「レイさんのせいですからね!責任とって下さいよ!」
そう言って鼻先に指を突きつけられ、虎人最後の生き残りである青年はきょとんとした。
何故か怒りの形相でこちらを睨みつけている少女は、あまりそうは見えないがウィンディアの王女、ニーナ。もうその翼は飛ぶことが出来ないほどに退化してしまっているが、飛翼族の元気な少女である。
「…なあ、お姫さんよ。もうちっとオレにわかる言葉で話してくれるかな?」
レイは頭を掻きながら、持っていた干し肉をもう一口かじる。
ニーナはますます眉をつり上げて、レイにくってかかった。
「まぁぁっ!まだしらばっくれるつもりなんですか!あんな酷いこと言っておいて!」
ニーナの怒りは最高潮だが、レイには何のことだかさっぱりわからない。
「オレぁ、お姫さんに何か言った覚えはないんだがなぁ」
「わたしじゃありませんっ!」
ニーナはこぶしを握りしめて力説した。
「モモさんですっ!」
「モモ?」
レイはますます訳がわからず、眉を寄せた。
モモ。しばらく前から行動をともにしている、野馳り族の学者。暇さえあれば分厚い本を広げ訳のわからないことを呟き、そのくせ言動も行動もワンテンポずれていて、所構わずバズーカをぶっ放す文句無しの危ない女。そのずれっぷりがレイをイライラさせ、口ゲンカをすることはしょっちゅうだった。
「…今さらなんだってんだよ?」
そう、しょっちゅうなのだ。それこそ初めて行動を共にしたときから、モモはワータイガー化したレイに向かって「怖い!」とバズーカをぶっ放し、大喧嘩をしている。それからも何かといっては嫌味を言い合ったり、今やレイとモモのケンカは日常茶飯事といった感じだ。今さら何を咎められるようなことがあるというのだろう?
ニーナの場合は心当たりがなくてわからないのだが、モモの場合は心当たりがありすぎてわからないといった感じであった。
「リュウから聞いたんですから!昨日、ダンジョンに行ったときのこと!」
「ダンジョン…?」
言われてレイは首をひねる。荒れ狂う海を超え、この「彼の地」に来てからもうずいぶん経つが、機会墓場を越えて妙な建物を見つけ、昨日から探索を開始したのだ。機械に詳しいモモの提案で「コロニー」と呼ぶことにしている。
中は古い上に入り組んだつくりになっていて、1日で全て探索するのは不可能のようだった。半分ほど探索したところで切り上げて、今日はこの食事が終わったらもう一度向かうことになっている。
「リュウ、何かあったか?」
傍らで先ほど釣り上げた大物を焼いて食べているリュウに訊いてみる。
「ホントに覚えてないんですか?!信じらんないっ!」
怒るニーナを無視して、レイは重ねて問うた。
「昨日か?なんかあったか?」
すると、リュウは苦笑した。
「…ほら、昨日…段差のあるところから飛び降りた時にさ…モモさん、バランス崩してレイの上に墜落しただろ?」
「ああ。あいつ人の腹の上に遠慮無しに落ちてきやがって…あんな重たいのが落ちてきて、あばら折れたらどうしてくれるんだって…」
「それですっ!」
レイの言葉を遮って、ニーナが再びびしっと指を突きつけた。
「…は?」
「レイさんひどいです!何てこと言うんですか!」
「だから、何が?」
「重いって言ったじゃないですか~!何度も言わせないで下さいっ!」
ニーナはあくまで真剣だ。リュウが苦笑したまま補足した。
「ほら、そのあとレイがモモさんにもうちょっとダイエットしろとか言い出して大喧嘩になっただろ?」
「ひどいわ!年頃の女性に太ってるなんて!無神経すぎます!」
「おいおい…そりゃ大袈裟だろ。あいつにそんな神経あるわけ…」
「じゃあ何で今ここにモモさんがいないと思ってるんですか?!」
言われて、レイはきょとんとした。
確かに、みんなで揃っての食事なのに、モモの姿がない。
「そういや…どこいったんだ?あいつ」
「さっきひとりで海のほうに行くのを見たよ。まだそこにいるんじゃないのかな」
リュウが向こうの海を指差して言った。
「モモさん、昨日帰ってきてから何も食べてないんですよ」
ニーナが、今度は低く抑えた声でレイの方を睨む。そして、何かに耐えるように目を伏せて首を振った。
「わたしだったら耐えられないわ…好きな人にそんなこと言われたら!」
「…はあ?!」
あまりに予想外のセリフに、思わずレイの目が点になる。
「な、何言ってんだ、お姫さん…」
ニーナは意外そうにレイの顔を覗き込んだ。
「えー、気付いてないんですか?モモさん、レイさんのこと好きですよ?」
さも当たり前のように。
「な…そ…そんなことあるわけないだろ?!」
完全に動揺している。全身毛で覆われているものの、真っ赤になっているのがはっきりとわかった。
「どうしてですか~?わかりやすいじゃないですか」
「だ…!あ…あいついつも、オレに憎まれ口ばっかり…!」
「それも愛情表現なんじゃないですか~。好きだから気になるし、口も出したくなるんですよ」
ニーナは自信満々だ。対してレイは声も出ない。ニーナは再び、レイに人差し指を突きつけた。
「そういうわけで!モモさん昨日帰ってきてから一言も喋らないし、何にも食べてないんです!レイさんのせいですから、責任もってモモさんに謝ってください!コロニーはモモさんがいなかったら調べられないんですから!いいですね?!」
有無を言わさぬニーナの口調に、レイは沈黙するしかなかった。
後ろでリュウが、笑いをかみ殺しながら残りの魚を口に入れた。

