「わ。なに、珍しい顔」

研究院にやってきたミューは、ロビーにいた女性にそう声をかけた。
言葉の通り、彼女がここにいることはひどく珍しい。そもそも彼女はここに所属する人間ではないのだから。
ミューの言葉に、彼女は苦笑して言った。
「ご挨拶ね。たまには良いでしょう、関係者以外立ち入り禁止でもないのだし」
「そういうとこ、危機管理薄いわよね、ここ。仮にも国内最先端の研究をするところなのにさ。
まあ、あんたは半分関係者みたいなものだけど」
嘆息して彼女の向かい側に座るミュー。

ここは魔法王国マヒンダの王宮付研究院。
ミューはここの研究室に所属する、れっきとした研究員である。
そして正面に座る彼女は、女王付の秘書室長。名を、アルファルファ・ヴェゼといった。

「ちょうどよかったわ、あなたもどう?」
アルファは正面に座ったミューに、テーブルに載っていた皿を示して見せた。
「…パイ?」
皿の上にあるのは、スティックタイプのパイ。こんがりと香ばしい匂いがただよってくる。バターと、そしてチーズの匂いだろうか。甘いパイと違って、いかにも大人向けの、彼女らしい一品だ。
そう思うほどに、目の前の女性は『いかにもなキャリアウーマン』だった。ばっさりとショートにした赤い髪は前髪だけ金に染め分けられ、びしっとしたスーツと共にきっちりセットされている。フェイリア特有の赤褐色の肌も、意志の強そうな琥珀の瞳とあいまってきりっとした大人の女性の魅力をかもし出していた。
まあ、このパイと彼女がぴったりなのはいいとして、しかしそのパイ+彼女とこの場所の組み合わせがかなり異質なことには変わりない。
「なんでこんなところでパイ食べてるの?」
ミューはスティックパイを一本つまみながら、その疑問をそのまま口にした。
なぜ王宮付の秘書室長が、研究院のロビーでのんびりとコーヒーを飲みながらパイを食べているのか。不快ではないが、単純に疑問だ。
アルファはにこりと笑って答える。
「あなたと食べようと思って」
「あたしと?」
首を捻るミュー。ますますもってわけがわからない。
アルファは可笑しそうにくすっと笑った。
「これ、どうしたと思う?」
これ、とは目の前にあるパイのことだ。
「さあ?」
首を捻るミューに、またくすりと笑って。
「クシーがくれたの」
「え、うっそ」
ミューは思わず目を見開いてそう呟いてしまった。

クシーと呼ばれているのは、擬似生命研究室長のクスコートレク・ディアノーツ。
ゴーレムを研究する部門の室長である彼自身がゴーレムなのではないかと噂されるほどに、無機質・無表情、必要最低限のこと以外は見ない、言わない、聞かない。魔法で技術的に作り上げられたといわれても思わず納得してしまうほどの完璧な頭脳と、所作と、そして美貌の持ち主だった。
そして、目の前のこの女性がそのクシーの恋人であることは、王宮はどうだか知らないが、研究院内ではほぼ周知の事実である。少なくとも、同じ擬似生命研究室に所属するベータと、他でもないミュー自身が恋人同士であるという事実と同じ程度には。
ゆえに、実際にはあまり親交は無くとも、実のところミューはアルファに親近感を持っていた。同じ研究室に所属する恋人を持つ者同士、という、まあなんともはかない接点ではあるのだが。
だがどうやらこの様子だと、向こうもミューに対して同じような感情を持っていたようだ。
人付き合いの苦手さゆえに人でないものに情熱を傾けようとした偏屈な恋人を持つ者同士、このもどかしさや苦労を分かち合いたいのだろう。だから、『あなたと食べようと思って』なのだ。

