「ヴィルは、いつも眠らないの?」

唐突にヒルダがそんなことを訊いてきたのは、2人が打ち解けて話すようになってしばらくしてのことだった。
相変わらず、夜になって月がその姿を現す頃にヒルダの部屋を訪れ、口数少なに語り合うのが日課となっている。
いつもヒルダについている異形の世話役も席を外し、2人だけの時間を過ごすようになっていた。
ヒルダが眠くなるまで話をし、眠りについた後もその様子を見守る。
朝が来る頃に部屋を辞し、ヒルダが目覚める頃には部屋から姿を消していることになる。
世話係からそのことを聞いたのか、ヒルダは不思議そうにそう訊いてきた。
「私が眠ったら、ヴィルも休むのかと思っていたわ。朝近くになるまでいるというのは、本当なの?」
「……その通りだが」
いつものように淡々と答えるヴィル。
ヒルダは驚いたように目を丸くした。
「…まあ。じゃあ、ヴィルは昼間眠っているの?」
「……いや」
魔王稼業は暇なようでいてなにくれとなくすることもある。夜に活動していると思われがちだが、雑事は昼間こなすことが多かった。当然、昼に眠ることなどできない。
「……貴女の部屋から辞した後、日が昇りきるくらいまでは眠っている」
「そんなに短い間なの?」
ヒルダは再び目を丸くした。
「それで、きちんと休めているの?」
「…特に問題はないが」
「本当に?」
ヒルダは訝しげに、ヴィルの顔を覗き込む。
ヴィルは相変わらずの無表情で頷いた。
「疲れを感じたことはない」
「嘘」
「…と言われても、困るが」
ヴィルは僅かに眉を寄せて、困ったような表情を作る。
ヒルダは少し咎めるような視線をヴィルに向けて、言った。
「ヴィルは、寂しいのも辛いのも1人で自分の中に閉じ込めてしまうもの。
ううん、寂しいとも辛いとも思わないのね。
ヴィルにとっては、それが当たり前だったから」
ヒルダはそっと、ヴィルの手に自分の手を重ねた。
「でも、寂しくないことがあるっていうことを知ってしまったら、寂しいって思うでしょう。
ヴィルはきっと、疲れていないっていうことがわからないんだわ」
「………」
思いつめたような表情で自分を見つめる愛しい少女を、ヴィルは僅かに戸惑った様子で見つめ返す。
正直、彼女が何を言っているのかわからなかった。身体を動かすのに問題はないし、睡眠時間も特にこれ以上必要と思ったことはない。
疲れていないということがわからない、という彼女の言葉は、本当に意味がわからなかった。
だが。
「…寂しくないことを、知ってしまったら……か」
ぽつりと呟く。
その言葉だけは、心から理解できた。
彼女が来るまでは、彼女のいない生活が普通で、当たり前だった。
が、彼女を連れてきてからは、彼女を目にしない1日など考えられなくなった。
彼女と言葉を交わすようになるまでは、そこにいれば十分だと思っていた。
しかし、こうして言葉を交わしてみれば、あの日々がどんなに無意味で無機質なものであったのかを実感する。
同じように、今の自分は疲労の中にあって、しかしそれが当たり前だったがゆえに疲労と感じられなくなっている、というのだろうか。
「……貴女にそう言われると、そうだという気がしてくる」
「ヴィル……」
ヴィルが素直にそう言っても、ヒルダの憂いの表情はますます濃くなるばかり。
「…ヴィル、きちんと休めないなら、ここで休んで?」
心配そうなヒルダの言葉に、しかし僅かに沈黙するヴィル。
「……ここで、寝ろ、と?」
「えっ………」
ヒルダはきょとんとして、しばらくしてから自分の発言の意味に思い当たったらしい。
ここはヒルダのためにあつらえた部屋。当然、ベッドは彼女のものがひとつしかない。
ヒルダは頬を真っ赤に染め、慌てて首を振った。
「ち、違うの、あっいえ、違わないけど……」
小さな手をひらひら振りながら、まごまごする様子が可愛らしい。
ヒルダは頬を朱に染めたまま、軽くヴィルを睨んだ。
「…ヴィル、私はヴィルのことを心配しているのに」
「…私も真面目に言っているが」
「……もう!」
ヒルダは憤然として息を吐くと、立ち上がってヴィルに歩み寄った。
「さあ、そんな重たい鎧は脱いで?外せるでしょう?」
「…鎧を?」
「そんなもの着てたら休まらないわ。まさか着て寝ているの?」
「いや……しかし」
「いいから、外して?私も手伝うわ、どうやるの?」
ヒルダが鎧の継ぎ目を覗き込むようにして手を触れたので、ヴィルは危ないからと彼女を遠ざけ、自分で鎧を外した。
鎧の下は詰襟の、細かい装飾の施された黒い服になっている。
ヒルダはその様子ににこりと微笑んだ。
「その方がずうっとかっこいいわ」
「………そうか」
ヴィルは短く言って、ヒルダから視線を逸らす。
その目尻が僅かに朱に染まっていることは、ヒルダは気づかない様子だったが。
「さ、こっちよ」
ヒルダは笑顔のまま、ヴィルの手を引き寄せた。
戸惑いながら彼女のなすがままに誘導されるヴィル。
「はい」
ヒルダはヴィルをベッドに座らせると、自分もその隣に深く腰掛けた。
「こっちよ」
と、そのままヴィルの腕を引っ張る。
「……?……」
きょとんとしながらもヒルダの力に逆らわず、ヴィルはそのままベッドに倒れこんだ。
すとん、と、ヒルダの膝にその頭が上手に収まる。
「…………」
しばらく、何が起こったかわからない様子で表情を固まらせるヴィル。
そこに、ヒルダの手が優しく彼の髪を撫でた。
「……っ…」
「こうするとね、私もよく眠れるのよ。小さい頃、乳母によくやってもらったの」
ヒルダは穏やかな表情で、膝の上のヴィルの頭をそっと撫でている。
「どう?眠たくなってこない?」
「…………」
眠たくなる、どころか。
この体勢が気恥ずかしすぎて、まったく身動きが取れないのだが。
ヴィルは微妙に身体を硬直させたまま、熱くなっている顔をヒルダに見られないようわずかにそむけた。
それでもヒルダは黙ってヴィルの頭を撫で続けている。
「ヴィルはね」
艶やかな黒髪を撫でながら、ヒルダはゆっくりと言った。
「さっきも言ったけど、何でも1人で抱え込むから。ヴィルに、そのつもりはないかもしれないけれどね。
1人になりたくなくて、私を連れてきたんでしょう?
だったら、ヴィルが抱えていること、私にも少し分けて?」
「……ヒルダ……」
「ヴィルが辛いのを見るのは、私もいやなのよ。
私に少し辛いのを分けても、ヴィルが楽になるなら、私はそっちの方がずうっと嬉しいの。
ヴィルも、私が泣いているより、笑っていた方が嬉しいでしょう?」
「……ああ」
「たくさんお話して、たくさん休んでね。
私は、ヴィルが言葉を取り戻してくれるのが、一番嬉しいのよ」
「……ああ……」
ヒルダの膝のぬくもりと。
優しく、ゆっくりと頭を撫でていく彼女の小さな手と。
小さな子供をあやすような、彼女の穏やかな声音に。
最初は気恥ずかしくてこわばっていた体から、徐々に力が抜けていくのを感じる。
「ヴィル」
「………なんだろうか」
「お歌、歌っていい?」
「歌?」
「私の乳母が、よく歌ってくれたの」
いやだったら止めてね、と言い置いて、ヒルダは小さな声で旋律をつむぎ始めた。

