねーの?」
「まあ、確かにそれはそうよね」
妙に納得して頷くフィリー。
と、ユキが軽く手を挙げてさらに質問を重ねた。
「生贄にされた人たちに共通点ってあるんですか?たとえば年齢が同じだとか、目の色が一緒だとか」
「さあなー。つか、前の生贄が誰だったのか、どんな子だったのかも知らねーのよ。
何度も言うが、オレは今回初めて、生贄捧げてるってのを聞いたんだしよ」
「…そっか、そうですよね…」
「村の奴らが知らねーのか、知ってて黙ってんのかは知らねーけど、んな記録があることすら知らねー。
あるとしたら村長んとこかもしんねーな」
「生贄、出さなかった時、知ってる人、いますか」
「え?」
続くアフィアの質問に、オードはきょとんとして首をかしげた。
「生贄を出さなかった時、ってどういうこった?」
「生贄、出さなければ、金山、入る人、皆殺し、言いました。
それ、生贄、出さなかった時、あった、いうこと」
「………そう言われてみれば、そうだよな」
感心した様子で頷くオード。
アフィアは続けた。
「その時のこと、知ってる人……」
「……まあ、わかんねーな」
「そう、思いました」
その存在すら思い至っていないのだ、知るはずもなかろう。
「生贄や金山のこと、仕切ってんのは村長んとこだからな。知ってるとしたら村長だろうな」
「村では過去にルナウルフを退治しようとしなかったんですか?」
再びフェイが質問し、オードがそちらを向く。
「村の人達自身でとか、今回のオードさんみたいに冒険者を雇って退治しようとしたとか」
「さぁ…でも、捧げなかったら金山に入った奴が皆殺しにされたつってんだから、その時やっつけるつもりだったのかはわかんねーけど、皆殺しにされたらビビんのはわかるぜ」
「あったかどうかは、わからない、と…どなたかわかりそうな人は…」
「くり返すが、知ってるとしたら村長だ。知らねーかもしんねーし、行っても教えてくれるかどうかはわかんねーけどな」
「金山には村長の一族しか出入り出来ない、っていう事ですけど、金の採掘なんかも全部村長の一族でやってるんですか?」
「ああ。村長の一族が入ってって、金を取って出てくる。
村の奴らの役目は、それを商品に加工することだ。
だから、オレらも村長が中でどんな感じで金掘ってんのかは知らねーんだよ」
「そうなんですか……最近、村長さんの一族が取ってくる金の量は減ったりしてますか?」
「ん?いや、そんなに違いはねーと思うし、そんな話も聞かねーぜ。
つか、金自体そんなに量は取れねーんだよ。だから希少価値ってのか?そんな感じで高値がつくらしーぜ」
「なるほど……」
「……その、村長さんのご一家は、どんな方たちなんですか?家族構成とか……人となりとか。どんな姿をしてるとか」
今度はミケが問い、そちらの方を向くオード。
「村長は50くらいのおっさんだぜ。村長の弟が一人、奥さん、長男、次男、長女、あとは使用人が何人か、ってとこだな。
次男がオレと同い年。あ、ちなみにオレは18な。でもあんま仲はよくねーよ。あいつら妙に偉そうでよー」
「そうなんですね……」
「オードさん、18。フレイヤさん、同い年?」
そこにアフィアが訊いてきて、オードはこくりと頷いた。
「ああ、フレイヤも同い年だ」
「フレイヤさんはどういう方なんですか?」
再びミケが問う。
「家族構成とか性格とか、なんでも。恋人だっておっしゃってましたよね」
「ああ。フレイヤ・リージン。両親と暮らしてる、一人娘だ。幼馴染だから、子供の頃からの付き合いになるな。
優しくて控えめな、いい子だぜ」
微妙にのろけるオードを見つめながら、ミケは続けた。
「先ほど、村の皆さんは生贄に反対してないと言っていましたけど…皆さん、生贄に賛成なんでしょうか?」
「賛成っつーか……仕方ねえと思ってる、って感じだろうな」
オードは苦い表情でため息をついた。
「金が採れなくなったら生活できねえってのと、あとは単純にルナウルフが怖えんだろうな。怒らせて村人皆殺しにでもされたら、ってのはあると思うぜ」
「では、生贄に反対の姿勢をとれば…」
「まあ、村八分ってとこか。村人も少ねーし、リンチとかあからさまなことはしねーだろうけどよ、オレも微妙に両親に煙たがられてるし」
「そうなんですか……誰か、味方になってくれる人はいたりしないんですか?」
「んー…今んとこ心当たりねえな。つか、他のやつらに話聞く前に出てきちまったからな」
少し恥ずかしげに頭を掻いて。
すると、そこでフィリーが言った。
「じゃあ、村で一番の物知りさんと、長生きしている人の家を教えて」
「え?」
「その人なら、もしかしたらいつから生贄を捧げているのかとか、ルナウルフのこととかいろいろ知っているかもしれないでしょう?」
「でも、教えてくれるかどうか……」
「生贄を阻止しようとしてオードが雇った冒険者、っていうことがわからなければいいんでしょう?」
あっさりと言って、フィリーは一同を見渡す。
「私はルナウルフの事を聞いて腕試しに来た冒険者っていうことで接触するわ」
「そう、ですね。ひとまずは、僕達がオードさんに雇われたということには触れない方がいいと思います」
同意して頷くミケ。
それにアフィアも続いた。
「うちも、そう、思います。
うち、ここから、別行動。先、村、行ってます」
「えっ、そうなの?」
きょとんとして問うユキに、無表情のまま頷いて。
「うち、鳥、変身、できます。飛んで、先、行きます」
「えっ」
こちらに驚きの声を上げたのはイッルだった。
が、その表情は驚くというよりはむしろ、呆然としたもので。
まるで、そんなことを軽々しく言ってしまっていいのか、と訴えているようだった。
「そうなんですか。それじゃあ、アフィアさんには先に行ってもらったほうがいいですね」
ミケがあっさりと言い、イッルはそちらにも驚きの視線を向ける。
そこにさらにユキが言葉を続けた。
「…そういえば、僕も空飛べるんだった」
「忘れてたんですか?!」
「いや、普段あんまり飛ばないからさ。フィーザなのにね。
アフィアさんみたいに鳥にはなれないけど僕も飛んで行こうかな。一緒に行く?」
「いえ、なるべく、みんな、別々、いい、思います」
アフィアは淡々と言って首を振った。
「村の中、みんな、関係ない、ふり、する、いい、思います」
「そうですね。生贄の邪魔をするために雇われた冒険者だと悟られないように、初対面のふりをした方がいいでしょう。村の人たちに協力は請えないでしょうが、警戒されて追い出されるのは少し危険ですからね」
ミケも頷いて同意する。
「僕はフレイヤさんにお話を聞きたいので、オードさんと一緒に向かわせてもらおうかと思うのですが……」
「あっ、僕もフレイヤさんにお話聞きたいです!一緒にいいですか?」
ミケの言葉に乗ってフェイも手を挙げる。
オードは頷いた。
「ああ、構わねーよ」
「村、宿、ありますか」
そこにアフィアが再び質問をし、そちらの方を向いて頷く。
「ああ、あまりでけーもんじゃないけどな。旅人がたまに泊まってる」
「なら、そこ、別々、泊まる、いい、思います」
「そうですね、あまり固まっているところを見られるのは良くないかもしれません。
いっそ、僕とフェイさんはオードさんの家に泊めていただくというのはどうでしょう?」
続くミケの言葉に、オードは驚いて眉を上げた。
「オレんちにか?」
「はい。何かのきっかけで知り合って連絡を取り合っている都会の友達、という風にしてみるとか」
「いいですね。友人が困っているので助けに来た、という感じで」
フェイも頷いて同意し、オードは戸惑いながらも頷く。
「ああ…わかった。狭い家だけど、泊まってってくれ」
「じゃあ、情報交換とかはどうするの?」
僅かに首を傾げて、フィリー。
「別々に情報収集しても、みんなでそれを共有しないと意味無いでしょう?
別のところに泊まったら、それは難しくなるんじゃない?」
「なら、夜になってからみんなで宿屋に集まりましょう。別々に部屋を取るにしても、どなたかお一人の部屋に集まればいいでしょう」
落ち着いた様子でミケが答えると、アフィアが淡々と続いた。
「なら、うち、変装して、行きます。獣人の姿、なるけど、うち。気に、しない」
「アフィアさん、色んな姿になれるんですね……」
「姿、変えてても、うち、人間の言葉、うまく、しゃべれません。だから、メモ、使う。使ったメモ、すぐ、焼却処分」
「メモ?」
きょとんとするミケに、アフィアは懐から小さな紙を取り出してスラスラと字を書いた。
『こうすれば話し声が聞こえることはない』
「なるほど…でも、みんなで筆談を?」
「うち、うまく、喋れない、特徴的。姿、変えてても、正体、バレる、思います」
「……でも、そもそもあまり人に聞かれたくない話をするのですから、聞かれないように配慮するつもりですよ?」
ミケの言葉にきょとんとするアフィア。
ミケはさらに続けた。
「獣人の姿に、というのも、宿に宿泊している人が宿の中をうろうろしていても普通ですが、宿に滞在していない獣人の姿はかえって悪目立ちすると思います。
あまり特別なことはしないほうが、かえって人は気にしないものだと思いますよ」
「……言われれば、そう、でした」
アフィアは少し恥ずかしそうな無表情で僅かに首を縮める。
ミケはにこりと微笑んで、続けた。
「でも、アフィアさんが指摘してくださった通り、少し気を使う必要がありそうですね。宿泊していない人間が宿の部屋に入ったら不審がられるかもしれません。
僕とフェイさんは酒場に行って、そこで意気投合した人たちと部屋へ、みたいな感じで行くのはどうでしょう?」
「それ、いいじゃない。じゃあ、私が酒場にいることにするわ」
フィリーが同意して言い、続けてイッルも頷く。
「大人がいたほうがいいね。じゃあ、僕もいることにしようかな」
「お願いします」
「なら、うち、合図、する」
そこにアフィアが言い、コンコン、コンと間を空けて3回テーブルを叩いた。
「この、ノック、聞こえたら、部屋、入れる、お願いします」
「わかったわ」
フィリーが頷いて言い、再び一堂を見回す。
「ミケとフェイがフレイヤのところに行くとして。みんなはどうするつもり?
私はさっきも言った通り、ルナウルフの噂を聞きつけて腕試しに来た冒険者として、長老さんのところにお話を聞きに行くつもりだけど」
「うち、村長のところ、行く、つもりです」
そこにアフィアが続いた。
「郷土史、研究、してる、学生、ふり、します。村の歴史、資料、残ってたら、見せてもらう」
「なるほど、いいね」
感心したようにイッルが言う。
「じゃあ、僕は金山に行こうかな。さっきもオードくんに言ったように、金山に他の入り口がないかどうか調べたいんだ。
十年に一度の生贄を食べているのかは分からないけれど、普段の食べ物や行動範囲は金山の中だけというのは難しいだろうしね。
第一、門のある入り口しかないなら生贄の選定をするために村に来れないと思うんだ」
「あっ、じゃあ僕は空から調べてみるね!」
それに続いたのは、ユキ。
「イッルさんは地上から、僕は空から、金山に他の入り口がないから調べる、っていうので、どうかな?」
「異論はないよ。よろしく頼むね、ユキさん」
イッルはにこりとユキに微笑み返した。
一同の方針が出揃ったところで、オードが改めて冒険者達を見回す。
「じゃあ、オレはミケとフェイと一緒に馬車で向かう。アンタらもそれぞれに向かってくれ。
ここから村までは馬車で3日かかる。3日後、村の宿で情報交換だ。それでいいか?」
彼の問いに、冒険者達は無言で頷いた。

