「……ボーカルが、いなくなった」

学園祭当日。
爽やかな朝の空気は、ジルのこの発言で一気に不穏になった。
「ええっ………?!」
「でええええぇ?!」
部屋の中にいた2人が驚きの表情で腰を浮かす。

「そ、そんな。も、もう今日が本番なのに、ど、どうしたら……」
おろおろする少年は、初等部6年の近藤 竜。バンド「JPK」のキーボードを担当している。
名前をもじってコンドルと呼ばれ、初等部であるにもかかわらず特別に今回のバンドに参加することになった。

「どーすんの?!ボーカルがいなかったらバンドにならないよ!」
ドラムスティックを置いて頭を抱えたのは、中等部3年の只野 真珠。軽音楽部所属で、「JPK」のドラム担当だ。
友人には「ペルル」と呼ばれており、何故かと訊いたら「フランス語で真珠ってペルルだから!」。知るか。

「風邪をひいて…38度の熱だって……連絡があった」
淡々と二人にそう告げたのは、中等部2年の時流 玲美。軽音楽部所属だが、持ち前の引っ込み思案さからステージの上には立たずマネージャーのようなことを任されている。キラキラした下の名前が好きではないらしく、友人たちにはもっぱら「ジル」と呼ばれていた。

「……で、誰か代わりの人を立てる必要があるんだけど……」
ジルの言葉に、ペルルは盛大に眉を寄せた。
「いやいや、代わりって!軽音部の他のメンバーは自分たちのバンドで手一杯でしょ?」
「で、ですよね……練習してない曲を初見で合わせるなんて、む、無理ですよね……」
コンドルが言い、暗い表情になる2人。
ジルも困ったような無表情で俯く。
と。
「あ、そだ、ジルちゃん、ギターできたし、歌も練習見ていたからできるよね?やらない?」
「……えっ」
ペルルが突如そんなことを言い出し、ジルはきょとんとして彼を見返した。
すると。
「そ、そういえば……!お、お願いします、ジルさん、代わりに出てもらえませんかっ?!」
コンドルも身を乗り出してそんなことを言ってくる。
「……え……私は、そんな……」
僅かに眉を寄せて拒否の言葉を吐こうとするジルをよそに。
「ね!ジルちゃんならきっとできるよ!ずっと練習見てたんだし、ねえコンドルくん!」
「そ、そ、そうですよ!じ、ジルさんならきっとできます!」
「そうと決まれば衣装選ばなくちゃね!どんなのがいいかなあ、ジルちゃんだとゴスパン系が可愛いかな!」
「ぼ、ボクはよくわからないですけど…ほ、他のバンドの人たちに、衣装余ってないか訊いて……」
すっかりジル参加前提で盛り上がる2人。
だが。

「おーい、JPK~。ボーカルどーなったの、プログラム修正するから早く決めてってジルちゃんにゆったじゃん?」

ひょい、と入り口からロッテが顔を出し、二人はきょとんとしてそちらを見た。
ロッテは別のガールズバンド「ちょっぷすてぃっく」のメンバーで、軽音部の所属ではないがペルルとは仲がいい。
「あれっ、ロッテちゃん。ボーカルなら今ジルちゃんに……って、あれ?」
「じ、ジルさん……?」
そこで、2人は初めてジルがそこから姿を消していることに気づいた。

「逃げたーーー!?」
「じ、ジルさん、いなくなっ、ど、ど、どうしましょう?!」

再びパニックに陥る2人。
「と、とにかく探そう!俺は校庭のほう行くから、コンドルくんは校舎のほう探して!」
「は、はい!」
「ロッテちゃん、ボーカルはジルちゃんに頼むから!プログラムはそう直しといて!」
「おっけー、んふふ、がんばってねぇ♪」
ひらひらと手を振るロッテに見送られて、ペルルとコンドルは早速ジルを探しに行くのだった。

