「エリー、いるの?」

宿の部屋に入り、リーは恋人の名を呼びながらきょろきょろと辺りをうかがった。
それぞれの用を済ませるために別行動をしていたが、用を済ませてからエリーのいた場所に行ってみるもすでに帰ったとの返事。
待っててくれても、と理不尽なことを思いながら、リーは足早に宿に戻ったのだ。
「エリー?」
だが、部屋の中にはぱっと見誰もいない。宿の主人も帰ってきたと言っていたのだが。
「他の部屋かな…」
リーは眉を寄せて部屋の中を探し始めた。
東方大陸にあるこの宿は、ベッドという習慣が無く、広い床に敷布を敷いて寝る仕様のようだった。部屋の中央には低いテーブルが置かれ、傍らにあるクッションを敷き、床にに直に座るらしい。
風変わりな引き戸のクローゼットと、正面にも謎の引き戸。文化が違うと勝手が違ってやりにくいが、面白くもあると思った。
「ここ、もうひとつ部屋が…?」
言って、引き戸を横に開けると。
「わあ……」
引き戸の向こうは幅1メートルほどの狭いスペースがあり、その向こうに庭が広がっていた。地面からは少し高い位置にあるが、庭との間に壁はなく、そこから直に庭に降りられるようになっている。
丁寧に手入れをされた庭を余すところ無く楽しむ造りに、素直に感嘆の声を上げるリー。
庭から差し込む日の光が、床を暖かく照らし出している。
そして、中央にある細い柱に寄りかかるようにして、エリーが座っていた。
「ここにいたの」
ほっとした様子でエリーに歩み寄るリー。
だが、エリーの返事はない。
「エリー?」
不思議そうにリーが顔を覗き込むと。
(……あら、珍しい)
エリーは柱にもたれかかったまま、目を閉じて眠っているようだった。
この陽気では無理もない。さらにこの庭は静かで手入れも行き届いており、居心地がいい。きっと疲れていたのだろう。
だが、この頼りない柱ではそのうち倒れてしまいそうだった。
(…かといって、抱き上げるわけにもいかないし…本当は起こすのが一番いいんだけど)
思いながら、よく眠っている彼を見下ろす。
普段、何気ないようでいてかなり周囲に対して気を張っている彼が、こんなに無防備に眠ることなどめったにない。できればこのまま寝かせてあげたいが、非力な自分が曲がりなりにも男性を抱き上げて運ぶなどできないし、肩に担いだりしたら間違いなく起きてしまうだろう。
(じゃあ……)
リーは静かにエリーの横に座ると、そっと彼の肩を動かした。
ゆらり。
重心が傾き、エリーの身体がリーの導いた方向に倒れ掛かる。
リーはその流れに逆らわずに、そっと彼の身体を支え、頭を自分の膝の上に乗せた。
「ん……」
僅かに身じろぎするエリーに、起きたかな、と心配げに顔を覗くが、その様子はなく。
上手く自分の膝の上に収まったエリーの髪を、リーはゆっくりと撫でた。
(………わ…)
改めて、なんだか気恥ずかしい気持ちになってしまう。
膝の上の重みと、肌をくすぐるサラサラとした金髪の感触がなんともこそばゆい。
何より、無防備なエリーの寝顔を上から眺めるという、なかなか経験することのないアングルにどぎまぎする。
(…まつげ、長い……)
いつだったか、やはりうたた寝をしていたエリーを眺めていた時も思ったものだった。
長い睫毛と、どこか女性めいた優しげな顔立ち。サラサラの金髪に、青い瞳。恋心というフィルターを取ってみても、彼は申し分ない『王子様のような外見』だと思う。以前に所属していた学校でも、主に上級生の女性に、かなり構われていたらしい。あれだけ誇張が好きな彼の師が言葉を濁したということは、その3倍は見て間違いなかろう。
微妙に嫌なことを思い出して眉を寄せてから、気を取り直してもう一度彼の髪を撫でてみる。
