「…で、なんであんたがここにいるんだ」

この上ない渋面を無遠慮に表情に貼り付けて、金の髪の少年は言った。

「せっかく来て差し上げたのに、随分なお言葉ですね」

目の前にいる少年は、それとは対照的に優雅に笑みを浮かべる。

しかし、その正体が見かけどおりの穏やかで優しい存在でないことなど、彼には嫌というほど判っていた。
褐色の肌に尖った耳、小柄で眉目秀麗、濃いオレンジ色の瞳…天界にすら名を轟かせるほどの魔貴族・エスタルティ家の特徴であるという。
そして目の前の少年は、そのエスタルティ家直系の後継者だと。
名を、キルディヴァルジュ・ディ・エスタルティ。
少し前から、彼と共に旅をしている半魔の少女・ロッテに纏わり付くようになった、純血の「魔族」。
穏やかな見掛けをしていても、中身は正真正銘の魔族。冷静で慇懃無礼、悪賢く残酷で、自分が求めるもののためには容赦がないということを、彼はよく知っている。
何から何まで、彼…現世界を維持する立場の「天使」であるレスティック・エリウス・サラディとは相容れない。
力で対抗することは出来るだろうが、巻き起こる被害は甚大だろう。向こうにそんなつもりが無い(というかロッテ以外眼中に無い)以上、わざわざそんなリスクは犯したくない。
気に入らないし相容れないが、出来れば関わりたくない。
エリーにとって、キルとはそういう存在だった。

