彼女は人形
母親の夢をかなえるために作られた
母親の夢の世界を形にするために作られた
そのためだけの存在

だから意志は持ってはならない
母親を拒否してはならない
母親の望まない行動はしてはならない
母親の意思に反して
『勝手に成長してはならない』

なぜならそれは
彼女自身の存在を否定する事に他ならないから

彼女は人形
よって彼女に意思はない
彼女に意思はあってはならない

「そう、そんなことがあったの…」
ヴィーダで起こった「ムーンシャイン」事件のあらましを、ミケ、クルム、ランスロット、ジェノ、エルの5人から聞いて、グリムはふぅとため息をついて、椅子に沈んだ。
「私もゼラン魔道塾のお仕事のお話のときニあらましを聞いてはいましたガ…この事件の裏にも、そのような意思が隠されていたトハ…驚きデス」
同様にフロムも首を振る。
「サリナちゃんもセレちゃんも、かわいそう…お人形さんを自分の子供だと思って死んじゃったなんて。セレちゃんだって、サリナちゃんに愛されてたのに、幸せじゃなかったから、かわいそう…」
ジャンクを抱きしめて、チェルシーが辛そうにぽつりと呟く。
「そう…かしらね?そうと気付かなければ…案外、幸せなものなんじゃないかしら」
グリムは無表情のまま、淡々と言った。
「そうですね。人の幸せはそれぞれです。定義できるものでも、周りが決められるものでもない」
エルが肯いてそれに続く。それに、ジェノがぼそりとつけたした。
「まったくだ。幸せなんてモンは、他人に決め付けられるモンじゃねえ。…だがよ、自分の幸せが他人の不幸に繋がってる場合は、どうなんだろうな…それを間違っていると言うヤツもいると思うが、世の中そう甘くはないもんだ…」
「そうね…ま、罪とかそういうことはとりあえず置いといて、それが何かから逃げて閉じこもった幸せなら、幸せじゃない。他人を不幸せにしての幸せならそれも大したモンじゃないでしょう。所詮は偽りで塗り固められたものなんだから」
ルージュが肩を竦めて言う。
「ただまあ…独善的な気はするわね。旦那がいなくなったから、子供を縛り付けてたわけでしょう?」
「そうデス…その間にどのような経緯があったとしても、彼女は間違ってイタ。夫の変わりとして子供を見ていたのデス。しかし、子供は子供…夫ではありまセン」
フロムが肯きながらそれに同意する。
「哀しい…切ない、と思うよ…あまりに深すぎる愛情が、セレをあんな、心のない人形にしてしまってたんだな…セレはずっと…サリナさんと同じ苦しみの中で彷徨ってるんだ…」
クルムは顎の前で手を組んで、視線を誰に向けるでもなく一点をじっと見つめている。
「わたくしは…幸せとは、人が決めるものであると…ある意味、そう思うのです。サリナさんは不幸ですよ。それを見て不幸だと思う『他人』がいるので」
ランスロットは、何かを考えながら、ゆっくりと言葉をつむいだ。
「彼女が独りぼっちなら、『幸せ』ですよ。でも人間は独りでは生きてはいけません。彼女を取り巻く様々な方々が、彼女がそうであったゆえに不幸になるというのなら、彼女は幸せではないと…そう、思います」
「なるほどねえ…さすがはランスロット様だねぇ」
本当なら抱きついて賞賛したいところだろうが、ケイトにはその元気もないらしい。
「悲しいねえ…悲しすぎるよ。サリナさんはただ…旦那さんをすごく愛していただけなんだろう?旦那さんがいなくて、辛くて辛くて、それで赤ん坊を閉じ込めておかずにはおれなかったんだろう?
その結果が、あんたたちが言う、セレさん…心を失った、悲しい人形、というわけさ…こんな悲惨なことってないよ…」
まるで自分の事のように、火酒を飲みながら目を潤ませている。
「…彼女を幸せだとか、不幸せだとか言うのは…本当は、おこがましいことなのかもしれないね」
フィズが苦笑して、冒険者たちに告げる。
「ランスロットの言うこともわからないではないけれど…でもやはり私は、彼女の人生は、彼女のものであって…私たちがどんなにそれを見て悲しもうとも、憎もうとも、彼女を不幸だったと言ったり、彼女を罪だったという権利はないと思うんだ」
「では、彼女のしたことは、許されると思うんですか?」
ミケが問うと、フィズは静かに首を振った。
「そういうことではないよ。私たちに許すとか許さないとかいう権利がないということさ。私達にできることは、彼女の悲しみを早く解き放つこと。私達が、生きていくためにね」
冒険者たちは黙り込んだ。
「…僕は…どうも、それだけではないような気がするんですよ…」
ミケは、他の者達が黙っているのとは少し違う様子で、考え込んでいる。
「…セレさんのお母さん…サリナさんは、行方不明になった旦那さんを想うあまり、セレさんを閉じ込め、心のない人形のようにしてしまった…セレさんがどういういきさつで、母親の元を離れ、チャカさんの臣下になったかはわかりませんが…サリナさんは最後には、セレさんのつもりで抱いていたあのミルク飲み人形を抱いたまま衰弱死し、彼女の想いだけが人形に残り、あの人形を抱いた女性を次々に同じように廃人同様にしていった…」
そこでフロムがふと眉をしかめたが、何も言わなかった。
ミケは続けた。
「どうも、それだけでは無い気がするんです…まだこの事件には、何かがある…それを知らないことには、サリナさんの想いを昇華させることはできない…そんな、気がするんです」
「もう少し、調べる必要がありそうですネ」
フロムは今度はにっこりと、そう告げた。
「私は明日、そうデスネ、今日ミケさんたちが行った、魔術師ギルドに行ってみようと思いマス。少し、調べたいことがあるノデ」
「あっ、それじゃああたしも便乗させてもらうよ。この事件のこと、調べた資料が残ってると思うからね…」
ケイトが手を上げて、それに続く。
次にグリムが、パタパタと手を振った。
「じゃあ、あたしは王城にでも行ってみるわ。王様に会いに行くとイベント発生って、基本だし」
何の話でしょう。
「では僕は…サリナさんのお墓参りでもしましょうかね。役所辺り、調べれば場所はわかるでしょう」
ミケが言うと、
「では、私もご一緒しましょう」
「チェルシーも~」
「わたくしも行かせていただきます」
「オレも行っていいかな」
エル、チェルシー、ランスロット、クルムがそれに続いた。
「まー、みんなでぞろぞろ。何、遠足?」
ルージュはからかうように言って、そうね、と続けた。
「墓に行くのも芸ないし…何だっけ、その、例の人形を売りつけたアンティークショップ?そこにでも行ってみましょうか。まだ何か聞けそうな気がするしね」
「んじゃ、俺もついて行かせてもらう」
ジェノがそういったので、ルージュは胡乱そうな目を向けた。
「大丈夫なの?聞き出し失敗してキレて暴れまわったりしないでしょうね?」
「お前、俺を何だと…」
「猪突猛進熱血バカ」
ずばり言われて、ジェノは沈黙した。
「では、明日のために、今日はゆっくり休んで。ここの宿代は、ギルドが出すから心配しなくてもいいよ」
何事も無かったように、フィズが笑顔で立ち上がる。
「フィズは?」
「私は学校の寮に戻るよ。明日になったら、また来るから」
それじゃあ、おやすみ。
そういって軽く礼をすると、フィズは宿屋を後にした。

