「ミルカちゃんてさあ」
「はい?」

唐突に声をかけられて、整理していた書類から目を上げる。
声の主……ミリーも同じように書類を整理していたが、こちらは書類から目を上げずに、続けた。
「何で、魔道士になりたいって思ったの?」
唐突な質問に、きょとんとする。
「なんですか、いきなり」
「いいじゃない。退屈な仕事の合間にお話くらい。ほら、話しながらでも分類は出来るでしょ、手を止めない」
「はいはい……」
ていうかこれはあなたの仕事なんですけど、と思いつつ、言っても仕方が無いので作業を再開するミルカ。
放課後にいきなり呼び出されたと思ったら、机に山と詰まれた書類の分類整理を命じられた。何でわたしが、と思いつつも、この学校の校長であり、しかも恋人の義母であるこの人に逆らえるはずもなく。
しぶしぶ作業を手伝っていたところに、唐突にそんなことを聞かれたのである。
「で?」
「はい?」
「はいじゃないでしょ、さっきの質問聞いてた?」
「ああ、何で魔道士になりたいと思ったか、ですか?」
「そう」
「フィズから聞いてないんですか?」
「あの子があたしにミルカちゃんのプライベートをほいほい話すと思う?」
「……思いませんけど」
「それとも、あまり聞かれたくない話?ならやめるけど」
「別に、そういうわけじゃ…」
「じゃあいいじゃない。聞かせてよ」
ちらりとこちらを見やるミリーの瞳は、いつものからかうような調子でなく純粋に好奇心からの光を宿していて。
ミルカは嘆息して、話し始めた。
「…別に面白い話じゃないですよ?」
「別に面白い話を期待してるわけじゃないわよ」
「…昔、わたしの住んでた町が魔物に襲われたことがあったんです。
その時に、通りがかった魔道士の女性が、それを助けてくれたの」
「へえ」
気の無い相槌を打つミリー。
ミルカはそちらにちらりと目線をやって、すぐに書類に目を戻した。
「すごかったんですよ。広場いっぱい位にいた魔物を、魔法で次々と倒していくんです。魔物はその人に傷をつけるどころか、近づくことさえ出来なかったわ。
逃げ遅れた人たちもテレポートで助け出して、怪我をした人たちの治療をして…壊された町を直す手伝いをしてくれて」
書類を分類しながらも、語るその目はだんだんと輝きを増していく。
「奇跡だわ、って思ったんです。ただすごい魔法を使うだけじゃない、これだけたくさんの人を助けて、その心を動かせる…こういうのを奇跡って言うんだな、って。
それで、わたしもこんな風に…奇跡を起こせるようになりたい、魔道士になりたいって、思うようになったんです」
「ふうん」
今度は先程より興味深そうな相槌を打って、ミリーはミルカを見やった。
同じように書類から目を上げたミルカと、目が合う。
「…わたしに出来る訳無いって思ってるでしょ」
「やあだ、誰もそんなこと言ってないじゃない」
半眼になるミルカに、ミリーははじかれたように笑い出した。
「いいんじゃない?目標になる人がいるのはいいことだわ。
その魔道士は、ミルカちゃんの憧れの人、なのね」
「そう……ですね。あんな魔道士になれたら素敵だな、って思います」
僅かに頬を緩めるミルカ。
ミリーはそちらを見て、ゆるやかに微笑んだ。
「あたしにもね、憧れの人がいたのよ」
「えっ」
ミリーの言葉に、ミルカはふたたびきょとんとして彼女を見返した。
「なあにそれ。あたしに憧れの人がいちゃ悪い?」
「い、いえ、そういうわけじゃ」
憧れの人うんぬんと言うより、ミリーが自らの話をするということ自体が珍しい。
どういう風の吹き回しだろうとは思ったが、興味はある。ミルカは話の続きを促した。
「どういう人、だったんですか?」
「それがねえ、あたしより年下なのよ」
「へえ」
「あたしね、小さい頃から割と何でも良く出来て、親にも良く誉められたし、神童とかもてはやされてね。
入った学校でも、入学試験の最年少・最高得点記録を作ったりして、自分でも自分を誇りに思ってたし、あたし以上に能力のあるやつなんているわけないって思ってたわ。割と本気で」
「あー……そうですか…」
再び半眼になるミルカ。
