「ササ、お待たせ。交代するから、上がっていいぜ」

大学部・大学院の薬学科合同展示会の受付をしていたササは、駆けつけた友人の言葉に笑顔で立ち上がった。
「サンキュ。じゃ、後よろしくな」
すでにまとめておいた様子の荷物を持って、いそいそと受付席から離れる。
「なんだササ、焦ってないか?」
「いや、この後約束があってさ」
「あ、例の先生彼女だろー」
友人は意地悪げに笑みを浮かべた。
「なんだよ、こっちにも連れてこいよ~」
苦笑して手を振るササ。
「時間あったらな。んじゃ、行ってくる」
「おう。上手くやれよー」
友人の言葉に見送られて駆け出すササ。
手の中の荷物を、大事そうに抱えて。

彼は、猿正土 三地亜賀。薬学部の院生である。やたら仰々しい名前で呼びづらいので、もっぱら友人連中にはササと呼ばれていた。
大学部の敷地を離れて向かった先は、中・高等部の校舎だった。
例に漏れずかつてはここの生徒だったササは、勝手知ったる我が母校というようによどみのない足取りで廊下を進んでいく。
ノックもせずにドアを開けたその部屋には「国語準備室」の札が掲げられていた。

「悪い、待たせた!」
部屋に入って開口一番そう言ったササに、部屋の中にいた女性はにこりと微笑みかけた。
「いえ、まだ時間ありますから」
彼女の名は折宇 羽花。中・高等部の古典の教員で、今年入ったばかりの新任教師だ。生徒にはオルーカ先生と呼ばれ親しまれている。
大学に入った頃から付き合っている2人は、ササは院に、オルーカは教員にと違う道を歩き出したが、落ち着いた付き合いを続けている。
今日は、オルーカの近所に住む子供が劇に出るということで、2人で見に行こうという約束をしていたのである。
「じゃあ、行きましょうか。場所は講堂ですよ」
「演劇、結構話題になってるよな」
「はい。なんせ初等部から高等部までの合同公演ですから。お客さん、たくさん来るみたいですよ」
「確か、受付を頼まれてるんだろ?受付って何すればいいんだ?」
「チケットをもぎって、差し入れの対応をして…スタッフさんは他にもいるみたいですから、私たちは座席整理とか、簡単なお仕事だと思います。あ、お芝居もちゃんと見れるそうです」
「そっか。そりゃ楽しみだ」
2人はそんな会話をしながら、部屋を出て講堂に向かった。

校内は学園祭に訪れた人たちでごった返しており、綺麗に飾り付けられ色とりどりの看板が掲げられた廊下はいつもとは違った様相だった。
「なんかいつもの学園と違くて変なかんじだな」
「父兄の方も来てますからね。にぎやかでいいですよ」
「見回り、大変じゃないか?」
「いえ、交替で行ってますからそれほどでも」
「しかし、いい匂いするなー」
「あとでご飯食べ行きましょう」
「そうだな。劇が終わった頃がちょうどいいかな」
「そうですね」
二人は周りを見回しながら、のんびりとそんな会話をする。
「演劇、オルーカの知り合いが出るんだよな?」
「近所の子なんですけどね。初等部に通ってるんです。ササさんは初めて会うかと…」
オルーカの言葉に、ササは僅かに眉を寄せた。
「…オルーカ」
何かを諭すような語調に、きょとんとするオルーカ。
「え。あ」
そうして、ようやっと思い当たったというようにぽんと手を打って。
「そうでした。二人のときは『ササ』でしたね」
特に照れた様子もなく、笑って言うオルーカ。
ササは仕方なさそうに苦笑した。
「まあ、無理にとは言わないけど。クセみたいなもんだもんな、オルーカの敬称は」
「はい。だからなんか、くすぐったいです」
「いや…そんなこと言われるとオレのがくすぐったいんだけど」
「えへ」
そこで初めて、オルーカは照れたように微笑むのだった。