「じゃあ、よろしく頼む。フレイヤの命を、救ってやってくれ!」

新たな助力

「……しかし、気のせいだろうかね……この、ピリピリとした雰囲気は……」

フォラ・モント。
山奥のこの村で、朝靄の立ちこめる中、一人の男性がそう呟きながらペンを走らせていた。
20代も後半になろうかという、背の高い男性だ。短く揃えた白金の髪に、穏やかな光を灯す金の瞳。ごく一般的な旅装束をまとっているが、スケッチブックにペンを走らせているその姿はあまり冒険者のようには見えない。
昨日、細工師である彼は、珍しい金が採れると聞いてフォラ・モントを訪れた。
が、金そのものも、そして興味のあった細工の技術も門外不出のものであり、外部のものには見せられないと断られてしまったのだ。
仕方なく一晩を宿で過ごしたものの、後ろ髪をひかれる思いで、こうして街角に見える看板などの細かな模様細工をスケッチしていたのだが。
昨日、見学を断られた時もそうだった。何が、とは具体的に言えないが、どこかピリピリとした空気。朝靄の立ち込めるこの静かな朝の時間でさえ、肌を緩く震わせるような緊張感が漂っているような気がする。
「……おや?」
そんなことを考えながらスケッチブックにペンを走らせていると、視線の先に人影が映った。
朝靄からにじみ出るように姿を現したのは、3人の男女だった。いや、まだ3人とも若い。少年少女といってもいいほどだ。
村の人間にしては、やってきた方向が村の入り口からなのが気になる。それに、先頭を歩く少年はこの村でもよく見られる普通の装束を着ていたが、その傍らの少女ははどこから見ても魔術師ですという風情の黒いローブに黒マント、もう一人の少年は自分の背丈ほどもあるグレートソードを背にかけていて、一目で冒険者であることがうかがえた。
「…失礼、ちょっといいかな?」
話しかけると、彼らはきょとんとしてそちらを向いた。
「この村では冒険者を雇うような事態が起きているのかい?」
彼の言葉に、少しだけ警戒の色を見せる魔術師風の少女。
「…失礼ですが、あなたは?」
「………」
その声に、彼が男性であることを知り、静かに驚く。
しかしそれは表情には出さずに、彼は続けた。
「…ああ失礼、私はワーデン。ワーデン・ユエン、装飾具の細工師だよ。
珍しい金が取れると聞いてね、見に来たのだけれど。…この、妙な雰囲気は一体なんなんだい?」
穏やかにそう問う彼に、魔術師の少年は口を閉じて先頭の少年を見やった。
先頭に立っていた少年はきりっと表情を引き締めると、まっすぐに彼を見返す。
「……ここじゃあちょっとしにくい話だ。ちょっと、こっちまで来てくれるか」