「いらっしゃいませ、王宮へようこそ!」
「こそ!」
王城に向かったグリムを出迎えたのは、門の両脇に立つ、全く同じ顔をした二人の少女だった。
紫がかった赤い髪を、右の少女は両脇で縛り上げ、左の少女は髪飾りで止めてたらしている。髪と同じ色の魔道装束を着て、ニコニコとこちらの様子を伺っていた。
その様子に多少気おされつつも、グリムはおずおずと用件を述べる。
「え、ええと…入ってもかまわないかしら?」
「どのようなご用件でいらっしゃいますか?」
「ますか?」
左の少女は語尾を繰り返すだけだ。
「ええと…ギルドの依頼で、ある事件について調査してるんだけど…宮廷魔術師に、魔術や呪術に詳しい人がいないかと思って…」
「魔術師でしたら、下手な宮廷魔術師よりも、マリーちゃんのほうがよっぽど有能ですわよ?」
「わよ?」
「ま、マリーちゃん?」
グリムはびっくりして、問い返した。マリーのことを知らないわけではない。いきなり魔術師ギルド長を呼び捨てにしたことに対して、である。
だが、門番の少女は前者のように受け取ったらしい。
「マリーちゃんをご存知ありませんの?魔術師ギルドの総評議長で、とっても有能な魔道士ですわ」
「ですわ」
「い、いや、それは知ってるけど…」
少女はニコニコしたまま、続けた。
「マリーちゃんがお手上げなら、ここのどんな魔術師だって、人形の呪いを解くことは無理ですわ」
「ですわ」
「って…!」
グリムははっとした。
「なんであなたたちが人形のことを知ってるの?!」
「だって、マリーちゃんから直接聞いていますもの」
「もの」
「直接って…あなたたち、いったい…?」
絶句してグリムがつぶやくと、門の奥から、パタパタと忙しげに白装束の女性が走ってきた。
「あああーっ!また公務をサボってこんなところで来城者をからかっていらっしゃったんですか!」
少女たちはきょとんとして彼女のほうを向く。
「アルファ。どうしましたの、そんなにお慌てになって」
「なって」
女性はその言葉に、更に語気を荒くして怒鳴った。
「どうしましたのじゃございません!お二人がいらっしゃらないから、公務がシャレにならないほど滞っているのでございますっ!いい加減にしてくださいませ、エータ様、シータ様!」
「エータ…シータ…?」
何処かで聞いたような名前。
「えー、でもぉ、公務って退屈で嫌いですのー」
「ですのー」
「嫌いもへったくれもありませんっ!ご自分の立場をおわきまえくださいませっ!」
更に青筋立てて、少女たちに怒鳴りつける女性。
「ぶー」
「ぶー」
少女たちは頬を膨らませて抗議の声を上げたが、女性は取り合わないようだった。
「あ、あの…?」
置いてけぼりにされたグリムが恐る恐る声をかけると、少女達はまたグリムに向かってにっこりと微笑んだ。
「お邪魔が入ってしまいましたので、わたくし達はこれで失礼させていただきますわ」
「ますわ」
「ですけれども、ここにいらしても、事件解決のお役に立てないのは、本当ですわよ?」
「わよ?」
「そ…それはそれとして…あなた達は、いったい…?」
その問いには、後ろに控えた先ほどの女性が答えた。
「こちらは、当マヒンダ王国の女王、エーテルスフィア・クィン・マ・ヒンディアトス様、シーティアルフィ・クィン・マ・ヒンディアトス様でございます。お控えくださいませ」
「え…ぇぇええっ?!」
グリムは驚いてあとずさった(浮いているのだが)
「じょ、女王…?!えっ、だって、あたしと大して変わらないくらい…」
「魔道士の外見が、そのまま年齢を語るとは、思わないほうがいいですわよ?」
「わよ?」
ちちち、とシンメトリーで可愛らしく指を振って、エータとシータはウインクをした。
「それでは、ごきげんよう。お別れする前に、あなたのお名前をお聞きしてよろしいですかしら?」
「かしら?」
「ぐ…グリムよ。グリム・K・ラシュナード…」
「グリム様ですねvまたお会いする機会がございましたら、よしなにお願いいたしますわ」
「ますわ」
「は、はあ…」
生返事をするグリムに丁寧に礼をすると、エータとシータは互いに手を合わせて…そして、消えた。
「それでは、私も行きます。あ、城内に御用ですか?ここをまっすぐ行って頂いて、正面にカウンターがございますので、そちらでお願いしますね。それじゃ」
女性もそう言うと、あわただしく印を切って、消えた。おそらく3人とも、転移の魔法を使ったのだろう。
グリムはしばし呆然と、誰もいなくなった門に佇み…
「…魔道って、極めると便利なのね…」
ぽつりと呟いた。

エータとシータの忠告通り、宮廷魔術師に助力を要請してもいい結果が得られなかったことは追記しておく。

「おや、これはいらっしゃいませ。まだ何か、御用ですかな?」
アンティークショップの店主は、薄暗い店の奥から現れると、また不気味に微笑んで見せた。
「ああ、まだ少し訊きたい事があってな。構わないか?」
ジェノは相変わらずぶっきらぼうに訊く。構わないか、と問いつつも、言外に拒否したらわかっているだろうな、と言わんばかりの口調。
「もちろんですとも。何なりとお聞きくださいませ」
ひひひ、とまた不気味な笑みを漏らして、店主はジェノと、後ろにいるルージュに椅子を勧める。
どっかと椅子に座って、ジェノは口を開いた。
「呪う必要がなくても、戯れに…ただ快楽の為に不特定多数に呪いをかける…という奇特なヤツも居たりするモンだ。自分の得になろうが仇になろうが。それすら全てを『楽しみ』としているヤツがいる。もしかしたらお前の会った客と言うのがそいつかも知れんと思ってな…もう少し詳しい話を聞かせてもらおうか?」
「さて、これは…詳しいと申されましても、昨日お話したことで全部でございますが?」
「その客たちが、何を話していたか覚えているか?」
「何を…さて、こちらにおいでくださるほかのお客様方と、同じような事でしたが?人形を気に入って頂いて…可愛いと仰ってくださいました」
「…他には、何も?」
「ええ、普通に人形を買っていかれましたよ?」
「その客というのは、ここにも何度か来た事があるのか?」
「いいえ、後にも先にもあれ一度きりしかお会いしたことはございませんな」
「…一度しか来た事がないのに、どうしてそんなにはっきりと覚えているんだ?」
抑えた声でジェノが質問すると、側にいたルージュがへえ、というように目を見開いて彼を見た。
店主の言葉を待たず、ジェノは続けた。
「『呪いがかかっていない』というのは、ある意味正しいかもな。『呪いではない何か』でも呪いと同じような現象を起こす事ができる…そしてそれを実現させる事のできるものがあるとすればオマエの言っている意味もまんざら嘘じゃぁねぇ。オマエはそれを知ってて女性にその人形を渡した。…いや、元からオマエも付き添いの女性とグルだった、とか。…ま、これは俺の戯言だけどな?」
店内に、しばし沈黙が訪れる。
ややあって、店主は再び不気味に微笑んだ。
「…お客様は、その女性の事をご存知なのですかな?」
「…俺の質問に答えられないのか」
「まあ、そう慌てずとも…ご存知なのですな?ならばお分かりでしょうぞ、私の気持ちが…」
くくく、と低く笑みを漏らして。
「あの女性が放つ魅力は…あれは人間のものではありますまい?ここで様々な物達の「心」に触れて暮らしている私には、よくわかります…あれほどの魂は、一度お目にかかったらそうそう忘れるものではありますまい…お客様も、そのくちではないですかな?」
ジェノは黙ったまま店主を睨みつけている。
「これでは、質問の答えにはなっておりませんかな?ですが、本当にそうなのですから仕方がありますまい。仮に、私がその女性とグルであったとしましょう…ならば、その女性に人形を売った以上、私は用済み…このような所にいつまでも店を構えている理由など、ないのではないですかな?」
「もともと楽しみのために呪いをかけるような連中だ。俺たちをからかうために残っていたとしても不思議じゃねえ」
「これはこれは。そこまでわかっていて、お客様はここに来ていると?それでは、そのようなことを言った程度で、その者たちが容易に口を割るはずもないこともまた、わかっておいでではございませんか?私がその者達の一味であろうと、そうでなかろうと…結果は同じではないですかな?」
「くっ…」
言われて、ジェノは言葉に詰まった。完全にからかわれている。
「ふーん。じゃあさ、そのモノ達の「心」とやらに触れてるあんたに、ちょっと聞きたいんだけど」
ジェノが黙り込んだので、横にいたルージュが質問を始める。
「あんたはあの人形に、なんらかの思いが詰まってたことを知ってたわけ?もちろん知らないことはないわね。さもなきゃ売るはずがないんだし」
「然りですな」
店主は重々しく肯いた。
「で、その人形は、喜んでたの?買われたとき。声が聞こえるんか知らないけどあんたの主観で判断してよ」
「喜んでいましたぞ。新しいご主人様ができたのですから、当然でしょうな」
「喜んでたなら、何かおかしいじゃない。買ってもらったとか愛してもらえるとか、少なくとも人形のサリナの思いは違うと思うんだけど」
「サリナ?それは、誰の事ですかな?」
「とぼけないでよ。この人形を抱いたまま死んだ女のことよ。その女の思念が人形に乗り移って、そこから新しい持ち主に乗り移って、今その人が死にかけてるんだって、聞いたんでしょ?」
「新しい持ち主の女性がそのような状態になっていることはお聞きしましたが、この人形の元の持ち主のことは存じませぬと、そちらの黒尽くめのお客様にお話しましたが?」
ジェノをちらりと見て、店主は言う。
「ですから、その女性のお気持ちも何も…私は存じませんな。ですが確かにあの時、あの子からは歓喜の声が聞こえましたぞ」
にやり、と笑って。
「また、愛する事ができる…とね」
ルージュは、嘆息して質問を変えた。
「あの人を元に戻すには、どうしたらいいかしらね?」
「お客様の心をお客様から取り除く方法をご存知ですかな?」
「は?」
店主の言葉に、ルージュは眉をしかめる。
「お客様のお心を、お客様から取り除く方法は、果たして存在するのでしょうか?」
「そんなこと、できるわけ無いじゃない。そんな方法があったとしても、知らないわね」
「でしたら、あの人形から心を取り除く事もまた、不可能という事になりますな。入れ物が肉であろうとそうでなかろうと、心を取り除くことは出来ますまい…お客様がご存知でない事を、私がどうして知りえましょう?」
「オーケイ、わかったわ。ジェノはもう質問はいい?いいなら帰りましょう」
「だが…」
「このままここで粘っても無駄よ。こいつが知ってるとしても、そうでないとしてもね。他の情報を期待しましょ。邪魔したわね」
渋るジェノを促すと、ルージュは立ち上がった。
「またのお越しを…」
深々と頭を下げる店主に、ルージュは肩を竦めて答えた。
「遠慮しとくわ。私も呪われんのはやだし」

