「…………」

つ、と手を伸ばして、また引っ込める。
店先に並ぶ色とりどりの簪は、どれも職人の技巧が光っていて、芸術に疎い自分でも素晴らしいものばかりだった。
カンザシ、というのは、彼女の住まうナノクニ独特の髪留めである。一本の棒で髪の毛を動かないように纏め留めるもので、簪自体にもさまざまな装飾が施され伝統芸能が光る一品だが、髪の毛を纏め上げる技術も相当なものだ。
しかし。
「……この、髪ではな…」
セイカは諦めたようにふ、と目を閉じると、短くなった自分の髪に指で触れた。
よんどころない事情があって、自ら切った髪である。切ったことに後悔は無いが、簪を愛する伝統文化であるナノクニの人間として、長い髪を惜しむ気持ちもやはりあった。
気の回しすぎかもしれないが、着物に短い髪は微妙に不釣合いな気がする。男性でさえ、髪を伸ばして結っている人間が多いのだ。ましてや自分の髪はナノクニでは少し珍しい赤の混じった色をしている。周りと違うことを気にする性質のある国民性に同調はしないが、その気持ちは理解できた。
今までは、周りと違うこと、身なりに気を使わぬことが気になどはならなかった。
身なりは、清潔で整っており、機能的であれば飾り気など要らぬと思っていた。
だが。

「おや、このような所でお珍しい」

思考に沈んでいたセイカは、ふとかけられた声に思わず驚いて目を開いた。
「お買い物ですかな。よい天気ですからな」
柔らかい中にも意志の強さがうかがえる笑顔で話しかけたのは、魔術師ギルドで彼女の部下に当たる、ムツブだった。
彼女の義父に仕え、魔術師ギルド招聘の手助けをしていた彼は、亡き義父とさして変わらぬ年齢である。ひとときは色々と気持ちの行き違いもあったが、今はそれを乗り越え、彼女のよき支えとなってくれている。
ムツブの後ろには、細君なのだろう、同じくらいの年頃の女性が優しい笑みを浮かべて付き添っていた。
「…魔道書を買いに出た帰りだ。たまには…と思ってな」
セイカは動揺を隠しつつ、正直に答えた。
確かに、彼女が安息日の蚤の市に姿を現すことなど、これが初めてと言って良いだろうから。
ムツブは嬉しそうに微笑んだ。
「そうされると良い。文隆殿の残された仕事を懸命にこなされるはご立派なことと思うが、貴女とて一人の少女。仕事に追われるばかりで飾り気の一つもないと、ご心配申し上げていたのだ」
「……そう、か」
セイカはその言葉にも、少なからず動揺した。
ムツブが仕事以外のセイカのことを気にしているとは思わなかったから。
「簪、ですかな。このような市にしては、良いものを置いている。この色など、貴女に似合うのではなかろうか」
ムツブは言って、先程セイカが触れようとしていた瑠璃色の簪を手に取った。
「……そう、だろうか」
何故か突然気恥ずかしさを感じて、セイカは視線を逸らした。
「…しかし、この髪では簪も満足に使えまい」
「そうですなあ……付け髪をするにしても、色が合わねば却って珍妙になる」
ムツブは己のことのように困ったような顔をした。
「セイカ殿の長い御髪に、この簪と、合った色の着物を合わせれば…あの教会の見習い少年も、さぞかし喜ばれるだろうに」
「………っ」
先程からこの男は、何故自分を動揺させるようなことばかり言うのか。
今度こそ核心を突かれ、セイカは返す言葉も無く喉を詰まらせた。

今までは、周りと違うこと、身なりに気を使わぬことが気になどはならなかった。
身なりは、清潔で整っており、機能的であれば飾り気など要らぬと思っていた。
だが。

着飾れば、彼は少しは喜んでくれるのだろうか。
そんな思いが、セイカを立ち止まらせた。
今までは感じることのなかった思い。
だが、悪くない、と思う。

「おや、どうされた?私は何か妙なことを申し上げましたかな?」
少し意地の悪い笑みを浮かべて、ムツブが言う。
この男、確信犯だ。
セイカは少し恨めしい気持ちで、ムツブを睨み上げた。
と。
「あなた、そのようなことを…セイカ様が困っていらっしゃいますわ」
ムツブの後ろにいた細君が、苦笑して夫君を制止する。
「けれども、確かにその御髪で簪は少し難しいかもしれませんわね」
そして、ムツブの細君はセイカににこりと微笑みかけた。
「ならば、お服の方を御髪に合わせればよいのですわ、セイカ様」
「服……を?」
セイカは細君に視線を移して、怪訝な表情をした。
細君は笑みを深める。
「ええ。セイカ様のお義父上様…文隆様の奥様は、マヒンダの方であらせられたのでしょう?
でしたら……」
「………!」
細君の言わんとすることを理解して、セイカは目を丸くした。

