幸せになるのは私のはずだったの。
その幸せをあいつが奪っていったの。
私がもらうはずだったすべてを、横から現れてさらっていった。
だから、私はそれを取り返すの。
私がもらうはずだったものを。

私がもらうはずだったすべてを。


私がもらうはずだった幸せを。



それさえ取り返せば、私は幸せになれるはずなんだから。




はず なんだから

「て、いうかなんなわけー?!あれはー!
レヴィは前々からちょっとどうかと思ってたけど、これでさっぱりきっぱり怒髪天よー!!」
やっと事態を把握したレティシアが、声を大にして憤慨した。
「まったくだよねー!リィナたち普通に駒ってこと?!ああもおぉ、頭くるなー!」
横にいたリィナも、同様に声を荒げる。
「レ、レヴィニアさん自身が村を滅ぼした人だったなんて…。あ、あんなに辛そうにしてたのに…あんなにパフィさんを追い詰めて、全部…演技だったんですね。
あ、あんな力のために自分の一族を殺したなんて、人の命をいらなくなった道具みたいに……そんなの許せない!」
コンドルは、うっすらと涙すら浮かべて怒りを表す。
他の冒険者たちも、怒りでこそないが複雑な思いをそれぞれに抱えているようだった。
「もー、怒ったからね!レヴィに一言物申してやらなきゃ気が済まない!」
「レティシアさん、少し落ち着きましょう」
ミケが苦笑して言い、レティシアはそちらを向いた。
「でも…」
「それより先に、僕たちにはしなくてはいけないことがあると思います」
自分に言い聞かせるように言って、ミケはパフィの方を向いた。
「…パフィさん。すみませんでした。
変に首を突っ込んで、クリムゾンアイズを取られるようなことになってしまって」
「え……」
きょとんとするパフィ。
それに習うようにして、オルーカも申し訳なさそうに頭を下げる。
「私にも、謝らせてください、パフィさん。本当にごめんなさい。
守るなんて言葉を述べておきながらこんなことに…。
軽々しい発言をして、結局私はクリムゾンアイズを奪われるまでただ見ていることしか出来ませんでした…本当にすみませんでした」
「お、オルーカー、頭上げるのー。パフィ、オルーカたちが悪いなんて思ってないのー」
パフィはあわててオルーカに駆け寄り、肩に手を置く。
「俺もパフィも、レヴィニアに雇われただけの君たちを責める気持ちはまったくないよ。君たちだって、目的を知らされずに駒として扱われていただけだったんだろう?」
フカヤもやわらかく微笑んで言う。オルーカは沈んだ表情のまま首を振った。
「ありがとうございます。でも申し訳ないです。調子のいいことを言いながら、結局最悪の事態を招いてしまいましたから…」
「君たちは、君たちに出来る精一杯をしたんだろう?これからも、君に出来る精一杯をやればいいだけのことだよ」
「フカヤさん…」
オルーカはフカヤを見上げ、少しうつむいてから吹っ切れたように顔を上げた。
「…そうですね。逆に慰められてしまって、お恥ずかしいです。
私は私に、できることをやります。どうか、お二人に協力させてください」
「及ばずながら、僕も協力させてください。自分で招いた事態の収拾のために」
ミケも胸に手を当てて続く。
「もちろん私も!レヴィもいろいろ物申したいし、パフィを手伝うよ」
レティシアが真剣な表情で言い、リィナも続いた。
「リィナも!こうなったのはリィナ達の行動のせいだもん。このままじゃ、終われないよ」
「私も協力させてください。リィナさんと同じく、このままで終わるのは自分自身にも納得が行きません。どうなるかはわかりませんが…自分にできる精一杯のことはしたいと思っています」
神妙な表情でマジュールが言い、コンドルもおずおずと続いた。
「ぼ、ボクもお手伝いさせてください…」
「無論、俺もだ。このままで終わっては寝覚めが悪いからな」
千秋も続けて手を上げる。
次々と協力を申し出る冒険者たち。ミケは残りのメンバーに視線を向けた。
「他の方々は、どうなさいますか」
淡々と問うと、アーラが嘆息して答える。
「……俺は、降りる」
椅子から立ち上がって、くるりときびすを返して。
「……依頼は終えた。事態が込み入っているようだ、これ以上の深入りはするつもりはない。
レヴィニアのしたことは良い事だとは思えんが、俺が立ち入るべき問題でもない。
世話になった。失礼する」
立ち去るアーラを、無言で見送る冒険者たち。
ミケはそのまま、視線をホームズに移した。
「…ホームズさんは?」
ホームズは複雑そうな視線を返す。
「…こうしてる間にも、メルスさんは悪事に利用されているかも知れない。早く追って引き止めないと。みんなは戦う気満々なの?」
咎めるような視線に、やはり複雑そうに顔を見合わせる仲間たち。
ホームズは続けた。
「もしも、メルスさんがクリムゾンアイズを手に入れたとき、明らかな殺意を向けられたなら、僕も自衛のために応戦できたけど。彼女は僕らの前から姿を消してくれたわけだし、戦うつもりがないんだよね。それなら僕も戦えないよ」
「では、戦わずに、彼女を引き止めるということですか?」
「うん。今僕は、多くの人の命を救う仕事に従事している。それなのに、たやすく人を傷つけられないよ。メルスさんは今まさに、破壊行為を行っているわけでもないし。もし、僕らが行ったところでそうした行為をしているのなら止めさせればいい。
過去の罪に遡って、死をもって償えと強要するのは、殺人に等しい。オルシェさんもそれは望んでいなかった。罪は償えばいい。
それに…そう、メルスさんを助けようと思って依頼を受けたのにメルスさんと敵対したら意味がないと思わない?なにより一貫性に欠けていて無責任でしょ?」
「ホームズさん、少し落ち着いてください」
ミケは冷静な様子で嘆息した。
「ならばなぜ、ホームズさんは『過去の罪に遡って、死をもって償えとする』まさにそのものの『敵討ち』の依頼を受けたんですか?ホームズさんの発言こそが、一貫性に欠けていると思いませんか?」
「…っ、それは…」
「それに。レヴィニアさんの依頼は、彼女が虚偽の事実を提示して僕らに依頼をしてきたのだと判明した時点で依頼そのものの意味を失いました。僕らは、彼女の『村を滅ぼした敵を討つのに協力してほしい』という言葉を信じたからこそ依頼を受けたんです。彼女が嘘を言っていた以上、僕らが彼女に協力する意味はなくなります。それを無責任だとは僕は思わないし、おそらく他の誰も思わないでしょう」
ホームズは苦い表情で眉を寄せた。
「…っ、それに、メルスさんは確かにクリムゾンアイズの力を手に入れて強力になってしまったけど、それを理由に危害を加えるのは、いまいち理解できないよ。
だって彼女より強力な力をもった人はゴロゴロいるわけだし。たとえば魔族の少年とかね。100年間メルスさんに指示を送っていたのは、彼等のようだし。
なら、司令塔をやっつければいいわけだ。魔族だからそれは難しい、それならばメルスさんを…。といって切り捨てては、彼女が被害者になってしまうでしょう」
「繰り返しになりますね。ではホームズさんは何故、レヴィニアさんの依頼を受けたんですか?
パールフィニア・セラヴィという女性が、クリムゾンアイズの力を使って悪事を働いたとか、国を滅ぼしたという話は聞かない。『それを理由に危害を加えるのは、理解できません』。それこそ、クリムゾンアイズの力などなくても、強力な敵はそこらにゴロゴロしているでしょう。僕らが行ったところでパフィさんが破壊行為をしているならそのときにやめさせればいいだけの話、罪を死をもって償えとするのは殺人で、あってはならないこと、なんですよね?」
言葉に詰まるホームズ。
ミケは軽くため息をついた。
「…お判りですよね。レヴィニアさんがパフィさんに言っていたこと、それがそっくりそのまま、今のレヴィニアさんに当てはまるんです。村を滅ぼしたのはレヴィニアさんだった。彼女は僕たちを騙し、パフィさんからクリムゾンアイズを奪い去った。クリムゾンアイズの力を手に入れる、ただそれだけのために村ひとつを滅ぼした女性が、この先災いをもたらさないとは思えない。だから彼女を討ち、クリムゾンアイズを取り返すんです」
力のこもったまなざしで、自分に言い聞かせるように、続ける。
「レヴィニアさんに力を与えてしまったのは…直接ではないにしろ、彼女のたくらみを見抜くことができなかった僕たちにも、責任があります。その責任を取る、なんていうおこがましいことは言えないかもしれない。けれど、何もしないではいられないんです」
「何もしないでいられないから、メルスさんを殺すの?そんなの…そんなのおかしいよ」
訴えかけるように、ホームズ。
ミケは淡々と答えた。
