「よくあるじゃない?少し前の冒険物語とかでさ。
魔王にさらわれたお姫様がいて、それを助けよと王様に命じられた勇者様がいて。
あたしは、そのお供の魔法使い」

「見事、魔王も倒して、お姫様も助け出して。めでたしめでたしのハッピーエンド…」

「…当然、王様の勧めで勇者はお姫様と結婚する」

「相手はお姫さまだもの。どうがんばったって敵うはずないわ。
そして…意地っ張りで臆病な魔法使いは、自分の気持ちも告げられずに勇者の元を去っていくの…」



わかってる。
あたしが勝てるわけないって事くらい。

どうせ敵わないってわかってるなら、いつまでも幼馴染のまま、側にいられたほうがずっといい。



「Princess or Magician」原文より

01.Brave soldier or Childhood friend

「これで、5人目……か」

ばさ。
リンは嘆息して、読んでいた新聞をテーブルの上に放り投げた。
一面に踊っている、「またも敗れし 王国を救う『勇者』の降臨はいったいいつに」の文字。
鎧をつけた戦士の、王宮の中央にある大きな尖塔に串刺しにされた惨たらしい姿が描かれていて、絵とはいえなかなかショッキングだ。

ここ、エセルヴァイス王国に突如として現れた『魔王』が、国王の一人娘であるヒルデガード姫を浚っていってから、もう1年になる。
ちょうど1年前、姫の16歳の誕生日を祝うパーティーに乱入した、黒ずくめの異形の者が、自らを『魔王』と名乗り、姫を浚って去っていった、とは、新聞で読んだ知識でしかないが。
国王はすぐさま討伐隊を編成し、魔王の去っていった方角へと派遣した。が、一月ほどして帰ってきたのは、ぼろぼろになった兵士が持ってきた全滅の知らせだけだった。
国王は追加の討伐隊を編成する一方で、魔王を倒し、姫を奪還することの出来る屈強な戦士を募集した。このお触れには、腕に覚えのある戦士が国中から集まった。腕試しの試合をした結果、勝ち残った一人が仲間を伴って魔王の根城に向かったのだが…
3ヵ月後。その戦士の惨たらしい死体が、王宮の門前に転がっているのが発見され、国中が騒然となった。
だが、だからといって姫を奪還することを諦めるわけにも行かない。王は再度戦士を募集し、今度は腕試しなどというまどろっこしいことをせずに応募してきた戦士を全員向かわせた。
腕試しの試合で最も強かった者があっさりと返り討ちにされたことで、応募してきた戦士はかなり減っていたが…それでも、腕に覚えのある何名かが魔王城に向かい、そして、物言わぬ惨たらしい姿となって見せしめのように王宮につき返される、ということが続いていた。リンの言う通り、これで通算5人目である。
魔王城に向かった戦士はもう少し数が多かったが、魔王は何故か向かってきた戦士を返り討ちにした後、まさに見せしめのように律儀に死体を王宮に返してきている。残りはまだ到達していないか、途中で怖気づいたか、あるいは最初から王宮からの支度金目当てで応募して行方をくらましたか、そんなところだろう。

「王国を救う『勇者』ねえ…」
一面の見出しを見ながら、リンは嘆息した。
確かに、姫は王の一人娘であり、国の宝であることは間違いないが…しかし、魔王が姫を浚っただけで、それ以降何もしてこないのが彼女は気になっていた。
姫を人質に、国の実権を握るでも、金を要求するでもない。王宮に攻め込んでくるわけでもなく、ただ王宮の差し向ける刺客を返り討ちにして知らぬ間に王宮につき返すだけ。
浚われてしまった姫には気の毒だが、実際問題、それで国ひとつがどうこうなるわけでもない。これから何かしてくる可能性も皆無ではないが、1年も放置されてそれは考えにくいのではないか。
その姫を救い出すことに「救国の英雄」という称号をつけるのも、いかがなものかとは思う。
では、ならば魔王は何故姫をさらっていったのか?
「……ま、そんなん本人に聞かなきゃわかんないけどさ…」
肩を竦めて言って、立ち上がる。
いずれにせよ、城下町に居を構える魔法屋で、経営者である父の手伝いをしながら細々と暮らしているだけの自分に何が出来るわけでもない。
父に教えられ、魔法の腕はその辺りにいるにわか魔法使いより上である自信はある。が、魔王を倒しに行くとかいうレベルではないし、そもそもそんなことに興味はない。自らの命を賭してまで姫を救うほど国に対して忠誠心はないし、姫をさらったところで国が滅びるかというとそんなことはないと思う。
つまるところ、自分には関係ない、ということだ。
そのうちに、魔王を倒す実力のある戦士が現れ、姫を救い出して凱旋、婿に収まって次期国王に、とでもなるのが王道のパターンだろう。
完全に他人事でそう思いながら、リンは階段を下り、店の方に足を運んだ。
「父さん?……あれ」
店番をしているはずの父を探すが、どこにもいない。
「んもー、また店放り出して……どこ行っちゃったのかしら…」
片眉を寄せてぼやきながらカウンターに出ると、タイミングよく店のドアが開いて、客の来訪を告げた。
「いらっしゃ……」
「リン!」
彼女の名を呼びながら勢いよく入ってきたのは、しかし、客ではなかったようだ。
「なんだ、あんたか」
「なんだはないだろ」
半眼で言ったリンに、来訪者は憮然として言い返す。
「客でない人に振りまく愛想はないわよ。なんなのよテッド、騒々しいわね」
改めて、幼馴染の名を呼んでやると。
彼は本来の目的を思い出した様子で、ぱっと満面の笑顔を浮かべた。
「そうだ、聞いてくれよリン!おれ、ついに師匠に免許皆伝もらったんだ!」
「へぇ」
つまらなそうに聞きながらも、少し目を見張るリン。
彼がついている剣術の師匠は、老いたりとはいえ王宮騎士団の将であった人物だ。国の危機を何度も救い、今回のことも彼が若ければ魔王に遅れをとることなどなかったと言われている。
彼のように弟子に志願していたものも多かったが、教えも厳しく、腕を認められた戦士はそうそういないと聞いている。
「あんた、いつの間にそんなに強くなってたの。すごいじゃない」
「へへっ」
テッドは自慢げに鼻をこすりあげた。こういうところは未だに子供っぽさが抜けないと思う。国有数の剣士だとはとても思えない。
「だからさ、リン」
「何よ?」
テッドは少年のようなきらきらした瞳で、ずい、とリンに顔を近づけた。