「オルーカせんせーい!」
講堂に入ると、甲高いがくぐもった声でそう呼ぶ声がして、2人は振り返った。
ぎょ、として目をむくササ。
スタッフオンリーの札が掲げられたドアのほうから手を振りながら駆け寄ってきたのは、子供の身長ほどの大きさの熊の着ぐるみだったのである。
「ネイト」
オルーカが笑顔で手を振り返したのにもやや驚いて彼女の方を見る。
小熊はとてとてとオルーカの元に駆け寄ると、肩で息をしながらぺこりとお辞儀をした。
「こんにちは、オルーカ先生!」
「はい、こんにちは」
挨拶の声はくぐもっているので、やはり着ぐるみなのだろう。何の抵抗もなく熊に挨拶を返すオルーカには驚いたが、あらかじめ役柄を聞いていたのかもしれない。
ササは少し戸惑いながらも、熊を見下ろしてオルーカに訊いた。
「こ、これが近所の子?」
「ええ。ネイト、ごあいさつしなさい」
「はい!」
小熊は元気よく返事をすると、頭に手をかけてすぽりと脱いだ。
熊の頭の下からは、着ぐるみの中が暑いのだろう、少し顔を紅潮させた利発そうな少年の顔が現れる。
「初等部3年、久万華麗 寧斗です!初めましてなのです!」
「あー、初めまして…くまかれい、って、すごい苗字だな…オレも人のこといえたもんじゃないが」
「はい、皆さんそう言います。よかったら、ネイトと気軽に呼んで下さい!」
「そっか。じゃ、ネイト。オレのことはササでいいよ」
「ササさんですね!よろしくお願いします!」
やはり元気いっぱいなネイト。
ササは改めて、彼の格好をしげしげと眺めた。
「演目、赤頭巾か?」
ネイトは熊の着ぐるみの上から猟師服のようなものを着ており、熊ということを除けば赤頭巾に登場する猟師に見えないこともない。
ササの疑問に、ネイトはえへへと笑った。
「それは見てのお楽しみなのです!」
「そっか、まあそうだよな」
「ネイト、受付はどうしたらいいですか?」
オルーカの言葉に、ネイトは少し慌てた様子を見せた。
「あ、はい!ジョン先生から言付かっています。会場整理をお願いするとのことです。上演始まったら、そのまま中で見ていていいそうです!!」
「了解しました。では、私は座席整理を担当しますから、ササさんは出入り口付近で誘導をお願いできますか?」
「ああ、わかった」
ササは頷いてから、感心したようにオルーカを見た。
「なんかオルーカ、慣れてるな」
「はい。まあ。中の人が」
「?」
意味の良くわからない発言に首を傾げるササ。
と、それには何故かネイトが慌てた様子を見せた。
「しまった!中の人はいないことになっているのです!!」
すぽ、と熊の頭をかぶりなおすネイト。
まだ入場は始まっていないとはいえ、ロビーはガラス越しに外から丸見えである。外には開場待ちの客が大勢おり、もう何人かに見られていることは確定だろうが。
「まもなく入場です!オルーカ先生、よろしくなのです!」
再びくぐもった声で言うネイト。
オルーカは笑顔で頷いた。
「はい。ネイトもがんばってください」
「はいです!では!」
ネイトはしゅたっと手を上げると、またぱたぱたとスタッフルームに戻っていった。
「じゃ、お願いします、ササ」
「了解。またあとでな」
オルーカとササもお互い手を振り合って、それぞれの持ち場へ移動した。