「ホームズさん。昨日、レヴィニアさんたちに自分を重ねて見てしまうと仰っていましたね。そうまでしてレヴィニアさんを庇うのは、そのせいなのではないですか?」
「…………」
「ホームズさんのレヴィニアさんを思う気持ちは、それ自体はとても大切な、尊い気持ちだと思います。だったらなおさらのこと、それを正当化させるような理屈はつけない方がいい。助けたいから助ける、それでいいじゃないですか」
「…だって」
ホームズは眉を寄せて、ミケを睨むように見つめた。
「まだわからないことが残ってる。それをすべて明かすまで、これで終わりとはいえないよ。
だってそうでしょう、大体動機がわからないよ。最初は僕、メルスさんはセラヴィさんだけを憎んでいるのかと思ったけど。
クリムゾンアイズを手にいれたメルスさんはさっさと姿を消してしまうし。クリムゾンアイズが欲しいだけなら、村を丸ごと襲わせるこはなかったず。死んでしまった人たちのなかには、メルスさんのお父さんやお母さんも混ざっていたんだから」
「…そ…そうですよね、レヴィニアさん……な、なんであんな力を手に入れる為にじ、自分の家族まで殺せたのかな。な、なんでそんなに大きな力が欲しかったのかな…。か、家族なんてどうでもいいって思ってるのかな…」
コンドルが悲しそうに俯いて、続く。
と。
「……待ってー」
呆然とした表情で、パフィがそれをさえぎった。
「…レヴィおねえちゃん……村が滅ぼされたときに、自分の家族も殺されたって……そう言ってたのー?」
冒険者たちが怪訝な表情をしてそちらの方を向く。
「パフィ、何か知ってるの?」
レティシアが問うと、パフィは眉を寄せて首を振った。
「レヴィおねえちゃんには、パパもママもいないはずなのー」
「いない?」
眉をきつく寄せるホームズ。
「それは、本当のことなの?」
「本当なのー。パフィ、小さかったからよく覚えてないけどー…パパは、パフィが生まれたときからいなかったはずなのー。ママは、あの事件があった1年位前に、病気で亡くなってるのー」
「お父さんはどうしていなくなっちゃったの?亡くなったの?」
レティシアが訊き、パフィは首をかしげた。
「…わからないのー。でも、多分そうだと思うのー。理由は知らないのー」
「本家と分家、って言ってたけど……」
レティシアが片眉を顰めて質問を続ける。
「分家っていうだけで、そんなに扱いが違うものなの?パフィに対してそんなに憎しみを抱くほどに…なんかそれって、変な気がしない?」
「そうですね、それを受け継ぐ受け継がないで差別が行われた時点で、村にとってクリムゾンアイズの力は福ではなく災いをもたらしていると言わざるを得ません」
ミケもまじめな表情で頷く。
パフィは悲しそうに眉を寄せた。
「そんなことないのー。パフィの村、いた人の数も少ないし、みんな親戚みたいなものなのー。クリムゾンアイズは確かに、パパの家系しか知らない秘密だったけど、それを持ってたからってえらいっていうわけじゃなかったのー。みんな仲良くて、助け合って生きてたのー」
「でも、レヴィはクリムゾンアイズがないせいで不幸だって思ってたわけよね?それはどうしてなんだろ?」
腑に落ちない表情で、レティシア。パフィは眉を寄せたまま考え込んで…ふと、何かに思い当たったようだった。
「……でも……そういえば、レヴィおねえちゃんとおばさんを、みんな避けてたような気がするのー。パフィのママは、おばさんとはよくお話してたけどー…病気になったときも、よく家に行ったりしてたし…でも、考えてみればママ以外の人がおばさんの家に入るの、見たことないのー」
「お母様と叔母様は仲が良かった、と仰っていましたね」
マジュールが言い、そちらに向かって頷く。
「では、パフィさんのお母様以外の村の方たちは、レヴィニアさんの家族を…その、避けていた、と」
「…今考えると、そんな気もしてきたのー。メリィおねえちゃんも、レヴィおねえちゃんに睨まれたりしてた時に、相手にしちゃダメって、冷たい感じがしたのー…お姉ちゃん、優しかったのにー…」
「それは、レヴィニアさんが分家だから、ということですか?」
「違うと思うのー。さっきも言ったけど、パフィの村、みんなが親戚みたいなものなのー。レヴィおねえちゃんも分家だけど、そういう言い方をするならほかのみんなもみんな分家なのー」
「しかし、片親がおらず母子二人で生活をしている少女を、言い方は悪いですが村八分のような状態にするのには何か訳があるのでは?」
「んー……わからないのー、ごめんなのー」
「ふむ……」
顎に手を当てて、考え込むミケ。
「……メリィさんとレヴィニアさんは、どちらが年上だったんですか?」
突然の質問に、きょとんとするパフィ。
「…レヴィおねえちゃんのほうがずっと年上だったと思うのー。…それが、どうかしたのー?」
「………もし、メリィさんとパフィさんが生まれていなかったとしたら」
真剣な表情を、パフィの方に向けて。
「…クリムゾンアイズを受け継ぐはずだったのは、誰、なんでしょうか?」
仲間の何人かが、はっとして顔を上げる。
パフィは少し考えて…浮かない表情のまま顔を上げた。
「…わからないけどー……パパには兄弟はいなかったからー…分家の中で一番近い人がなるんだと思うのー…」
「…レヴィニアさんにも、その可能性が?」
「……ママが、分家の中でも一番近い人だったからー…その可能性は、あるのー…」
パフィの表情から、急速に温度が失われていく。
彼女にもだんだんと構図が見えてきたのだろう。
レヴィニアの父親がいなかった、その理由も。
妻の姉は本家の者と結ばれた。が、その間になかなか子供はできなかった。このままで行けば、自分の娘が秘宝を受け継ぎ、分家から本家に取って代わることすらできるだろう。
しかし、姉に子供ができたことで、その夢は叶わぬものとなった。
夢叶わなかった彼が、何をしたのかはわからない。が、結果として残されることになった妻と娘が、村中から遠巻きにされていたことを考えれば、その内容も想像がつくというものだろう。
「…でも……でも、やっぱりそんなのっておかしいよ、逆恨みじゃない」
複雑そうな表情で、それでも吐き捨てるように言うレティシア。
「自分が得られなかったものをパフィが持っていてのうのうと暮らしてる、とか…どう考えても言いがかりでしょ?話を聞けば、本家と分家でそんなに扱いが違うわけでもないみたいだし…」
「…でも、レヴィおねえちゃんにしてみたら、パパがいなくなったのも、村のみんなに避けられて病気になっちゃったママが亡くなったのも、みんな、パフィたちがクリムゾンアイズを持っていたから、なのー……レヴィおねえちゃんが、パフィに家族を殺されたっていうのは…半分くらいは、レヴィおねえちゃんの中では本当のことなのー…」
パフィが悲しそうに俯く。
「でもだってそれは、レヴィのお父さんの自業自得であって、パフィのお父さんやお姉さんのせいじゃないでしょ?ましてや、パフィは全然関係ないじゃない。筋違いよ、おかしいわ」
「恨むのが筋違いだって、わかってたら悲しみは消えるのー?」
顔を上げ、レティシアの方を向いたパフィは、うっすらと涙を浮かべていた。
「パフィ、今までずっとレッドドラゴンが嫌いだったのー。パフィの村を滅ぼしたレッドドラゴンじゃないってわかってても、レッドドラゴンを見るだけで泣きたくなって、辛くて憎くてたまらなかったのー。パフィ、ずっとそれが、レッドドラゴンが悪いからだって思ってたのー」
ぎゅ、と手を握り締めて、続ける。
「憎まれた方がどんな思いになるかとか、もしかしたらパフィが正しくないかもしれないなんてこと、ぜんぜん考えなかったのー……ううん、きっとパフィ、わかってたのー。わかってたけど考えないようにしてたのー。そうしないと、気持ちが治まらなかったのー」
「パフィ……」
そっとつぶやくフカヤ。
「今ならわかるのー。
レッドドラゴンを傷つければ、レッドドラゴンさえいなくなれば悲しくなくなると思ってたパフィは、パフィがいなければ、クリムゾンアイズさえあればすべてがうまくいくと思ってたレヴィおねえちゃんと一緒なのー。それだけしか考えられなくて、それだけしか耳に入らないのー。
でも違うのー。レッドドラゴンがいなくたって、クリムゾンアイズを手にしたって、パフィたちの胸にドロドロしてるものはなくならないのー。
それは、パフィたちが、パフィたち自身と、戦って消していかなきゃいけないものなのー。
…フカヤ、みたいに」
フカヤを見つめ返して、パフィ。
「…じゃあ……ぱ、パフィさんは、レヴィニアさんのことが、に、憎くは、ないんですか……?」
おそるおそる問うコンドル。
パフィは目を閉じて首を振った。
「パフィとレヴィおねえちゃんは、同じなのー。憎むことはできないのー」