『お前を蝋人形にしてやる!』
昔懐かしい着信音が響き、ペルルは足を止めて携帯を見た。
「もー、何だよこんなときに…って、姉ちゃんじゃん!」
発信者の名前を見てぱっと表情を輝かせる。
「えっ、もう校門のところまで来てんの!迎えに行かなくちゃじゃん、くっそ!」
ペルルは焦れた様子で進行方向を変え、出口に向かって一目散に走り出した。

「姉ちゃーん!!」
グラウンドの端っこから大仰に手を振って校門まで走ってくるペルル。
校門で待っていた女性は、苦笑をもって彼を迎えた。
「そんなに走らなくても私は逃げないわよ、少し落ち着きなさい」
「だってだって、久しぶりだもん!うっわー本当に来てくれたんだ、サンキュー!」
越境入学で寮暮らしのペルルは、姉である美琉に久しぶりに会えたことが本当に嬉しかったようだ。好き好きオーラ全開で甘えまくっている。
だが確かに、可愛らしいより少し美人に足をつっこんだ容姿の美少年ペルルの姉だけあって、彼女も申し分無しに美しかった。ロングヘアに眼鏡、スーツ、ピンヒールといういかにも女教師ですというコーディネイトにたがわず職業は家庭教師、高等部数学教諭のミケにも教えたという年齢不詳の美女である。ところでミル姉さんって懐かしいですね。
「勉強はちゃんとしているの?」
「あっ、えーと………」
速攻で目を逸らすペルルに、姉はにこりと微笑んだ。
「………真珠?」
「あっ、あのね姉ちゃん!俺の、今日のバンド演奏なんだけどさ!」
半ば強引に話を変えるペルル。
「ボーカルが病欠で。代わりにマネージャーに頼んだんだけど、逃げられちゃって。心配だし、戻ってくるかも知れないから楽屋に戻りたいんだけど」
「あら、そうなの。でもわたくしはこの学校来るの初めてだし、無駄に広いから案内してもらわないとわからないわ?」
「あー、んー。そうだよね。んじゃさ、始まるまで俺んとこの楽屋で待っててよ!食べ物は途中の屋台とかで買えばいいし」
ペルルの案に、姉は鷹揚に頷いた。
「そうね、そうして頂戴」
「おっけー!それじゃさ、こっちこっち!」
ペルルは嬉しそうに姉の手を引いて校舎の方へと歩き出すのだった。

「あ、あの……えっと、中等部の、ジルさん……あの、み、見ませんでしたか?」
コンドルは校舎の中を走り回りながら、ジルのことを知っているであろう中等部の制服を着た生徒たちに声をかけていっていた。
おどおどした様子にスルーする生徒もいたが、何人かは問いかけに答えてくれる。
「ジル?見てないなあ」
「あたし、さっき見たよ?あっちの階段の方にいたけどな」
「か、階段ですか、ありがとうございます!」
コンドルはあわただしく礼をして、生徒の指差した方へと走り出す。

そうして、走り回っては人にぶつかって怒られ、また周辺の人に聞きまわり、を繰り返し、ようやっと最終的に屋上に行ったことがわかったコンドルは、息を切らしながら屋上へと飛び込んだ。
「ジルさん……!」
ばたん。
名を呼びながらドアを開けると、手すりのそばで校庭を見下ろしていたジルははじかれたように振り返った。
「……コンドル……」
「や、やっと見つけました……!」
コンドルは安堵の表情でジルに歩み寄る。
ジルは僅かに眉を寄せて、小さく言った。
「……なんで……」
「えっ……」
きょとん、とするコンドルに。
「……私には無理。きっと、私なんかがステージに上がってもしらけるだけ……」
僅かに辛そうな無表情で言うジル。
コンドルはショックを受けたように固まって、それから俯いた。
「あ、あの………ごめんなさい」
「えっ…」
謝られるとは思っていなかったジルは、意外そうに声を上げた。
続けるコンドル。
「え、えっと、そんなに……に、逃げちゃうくらいイヤなんだって思ってなかったから、ジ、ジルさんのこと考えないでお願いしちゃって、ごめんなさい……」
「………」
思わぬネガティブ合戦に黙り込むジル。
「……で、でも」
コンドルはそれでも意を決した様子で、ジルに言い募った。
「ぼ、ボクは…ジルさんに誘ってもらって、う、嬉しかったから……
じ、ジルさんも一緒に出来たら、もっと嬉しいだろうなって、お、思ったんです……」
「……コンドル……」
ジルは呟いて俯いた。

