『海神別荘』パロのキルロテ編です。
全部書くのもなーと思ったので、美女が公子の元に到着したシーンから書いていきます。
博士の出番がありませんごめんなさい。

【配役】
公子:キルディヴァルジュ・ディ・エスタルティ
美女:チバ・ロッテ・マリーンズ
女房:ミカエリス・リーファ・トキス

「さ、ここよ。座って」
女房に導かれ、豪奢な室内のこれまた無駄に煌びやかな椅子に腰掛ける。
居心地が悪そうにあたりを見回していると、入ってきたのと反対の扉が、ぎい、と開いた。
かつ。
瑠璃の床に硬い音を響かせて入ってきたのは、大きな鎧を身に纏った美しい男性だった。
「……よく、いらっしゃいました」
堅固な鎧とは裏腹に、その容貌はあくまで優しい。女性とも見まごう美しい顔立ちに、片眼鏡の奥に潜む底知れぬ紅い瞳。髪は地を這うかと思えるほど長く、まっすぐで、艶やかに美しかった。
あっけに取られたような表情で言葉もなく公子を見つめる美女を、心配そうに女房が覗き込む。
「……ど、どうしたの?」
美女はぽかんとしたまま、一言。
「…………すっげー鎧」
盛大に眉を顰める女房。
しかし、その表情のまま公子を向く。
「……若様。鎧は脱がれた方が良いのでは?驚くのも無理はないわ」
「脱いでも良いですが…」
公子はきょとんとして視線を泳がせ…そして、再びにこりと微笑んだ。
「しかし、脱がずとも良いでしょう。初めの見た目というのはこの先一生付きまとうものです」
す、と歩みを進め、美女の前で足を止める。
優しい微笑のまま、彼女を覗き込むように腰を屈めて。
「この鎧を恐れることはありません。これは私に力と威を与える。今しがたも、召使の女が入道鮫に咬まれたのを助けたばかりです」
「マジで。平和そうに見えたのに、ココってそんなコワいとこなんだ?」
怯えるというよりは、純粋に驚いたような表情で、美女。
「争いのない世界があるとでも思うのですか?」
公子はくつくつと喉を鳴らした。
「争いのない、敵のない国など存在しない。敵などそこら中に満ちているではありませんか。
一人娘を海の幸と引き換えに捧げた…貴女の親は、既に貴女の敵でしょう?」
「………」
僅かに眉を顰める美女。
公子は続けた。
「敵のない世界などない。ただその敵に勝てばよいだけの話でしょう。強さがあり、威があれば敵に勝つことが出来る。貴女と二人、閨にいる時でさえ私はこれを脱ぐつもりはありません。
私の心は貴女を愛し、私の鎧は貴女を守護する。毒の鱗を纏い、爪と角を持っていても貴女を傷つけはしません。貴女もまた、この鎧に守護されるべき海の女王なのですから」
「海の…女王?」
美女は表情のないまま公子の言葉を繰り返した。
笑顔で頷く公子。
「ええ。どんな我侭も許しましょう。心のままに動いていただいて構いません。どこへ行こうと何をしようと、この鎧が…いいえ、私があなたを守るでしょう。
綺麗なものに囲まれ傅かれ、貴女はそれで満足ですか?私は鱗を以って、角を以って、牙を以って貴女を愛するのです。この鎧を脱ぐつもりはありません」
「なるほどねぇ」
美女はにぃ、と笑った。
「津波ひとつでとんでもない海の幸をパパにくれて、ボクの乗った船をひっくり返してココへつれてきた…この金剛石の首飾りも指輪も、キミの力で、キミの威だってワケだ」
「津波など、家臣のささやかな悪戯です」
公子は再びくすりと笑うと、向かいの椅子に腰掛けた。
「首飾りや指輪などでそのように喜んで、お可愛らしい方ですね。貴女の腰掛けているそれは、珊瑚の枝ですよ」
「うそん」
美女は驚いて下を見た。桜色の美しい腰掛に、目を瞬かせる。
「え、パパにくれたヤツ?」
「あのような草……」
公子は鼻で笑った。