ワーデンと名乗った男性を促し、オードは村の入り口へと引き返していた。
3人を乗せてきた馬車は取って返し、乗り場には人の姿は見られない。村からも離れているから、ここなら会話を村人に聞かれることもないだろう。
乗合馬車の待合席に座り、オードは経緯を軽くワーデンに説明した。
「…つーわけで、オレの依頼を受けて何人かがここに向かってるところだ。こっちはミケとフェイ」
オードの紹介で、軽く挨拶を交わす3人。
「なるほど……」
オードの説明を受け、ワーデンはふむと考え込んだ。
「アンタも冒険者なのか?」
「私かい?私は冒険者として生計を立てているわけではないのだけれど……どうだろう。私もその依頼、一口かませてもらえないだろうか」
オードの問いに身を乗り出すワーデン。
「正直路銀がもう少し欲しいかな、というのが半分。商品のアクセサリーも少々持っているけれど、どうものんびり商売をしている雰囲気ではないからね。
加えて、話を聞いているとどうもこの村自体の歴史や伝承、ひいては『金』の事にも関わってきそうだからね。そこに興味がある、というのがもう半分くらい」
そこまで言ってから、苦笑して肩を竦めて。
「ただ、腕っぷしには正直自信はないから、情報収集の手伝い、ということになるかな。時間もなさそうだし、人手はいるだろう?」
「そうだな……」
オードは若干渋い顔で考え込んだ。
「正直ルナウルフをぶっ倒せる奴を探すつもりで冒険者を雇ったから、腕っ節強い奴の方がいいっちゃいいんだが…」
「そうだよね」
苦笑してさらに言うワーデン。
「この際だ、報酬については他の人と同じようにとは言わない。…もし、君の家か知り合いで金細工をしているのなら、報酬の代わりに完成した金細工かデザイン画を見せてもらう、というのは駄目かな?」
オードは少し考えてから、再び彼の方を見て頷いた。
「…そうだな。一人でも人手が欲しいのも正直なとこだ。報酬がそれでいいなら、それで頼む」
「契約成立だね」
オードが差し出した手をしっかりと握り締めて、ワーデンはにこりと微笑んだ。
「では、仕事にかかる前に、少し質問をさせてもらっていいかな?」
「ああ、いいぜ」
「金山というのはふつう他にも銀や銅なんかを同時に産出することが多いのだけれど、フォラ・モントで取れるのは金だけなのかい?」
「ん?ああ、金だけだな。普通の金と違う、珍しいモンらしいぜ。だからかもな」
「なるほど。近くの川で砂金が取れたりは?」
「そういう話も聞かねーなー」
「そうなのだね……鉱山には鉱毒もつきものなのだけれど、フォラ・モント周辺は特に木が枯れていたり、野生動物が少なかったりということはないだろうか?」
「ん?まあ、見ての通りだな。平地ほど木が生い茂ってるわけでもねーけど、特に枯れてるって感じもねーだろ。動物も普通にいるぜ」
オードの言う通り、辺りを見回せば街道沿いに林の広がる、ごく普通の山間の村という様子で。
「なるほど……まあ、特別な金だから、私たちが知っている金とは違っていて当然なのかもしれないね。精製も門外不出だから魔法か何かを使っていて、砂金だとか鉱毒だとかが無いのかもしれないね」
「アンタ、細工師だったか?さすがによく知ってるな!オレはこの村以外のことはあんまよくわかんねーんだよ」
「街からこれだけ遠いと、そうかもしれないね。じゃあ……」
ワーデンは少しだけ沈黙して、それからゆっくりとオードに問うた。
「…オードくんは生贄の話を聞いて、フレイヤさんを連れて村を出る、ということは考えなかったのかい?」
その言葉に、オードと、そして傍らにいたミケとフェイも、思いもよらぬことを言われた、というようにきょとんとする。
「……そりゃ……」
たっぷり絶句した後、オードは神妙な表情になった。
「………考えてもみなかった、正直な話。
けど……やっぱり、フレイヤも大事だけど、村のみんなのことも大事だからさ。
フレイヤを連れて逃げたって、ほかの誰かが生贄にならなきゃなんねーんだろ?
それはやっぱり、マズいと思うぜ」
「そうだよね」
にこり、と笑って、ワーデンは立ち上がった。
「君達はフレイヤさんのところに行くのだったね。
では、私は他の村人から話を聞くことにするよ。
夜に、滞在している宿で情報交換、だね」
「あ、はい。よろしくお願いします」
ミケも慌てて立ち上がって頭を下げる。
ワーデンはそちらにもう一度笑顔を返すと、ゆったりとした足取りで村へと戻っていった。

一方その頃。
「……ひどいめ、あいました……」
よろよろとおぼつかない足取りで、アフィアはようやくフォラ・モントにたどり着いていた。
巨大な鳥の姿に変身し、フォラ・モントに向かったはいいが、途中で竜巻に巻き込まれてあらぬ方向に飛ばされてしまった。
ただでさえ見知らぬ土地に地図だけを頼りに行くのは、たとえ空を飛んでいったところで簡単なことではない。そこにきてこのハプニングで完全に現在地と方角を見失ってしまった。結局近くに見えた村で体勢を立て直し、ようやくたどり着いたのは他の冒険者達とそう変わらないであろう3日後になってしまったのだ。
「村長さん、行きます……」
本当は前後でフレイヤの家に行って用を足していくつもりで先に来ようとしたのだが、この分だとそれは難しい。
アフィアは諦めて村長の家へ向かった。

「郷土史を調べていらっしゃる学生さんですか。こんな山奥まで、がんばりますねえ」
村長の家では、通された応接間で使用人が愛想よくそう言った。
「旦那様は今お忙しくて。申し訳ありませんねえ、ご挨拶できなくて」
「…こちらこそ、いきなり、訪ねる、すみません」
アフィアは言葉を選んでそう言い、軽く礼をした。
「この村、郷土史、知りたい。資料、ここなら、ある、思って、来ました。何か、ありますか」
「郷土史、ねえ」
使用人は困ったように首を傾げた。
「旦那様にもお聞きしたんですけどね、無いっておっしゃるんですよ。申し訳ありませんねえ」
「村の記録、ない、ですか」
「ええ、まあ小さい村ですし、そんなに記録に残すようなことも無いですからねえ。取り柄と言ったら金細工くらいで、でもそっちの記録は残念ですけど外部の方にはお見せしないように言われてるんですよ。せっかく来ていただいたのに、申し訳ないですけど」
「この村、開村、どのくらい、前、ですか」
アフィアは学生らしくノートを広げてメモを取る様子を見せながら訊いた。
首を傾げる使用人。
「さあ……でも、そうとう前なんじゃないですかねえ。100年や200年じゃきかないと思いますよ。
さっきも言いましたけど、正確な記録がないんで、何とも言えませんけど」
「その時から、金、採れてた、ですか」
「そうじゃないんですかねえ。他に目立ったものもないですしねえ、山の中だから」
「………」
アフィアは使用人の答えをメモに取りながら、考えた。
ルナウルフの事を聞きたいが、学生と偽っている以上警戒させるようなことはしたくない。
しかし、こんな曖昧な情報だけではここに来た意味もあまり無い。
ならば、どうするか。
かり。
最後の字を書き終え、アフィアはもう一度使用人のほうを見た。
「…村長さん、忙しい。何か、お祭り、ですか」
「えっ」
使用人の表情がこわばる。
「…そ、そういうわけじゃないんですけどね。今ちょっと、忙しくて」
やはり、生贄については言葉を濁している。
村長が本当に忙しいのかどうかはともかく、外部の人間に話したくないことであるのは間違いなかった。
「そう、ですか。忙しいところ、すみません、でした」
アフィアは淡々と礼を言い、ノートをしまって村長の家を後にした。

宿への道すがら、アフィアは一人考えていた。
今回の依頼、疑問に思う点が多すぎる。
例えば、10年に一度しか生贄を要求しないこと。
イッルが話題にした時にも言ったが、10年に一度人間を一人食べるだけで命を永らえられるものなのか。
200年以上も前から生き続けているのだとしたら、あるいはそういう生態系の生物もいるのかもしれないが、にわかには信じがたい。
食用ではなく、何か別の目的があって生贄を求めているのではないか。
それに、生贄の家に印をつけるというのも引っかかる。
10年に一度しか村に現れないのに、どうやって生贄を選ぶというのか。
そして。
(………金山)
村長の家の後ろに聳え立つ小高い山を見上げる。
オードの話から、これがくだんの金山であるはずだ。
この金山に入れるのは村長の一族のみ。そもそもそれがおかしい。
探鉱作業は通常なら村人総出でかかるような重労働のはず。宝石と違い、塊では取れない金の発掘作業は、土を洗ったり、必要なら水銀を使ったりする大掛かりな作業となる。希少性の高い金ならばなおさら、大量に掘って念入りに作業をせねばならないだろう。
村長宅は夫婦に子供が3人、使用人を入れても二桁にはならない。そんな少ない人員で出来る作業ではない。
「………」
アフィアは言葉には出さずに、ある仮説を組み立てていた。
金山の金は、ルナウルフが生み出しているもの。
ただし、10年ほどたつと何らかの問題で新しい素体を必要とする。そのため、生贄を要求する。
その素体を決めているのはルナウルフではなく、村の人間をよく知る村長一族ではないだろうか。
そしてこの探鉱はルナウルフを閉じ込める牢獄のようなものではないのだろうか。
「………」
もう一度、村長の家に視線を戻す。
他の家より多少大きくはあるが、特に豪奢な感じはしない、どこにでもある普通の邸宅だ。
内装も特に派手な様子も無く、本当に普通の、どこにでもある家だった。
自分達が金を独占するために、村人の命を犠牲にしている家だとは到底思えない。
アフィアは無言で、村長の家と、そしてその後ろに聳える金山をじっと眺めるのだった。