1ヶ月ほど前のことだ。
コンドルは放課後、いつものように校舎の中を散歩代わりに歩いていた。初等部では数少ない寮生で、もともと人との交流もあまり得意でない彼にとって、こうして校舎の中を遠回りして寮に帰る道のりは、彼だけの世界を構成するひそかな楽しみだったのだ。
そうして、いつものルートである音楽室の横を通り、部活の演奏をこっそり楽しもうとしたのだが…
「………あれ?」
コンドルはきょとんとして、音楽室を覗き込んだ。
初等部の音楽室からはいつもは合唱部のコーラスが聞こえてくるのだが、今日は至って静かなものだ。休みか、どこか別の場所で練習をしているのだろうか。
「誰もいないのかな……?」
コンドルは恐る恐る音楽室を覗き込んでみた。施錠もされておらず、中も多少乱れた机とピアノが1台あるだけで誰もいない。
「…いないなら…いいかな……」
コンドルはまだ誰かいないかときょろきょろ見回しながら、グランドピアノの蓋を開ける。
あまり大きな音を立てても悪いと思い、弦側の蓋は開けないが、鍵盤から漂う独特の臭いに思わず笑みがこぼれた。

ピアノは、コンドルの唯一の特技だった。
身体が弱く運動神経にも恵まれなかった彼にとって、自分という宇宙を構成できる手段だった。
部屋ひとつを自分の世界に変えられる魔法。芸術家らしいエキセントリックな表現で、コンドルは演奏を楽しんでいた。

部屋の中にゆったりと流れる、ショパンのノクターン。コンドルは完全に世界に入り込んだ様子で、目を閉じて音を紡いでいく。
やがて、最後の音の余韻が静かに空に溶け、ペダルを話して顔をあげると。

ぱち、ぱちぱちぱち。

突然の拍手に、コンドルは驚いて入り口の方を見た。
いつからいたのだろうか。中等部の制服を着た少女が、無表情のまま拍手をしながらコンドルの方へ歩いてきた。
「あ、あの、あの……」
無断でピアノを弾いたことを怒られるだろうか。そんな不安からコンドルが挙動不審になっていると。
「……もっと広いところで、演奏してみない?」
「………えっ」
突然の言葉にきょとんとするコンドル。
少女……ジルは無表情のまま、自分が中等部の軽音楽部であること、学園祭のコンサートの参加者を探していることを告げるのだった。

「こ、こんなボクの演奏を、ジルさんは褒めてくれて、ご、合同バンドに誘ってくれました。『まだメンバーが揃ってなくて、集めてるんだ。よかったらやってみないか』って。び、びっくりしたけど、ち、ちょっぴり嬉しかったです」
コンドルは俯き加減で照れたようにそう語り、それから少し眉を寄せてジルを見上げた。
「で、でも……こ、このままだったら、その合同バンドもできなくなっちゃいます……。
せ、せっかく誘ってくれたのに、こ、こういうのってイヤです」
「………」
必死な様子のコンドルと、相変わらずの無表情のジル。
「だ、だから、今度はボクからお誘いします」
コンドルは改めて居住まいを正し、胸の前で手を組んだ。
「ジルさん、ボク達と一緒にバンドをしませんか?」
「…コンドル……」
ぽつりと呟くジル。
コンドルはなおも必死な様子で、ジルに言った。
「まだボクとペルルさんの2人しかいなくて、このままだとバンドにならなくて……。
だからジルさん、よかったらボク達と一緒にバンドをやりませんきゃ?」
せっかくスラスラと言えたのに、最後で思い切り噛んで顔を真っ赤にするコンドル。
ジルはしばらくじっとその様子を見ていたが、やがて目を閉じて嘆息した。
「……いいよ。そんな風に言われたら、私もわがままばかり言ってられない……」
「ジルさん……!」
コンドルは顔を真っ赤にしたまま、それでも嬉しそうに表情を輝かせた。
「一緒にバンド、成功させよう」
「はい……!」
絵に描いたような青春ドラマが展開されているその一方で。

