17:Devil or Brother

「……はい、終わりました」

テッドの肩に手をかざしていたアウラは、手を下ろすとにこりと微笑んだ。
「もう、すっかり身体の方は問題ありませんわ。剣も思う存分振るっていただいて構いません。ご不自由をおかけしました」
「あ、いや、こっちこそなんかすっかりお世話になっちゃって…すいません」
服を直しながら、苦笑して礼を言うテッド。
シルヴェリア城の地下空間で、アウラの世話になって早10日。アウラの治療の甲斐あって、テッドの怪我もまるでなかったかのようにすっきりと完治した。
アウラの許可を得て最低限のトレーニングはしていたが、これで剣の稽古も再開することが出来る。テッドは心なしか少し嬉しそうだった。
こんこん。
そこにノックの音がして、2人がドアを振り返ったと同時にドアが開く。
「終わった?」
魔法書を片手に部屋に入ってきたのはリン。アウラはそちらにもにこりと微笑んだ。
「ええ、もうすっかり完治ですわ」
「そっか、よかったわ」
リンは嬉しそうに笑って、テッドの側で足を止める。
ぽんぽん、と問題の肩を叩いて。
「ったく、もうこんなケガすんじゃないわよ?」
「わかってるよ、っせーな」
憎まれ口を叩きあいつつも、どこか嬉しそうな2人。
リンはテッドの肩に手を置いたまま、アウラの方を向いた。左手に持っていた本を掲げて、示してみせる。
「アウラ、次これとこれ、読ませてもらっていい?」
「まあ、もう昨日の本をお読みになりましたの?」
アウラは驚いて、それからまた嬉しそうに笑顔を作った。
「リンさんは本当に勉強熱心ですわね。わたくしも教え甲斐があるというものですわ」
「見たことない構成ばっかりで、すごく面白いわ。あの魔道ネズミの構造も、こういう風になってたんだ、って。
本当に、独自の魔法を形成してきた国なのね」
「リンさんがこの国の魔法を学んでくださるのは、わたくしもとても嬉しいですわ」
「そう?」
「ええ。リンさんが受け継いでくださることで、国は滅んでも、シルヴェリアの魔法は滅びを免れるのですから」
「アウラ……」
アウラの言葉に、痛ましげに表情を曇らせるリン。
アウラは苦笑した。
「辛気臭い話をしてごめんなさい。テッドさんの治療も終わりましたし、わたくし、お茶を入れてまいりますわね」
「ああ、じゃあ手伝うわ」
「お気になさらないで。テッドさんとゆっくりなさっていてください」
身を乗り出しかけたリンを優しく制して、アウラは一礼すると部屋を出た。
ぱたん。
ドアが閉まるのを横目で見て、テッドに向き直るリン。
「どう、どのくらいで取り戻せそう?」
「んー…とりあえずは5日くらいかな。まあ、モンスター倒しながらってのもアリだけどな」
「この辺りのモンスターは強いから、あまり舐めてかからない方がいいわ。用心に越したことはないし」
「ま、おまえがそう言うならその方がいいんだろ。おまえももうちょっとここで魔法の勉強してたいだろうし?」
「正直その通り」
リンは悪びれずににやりと笑った。
左手の魔道書を目を細めて見やって。
「ここの魔道書、ホントすごいんだもん。魔王討伐がなかったら3年はいつづけたいわ」
「おいおい、カンベンしてくれよ」
「まあそれは冗談にしても、あんたがリハビリ終わる頃には討伐に必要な魔法だけピックアップして覚えとくようにするから」
「おれも早く取り戻せるように頑張るよ。
まあ正直…タイムロスなのは確かだけどな……」
テッドは難しい顔をして口元に手をやった。
「…姫様……大丈夫かな…」
「ケガがないという意味でなら、心配はないと思うけどね」
深刻な表情のテッドに、リンは嘆息して肩を竦めた。
「魔王には、姫に危害を加えるつもりはないみたいだし」
「…魔王が、姫に惚れてるって話か」
眉を寄せてリンの方を向くテッド。
「なあ、それってマジなのか?」
「少なくとも本人はそう言ってたけどね。あたしには本気に見えたわよ?」
「それが本当のことだって保証はどこにあんだよ?」
「保証はないけど…でも、そんな嘘ついたってしょうがないでしょ?エセルヴァイスに攻め込んでこないのにも納得いくし」
「わかんねーだろ。油断させようとしてるのかもしんねーし」
「あんた、いやに噛み付くわね?」
理解できないというように、リンは眉を寄せた。
「気持ちは判らないでもないけど、偏見を捨てないと本当のことなんて見えてこないわよ?」
「偏見を捨ててないのはどっちだかな」
が、なおも不機嫌そうなテッド。
リンは首を傾げた。
「あたしが?何の偏見を持ってるっていうのよ?」
噛み付き返すというのではなく、純粋に彼が何を言っているのか判らない、という様子で。
テッドは憮然として一瞬黙り、それから視線を逸らした。

「……美形だったんだろ、そいつ」

「……はい?」
思わず身を乗り出すリン。
テッドは憮然としたまま、視線だけをリンに戻して。
「美形の言うことだから、ホイホイ信じたんじゃねーの?
倒すのが惜しくなったとかさ」
「……あんた」
リンは気分を悪くするより何より先に、純粋に驚きに目を見開いた。
これは、ひょっとして。
…妬かれているのだろうか。
リンは口元に手を当てて、顔を逸らした。
(うわ、どうしよ)
ちょっとコメントが出ないくらい嬉しい。
ここは本当は怒るところなのだろうが、関係ない。体中が熱くなるのが判る。
今まで、自分が一方的に彼に想いを寄せているとばかり思っていて、それが当たり前だったから。
不意にこんな風に、想われていることを自覚すると思考回路が止まってしまう。
「……リン?」
が、それを言葉が返せない沈黙と受け取ったのか、テッドは急に心配そうに彼女の顔を覗き込んだ。
「おまえ、まさ……」
「っばーーーーか!」
べし。
彼の額を軽く叩いて、リンは力いっぱい言い放った。
「てっ」
「確かにあの男は綺麗な顔をしてたけどね?あたしは別に美形に興味なんかないし。
彼の話を聞いて、あたしが客観的にその話を本当だと判断した、それ以上でも以下でもないわ」
ふん、と鼻を鳴らして。
「……ていうか」
それから、ふいと顔を逸らす。
「ホントにそうだったら、あんたにあの薬飲ませようとなんてしないでしょうが」
かすかに頬を染めて、ごにょごにょと早口で言って。
テッドは目を丸くしてそれを見やった。
「リン……」
「…何度も言わすんじゃないわよ、ばか」
「…へへ」
嬉しそうに頬を緩ませるテッド。
リンはさらに顔を真っ赤にして、誤魔化すように話題を戻した。
「……ともかく!」
とす。
持っていた本をサイドテーブルに置くと、手を振って気を取り直す。
「魔王がどういうつもりだろうが、あたしたちの目的は変わらないわ。
魔王城に行って、姫を取り返す。
姫の意に添わないことを無理矢理しているのなら、やっぱりそれは許せないから」
「……だな」
テッドも真剣な表情に戻って頷いた。
「……ただ…」
僅かに眉を寄せるリン。
「…彼の話は……あたしは、聞いてみたいと思うわ。
彼が何を考えているのか…どうしたいのか。
それからでも、遅くないと思う」
「リン……」
「誤解しないで。そういうことじゃなくて。
彼が本当に、姫のことを心底想ってるなら…別の道も、あるかもしれないでしょ?
もう、すれ違いで悲しい思いをするのを見るのはたくさんだわ」
あの、勇者と魔道士のように。
もしかしたらありえたかもしれない最上の未来を閉ざすことはしたくない。
リンは強い眼差しで虚空を睨んだ。
表情のない瞳の奥底に、苦悩を秘めているように見えた魔王。
その苦悩はおそらく、リンが抱えていた苦悩と同じもの。
叶わぬ想いに苦しみながら、それでもそれを貫くしかない運命だと囚われていた時の。
自分が苦しんできただけに、同じ思いで苦しむ者を見るのは心が痛んだ。
あの苦しみから、解放することが出来るなら、と。
「…にしても」
その強い決意は魔王と接していないテッドには伝わらなかったのか、彼は嘆息して肩を竦めた。
「魔王ってもっとモンスターっぽい形してるんだと思ってたよ。
おまえから美形だって言われても、なんかイメージできねー」
「あたしも、びっくりしたけどね。ま、アレが本当の姿とは限らないけど。
確か名前も言ってたな。ええと……」
彼が最初に現れたときに、一度だけ名乗っていたのを思い出す。
「確か……ヴィル…ヴィルフリート、っていってたかな」

がしゃん。

突然響いた音に、驚いて振り返る2人。
そこには、いつの間にか部屋に入ってきていたアウラが、驚愕に目を見開いて立っていた。
わなわなと震える手の下には、おそらく取り落としたであろうティーセットが無残な姿になっている。
「アウラ?びっくりした、どうしたの?」
慌ててそれを拾おうと駆け寄るリン。
「リンさん!」
アウラはそれを遮るように、自分も屈んでリンの肩を掴んだ。
「今……今、ヴィルフリートと仰いましたか」
「えっ……う、うん…」
今までの彼女からは想像もつかない気迫で言われ、気圧されるリン。
「その…その方は今、どちらに?」
「ど、どちらにって…魔王城じゃないのかなあ」
「えっ……」
きょとんとしたアウラに、リンは首をひねりながら告げた。
「エセルヴァイスから王女をさらっていった、魔王……彼が、そう名乗っていたのよ」
「…………そんな……」
呆然とした表情で床に手をつくアウラ。
リンは眉を寄せた。
「…まさかとは思うけど、知り合い?」
アウラは視線を宙に彷徨わせたまま、呆然と言った。

