「………」
むく。
暗闇の中でかすかに見える天井の木目を数えていたが、どうにも眠れずにセイカは身を起こした。
特に暑苦しいわけでもないのに、どうにも眠れない。
本を読んでもいいのだが、本を読んでしまうと余計に眠れない気がする。身体を動かした方がいいかもしれない。
セイカは嘆息すると、布団から出て羽織に袖を通した。
夜着であるヒトエだが、こんな夜中に人通りはないだろう。大した身支度もせずに、縁側から庭へ、そのまま外に出る。
元々さして人通りのない道だが、月明かりだけが照らすその場所は昼間とはまた違う雰囲気を醸し出していた。こんな夜の散歩も、悪くはない。
「………?」
ふと、セイカは木陰に人がいるのを感じ、目を開いた。
そうしたところで相手の姿が見えるわけもないのだが、見なくてもこの感じ慣れた気配は判った。
「……アス?」
木陰に佇む気配に、確認するように名を呼んでみる。
なぜ、こんな時間に、こんなところに。
そんな疑問が届いたわけではなかろうが、木陰から苦笑する気配が届いた。
「……こんばんは」
響いた言葉は、いつも聞く彼の語調と、少し違うような気がした。
思いがけず彼に出会ったことに動揺して心眼が上手く使えないが、声を聞くだけでも、明らかに普段の彼とは様子が違うのが判る。
やがて、彼はゆっくりと歩み出で、こちらに向かって歩いてきた。
「……どう、したのだ…?」
どう声をかけていいかわからずに、そんな言葉を投げかける。
少しの沈黙の後に、帰ってくる答え。
「……眠れなくて……」
自分と同じ理由。
だが、その響きはどこか空ろで……まるで夢を見ているかのようだった。
月明かりに青白く照らされた彼の顔は、陽の下で見るいつもの温かい微笑とはまるで違う…どこか、この世のものでないような心地すらした。
「……すみません…貴女に会ってしまうとは、思ってなくて……」
「……?」
「……すぐに、帰りますから…」
「待て、何を……」
ゆるりと踵を返すアスの手を思わず掴む。
「……っ…」
「………っ、すまない」
アスがきょとんとしてそれを見たので、セイカは手を離した。
手元からゆっくりとセイカの顔に視線を移すアス。
やはり、おかしい。
セイカは赤い瞳でその様子を見ながら、強く思った。
「……何があった?」
僅かに眉を寄せ、心配そうに問う。
「…………いえ」
アスは泣きそうな表情で、それでも微笑んだ。
「…何も……何も、ありません」
「だが……」
「あなたは……」
なおも言い募ろうとするセイカの言葉を遮って、アスは言った。
「あなたは…お優しい方ですね。
とても……綺麗で…優しい……」
「…アス……?」
いつもの無自覚な麗句も、今は奇妙な響きをもって耳に届く。
「……少しだけ……」
「……?」
「少しだけ……手を…お借りして、いいですか…?」
「…あ、ああ……」
弱々しい言葉に、意図を問い返すことすら出来ずに手を差し出すセイカ。
眠る時もなお手袋を外さぬその手を、アスは初めて見るように目を見張り、そして恭しげにそっと自分の両手で包んだ。
「……ありがとう……ございます……」
そのまま。
祈るように、包み込んだ手を自分の額に当てる。
「……アス……?」
「……申し訳、ありません……」
くぐもった声は、嗚咽をこらえているようにも聞こえた。
「……もう少し……このままで……」
「…………」
セイカはかける言葉を見つけられず、ただ黙ってその様子を見下ろした。

底なしの泥沼のような闇から彼女を救ってくれたのは、他ならぬこの少年だった。
だが、彼女を闇から救うことが出来たのは…他でもない彼自身が、闇の中にいたがゆえではなかろうか。

彼女が冷たく固い檻に閉じこもり、その闇を隠していたように。
この少年は、彼女が想像もしえないほどの深い深い闇を、あの太陽のような笑みの下に隠しているのではないか。
そんな思いが、頭をよぎる。

「………」
だが、その問いを口にすることが出来ないまま。
月明かりに青白く照らされた少年を、セイカはただ見下ろていた。

“Sleepless night” 2009.2.10.Nagi Kirikawa

アスセイです。もうアスは、設定を公開するのをためらうくらいの中2病。セイカのことは好きだけど、自らが持つ闇の部分ゆえに自分はふさわしくないと思ってて、バレバレな想いを一生明かすつもりは無いんですよー(笑)
…もうこのまま進展しないのでいいですかね(笑)だめですか(笑)