「おいコラ、千葉!」
怒号に近い呼び声に、その少女はくるりと振り返った。
「なーに、ゼータくん。ボク今急いでるんだけど」
「ゼータくん、じゃない!瀬田先生と呼べと何度も言ってるだろうが!」
「きゃははは、ゼータくんそんな名前だったんだぁ」

エスタルティ学園中等部の体育教師、瀬田朗。
がっしりとした体格に無造作な短髪、体育教師らしい熱血で飾らない性格が生徒にも人気で、頬にある妙な火傷の跡が「Z」に見えることから生徒たちには「ゼータ」と呼ばれ親しまれている。
あまり先生扱いされていないという噂もある。

少女はといえば、同じくエスタルティ学園中等部2年D組、千葉麻莉菜。
綺麗に日焼けした肌に、派手に脱色した髪、耳に並ぶピアス、派手に着崩した制服、どれひとつをとってみても決して優良な生徒とは言いがたい、学内でも有名な問題児。援助交際をしているというような噂も飛び交っているが、このなりではそれも無理はない。

「んで、何の用さゼータくん」
「瀬田先生」
「んもー硬いこと言わずにさぁ?ゼータくんも千葉なんて他人行儀に呼んでないでロッテvって呼んでよぅ」
千葉、と、麻莉菜、ということで、彼女はロッテという洒落のきいたあだ名をつけられている。
ゼータはこめかみを押さえた。
「あのなぁ。他人行儀も何も、俺とお前は教師と生徒だろうが」
「いーじゃん、教師と生徒の禁断の愛vってことでひとつ」
「ば、ばばばばか、何言ってんだお前!」
あからさまに真っ赤になるゼータに、きゃらきゃらと笑うロッテ。完全に彼女のペースにはまっていることに気づき、ゼータはごほんと咳払いをした。
「ともかくだ!」
「おっ。持ち直した」
「うるさい!何の用じゃないだろう、その髪とピアスを直せと、何度言ったら判るんだお前は!」
「んー、ま、そのうち気が向いたら?」
「気が向いたら、じゃない!」
いいかげんキレた様子のゼータが、ロッテの頭にげんこつをくれた上で後ろから羽交い絞めにする。
「やーん何すんのさゼータくん、バックからだなんてだいたーん」
「やかましい!今日こそは指導室でその髪真っ黒に染めてやっかんな!」
「やーん、黒いのは(以下自主規制)!」
「お前という奴は廊下で何てこと叫ぶんだー!!」
「ふぇーはふんほほーふぁうーひゃいひょ(ゼータくんのほうがうるさいよ)」
口をふさがれながら冷静に言って、ロッテはするりと屈んでその腕から逃れる。
「まーまー。個人の個性を尊重しようよ、これからは自由の時代だよー?髪の毛の色ごときでごちゃごちゃ言ってたらでっかい男になれないよー?」
「限度があるだろうが限度が!出る杭は打たれる、日本はそういうお国柄なんだよ!いいから来い!」
「あーれーごむたいなー」
きゃいきゃい笑いながらゼータの手をことごとくすり抜けるロッテ。この追いかけっこの構図はもうすでに日常茶飯事と化しているらしく、廊下でこのように大騒ぎを繰り広げていても誰も気に留める生徒はいない。それもいかがなものかと思うが。
「あ、ロッテちゃん。まだこんなところにいたの?リーちゃんが探してたよ」
通りがかった女生徒に呼び止められ、ロッテは軽く目を見開いた。
「え、マジ?さんきゅーリィナ、んじゃゼータくん、ボク急いでるから、まったねー♪」
「あっこら待ちやがれー!」
さっさと歩いて行ってしまうロッテに手を振るリィナ。
「こら!何で邪魔すんだ、流葉!」
ゼータが八つ当たり気味に言うと、リィナはきょとんとする。
「え、なんかまずかった?ゼータくん」
「生徒指導の邪魔をするな、邪魔を!」
「またまたー、生徒指導と偽って、生活指導室で何するつもりー?」
「お前までそゆこと言うなー!!」
真っ赤になりながら拳を振り上げると、リィナはきゃははっとロッテと似たような声を上げて立ち去った。
「まったく、うちの生徒どもは…」
「なんだ、まだやっているのか、瀬田」
エキサイトして肩で息をしているゼータに、後ろから声がかかる。
振り返ると、白衣を着た女性の教師が立っていた。
「なんだ、ポンカンか」
「ポンカン言うな」
眉を寄せて、言う。生物教師の有度亜衣。生徒にはアルディアと呼ばれている。だいぶ苦しいが。
ゼータは困ったように息をついた。
「自由にさせてやりたいのは、俺だってやまやまなんだがな。アレで苦労するのはあいつ自身だろ。なんとか、どうにかなる程度にはもってってやりたいんだがなぁ」
「教師として当然のことだとは思うが…あそこまで自我が確立してると、もはや余計な世話かもしれないな」
「そうかー?ほっといたら何するかわからんぞ、あいつ」
苦い顔でゼータが言うと、アルディアはふっと微笑んだ。
「何かしてもお前がフォローするとわかっているから、彼女も思い切ったことが出来るんだろう。お前に甘えているのだろうな…そういうところは子供だとは思うが。だが、ああ見えて、彼女は結構大人だと思うぞ。…いろいろな意味でな」
まだ納得のいかない様子で、それでも黙るゼータ。
アルディアは意味深な笑みを浮かべると、そのままその場を立ち去った。