「おれと一緒に、魔王を退治しに行こうぜ!」

「……………は?」

たっぷりの沈黙の後、リンはやっとのことでそれだけ言い返すのだった。

02:Allegiance or Loyalty

「スタンレー師から話は聞いている。よく決心してくれたな」
国王は鷹揚な口調でそう言ったが、その声には憔悴の色がにじみ出ていた。
スタンレーとは、前述のテッドの師である。国王自身も彼に教えを請うており、師と呼んでいるのだ。
「エドワード・ゼステス。そなたに正式に、魔王討伐を命ずる」
「大命を賜り、恐悦に存じます」
テッドは頭を垂れたまま、畏まってそう言った。
リンはそれを横目で見ながら、こっそり嘆息する。こうしていると、国有数の剣士に見えるのだから大したものだ。
「早速支度金を用意させよう。そなた、一人で討伐の旅に出るつもりか?」
「いえ、こちらにおります、リネット・アージと共に参る所存でございます」
「そうか」
国王は一呼吸置くと、今度はリンに向かって言った。
「そなたにとっても危険な旅となるが、どうかよろしく頼む」
「勿体無いお言葉、恐縮でございます」
自分に矛先が向き、慌ててさらに頭を下げるリン。
「わたくしに出来る精一杯でサポートをしてまいりたいと思います」
「うむ。そなたたちの働き、期待しているぞ」
「お任せください」
王の言葉には、今度はテッドが答えた。
「必ずや魔王を討ち、ヒルデガード姫をお救い申し上げましょう」

「あー……肩こった」
城から出てようやく、リンは疲れた様子で首を回した。
「城の雰囲気は、おれら庶民には重すぎるよなー」
呑気な様子でそんな相槌を打つテッド。
そちらをじろりと見やって、リンは問うた。
「じゃあ、なんでよ」
「なにが」
きょとんとするテッド。
リンは苛々した様子で、続けて問う。
「なんで、魔王退治に行こうなんて思ったの」
「なんでって……」
テッドはまさかそんなことを問われるとは思わなかった、という様子で口ごもった。
「…大変だろ?姫様が魔王にさらわれちゃったんだぞ?」
「あんたね…」
まるで子供のような回答に、半眼になるリン。
「わかってんの?もうこれまで5人も、返り討ちにあってるのよ?」
「おれだって新聞くらい見るよ、それくらい知ってら」
「じゃあ、あんたが6人目になるかもしれないことくらい、想像つくでしょ」
「おまえなあ、そういう縁起でもないこと言うなよ。これから出発するって時に」
「あたしは事実を述べてるまでよ。あんたが魔王に負けない保障なんてどこにもない。
だから、なんで、って訊いてるの。そこまでして国に尽くさなきゃいけない立場でもないでしょ、あんたは」
「立場、って……国の為に出来ることをするのは当たり前だろ」
「へーえ?あんたがそこまで忠義心あふれる男だったなんて、長い付き合いなのに全然知らなかったわあ」
リンはわざとらしく抑揚をつけて言った。
「なんだよ、おれが国のためになんかしちゃおかしいって言うのかよ」
「そんなこと言ってないでしょ」
「言ってるよ」
「あたしはね!」
リンは足を止めて、テッドを指差した。
「嘘の理由に命を賭けることは出来ない、って言ってんの!」
リンの言葉に、ぐっと声を詰まらせるテッド。
リンは射るような視線で彼を見つめ、続けた。
「あんたが6人目になるかもしれないってことはね、あたしも一緒に死ぬかもしれないってことよ?
それなのに、国のため、なんて、そんな上っ面の理由で付き合ってなんかいられないわ」
「上っ面って、おまえ…」
「あたしは18年間あんたっていう人間を見てきて、あんたが名声だの忠義だのに興味ないってことは知ってんのよ。
もちろんあたしだって魔法の腕には自信があるし、ただで死んでなんかやらないけどね?
けど、これから一緒に命賭けようって人間に、本心でない動機を語って聞かせるその根性が気に食わないっつってんの」
「っ……」
テッドは再び言葉に詰まり…そして、諦めたようにため息をついた。
「…わかったよ。リンに嘘はつけないな」
肩を竦めてそう言って。
まだしばし逡巡した後、少し恥ずかしそうに、言った。

「…だって。可哀想だろ、お姫様が」

「は?」
ぼそりとつぶやかれた言葉に、眉を顰めるリン。
テッドはヤケになったように言い返した。
「可哀想だろ!魔王に連れてかれて、魔物だらけの城に、もう1年も閉じ込められてんだぞ!
家族にも会えないで、どんな目に遭わされてるかわからない。可哀想だと思わないのか?!」
「あ、いや、そりゃ……可哀想だと思うけど…」
半ば呆然と、リンはそれだけ言葉を返した。
「…ちょっと、意外で。そんなに、あんたに姫に対する思い入れがあったなんて」
生まれも育ちも庶民の二人にとって、王族などというものは遠い存在だ。
リンの言葉に、テッドは再び逡巡し、しかし仕方なさそうに語り始めた。
「子供の頃に、さ。大きな祭りがあっただろ」
「大きな、祭り?」
「ああ。何の祭りだったか…小さかったから覚えてないけど、たくさん店が出てて、大道芸人や楽団が街中にいて…」
「ああ、王国千年祭ね。懐かしいわ」
リンはすぐに思い当たった様子で頷いた。
「で、その千年祭がどうしたの?」
「おれ、その祭りで、姫様と一緒に遊んだんだよ」
「は?」
再び眉を寄せるリン。
「姫様って、確かおれたちのいっこ下だろ?多分その頃は、城から出ちゃいけないとか、そういうのあんまり判んなかったんじゃないかと思う。楽しそうなことやってるから、見てみたかったんじゃないのかな」
「お忍びで、出てきちゃったってこと?」
「ああ。おれもガキだったから、祭りの雰囲気で浮かれて、名前も知らない子と1日中遊んでたんだ。夕方になって別れて…次の日に国王のパレードを見てびっくりしたよ。昨日遊んでた女の子が、国王様と一緒にいる!ってさ」
当時の驚きと高揚感がよみがえってきたのか、楽しそうに語るテッド。
リンは対照的に、眉を寄せて嘆息した。
「へぇ、初耳だわ。そんな思い出があったなんて」
「だってお前あのとき、親父さんの魔法ショーに駆り出されてて忙しかっただろ」
「そういえば……」
幼い頃から魔法の才能を開花させていたリンは、父の、宣伝をかねた魔法のショーに祭りの間中つき合わされていたのだった。
テッドは気を取り直して、話を続けた。
「それから、姫様とは会ってない。けど、たった1日の間でも、おれにとっては姫様は大切な友達なんだ。
辛い目にあってるなら、助けてやりたい。命を賭けることになっても、おれは友達を助けたいって思うんだよ」
「テッド……」
彼の言葉は、さきほど語った理由よりずっと、真摯で説得力があった。
「けど、こんな理由でリンをつき合わせるのも、何か悪い気がしてさ……国のため、ってでかいこと言ったほうがいいかなって思ったんだ。やっぱ、似合わないよな、おれがそんなこと言うのさ」
再び恥ずかしそうに言うテッドに、リンは仕方なさそうに苦笑した。
「そうね、あんたには似合わないわね」
「うっ……」
とどめをさされてうつむくテッド。
が。

