誰でも良かったんでしょう?
何でも良かったんでしょう?
ただ、自分が価値のないものじゃないと確かめられる何かであれば。

だから、望んだものを与えてあげる。

生徒日誌 ファルスの第24日 晴れのち曇り
当番:アイン・カーネスタ
欠席:ヒュンファ・ジューンナ
   ヌル・ノーフト

新入塾者、1名来塾。
名前:ジェノサイド・ルインワージュ
傭兵としての仕事のために黒魔法を習得したいとのこと。
長身にずるずるの黒いローブ、傭兵の時に使っているであろう大きな槍。
どう見ても魔道士というものを履き違えているとしか思えない格好だが、あえて何も言わないでおく。
無愛想だが真面目に授業は受けている。
少々僕たちより年齢が上過ぎるようにも思えるが、魔道の腕はともかく、傭兵としての腕は来るべき戦いにおいて利用価値がありそうである。
今後の活動に期待。
というより、今度は少しは「もちそう」だと言うべきか…。

「…なんだ、ここは教師がいないのか?」
塾長に教室に通されるなり、その黒ずくめの大男はぼそりと言った。
「…そうだよ。あいつらは信用が置けないから」
「…信用?穏やかじゃないな」
僕の言葉に、彼は眉を顰める。僕は肩を竦めた。
「だって、すぐにケンカはよくないとか言って、あいつらの味方をするんだ。塾長だって同じだよ。教材さえくれるなら、僕らは僕らで勉強ができる。手助けなんかいらないね」
「…あいつら、とは?」
彼は表情を変えないまま訊いてきた。僕は再び肩を竦める。
「…ま、追い追い説明するよ。その前にみんなに紹介したほうがいいな」
「…そうだったな。俺はジェノサイド・ルインワージュ。ジェノと呼んでくれ。よろしく」
「僕はアイン・カーネスタ。アインでいいよ」
僕は挨拶をしてから、教室にいるみんなのほうに顔を向けた。
みんなは僕が何を言いたいのかわかったらしく、端の方から順番に名乗りをあげていく。
「僕はドライ・アウフェン。今度は少しホネがありそうだね。よろしく」
「僕はジーベン・アウフトラフト…よろしくしてくださいますよう」
「あたしはノイン・エルフェザン…ま、がんばってみな」
ジェノはみんなを一瞥すると、僕のほうに顔を向けた。
「…これだけか?もっといると聞いていたが…」
「ここは塾だからね。あくまで本業の傍らに来るところなのさ。だから本業が忙しければここには来られない。ま、自分の実力が落ちるだけの話だから、僕たちがどうこう言うことじゃないけどね」
「なるほど…それで、お前達の本業とは何なのだ?」
彼の質問に僕が答えるより先に、ジーベンが気障な仕草で髪をかきあげた。
「僕達は…まだ義務と言う名の鎖から解き放たれていない、か弱い小鳥というわけですよ…」
ジーベンのセリフにノインはあからさまに嫌そうな顔をし、ドライはちょっと引いて苦笑した。
かく言う僕も、顔が引きつってるのが自分でもわかったけど。
ジェノはよくわかっていない様子で目を瞬かせた。
「…鎖に繋がれてるのか?俺には見えないが…もしかして、賢いやつにしか見えないというあれか?」
「まだ義務教育中だって言ってるんだよ」
イライラとした様子で、ノイン。
…まあ、今更ジーベンに何を言っても無駄なことは僕たちも十分承知しているので、ドライはもう慣れたものだ。ノインだけは未だに神経を逆撫でされるようだけど。
「義務教育…すまん、ここには旅の途中で来ただけだから、教育制度には詳しくなくてな」
「えっ、なに、ジェノって旅してるの?」
ドライが面白そうに割って入る。
「ああ…旅の傭兵だ」
「ふーん。僕達はヴィーダの公立のジュニアスクールに通ってるんだよ。フェアルーフは6歳から15歳まで9年間、教育を受けることが義務になってるんだ」
「そうなのか」
「傭兵が…なんだって魔道塾なんかに来たんだい?」
まだイライラした様子のままノインが問うと、ジェノはそちらに顔を向けた。
「まあ、力押し一辺倒だけでは芸がないからな。魔法の一つも覚えておけば便利だろうと思ってな。お前たちはどうして、通う学校があるのに塾なんかに通ってるんだ?」
「それはもちろん、王立魔道士養成学校に通うためさ」
ノインに向けられた問いに、横から僕が答えた。
「王立魔道士養成学校なら、貴族も平民も関係なく平等に魔道を習うことができる。あそこをいい成績で卒業すれば、宮廷付きの魔道士だって夢じゃないしね。そのための下準備として、ここに通ってるって訳なのさ」
「なるほどな…」
「フン…傭兵の片手間に、っていうのは気に入らないが…まあいいよ。奇麗事ばっかり述べ立ててるあいつらよかよっぽどマシだね」
「…あいつら?さっきからどうも、穏やかじゃないな、お前達。一体何なんだ、この塾は?」
訝しげなジェノの問いには答えずに、僕は彼を正面から見据えた。
「…ジェノは、どうして白魔法じゃなくて黒魔法を選んだの?」
ジェノは、それがまるで予想した問いだったみたいに表情を引き締めた。
「俺は白より黒が好きだしな。黒か白か。で、選んだのは黒。それだけだ。…単純で悪いか?所詮そんなものだ。理屈は後から幾らでも付け足しできるからな」
「…ふうん…まあ、いいよ。ジェノも話を聞けば、どれだけ奴らが偽善者ぶった大嘘つきなのかわかると思うしね」
「だから、奴らとは誰なんだ?」
言葉とは裏腹に大して気にならない様子でジェノが再び問う。
僕達は顔を見合わせて、誰も言わないようなので僕が言った。
「…白魔法クラスのやつらさ」

生徒日誌 ファルスの第24日 晴れのち曇り
当番:ツヴァイ・タロルス
欠席:ゼクス・メルツァイネ
   アハト・ゾイスト
   ヌル・ダフナ

新入塾者、1名来塾。
名前:クルム・ウィーグ
あまり魔道士を目指しているようには思えない格好。
剣を所持している。冒険者であるらしい。
旅のためにある程度の回復魔法を身につけておきたいということろだろうか。
…まあ、目的はともあれ、白魔法を学ぼうという姿勢そのものは好感が持てる。
敵に対して決定的な攻撃手段を持たない僕たちにとって、彼の剣は有効なものになるだろう。
人には過ぎた魔法の力を破壊のために使うやつら。
やつらがその力を完全なものにする前に、それを阻止しなければ…。

