「はぁ~今日も良い天気なのねー」
大きなシーツを物干し用のロープにかけ終えてから、少女は眩しそうに雲ひとつない青空を見上げた。
まだ15になるかならないか、幼さを残した可愛らしい少女だ。しかし、顔の両側から覗くふさふさとした大きな白い耳と、後ろに伸びる長い尾が、彼女が白竜族であることを物語っている。おそらく見かけの10倍は年を経ていることだろう。
癖のある真っ白な髪を後ろでゆるくまとめ、水色のラフなワンピースを身に纏ったその姿は、こんな山奥にぽつんと立った粗末な小屋にはあまりそぐわない。
が、当人はさほど気にした風もなく、洗濯を終えた満足げな表情で籠を抱えると、その粗末な小屋へと戻っていった。
「今日も良いお天気なのねー、この分だと明日も明後日も天気が続きそうなのー」
ドアを開けて、中にいる誰かに向かって語りかける。
返事はないが、彼女はニコニコしたまま洗濯籠を脇に置き、台所の方に歩いていった。
「今日の朝ごはんはなにが良いのー?えーっと……パンとー…卵と、使い置きのハムとー……あっ、昨日取って来たブドウがあるのー。ちょっと食べてみたらすごくおいしかったのねー、これも食べるのねー」
パタパタといろいろな食材を出しながら、楽しそうに言う少女。
「ねー、それでいいー?」
振り向いて、奥の部屋へと声をかける。
返事はない。
「…もー、まだ起きてないのー?」
少女は立ち上がり、持っていたブドウをテーブルに置くと、奥の部屋へと足を進めた。

さあ、と窓から入る風が、柔らかくレースのカーテンをくすぐっていく。
窓辺にしつらえられた粗末なベッドには、もうずいぶんと年を経た様子の老人が静かに横たわっていた。
「ルークっ!朝なのー、朝ごはん食べるのねー!」
入ってきた少女が、大きな声で老人に呼びかける。
老人の返事はない。
「ルクー?どしたのー?」
少女は眉を寄せて、ベッドに歩み寄った。
「…………ルク………?」
その表情が、怪訝なものから蒼白なものに変わる。
「……ルク……?起きてー……」
ぺち。
老人の頬を軽く叩く少女。
老人の表情は安らかで、胸の上で軽く手を組み、眠っているように見えた。
だが、その頬は驚くほど冷たく硬い。
「……いつまで……寝てるのー?……起きてー……」
少女は仕方無さそうに苦笑して……老人の頬を、優しく撫でた。
「…起きてー……ルク………」
ぽつ。
老人の頬に、雫が一粒落ちる。
少女の表情が、悲しげに歪んで。
「……いかないでー……」
ぽつ、ぽつ。
老人の頬を何度も撫でながら、少女の頬を幾筋もの涙が伝って落ちる。
「いかないでー……パフィ、また一人になっちゃうのー……」

人間と竜族。
寿命に10倍もの差がある彼らが共に過ごせたのは、彼女の人生とってはほんのひとときのことだった。
彼女が彼と共に旅に出たのは、彼がまだ少年の頃で、彼女はといえばようやく物心ついたであろう幼女の姿をしていた。
彼女がようやく少女と言って申し分ない姿になったときには、もう彼はすっかり白髪になってしまっていた。
もう足腰も弱り旅も出来なくなった自分と違って若いのだから、自分など捨て置いて元のように旅を、と言った彼を叱り飛ばして、彼とここに暮らすようになったのは、何年前のことだろうか。
いつまでも続く日々のはずはなかった。それは判っていた。
でもどこかで、今日も明日もこの幸せが続くのだと思っていた。
自らの半身をもぎ取られたような痛みに、彼女はただぽろぽろと涙をこぼして耐えた。

「………」
老人の肩に顔をうずめるようにして泣いていた少女が、ふと顔を上げる。
「……約束……」
独り言のように呟いた言葉が、彼女の脳裏に過ぎ去った思い出を呼び起こす。

(この年になると、いろいろ考えるんだよ)
口にひげをたくさん蓄えた彼は、それでも若い日の面影を色濃く残していた。
(俺は、間違いなく君より早く死ぬ。君を悲しませる事が、それに何より、君と過ごす時間が途絶える事が惜しくてならないけれど、それは変えようのない事実だ)
寂しそうに、けれど真剣な瞳で。
(だけどね。俺は諦めないよ)
皺の目立ってきた手で、優しく彼女の手を取る。
(たとえ死んでも、絶対に生まれ変わって、また君の元に現れる。約束するよ)
そう言って、自らの小指と彼女の小指を絡ませた。
(だから君も、絶対に生きて。生きて、生まれ変わった俺を見つけて。約束しよう)

「……やくそく……」
またポツリと言って、少女は胸の上で組まれた老人の手に視線をやった。
あのときよりもさらに、皺だらけで細く細くなってしまった彼の手。
少女はその手をそっと取って、涙を浮かべたまま微笑んだ。
「……ルクは…いなくなっちゃったんじゃないのねー……長い…長い旅に出たのねー…」
いたわるようにそっとその手を撫でて。
「帰ってきたら……また、一緒に旅しようねー……大丈夫……パフィ、絶対見つけるからー……」
そして、その小指にそっと、自分の小指を絡めた。
「やくそく……パフィ、絶対ルクのこと見つけるよ……絶対……」

「これでよし、とー……」
きゅ、きゅ。
荷物袋の口をしっかりと閉め、少女はそれを持ち上げた。
着ているのはワンピースではなく、水色の占い装束。
バッサリと切られた髪が少々アンバランスではあったが、そんなものは旅をしているうちに伸びるだろう。
すっかり片付いた室内をもう一度見渡して、少女は名残惜しそうに微笑んでから、ドアを開けて外へ出た。

あの日と同じ、雲ひとつない晴天。
少女はあの日と同じように、眩しそうにそれを見上げて、大きく深呼吸をした。
そして、息をつき、ドアのそばにある簡素な墓標に目をやる。
ルーカス・アゼラード。
少女はそれににこりと微笑みかけ、それから手を振った。

「じゃ……また、ねー」

そうして、くるりとそれに背を向け。
少女は、振り返らずに歩き出した。

いつか再び訪れる、出会いの日に向かって。

“Promise” 2008.3.31.Nagi Kirikawa

投稿掲示板作品です。
お題が「別れ」だったので、パフィにするかミシェルにするか悩んで、前向きなラストになるパフィに。
ミシェルはティフが死んだ後あの遺跡に引きこもっちゃったりしてたので。
そういう意味では、このカポーは強いんだなあとか思っちゃいますね。