「…まだ残っていたのか」

生徒会室に入ると、西日の差し込む部屋には少年が一人、ポツリと書類に向かっていた。
彼女が入ったのに気付いて、にこりといつもの笑みを見せる。
「これを終わらせてから帰ろうと思って。会長もお疲れ様です」

まだあどけなさの残る顔立ちに、年に不相応なまでの落ち着いた笑顔をたたえたこの少年の名は、日倉明日。
高等部1年、生徒会で書記を務めている。

そして彼女は、高等部3年、皆崎聖華。
高等部の生徒会長を務める少女である。

「何も今日中の仕事でもあるまい。適当に切り上げて帰れば良い。他の生徒もそうしているだろう」
セイカは持っていた書類を所定の位置に仕舞いながら、嘆息してアスに言う。
アスも苦笑して、向かっていた書類を束ね始めた。
「あと少しだったものですから。それに会長も遅くまでお仕事されているのですし」
「私が一番やることが多いのは当然だろう。君がそれに倣う必要はない」
「そういうわけにもいきませんよ」
セイカがきっぱりと言っても、アスは笑顔でやわらかくかわすばかり。
いつものことだが、セイカは仕方なさそうに小さく嘆息した。
「…君は変わっているな」
「会長ほどではありません」
くす、と笑いながら答えるアス。

決して少なくはない生徒会執行部の面々の中で、彼女にこんな軽口をきけるのは、実のところ彼だけだ。
それほどに、生徒会長・皆崎聖華という存在は、成績はもちろん、指導力、実行力共に完璧であるが故の近寄りがたさを放っている。彼女の断定的な強い口調も、めったに笑顔を見せぬ冷たい美貌も、それに拍車をかけているのかもしれない。
だが、高等部に進級してすぐに生徒会に所属したこの少年は、全く臆することなくこの冷たい会長に踏み込んでいった。
的確ではあるが温かみに欠ける会長の指示に萎縮気味であった執行部の面々を柔らかい口調で言いくるめ、モチベーションを上げていくその手腕に、セイカも驚いたものだった。かといって、書記という自分の仕事以上の権限を主張したりはしない。あくまで会長を立てた上で、会長の下した指示をわかりやすく翻訳していくように伝えていくだけだ。たったそれだけの、だがどうにもセイカには上手く出来なかったことを彼がしてくれたおかげで、驚くほど仕事がスムーズに回るようになった。執行部の者たちも新参にもかかわらず彼に一目置いているようだったし、会長に直接出来ぬ進言を彼に言付けるものもいる。
苦でもなんでもないというような笑顔でこれらのことをさらりとやってのける彼に、口に出したことはないが、実のところセイカはかなり感謝していた。ともすれば侮辱とも取れる先ほどのような軽口も、嫌な気分にさせられることはない。むしろ不思議と胸が温かくなるような気がするのだ。

