「オルーカ先生~」
ぱたぱたぱた。
後ろからの足音と共に近づいてきた声に、彼女は足を止めて振り返った。
えび茶色の制服に身を包んだ少女が、息を切らしてこちらに駆けてくる。
彼女はにこりと微笑み、少女の名を呼ぶ。
「ミルカさん。こんにちは」
「オルーカ先生、こんにちは」
少女は彼女の前で足を止めると微笑んで挨拶を返した。

彼女の名前は折宇羽花(おるう・うか)。私立エスタルティ学園高等部に所属する古典の教員である。
物腰が柔らかで生徒に対しても敬語を使うが、話してみると意外にノリがいい事から生徒に親しまれ、「オルーカ先生」と呼ばれている。
生徒の名前は相田未留架(あいだ・みるか)。高等部1年、折宇の担当の生徒だ。
ミルカは手に持っていた弁当袋を軽く上げて見せ、再び折宇に微笑みかけた。
「オルーカ先生、お昼まだでしょ?一緒に食べない?」
愛想のいい笑顔に、オルーカもにこりと微笑を返す。
「ええ、いいですね。ミルカさんもお弁当なんですね、せっかくですから中庭で食べましょうか」
「賛成!早速行きましょ」
ミルカは上機嫌で折宇の手を取りひっぱった。