「もし、ちと尋ねるが、こちらはどの席に座っても構わぬのだろうか?」
後ろからずいぶん古風な口調で話しかけられ、振り向くオルーカ。
「あ、はい、指定はありませんから、お好きな席に……」
答えながら振り向くと、そこには一風変わったいでたちをした女性が立っていた。
白い着物、赤い袴の巫女装束に、背には剣(おそらく作り物だろうが)が括られている。口調もあいまって、時代劇から抜け出てきでもしたかのようだった。
「あ、あの…」
「うむ?」
「……その、服は……」
「おお。終わればまた戻らねばならぬ、2度着替えるのも面倒ゆえ、そのまま来てしまった。服装規定などがあっただろうか?」
「あ、いえ、それはありませんけど……何かの出し物ですか?」
不思議そうに問うオルーカに、彼女は自分の服装を見下ろした。
「出し物…といえば、そうなるか。高等部の漫研でコスプレ喫茶をしておる」
「ああ、そういえば生徒がそんなことを言っていましたね…」
思い当たって納得顔のオルーカ。
しかし、次の疑問が口をついて出る。
「え、でも…高等部、ですか?そんな年には…とと」
見た目もそうだが、その落ち着きぶりがとても高校生のそれには見えず、思わず口に出してから慌てて言葉を切って。
彼女ははは、と笑った。
「OBの友人に頼まれてな。私自身は大学部に籍を置いている。農学部3年、新納 稜弧だ」
「あっ、そうなんですね。中・高で古典を担当しております、折宇 羽花と申します」
名乗られてなんとなく名乗り返すオルーカ。
おりょうは少し驚いたように目を見張った。
「なんと、先生であったか。これは失礼を」
「あっ、いえいえ、私も今年配属されたばかりの新人なんですよ。3年生なら年も2つしか違わないじゃないですか、ねっ」
「それはそうだが…」
「ていうか、本当は14歳ですし」
「えっ」
「えっ」
ぶー……と、そこで開幕を予告するブザーが鳴る。
「……おっと、もうすぐ開演じゃな。これが終わればそれがしも持ち場に戻るゆえ、縁があれば足を運んで下され」
「あっ、はい。コスプレ喫茶ですよね。あとでご飯を食べにお邪魔します」
オルーカが礼をし、おりょうも空いている席に座る。
入り口の方を見れば、入り口で誘導に当たっていたササが入ってくるのが見え、オルーカは小走りで駆け寄った。
「お疲れ様です、ササ。あちらが空いていますから、座りましょう」
「ああ、そうだな」
入り口付近に二つ空いていた席に座ると、会場内での注意アナウンスが放送される。
それをBGMに、ササは小声でオルーカに訊ねた。
「どーいう芝居なんだ?」
「ネイトの言ってたとおり、見てのお楽しみです」
「オルーカは知ってるのか?」
「通し稽古を一度見させてもらったんです。簡単にいえば勧善懲悪ものですよ」
「ふーん」
「あっ、そろそろ始まりますね」
開始のブザーと共に、客席の照明が落ちて。
臙脂色の緞帳が、するすると上がっていった。

「……ん……?」
目を覚ますと、見知らぬ景色が広がっている。
身体が妙に痛い。そして妙に息苦しい。ここは一体……
「……んー?!」
そこで、彼はようやく、自分がロープで縛り上げられ、口にガムテープを貼られている状態であることに気がついた。
「んー!!んんー!んー!」
じたばた。
拘束されたままで暴れる彼の前に、楽しそうな様子の少女がしゃがみこんだ。
「おはようございます、ミケ先生v」
べり。
言って、彼の口に貼られていたガムテープをはがす。
「たたた……ら、来瀬さん!」
「はい?」
ミケ先生と呼ばれた彼…中・高等部数学教諭の宮田 慧は、高等部の名物双子の姉、来瀬百合に、ようやく自由になった口でくってかかった。
「いきなり廊下で他人を拉致監禁してはいけません!」
そう。
コスプレ喫茶で客引きをしていたミケは、近寄ってきたリリィに「ちょっと協力してくださいv」と言われ、そこでいきなり意識がブラックアウトして、目が覚めたらこの状態だったのだ。
今までも、生徒という立場にもかかわらずさんざん痛い目に合わされてきたリリィに、説教する気満々のミケ。
リリィは険しい表情のミケをものともしない様子で、ぱたぱたと手を振った。
「やだー拉致監禁だなんて人聞きの悪いv協力してくださいってちゃんとお願いしたじゃないですかv」
「OKした覚えはありません!僕は漫研の方のお手伝いを……」
「あ、そちらの方にも少しお借りする旨お伝えしておきましたからv」
「お借りって、僕は物じゃありません!だいたい、何してくれたんですか、いきなり気絶とか」
「うふ、ちょっとスタンガンで」
「殺す気ですか!」
「やだ、これって殺さずに反撃するための道具なんですよ?」
「先に攻撃されていないものを反撃とは呼びません!」
そこまで言って、ミケは改めて自分の状況を見下ろした。
「ていうか、なんなんですか、協力って…僕に何を」
「実はですね、今日私のお相手役が、急病で出演できなくなってしまって」
「お相手役?」
片眉を顰めるミケ。
「あれっ?言ってませんでしたっけ。ウチの部、今回初・中・高等部で合同講演をするんですよ」
「あ、ああ……演劇部、でしたっけ」
「はい」
リリィはにこりと笑って話を続けた。
「それで、私のお相手役だった人が、急病で出演できなくなってしまって。代わりの人を探してたんですよ」
「ちょ、まさか代わりって」
「ええ、ミケ先生にやっていただこうと思ってv」
「ちょっ、出来るわけないじゃないですか!演劇経験もないズブの素人が、台本を即暗記してその場で演じるなんてできるわけないでしょう!」
「大丈夫ですよ、ミケ先生の役柄はそんなにセリフないですし」
「いや、だからそういう問題ではなくてですね…」
言葉の通じない生き物を相手にしているような気がして、ミケはふうとため息をついた。
「…とりあえず、話を聞きますから、縄を解いてくれませんか。このままじゃお芝居にも出られないでしょう」
「いいええ、ミケ先生の衣装はそこまでが衣装なんですよ?」
「はぁ?」
眉を顰め、ミケは自分の服装を見下ろし、それから改めてリリィの衣装を見やった。
「…ひとつ、お聞きしますけど」
「はい?」
「あなたの衣装って、それ……」
「人魚姫ですよv」
リリィは両脇にピンク色の鰭、下半身は同じ色の魚という、どこからどう見ても人魚姫のいでたちだった。どうやって歩いているのかは謎だが。
「で、僕のは……」
「三蔵法師様ですv」
ミケは先ほどまでコスプレ喫茶で着ていた黒い執事服の上に、クリーム色を基調とした袈裟を着せられ、その上から縄でぐるぐる巻きにされている。
ミケは何かをこらえるように目を閉じてから、改めて聞いた。
「……一体、何のお芝居をするんですか…?」
リリィはにこりと微笑んで、答えた。
「それはですねー」