「…黒魔法クラス…?」
僕たちが事情を説明すると、クルムはやや戸惑った表情でそう言った。
年僕達と同じか、ちょっと下っていうところだろうか。それでも冒険者をやってるって言うんだから、尊敬には値すると思う。ま、僕がなりたいとは思わないけどね。大きな剣を背中に下げてはいるけど、大仰な鎧を身につけてるわけじゃないし、親しみやすそうな笑顔を浮かべるから、そんなに戦士っていう感じはしないヤツだ。
「そう。魔法の力を破壊に利用しようとするやつらだよ。僕達は、あいつらがこれ以上力をつけるのを阻止してるって言うわけなんだ」
先頭に立って説明しているのは、いつものとおりツェーン。
「先生たちは争いはよくないとか言ってあいつらの味方をするから締め出した。黒魔法クラスなんていうものを作った塾長も同じさ。破壊しかしない黒魔法なんて、存在すら許されない。だから僕達は戦っているのさ。世界の平和のためにね」
言っていることは少し大げさだと思うけど、おおむね間違っていない。それに、初心者にはこれくらい言った方がインパクトがあっていい。
「そう…なんだ。そいつらが、なにかやらかしたのかい?」
クルムは驚きつつも少し興味を引かれたように訊いてきた。
「ああ。僕たちのことを、偽善者だって言って攻撃してくるんだ。あいつらお得意の黒魔法でね」
その問いには僕が答える。クルムは僕の方を見ると、真面目な顔で続けた。
「そうか…向こうの方から攻撃してくるんだね。一体、いつから?」
「いつ…いつだったのね?」
間の抜けた声で首をひねったのは、フィーア。
「さあ…?そんなこといちいち覚えていないな。でも向こうからだったのは間違いないよ」
「いつだったか覚えてないのかい?そんなにずっと昔から争ってるわけじゃないんだろ?」
僕が言うと、クルムはなおも食い下がった。
その様子に、ツェーンが首をひねる。
「…どうしてそんなことにこだわるんだい?いつからなんてどうだっていいじゃないか。あいつらは倒すべき敵で、僕らは世界のために戦ってる。それでいいだろう?」
ツェーンの様子に、クルムは一瞬だけ押し黙って、それからにこりと笑みを返した。
「…そうだね。オレも、破壊ではなく生み出す力、奪うよりも与えること、だから黒魔法よりも白魔法を選んだんだ」
「やっぱりそうなのね?うちらと同じ考えの人がいてくれて嬉しいのね」
フィーアが安心したように胸をなでおろす。
「…でも、向こうが攻撃してきて、こっちはやられっぱなしなのかい?向こうは戦う気満々なんだろう?こっちは…白魔法、だよね」
「そう…それが厄介なんだ。向こうに対してこっちは有効な攻撃手段を持っていない。だからといって僕たちまで黒魔法を身につけては本末転倒だ。君の剣には大いに期待しているよ」
多分僕たちと同じくらいの年だからだろう、尊大にツェーンは言うけど、僕にはクルムのほうが落ち着いて見えた。それはまあ、黙っておく。
「ありがとう。争いごとは好きじゃないけど…世界の平和、のためだもんな。協力させてもらうよ。…でも、今までは一体どうやって戦っていたんだい?」
「心理作戦なのね」
クルムの問いに、フィーアがいつもの調子で答えた。
「…心理作戦?」
首をひねるクルムに、フィーアはふふっと微笑みかける。
「うちらは攻撃の魔法は使えないし、魔道士だからそんなに力も強くないのね。だから、精神的にダメージを与えてるのね!魔道士はこれがてきめんなのね!」
「精神的…?」
クルムはまだわからない様子だった。フィーアは続けた。
「教室に忍び込んで机に落書きしたり、テキストを破り捨てたり、靴の中にマスタードを流し込んだり、通りがけに罠を仕掛けたりしてるのね!」
にっこりと爽やかに言うフィーアに、一瞬クルムの頬が引きつったような気がしたけど、うん、気のせいなんだろう。
「そ…そう、なんだ」
「今は心が痛むけど、これも世界のためなのね。みんなに迷惑になるやつらは、今のうちにやっつけないといけないのね。協力してなのね」
「う…うん、わかった…よ」
クルムの微笑みが無理をしているように見えたのも、やっぱり気のせいなんだろう。

生徒日誌 ファルスの第27日 晴れ
当番:ドライ・アウフェン
欠席:ノイン・エルフェザン
   ヌル・ノーフト

白に陰湿な攻撃を受けるも、ジェノの働きによって事なきを得る。
やはり戦力になると見込んだのは間違いないようだ。
…そうそう、関係無いかもしれないけど、裏庭にいつの間にか畑が出来ていた。
そこに、見慣れないオジサンが一人いた。
畑を耕してるから、用務員…ともちょっと違うんだろうけど。
ていうか、勝手にそんなことして、誰も何にも言わないのかな…?
不審に思って近づいたら、案の定、だった。
まったく、余計なことをしてくれる。

「畑?…こんなところに、畑なんてあったっけ…?」
「しらな~い。ヒュンも初めて見たよ」
「大体、塾に畑なんか必要なのか…?給食を出しているわけでもないのに」
裏庭にいつの間にかできていた畑を見て僕が言うと、一緒に歩いてたヒュンとアインが口々にそれに続いた。
ちなみに、ジーベンは教室にジェノと一緒に残っている。
あの回りくどいジーベンの言い回しと、天下一品のジェノのボケじゃあ、絶対に会話なんか成立しないだろう。想像するとなんか可笑しい。
「塾長の趣味かな?ここで食べ物を食べる人って言ったら、講師か塾長だろう?」
「まあ、いいじゃない♪おもしろそーう、ヒュンちょっと行ってくるね!」
「あ、ちょっと、ヒュン!」
ヒュンがさっさと出入り口から中庭に出て行ってしまったので、僕とアインは慌てて追いかける。
「わぁー、いっぱいいっぱいあるよ!いつの間にこんなの出来たんだろ~?」
ヒュンは楽しそうに、畑に植わっている野菜たちを見渡す。
本当に、いつこんなものが出来たんだろう?つい最近まで、ここには池があったような気がするんだけど…それにアインの言うとおり、こんなところに畑を作る意味なんかあるんだろうか?ここは塾であって、ジュニアスクールじゃないのに。給食を出してるわけでもなければ、自炊する意味もない。
それに…つい最近出来た畑にしては、なんか妙だ。
なんだろう…?
「おやおや、この塾の子供たちですか?」
後ろからかけられた声に、僕達はびくっとして振り向いた。
「どうですか?わたくしの畑は」
そこに立っていたのは、40歳くらいのおじさんだった。
健康的に小麦色に焼けたように見える(なんかいかにもつやつやしてるのがどことなくうそ臭い)肌、がっしりとした身体に泥汚れがたくさんついたシャツとズボンをはいて、首からはタオルみたいな布きれを下げている。
その、もうおじさんもいいところな外見と、かけられた声の若々しさが妙にアンバランスだった。
「わたくしの…って、これ、おじさんの畑?」
「ハイ、そうです。わたくしはナミヘイ・ウィソノン…しがない農夫です」
おじさんはそう言ってにこにこと頷く。
アインはとりあえず、はあ、とだけ頷くと、さらに聞いた。
「ここ、塾の敷地内でしょ?」
「ハイ、ですから、こちらの塾長さんにご許可を頂いて、こうして畑を作らせていただいたのですよ」
「…なんで?」
僕が首をひねると、おじさんは少し言葉に詰まったみたいだった。
「で、ですからその、そうです、塾長さんに頼まれてです!少ないスペースを有効に使いたいと…!」
「ふぅん…?」
疑わしげに見るアイン。
おじさんは頬に冷や汗を一筋たらして、そしてはっと何かを思いついたように畑に植わっている大根を一本抜いた。
「ほ、ほら!イライラするのはよくありません!これを食べてリラックスですよ!」
大根は土の養分をよく吸って、太くみずみずしかった。
「リラックス…?何で僕たちがイライラしてるの?」
その時点で、頭のいいアインは大体読めてきてたんだろう。訝しげな視線をさらに鋭いものに変えて、おじさんを睨みつける。
おじさんはやっと落ち着いた様子でにっこり微笑むと、続けた。
「なんでも、あなたたちはお互いに争いあっているそうですね…?どちらにしても、傷つけあうのは決して許されることではありません。どうせなら、この野菜を使ってお料理対決にしなさいね」
「やっぱり!」
アインは言って、たっと地面を蹴り、おじさんと距離をとった。
ここまでくれば、いくら僕やヒュンでもわかる。アインと同じように距離を取って、おじさんを睨み付けた。
「教師がダメなら用務員を使って懐柔しようって魂胆だな!悪いけど、僕達はそんな手には引っかからないよ!」
「あの塾長の考えそうなことだよ!さっきから何かおかしいと思ってたんだ、その野菜、こんな短期間に出来た畑で、野菜がそんなに育つはずないじゃないか!」
「偽物使って、ヒュン達を懐柔しようとしてたのね!許せなぁぁぁぁいぃぃっ!!」
ヒュンがひときわ大きな声で叫んで、周りにばちばちと火花が飛んだ。
それを見て、僕とアインがさらにヒュンからも距離をおく。
理論ではアインに叶わないけど、ヒュンの魔力は僕たちの中でも飛びぬけていた。
「いっっけえぇぇぇぇっ!!午前零時のシンデレラぁっ!」
どうでもいいけどこの呪文何とかならないかな。
ヒュンの構えた手に、目にも見えるくらいの盛大な電気が巻き起こる。
ヒュンが腕を勢いよく振ると、その電気の塊はまっすぐにおじさんに向かって飛んでいった。
「ひいぃぃぃぃやあぁぁぁぁぁぁぁ………」
おじさんは慌ててその場から逃げ出した。声がドッブラー効果をおこしている。
電気の塊はおじさんを追いかけていって、建物の中で大爆発を起こした。
その爆発の音とは別に、時間差でポンッ、というような音も聞こえたような…まあ、どうでもいいけど。
「あーあ…こういう事するから塾長が余計な小細工するんじゃないか。もうちょっと手段を選べよ、ヒュン」
「だってだってだってぇぇ!許せなかったんだもんっっ!」
アインが呆れてヒュンに言い、ヒュンが口を尖らせた。
「どっちにしても、早く決着をつけたほうがいいかもしれないね…いろいろな意味でね」
僕の言ったことに、アインは神妙な顔をして、ヒュンは首をひねった。

