「おはようございます、春日先輩。今朝は早いんですね」
「おはよう、譲君」
台所に行くと、譲君がいつものように朝ごはんを作っていた。
ここは京の梶原邸なんだから、本当なら朔が作るんだろうけど、朔も譲君の料理の上手さと手際の良さには敵わないみたい。譲君も自分で作るってきかないもんだから、今ではすっかり台所主任が板についちゃってる。まぁ、譲君のご飯は美味しいからいいんだけどね。
「今日の朝ごはんは何?」
「昨日、比叡山に行ったついでに山菜を取ってきたんですよ。炊き込みご飯にしてみました」
「うわぁ、聞いただけでお腹がすいてきたよ。楽しみだな」
私は譲君の横から何を作っているのかひょいと覗き込む。
山菜はもう、隣で湯気を出しているお釜の中に入っているんだろう。卵や魚や、おかずに使う野菜が几帳面に刻まれて置かれている。
それにしても、電気ガマもガス台もないこの世界でこれだけの料理が作れるなんて、譲君ってホントに器用だと思う。私だったら絶対真似出来ないな。
「どうしたんですか?先輩」
感心している私に、譲くんが不思議そうに問いかけた。
「ううん、譲君ってホントに器用だなと思って。いいお嫁さんになるよ」
「先輩、それ本当に誉めてるんですか?」
譲君は苦笑して言った。私はあははっと笑って続ける。
「誉めてるんだって。でも、譲君のお嫁さんになる人はご飯の支度しなくていいから楽そうだな」
私の言葉に、譲君は一瞬固まって…少しして、苦笑した。
「……そう、ですね。でも、俺もたまには奥さんの料理を食べたいですよ」
…あれ…
また…だ。
いつからだろう。譲君はたまに、こんな顔をするようになった。
京に来る前から、だと思う。すごく困ったような、悲しそうな微笑。
私、何か悪いこと言ったかな…?
「…え、と、ゆず…」
「そろそろ出来ますから、先輩は皆さんを起こしてきてくれますか」
「あ、うん……」
譲君は私から目を逸らして、料理の続きに取り掛かる。
その背中がやけによそよそしくて、私はそれ以上何も聞けなかった。
やっぱり、同じだ。
あの微笑を見せた後に、こんな風にそっけなくはぐらかされてしまうのも。
私……譲君を傷つけるようなこと言ったのかな…?

「……っていうわけなんだけど…どう思う?朔」
私が説明すると、朔は複雑そうな表情で深くため息をついた。
「…望美…あなたって人は…」
眉間を押さえて、呟く。
「譲殿も苦労が絶えないわね…」
「え?え?朔、何か知ってるの?」
私はさっぱりわからなくて首をかしげた。
「…まあ…こういう子だからこそなんだろうけど…それにしたって…」
朔はよくわからないことをぶつぶつと呟いている。
「朔、何言ってるかわからないよ。何なの、私何が悪いの?」
朔は顔を上げて私を見た。
「望美…あなた、本当に譲殿のこと、気付いてないの?」
「…譲君のこと…?」
私が首をかしげると、朔はまたはぁ、とため息をついた。
「ねえ朔、何か知ってるなら教えてよ。私が知らないうちに譲君を嫌な気持ちにさせてるなら、直したいよ」
「いいえ、あなたは何も悪くないのよ、望美」
「嘘!だって譲君があんな顔するの、私が何か変なこと言ったからでしょ?」
「…私がここで何か言うのは、譲殿の望むところではないと思うの。だから、私は何も言わないわ」
「…どういうこと?」
朔はいったん言葉を止めて、再びゆっくりと喋りだした。
「譲殿は、言うべきだと思ったことはきちんと言う方でしょう。でも、あなたには何も言わない。
それは、譲殿が、あなたにそのままのあなたでいて欲しいと願っているからじゃないかしら」
「そのままの…私?」
朔は僅かに微笑んだ。
「さっきも言ったわね。あなたは何も悪くはないの。ただ、あなたらしくあるだけ。
それが譲殿を傷つけているというのなら、あなたは直すべきかもしれないけど…けれど、譲殿はそのことも含めて、あなたにあなたのままでいて欲しいと思っているのではないかしら」
「私のままで…?」
よく意味が判らず、私は首をかしげた。
朔はふっと微笑んで、言った。
「ここで私が何を言ってもあまり意味はないかもしれないわ。どうしても気になるのなら、譲殿に直接訊いて御覧なさい」
「えーっ、何て訊くの?」
私が眉を顰めると、朔はくすくす笑った。
「それもそうね。じゃあ、譲殿のことをもっとよく見て御覧なさい。何か新しい発見があるかもしれないわ」
「新しい発見…ねぇ」
私は肩をすくめた。