「どうも~、初めまシテ。フルフロム・ルキシュと申しマス。フロムとお呼び下サイ」
「まあ、ご丁寧にありがとうございます。マリエルフィーナ・ラディスカリと申します。どうぞ、マリーとお呼びくださいましね」
ケイトとフロムが魔術師ギルドを訪れると、マリーはまたあの人形のような笑顔を浮かべて丁寧にお辞儀をした。
「すまないね、忙しいんだろう?評議長さんってのは」
「どうということはございませんわ。今回はいかがなさいまして?」
「あたしは…ちょっと、ギルドの昔の事件の報告書を見せてもらおうと思ってさ」
「ええ、よろしいですわよ」
「ちょっと古いけど、あるかねえ?」
「と申されますと?」
「150年前くらいの事件なんだよ…」
「大丈夫ですわ。魔術師ギルドの資料は1000年を超えたものから順に破棄しておりますから」
「そんなに長く取ってあるのかい?!そりゃあ大変だねえ…でも助かったよ、早速見させてもらうね」
「案内をつけますわ、少しお待ちになって」
マリーは言って、唇に指を当てて何かを呟いた。
ややあってガチャリと扉が開き、若い男性の魔道士が姿を現した。
「お呼びでしょうか、評議長」
「この方を事件資料室にご案内して」
「承知致しました。こちらへ」
男性魔道士はケイトを促すと、評議長室を出た。ケイトもそれについて部屋を出、パタンと扉を閉める。
「さて、フロム様はどういったご用件でしょうか?」
「マリーさんに、少しお願いがあって参ったのデス」
「お願い、でございますか?」
「マリーさんの御話によると人形には呪いが掛かっていないトカ。そして推測では『想い』が人形に宿り、それがミィナさんを支配しているトモ」
「ええ、確かにそう申し上げましたわ」
「しかしですネ、前半は信じることが出来ても後半は私には信じることが出来まセン」
「と申されますと?」
「だからと言って『想い』だけで人に対し何らかの影響が与えられるのか、という事が私の考えデス。もし強力な想いだけで人に影響を与えることが出来るとすればこの世はめちゃくちゃデスよ。
遠くから憎い相手に強い殺意を、愛しい相手に幾ら愛情を向けてモ、ただそれだけで相手を殺したり愛を知ってもらうことができないヨウに。
この案件も『想い』が原動だとしてモ、それに他者に影響を与えるまでに膨らませる『何か』がある筈デス。
私は、マリーさん、もしくは魔道のスペシャリストさん達にミィナさん自身の魔道的調査をお願いしたいのデス。呪い以外にも、強い精神干渉術で他人の『想い』を加えられている、などの可能性も考慮しつつ」
「ケイト様達に、わたくしが自ら参って、ミィナ様の魔道的調査を行ったとお聞きになられませんでしたか?」
「はい。ですがそのときは、人形の調査を行ったとお聞きしまシタ。ですから、もう一度…」
「…わたくしが行った調査が、不十分であったと…そう仰るのですね?」
マリーの語気がわずかに下がった。
その陶器のような笑顔の下の底知れぬ気配を感じて、フロムは思わず後ずさる。
「そ、そういうことではありまセンが…」
「…冗談ですわ」
またにこりと微笑むと、マリーは窓際に歩いていって、外を眺めた。
「…ねえ、フロム様?想い、とは一体どういうものなのでございましょうか?」
「…なかなか、難しい質問をなさいマスね…」
「確かに、強い想いだけで力を具現化するのは、不可能のように想われます。想いを形にするためには、肉体が必要であり、魔道力が必要です。…ですが」
マリーは振り返って、またにこりと微笑んだ。
「わたくしは、こうも思いますのよ…具現化できない想いならば、それはその程度の想いなのだ、と…」
「…その程度…?」
「誰しも、生きていくためには縛られなくてはならないなにがしかがございます。社会であったり、友人であったり、家族であったり…もっと狭い範囲で申せば、毎日食べる事、寝ること、排泄をすること…人とは、なんと多くのものに縛られ、それに想いを配って、生きていかなければならない生き物なのでしょうね」
胸のあたりで組んでいた、黒い手袋に包まれた細い手を、フロムに向かって広げて。
「しかし、それをすら忘れるほどの…強い想い。ここまでくれば、ほとんど狂気と申しましてもよろしいですわ。食べる事も、寝ることも、愛しい家族のことも、社会的なしがらみも。すべてを忘れ去る事が出来るほどの、強い思いがございましたら…それは、力を具現するのに、肉体も魔道も必要としないのではないでしょうか…?わたくしは、そう思いますのよ」
フロムは黙り込んだ。
人形を自らの子供と思い込み、それを抱いたまま衰弱死をしたサリナ。
食べる事も、寝ることも忘れ、家族も恋人もすべて拒絶して、人形をあやしつづけるミィナ。
他のすべてを忘れ、ただひとつの事を想う…狂気。
「…では、あの人形に宿った想いは、それほどのものだと…?」
「あくまで、わたくしの所見ですが。ご参考までに申し上げますと、魔道的な調査は、ミィナ様にもいたしましたわ。結果は…ご存知でいらっしゃると思いますけれども。ですから、わたくし達はフロム様たちにお仕事を依頼したのですわ」
「…そうデスか…」
フロムは俯いて、黙り込んだ。