「国のため、なんて訳わかんない理由より、たった1日だけの友達を助けるため、っていう方が、ずっとあんたらしいわよ」

リンの言葉に、テッドは驚いて顔を上げた。
満面の笑顔を返すリン。
「しょうがないわね。あんたの友達なら、あたしも助けないわけには行かないでしょ。
いいわ、つきあってあげる」
「リン……!」
「この貸しは高くつくわよ?」
「うっ……ま、まかせとけ」
「あはは、よく言った」
リンは陽気に笑って、街の方を指差した。
「さ、そうと決まれば、買い出しよ。せっかく支度金もらったんだし、準備は万全に整えていかなくちゃね」
「おう!」
テッドが力強く頷き、2人は意気揚々と歩き出した。

結局のところ。
地位にも名声にも興味のないこの幼馴染が、魔王討伐などと言い出した理由は、彼もまた、姫君のためであった、ということだった。
姫君を奪還して婿の座に収まり、いずれは次期国王に、などということを考えていたわけではなかろう。彼はひたすら、浚われた姫君の身を案じていた。
それも、幼い頃のたった一日の初恋の為に、などと。
なんとも、彼らしい話ではないか。

リンは清々しい気持ちで空を見上げた。

幼い頃から抱き続けていた想いに、自分の手で終止符を打つことになっても。
彼の願いを叶えることが出来るなら、それもいい、と。

03:Mission or Request

「でやあぁっ!」
ざし。
ぐぎえぇぇぇっ。
テッドの一撃で、3メートル近くある大トカゲは断末魔の悲鳴を上げ、そのままどさりと崩れ落ちた。
はあ、はあ。
肩で息をするテッドの前に倒れたトカゲはピクリとも動かない。
ふう。
テッドは安心したように息をつくと、剣を一振りしてトカゲの血を払い、鞘に収めた。
「お疲れ。大丈夫?」
攻撃魔法を放った後は後衛でテッドの援護をしていたリンが駆け寄ってくる。
テッドは振り返って笑った。
「おう、平気平気。ちょろいもんよ」
「ばーか、見栄張ってんじゃないわよ」
ぺし。
「いてえっ」
左のわき腹をリンが叩くと、テッドはとたんに背を丸めて悲鳴を上げた。
「さっきからかばってんの判ってんのよ。ほら、治してあげるから」
「ったく、なんでバレるかなー…」
「あたしに隠し事なんて10万年早いのよ」
リンは言いながらテッドのわき腹に手をかざし、回復魔法をかけ始めた。
体中に浸透していく暖かい光を感じながら、洞窟の中を見回すテッド。
「これで…最後、かな」
「そうみたいね」
テッドの呟きに、魔法をかけ終えたリンが答える。
近くの農村で頼まれた、洞窟に住む大トカゲたちが凶暴化し村を襲いに来るので退治して欲しいという依頼。
やってきてみれば、どこから沸いて出てくるのかという量の大トカゲ。一匹一匹はたいした強さではないが、とにかくその量が曲者だった。倒しても倒しても次がやってくる。洞窟の奥に追い込んでまとめて凍りつかせたり、逆に分散させてテッドに一匹ずつ確実に仕留めさせていったりと手を尽くし、ようやく今最後の一匹を倒したところだった。
「でも、これであの村の人たちも安全だな。早速、報告しに行ってやろうぜ」
「それはいいけどさあ」
リンは呆れたようにテッドに言った。
「あんた、こんなに寄り道ばっかりしてて、いつ魔王の城に行くつもりなのよ?」
「寄り道っておまえ、そういう言い方ないだろう」
不服そうに言うテッド。

そうなのだ。
このバカがつくほどお人よしの剣士は、魔王にとらわれた姫を救い出すという使命を背負って旅立ったにもかかわらず、行く先々でこうした頼みを引き受けては遠回りして解決していっているのである。

「あたしはその内、魔王を倒しに行ってるんだってことも忘れるんじゃないかとヒヤヒヤするわ」
「おま、いくらおれでもそこまで忘れるわけないだろ」
「どーだか。寄り道しすぎて、そのうち寄り道がメインになっちゃうんじゃないの?」
「だっておまえ、可哀想じゃないか、村の人たちが。ほっとけないだろ」
これだ。
リンは再び、半眼でテッドを見やった。
姫を救い出すのも「可哀想だろ」。困った人を助けるのも「可哀想だろ」。確かに村人は困っているだろう、憔悴した様子で必死に頼まれて断れないのも判る。
が、可哀想だ可哀想だと言いながら誰の頼みも引き受けていたら、きりがないではないか。テッドの体は1つしかないのだ。それで肝心の姫のところに辿り着けないようなことがあれば、本末転倒である。
「…まあ、ほどほどにしておきなさいよね?姫のところに着いたらもうおばあさんになってましたーなんて、シャレにもならないわ」
「んなわけあるかっつーの」
リンの嫌味に口を尖らせて、テッドはリンが治した傷を確かめるように腕を振った。
「でも、コイツはそろそろお役御免かもなあ」
そうして、その腕の下にある剣に目をやる。
旅に出る前から愛用してきた剣は、何十、何百もの魔物を切り裂いてきたおかげでかなり疲弊しているようだった。刃こぼれも酷く、強度にも不安がある。
「報告ついでに、腕のいい鍛冶屋でも紹介してもらいましょうかね。強い剣の噂でもいいし」
「だな。こんな剣で魔王に突っ込んでったら、魔王に失礼だよ」
冗談めかして言って、ははっと笑うテッド。
リンは半眼で、ばーか、と悪態をついた。