「ここにある大樹と比べるのもおこがましい。陸の山々と同じほどの大きさですよ?貴女がそこにそうして腰掛ければ、美しい雪を頂いた峰のようです。私のこの兜の竜は、白の天守閣にある黄金の鯱のように見えるでしょう」
「え、キミってシャチなの?」
「喩えです。人間の目には何も見えません」
再びゆったりと微笑む公子。
「そなんだ、もったいないねー。海の底にこーんなゴーカな御殿があるのを知らないなんてさ」
「陸にも綺麗なものはたくさんあるでしょう?」
「でも、こんな御殿はないっしょ」
「あるのを知らないだけです」
微笑んで言い、公子は視線を泳がせた。
「名水の流れる河、更科の月。美しい峰には紅葉を彩る竜田の姫がいらっしゃる。人間には見えないか…見えるのに見えぬ振りをしているのでしょう。人間の作り出す美しい絵もまた、海の底にはないものです」
「絵とか!絵は別に生きてる訳じゃないっしょー?」
苦笑する美女に、公子は再び微笑を向けた。
「いいえ、生きていますよ。色彩はみな、生きて動くものです。人間は見ても見ない振りをしているのでしょう。決して地上の全てを美しい、尊いとは申しません。しかし、陸は尊いものです。尊く美しいものは決して滅びない。
……貴女のように」
笑みを深くして言う公子に、僅かに頬を染めて言葉を失う美女。
「私の海は、私の水は、波の一振りで陸を浸すことが出来る。だから、浦のひとつを浸し、滅びぬ貴女を迎え入れた。滅ぼす力を持ったものが、滅びぬものを迎え入れ、守護し、愛するのです。
幸運にお思いなさい。悲しむことはありません」
「ね、言ったでしょう?おめでたい事だって。嘆くことなんかないのよ」
女房も優しく言い募る。
美女は苦笑した。
「ちょ、誰が悲しんだって?んなもん、見て判るっしょ」
パタパタと手を振って否定し、それから肩を竦める。
「まー、嘆き悲しんだヒトたちはいるだろうけどねー。生きてるよって知らせてあげられたらいいんだろうけど」
女房の表情が僅かに曇った。
「ここは……人間の目には見えないわ」
「え、マジで」
きょとんとする美女。
「友達とか、パパとかにも?」
「見えると思うのですか?」
今度は公子が問う。
美女は眉を顰めた。
「だって、生きてるじゃん」
「もちろんです。しかし、船が沈んだ折…貴女はどのような決心をされたのです?」
「そりゃ、死ぬんだって思ったけどさー」
不満そうに、美女。
「友達もみんなボクが死ぬんだって思ってただろうし。パパも泣いてたし」
「貴女の親が悲しむことなどないでしょう」
公子は不思議そうに首をかしげた。
「初めからそのつもりで、約束の財を得たのです。しかも満足だと仰った。代わりに娘を静めたのです、嘆くことなど少しもないでしょう?」
「でも、いざ死ぬってなったらそら泣くっしょ。親子の情愛ってヤツ?」
「勝手な情愛もあったものですね…」
公子は嘆息してかぶりを振った。
「私には理解できませんが。それで?」
「パパ泣いちゃってさー、そこ、ちょうどキミが…や、キミの部下のヒト?が、珊瑚をくれたその場所だったんだよね。こんなに後悔するくらいならあの時あんなものもらわなきゃ良かったー、ってさ」
「では、珊瑚を返して約束を戻せばよかったでしょう」
「だってもうお金にしちゃって家建てちゃってたんだもん」
むう、とむくれて、美女。
公子は変わらぬ優しい口調で言った。
「では、その家を潰し金に代えて、もとの貧しい漁師に戻り、娘の命乞いをすれば良かったでしょう」
「だって、キミの部下のなんかでかくて真っ黒い海坊主みたいなオッサンが、毎晩毎晩娘を寄越せ寄越せって言ってくんだよ?今更返したって、って思うじゃん」
「貴女の父君は、元の貧しい領民に成り下がるから娘を助けてください、と、その海坊主に掛け合ってみたのですか?そうはしなかったでしょう?