「おはようございます、神官長様」
「おはようございます。今日もいい天気ですね」
朝の掃除をしに大聖堂に行くと、神官長はもう祈りを捧げ終えたところらしかった。
「お祈りの邪魔をしてしまって申し訳ありません。先に、外を掃除して参ります」
「ああ、お願いします。今日は安息日の礼拝がありますからね。そろそろどなたかいらっしゃるかもしれません」
「そうですね」
アスは神官長に会釈をすると、そのまま大きな扉を開けて外に出た。
早朝の冷たい空気が肺に入り込んで気持ちがいい。
持っていた箒で教会の前を掃いていると、向こうから誰かがやってくるのが見えた。
「…早いですね……あれ」
やってくる人物の服装に目を留め、アスは少し目を見開く。
渋めの茜色をした、魔術師の着るローブのようなデザインの服だった。ナノクニの人間が着るキモノではない。このあたりでは珍しい。
そう思い、服から視線を上げていって……アスはさらに、目を丸くした。
「せ……セイカさん?!」
ローブを着ていたのは、紛れも無くセイカだった。
茜色のローブに、短い緋色の髪がよく似合っている。いつものナノクニの装いとはがらりと違う彼女の魅力が最大限に引き出されていた。
もちろん、魔術師のローブなのだから手首・足首まで完全防備のパンツスタイルに羽織るローブだ。ご丁寧にハイネックで、セイカの心配する部位が露出することも無い。
「お……おはようございます!どうしたんですか?!」
アスは思わずセイカに駆け寄って、大きな声で訊ねてしまった。
セイカは目を開いて、僅かに首を傾げる。
「…義母上の遺品を捜したら、出てきた」
「お義母さまの?しかし、お義母さまの形見は、先日着ていらしたモミジ柄のキモノでは…?」
「あれは、義父上が義母上に贈ったものなのだそうだ。
義母上はもともとマヒンダの出身なのだ。マヒンダにいた頃に着ていた服も、こちらに持って着ていたらしい」
「……そう……ですか……」
アスはまだ目を丸くしたまま、ローブ姿のセイカをしげしげと眺めている。
セイカは何故かいたたまれない気持ちになって、僅かに頬を染め、目を逸らした。
「……その……可笑しい、だろうか?」
「……え?」
あまりに意外なことを聞かれた、という様子で、言葉をなくすアス。
しかし、一瞬後に、首がもげるかと思うほど左右に振りたくった。
「とんでもない!」
それから、ふ、と満面の笑みを浮かべて。

「お似合いですよ。とても」

セイカはその笑顔に視線を向けて、またすぐに視線を逸らした。

「………そうか。……ならば、良かった」

目を逸らさねば、呼吸不全を起こしてしまうような気がして。
だが。

今までは、周りと違うこと、身なりに気を使わぬことが気になどはならなかった。
身なりは、清潔で整っており、機能的であれば飾り気など要らぬと思っていた。

しかし、この笑顔が、今までと違う気持ちを呼び起こしてくれる。
そして、それがこのうえない喜びをもたらしてくれる。

だから……着飾ることも、そう悪くはない、と。
セイカは視線を逸らしたまま、そう思った。

To match her hairs 2008.8.30.Nagi Kirikawa

投稿掲示板作品です。
最初は、この簪が似合うように、ムツブの奥さんがヅラを作ってくれる、というお話でした。
しかし、セイカの髪の毛の色が邪魔をしまして(笑)それならいっそ、とこういう方向転換。パッと降ってきた感じでした。満足。
そしてセイカが衣装換えをするたびに萌えるアス。コスプレ好き?(笑)