それから、私は譲君をよく観察することにした。
私が目にするのは、後姿が多いと思う。譲くんはいつも私の前を歩く。私を庇うように。
私が呼びかけると、振り向いて笑顔を向けてくれる。ふわっとした、包み込むような微笑み。
でも、軍議の時はうって変わった厳しい表情をする。博識で、頭の回転が速い。よくそこまで頭が回るなって思う。
朝ごはんを作ったり、庭の花の手入れをしている譲君は、何だかちょっと楽しそうだと思う。私はあまりそういうのが得意じゃないから、何が楽しいのかよく判らないんだけど。
「…何ですか、先輩?俺の顔に、何かついてますか?」
手入れの手を休めて、譲君がこっちを見た。私は慌てて首を振る。
「う、ううん、なんでもないよ」
「…そうですか?先輩、最近何か変じゃないですか?」
「そ、そうかな?」
「俺に、何か言いたいことがあるんじゃないんですか?よく俺のこと見てるでしょう」
「うーん、そ、そうかもしれない…けど」
「気になることがあるなら、言って下さいよ。…………期待、してしまいますから」
「えっ?」
小声で言った最後の部分がよく聞き取れなくて、聞き返す。譲君は苦笑した。
「何でもありません。それで、何ですか?」
「うーん、何で譲君にはわかっちゃうのかなあ」
私は立ち上がって、譲君の方に歩いていった。
「なのに、私はちっとも譲君のことわかんないや。私のこと守ってくれる八葉なのにね。
私、こんなんじゃ龍神の神子失格だよね」
「ちょ、ちょっと待ってください。何でそうなるんですか、一体何の話ですか?」
譲君は驚いて言った。私は苦笑する。
「譲君が、どんなこと考えてるか知りたかったの。私の言葉で譲君が嫌な気持ちになってるなら、何がダメなのか知りたかったの」
「………先輩……」
譲君は目を丸くした。
「でもダメだなあ。ね、教えてくれない?私、何か譲君の嫌なこと、言ったかな?」
「…っ………」
譲君はちょっと目を泳がせて、それから困ったように私を見た。
「…先輩は…悪くありませんよ」
「本当?」
私がちょっと睨むと、譲君は苦笑した。
「…仕方のない人だな」
…また言われた。譲君、これホントよく言うよね。でも、表情は言葉と裏腹にやっぱり何だかちょっと嬉しそうなんだ。
「先輩は何も悪くないです。もし先輩の言葉で俺が何かを思うとしたら…それは、俺が悪いんですから」
「どうして譲君が悪いの?そんなことないよ」
私が言うと、譲君はまた困ったように苦笑した。
「…先輩は、先輩のままでいてください。俺のために先輩が何かすることはないですよ」
朔が言っていたのと同じことを言う。やっぱり、意味はよく判らないんだけど。
「あなたの言葉が痛みをもたらすとしても、その痛みごと、俺は…」
譲君は何かを言いかけて…視線を逸らして、メガネを直した。
「…譲君?」
「…何でもありません。そろそろ、昼飯ですね。俺、支度しに行かなくちゃ」
譲君は庭道具を片付け始めた。
私はそれを見ながら…ふっといいことを思いついて、パンと手を鳴らした。
「そうだ!今日のお昼ご飯、私が作るね」
「先輩?」
驚いてこっちを向く譲君に笑顔を向ける。
「だから、今日は譲君はゆっくりしてて」
「え、でも先輩、その、大丈夫なんですか?」
「もう、どういう意味よ!朔に手伝ってもらうから大丈夫。
そりゃ、譲君みたいに上手には作れないかもしれないけど…」
「…でも……」
「それに、譲君だって言ってたじゃない。たまには奥さんの料理も食べたいって」
「えっ………」
「じゃ、行ってくるね。譲君は、居間でのんびりしててね!」
「あの、先輩っ」

そのままの私をいつも包み込んでくれる、あなたの瞳。
いつか、私があなたの瞳の意味を知ることが出来たなら。
その時は、あなたに負けないくらいの優しさで、あなたを包んであげよう。
あなたの表情を、もう決して曇らせないように。

あなたが、いつも私にしてくれているみたいに。

“As you are” 2005.1.4.KIRIKA

「遥かなる時空の中で3」譲くんのSSです。遥かは毎回ブレずに天白虎推しなんですが、譲くんは一途で不憫で切なかったですね…もちろん最初に攻略しましたが、最初は望美ちゃんのニブさにやきもきしたものでした。しかしこの望美ちゃんのまっすぐで若干天然で、人の裏が読めないところがきっと譲くんのツボなんだろうなあ、という二人のもどかしいすれ違いを書いたんだと思います。ゆずのぞはこの、お互いの関係性が変わっていくところが醍醐味ですよねー。