娘を失って悲しむさまを、これ見よがしに月に照らし、金に釣られてやって来た取り巻き共に慰めさせ、最近囲った若い妾に介抱されていたではありませんか。それが情愛だと言うのですか?」
「むー」
口を尖らせて黙りこむ美女。
公子は苦笑した。
「貴女を責めているのではありません。私には理解できませんが、人間の間でそれを親子の情愛と呼ぶのでしたらそれはそれで構いません、私には何の関わりもないことです。
ですが、私のこの宮殿にある、私の愛する貴女が、そのように下らぬ故郷を思って嘆き悲しんではなりません、というのです」
「だーかーらー」
美女は再び苦笑して手を振った。
「ボクは悲しんでもないし嘆いてもないってゆってんじゃん。パパは泣いてたし、村のヒトはかわいそがってたけどさ。ボクは――」
と、言葉を切って、視線を泳がせ。
楽しそうな表情で、続ける。
「宝と引き換えに娘の命を…なんて、よく出来た御伽噺みたいなハナシ。もしそれが夢なんだったら、ボクの乗った船は沈まない。もしそれが本当だったとしても…それは、宝を与え、波で船をひっくり返して引きずり込むだけの力を持っていて、なおかつボクを欲しがってる、心と魂を持った『何か』だってことさ。だったら、泣き叫んでるよりか、その『何か』を見極めて、そこで生きてく手段を探した方が現実的でしょ」
「………ああ」
公子は嬉しげに目を細めた。
「私は貴女を見誤っていたようです。しおらしい、哀れな花を手折って活けて愛でようと思っていた。
だが貴女は哀れな花などではない、楽しく歌う鳥でした。
面白い……それも良いでしょう。誰か、酒を」
「只今」
女房が一礼して退がり、ややあって再び盆を持って入ってくる。
盆の上の杯に酒を注ぎ、公子に差し出すと、彼は優雅にそれをとって口をつけた。
女房は別の瓶から再び杯に酒を注ぐと、美女に差し出す。
「さ、飲んで?」
「や、ボクお酒はちょっと……」
「辛くはありませんよ、お飲みなさい」
杯を干した公子が、微笑んで言う。
女房も柔らかく微笑んで、言葉を続けた。
「この薄紅色のものは桃の露。若様がお飲みになられているのは菊花の雫よ。地上にはないかもしれないわ、こちらでは最高級のお酒なのよ」
「桃の露…?」
恐る恐る杯に口をつける美女。
その瞳が見る見るうちに見開かれる。
「わ。おいし」
花が咲いたように表情をほころばせ、公子を見やって。
「スッキリしてて、めっちゃ美味しいじゃん!なんか、生き返ったみたい!」
「生き返ったのではありません。新たな命を得たのですよ」
にこりと笑って、公子。
美女は嬉しげに目を細めた。
「あっは、チョー最高!ここでこうして生きてるの、みんなに見せてやりたいよ!」
「見せなくても良いでしょう?」
笑顔のままで、公子は言った。
きょとんとする美女。
「でも、みんなボクが死んだと思ってるんでしょ?」
「思わせておけばよいではありませんか」
「でもさー」
「その、親子の情愛とやらで、貴女の親に見せたいのですか?」
「そうだよー。パパもそうだけど、村のみんなに見せてやんなきゃもったいないじゃん」
公子は僅かに沈黙して、肘掛に寄りかかった。
「……帰りたいですか、故郷へ」
「冗談」
鼻で笑う美女。
「こーんな立派な御殿と、金剛石に珊瑚、こんなに美味しいお酒を捨てて、何であんなチンケな浦に帰んなきゃなんないのさ」
「では、何を知らせたいというのです」
「だって、ヒトに知られないで生きてたってしょんないじゃん。そんなん、生きてるって言わないよ」
「………」
公子の笑みが消える。
美女は続けた。
「そうでしょ?みんなに死んだと思われてるんなら、死んでるのと一緒じゃん。こんなにいいところで暮らしてたって、みんなにそう思われてなきゃ何の価値もない」
「要は、栄華を見せびらかしたいと」