「うう、道に迷ってしまったのです…お腹も空いてもう倒れそうです~」
舞台の上では、熊の着ぐるみを着たネイトが、猟銃を持ってフラフラと歩いていた。
小学生だけあって、演技は少々ぎこちないが可愛らしい。
「あ!あんなところにレストランが!」
大仰に驚いたアクションをし、前方を指差す。
「ちょうどよかったのですー。ご飯を食べるついでに道もきくのです!」
てくてくと歩いていった先には、大きな看板のハリボテが。
「なになに…当店はタダで提供する料理店です。入る前に靴をお脱ぎください』
くまっ!タダなのですか!ツンドラでガルダス様とはまさにこのこと!お邪魔しますです!」
ネイトはまた大仰に驚いて、がらがら~、とセルフ効果音を口に出してドアを開けるパントマイムをした。

「注文の多い料理店、か……?」
低く呟くササに、オルーカはくすりと笑った。
「まあ、見ていましょうよ」

「おや、また看板なのです…なになに、『ここでお洋服脱いで、次の部屋へお進みください』
えー、お洋服を脱ぐのですかー!びっくりですー!」
ネイトはまた大仰に驚いて、それでももそもそと服を脱いだ。
「えーと、じゃあ次のお部屋に…あれ、また看板です。
えーと……『ここでオイルを体に塗ってください』
オイルですか~?なんのオイルでしょう…うわー、いい匂いですねえ」
置かれていた瓶の中のオイルを掬い取って、べたべたと身体に塗って。
これはパントマイムではなく、本当にオイルを着ぐるみに塗っているようだった。照明が反射してテカテカと光っている。

「…なるほど、これは着ぐるみを着ないでやったら色々と問題だろうな…」
「裸の子供にオイル塗りたくったら大変なことになるでしょうねえ」
「……オルーカが言うとさらにいかがわしく聞こえるな」
「気のせいでしょう」