しかしそれにしても、このパイがクシーからのものだというアルファの言葉は、少なからずミューを驚かせた。
「あの偏屈ゴーレム室長が、パイ?なんで?」
思ったままを口にするミューに苦笑するアルファ。
「あなたもたくさんもらっているんじゃないの?今日はリーヴェルの祝日だから」
「リーヴェルの祝日…ああ」
なぜ自分でその考えに至らなかったのか不思議なくらいだが、そういえば今日はリーヴェルの祝日である。
研究院にはさすがに運び込んでいないのだが、こことは別に居を構えている芸能活動の事務所には、一部屋では収まりきらないほどの大量のパイが送られてきた。すべてミューのファンである男性たちからなのだが、パイの処理は室長のイプシロンに丸投げして帰ってきたところなのだった。
「って、あの人が?リーヴェルのパイを?恋人に贈る?ちょっと、雨降ってくるんじゃないの、洗濯物出しっぱなしだわ」
「言うわねえ。まあ、私も同感だけれど」
遠慮のないミューの言葉に再び苦笑するアルファ。
「いきなり呼び出すから何かと思ったら、『リーヴェルの祝日にパイを贈るという習慣を知った。君は私の恋人なのだから、習慣に則って私もパイを贈ろうと思う。市街の有名店で入手したものだから味に問題は無いと思うが、万一摂取したことによって弊害があった場合は速やかに報告してくれ』ですって!」
「ぶっ。な、なにそれ!」
正確に口調まで真似て言うアルファに、ミューは思わず噴出してしまった。
「今まで聞いた中で一番インパクトのあるプレゼントセリフだわ。インパクト以外のものは何も無いけど」
「まったくよね。私も彼はああいう人だから世俗のこういう習慣になんて興味ないだろうし、逆に甘い言葉で私にプレゼントをする彼なんてまったく想像つかなかったから、諦めてたっていうか…まったく無いものだと思ってたのよ。だから余計にびっくりしたし、いかにも彼らしくて笑っちゃったわ」
「そりゃ笑うわ…すごいわね、あの人に贈り物させるとそういうセリフが出るんだ……」
感心を通り越してある種の感動を覚えながら、しみじみと言うミュー。
アルファはくすくすと笑いながら、ミューに言った。
「あなたの方には、何も無いの?」
「え?」
「ベータから」
「あー……」
ミューは気まずそうに眉を寄せて、肩を竦める。
「それこそないんじゃないかな…あの偏屈ゴーレムと同じレベルで、外界のことに興味ないわよ、あいつ。
そういう洒落たことが出来るとは思えないけど…それこそあんたと同じで、想像つかないわ」
「そうかしら」
アルファは意味ありげににこりと笑った。
「じゃあ何で、今までリーヴェルのリの字も知らなかったクシーが突然私にパイをくれたのかしらね?
自宅と研究室以外に行くところのない彼が、どこからそんな情報を仕入れたと思う?」
「ベータから、って言いたいの?」
納得の行っていない表情で、ミューは言った。
「ベータから聞かなくたって、この研究院の誰かから聞くことくらいあるでしょ。
そんなこと言うんならベータだって、どこからそんな情報仕入れるんだか、だわ。逆にあいつが室長に聞いたんじゃないの?」
「うーん、可能性としては無くもないけど、ベータの方が先なんじゃないかって思うわ、私は」
「なんで」
「だって、私とクシーは付き合って長いけど、あなたとベータは最近の話でしょ。付き合って初めてのリーヴェルなんじゃない?」
「そうだけど?」
「今までは研究以外のことに興味はなかったけど、あなたと付き合って初めてそういうことに興味を持ち始めた、っていうのならしっくりくるわ。
クシーは付き合って長いのにそういう気になったことは一度もないんだから、なおさらなんで今年急に、っていうことになるでしょう?」
「それはー……そうだけど」
身繕いに全く興味のなかったベータが、ヴィーダ遠征の折に人の手を借りてまで『かっこよく』なろうとしたことを思い出す。結局あの格好はその後辞めてしまったのだが。
歯切れの悪いミューに、アルファはもう一度にこりと微笑みかけた。
「まだ何もないのなら、今日はこれから何かあるのかもよ?」
「そうかなぁ……」
そう言われても半信半疑で、ミューは持っていた残りのパイを口に放り込んだ。

ぱたん。
研究室に入り、ドアを閉める。
室長のイプシロンは今頃パイの処分の手配に追われているはずなので、この研究室にはミューしかいない。従って誰かに声をかけたりすることもない。
ミューは無言でデスクにファイルを置くと、椅子に腰掛けて息をついた。
「リーヴェルのパイねえ…」
やはりどう考えても、あのベータが、ミューにリーヴェルのパイを贈るとは思えない。なんというか、パイを作って(あるいは購入して)ミューに差し出すベータ、という光景が全く想像がつかないのだ。
もちろんそれがどうだ、ということではない。そういう朴訥な彼をミューは好きになったのだし、それもまた彼らしくていいと思う。それを、愛情が足りないと切って捨てるくらいならそもそもあんな男性を好きになったりはしていない。
「なんだかなぁ…」
良い悪いはともかくとして、面倒だな、と思う。
たかがイベント1つで浮いたり沈んだり、以前の彼女なら考えられなかった。
今回のことひとつにしても、関係ないと思いながらも、でもどこかで期待する自分もいて。
物事をスパスパと白黒つけたい彼女にとって、1つに定まらない自分の気持ちというのは非常にもどかしい。考えても考えても答えは出なくて、出た結論が「面倒だ」になってしまう。
こんな風に、他愛のないことで一喜一憂するのが恋だということは判っているのだけれど。
それがもどかしくて、面倒で、そして。