公子は喉の奥で笑って、立ち上がった。
「己で生き、己で満足は出来ないものでしょうか。人に値打ちをつけさせ、それに従うなど愚かな事。ただ生き、命を保てばそれで良いものを。しかも愛する者と共に生きられる、それで何故満足が出来ぬと言うのです?」
つ、と美女に歩み寄り。
「宝石はただそこにあるだけで価値を持ちます。人に施せば十倍の価値を持つと言います。ですがそれを見せびらかした時、その輝きは曇り、艶は黒く変わる」
美女は不満げに口を尖らせた。不承不承、というように言葉を紡ぐ。
「んじゃ、あげればいいんでしょ?ココに来るまでの床に敷き詰めてあった宝石だっていいよ、あげてくるからさあ」
「床など剥がさずとも、ここには貴女のための蔵があります。好きなだけ持って施してくるといいでしょう。ただし、貴女の名を明かさずに、人知れず。名を明かしたのでは、施したことにはなりません」
「えー、そんじゃーなんにもならないじゃん!」
再び口を尖らせる美女。
公子は冷めた笑みを浮かべた。
「ずいぶん勝手を仰います……ですが貴女のことですから、許しましょう」
さわ、と美女の頬を撫でて。
「楽しく歌う鳥が囀るのです。雲雀が星を凌いでも、星はそれを蹴落とさない。声が可愛らしいから許すのです」
そして、ふい、と踵を返す。
「酒をついでおあげなさい」
女房が礼をし、美女の杯に酒を注ぐ。
美女は酒に口をつけると、不満げにため息をついた。
「むー。わかったよ、そこまで言うなら見せびらかしたりしない。
でもさ、生きてるよって伝えるだけならいいでしょ?」
「辞めた方がよろしいでしょう」
顔だけを振り返り、冷たく言う公子。
美女は座ったまま身を乗り出した。
「なんでー。言ったでしょ、浦へ帰っても、すぐまたここに戻ってくるよ。
ただ、ボクが生きてるよって伝えるだけ。ね、いいでしょ?」
無言で首を振る公子。
美女は眉を寄せた。
「なんでダメなのさ。ね、お願い!ちょっと出かけるのもダメなの?」
「…牢獄ではありません。ここは私の世界、自由な領分です。そして貴女は私が秘蔵の酒を飲ませ、心を許した女性。海の果てであろうと、陸の終わりであろうと、思って行かれない場所はない。
けれど、残念です」
「…何が」
美女の言葉に、公子は再び踵を返すと、彼女に歩み寄った。
「貴女にその見栄の心さえなければ、告げずに済んだ事でした」
その肩に手を置き、緩やかに微笑んで。
「……ここに来た貴女は、もう人間ではありません」
「……は?」
眉を寄せる美女。
公子は続けた。
「その身は蛇身に…美しい蛇になったのです」
「な……にゆってんの」
す、と手を上げて見て。全身を確認するように視線を這わせる。
「どこも…どこも蛇なんかじゃないじゃん。鱗なんて、一枚も」
「鱗などありませんよ。無論貴女のどこも蛇になどなってはいない。人間の目には、そう見えると言っているのです」
つ、とその肌に指を滑らせる公子。
「貴女が故郷にその姿を現すとき、貴女の父、貴女の友、貴女の村、貴女の国の全ての者は、残らず貴女が大蛇に見えるでしょう。物を言う声はただ、炎の舌が閃く。息をつけば煙が渦巻く。悲しみの涙は硫黄を流して草を枯らし、長い袖は生臭い風を起こして樹を枯らします。
あるいは肉親の目には、貴女のその金の髪が幾筋か、鱗に紛れて垣間見えるかもしれません。それを名残と思うが良いでしょう」
「うそ」
美女は顔を蒼白にして立ち上がった。
「うそ、ウソだよ。なんで。なんでボクが蛇になんなくちゃいけないのさ。そんな風に人を呪うキミの方こそ毒蛇じゃないか!」
叩きつけるように言って、袖を振り乱す。
「そこまで言うなら行ってきてやるよ!ホントにみんなの目にボクが蛇に見えるのか、確かめてきてやる!」
「お行きなさい。そしてお試しなさい」