「んー、なんだかおかしいレストランなのです。何故なのでしょう?変わってるのです」
首をかしげながら、ネイトはまたセルフ効果音でがらがら~とドアを開けた。
そして。
「よくいらっしゃいましたのニャ!」
中で待っていたのは、コックの衣装を着た少女だった。コック帽から大きな耳がはみ出し、腰元からは長い尻尾が伸びている。語尾から言っても、猫のコックなのだろうと知れた。
初等部5年、加藤 真央である。
キャットはネイトより堂に入った様子で、両手に持った包丁をしゃきしゃきんと鳴らして見せた。
「さっそくお料理開始なのニャ!」
「おおーっ、楽しみなのです!早く美味しい料理を作ってくださいです!」
嬉しそうなネイトに、キャットはふっふっふと怪しげな笑みを浮かべた。
「何を言うニャ………料理されるのは、アンタだニャーー!!」
「ええええええ?!」
ネイトが大仰に驚き、キャットが包丁を振り上げる。
「覚悟するニャー!!」
「うわ~食べられてしまうのですー!!!」
2人のセリフを皮切りに、テンポの速いBGMが流れ、2人は舞台上でドタバタと追いかけっこを始めた。
「とりゃー!」
「うわーですー!」
包丁を振り回すキャットと、からがらによけるネイト。殺陣も初等部二人にしては上手く構成されており、迫力があった。
が、ネイトが着ぐるみにべたべたと塗りつけていた油が舞台いっぱいに散っていく。少し客席にも飛んだようだ。
「うわー!!」
つる。
ネイトがその油で足を滑らせ、ずべ、と転んだ。
「あわわわ、しまったのですー!」
「ニャハハ、かぁくごー!!」
キャットが包丁を振り上げた、その時。
BGMが唐突に止まり、凛とした声が舞台に響いた。

「そこまでだ!!」

ばり。
レンガの壁のかきわりを派手に破って、長い棒を持った少女が舞台に飛び込んできた。
うわぁっ、と叫んで飛びのく二人。
快活そうな外見のその少女は、高等部1年の来瀬 愛。名物双子の片割れだ。
ショートヘアーに中華風の道着、頭に輪をつけ、長い棒を構えたその姿はどう見ても。
「やっと見つけたぞ、旅人を騙して食う化け猫め!
この孫悟空様が成敗してやる、覚悟しやがれ!」

「えええええ」
会場内のどよめきにもれず、ササが妙な抗議の声を上げる。
オルーカはくすくす笑いながら、小声で言った。
「まあ、見ていてください」

「た、助けてくださってありがとうございますなのです!」
べたべたの身体のままでラヴィの後ろに隠れるネイト。
服にちょっとバターがついたのに顔をしかめつつも、ラヴィはネイトをかばうように手を広げた。
「さあ、覚悟しろ!この化け猫め!」
「うるさいニャ!ボクの食事を邪魔するヤツは許さないのニャー!」
再びテンポの速いBGMが流れ、ラヴィとキャットはどたんばたんと大立ち回りを始めた。
こちらも、小学生と高校生にしてはよく構成された殺陣で、舞台をいっぱいに使った立ち回りが、突然の孫悟空登場に唖然としていた観客も魅了していたようだった。
やがて、ラヴィが如意棒でキャットを押さえつけ、BGMが終わる。
「どうだ、参ったか!」
「ま、参りましたニャ~」
キャットは観念した様子でぐったりとそう言った。
そこで、部屋の隅でびくびくしていたネイトも2人に近寄り、ラヴィは棒を外してキャットを起こした。
「お前、ただの化け猫じゃないな?何でこんなところで、迷った人たちを騙して食ってたんだ?」
親身になってキャットに訊ねるラヴィ。
キャットは両手で目をこすって泣く仕草をしながら、語りだした。
「実は……ボクに長靴をくれた貧乏なご主人様の為に、お金とお城を用意したかったんですニャ」
よく見ればキャットは赤い大きな長靴を履いている。

「今度は『長靴を履いた猫』か…」
「ふふ、色々出て来ますね」
呆れた声を上げるササの隣で、楽しそうに鑑賞しているオルーカ。

「ご、ご主人様のためだったのですね!なんとけなげな…!」
自分が食べられそうになったのも忘れて、大感動のネイト。
ラヴィは腰に手を当てて、嘆息した。
「それはわかった。だけど、旅人を騙して食ってしまうのは感心しないな。
そうだ、お前、オレ様についてこいよ!」
「ついてくる?」
きょとんとしてラヴィを見上げるキャット。
ラヴィは嬉しそうに頷いた。
「オレ様は、これからさらわれたお師匠様を助けに行くんだ」
「おサルさまのお師匠様が、さらわれてしまったのですか?」
不思議そうに話に加わるネイト。
ラヴィは頷いた。
「ああ。オレ様とお師匠様は、ありがたいお経を取りに西の天竺まで旅をしてる途中だった。
だけど、砂浜で休んでいたお師匠様に一目惚れした人魚姫が、王子を騙して乗っ取った自分の城までさらっていっちまったんだよ」
「「な、なんだってー!!」」

