「あら、どうしたのその傷」

いつもの黒いシャツに着替えようとしているロッテの背中に覗く薄赤い痕を見咎め、リーは不思議そうに問うた。
肩甲骨の下辺りにじんわりと残っている風情の、獣の噛み傷のような跡。ロッテの褐色肌では、よく見ないと気づかない。実際今まで気づいていなかったのだし。
しかし、ここしばらくはずっとロッテと行動を共にしている。彼女がこんな噛み傷を残すような怪我をしただろうか?
腑に落ちない様子で首をひねるリーに、ロッテは少し言いづらそうに苦笑した。
「あー、うん。気にしないでよ。もうそんなに痛くないし」
「何言ってるのよ。もうそんなにってことは、ついた当時は痛かったんでしょう?何で早く言わないの、あたしの剣が嫌ならエリーにでも治してもらえたのに」
「や、どっちかっつーとそっちの方がやだな…」
微妙な顔をするロッテ。
リーはますます剣呑な表情になって、ロッテのシャツをまくろうと手を伸ばした。
「だから、どうして言わなかったの。ほら、見せて。今治してあげるから」
「や、だから、いーんだってば、ホント」
「どうしてよ、遠慮しないで」
「だから、治さなくていい、んじゃなくて、治さないでほしーの!」
ロッテの言葉に、きょとんとして手を止める。
「……どうして?」
ロッテはまた言いにくそうに苦笑した。
「消さないでほしーんだ、この傷」
「だから、どうして」
リーがなおも問うと、気まずそうに視線をそらして。
「…おこんない?」
「内容によるわ」
「うー……」
ロッテは眉根を寄せて、それでも喋らない訳にはいかないと悟った様子で、口を開いた。

「……キルがつけたやつだから」

ぎゅう。
その名前を聞いた瞬間に、リーの眉根が合計2センチは寄った。
言うまでも無く、ロッテの恋人。慇懃無礼、傲岸不遜な正真正銘生粋の魔族の少年だ。

ロッテ自身がその意思で選んだとはいえ、リーはこの少年のことをあまり良く思っていない。というか、はっきり言って気に入らない。それは、彼女が半分とはいえ天使であり、向こうが魔族だからという理由以上のものがあると思う。
いろいろ込み入った事情があるのは理解しているが、自分の手が空いているときにしかロッテの元を訪れず、彼女に寂しい思いをさせているのも気に障る。
穏やかな外見に似合わず結構なサディストらしい。ロッテの傷はそのときについたものだろう。痕を残したいといって傷を癒してくれないとロッテが言っていたことを思い出す。

その何もかもが不愉快で、リーは目に見えて不機嫌な表情になった。
「あー、そゆ顔するから言いたくなかったんだよねぇ」
仕方なさそうに苦笑するロッテ。
リーは憮然とした。
「何で治したくないのよ?痛いんでしょう、あの男のつけた傷なら」
「や、だってさ、治したら、傷が消えちゃうじゃん?」
「それがどうかしたの?」
眉を寄せたまま問うリーに、ロッテは複雑そうな表情で視線を逸らした。

「だってさあ、アイツ、たまにしか来ないじゃん?」

紡ぐ言葉には、どこか自嘲するような響きがあるような気がする。
「時々、アイツが来たことが、っていうかそもそもアイツがいたこと自体が、ボクの夢の中の出来事なんじゃないかって錯覚しちゃうんだ」
「ロッテ……」
リーもまた、複雑そうな表情で彼女を見やった。
ロッテは、たはは、と茶化すように笑った。
「んなことないってのはわかってるんだけどね?
だから、なんつーのかな。気休めかもしれないけど、残しておきたいんだ。
アイツがボクに残してった、アイツの『シルシ』をさ」
「………」

リーはそれ以上何も言えずに、それでも眉を寄せたままロッテを見た。
いろんな感情が渦を巻いていて、自分でも制御できない。
こんな思いを彼女にさせるあの少年がとても憎らしくて。
それでも、彼女がこんなに一途で切ない思いを抱いているということが、彼女が誰にも関心を示さなかった時代を知っているだけに、少し嬉しいような気もして。
そして、こんな思いを胸に抱いている彼女に、何もしてやれない自分が悔しくて。

はあ。
リーはため息をついて、踵を返した。

「…今度はもっと痛くない『しるし』を置いていってもらってよ。
何か、プレゼントでもねだったら?」
「ぷれぜんと?」
ロッテはきょとんとした。
「ええ。指輪でもネックレスでも、何か身につけていられるものを、彼自身に作ってもらったら良いじゃない」
「なるほどー……」
ロッテは感心したように頷いて、それから嬉しそうに顔をほころばせた。
「いいね、それ!リーあったまいー!!」

思った以上にはしゃいだ様子で、何にしようかなーなどと考えているロッテに、思わず苦笑する。

彼女の恋人のことは、やっぱり好きになれないけれど。
彼女をこんなに笑顔にさせる力があるのなら、彼の残す『印』も、悪くないものだ。

まだはしゃいでいるロッテを穏やかな表情で見やりながら、リーは声には出さずにそうひとりごちた。

“Don’t erase” 2009.2.28.Nagi Kirikawa

投稿掲示板作品です。
お題は「しるし」。がんばって考えたんですが、どうにもいかがわしい意味のものしか浮かんでこなくて、開き直っていかがわしい意味で書きました(笑)
HNYとかでも言ってますが、キルは基本サドなので、痛いことをしたがります(笑)で、傷を残したがります(笑)
一緒に旅をしていないロッテにとって、それが何でも、いることを実感させる証が欲しいという乙女な面もあるのかなーと思って書きました。
リーにしてみれば、面白くは無いでしょうけどね(笑)