公子は薄く微笑んだまま、浅く頷いた。
美女はそちらをひと睨みして、踵を返す。
「どこ!ボクの浦はどこ!」
「あっちよ」
すい、と女房の指す方に、ぽっと燈篭の灯がともる。
美女は僅かに表情を緩めると、無言でたっと駆け出した。
衣が翻って、ふっとその姿が消える。
公子は短く息をついた。
「姿見をここに。陸の様子を見ましょう」
一礼して、姿見を運んでくる女房。
覆いを取りながら、憂いに瞳を曇らせる。
「…困った人だわ」
「……そうですね」
「でも……可哀想ね」
女房の言葉には答えずに、公子は姿見を覗き込んだ。

「如何でしたか」
無表情で再び姿を現した美女に、公子はにこりと微笑みかけた。
「私の言った通りでしたでしょう。貴女の父の若い妾は、貴女を見て気絶した。貴女の父は下男と共に鉄砲を持って貴女を狙ったではありませんか。
彼らには、私とて蛇に見えることでしょう。人間の目とはそういうものです。そのような所に用は無いでしょう?」
美女の表情は凍りついたように動かない。
公子は笑みを深くした。
「さあ、機嫌をお直しなさい」
「そうよ、そんな顔しないで」
女房が慰めるように寄り添う。
「若様は悲しむのがお嫌いだから。あまりそんな顔をしているとご機嫌を損ねるわ。
ここは海の御殿。楽しむ所、歌う所、舞う所。喜び、遊ぶ所よ」
「そらキミ達は楽しいっしょ。勝手に歌って踊ってりゃいいじゃん」
美女ははねつけるように言った。
「勝手に蛇の姿に変えられて、喜んで歌って踊れって?アタマおかしいんじゃないの?」
「どうあってもご機嫌は直らぬと?」
公子が静かに尋ねると、美女はそちらを睨んだ。
「当たり前でしょ」
「この御殿に悲哀のあるのは許しませんよ」
冷たい口調。
穏やかな表情の中心にある紅い瞳が、氷のような輝きで美女を貫いて。
しかし、美女は負けずにそれを睨み返した。
「だったらどーするっての。どーにでもすればいいじゃん。
どーせこのカラダだって、キミの魔法で変えちゃったんでしょ!」
「魔法……」
す、と。
公子の笑みが消える。
「貴女を蛇だと思うのは、人間の心だというのが判らないのですか?
それを、私の魔法だと……」
僅かに顎を引き、紅い瞳が鋭く細められる。
「そのようなことを言って…殺されたいのですか」
「殺せばいいじゃん。どーせ蛇になっちゃったんだし、生きててもしょうがないよ」
負けじとにらみ返す美女。
しばし、険悪な視線が絡み合って。
「…黒潮を呼びなさい。処置をさせましょう」
ふ、と公子が視線をそらして言うと、どこからともなく黒い甲冑を纏った青年らが姿を現す。
彼らは無言で、あっという間に美女を取り囲み、その腕を取って戒めた。
「若様、お待ち下さい!」
美女の喉元に槍が突きつけられたところで、女房が慌てて割って入る。
「どうしましたか」
無表情のままそちらを見やる公子。
女房は一瞬ひるんで、それでも公子に訴えかけた。
「…っ、その……床が。床が、血で汚れてしまうわ」
「そのようなこと」
にこり、と温度のない笑みを浮かべて、公子は答えた。
「美しい花を毟るのと大して変わりはないでしょう。花びらと蕊が分かれ、蜜を滴らせようと、それはそれで美しいものです。箱に仕舞って、大事に取って置きましょう」
「………」
女房はぞっとして口を噤み、そのままその場に伏した。
公子は再び騎士たちの方を向くと、短く告げる。
「……殺しなさい」
ちゃき。
槍を構えなおす騎士。
女房が目を閉じて顔を逸らした。

「待ちなよ」

驚くほど冷静な声が、それを遮る。
無抵抗に腕を取られ、喉元に槍を突きつけられた美女は…しかし、何ら堪えることなく口の端をつり上げた。
公子に視線を向け、鼻で笑って。
「こんな雑魚にボクを殺させるわけ?キミはそれでいいの?
