「ぷはっ」

海面から顔を出すと、ロッテはキョロキョロとあたりを見回した。
「はれ……なんだここ」
見覚えのない岩肌。
少し調子に乗って泳ぎすぎてしまっただろうか。
人であふれ返った砂浜とは打って変わって、人ひとりいないごつごつした岸壁が広がっている。
砂浜から遠目に見えた、いかにもな崖だろうか。
「こんなとこまで泳いで来ちゃったんだ…まいったな」
眉を寄せて、とりあえず岩に上がってみる。
海に出ることを渋っているエリーを置いて、久しぶりにリーと2人で遊んでいたのに。ビーチボールも彼女が持ったままだ。あまりの人の多さに閉口し、もう少し人のいないところに行こうと言い置いて、彼女が止めるのも聞かずに泳ぎ始めてしまったような記憶もあるような気がしないでもない。
つまりは、はぐれてしまった、ということで。
「ま、戻るにしても、ちょっと休憩してからにしよっか」
ロッテは肩を竦めて、岩陰に腰掛けた。
と。
「でしたら、お付き合い致しましょうか?」
突然響いた声に、ぎょっとして振り返る。
いつの間にいたのか、という問いは、彼にとっては無意味だろう。
夏真っ盛りのリゾート地に恐ろしくそぐわない、ずるずるとした紫色のローブを纏った少年は、いつものようににこりと優しげな笑みを彼女に向けていた。
「キル」
目を丸くして、その名を呼ぶ。
「来てたの」
「ええ、今朝方。少々時間が出来ましたので」
「なんだ、来てくれれば一緒に遊んだのにー」
不満そうに口を尖らせるロッテに、キルはこともなげに微笑んで見せた。
「ですが、あの半天使のお嬢様がいらっしゃるでしょう」
「それはー…シャクだけどあの性悪天使に任せてさ」
「だとしても、貴女は私の衣服を剥いで水着を着せるつもりでしょう?」
「もちろん」
「ですから、遠慮させていただきました」
「えー」
ロッテはさらに不満そうに眉を寄せた。
「いいじゃん。楽しいよ、海」
「私は海を楽しむ貴女を楽しませて頂いていますから」
「いいじゃん、水着くらい。何も着てないのだって慣れっこでしょー?」
「貴女以外の存在に肌を晒す気にはなれませんよ」
「ちょっとくらいいいじゃーん」
「結構です」
「それってOKってこと?」
「詐欺師の問答ですか。お断りします」
「男割り?」
「い・や・で・す」
にっこりと微笑んだまま。
しかし、大抵のロッテの我侭を受け入れる彼にしては、珍しく強情なまでに拒否を露にしている。
そこまで嫌なのだろうと察し、ロッテは嘆息した。
「へーんなの。このクソ暑いのにそんなカッコして、暑くないの?」
「貴女には使えないかもしれませんが、世の中には魔法という便利な道具があるのですよ」
「わ、イヤミっぽ。どーうせボクに魔法は使えませんよーだ」
口を尖らせるロッテの横に、くすくすと楽しげに笑いながら腰掛けて。
「でも、ここはヒトがいなくていーねえ。プライベートビーチ、って感じ」
「ビーチ、ではありませんが…しかし、こちらの方にはさすがに人はやってこないようですね」
「みんなで騒ぐのもいーけど、こゆとこでひとりで泳ぐのもオツだねえ」
「そうですね」
キルが同意したので、ロッテは意外そうに彼の方を見た。
「およ。てっきり泳ぐのもヤなのかと思ってた。キミ泳げんの?」
「貴女が私をどのような目で見ていたか気になりますが…一応、人並みには。
他人に肌を晒すのが嫌なだけですよ。水に入ること自体は、嫌いではありません」
「そっか」
ロッテはそっけなく返事をして、また岩肌に囲まれた水面に目をやり…
…そして、やおらにやりと微笑んだ。
「ボクだけに見られるんだったら、いーんだよね?」
再び向けられた瞳は、いつもの挑戦的な輝きをはらんでいて。
「ここで、泳ごうよ。そんならいいでしょ?」
唐突な誘いに、キルはきょとんとして彼女を見返した。
「…私の水着は、お持ちでないようですが?」
どう答えようか考えて、そんな常識的な言葉がついて出る。
ロッテはその問いに、嬉しそうに目を細めた。
「いいじゃん」
伸ばした指先を、彼の襟元にかけて。
「……何も着なくても、さ」
キルは静かに目を見開いた。

さんさんと降り注ぐ、まぶしい陽の光の下で。
キラキラと輝く水面を背にして。
彼女の瞳は、その輝きにも負けない…淫靡で、妖艶な輝きを放っている。

に。
黙ったまま、ロッテがもう一度笑む。
それに誘われるように、キルもゆっくりと目を細めた。
「もちろん、貴女もその邪魔な布切れを取り去って下さるのですよね?」
「え、キミが取ってくれるんでしょ?」

くすくす。
くすくす。
誰もいない岩場に、そんな声だけが響き渡る。
やがて、ぱしゃん、とひかえめな水音が2回響いて。

それきり、岩場は再び静寂に包まれた。

“Papaya Beach”2009.2.5.Nagi Kirikawa

パパヤ・ビーチって言われても、ビーチらしいキャラがうちにいなくてなあ(笑)やけくそ気味に、ビーチに一番ふさわしくない人を引っ張り出してきました(笑)案の定、水着は絶対嫌ですと本人が言い張ったので、人気の無いところにロッテを餌におびき出してみました(笑)
一応、総務課H&HのSS「Your Choice」の後くらいの想定。もう仕方ないからリーはエリーと遊ぶといいよ。