生徒日誌 ファルスの第27日 晴れ
当番:フィーア・ディッツェン
欠席:ゼクス・メルツァイネ
   ヌル・ダフナ

新入塾者、1名来塾。
名前:ミーケン=デ・ピース
うちらと同じくらいの可愛らしい子。
最初、女の子かと思って声をかけたら、男の子の声だったのでびっくりした。
まだ魔道のことは、あんまり知らないみたい。
先生はいないけど、うちらでしっかり教えてあげようと思う。
クルムとは違って、あんまり肉体労働は出来そうには見えないけど、
これでまたうちのクラスにも新しい仲間が増えたんだから、
がんばってあいつらをやっつけなきゃ!

「…こうですか…?」
ミケがクルムの腕に出来た傷に手をかざして、目を閉じる。
「風よ…優しき御手で苦しみを奪い去れ」
呪文とともに、ふわりと風が傷を取り巻いて、たちまちクルムの傷はふさがってしまった。
「わぁ、すごいすごい!初めてとは思えないのね、ミケ!」
「だって初めてじゃないですし」
「えっ?」
「いいえ、何でもありませんよ。フィーアさんが教えてくださったからこそ、こんなに上手くいったんです。有難うございます」
そう言ってミケはうちに微笑みかける。
すごく綺麗な微笑みで、思わずうちは照れてしまった。この子、よく考えたら男の子なのね。全然そうは見えないけど。
黒いローブを着てるのがちょっと気にならないこともないけど、すごく優しそうに微笑むし。
うちはドキドキするのをごまかすように微笑んだ。
「そんなことないのね。最初からこんなに出来るのは、きっとミケに才能があるからなのね。ねぇ、クルム?」
「そうだな、きっとミケにはすごい魔道士の才能があるんだよ」
傷を治してもらったクルムが、そう言ってミケに微笑みかける。
「そんな、それを言うならクルムさんだってそうじゃないですか。風と太陽、属性こそは違いますが、クルムさんも一発で魔法が使えるようになったんでしょう?」
「あれは偶然だよ、偶然。ミケのほうが絶対すごい才能が眠ってるさ」
お互いを誉めあって、はははっと笑いあう二人。
…何か変な感じもするけど…気のせいなのね。
「でも、こんなに才能がある人が二人もうちのクラスに来て本当によかったのね」
「そうそう…向こうにも新入塾が入ったらしいからね。気は抜けないよ」
「ツェーン。それに、ツヴァイ」
後ろからかけられた声に振り向くと、ツェーンとツヴァイが立っていた。
「昨日、僕達がしかけた罠も、その新入塾生によって防がれたようだよ。なんでも、冒険者らしいんだ。まったく、そんなやつまで仲間に引き入れるなんて、向こうもいよいよなりふり構わなくなってきたね」
「向こうの方々は、そんなに凶悪な方々なのですか?」
説明するツヴァイに、ミケが少し怖がっているように問い掛ける。
「ああ。もともと、攻撃を仕掛けてきたのは向こうの方だったしね。自分たちの思想を守るために、本当の正義を踏みにじろうとするなんて、いかにも黒魔法なんていう邪悪な魔法を使うあいつららしいじゃないか」
「そうなんですか…そのようなことをする悲しい方々がいらっしゃるのですね…」
ミケは哀しそうに溜息をついた。
「魔法の力は、大きな力ですよね。できれば僕はそれを人助けに役立てていきたいと思っています。何かを壊したりというのは、他の方法でも代用が出来ます。けれど、怪我や病気を治すようなことは代用できません。だから、魔法はそういうことに使っていきたいと思うんです。
傷を付けることや破壊は、悲しみや苦しみを生みだし、強者が弱者を押さえつけることにつながっていくと思います。それはあってはならないことなんです。護身やみんなが心穏やかに生きるために魔法は使われるべきだと思うのです。
彼らのようにただ攻撃するために魔法を使ってはいけないんだと、僕はそう思います」
「素晴らしいね」
いつもははじめての人にそんなこと言わないのに、ツヴァイは笑顔でそう言った。
「まったくそのとおりだよ。あいつらの暴挙は、絶対食い止めなくちゃならない。僕らの威信にかけてもね」
「でも…」
ミケは顎に手を当てて何かを考えるようなポーズをした。
「何故…彼らは急に、そのようなことをするようになったのでしょうね?何か、彼らを突き動かすきっかけがあったのでしょうか?」
「そう…だよな。この塾が始まった時から、黒と白が争いあってるわけじゃないんだろう?何がきっかけで、あいつらは破壊活動をするようになったのかな?」
クルムも神妙な顔つきでうなずく。
「そういえば…そうなのね」
言われて、うちもうーんと考え込んだ。
「一番最初に被害にあったのは、誰なのね?」
うちが言うと、ツェーンが答えた。
「アハトじゃなかったかな」
「そういえば、アハトは?今日は欠席じゃないはずだろう?」
アハトはお家がお金持ちだから、よくご用事で欠席するのね。でも今日は来てたはず…あっ。
「アハト、おうちの用事があるって早退したのね。言うの忘れてたのね」
「またか。まったくあいつは…」
ツェーンが呆れ顔で頭を掻く。
「まあ、何にしろ、あんなやつらの考えることなんかわかりっこないっていうのは確かだろう。何かきっかけはあったかもしれないけど、今はそれより、どうやってあいつらを倒すかを考えなくちゃ」
「そう…ですね」
ミケはそう言って、にっこりと笑った。
その笑顔は、クルムが来た時に見せたあの笑顔に、ちょっと似てた。

