「今日のリリィはとッテもごキゲんネ?」
いつも仲間のことになどさほど興味のないキャットがそんなことを言ってくること自体、相当珍しいのだろうが。
要するにそれはそれほどに珍しい、そして不気味なことだったのだろう。
上機嫌で帰ってきたリリィは、一通り怖いくらいに優しい言葉を仲間にかけたあと、うきうきとメイの入れた茶を飲みながら、なにやら紙切れを眺めている。
メイは複雑な表情でため息をついた。
「……パイを、頂いたのだそうですわ」
「パイ?」
首を傾げるキャット。
「リーヴェルの日、ご存知です?」
「あア、青いポストの日ネ」
「その日には、男性が女性に、想いを込めてパイを送るのだそうです」
「そウナの?初メて聞いタワ」
「……ミケさんから、パイを頂いたのだそうですよ」
沈黙するキャット。
「……何ノ冗談?」
「わたくしもそう思いましたわ」
はぁ、ともう一度ため息をついて。
「パイそのものは他の方に食べられてしまったようで、食べてはいないそうなのですが。
宛名のない…けれど、リリィにあてられたメッセージを持ち帰って、ああして眺めているんです」
「……きモ」
これ以上ないほどに率直な感想を述べ、キャットは肩を竦めた。
「なルホどね、飼い猫がちょットなついテキたから嬉しイノね」
「貴女の口からその言葉が出るのが少し複雑ですが…そういうことなのでしょう。
ただ……それだけなのか、少し気になるのですが…」
「そレダけ?」
再び首を傾げるキャットに、メイは僅かに眉を寄せた。
「いえ、わたくしにはどうしても、ミケさんがただリリィにあげる為だけにパイを作ったとは思えなくて」
「マだ、何カアるって言ウの?」
「ええ…それが何なのかは、判りませんが……」
心配そうな表情で、リリィのほうに目をやるメイ。
と。
リリィと同じくテーブルでメイの入れたお茶を飲んでいたセレが、不意にぽつりと呟いた。

「…………ちちなし」

ぴき。
その場の空気が凍りつく。
リリィにとってそれが禁句であることを理解しているメイの顔が見る見るうちに青ざめ、隣のキャットの表情もあからさまに「面倒なことになった」と語っている。
たっぷりの沈黙の後、笑顔のまま凍りついていたリリィがゆっくりと言った。
「………もう一度言ってもらえる?セレ」
「ちちなし」
リリィの言う通り、もう一度同じ単語を繰り返すセレ。
はらはらしているメイをよそに、2人の会話は続いた。
「…どういう意味かしら?」
「そう書いてある」
「どこに?」
「頭の文字」
「文字?」
セレが自分の手にしているメモをじっと見ていることに気が付き、そちらに目をやるリリィ。
「頭の文字だけを、縦に読む」
「縦に…?」
セレの言う通り、それぞれの行の一番最初だけを目で追ってみる。

ちなみに深い意味はありません。
ちょっと材料が余ったので作りました。
なにも、失敗したりわざわざ何か入れたわけではないので、
しょくして帰れ。苦情は受け付けません

ぱりん。
なぜかカップが砕ける音がする。
ああ…と額に手を当てるメイ。
キャットは早々にどこかに行ってしまったようだ。
「ふふ……ふふふふ」
ぼっ。
リリィの手にしていたメモが、魔術文字もなしに突如燃え上がる。
「ミケさんの気持ち、確かに受け取りました……うふふ、ロゼッタ・セレモニー………楽しみにしててくださいねぇ……?」
ごごごごごご。
どこからかそんな音が響いているような気がする。
着火したセレは、さして気にした様子もなく黙々と茶を飲んでいる。
「メイ」
リリィは笑顔のまま振り返り、にこりと笑みを深くした。
「ちょっとつきあってくれる?」
はぁ、とため息をつくメイ。
「……とばっちりが来るのはいつもわたくしなのですから……恨みますよ、ミケさん……」

そんなことがここではないどこかであって。
一月後。

ロゼッタ・セレモニー。
リーヴェルの日のパイの途方もない流通量に目をつけた紅茶業者が、近年作り上げた風習だ。
リーヴェルの日のちょうど一月後、パイのお礼として、女性が男性にローズヒップティーを振舞う。
そして、そのローズヒップティーにバラの花びらが浮かんでいれば、女性は男性の愛を受け入れたという返事なのだと。
この少々芝居がかったロマンティックさが女性達に受け、この風習は業者が流したものにもかかわらず瞬く間に広まった。
今日はあちこちで、ローズヒップティーが振舞われていることだろう。