「ありがとうございます、本当にありがとうございます!」
戻ってきた村で、二人に依頼をした村長は涙ながらに礼を言った。
「これでもう毎夜毎夜、村を荒らされる恐怖におびえながら暮らすこともなくなります!いやあ、本当にありがとうございます!」
「大したことないですよ」
テッドはこんなに礼を言われて却って申し訳ないというように苦笑した。
「それで村長さん、私たち、鍛冶……」
「いやあすばらしい!あれだけの魔物を倒す力をお持ちでありながら、このような辺境の村の難も逃さず解決される!力だけでなく、素晴らしい人徳もお持ちなのですな!」
「いや、それはいいんで、剣……」
「あなたのような方を、まさに勇者と言うのでありましょうなあ!私はあなた方をこの村に導いた神に改めて感謝を申し上げたい気持ちです!」
「だからね…」
リンが剣に関する情報を訊こうとするが、村長は自分の語りに夢中で全く聞いていない。
リンは嘆息して、仕方なく彼の話が終わるのを待とうとした。
「いや、あなた方を導いたのは神ではなく、かつての勇者様が残された剣のおかげかもしれませんなあ!さすがは…」
「…っっ、ちょっと待って!」
これはさすがに聞き流せず、リンは村長に詰め寄った。
「はっ、はい?」
リンの剣幕に驚いた様子で答える村長。
「勇者が残した剣…って、言ったわね」
もはや敬語も抜けているリン。
「は、はい」
村長は気圧された様子でかくかくと首を振った。
「この村に…勇者が使っていた剣があるの?!」
「え、ええ…そう…言い伝えがありまして……」
村長の言葉に、リンはにっと微笑んだ。

「詳しく聞かせて!」

04:Ghost or Guardian

その昔。

世界を闇で覆いつくした悪しき魔王を倒した勇者は、魔王を討った聖剣を、共に戦った魔道士に密かに託したという。
魔道士は王都を離れ、聖剣をこの地に封印した。
いつかまた悪しき魔王が現れた時に、正しき者の手にこの聖剣が渡るように、と。
魔道士は剣と共にこの地に眠り、邪な心でこの剣に近づく者に罰を与えながら、この聖剣の次の担い手となる者を待っているのだ。

「っていう、話だけど…」
「確かに、それっぽい祠よね…」
村長に場所を聞いてやってきた、聖剣の眠る祠。
その前に立ち、2人は神妙な表情で入り口を見上げた。
どこか神殿のような雰囲気のある入り口である。いかにも、勇者の残した聖剣を祀っていますという感じの。
「この辺にそんな聖剣が眠ってるなんて…聞いたことないけどなあ」
半信半疑の様子のテッド。
「密かに託した、っていうなら、王都の方にその話が伝わっていなくても不思議じゃないけどね」
そう言いつつも、リンもそれが事実だとは思っていないような口ぶりで。
「まあ、でも確かに、あの村に立ち寄った『自称勇者』が、この祠に眠る剣を取りに行って、そのまま帰ってこなかった、っていう話は、十何年に1回くらいであるみたいだし。
勇者の残した聖剣を魔道士が封印している、という話通りでないとしても、ここに何かがあるのは確かだと思うわよ」
「何かって……」
「…まあ、例えば、聖剣があるという噂を流して寄ってきた力のある戦士を狙ってるモンスターとか」
「おい……」
「可能性の話よ。もしかしたら本当にすごい剣が眠ってて、持ち主に相応しい力量かどうかを試す番人がいるのかもしれないでしょ?」
「まあ、どっちにしろ踏み込んでみるしかなさそうだな」
表情を引き締め、テッドは拳で手のひらを打った。
リンはそれを面白そうに見やる。
「気をつけなさいよ?邪な心の持ち主は罰を与えられるそうだから」
「誰が邪な心の持ち主だよ」
「……あんた、こないだうちの店に置いてあったいただき物のリンゴ、パクって食べたでしょ」
「げっ。知ってたのか」
「後で食べようと思って取っておいたのに。時間帯から考えてあんたしか犯人いないのよ。
まったく、勇者が聞いてあきれるわぁ」
「い、いいだろそんくらい!つか、おまえだってこないだ回ってきた掃除当番、サボって名前だけ書いて次渡したろ!」
「なっ……何であんたそんなこと知ってんのよ!まさか一日中見てたわけ?!相当ヒマ人ね!」
「なにおー!」

2人のこの不毛なやり取りは、小一時間続いた。

「…結構深いわね……」
「ああ……これ、全部その…剣を封印した魔道士が作ったのかな?」
「奥にいるのが魔道士とは限らないけどね…」
薄暗い通路をリンの明かりの魔法で照らしながら、2人は注意深く祠を奥へ奥へと進んでいた。
祠は、内装もどことなく神殿のようなつくりになっている。村長の話を聞いていなかったら、普通に遺跡だと思って入っていたかもしれない。光に照らされた壁は年月の残酷さを知らしめるようにカビやコケに覆われ、ところどころひび割れていた。
分かれ道などはなく、ひたすら奥へ奥へと続く道。永遠に続くのではないかと思い始めた頃、唐突に明かりの魔法が広がり、開けた空間に出たことを知らせた。
「ここか…?」
「待って」
足を踏み入れようとしたテッドを押し止め、光の玉を先行させるリン。
光は広い空間を照らし出し、中の様子を浮き上がらせた。
神殿の祭壇のような、四角く整えられた広い空間。
その中心にある何かが、光を反射してきらりと輝く。
「あれは……」
「剣、みたいね」
少し離れたところにあったが、その輝きはまぎれもなく剣のようだった。時の流れを感じさせるこの祠の中で、まるでついさっき研ぎ直したかのような清らかな輝きを放っている。
「行ってみようぜ」
「あ、ちょっとテッド!」
早速足を踏み入れたテッドを、リンは慌てて追いかけた。何かの罠でない保証はないのだ。
うかつに触れるな、と言おうとした時には、もう遅かった。

テッドが剣の側に立ち、手を触れようとした、その瞬間。

ぱあ、とまぶしい光が部屋中を照らした。

「……っ!」
目を焼かれるかと思うほどの強い光に、思わず目を閉じるリン。
ほどなく、どさ、という音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると。
「……っ、テッド!」
剣のすぐそばに倒れていたテッドの姿を見て、リンは慌てて駆け寄った。
が。

ばちん!

