それはきっと、過ぎた願い。

「すみません」

声をかけられて振り向くと、自分より少し年上くらいの女性がいた。実際の年齢はもちろん、自分の方が遥かに上なのだろうが。
華やかなこのヴィーダには少しそぐわない雰囲気の、垢抜けない印象のある女性。
大都市ヴィーダに観光に来てみたはいいが道に迷って知り合いとはぐれた、という風情だ。
「あの…中央公園はどちらでしょうか?友達とはぐれてしまって…」
果たして彼の予想は的中した。
困った様子の彼女に、彼はいつものように穏やかな微笑を向ける。
「それはお困りでしょう。お友達もさぞかしあなたをお探しのことと思いますよ。
中央公園は今から僕も行こうと思っていたところです。よろしければご一緒しませんか?」
脳を介することなくすらすらと出てくる社交句。この手の女性の不安と緊張をほぐし自分への好感に変えるのに、わざわざ魔術での干渉を必要とするまでもない。
こうして他人に警戒心を解かせ、自分に有利に働くように持ち掛けるのは、もはや身に染み付いてしまった彼一流の処世術だった。冷静に考えればそのようなことをする必要はまったくないのだが、もはや条件反射といっても差し支えないほどに、自然と出てくる柔らかな笑みと言葉。
女性はほっとしたように微笑むと、頷いて彼と共に歩き始めた。

中央公園までの道のりは、女性が彼女のことをしきりに話して聞かせたので、彼はおとなしく頷きながらあたり障りのない相槌を打っていた。どうやら思った以上に、彼の「処世術」は彼女に対して効果があったらしい。かすかに色づいた彼女の頬を見ながら、冷静にそう思う。
やがて、中央公園のシンボルである大きな噴水が目に入る。彼は足を止めると、彼女に再び微笑みかけた。
「こちらが中央公園ですよ。あの噴水の前にいれば、お友達も貴女を見つけやすいでしょう」
「あの、本当にありがとうございました」
「いいえ、僕が貴女のお役に立てたのでしたらこれ以上の喜びはありませんよ」
「あの…あなたは、この後何かご予定がおありですか?」
笑顔のまま、彼は心の中でかすかに舌打ちした。一見おとなしそうなこの女性が、そこまでしてくるとは想定していなかったので。これは、穏便に撒くには少してこずるかもしれない。
と、思ったその時。

「エリー」

覚えのある声で名前を呼ばれ、彼は驚いて振り向いた。
そこには、微笑んで佇む愛しい少女の姿。
「リー」
名を呼ぶと、彼女は笑みを深くしてこちらへ歩いてくる。
「この方は?」
「…道に迷っておられたので、ここまで案内したんですよ」
女性の手前、つくろった笑みを返す。
彼女はにこりと女性に微笑みかけた。
「連れがお世話になったようで」
「こ、こちらこそすっかりお世話になってしまって。ありがとうございました」
女性は慌てて返事を返した。
「お連れの方とはぐれられたんですか?」
「あ、はい。中央公園に行くと言っていたので、道をお聞きしたんです。そうしたら、連れてきて下さって」
「そうですか。ここまで来ればもうお連れの方とも合流できますね。お気をつけて」
「あ、は、はい…」
女性はきょとんとした表情で答える。
リーはもう一度にこりと笑うと、エリーの手を取った。
「行きましょう」
その手に引かれるようにして歩き出すエリー。
「…では」
女性に笑顔で会釈すると、エリーはリーと一緒に歩き出した。

