幸せ。
めぐりあわせが良いこと。または、そのさま。

多くの者が、彼女に幸せであるかと問う。
多くは、哀れむような表情をしている。
哀れむような顔をして、彼女に、『それでお前は幸せなのか』と問う。

幸せの定義を、めぐりあわせが良いということだとするならば。
そもそも、その『良い』と『悪い』の判断基準もあいまいである。
何を持って『良い』めぐりあわせとし、何を持って『悪い』めぐりあわせとするのかまでは定義されていない。
彼女に幸せを問う者達も、その点に関して言及すると口を噤むことが確認されている。

『良い』と『悪い』の判断基準を考えずに、めぐり合わせだけを考察する場合。
彼女は、彼女を生み出した女性の血と肉を分けた『人形』として、この世に誕生した。
彼女を生み出した女性は、その時点で、懇意にしていた男性と物理的・精神的距離があったため正気を失くしており、彼女を自分から決して離れない赤ん坊として認識することで精神のバランスを取っていた。ゆえに、彼女に個としての人格を望まず、また認めなかった。
よって、彼女は個としての人格を持たずに育った。
女性は彼女が成長すると、彼女を赤ん坊として認識するのが難しくなり、精神的均衡を失して、彼女を壊そうと試みた。

そこにチャカ様が現れ、彼女は破壊を免れた。
以降、彼女はチャカ様の『人形』として、チャカ様の命令を遂行している。

彼女を生み出した女性が、懇意にしていた男性と距離を作るに至った理由として、男性がチャカ様に懸想をした、またチャカ様も故意に男性に近づいたという事実が確認されている。

チャカ様と邂逅した『めぐり合わせ』を『良い』と判断するのならば、彼女を『幸せ』であると断ずることが出来る。

また、間接的にチャカ様が彼女を生み出した女性の正気を失わせたという事実があり、それについての『めぐり合わせ』を『悪い』と判断するのならば、彼女は『幸せ』ではないと断ずることが出来る。

しかし、何を持って『良い』とし、何を持って『悪い』とするのかの判断基準が、その事実を受けた本人の私的感情に一任されるのであれば、彼女は彼女が『幸せ』であるかどうかの判断をすることは不可能である。
なぜならば、『良い』『悪い』と判断する私的感情、その大元となる個としての人格が、彼女には存在しないからである。
よって、彼女が『幸せ』であるかどうかは断ぜられる事項ではない。

多くの者が、彼女に幸せであるかと問う。
多くは、哀れむような表情をしている。
哀れむような顔をして、彼女に、『それでお前は幸せなのか』と問う。

しかし、以上の理由により、彼女は『幸せ』であるかを断ずることが出来ない。

ただ、言えることは。
彼女は安定した状態でチャカ様に管理されているという事と。

彼女に断ずることが出来ないように、他の何者も、彼女の『幸せ』を断ずることが出来ないのだという事である。

“The Happy”2009.1.6.Nagi Kirikawa

セレの独白です。「ベビーベッド」の裏テーマでもあるわけですが、人の幸せなんて他人がどうこう言うものではないよと。
セレの口調は、意識的に、機械的に、論文風にと心がけて書いています。