「じゃあ…じゃあ、どうしてメルスさんを殺すの?憎くない相手を殺すなんて…そりゃあ、憎ければ殺していい訳じゃ絶対ないけど、おかしいよ」
訴えかけるようにホームズが言うと、そちらの方に強い視線を返す。
「パフィは、レヴィおねえちゃんを殺すとは言ってないのー」
「えっ…」
きょとんとするホームズ。
パフィは続けた。
「パフィだけじゃないのねー、ミケたちも、みんな、レヴィおねえちゃんを殺すとは一言も言ってないのー。言ってるのは、ホームズだけなのー」
「そ…んなこと…」
うつろな瞳で思い返すホームズ。
確かに、殺すと言う彼女の言葉を否定した者はいなかったが、殺すとはっきり口にした者もまたいなかった。
「じゃあ…じゃあ、メルスさんは殺さないの…?」
かすかな希望にすがるような声を出したホームズをじっと見つめて…パフィは、目を閉じた。
「…パフィの目的は、レヴィおねえちゃんからクリムゾンアイズを取り戻すことなのー」
「取り戻す…って、どうやって?」
レティシアが問うと、目を開いてそちらの方を向く。
「あの魔族のコが、パフィの体を使ってやったことと同じことを、レヴィおねえちゃんがパフィにすれば、クリムゾンアイズはパフィの中に戻ってくるのー」
「で、でも、そんなことレヴィがするかな……」
不安そうに、レティシア。
パフィは再び目を閉じた。
「…パフィの望みは、昨日、レティシアたちに言ったとおりなのー。
クリムゾンアイズがあるから、こんな争いが起きるのー。パフィは、クリムゾンアイズを、もう誰の手にも渡さないで、このまま消してしまいたいのー。レヴィおねえちゃんがパフィにクリムゾンアイズを返す気がないなら、クリムゾンアイズ自体をなくしてしまいたいのー」
「それは…どういうことでしょう。
例えば、クリムゾンアイズがレヴィニアさんのところにある状態のまま彼女を倒したとして…有体にいえば再起できない状態にまでしてしまったとして、クリムゾンアイズはどうなってしまうのでしょうか?」
マジュールが問うと、パフィは眉を少し寄せて複雑そうな表情を作った。
「持ち主が力を継承させずに亡くなった場合、その力はムウラ様の元に帰るのー」
「つまり…クリムゾンアイズはそのまま消滅する、と」
「そうなのー。
パフィは、パフィの中にクリムゾンアイズを宿したまま、誰にも継承させずに一生を終わらせたかったのー。
だから、今パフィが望むのは、クリムゾンアイズの消滅、なのー」
「…それは……レヴィニアさんが返さないよって言った場合は、攻撃しても構わない、ってことでいいんだよね?」
真剣な表情でリィナが言うと、パフィは目を開いてそちらに頷いた。
「…そんな…」
肩を落とすホームズ。
「…ですが、本当に保持者が死ねばクリムゾンアイズはなくなるんですか?」
眉を寄せて、ミケ。
「無理やり子供に受け継がれたりとかしないんでしょうか…」
「それはないと思うのー。あの魔族のコが言ってた通り、クリムゾンアイズが一子相伝で、前の持ち主が認めない限りは受け継がれなかったのは、万一よくない人に狙われた時に、クリムゾンアイズごと眠るためなのー」
「…そういえば、そんなことを言っていましたね。
ではなおさら、レヴィニアさんにクリムゾンアイズを返してもらうか、さもなくば…という二択になるわけですね」
「あの…パフィさん、クリムゾンアイズはどうあっても、レヴィニアさんの元にあってはまずいのでしょうか?」
恐る恐るといった様子でたずねるオルーカ。
パフィがそちらの方を見ると、オルーカは言葉を続けた。
「例えば…レヴィニアさんが改心して、クリムゾンアイズを悪用しない状態になったら…とか…」
「いや、そんなことになったらレヴィニアさんはクリムゾンアイズを返してくれると思いますが…」
ミケに言われ、しょげ返るオルーカ。
「そ、そうですよね……あの、では、死なせるまでもなく、眠らせる…とかではダメなんでしょうか?」
胸の前で手を組んで、祈るようにして。
「私は、できるなら、レヴィニアさんを死なせることで解決をしたくない、と思うんです…何か、何か他の解決の方法があれば…」
「私も、同じ考えです。命を奪うということは出来るならしたくありません。
当然、レヴィニアさんの出方にもよるわけですが…」
マジュールも複雑そうな表情で同意する。
「パフィ……オルーカと似た質問になっちゃうけど…どうしても、クリムゾンアイズは消滅させなくちゃならないの?それでパフィはいいの?レヴィと結果的には…同じ事をしちゃうことには…ならない?」
レティシアが言い、パフィはそちらを向いた。
レティシアは自分でも上手く言えない様子で、続ける。
「そりゃあ、レヴィのしたことはひどいと思うし、許せないし、言ってやりたいことも山ほどあるわよ。…けど、だから死なせて解決しようっていうのは、私も、それはホームズの言う通りだと思うの。
ゴメンね。パフィにとってクリムゾンアイズが大切なものだってわかってるのに…こんなこと言って」
レティシアが申し訳なさそうに俯いて言うと、パフィは苦笑した。
「レティシアは優しいのねー。パフィも、できればレヴィおねえちゃんを死なせたくないのー」
「じゃあ…」
顔を上げたレティシアに、パフィは苦笑したまま首を振った。
「もう決めたことなのー。それでレティシアが苦しいなら、レティシアはついてこない方がいいのー」
にべもないパフィの言葉に、レティシアは再び悲しげな表情になる。
「……そう……だよね…。でも、もし、レヴィがクリムゾンアイズを返すって意思が見えたときは、その時は許してあげること…できる?」
レティシアの瞳に宿る切なげな輝きに、パフィはまた苦笑した。
「パフィは、レヴィおねえちゃんが許せないから戦うんじゃないのー。
レヴィおねえちゃんがクリムゾンアイズを返してくれるなら、パフィにレヴィおねえちゃんを嫌いになる理由はないのー」
「そう……よかった…」
安心したように息をつくレティシア。
が、それはあくまでも、レヴィニアがクリムゾンアイズを素直に返したら、の話で。
冒険者たちは複雑な顔をしつつも、それについては口をつぐんだ。
「パフィさん…レヴィニアさんと戦う策は…あるんですか?
クリムゾンアイズというのは、所有者に強大な力をもたらす…んでしょう?」
オルーカが問うと、パフィは表情を引き締めた。
「…クリムゾンアイズの力を抑える方法は、ないのー。パフィの力は及ばなくても、立ち向かうしかないのー」
「そう…ですか…それほどの覚悟を……」
オルーカも同様に表情を引き締める。
「大丈夫だよ、パールフィニアさん!リィナたちがついてるから!
一人じゃ負けちゃうかもしれなくても、みんなで力を合わせればきっと、レヴィニアさんの力にも対抗できるよ!」
励ますようにリィナが言い、パフィはそちらに向かって微笑んだ。
「ありがとなのー、リィナ」
「えへへ。あっ、もう依頼人の仇じゃないんだし、パールフィニアさんって呼ぶのも長いから、リィナも他の人たちみたいに『パフィちゃん』って呼んでいい?」
「もちろんなのー」
「ありがと!じゃあパフィちゃん、さっそくみんなで作戦立てよう!相手が強力なら、しっかり作戦立てないとね!」
やる気満々の様子のリィナ。
その様子にミケが少し表情を崩して、仲間の方を見た。
「…そうですね。そろそろ夕飯時ですし、軽くご飯でも食べながら作戦会議といきましょう。
どのみち、今日はもう日が落ちてしまいますからレヴィニアさんを追うのも難しいでしょうし。
風花亭に…戻りましょうか」
その言葉に無言で頷く仲間たち。
「…メルスさんの居場所は?心当たりはあるの?」
一人頷かなかったホームズが問うと、パフィがそちらを向いた。
「パフィが占いで調べるのー。大丈夫なのー、絶対にわかるのー」
ホームズはそっけない態度でわずかに嘆息した。
「…そう。こう人がいたんじゃ僕の予知も難しいだろうから、それは君の力を頼りにしようか。
…だけど、僕はメルスさんを攻撃する作戦には乗れない。出発するのは明日なんだろう?その時に風花亭に来ればいいよね。じゃ、僕は先に帰らせてもらうから」
淡々とそう言い残して、ホームズは部屋を出て行った。
「ホームズ…どうするつもりなのかな…」
心配そうにレティシアが言うと、ミケがわずかに眉を寄せた。
「レヴィニアさんを殺したくないという僕たちの気持ちが、あまり伝わったようにも思えませんしね…殺すと決めつけてかかって、それに強烈に反発していたのは…ホームズさん自身が、レヴィニアさんの罪がそれほどのものだと思ったということなのではないでしょうか」
「ホームズも、レヴィおねえちゃんと一緒なのー。それだけしか見えなくて、それだけしか耳に届かないのー」
悲しそうなパフィの声。
広い会議室に、沈黙が落ちた。