新たな事件が起きていることなど、まだこの2人には知る由もないのだった。

「いやー何かすっかり遅くなっちゃったよねーぐもぐも」
「あなた、食べすぎよ…?」
片手に焼きそば、片手にフランクフルト、口に焼きイカと屋台を満喫しながら歩くペルルに、姉は呆れたように声をかけた。
「というか、大丈夫なの?その、マネージャーさんとやらは探さなくていいわけ?」
「あーうん、さっきコンドルくんから見つかったってメールあったし、大丈夫っしょ」
頬張った焼きイカをごくんと飲み下して、上機嫌のペルル。
「楽屋で合流するって話になっててさ。この先なん……」
どん。
廊下の先を指差すペルルに、前方から走ってきた生徒が軽くぶつかった。
「っと、ごめーん」
「どこ見てんだカス!気をつけろ!」
何故かギターケースを肩に下げた、見るからにいかにも不良です、という感じのその男子生徒は、不機嫌そうな表情で悪態をついて、それでも早足でその場を去る。
ペルルはそれを片眉を顰めて見送った。
「…あのギターケース、どっかで見たような…?」

「たっだいまー!コンドルくん、ジルちゃ……」
元気いっぱいに楽屋のドアを開けたペルルは、次の瞬間に絶句した。
「なっ………」
あまり広くはない楽屋は、この中で竜巻でも起こったのかというくらい酷く散らかっている。部屋の中のものを余すところ無くひっくり返しましたという様子で、キーボードに至っては床に叩きつけられでもしたのか鍵盤が割れて散らばっていて、とても弾ける状態には見えなかった。
「な、なに、なんで?……そういえば、鍵をかけなかったようなかけたような?あわわわ」
再びパニックに陥るペルルに、姉が冷静に声をかける。
「落ち着きなさい、真珠。……無くなっている物とか何が壊れたとか、調べなきゃ」
「そ、そうだね…」
姉にそう頷き返したところで、コンドルとジルも戻ってきた。
「ペ、ペルルさん、お待たせしました。ど、どうしたんで………えぇぇっ?!」
「…っ……これは……」
部屋の中を覗き込んで驚く2人。
「ひ、ひどい……誰が、こんな……」
顔を真っ青にして呟くコンドルをよそに、ペルルは楽屋に足を踏み入れ、きょろきょろと辺りを見回した。
「こりゃ…キーボードはダメだな……ちっくしょー、なんだってこんなこと…」
と呟きながら部屋の惨状を見回し、そしてはっと何かに気づく。
「……ねえ、ジルちゃんのギターは?」
「えっ……」
ジルはきょとんとして、ペルルに続き部屋の中に入った。
「…本当だ。ない……」
「え、えええっ?!」
呆然としたジルの言葉に再び驚くコンドル。
そこで、ペルルが再びはっと何かに気づいた。
「……さっきの奴!ギターケース持ってた!……っ、取り返してくる!」
「えっ……」
「ぺ、ペルルさーん?!」
驚く2人に目もくれず、一目散に部屋から出て行くペルル。
「ったく、あの子はいつも後先考えないんだから…!」
姉が眉を寄せてそれを追った。
「じ、ジルさん、キーボードが……ど、ドラムは何とかいけそうですけど…」
続いて楽屋に入ってきたコンドルが涙目でジルを見上げる。
言われるまでも無く、こんな状態で演奏が無理なのはジルにもわかっていた。
「仕方がない…ギターはペルルに任せて、私達はキーボードを調達してこよう」
力強いジルの言葉に、コンドルが表情を輝かせる。
「ジルさん……!」
「マネージャーとして、メンバーとして、必ず成功させてみせる……!コンドルも、手伝って」
「は、はい!」
ジルは早速足を踏み出した。
「私は、校舎のほうを探してみる…音楽室か、もしかしたら他のところにも使っていないものがあるかもしれない…」
「ボ、ボクはフリーマーケットの方へ行ってきます!も、もしかしたら、キーボードを出してる人がいるかも知れませんから!」
「そう……じゃあ、もし見つかったら連絡して。メールアドレスは教えてたよね」
「は、はい!ジルさんも、見つかったら知らせてください」
「了解。……じゃあ、あとで」
「は、はい!がんばります!」
2人は強気の表情で頷きあって、楽屋から別方向へと駆け出した。