「ヴィル……ヴィルフリート・イェンデ・シルヴェリアスは……
…魔物たちの軍勢が侵攻してきた折に行方不明になった、わたくしの、弟です……」

18:Hostage or Lover

魔王城から見上げる月は、寂しげな色をしている。
彼女はぼんやりとそんなことを考えていた。
魔物の本拠地だからなのか、この城の周りは常に黒々とした雲で覆われていて、太陽の光も届かない。が、何故か夜にはその雲は晴れ、大きな月が姿を見せる。黒々とした城の外観と星ひとつ浮かばない真っ暗な空の中に、ぽかりと浮かぶ月が最初はとても不気味で、異郷に連れ去られた恐怖と寂しさを助長させたものだった。
(……もう、どのくらいになるのかしら。ここに来て)
月から室内に目を移す。
蝋燭の明かりのみが照らす薄暗い室内は無駄に豪奢で、彼女が元暮らしていたエセルヴァイス城の部屋に勝るとも劣らない。だが、その豪華さが逆に寒々しかった。暖かみの感じられない部屋は、部屋のせいでは決してなく、自分の心がそう感じているからなのだと思う。
食事も衣服も申し分のないものが与えられている。だが、異形の角や羽根のついた使用人にどれだけ丁寧に世話をされても、恐怖感はぬぐえなかった。運ばれてきた食事さえ、始めは何が入っているかも判らず口をつける気がしなかった。衣服を身につける気も起こらず、泣いてばかりいた。
それが、今は普通に食事も着替えもしている。風呂に入ることに抵抗もなくなった。
なんだかんだ言っても、慣れというものは恐ろしいと思う。
日の差さぬ部屋も、異形の使用人も、寒々しい室内も。
そして。

きい。

ノックもなしに開いた扉に、機械的に視線が動く。
こつ、こつ。
硬い足音だけを響かせて、部屋に入ってくる黒い影。
蝋燭の弱い明かりが中途半端にその姿を照らす。
こつ。
そして、自分の前で足を止めたその姿を、彼女は無機質な表情で見上げた。
(………綺麗)
月の明かりに照らされたその貌は、彫刻のように美しく整っていて、そして彫刻のように冷たい。
長い漆黒の髪に、同じ色の鎧とマント。腰に剣を携えたその姿は、美しき騎士と言っても良いほどだ。
だが、彼こそが、自分を浚った張本人。
異形の魔物たちを纏め上げるこの城の主、魔王なのだということを、彼女は知っていた。
彼女を浚ってこの城に、この部屋に留め置いて。
魔王は毎夜のように、部屋を訪れた。
今そうしたように、ノックも無しに無言で入ってきて、彼女の正面に立ち、じっと見つめる。
しかし、それ以上何をするでもない。
彼女を殺すことも、傷つけることも、辱めることもせずに、ただじっと見つめる。
最初はただ怖かったその視線にも、もうすっかり慣れてしまっていた。
「……不自由はないか」
いつものように、低く問う。
貌と同じく、表情のない声。
彼女は俯いてゆっくりと首を振った。
「…いえ。何も」
彼女がそう答えると共に、会話が途切れる。
いつもの会話だった。それきり、彼は何も喋らない。それもいつものことだ。
始めはこの沈黙が怖かった。次に何をされるのか、不安でたまらなかった。
だが、何もしてこないと理解した今は、不思議とこの瞳を見つめ返すようになっていた。
(……なぜかしら)
静かに、そう思う。
切れ長で、美しい瞳。表情のない、冷たさの漂う…だがどこか、寂しげな瞳。
もう怖くはない。だが別段、愛しいわけでもない。なのに何故か目が離せない。
それが何故なのか判らず、自分の心の中を探ってみる。忘れかけた記憶を探るように。
だが、もう少しで手が届きそうですり抜けていくもどかしい感覚が残るばかりだった。
(………そうか)
唐突に、思い当たる。
(訊いてみればいいんだわ。この人に)
何故今までそれを思いつかなかったのだろう。
彼は何もしない、何も言わない。だから勝手に、何を訊いても答えてはくれないのだろうと思っていた。
だが、訊いてみたことはない。もしかしたら何か話してくれるかもしれない。
その話の中で、何かに思い当たるかもしれない。
「……あの」
彼女はためらいがちに口を開いた。
初めて彼女の方から口を開いたことに、彼は少なからず驚いたようだった。表情の無い紅い瞳が、僅かに見開かれる。
しかし、言ってしまってから、何を聞いたらいいのかと思う。
まさか、私があなたから目を離せないのはどうしてだと思いますか、などとは訊けない。
彼女は少しためらって、また口を開いた。
「……私は、いつまでここにいればいいのですか」
とりあえず、そんなことを訊いてみる。
紅い瞳が僅かに翳ったような気がした。
「……帰すつもりはない」
「えっ」
低く答えた彼に、彼女は少しだけ驚いたように声を上げた。
「では、あの……」
少しだけ、言い難そうに視線を動かして。
「…私は、用が済んだら殺されてしまうのでしょうか?」
何度も考えていたことだけに、するりと言葉が口をついて出る。不思議と動揺はしなかった。
彼女をここに連れてきながら何もしないのは、彼女を捕えることを何かに利用するため。国を乗っ取るつもりか、滅ぼすための駒か、それはわからないが……しかし、彼女を城に帰すつもりがないということは、用済みになれば殺してしまうということなのだろう。
しかし、彼は予想に反して、僅かに眉を寄せた。
「……何故そうなる」
「えっ……」
「…貴女を帰すつもりはない。しかし、殺すつもりもない。貴女には、ずっとここで過ごして貰う」
淡々と告げる彼を、彼女は不思議そうに見返した。
「では…私は何のために、ここに連れてこられたのですか?」
彼女自身に何かをするわけではなく。
しかし、殺すつもりもないのだという。
では自分は一体、何のためにここにいるのだろう。
恐怖はなく、ただ不思議だった。
紅い瞳をまっすぐに見つめ返して、問う。
「………」
彼は彼女の視線から目を逸らして、僅かに俯いた。
黙って、返事を待つ。
「………帰りたいか」
「…えっ」
淡々と言った彼の言葉に、彼女はまたきょとんとした。
「……城に、帰りたいか」
もう一度、ゆっくりと言い直す彼。
彼女は戸惑った様子で首を傾げた。
「…それは、帰りたいかそうでないかと言われれば、帰りたいです。私の生まれて育った所ですもの。
けれど、私をここに連れてきたのは、何か目的や理由があるのでしょう?
私は、それが知りたいだけです。知らないということは、不安だから」
落ち着いた様子で、静かにそう告げる。
彼は黙ったまましばらく彼女を見つめていたが、やがてふっと目を閉じた。
「目的…理由、か……それがあれば、貴女は安心するのか?」
「ええ。私の国を自由にするための人質とばかり思っていましたけれど」
きっぱりと答える彼女。
その瞳には、やはり王族の風格が宿っている。
彼は嘆息した。
「貴女の国には何もしていない……貴女を取り戻そうとする者たちを返り討ちにはしているが」
「返り討ち…」
「……殺して送り返している」
ぞく、と背筋を何かが駆け抜けた。
露悪さのない、淡々とした口調が余計に恐怖を煽る。
この美しい人は、紛れもない魔物の頂点に立つ王なのだと。
「……でも」
彼女は必死にその恐怖を抑えつけ、努めて冷静に問い返した。
「私は、人質ではないのでしょう?
ならば、取り戻そうとする者たちを滅してまで、私をここに置く理由は何なのですか?」
沈黙が落ちた。
静かに自分を見下ろす瞳を、やはり静かに見返す。
「……貴女は」
やがて、彼がゆっくりと口を開いた。
「…自分が王女であることにしか、価値を見出せないのか?」
「えっ……」
思いもよらぬことを言われ、きょとんとする。
表情のないように見えた彼の瞳に、僅かに悲しげな光が宿っているように見えた。
ふ、と目を閉じる彼。
「…貴女が貴女であるから、私は貴女をここに留める。それが、理由だ」
「私が…私であるから?」
意味が判らずに首を傾げる彼女を、再び目を開いて見て。
「不自由があれば出来る限りのことはしよう。
欲しいものがあれば揃える」
淡々とそう言い、言葉を区切って。
それから、ゆっくりと暗い空を見上げた。

「……寂しければ、あの月をやろう」

ほんの僅か。
先ほどの淡々とした口調より温かみの感じられたその言葉に、彼女は目を丸くした。

『寂しいの?』

彼の不思議な言葉が、記憶の糸を解いていく。
いつだっただろうか。
ああ、確か…千年祭のときだったように思う。

『じゃあ、あの月をあげる』

薄闇に浮かぶ、妖精のように美しい少年がそう言うと。
彼の指差した先の雲が嘘のように消え、寂しげな色の月が顔を現した。
少年のもたらした不思議な魔法に、彼女は驚き、そして嬉しさが胸いっぱいに広がった。

そんな記憶が、まるで昨日のことのように鮮明に蘇る。
あの時と同じように、彼女は目をいっぱいに見開いた。

「あなた……」

かた。
思わず立ち上がり、椅子が小さな音を立てる。
長いスカートの裾を翻して、彼女は彼に駆け寄った。

「あなた、ヴィル?ヴィルね……?!」

19:Fairy or Wizard

「今日は楽しかった、ありがとう」
「うん、じゃあな!」

千年祭で一日を共にした男の子は、満面の笑顔で手を振って再び雑踏へと駆けていった。
彼女はそれを寂しげに見送って、踵を返す。
街はまだ祭りの喧騒でいっぱいだ。日は沈んだが、むしろ祭りはこれからだろう。
遠くなっていく喧騒を背中で受けながら、薄暗い獣道へと足を踏み入れる。
空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうだった。
ここで雨が降ったらお祭りは台無しになっちゃうな、と他人事のように思いながら、足を進めていく。
帰る気にはなれなかった。
どうせ帰っても、誰も気づかない。今日は祭りに忙しく、父や母も明日のパレードの準備で3日前から顔を合わせていない。
自分は明日のパレードにさえ顔を出せば、他はどこで何をしていても気づかないのではなかろうか。
帰るとそのことをまざまざと思い知らされる気がして、帰りたくなかった。
さく、さく。
足を踏み出すごとに、草が掻き分けられる音だけが響く。
この先に行くと、彼女のお気に入りの場所がある。城の裏手にひっそりとある、小さな泉。夜にこっそりと行くと、月明かりを映してとても綺麗だった。今日は曇っているから月を見るのは無理だろうが、あそこに1人で行くと嫌なこともすっきりと忘れられた。
今日もあそこに行って、すっきりしてから帰ろう。そうして、明日のパレードでは王女として清々しい笑顔を見せればいい。
そう思いながら、がさりと茂みをかき分け、小さな泉にたどり着くと。