「サリナちゃんのお墓があるのは、この先だよぅ」
地図を見ながら、チェルシーが嬉しそうにそう告げる。
役所で場所を尋ねると、姓からすぐに墓は判明した。大きいのからちっちゃいのから、総勢5名。ぽかぽかとした陽気の中、行き先が墓地でなければさながらピクニックのようだ。
「チェルシーは、サリナの墓に行ったら、どうするつもりなんだ?」
クルムの問いに、チェルシーはうーんと考えた。
「チェルシーね、サリナちゃんにお花をそえようと思うの。それでね、訊いてみるの」
「何を?」
「どうしてセレちゃんとお人形ちゃんを間違えちゃったんですか、って。間違うくらいだったら、本当に愛してたんですか、って。訊いてみるの」
「そう…だね…」
クルムは少し辛そうに眉を寄せると、前を向いた。
「愛、とは…どんな形であるのか。永遠の命題ですが…少なくとも彼女に関しては、愛していた、のではなく、愛されたかった、という思いが、強く感じられます…それゆえに、見えなくなってしまったものもたくさんあるのではないでしょうか」
エルはチェルシーの歩く速さにあわせるために、少しゆっくりめに歩いている。チェルシーは俯いて、ジャンクをぎゅっと抱きしめた。
「そんなのって…悲しいね…。チェルシーも、チェルシーのこといっぱいいっぱい好きになってほしいよ。でも、チェルシーも同じように、いっぱいいっぱい、誰かのこと好きになりたい…好きになってほしい、だけじゃ、絶対ダメなんだよ…そう思う」
「セレはサリナの深く悲しい愛情によって心を失ってしまった…そして今、サリナのものだった人形を手にした女性が、同じ苦しみの中で彷徨っている…自分と同じ苦しみに迷う女性を救いたいなら…セレの幸せを願いたいと思うなら…人形にこもった念を、開放して欲しい…オレ、そう、彼女に言いたいんだ」
前を向いたまま、真剣なまなざしで言うクルム。
「エルさんたちは、どうなさるおつもりなんですか?」
ランスロットが聞くと、エルはミケと顔を見合わせた。
「以前本で読んだ、人形(ひとがた)、というのを試してみようかと…思うんですよ」
「人形?」
問い返すと、エルは懐から小さな木の人形を取り出した。
「はい。このように、木で作った人形に名前を刻み込み、その人に見立てて、思いを封じ込める…という呪術的な方法が、ナノクニで用いられておりまして…」
「そうか、エル、前にも紙に文字を書いて何かやってたもんな。符…だったっけ?」
「はい。あちらはともかく、こちらは本を見て知っただけなので、上手く行くかどうかはわからないのですが…」
「サリナさんがセレさんだと思って、共に昇ってくれればいいんですけど…」
そう上手くはいかないかも、という含みを持たせて、ミケ。
「ランスロットはどうするんだ?」
クルムの問いに、ランスロットは嬉しそうに後ろに持っていた花束を差し出した。
「はい、お花を…」
ぎゃーぎゃーぎゃーぎゃーぎゃー。
確かに見た目は花だったが、中心によく鳴く卵が。
「…それ…」
「卵草といいます」
蒼白になって問うクルムに、なぜかポッと顔を赤らめて答えるランスロット。
しばし、沈黙。
「…ええと…お墓を喰われちゃうと困るから…やめといた方が…」
「ええっ?!そ…そうですね…」
大仰に驚いて、それからしょんぼりするランスロット。
「あ、あそこですよ」
何とか場を取り繕おうとするように、妙に明るい声で進行方向を指差すミケ。
柔らかな日差しに包まれて、緑に囲まれたそこはまるで、死者が訪れる楽園のようにも思えた。
墓の形は少々奇妙だが、どれもよく手入れされ、周りの植物もきれいに整えられている。
5人は穏やかな気持ちで、墓地へと足を踏み入れた。
役所の地図は丁寧で、目指す墓までの道もきちんと書かれている。
地図を片手に、目指す墓に近づいていき…。
そこで、足が止まった。

墓の前に、誰かがいる。

墓の方を向いて…つまりはこちらに背を向けていて顔はわからないが、チェルシーを除く全員が、その後姿を見た瞬間に表情を凍らせる。
白を基調とした風変わりな装束。
後ろでまとめられた、緩やかなウェーブを描くライトブラウンの髪。
白い服と奇妙なコントラストを描く、褐色の肌。

冒険者達の足をとを聞きつけてか、気配を感じてか。
その少女はゆっくりと振り返った。
全てを映していて、そして全てを映さない、琥珀色の瞳。

「セレ…さん…」

《サリナ・ミレイン衰弱死事件に関する報告書(要約)》

王国歴1469年、マティーノの第5日、王都市街シアン地区にて
女性の変死体が発見された。

被害者:サリナ・ミレイン 34歳
場所:市街シアン地区の簡易アパート(自宅)
死因:検死の結果、栄養分をほとんど摂取していないことによる衰弱死と判明。

現場は争った形跡もなく、被害者が手足を縛られていたなどの跡も見られない、
また自宅の食糧貯蔵庫には腐りかけてはいるものの食料も保存されていたなど
不審な点も多く、自警団と共同で捜査本部を設置、捜査を開始。

住民票には、夫と娘と3人暮らしと記載されているが、
夫(ジスタ・ミレイン 36歳)は王国歴1455年に行方不明となり
親族筋から捜索願が出されるも発見はされていない。
娘(セレスティナ・ミレイン 17歳)の遺体は発見されなかったことから、
事故・事件の両方面から捜査を進めている。

《追記》
ジスタ・ミレイン、セレスティナ・ミレイン共に行方不明のまま遺体も発見されず
また、サリナ・ミレイン衰弱死に関する手がかりも見つけられないまま捜査は打ち切られ、
15年後、法定期間が経過したため両名の戸籍が正式に死亡に書き換えられた。

《戸籍簿 写し》
サリナ・ミレイン 王国歴1435年 フルーの第35日生まれ
王国歴1469年 マティーノの第5日 死亡 享年34歳
ジスタ・ミレイン 王国歴1450年 マヒンダ王国に帰化(当時17歳) 西方大陸・シェリダン出身
王国歴1470年 ファルスの第15日 死亡勧告 享年42歳 
セレスティナ・ミレイン 王国歴1452年 ディーシュの第2日生まれ 
ジスタ・ミレイン、サリナ・ミレインの第一子
王国歴1484年 マティーノの第5日 死亡勧告 享年32歳