生贄の乙女

「オード……!」
ドアから足を踏み入れると、出迎えた少女は目に涙を浮かべて彼の名を呼んだ。
「どこへ行っていたの!村を飛び出したって聞いて、私、心配で……」
「悪ぃな、オマエも大変なのに心配かけて」
駆け寄ってきた少女の肩をいたわるようにそっと引き寄せるオード。
「でも、もう大丈夫だぜ!この人たちが、オマエのこと助けてくれるからな!」
「え………」
彼の言葉に、少女はさらに目を丸くして、オードの後ろに控えたミケとフェイを見やるのだった。

「あの……どうぞ」
フレイヤ・リージンは、小柄で線の細いはかなげな少女だった。
栗色の髪を肩口で揃え、濃いグリーンの瞳は怯えと疲れの色を色濃く宿している。ぱっと目を引く美人というタイプではないが、愛嬌のある顔立ちは微笑んだら多くの人を和ませるのだろうと思わせた。
彼女に出された茶を一口飲んでから、オードは正面に座るフレイヤの両親に身を乗り出した。
「だから!この人たちが、ルナウルフをブッ倒して、フレイヤとこの村を救ってくれるんだって!
もうフレイヤを生贄になんか出さなくていいんだぜ?!」
彼の熱弁にも、両親は相変わらずの不安げな表情を見合わせるばかりだ。
父親は心配そうにオードに問いかけた。
「オード……それは、村長には言ったのか?」
「は?いや、言ってねーけど?」
「そうか……それがいい。生贄を出すのを止めるなどと、おおっぴらに言って回るんじゃないぞ」
「なんでだよ、おじさん!」
じれて食って掛かるオード。
父親は眉を寄せて言い返した。
「この村はずっと昔から、そうして危機を逃れてきたんだ。みんなそれで納得してる。下手なことはしないほうがいい」
「おじさん……!」
「あの、少しいいですか」
なおも身を乗り出そうとするオードを横から制して、ミケが父親に問いかける。
「お2人は、それでいいんですか。フレイヤさんを生贄に出して、それで村が収まるなら仕方が無い、と。それで納得していらっしゃる、ということですか」
少し咎めるような口調に、父親は沈痛な面持ちでため息をついた。
「正直、何故フレイヤが…とは、思います。けれど、そうしなければならないなら……」
「あなた……」
母親がいたわるように父親の顔を覗き込む。
ミケはその隣に座ったフレイヤのほうを見た。
「フレイヤさんも、そうですか。自分が生贄になって、それで納得している、と」
「…………」
フレイヤは人見知りする子供のように、顔に怯えをはりつかせて押し黙った。
その様子は、ルナウルフに対する怯えと、そして目の前に突然現れて両親を責める『見知らぬよそ者』に対する怯えも含まれているように感じる。
ミケは嘆息した。
「別に、責めているわけではないんです。この村は昔からずっとそうしてきた、それを打ち破るのが勇気のいることだとはわかります。
でも、オードさんはその勇気を出して、ヴィーダまではるばるやってきてこうして僕達を連れてきた。それだけ、フレイヤさんに死んで欲しくない、生きて共に幸せになりたいと思っているということです。
僕はそのオードさんの気持ちに応えたい。フレイヤさんを生贄に出さずに済むように頑張りたいんです」
「僕もです」
オードを挟んで反対側に座っていたフェイも、熱心にそう語りかける。
「僕は依頼とかそういうの抜きにしてもフレイヤさんを助けたい、って思ってます。
色々事情はあるのかもしれません。村長さん達も悩んだ上での判断なのかもしれません。
でも村の為だからって、親が大切な子供を差し出さなきゃいけないだなんて、そんなの絶対おかしいです。
だから、もしルナウルフの事で少しでも知ってる事があるなら教えてくれませんか?」
「………」
3人は難しい顔をして黙り込んだ。
「フレイヤ……」
悲壮な顔でフレイヤに言うオード。
「オレ…やっぱ納得なんてできねーよ。フレイヤが何したってんだよ?何にも悪いことしてねーだろ?
何でまだ大人にもなってねーのに、これから人生楽しいこともいっぱい待ってんのに、それを全部奪われなきゃなんねーんだよ?
オレ、フレイヤがいなくなんのやだよ、フレイヤに生きてて欲しいよ」
「オード……」
オードの必死の訴えに、フレイヤは泣きそうな顔で彼を見返す。
「わたしも…本当は、怖いよ。まだ死にたくない、オードと一緒に生きて、いずれは結婚して、子供を持って…って思ってた。
けど、わたしが行かなきゃ、村のみんながどうなるかわかんないんだよ?」
「そうならないために、オードさんは僕達を雇ったんです」
強い口調で、ミケがそれを遮った。
「僕も、生贄を捧げて、誰か一人を犠牲にしてそれで幸せに、なんておかしいと思います。
だから、ルナウルフのことを調べて、この村がもう生贄なんて出さなくなるようにしたい。
一緒にルナウルフを倒してくれ、村の人たちを説得してくれ、とは言いません。ただ、知ってることを教えて欲しい。
村の人たちが全員生贄賛成だというなら、僕達が動けるように、僕達のことは黙っていてほしいんです。
フレイヤさんの命を助けるためなんです……お願いします」
「お願いします!」
ミケに続く形でフェイも真剣に頭を下げると、父親は眉根を寄せて唸った。
「……それだけで、いいなら」
「あなた……」
「お前だって、フレイヤを死なせたくないだろう。私たちには何も出来ん。助けてくれるかもしれない何かにすがることくらいは許される……」
「ありがとうございます!」
フェイが嬉しそうに言い、早速メモを取り出して話を始める。
「じゃあ、早速ですけど……フレイヤさん」
「はっ……はい」
「生贄に選ばれた事以外で最近何か変わった事はなかったですか?
どんな些細な事でもいいので、もしあったなら教えてください」
「そう……言われても……」
フレイヤは視線をさ迷わせ、首をかしげた。
「特に……何もなかった、と思います…」
「そうですか……」
やや気落ちした様子で、フェイは次に両親の方を向いた。
「ルナウルフがいつ頃から現れてるか知ってますか?」
「いや……昔からずっといるようだが」
「過去にルナウルフを退治しようとした人達はいなかったんですか?」
「さあ……そういう話は聞かないな」
「生贄を捧げる時以外でルナウルフらしき姿を見た事はありませんか?」
「いや、聞いたことはない。小さな村だ、誰かが見れば噂になるだろう」
「生贄を捧げなかった時があったなら、その時は金山の中に入る村長の一族以外でルナウルフに殺された人達はいなかったんですか」
「待ってくれ、何の話だ?」
眉を寄せて、父親。
フェイは真剣な表情で答えた。
「生贄を捧げなくて、金山に入る人たちが皆殺しになったことがあったんでしょう?」
「そうなのか?そんな話は聞いていないが…」
「えっ……でも」
「フェイさん、それを言ったのはアフィアさんですよ」
横からミケがフォローを入れる。
「僕は、あれは言葉の解釈の違いだと思います。僕には、生贄を捧げなければ金山に入る奴は皆殺しだ、という脅しのように聞こえました。
実際に捧げなかったことがあって、そのときに皆殺しにされたから、という理由ではなく、10年に1度生贄を捧げる、契約……とか、そういうやり取りがあった時の言葉じゃないんでしょうか」
「そっか、なるほど……」
フェイは納得して頷き、質問を続けた。
「生贄にはドアに爪跡をつけられた家の娘がなるのが習慣なんですか?」
「ああ、そう聞いている。前の時もそうだった」
「その、前の時について、少し伺ってもいいですか」
父親の答えに続くようにして、ミケが身を乗り出す。
「前の時の生贄は、どなただったんですか」
「ナンナよ」
答えたのは母親だった。
「私より5つ下の、可愛い娘だったわ。少しおてんばで、でも明るくていい子だった」
「もう少し、詳しく伺っていいですか。そのときの正確なお年と、髪の色とか、目の色とか」
「えぇ?」
何故そんなことを訊くのか、という様子で、母親は記憶を探るように視線をさ迷わせる。
「ええと…今私が38だから…10年前は28でしょ、その5つ下だから…23歳ね。
短い黒髪で、黒い目をしていたと思うわ」
「そうですか……」
年齢も外見も、ついでに言えば性格もフレイヤとは違う。ユキの言っていた、生贄の共通点があるとすれば、少なくともそこではない。
ミケは質問を続けた。
「前回の生贄の時に村はどんな対応を?」
「どんな…って……今回と変わらなかったわ。
まだフレイヤもオードも小さくて、生贄だなんて残酷な話、とても伝えられなかったから…ナンナはよその村にお嫁に行ったって伝えて……」
「そうだったのか……」
初めて聞く事実に、オードが悔しそうに呟く。小さな村だ、そのナンナという女性とも顔見知りだったのだろう。
「今、村で力になってくれそうな人はいないんですか」
続くミケの質問に、父親が目を閉じて首を振った。
「皆、やはりルナウルフは怖いんだ。今回オードが生贄を止めるって飛び出して行ったことで、オードの両親を咎めるような空気になっている」
「えっ……」
驚いたのはオードだった。
父親はオードのほうに複雑な視線を向けて、続ける。
「生贄を止めさせて、もし村に何かあったらどうするつもりなんだ、とね。正直、私もそう思っている。
フレイヤを差し出すような真似はしたくないのも本音だが、そのためにさらに大きな惨事を招いたら、と思うと……」
ため息をついて首を振る父親。
オードはばつが悪そうな表情で俯いた。
ミケも少し複雑な表情で、それでも質問を続ける。
「何故、この村は生贄を出すのでしょう?」
「何故?言っていることがわからないが…そうしないとこの村は生きていけない、それだけで十分な理由じゃないのか」
再び咎められているような気分になったのか、父親は強い口調でミケに言い返した。
眉を寄せて首を振るミケ。
「すみません、言葉が足りなくて。質問を変えましょう。
ルナウルフについて、生贄について。村のみんなの態度について。その辺りで、何か他にご存じですか」
「いや。特に思い当たることは無いよ」
父親はまだ複雑な表情でそれだけ言い切った。
質問が漠然としすぎていたか、と思いながら、ミケは今度はフレイヤのほうを向く。
「フレイヤさんは、こういう儀式があったことを知っていましたか」
「こういう儀式……って、生贄のことですか」
「そうです」
「知らなかった、です…何も聞かされてなかったし」
「そうですか……誰かから生贄について何か言われたことはありますか」
「……生贄のことを教えてくれたのは、両親と…それから、村長さんです」
「なるほど。その村長さんですが、生贄までのあと数日の間に、何をしろとかその時はどうしろ、とか……具体的なことを言われましたか」
「……いえ。その日の夜に村長さんの家に来いとだけ……」
「…そうですか」
ふむ。
ミケは一通り質問を終えたようで、小さく唸って考え込んだ。
と。
「あの、ドアにつけられたルナウルフの爪あと…すこし、調べさせてもらっていいですか」
フェイが言って腰を上げ、ミケも同様に立ち上がった。
「あ、僕も行きます。よろしければ、爪あとの金の部分を少しだけ削り取りたいんですが…」
「……構わないが……」
フレイヤと両親に立ち上がる様子は無い。
そこに、オードが二人につられるように立ち上がって、言った。
「フレイヤたちに聞くことはとりあえず済んだのか?」
「あ、はい。また何か聞くかもしれませんが、今日のところは」
「そっか。じゃあ、オレも行くよ。おじさん、おばさん、ありがとな」
「……ああ……」
両親はなおも複雑な表情で、オードに生返事をする。
そちらの方が気になりつつも、オードはフレイヤのほうを向いた。
「フレイヤ、心配いらねーからな。ぜってー、オマエのこと死なせねーから」
「オード……」
なおも心配そうにオードを見上げるフレイヤに短く別れを告げて、3人はリビングを後にした。