「……誰?」

突如響いた声に、彼女は驚いて身を竦めた。
まさか先客がいるとは思わなかった。おそるおそる、首を伸ばしてみる。
そして、その先にいた人物に、彼女は目を丸くした。
「!………」
そこに立っていたのは、人間離れした美しさを持つ、1人の少年だった。
彼女よりかなり年上に見えたが、まだ成人はしていないようだ。肩より少し長いくらいのつややかな黒髪に、切れ長の紅い瞳。暮れかけた薄闇にもその美貌はかなり映えていた。
「あなた……」
彼女はそのあまりの美しさに、呆然とした表情のまま足を踏み出した。
「あなた…妖精さん?」
「えっ?」
きょとんとする少年。
彼女はその反応に、自分が突拍子もないことを言ったと気づいてとたんに真っ赤になる。
「あっ、あの、ご、ごめんなさい、ここ、私以外の人が来るなんて思わなかったから……」
あわあわと弁解する彼女に、少年は苦笑した。
「…びっくりした。妖精なんて言われたの、初めてだよ」
その様子もやはりあまりにも綺麗で、彼女は照れたように笑う。
「ごめんなさい、あんまりきれいだったから……」
「え……」
彼女の率直な言葉に、少年は二の句がつげない様子だった。薄暗くて、照れているかどうかは伺えない。
彼女は、ふふ、と少年に微笑みかけた。
「私、ヒルダ。あなたは?」
「………ヴィル。あまり、この名前で呼ぶ人はいないけど……」
ヴィルと名乗った少年は複雑そうに答える。
ヒルダはきょとんとした。
「どうして?お父さんやお母さんは?」
「……わからない」
表情を曇らせるヴィルに、ヒルダは一瞬眉を寄せ、しかしすぐににこりと微笑んだ。
「じゃあ、私がいっぱい、ヴィルの名前呼ぶね」
「えっ……」
ヴィルは思ってもみなかったことを言われた様子で、きょとんとする。
「ヴィルの名前呼べないお父さんとお母さんの分まで、私がいっぱいヴィルの名前呼ぶ。
名前呼ばれないのは、寂しいものね」
「………」
ヴィルはなおもきょとんとしてヒルダを見ていた。
ヒルダは急に心配そうにヴィルを見上げる。
「…私、変なこと言った?」
「えっ……あ、ううん、そうじゃなくて…」
ヴィルは慌てて首を振って、それから薄く微笑んだ。
「……今まで、そんなこと言われたことなかったから。……嬉しい」
「よかった」
その微笑みもとても綺麗で、ヒルダは少しどきどきしながら微笑み返す。
「ここはね、私のお気に入りの場所なの」
小さな泉に視線を移して。
「今日は雲で隠れてるから見えないけど、いつもはお月様が泉に映って、とても綺麗なのよ。
寂しいことがあるとここに来るの」
「寂しい?」
ヴィルはヒルダの隣にやってきて、一緒に泉を見つめながら言った。
「ヒルダは、寂しいの?」
「お家にはね、たくさん人がいるのよ。でもきっとみんな、私がいなくなったことも気づいてない」
ヒルダは泉に目をやったまま、自嘲気味に言う。
「お父様もお母様も、お忙しくて。私のお世話係も、このお祭りでてんてこ舞い。
仕方がないことなのだけれどね。お父様もお母様も、とっても責任のある方だから」
「ヒルダも、寂しいんだね」
ヴィルが淡々とそう言ったので、ヒルダは笑顔をそちらに向けた。
「今は、ヴィルがいるから寂しくないわ」
「………」
心配そうにヒルダを見返すヴィル。
少し考えて、す、と視線を上にあげて。
「じゃあ」
綺麗な細い指を、どんよりと曇った空に差し上げる。

「あの月をあげる」

ヴィルがそう言った、その時。
まるでその指先から何かが解き放たれたかのように、厚くたちこめていた雲がさあっと散った。
「……え……?!」
目を丸くするヒルダ。
円形に散ったその雲の向こうから、綺麗な月が顔を出している。
先ほどまで泣きだしそうだった空が、雲の周りだけ綺麗に晴れていて。
ヒルダは驚きの表情のまま、ヴィルと月とを交互に見た。
「すごい……すごいわ…!どうやったの……?!」
頬を紅潮させてはしゃぐヒルダに、ヴィルは少し照れたように薄く微笑みを浮かべる。
「まほう、だよ」
「まほう……」
「寂しいときは、あの月を見て。僕からの、プレゼント」
「ヴィル……」
今は寂しくなくても、戻らぬわけにはいかないことは2人ともよく判っていた。
また寂しい時が訪れたら、月を見て思い出そう、と。
言葉に出さぬヴィルの優しさを感じて、ヒルダは嬉しそうに微笑んだ。
「……ありがとう。私、お月様を見たらヴィルを思い出すね。
ヴィルも、寂しいときはお月様を見て」
「…うん」

ぽっかりと空いた雲の切れ間から差し込む月明かりが、2人を優しく照らしている。
この暖かな空気が、長く続かないのはわかっていた。
それでも、2人は微笑み合いながら、ゆったりとした時間を過ごすのだった。

幼い日の、遠い思い出である。

「……覚えて、いたのか」
魔王…ヴィルは、少し驚いた様子で低くそう言った。
「忘れたことなんてなかったわ」
満面の笑みで頷くヒルダ。
「ようやくわかった。どうして、あなたを怖いと思わなくなったのか。
私が、ヴィルを怖がるはずがないもの」
「………」
魔王はなおも呆然と、ヒルダを見やっている。
ヒルダは苦笑した。
「どうして、今まで名乗ってくれなかったの?
ヴィル、すごく大人になってしまったから、すぐにはわからないじゃない」
「………それは」
ヴィルは少し気まずげに視線を逸らす。
「……忘れて、いると思った」
「まあ、私そんなに薄情じゃないわ」
ヒルダは少し拗ねたように頬を膨らませ、それからまた苦笑した。
「一言、名乗ってくれれば。すぐにわかって、お話できたのに」
「……貴方が覚えていなくても…それでも良いと思った。私の中にある思い出は、変わらない」
「でも、私が覚えていたら、もっと良い、でしょう?」
なおも視線を逸らして言うヴィルに、ヒルダは少し咎めるような視線を送る。
「ヴィルは、大人になる間に、言葉をどこかに落としてきてしまったのね。
気持ちは、言葉で伝えないとわからないものよ。
そして、伝わるととっても嬉しいものなのよ。
私が覚えていて、ヴィルは嬉しくなかったの?私は、ヴィルが覚えていてくれて、とても嬉しかったわ」
ヒルダの言葉に、ヴィルは少し沈黙して…それから、ぼそりと言った。
「……嬉しかった」
「ね?」
再びにこりと微笑むヒルダ。
「でも、仕方ないわ。ひとは、寂しいと言葉を落としてしまうのよ。
私には、忙しいけれどそれでもお父様とお母様がいた。お城のみんなもいた。
でも、ヴィルはずっと寂しかったのね」
寂しげな表情で、辺りを見回して。
「ここには、ヴィルの名前を呼んでくれる人はいなかったのね。
だからずっと寂しくて、言葉を落としてしまったのね。
だから……ずっと、月が見えるようにしていたのね」
改めて、バルコニーから大きな月を見上げる。
昼間はどんよりと立ち込める雲が、夜になるとその姿を消すのは。彼があの時使った「まほう」の作用なのだろう。
彼もまた、毎夜月を見上げては、彼女を思い出していたのかもしれない。
ヒルダは再び、ヴィルに視線を戻した。
「でも、もう寂しくないわね」
にこり。
あの時と同じ微笑を、彼に投げかけて。
「私がまた、たくさんヴィルの名前を呼ぶわ。
そうしたら、ヴィルももう寂しくないわ」
「………」
ヴィルは、ヒルダの屈託の無い笑顔を不思議そうに見つめた。
ヒルダは笑顔のまま、言葉を続ける。
「たくさんお話して、たくさん言葉を取り戻しましょう。
その方が、ずっとずっと嬉しいわ。ね?」
「ヒルダ……」
ヴィルはやはり不思議そうに、それでも初めて、ヒルダの名を呼んだ。
ふふ、と嬉しそうに笑うヒルダ。

