「きゃははは、そんじゃキミ、その優等生クンにいいように弄ばれちゃってるんだぁ」
「ちょっ…いくらなんでもその言い方はないんじゃない?」

携帯電話の向こうから聞こえてくる、親友の茶化したような言葉に、梨紗は眉を顰めて言い返した。
彼女の名は天笠千夜。中学のときからの腐れ縁で、高校卒業後は梨紗は大学へ、彼女は専門学校へと進路は別れたが、付き合いはずっと続いている。梨紗が大学を卒業して教員として採用された年に、彼女は見習いとして働いている美容院でカットを任されるようになった。お互いに忙しいため、頻繁に会って話すことはなくなったが、こうして電話で近況を報告しあう程度に仲は良い。
実際、同じ学校の同僚やもちろん上司には口が裂けてもいえないこの状況を、まったく別の世界に生きる彼女に話してしまえてずいぶん楽になった。まあ、こうして笑い飛ばされているわけだが、それでも深刻になるよりはずいぶん気が楽だ。
「まぁでも、いいんじゃない?キミももうちょっとオトコ慣れしたほーがいいよ、せっかくだから教えてもらったらぁ?」
「もうっ、いいかげんにしてよ、そんなことできるわけないでしょ!」
茶化すような千夜の言い草に、思わず語気を荒くして言い返す梨紗。
千夜は電話の向こうできゃはははと楽しそうに笑った。
「りいはマジメだからねぇ。いいじゃん、生徒と教師の禁断の恋、なんてさぁ?」
「ちい、あたしは真剣に悩んでるの!茶化さないでよ」
彼女たちはお互いに「りい」「ちい」と呼び合っている。真面目な梨紗と奔放な千夜は、正反対の気質であるにもかかわらず不思議と上手くやっていた。
きびきびと言い返す梨紗に、千夜はまた楽しそうに笑う。
「まあま、そんなに悩まなくても、なるよーになるよ。その優等生クンはキミと違って取り繕うの上手いんでしょ?バレることはないんじゃない?」
「ばれるとかばれないとかじゃなくて…」
「へ?ソレを気にしてるんじゃないの?んじゃなにを気にしてるわけ?」
不思議そうに言う千夜。
梨紗は複雑そうな表情で唸った。
「だから……彼をこのままにしておいて良いのか、っていうこと」
「あー、高校2年にして完璧な二枚舌を駆使する男子が末恐ろしいと」
「またそういう言い方を……まあ、間違ってないけど」
投げやりに言って、嘆息して。
「あたしに休まる場所になれって言ったってことは、今まで休まる場所がなかったってことでしょ。
お家にも、学校にも。それは、彼にとって望ましい環境ではないんじゃないかしら」
「んー…彼はソレで今まで上手くやってきてたんでしょ?もう高2なワケだし、周りが環境整えてやるってトシでもないんじゃない?イヤだったら自分でどうにかするでしょ」
「小さい頃からそうしてきた、そうせざるをえなかったなら、本当はとても負担になってるのに拒否する発想が無くなるっていうこともあるわ」
「ならなおさら、キミが癒しになったげたらいいよ」
「でも、あたし一人がなったところで…」
「わかってないなあ」
ふふん、と、千夜は意味ありげに笑った。
「ま、それこそなるよーになる、だね。いいから、もちょっと相手したげたら?」
「もうっ、他人事だと思って…!」
「ひとごとだもーん。……ん?そう。え?……あーはい、わかったわかった。んじゃりい、また電話するねー」
「ちょっと、ちい?!」
ぶつ。
一方的に通話が切られてしまい、梨紗は通話時間が表示されたディスプレイに向かって憤慨した。
「もう……!」
おそらくは同棲している作家の恋人に呼ばれたのだろう。まったく、いつも大人気なく会話を邪魔してきて、腹立たしいことこの上ない、と思いながら、ぱちんと携帯を閉じる。
「なるようになる……ねえ」
口に出してみながらも不安な心持で、梨紗はぽつりと呟いた。
すると。
ヴヴヴ、と耳障りな音がして手の中の携帯が震える。
メールの着信のようだった。
「…誰かな」
ディスプレイに表示されたのは見覚えの無いアドレス。
誰かのアドレス変更の知らせだろうか、と思って開いてみると。