見てないで自分で殺したら?」
挑戦的な視線を公子に向ける。
「………」
公子は無言でその瞳を見返し……
「…下がりなさい」
声と共に、騎士たちは美女から手を離し、一礼して姿を消す。
女房も、いつの間にか姿が見えなくなっていた。
ゆっくりと歩み寄る公子。
腰の剣に手をかけると、美女の手がそれを止めた。
「…殺して欲しいのではないのですか?」
「…そーだね。でも、自分で、ってゆったしょ?」
に、と紅い瞳を細めて。
「剣なんか、使わないでよ。キミのその手で縊り殺して」
剣に添えられた公子の手を取って、自分の首に絡ませる。
「その爪で引き裂いて、その牙で噛み千切って。
ボクにキミを刻み付けてよ」
「……」
く、と公子の指に力がこもる。
冷たい表情で美女を見下ろして。
「……私が憐憫に憑かれるとでもお思いですか?」
公子の問いに、美女は鼻で笑った。
「まさか。知ってるよ、キミがそんなコトするヤツじゃないってことくらい」
恍惚とした表情で、その指先を公子の頬に滑らせて。
「でも……キミの手がボクを血に染めるなら…チョー綺麗なんだろうなって。そう思っただけ」
「………」
片眼鏡に隠された公子の瞳が、僅かに揺れる。
「んふ……その目」
美女はうっとりとして、頬から目尻に指を滑らせた。
「最初から…その目に、ヤられてたのかもしんないねぇ……も、故郷とか、パパとか…どーでもいいや」
いとおしげに、その頬を両手で包んで。
「…キミが、スキだよ。ね……早く、殺して?」
「………」
公子はしばし無言で美女を見下ろして。
それから、その首にかけていた手を緩め、髪の間に指を滑らせて頭を支える。
ゆっくりと。
時の過ぎるのを惜しむように、公子は美女に口付けた。
熱を確かめるように触れた唇を僅かに離し、くす、と鼻を鳴らして。
「…殺してなどあげませんよ」
それから、顔の角度を変えて再び口付ける。
今度は、激しく、喰らいつくように。
かり、と音がして、美女の口から一筋血が流れた。
どちらのものとも知れぬ紅い雫を、惜しそうに舌先で拭い取る公子。
「せっかく捕らえた美しい鳥です。血に染まる姿も美しいでしょうが…その歌を聴く事が出来なくなるのは少し残念です」
紅い瞳が、柔らかく細められる。
「…ここにいて、私のために歌いなさい。
……幾久しく」
美女はくすくすと笑いながら、公子の髪に指を絡めた。
「…いいよぉ……幾久しく…ね。………っふふ」
その髪を静かに引き寄せて、再び唇を重ねる美女。

隙間なく身を寄せ合って唇を重ね合う二人の周りに、不思議な光と共に美しい花びらが舞い散る。
それはまるで、二人を祝福するかのように。
いつまでも、二人の周りに降り続けていた……。

“The Villa of Neptune -Black Prince version-“2007.11.10.Nagi Kirikawa

つーことで、キルロテ編です。
もともとは『鎧を脱がないよ』という描写をしたい、というだけの話だったんですが(笑)
本当に清廉潔白なリーの美女もアリだと思いますが、やっぱり指輪にコロっとなびいたりとか、栄華を見せびらかしたいと思ったりとか、蛇になった責任を公子に丸投げするところとか、そういう自分の欲に正直な美女も、それはそれでありかなーと思ったんですよ。で、自分の欲に正直だからこそ放つ輝きもある、とか。
そして、口は悪くとも根は優しいエリー公子もよござんすが、「許しません」とか「~~なさい」とかいう台詞が何の違和感もなく出てくるブラック公子も良いなあ、と書きながら思ってしまいました(笑)すいません別格で(笑)
で、このブラックな二人がやったらさぞかし「嬉しい、早く殺して」の場面も映えるだろうと思って書いたんですが、なんだろう…技術不足……。やはり語彙の壁は大きかったです。敗北。