10年以上の時を経て、2人はようやく本当の意味で再会を果たしたのだった。

20:Dicisive battle or Secret plan

「…父と母の遺体は、わたくしの手で手厚く葬りました」

淹れなおした茶でひとまず落ち着いたアウラは、ぽつりぽつりと語りだした。
今更ながら、改めて見るとこの美しい女性は、あの晩に現れた美しい魔王によく似ている。アウラが穏やかな雰囲気なのに対し、魔王があまりにも冷たく鋭い空気を纏っていたので思いも寄らなかったが、顔立ちは言われてみればそっくりだった。
「ですが、弟の…ヴィルの遺体だけが、どこを探してもなかったのです。
魔物に食べられてしまったのかも、区別がつかないほどに損傷したのでは、そんなことを思いながらも、もしかしたら魔物の牙を逃れ、どこかで生きていてくれるかもしれない……そんな風に思うのを止められませんでした」
ほう、と、深いため息をついて。
「まさか……魔物の仲間に…いえ、魔王だと名乗ったのですね?
一体、どうしてそんなことに……」
色濃い憂いの表情で言うアウラに、リンとテッドはかける言葉を見つけられずに顔を見合わせた。
「昔のことだから、推測しか出来ないけど……
考えられるのは、そもそもそれが目的でシルヴェリアを滅ぼした、ということかな」
「えっ?」
言いにくそうにリンが言うと、アウラはきょとんとしてそちらを向く。
リンは真剣な表情で、続けた。
「シルヴェリアの魔法技術が、魔物たちにとっては脅威だった。
だから、その技術を取り込んでしまおうと考えた。
シルヴェリアに侵攻し、幼い王子を浚い、それ以外は滅ぼす。脅威の種を全部摘んでしまうわけ。
そして、膨大な魔力を持った王子とシルヴェリアから奪ってきた魔法技術とで、強大な力を持った『魔王』を育て上げる…ってところじゃないかしら」
「そんな……」
青ざめた顔で呟くアウラ。
リンは嘆息して首を振った。
「ま、想像でしかないけど。小さな子に情がわいた魔物がこっそり連れて帰って育てたとかかもしれないし」
自分で言って、まあそれはないな、というように肩を竦めて。
「重要なのは、今事実として、ヴィルが『魔王』と名乗って魔物たちの頂点に君臨してる、ってこと。
そして、彼が彼の意思で姫を浚っているということね。動機はともかくとして」
「そうだな……」
テッドも眉を寄せて唸る。
「ただ魔王を倒して姫を救い出す、っていうだけの話じゃなくなってきたな。
相手がアウラの弟だっていうなら……」
「……いえ」
アウラは厳しい表情で、テッドの言葉を遮った。
「彼が魔王と名乗り、現実に人々の脅威となっているならば……それはもう、わたくしの弟ではありません」
きっぱりと言ったアウラを、複雑な表情で見返す2人。
「アウラ……」
「どうぞお2人は、お2人の目的を達成なさってください。魔王を倒し、囚われた姫君を救って差し上げてください」
アウラはなおもきっぱりと、2人に言い放った。
「でも……」
「リンさん」
それでも言葉を返そうとするリンを、やんわりと遮って。
「もし本当にわたくしの弟だとするならば、シルヴェリアの血を引く王子が魔物となり人々を傷つけていることこそがわたくしにとって耐え難い屈辱です。
出来ればこの手で……とは思いますけれど、やはり目の前にして身内の弱さも出てきましょう。
勝手なお願いとは思いますが、どうかお2人の手で、あの子がこれ以上人として道義に外れたことをしないようにしてやっていただけませんか」
さすがに直接的な表現ははばかられたのだろうが、はっきりとした口調で言い、アウラは丁寧に頭を下げた。
まだ複雑そうな表情で顔を見合わせる2人。
特にテッドは、痛ましげな表情で完全に同情しているのが見て取れた。
ふう、と嘆息し、リンは改めてアウラのほうを向いた。
「……わかったわ、アウラ」
「おい、リン」
非難の視線を向けるテッドを無視して、リンは頭を下げていたアウラの肩に手を載せた。
顔を上げたアウラに、微笑みかけて。
「あの人が、これ以上人でなくならないようにすればいいのよね。
アウラの気持ち、わかるわ。あたしたちが責任持って果たしてくるから、アウラはここで待ってて」
「リンさん……」
じんわりと瞳を潤ませるアウラ。
リンはにこりと笑った。
「テッドが調子を取り戻したら、すぐにでも行くわ。
一度会った時に思ったけど、彼は手ごわいと思う。あたしも出来る限りの力をつけていきたい。
協力してくれる?アウラ」
「はい。わたくしに出来る事であれば、何でも仰ってください」
アウラは表情を引き締め、ゆっくりと頷く。
リンは力強く頷き返した。
「じゃ、早速書庫に行きましょう」
「ええ」
早速立ち上がって、ドアへと歩いていくアウラ。
それを追って立ち上がったリンに、テッドが再度声をかけた。
「リン」
足を止めて振り返るリンに、立ち上がって歩み寄って。
アウラが部屋を出て行ったのを確認して、抑えめの声で言う。
「本気か?お前さっき、魔王の話聞きたいって言ってたじゃねえか」
「うん、言った」
「じゃあなんで、あんな……」
「あたし、魔王を倒すなんて一言も言ってないけど?」
「はっ?」
きょとんとするテッド。
リンは視線をついと逸らして、何かを考えるような仕草をした。
「アウラと魔王の言うことが本当なら、手の打ちようはあるわ。とてつもなく難しくて、手間のかかる手段だけど」
「手段って…?」
「けどそれにはまず、あの人と対等に話すだけの力が必要よ。それは、アウラに手助けしてもらうしかない」
「おい」
「あんたも魔王に話つける前にたたっ殺されないように、早くカン取り戻しときなさい。
あたしもアウラにシルヴェリアの技術を出来るだけ教えてもらうから」
「おま」
「じゃ、書庫にいるから。何かあったら呼んで」
リンはそう言い置いて、またひらりと踵を返し、足早にアウラのあとを追って行った。
いつもながら全く人の話を聞かない(いや、聞いているのだろうが相手にしていない)彼女の態度に、呆れと共にようやく元の彼女に戻ったという実感がわいてくる。
「ったく、あいつは……」
テッドは苦笑して、それから荷物と共に置かれたまま長い間抜いていなかった剣を手に取った。
すらり、と抜き放ち、清浄な輝きを放つ剣に己の瞳を映す。
「………よし」
そのままぐっと手に力を込めて空を斬ると、ひゅ、と小気味のいい音がした。

彼女がそう言うのなら、手段はあるのだろう。難しく手間のかかる、しかし最上の結果をもたらす手段が。
ならば、自分は彼女を信じて早く力を取り戻す努力をするのみ。

テッドは再び剣を鞘に戻すと、剣の稽古をすべく足早に部屋を後にした。

2週間後。
ようやく元の調子を取り戻したテッドと、アウラにシルヴェリアの魔法技術を伝授されたリンは、改めて魔王城に出かけるべく準備を整え、廃墟と化した城門へと足を運んでいた。
「ごめんな、何だかすっかりお世話になっちゃって」
申し訳なさそうに頭を下げるテッドに苦笑を向けるアウラ。
「いいえ、お2人のお力になれたのなら嬉しいですわ。
わたくしこそ、身勝手なお願いとは思いますが…どうか、ヴィルのことをよろしくお願いいたします」
言って、丁寧に礼をする。
リンは苦笑して、アウラの肩に手を乗せた。
「どこまで出来るかわからないけど、やってみるわ。
やり遂げたら必ず、ここに報告に寄らせてもらうわね」
「リンさん……」
リンの微笑みに、瞳を潤ませるアウラ。
「じゃ、行くわね」
「アウラも、何もないとは思うけど、気をつけて」
「ええ、お2人も、どうかお気をつけて」
2人は改めて丁寧に礼をすると、見送るアウラを背に歩き出した。
「ご武運を」
廃墟の王城を吹き抜ける風が、アウラの声を運んでくる。
決戦の地は、もうすぐそこだった。

「………」
唐突に無言で立ち上がったヴィルを、ヒルダは不思議そうに見上げた。
「どうしたの?」
ヴィルは相変わらずの無表情でヒルダに目をやり、それからふいと逸らす。
「………いや」
小さく言って、こつ、と足を踏み出した。
「……少し、席を外す」
ヒルダはきょとんとして口を噤み、それからにこりと微笑む。
「いってらっしゃい」
それには返事をせずに、ヴィルは足早に部屋を後にした。
こつ、こつ、と、冷たい廊下に足音だけが響く。

ここしばらく、追うことが出来なかった勇者の気配。
おそらく、何か結界のような場所にとどまっていたからなのだろうが。
その気配が、唐突にまた感じられるようになった。無論、あの魔法使いも一緒だ。
まっすぐに、この場所に向かっている。
どうやら、あの薬は使わなかったようだ。
「………」
ヴィルは無言でさらに足を進めた。
気配を見失う前より、明らかに力をつけているのがわかる。
この城の周りにも守りを配置しているが、おそらくあの2人ならたやすく突破してくるだろう。

「…………覚悟を決めたか」

ぼそり、とヴィルは呟いた。
ならば、自分も覚悟を決めねばなるまい。
これまでの者達のようにはいかないだろう。
お互いに、命を賭けた戦いになる。
それでも。

「手放すわけには……いかない」

傍に置ければそれでいいと思っていた。
家族の元から浚い、自由を奪い、笑顔など向けてもらえるはずもない。だが、それでいい。手元に置くことができればそれでいいと。
だが、予想に反して彼女は彼のことを覚えていた。あの頃と変わらぬ屈託の無い笑顔を向けてくれた。
それは予想以上に、彼を縛り付けた。
手に入る前は、手に入らずとも良いと考えていたもの。
だが手に入ってみれば、かけがえの無いものになっていた。どうして要らぬと思っていたのか、かつての自分を愚かだとあざ笑うほどに。
この笑顔が失われることなど、考えられない。
どんなものと引き替えにしても。