体を貫くような強い衝撃が、リンの体を跳ね返す。
「……っ、なに……?!」
リンはよろめいた体を何とか立て直し、テッドの方を見た。
床に倒れ伏すテッドの向こうに、剣を掲げた台座が見える。
「……!……」
ぼう、と。
その台座の傍らに、淡い光が見えた。
人ほどの大きさの……否。
その光は、人の形を取っていた。
背丈は、リンと同じくらいだろうか。
長い髪に、華奢な体つき。風が吹いている訳でもなかろうに、ひらひらとなびく魔道士のローブ。
「剣を守る……魔道士……?!」
リンが呆然として呟くと、淡い光……魔道士は、彼女の方を向いた。

『この剣が…欲しいの…?』

音でなく。
心に直接響く『何か』で、彼女はリンに語りかけた。
リンは驚きに目を見開いたが、すぐに、きっ、と魔道士を睨む。
「…テッドに何をしたの」
『今は、わたしが質問しているの』
魔道士は淡々とした思考波
「……その通りよ。あたしたちは、その剣を取りに来たの」
『…どうして?』
「は?」
『どうして…この剣が、欲しいの?』
「どうしてって……」
リンは困ったように眉を寄せた。
「…もっと強い剣が、欲しいからよ。魔王を、倒すために」
『魔王……』
呟くように、魔道士。
『…この剣を使うのは……彼…?』
言って、テッドを見下ろす。
リンは頷いた。
「そうよ。彼が使命を果たすために、この剣が必要なの」
すると、魔道士は再びゆっくりとリンに顔を向けた。
『……あなたは……それでいいの?』
「は?」
質問の意味がわからず、眉を寄せるリン。
魔道士はさらに言葉を続けた。
『……彼が、この剣を使って魔王を倒し…使命を果たして…あなたは、それでいいの?』
「意味わかんないわ」
リンはとげとげしい口調で言って、肩を竦めた。
「テッドの願いなら、それはあたしの願いよ」
『そう……』
くす、と。
彼女が笑ったような気がした。

ふわり。
魔道士が手を上げて、ローブの袖が優雅に空を舞う。
『見せてあげる』
言って、彼女は手の平をリンに向けた。

『あなたの、未来の姿を』

05:Past or Future

こちらに向けた魔道士の手の平がまばゆい光を放ち、リンはまたとっさに目を閉じた。
「…っ……!」
と同時に、びゅう、と風の音。
風など吹き込まぬ祠の最奥で何故、と、慌てて目を開けると。

辺りの景色は、一変していた。

広がる青空と、一面の草原。
正面には、城下町の門と聳え立つ王城。少し形は違うが、エセルヴァイスの王城なのだろうと判った。
そして、その王城の前には、一人の青年。
(テッド…?!………ううん、違う……)
テッドと面差しは似通っていたが、どうやら別人のようだった。穏やかな表情をこちらに向け、す、と腰元に手をやる。
かちゃ。
腰にかけていた剣の留め金を外すと、それを両手に取ってこちらに差し出した。
血のような汚れと傷にまみれた鞘が痛々しい。
よく見れば、彼の纏う鎧も同じように傷だらけで。
彼が、命を賭けた戦いを潜り抜けてきたであろうことが伺えた。
「持っていて、くれないか」
穏やかな声で、その戦士は言った。
「お前に、持っていてほしいんだ。最後まで、共に戦いを潜り抜けてきてくれた、お前に」

つきん。

そのセリフに、なぜか胸が痛む。
彼が何を言っているのか、全く判らないのに。
言葉を発しようとしても、上手く行かない。体が上手く動かない。
が。
す、と自分の手が上がるのがわかった。
自分の意思とは関係無しに、彼の差し出した剣を受け取る。
「……ありがとう」
これも、自分の意思とは関係無しに、勝手に声が出る。
「大切にするわ。あなたが魔王を倒した…その証だもの」
そこまで言って、リンは気づいた。

これは、あの魔道士の記憶なのだと。
この剣の持ち主であった勇者と共に戦い、魔王を打ち倒した魔道士の。
そして、勇者から剣を預かり、あの祠に封印した…

「ありがとう」
彼……勇者は嬉しそうに微笑んだ。
「ずっと持っていたいけど…俺は、もう戦いを離れてしまうから」
くす、と笑う魔道士。
「そうね、ゆくゆくは国を背負って立つ王様になる人だもの」
勇者は困ったような表情で頭を掻いた。
「ガラじゃないんだけどな、王様なんてさ。体を動かしてる方が性に合うし」
「何言ってるの。魔王を倒し、王女を救い出した英雄じゃないの。次の王に望まれるなんて、素晴らしいことだわ」

つきん。

軽い口調とは裏腹に、魔道士の胸が痛む。
判っていた。
これは魔道士の痛みであると同時に、リンの痛みでもあった。

「王女様を泣かせちゃダメよ?大切にしてあげてね」
「信用ないな。大丈夫だよ、幸せにする」
「あなたも」
「うん?」
意味を量りきれず、首をかしげる勇者。
魔道士は、精一杯の笑顔を浮かべて見せた。
「あなたも、幸せになってね」
「……ああ」
穏やかな笑みを浮かべる勇者。

つきん。

胸の痛みをごまかすように、魔道士は腕の中にある聖剣を抱きしめる。

これから、この人は救い出した王女と結ばれる。
自分の手の届かない存在になる。

だから、この剣だけは。

この剣は、勇者が自分だけに与えたもの。
王女にも、他の誰にも得ることができない、自分だけのもの。
自分が、勇者と共に命を賭けた証。
自分だけの。

この剣だけは、誰にも渡さない。
永久に封印して、誰の手にも触れさせない。

触れようとするものを皆、滅ぼしてでも。

誰にも 絶対に 渡さない

ごう。
再び突風のような音がして、リンは我に返った。
辺りの景色は、再び暗い祠に戻っている。
正面には聖剣が掲げられ、その傍らにテッドが倒れていて。

『……わかったでしょう?』

再び頭の中に響いた声に、リンはびくりと身を震わせた。
いつの間にか、あの魔道士の魂が傍らに近づいてきている。
おぼろげな光は先程よりくっきりと、彼女の輪郭を浮き上がらせていた。
ゆらゆらとゆれる長い髪。大きな瞳を戴いた丸く小さな顔は、可愛らしい部類に入る造形だろう。
いかにも魔道士然としたサークレットとローブ。
彼女は表情の見えぬ顔で、続けて言った。

『これは、わたしの過去…そして、あなたの未来』
「……っ」
リンは息を呑み、彼女を睨んだ。
『この剣で…彼は魔王を倒し、王女を救い出し…そして、王女と結ばれるのよ』
「……わかってるわ、そんなこと」
『…いいの?それで』
「いいに決まってるわ」
『嘘』
くす、と魔道士が笑う気配がする。
『わかるわ……彼が、好きなんでしょう?』
「……っ」
胸の内を言い当てられ、どきりとするリン。
『あなたが…どれだけ彼のために頑張っても。
命を賭けて戦って、彼の使命を手伝っても。
その使命を終えたとき……彼は永遠に、あなたの手の届かないところに行ってしまうのよ』
「…っ、わかって……」
『いいえ』
ふわり。
彼女の手が、リンの頬に触れるように近づいた。
『あなたはわかってない。
ただ、見ないふりをしているだけよ。
…かつてのわたしと、同じように』
「………っ」
『一緒に旅をする時間の分だけ、膨れ上がっていく気持ちも。
離れてしまう時の、体が引き裂かれるような痛みも。
彼を奪っていく女に向けてしまう、暗くどろどろした感情も』
「…………て」
『彼が幸せになれば、それでいい?
……綺麗ごとね。綺麗ごとでしかないわ。
本当は、彼を渡したくなくてたまらないくせに』
「……やめて」

