「リーヴェルの祝日?」

聞きなれない言葉に、エリーは首をひねった。
リーヴェルというのは、確か無茶をやらかして天界を追放になった後に、人間にていのいい神様のようにまつりあげられた天使の名だ。
愛の女神として、人間には親しまれているらしい。
「なんだ、リーヴェルの祝日を知らないなんて、お客さんよっぽど田舎に暮らしてたんだねえ」
そうと知らないのんきな菓子屋の主人は、ははっと笑って続けた。
「リーヴェルの祝日は、子供たちと恋人達にとっては一年に一度のイベントなのさ。
子供達には、願い事を青いポストに入れてボランティアがそれを叶えるっていう『ブルーポスト』がある。
そして、男が好きな女にパイを贈る日でもあるのさ」
「好きな女性に、パイを、ですか?」
ますます胡散臭い話に、エリーの眉が寄る。
それでも、他人に対していつもの『仮面』をかぶってしまうのは、もはや今までの人生で染み付いてしまった癖としか言いようがないのだが。
リーたちと行動をともにしている時は別だが、こうして一人で行動したり買い物をするときには、いつもの露出の高い服でなく魔道師用のローブを着ている。そうした方が、何かがあったときに色々便利だからだ。
菓子屋の主人は何かを思い出すように斜め上を見ながら、頷いた。
「ああ。確か、人間に恋をした妖精が………なんだっけかな。
いやまぁ、とにかく、男が女にパイを贈って思いを伝える日なのさ。
で、女はOKならそのパイを食べる。ダメならゴメンナサイってわけだ」
「そうなんですか…それで、店中にパイが並んでいるんですね」
呆れたように嘆息して、エリーは改めて店内を見渡した。
フルーツをあしらったパイから、クリームチーズ、ミートパイまで、いろいろな種類のパイが所狭しと並んでいる。
「しかし、自分の想いを伝えるなら、自分でパイを作るべきなのではないでしょうか?」
そこが納得行かないらしく、眉を寄せて言うと、主人は苦笑した。
「そらー、出来たらそうした方がいいだろうよ。だがなぁ、料理が出来る男なんざまだまだ少ないんじゃないのかねえ。ま、料理できない男が自分のために頑張ってくれたとあっちゃ、女もグラッとくるかもしれないがなぁ。
ま、そんな深い意味は持たずに、お祭みたいなもんだからお世話になってる人に義理でパイを贈る奴も多いよ。そういうやつらのためのパイでもあるわけさ」
「そうなのですね……」
「お客さんは、想いを伝えたい『いい娘』はいるのかい?どうだい、パイをひとつ」
問われて、エリーは首をかしげた。
ここには、買い物のついでに甘い物好きのリーに何か土産でも、と思って立ち寄ったのだが。
「そうですね…想いを寄せている女性は、いますよ。もうその想いは、伝えてあるのですが…」
「そうなのかい、そいつぁお熱いねぇ。ま、さっきも言ったがお祭みたいなもんだからさ。彼女にパイをプレゼントしてやったらどうだい。喜ぶよ」
主人が言うと、エリーはにこりと笑った。
「そうですね。でもそんな意味を持つパイなら、やはり自分で作ることにしますよ。
せっかく立ち寄らせていただきましたが、こちらは失礼して、材料を買って帰ることにします」
「あちゃー、商売失敗か。ま、がんばれよ、お客さん」
パイを売りつけることが出来なかった主人は、しかし嬉しそうに笑ってエリーを見送った。

「こんなところにいたの、エリー。何してるの?」
宿屋の主人に訊いたら台所にいると言うので覗いてみると、中から甘い匂いが漂ってきた。
「ちょっと、料理をな」
エリーは何かに集中している様子で、リーのほうを見ずに返事をした。
いつも中央で分けて垂らしている前髪も、全てまとめて後ろでポニーテールのようにしている。食べ物を作るのに髪の毛が入ってはまずいという配慮からだろうが、ざっくりとしたシャツにエプロンという服装ともあいまって、いつもと違う新鮮な印象がある。
「………パイ?」
試しに焼いてみたのか、小さい皿に置かれているものを見ながら、リーが台所に足を踏み入れる。
エリーはパイ皿に生地を敷き終わるとオーブンに入れ、ふぅと息をついた。
「…エリー、料理なんて出来るのね」
感心したように見るリーに、エリーは眉を寄せた。
「何だよその意外そうな声は。一応な。母が料理好きで、よく教えたがるんだよ」
「へぇ……」
自分はそういったことはあまり得手とは言えないので、慣れた手つきのエリーを思い出して、また感心する。
「でも、またどうして突然料理なんてしだしたの?それも、パイだなんて」
首を傾げて言うと、エリーはきょとんとした。
しばしの沈黙の後、肩をすくめる。
「ま、いいだろたまには。お前、甘いの好きだろ。食えないものは作らないぜ、せっかくだから食えよ」
「そ、そりゃあ頂くけど…」
並んでいるのはリーの好きなフルーツばかりだ。どうやら本当に彼女のために作っているらしい。
オーブンの様子を見るために再びそちらに意識を戻したエリーを、リーはテーブルに頬杖をつきながら見やった。
真剣に何かに打ち込んでいる彼の姿を傍で見るのは、もしかしたら初めてのことかもしれない。
いつだって彼は彼女のほうを向いていたし、まっすぐなそのまなざしは他へ逸らされることはなかったから。
旅の途中に戦いになることもあったが、自分も共に戦っているので悠長に眺めてなどいられない。
改めて見るその姿は、とても真剣で、そしてとても綺麗に見えた。
打算的でひねくれてはいるけれど、その実彼はとても真摯な性質をしているのだと、改めて思う。
全てのことに真剣に向き合うからこそ、許せないことがたくさんあるのだと。
そして、そのまなざしがいつも自分に向けられていることに、リーは嬉しいようなくすぐったいような複雑な気分になった。
「あんまり見とれるなよ」
突然、視線だけをこちらに向けて言われ、リーは憮然とした。
「見とれてません」
「どうだか」
意地悪げに笑って、エリーはまたオーブンに視線を戻した。