「…そこで『人魚姫』なのか……」
「怒涛の展開ですねえ」
「しかも人魚姫悪役じゃないか…いいのか?」
「斬新でいいじゃないですか」
呆れを通り越した表情でつっこむササと、楽しそうなオルーカ。

「ははははっ、そこでそう来るか。
脚本書いた奴の顔が見たいぞ」
その近くで、おりょうも楽しそうに鑑賞している。

「それで、これからその人魚姫の城に行ってお師匠様を奪還するつもりなんだ。
お師匠様を取り返して人魚姫を追い出せば、城も空く。それを、お前のご主人様にプレゼントすればいいんじゃないか?」
「おおお、ナイスアイデアだニャ!」
手を組んで目を輝かせるキャット。
客席にはえぇぇぇという空気が流れたが、それには構わず舞台は続いた。
「おサルさま!助けてもらった恩返しに、わたくしもお師匠様を助けにいくのです!」
「おう!みんなでお師匠様を助け出すぞ!」
「「おー!!」」

威勢のよい掛け声と共に暗転、ものものしいBGMと共に舞台が転換する。
ぱっと照明が戻ると、そこはお城の中のようだった。
「おらおらおらー、どきやがれー!」
脇役の兵士たちを次々となぎ倒していくラヴィ。
「やっつけてやるのですー!」
いまだにオイルを体中にまとわりつかせたまま、兵士たちに体当たりをしていくネイト。
「みんな料理してやるニャー!」
包丁を振り回しながら兵士たちと立ち回りを演じるキャット。
ここでも派手な立ち回りがしばらく続き、倒された兵士たちがささっと舞台袖に引っ込んでいくと、正面にあった大きな扉のハリボテの前で3人が身構えた。
「この扉の向こうだな」
「いよいよなのです!」
「魚はボクが食ってやるニャー!」
意気込んで扉に手をかける3人。
ぎぎぎ、という効果音が響き、大きな扉のハリボテがゆっくりと開いた。
扉の向こうからスモークが零れ落ち、その奥に照明があたる。
ラヴィが棒を構えて、威勢よく言った。

「やいやい、性悪人魚姫め!オレ様のお師匠様を返しやが……!」

そこまで言って、ラヴィは目を丸くして絶句した。
「たっ、助けてくださいー!」
人魚姫の衣装を着たリリィの隣で縛り上げられていたのは、当初予定していた男子生徒ではなく、ミケだったのだから。
「あらあら、こんなところまでいらしたんですか?あなたもしつこいですねえ」
そんなイレギュラーなど存在しないかのように、台本通りのセリフを吐くリリィ。
「私達はもう相思相愛なんですから、邪魔しないで下さいな。人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られちゃうんですよ?」
ふふふ、と笑うリリィに、まだパニックになっているラヴィが口をぱくぱくさせている。
「ちょっ、誰が相思相愛って!いいから早くこの縄を解きなさい!」
かなり素で怒っているミケ。
「ていうかだから、何で僕が!た、助けてくださいよー、来z」
べし。
「うふふふ、照れてるだけなんですよー。他の人が来るといっつもこうなんです、2人きりのときはラブラブなんですけどねー」
ラヴィの名を呼ぼうとしたミケを片手で黙らせ、嬉しそうにそう言うリリィ。

「なあ…あれって確か…」
「同僚のミケ先生ですねえ…愛と不運の星の元に生まれた名物先生です」
ササの囁きに、もっともらしく答えるオルーカ。
「…なんかいやがってねえ?」
「いやよいやよも好きのうち、と言いますよ」
「そうか?」