ここ真昼の月亭も、例外ではなかった。
「では、皆さんお疲れ様でした~。そろそろお開きにしましょうね」
真昼の月亭主催の「ロゼッタ・セレモニー・ティーパーティー」も、大盛況のうちに終わりを迎え。
いそいそと片づけを始めるアカネをよそに、参加者達はわらわらと真昼の月亭をあとにしていく。
「すみませんミケさん、手伝ってもらっちゃって」
「いえいえ、こんな素敵なパーティーを用意してくださったんですから。後片付けのお手伝いくらい、させてください」
食器を片付けるアカネに、テーブルを拭きながらにこにこと答えるミケ。
「他に、何かすることはありますか」
「えーっと、そうですね、そこにゴミがまとめてありますんで、裏口の脇に置いてきてくれますか?」
「あ、これですね。わかりました」
洗い物をしているアカネを横目で見ながら、厨房に入ってまっすぐ裏口に向かう。
がちゃりとドアを開け、すぐ横にゴミが纏めて置いてあるのを認め、足を踏み出して。
瞬間。
「招・雷・轟」
聞き慣れた声と魔力の渦巻く気配がして、ミケはとっさにゴミから手を話して飛びのいた。
ぴしゃーん!
するどい音と共に、目の前に閃光が走る。
一瞬飛びのくのが遅れれば自分が同じ運命にあっただろう、ケシズミと化したゴミ袋を呆然と見やってから、勢いよく振り返る。
「何すんですかいきなりっっ!!」
きつい視線を向けた先には、いつもの桜色の少女。
「ふふふ、さすがに避けるのもお上手になってきましたね」
嬉しそうに笑って、こちらに歩いてくる。
それに合わせるように、後ずさるミケ。
「…何の、用ですか」
用心深く問えば、リリィの足が止まる。
「…心当たりがおありなんじゃないですか?」
「さあ、なさすぎて…あるいは、ありすぎて判りませんね」
「ふふ、冗談ばっかり。今日が何の日だか、今の今までパーティーやっててわからないとか言わせませんよ?むしろパーティーが終わるまで待ってあげたのを感謝して欲しいくらいです」
「ローズヒップティーはたくさんいただきました、もう結構ですので帰れ」
「つれないですね、あんなに情熱的なメッセージを送ってきてくださったのに」
「メッセージ?」
怪訝そうな顔をするミケ。
リリィはにこりと微笑んだ。
「パイは、いただけませんでしたけど。ミケさんの愛のこもったメッセージだけ、いただいて帰りましたので」
ぎく。
激しい心当たりに、表情がこわばるミケ。
…いや、まだそれだけでは、彼女があの隠されたメッセージに気づいたかどうかは判らない。落ち着け。落ち着いて相手の様子を
「…ミケさんの気持ちは、よぉぉぉくわかりました」
うわあ。
張り付いたような笑顔から並々ならぬ怒りのオーラを感じ、とりあえず絶望的な気分になってみる。
リリィはにぃ、と笑みを深くした。
「キジも鳴かずば撃たれまいっていうか。ほんっとミケさんってツンデレですよねー。
ロゼッタ・セレモニーにはお望み通りのお返しをあげなくちゃって、楽しみにしてたんですよ?」
「お望み通り、って」
「色々考えたんですよー?百万本のバラの塊でミケさんを巻き込むとか」
「微妙に古いネタですね」
「集めるの大変だったんでやめましたけど」
「いまだに百万本集めるとどうなるのか知りません」
「確か、ローズヒップティーにバラの花びらが浮かんでいれば、想いを受け入れましたっていうことになるんでしたよね?」
とりあえず話題を戻して。
リリィは視線を外して首をかしげた。
「うーん、でもミケさん微妙にヘタレだから、そんなに遠回しな表現だと見て見ぬふりとかしそうですよね」
「ほっといてください」
微妙に図星。
リリィはくすっと鼻を鳴らした。
「だから、ミケさんに骨の髄から判ってもらえるように、きちんと刻み付けなきゃいけないと思うんです」
ぞわ。
リリィの言葉と、言葉と共に変化した彼女のオーラに、嫌な予感がして後ずさる。
す、と指先の見えない袖を上げて、リリィは微笑んだ。
「ミケさんの血でバラの花びらの代わりにしてあげますね」
「何で僕の血なんですか!」
「だって私の血だと私が痛いじゃないですか」
「僕が痛いのはいいんですか?!」
「そんなのいつものことじゃないですか♪」
「うう、理不尽なのに反論できない…」
「それじゃあ遠慮なく。風・刃」
「……くっ、風よ、壁となりて我を守れ!」
ごうっ。
真昼の月亭の裏路地で、空気が激しく流れる音がして。
いつものやり取りが始まった。

