「誤解してはならないのは、彼らは決して慈悲深い存在ではないということよ」

淡々とそんなことを言いながら、ミリー先生はこつんと黒板の文字を棒の先で指し示した。
校長とはいえ、彼女も教師、ということなんだろう。3年間の魔道士養成学校で組まれているカリキュラムのうちほんの僅かではあるけれども、こんなふうにミリー先生が自ら教鞭を取ることがある。
こうして直接触れる機会があると、ミリー先生の自信は決して方便でも誇張でもなく、確かな実力に裏打ちされているんだな、ということがわかる。難しい授業でもミリー先生は実にわかりやすく、的確に教えてくれるんだ。
今日は、古代魔法についての講義。大昔に滅びた古代文明の残したものだとか、天使が授けたとか言われているものなど、もう現代にそのノウハウは残っていない魔道技術についてのものだ。
その説明の中で、ミリー先生は「天使」について説明を始めていた。
「彼らが生み出された目的は、神々が生み出した世界であるこの現世界を維持すること。安定して維持する為に、その均衡を崩すものを粛清・排除する役目を負っているわ。
その多くは、破壊と殺戮を好む魔族に向けられていることも事実よ。だから、一般的に天使は悪魔を退け、人を救うものとして認識されているわ」
いかにも先生らしい言い回しは、事象をはっきりと定義づける為のもの。
つまりは、『天使は、悪魔を退け、人を救うもの』ではない、ということが言いたいのだろう。
「だけど、ここで誤解してはいけないのが、魔族やそれに準ずる魔的なもの…一般的に人に害をなすとされているものを天使が粛清するのは、必ずしも人のためではない、ということよ。彼らが魔族を粛清することが、結果的に人のためになっているだけの話でね」
「すいません、よくわからないんですが」
話を遮って、男子生徒が手を上げる。
ミリー先生は嫌な顔ひとつせずに、彼の方を向いた。
「そうね、どう説明すればいいかしら。
あなた、園芸の経験はある?」
「園芸、ですか」
彼は少し面食らったようだった。
「エレメンタリーの頃に学校でやった程度なら」
「充分よ。園芸で花を咲かせる…あるいは、果実を収穫するには、相応の準備と手入れが必要ね?苗を植える大地と、そして何より苗自身が必要になるわ。
その、苗と大地を用意するのが、神々。そして、植えた苗がきちんと花を咲かせて、実をつけるまで手入れをするのが天使。あなたたちは、手入れをされる苗そのものよ」
にこり、と笑って、続ける先生。
「苗がしおれてしまわないように、水をあげたり日光を調節したりするでしょう。
そして、苗を枯らしてしまうようなものすごい大嵐が来たりしたら、囲いを作って苗をガードするわよね。
同じように、苗を食い荒らす害虫は退治する。それが、天使の役割よ」
「でも、それは苗を守る為、なんじゃないんですか?」
「うーん、ちょっと違うわね」
なおも疑問を投げかける彼に、ミリー先生は腕組みをした。
「たとえば、植えていた苗の中に、他の苗が吸収するはずの養分を独り占めして、一株だけ大きくなって…他の苗に当たるはずの日光も、大きくなった苗が遮って独り占めしてしまうようなことが起きた場合。
その苗は、摘み取ってしまわなければならないの」
「!……」
ミリー先生の言わんとすることを察して、絶句する生徒。
先生は続けた。
「苗を守るのは、苗のためじゃない。
苗を含めた、畑全体を維持する為よ。
もし畑の中の苗自体が、畑を壊してしまう危険性を秘めているのなら、その苗は害虫同様、取り除かれなければならない。
天使というのは、そういう役目を背負った種族なの」
教室の空気が、なんとなく緊張を帯びる。
「宗教的には、天使は慈悲深く、人々を救う種族だとされているわ。そりゃあ、そういうことにしておかないと信者が減るしね」
冗談めかして言って、肩をすくめる先生。
けど、もう先生の言葉を冗談と受け止める人はいないようだった。
「だけど、学問として見るなら、天使の行為にはそういう目的があって、天使がもたらしたとされる知識や術も、必ずそういう目的の元にもたらされたということを念頭に置いておかないといけない、ということよ。
脅かすようなこと言っちゃったけど、世界を壊すようなものでない限りは、人間が天使の粛清対象になるようなことはないから。そこは安心して大丈夫よ?」
にこり。
先生は微笑んでそんなことを言うけど、まったく笑える話ではない。
「余計な話をしちゃったわね。ここのところで何か質問は?」
「はい」
わたしが手を上げたので、クラスの皆は驚いてわたしの方を見た。
「はい、ミルカちゃん」
先生に指されて、わたしは手を下ろして質問をする。

「先生は、何でそんなに天使の事について詳しいんですか?」

わたしの質問に、先生はきょとんとした。
クラスの皆も、興味深そうに先生の方に向き直る。
先生はしばしの間、沈黙して。
やがて、ゆっくりと微笑む。

「それは、企業秘密よ」

“Angels” 2009.1.26.Nagi Kirikawa

ミリー先生の天使講座。
シナリオ「Mission:Impossible」で似たようなことを喋ってますが、こっちが先でこっちをコピペしました(笑)
ミリーの正体については、ばっちりわかってる人1割、たぶんこうかなあと思ってる人1割、ミリー?誰それと思ってる人8割ぐらいだと思ってます(笑)