この人の傲岸不遜さは天然のものだったのかと、微妙な気持ちになる。まあそれも、実力が伴っての自信なのだろうけれど。
「でもね」
ミリーはくすりと鼻を鳴らすと、肩をすくめた。
「あたしより何年も後に入ったその子は、あたしの記録を軽く塗り替えて見せたわけ。最年少記録も、最高得点記録も、ね」
「ええっ」
ミリーの言葉に、ミルカは驚いて手を止めた。
ミリーはそれには構わず、続ける。
「あたしよりうんと年下の癖に、涼しい顔をしてあたしの上を行くのよ?そりゃあ悔しかったし、いつか絶対彼女を超えてやる、と思ってたわ」
「はあ……」
語るミリーの表情には、かつて感じただろう悔しさはにじんでいない。
この人も悔しい思いをしたことがあるのかと、不思議な気持ちになる。
「涼しい顔…そうね、本当に涼しい顔だったわ。あたしのことはもちろん、他の誰の事だって、彼女は見下したりはしなかった。というより、興味がなかったのね。あたしも、他の誰も、彼女が笑ったり怒ったりしたところを見たことが無かったわ。あたしたちは…というか、彼女以外の全てのものが、彼女にとってどうでも良かったんだと思うわね。それがまた悔しかったわ。いつかきっと、彼女の視界に入って、彼女にあたしを認めさせてやると思ってた」
「それで……どうなったんですか?」
思ってた。
過去形で語るミリー。
その響きには、その思いは叶わなかったという意味が込められているように思う。
ミルカの言葉に、ミリーはにっと唇の端を上げた。
「それがね、ケッサクなのよ。
あたしが彼女を追い越す前に……彼女、学校を辞めちゃったの」
「え」
「それも、好きな男が出来ましたからここを出て行きます、って言って」
「えええ?!」
まさに予想外の展開。
驚愕に完全に手を止めているミルカをたしなめようともせず、ミリーはくすくすと肩を揺らした。
「まったく、呆然としちゃったわよ。こっちはいつか越えてやると思って努力してきたのに、その目標があっさりといなくなっちゃったのよ?」
「そ……それで、どうしたんですか?その人…」
「当然、行方不明。家に帰るわけもないし。当時はまあ、大騒ぎだったけどね」
「ですよねー……」
「で、あたしも学校辞めたの」
「はあ?!」
また驚きに声をあげるミルカ。
「な、何で?!」
「何でって。言ったでしょ?あたしの目標は彼女を超えることなの。彼女がいなくなってしまった学校なんて、いたって意味が無いでしょう?」
「だ、だからって……」
ミルカは唖然として言葉を失った。
まったく、本末転倒な話ではないか。
が、ミリーはまったくそうは思っていないようで。
「彼女を追いかけて、色々転々として、今こんなことをやってるけど。
後悔はしてないわ。あの狭い学校の中にいた時より、ずっと充実しているし。
それは、彼女に感謝しなくちゃね」
「その…彼女には、もう会えたんですか?」
「いいえ?世界は広いものね。でも、いつかきっと会えると思うわ」
自信に満ちた瞳。
まったく、ミリーらしいと言えばあまりにもミリーらしい話だ。
ミルカは苦笑した。
「でも、意外だわ」
「何が?」
「ミリー先生に憧れの人がいるっていうことが。
ミリー先生は憧れられるばっかりの人だと思ってました」
「そんなことないわよ」
ミリーは再びくすくすと笑った。
もはや、2人とも作業の手は完全に止まっている。
「誰にでも、憧れの人っているんじゃないかしら。
自分の進む道を照らしてくれた、そんな人が……ね」
どこか遠い目でそう語るミリーは、いつもの自信に満ちた態度とは少し違って。
「そうですね…」
ミルカも、どこか似たような表情で、頷いた。

「わたしもいつか、誰かの憧れになれたら…いいな」

“A woman I admire” 2009.1.22.Nagi Kirikawa

投稿掲示板作品です。
お題は「あこがれ」。ミルカとミリーにとって、今の道を進むきっかけを与えてくれた人の話です。
ミルカは気づいていなくて、ミリーは気づいてますが、彼女たちが語っている「憧れの人」は同一人物です(笑)ついでに言うと、ミリーはその「憧れの人」の居場所も動向も把握していますが、いつか向こうから訪ねてくる日をほくそ笑みながら待っているのです(笑)