『彼の望みが、自分の望み?
…でも、あなたの望みは、彼の望みじゃないのよ…!』

「やめて……!!」

リンは耳を塞いでしゃがみこんだ。

06:His dream or My desire

耳を塞いでも無駄なのはリンにもよくわかっていた。
そもそも魔道士は音で語りかけている訳ではないし、何よりそれ以上に。

耳を塞いだところで、目を逸らし続けていた現実が消えてなくなるわけではない。

『ただ、見ないふりをしているだけよ』

魔道士の言葉は、悲しいほど残酷に現実を言い当てていた。

『本当は、彼を渡したくなくてたまらないくせに』

それは、彼女が同じ経験をしてきたからに他ならないのだが。

『あなたの望みは、彼の望みじゃないのよ』
「わかってるわ、そんなこと!!」

リンは耳を塞いだまま絶叫した。
「あたしに何が出来るっていうのよ!相手はお姫様よ?!
下町の魔法屋の娘が、敵うわけないじゃない!!」

彼の力になりたかった。
幼い頃からの想いに、決着をつけたかった。
理由はたくさんあった、だが。

「それでも、一緒にいたかったのよ……!」

リンには確信があった。
テッドなら、きっと魔王を倒し、姫を救い出すことが出来るだろう。
彼の力量も、無欲な純粋さも、幼い頃から彼を見続けていたリンにはよくわかっていた。
彼は今までの、金と名声が目当ての『戦士』たちとは違う。
想いの欲目もあるだろうが、彼こそ『勇者』と呼ぶに相応しい人間だと思う。
だから、きっと魔王を倒し、姫を救い出すことが出来る。

そして、姫と結ばれ、ゆくゆくは王となって、伝説に名を残していくのだろう。

自分には手の届かない存在になってしまうのなら。
せめてそれまでは、彼のそばにいて、その存在を焼きつけておきたかった。

『わかるわ』

リンを労わるような魔道士の声が響く。
『わたしも、そう思ってた。彼が手の届かないところへ行ってしまうまで、精一杯一緒にいようって。
たくさん思い出を作れば、諦められるって思ってた』
自嘲するような響き。
『…でも、無理だったわ。あなただってそうでしょう?』
問いかけられ、顔を上げるリン。
魔道士の魂が、リンの顔を覗き込むように屈んでいた。
『一緒にいればいるほど、想いは膨らんでいくばかりだったわ。
諦めなきゃいけないってわかってるのに。諦めるのがどんどん辛くなるばかりなのに』
「……やめてよ……」
魔道士の顔を呆然と見やりながら、呟くリン。
魔道士は構わず続けた。
『想いを伝えることなんて出来なかった。
王女を助けるために命を賭けてる彼を困らせたくなかったし…それに、そう。わたしが敵うわけがないと思ってたから』
「……やめて……」
『何も言えないまま、どんどん強く、素敵になっていく彼をただ見つめ続けるしか出来なかった。
彼が命を賭けて戦う姿も、強敵を倒した後に見せる笑顔も、わたしのためのものじゃないってわかってるのにね』
「やめてって言ってるでしょ……!!」
リンは魔道士を振り払うように腕を振った。
しかし、腕はあえなく魔道士の体をすり抜け、空回りして体制を崩したリンは冷たい床に手をついた。
「……っ…」
はた。はたはた。
零れ落ちた涙が床に散る。

魔道士の言うとおりだった。
気持ちに決着をつけなくてはいけないとわかっていても、想いは強くなっていくばかりだった。
目的があるのに、困っている人々を見捨てられずに寄り道ばかりするテッド。
自分をかばって怪我をするテッド。
強敵を倒して、無邪気な笑顔を見せるテッド。
言いあいをしても、いつも最終的に自分に言い負かされてしまうテッド。
文句を言いながら、結局は自分を優先してくれるテッド。
一緒に旅をする日々を重ねるだけ、新たな彼の魅力に気づいていった。
寄り道ばかりすると彼を叱りながら、寄り道をしてくれることに密かに感謝していた。
それだけ、旅の終わりが遠のくから。
彼と共にいられる時間が長くなるから。

旅の終わり。
全てが終わる時。
考えたくなかった。考えないようにしていた。
それが彼の目的であり、必ず訪れる瞬間だとわかっていても。

考えてしまったら。
彼との別れを想像してしまったら。
自分ではない別の誰かと結ばれる彼の姿を思い浮かべてしまったら。

きっと、正気でいられなくなると思ったから。

魔道士の言葉は、その現実を生々しくリンにつきつけた。
心臓が押しつぶされるような痛みが胸に染み渡り、はたはたととめどなく涙が流れる。
は、と苦しげに息を吐いて、リンは顔を上げ、魔道士を睨んだ。
「なに、が、したいの…!」
勝手にしゃくりあげる肺のせいで、言葉が上手く紡げない。
「あたしに…どうしろっていうのよ……!」
すると、魔道士は心外そうに両頬に手を当てた。
『あなたを傷つけるつもりはないのよ。
あなたの願いをかなえてあげたいだけ』
「あたしの、願い…?」
訝しげに眉を寄せるリン。
魔道士の口元が、笑みの形に歪む。