生徒日誌 ファルスの第30日 雨
当番:ヒュンファ・ジューンナ
欠席:アイン・カーネスタ
   ジーベン・アウフドラフト
   ヌル・ノーフト

白のやつらがしかけた罠にはまっちゃって~。
医務室に行ったら、何か知らないオジサンがいたの。
こんなオジサンいたっけ?
聞いてみたら、最近雇われたんだって~。塾長に。
ま~、ヒュン達の強力ムヒな魔法で被害もジンダイってカンジだし~?(笑)
それに、このオジサン、結構面白そうよ。
また行ってお話してみよっかな。

「オジサン、誰~?前からいたっけ?」
ヒュンが聞くと、オジサンはにっこりと微笑んだ。
「ハジメマシテ~。最近雇われたのですヨ~。私の名前はフルフロム・ルキシュと申しマス。フロムと呼んで下サ~イ」
「ぷっ。へーんなの。オジサン、面白いね!」
ヒュンは近づいていって、オジサンの真正面の椅子に座った。
座ってるけど、ずいぶん背が高い人なんだろうと思う。年は多分、ヒュン達のパパ達よりちょっと下くらいかな?っても十分オジサンだけど。お医者さんらしく白衣を着てて、人懐こそうな笑顔をヒュンに向けてる。
「ハイハ~イ、おケガデ~スネ~?どこのクラスの子デスカ~?」
オジサンはてきぱきとヒュンの怪我を消毒したりしながら、訊いてきた。
「ヒュン、黒魔法クラスよ」
「オ~!黒の子デスカ~!お噂はカネガネ聞いておりマスよ~」
「噂って~?」
ど~せ塾長からろくでもない噂聞いてるんだろうけどっ。
「ハ~イ。争い事はいけないなどという偽善者サンたちに教育的指導を与えて差し上げてるという素晴らしい方たちだとお聞きしておりマ~ス」
「えっ?」
ヒュンは驚いておじさんを見た。
「本当?オジサン、本当にそう思ってるの?」
「私、嘘は大嫌いデ~ス」
オジサンはもう一度にこっと笑った。
「獣は私欲の為に動いているのですヨ。犬だって縄張りを守るために戦いますシネ。生きるものは皆欲望を持ち、その欲望を満たすために生きているのデスヨ。美味しい物を食べたい、お金がほしい、などなど人として当たり前デ~ス。また争いや破壊は何も生み出さないといいますが、それはどうでしょうカネ~。争いや破壊で技術が向上するという例は過去いくつもアリマスシ~。まぁ自分の思うように生きることは悪くはありませんヨ。むしろ自分の為に生きられない人は生きていけませんヨ。自分の生を思うことを手放すのは愚かな事デス」
「そう、そうそう!そうなのよ!あいつら、ぜんっぜんそれをわかってないんだから!それに、先生たちだって口を開けばケンカはよくないとか話し合いだとか、埒もあかないことばっかり!奇麗事ばっかりな世の中なんてうんざりよ!一回どーんとハデにぶっこわして、スッキリさせちゃえばいいんだわ!」
「まったくデ~ス。破壊があってこそ創造があるのデス」
オジサンはうんうんと頷いた。珍しく理解のあるオトナじゃない!
オジサンはにこにこと微笑んだまま、続けて訊いてきた。
「ところデ、その偽善者サンたちのクラスは、どういう構成なんですカネ?ヒュンさん、ご存知ですカ?」
「構成?」
「どういうメンバーですカ、とお尋ねしているのデ~ス。敵を知り、己を知れば百銭危うからズ、と申しますでショ~?」
「どういうメンバーか?ん~、ヒュンよく知らない。多分みんなも知らないと思うわ」
「知らない~?どうしてデス?同じ塾のクラスなのでショ~?」
「もともとあんまり交流もなかったし…ま、あんなやつらと仲良しこよしなんてそれこそぞっとしないけど。何度か交戦してるから顔くらいは知ってるけど、名前なんてほとんど知らないわ。何人にるのかもよくわかんない」
「では、どうやって彼らが白魔法クラスであることを見分けているのデスカ~?」
「この曜日には、うちとあっちのクラスしかないからよ。他の曜日は主婦とか、もっと小さな幼児クラスとか、あんまり専門的なことは教えないクラスをやってるのよ」
「そうなのデスカ~。では、あなた方のクラスは、どういう構成なのですカ~?あなたと仲がいいのはどなたデス?」
「ヒュン達のクラスはねえ、アインと、ドライと、ヒュンと、ジーベンと、ノインと…あ、こないだジェノが入ったわ。アインがリーダーみたいな感じかな。ドライとジーベンは、何だかんだ言って仲いいのよ。ヒュンはノインが好きだけど~、ノインはすっごくクールで、誰ともあんまり親しくしないの。ジェノはこないだ入ったばっかりだし…あっ、そういえば最近来ないな~」
「最近来ない?どなたがですカ?」
「ヌルよ。ヌル・ノーフト。…そういえば、最初にあいつらにやられたのも、ヌルだったな」
「最初に…と、いうことは、向こうから仕掛けてきた争いなのデスネ?」
「ええ。ヌルが怪我をして駆け込んできて、あいつらがついに実力行使に出た、って」
「なるホド~。それではこれは正当防衛、というわけですネ。これからもがんばってくださいネ」
「ありがとう、オジサン!またケガしたら来るね~!」
オジサンは「オジサンは出来ればやめてくれませんかネ~」なんて苦笑いしながら、手を振ってヒュンを見送ってくれた。

生徒日誌 ファルスの第30日 雨
当番:ゼクス・メルツァイネ
欠席:ツェーン・アガッツ
   ヌル・ダフナ

新入塾者、一名来塾。
名前:セアシィ
この塾では初となる地人。
外見は僕たちより下に見えるけれど、本人の主張によれば16歳であるとのこと。
魔道の経験はまったくない模様。
冒険者として生計を立てているらしい。
以上。