もちろん彼女は彼の外見に惹かれたわけではないが、人気があったのも無理はない、と客観的に思い直した。
(……でも)
と、思う。
彼女たちが知っているのは、綺麗に綺麗に取り繕った、彼の『仮面』だけ。
優しい笑みを貼り付けた王子様の仮面の下に、驚くほど冷静で、露悪的で、それでいて繊細な彼が潜んでいることなど、彼女たちの誰も知らない。
彼が仮面を取るのも、自分本位に求めるのも、そしてこうして無防備な寝顔を晒すのも。
(…あたしに、だけ)
そう思うと、自然と柔らかい笑みがこぼれた。
髪を梳いていた指を、額へと滑らせる。
眠っているからか、それとも自分の手が冷たいのか、彼の額は少し温かかった。
と。
「う……ん……?」
僅かな身じろぎと共に、エリーが薄目を開けた。
今ので起こしたのだろうか、と思いつつ、そのまま笑みを深めるリー。
「起こしちゃったかしら。ごめんなさい」
「……ここは…」
まだ状況が把握できていないエリーは、ゆっくりと首を動かしてあたりの様子を伺う。
「宿。先に帰ってたのね。疲れた?」
「……いや、それほどは……」
そこまで言って、ようやく目が覚めてきたらしい。
エリーはきょとんとすると、目尻を朱に染めて不機嫌そうに眉を寄せた。
「……だから、起こせよ」
「よく眠ってたから」
くすくすと笑いながら答える。
以前と同じように、寝顔を見られたことに不機嫌になるエリー。それが今日は、なんだか可愛らしく思えて。
笑うリーの膝に頭を乗せたまま、エリーは意趣返しのように言い返した。
「…お前、俺の寝顔見るの好きなのか?」
「ええ、好きよ」
「っ………」
速攻で返されて、言葉をなくす。
リーはくすりと笑って、エリーの額をゆっくりと撫でた。
「憎まれ口が出てこない分、素直で可愛いから」
「悪かったね、素直じゃなくて」
「悪いとは言ってないわ?素直じゃないあなたも好きよ」
「………」
いつもの彼女の口からはあまり出てこない言葉の連続に、憮然として口をつぐむエリー。
それでも少し照れるのか、リーは頬を染めながらまたくすくすと笑う。
上から見下ろしている感覚が気を大きくさせるのか、彼女自身もいつもより少しだけ大胆になっている自分を感じていた。
「もう少し寝ていたら?ここ暖かいし、気持ちいいし」
「このままで?」
「ええ、このままで」
「…どうした、今日はサービス良いな」
「そうかしら。可愛い寝顔を見せてもらったお礼よ」
「………ったく」
エリーはまだ目尻を朱に染めたまま、苦笑した。
「どうせなら、もう少しサービスしてくれよ」
「もう少し?」
きょとんとするリーの問いには答えず、す、と腕を上げて。
けだるそうに緩められた指先が、つ、とリーの唇を撫でる。
「っ……」
その仕草が妙に艶かしくて、どきりとした。
そして、『サービス』の意味を理解する。

「……しょうがないわね」
リーは頬を染めたまま、苦笑して。

それからゆっくりと身を屈め、膝の上で少し首を伸ばすエリーの唇に、そっと自分の唇を重ねた。

“Service”2011.7.21.Nagi Kirikawa

膝枕祭・その6?膝枕は、膝の持ち主の方にイニシアチブがあると考えます!(笑)という話(笑)膝枕をすることでちょっとお姉さん風を吹かせるリーを書いてみました。一応お姉さんなんですよ、リーもロッテも…年齢的には(笑)そしていつものようにやり返せずに照れるエリーも書けて満足。
ロッテの話と舞台は一緒です。文化の違いを際立たせるために回りくどい書き方をしていますが、要するにナノクニのベーシックな旅館、縁側で膝枕、という図。ぽかぽかした縁側で膝枕、いいですねえ。和文化の極みですよね!(笑)