無言で大通りを歩いていく二人。
リーの手は、エリーのそれに繋がれたままだ。
彼のほうを向こうともせずに、言葉をかけることもせずに、ずんずんと歩いていく。
「…………」
エリーは眉を顰めて、彼女の後頭部を見つめた。
なおも無言のリー。
「リー?」
声をかけてみる。
返事はない。
「……?」
首を傾げるエリー。
「……リー」
もう一度呼びかけてみる。
だが、彼女は無言で歩き続ける。
エリーは、髪を下ろして魔道士の姿をした…要するに「猫を被った」姿では珍しく、不快を表情に表した。
「………」
むっとした表情で立ち止まると、リーの手をとって引き寄せる。
「…っ」
さすがに振り向くリー。
エリーはそのまま、リーの手を引いて脇道に入っていった。
「ちょ、ちょっと、エリー」
リーの言葉も聞かず、人気のない道を、先ほどの彼女と同じようにずんずん歩いていく。
そして、あたりに人の気配がしなくなったとき、振り向いてぐいとリーの手を引いた。
「きゃっ…」
小さく声を上げてバランスを崩した彼女を、力に逆らわずにすぐそばの壁に誘導して。
彼女の背中を壁につけて、その顔の傍にとんと手をつける。
「っ……」
いきなり至近距離に顔を近づけられて、息を飲むリー。
「………何だ」
エリーは、やはりその姿では珍しく、露悪的に唇の端を吊り上げた。
「…妬いてるのか?」
「…っ……」
リーはとたんに頬を染めた。
してやったり、という表情で目を細めるエリー。
「…嬉しいね。お前のそんな表情が見られるなんてな」
リーはごまかすように視線をそらした。
「……あなたが」
小さな声で、搾り出すように言う。
「ん?」
「…あなたが、他の人に笑いかけてるのを見て……何だか、急に…」
きゅ、と胸の辺りで手を握り締めて。
その手に手を重ねて、エリーが耳元で囁いた。
「…ムカついた、と」
「………」
むぅ、と口を閉ざすリー。
エリーはくすくすと鼻を鳴らした。
「…もう」
恨みがましげにリーが視線を戻す。
「怒るなよ。俺はいつも、それと同じことを感じてるんだぜ?お前があの淫乱魔族と話すたびに…いや」
一呼吸おいて、またにやりと笑う。
「お前が俺以外のほうを向いてるときには、いつもな」
囁くように言った言葉に、耳まで真っ赤になるリー。
エリーはまたくすくす笑った。
「ま、俺のあんな笑顔なんて、これっぽっちの価値もないさ。どうでもいい奴らに大安売りしてるようなもんだからな。
俺のこの顔は…お前にしか見せない。解ってるんだろ?」
「………ええ」
リーは頷いて、自分の手の上に重ねられたエリーの手を取った。
「……でも、あなたが他の人の方を見ているのは嫌」
まっすぐに言われ、エリーは不意をつかれて頬を染める。
エリーはそのことに自分でも驚いたようで、苦く笑った。
「…我侭だな、お前にしては」
「見ないで、とは言わないわ。でも、嫌だということは伝えておきたいの」
「充分だ」
エリーは言って、軽く唇を重ねた。
「…ま、今日はお前の嫉妬を見られただけで上々かな。また女に声かけられてみるか」
冗談めかして言えば、リーの視線が険しくなる。
「…冗談だよ。お前を怒らせると怖いからな。
ああやって笑顔でかわして、無言で冷静に怒るんだな。敵に回したくないタイプだ」
「…っ、それは……!」
「はいはい。さ、あまり待たせるとまたあの淫乱魔族がへそ曲げるぜ」
エリーは体を離すと、また大通りに向かって歩き始めた。
「ちょっ…もう、勝手なんだから!」
リーが怒った様子でそのあとについていく。

あなたを独占したい。
それはきっと、過ぎた願い。

けれど、それを口に出すくらいは、いいでしょう?

それは、あなたを想っているから、出る言葉なんだから。

“Jealousy” 2005.12.4.Nagi Kirikawa

拍手用のSSのネタを考えていて、自他共に認めるエリー萌え第一人者のオーレンさんに「どんなんがいいですかねえ」と訊いたところ、「リーがやきもちを妬く」という非常にいいネタを頂いたので、拍手用とは言わずこうして形にしてみました(笑)
エリーはパイの話にもあるとおり、一人で行動するときはたいてい「エリウス」姿で仮面を被って行動しています。そうしたらこういうこともありうるんじゃないのかなーとか。そしてリーはそれを見たときにどう反応するかなって考えたら、無言でものすっごい満面の笑みをたたえていたので(笑)そのまま描かせていただきました(笑)
路地に引っ張り込んで壁に追い詰め、の図は結構書いていて楽しかったので(笑)そのうち絵にもしてみたいなぁと思ったり思わなかったり。オーレンさん、いいネタをありがとうございましたv