「あ…っ、ねえ、みんなのところに行かないの?」
後ろからかけられた声に、僕は目線だけをそちらにやった。
新入塾生のセアシィだった。
僕が何も言わないでいるのが少し苦痛だったのか、彼女は苦笑した。
「みんな、何かやってるみたいだよ?ええっと…ゼクスさんは行かないの?」
主張によれば彼女は16歳であるのに、年下の僕にも「さん」をつける。不可解だ。
僕は改めて彼女に顔を向けて観察した。
ディセス特有の茶褐色の肌に、白茶けた金髪を少年とも見間違えるほどに短く刈り込んでいる。背は多分僕よりも低いんだろう。魔道を志しているとは思えない、露出度の高い身軽な服に身を包み、年齢不相応の顔には無邪気な笑顔が浮かんでいる。
僕はまた視線を本に戻すと、返事を返した。
「…僕は頭脳労働担当だ。みんなもそれを了解している」
「そ、そう…なの」
セアシィは忽ち意気消沈したような声を出した。押しの弱い性格であるらしい。
「あ、あの…ね?セア、早くみんなと仲良くなりたいから…少し、お話したいんだけど、いいかな?」
「…好きにすればいい」
僕が言うと、彼女は一瞬ためらって、それでも僕の正面に座った。
僕は読んでいる本から目を離さない。
「あ、あの…ゼクスさん?」
「話は聞いている。安心して」
「そ、そう…」
彼女はしばらく居心地悪げに視線を泳がせていたが、やがておずおずと訊いてきた。
「うーんと…みんな、魔法できるんだよね?すごいな~。一番魔法が上手なのは誰?」
「理論はツェーン。魔力はアハト。総合ではツヴァイ」
「そ、そうなんだ…ええっと、一番頼れるのは誰?」
「ツェーン。このクラスでのリーダー格は彼だ」
「そ、そう…」
僕が必要以上の返答を返さないのを、不機嫌だと取ったのだろう。セアシィは居心地悪そうにきょろきょろと辺りを見渡した。
「あっ、セア…それに、ゼクス」
そこに通りがかったのだろう。クルムの声がして、僕はそちらに視線を投げた。
「何してるんだい?俺も混ぜてくれよ」
「クルムさん!うん、一緒にお話しよう!」
セアシィは渡りに船とばかりにパッと表情を輝かせた。僕は再び本に視線を戻す。
クルムはセアシィの隣、僕の右側に腰掛けて、興味深げに読んでいる本を覗き込んだ。
「おっ。魔道書か。熱心だな。何読んでるんだ?」
「…魔力を無効化する方法を探している」
「魔力を…無効化?」
僕は本から目を離さずに、簡単に二人に説明した。
「僕達の攻撃に比べて、あちらは魔力を行使する分有利だ。かといって僕達は攻撃魔法を使えない。なら、その魔法自体を帳消しにすることができれば戦局は有利に傾く」
「そ…そう…だよね。でもそれって、難しいんじゃない?」
「魔道に簡単なものなんてない。だが可能性を否定するのは愚かだ」
「そうか、ゼクスはがんばり屋さんなんだな」
クルムが嬉しそうにそう言う。
「ゼクスはどうして、白魔法を専攻しようと思ったんだい?」
「あっ、それ、セアも訊きたい♪どうして、どうして?」
僕は視線を本から彼らに移して、答えた。
「僕は魔法医を目指しているんだ。今の時代、魔法医はまだまだ高額だからね。需要と供給の、供給が増えれば相場は下がる。僕は、魔道はもっと一般に普及されるべきだと思うんだ」
「へぇぇっ、すごいね!ゼクスさん、えらい~!」
セアシィがパッと表情を輝かせた。
「そうなんだ。俺も本当にそう思うよ。魔道はまだまだ、一般人には遠い存在だからね。特に、白魔法みたいな癒しと守りの魔法は、普通の人たちにもすごく必要とされるものだと思う。がんばれよ」
僕はちょっと恥ずかしい気持ちになって、俯いた。
「ねえ、それじゃあ、先生にちゃんと教わった方がいいんじゃないの?ゼクスは先生のことどう思ってるの?」
セアシィが訊いてきたので、僕はそちらに視線を向けた。
「別に。その気になれば勉強なんて自分でもできる。彼らの主張は筋が通らない。黒魔法クラスの連中をいつまでも放っておいていいはずがない」
「そっか…そうだよね。じゃあさ、この教室…っていうか、この塾でもいいけど、最近何か変わったことがなかった?噂でいいんだけど…」
僕は首をひねった。
「…質問の要点が理解できない。特筆すべきことはなかったように思う。それに、僕は噂話には興味がない。フィーアかアハトに訊くべきだ」
「あ、そ、そうだよね、ごめん…」
いちいちしょげかえるセアシィに、僕は続けた。
「僕のほうから質問してもいい?」
「あっ、え?う、うん、もちろん」
「セアシィは、どうして白魔法クラスに入ったの?」
僕が問うと、セアシィはにっこりと笑った。まるで、それを訊かれるのを待っていたかのように。
「ん~。そうだね。セアね。色々旅してさ、攻撃しなくってもなんとかなる時もあったし。
ディーシュさまのおかげで、大地の力借りて、癒してもらえるし。
牙向くだけが、全てじゃないって思うの。セアは。助ける事も要ると思うの。」
「…助けること『も』っていうことは、牙をむくことも必要だって言うこと?」
「ええっ?!そ、そんなつもりで言ったんじゃないよ!」
「ゼクス、言葉のあやじゃないか。セアに他意はないよ」
クルムが眉を顰めて間に割って入る。僕は溜息をついて首を振った。
「…セアシィの態度をみれば、破壊なんていうことは出来そうにないことくらいわかる。あまりに反応がわかりやすいから、からかってみただけだ」
「えっ…ええぇぇぇっ?!ぜ、ゼクスさん、ひどい~っ!」」
セアは目の端に涙すら浮かべて抗議した。僕は立ち上がって本を閉じ、脇に抱えた。
「…集中力が切れた。僕はもう今日は帰るよ」
「あっ、ゼクス!」
呼び止めるクルムを尻目に、僕は教室を後にした。

生徒日誌 ファルスの第34日 晴れ
当番:ジーベン・アウフドラフト
欠席:ドライ・アウフェン
   ノイン・エルフェザン
   ヌル・ノーフト

新入塾者、一名来塾。
名前:ルージュ・ディアス
ジェノお兄様と同じ冒険者で、やはり冒険のために多少の魔法を身につけようと入塾したらしいです。
ああ…この塾にこのような美しいお姉さまがいらっしゃるなんて、
僕は愛の女神リーヴェル様に何度感謝しても足りないくらいです。
おお、もちろんヒュン嬢やノイン嬢が美しくないなどと申しているのではございません。
このお二方が野に咲く可憐な花々とするならば、
ルージュお姉様は堂々と活けられる大輪の薔薇のような方。
どちらにも別々の魅力があり、その美しさを比べようなどと審美眼のない愚かな人間のすることなのです。
そう、それはさながら…
(以下省略)

