「みけさんは、通う女性はいらっしゃらないんですか?」

ぶう。
りりの唐突な問いに、みけは思わず食べていた粥を吹き出した。
「げほっ!げほげほっ……な、なにを、いきなり……うー、鼻に入った」
「やだ汚い」
「誰のせいだと思ってるんですか!」
正面で眉を寄せる自分の「式」に怒鳴りつけてから、みけは器を置いて嘆息した。

都のはずれに居を構える彼は、現在は諸事情で宮中にも入れずに入るが、一応宮仕えの陰陽師である平弥謙。
そして彼の正面にいる少女の姿をしたものは、先日めでたく彼の「式」として仲間入りした「天邪鬼」こと、りりといった。

「で?なんなんですか、いきなり」
「みけさんが字を教えてくださったから、とりあえず暇な時にこの家にある書物を読ませてもらってるんです」
「そうですね、そうしててくれると助かります」
「…今はつっこまずにおいてあげますね」
にこり、と笑って続けるりり。
「京の風俗や生活習慣は面白いな、と思って。一応、みけさんも貴族にあたる身分の方なんですよね?」
「まあ、うちは武家なので、宮様とは格が違いますが。一応、殿上が許される身分ではありますよ」
「ということは、結婚するときは、お目当ての姫君のところに通うのでしょう?」
「……まあ、そういうことになりますが」
苦い顔をするみけ。
りりは不思議そうに首をかしげた。
「お兄様はもう結婚していらっしゃるんですか?」
「そうですね、兄は割と早くに、それなりの血筋の姫君の元に通って、婚姻を結ばれましたよ。
 出世のためには、良いご縁を得ることも重要ですからね」
「なるほど、だからみけさんは出世できないんですね」
「やかましい」
「でも、みけさんもいいお年ですよね?通う姫君のひとりやふたり、いないんですか?」
「……いません、けど?」
「そうなんですか」
りりはあっさりと言って、持っていた書物に目を落とした。
「京の男性は、複数の妻を持つことができるんですよね?」
「まあ、そうですね。正妻はあくまで一人ですが」
と、そこまで答えて、眉を顰める。
「……あなたのところでは、違うんですか?」
京では常識とも言えることをわざわざ聞いてくるということは、彼女の常識はそうではない、ということだ。
今まで、彼女の生まれのことを何度聞いてもはぐらかされたが、この流れなら聞くことができるだろうか、と思う。
しかし、彼女は首をかしげてさらりと答えた。
「私のところというか、海の向こうの遠い国では、一人の男性は一人の女性とのみ婚姻を結べるんです。別の女性と結婚したい場合は、一度縁を切らなければならないんですよ。婚姻というのは、一生をこの人と共にしますと誓う行為なので、誓った相手から心変わりをして別の女性と結婚をすること自体、あまり歓迎されません。不誠実な人だという烙印を押されるんですよ」
「へぇ……」
異なる常識の話に、みけは興味津々だ。
「では、海の向こうの国では、基本的には、男性と女性は一人ずつで結婚し、一生共に暮らすということですか?」
「まあ、海の向こうの国にもいろいろありますから、もちろんこの国のように、ひとりの男性に対して複数の妻がいる国もありますよ。逆に、ひとりの女性が複数の男性を夫にする国もあります」
「そんなところもあるんですか!」
感心したように言うみけ。
りりは頷いて続ける。
「この国でも、一夫多妻が認められているのは貴族だけであるように、多くの妻と婚姻を結ぶには、その妻を養う十分な富がなければいけません。妻に十分な暮らしをさせてあげられない甲斐性無しは、複数の妻と結婚することはできないそうですよ」
「ああ、なら僕も無理ですねえ」
みけは苦笑して言った。
「通う姫君がいるいない以前に、僕には女性を養うだけの甲斐性はありませんから。複数の女性なんて、夢のまた夢ですよ」
「そうなんですか?」
「そうでしょう」
みけはどうということもない、というように、さらりと言った。

「僕は、あなたの一生を貰ってしまってるわけですから。
 いまのところ、あなたを御するのに精一杯で、他の姫君に向かう余裕なんてないですよ」

「………」
目を丸くして絶句するりりに、みけは不思議そうに首をかしげる。
「どうかしましたか?」
「………天然ですか」
「は?」
はあ、とため息をついて、りりは顔を上げた。
「わかりました。じゃあ、まずは文を書くんですよね?」
「はい?」
唐突な話の展開についていけずにいるみけに、りりは首をかしげて言った。
「婚姻を結ぶなら、文を書くんですよね?」
「ええ、まあ、そうですね」
「そのあと、夜に姫君のもとに行き、契を交わして、朝に帰ってくる。それを3日間続ける」
「その通りです」
「……帰っちゃうんですか」
「まあ、そういう決まりになっていますからね。婚姻を結んでも、一緒に暮らすわけではないですし」
「随分淋しい決まりですね」
「その代わりに、男性は後朝の文を送るんです」
「きぬぎぬのふみ、ですか?」
「はい。夜寝るときは、自分の衣をかけて寝るでしょう。一夜を共にするということは、お互いの衣を重ねてかけるということです。
夜明けになって男性が帰るときに、重ねていた衣を分たなければならない。離れ離れになることの切なさを歌にして贈るんです」
「わかりませんねえ。離れるのが嫌なら離れなければいいのに」
「別れを惜しんで離れることが、さらにお互いの愛を深めることもあるんですよ。でも、あなたがそう言われるのでしたら、この国の独特の文化なのかもしれませんね」
「へぇ……」
ふむ、と考える素振りをしてから、りりはおもむろにみけの方を向いた。
「残念ながら、私に文は書けそうにありません」
「そうでしょうね、言葉を知っていれば書けるというものでもありませんから。まあ、大事なのは気持ちじゃないですか。言葉の枠にはめられなくても、あなたの気持ちが伝わればいいと思いますよ」
「そうなんですね」
りりは頷いて、それからにこりと微笑んだ。
「じゃあ、文は省略してもいいですよね」
「はい?」
「そうですよね、考えてみればもう私はみけさんに貰ってもらってるわけですから、今更文でお伺いを立てなくても問題ないですよね」
「ちょ、ちょっと、何の話ですか?」
「え?ですから」
りりはきょとんとしてから、再びにこりと微笑む。

