「そこで、砂糖を投入です」
「………」
「空気を入れるようにして泡立てなさい。ただ掻き混ぜているだけでは駄目ですよ」
「………」
「角が立つほどに泡立てたら、次は小麦粉を……」
「おい」

自分の後ろでひたすら本を読み上げている少年を、エリーは半眼で振り返った。

「何でしょうか?」

にこり、と微笑む少年――キル。
褐色肌に長い黒髪、装飾過多な紫色のローブ。穏やかそうな微笑の裏に驚くほどの残忍さを潜めていることをエリーはよく知っている。
ここ最近、互いの利害の為に何度かコンタクトを取るようになった。エリーにとっては不本意この上ないが、背に腹は変えられない。
ゆったりと座って本を広げているキルに、エリーは苛々した様子で言葉をかけた。
「あんたも、ちょっとは手伝ったらどうなんだ」
「手伝って差し上げているではありませんか」
「どこがだ!」
「作る手順を読み上げています」
「それのどこが手伝いなんだよ!」
ヤケクソのように声を荒げるエリー。
まあ、彼とて本当に手伝いをしてほしくて言っている訳ではないし、言ったところでこの傲岸不遜な少年が手伝う訳がないのはわかっていたのだが。
それにしたって、後ろで偉そうに手順を読み上げられるだけというのは神経を逆撫でするもので。
「注文の多い方ですね。こうして、我が家の蔵書から珍しいパイの調理法が書かれた物を持ってきて差し上げたというのに」
物言いがいちいち慇懃無礼なのはいつものことなのだが、言葉の通り、彼にしては至極珍しい出来事だった。
エリーが毎年恒例のリーヴェルのパイを作ろうと台所で支度をしていると、突然現れてこれを作れと言う。
何事かと思いつつも、その内容には興味があったので、本を受け取ろうと手を差し出すと、手伝うと言って本を読み上げ始めて。
「だから、自分で見るから貸せと言ってるだろ。読み上げられても何が何だか判らん」
「それでは、私のすることが無くなってしまいますが」
「手伝えばいいだろう」
「ですから、手伝いを」
「読み上げるんじゃなくて、菓子を作るのを手伝えと言っているんだ!」
絶対判って言っているんだろうということは判っていたが。
案の定。彼はにっこりと無意味に綺麗な笑みを見せて、一言。
「……私が、ですか?」
反論する気の失せる笑みに、エリーは深くため息をついた。
確かに、本当にこの少年が菓子作りを手伝ったらそちらのほうが不気味だ。
「…もう、何もしなくていいからそこで見てろよ」
「しかしそれでは、私が作ったものではなくなってしまいます」
「あんたが作り方を読み上げたとしてもこれは俺が作ったもんだ!」
言葉の通じない生き物を説得しているような絶望的な気持ちで、エリーは再度声を荒げた。
そうしてから、ん?と眉を顰める。
「…あんた、実際どうかはともかくとして、『自分が作ったパイ』が欲しいのか?」
「ええ」
「何で」
「もちろん、姫君に差し上げるためですが?」
予想通りの答えに、エリーはめいっぱいの渋面を作った。
「……おそらく、あんたの姫君も俺と同じ顔をするぞ」
「でしょうね。姫君は貴方がお嫌いのようですから」
「判っていて何故そうする」
「そのあたりは上手く省略すれば問題はないかと」
「…嘘じゃないか」
「円滑な関係を築くために多少のブラフは仕方のないことです」
「…なら、別にあんたが手伝わなくてもあんたが作ったことにすればいいだろ」
「そこまでしてしまうのはさすがに良心が咎めます」
「…………りょうしん?」
「何か?」
「気持ちが悪い」
「失礼な方ですね。プライドが許さないとでも言えば満足ですか?」
「その方がまだしっくり来る」
エリーは再び嘆息した。
「いいだろ、あんたが作ったもの、と言っても。
作り方の本は、あんたがわざわざ持ってきたんじゃないか」
エリーの言葉に、きょとんとするキル。
エリーは言葉を続けた。
「あんたが、あんたの家の書庫を、わざわざパイの作り方を知るために探し回り、わざわざ俺のところに持ってきたんだろ。
あんたの家みたいなところに、菓子の作り方の本がそんなにあるとも思えないしな。ずいぶん探したんじゃないのか。
その手間は、間違いなくあんたがかけたもんなんだろ」
「………」
キルはしばらく表情を失ったまま黙っていたが。
「………貴方は」
やがて、にこり、と微笑んだ。
「時折、上手いことを仰いますね」
「時折、は余計だ」
エリーは嘆息して、手を差し出した。
「ほら、早く本を貸せ。リーと同じものを贈っても不審がられるだろう、適当にアレンジしてやるから」
「これはこれは、恐れ入ります」
やはり慇懃に言って、キルは持っていた本を手渡した。
受け取ってから、エリーは何度目かのため息をつく。

何でわざわざ俺がこんなことを。

だが、そう思いつつも。
相手が己のことしか考えぬ悪辣な魔族だと判っていても。
きっと自分は、あの憎々しい「姫君」の好みそうな材料を使って、パイを作ってしまうのだろう。
そんな様が容易に想像できる自分自身にも、ため息が出る。

「この礼は、いつか私が手作りで差し上げますから」
「全力で断る」

“Haughty Assistant” 2010.2.10.Nagi Kirikawa

相川さんがいいネタを下さったので、書いてみました(笑)
リーヴェルのネタが何かないかなあ、と言ったところ、エプロンかけてお菓子作るエリーの後ろで本を読んでいるキル、と言われたので、あははーありそうですねと笑ったら、「そこで小麦粉を100g、とか」と言われ、読むってそっちの読むか?!と(笑)
「Haughty」というのは、高慢な、という意味です(笑)どうですか、こんな高慢なアシスタント(笑)
でも、ロッテの為にパイなんか天地がひっくり返っても作らなさそうなキルにしてみたらすごい進歩ですよ(笑)この分なら来年くらいには自分でパイを買ってくるくらいには成長するんじゃないですかね(笑)
そして、エリーはつくづく、貧乏くじを引くタイプだなあと思ってしまいました(笑)
イラストはこちら → パイを作りませんか?