「世界はね、現実感という黒い部分が存在しないと物事は成り立たないのよー。綺麗事で物事を進めようなんて笑止千万千客万来じゃなーい。
だいたいさー何よ白って。黒は何者にも染められない強固な意思があるけど、白なんかもう染められまくり。いやねーホント。
それに黒の方がかっこいいし、今は黒がブームなのよ。白い恋人はもう過去の存在。見てみなさいよ、過去には名菓と言われたあのお菓子も、今や白い恋人ブラックを作っているわ(マジ)」
「まったくです、まったくです。いやー、ルージュお姉様は物事を本当によくおわかりだ。このジーベン・アウフドラフト、改めて敬服いたします」
ああ…このような少々いかがわしげな飲食店においても、お姉様の美しさは少しも色あせることなく輝きつづけている。むしろ少し暗めの照明がお姉様の美しさを引き立てているようだ。
さらさらと風に靡く銀の糸、お姉様の名前と寸分たがわぬ真紅の両の宝石…艶やかなボディーラインを存分に引き立てるお召し物。どれ一つをとっても、お姉様の美しさを構成するに欠かせないもの。
…などと言っている間に、料理が運ばれてきた。僕のものとヒュン嬢のものだ。
「わっはーvおいしそぉv」
ヒュン嬢が料理を見て歓声を上げる。それを見てルージュお姉様がにっこりと微笑んだ。
「いーわよ。冷めないうちに食べなさい」
「本当?!じゃあ、いっただっきまーす!」
ヒュン嬢は嬉しそうに目の前の料理に手をつけ始めた。
「本当によろしいのですか?ルージュお姉様」
僕が改めて問うと、お姉様は明るい笑顔で手をぱたぱた振った。
「よろしいもよろしくないも。あんた達の方が先輩じゃない。私は冒険者で、自分でお金を稼いでるわけだから、先輩に奢らない理由は何もないわ。黙って奢られておきなさいって」
「…悪いな。俺まで奢ってもらって」
隣にいたジェノお兄様が恐縮したように頭を下げると、お姉様は眉を顰めてそちらを見た。
「何言ってんのよ。あんたは先輩でも収入がないわけでもないんだから、自分の勘定ぐらい自分で持ちなさい、甘ったれんな」
「…ぐぅ。確かにそのとおりだ。すまん」
ジェノお兄様は申し訳なさそうに頭を下げた。それを見てアインとヒュン嬢が笑い声を立てる。
そんなことを言っている間に、残りの料理も運ばれてくる。僕達はしばし、しつこいほどにお腹で自己主張を続けていた小鳥を満足させることに没頭した。
あらかた料理も食べ終わったところで、再びお姉様が口を開いた。
「ところでさ、あんた達、いつ頃から白の奴らとケンカしてるわけ?」
「いつ頃…?」
アインが訝しげに眉を寄せる。お姉様は頬杖をついて、彼の瞳を覗き込むようにして続けた。
「ていうかさ、あんな偽善者どもをやっつけるなんてそんな素晴らしいこと、何で今までやってなかったのよ?誰か、あいつらが偽善者だって気付いた頭のいいやつがいたんでしょ?あんた達の中にいるの?それとも、今日休んでる誰か?
いるんならぜひ話をしてみたいのよね~。それって、周りの状況に流されないで自分の考えをもってるってことでしょ?あやかりたいわ~」
お姉様の言葉にアインはきょとんとして、それからうーんと考え込んだ。
「そういえば…誰だったかな?」
「ヒュン、ノインが言ってるのを聞いたわよ」
「いいえ…ノイン嬢にはこの僕がお話したのですよ。ドライからの受け売りですが…ね」
「ドライには僕が話したんだ。僕はええと…」
アインがさらに考え込んで、やがてはたと思いついたようだった。
「ヌルだ。ヌルに聞いたんだ」
「ヌル?誰それ?今日のメンバーの中にはいなかったじゃない?ジェノ、知ってる?」
ルージュお姉様がきょとんとしてジェノお兄様に訊く。ジェノお兄様も首を横に振った。
「いや、知らんな。というか、その名前は俺も初耳だぞ」
「そういえば、最近来ないね、ヌル」
「ああ…最期に来たのは…3週間前か?家の用事でしばらく忙しくなるみたいなことは言ってたけど…」
「ねー、そんなに塾って来なくて大丈夫なもんなの?何も言われないの?」
お姉様が眉を寄せて問い、僕がそれに答える。
「この塾は来た回数に応じて後で料金を払うシステムになっていましてね…まあ、あくまで塾で、学校とは違うので、個人の用事を優先するのが当然といえば当然なのですよ」
「あ、なるほどねー。それで、その、ヌル…とかいうやつはずっと来ないままなんだ?」
「そうよ、ヒュン、こないだ思い出したんだけど、最初にあいつらの被害にあったのも確か、ヌルじゃない?きっと、その時の傷がたたったのよ!」
「何だ、最初に被害を受けたのも同じやつなのか」
ジェノお兄様が興味深げに話しに割って入る。
「それじゃあ、向こうはそいつを危険人物だとみなしたのかもしれないな」
「そうだ、そうに違いないよ。まったく、奇麗事を振りかざして、汚いやつらだ!」
「まったくよね~。あんな偽善者、早く片付けちゃうに越したことないわ。がんばりましょうね、そのヌルのためにも」
ルージュお姉様がにっこり微笑んでそう言って、僕達は決意新たに頷きあった。

生徒日誌 ファルスの第34日 晴れ
当番:アハト・ゾイスト
欠席:ツヴァイ・タロルス
   ヌル・ダフナ

新入塾者、一名来塾。
名前:パノル・キファル
前に入った地人の人に続いて、また変な人が来た。
なんて言ったって、光人。わたし、光人を見るのは初めて。
本当に光って、ふわふわ浮いているのね。
まるで蛍みたい。可愛かった。
魔道の経験はないようだけど、呪歌を使えるみたい。
呪歌を見るのは初めて。ひょっとして、光って浮くローレライかな?