「レティシアさん。こんなところにいたんですか」
後ろから声をかけられて振り向くと、ミケの姿。
「ご飯を食べ終わった後から姿が見えないから、心配しましたよ。どうしたんですか、こんなところで」
こんなところ、とは、風花亭の屋上。普段はあまり人が出入りすることもなさそうだが、従業員専用ということもなく普通に客も出入りできるようだった。
レティシアは苦笑して、再びヴィーダの夜景に目をやる。
「なんだか…怖くなっちゃって」
「…怖く…?」
いつもとは違うレティシアの様子に、真剣な表情になるミケ。
「レヴィがもしクリムゾンアイズを返してくれなかったら……っていうか、十中八九そうなると思うけど……もし、そうなったら…
…パフィは、レヴィを殺すつもり、なのよね?そうしないと、クリムゾンアイズは解放されない、っていうことなのよね?」
あの場では、誰もはっきりとは口にしなかった事柄。
レヴィニアの命を絶つ可能性がある…否、かなり高い確率でそのための戦いをしなければならないと、誰もがわかっていつつも、その言葉を口にしようとはしなかった。
「人を…殺すこと。その手助けをすること。
言葉にすると軽いけど……人一人の命を奪う、人生を終わらせるって……とっても重いことだと思うの。それが……怖い」
真剣な瞳で言って、ミケの方をふり返り、苦笑する。
「じゃあやめればいいって、今からでも断ればいいって、自分でもそう思うよ」
「……でもレティシアさんは、それでもレヴィニアさんに会わなきゃいけない気がしたから、行くんでしょう?」
優しくミケが問うと、ゆっくりとうなずいて。
「うん…レヴィに聞きたいことがあるから。それに、パフィたちのことを思うと、何かしてあげたいって思うし。
レヴィのこと、許せないって思うけど、命は奪いたくない…って、堂々巡りでどうしたらいいのかわからないの。
…ただ、単純に…人の命を奪うっていうのが怖いだけかもしれない」
真剣な瞳のレティシアを、ミケも真剣な瞳で見つめる。
「…おそらく、僕もそう思います。僕もそれは思う。思うんですけれど……貴女よりも冒険している分……人も殺してしまったことがある分、気持ちはよく分かると思うから」
「ミケ……」
冒険者としてはごくありえることなのか、それとも衝撃的な告白なのか。
レティシアは悲しげな瞳をミケに向ける。
ミケは続けた。
「手加減できなかったら、僕らは彼女を殺してしまいます。躊躇していたら、殺されます。巻き込んでしまったパフィさんたちも」
「それは、ダメ。絶対にいけないことだと思う」
即答するレティシア。ミケはゆっくりと頷いた。
「ええ、僕もそう思います。けれど、お互いに命を懸けて、譲れないものを守りたいのなら…衝突してしまうのは、やむをえないことなんです。
もしも、どうしても怖かったら逃げていいですよ。魔法の範囲の外にいてくれて良い。殺したことがないなら、その手は汚さない方が良いと、僕は思うから」
「…ミケ……」
本心からのものだと確信できる、真に真剣な表情。
自分とは違う、この清らかな存在が…血と、何より彼女自身の悲しみや後悔で汚れるのを、本当に憂えている。
レティシアはしばらくその瞳を見つめ…そして、瞳を閉じた。
「…ゴメン。…やっぱり…逃げちゃダメだよね」
そして、目を開き、ミケの瞳をまっすぐに見つめ返す。
「ありがとう。ミケに勇気を分けてもらったら頑張れると思う。私も一緒に頑張る。…怖いけど…ね」
そのまっすぐな瞳に、悲しそうに苦笑するミケ。
「……逃げてもいいんだと思うんですけれどね。人の命を奪って良いはず、無いと思いますし」
「わかってる。やるって決めたのに…やっぱり人の命を奪うのは怖いわ。
ほら、見て」
す、と差し出した手は、かすかに、だが確かにカタカタと震えていて。
「…怖くて手が震えちゃうの。人の命を、この手で奪う…って考えただけで。
おかしいでしょう?まだ、レヴィと対峙したわけでもないのに…」
自重するように笑う。
「ね…ミケ。お願いがあるの」
「お願い…ですか?」
「うん。……手を……ギュって、握ってくれる?
震えが…止まるかもしれないから」
「レティシアさん……」
ミケは軽く目を見開いて……そして、柔らかく微笑んだ。
そして、それ以上何も言わずに、かすかに震えるその手をそっと自分の手で包み込んだ。
その場所だけ、時が止まったように…二人とも動かないまま、静かに時が流れる。
やがて、レティシアがふわりと微笑んだ。
「……ありがと、ミケ。
ミケに勇気、分けてもらえてよかった。ほら。震え、止まったよ」
「僕は何もしていませんよ。レティシアさんの心の強さです」
ミケが微笑んで言うと、レティシアは笑顔のまま首を振った。
「ううん、ありがとう。
私も一緒に、頑張るね」
「ええ、頑張りましょう。
さ、ここは冷えます。明日のこともありますし、戻ってゆっくり休みましょうね」
「うん。ミケ、本当にありがとう。おやすみなさい」
「はい、おやすみなさい。いい夢を、レティシアさん」
笑って手を振れば、レティシアもにこりと微笑んで屋上を後にする。
ドアが閉まったあと、ミケはこっそりと嘆息した。
「……冒険を始めたばかりのころ。こんな風に悩んだっけな。誰かを守りたくてつけた力なのに、誰かを殺すのは嫌だって」
そのまま、レティシアが先ほどしていたように、ヴィーダの夜景をどこということもなく眺める。
自衛のため。
仕事のため。
自分自身の怒りのため。
さまざまな理由で、人を殺め。そしてそれが当たり前になりつつある。
冒険者だから。
襲ってくるものを倒さなければ、自分の命がないから。
「自分を無理矢理納得させて……そうして、失くしてしまった。とても大切な気持ちなのに。失くしてはいけないものだったはずなのに。
本当は、ホームズさんのように…なりふり構わず守り通すべきものなのかもしれない」
ふぅ、と深く息をついて。
失くしてしまったことを、後悔はしていない。それは、自分で選んだ道だから。
だが。
「僕はそれを無くしてしまったけれど……それを持っている彼女には、それを無くして欲しくはない、かな」
静かにひとりごちて。
そして、夜の闇に再び沈黙が訪れる。