こつ。
靴音が、大きな空間に反響する。
暗く広い、玉座の間。
まさに魔王に相応しい玉座に、彼はマントを翻して腰をかけた。

もうすぐだ。

もうすぐ、彼らがやってくる。

もうすぐ、すべての決着がつく。

21:Dead or Alive

グガアァァ……
ずしん、という重い音を立てて倒れた巨大な石像は、音もなく黒い塵となって消えた。
「やれやれ、これで入れるかしらね」
嘆息してローブの裾を払うリン。
「さすがに本拠地の周りは強いやつが多いな」
テッドも剣を鞘に収めながら言う。
「ま、今のあたしたちの敵じゃないけどね」
「はは、確かにな」
シルヴェリアの魔法を身につけたリンと、その技術によって剣の稽古をしたテッドは、この短期間で驚くほどにその腕を上げていた。
しかも、調べていくうちに、どうやらテッドが手に入れたこの剣は、古代のシルヴェリアの技術によって作られたものであったらしいことがわかったのだ。
「魔物の軍勢がシルヴェリアを滅ぼしたのも頷ける、ってことか」
リンは嘆息して、テッドの剣に目をやった。
「この剣の前の持ち主……先代の『勇者』によって、その時代の『魔王』は倒された。魔王の軍の残党は長い時間をかけて力を蓄え、まずは自分たちの王を滅ぼした剣を作った技術を絶やすことを考えたのね」
「それでシルヴェリアを…」
いたましげに剣を見やるテッド。
リンは頷いた。
「魔王の仇であるシルヴェリアの王子をどうして魔王として擁したのかはわからないけど…あたしが言った通り、シルヴェリアの持つ技術と膨大な魔力を軍勢に取り込もうとしたのか、それとも……」
「ま、それはいっちょ本人に聞いてやるとしようぜ」
言って、大きな門を見上げるテッド。
その言葉に呼応するように、ごごご……と地面が鳴り、石造りの門がゆっくりと開いた。
「入って来い、ってことか」
「大歓迎にはきっちりお応えしないとね」
2人はにやりと微笑むと、早速足を踏み出すのだった。

ずしん。
扉の向こうから地鳴りが響く。
玉座の間の扉を守っていた魔物が倒されたのだろう。
目を閉じたままで、彼は静かにそう思った。
ややあって、勢いよく扉が開く。
ばたん、という大きな音が、広い玉座の間に盛大に響いた。
たたた、とこちらに駆けてくる足音を聞きながら、ゆっくりと目を開く。
広間の中央で足を止め、こちらを睨む2人。
魔法使いとは面識があったが、勇者と対面するのは初めてだった。

「………久しいな」

ヴィルが低く言うと、リンは皮肉げに口の端を歪めた。
「その節はどーも」
「私の提案は、聞き入れられなかったようだな。残念だ」
「それはどうもすみませんでしたね」
リンは軽く肩を竦め、腕組みをする。
「あたしもあんたに提案をしたくてここまで来たの」
「……提案?」
ヴィルが問い返すと、リンは一呼吸置いて、ゆっくりと言った。
「…姫を帰してやって。本当に、姫のことが好きなら」
「………何かと思えば」
静かに嘆息するヴィル。
「そんなことを、私が聞くとでも思ったか?」
「こんなことをしなくてもいいでしょう」
リンは語気を強め、ヴィルに言い募った。
「力ずくで相手の意に添わないことをして、それで幸せになんてなれるはずない。
あんたは、そんなことをしなくたって」
「何と言われようと、姫を帰す気はない」
ヴィルはリンの言葉を遮るようにして言い放ち、すっと右腕を上げる。
「…こんな所まで、話をしに来たのでもなかろう。
望みを通したくば、力でねじ伏せろ」
その腕を勢いよく振り下ろすと、その手にはいつの間にか大きな黒い鎌が握られていた。
「……行くぞ」
「……っ!!」
静かに告げた次の瞬間には、2人の目の前で鎌を振りかぶっていて。
がぎ。
振り下ろされた鎌の刃を、テッドの剣が受け止める。
「こうなると…思ってたのよね!」
リンは苦い顔で後ろに跳んで距離を取り、印を結んで魔法を放つ。
「エア・ビット!」
リンの呪文を合図にしたように、テッドが渾身の力を込めてヴィルの鎌をはじき、体制を崩したヴィルの元にリンの放った空気弾が勢いよく飛んでいった。
「消えろ」
ヴィルは慌てる様子もなく、低く呟く。
すると、音もなく空気弾ははじけて溶けた。
「ちっ!」
呪文が効かなかったことを理解したテッドは、体勢を立て直したヴィルにさらに斬りかかっていく。
「であぁっ!」
ぎんっ。
白く輝く聖剣と黒い大鎌の刃が派手な音を立ててぶつかり合う。
ぎん、ぎんっ。
流れるように繰り出されるテッドの剣を、ヴィルはこともなげに受け流す。見るからに重そうな大鎌が、まるで扇か何かのようにひらりひらりと空を舞っていた。
「はっ!」
「……甘い」
きん。
剣を水平に構えて突きを繰り出したテッドの剣を、動きを予測していたように鎌で下からすくい上げるヴィル。
硬い音がして剣は上にはじかれ、体制を崩したテッドを狙うようにして、ヴィルが再び鎌を振り上げた。
と、そこに。
「悪しき者を叩き潰せ、巨人の鉄槌!」
術の構成を終えたリンが最大威力でそれを解き放つ。
ごう、という鈍い音がして、リンの拳から空気の塊がヴィルに向かって放たれた。
とっさに受身を取ってかわすテッド。
「…っ!」
ヴィルは振り上げた鎌を守りに回し、なにやら防護の壁を張ったようだった。
しばしの間、ぐぐぐ、と魔力同士のせめぎ合いがあったが、ややあってヴィルが押し負け、弾き飛ばされる。
ごが。
空気の固まりごと激突された壁が派手な音を立てて崩れ落ちた。
「……うっそ、なにこれ」
術を放ったリン本人が、自分の手を呆然と見やる。
「相手が相手だから最大威力でやったけど……これが、シルヴェリアの魔法の本当の力……」
絶大な威力に高揚すると共に、逆に血の気が引くのも感じる。
これほどの技術。確かに、脅威となるには十分だろう。
がら。
ぐずれ落ちた壁の瓦礫が動き、中からむくりとヴィルが姿を現す。
リンは改めて表情を引き締めて構えを取った。立ち上がったテッドも同様に剣を構える。
「……貴様……」
ヴィルは瓦礫の埃で汚れてはいたが、そう大した怪我は無いようだった。身体への衝撃は魔法でガードしたのだろうか。
変わらぬ無表情をリンの方に向けて。
「……どこで、その術を」
ヴィルの言葉にリンは一瞬きょとんとして、それからすぐに表情を引き締めた。
「…あんたの故郷で教わったのよ」
「……私の、故郷、だと」
ヴィルは思いも寄らぬことを言われたという様子で、途切れ途切れに言葉を発する。
リンはゆっくりと頷いた。
「そうよ。この城は、魔物の国は、あんたの本当の故郷じゃない。
あんただって気づいてるんでしょう。あんたは魔物じゃない、人間なのよ!」
「…戯言を」
低く言ったヴィルの声音には、明らかに動揺が混じっていた。
それを自分で振り払うように、腕を上げて呪文を唱える。
「っ……」
大きな魔法の構成を感じ取ったリンも、慌てて印を結ぶ。
ふわり、とローブの裾が舞うのと同時に、ヴィルが術を放った。
「原初の波動」
「大天使の加護!」
一瞬遅れて展開されたリンの防護魔法が、ヴィルの放った赤い衝撃波から2人を守る。
ヴィルは眉を寄せて魔法の出力を上げ、リンもそれを感じて防護結界を強めた。
「………」
「……っく……!」
しばし、2人の魔力のせめぎ合いが続いた。防護結界にはじかれた赤い波動がびりびりと広い部屋の壁を揺らす。
「……小賢しい……!」
ヴィルはぎりっと眼光を強めると、ひときわ多くの魔力を注ぎ込んだ。
ばちん!
防護結界が破られ、その勢いでリンは先ほどのヴィルのように弾き飛ばされた。
「つあぁっ!」
ど、どさ。
床でひとつバウンドをして倒れこむリン。
「くそっ……」
テッドは剣を構え直すと、再びヴィルに向かって駆け出した。
大きな魔法を使って消耗した様子のヴィルも、そのまま鎌を構え直す。
テッドは大きく剣を振りかぶり、床を蹴って高く飛んだ。
「でああぁぁ!!」
大きなモーションで剣を振り下ろすテッド。
がき。
再び、ヴィルの鎌とテッドの剣が派手な音を立てて交わった。
無理のある魔法の使用が体力を削ったのか、ヴィルの動きに先ほどのような余裕は無い。
テッドは腕に力を込め、続けて斬りかかるために剣を横に薙いで――

その時だった。

「やめて!!」

大きな広間中に、高く澄んだ声が響き渡る。
その声に魔法でもかけられたかのように動きを止めたテッドとヴィルは、驚きの表情で声のした方を振り返った。
床に倒れていたリンも、身を起こしてそちらを見る。

魔王の魔の扉の前に、黒々としたこの建物に酷く似合わぬ白い影。
ふわり、と広がる純白のドレスに身を包んだ華奢な少女は、酷く思いつめた顔でそこに立っていた。
3人の表情がさらに驚愕に染まる。

「ひ、姫様……?!」

テッドが少女を呼ぶと、彼女は深刻な表情のまま駆け出した。
かつ、かつ、かつ。
ヒールが小刻みに音を立て、リンの横を通り過ぎていく。
かつ。
やがて、ヒルダはヴィルの前で足を止め、テッドのほうを向いて両腕を広げた。