「ああ…また頭痛かな…やんなっちゃう…」
頭の奥がズキズキしてきて、わたしはこっそり溜息をついた。
雨の日ならともかく、こんないい天気の日に頭痛なんて、やっぱりストレスたまってるのかなぁ。
「どうしたんですか?アハトさん」
後ろから声がして振り向くと、こないだ入ったミケさんがいた。その後ろにはクルムさんとセアさんがいる。
わたしは少し苦笑して、頭を押さえながら答えた。
「頭痛もちなの。こればっかりは、魔法でどうにもならなくてね」
「頭がいたいの?大変!早くお医者様のところ行かなくちゃ!」
別のところからまた声がして、わたしはそちらを振り向いた。
「あなたは…ええと、キファ、さん」
名前を呼ばれて、キファさんはにっこりと頷いた。
確か18歳だと言っていたけれど、それにしては童顔だと思う。どうでもいいけど童顔が多いわ。肩でそろえた金髪は一房だけ白いメッシュになっているけど、金に白だからそう大して目立たない。ルビーがはめ込まれたサークレットが真っ白い肌と金髪によく栄えてる。マントの趣味についてはとやかく言わないでおこう。
「頭いたいと嫌よね、他のこと何も手につかなくなっちゃうもの。早くお医者様に行こう!」
キファさんの言葉に、わたしは困って首を振った。
「あのぅ…一応塾にいるし、それほど痛いわけでもないから…」
「そぉ?無理するのはよくないよ?」
「では、医務室で鎮痛剤をいただいてきてはいかがですか?」
ミケさんの提案で、わたし達は医務室に行くことになった。頭いたいのはわたしなのに、なんだかみんなくっついてきて金魚のフンみたい…
医務室に行くと、また変な人がいた。
「ハイハイハ~イ。いらっしゃいマセ~。ケガですカ~?それともお病気デ~スカ~?」
わたしはちょっと驚いたけど、勇気を振り絞って言ってみた。
「あ、あの…ちょっと、頭が痛くて…お薬をもらいたいんだけど…」
「オ~、鎮痛剤ですネ、ちょっとお待ちくだサ~イ」
白衣を着たおじさんはそう言うと、笑顔のまま棚の薬をごそごそと探した。薬を取り出してコップに水を汲みながら、やっぱり笑顔で訊いてくる。
「皆さん、クラスメイトさんデスカ~?付き添いデスカ~?お優しいですネ~」
わたしは微笑んでそれに答えた。
「ええ、頭いたいのはわたしだけなんだから、何もそんな金魚のフンみたいにぞろぞろくっついてこなくてもって思うんだけど、わたしのことを心配してくれてる、優しい人たちなのよ」
一瞬の間。
…どうしたのかしら?
白衣のおじさんも一瞬びっくりしたように目を見開いて手を止めたけど、気を取り直したっていう感じでわたしに薬を持ってくる。
「どうぞ。薬を飲んで、しばらくは安静にしていてくださいネ。どうですか、それまでここで、お友達たちとお話でも」
「そうよそうよ。わたしはまだここに来たばかりだし、クラスのみんなのこと教えて。ね?」
キファが嬉しそうに賛成して、わたし達は狭っ苦しい医務室の中で少しお話をすることになった。ちょうどミケさんがお菓子を持っていて、フロムさんがお茶を入れてくれて、消毒液くさいのを抜きにすればいいティータイム。
「あなた方は、どちらのクラスなのデスカ~?ああ、まだお名前もお伺いしていませんでしたネ、私の名前はフルフロム・ルキシュ。先日ここに雇われたばかりの流れの医者デ~ス。フロムと呼んでくだサ~イ」
おじさん…フロムさんは、そう言ってまたにこっと微笑んだ。
「僕はミーケン=デ・ピースです。先日ここにはいったばっかりなんですよ」
「俺も。クルム・ウィーグっていうんだ。いつもは冒険者をやってるんだよ」
「セアも冒険者なのよ。セアシィっていうんだけど、みんなはセアって呼んでるよ」
「わたしはパノル・キファル。吟遊詩人なんだけど…ちょっと、魔法にも興味があって」
順々にみんなが自己紹介をしていって、最後にわたしの番になる。
「わたしはアハト・ゾイスト…ここには結構長くいるのよ。魔道学校に通いたくて。白魔法クラスなの」
そういうと、フロムさんはパッと明るい顔になった。
「オ~、白魔法クラス!破壊のために魔道を使う悪しき魔道士たちを懲らしめるために正義の鉄槌を振るっている方々ですネ~!お噂は聞いておりマ~ス」
「えっ、そ、そんな…」
わたしはちょっと照れて両頬に手を当てた。
フロムさんは続けた。
「私も、この塾のことは少し雇い主…ゼラン塾長から聞いておりましてネ~。黒の方々のことは憂えていたのデスよ。人は確かに争いマス。ですが人には理性というものがありマス。その理性が本能を抑制できるのです。本能のまま生きることは人ではありまセン。社会を築くには自分のしたいことを我慢することもまた必要デス。自分のしたいようにする、それは自由でもなんでもなくただの我侭デス。また、争いや破壊は創造や文明の向上をもたらすと言いますが、だからと言って争いや破壊を肯定してはいけまセン。破壊や争いは悲しみや犠牲を産む物なのデス。争いや破壊を否定する心をなくしては愚かで哀れな暴君としかならないでショウ」
「そうよそうよ!なんでも攻撃すればいいってもんじゃないでしょ。そんなの野蛮以外の何者でもないじゃん!」
キファさんが同意して、フロムさんはうんうんと頷いた。
「奇麗事を貴ぶ心をなくしてはいけまセン。世の中では奇麗事だけで生きていく事は難しいでショウ。ですが奇麗事だけで生きていけないことは無いのデス。ただあまりにも難しいから皆諦めるだけ。強き信念を持てばきっと報われますヨ」
「そう…わたしは、本当はケンカなんていけないと思ってるの。でも、わたしがいくら言っても、あの破壊しか知らない短絡思考で無教養な人たちは聞いてくれない…それなら、あの人たちにもわかるようにそれを示してあげるしかないと思うの。今はそれが耳に痛くても、きっと時が経てば、いくら物分りが悪くて短気で自己中心的なあの人たちにもわかると思うわ」
また微妙な沈黙。
「…そ、そうデスネ~、がんばってくだサ~イ。アハトさんならきっと出来ますヨ」
「ええ、ありがとう。フロムさんって、最初は白衣なんか着ていつもお面でも張り付いたみたいににこにこしてるし変な言葉喋るしうさんくさっとか思ったけど、本当はいい人なのね」
また沈黙。…本当にどうしたのかしら?
「あ、あのさあ、アハトは、向こうのクラスのこと、何か知ってるの?」
キファさんが聞いてきたので、わたしはそっちの方を向いた。
「向こうのクラスのこと?」
「ああ、それはわたしも聞きたいデ~ス。向こうのクラスのメンバーで、中心人物などをチェックしていれば、戦いに有利になりますしネ。皆さんは、そのあたりの情報戦術はやっていらっしゃらないのデスカ~?」
「データは塾長が管理しているし、向こうのクラスとはもともとほとんど交流もなかったから、あんまりよく知らないの。名前もよくわからないし、顔と一致もしてないの」
「そうなの…じゃあ、白のクラスの人たちは?誰が仲良かったりするの?リーダーは誰?」
キファさんがさらに聞いてきたので、わたしはうーんって唸った。
「そうね…ツェーンさんがリーダーみたいなかんじかなぁ。わたしはフィーアちゃんと仲がいいの。ゼクスさんはいつもああだし…ツヴァイさんはリーダーのツェーンさんにいつもつき従ってる、いわばジャイアンとスネ夫みたいな感じかなぁ。クルムさんたちはこないだ来たばっかりだし…ヌルさんは最近来ないし…」
「ヌル?」
クルムさんが眉を寄せて身を乗り出した。
「誰?初めて聞く名前だな」
「僕も…そんな方がいらしたんですか?」
ミケさんもきょとんとした顔で聞いてくる。
「ああ…ヌル・ダフナさん。もう3週間くらい前から来てないの。しょうがないわ。黒の子達にあれだけやられたら…」
「黒のクラスの人たちにやられた怪我が原因なの…?」
セアさんが哀しそうに言う。
「そうなの…思えば、あれが始まりだったわ。ヌルさんが大怪我をして飛び込んできて、黒の人たちにやられた、って…わたし達の魔法じゃどうにもならなくて、魔法医にいってもらったんだけど…」
「そうだったんですか…では、向こうの方々のほうから攻撃をしてきたのですね?」
「もちろんよ!わたしたちが進んでそんなことするはずないわ!」
「そうか…じゃあちょっと、きついお仕置きをしないとわかってもらえそうにないな。協力するよ、アハト」
「セアも!セアも協力するよ!」
「もちろん、わたしもするわ!がんばろうね、アハト!」
「みんな…ありがとう…」
みんなが口々に言って、わたしはみんなを見回した。
「ありがとう…最初は、大きな剣を担いでるだけのなんちゃって少年剣士と、やたら顔が綺麗なだけのひ弱なお兄ちゃんと、いかにもいじめて君な押しの弱い地人と、歌しか能がない根明の光人が入ってきたってどうよとか思ってたけど、みんな、頼りにしてるね!」
わたしが言うと、また微妙な沈黙が落ちた。
…どうしたのかしら、みんな…?

生徒日誌 ファルスの第37日 曇り
当番:ノイン・エルフェザン
欠席:アイン・カーネスタ
   ヌル・ノーフト

白のやつらと久しぶりに交戦する。
まだ入ったばっかりのジェノとルージュは魔法はまったく使えないが、
冒険者っていうことでその槍とナイフは大いに役に立った。
しかし、向こうはいつの間にか4人も増えていやがる。
ま、そのうち二人はいかにも魔道士的なひ弱な兄ちゃんとふよふよ浮いて歌うたうだけの光人だったし、気をつけるのはあの大きな剣を持った兄ちゃんだけだな。もう片方はパチンコ玉飛ばしてくるだけだから大して脅威でもない。あのすばしっこいのだけは勘弁して欲しいけどな。
今日も引き分けに終わったが、早いうちに決着をつけたいもんだ。