「これですね……」
家に入るときに見上げた扉を改めてしげしげと見やって、フェイは唸るようにそう言った。
ごく普通の樫の扉の端から端まで、大きな爪あとが走っている。数は4本、右上から左下へ平行についており、えぐられた部分は金色に光っていた。
「ちょうど、僕の背丈と同じくらいの位置にありますね…」
と、フェイ。彼は少し小柄なので、ミケの肩か胸辺りの位置になる。
「後ろ足で立って傷をつけたとしたら、僕と同じくらいの高さになるってことでしょうか」
ミケが言うと、フェイはうーんと首を傾げた。
「でも、僕が狼の姿になっても、こんなに大きな爪跡は残せないと思うんですよ」
「え、そうなんですか?」
「はい。この爪の幅、結構大きいです。僕くらいの大きさの狼は、もっと小さいんですよ。変身したって、手はこれくらいの幅ですからね」
と、自分の手より少し大きいくらいの幅を両手で示して。
「でもこの爪跡は、爪あと自体の幅も、そして爪と爪の感覚も結構広いです。これくらいだと……熊くらい大きな獣になるんじゃないですかね」
「熊………ですか」
ぱっと頭に浮かんだのは某熊耳アイドルだが、邪念は振り捨ててミケは考え込んだ。
「そうすると、後ろ足で立ったのではなく、四つんばいのまま片手を振り上げて傷をつけたっていうことですかね」
「はい、熊くらいの大きさの獣だとするなら、そうだと思います」
フェイは頷いて言って、再び扉に顔を近づけた。
ふんふんと鼻を鳴らす様子に、ミケが首を傾げる。
「どうかしたんですか?」
「いえ、ルナウルフの匂いが残ってるかなと思って……普通、人間の姿になってる時は感覚も人間のものに近いんですけど、最近練習して、この姿の時も感覚だけ狼のものに出来るようにしたんですよ!」
「へえ、それはすごい」
ミケは純粋に感心したように言った。
「それで、フェイさんはルナウルフの匂いを知ってるんですか?」
「……そういえばそうですね」
上がったテンションが急降下するフェイ。
「いや、でも、この家に住んでる人以外の匂いとか、獣の匂いならわかりますよ!」
「そうですよね。で、わかりそうですか?」
「うーん……」
再びふんふんと鼻を鳴らす。
「家に住んでる3人の匂いが強いですね……あとは僕達の匂いと、他の人間の匂い…獣の匂いはあまりしません」
そこに、オードが難しい表情で頭を掻きながら言った。
「もう1週間くらい経ってるからなぁ。匂いも薄れてるかもしんねーな」
「い、1週間ですか?!」
驚いて振り返るフェイ。
「ああ。だってここからヴィーダまで馬車で3日だろ。村からヴィーダまで3日、アンタらを雇うのに1日、戻ってくるのに3日だ」
「……よく考えてみれば、そうですよね……」
ミケも呆然と言って、足元を見た。
「足跡があるかと思ってましたが、この分だと…」
「ああ、1週間も経ちゃ消えてるだろうな」
「そうですか……」
ミケは嘆息して言い、ドアに歩み寄ると手をかざした。
「じゃあせめて、魔力感知だけでも…」
呟いて、目を閉じる。
ミケが意識を集中して魔力を感じ取るのを、オードとフェイは固唾をのんで見守っていた。
やがて。
「…ごく微量ですが、魔力を感じます。属性魔法ではないですね…感じたことの無い構成の欠片を感じます。
あまり気持ちのいいものではないですね……例えて、言うなら」
「……例えるなら?」
フェイが促すと、ミケは言いにくそうに口を閉ざし、やがて言った。
「………魔族の波動に、似てます」
「魔族……!」
目を見開くフェイ。
オードは動揺した様子でミケに訊いた。
「な、なんだよそれ、ルナウルフは魔族だってことなのか?」
「わかりません。本当に僅かなんですよ。魔法のかけられたものを掠めた、くらいのレベルです。ルナウルフ自身の魔力ではないのかもしれない、あるいはそうなのかもしれない、これだけではわからないです。ただ、気配は似ている、ということです」
ミケは嘆息して、辺りを見渡す。
「どちらにしろ、他の方の情報を待った方がいいでしょうね。
ポチの方も、何も収穫なしのようですし……」
「ぽち?」
きょとんとしてフェイが聞くと、ミケは今は自由になっている自分の肩を示した。
「ここに乗っていた、黒い猫です。僕の使い魔なんですよ。
感覚が僕とリンクしているので、ポチが見聞きしたことは僕も知ることができます。
ポチを、村長さんの家の周辺に行かせていたんです。窓の外からとか、話し声が聞こえないかなと思って」
「そ、そんなこともできるんですね!ミケさん、すごいなあ……」
感心したように言うフェイだが、ミケの表情は重い。
「ですが、収穫はなかったようです。アフィアさんも村長さんには会えなかったようですし、村長さん自体も家にいたかどうか…少なくとも会話は聞こえてこなかったみたいですね」
「そうなんですね……」
「気づけばこんなに暗くなってきましたし…いったんオードさんのお家にお邪魔してご挨拶をして、宿に向かいましょう。
オードさんのご両親にも少しお話を聞きたかったですが…その時間はなさそうですね」
「そうですね。じゃあ、ドアを少しだけ削らせてもらって……」
フェイが道具袋の中から小さなナイフを取り出し、丁寧に爪あとの金色部分を削り取る。
それをしっかりと皮袋の中に入れて。
「じゃあ、行きましょうか」
「ええ」
「オレんちはこっちだ。行こう」
オードの案内で、2人はオードの家へと向かうのだった。