当時の事件記録とにらめっこを続けながら、ケイトはうーんと唸った。
傍らには、この事件の相関図。夫が行方不明。妻は悲しみのあまり子供を幽閉。意思のない人形のように成長した子供は、人形にすりかえられてチャカの元へ。妻は人形を子供と思いあやしつづけ、衰弱死…そしてその人形に乗り移った妻の思いが、今罪もない一人の女性を乗っ取って苦しめている。
「ああ…何かあんのか…なんてあたしにわかるはずもないじゃんかさー!!!」
叫んで、頭をくしゃくしゃと掻き毟る。
と。
「はかどっていらっしゃいまして?」
後ろから覗き込まれ、ケイトは振り返って苦笑した。
「見ての通りさ。このサリナ・ミレインさんっていうのが、あの人形に込められた意思の持ち主だっていうことは、ほぼ間違いないんだろうけどねぇ…」
マリーは、ケイトの書いた相関図を眺め…ぽつりと言った。
「この奥様は、どうしてお子様を幽閉なさったのでしょうね…?」
「え?そりゃあ、旦那をなくして淋しかったんだろ?」
「旦那様によほど依存なさっていたならともかく、普通は行方不明になったのなら、親子二人強く生きていこうと心に誓うのではございませんこと?淋しさのあまり子供を幽閉するというのは、明らかに異常な精神の働きですわ。彼女を狂気に追い込む何かが、あったのではございませんか…?」
「なるほどねえ…」
「例えば…旦那様に裏切られた…ですとか」
ケイトの表情が固まる。
「そうか…!それなら、赤ん坊は絶対に手放すもんか、と思うかもしれないね!なるほど…」
「そうなると…旦那様の行方不明、というのも、怪しくなってまいりますわ」
マリーの言葉に、ケイトはぎょっとして彼女を見た。
マリーは相変わらず陶器のような端正な…生気のない笑みを浮かべている。
人のいいケイトには、この美しい笑みの下で展開される残忍な発想とのギャップが理解できなかった。
「それって…サリナさんが…」
「永遠に自分のものにしようとしたのでしたら…その心の動きは、わたくしにも理解できましょう」
「そう…か…それで…サリナさんの心は…壊れちまったんだね…」
「奥様は心を病んだままお子様を育て…いいえ、現実の全てから逃げて、夢の世界に閉じこもった奥様にとって、子供はいつまでも赤ん坊のままであったのかもしれません。あの人形をお持ちになったミィナ様が、赤ん坊をあやすような仕草をされるのは、そのためでしょう」
マリーは笑みを少しだけ深くした。
「そのような心の状態にある奥様が…子供が成長し、自分の手から離れていくという現実に、果たして耐えられましょうか…?」
「!………」
ケイトは驚いてマリーを見、そしてゆっくりと報告書に目を戻した。
麻痺しかけた頭で、あまり得意でない計算をする。
「マリーさん…この国で、成人の年齢って…?」
「18ですわ」
「事件が起こったのは…セレさんが17のとき…」
「それまでは、病んでいつつもお子様自身を愛し、普通に食料を摂取し、就寝していた奥様が…人形を抱いたまま衰弱死する…そのきっかけとなる何かが、そのときに起こったのやも知れませんわね」
「……………」
マリーの言葉をどこか上の空で聞きながら。
ケイトは報告書の端を破れんばかりにぐっと握りしめ、いつまでも見つめていた。

彼女は人形。
彼女は意志を持ってはならない。
彼女は成長してはならない。

人形は、成長しないから。

人形でなくなったものはどうなるのか。
人形であったから価値があった彼女。
用済みになった人形は。

処分される。

(お勤め、ご苦労様です)
口には出さずに言って、ミケは心の中で嘆息した。
一歩前に出て、肩を竦めて。
「お久しぶりです、セレさん。なんだか、お宅の母君、娘さん探して暴走気味らしいので、説得してくれませんかね?」
半分おどけたような口調で、言って。
彼自身も、その願いが通るなどとは思っていないのだろうが。
対するセレは、無反応。
「えっえっ、この人が、セレちゃんなの?」
セレとは初対面のチェルシーが、きょとんとした様子で前に出る。
「チェルシーね、セレちゃんに聞きたいことがあったの。
あのね、お母さんに愛されて、幸せだった?お母さんと離れて、淋しくなかった?」
ジャンクを抱きしめたまま、可愛らしく首を傾げて。
セレは、しばし沈黙して、やがておもむろに口を開いた。
「彼女には、幸せという感情、淋しいという感情が理解できない」
「…そんなこと、ないと思うな。チェルシー、パパとママのことぜんぜん覚えてないけど、パパとママがいないと淋しいもん。パパとママに愛されたら、幸せだと思うもん。セレちゃんもきっと、同じだよ」
「彼女には意思がない。感情は、理解できない」
「そんなことはないはずです!」
横から必死な様子で言ったのは、ランスロット。
「あなたに自我がないなんて嘘です。でなければなぜ、チャカさんの命令は聞いてこちらの言うことは聞かないのですか?
それは最初が強制であってもあなたが選んでいることですよね?
なぜチャカさんなのですか?チャカさんのことがお好きですか?
自分がしていること、チャカさんがしていることを、あなたはどう思っていますか?
いいこと、わるいこととかは別にして、疑問をもたないのですか?
チャカさん以外の方の言うことを聞く気はありますか?
自分について考える事を放棄していませんか?『あなた』の好きなたべもの、好きなこと、したいことはなんですか?」
まるで、自分のことのように、切なげな表情で。
「考えてください…考えられるはずです。考えなければ、あなたはあなたでなくなります」
セレはなおも無表情のまま、しばらく沈黙して。やがて、よどみない口調で、言った。
「道具は意思を持たない」
まるで、そう口に出す事を予め記録されていたかのように。
「道具は疑問を持たない。道具に疑問は必要ない。故に彼女は、意思を持たない。
チャカ様の命にのみ動くのは、そう『設定』されているからである。
チャカ様の管理を離れれば、次の主人が彼女を支配するのでなければ、彼女は滅びるのみ」
「あなたは、道具ではありません!」
続けて言ったのは、エルだった。
「あなたは道具ではない…れっきとした人間です。あなたの可能性を奪うものから、自由になってください。あなたのすることは、あなたが決めてください」
「不可能」
セレの答えは、にべもなかった。
わかっていたこととはいえ、エルは肩を落として首を振った。ランスロットはまだ何か言いたげではある。
「なあ…君のお母さん…サリナさんの残した想いが、今一人の女性を苦しめている。そのことは…どう思う?」
クルムが、慎重に言葉を選びながら問う。セレの答えはすぐに帰ってきた。
「チャカ様の予定調和のうちである」
「お母さんのことは…もう、愛していない…のかな?」
悲しそうに。ゆっくりと、問う。
「人形に愛情は存在しない」
セレは言って、墓の方を向いた。
「ここに葬られているのは、人形をしか愛せなかった女性の亡骸である」
二歩、三歩。墓に近づいて、言葉を続ける。

わたしのかわいいあかちゃん。
わたしのかわいいあかちゃん。
わたしだけをみつめていて。
わたしだけをあいしていて。

「彼女は人形を持っていた。
彼女の血と肉を分けた人形である。
その人形を彼女に作らせた人物は、彼女の愛を拒否した。
その事実は、彼女には耐えられなかった」
しかし、彼女が向かっていたのは、その墓ではなかった。
墓の向こうに立っている、奇妙に茂った大きな木。

あなたはまちがえているの。
あなたがあいするのはわたし。
あなたをあいしているのはわたし。
まちがいは、たださなければいけないの。

「人形は、そのとき目の前で起こったことを記憶している。
彼女は、彼の頭を棍棒で殴打した。
何度も何度も殴打し、やがて彼は動かなくなった。
彼女は彼の身体をここまで運び、この木の下に埋めた」
まるで御伽噺を棒読みで読むエレメンタリーの子供のように淡々と語られる内容に、冒険者たちは顔を蒼白にした。

あなたはえいえんにわたしのもの。
あなたはえいえんにわたしだけをあいしている。
ほら、こうしてうめておけば、
だれにもあなたをうばうことはできないわ。

「それから、彼女は人形を片時も離さなかった。
彼女は人形に持ちうる限りの愛情を注いだ。
だが、人形は彼女の意思に反した」

わたしのかわいいあかちゃん。
このながいてはなに?
このおおきなからだはなに?
あなたはあかちゃんなのに。

「…意思に…反した…?」
訝しげに問うミケの方を向いて、セレは続けた。
「人形は成長した。
成長し成人するということは、彼女の元を離れるということ。
彼女の愛を拒否するということ。
彼女は、それに耐えられなかった」
セレの言った事の意味を察知して、さらに顔を蒼白にする冒険者達。

