穏やかな陽射しが、だんだん熱く色づいてきた、初夏のある日。
あなたが、海に行こう、と言い出した。

夕映えに染まった海。
誰もいない砂浜。
あなたとふたり。

ぶりぶりを自認するあたしの歌にだって出てこない、陳腐なシチュエーション。

でも、大好きな人といる、ただそれだけで。
どんな場所だって天国になる。
…なんてね。

持ち歌のこんなフレーズも、バッカじゃないって思ってた。
誰かを好きになったって、理性的になれると思ってた。
このあたしにふさわしい、知的でスマートなお付き合いが出来ると思ってた。

なのに、なんで。

今日は何であたしを誘ったの?
海へ行こうなんて言いだしたの?

あたしはあなたが好き。
あなたもあたしが好き。

そんなこと、わかってる。
お互い知ってるのに。

もう、1ヶ月にもなるのに。
あたしの手のひらにしか触れたことがないあなた。

どうにかしたいと思ったんじゃないの?
この海で、キメるつもりじゃなかったの?

なのに、あたしとあなた。
ただ海を眺めて、歩いてるだけ。

知ってるよ。
あなたの手、あたしの肩を抱きたくてさまよってる。
でも、結局あたしの手を申し訳なく握るだけ。

「ミュー………さん」

知ってるよ。
いまだに、あたしのこと呼び捨てに出来なくて。
申し訳なくつけられた「さん」。

指の先だけ繋がれて、何を喋るわけでもなく。
あたしとあなたの足跡が、砂浜に点々と残ってく。

ざざ…ん。

波が寄せてきて、あたしとあなたの足跡を消してく。
おんなじ、だね。

肩を抱き寄せたかった手。
呼び捨てにしたかった名前。
言いたかった言葉。

ぜんぶぜんぶ、波に流されてく。

夕映えに染まった海。
誰もいない砂浜。
あなたとふたり。

こんな、お約束のシチュエーションでさえ、何もしない、あなた。

もう、日が沈んじゃうよ?
夜が来ちゃうよ?

いつもよりちょっとだけ、おしゃれしてたよね。
あたしと会うようになってやっと、制服以外の服を着て外に出るようになったあなた。
髪の毛も、いつものフケだらけのボサボサじゃない。
昨日念入りにシャンプーして、あたしの好きなコロンまでつけてきてくれたんだよね。
そんなこと、とっくにお見通し。

あなたがキメるつもりだったなんて、知ってるよ。
だから、あたしずっと待ってたのに。
あなたの手を、言葉を待ってたのに。

もう、夕日は水平線に半分くらいダイブしてて。
あなたは焦って、でも何も出来なくて。
そして最後に、こう言うの。

「…ミュー、さん。そろそろ、帰りましょう。…送ります」

そしてあたしは、決まってイライラするの。

あたしがあなたの手を振り払うとでも思うの?
呼び捨てにされて、嫌な顔をするとでも思うの?
あなたのこと、嫌いだって言うと思うの?

バカに、しないで。

「ベータ」

連れ帰ろうと手を引くあなたに逆らって、あなたの名前を呼ぶ。
めいっぱい不機嫌な表情で。
あなたをにらみつけて。

「…もう、終わりにしよっか、あたしたち」

あなたの手が、びくんと跳ねる。
伸び放題の前髪の隙間から、見開いてる目が見える。

ざざ…ん。

たっぷり、沈黙の後。
あなたは、あたしの手を離す。

「…そう……です、ね…」

どきん。
心臓が、喉まで跳ねる。
ダメ。落ち着け。まだ、ここまでは予想のうち。

「……最初から…不釣合いだったんです…僕と、ミュー、さん…なんて。
こんな…研究しか能がなくて、おしゃれも、よくわからなくて…女の子とも、どう接していいかわからない男、なんて…ミューさんに、似合わない、し……好きじゃない、ですよね……」

ぼそぼそと、つまらないことを言うあなた。
あたしを見ようともしないで。

落ち着いて。ここが正念場。
あたしはあたしに言い聞かせる。

すう、と息を吸って。

「不釣合い?誰がそんなこと言ったの?
確かにあたしはアイドルだし、あなたはただの研究者。
だけど、それがなんだって言うの?」

そう、みんなに言われた。
マヒンダの国民的アイドル、ミュールレイン・ティカ。
言い寄る男が選り取りみどり、引く手あまたのあたしが、
何でこんなさえない研究員となんか付き合うんだって。

それはあたしもそう思う。
王宮付き擬似生命研究室所属、ベトリクス・アムラム。
この人は酷く口下手で、愛想もなくて、本当に研究のことしか頭になくて。
おしゃれって言ってもたかが知れてるし、いつまでたっても髪を切らないし。