魔獣の棲む山

「うーん……」
がさ。がさがさ。
獣道すらない茂みを掻き分けて進みながら、イッルは難しい顔をして唸った。
「別の入り口があるかなあと思ったけど…なかなか見つからないね」
ここは、金山の入り口のちょうど裏あたりになるだろうか。針葉樹林が広がっており、ひとけは全く無い。
仲間達に宣言したとおり、イッルは金山の裏手に回って別の入り口を探していた。門に鍵がかかっている以上、ルナウルフは別の入り口から出て扉に傷をつけていったことになる。その入り口から中に入り、中の様子を伺おうと思っていたのだ。
金山自体は、大して大きいものでもない。小高い丘に毛が生えた程度のものだ。それでも一周すれば日は暮れるだろうが、岩肌がむき出しになっている山だから丹念に見回せば入り口の一つや二つ見つかるかと思ったのだが。
「…なかなか、思うようにはいかないものだね」
嘆息してひとりごちる。
あまり表には出さないが、彼は彼なりにこの依頼に対して気合を入れていた。
そもそも、本人の意に染まない『しきたり』や『義務』を強制することが、彼にとっては相容れないことなのだ。
彼自身がそれで嫌な思いをたくさんしてきたし、今もそういう一族を好きにはなれない。
また、オードのように、古くから意味不明な因習に縛られていた環境の中でそれを打ち破ることがどんなに大変なことなのか、身をもって知っていた。
だからこそ、彼の助けになりたいし、しきたりに縛られて命まで奪われようとしている少女を救いたいと思う。
「気合だけは、十分なんだけどねー」
苦笑して、再び金山を見上げるイッル。
別の入り口から入ることが出来れば、ルナウルフに会えるかもしれない、と思っていた。会えたら話が通じるかどうか確かめてみようと。話が通じなかったり、いきなり襲われれば迎撃して帰ってこようと思っていた。倒せたらそれでいいかもしれないが、仕損じては余計に迷惑がかかる。
「でも、この分だと無いかもしれないな。よじ登ってみてもいいけど……」
と、ちらりと空を見やる。
彼一人なら、岩壁を登る手段はあった。だが。
「イッルさーん」
すい、と空を飛んでいたユキが降りてくる。
イッルはにこりと彼女に微笑みかけた。
「ユキちゃん、どうだった?」
「うーん、それらしい入り口は無かったなあ」
ユキは羽を仕舞うと、残念そうに肩を竦める。
「上から見たら、異常なところとか、見つからないように中に入れる道があるかもしれないと思ったんだけど。
ざっと見た感じ、普通の山だったよ。あんまり飛び回ってても村の人に見つかっちゃうからざっとだけど、見落としは無いと思うな」
「そうかー」
ふむ、と唸り、イッルは考え込んだ。
と。