あなたはあかちゃんじゃない。
あなたはだれ?
わたしのあかちゃんをどこにやったの?
わたしのあかちゃんをかえして。

「彼女は、人形を処分する事にした。
そこに、魔法使いが現れた。
魔法使いは、人形を別の人形と摩り替え、
赤ん坊に戻す事で彼女を納得させた」

ああ、わたしのかわいいあかちゃん。
やっともどってきたのね。
もうにどと、あなたをはなさないわ。
そう、このからだがほろんでも。

もう、にどとあなたをはなさない。

「人形は、魔法使いが持ち帰った。
今は、その魔法使いの命令で動いている」
魔法使い、とはもちろん、チャカのことだろう。
「そん…な…ひどぉ…い………」
チェルシーは、両手を口に当てて、カタカタと震えている。
何もかもが、彼女の理解の範疇を超えたことだった。愛するものを縛ること。愛するものを殺すこと。
そんなことをしても、何の意味もないのに。
想像していたよりもずっと残酷な事実に、冒険者達は二の句が告げない様子だった。
「人形は、持ち主の命令で動くものである。
人形は、持ち主以外の命令では動かない。
それは、人形の存在する意味そのものを否定するものであるが故に」
セレは同じく、淡々と語って、冒険者達に歩み寄り…
す、とその横を通り抜けて、出口へと向かう。
「セレ!」
クルムの呼びかけに、振り返らずにセレは答えた。
「任務終了。帰還」
歩みをまったく緩めずに、すたすたと出口へ向かっていく。
冒険者達はその小さな背中を、見えなくなるまで呆然と見送った。

「本当に、こんなことをして上手くいくのでしょうか…?」
更に数日後。
冒険者たちは、マヒンダからヴィーダへと戻っていた。
マヒンダでの調査を終え、ヴィーダでミィナの呪いを解くためである。
だが、マヒンダでの調査は、想像を超える無残な事実を知っただけで、呪いを解く具体的な方法までにはついに至らなかった。
ゆえに、冒険者の誰もが自分たちの用いる方法については半信半疑であった。
その気持ちを、代表してエルが述べると、全員がなんともいえない表情になる。
それには、首を振ってルージュが答えた。
「しょうがないでしょ。ホントは、そのセレとかいう女に『私も愛してる』とか『お父さんと仲良くして』とでも言わせれば解決するんじゃないかと思うんだけど。あんたたちの話によると、そんな説得が通じる相手じゃなさそうだし」
「最初は、その旦那さんに見立てた方に思いを吐き出させれば満足して昇天するんじゃないかと思ったんですけどねえ。もう吐き出して、復讐も果たしてしまった後だとすると、これしか」
嘆息して言うミケの視線の先には、セレ。
もちろん本人ではない。どころか、本人よりもやや年齢が下のように見える。
「サリナちゃん、チェルシーのことセレちゃんだと思ってくれるかなあ?」
その口からつむぎだされた声は、チェルシーのものだった。
チェルシーの周りに、ミケが幻影魔法をかけたのである。
「大丈夫さ。もう、セレさんを愛したいっていう想いしか残っていないんだからね、多少の矛盾には気がつかないよ」
彼女を安心させるように、破顔して頭を撫でるのは、ケイト。
これは、彼女の発案によるものだった。
「それに、相手の心に語りかけるプロのフロムさんもいることだしね。大丈夫、きっと上手くいくよ。
サリナさんは現実が受け入れられずに、夢の世界に逃げ出した。
辛い現実から彼女を解き放つには、『優しい嘘』で、彼女を安心させてあげるのが一番さ」
「微力ではありますが、お役に立って見せますヨ。サリナさんの心を開く糸口を、きっと作って見せマス。医者として…人として…彼女は救わなくてはならないと思いますカラ」
フロムが強い意志をたたえた瞳で言うと、チェルシーは嬉しそうに頷いた。
とはいえ、顔はセレなので、慣れている者にとっては微妙に違和感がある。
「さあ、チェルシーさん。変声の魔法をかけますよ。用意はいいですか?」
「うん、いつでもいいよ、ミケちゃん」
ミケは目を閉じて、チェルシーに手をかざした。
「風よ…鳥の囀りをひとたびこの者の元に」
と同時に、フロムもミィナの元に歩み寄り、肩に手をかけて、目を閉じる。
グリムやランスロット、クルムたちが固唾をのんで見守る中、チェルシーはゆっくりとミィナに向かって歩き出した。
「ママ…ママ…」
口からさえずり出るのは、セレの声。
だが、チェルシーは記憶から抜け落ちている彼女自身の母親に向かって語りかけているのだろう。
思いを込めて。
声は同じでも、まるで別人のセリフのようだった。
「ママ…セレよ。聞こえる?ママ…」
「セレ…セレ?」
ミィナが、初めて人形から目を上げて、チェルシーのほうを見やる。
チェルシーはにこりと微笑んで、ミィナに向かって両手を差し出した。
「ママ、セレはここよ。ずっとママのそばにいて、ママだけを愛してるわ」
思いを込めて。
セレがサリナに向かって言えなかった分まで、チェルシーは語る。
「セレ…セレ…」
ミィナの、人形を抱く腕の力が緩む。
冒険者たちが、ほっとしたように表情をやわらかくした。
そのとき。

すと。

その音は、妙に軽く聞こえた。
だが、ミィナとチェルシーの間に、それは決定的な亀裂を生むかのごとく、残酷に舞い降りる。
ふわり。ライトブラウンの髪を風に乗せて。
彼女は無表情に、こちらに視線を向けた。
表情を凍らせたチェルシーが、恐る恐る彼女の名を呼ぶ。

「…セレ…ちゃん…」

全員が、その場から動けなかった。
彼女が何をするのか、何をするつもりでここに降り立ったのか、全く予想がつかないから。
がしかし、セレもまた、天井裏からここに降り立って何をするでもなく、冒険者たちに無表情に視線を向けている。
しばらく膠着状態が続いた。
「あーもう、うざいわね!いいかげんにしなさい!」
その膠着を破ったのは、ルージュ。
「あんた、人形きどりで何がしたいのよ一体。人形のようにした母親が憎いの、それとも逆なの?それすら無いっていうんなら、ここに存在する価値も理由もないわ。
自我も感情も存在しないようなくせして単に気がついてないのか壊れたのか。それとも気がつきたくないわけ?まったく馬鹿馬鹿しい。もしそうなら親子そろって逃げまわってんな。あんたのせいで迷惑してるんだから母親にありがとうだの大嫌いだの心込めて言いなさいよ!」
ガラにもない激昂ぶりに、他の者たちも驚いてルージュを見る。
セレは相変わらずの無表情。
その口がうっすらと開かれ、言葉が紡ぎ出される。