こんな人、絶対に好きにならないって思ってた。
あたしが好きになるのは、もっとお洒落で、落ち着いてて、洗練された紳士なんだって。

誰かを好きになったって、理性的になれると思ってた。
このあたしにふさわしい、知的でスマートなお付き合いが出来ると思ってた。

なのに、なんで。

あたしはこの人が好き。
こんな人なのに。あたしはこの人から目が離せない。

リクツじゃない。
あたしはこの人が好き。

だから、賭けに出るの。

「おしゃれ?女の子の扱いが下手?上等じゃない。ほかの女と付き合ってないっていい証拠でしょ?
研究しか能がない?わかってるならもっと自分の仕事に誇りを持ちなさいよね!」

どん。
小さな手で精一杯、意外に広いあなたの胸を突き飛ばす。

「あなたが服や髪のことにまで気を配れないくらい、研究に没頭してるのは何のためなの?
魔道で判断力を持ったゴーレムを作って、人手の足りない故郷の村に働き手を送るんじゃなかったの?
それが、たかだか魅了の呪歌でうざいオタク男どもに愛想ふりまいてる程度しか能のないあたしより、そんなに劣ることなの?」

情けない、顔。
胸が痛い。

「あなたは、あのオタクどもにふりまいてる仮面じゃない、こんな本当のあたしを知ってる。
それでもあたしのこと、嫌ったり蔑んだりしないじゃない。
なのに、あたしは、たかだか呼び捨てにしたり、肩を抱いた程度であなたを嫌がるような、
そんな安っぽい女だと、あなたは思うのね」

そう、これは賭け。
あたしの恋をかけたゲーム。
ただし、あたしの負けは、あなたの負け。

「あたしがあなたのこと、何にもわかんないとでも思ったの?
あたしがあなたに触れたいって、呼び捨てにされたいって思ってないとでも思ったの?
そんな風に、お人形を扱うみたいに大事にされたって、あたしちっとも嬉しくなんかない!」

たたきつけるように叫んで。
もう一度、静かにあなたを見る。

「…言いたいことは、それだけ」

これは、賭け。
あなたとあたしの恋を賭けたゲーム。
さあ、あなたはどう出るの?

「…さよなら」

止めて。

「もう、送ってくれなくていいわよ」

あたしの手を掴んで、抱きしめて。

「…もう、会うこともないかもしれないけど」

あたしのこと、離さないって、言って。

くるり。
あたしは、あなたに背を向けて。
足跡の消えた浜辺を、引き返し始めた。

一歩。
また一歩。

踏み出すたびに、賭けに負ける予感が強くなる。

ざざ…ん。

波の音に、何もかもが流されてしまうような気がする。

でも、振り返らない。
これは、賭けなんだから。
負けを覚悟で挑んだ、賭けなんだから。

「…ミュー!!」

すぐ後ろで、あたしの名前が響くのと同時に、
後ろから、意外にたくましい腕があたしを捉えた。

ぎゅう。
強い力で抱きしめられて、息も出来ない。

「………帰し、ません」

耳元で響く、切羽詰った声。

「……釣合わなくても…自分に、自信が…なくても……僕には、貴女が、必要なんです。
……終わり、だなんて…言わないで、下さい」

……はい、よくできました。

あたしを抱きしめた腕に、自分の腕を絡めて。
あたしは優しくそれを解くと、くるりとあなたに向き直る。

きょとんとした表情のあなたの首に、腕を回して。
マヒンダ中のオタクを虜にした、天使の微笑を浮かべてみせる。

ちゅ。

どぎまぎしてるあなたのくちびるに、速攻で先制攻撃。
ほら、クリティカルヒットしたでしょう?

絶対に夕日のせいじゃなく、真っ赤に顔を染めたあなたに、
さすがにあたしも照れくさくって、ぱっと体を離す。

「奥手なのもいいけど、女の子はあんまり構ってあげないと、どっか飛んでっちゃうんだからね?」

ウインク1つ投げると、あなたは真っ赤な顔のまま苦笑した。

「…それは、困ります、ね」

あたしはもう一度くすっと笑って、あなたに手を差し出した。

「……送ってってくれる?ベータ」

あなたは頷いて、その手をとる。

「…もちろんです。ミュー」

波はまだ寄せては返し、あたしたちの足跡を消すけれど。
あなたの決意も、あたしの気持ちも。
もう、かき消されたりなんかしない。

とりあえず、賭けはあたしの勝ち。

“The Bet” 2003.6.7. Nagi Kirikawa

ねすさんの『色恋沙汰上等!』企画に出展したものです。恋メタどころかミニプリよりも前に書いたものなので、実際のシナリオと若干の齟齬があるかも。ベタミュの馴れ初めは結局書いておりませんな…いつか…w