本当はどうするべきかなど、誰にもわからないのだ。
ただ、自分の思う道を貫くしかない。
たとえ、それがどんな道であったとしても――

ヴィーダからまっすぐ北へ向かう道は、あまり人の利用もなく、進めば進むほど荒涼とした岩肌が視界の割合を増やしていく。2刻も歩けば華やかなヴィーダとはまるで別世界で、人の姿も全く見かけられなくなる。もちろん、村などの集落に到着すればまた話は別だが、何日かに1回定期便が行き来するだけのその寂れた街道はもちろん手入れをする者などいようはずもなく、荒れ放題に荒れていた。
アルハムに向かう道と、ヴィールに向かう道。その分かれ目の前で、派手な紅い装束の女性が佇んでいる。
どちらに行こうか、迷っているという風でもなく。ただ方向を示す質素な看板をじっと見つめていた。
普段人気のないその道に女性が一人で佇んでいるのも珍しい光景だったが、その日はさらに輪をかけて、寂れた街道に似つかぬ客人があった。
ヴィーダの方向から、焦っていることを隠そうとしない足音が近づいてくる。
それも、1人や2人ではない。10人近くの足音が、荒れ放題になっていた街道をただひたすらに通り過ぎていった。
…そして、分かれ道で佇む女性の後ろで、足音が止まる。
あたりには他に誰もいない。そのたくさんの足音が、自分を目的に近づいてきたことなど、当の女性にはわかりきっていることだろう。
が、彼女は相変わらず看板の方を向いたまま、微動だにしなかった。
その足音の主たちのことなど眼中にないのだと、その背中で強く主張していた。
「……レヴィおねえちゃん」
一番先頭を歩いていた青い装束の少女が、浅く息をつきながら女性に語りかける。
女性はなおも微動だにしない。
少女はそれには構わずに、言葉を続けた。
「レヴィおねえちゃん。
クリムゾンアイズを、返して」
少女の方も、ただの義務といったように、感情のこもらない言葉を女性に投げかける。
女性はなおも、微動だにしない。
少女の後ろに佇む仲間たちが、焦れたように歩み出た。
「ねえ、レヴィ…どうしてレヴィはそんなにクリムゾンアイズを欲しがるの?
自分の家や、友達もいたでしょうに…一族を滅ぼしてまで…」
悲しそうに問いかける、金髪の少女。
「そうだよね。リィナもそれは不思議だったんだ」
その横にいる、栗色の髪の少女が肩をすくめる。
「百年こき使われるっていう対価を払って、村を滅ぼして。それでも足りなくてまた対価を払って、魔族の協力を得て…そうまでするほど、クリムゾンアイズって価値のある力なの?」
理解できない、といった様子で。
と、女性の肩が、ぴくりと動いた。
「…何を仰いますの?」
そのまま、その肩からゆっくりと振り返って。
「当然では御座いませんか。月の女神ムウラがわたくし達の一族に賜った力…神々の力ですのよ?
その力を戴いた者は、比類なき力と魔力を手にする…それに価値がないと仰るのでしたら、貴女方は相当の力をお持ちですのね?」
「それは、友達や村を犠牲にしてでも手に入れたかったものなの?!」
反発するように、金髪の少女。
女性は嘲るように肩を竦めた。
「友達…?わたくしたちを虐げ、本来あるべき力を取り上げたあの村に、存在している価値などございまして?」
「本来…あるべき力?」
栗色の髪の少女が問うと、女性は艶然と微笑んだ。
「この力は、本来わたくしが手に入れるはずだったもの。わたくしにこそふさわしいもの。
当然の事実を訴えたお父様を亡き者にし、本来の継承者を虐げた者達など、生き永らえている事さえ罪と申せましょう」
「そんな……」
金髪の少女の表情が、悲しみから怒りに変わっていく。
「レヴィニアさん」
傍らにいた白虎の獣人が、静かに前に出て問いかけた。
「あなたは再び、魔族に何らかの対価を支払うことになるんですよね…。ということは、その力をせっかく手にいれても、当分の間はあなたの思い通りには行使できないということですよね?」
女性の表情が、ぴくりと引きつる。
獣人は続けた。
「あなたがパフィさんたちより虐げられ、不幸だと感じていたことはわかりました。
しかし、それが全ての原因だというなら…過去についてはわかりませんが、今に限れば、あなたがわざわざ不幸を招いているとしか思えません。
魔族に使われるという、自らを思い通りにならないような境遇に置いてまで、あなたが手にしたいものは何だったのですか?」
「望むものにそれ相応の対価を払うのは、当然のことで御座いましょう?」
苛々したように、女性は言った。
「わたくしが手にしたいもの?すでにお分かりでしょう、クリムゾンアイズですわ。
クリムゾンアイズがわたくしのものにならなかったから、お父様はわたくしのために命を散らし、お母様は村中に虐げられて病を患われました。
その小娘たちのおかげで」
ぎっ、と鋭い視線を、青い装束の少女に向ける。
「その小娘たちさえいなければ、クリムゾンアイズはわたくしのものとなり、お父様もお母様も何事もなく幸せに過ごせていたはず。
その小娘が、わたくし達からクリムゾンアイズを奪い去り、わたくし達から幸せを奪い去っていったのです。
ですから、取り戻しましたの。その小娘から、わたくしが本来得るはずだった力を。
本来得るはずだった幸せを」
「違うよ、メルスさん!」
桃色の髪の女性が、苦しげに訴える。
「メルスさんが本当に欲しかったものって、クリムゾンアイズがなくても手に入っていたよ。
きっと貴方のほしかったものって、こんな物質世界にはない、精神世界のはるか彼岸に打ち上げられているものだから。
メルスさんはそれに気付かず、間違って目の前にあったクリムゾンアイズに、手を伸ばしてしまったんだよ」
女性は彼女の方を向いて、眉をひそめた。
彼女は続けた。
「返してあげて、そんなものがなくたって、あなたは幸せを掴めるよ。
じゃないと、冒険者さんたちが貴方を…」
仲間たちが複雑な表情で彼女の方を見る。
傍らにいた藍色の髪の女性が、悲しげな瞳でそれに続いた。
「これ以上何がしたいんですか。
奪うという形でしたが、あなたはクリムゾンアイズを手に入れました。
もう十分、その力の証明は行ったでしょう。
これ以上何が必要なんですか。
パフィさんのためでもフカヤさんのためでもなく、あなた自身のために。
クリムゾンアイズから解放されて下さい」
女性はなおも黙っている。
軽く眉をひそめて。言葉を受け入れたというよりは、何を言っているのか理解できない、という様子で。
藍色の髪の女性は、悲しげな表情を少しだけ引き締めた。
「あなたが幸せを得るために必要なのはクリムゾンアイズじゃないってこと、本当はあなたも気づいてるんじゃないですか?」
「理解できませんわ」
女性はにべもなく答えた。
「クリムゾンアイズの力をご存じない貴女方に、理解しろというほうが愚で御座いましたわね。
力なくして望みの物は手に入らない。それは、貴女方もよくご存知では御座いませんの?」
「レヴィニアさん……」
再び、悲しげに眉を曇らせる。
「オルーカさん。今の彼女に説得は効果が薄いと思います」
一番後ろに立っていた黒いローブの魔術師が、冷静に言った。
「言ったでしょう。レヴィニアさんは、もうそれだけしか見えなくなっているのだと。
これが、彼女が望んだ道なんです。その道の行く末まで、はっきりと、彼女に見せてあげましょう」
「レヴィおねえちゃん」
青い装束の少女が、一歩進み出た。
「レヴィおねえちゃんがクリムゾンアイズを返してくれないなら、パフィはクリムゾンアイズを永久に眠らせないといけないのー。
それが、パフィにクリムゾンアイズを託してくれたパパとメリィおねえちゃんの遺志なのー」
「眠らせる?」
大げさに肩を竦めて、女性は嘲笑した。
「どうやって?まさか、すでにクリムゾンアイズを失い、何の力も持たない貴女が、このわたくしを倒すなどと愚かなことを言うのではありませんわよね?」
「……………」
少女は答えない。
だが、その迷いのない瞳は、彼女の決意がまさにその通りだということを雄弁に物語っていて。
女性は一瞬、目を大きく見開いて敵意をあらわにした。
「……いいでしょう」
が、すぐに目を細め、余裕の笑みを浮かべる。
…余裕を必死に取り繕っている笑みを。
「貴女が何の力も持たない者だということ…どうやら、判らせて差し上げる必要がありそうですわね。
返り討ちにして差し上げますわ!」
その言葉が引き金になったように。
少女の後ろに立っていた仲間たちが、いっせいに身構えた。

「ダメだよ!戦うなんて絶対にダメだ!そんなんじゃメルスさんの心の闇が晴れることはない!」
冒険者たちとレヴィニアの間に入るようにしてホームズが叫ぶ。
「ホームズさん、危険です、下がって!」
マジュールが彼女を止めようと大きな体でそちらに向かう。
ホームズは彼の手をよけるように動くと、首を振った。
「いいや、下がらない!メルスさんとみんながこんな愚かな戦いを辞めてくれるまで、殴り倒されたって僕は退かない!」
「…っ!」
マジュールは一瞬躊躇したように視線を泳がせ…そして、迷っている暇はないと判断したのか、すっとかがんで両腕をクロスさせた。
「……ぉおおおおおっ!」
マジュールの体から、力強いオーラが解き放たれる。
人間のものだった肌から白と黒の毛並みが生え揃い、体中の筋肉が急速に体積を増す。その質量に耐え切れず、身に纏っていた服の一部が生々しい音を立てて裂けた。
「…メグナディーン、さん…」
突如獣化したマジュールに驚いたのか、それとも獣化して自分を攻撃してくることへの恐れか、ホームズがかすれた声でマジュールの名を呼ぶ。
一回りほど体の大きくなったマジュールは、そのまま持っていた大剣を抜き放って、レヴィニアに向かって構えた。
「みなさん、打ち合わせ通り、私は皆さんを攻撃から守ることに専念します!攻撃の方は、前へ!」
自分をかばうように立ち、ふり返らずに仲間に宣言したマジュールに、ホームズは驚きの瞳を向ける。
マジュールは彼女に背を向けたまま、言った。
「…私は皆さんを守ります。ホームズさんのことも」
「メグナディーンさん…」
複雑そうな表情をするホームズ。
だが。彼女は首を振った。
「ダメだよ…戦うなんて、ダメなんだ…」

一方、マジュールの宣言を受けた冒険者たちは、武器を持ったフカヤと千秋、それにリィナが前に進み出ていた。
「シルブステップ!」
「風よ、地上人に軽やかな翼を!」
リィナとミケが高らかに呪を唱えると、冒険者たちの体を軽やかに風が包み込む。
「ありがとう、リィナ」
「かたじけない」
フカヤと千秋が言って、駆け出す。リィナも同様に駆け出した。
魔法を得手とする、ミケ、レティシア、コンドル、それにパフィ。それを守るように、オルーカが棍を構えて立ちはだかる。
「皆さんのことは、私が守ります。早く呪文を」
「あ、ありがとうございます…オルーカさん」
コンドルがわたわたと言って、構える。
パフィもカードを手のひらに載せて、目を閉じた。
油断なく構えるミケの傍らで、レティシアだけが身を竦ませたまま動かない。
緊張に張り詰めた表情は、少しの衝撃で切れてしまいそうで。
構えることの出来ない手も、すらりと伸びた足も、微かにカタカタと震えている。
「……っ」
あたりが戦いの雰囲気に満ちていく中、レティシアだけが取り残されたように身体を竦ませていた。
「……レティシアさん」
横目でそれに気付いたミケが、視線は油断なくレヴィニアに向けたまま、そっとレティシアの手をにぎる。
「…っ、ミケ……」
驚いてそちらを見るレティシア。
ミケはなおもレヴィニアに視線をやったまま、言った。
「…僕には、逃げろとも逃げるなとも言えません。
でも…あなたが、決めた道なら」
それ以上の言葉はない。
代わりに、握った手に力がこもる。
「ミケ……」
レティシアはわずかにミケの方を見て。
それから、その瞳に再び力強い輝きが灯る。
「……ありがとう、ミケ。私、がんばる!」
レティシアが言うと、ミケはそちらの方を向いて微笑んだ。
「…風よ、かの者に祝福の守りを」
呪文とともに、守りの風がレティシアを取り巻いた。
レティシアはそちらに向かって微笑んで、そして術を使うために身構えた。