「…ずいぶん酷いことを言うのね」

その口から出た声は、彼女のものではなかった。冒険者たちはぎょっとして彼女を見、うち何人かは、聞き覚えのある声に顔をこわばらせる。
「これ…!」
「チャカさんの…声です…」
クルムとミケが口々に言い、他のものたちも息を飲む。
セレは続けた。
「驚いた?まあ、アタシの心をダイレクトに受け取ってそれに従うようにできてるんだから、やろうと思えばこういうこともできるわけ。お久しぶりね、ミケ、クルム…それにジェノ、エル…ええと…今はランスロット、でいいのかしら?」
口からは笑いが漏れるが、セレの表情は変わらない。
「そこのアナタ…ルージュ、だっけ?アナタがずいぶんとひどいことを言うものだから、つい口が出ちゃって。ごめんなさいね、本当はセレに任せたかったんだけど」
「酷い?本当のことじゃない。感情を持ってない奴に、存在する価値なんてないわ」
「そう、じゃああなたは価値のある存在なのね」
「当然じゃない。私は自分の意志で動いてる。自分の意思で生きてる。あんたの思い通りに動く人形と同列に扱われるなんて虫唾が走るわ」
「本当にあなたの意志?」
「何ですって?」
セレの口の向こうで、チャカがくすりと笑ったような気がした。
「アナタが今まで生きてきて、こうしてここにいるのは、本当にアナタの意志?ねえ、ディアス家のお嬢様?」
ルージュは、はじかれたように顔を上げて押し黙った。
「どうせ運命っていう大きな流れに翻弄されるしかないくせに、その中でちっぽけな意思があるのとないのとで、どうして価値とまで言われなきゃならないのかしら?人間は意思があるものでなければ価値がない、自分のことは自分で決めるべきだ、なんていう一方的な価値観を押し付けておいて、それに当てはまらなければ意味がない?価値がない?思い上がりも甚だしいと思わない?」
彼女にしては珍しく饒舌である。
「そんなことはありません。人間は、自分の意志を持ち、自分で決定してこそ人間足りうるのです。セレさんの可能性を閉ざすのは辞めて、彼女を解放してください」
噛み付くように反論したのは、エル。
「この子が母親から身を守るために心を無くしたのは、この子の意思よ?」
くす、という笑いが聞こえる。
「アナタがアナタの意思だと思っているものは…本当にアナタの意志なのかしら?
アナタがそう思ってるだけじゃないっていう保証は、どこにあるの?
アナタたちは存在する確たる証拠がないものをあると言って有難がって、自分にはあると言って安心し、ないものを価値がないと蔑むのね」
セレは一歩前に出て、右手を胸の上に置いた。
「それとも…じゃあ、この子に決めさせてみましょうか?
母親に、アナタが一番したいと思っていることをしなさい、とでも?」
「そうしてください…セレさんにも、したいと思っていること、好きなこと、嫌いなものはあるはずです…セレさんにも、考えるチャンスを与えてあげてください…」
悲痛な表情で、ランスロット。
セレはこくりと肯いた。
「オーケイ。じゃあアタシはこの子の心から意識を離すわ。あとは勝手にやって頂戴。チャオ」
チャカの声は、それきり途絶えた。
その言葉が、本当の事であったかどうかはわからないが。
セレはそれきり、微動だにしない。
まるで本当に、コントロールを失った人形のように。
「セレさん…」
ランスロットが一歩前へ出て、語りかける。
「セレさん、あなたはお母さんに対してどう思っていらっしゃるのですか?お母さんに伝えたいと思っていたことを、今…伝えてください」
琥珀色の瞳が、わずかに動いた。
セレはくるりと振り返って、ミィナの方を向いた。
そして、はっきりと、彼女に向かって言葉を紡ぐ。

「彼女は孤独である」

ミィナの身体がびくん、と跳ねる。

「彼女を愛する者など存在しない」

人形を抱いた腕が、ぶるぶると震える。

「彼女は誰にも愛されない」

「いや………」
ミィナがぽつりと呟く。
皮肉にも先ほど心を少し開きかけていたからこそ、その言葉はダイレクトに彼女の心に響いた。
かたかたかた。彼女が座っている椅子が、そして彼女自身の歯がこすれて小さく音を立てる。

「彼女は誰にも愛されない」

「やめてえぇぇぇぇぇっっ!!」
ミィナが金切り声を上げて立ち上がり、座っていた椅子ががたんと音を立てて倒れる。
「いやあぁぁぁぁっ……」
ふ、と。
悲鳴の途中で、彼女は意識を失ったように後ろに倒れこんだ。
「…っと……」
先ほど術をかけていたのでちょうど後ろにいたフロムが、それを受け止める。
その拍子に、彼女があれだけ離さなかったミルク飲み人形は、とさ、と床に落ちた。
セレはくるりと振り返り、よどみない足取りで窓まで歩いていくと、ひょい、と桟を乗り越えて外に出た。
「ま、待てっ!」
ジェノが慌ててそれを追う。ルージュとケイトも後に続いた。
「のわぁっ?!」
最後に桟を越えたケイトは、ここが二階であることをそのときに思い出したようではあったが。
「どういうことなのでしょうか…?」
「彼女に現実を突きつけることで…止めを刺した…?そんな…何てことを…」
ランスロットとクルムが呆然として4人が出ていった窓を見つめている。
「止め…には、なっていないようですよ…」
緊張を含んだミケの声に振り返ると。
ミィナの腕から落ちた人形が、黒い瘴気を漂わせながらふわふわと浮き始めているところだった。
『セレ…セレ…ドコナノ…』
しわがれた老婆のような声が当たりに響く。
『ワタシヲアイシテ…ワタシヲ…ヒトリニシナイデ…』
黒い瘴気はじわじわとその濃さと大きさを増していく。
冒険者たちは身構えた。


「待ちやがれっ!」
ジェノは必死でセレを追いながら、持っていた槍の穂先に巻いた布をするするとほどき…
ごす。
後ろからルージュが酒瓶でその頭を殴った。
「ってえぇっ!」
走りつつも、頭を押さえて抗議するジェノに、ルージュは冷たく半眼を送った。
「あんたこんな街中で何するつもりよ。せめて人気のないところにしときなさい」
「いやそれはいいが、その酒瓶はどこから…?」
「乙女には神秘的な謎がたくさんあるのよ」
「へえ、ルージュさん、その年でおと…」
ごす。
横から余計な口出しをしたケイトに一瞥もくれずに再び酒瓶アタック。
ともあれ3人はセレの後を追った。身軽ゆえに足が速く、ついていくのが精一杯ではあったが。
やがて郊外に出て、人気のない広場に差し掛かる。
「そろそろいいかしら…ねっ!」
ルージュはスナップをつけて、セレの足元にナイフを投げ放った。
かっ。軽い音を立ててセレの前の地面にナイフが突き刺さり、足が止まる。
セレはくるりと振り返り、3人と対峙した。
ジェノは待っていたとばかりに槍を大きく振るい、身構える。
「お前に何を言っても無駄そうだからな。俺は俺なりのやり方でお前を連れて行くことにする。…俺の心を読め。それが全てだ!」
大ぶりな構えで、斬りかかる。
セレはあっさりそれをかわす。
二度、三度。必死に戦いを挑んでいる…傍目にはそんな様子が感じ取れたが、セレはただかわしているだけで、攻撃を仕掛ける様子は見られない。
「どうした?!かかってきたらどうだ!」
再び距離を開けて、ジェノが言う。その行動の意図が計れず、ルージュもケイトも手が出せずにいるようだった。
セレは息を切らせた様子も見せず、淡々と語った。
「敏捷力では彼に勝ち目はなく、彼女の攻撃力を利用してのカウンターを狙っている」
ジェノの腹積もりを、つまりは、彼の心の中を。ジェノはそれも承知の上のようで、静かにその言葉を聞いていた。
「彼は彼の心の内を彼女に読ませることで、彼女をこの一件に協力させようとしている」
あっ、とケイトが声を漏らした。
つまりは、セレにあえて心の声を聞かせることで、彼女を説得しようとしたのだ。
だが、セレの答えはにべもなかった。
「心の内を読み取る事と、命令に従うことは、異なる物である」
そう、心が読み取れるといっても、その心の声に従うかどうかとは、また別問題なのだ。
「彼らの心の声は、情報でしかない。彼女への影響力は、彼らが期待する意味では、皆無である」
もしそれが出来るのなら、この親子はこれほどに心を切り離されてはいなかったであろうから。
く、とジェノは苦悶の声を漏らした。ルージュも肩を竦めて、ため息をつく。
「なんで…お母さんに、あんな言葉を?」
ケイトは辛そうな表情で、セレに問うた。
「チャカ様のご命令は、彼女が思うことを彼女に告げよとのものだった。故に彼女は真実を告げた」
「真実が…必ずしもいい結果を産むとは限らないよ…優しい嘘だって…時には必要なんだ…!」
はたり。
耐え切れなくなったように、その赤い瞳から涙が零れ落ちる。
「いいじゃないか…ただ愛されたかっただけなんだろう?悲しくてどうしようもなくて、逃げていたかっただけなんだろう?いいことだとは言わないよ…でも、誰だってそういう時があるじゃないか!あたしにはそれを責める事なんか出来ない…せめて最後ぐらい…安心して、満たされた気持ちで昇らせてやってもいいじゃないか…!」
涙をボロボロこぼしながら、必死で訴えるケイト。最後の方は嗚咽にまぎれて、よく聞き取れない。
セレはしばしそれを無言で見つめていたが、やがてくるりと踵を返すと、歩き出した。
「チャカとかいう女のところに帰るの?」
ルージュがイライラした様子で問うと、振り返らずに答える。
「命令を終えたあとは、帰還せよとの命令を受けている」
「あんたは、それでいいわけ?」
重ねて問うと、セレは顔だけ振り返った。
「人形に意思は必要ない。人形に疑問は必要ない。彼女は、主の命に従うのみ」
そして、今度こそ去っていった。
3人はその後姿が消えてしまうまで、呆然と見送っていた。