『彼と、ずっと一緒にいたいんでしょう……?』

その手が、リンの首に伸びた。

07:My desire or Hers

ひやり。
実体のないはずの魔道士の手は、首元に触れるとなぜか少し冷たく感じた。
リンは動くことも出来ずに、近づいてくる魔道士の顔を呆然と見やる。
「な……に…?」
『彼と、一緒にいたいんでしょう?ずぅっと、一緒に』
言葉にならない呟きを漏らせば、魔道士はもう一度同じ言葉を繰り返した。
『簡単なことよ。彼を…閉じ込めてしまえばいい。ここに』
「なっ……」
魔道士の言葉に、目を見開くリン。
魔道士は続けた。
『彼の記憶を少し操作して。彼にさっき見せたのと同じ類の幻を見せて。
「魔王退治なんかには出なかった」偽の記憶を植えつけて、ここであなたと2人、ずっと暮らしていればいい』
「そんな…こと」
『わたしなら出来るわ』
魔道士の思念波によどみはない。
『魂だけの存在になって、わたしは大きな力を手に入れた。
あとは…その力を使う「器」があればいい』
「……器?」
おうむ返しにリンが問うと、魔道士の口元がにっと歪んだ。
『あなたのことよ』
「……あたし……?」
『あなたの魔力とわたしの魔力を合わせれば不可能じゃない。
ずっと彼と2人、ここで暮らしていけばいいわ』
誘うように語りかける魔道士。
リンはそれを呆然と見つめたまま、力なげに首を振った。
「ダメよ…そんなこと、できな……」
『このまま旅を続けて、いいの?』
リンの言葉を遮って、魔道士。
『このまま旅を続けて、彼が魔王を討って、姫を救い出して。
彼が姫と結ばれて、手の届かない存在になってしまって、それでいいの?』
「……っ、やめてよ……」
俯いて力なく首を振るリン。
魔道士はなおも言い募った。
『自分の気持ちに素直になって。何故あなたが我慢する必要があるの?
絶対後悔するの。わたしには…わかるわ』
限りない同情の念が、魔道士から伝わってくる。
リンはのろのろと彼女を見上げた。
『いつ来るかわからない「終わり」に怯えることなんかない。
彼はずっと、あなたを見ていてくれるのよ。
あなただけを』
ぐらぐらと。
自分の心が揺れる音が聞こえたような気がした。
間違っている。理性ではわかっている。そんなことに意味などない。
だがその理性を覆すほどに、魔道士の言葉は甘美な響きでリンを惑わした。
『彼のことをずっと見てきたのも、彼を誰よりも好きなのも、あなたでしょう?
あなたが、彼にとっての「姫」になるの…
あなたには、その権利があるはずよ』
魔道士の手が、リンの頬を包み込むように触れた。
「あ……たし……は…」
どこか違う場所に自分の意識があるような、妙な錯覚が襲う。
『…ね?力を貸してあげる…
あなたの願いを……叶えたいの』
「…あたしの……願い……」
『ええ。あなたの…本当の願いを』
「ほんとうの……」
魔道士の言葉をうわごとのように繰り返して。
「……あたし……」
自分の意思とは違うところで、口が勝手に動く。
是、の返事を返すために。
止めなくてはならない、という意志すら、痺れて動かなくなっていた、そんな気がした。

が、その時だった。

「リン!」

鋭い声がそれを遮り、緩やかな痺れに浸かっていたリンの意識は一気に引き戻された。
と同時に、自分が置かれていた状況が鮮やかに目の前に広がる。
「なっ……!」
おぼろげな光に見えていた魔道士の姿は、おぞましく蠢く軟体動物のような実体をもって、その触手をリンの四肢に巻きつけていた。
「なにこれ……っ!」
慌てて手足を動かそうとするが、がんじがらめにされた体は腕を振り上げることすらままならない。
『……結構、強力な眠りの魔法をかけたのにね』
魔道士だった何かは、かろうじて首に見えるものを斜め後ろに向けて、淡々と言った。
その先には、床に倒れ付しながらも顔だけをこちらに向けているテッドの姿があった。
片手を床につき、落ちそうになっている意識を無理に引き止めているような、苦しげな表情で。
「テッド……!」
リンは叫んで体を動かそうとしたが、やはり動くことは出来ない。
魔道士だった何かの首が再びゆっくりとリンの方を向いた。
『無駄よ』
その思念波は、先程までリンに語りかけていたものと寸分違わない。
魔物が魔道士の振りをしてリンを惑わしたとも取れるが、しかしリンは確信していた。
『これ』は、確かにあの魔道士だ、と。
かつて勇者と共に魔王を打ち倒し、自分がそうするつもりであるように勇者が姫と結ばれるのを見守り、しかしその想いの強さゆえに次第に心が歪んでいき、死して後、異形にその身を変えてしまったのだと。
「くっ……!」
リンは体を動かすことが出来ないまま、魔道士であった何かを睨みやった。
『…彼、あの人に似てるわ』
魔道士の思念波が、また語りかけてくる。
彼、とはテッドのことだろう。あの人、とは…おそらくは、彼女が思いを寄せていた勇者のことだ。
先程の幻の中の勇者が、テッドに少し面差しが似ていたことを思い出す。
『あなたがやらないなら……わたしが、あなたの体をもらう』
「なっ…」
魔道士の言葉に、リンは目を剥いた。

『あなたの代わりに、わたしが彼とずっと一緒にいてあげる……!』

ぎゅう。
その言葉と共に、リンの首に巻きついていた触手がきつく彼女の首を締め上げた。

08:Love or Sorrow

「ぐうっ……!」
苦しげに表情を歪ませるリン。
彼女の体を貰うと言っていたからには殺しはしないだろうが、意識を失ったら間違いなく体を乗っ取られる。
意識を失うわけにはいかない、という思いとは裏腹に、目の前がどんどん暗くなっていった。
「リン……!」
苦しげなテッドの声。
かすれていく視界の片隅で、彼が必死に立ち上がろうとしているのが見える。
『もう少し…寝ていてちょうだい』
魔道士がそちらに首を向け、何か術をかけたのが判った。
がくり、ともう一度肘をつくテッド。
リンの視界もどんどんかすれていき、意識が薄れていく。

が。

「…っつぁああああ!」

悲痛とも聞こえるテッドの叫びが、少しだけ意識を引き戻した。
どうにかそちらに目をやれば、よろよろと立ち上がるテッドの姿。
その左腕からは、ぼたぼたとおびただしい量の血が流れ落ちている。
魔道士の術から逃れるために、自らの剣で自らの腕を切り裂いたのだ。
(あの……バカ……!!)
薄れ行く意識の中で、妙にはっきりとそう思う。首を締め上げられていなければ、声に出していたに違いない。
「リン……を……」
かたん。からから。
テッドは低い声で呟いて、手に持っていた愛用の剣を床に落とした。
そしてそのまま、傍らに掲げてあった聖剣の柄に手をかけた。
ちゃき。
まるで十年来の使い手であるかのように、ごく自然にその剣を構えると。
たっ、と、こちらに向かって駆け出す。