「……ヴィルを、殺さないで」

22:Parting or Resign

「ひ…姫様……?」

目の前でヴィルをかばうようにして腕を広げ、厳しい表情でこちらを見る少女に、テッドは唖然として呟いた。
どうにか身体を起こしたリンも、同じ表情でその様子を見やる。
ヒルダは腕を広げたまま、静かに、しかし毅然とした様子で言った。
「あなたたちは、ヴィルを殺して私を連れ戻しに来たのでしょう?」
「殺して…って……」
直球の言葉に眉を顰めるテッド。だが確かにその通りなので、返す言葉もない。
ヒルダはさらに続けた。
「私は、戻りません。このまま帰って、お父様にそう伝えて」
「っえぇ?!」
さすがにこの言葉には、テッドも仰天して声を上げた。
それどころか、ヒルダの背後にいるヴィルまでもが同じ表情で目の前の少女を見下ろしている。
「も、戻らないって、えぇ?!」
まだ混乱している様子のテッドに、なおもきっぱりとヒルダは言った。
「私は、ここに残ります。ここまで来てくれて申し訳ないけれど、帰ってお父様にそう伝えてください。
私が自分の意思でここに残るのだから、もうヴィルを殺す必要はないでしょう?」
「……それは承諾しかねます、姫」
ここで、誰より早く我に返ったリンが、立ち上がって歩み寄る。
ヒルダはそちらの方を向いた。
「お父様は…国王は、姫のことをとても心配しておられました。もちろん、王妃様も。
ある日突然無体な暴漢に娘を連れ去られてしまったご両親を、このまま悲しませておくおつもりですか?」
「っ、それは……」
ヒルダは眉を寄せて俯き、しかしすぐに視線をリンに戻した。
「…あの方たちは、王女としての私の存在が惜しいだけです。他国に嫁がせ、外交の手段として使える駒が欲しいだけ。
それならば、私も私の好きなようにさせていただきます」
「……本当に、そうお考えなのですか?」
リンはむしろ悲しげな視線をヒルダに向けた。
「あなたのお父様やお母様が、あなたを娘としてではなく、駒としてしか見ていないと。
もちろん、王族としての責務や役目から、普通の家庭に比べ家族としての時間は少ないだろうことは、庶民である私にも理解できます。
けれど、娘にかける愛情が全く無かったと、生まれて今まで共にあったご両親を、そんな風に思われるのですか?本当に?
ご両親は本当に、そんな仕打ちを姫に対してなさっていたのですか?」
「………」
ヒルダはまた口を噤み、俯く。
リンは続けた。
「今まで家族として過ごしてこられたご両親と、あなたを王女と慕う国民を全て捨てて、それでもあなたはここに残りたいと仰るのですか?
それが、どれほどのことか。あなたは本当に理解していらっしゃいますか?」
「……だって」
ヒルダは力なく腕を下ろし、俯いたまま呟いた。
「……ヴィルには、もう私しかいないもの」
そして、振り返ってヴィルの方を見て。
「お父様にはお母様がいて、お母様にはお父様がいて。国のみんなにも王様とお后様がいて、幸せな国があって。
でも、ヴィルは私がいなくなったら、もう誰もいないの。
この寒々としたお城で、ずっとひとりぼっちになってしまうわ」
それから、もう一度リンの方を向く。
「ヴィルは、寂しかった私を元気づけてくれたの。
だから、今度は私がヴィルの寂しさをなくしてあげたい」
胸の前で手を組んで、懇願するように、続けた。
「だから、私は城には帰りません。
ずっと、ずっとここにいます」
しん、と。
ヒルダが言い終えてから、奇妙な沈黙が落ちる。
まるで時が止まったかのように、誰も、身動きひとつしなかった。
しばらく沈黙が続いた後。

「……姫様、そりゃないわ」

唐突に言ったのは、テッドだった。
一同がそちらを向くと、剣を鞘に納め、気の毒そうな視線をヒルダに向ける。
「それ、男にしてみたらすっげえ残酷な言葉だよ、姫様」
「えっ……」
ヒルダは思いも寄らぬことを言われたというように、きょとんとする。
「自分がいなきゃ1人になっちゃうから、1人にしたら可哀想だから、残る。ってさ。
そんな理由で側にいられても、ちっとも嬉しくないよ。少なくとも、おれは」
テッドはヒルダからヴィルに視線を移して、複雑そうに眉を寄せた。
「……まー、問答無用で姫様さらってきちまうこいつなら、ひょっとしたら嬉しいかもしんないけど」
そして、振り返ってリンに視線を移す。
「おれがこいつからそんなこと言われたら、マジヘコむわ。
バカにすんな、そんな理由ならとっとと帰れって思う」
「……ばーか」
少し照れた様子で悪態をつくリン。
そして、嘆息してヒルダのほうを向いた。
「気持ちは、わからないでもないけどね。
でもね、義務で一緒にいられたって、嬉しかないものよ、姫様」
「義務……?」
「そ。こうしなくちゃいけないから、そうしなかったら可哀想だから。
それって、一見優しさに見えるけど。でも、自分を好いてくれる人に対して言う言葉じゃない」
さらにヒルダに歩み寄って、ぽんと肩に手を置いて。
「あなたがヴィルにそこまでしてあげたいって思うのは、どうして?
家族も故郷も捨てて、それでも彼の側にいてあげたいって思うのはどうして?」
そして、意地悪げな視線をちらりとヴィルに向ける。
「この人、無口が過ぎるから。もしかしたらそんな肝心な言葉も、あなたに言ってないんじゃない?
あなたも、肝心な言葉を、彼に言っていないんじゃない?
正直な、あなたの気持ちを」
「……私の、気持ち……」
ヒルダはぼんやりと言って、再びヴィルを見上げた。
いつもの、冷たい表情を帯びた端正な顔立ちに、今は明らかな戸惑いの表情が見える。
「……私……」
ヒルダは踵を返してヴィルに向き直り、にこりと微笑んだ。

「…私、ヴィルが好き。だから、ずっとヴィルと一緒にいたい」

きっぱりと。
言いよどむことなく言ったヒルダに、ヴィルの目が僅かに見開かれる。
リンは満足げに微笑んで、ヴィルの方を見た。
「良かったじゃない、想いが叶って」
「………」
なおも僅かに戸惑った様子で、リンを見返すヴィル。
リンはまた、意地悪げに微笑んでみせる。
「あたしの気持ち、わかったでしょ?」
「……何のことだ」
「好きな人を幸せにしたい、っていう気持ち。
そのために、どんなことを犠牲にしても、って。
姫様だって、もう二度と家族と会えなくなっても、あんたのためにここに残りたい、って言ってくれてる。
その気持ち、今のあんたにならわかるんじゃない?」
「………」
ヴィルの表情が僅かに引き締まる。
リンは続けた。
「わかるでしょう?姫様にとって、今のあんたと一緒にここに残ることは、家族という大きな『犠牲』をはらうことなの。
無理に言い訳をしてみても、心優しい姫様が、今まで愛情をかけて育ててくださったご両親を何の苦も無く捨ててしまえるはずがないわ。
それは、さっきの辛そうな姫様の顔を見ればわかるでしょう?」
「………」
無言のまま微動だにしないヴィル。
リンは厳しい表情で、さらに続けた。
「相手の意思もお構い無しで、ただ側に置ければ良いと思っていた最初のあんたとは、今は違う。
相手が自分に想いを返してくれる、笑顔を向けてくれる喜びを知ってるはずよ。
だからこそ、わかるでしょう。好きな人に悲しい顔をさせていいの?辛い思いをさせて、それで本当に……」
「やめて!」
リンの言葉を遮ったのは、ヒルダだった。
「ヴィルを責めないで。私は、私の意志でここに残るって決めたの。
家族とヴィルとどちらかしか選べないなら、私はヴィルと一緒にいたいと思ったから。
だから、ヴィルは悪くないわ」
必死なその様子に、苦笑するリン。
「姫様」
ヒルダをなだめるように、そっと肩に手を置いて。
「別にヴィルが悪いとか、姫様を諦めろとか言ってるわけじゃないのよ。
そういう気持ちがあるなら、別に方法があるでしょ、と言ってるだけ」
「えっ……」
きょとんとするヒルダ。
リンは妙にさっぱりした表情で、再びヴィルの方を見た。
「あたしね」
両手を腰に当てて、胸を張って。
「どっちかを選んでどっちかを諦めるしかないって決め付けるのも、どうせ上手く行かないって言って何もしないのも、やめたの」
に、と唇の端を歪める。
「あんたと姫様の気持ちが本物なら、やりようがある。
正直、こんなに目論見通りになるなんて思ってなかったから、今すっごくワクワクしてるわ」
きょとんとしているヒルダとヴィルとついでにテッドを交互に見やって、にこりと微笑んだ。