「まーちーやーがーれーーーーぇぇぇぇい!」
ペルルは猛烈な勢いで先ほどの不良を追いかけていた。
周りが振り返るほどの大声にさすがに不良も気がついたようで、ちっと舌打ちすると駆け出す。
ペルルはそれに気づき、さらにペースを速めた。
「どりゃあぁぁぁっ!」
猛烈な勢いでタックルするペルル。ギター大丈夫ですか。
しかし身体を上手く捻ってギターを下敷きにしないように倒れた2人。
「っててて……!」
「ったく!これはジルちゃんのギターだっつうの!汚い手で触るんじゃげふげほげほげほ!」
ギターを不良からもぎ取ってから、思わず漏れそうになった本音を誤魔化して立ち上がる。
「と、ともかく!軽音部の破壊王と言われた俺の腕を見せてやる!」
あまり名誉ではない二つ名を叫びながら、ペルルはギターを置いて不良に飛びかかった。
「でえりゃあぁぁ!」
「何しやがるコラ!」
「こっちのセリフだっつーの!」
どが、ばき。
不良とペルルは転がりながら殴りあい、あっという間に双方傷だらけになる。
そこに、ペルルの姉がようやっと追いついて駆け寄った。
「ちょっ、何やってるのもう!」
慌てて不良とペルルを引き剥がす姉。
「ねーちゃん、だってこいつー!」
「いいから、あなたはそのギターを届けてあげなさい」
すでに目的と手段が入れ替わっていたペルルは、姉の言葉にはっと顔をあげた。
「そーだった!つかもうこんな時間?!もうすぐ始まっちゃうじゃん!」
気を取り直して立ち上がり、ジルのギターを手に取って。
「ねーちゃんごめん!あと、頼むよ!」
「いいから早く行きなさい」
姉への言葉もそこそこに駆け出すペルルを、嘆息して見送って。

だす。

こそこそ逃げようとしていた不良の手の平を、振り向きもせずに思いきりピンヒールで踏みつけた。
「うぎゃああぁぁ!」
絶叫に近い悲鳴を上げる不良。
姉は踵をぐりぐりと押し付けながら、にっこりと不良を見下ろした。
「まさか、このまま逃げられるなんて思ってないわよねぇ?」

それからしばらくの間、校舎裏に謎の絶叫が響き渡っていたという。

「ぺ、ペルルさん、遅いですね……」
コンドルとジルはすでにステージの上だった。
キーボードは意外にあっさりフリマで見つかり、ジルに連絡をして大急ぎで舞台に運んだ。
ドラムのセッティングもキーボードの接続も終わり、あとはジルのギターを待つだけなのだが…ペルルが不良を追いかけて出て行ったきりまだ戻