「どうぞ、お姫様」
「わぁ…」
切り分けたパイを紅茶と共に前に並べると、リーは素直に表情を輝かせた。
「いただきます」
甘い物好きの普通の少女よろしく、嬉しそうにフォークを取ってパイを口に運ぶリー。
正面に座ったエリーはその様子を黙って見守った。(彼自身は乳性脂肪が嫌いなのでパイに手をつけてはいない)
「おいしい」
満面の笑顔でそう言われるだけで、面倒な料理をした甲斐があったと、エリーは思った。
先ほど「何でパイを作るの?」と言っていたことからして、彼女はリーヴェルの祝日を知らないのだろう。
肩透かしを食らった気分だが、こういうものは贈る気持ちが大事なのであって、イベントそのものはオマケだ。
片思いの者はこれをきっかけに思いを伝え、互いに想い合う恋人達は改めて贈り物をすることで愛を再確認する。儀式はきっかけにすぎない、相手を想う心こそが本当に必要な唯一のものなのだ。
が、いつも忘れずに抱いているものでも、こうして形にするきっかけがあるというのも悪くない。
出来損ないのはぐれ天使でも、意外なところでいいものを残すこともあるものだ、と、彼はひとりごちた。
「ごちそうさま。おいしかったわ」
リーは幸せそうに息をつくと、紅茶に口をつけた。
「エリーがこんなに料理が上手だなんてね。ちょっと悔しい感じ」
「何だ、料理は苦手か?」
「あまり、ね…手先が器用なほうじゃないのよ。ロッテは上手よ。野宿の時はたいがい彼女が何か作ってくれるわ」
「ああ…上手そうだな」
無駄に手先が器用なあの半魔のことだ、無意味に料理も上手いのだろう。なんとなく面白くないが。
「でもどうして、パイなの?あたし、甘いものは好きだけど…」
先ほどと同じ問いを繰り返す。
「なんとなく、だよ。特に深い意味はない」
エリーは視線を逸らして曖昧にはぐらかした。
リーは彼をじっと見つめたまま、繰り返す。
「本当に、それだけ?」
「なんだよ、しつこいな」
リーはなおもじっと彼を見つめ…ややあって、軽くため息をついた。
「珍しくあなたの口から何か聞けると思ったのに。強情なんだから」
少し不満そうに漏らすのを聞いて、エリーの眉が上がる。
「…お前」
「リーヴェルの祝日でしょ。知ってるわよそのくらい」
言って、苦笑する。
「まさかあなたがリーヴェルの祝日を知ってるとは思わなかったけど」
エリーは観念して唸った。
「…菓子屋のオヤジに聞いたんだよ」
「ああ、なるほどね」
くすくす笑いながら、リー。
「でも、あなたみたいな人が、こんな浮かれたイベントに便乗するなんてね。そういうの、興味ないと思ってた。だから途中まで、半信半疑だったんだけど」
「たまには、な」
「そうね、たまには」
まだくすくす笑いながら、リーは立ち上がって、彼の方に歩いてきた。
「言葉はもらえなかったけど…このパイが、あなたの愛の言葉だと思っていいのよね?」
頬を少し染めて微笑んで、彼の返事を待たずに言葉を続ける。

「ありがとう、嬉しいわ。
…あたしも、あなたが大好きよ」

視界がふっとかげって、一瞬後に口の中にほのかに自分の作ったクリームの味が広がる。

少し砂糖を入れすぎた、と冷静に思いながら、
たまには菓子を食べるのも悪くない、と思う自分がいた。

世界中に、リーヴェルの祝福を。

“Sweet, sweet Pie”2005.3.17.Nagi Kirikawa

…甘っ(笑)
ホワイトデーの話を書いていたら、急に書きたくなって書きました。ちょっと遅刻だな(笑)
もとはPBeMサイトの魔道学校で「バレンタインのような恋人達のイベントってないですかね」というところから、リーヴェルの祝日に便乗してパイを、バレンタインとは逆に男性から女性に送ってみよう、という感じで始めたわけですが。
何故パイなのかは、3.14だからです(笑)

それはそれとして、エリーは割と手先は器用なほうなんじゃないのかな、と思います。リーは逆に不器用で。お料理とかお裁縫は苦手です。
で、リーはもしバレンタインとかあったら結構気にするほうで、エリーは逆にそういうイベントに踊らされるなんて、と思うタイプだと思うんですよね(笑)
でも、普段想い続けているからこそ慣れで形にしなくなりがちな想いを、形にする機会があるっていうのは結構いいことなんじゃないのかな~、と思って。誕生日だろうが、クリスマスだろうが(笑)イベントが多いのはいいことです。
ということで、普段のキャラじゃないことをガラにもなくしでかしたエリーに、リーもやっぱりガラにもなく自発的ちゅーとかしてみたり。ああ恥ずかしい(あたしが)