その彼が、なぜか今、自分の目の前にいる。
素直に状況が理解できない。ロッテがいるわけでもないのに、なぜわざわざ自分の前に姿を現すのか。
そう思うほどに、彼が知るキルという少年は、ロッテしか見えていなかった。無視しているのではない、見えていないのだ。彼女以外の存在を、全く無いものと思っているとしか考えられない振る舞いの数々。ロッテの親友であり自分の想い人でもあるリーは多少は意識されているようだが、その傍らにいただけの自分が「生き物」として認識されているということがむしろ驚きだ。だからこそ、天使と魔族という立場であっても衝突せずにいられたのだろうが。
エリーは嘆息した。
「来て差し上げたと言われても、呼んだ覚えは無いんだが」
慇懃無礼な言い方に眉を顰めて言えば、さほど堪えた様子もなくまたにこりと微笑む。
「まあ、そう仰らずに」
「だから、何の用なんだ。まさかあんたまであの淫乱魔族のように俺を襲いに来たとかじゃないだろうな」
「そちらについては間に合っていますので貴方の穴にも棒にも興味はございません」
「興味を持たれても提供してやる気はないがな」
「需要はあるようですが」
「頼むからやめてくれ」
「私は別に構いませんが」
「いいから本題に戻るぞ」
そうしてください。
「それで、何の用なんだ?」
「貴方が私と同じ問題を抱えているようでしたから、こうして参上したのですよ」
「同じ問題?」
「はい」
微笑んだまま、僅かに首を傾げるキル。
「私の姫君が、邪魔でしょう?」
直球を投げられ、ぐ、と言葉に詰まるエリー。
彼が『姫君』と言ったら、それはロッテの事を指している。それが理解できてしまうのも微妙だが。
言葉に詰まったエリーを肯定と理解し、キルは笑みを深めた。
「遠慮することはありません。私も貴方がご執心の半天使のお嬢様が邪魔ですから」
どう言葉を返していいか判らず、エリーは嘆息した。
確かに、自分がロッテを嫌ったり、ロッテが自分を嫌ったりする以上に、リーはキルのことを過剰に敵視している。キルはもともとロッテを『殺しに来た』のだから無理もないが、離れて行動することになったときにエスタルティをよく知る冒険者を雇うなど、エリーからしてみたら面白くないほどの念の入れようだった。だからこそ、キルはリーを『認識』しているのだろうが。
「邪魔者は排除してもいいのですが」
キルが続けて言い、エリーはそちらに鋭い視線を投げる。
キルはそれを見て、楽しそうに微笑んだ。
「…生粋の天使を敵に回すのは面倒ですし。何より、私の姫君のご機嫌も損ねてしまいますのでね」
「…だろうな。リーがあいつを想うのと同等に、あいつもリーに執着している」
「存じております」
言って、キルは袖で口元を隠した。
「しかし、ああ敵視されると…私の姫君も気にされますし、来るたびに姿を現す機会を窺わねばなりません。少々面倒なのですよ」
「だから何だ?あんたの面倒に俺は関係ないだろう」
「いえ。貴方が、あのお嬢様を私の姫君から引き離してくだされば、私の手間も省けると思いまして」
キルの言葉に、エリーは一瞬沈黙して眉を寄せた。
「……あんたの為にか?ごめんだね」
「ええ、貴方が私に手を貸すことにも、その逆にも、何の理由もありません。
しかし、貴方にとっても悪い話ではないと思いますが?」
キルは再びにこりと微笑んだ。
口元を隠していた袖をつ、と動かして、エリーを指し示す。
「私が姫君のお相手をすれば、貴方も気兼ねなくあのお嬢様を独占できるのでしょう?
永久に引き離せということではありません、あのお2人を引き離すことは残念ながら無理なようですから」
「………」
以前、キルがロッテに策を仕掛けて二人を引き離し殺し合わせようとしたことを思い出す。
結果は…打ち合わせなしに一芝居を打つ余裕があるほどに、彼女達の中で『共に在る』ということは動かしがたい前提事項だということが判っただけだった。それほどまでに、彼女達の結びつきは強い。だからこそエリーも色々と手を焼くこともあるのだが。
黙っているエリーを前に、キルは続けた。
「ただ、貴方があのお嬢様と共にいたいと思う時、それをお知らせいただければ、お互いのためになるのでは?ということです。
協力しろ、ということではありません。連絡を取り合うことが出来れば双方の利益になると。私の申し上げていることは間違いではないと思いますが?」
エリーは眉を寄せて黙り込んだ。
キルの言うことは至極尤もだ。少なくとも理論上は。利害の上では一致していると言わざるをえない。
が。
難しい顔をして黙り込んでいるエリーに、キルがくす、と鼻を鳴らす。
「そういうお顔をなさると思いました」
とつ、と足を踏み出せば、それだけエリーが一歩下がる。
その反応すら予想のうちだというように微笑んで、キルは言葉を続けた。
「いくら理屈の上では利害が一致しているとはいえ、貴方は天使で、私は魔族です。
それも、あのお嬢様のように半端者ではなく、貴方は天界で教育を受けているのですからね。魔族の甘言を鵜呑みにするなど考えられない。理屈でなく、感情が納得しない。それはよく判ります」
キルの言葉に、エリーは不機嫌そうに眉を寄せる。
「しかし」
勿体ぶって言葉を切り、キルは微笑んだ。
「また、こうも考えているのでしょう。もし私が何か企んでいるとして……貴方にあのお嬢様の動向を連絡させることに、私の言葉以上の何の利益があるのか。何を考えているのか測れないのは不安ではあるけれども、それと天秤にかけるほどに、私の提案が貴方にとって魅力的である、と」
「いちいち判ったように言うな」
エリーは苛ついた様子で言った。
しかし、実際そう考えているのも、不本意ながら事実だった。
キルがロッテを拘束してくれるのなら、こちらも余計な気を回すことはない。連絡を取り合うことが出来るのなら、余計なトラブルも回避できるというものだ。
が。魔族と手を組むことが感情的に抵抗がある上に、相手が果たしてそれだけのためにこの話を持ちかけているのだろうか、という不安もある。
といっても、キルの言う通り、このことをどんな策謀に使えるというのか、考えを巡らせても全く想像がつかない。それが、即追い返すという選択肢を選ぶことをためらわせていた。
「ご心配には及びませんよ」
キルは穏やかに言うと、再びにこりと微笑んだ。
「私はもうあのお嬢様に関して、何か策を弄する気はありません。と言っても貴方は信用なさらないとは思いますが……そうですね、しいて言うなら」
ふ、と視線を逸らして言葉を探す。
「…もう、興味がないのですよ。あのお嬢様には。というよりは、姫君以外に興味はありません」
「……」
その言葉の方が説得力があるのはなぜだろう、と微妙な気持ちで思うエリー。
キルは続けた。
「しかし、その姫君との逢瀬を邪魔する存在であり、しかも姫君がご執心の存在であるがゆえに、あのお嬢様は厄介なのですよ。
姫君のご機嫌を損ねず、かつ邪魔者を排除するにはどうしたらいいか……そこで、貴方のことが思い浮かんだ、という訳です」
「思い出してくれてどうも、とでも言えばいいのかね」
かなりうんざりした気持ちで、エリーは毒づいた。
「気が進まないのは承知しておりますが、悪くないお話だと思いますよ?」
「………」
エリーは黙ったまま、くしゃりと髪をかきあげた。
「………俺に、どうしろと?」
キルはその言葉に満足したように、笑みを深くした。
「時折このように情報交換が出来れば、と。あとは、良いタイミングがあれば報せていただければ」
「……報せるって、どうやって。あんた、あの淫乱魔族と会う時間だってランダムなんだろ」
「よくご存知で」
「おかげでこっちが苦労してるんだ」
「それはご愁傷様です。しかし、通信の手段に関しては、貴方のほうがエキスパートでは?
精神に干渉する術……幻術を得意としていらっしゃるのでしょう?」
「よく知ってるな」
かなり嫌そうに答えて、エリーは嘆息した。
「あんたの思考派パターンを覚えれば、あんたがたとえ魔界にいようともテレパシーを飛ばすことは出来るがな。それはあんたにもリスクがあることだが、いいのか?」
どこに居ても思念派を送れるということは、裏を返せば精神に対しての攻撃もやりやすくなるということだ。精神干渉術のエキスパートを相手に、そのリスクはかなり大きい。
「そうですね。それは承知の上です」
笑顔でそう答えた相手をじっと見やって。
エリーは息を吐いた。
「……成る程な。どうやら裏がないというあんたの言葉は本物のようだ。
いいだろう。気は進まないが、目的のためだ」
「交渉成立ですね」
キルは言って穏やかに微笑んだ。
「なら、思考派を読ませてもらうぜ。じっとしてろ」
エリーがキルに歩み寄り、その顔に向かって手をかざす。
「ここはやはり口付けで読み取るところですか?」
「じっとしてろっつってんだろ」
にこにこと茶化すキルに一応つっこんで、目を閉じる。
精神を集中させて、相手の精神に触れるために神経を研ぎ澄ます。
しばし、沈黙が落ちた。
やがて、エリーはゆっくり目を開けると、手を降ろした。
「………これでいい」
「もうよろしいのですか?」
拍子抜けしたようにキルが首を傾げる。
エリーは肩を竦めた。
(聞こえるだろ)
突然頭に響いた声に、キルが僅かに目を見開く。
(……確かに。全く力の波動を感じませんでした…腕は確かなようですね)
(何だと思ってたんだ。…まあいい。何かあれば連絡する)
(承知いたしました)
心の声で言って、キルは満足そうに微笑んだ。