『江崎だけど。登録しといて』

「はあ?!」
思わず声を上げて画面を二度見する梨紗。
メールにはよく見れば、彼のものと思われるアドレスデータが添付されていた。
慌てて返信を打つ。
『どういうこと?あたしのアドレス何で知ってるの?』
返事は驚くほど早く来た。
『先生が目離してる隙に赤外線でもらっといた』
『ちょっと!許可もなしに個人情報を奪ったらダメでしょ!』
『まあいいだろ。こんなことするの先生だけだし』
『なんであたしだけならいいのよ!』
『まあまあ。たまにメールしてもいいだろ?』
メールの文面を見て、梨紗は軽くため息をついた。
とりあえず気持ちも落ち着いたところで、今度は少し長めのメールを打ち始める。
『メールは構わないけど、もうこんなことはやめなさい。
メール交換がしたいなら、最初からそう言ってアドレスの交換をすればよかった。
でも何も言わずにやったっていうことは、あなたにこれが後ろめたいことだっていう自覚があるっていうことでしょう?
後ろめたいことに目をつぶって誤魔化していても、良い結果にはならない。
上手くいかなそうだと思ってもそれが必要なら、きちんと正規の手段を取りなさい。後で大変なことになるわよ』
このメールの返信までには、少し間があった。
ヴヴ、と携帯が震え、メールを開いてみると、短く一言だけ。
『正論だな』
ずき、と胸が痛んだ。
この程度のことは、彼にもよくわかっているのだろう。
そして、偽りの『彼』ならば、それをこともなくやってのけるのだろう。
だが、今メールのやり取りをしているのは、品行方正な優等生の江崎悠人ではない。
ごく普通の、わけもなく綺麗事を煙たがり、感情のままに少々の悪事にも手を染める、ありふれた高校2年生なのだ。
その彼を否定するようなことを、言うべきではなかった。
謝りのメールを打とうと、返信ボタンを押す一瞬前に、またメールが飛んでくる。
『だが、悪かった。アドレスは消しておくよ』
梨紗は嘆息して返信した。
『そういうことを言ってるんじゃないでしょ。
次はちゃんとしてって言ってるの。
アドレスを交換することは別に嫌じゃないんだから』
このメールの返信にも少し間があった。
『嫌じゃない?』
『そうね、教師としては少し問題かもしれないけど。だから内緒よ?』
『内緒、か』
短いメールの文面から、江崎がくすっと笑うのが聞こえた気がした。
『どうしたいのかちゃんと言ってくれれば、できることはするから。
今度からは言ってね』
『わかった、次からはそうさせてもらう』
『わかってくれればいいのよ』
メールを送信して、梨紗はほっと息をついた。
アドレスを消す、というメールが来たときに、せっかく近づいてきた彼の心が離れていった気がしたから。
そう思ったら、喉の奥に何かがぎゅっと詰まったような感覚に囚われた。
(……彼が、また一人に戻ってしまう、と思ったから、よね)
自分でも不可解なその感覚に、心の中でそう折り合いをつける。
と。
ヴヴ、と音がして、またメールが届いた。
同じ調子でまたメールを開くと。

『じゃあ、デートしてくれよ』

「はあ?!」
思わずまた声を上げてしまう梨紗。
あわてて返信を打つ。
『デートって何?!』
『男女が連れ立って出かけること』
『言葉の意味を聞いてるんじゃないのよ!』
『だって、先生ちゃんと言えばやってくれるって言ったろ』
『できることなら、って言ったでしょ!勝手に人の発言をはしょらない!』
『できないのか?』
『当たり前でしょ!』
メールの文面では文字以上のものは伝わらないが、梨紗はかなりの確信をもって「からかわれている」と感じていた。
あの艶めいた微笑を浮かべてメールを打っている姿が鮮明に浮かんでくるようだ。
メールの返信はすぐに届いた。
『じゃあ仕方ない、しばらくは国語科準備室のデートだけで我慢してやるよ』
「なっ……」
メールを読んでかっと頬を染める梨紗。
『何でそれがデートになるのよ!』
『まあまあ、照れるなよ』
『照れてません!』
照れているが。
『っと、親帰ってきた。じゃ、また遊びに行く』
「まったく……」
届いたメールを見て憤慨しつつも、返信できずに梨紗は携帯を閉じた。
時間はもう午後11時。
激務なのだろうか、ずいぶんと親の帰りが遅い。

ふう、と梨紗は嘆息した。
喉の奥に留まり続ける、このもやもやしたものはいったい何なのか、とぼんやり考えながら。

ロッテを出してみました(笑)名前も何もかも違うけど(以下略)
本当はタイトルの通り、舞台を国語科準備室の中だけにするつもりだったんですけど。メールのやり取りとか、ファンタジーでは絶対出来ないことなのであっさり考えを翻しました(笑)