「何にも食ってないだぁ?あいつにそんな繊細な神経、あるわけねーだろうが…」
ぶつぶつ言いながら、キャンプから少し離れたところにある海沿いの釣り場を目指す。
「オレのことを、す、す……だとかいうのも、ぜってーお姫さんの勘違いだって…じゃなきゃ、なんで…」
いつもケンカばかり。
モモのことを女として意識したことなど、一度もなかった。
のほほんとした声で人の神経に障ることを言い、何かといえばすぐバズーカをぶっ放す。女らしさのカケラもない、機械かぶれの学者バカ。
「勘違いに、決まってる…」
もう一度くり返すと、レイは前方に目を向けた。
釣り場。
先日リュウが勇魚を釣り上げた、絶好の釣りポイント。
その釣りポイントに、青い影がちょこんと座って、海を見つめていた。
桃色の長い三つ網の横から、野馳り兎独特の長い耳が伸びている。
近づいたレイは、声をかけようとして立ちすくんだ。
「…!…」
海を見る、モモの横顔が。
とても、哀しげで。
こんな悲しげな彼女の表情を、レイは見たことがなかった。
…否。一度だけ、見たことがある。
『死んだ人を甦らせるなんて…とうさんが、そんな研究に手を貸してなくて、よかったわー』
バイオプラントで。
父レプソルの残した研究施設で行われていた、人の命を弄ぶ実験。
その首謀者を倒した時に、彼女は少しだけこの表情を見せた。
『…ありがとー、リュウ。さ、ウインディア城に行きましょうー』
しかしすぐ、その表情はいつもののほほんとしたものに変わってしまった。
彼女が住んでいたという、大きな塔。
レイは外から見たことしかなかったが、リュウの話によれば、やたら広くてトラップが山ほど仕掛けられており、ゴースト鉱の研究をしていたためそれに引き寄せられてモンスターまでが住み着いていたという。
そんな、大きな「家」で。
早くに父親を無くし、ずっとひとりで。
彼女は何を思いながら、暮らしてきたのだろう。
あの呑気な微笑みで、どれだけの苦悩を包み込んできたのだろう。
苦しみを、苦しいと言うのは簡単なことだ。自分は苦しみを持て余して、周りに当り散らしてきた。
だが、彼女は。
「………」
レイはしばらく動けずにいた。胸が締め付けられるように苦しかった。
が、やがて決心したようにぎゅっと拳を握りしめ、モモに近づいていく。
「モモ!」
レイの呼びかけに、モモはびっくりして振り向いた。
レイは言いにくそうに横を向きながら、指で鼻の頭をこすった。
「その…悪かったよ。ひどいこと言っちまって」
モモは驚きの表情のまま赤い瞳をこちらに向けている。
「だから…何か、食えよ。別に、見苦しいほど太ってるわけじゃないぜ?お前」
レイがそう言うと、モモはまた哀しげに眉を寄せた。
うっすらと涙さえたたえたその瞳に、思わずどきりとする。
モモは何も言わなかった。ただ哀しげな瞳をレイに向けていた。
「…だから…ッ!」
レイはたまらなくなって、モモの腕を取り、引き寄せた。
そしてそのまま、顔を引き寄せて、強引に唇を合わせる。
腕の中で、モモがびくっと身を縮めるのがわかった。
顔を離し、今度はモモの瞳をきちんと見て、レイは言った。
「悪かった。お前は、お前のままでいてくれ」
しばらくの沈黙。
モモは呆然とした表情で、やっと唇を動かした。
「…そんなこと、したらー…」
困ったように首を傾げて。
「口の中、痒くなっちゃうわよー?」
「………は?」
言われてみれば。
口の中が、やや痒いような。
モモは人差し指を口に当てて、何かを思い出すように上を見た。
「昨日ー、帰ってきて、ご飯の前にねー。近くの茂みに、すごく美味しそうな木の実がなってたのー。それでー、コロニーから帰ってきてお腹もすいてたしー、ご飯できるのはもうちょっとかかりそうだったしー、つい、ぱくっと食べちゃったのよー。そしたらー、それ、すごくかぶれる実だったらしくってー。もー、口の中も喉もすっごく痒くてー、喋るのも辛いし、もちろんご飯も食べられなくってー」
そこで、頬に手を当てて辛そうに溜息をついた。だがすぐにまたいつもののほほんとした笑みを見せて、
「でもー、レイが痒いの半分持ってってくれたからー、だいぶ痒いの、おさまった…みた…」
そこで、言葉を途切れさせた。
目の前のレイが、言葉で表せないほど異様な雰囲気を放っていたからだ。
肩を震わせている。笑っているようにも見えたが、表情は何というか…滅殺を繰り出す前のアサシン、といった感じだった。
「…お、ひ、め、さ、ん…?」
レイはだいぶひりひりしてきた口で低く言って、背後の岩陰をゆっくりと振り返った。
岩陰から忍び足でこの場を離れようとしていたニーナが、びくっとして立ち止まる。
「…何が…俺のせいだって…?」
「…あは…は…は…」
ニーナは乾いた笑いを浮かべ、じりじりと後ずさりをして…一気に走り去っていった。