ってこない。メールをしてみたがなしのつぶてだった。絶賛ケンカ中なので無理もないのだが。
前のバンドの出番は終わり、司会が2人の方を見ながら紹介のタイミングを計っているようだ。
「ど、ど、どうしましょう……ペルルさんがいないと、曲が始められません…」
ドラムはいない、ギターもない。不安そうに見上げるコンドルに、ジルは僅かに眉を寄せて考え、それから低く言った。
「ペルルが来るまで…どうにか繋げられれば……」
「つ、繋ぐ……」
「コンドルのピアノで、どうにか持たせられないかな」
「ぼ、ボクのですか?」
ジルの言葉にコンドルは驚き、それから不安そうな表情になる。
「ぼ、ボク一人でなんて、む、無理です…」
「…でも、私のギターはないし……」
困ったような無表情で俯くジル。
と、コンドルがはっと顔をあげた。
「あ、あの、あ、アコースティックギターなら、確か、あ、あったはずです……!
ボ、ボクとジルさんで何か演奏してみませんか?」
「……アコギで…?」
僅かに首を傾げるジルに、コンドルが舞台袖に放置されていたアコースティックギターを持ってくる。
「こ、これで!」
「……でも…私、アコギはあまり触ったことが……」
「ぼ、ボクの演奏に合わせてくれればいいですから!あ、あの、お、お願いします!」
ジルの返事を待たずに、コンドルは司会に合図を送ってしまった。
やっとか、というように、司会がバンドの紹介をする。

「お待たせいたしました!初等部メンバーが特別参加、フレッシュな3人が演奏します!JPK、どうぞ!」

割れんばかりの拍手。
ジルはアコースティックギターを手に持ったまま戸惑ったように客席を見ていたが、それをよそにコンドルはキーボードの音色をピアノに設定し、演奏するはずの曲をバラード版にアレンジしたものを弾き始めた。
初等部の生徒の見事な演奏に、しばし聞き惚れる観客。
「………」
ジルが呆然とそれを見守っていると、コンドルは弾きながらジルのほうをちらちらと見てきた。
『ぼ、ボク一人でなんて、む、無理です…』
『ボ、ボクとジルさんで何か演奏してみませんか?』
コンドルの言葉が蘇る。
見事な演奏をしていても、表情は切羽詰っているようで、明らかにジルに助けを求めているのがわかった。
「………っ」
ジルは逡巡して、それから意を決したようにアコースティックギターを構える。
ぽろん。
コンドルの演奏に重ねる形で弾き始めるジル。
正直、エレキのようにはいかない。大きさも音も勝手も違いすぎる。
しかし、ジルの演奏に合わせるようにコンドルも演奏を調節してくれているのを感じ、コンドルのほうを見ると彼も安心したようにジルに微笑みかける。
しばし、2人のぎこちない演奏が続いた。
だが。
「…ねえ…バンドなんじゃなかったの……?」
「2人しかいないし…ドラムはどうしたんだよ?」
2人の演奏にだんだん不満を口にする客が出てきて。
その不満はだんだん広がっていき、客席がざわざわと不穏な空気に包まれる。
「……っ……」
「ペルルさん…は、早く……」
2人は演奏しながら、ペルルが到着してくれることを一心に祈った。
そして。

「ジルちゃん!」

ステージいっぱいにペルルの声が響き、2人は演奏の手を止めてばっとそちらを振り返った。
見れば、舞台袖に傷だらけのペルルが満面の笑みでギターを掲げて立っている。
「ペルル…!」
「ぺ、ペルルさん、ど、ど、どうし、その、ケガ……!」
驚きの表情でペルルを迎える2人をよそに、ペルルは満面の笑みのままジルに駆け寄った。
「お待たせ!取り返してきたよ!」
むき出しのギターをジルに渡し、コードをアンプに繋げて。
呆然と見返すジルにウインクをして、「とう!」とバク転をしようとして失敗して鼻からこける。
「ぺ、ペルルさーん?!」
「たはは、失敗失敗」
傷をさらに増やしたペルルは苦笑して立ち上がり、今度はおとなしくドラムの椅子に座った。
「さー、やっちゃおうぜー!」
ペルルがドラムスティックを振り上げると、そこでジルも我に返ったらしかった。
ポケットからピックを取り出し、鳴らし弾きと言わんばかりにかき鳴らす。
わあぁぁっ。
先ほどの不慣れなアコギの演奏とは打って変わったジルのテクニックに、観客は再び沸いた。
コンドルも表情を輝かせ、キーボードの音色を調整する。
「んじゃ、いっくよー!わん・つー・さん・し!」
ペルルが意気揚々とドラムスティックを打ち鳴らし、3人の演奏が始まった。