中・高等部合同校舎の中庭は日当たりもよく、2人のほかにも弁当や学食のパンなどを持って昼食に興じている生徒がたくさんいた。中高入り混じっているのが制服の色で判る。
「今日は司馬くんは一緒じゃないんですか?」
庭の中央にあるベンチに腰掛けて弁当をつつきながらのオルーカの問いに、ミルカは箸を咥えたまま首を縦に振った。
「うん。委員会があるとかで行っちゃったの」
「あら、じゃあ私は司馬くんの代わりですか?」
「そういうことになるかな~」
互いに冗談めかして言って、笑う。
司馬、というのは、高等部3年でミルカの彼氏の司馬風唯(しば・ふうい)のことだ。養護教諭の司馬美麗(しば・みれい)の息子で、風紀委員長を務めている。折宇は受け持ったことがないので詳しいことは判らないが、物腰柔らかで礼儀正しい、今時珍しいタイプの男子生徒だという印象がある。
「それで、司馬くんとはどこまで行ってるんですか?」
ぼふ。
オルーカの唐突な質問に、ミルカの口から玉子焼きのカケラが飛ぶ。
「なっ……なに、オルーカ先生、いきなり」
「おや、予想外の可愛らしい反応」
オルーカは興味津々の様子で身を乗り出した。
「いいじゃないですかミルカさん、減るものじゃなし。教えてくださいよ」
「何でそんなに興味津々なのよ。ていうか教師が不純異性交遊を推奨していいわけ?」
「私は風紀担当じゃありませんから大丈夫ですよ。それに男女交際のない学生生活なんてそれこそ不健全です」
「何その屁理屈。ま、いいけどー。あまり言いふらさないでよ?」
「大丈夫です、こう見えても口は堅いんですから♪さあさあ!」
満面の笑顔のオルーカに、ミルカは釈然としない表情で目を逸らした。
「えー、どこまでって……なんて言えばいいの?」
「ABCで言うと?」
「ちょっと思ったんだけどそれ古くない?これ書いてる誰かの生徒に通じなかったらしいわよ?」
「それはその誰かさんの生徒さんが笑っちゃうほど初心だっただけですよ」
「それは否定できないけど…」
ミルカは少しだけ頬を染めて、声を潜めた。
「え、えっとね………A?」
「えっ?まだそんなもんなんですか?」
つられて小声になりつつも、驚いた様子のオルーカ。
「まだそんなもんって、何を期待してるのよ」
「いえ、最近の若い人は進んでますし…」
「オルーカ先生、自分でそれを言った時から老化が始まるのよ…」
「ほっといてください。司馬くんが淡白なんですか?ミルカさん積極的っぽいじゃないですか」
「いや、っていうかだからまだあんまりそういう雰囲気じゃ……」
「雰囲気ってなんですか雰囲気って。恋はがんがん押して押して押しまくるんですよ!相手がオクテならその分こっちがリードしないと!」
「……って何でそんなにオルーカ先生が気合入ってるの……?…っていうかね、フィズってさあ……」
フィズ、というのは司馬少年のあだ名である。ここ深くつっこまない。
「…そんなにオクテじゃない…気がするのよねぇ」
「そうなんですか?」
ミルカの言葉に、さらに興味津々のオルーカ。
「うん、いや、なんか……慣れてる、っていうの?エスコートが自然っていうか…行った先で自然にドアを開けてくれたりとか、気を使わせずにおごってくれたりとか」
「そ……それは何だか、男子高校生らしくない男子高校生ですねえ」
微妙に違う方向に向かった展開に、思わず神妙な顔つきになるオルーカ。
というか、それは明らかに。
「やっぱり…わたしの前に誰かとつきあってた、っていうことよね?」
言い出しにくかった言葉をさらりとミルカに言われ、口をつぐむ。当のミルカは、眉を僅かに寄せてはいるものの、そう大して気にしている様子でもなく。
「部屋のセンスとかもなんかこう、男子高校生臭がしないのよね。妙にお洒落っていうか」
「えっ、もう部屋まで行ったんですか!」
「いや、ちょっと勉強を教えてもらいによ?」
「えー、部屋まで上がっておいて、それも勉強って一つの机囲んで二人で長時間座ってたわけでしょう?それでキス止まりとか、何の拷問ですかそれ」
「オルーカ先生、それ完全に教師の発言じゃないって…」
げんなりとして、ミルカ。
「いや、だからね?シンプルなものが好きそうなフィズがあまり選ばないような、フォトフレームとかちょっとしたオブジェとかがあって。あーこれって、誰かからプレゼントされたのかな、とか。センスからして、大人の女の人っぽかったし」
「うーん……司馬先生とか」
「息子にフォトフレーム贈る母親がいる?ましてあのミリー先生よ?」
「そうですねぇ……」
何かフォローを考えようとするが、そんなものは年の割に妙に聡いこの生徒はすでに考えていたようで。
「それになんかこう……キスも、慣れた感じだったし」
「え、やっぱりそうだったんですか?」
再び興味津々のオルーカ。
ミルカは頬を染めて苦笑した。
「いや、わたしは初めてだからわかんないけどね?でも、そうだったのかなーとか思うわけよ」
「そうなんですか……や、でもミルカさん」
オルーカは箸を置いて、真剣な瞳をミルカに向けた。
「それって、司馬くんがミルカさんのこと、それだけ大切にしてるっていうことですよ?」
「…そうかなー」
「そうですって。女の人の扱いにいろいろな意味で慣れた人が、至近距離で長時間顔を突き合わせておいて手を出さないっていうのは、つまりそういうことです!」
妙に自信満々に、オルーカは力説した。
「司馬くんは、ミルカさんとこの先ずっとお付き合いしていくつもりがあるからこそ、安易な手段に走らずにミルカさんの気持ちの準備ができるまで待ってくれてるんですよ!
愛されてるんじゃないですか、ミルカさん。このこのー」
冷やかすように肘でつついてみせるオルーカ。このしぐさもややレトロな匂いがする。
「そう……かなー?うーん、わたしはいつでもいいのになー」
ミルカは頬を染めたまま、視線だけを上にやって。
オルーカはそれをほほえましく見ながら、弁当の最後の一口を口に入れた。
「じゃあ、今度はミルカさんから、司馬くんを誘ってみてはいかがですか?司馬くんも、案外それを待ってるのかもしれませんよ?」
「そう、かな?うん、じゃあ今度、わたしの方からアプローチしてみるわね」
ミルカはオルーカに視線を戻すと、にこりと微笑んだ。
「ふふ、報告を楽しみにしています」
「うん、じゃあまたこうしてお昼一緒に食べてね、オルーカ先生」
「ええ、喜んで」
ミルカも弁当の最後の一口を食べ終えると、パタンと蓋を閉じた。
「さ、そろそろフィズも委員会終わる頃かな。わたし、先に戻ってるわね」
「はい、お気をつけて。午後の授業に遅れないようにしてくださいね」
「大丈夫大丈夫。じゃあね、オルーカ先生」
「はい、また」
元気に駆けていくミルカを、ほほえましく見送るオルーカ。
と。
「折宇先生」
後ろからかけられた声に振り向くと。
「あら、司馬くん」
そこには、フィズ当人が立っていた。
息を切らして、僅かに浮かんだ汗をぬぐって、問う。
「ミルカ……相田さん、が、先生と一緒だったって聞いて探していたんですが…」
「あらー、すれ違いでしたね。今ミルカさん、司馬くんを探して校舎に戻っていったんですよ」
「そうですか……すみません、ありがとうございます」
言って穏やかな微笑みを見せるこの少年は、確かに年に不相応なまでに大人びている、と思う。それが、過去の女性経験から来るものであったとしても、何の違和感もない。
オルーカは微笑んで、フィズに言った。
「ミルカさんのこと、大事にしてるみたいですね、司馬くん」
きょとんとした表情のフィズに、悪戯っぽく笑みを曲げて。
「…でも、女の子は結構、男の子が強気に出てくれるのを待ってるものですよ?」
フィズは一瞬驚いたように眉を上げ…ややあって、苦笑した。
「折宇先生……」
しょうがないなあ、と言いたげな微笑みは、折宇に向けられたものか、それとも可愛い恋人に向けられたものか。
しかし、フィズはそれからまたもとのような穏やかな笑みを作った。
「でも、先生。
大切なものだからこそ、強気に出られない…そんな時もありますよ?」
さらり。
あまりにそのセリフが自然で、今度はオルーカの方がきょとんとしてしまう。
フィズはそのままの笑顔で、続けた。
「でも、ミルカがそう言ったのなら…次は、少しやり方を変えてみてもいいかもしれませんね」
「し、司馬くん?」
「では、失礼します、折宇先生」
フィズは笑顔のまま頭を下げると、そのまま先ほどミルカが走り去っていった方向へと駆け出した。
オルーカは、しばし呆然とそれを見送って。
そして、ポツリと呟いた。

「…なんだか大変なものの封印を解いた気分です……ミルカさん、がんばっ」

“Ms.Olooca’s Love Lesson”2007.6.10.KIRIKA

オルーカ先生って普段どんな先生なのでしょうね?というお話から発展した学園パロです(笑)案外普通に、生徒とラブ話や噂話で盛り上がっていそう、というイメージから、こんなお話にしてみました(笑)フィズが天然惚気男に見えて実は経験アリとかいう設定は、元の世界からのまんま持越しです。がんばれミルカ。