「もつれ合う愛憎劇か…息もつかせぬ展開だな」
おりょうは食い入るように舞台に見入っている。

舞台ではようやくラヴィが状況を理解したらしく、うんざりとした表情になってから肩を落とした。
「あー……お師匠様、えーと…なんだ、幸せなのか」
歯切れの悪い様子で(おそらくもともとのセリフなのだろう)言うラヴィに、ミケが慌ててぶんぶんと首を振った。
「ちょっ、この様子のどこが幸せに映るんですか!」
が、ミケの悲鳴のような叫びは一切無視して芝居が続く。
「なんだ~、人魚姫さんとお師匠さまは仲良しさんなのですね!」
ネイトが上機嫌で言い、ミケは必死にそちらを向いた。
「いや、だから仲良しじゃ」
「仲良きことは美しきこととガルダス様もおっしゃっているのです!」
「誰ですかガルダスって!」
「じゃあ一件落着したので帰りましょう!」
「帰らないで下さい!助けてくださいよ!」
「そうだニャ!ここで帰るなんて酷いニャ!」
キャットが横から割って入り、ミケは意外そうに、それでも表情を輝かせてそちらを向いた。
「そうですよね!」
「ここで帰ったら、ボクのご主人様にあげるお城と財宝はどうなるんだニャ?!」
「そっちですか?!」
しかし、続くキャットのセリフに再び絶望的な表情になる。
隣にいたリリィが楽しそうにくすくすと笑った。
「ああ、もうこのお城は要らないし、この人と一緒に海に帰りますから、好きにしていいですよ」
「ホントかにゃ?!」
嬉しそうに反応するキャット。
「ちょっと、何勝手に決めてるんですか!」
ミケの叫びも再び無視されて、ネイトがまた嬉しそうにうんうんと頷いた。
「では、改めて一件落着ですね!」
「めでたしめでたしだニャ!」
「めでたくなーい!!ちょっ、助けてくださいよ……」
最後には涙目になりながらラヴィに目で訴えてみるミケだが、ラヴィは諦めたような表情で小さく首を横に振った。
がく、と肩を落とすミケ。
「見に来てくださって、皆様、本当にありがとうなのですー!」
「ありがとだニャ!」
ネイトとキャットは早々にカーテンコールをしている。
開場は何故か拍手と歓声に包まれ、大盛況のまま緞帳がするすると下りていった。

「…なんか、すごい芝居だったな…いろんな意味で」
「なかなか面白かったでしょう?」
「ああ……いろんな意味で」
拍手をしながら微妙な表情のササと、満足そうなオルーカ。

「なんだ、感動してるのか、私は……。
恥ずかしくて外に出られんぞ」
何故か感涙に咽ぶおりょう。

「うう……何で僕がこんな目に……」
「ごめんねミケ先生……諦めて」
緞帳の裏では、がっくりと肩を落として呟くミケとラヴィの姿があったという。

「本日はありがとうございましたー。よろしければお手元のアンケートにご協力くださーい」
「お気をつけてお帰りくださーい。ありがとうございましたー」
講堂のロビーは出る客でにぎわっていた。
何故かいまだにオイルでべとべとになっているネイトも、アンケート用紙回収の箱を持って挨拶に回っている。
客席から出たササとオルーカは、それに声をかけた。
「ネイト、お疲れ様です」
「ああっ、オルーカ先生!今日はありがとうございましたですー!」
箱を長机の上に置いて駆け寄るネイト。
「どうでしたか、お芝居!」
「えと、とても奇抜でしたね。でも最後はハッピーエンドでステキでしたよ」
「ハッピーエンドか?あれ…」
嬉しそうなオルーカと対照的に微妙な表情のササ。
そちらは気にせず、ネイトは嬉しそうに手を振った。
「ありがとうございます!ミケ先生の参加は突然だったのでビックリなのです」
「え、飛び入り参加だったのですか!?」
「…それはビックリですねぇ」
「よく対応できたな…」
「上手くまとまってましたよね」
「まとまってたか?あれ…」
「はい!ステキだったのです!」
「まあ、なんつーか…こう、斬新だったな。ただの童話で終わらないところが」
「オチが秀逸でしたね」
「あれ以上のオチはないな」
「ありがとうございますー」
嬉しそうに言うネイト。

なにはともあれ、演劇部の合同公演は、つつがなくその幕を下ろしたのだった。

「ほーれみんな、お疲れ様じゃ」
「あっ、いいにおい」
「わーい、カレーだー!」
「ほっほ、プチ打ち上げじゃ。みんな、よくがんばったのう」
「いただきまーす!」
「…あれ、そういえばネイトは?」
「知ラナいワもぐもぐ」
「どこ行っちゃったんだろうね…」
「いいじゃない、このカレー美味しいわよ?ちょっとギトギトだけど。早く食べましょう?」
「う、うん……」

どっとはらい。