「ごめんなさぁぁぁぁいぃ!」
「逃がすかぁぁぁぁぁぁっ!!」

レイもそれを追って、コロニーの方へ消えてゆく。
モモがぽかんとしてそれを見送っていると、ニーナの横にいたらしいリュウがとてとてと歩いてきて、モモの横に座り、釣り針にルアーをつけた。
「今日はもうコロニーは無理だね。それより、モモさん何も食べてないんでしょ?いっちょ大物を釣ってあげるから、ちょっと待っててよ」
「わー、本当ー?もうお腹ペコペコなのー、勇魚なんて贅沢言わないから、とにかく食べさせてー」
「オッケー、じゃあグミフロートで」
「リュウのいじわるー、せめてトベータにしてよー」
あはは、と笑って、リュウはルアーを遠くに投げた。
巧みにリズムを付けて合わせながら、リュウはモモにちらりと目をやる。
「ところでモモさん…本当に、レイのこと好きなの?」
リュウの質問に、やや間を置いて、モモは少しだけ頬を染めた。
「…まー、嫌いな人にいきなりキスされたらー、即メコムって感じだけどー?」
「…そっか」
リュウは満足したように微笑んで、ルアーに引っかかったグミフロートを釣り上げた。

おしまい。

“Itchy Kiss” 2001.9.28.Nagi Kirikawa

ああ、なんなんでしょう(笑)以前出したブレス本に載せる予定で没にしたレイ×モモまんがです。どうもこう、馴れ合いで憎まれ口ばかり叩く二人、というのが好きらしいあたし(笑)レイ×モモ大好きです。砂漠でのキャンプのセリフとかもう、ツボですね。かわいいvてゆーかモモさんが好きです。可愛くて可愛くて(×無限大)クラクラです。戦闘の時の声とか~もう~!!!
ところで、ちゅーして口が痒くなったってことはレイさん、舌までむもがっ(笑)
そして、まるで自分は関係ないかのように呑気に釣りなんかしてるけど、キミも覗いていたんだろうリュウ(笑)まー、ニーナに無理やり連れてこられた、っていうのが正解だと思いますが(笑)