「君は中等部の頃も、そうやって会長を補佐してきたのか?」
「えっ?」
セイカが問うと、アスはきょとんとして彼女の方を向いた。
セイカは書類を仕舞い終え、改めて彼のほうを向く。
「中等部の頃も、君は書記を務めていただろう。会長は確か、1年で当選した男子生徒だったな」
「ええ、今は2年ですね。更科君は、とても優秀な人ですよ」
にこりと微笑んで頷くアス。
高等部と中等部は連動してイベントをやることも多く、生徒会同士も多少の親交がある。中等部の現在の会長は、1年であるにもかかわらず当選を果たした更科という帰国子女だった。アスと同じく柔らかい人当たりで、しかし驚くほどきびきびと指示を与え、雑事をこなしていたのを思い出す。
「でも、更科君は僕の助けを必要とするまでもありませんでしたから、必要以上の口出しは控えていました」
アスが言ったので、セイカは少し意外そうに眉を上げた。
「そうなのか。なんというか、意外だな」
「そうですか?」
「彼ならば私より君と馬が合いそうだが」
「そうでしょうか…」
不思議そうに首を傾げるアス。
「なんだ、何か含むところでもあるのか?」
「いえ、そういうわけでは……」
「…まあ、君が助けを必要とするまでもないと言うのだから、私などよりよほど優秀な生徒なのだろう」
「あっ、いえ、そういうことではなくて」
アスは少し慌てたように手を振って、それから眉を寄せて視線を外した。
「彼は助けが必要ないというより、助けを拒否しているんですよ」
「拒否?」
また意外な言葉を聞いて、少し驚くセイカ。
「そうなのか。そんなにワンマンなようには見えないが」
「こう思っているのは僕だけだと思います」
アスは困ったように苦笑した。
「彼は僕よりとても口がお上手ですから、拒否の意を悟られないように上手に言いくるめるんですよ。相手が言って欲しいと思う言葉を熟知している、というのでしょうか。彼によって意思を変えられたのだと気づかないほどに巧妙に、けれど結局最後には全て彼の思うとおりにことが運んでいきます。結局はそれが全て良い方向に向かうので問題はないのですが、僕が横から口を出すことは彼の意には染まないことなのだろうと思いましたので、口出しは控えていました」
「君がそんな風に言うとは、珍しいな」
セイカはなおも意外そうな声音で言った。
ふ、と緩い笑みを見せるアス。
「僕の物言いに遠慮がないことは、会長もよくご存知でしょう」
「しかし、人を正面きって悪く言うようなことはなかったと思うが」
「悪く言っているわけではありませんよ」
アスはまた苦笑した。
「それで何か問題が生じているならともかく、仕事は潤滑に回っているし、会長に対する信頼も人望も、執行部内の結束力も上がりました。僕の助けを必要とするまでもない、と言ったのはそういうことです。彼が本当のところ何を考えているのか、残念ながら僕には判りませんでしたが、彼も知られるのは嫌なのでしょうし、それで良いのだと思いますよ」
「………」
無表情の中にも僅かに釈然としないものを残して、しかしセイカは返す言葉を見つけられずに黙り込む。
アスはまたふっと笑った。
「実際、彼のことは尊敬していますよ。側で見て学んだ彼の話術は、こうして会長を補佐するために役に立っているのですし」
「…む、それは有難いと思っているが……」
セイカは自分の思いを上手く口に出せずに、視線を泳がせた。
「君は……その、私のことも」
そこから先は、やはり上手く言葉にならずに、口をつぐむ。
彼が中等部の頃、合同イベントで目にした更科と彼の様子は双方笑顔で円滑に回っているように見えた。が、その実彼は更科のことを冷静に見てこんな評価を下している。
そんな彼が、自分にどんな評価を下しているのかが、気になった。更科には手助けをせず、自分にはしているのだから、同じでないことは確かだが……しかし、気になる一方で、聞きたくない気もした。自分に対しても冷静な目を向けられているかもしれないことが、なぜか、ひどく居心地が悪い。
アスはきょとんとした表情をした後に、また緩く微笑んだ。
「僕が中等部の頃に気になったのは、全てのことをそつなくこなす自分のところの会長より、合同イベントでご一緒することになった高等部の生徒会長でしたよ」
唐突にアスが始めた話に、しかし自分のことを話していると気づいたセイカは、顔を上げて彼に視線を戻す。
アスはどこか遠い目で、続けた。
「てきぱきと的確に指示を下すさまは、更科君と遜色ないものでした。けれど、執行部の会長に対する態度は、中等部と高等部で大きく違った。高等部の執行部員が会長に向ける感情は、尊敬と、そして畏怖でした。誰もが会長に憧れていながら、誰も会長に近寄れなかった。それが更科君と大きく違うところでした」
「………」
「そして、そのことを会長ご自身もよくわかっていらっしゃるようでした。会長が一声かければ、皆さんいくらでも会長のために動く準備は出来ていたでしょう。けれど、彼女はそれをしませんでした。執行部員には下校時刻に帰れる程度の仕事しか振らず、残りの仕事は全て自分で片付ける。それを黙って実行している姿はとても立派で、でも僕にはとても痛々しく見えました」
「…痛々しい?」
「はい」
アスは頷いて、まっすぐセイカを見つめ返した。
「執行部の方々のことには常に気を配り、無理をさせないようにしているのに、ご自分のことにはとても無頓着で。いつか倒れてしまうのではないかと心配になりました。
彼女の優しさも努力も、おそらく執行部員の方々に伝わってはいない。それがとてももどかしかった。
だから、高等部に上がったら、この方のお手伝いをしようと、ずっとそう思っていたんです」
「日倉……」
セイカは少し呆然として、アスの名を呼んだ。
にこり、と再び微笑むアス。
「高等部に上がって、再び書記を拝命して、会長と執行部の橋渡しがだいぶ出来るようになったなと思いますけれど。
けれど会長は相変わらず、お一人で全てを済ませようとして。
今日だってこうして、遅くまで残っていても、変わり者扱いですよ。ご自分は誰より遅くまで残っているのに」
「………」
まるでこの場にいない他人のことを語るような言い草で、しかし暖かい微笑をたたえてのアスの言葉に、セイカは喉の奥が詰まったように上手く言葉を返すことが出来なかった。
詰まった喉の奥から、じわりと暖かい何かが染み出してくるような感触。
その正体がわからずに混乱するセイカに、アスはさらに続けた。
「僕たちをもっと使って下さい、頼ってくださいと言ったところで、そうしてくれるような方ではありませんから。
だから、自分から踏み込んで仕事を奪うしかないんです。彼女に倒れられては、僕が困りますから」
「………っ」
ぎゅう、と。
心臓を掴まれたような重苦しい痛みが走り、セイカは思わず胸をぎゅっと押さえた。
しかし、不快な痛みではない。
痛みと共に暖かいものが体中に広がっていくようだった。
「会長?」
気遣うようなアスの声に、はっと顔を上げる。
「……何でもない」
「そうですか…よかった」
心底ほっとしたように笑みを見せるアス。
彼は整えた書類を所定の位置に戻すと、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「会長」
セイカより僅かに身長の低い彼が、少しかがんで、俯き気味になっていた彼女の顔を覗き込むようにする。
「……なんだ」
どうにか言葉を返すセイカに、にこり、と微笑んで。