……そして、いつものやり取りはいつものように幕を閉じる。
「あれー、もう終わりですか?」
半分瓦礫と化した壁にもたれかかり、血の滲む腹を押さえて肩で息をしているミケに、楽しそうに近づくリリィ。
「……も……勝手にしてください…」
けほ。
血が肺に入ったのか、乾いた咳をしながら、ミケ。
リリィはにこりと微笑むと、彼の正面に膝をつき、魔術文字を書いた。
「癒・消」
僅かな光と共に、すぅ、と痛みがひいていく。
ミケは恨めしげな表情で、首だけをリリィに向けた。
「……なにが、したいんですか……あなた、は」
「それはこっちのセリフですよー」
くすくす笑いながら、リリィは袖口から指先を出してミケの額を小突いた。
「ミケさん、あんなメッセージ書いて。一体何がしたかったんです?」
む。
口を尖らせて黙りこむミケ。
リリィはなおも楽しそうにくすくすと笑った。
「言えないなら、私が言ってあげましょうか?
ミケさん、私にこうして、あなたの元に来て、怒りをぶつけて欲しかったんですよね?」
「なっ……」
反論しかけるミケをさえぎって、続ける。
「直接言うのはやっぱり怖かったんですかー?それとも、私に無視されるのが怖かったのかしら?
隠しメッセージにしておけば、私が気付かなかったんだって言い訳できますもんね。
私も、最初は気付きませんでしたよー。んもぉ、乙女の純情を弄んで、このツケは高くつきますからね?」
「世界中の乙女に謝ってくださいっ……」
けほ。
まだ軽く咳き込むミケに、リリィは満面の笑みを向けた。
「私の注意を引くために、わざと私を怒らせるようなメッセージを残すとか。どこのエレメンタリーですか?
お望み通り、思いっきり叩きのめしてあげましたから、感謝してくださいね」
「……」
ミケは黙ってリリィを睨みやり………そして、自嘲するように息を吐いた。
「……そう、かもしれませんね」
「あら。珍しく素直ですね」
目を見張るリリィに、複雑そうな表情を向けて。
「あなたは、いつもそうやって余裕げで。憎らしいくらいに。
だから、一度くらい、前後不覚になるほどに怒ったあなたを見たかった。
そう思っていたのは、認めますよ」
「………」
ミケの言葉に、しばし沈黙して。
リリィは、ふ、と表情を崩した。
「…それで、満足しましたか?」
いつもの表情。
彼をからかう、嬉しげな…しかし、余裕の態度。嫌がる飼い猫をぎゅうと抱きしめるような、そんな歪んだ愛情表現。憎らしいくらい、いつもと変わらない。
ただひとつ、違うのは。
「………ええ、満足ですよ。肺に血が入るほど叩きのめされた甲斐は、あったかもしれません」
やや苦しそうに、それでもミケはにっと笑って見せた。
「へぇ?そんなに私に怒って欲しかったんですか?」
リリィがからかうように言えば、くす、と鼻を鳴らして。
「それも、あるかもしれませんけど。何より……
…あなたの気持ちが、聞けましたから」
「…私の気持ち?」
きょとんとして首を傾げるリリィ。
ミケは僅かに頷いた。
「僕の血を、バラの花びらの代わりに…と、仰いましたね。
それが、僕が差し上げたパイに対する……返事、なんでしょう?」
リリィの表情が、僅かに動く。
「あなたは、いつも……僕があなたを愛しているのだ、と言いますね。
それなのに…あなたはいつだって、あなた自身の気持ちを言わない。
いつだって……一言も、ね」

バラの花びらは、想いを受け入れる証。
形はどうあれ、それを贈った、ということは。

ミケは苦しそうに、しかしどこか勝ち誇ったような笑みを浮かべた。
「でも今日はそれを聞けたから、良しとします」
リリィはしばし、表情をなくして黙り込み…
……そして、再び満面の笑みを浮かべた。
「……ミケさんも、言うようになりましたねぇ」
先ほど魔術文字を描いた指を、すっとミケの頬に滑らせて。
それから、掠めるように唇を重ねる。
「……ふふ。今年はこの辺で勘弁しといてあげます」
リリィは心底嫌そうに彼女を睨むミケに再び微笑みを投げると、立ち上がった。
「来年も楽しみにしてますからね」
「贈る前提で話をしないで下さい」
「そんなこと言って、結局下さるくせに」
「欲しいなら欲しいってちゃんと言ったらどうですか?そうしたら僕も考えますけど?」
「ふふっ」
またいつもの応酬が始まって、リリィは楽しそうにくるりと踵を返した。
「今日は楽しかったです。また来ますね」
「来なくていいですってば」
「じゃ、ごきげんよう。珠・動」
リリィが魔術文字を描いて、ふ、とその姿が掻き消える。
彼女のいた場所をじっと見やってから……ミケは嘆息して、空を仰いだ。

「………まったく……素直じゃないのはどっちなんだか」

“Blood Rosetta Ceremony” 2007.5.12.KIRIKA

なんか、たまにはこういうのもあっていいと思うんですよ?(笑)
リーヴェルのイベントで、ミケさんがこんな素敵なメッセージを下さったものですから(笑)何か書きたい書きたいと思って形にならず、結局こんな時期になってしまいましたが(汗)
リリィは胸ネタをいじったときだけ、妙に普通の女の子っぽくなるんですよね(笑)ミケさんもそれでいろいろ言ってくるんだと思いますが(笑)ま、本当にたまにはこういう構図もいいかなと(笑)

リーヴェルは書きたいことありすぎて今年はパンクしそうです(笑)