「リンを、はなせーーーーっっ!!」

ぞす。
何か硬いものに刃が埋まる、嫌な音が響いた。
魔道士だったなにかの背中に、深々と勇者の聖剣が突き刺さる。
きいぃぃぃぃぃぁぁああああ。
金切り声のような悲鳴が響き渡り、リンの四肢を拘束していた触手の力が緩んだ。
どさ。けほ、けほけほ。
解放されて床に膝をつき、咳き込むリン。
しゅううう、という音と共に、彼女を戒めていた触手が塵と化していく。
「………」
リンは黙って、その姿を見上げた。
愛しい男の剣を突き立てられ、彼女は何を思うのだろう。

『……それで、いいの?』

再び響いた魔道士の思念波に、息を飲む。

『自分の気持ちに…素直になって。…あなた、絶対後悔するわ……』

その言葉は呪いのように、リンの心に染み渡った。

『……わたしには、わかる……』

からん。
彼女の体が完全に塵と化し、その背に突き立てられていた剣が乾いた音を立てて床に落ちる。
「リン!」
テッドが叫んで駆け寄ってきて、リンはようやく我に返った。
「大丈夫か!」
リンの傍らに膝をつき、肩をわし、と掴んで顔を覗き込む。
リンはその真剣な瞳を見つめ返し、気圧されたように浅く頷いた。
「…っ、だ、いじょうぶ……」
その言葉に、心底安心したように相貌を崩すテッド。
「良かった……!」
彼女の無事を喜ぶ、単純で…純粋な、笑顔。
彼女の肩を掴む左腕からは、今もなお血があふれ出していて。

きゅう、と。
先程首を絞められた時よりも強い苦しみが、リンの胸に広がった。

「リン?」
胸を押さえて俯いたリンを、慌てて覗き込むテッド。
「どうした、やっぱどっかケガしたのか?」
顔を上げ、心配そうな表情を見返して、リンは苦笑した。
「…大丈夫。それよりあんたのケガの方が大変でしょ。ほら、腕出して」
出してと言いつつテッドの血まみれの左腕を掴んで引きよせる。
「いってえ!」
「当たり前でしょバカ!ったく、もうちょっと考えて行動しなさいよね」
いつもの調子で言って、回復魔法をかけて。
テッドは不服そうに口を尖らせた。
「しょーがねーだろ、あのまま眠るわけにはいかなかったんだからよー」
「だからってもうちょっとやり方があったでしょうが。ホント単細胞なんだから…ほら、できたわよ」
ぽん。
傷跡も残さず回復した腕を叩いて、立ち上がる。
「その剣。どうやら、本当に勇者の残した剣みたいよ」
「そうなのか」
同様に立ち上がり、床に落ちた剣を拾うテッド。
「どうりで使いやすいと思ったよ。持った瞬間、体が軽くなるみたいな感じがした。腕の痛みも全然気にならなかったし」
割と大きな剣を片手で軽々と持ち、軽く素振りをしてみる。ひゅ、と空を切る鋭い音がした。
「守っていた魔道士は…長い時の中で魔物化してしまったようだけど」
少し辛そうに俯いて、リンは言った。
「…でも、その剣で彼女を倒したあんたなら、その剣を使う資格があると思っていいんじゃない?
せっかくだし、もらっちゃいなさいよ」
「いいのかなあ」
「いいっていいって。魔王退治のために使った方が勇者も喜ぶでしょ。
鞘がないから…街に行って、鞘だけ仕立ててもらわないとね」
「そうだな」
テッドは剣の振り心地を確かめるように、もう2、3度振った。
「じゃあ、早速行くか」
「そうね」
言って歩き始めてから、はた、と足を止めるテッド。
「…そういや」
「何?」
「その魔道士って、女だったのか?」
「え?」
きょとんとして問い返すと、テッドは不思議そうな表情で続けた。
「だっておまえさっき、『彼女』って言ったろ。聞き流したけど、魔道士って女だったのかなって。
あんな化けモンだったし、おれ性別なんてわかんなかったからさ」
「……あんた」
リンは呆然として訊き返した。
「聞こえなかったの…?」
「なにが?」
「………そう」
あの魔道士の『声』は、どうやら自分だけにしか聞こえなかったらしい。
それは、彼女も魔道士で精神感応力に優れていたからか、それとも……
「なんだよ、一人で納得すんなよ」
また不服そうに言うテッドに、リンは面倒げに手を振った。
「あーはいはい、そうなの。女だったの。女同士だからわかるのよ、以上」
「おまえ、おれがわかんねーと思って適当に言ってるだろ」
「いいでしょどうでも。女だった、その事実で十分じゃない」
「まあそうだけどよ……でも、可哀想だな」
「?」
リンが首をひねると、テッドは痛ましげに視線を逸らした。
「…女の人、なのにさ。あんな化けモンになっちまって。
……可哀想だな」
「っ……」
リンは返す言葉を失った。

ほんとうに、このひとは、どこまでも。
どこまでもまっすぐで、そして、優しい。
自分に害をなした存在にさえ、限りない同情の気持ちを向ける。
たった一日を共にしただけの、初恋の姫にも。
旅の途中で立ち寄っただけの、困り果てた村人にも。
…敵に捕らわれ、危機に陥った仲間にも。
同じように心配し、同じように命を賭け、同じように無事を喜び、同じように不幸を嘆く。

自らの腕を切り裂いて救い出したとしても、それは決して特別なことではないのだ。

『彼が命を賭けて戦う姿も、強敵を倒した後に見せる笑顔も、わたしのためのものじゃないってわかってるのにね』

蘇ってきた魔道士の言葉を振り切るようにかぶりを振って。
「…早く、出るわよ。こんな所」
前を歩いていたテッドを追い抜いて、足を速めた。
「あっ、おい、リン!」
慌てて後を追ってくるテッド。
しかしそちらは振り返らずに、リンは厳しい表情で前を見つめ、無言で足を進めた。

あの魔道士は、果たして彼女の言うとおり、未来の自分だった。
このまま行けば、自分は確実に彼女と同じ運命をたどる。
嫉妬という醜い感情から逃れられず、異形にその身を変えてしまうかもしれない。
それは、いずれ訪れる確実な未来のヴィジョンとして、リンの心に重くのしかかった。

これ以上。
これ以上、彼を好きになっては、いけない。

自分に言い聞かせるように、強くそう思いながら。

リンは、初めて、この旅に出たことを後悔していた。

「Princess orMagician」本編です。23章あるものを3分割しました。
詳細はすべてのあとがきで語りますが、もともとは私が昔出したクロノトリガー本のルッカを主人公にした漫画です。SSにもしてます。
「PRINCESS OR MAGICIAN」
これを基にした一次創作なので、1.5次創作、みたいな…?w一応オリジナルだと言い張りますw
ひとまず最初は、冒険に出てからリンが最初に(最初にw)いじめられるまで。まだまだ続きます。