料理をするようになったのは。
あの人が、俺の作った料理を食べて「美味しい」と言って微笑んでくれたから、だと思う。

何をして欲しいわけでもない。
俺の方を見て欲しいなんて思わない。
ただ、「美味しい」と微笑んでくれるだけで。

それだけで、いい、と。

「わぁ、いい匂い」
勝手知ったる幼馴染の家。
いつもの調子で入ってきた先輩は、台所に入るなり嬉しそうに言った。
「チョコレート?すっごい、本格的!」
台所に並べられたたくさんの器具や材料を見渡して、目を輝かせる。
俺はホイップしていた手を止めて、先輩に微笑みかけた。
「バレンタインのチョコレートを作っているんですよ。もうすぐでしょう?」
「へ?バレンタイン?」
先輩はきょとんとして俺を見た。
「バレンタインって、女の子から男の子にあげるものでしょ?」
「欧米ではそうではないんですよ。男性から女性へ、それもチョコレートには限定しないそうです。
バレンタインにチョコというのは、日本の製菓業者が作ったものらしいですね」
「へぇ、そういえばなんか聞いたことあるなぁ」
その事実自体はどうでもいいのか、先輩はテーブルの上に並んでいる数種類のチョコレートに興味津々のようだった。
俺はくす、と笑って、持っていたボウルを先輩に差し出した。
「味見、してもらえますか、先輩」
「えっ、本当?!」
とたんに顔がパッと輝く。
この人は本当にわかりやすい。
「ええ、どうぞ。あまり甘くしないように心がけたんですが…何度も味見しているうちに、舌の感覚がおかしくなってきたみたいで。ちょうどいいかどうか、見て欲しいんです」
「うわぁ、嬉しいな。じゃ、ちょっともらうね」
ボウルの中のチョコレートを人差し指で少しすくい、そのまま口の中に入れる。
それから、嬉しそうな笑みが広がった。
「うん、すっごくおいしい!甘すぎなくて、でも女の子にもちょうどいい味だよ」
「…よかった」
その笑顔に、俺は満足する。
見返りが欲しいなんて言わない。
このチョコも、渡せなくても構わない。
ただ、この人のこの笑顔があればいい。
「譲くん、これ誰にあげるの?」
「えっ?あ、その…」
突然聞かれて、口ごもる。
当然されるだろう質問なのに、答を用意してないなんて。自分の浅慮を悔やみながら、適当に言い繕う。
「ええ、っと…いつもお世話になっている方々に…先生や…両親とか、でしょうか」
「あっ、じゃあ私ももらえるの?!」
「もちろんですよ」
「あっは、やったぁ!楽しみにしてるね!…あれっ、でも…」
先輩は不思議そうな顔をして、首をかしげた。
「好きな子にはあげないの?」
直球だ。
この人のこんなところが、いいところでもあり、そして残酷でもあるんだろうな。
俺は苦笑して、先輩に答えた。
「もちろん、あげますよ。でも、その人は俺の気持ちに気付いていませんから…食べてもらって、おいしい、と言ってもらえるだけでいいんです」
「んー…そう、なの?私だったら、好きな人には気持ちを伝えたいなぁ。上手く行っても行かなくても、自分が後悔したくないもの」
「先輩は強いですね…先輩なら、きっと上手く行きますよ」
「譲くんも、上手く行くといいね。ううん、きっと上手く行くよ。こんなおいしいチョコだもん」
「…そうですか?」
俺は苦笑した。
先輩は笑顔で頷く。
「そうだよ!譲くんも食べてみて?ほら!」
「えっ……」

何を、と問う隙すらなく。
先輩はボールの中のチョコにもう一度指を入れると、それを俺の口に突っ込んだ。

さっき、自分が舐めた、その指で。

心臓が、飛び出るかと思った。

「ほら、おいしいでしょ?」
得意満面の笑顔。
声が出ない。
というか、頭が働かない。
今、一体何が起こった?
「…あ、そっか、譲くんもう味見してるって言ってたよね…」
無邪気に一人ツッコミをしている先輩をよそに、俺はボウルをテーブルにおいてしゃがみこみ、頭を抱えた。
「ど、どうしたの譲くん?!」
上から先輩の声が降ってくる。
…ああもう、この人は!!
いっそ怒鳴りつけてやりたいくらいだ。
俺は何とか自分を抑えて、テーブルを支えに立ち上がった。
「…せ、先輩……いえ、何でもないです…」
「ほ、ほんとに?」
先輩は何が起こったのかわからない様子で俺の顔を覗きこんでいる。
俺は苦笑した。
「はい、何でもないです。すみません、気を遣わせて」
「そ、そう?ならいいけど…」
先輩はまだ不思議そうな顔をしていたが、やがてまたふっと微笑んだ。
「譲くんの気持ち、きっと届くよ。だから、がんばって」
ちくり、と胸が痛む。
だが、俺は先輩に微笑を返した。
「ええ、ありがとうございます、先輩」

その気持ちが…あなたに向けたものだと、知っても。
あなたは、同じことを言ってくれますか。

俺は、あなたほど強くはないから。
あなたのその笑顔が俺の前から消えてしまうくらいなら…高みは望まずに、ただ側でその笑顔を見ているほうがずっといい。
他には、何もいらない。
ただあなたが、おいしいと言って微笑んでくれたら。

あなたの無邪気な笑顔は、時々俺を苦しめるけど。
けど、その痛みごと、俺はあなたを想っているから。

かすかにほろ苦いけれど、
やっぱりとてもとても甘い、
チョコレートのような、あなた。

感謝と、愛をこめて。
Happy Valentine…

“Hand Made”2005.2.8.KIRIKA

「遥かなる時空の中で3」譲×望美イベントサイトさんに寄稿した三部作の1作目です。まだ異世界に行く前のバレンタインの時間軸…のはず。
幼馴染の3人の気安さに譲くんが悶々とするシーンがそれはそれはたくさんあったんだろうなと思います…w譲くんの、結ばれることはあきらめているけど諦めきれない葛藤がとても好きです。