「でやあぁぁっ!」
気合の入った声で、リィナは地を蹴ってレヴィニアに拳を突き出した。
「天が華、蝶の舞!」
レヴィニアが指先で印を作り呪を唱えると、ばちん、という音とともにリィナの拳が弾き飛ばされる。
「っくうっ!」
「行くぞ!」
その隙を縫うように、千秋が二刀構えた刀の一刀を振り上げ、レヴィニアに躍りかかった。
油断無くそちらの方に手のひらを向け、次の術を解き放つレヴィニア。
「霧の龍、暗黒に散れ!」
その気配にはっと顔を上げたフカヤが、叫ぶ。
「いけない、千秋、リィナ、離れて!」
「えぇっ?!」
言うまでも無くはじかれた勢いのリィナは後ろに飛び、千秋は片方の剣で身を守るように構える。
次の瞬間、レヴィニアから赤い霧のようなものが散った。
「ぐっ…?!」
後ろにさがっていたフカヤとリィナは何とか免れたが、千秋はその霧をまともに受ける。
そしてその姿勢のまま、動かない。
「…か……らだが…?!」
「…っ、あれが…レヴィニアさんの神経毒…?!」
受身をとって体制を整えたリィナが言い、フカヤが頷く。
「…ああ。霧を受けてしまったら、指の一本も自分の意思では動かせなくなってしまう…術で作用する、恐ろしい毒だよ」
「そういえば、貴方はオルシェの忘れ形見でいらっしゃいましたわね」
レヴィニアがフカヤに向かって嘲笑を投げる。
「まさかまだ生きていたとは思いませんでしたけれども。まぁ、もうお仕事は終わりましたから、わたくしには関係のないことですかしら。まだ疑心暗鬼になっておられる王に、首を持って帰る程度のアフターサービスをしてもよろしいのですけれど?」
フカヤを煽ろうと言葉を投げかけるが、フカヤはそれには答えることなく剣を構えなおした。
「オルーカ、千秋の手当てを!」
「……っ、大丈夫だ……俺は、代謝が人より早いのでな……大抵の毒は…ある程度は体内で浄化できる……」
がく、と膝をつく千秋。
「…っが……この毒は、思ったより強烈だ…」
「千秋さん、大丈夫ですか!ここはさがって、ミケさんに回復をしてもらってください!このままこの場にじっとしていると危険です!」
駆けつけたオルーカが軽く回復の術をかけ、千秋は何とか立ち上がった。
「すまない。…任せる…」
千秋はまだ自由の利かない体でオルーカの代わりに後方に下がる。
オルーカはその場で棍を構えると、一気に駆け出して振りかぶった。
「…であぁっ!」
掛け声とともに、棍が炎のようなオーラを纏う。
地を蹴って振り下ろすと、レヴィニアがそれを受け止めるように手のひらを上にかざした。
「…紅の壁、夢幻の大地!」
ごうっ!
オルーカの棍の炎と、レヴィニアの手のひらを中心に彼女を守るように現れた炎の壁がぶつかり合って派手な音を立てる。
「…くっ!」
反動で後ろに下がったオルーカは、着地して棍を構えなおした。
「…レヴィニアさんは火の魔法が得手なのでしたね…」
レヴィニアを守っていた炎の壁が消え、その向こうから苛立った様子のレヴィニアが現れる。
「…ちょろちょろと、煩い方々ですわね…っ!」
そのまま、両腕を舞うように振り上げて交差させ、高らかに呪を唱えた。
「朱の獅子、天より来たりて、荒涼の大地を舞い踊れ!」
ごうっ。
レヴィニアを中心に、唸るような炎が辺り一面に巻き起こる。
「きゃあっ!」
「ぐっ!」
炎は一瞬にして冒険者たちを嘗め尽くし、その身を焼いていく。
「…フルー・ハッピーシャワー!」
と。
後方でパフィの声が響き、たちまちあたりの空間から水が流れ出した。
しゅうぅぅぅぅ……
炎を鎮めた水が音を立てて蒸気となり、あたりを白く埋め尽くす。
「ミケ、回復なのー!」
パフィの声がして、ミケは頷いた。
「はい!風よ……」
「ミケ、私も手伝うわ!」
蒸気でよく見えないが、レティシアの声に応じてミケが頷く。
「燃え上がれ、命の炎よ!」
レティシアが高らかに詠い、
「風よ、勇気の炎を清きものの元へ!」
ミケがさっと両手を広げる。
二人の呪が、ぴたりとひとつに重なった。
「「ライフ・ストリーム!!」」
呪文とともに、二人を中心にさわやかな風があたりをさらっていく。
白く煙った蒸気を洗い流し…そして、火に洗われた仲間たちを優しく癒していく。
力をあわせて術を終えた二人は、再びお互いを見合わせてにこりと微笑みあった。

「太陽神ルヒテスよ、示したる地に祝福とその力を分け与えたまえ」
いつもの口調とはうって変わったよどみない呪文をコンドルが唱えると、彼を中心に光が広がり、結界を形作る。
「ま、魔法の威力が上がる結界…です。ぼ、ボクと同じ太陽のエレメントの人は特に上がります…つ、月の属性の人は、いませんよね?」
コンドルが言うと、周りの者はみな頷いた。
「私は火よ」
「僕は風です」
「パフィは水なのねー。…そう、かー……」
皆の属性を聞いて、ふむ、と考え込むパフィ。
「れ、レヴィニアさん相手に、術はあまり効かないかもしれませんが……
め、目くらましだけ、でも…!」
言って、コンドルは再び身構える。
「……陽よ…劫火を纏いし鳥となり、捉えし全てを焼き尽くせ…!」
ごうっ。
コンドルの呪と共に、白い炎を纏った大きな鳥が現れる。
「な、なに?!」
レティシアが驚いて見上げる中、鳥は大きく翼をはためかせた。
「…行け、シャイニングフェニックス!」
コンドルの号令と共に、鳥は舞い上がって大きく滑空し、レヴィニアめがけて突進した。
「…っ、紅の壁…っあぁっ!」
一瞬壁の展開が遅れ、体制を崩すレヴィニア。
「今度こそっ!てあああっ!」
「…たぁぁっ!」
その隙を狙って、リィナとフカヤがいっせいに躍りかかった。
ざっ…!
リィナの拳がわき腹をかすめ、フカヤの剣が腕を薙ぐ。
「っぐうっ!」
鮮血が散る左腕を押さえて庇い、レヴィニアは苦い表情で後ろに退がった。
「…っこざかしい…!
血の刃、暁に舞い、華を散らせ…!」
片手で印を切り、高らかに呪文を放つ。
大きな炎の刃が、レヴィニアを中心に無数に放たれた。
「きゃあぁっ!」
「うあぁっ!」

「ほ、ホームズさん…大丈夫、ですか」
ホームズをかばうように体をかがめたマジュールは、ようやくそれだけを口にした。
「…ぼ、僕は大丈夫、だけど……精霊たちも、いるし…」
マジュールを気遣うように、それでもレヴィニアの方を気にかけながら、ホームズ。
「どうして…メルスさん、戦いなんて……っ」
ホームズは立ち上がると、マジュールの脇からずいと前に歩み出た。
「もうやめて、メルスさん!こんなことをして何になるの、そんなことであなたは満足するの?!」
「ホームズさん、危ないです、さがって!」
オルーカが必死に訴えるが、ホームズに退く気配は無い。
「そんなことをしたって、あなたの望む幸せは手に入らないんだよ?目を覚まして!」
「…っ、ホームズさんっ…!」
オルーカは一瞬ためらいの表情を見せて、しかしそれからすばやくホームズの懐にもぐりこんだ。
「…えっ……」
「すみません、ホームズさん!」
とす。
軽い音と共に、オルーカの拳がホームズの鳩尾に沈み込む。
「…………」
ぐらり、と体を傾かせて、ホームズは意識を失った。
オルーカはホームズの体を支え、抱き上げて離れた場所へと運んでいく。
「すみません、ホームズさん…」
オルーカは岩陰にホームズを静かに横たえると、戦場へと戻っていった。