「私がみけさんのところに3日間通って、後朝の文を送ればいいんでしょう?」
「はあああぁ?!」

素っ頓狂な発言に素っ頓狂な声を上げるみけ。
「なにがどうなって、そうなるんですか?!」
「え、だって、みけさんは私の一生をもらってるんですから、他の姫君には興味ないんでしょう?」
「いや、たしかにそうは言いましたけど」
「私もみけさんの一生をもらっちゃってる以上、形だけでもこの国の婚姻に合わせてきちんとしておかないと」
「だからちょっと待ちなさいと。誰があなたと婚姻を結ぶと?」
「えー、だってもう一生を誓い合ってるんですから、婚姻を結んだようなものじゃないですか」
「断じて違います」
「そんなこと言って。主様は本当に私のことが好きなんですよねー」
「違うって言ってるでしょうがー!!」
「とりあえず、今晩みけさんのところに行けばいいんですよね?」
「話を聞けー!!」

使用人のいない屋敷に、ぐだぐだなやり取りが延々と響き渡り。

結局。

「主様ー。来ちゃいました、うふ」
「本当に来たよこの人……」

その晩、みけの閨にやってきたりりに、みけは頭を抱えて突っ伏した。
「衣を重ねてかけるんでしたっけ?」
「いそいそと脱ごうとしないでください」
「あ、ごめんなさい、先にみけさんを脱がさなきゃですよね」
「待てというに」
みけの衣にかけられた手を、強く握って止める。
最初に触れた時と同様、その手は驚く程に細く、少し強く握れば折れてしまいそうだった。
「みけさん?」
きょとんとするりりの瞳を、正面から見つめ返して。
「…いいんですか」
抑えた声音で、確認するようにゆっくりと問う。
「この先に進んでしまったら、本当にあなたを離してあげられなくなりますが。
それでも、本当に進んでいいんですか?」
「………」
りりはしばし無表情のまま、彼をじっと見つめ返していたが。
やがて、その表情をふわりと緩めた。
「みけさんは、私の一生を捕らえて、縛り付けたと思っているんですね」
「……僕の心も読めるようになったんですか」
「いいえ?でも、わかりますよ、そんなこと。心の声が聞こえなくても」
くすくすと笑いながら、みけに掴まれたてをやんわりと外し、自らの指を絡める。
「でも、違いますよ。みけさんが捕らえたんじゃありません」
「……違う?」
「私が、私の意思で、みけさんに捕まりにいったんです」
にこり。
心の底から満足げな表情で、そう言ってみせるりり。
「私は山を降りて、あなたについていきました。
あなたの言うことを聞いて、あなたのそばにいました。
あなたに術を教わり、その力を使いました。
そして」
きゅ、と、絡めた指先を握りしめて。
「あなたと戦い、真名を教えて、あなたの式になりました。
すべて、私の意思で」
「…………」
不思議な色の瞳をまっすぐに見返すみけ。
しばらくして、ふっと目を閉じて、ため息をついた。
「…兄上が『捕まった』と言っていたのは、こういうことだったんですね」
「ふふ。観念して、全部捕まっちゃってください」
楽しそうに言うりりを、睨むように見返して。
「…それは、こちらの言葉です。観念して、僕に全て捕まりなさい」
「ふふ、主様は本当に私が大好きなんですね」
「…それは、あなたもでしょう?」
「そうです……と、今は言っておきますね」

ぱさり。
二人の衣が外され、重ねられる。

まるでずっと離れないというように。
二人の体も、衣と同じように重ねられていった。

「……ん」
差し込んでくる朝の光に薄目を開けるみけ。
「…りり……さん?」
ぽんぽんと隣に手を置いてみるが、昨夜そこにあったぬくもりは今は消え、冷たく硬い床の感触だけが手のひらを押し返した。
体にかけられた衣も、彼女の分は分かたれそこにはない。
苦笑するみけ。
「本当に、形を合わせたんですね…」
この屋敷の中にはいるのだろうが、夜明けには帰るという慣習の通り、りりは夜が明ける前に閨を立ち去ったのだろう。
みけが身を起こすと、手元にかさりと何かの感触があった。
「…?」
手にとってみれば、それは折りたたまれた紙だった。中に何か書いてあるようだ。
「……もしかして、後朝の文……ですかね」
再び苦笑して、かさかさとその文を開く。
そこには、意味不明な文字で何かが書いてあった。
「……確かに、言葉に嵌めなくても、気持ちがあればいいとは言いましたが……意味が伝わらない領域でいいわけが……」
ぶつぶつと言いながら、みけはあとで外国の文献を漁り、この文字列の意味するところを読み解こうと心に決めるのだった。

―― I love you, my darling.

相川さんにお贈りした「続・夢への切符」のあまさぐ編が、続きかつ完結のお話になっていたのでこちらもこの部分だけ抜き出して掲載しました。感想で三日夜の餅とか食べて後朝の歌とか詠めばいいんじゃないですかね!とか言ってたのでその通りにしましたw三日夜の餅は描けなかったけど三日目には食べたに違いないよ!w
しかし文の内容からするとりりの生まれは英語圏ということに…あんまり考えてなかったですがイギリスも妖精の国だしなー。なんか考えますw