「そこで、何をしている」

突如かけられた低い声に、2人はぎょっとして振り返った。
ざ。
林の方から、茂みを掻き分ける鈍い音がする。
ざ、ざ、と音を立てて、一人の男性が二人の元へ歩いてきた。
「………」
す、とユキをかばうように立って、相手を見据えるイッル。
年のころは20代後半ほどだろうか。すらりと背の高い地人の男性だった。短い黒髪をぴっちりとなでつけ、かなり鋭くこちらを睨む瞳は左だけが金色の光を放っているのが印象的だ。スマートなフレームの眼鏡に白衣といういでたちは、漂っているぴりぴりとしたオーラとあいまって、どう見ても。
「……ドS、って感じ」
「どえす?」
ぽつりと呟いたイッルの言葉の意味がわからず首を傾げるユキ。
それには構わずに、男性は2人の前で足を止めると、低く威圧感のある声で問うた。
「貴様等、村の者ではないな。ここで何をしている」
第一印象通りの物言いにこっそり肩を竦めて、イッルは笑顔で彼に答えた。
「あ、村の人?僕たち、旅の途中にこの村に来たんだけどさ。興味本位で林の中に入ったら、ちょっと迷っちゃって。助かっちゃった、どう帰ればいいかな?」
明るくそう言うイッルに、とりあえず無言で任せてみることにしたユキ。表情は平静を装い、内心はらはらと様子を見守っていると。
ふ、と男性は息を吐いて、低く答えた。
「貴様等の言う意味での『村人』とは、厳密には違う。私はこの村の出身ではない。この村に在住しているという意味であれば『村人』と言って差し支えないがな」
「あれ、そうなの?じゃあ、最近引っ越してきたとか?じゃあ道を聞いてもわからないかな」
「最近ではない。3年ほど前からここに住んでいる。この村が産出する金を調べている、地質学者だ」
「ちしつがくしゃ」
あまりにその雰囲気に見合わぬ肩書きに、思わず棒読みでくり返してしまうイッル。
「じゃあ、金山の中に入れてもらったりもしたことあるんだ?」
「………」
男性は目つきをさらに鋭くしてイッルを見る。
「…他人のことを詮索するのなら、自分の素性ぐらい偽らずに名乗ったらどうだ」
「え?」
内心ぎくりとしつつも、平静を装って問い返すイッル。
男性は変わらず彼を睨んだまま、続けた。
「おおかた、今回の生贄に反対する小僧が呼んだ冒険者といったところだろう。違うか?」
「………」
イッルは用心深く彼を見やって、ごくりと唾を飲み込む。
やがて嘆息すると、肩を竦めて名乗った。
「…ご慧眼、恐れ入るよ。変な嘘をついてごめんね。僕はイルト・クエンティ。あなたの言う通り、生贄を止めるために雇われた冒険者だ」
「僕はユキレート・クロノイアです」
イッルに続いてユキも名乗ると、男性は興味なさそうにふんと鼻を鳴らし、自らも名乗りをあげる。
「ロクス・クリードだ」
「じゃあ、ロクスさん。この際だからぶっちゃけて聞くけど、この金山の中に入ったことあるの?」
「無いな」
堂々と答えるロクス。
「この村の連中は殊の外秘密主義であるらしい。正面から協力を要請したが、門外不出と断られた」
「でも、3年もここにいるんだ?」
「金山そのものを調べることは出来ずとも、周辺の土地を調べることは出来る。土壌の地質、気候、風土、民間伝承や噂なども研究には欠かせない要素だ」
「それで、生贄のことを知ってたんですね」
ユキが言い、ロクスはそちらを一瞥した。
「村人達は話したがらないがな。人の口に戸は立てられぬものだ。
貴様等、ここから産出された金がどこに行くか知っているか」
「え」
「主にヴィーダの富裕層の手に渡る。年間にごく僅かしか産出量の無いフォラ・モントの金はかなりの希少価値が付き、髪飾りのような細工でも庶民の家が1軒買えるほどの値で取引される」
「そ、そんなに高いんですか?!」
思わず声を上げるユキの横で、イッルも静かに驚いている様子だ。
ロクスは続けた。
「その富裕層に密やかに囁かれ、この金の価値をさらに高めている宣伝文句を教えてやろう。
『うら若き乙女の命と引き換えに生まれた金』だ」
「なっ……」
金細工の宣伝文句としてはあまりに下種な言葉に、思わず絶句するユキ。
ロクスは、にっと露悪的な笑みを浮かべた。
「表立ってではないが、裏で話が出回るほどには生贄の件はある層では周知の事実だと言うことだ。そして、そのことが金の価値をさらに上げている。
10年に1度、満月が黄金の輝きを見せる夜に、黄金の月の獅子に捧げられたうら若き乙女の命が、村を大いに潤している。乙女もさぞかし、命を捧げた甲斐があるというものだな」
「そんな言い方……っ!」
「ユキちゃん」
生贄として捧げられた命を軽んじるような発言にくってかかろうとするユキを、イッルがやんわりと止める。
そしてロクスに向き直ると、さらに質問を続けた。
「あなたは、ルナウルフを見たことは?」
「金山に入った事は無いと言ったろう」
「でも、生贄の家に印をつけているんだよね。っていうことは、10年に1度は金山から出てるんだよ」
ロクスの強い語調にも押されることなく、イッルは自分の意見を述べていく。
「でも、出ているとしたらどこから出てるんだろうね?入り口の門は鍵がかけられていて、村長の一族しか開けることは出来ない。今、僕とユキちゃんがぐるっと見回ってみたけど、この山に他に入り口になる場所はなかった」
「出入りできる場所は、何も地上ばかりとは限らん」
ロクスは考える様子も見せずにそう断言した。
「鍾乳洞が山を越えた別の場所に繋がっているのはよくある話だ。地下からどこか別の場所に繋がっていても不思議ではない」
「そうか、地下か……」
盲点だった、と俯くイッル。
が、ロクスはすぐに続けた。
「だが、勿論他の可能性もあろうな」
「えっ」
顔を上げると、ロクスはまた先ほどの露悪的な笑みを浮かべていた。
「ルナウルフが外に出ていないのなら、扉に生贄の印を付けたのはルナウルフではない、別の存在だ」
「え……」
小さく声を上げて驚いた表情を見せたのは、ユキ。
イッルは黙ったままロクスを見つめている。
ロクスはそのまま続けた。
「例えば、金山の全てを取り仕切り、鍵の管理をし、生贄の儀式も行う……村長の一族。
いつ誰が見るか判らぬ村の中を、生贄の家を求めて獣がうろつきまわると考えるより無理がない。
そして、生贄の話を付加価値として密やかに広められるのも、それを良く知り、かつ金細工の流通を請け負っている、村長の一族だ」
「………」
「とすれば、果たして金山に魔獣が生息しているという話すら、真がどうかも怪しいと言える」
「ええっ……?!」
再び驚いて声を上げるユキ。
なおも黙って話を聞いているイッルに、ロクスはふっと鼻を鳴らして続けた。
「可能性は、挙げだせばきりが無いものだ。先程言った、地下からどこかに出入り口が繋がっているという可能性もある。無論、他の可能性もあろう。
だが、仮説を裏付けるために事象があるのではない。事象を積み重ねた先に真実が明らかになるのだ。
偏った思考は真実への扉を閉ざすことになる。これは、学者としての忠告だ」
「ご忠告、ありがとう」
イッルは穏やかに言って、最後にロクスに問うた。
「あなたは、このあたりに住んでるの?」
「この林の中に小屋を構えている。このすぐ先だ」
「そう。何か訊きたいことが出来たら、お邪魔しても構わないかな?」
「居れば対応はする」
「ありがとう。じゃあね」
イッルがひらひらと手を振ると、ロクスは無言で踵を返し、林の中へと歩いていく。
イッルとユキは、その様子をじっと見送るのだった。

乙女の想い人

がちゃ。
「失礼、少し聞きたいことが……」
「あら」
村の長老の家を訪ねたワーデンは、ドアを開けたところにいたフィリーにぶつかりそうになって足を止めた。
「おや、先客か」
「あんたも、長老に用?今少し、お部屋の準備をしてもらってるんだけど」
「ああ、少し話を聞きたくてね」
とそこまで言って、声を潜めるワーデン。
「……オード君が雇った冒険者かい?」
フィリーはわずかに目を見開いて、そしてこちらも声を落とした。
「…あんたは?」
「失礼。私はワーデン。この村でオード君の依頼を受けたんだ」
「そう。イケメンが加わって嬉しいわ」
冗談とも本気ともつかぬ口調で軽く言って。
「じゃあ、私とあんたは偶然居合わせた別々の冒険者っていうことで」
「了解」
小声でそう言いあったところに、がちゃりと戸が開き、長老と思しき小柄な老人が入ってくる。
「お待たせいたしまし……おや。新しいお客さんですかな。それともお知り合いか」
「いや、別口です。彼女の方を先にどうぞ」
ワーデンが笑顔で促すと、フィリーは肩を竦めた。
「別に、私は一緒でも構わないけど?聞かれて困る話でもないし、待たせるのも可哀想だし、別々にもてなさなきゃならない長老さんも大変でしょ。長老さんさえよければだけど」
フィリーの言葉に、長老もふむと頷く。
「儂はそれで構いませんぞ。よろしいですかな」
「もちろん。畏れ入ります」
ワーデンも笑顔で頷き、3人はそのままリビングへと移動した。