「あたしのプランに、乗ってみる気はない?」

23:Princess or Magician

その日、エセルヴァイス王城は、年に一度執り行われる舞踏会の準備にてんてこ舞いだった。
朝から城付きのメイドや執事たちが城中を駆け回っている。
もちろん忙しいのは使用人たちばかりでなく、主たる国王も同じだった。
招待客の調整から広間の飾りつけ、料理や調度品の位置に至るまで、細かい指示を出しながら忙しく動き回っている。
昼もだいぶ過ぎた辺りでようやく一段落着いた王は、今夜の舞踏会の為に着飾っている愛娘の元に、食事もせずにいそいそと向かった。
5年前、魔王に連れ去られた所を勇者によって奪還された王女。それまで王族というしがらみもあってかあまり触れ合う時間もなかったのだが、帰ってきてからというもの嘘のような溺愛っぷりを見せていた。
王が上機嫌で王女の部屋の前まで来ると、扉の側に控えていた侍女が部屋の中に向かって声をかける。
「国王様、お見えてございます」
「お通しして」
中から涼やかな声が返ってきて、侍女は一礼して扉を開けた。
満面の笑みで部屋に足を踏み入れる王。
「おおヒルダ、似合っているではないか!」
部屋の中央で白いドレスを纏っている女性に、嬉しそうに話しかける。
彼女は美しい微笑を父王に返した。
「ありがとうございます、お父様」
「うむうむ、我が娘ながら女神のような美しさ、これならばどんな男も虜になろうな」
「お父様ったら」
ふふ、と苦笑するヒルダ。
が、王は真剣な面持ちで彼女に言った。
「笑い事ではないぞ、ヒルダ。お前ももう22、ここらで良い相手を見つけ、幸せになってもらいたいのだ。
今宵の舞踏会、張り切って臨むのだぞ!お前を幸せに出来る頼もしい殿方を見つけるのだ!」
「ええ、そのような殿方がいらしたら」
気合が入りすぎの父王を、ヒルダは笑って受け流す。
王はそんな彼女をしょんぼりと見下ろし、大きくため息をついた。
「はぁ……5年前、お前を救い出してくれた勇者殿が残っていてくれたらなあ」
5年前。
王女を救い出し凱旋を果たした勇者は、親子の感動の再会に国中が沸き立つ中、いつの間にか忽然と姿を消していたという。
勇者を近衛兵団長に、そしてゆくゆくは王女の婿にと考えていた国王の落胆ぶりは相当なものであったというが、当の王女はそれを苦笑して見つめるのみだった。
そしてこの5年間、華奢な少女から美しい女性へと見事に成長した王女には数多の縁談が舞い込んだのだが、王女は全てこの調子でやんわりと断り続けてきた。そのたびに、王は今のように、姿を消した勇者を惜しむ発言をしたものだったのだが。
「いやですわ、お父様」
ヒルダはくすくすと笑いながら、王に言った。
「勇者様には、他に想う方がいらっしゃいましたのよ。わたくしとの婚姻など、わたくしの方が断られてしまいますわ」
初めて聞かされる事実に、きょとんとする王。
「なに。それはまことか」
「ええ。お父様のことですからいずれそういうお話になるとお思いになられたのではないでしょうか?
勇者様には、他にも使命がおありと伺っておりましたし、そのこともあって一刻も早い旅立ちを望んでいらっしゃったのだと思いますわ」
「ふむう…そうであったか……残念だ」
本気で残念そうに肩を落とす王に、ヒルダは苦笑して続けた。
「わたくしも、勇者様が下さったこの一生を、無駄にしたくはありませんもの。
じっくり、わたくしを幸せにして下さる殿方を探すことにしておりますわ。
お父様も、どうか見守っていてくださいませ」
「ヒルダ……」
王はまだ何か言いたげにヒルダを見たが、やがて苦笑した。
「…そうだな。お前の好きなようにしなさい。お前が誰を選んでも、私は心から祝福するよ」
「……ありがとうございます、お父様」
僅かに瞳を潤ませ、微笑むヒルダ。
愛娘にもう一度頷きかけると、王は踵を返した。
「では、私はもう行く。また今宵、舞踏会で」
「ええ。ごきげんよう、お父様」
王はにこりと微笑んで、そのまま部屋を辞する。
その背中を見送ってから、ヒルダは再び鏡に視線を戻した。
「国王様も、よほど姫様が心配でいらっしゃるのですね」
ヒルダの髪を梳いていた侍女が、苦笑して言う。
ヒルダもにこりと笑みを返した。
「仕方がないわ。5年前、私はお父様にとんでもないご心配をおかけしてしまったのだから」
「まあっ、それは姫様のせいではありませんわ!」
半ばたしなめるようにそう言ってから、侍女は再び笑みを作る。
「でも、今年の舞踏会には、国王様もとても気合を入れていらっしゃるようですよ。
各国の王子や高名な貴族の方々を、たくさんご招待なさったのですって。
私たちも、お美しいと名高い殿方をたくさん拝見できますから、今から楽しみにしているんです!
お目に留まって玉の輿!なんて夢のまた夢ですけど、こっそり目の保養をするくらいなら良いですよね~!」
「あら、諦めてしまうのは良くないわ?素敵な王子様のハートを射止めるために、あなたもめいっぱいお洒落しなくちゃ」
「まあっ!姫様ったらお上手なんですからー!」
テンション高く語る侍女の話を、ヒルダはにこにこと聞いている。
侍女はなおもテンション高く、続けた。
「そういえば、姫様ご存知ですか?今年は、あの噂の国の国王様がいらっしゃるのですって!」
「噂の国?」
きょとんとしてヒルダが問うと、侍女は彼女の髪を梳きながら嬉しそうに語りだす。
「ええ!なんでも、ずいぶん前に魔物に滅ぼされた魔法王国を、たったの5年で再興させた奇跡の王と世界中で噂になっているそうなんですよ!」
「………」
ヒルダの表情が、僅かに動く。
侍女はそれには気づかぬ様子で、続けた。
「噂によると、その国王様、まだお若くて独身で、しかもとても男性とは思えないくらいお美しいそうなんです!
あぁ、どんな方なのかしらー!一目拝見したいです!
ええと、なんていう国だったかしら……姫様、ご存知ですか?」
侍女の言葉に、ヒルダはゆっくりと目を閉じて、答えた。

「……シルヴェリア」

「あっ!そうそう、シルヴェリアです!さすが姫様、良くご存知ですね!」
「……ええ」
はしゃぐ侍女に、ヒルダは独り言のように答える。

「よく……知っているわ。ずっと……ずっと、待っていたから」

舞踏会は各国の王族や名士たちが集い、なかなかに盛況だった。
楽団の奏でる音楽に合わせ、綺麗に着飾った紳士淑女が楽しく踊っている。
その大広間の片隅に、人垣ともいえぬ薄い人だかりが出来ていた。

入り口のすぐ側、大きな柱の影でひっそりとたたずむ1人の男性。
ダンスに興じることなく、かといって食事や談笑を楽しむこともなく、ただ1人腕を組んで柱に寄りかかるような格好で目を閉じている。
周りには彼の様子に気を留めた人々がなんとなく足を止めて見入っていた。
舞踏会に来ているというのにこの異質な行為をしている彼が、何故それほどまでに目に留まるのか。
それは、彼がこの世のものとは思えぬほどに美しい姿をしていたからだ。
まるで彫刻のように整った顔立ち。腰ほどまでにある長い黒髪は丁寧に手入れをされており、金糸をあしらった白い燕尾服と不思議なほど良く調和している。長身で引き締まった体躯はただ柱に寄りかかっているだけで様になっていた。
立ち止まって彼を見る人々の大半は女性で、何をしているのか、声をかけてダンスに誘いたいが、と逡巡しているのが見て取れる。
それほどまでに、彼のいでたちは美しさと共に冷たさが漂っていた。声をかけがたい何かがその美しい姿を取り巻いていて、女性たちはため息と共に少し離れた場所で彼の姿を見守るしかない。
そんな憂い顔の女性たちが作る薄い人だかりに向かって、ゆっくりと近づいていく女性がいた。
こつ、こつ。
ゆっくりと、しかしよどみない足取りで歩いている彼女の姿に気がつくと、人々は慌てて彼女の進路をあけた。
まるで波が引くように分かれていく人々の視線が、心配げなものに変わっていく。あの男性に、彼女が、話しかけるつもりなのだろうか、大丈夫なのか、と。
しかしそんな視線など気にならぬ様子で、彼女は薄い笑みを浮かべて男性に向かって歩いていた。
亜麻色のゆるい巻き毛に、優しさをたたえた大きな青い瞳。少女の頃の清らかさをそのままに美しく成長した彼女は、行く先にたたずむ男性と並んでも引けを取らぬほどに美しい。
ふわり、と白いドレスが揺れて、彼女は男性の前で足を止めた。

「…シルヴェリア王国の、ヴィルフリート様でいらっしゃいますね」

彼女がそう声をかけたことで、まるで彫刻に命が吹き込まれるように、男性はゆっくりと目を開け、居住まいを正した。
切れ長の紅い瞳が彼女の姿を捉えると、彼女は嬉しそうににこりと微笑む。
「お噂は、かねがねお伺いしておりますわ」
「……ヒルデガード姫も」
低く、彼の口からゆっくりと言葉が紡がれて。
「噂に違わぬお美しさ、お目にかかれて光栄です」
そして彼は流暢な麗句と共に、薄い微笑みを浮かべた。
彼女は驚いたように眼を見開き、それから嬉しそうに相貌を崩す。
「一曲、ご一緒頂けませんか?」
す、と華奢な手を差し出すと。
「……喜んで」
彼もゆっくりとその手を取り、広間へと彼女をエスコートするのだった。

「本当に……こんな日が来るなんて……」
大広間で手を取って踊るヴィルとヒルダの姿を遠くから見ながら、アウラはそっと目頭を押さえた。
「全て、お2人のおかげですわ。本当に、どう感謝の言葉を申し上げたら良いか……」
振り返った先に、一応正装で佇むテッドとリンの姿。
リンは満足げに微笑んで、アウラに言った。
「ま、あたしの手にかかればこれくらいどうってことない、みたいな?」
「おまえ、またそんな何もかも1人でやったみたいに…」
隣のテッドが半眼でリンを見る。
「シルヴェリアの生き残りを探して連れ戻すの、すげー大変だったんだぞ?」
「あんたはあたしの指示した場所に行っただけでしょうが。情報収集してあたりをつけたのはあたし」
「瓦礫だらけの土地に城やら建て直すのだって」
「半分くらいあたしとアウラの術でやったでしょうが」
「他の国から再興のための人材引き抜いてきたのはおれだろ」
「あんた財源どこから出てきたか知ってんの?シルヴェリアの魔法技術を売り物に出来るようにしたのはあたしとアウラよ?」
「しつこくつっかかってくる魔王軍の残党だって退治しなきゃなんなかったし」
「あんた、あのヴィルにあそこまで礼儀作法だの仕込むのがどれだけ大変かわかってる?」
いつもの調子で言い合いをする2人を、アウラは微笑ましげに見つめた。
こんな風に憎まれ口を叩き合う2人だが、なによりも固い絆で結ばれていることはよく知っている。
愛しい少女と何の障害も無く結ばれるために、人の姿を取り戻し、国の再興に尽力した弟と、そしてそれを5年間待ち続けた姫の2人も、彼らのように強固な絆を紡げると良い、と心から思った。
「お2人は……本当に、わが国を去ってしまわれるのですか?」
残念そうにアウラが言うと、いつものようにテッドを言い負かしたリンは苦笑してアウラの方を見た。
「ええ。あそこに、もうあたしたちのやるべきことはないから。
今までの仕事は全部引き継いだし、あとは任せても大丈夫でしょ」
「できることなら、このままずっと、わが国の騎士団長と王国議会評議長としていて頂きたかったのですけれど…」
「せっかくだけど、おれらにはやっぱ、こういう堅苦しい世界は似合わないよ」
それには、テッドが苦笑して答えた。
「ヴィルと姫様の為にがんばったけど。おれはやっぱ、こいつと世界を旅してるほうが気楽だし、楽しいし」
リンの肩に手を置くと、リンも嬉しそうにそれを見上げる。
2人の返事はわかっていたのか、アウラはすっきりとした笑顔で言った。
「また、ぜひお立ち寄り下さいませね。ヴィルともども、歓迎いたしますわ」
「うわ、ヴィルの歓迎って想像するとちょっとサムい」
肩を竦めてそう茶化すリンの横で、テッドが微笑み返す。
「ぜひ寄らせてもらうよ。アウラたちもがんばってな」
「ええ、ありがとうございます」
「さて、そろそろここもお暇しないと」
「そうだな」
リンとテッドがそう言って頷き合うので、アウラは残念そうに眉を寄せた。
「まあ、もう行ってしまわれますの?」
「ええ、これ以上ここにいるとさすがにあたしたちの顔覚えてる人もいるかもしれないし、それはなんていうかちょっと、面倒なことになりそうなんで」
リンが苦笑して言い、テッドが微笑んで続く。
「ヴィルにもよろしく。がんばれ、って」
「ええ、伝えますわ」
「じゃ、アウラも元気でね」
リンはさらっと手を振って、テッドと共に踵を返し、大広間を後にする。
その背中に、アウラはもう一度、深々と礼をするのだった。

