「…ミューは…どうして、マヒンダに出てきたんですか…?」
唐突にそんなことを訊いてくるベータに、ミューはきょとんとして彼を見た。
「どうして……って。あの変態室長にスカウトされたからよ?」
何を今さら、というように、答える。
ミューが故郷であるリゼスティアルからマヒンダに来た経緯は、研究室の誰もが周知の事実だった。イプシロンがリゼスティアルからスカウトしてきたと言って突然ミューを研究室に連れて来たのは、まだ記憶に新しい出来事だ。
その頃、ミューはまだ14歳になったばかりの少女で。魔道士に年齢は関係ないとはいえ、国外で生まれ育った少女がマヒンダの、それも王宮付きの研究室という濃いメンバーばかりの中でやっていけるのだろうかと周りは心配になったものだった。
しかし、イプシロンの指導のもとめきめきと呪歌の腕を上げたミューは、それほどのトラブルもなく周りになじんでいった。今では同じ王宮付き研究室に属するベータと恋仲にまでなるほどである。
ミューの言葉に、ベータは困ったように口篭もった。
「あ……いや……そういうことじゃなくて、ですね…」
「?だから、なに?」
「…ええと……イプシロン室長のスカウトを、何故受けたんですか?ということ…なんですけど…」
「ああ、そういうこと」
頷いて、嘆息するミュー。
「そうねぇ…なんか、抜け出したかったのかもしれないわ、あそこから」
「……抜け出したかった…?」
「そう。家から…っていうか、あの国から」
「……そんなに…嫌なところ、だったんですか…?」
「あ、ううん、そういう意味じゃなくて。家にも国にも、別に悪いところなんてないのよ?
でも…なんていうのかな、すごい息苦しかったの」
「…息苦しい…」
「うん。リゼスティアルって、来たことある?」
「……いえ…」
「あそこって、水の中にあるじゃない?一応、空気のあるスペースもあるし…ちょっと前に、マヒンダの協力で大きなスペースを作ってからは、人魚以外の人も住めるようにはなったんだけどさ。
まあでも、好き好んで水の中住もうっていう人はいないじゃない?あなたたちにしてみたら、空気のないところで生活しろって言ってるようなものでしょ?魔法で外気のスペース維持してるっていったって、そんなもの絶対壊れない、解けないっていう保証はないんだし」
「…まあ…そう、ですね……」
「だから、リゼスティアルって基本、人魚ばっかりなのよね。そして、人魚も基本、海の中から出ないのよ。これはもう、習性みたいなものかもね。あたしみたいに外に出て移り住んだり、旅をしたりするひとっていうのは、結構変わり者扱いされるわけ」
「…そう…なんですか……」
「そう。毎日同じ顔、毎日同じ空気、毎日同じ生活……みんなはそれでよくても、あたしは嫌だったの。もっと新しいことに触れたかった。ちょっとばかり歌が上手くて、それで皆に誉められたって、ちっとも嬉しくなかったわ。このままあたしの歌も、あたし自身も、このゆるやかで重い世界に囚われたまま沈んで澱んでしまうのかと思うと、たまらない気持ちになった。もっといろんな事に触れて、もっといろんな歌を歌って、もっといろんなあたしを作りたかった」
夢見るような瞳で、静かにそう語っていくミュー。
「ここから出れば、この息苦しさもなくなるんじゃないかと思ったの。
だから、あの変態室長が、ここから助け出してくれる王子様みたいに見えたのね」
「お、王子様……」
色々な意味で動揺するベータ。
ミューはくすりと鼻を鳴らした。
「もちろん、今はそんなんじゃないってわかってるけどね?
その時は、そう思ったのよ」
「……今は……その、息苦しく…ない、ですか?」
「そうねー、そうとも言えるし、違うとも言えるかな」
「……え……」
「だって結局、こんなやりたくもないことやらされちゃってさ?拘束されてるっていう意味では、あまりリゼスティアルと変わらないじゃない?」
「……まあ……そう、ですね……」
「でもね、歌は歌わせてもらえるし、魔道の勉強もそこそこ面白いし。なにより、あたしがあたしの意思で選んできた道だもの。満足してるわよ」
「……そう、ですか……」
「……………ベータもいるし」
「……え?すみません、よく聞こえなかったんですが……」
「な、なんでもないわよっ!」
「……?…そう、ですか……」
かすかに頬が赤いミューに、首を傾げて。
それから、少し嬉しそうに、微笑む。
「……でも……今、満足しているなら…よかった、です……」
そして…少し言いづらそうに、もじもじし始めた。
「……あの……」
「うん?」
「…あの、もうひとつ……訊いても、いい…ですか?」
「なあに、改まって。訊きたいことがあるなら訊いてみればいいじゃない」
「え……ええと……」
ベータはさらに、前髪で隠れていても明らかに見て取れるほど、頬を染めて俯いた。

「……あの…ど、どうして、その、僕………を………」

その先は、本人も言葉に出来ないようで。
しかし、何を訊きたいのかは、ミューにも判った。

どうして、僕を好きになったんですか。

ミューは一瞬、頬を染めて。
それから、仕方なさそうに苦笑した。
正面からそんなことを聞かれたら、きっと恥ずかしくて怒鳴りつけてしまうだろうけれど。

「……バカね」

ミューは俯いたベータをシタから覗き込むようにして、その長い前髪をひと房、指に絡めた。
まったく、恋人同士という関係になったというのに。
こんな他愛もない質問にいちいち一喜一憂する彼が、たまらなく情けなくて。

そして、たまらなくいとおしかった。

「バカね……そんなものに、理由なんかない、のよ」

“The Reason” 2009.1.8.Nagi Kirikawa

ベタミューです。勝気ツンデレと陰気ヲタのカップルです。
イメージ的にはアンジェリークのルヴァ様と勝気コレットちゃんみたいな。
馴れ初め?いえ、そのうち…そのうち(笑)