「司馬先生、この健康診断のデータはどこに…」
保健室のドアをがらりと開けると、めあての養護教諭は留守のようだった。
ゼータは嘆息して、きょろきょろと辺りを見回す。頼まれたデータは、養護教諭用の机の上にでも置いておけばいいだろうか。
とす、と書類を机に置くと、窓からさっと風が流れ込む。ふわりと動くレースのカーテン。
「……ん…」
と、誰もいないと思っていた教室内からかすかに声が聞こえ、ゼータは驚いてそちらを見た。
保健室の奥、カーテンも引かれずに晒されているベッドに、誰かが横たわっている。
ここからでは顔までは見えないが、かなり寝相が悪いようだ。上にかけられた毛布が半分以上ずり落ちている。
ゼータは嘆息して、その上掛けを直そうとベッドに歩み寄った。
「!…」
ベッドに横たわった生徒を見て、一瞬動きが止まる。
「…千葉…」
仰向けになってすやすやと寝入っていたのは、ロッテだった。
いつもは頭の上でまとめている髪の毛が解かれ、赤く染め分けられた前髪と共にベッドに広がっている。
シャツのボタンがいつも以上に外されて、下着まで少し見えているような状態だ。上掛けはもはや完全にその役割を果たしておらず、スカートに収まっていないシャツの裾ははだけて肌が丸見え、スカート自身も裾がまくれ上がって下に履いているスパッツが露わになっている。
裾が乱れ、前がはだけた、見えそうでぎりぎり見えないその様子が、ロッテの年齢に不相応なスタイルの良さを妖しく見せ付けていて。
「…ってぇ、何考えてんだ俺は!ガキ相手に……」
ぶんぶんと頭を振って、ゼータはさらにベッドに近づいた。ずり落ちている毛布を取り上げると、簡単に広げる。
そして、ロッテの上にかけようと身を屈めた、その時。
「ん~ぅ、やぁん、もっかいしようよぉ~」
ロッテはごろりと寝返りを打つと、前かがみになっていたゼータの首にその腕を絡め、引き寄せた。
「んなっ…?!」
何するんだ、と言う間もあらばこそ。
ぐい、と予想外の力で引き寄せられたゼータは、そのまま近づいてきたロッテの唇に唇をふさがれる。
「!!……」
あまりに予想の範疇を超えた展開に、思わずゼータの体が固まった。
ロッテの力が強いというより、あまりのことに体を引き剥がすとか逆に抱きしめるとかいう考えすら浮かんでこない。
と、ゼータが何かをするより前に、ロッテが目を覚ましたようだった。
「……はれ。ゼータくんじゃん。何してんのこんなとこで」
全く気にする様子もなく普通に体を離して。
問われても、未だゼータの体は固まったままで。
「ゼータくーん?おーい?」
目の前でひらひらと手を振られて、ようやくゼータの体が金縛りから解けた。
「なっ……何してんのじゃねえだろコラー!!」
「お。覚醒」
怒鳴りつけられても一向に堪えた様子もなく、冷静につぶやくロッテ。
ゼータはさらに顔を真っ赤にした。
「お、お、おまえ、こ、こんなとっ、べっ、ねてっ、し、しかも、キ……!!」
「はいはい、日本語でいいから。落ち着きなよ、たかだかちゅーのひとつやふたつくらい。減るもんじゃなし」
ひらひらと面倒げに手を振ってから、ふと思いついたようににやりと唇の端を上げる。
「…お、それとももしかして、ファーストキスだったりした?
やーんゼータくん、そのトシでチェリーだなんて、かっわいぃ~♪」
「んなわけあるかー!!」
「んーそんじゃあかぁいいゼータくんのためにボクが一肌ぬいじゃおっかな~」
「言いながらボタンを外すな人の話を聞けえぇぇぇっ!!」
持っていた毛布をロッテに叩きつけて。
「病気でもないのに保健室のベッド勝手に使うな!あと部活もないなら放課後はとっとと帰れ!お前寮生だろう、家すぐそこだろーが!」
「やーここのベッド寝心地よくってさぁ。ゼータくんもどぉ?隣あいてるよーん?今なら沿い寝付き~♪何なら添い寝だけじゃなくてもいいよ♪」
自分の横をぽんぽんと叩いて指し示すロッテ。
「うがー!!」
ゼータはわしゃわしゃと髪を掻き乱し、ベッドの上に座っているロッテの胴に腕を回して抱えあげた。
「きゃーんゼータくんったらだいたーん♪」
「ぃやかましいっ!」
そのまま保健室の入り口までつかつかと歩くと、ドアをがらりと開けて廊下にロッテを下ろす。
「とっとと帰れ、この不良娘が!」
上から怒鳴りつけると、ロッテはまったく堪えていない様子できゃははっと笑った。
「んもーゼータくんったら素直じゃないなぁ。ま、ボクはいつでもおっけーだから、声かけてよね」
「何がだっ!いいから早く帰れ!!」
「やーんこわーい。んじゃ、また明日ねぇ、ゼータくん♪」
ロッテは手をひらひら振ると、そのままパタパタと玄関に向かって駆けていった。
「まったく……!」
ゼータは嘆息して、その姿が見えなくなるまで保健室の入り口に立っていた。
それから、保健室の戸をがらりと閉めて、それに寄りかかって手で額を覆う。
「……っはぁ~…」
深い深いため息。
まだ赤みが差した頬を額の手が滑っていき、唇で止まる。
「……あいつ……」
ボタンの外れたシャツからわずかに覗いた、挑発的な色の下着も。
乱れたシャツの裾から覗く素肌も、スカートの下から伸びるしなやかな脚も。
引き寄せられて押し付けられた、服越しの柔らかな感触も。
何より、唇を掠めて離れていった、誘い込むような甘い香りも。
その目に、肌に、唇に、くっきりと形に出来るほどに焼きついていて。
「…はあぁぁぁ…」
ゼータは、もう一度大きくため息をついた。
明日、同じようにロッテに接することが出来るだろうか。
きっと向こうは、今のことなど無かったかのように普通に接してくることだろう。
だが、自分にはその自信が無い。
「あああぁぁ…」
何かに向かって狂ったように叫びだしたい衝動を抑え、頭を抱えてしゃがみこむゼータ。