「…なんだ、一人か?」
かけられた声に振り向くと、ジェノが立っていた。
「他のやつらはどうした?」
「疲れたんだろ。先に帰っちまったよ」
「そうか。お前は帰らないのか?」
「ああ。日誌書いてるんでね」
「…そうか」
ジェノは日誌を書いているあたしの横に、どっかりと座り込んだ。
「そういえば、お前の主張は、あまり聞いたことがなかったな」
「あたしの主張?」
「白のやつらは偽善者だ、という主張だ」
あたしはフン、と鼻で笑った。
「そんなもん、あいつらから散々聞いてるだろ?…ま、奇麗事ばかりじゃ世の中渡っていけないよ。そうだろう?」
「…そうだな。俺も仕事柄汚い仕事もしている。…暗殺とかな。人を殺す事が悪いというのが普通だが、そう言ってばかりはいられないのも事実…」
「へえ、暗殺、ね…」
いつの間にそこにいたんだろう。
気配なんてまるで感じなかった。ジェノの後ろにルージュが立っていた。
「冒険者たるもの、命を奪うことを抜きにして生計は立てられない、ってね…ま、ついでに一つ付け加えるとするなら、そんなことは人前でポンポン言うことじゃないと思うけど?」
ルージュの表情は、薄暗い明かりだという理由よりはもう少しだけ蒼白な感じがした。
「…もっともだな。なんだ、お前もその口か?」
「どーかしらねー」
ジェノが問うと、その表情も口調も、初めて会ったとおりの軽いものに変わる。
ルージュはジェノの隣…あたしの正面に座って頬杖をつくと、からかうような視線をあたしに向けた。
「でもまー、奇麗事ばっかりじゃ生きていけないっていうのは、私も賛成ね。学校で、殺して食べるために鳥を飼育するなんてとんでもないって言う保護者みたいなもの…毎日、殺すことを誰かに押し付けて屍肉を貪り食っているくせしてね」
その瞳が一瞬だけ凄絶な光をたたえたように見えたのは、あたしの見間違いだろうか。
ジェノが何かをごまかすように咳払いをして、改めてあたしに訊いてきた。
「少々重い話になっちまったな…。お前は、このクラスの連中をどう思ってるんだ?」
「どう、って?」
「なかには、俺も含めて…アイツらのスパイもいるかもしれないしな。そもそも、この集まりの結束力ってのはどんなモンなんだ?」
「フン、そんなことか…ここの連中とは長い付き合いだよ。それこそ、白のやつらとゴタゴタやらかす前からのね。…ああ、でも」
「…でも?」
「ヌルだけは、割と最近入ってきたね。そうだよ、あいつが入ってきて、白のやつらって何かおかしいって言い出したんだ。それであたしたちも、その話を聞いてるうちにだんだん気付き始めて…それで、やつが白のやつらに襲われたのをきっかけに、あいつらと交戦するようになったんだよ。そうだ、思い出した」
「そっかー。で、そのヌルってやつは怪我して長期休養中、って訳ね。するとスパイは、私かジェノ以外考えられない…ってか」
ルージュが言ったので、あたしはにやりと笑った。
「そういうこったね。一応聞いておこうか?まさかスパイじゃないだろうね?」
その問いにはジェノが答えた。
「不確定要素が多いからな。疑われても仕方の無いことだ。だが、今俺はココにいる。お前達と共に行くことを決めている。それでも…信用できない時は好きにしろ。そもそも…信用されているとも思って無いからな。誰が敵で誰が味方か。それはお前達ひとりひとりで決めることだ…」
真面目くさった言い方に、あたしはこっそり息を吐いた。
「ま、もともと流されて困るような情報もないしね…好きにしな。だいたいあんたにそんな器用な真似、できるとも思えないしね。ジーベンとまともに会話が成立するようになったら見直してやるよ」
あたしが言って笑うと、ジェノはぐぅ、と唸って黙り込んだ。
それをルージュが横から面白そうに眺めている。
「まあ、向こうの名前と顔すら一致してない状態で、スパイも何もないわよね。私は一応違う…って言っておきましょうか。今日、あの地人の小娘に鉛玉喰らってむかついてるし」
ジェノは堅すぎていけ好かないが、このルージュはなかなか面白くてあたしは気にいっている。あたしもにやりと笑って、彼女に答えた。
「そうだね。まあそう遠くないうちに、スパイだなんだなんて言ってられない状況になるさ。決着をつけてやるよ。近いうちに…ね」
「そ、楽しみね」
ルージュはまた面白そうに微笑んだ。
あたしは書き終えた日誌を閉じて、席を立った。

生徒日誌 ファルスの第37日 曇り
当番:ツェーン・アガッツ
欠席:アハト・ゾイスト
   ヌル・ダフナ

黒魔法クラスと交戦し、何とかこれを退ける。
向こうには二人仲間が増えていたらしい。大きな黒い槍を持った大男と、ナイフを使う銀髪の女。
対して、こちらは実際的な攻撃手段を持つ人数が同じく二人。
しかし、相手の二人は相当実戦経験があるようで、こちらが2倍の人数であるにもかかわらずかなりてこずった。直接的な攻撃手段に乏しいことが裏目に出る。
だが、向こうの出方は大体理解した。
今度こそ、決着をつけてやる。

「はー、てこずったな。まさかあんな奴らがいるなんてな。セア、大丈夫か?」
「あ、うん、大丈夫だよ。あの銀髪のお姉さんのナイフがちょっとかすったくらい…」
「それはいけません。早く治療しましょう。さあ、患部を出してください」
ミケに傷を癒してもらってるセア。クルムがそれを心配そうに覗き込み、傍らにはキファも心配そうにその様子を見ている。
アハトは欠席。フィーアはゼクスの傷を癒している。僕の隣にはツヴァイ。彼もそんなに目立った外傷はない。
セアの傷を癒し終えたミケが、立ち上がって僕に向かって微笑んだ。
僕は彼に微笑みを返して、言う。
「さすが、冒険者は怪我にも慣れているね。僕達なんて、最初はオロオロしてどうしたらいいかわからなかったよ」
「はは…怪我に慣れるっていうのもどうかな。それだけ怪我してるってことだからね」
クルムが苦笑して言い、セアも同じく苦笑した。
「しかし、皆さんの団結力もすごいと思いますよ。深く信頼しあっているのですね。もう、このクラスが結成されて長いのですか?」
ミケの問いに、ツヴァイが答えた。
「そうだね、もう1年以上になるよ。同じ学校を目指してるし、気は合うね」
「…その表現は、正しくない」
フィーアに傷を癒してもらったゼクスが、立ち上がってそう言った。
「正しくない?」
「僕達は1年以上付き合いがあると言った。しかし、新入塾の4人を置いても、まだ付き合いの浅い人物がいる」
「付き合いが浅い…」
僕は少し考えた。するとフィーアが、何かを思い出したように言った。
「ヌルなのね。ヌルはまだ、2ヶ月ちょっとしか経ってないのね」
「ああ…そうか!なんだか、たくさん議論を交わしたから、もうずっと長い付き合いのように思ってたよ。そうか…そういえばそうだ」
「ヌルは、入ってからあんまり経ってないんだ?」
キファが首をかしげた。
「じゃあ、たくさん議論を交わしたって、何?」
「そりゃあ、黒魔法クラスのやつらについてさ。あいつ、すごく熱弁を振るってたよ」
僕が言うと、
「それはそうだ。黒魔法クラスについての議論を切り出したのは、ヌルだから」
ゼクスが淡々と付け加える。
「ヌル…さんが、黒の人がおかしいって最初に言い出したの…?」
セアがびっくりしたように目を見開いた。
ミケは何かを考え込んでいる。クルムも神妙な表情になった。
僕はこくりと頷いた。
「そうだ。そうだったよ。議論をしているうちにみんな同じような考えをもっていたことがわかったから、誰が言い出したのかなんて忘れてたんだ。…でも」
隣にいたツヴァイと頷き合って、僕は続けた。
「言い出したヌルが最初に狙われた、っていうことは…やつらは、彼を危険人物だとみなした、っていうことだね。だからあんなにひどい怪我を負わせたんだ…くそっ!」
僕はこぶしを握りしめて、震わせた。
「でも…こんなやり方がいつまでも続くはずがない。近いうちに決着をつけて見せるよ…絶対にね!」
決意を固めた僕を、ツヴァイとフィーアは神妙な面持ちで、ゼクスはいつもの通り無表情で見つめている。
そして、新入塾の4人も真剣な表情でそれを見つめていた。
けど、それはツヴァイ達とは、少し違う表情のようだった…。

校舎日誌 ファルスの第38日 雨

黒白両クラスに潜入していただいた冒険者さんたちから、経過報告を聞く。
…やはり雇い入れて正解のようだった。
私のサイドでは入手できない情報を、入手できたから。

黒と白、両クラスに潜入している「ヌル」という同じ名前の人物。
少なくとも、私の手元にある塾生名簿には、該当する人物は無い。

「ヌル」なる人物の、早急な正体の究明を要する。
それが、事件解決への道のりとなることを信じたい。

塾長 ルーイェリカ・ゼラン

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