「僕の大切な人を酷使するのは、ほどほどにしておいてくださいね?」

「……っ」
セイカは、今が夕方で、窓から鮮やかな西日が差し込んでいることに酷く感謝した。
顔が異常に熱い。
この部屋全体が朱に染まっていなければ、きっと自分の顔が真っ赤になっていることを彼に知られてしまっただろうから。
「……わかった」
セイカはどうにかそれだけ言って、ふいと顔を逸らした。
「………善処、しよう」
「ありがとうございます」
嬉しそうに微笑を返すアス。
「では、今日はもう帰りましょうか」
「……そうだな」
「途中まで、ご一緒してよろしいですか?」
「…ああ、構わない」
「ありがとうございます」
「私は職員室に寄ってから出る、下駄箱で待っていてくれるか」
「わかりました。それでは、また後で」
嬉しそうにドアの向こうへと消えていくアス。
ドアの閉まる音が消えた後で、セイカはこっそりと息をついた。

職員室、というのはもちろん口実だ。
この顔の熱さを少し冷まして行こうと思う。

まだ甘い痺れの残る胸を、セイカはもう一度、落ち着かせるように手の平で押さえた。

“My precious” 2011.5.10.Nagi Kirikawa

携帯ゲームの学園恋愛モノで、同じ生徒会に所属する年下の彼を落としていた時に唐突にアスセイ学園パロが降ってきたので書きました。
基本路線は変えない形で、くっついてないくせに好き好きオーラを出されて戸惑うセイカ萌えでつっぱしっております、いやあ楽しいなあ(笑)
アスがいやに辛辣にエリーの評価をしていますが、別に嫌いなわけではないのですよ(笑)「こんなに人に心を許せないと大変だな、誰か傍にいる人が現れるといいな」とか思ってます。つまりエリーはアスの「構ってあげたい琴線」にはひっかからなかったと(笑)引っかかられても困りますが(笑)
そして、トラアゲでもこちらでもそうなのですが、アスのこれは、本来の意味での確信犯、つまり天然です(笑)恥ずかしいことを言っているという自覚は全くありません(笑)そんな天然砲にいちいちどぎまぎするセイカに萌えたい、アスセイの醍醐味はここにあり(笑)やってること変わってませんね(笑)