道のりは長く、果てしない。
がんばれ、体育教師。

“Cheer up! P.E.teacher”2006.8.25.KIRIKA

キリリク作品です。ロッテが出てるので持ってきてみました。
「ゼタロテ学園モノ」と言われ、最初に思いついたのが「ブルマ姿のロッテに鼻血を吹く体育教師ゼータ」という犯罪チックなモノだったわけですが(笑)
第一印象に逆らわず、こんな感じのものにしてみました(笑)
あたしの中のゼタロテは、ゼータさんがひたすらロッテに翻弄されていて頭が上がらず、ロッテもそれを楽しんでいるという感じです。
がんばれ、体育教師(笑)道のりは長いです。ゴールがあるかどうかも定かではないっていうか多分高確率でゴールは存在しなザー(笑)
お3方、もらってやってくださいv

【軽い登場人物解説】
千葉麻莉菜(ちば・まりな):通称ロッテ。中等部2年D組。外見からしてヤバさ120%、クラスメイトの好奇な噂の的。
瀬田朗(せだ・あきら):通称ゼータ。体育教師。生徒からはまるで友達のように親しまれている。
流葉里奈(りゅうは・りな):通称リィナ。中等部3年A組。どんなつてかロッテと仲がいい。
有度亜衣(ありど・あい):通称アルディア。生物教師。日夜怪しい薬草の研究に余念が無い。
天司梨羽(あまつかさ・りは):通称リー。最近転校してきた銀髪の少女。ロッテのルームメイト。
司馬美麗(しば・みれい):通称ミリー。態度のでかいセクシー養護教諭。

…ちなみに、エリーやキルもいますよ、もちろん(笑)