と。
戻った戦場の変貌ぶりに、オルーカは思わず口をあけた。
「な………これは…!」
荒涼とした岩山を、不自然なほどに美しく大きな生き物が占拠している。
ふさふさの白い毛に覆われた、体調30メートルほどの大きな動物。
「これが……ホワイトドラゴンの真の姿…?!」
そのあまりの質量に、ただ呆然とするしかない。
巨大なホワイトドラゴンは、きゅうぅぅん……と高らかに鳴くと、大きな尻尾を振り回した。
「うわわわぁっ?!」
その尻尾の長さの10分の1にも満たない人間たちは、ただそれを必死に避けるばかり。
魔道士組はその体の届く範囲外に逃げるのが精一杯という様子だった。もはや陣形どころの騒ぎではない。
「こ、こんなもの相手に、どうやって…」
「オルーカ!マジュール、リィナ、千秋、フカヤ!」
鋭く自分の名前を呼ぶ声に振り返ると、パフィがカードを構えてこちらに呼びかけていた。
「パフィたちで、レヴィお姉ちゃんの動きを封じるのー!
術が完成するまで、レヴィお姉ちゃんの動きを止めて欲しいのー!」
「…っ、わかりました、どこまで出来るかわかりませんが…!」
オルーカは頷いて、再び棍を構え、レヴィニアに向かって駆けていく。
リィナ、千秋、マジュール、フカヤも、同様にそれぞれの武器を構えて地を蹴った。
「せいっ!」
マジュールの大剣がレヴィニアの前足を薙ぐ。
「でやぁぁっ!」
バランスを崩したレヴィニアの首の付け根辺りに、高く跳んだリィナの拳がめり込む。
きゅううぅっ!!
甲高い悲鳴がこだました。
「ミケ、レティシア、コンドル、レヴィおねえちゃんを囲むように、四つの方向に散らばってー!
そしたら、パフィに合わせて、魔力を紡いで欲しいのー」
「で、できるでしょうか…僕たちに」
おろおろするコンドルに、力強く頷くパフィ。
「水と風と、火と陽と、4つの力を上手く合わせれば、きっと上手く行くのー。
レヴィおねえちゃんも、みんなの攻撃でちょっと弱ってきてるのー、大丈夫なのー」
「…っ、は、はい、わかりました!ど、どこまでできるかわからないけど、やってみます!」
力強く頷いて、コンドルはパフィの指示通りに駆け出した。
「では、僕たちも!」
「うん、行こう、ミケ!」
ミケとレティシアも、同様にそれぞれの位置へと駆けていく。
パフィはそれを見届けて、目を閉じてカードを構えた。
「力を司る、火の神ガルダス」
ふわり、と、カードの束の中からガルダスのカードが抜き出される。
「優しさを司る、水の女神フルー」
同様に、フルーのカード。
「美を司る、風の神ファルス」
ファルスのカード。
「創造を司る、太陽神ルヒテス」
ルヒテスのカード。
4枚のカードがふわりと浮き上がり、空を舞って、レヴィニアの頭上で静止した。
「炎の鞭で四肢を絡め」
レティシアが手のひらを頭上にかざし、
「風の渦で自由を奪い」
ミケの周りにふわりと風が舞い、
「太陽の光にその身を晒し」
コンドルの体が光のオーラに包まれ、
「水の鎖がその心をも縛る」
パフィが手をかざすと、最後のカードがふわりと抜き出される。
絶対神、ミドルヴァースのカード。
カードの中心に指を当て、パフィは高らかに叫んだ。
「絶対神、ミドルヴァースの名の元に、集え!
ミドルヴァース・アレスト!!」
その瞬間。
レヴィニアの頭上にあった4枚の神のカードから、稲妻のような光がレヴィニアに向かって降り注ぐ。
ばりばりばりばりっ!
派手な音を立てて、光はレヴィニアの体を縛り上げた。
きゅいいぃぃぃっ!
レヴィニアの悲鳴がこだまする。
牽制をしていた仲間たちも、目を見開いてその様子を見守っている。
やがて、光に力を吸い取られたかのように、レヴィニアの体が急速に縮んでいき……
最後には、元の成人女性の姿になった。
四肢の自由を、なおも光に奪われたまま。

「…落ち着きましたか、レヴィニアさん」
四肢の自由を奪われ、荒野に座り込んでいるレヴィニア。
ホームズも意識を取り戻し、不本意そうな表情ながらも仲間と同様に彼女を取り囲んでいる。
ミケは、嘆息して屈みこみ、レヴィニアと同じ目線になった。
「クリムゾンアイズがあってもなくても、あんまり変わらないでしょう?それがあるから幸せになれる、それがないと幸せになれない、なんてことはない。幸せはそんなものに左右されはしないと、僕は思いますよ?
だって、それのせいであなたは100年貴女自身に首輪をかけてきたし、これから先ずっと、あなたの首に首輪をかけるものですから。
そして、そんなのに頼らなくても……もしかしたらあなたが過ごしてきた100年があれば、もっと色んなことができるようになったんじゃないかと、僕はそう思うんですけれど」
わずかに、首を傾げて。語りかけるように、続ける。
「幸せになりたいなら、あなた自身で勝負しましょうよ。誰かの力になんか頼らないであなた自身を成長させましょうよ。あなた自身で、クリムゾンアイズの力を超えましょうよ?それだけの時間もチャンスも……あなたには、あるんですから。だから、返してしまいましょう?そんな力…あなたには必要ないです。
僕は心から、そう思います」
レヴィニアは、ミケの視線からは目を逸らしたまま、黙っている。
「私は、ずっと…あなたが何を望んでいるかわかりませんでした。そして、今もわからない」
マジュールが静かに続く。
「私の目には、あなたは『幸せを掴み取ろうとしてもがいている』のではなく、『不幸から逃げようとしてもがいている』ようにしか見えません。それで…他人を羨み、他人の幸せを奪い取ったところで、その先には何もない。何も…ありはしないんです。レヴィニアさん」
「………」
「本当に望むものは、もっと違う方法で手に入れられるような気がします。
もしそれを解決するということを依頼してくれるなら、及ばずながらあなたの力になりましょう」
胸に手を当てて、マジュールは静かにレヴィニアに語りかけた。
「……わたくしは……」
ぽつり、と何かを言いかけて、また口をつぐむ。
再び落ちる沈黙。
「…レヴィおねえちゃん」
パフィが、レヴィニアの目の前に立つ。
レヴィニアはなおも俯いている。
パフィは淡々と、レヴィニアに語りかけた。
「レヴィおねえちゃん。クリムゾンアイズ、返して。
でないと、パフィ、レヴィおねえちゃんを殺さなくちゃならないのー」
仲間たちが一斉に、痛ましげにパフィを見る。
パフィは続けた。
「パフィ、レヴィおねえちゃんのこと嫌いになれないのー。憎くもないのー。
本当は、レヴィおねえちゃんのこと死なせたくなんかないのー。
…だからー……
…クリムゾンアイズを、レヴィおねえちゃんと一緒に眠らせたら…」
そこで、少しだけ沈黙。
仲間たちが訝しげにパフィの方を見やる。
パフィは少し、辛そうに目を閉じて…やがて、目を開いて、掠れた声で告げた。

「パフィも、一緒に眠るのー」

「…パフィ…?!」
フカヤが驚きに声を上げた。
全員が声を詰まらせ、レヴィニアがはじかれたようにパフィの顔を見上げる。
パフィは、その紅い瞳をまっすぐに見つめ返した。
「パフィ、知らなかったのー。レヴィおねえちゃんが、そんなに憎しみを抱えてたこと…
何にも知らないで、何にも知ろうとしないで、ただ自分が正しいって思ってたのー。
こんな争いを、憎しみを生む力なんて…クリムゾンアイズなんて、本当に…パフィたちが手にしていいものじゃなかったのー。
大きな力を持っていたって、何にもえらくなんかないのー…人の生き死にを強いる権利なんて、パフィたちにはないのー。レヴィおねえちゃんを殺す権利だって、ないのー」
きゅう、と眉を寄せて。
青い瞳に、大粒の涙が湛えられていく。
「…でも、パフィはそれをしなくちゃいけないのー。
メリィおねえちゃんの、パパのために…パフィ自身のためにー。
だから…パフィの勝手でレヴィおねえちゃんを眠らせるんだから、パフィも、いっしょに、眠るのー…」
はたり。
パフィの瞳からあふれ出した涙が、レヴィニアの頬に雫を落とす。
それはちょうど、レヴィニアの紅い瞳がこぼした涙のようにも見えて。
「…レヴィニア……」
そこで、初めて。
フカヤが、レヴィニアに語りかけた。
「あなたには、何も言うつもりはなかった…どうしても、俺の感情が入ってしまうから。
だけど……っ」
何かをこらえるように、一瞬言葉を詰まらせて。
「クリムゾンアイズを…パフィに返してやってくれないか。
もう、これ以上……」
ぎゅっと、拳を握り締める。
「これ以上……俺の大事な人を、奪わないで、くれないか……」
再び、沈黙が落ちた。
冒険者たちは、長い長い沈黙を耐え、レヴィニアの返事を待つ。
パフィははたはたと落ちる涙をぬぐい、フカヤは彼女をいたわるように肩を抱いて。
ただひたすらに、レヴィニアの返事を待った。
それをゆっくりと見渡して……そして。