穏やかで、しかしどこか物悲しい旋律。
その小さな音が体中にじわりと染み渡っていくような気がして、目を閉じる。

少しずつ、少しずつ。
身体の奥底で冷えて固まっていたものが、溶かされて流れ出ていくような感覚。

ああ、と。
ヴィルは目を閉じたまま、口には出さずに呟いた。

(……私は…やはり、疲れていたのだな)

こうして安らかな時間を過ごして初めて気づく。
自分の中に、自分ではどうにもできぬ黒くて重い、冷たい何かが存在していたことを。
この少女は、こうしてなんでもないような顔をして、自分をがんじがらめにしていた枷を次々と解き放っていく。
今までも。そして、これからも。

そんなことを思いながら。
ヒルダの歌う子守唄と、月の光に包まれて、ヴィルはいつしか意識を手放すのだった。

“Sleep in Peace” 2011.7.23.Nagi Kirikawa

膝枕祭・その7くらい。初ヴィルヒルです。えへっ。
色々な勝手がわからないままゴーイングマイウェイに突っ走るヴィルの手綱を優しく取るヒルダの図、みたいな感じでしょうか(笑)ヒルダのキャラもだいぶつかめてきました、メルヘン系(笑)ヴィルの方はそれなりにそういう欲求もあるのですが、ヒルダがあまりに純粋すぎて手が出せない感じなんじゃないかな。5年後までお預け(笑)