碧空(そら)を駆け抜ける白銀の
悲しみはある日突然タンスの裏とかそんなところから出てくる
いつもの朝の電車の窓から矩形波みたいな都会を眺めるの

長い一条の道が未来へと続いている
現実はブラックのコーヒーよりも苦くて黒かった
明日は、きっと良くなるはずなのに

ひとつひとつはひどくちっぽけで それでもたしかにそこにある
気づくこともできないほどにちいさくて ときにはわすれられてしまっても
きっといつか みつけてもらえるから

ペルルのドラム、コンドルのキーボード、そしてジルのギターとボーカルが会場内に響き渡り、観客は手拍子でそれに同調する。
波乱だらけだったJPKの1日は、演奏の大成功と共に、ようやく終わりを迎えようとしていた。

「おつかれー!」
「おつかれさまー」
「おつかれさーん♪」
「…お疲れ……」
「お、おつかれさまです……」
ステージから降りた3人を、他の軽音部員が暖かく迎える。
「ペルル~ん、よかったよぉ♪はいコレ、参加賞~」
ぴた。
「ひゃ。おっ、さんきゅーロッテん♪」
頬に当てられた缶ジュースを受け取ってロッテに礼を言うペルル。
「はい、コンドルくん」
「あ、あの、あ、ありがとうございます……」
露出のきわどいロッテの服にどぎまぎしながらジュースを受け取るコンドル。
「はい、ジルちゃん」
ジルは自分にも缶ジュースが差し出されたことに少し驚いたようだった。
「…私は代理だから……」
「なーにゆってんの、代理だろーがなんだろーが、やったのはジルちゃんでしょ」
どうということも無く笑い返すロッテ。
「そうだよジルちゃん、ジルちゃんがいなかったら成功しなかったんだから」
「そ、そうです……ジルさんは、り、立派なメンバーです…!」
ペルルもコンドルもそれに同調し、ジルはそちらの方を見て、少し俯いた後に、ロッテが差し出したジュースを受け取った。
「…ありがと……」
ぷし、と缶ジュースを開けるジル。
コンドルは嬉しそうにそれを見上げて、こちらもジュースを開けた。

「ペルル」
「姉ちゃん!」
そこにペルルの姉が訪れ、ペルルはジュースを持ったまま嬉しそうに駆け寄った。
「聴いてくれた?」
「ええ、客席でね。なかなか上手いじゃない」
「えへへ~」
「歌詞の始めの方が何か電波入ってたけど」
「ああ、あそこはジルちゃんだから……」
気まずそうに視線をジルのほうに動かすペルル。
それにつられるように、姉もジルのほうに視線を移した。
ジルとコンドルは何かぽつりぽつりと話しながら、向き合ってジュースを飲んでいる。
「可愛いカップルね」
「えへへ、そうだよねー。コンドルくんも来年には中等部に来るんだし、そうしたら軽音に来るといいのにな」
「そうね、そうしたらまた来年も見に来ようかしら」
「うん!絶対見に来てよ!」
シスコン全開のペルルの言葉に、姉は薄い笑みを返す。

「よお~~っし、そんじゃみんな、打ち上げに行くよー!!」

ロッテの掛け声に、ペルルをはじめとするほかの軽音部員が、お~!と応える。
ジルとコンドルは戸惑いながらも、和気藹々と楽屋へ向かう部員たちに自然と笑みを漏らしながら、その後に続くのだった。