とことことこ。

そんな彼女の目の前に、何かが小さな音を立ててやってくる。
「…?」
それは本来ならば自立歩行をするような代物ではなく、ミューは少しだけ自分の目を疑った。
しかし、デスクの向こう側からとことこと小さな音を立てながら近づいてくるそれはどう見ても。
「…………パイ?」
そう。先ほどアルファと食べたようなスティック状のパイではなく、パイ皿を使った本格的なパイ。彼女の大好きなイチゴがクリームと共にふんだんに盛りつけられている。
中央にあしらわれたホワイトチョコの板には、やはりチョコレートで「HAPPY LIEVEL」の文字。
「……いや、ていうか、何でパイがひとりでに……」
混乱してそう呟きながら、ミューはパイの載った皿の下を覗き込む。
そこには。
「…………あ…………」
土魔法で固めて作られた可愛らしい小さなゴーレムが4体、皿を支えながら歩いていた。
ゴーレム。彼女の朴訥な恋人が専門とする分野。
これは間違いなく、ベータが作ったゴーレムなのだろう。
恥ずかしすぎて直接ミューに渡せない彼は、自分の作ったゴーレムにパイを運ばせたのだ。
小さなゴーレムたちが、はい、食べて食べて、というように、精一杯の体勢でミューに皿を差し出す。
「………」
ミューはたっぷりの沈黙と共にそれを見つめ。

「………っぷっ……は、ははっ、ははは、あっはははははは!」

それから、おもむろに爆笑した。
これは、まったくアルファのことは言えない。
彼に贈り物をさせたら、こうなるのか。
シャイで、人付き合いが苦手で、恋人に贈り物ひとつするにもどうしたらよいかわからなくて、それでも精一杯の努力をしたい。
何とも彼らしくて、もう笑うしかないではないか。
ミューは椅子に腰掛けたまま、しばし腹がよじれるほど笑っていた。
「はは、はー、あー面白かった」
ようやく笑いがおさまったミューは、涙がこぼれる目じりを手でぬぐってから、すっくと立ち上がる。
「さーて、と」
そして、イチゴのパイを見下ろしてにやりと口の端を吊り上げた。

「ベータ!」
がちゃ。
ミューは擬似生命研究室のドアを勢いよく開け、中にいるであろう恋人の名を大声で呼んだ。
びくう。
手前の椅子に座っているベータの背中が、可哀想なくらい跳ね上がるのが見える。
ミューはそれには構わずに、片手にパイの皿を持ったままつかつかと部屋の中に入った。
部屋にはベータ一人しかいない。アルファにパイを渡したといっているのだからクシーがいるかと思ったが今は席を外しているようだ。それはまあ好都合だった。
「ちょっと、なにこれ!」
恐る恐る振り返ったベータに、ミューは怒りの形相でパイを突きつけた。
「え、ええと、ええと……」
案の定、やはりかわいそうなくらい動揺したベータは、しどろもどろになりながら何かを説明しようと試みる。
「あの、その、きょ、今日はあの、リーヴェルの……だからその、パイを、あの……」
言いたいことは判るが全く要領を得ない。
ミューは思わずまた笑ってしまいそうになるのを堪えて、ことん、とテーブルの上にパイを置いた。
それから腰に手を当てて、上から彼を見下ろしながら一方的に怒鳴りつける。
「まったく、パイを渡すくらい自分で出来ないの?!」
「え………」
「パイを渡すなら、自分の手で渡しなさいよ!あたしが受け取らないとでも思ってるわけ?!」
「い、いえあの、そ、そういうわけじゃ……」
「ほらっ!」
「……?」
ミューは彼の隣の椅子にどかりとこしかけると、相変わらずの口調でベータにぴしゃりと言った。
「お茶!パイ食べるのに飲み物無しとかありえないでしょ!」
「え………」
「もちろん、あんたも食べるんでしょうね!女の子にパイ一皿とか、食べきれるわけないじゃない!
ほらっ、2人分のお皿とフォークと、それからお茶!早く!」
「はっ……はい…!」
慌てて立ち上がりつつも、ベータは少し嬉しそうにぱたぱたと給湯室に駆けていく。
その後姿を見やりながら、ミューはもう一度嬉しそうに笑った。

こんな風に、他愛の無いことに一喜一憂するのが、もどかしくて、面倒で。

そして、これ以上ないほどに、胸を暖かくしてくれるのだ。

ミューは上機嫌で微笑みながら、こっそりと隠し持っていたミニゴーレムをそっと撫でるのだった。

“Delivered Pie” 2011.2.13.Nagi Kirikawa

ということで、2011年リーヴェル絵に関連したベーミューSSです。イラストはこちら → ぷれぜんと、ふぉー、ゆー
ベタミュ萌えを詰め込みつつ、脳内設定で勝手に萌えているクシー×アルファも詰め込んでみました(笑)この辺もいつか題材にしたいなあ。
ネタ提供はヨネさんと相川さんです。美味しいネタをどうもありがとうございます。どうしようもなくシャイなあんちくしょうをミューが好きなのと同じように、手に負えないツンデレのミューもベータは好きでしょうがないんでしょうねー(笑)