「よーやく終わったわねー!」
外に出た2人は、冷たい夜気の中で清々しそうに身体を伸ばした。
「よかったな、2人。上手く行きそうで」
「このあたしがプロデュースしたんだもの、当然よ」
ふふん、と自信満々のリン。
テッドは歩きながら、言った。
「これからどうする?どっか行きたいとこあるか?」
「んー……まだ具体的には。ひとまずは6年ぶりの我が家に帰って、ゆっくりしましょうか」
「あー……そうだな、姫を連れて帰ったときも寄らずにとんぼ帰りだったもんな、さすがに帰らないとまずいよな……」
「なによ、浮かない顔」
「…何か、魔王以上に手ごわい敵に戦いを挑む気分だぜ……」
「手ごわい敵?」
「おまえの親父さん」
「あー……まあ、がんばれ」
「おまえなあ」
「まずは開口一番、『俺の娘に何もしてねえだろうな?!』でしょうねー」
「どう答えろっつーんだよ。『しました』とか?」
「あはは、あんた勇者ねー」
「つか、おまえから言えよ、そーゆーのは!」
「あたしは勇者様のお供の魔法使いだものっ。勇者様の後ろで応援させていただきますっ」
「おまえ、完全に面白がってるだろ……」
「ばれた?」

城の楽の音がだんだんと遠ざかり、静かな夜空に2人の軽妙な掛け合いが響く。

勇者と魔法使いの旅は、まだまだ続きそうだ。

“Princess or Magician” 2010.10.27.Nagi Kirikawa

お付き合いありがとうございました。
この「Princess or Magician」は、もともとは昔書いていた「クロノトリガー」の二次創作になります。
「クロノトリガー」自体は、スクウェアエニックスがまだスクウェア単体だった頃に出した割と昔のゲーム作品で、多分今はDS版が出てると思います。ドラクエの堀井雄二、FFの坂口博信の共同制作、キャラデザは鳥山明という、当時にしてはまさに夢の競演な作品です。非常に面白いのでぜひプレイしてみてくださいv
当時スクウェア系ゲームで同人活動をしていたんですが、このクロトリでも1冊本を出してまして、その本に収録された話のタイトルがこの「Princess or Magician」。作品自体は小説にリライトして二次創作のページに置いています。→「PRINCESS OR MAGICIAN
クロトリの主人公・クロノには幼馴染のルッカという女の子がいますが、公式でのヒロインはお姫様であるマールになっています。PS版、DS版にはマールとの結婚式エンディングがあるらしいので公式ヒロインなのでしょう(笑)それが理由で両方ともやってないんですけど(笑)
でもあたしはこの幼馴染のルッカが大好きで(笑)クロトリはクロノ自身は喋らず、ドラクエと同様に「主人公=プレイヤー」のスタイルであったので、あたしの中でのクロノはルッカひとすじなんです(笑)
が、ゲーム中でルッカは、パーティー編成でマールをのけておくとクロノが好きっぽい言動をするわけですが、基本スタンスは「あんたマールを大事にしなさいよ」なんですよ。それが切なくてなあ(笑)僕は君を愛しているのに(笑)そんな気持ちを込めて描いた作品だったのです。
作中でルッカは、クロノと自分の関係を、「浚われたお姫様を助けに行く勇者と、勇者のお供をする魔法使い」に例えます。勇者がお姫様を救い出して結ばれるのを、勇者に想いを寄せている魔法使いは何も言えずに勇者の元を去っていく…という風に。
その話自体はルッカにそれを聞いたカエルがルッカを諭して、最後ルッカが軽くクロノに告白して終わり、というものだったのですが、この時点でかなりルッカ好きをこじらせていたあたしは、さらにその「勇者と魔法使い」を題材にしたパラレル小説を書きました。
内容は割とオーソドックスなファンタジーRPG風テイストの話で、クロトリの他のキャラクターも登場したりしています。
ここまでが前置き。すみません長いですね(笑)

その小説自体は友人にあげてしまっていて今手元になくて。でも思い返したら急に読みたくなってしまって、ならどうせ、もともと元キャラからはかなりかけ離れた感じになってるわけだし、いっそオリジナルストーリーとしてリメイクしてしまえ、と思い立ちまして、この話を執筆することにしたのです。
で、リメイクするにあたって、この話で表現したかったこと以外の全ての要素をそぎ落としました。
表現したかったこととはすなわち、「勇者のことを想ってはいるけれど、勇者が姫のことを好きなのは判っているので、姫の奪還に協力=勇者の恋の手助けをし、自分は身を引く決意をしている魔法使いの葛藤」です(笑)
もとの小説に登場していた、クロトリの他のキャラクターも全部お役御免。話の進行に必要なキャラクターのみを残し、後は全部削りました。何書いたか覚えてなかったとかじゃないよ!(笑)
そして残ったのが、お姫様と、お姫様を浚う魔王、そしてその二人をハッピーエンドに導くためのキーパーソンである、魔王の生き別れの姉=滅ぼされた魔法王国の王女、の3人。主役の2人だけがハッピーエンド、では気が済まない性分なんです(笑)
で、もとの小説でもクライマックスシーンとなっていた、「魔王に与えられた薬を勇者に飲ませようとして寸前で思いとどまる」というシーンを、やはりクライマックスに据えようと考えました。
が、改めて考えるとこのシーン、いろいろおかしい(笑)昔書いた話なんで粗が目立つのは仕方がないんですけど、まず根本的に「自分の想いを諦めてでも勇者を助けるつもりで一緒に旅に出た魔法使いが、そんなことしません」という矛盾が(笑)
そもそも聡明な魔法使いが、敵である魔王に「命に別状はないが力が失われる薬だよ」と差し出された薬を、勇者に飲ませるわけがないんですよ、普通に(笑)毒かもしれないっていうか普通に毒でしょう(笑)当時のあたしの、ご都合主義的とんでも設定っぷりがかなり痛々しいです(笑)
だがしかし、ここを否定したら一番の萌えどころが表現できないんです!(笑)ここは譲れない。けど萌えのために頭のいい子をバカだと表現したくもない。
で、妥協案が「正常な判断が出来なくなるまで追い詰められる」ということでした。魔法使いが勇者に協力できると思ったのは、「自分の想いを封印できる自信があった」「勇者は必ず勝てると確信していた」から。ならばその2つを両方とも打ち砕いてあげれば、追い詰められて混乱した魔法使いが色んな判断をすっ飛ばして短絡な手段を取ることもありうるのではないか、と。そういう理由で、リンは延々といじめられることになります(笑)
ということで、前者を覆すために作ったのが、「先代勇者の供をしていた魔法使い」でした。
もとの小説では、聖剣は先代勇者グレンの亡霊(笑)によってもたらされます。ここを、先代勇者に想いを寄せていた魔法使い、という、魔法使いと同じ立場の人に代わっていただき、「自分の想いを封印して恋敵に想い人を譲るなんて無理無理無理ー!!」とやっていただきました。
で、もうひとつの「勇者が勝つという確信」を覆すために、勇者には瀕死になっていただく必要がありました。魔王に登場してもらっても良かったんですが、それだと「魔王が勇者を脅威と感じているために魔法使いをそそのかして薬を与えた」という設定が生きない。倒せるじゃん普通に、っていう話になってしまうので(笑)
ここで、魔王のお姉さんに登場していただき、失われた魔法王国の技術の強大さを示すと共に、これによって2人がパワーアップするという伏線も張ってもらいました。
と、先代魔法使いと魔王と瀕死の勇者に存分に追い詰めていただいた所で、狙い通りのクライマックスイベントを起こさせていただいて。あとはラストに一直線、という感じです。
もとの小説にはハッピーエンドとアンハッピーエンドの2つがあり、そのうちのハッピーエンドの方をベースにラストを作りました。アンハッピーエンドはもう恥ずかしいのであらすじの説明は止めておきます(笑)
ほぼもとのままの展開で書き直したのですが、もとの小説では姫は魔王をかばいながら「私が戻るならこの人を殺さないで良いでしょう」と戻る意志を示していました。それが、「私さえ諦めればすべて上手く行くのよ!」と悲劇のヒロインぶっていてウz……ちょっとイラッときたので(笑)「戻りません」に方向転換。でもあとは一緒です。認められるためにがんばって、自分らの力でハッピーエンドを勝ち取った、ちょっとご都合主義ではあるけれどあたしが考える最高のハッピーエンドに落ち着きました。

書き終わるまでに10ヶ月ほどかかりましたが(笑)かなり楽しい執筆になりました。また物語で表現されなかったアレでソレな場面を、SSで書いていけたらいいと思います。
改めて、お付き合いありがとうございましたv