「……っ……あ……わたし…?」
「ミィナ!」
目をあけて最初に彼女が目にしたのは、目に涙をたくさん浮かべて自分を見つめる、ずいぶんとやつれた婚約者の顔だった。
「ソル…?わたし、どうして…」
体がずいぶんだるい。自分は今まで、どうしていたのだろう。
「悪い夢を見ていたのデスよ」
ソルの傍らに立っていた白衣の男性が、なぜか悲しそうに微笑んでそう言った。
「とても幸せで…そうであるがゆえにとても悲しい夢デス。
でもあなたは現実に生きなければなりマセン…夢の中の幸せでなく、本当の幸せを、つかんでいってくださいネ…」
彼の言っている事がよくわからず、ミィナは首を傾げた。
「ああ、お目覚めかい…ちょうど良かった。あったかいスープを作ったよ。さ、お飲み」
そんなセリフとともに入ってきたのは、やはり見知らぬ大柄な女性。湯気と美味しそうな匂いが立ち昇るスープを手に部屋に入ってくる。その目元は、フェイリア特有の赤褐色の肌より少しだけ、赤く腫れているような気がした。
「…ありがとう」
この人たちは誰だろう?そんな疑問も去ってしまうほど、ミィナの身体は疲れきっていて、スープの湯気と匂いは心地よかった。

悪い夢を見ていたのだ。
そう思えばいい。

「ミィナさん、目が覚めたそうよ」
グリムの言葉に、ミケは苦笑を返した。
「そうですか…」
その腕の中には、もう原形を留めないほどに焼け焦げた人形。
部屋の中にいた誰もが、何も言い出せずに、その人形を見つめていた。
「………」
そうするつもりだった。
上手くいかない、最悪の場合は、無理矢理にでも人形を奪って、焼く。
その『意思』によどみはなかった。
だが。
「…軽い…ですね…」
ミケは眉を寄せて、焼け焦げて小さくなった人形を見つめる。
黒い瘴気を漂わせて、冒険者達に飛び掛ってきた人形。
とっさに炎の魔法を放った自分。
「…軽い…あまりにも…」
あまりにもあっけなかった。
当然である。百数十年の時を経たとはいえ、元はただの、何の力も持たない女性の意識。
戦いに慣れた冒険者達をてこずらせるほどの力など、あろうはずもなく。
ただ、軽い感触だけが残った。
まるで、抵抗もしない一般人の命を、無残にもぎり取ったような。
「セレは…知ってたのかな…ああ言えば、ミィナさんの心から、サリナさんは出て行くって…」
クルムが、ぽつりと呟く。
「サリナさんの思いも…オレたちの思いも…何もかも知っていて…全て受け入れて…本当は…そうなのかもしれない…」
さあ、とセレが出ていった窓から流れた風が、カーテンを揺らす。
窓から差し込む穏やかな陽射しの中、冒険者達はいつまでも、無言でその部屋に佇んでいた。

「今回は本当にありがとう。とても助かったよ。また何か仕事を頼む時は、よろしく」
翌日。
報酬を受け取りにヴィーダの魔術師ギルドを訪れた冒険者達は、帰りがけにフィズに見送られた。
「こちらこそ。またお会いできるといいですね」
笑顔で握手をするエル。
「フィズさんはこれからどうなさるんです?」
ミケの問いに、フィズはにこりと微笑んだ。
「マヒンダに帰るよ。一応これでも学生だからね。公休扱いにはなっているけれど」
「かのじょには、会っていかないのぉ?」
チェルシーがにこにこしながら言うと、フィズは苦笑した。
「それが、どうやら出かけているようでね。もう学校は夏休みに入っているし、バカンスに出かけたらしいんだ」
「そうデスか~、残念でしたネ~」
あまり残念そうではないフロム。
「バカンスか…」
遠い水の王国に思いを馳せるジェノ。
「ま、今回は報酬もらえたし。あまり力にはなれなかったけど、楽しかったわ。また何かあったらよろしくね」
控えめに微笑んで、グリム。
全員が和やかなムードで握手を交わす中、ギルドの中からバタバタと足音が聞こえた。
ばたん!ドアが乱暴に開かれ、足音の主が姿を現す。
「ランスロット様~ん!先に行っちゃうなんて、酷いじゃないですかぁ~んv」
いつもの猫なで声で、ランスロットに駆け寄るケイト。
「カトリーヌさん。これは申し訳ありませんでした」
わかっているのかいないのか、にこにことケイトに笑みを返すランスロット。
その隣には当然のように、クルムもにこにこと佇んでいる。
ケイトは二人を慎重に見比べて、ふっと低く笑んだ。
「ふ…お二人がただならぬ関係なのは知っていますわ…お二人の間にはとても入り込めない…一時は諦めようかとも思いましたわ…だけどっ!」
がば、と胸を逸らして、きっぱりと。
「二人とも愛してしまえば、万事オッケー!」
「……………………は?」
クルムとランスロットのみならず、その場にいた全員が、眉を潜めて声を漏らす。
「このケイト、あなた方に一生ついていきますわ~ん!」
ケイトはそう言うと、がばっと二人を抱きしめた。
「ちょ、ちょっと…?!」
「か、カトリーヌさん、そんなに強く抱きしめられたら…ああっ」

ぽよん。

ケイトの腕の中で、ランスロットは音を立てて膨れ上がった。
「うわぁっ?!」
驚いて手を離すケイト。その拍子にぼてりと地に落ちたランスロット…であったもの…は、痛そうに腰(と思われる部位)をさすった。
肌色の卵に細い手足が生えたような、奇妙な物体…だが顔は間違いなく、端正なランスロットの顔。
「あいたたた…」
「あーあ。せっかく今回は最後までもったのにな、ナンミン」
クルムが残念そうに顔を覗き込むと、ナンミンは苦笑した。
「新記録樹立でしたよ。おめでとうございます、ナンミンさん」
ミケが笑顔で訳のわからない賛辞を述べる。
「ええっ?!えーっ?!ランスロットちゃん、どうしたのぉっ?!」
「何これ…気持ち悪」
初めてナンミンに遭遇する冒険者達が騒然とする中、ケイトはひとり、呆然とショックに打ちひしがれていた。
「………っっでもっ!あたしにはクルム様が!」
立ち直りだけは早い。と、
「へーえ、ケイトってショタコンだったんだ。でもそれって犯罪じゃない?」
横から、面白そうなルージュの声。ケイトは驚いて、クルムの方を見た。
「って…クルム様…お幾つですか…?見かけはちっちゃいけど…大人びてらっしゃるから、いいとこ18…くらい、です…よね?」
クルムはきょとんとして、答えた。
「14だけど」
「じゅっ………は、半分以下っっ?!」
ケイトはさらにショックに打ちひしがれた。
ふらり、ふらり。後ずさって、くるりと踵を返すと。

「太陽のばかやろおぉぉぉぉぉぉぉっっ!!」

やたらとレトロな捨て台詞を吐いて、ダッシュで走り去っていった。
ヴィーダの一日は、まだ始まったばかり。

悪い夢も、いつかは、覚める。


“Baby Bed” The End 2002.11.29.Nagi Kirikawa