こんこん。
深夜、シンと静まり返った研究室にノックの音が響く。
中から返事はない。
だが中に人がいるのはわかっていた。
「………まったく……!」
ミューは憤慨して息を吐くと、がちゃ、と勢いよくドアを開ける。

「ベータ!」

薄暗い研究室に、ミューの甲高い怒声が響く。
研究室の隅で魔道の明かりをぼんやりと灯し、背中を丸くして机にかじりついていたベータは、その声に飛び上がらんばかりに驚いた。
「み、みみ、ミュー?」
まるで浮気の現場を見つかったかのような動揺っぷりだが、もちろんまったくもってそんなことはない。まあ、彼が背中を丸くして夢中になっていたその土人形が恋人と言えないこともないだろうが、それはまた別の問題で。いや、ある意味これが問題の中核とも言えるかもしれないが。
ミューは動揺しているベータにつかつかと歩み寄ると、そのよく通る声で再び怒声を浴びせた。
「あんた、いつまでやってんのよ!いいかげん休みなさいよね、身体壊したらどうすんのよ!」
「い、いえ、でも、こ、ここまで…」
「ここまでここまでって、あんた今日で徹夜何日目よ?!そんな鈍った頭で研究やってたってはかどるわけないでしょ?!」
「あ、あとちょっとなんで……」
「いいから今すぐ中断っ!」
「はっ、はいっ」
勢いよく言われ、慌てて手をぱっと上げるベータ。
ミューはその手をぱっと取ると、ぐいと引っ張った。
「さ、こっち来る!」
「み、ミュー……どこへ…」
「いいから!」
キレ気味で言ってぐいぐいとベータの手を引っ張り、ミューは研究室の隅にある簡易ベッドまで歩いていく。
研究員の仮眠用に、どの研究室にも置いてある簡易ベッド。もちろんミューの所属する呪歌研究室にもある。睡眠不足はお肌の大敵と室長が主張するためほとんど使われていないが。
「ほら、座って!」
ミューに促されるままにおとなしくベッドに座るベータ。
何を言われるのだろう、と肩を縮めて俯く。
すると、ミューは何も言わずにどかっとベータの隣に座った。
「…ミュー?」
きょとんとしてミューの方を向くベータ。
ミューはぎろっとベータを睨むと、そのまま彼の腕をぐいと引っ張った。
「わっ……!」
予想外の展開にバランスを崩して倒れこむベータ。
ぽす。
ミューはベータの身体を導くようにして腕を回すと、そのまま彼の頭を自分の腿の上に乗せた。
「……え……」
一瞬、事態を把握出来ずに気の抜けた声を上げる。
が、次の瞬間、頭の下にミューの膝があるという状態を理解したベータは、みるみるうちに顔を赤くした。
「み、み、みみみみみミュー…!」
「みみみみうるさい。変な木の実でも食べたの?」
「そそそのネタはあまり通じないと思います…」
軽くパニックになりながら、しかし魔法でもかかったかのように硬直する。
「あ、あの、これ、なっ、なに……」
「だって、こうでもしないと寝ないじゃない」
「え、ええ、え…?」
「ぶっ倒れるまで無理するんだから、まったく……鈍いんだか無頓着なんだか。両方だろうけど」
拗ねたように言って、ぺち、とベータの額を叩くミュー。
「いたっ……」
「いいから寝なさい。あんたは気にしてないかもしれないけど、身体に疲労は確実に溜まってるんだから。
ちゃんと休んで、疲れを取って、また明日始めればいいでしょ」
「だ、大丈夫、ですよ…別に、疲れては」
「だから!あんたが疲れてないって思ってるだけであんたの身体は疲れてんの!
3日も徹夜して疲れない人間がいるわけないでしょ、バカなの?!」
ぺちぺちぺち。
叩きつけるように言って、さらにベータの額を叩く。およそ眠らせようとしているとは思えない。
「いたっ、痛いです、わ、わかりましたから…」
観念したようにベータが言うと、ミューは手を止めて嘆息した。
「もう……」
それまでの勢いはどこへやら。
一変して悲しげに下がった声のトーンに、ベータはぎょっとして上を向く。
自分を見下ろすミューの視線とぶつかり、めったに見せない彼女の悲しげな顔に絶句した。
「…もっと、自分を大事にしなさいよね……」
「……ミュー…」
「あんたは、あんたが大事じゃないかもしれないけど。
…あたしは、あんたが大事なんだから。
あんたが倒れたりしたら、悲しむ人間が、ここにいるんだからね?」
「………」
思わぬ言葉に、二の句がつげなくなるベータ。
彼女がこんな風に悲しげな顔をすることも、素直に心情を吐露することもめったにない。
それだけ、自分が心配をかけていたということで。
ベータは申し訳なさそうに、小さく言った。
「………すみません…」
「…あたしの大事な人を、酷使してぶっ壊したりしたら、許さないんだから」
「……はい」
最後は冗談めかして言うミューに、ベータも苦笑を返す。
「さ、わかったらさっさと寝なさい」
「え……ええと…あの……」
「何よ?」
「み、ミューは……」
自分がここでこのまま、彼女の膝で寝てしまったら、今度は彼女が朝まで眠れないことにならないか。
口ごもったベータの意図を汲み取ったミューは、苦笑してもう一度、ぺちりと彼の額を叩いた。
「いたっ」
「あんたが寝たら適当に抜け出してあたしも寝るわよ。いいから気にしないで寝なさい」
「あ、は、はい………」
と、言われても。
愛しい女性に膝枕をされていて、心を乱されず安らかに眠れる男などいるのだろうか。
かえってガチガチになりながら、とりあえず目を閉じてみるベータ。
すると。

「……~♪」

頭上から、小さくミューの歌声が響く。
ゆっくりとした、穏やかなメロディー。子守唄のようだ。
「………」
目を閉じたまま、その綺麗な声に耳を傾ける。
リゼスティアルで評判の歌姫だった彼女は、呪歌の才を見出されこのマヒンダにやってきた。呪歌によって歌声に魔力を乗せずとも、彼女の声には人を惹きつける力がある。大胆でいて繊細な、可愛らしいようでいて力強い、彼女自身を表すかのような声。
今は、その歌声に少しだけ眠りの魔力が乗っている。少し気を強く持てばかかることのない、微弱な魔力。
ベータがミューの膝の上で緊張していることを察しての、彼女の優しさだろう。
「………」
ベータはふっと僅かに頬を緩めて、その魔力に身をゆだねることにした。
心地よい睡魔が脳に浸透していき、身体の力が抜ける。
ミューの手がベータの額を撫でるのを、意識の片隅で僅かに感じて。

そのまま、愛しい少女の綺麗な歌声に包まれて、ベータはゆっくりと意識を手放した。

“Lullaby” 2011.8.5.Nagi Kirikawa

膝枕祭その11。ベタミューです。非常にスタンダードなツンデレを(笑)
ベータは研究員体質というか、まあ平たく言えばオタクなので、自分の好きなことに夢中になり始めると寝食を忘れるタイプです。ミューは研究は好きだけどそこまで夢中になれないのでそれが理解できない。身体壊す前にこうしてストップをかける役なんですね(笑)
ちなみに「みみみみ」=変な木の実、は「かまいたちの夜2」です(笑)あれマジ怖かった(笑)