「…………負けましたわ」
ゆっくりと。
自嘲するような笑みを浮かべて、レヴィニアは言った。
「レヴィ…おねえ…ちゃん……」
「わたくしは、クリムゾンアイズがないから不幸なのだと、クリムゾンアイズさえ奪えば幸せになれるのだと、そう思っておりました。
いえ、そう思おうとしていたのでしょう。
そう思わなければ、お父様の死も、お母様の病も、決して耐えられるものでは御座いませんでした」
ふ、と目を閉じて俯いて。
「貴女からクリムゾンアイズを奪って、しばらくは胸が幸せで満ちておりました。
しかし、時が経つにつれ、何故か空虚さを感じるのも止められませんでした。
この力を手にいれ。わたくしは、何がしたかったのでしょう?手に入れた幸せで、どんな生を謳歌しましょう?その答えが、全く見えなかった…わたくしの未来は、全くの空虚だったのです。
しかし、貴女が現れ…わたくしはまた、その空虚さは貴女が生きているからなのだと理由を摩り替えました。
力を手に入れた対価として、この先長い時間を魔族の手足となり使われるだけの日々で埋め尽くされるという事実から、目を逸らしたかったのです」
「メルスさん…」
ホームズが呟く。
「けれど……クリムゾンアイズがあるからといって、無条件の幸せが手に入るというのは、わたくしの悲しい幻想でした。
現に、パールフィニア……貴女は、クリムゾンアイズという大きな力と、その力が持つ大きなしがらみに、自分から命を投げ出そうとしています。
大きな力には、それ相応の代償が伴う…わたくし自身が申していたこと…それをわたくし自身が理解しておりませんでした」
「レヴィおねえちゃん……」
パフィの声に彼女を見上げ、レヴィニアは困ったように微笑んだ。
「わたくしが不幸に思えたのは…貴女が幸せに思えたのは、貴女がたがクリムゾンアイズを有しているからではなかった。
貴女が、貴女自身の生い立ちを、境遇を、誰に恥ずることなく受け入れ、貴女自身にしか持ち得ない幸せを謳歌していたから。だから、貴女はあんなにも、幸せに見えたのでしょう。
ただそれを羨んでいただけのわたくしは、わたくし自身が持ちえた幸せからさえも自ら目を閉ざし、自らを不幸にしていたのです…」
再び、沈黙が落ちる。
「パールフィニア」
レヴィニアは、静かに言った。
「…クリムゾンアイズをお返し致しましょう。戒めを、解いて頂けませんか?」
「…わかったのー」
「パフィちゃん…!」
術を解こうとしたパフィを、リィナが心配そうに呼び止める。
パフィはそちらを向いて、にこりと微笑んだ。
「大丈夫なのー。レヴィおねえちゃんは、クリムゾンアイズ、返してくれるのー」
リィナはなおも心配そうな表情で、それでも身を引く。
パフィはミドルヴァースのカードに指を当てると、短く呪文を唱えた。
ふっ、と。
レヴィニアを戒めていた光の鎖が消える。
レヴィニアは静かに立ち上がり、パフィに微笑みかけた。
「…ありがとう、パールフィニア」
「パフィって、呼んで欲しいのー」
パフィの言葉に、レヴィニアは困ったように微笑んで…言い直す。
「…ありがとう、パフィ」
愛称を呼ばれ、パフィは嬉しそうに微笑んだ。
「レヴィニアさん……」
オルーカが、目じりに涙を浮かべて嬉しそうな笑顔を浮かべる。
他の冒険者たちも、皆それぞれに嬉しそうな表情で、二人を見守った。
レヴィニアが、静かに目を閉じて、手のひらをパフィの額にかざす。
「レヴィニアさんは…この先、たくさん道に迷うこともあるでしょうけれど…
いつか、明るい未来にたどり着けるでしょうか…?」
ぽつりと言ったミケの言葉に。
オルーカが胸に手を組んで、答える。
「私たちには、知りえないことですけど…せめて、心からお祈りします」
目を閉じて、祈りの言葉を。
「我が神、ガルダスよ…願わくば、レヴィニアさんに、明るい未来をもたらさんことを…」

静かに、満ち足りた空気の中。
暖かい眼差しの冒険者たちに見守られて。
レヴィニアは、静かに言葉を紡いだ。

「紅い瞳を継ぐもの、何者にも負けぬ体と、何者にも挫けぬ心を背負い、その大いなる使命を全うせよ」

ぴこん。
ふかふかの座布団の上で昼寝をしていた虎縞の猫が、耳を動かして顔を上げる。
とす。
座布団から降り、みゃあ、と一声鳴くと、その体がみるみるうちに変化した。
派手なピンク色の装束を着た、金髪の少女の姿に。
少女は嬉しそうに虎縞の尻尾をくるりと動かすと、奥から響く足音の元へと駆けていく。
「師匠~!お久シブりネ!」
舌足らずで妙な発音で言って、足音の主に抱きついた。
「や~猫ちゃん、超久しぶりー。元気だった?」
「ぼチボちよ、師匠は元気そウネ」
師匠、と呼ばれたのは…その少女とさほど年が離れていないように見える、まだ14,5才ほどの少年。
褐色肌に短く整えられた黒い髪、大きな眼鏡に白を基調とした異国風の衣装。
少年は猫少女をひとしきり撫でると、彼女に問うた。
「ところで、僕の可愛くない妹は?奥にいる?」
「チャカ様なら、先ほド帰っテイらしたワ。奥で休んデイらっしゃルワよ」
「そ、あんがと~」
少年は上機嫌で猫少女から離れると、鼻歌交じりに奥へと進んでいった。
やたらと仰々しい扉を軽々しく開けて、軽々しい挨拶を投げる。
「やーっほー、チャーカちゃん。久しぶりー」
中央にしつらえられたベッドにぐったりと横たわっていた部屋の主は、かなりうんざりした様子でそれに答えた。
「……チャオ。珍しいじゃない、カール兄様」
その言葉に、少年はちちちち、と指を動かす。
「僕のことは、カーリィって呼んでって言ってるじゃん、チャカちゃん」
「……カールヴェクトロ、なんだから。カールでしょう、普通」
「だってそれだと萌えないじゃん」
きっぱりと主張。
チャカと呼ばれた女性は、はぁ、と苦い顔でため息をついた。
「…ヒトの趣味にケチをつける気はないけど。少なくともアタシには、今の兄様の姿に、その、萌え、とやらはないから。
とりあえず変身くらいは解いてくれない?…キモいから」
「相変わらずチャカちゃんは全力で失礼だなー」
あははは、と笑って、カーリィはぱちんと指を鳴らした。
と、その輪郭がぐにゃりとゆがみ、みるみるうちに大きくなっていく。
あっという間に、少年は20台半ばほどの美しい青年の姿に変わっていた。
チャカが小さく嘆息する。
「……で?アタシに何の用なの、カーリィ兄様?」
「えー、何の用はないでしょ、人に用事押し付けといてさー」
不満顔で言うカーリィ。チャカは少し考えて、ああ、と思い当たった。
「クリムゾンアイズのあのコね。で、どうなったの?」
「んー、結論から言うと、コテンパンにやられて、すっかり丸くなって、クリムゾンアイズも元の持ち主に返しちゃった」
あっさりとカーリィが言い、チャカは肩をすくめた。
「あ、そ。あのコはもうちょっと遊べると思ったけど。それじゃあしょうがないわねえ。せっかく兄様にまで協力してもらったけど」
「え、なに、これでおしまい?僕の力借りたんだから、もっとぎゅうぎゅうに絞りつくして、それこそ兄様身体乗っ取ってクリムゾンアイズごとここに持ってきてーとか言うと思ったのに」
意外そうに言うカーリィに、チャカはつまらなそうに鼻を鳴らした。
「あの棘が無くなっちゃったあのコなんて、連れてきたって大して面白くないわよ。まして兄様が中に入ってるコをはべらすとか全身全霊で遠慮したいわ。クリムゾンアイズだって、大した力じゃないし」
「え、そうなの?」
「まあ、神々が世界のバランスを崩すほどの力を軽々しく与えるとも思えないしね」
「じゃあ、何であの子にちょっかいかけてたわけ、チャカちゃんは」
「決まってるでしょう。人に使われるなんて血が逆流するほどイヤ、ってくらいのお高いプライドを持ったコが、目的のためにそのプライドを押さえつけて命令に従う、その葛藤を生々しく眺めるのが楽しいんじゃない」
「あ、その萌えは僕にも理解できるなー、なるほどねー」
「あまり理解されたくない気もするけどまあいいわ」
「んじゃ、チャカちゃんはもうレっちゃんにはちょっかい出さないわけー?僕がせっかくこんなに手助けしたのにさー」
「じゃあ、カーリィ兄様が持ってけば?アタシはもういらないから」
「んー僕のストライクゾーンは6歳から10歳までなんだよねー残念ながら」
「狭」
「じゃあレっちゃんはほったらかしかー。でも、まだ前みたいにチャカちゃんにあれこれいうこと聞かされると思ってるんじゃない?放置プレイ?」
「ま…それはそれで良いんじゃない?」
チャカはやっと、楽しそうに唇の端をゆがめた。

「魔族がいつ現れるか。怯えながら世界中を逃げ回る。いつまでも、いつまでも。
それが、あのコが犯した罪に対する、罰……っていうことだから」

“The Wailing of Crimson Eyes” The End 2006.8.1.Nagi Kirikawa