いっそ この想いごと 氷の中に閉じ込めてしまえばいい

「…何を読んでいらっしゃるんですか?」
声をかけられて、セイカはふ、と視線を上げた。
神経を研ぎ澄ませれば、心眼でも本の文字は読める。が、こと本を読むということに関しては目を開いて見た方が楽だったし、それに視覚で字を追うのは好きだった。
ゆえに、緋色の瞳を外気に晒したまま、セイカは声の主に視線をやった。
「……アス。来ていたのか」
「ええ、少し所用で。もう済みましたが…あなたがこのようなところで休憩しているのが珍しくて、つい声をかけてしまいました。読書の最中に、申し訳ありません」
「…いや、構わないが…」
無表情のままセイカが言うと、アスは嬉しそうににこりと微笑んだ。
そのまま、休憩所のセイカの正面の席に座る。
「……冬……姫、ですか」
セイカの読んでいた本のタイトルをたどたどしく読み上げる。ナノクニの文字より公用語に触れる機会の多い彼にとっては読みづらい文字だろう。
「……童話だ。……好きな話でな、つい手にとって広げてしまう」
「へえ…どんな話なんですか?」
アスは興味深げに聞いてきた。
セイカは本に目を落とし、描かれている絵を見ながら、ぽつりぽつりとあらすじを話し始める。

「…冬姫は、秋の終わりに目覚め、春の訪れと共に次の冬まで眠る。
冬の間しか生きられぬ、そういう存在だった」

ぱらり、とページをめくって。

「しかし、ある日、冬姫の館に迷い人が訪れる。
それは、一人の青年だった」

はらり。

「青年は太陽のような微笑で、冬姫の心を溶かした。
冬姫は、青年に恋をしてしまったのだ」

「………」
アスの表情が、微妙に変化する。
はらり、とまたページがめくられた。

「しかし、冬姫は苦悩した。
自分は冬にしか生きられぬ存在。
彼に触れれば、彼の手はたちまち凍りつく。
自分の吐息は、彼の体温を奪い、
身をよじれば、雪の結晶が彼を包む。
……自分と彼は、違う世界に生きる存在なのだと」

セイカの眉が、僅かに歪んだ。

「冬姫はしばし目を閉じて、そして青年に告げた。
ここはおぬしのいる場所ではない。即刻立ち去れと」

「………」
アスの眉が悲しそうに寄る。
はらり、とまたページがめくられた。

「何かを言おうとする青年に吹雪のような冷たい吐息を吹きかけ、冬姫は青年を外に追い出して、扉を閉めた。
その頬から氷の涙が一粒落ち、硬い音を立てて床を叩いた」

はらり。

「それから、冬姫は冷たい月が冴え渡る夜になると、月を見上げては青年の瞳を思い出した。
自分の想いは止められぬ。
しかし、この凍る吐息も、冷たい身体も、止められるものではないのだ。
ならば、この想いごと……永遠に凍りつかせ、封印してしまえばいい。
それが、一番いいことなのだと……自分に言い聞かせながら。
冬姫は、今日も冷たい月を眺め続ける。
春の息吹が訪れて、彼女を眠りという檻に閉じ込めるまで………」

ぱた。
セイカは本を閉じて、ふ、ともう一度息をついた。

「………という話だ」
アスの方を見ると、彼は悲しげな顔で彼女を見つめていた。
「アス………?」
「……お可哀想です」
本当に、心底そう思うと言うように、彼はため息混じりにそう言った。
「冬姫は、望んでそのように生まれたわけではないのに、なぜ、自分の想いを封印しなければならないのです。あまりにも……お可哀想です」
「……そうだな……」
セイカはもう一度本の表紙に目を落とし、唇を僅かに歪めた。
「…しかし、私は彼女の気持ちが、判るような気がするのだ」
「……え……?」
「…自分の想いこそが、彼を凍りつかせてしまう…彼を傷つけてしまう。
それを目の当たりにするくらいならば、いっそ自分が消えた方がいい。
私は……その想いには…共感できる気がする……」
「……セイカさん……」
彼女がそういう人間なのだと思い返し、アスは複雑な表情で彼女を見た。
「……でも」
彼が納得いかぬ様子で言葉を続けたので、セイカは再びそちらの方を見た。
「……でも、僕なら」
ずい、と身を乗り出して。

「…僕なら、冬姫をひとりにはしません。
彼女を枷から外す方法を見つけ出して、彼女を救い出して見せます」

真剣な彼の表情に、セイカの目が見開かれる。
「……アス……」
「彼女の世界は、冷たい雪と月と、冷たい館だけでした。
彼女がそれを望むのなら、それもいいでしょう。
しかし、彼女は青年の太陽のような瞳に心惹かれた。彼女はその暖かさを望んでいるんです。
彼女にも、暖かい太陽の下で、暖かい人のぬくもりに触れる…そんな世界を見せてあげたいです。
どんな手を…使ってでも」
アスのブラウンの瞳は、いつかのように真剣そのもので。
彼の思いが強いことを思わせる。

…ふ、と、セイカは僅かに微笑んだ。

「………そうだな………」

とす、と、休憩室のテーブルに本を置いて。

「……ぬしならば……できるやもしれぬな」

…氷の館にがんじがらめに縛られていた私を、氷の館ごと破壊して救い出してくれた、ぬしならば…

言葉の続きは、心の中に伏せたまま。
セイカはゆっくりと笑みを深める。
それに応えて、アスも嬉しそうに微笑む。

窓からの日差しが、冷たく悲しい物語のつづられた本を、暖かく包んでいた。

Winter Princess 2008.2.29.Nagi Kirikawa

投稿掲示板作品です。
前からセイカの歌だと言い続けていた、園崎未恵さんの「氷姫~Winter Princess~」をモチーフにした話です。
というか、これを書くためにお題を「冬」にした(笑)というくらい思い入れの強い作品。
セイカの中で、どんどんアスが絶対の存在になっていく…(笑)