「それで、儂に聞きたいこととは?」
リビングに腰を落ち着け、用意された茶を飲んで一段落してから、長老は改めてフィリーに訊いた。
頷いてカップを置き、話し始めるフィリー。
「名乗らずにごめんなさい。私はフィリー。ルナウルフの噂を聞いて、腕試しにやって来たの」
「ルナウルフ……ですか」
長老の表情が曇る。
フィリーはそれは気にならない様子で、続けた。
「この村で一番長生きしているあなたなら、何か知ってるんじゃないかと思って。
教えてもらえるかしら?」
「……あまり、儂も詳しくは知りませんが、それでよければ」
あまり気が進まない様子で答える長老。
フィリーは早速質問に入った。
「ルナウルフを目撃したことはある?どんな姿をしているかわかるかしら」
「いや、儂は金山に入ったことはありませんから、見たことはないですな」
「金山の外には出てこないということ?」
「生贄の選定のとき以外は。でなければ、生贄を捧げる意味がありませんからな」
ルナウルフの名前を出してきたということは、生贄のことも当然知っているのだろう、という様子で、長老はためらいなく生贄のことを話す。
「そう。ルナウルフはいつ頃から出現している?」
「さあ…大昔から、ということくらいしか。儂が生まれたときにはもうおりましたからな」
「そうなのね。ルナウルフに挑戦したことのある人はいる?」
「挑戦、とは、貴女のように戦いを挑むという意味でよろしいですかな?」
「ええ、そうよ」
「儂が知る限りでは、おりませんな」
「そう…」
ふむ、と唸って、フィリーは続けた。
「生贄になった少女たちはどうなった?骨が残っているのか、服が残っているのか、または全く残っていないのか」
「…何も残っておらん、と聞いております」
「聞いている、っていうのは、誰から?」
「村長からです」
「なるほどね…」
もう一度嘆息して、さらに続けるフィリー。
「ルナウルフって言うからには月に関係してそう。生贄の指定日は満月だったりする?」
「さよう。10年に1度、月が黄金のような輝きを見せる夜に、乙女が捧げられることになっております」
「過去の生贄に差し出した当日の月齢も満月だったりするの?」
「そういう決まりになっておりますからな」
そこまで話して、長老はふうと溜息をついた。
「フィリー殿は、ルナウルフを倒すつもりでおられるのか」
「ええ、そのつもりだけど?」
悪びれることなく返すフィリー。
長老は次にワーデンの方を向いた。
「貴方は……」
「ああ、失礼。私はワーデン。今回捧げられる乙女の恋人であるオードくんの頼みを受けて協力しているんだ」
ためらうことなく素性を明かしたワーデンに、フィリーがわずかに目を見開く。
長老はため息をついた。
「……そうですか。では貴方にも申し上げよう」
ゆっくりと顔を上げて、2人を交互に見やって。
「…余計なことは、なさらないが良い。悪いことは言わない、ルナウルフのことは忘れて、村を去りなされ」
「どういうこと?」
眉を寄せてフィリーが問い返した。
「ルナウルフを恐れているなら、それを倒せるかもしれない人間はウェルカムだと思ってたんだけど。違うの?」
「失礼を承知で申し上げましょう。貴女が、貴方がたがルナウルフを倒せるという確証はどこにあるのですかな?
もし貴方がたが返り討ちに遭い、その命を落としたとしよう。人間に逆らわれたルナウルフが、村の者を皆殺しにしたら、貴方がたは何の責任を取れると仰る?命の無い者に責任は取れませんがな。儂らに、貴方がたと心中をせよとおっしゃるのか?
勝てるかどうか分からぬ戦いに命をあずける気は、少なくとも儂にはない。村の他の者も同様です」
「それは……」
口ごもるフィリー。
確かに、名前と10年に1度生贄を求めるということ以外何も分かっていない魔獣を、倒せると断言するのは危険だ。
「でも、だからこそこうして前もっていろいろ調べてるんでしょう?」
「儂が知っている以上のことを知る者は、この村には村長くらいしかおりますまい。
そもそも、生贄とルナウルフの名を出して、答える者がおるとは思えん。
そして、村長はルナウルフに手を出そうという輩だとしれば追い出しにかかるでしょう。
今なら、儂も口を閉ざしましょう。何も起こらぬうちに、村を去られるがよかろう。
問題の満月の日まで、今日を入れてあと3日。それまでに村を出なされ、悪いことは言わん」
「待ってください、それは余りにも一方的すぎやしませんか」
身を乗り出したのはワーデンだった。
「村の人だって生贄なんて本当は出したくないでしょう。きちんと調べて考え直してみませんか。なぜ人間の生贄で無いとダメなのか、とか、なぜ十年おきなのか、とか」
「調べて考え直したところで、ルナウルフをどうにかせねば何にもなりますまい。そしてルナウルフを倒すという話になるのでしたら、先程の話になる。やってみて失敗したら、貴方がたに責任は取れますかな。倒せるだけの確証はありますかな」
「それを言われては、話が終わってしまうのだけれどね……」
苦い顔をして頭を掻いて。
「…少なくとも、村長の説明だけではオードくんは納得していない。ヴィーダまで行って冒険者に依頼を出す行動力の持ち主ですから、引き下がってもらうにしてももっと確実な情報が必要でしょう」
「ふむ……」
オードの名を出され、長老は困ったように眉を寄せた。
ワーデンはさらに続ける。
「それに、オードくんも自分やフレイヤさんのことだけ考えているわけではない、というのはご存知かと思います。彼はフレイヤさんを連れて村を出る、という身勝手な選択はしなかった。彼も彼なりに、村のことを思って行動しているんです。
彼の気持ちも、もう少し汲んではもらえませんか」
「おっしゃりたいことは、解りますがな。ならば、不安に思う儂ら村人の気持ちも汲んでくだされ。
儂らは冒険者の方々のようには強くない。オードのように勇気を持てと、簡単に言うことは残酷です」
「……では、もう何も教えていただけないのでしょうか」
悲しげにワーデンがそう言うと、長老は暗い表情で首を振った。
「儂もオードのことは気の毒に思う。知っていることは教えましょう。だが、儂がそれほど多くのことを知っているとは思えん。
村長にも貴方がたのことは黙っておりましょう。しかし、ルナウルフを相手にするならばいつかはぶつからねばならぬ相手です。
それはお気に留め置かれると良い」
「ありがとうございます」
少し表情を緩めて、ワーデンは質問を始めた。
「先ほど、ルナウルフがいつからいるのかはわからない、ということでしたが」
「うむ」
「生贄の儀式自体は、どういう経緯で始まったかご存知ですか」
「いや…なにぶん昔のことでな。そこまでは儂も知らんのですよ。知っているとしたら村長になるでしょうな」
「そうですか……過去、生贄を拒否したときに何が起こったか、ご存知ですか」
「はて……そのようなことがあったとは聞いたことがありませんが」
「そうなんですか?」
ワーデンはきょとんとしたが、すぐに気を取り直して質問を続けた。
「過去に生贄になった人は、どこの家のどういう人だったんですか」
「儂の記憶にあるのは4人ほどですが……前回の生贄は、ナンナという子でした。明るくていい子でしたよ」
「その、ご家族とかは?」
「ナンナは母一人子一人だったのですがな、ナンナが居なくなってから気力を失ってしまいまして…5年ほどして、病気でこの世を去っているのですよ」
「そうなんですか……」
「バルドルにも、可哀想なことをしたと思います。オードを見ていると、昔のバルドルを見るようで胸が痛い」
「……バルドル、とは?」
初めて聞く名前に眉を顰めて問うワーデン。
長老はため息をついて、彼を見返した。
「ナンナの恋人です。将来を約束した仲でした」

トントン。
長老に教えてもらったバルドルの自宅を訪ね、扉をノックすると、ややあって静かにドアが開いた。
「はい?」
扉のむこうから顔をのぞかせたのは、30代半ばほどの男性。淡い茶色の髪を短く刈り上げ、きつい表情の赤い瞳にも、少しこけた頬や丸い背中にも、疲れの色が濃く見える。
ワーデンは彼に向き直ると、声を低くして問うた。
「失礼。バルドルさん、かな?」
「……そうだけど?誰だあんた達、村の人間じゃねえな?」
不審げに眉をひそめて問う男性……バルドル。
ワーデンは姿勢を正して会釈をした。
「私はワーデン。オードくんから、生贄を止めるために雇われた冒険者だ」
「…冒険者?」
バルドルの瞳にぎっと強い光が灯る。
「前回の生贄のことについて、少し話を聞きたいんだが……」
「あんた達」
ワーデンの言葉を遮るように、バルドルは強い語調で言った。
「ルナウルフを倒すつもりなのか?」
ワーデンは一瞬言葉をなくして口をつぐむ。
と、隣にいたフィリーが答えた。
「そのつもりだけど?」
すると、バルドルはそちらにもぎっと鋭い視線を向ける。
「……やめておけ」
「は?」
「あんた達にルナウルフは倒せない。
もうこの村のことに首を突っ込むな。さっさと帰れ、そして忘れろ」
「な……」
あまりの言いざまにフィリーが何か言い返そうとするが、それを遮る勢いでバルドルは更に言った。
「あんたたちに話すことは何もない。帰ってくれ」

ばたん!
大きな音を立ててドアが閉められ、がちゃりと鍵のかかる音がする。

取り付くしまもなく閉ざされた扉を呆然と見やってから、ワーデンとフィリーは言葉もなく顔を見合わせるのだった。

To be continued…

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