「今日は、姫君達はどちらへ?」
「依頼人に報酬を受け取りに行って、ついでに買出しをして来るそうだ」
「貴方は何故このようなところに?」
重ねての問いに、少し意外そうにそちらを見返すエリー。
というか、普通ならまずそこに触れるのではなかろうか。
「……見ての通りだ。料理以外の目的で台所にいる奴がいるか?」
そう。
キルが突如目の前に姿を現したのは、彼らが滞在する宿の台所。エリーは材料を揃えてエプロンをつけ、まさに今から料理を始めようというところだったのだ。
まあ、この少年が自分の目的以外のことに興味を示しただけましというものだろうか。嬉しくはないが。
「ですから、何故貴方が台所に?」
「やけに食いつくな。菓子を作るんだよ。パイをな」
「パイ?」
不思議そうな無表情のキル。
エリーは嘆息した。
「現世界には、リーヴェルの祝日という記念日があるんだ。男が好きな女にパイを捧げて想いを伝える日なんだとよ」
「リーヴェルの祝日……なるほど」
キルは納得したように頷いて、テーブルの上に広がる材料を見る。
「…貴方が、手作りで?」
「まあな」
「あの半天使のお嬢様にですか?」
「他に誰がいる」
不機嫌そうにエリーが返すと、キルはにこりと微笑んだ。
「いえ。いいタイミングに来たと思いまして」
テーブルの傍らにあった小さな椅子に腰掛けて。
「ここで見させて頂いてよろしいでしょうか?」
「………」
エリーは盛大に眉を寄せた。
が、よろしいでしょうかと言いつつそこから退く気が全く無さそうな様子に、嘆息して。

「…………勝手にしろ」
「はい、勝手にさせて頂きます」

リーヴェルの祝日の昼下がり。
微妙な緊張感をはらみながら、時は穏やかに過ぎていった。

“Hit her horse at first” 2007.4.28.Nagi Kirikawa

微妙にリーヴェルネタですが、やりたかったのは前半部分です。
こう、どうにかして「おとこのこ同盟」を組ませたくてですね(笑)前々からいろいろ考えていたんですが、どうにも形にならなくて。
というのも、エリーが嫌がって嫌がって(笑)魔族と手を組むなんて出来るかー!ってきかないんですよお姉さん(笑)何かキルのほうは目的のためなら別にーって思ってるみたいなんですけど。
で、どうにかこうにか説得して、話し合いに持ち込んでみました。海神別荘でも少し絡ませたんですが、キルはエリーをからかうのが結構好きみたいで、エリーはキルがすごい苦手みたいです(笑)けどようやく、この2人がタッグを組んでくれました。またこの辺でなんかやりたいなあ。
ちなみに、この後キルはリーたちが帰ってくる前に姿を消して、どっからかパイを調達してきてロッテにあげるのだろうなという予想。そしてエリーはリーを味見(笑)