「みけ」
ある夜、訪ねてきた兄に、みけは息を呑む。この次兄は、下手にへらへら笑っていない方が、よほど印象に残る顔をしている。そう、まるで、空に浮かぶ細い刃のような月に似ているのかも知れない。
「話が、あるんだけど。りりちゃん抜きで」
「かしこまりました」
その旨を屋敷の者に告げ、夜の京へ歩き出した。

「……人伝に聞いたんだけどさ」
玖朗がそう切り出したのは、人のいない神社だ。
「……りりちゃんに、陰陽道を教えてるって、本当なの?」
「ああ、はい。きっと凄い使い手になりますよ」
軽く頷くと、玖朗は大きくため息をついた。
「馬鹿なの?」
「え?」
「化け物に、力を付けてやって、どうするのかって聞いてるの!今は心の声を聞いたり暗示を使うだけだったけど。いや、今でさえ充分過ぎるほどに脅威だというのに、陰陽道まで使いこなし始めたら、本当に人間はどう対処したらいいの?」
「兄上」
みけは玖朗を困ったように見やる。
「彼女は、本当に頭が良くて。僕が使っているのを、見よう見まねで使い始めてしまいました」
「……それは、どっちかっていうと押しつけた俺の責任だよね」
「別に、それはどっちでもいいんですけれども。制御できない力は、暴走したり予想外の結果を生むことになります。陰陽道は世の理でもあるので、そこに正しい知識もないままに力を使うようなことがあれば、どんな影響が現れるか。……それなら、彼女自身に制御させる術を教えた方がいいかと思いまして」
りりの面倒を見させることが、とんだ問題を連れてきたものだ、と玖朗は嘆息する。それも一旦は自分なのだから、なお頭が痛い。
「それに、彼女は心に関与する以外、基本的には普通の少女と変わらない。先日、無体を働いた方がいらっしゃいましたし、調伏の仕事にも連れ歩いていますし、身を守れるようにするためにも、と」
「ちょっと、待って。その場合、あの子が暴れ出したら、どうしたらいいの?」
「…………」
弟の顔は、心が読めなくても、分かった。
分かりたくなかったけれど。
「……深く考えないで、そういうことをしないでほしい」
「反省は、していますよ。でも、他に手段はなかったというか」
「そうだね……で、どうなの?」
「何が?」
「例えば、彼女がこちらに牙を剥く可能性は、ないの?お前、従えられる?」
「きっと、凄い使い手になりますよ。……僕よりも」
よろ、と柱にもたれた兄が「落ち着け、うん、落ち着け俺」と呪いのように繰り返している。
「あの」
「みけ、緊急の命令だ。調伏してこい。さもなくばこちらに仇為せないような別の手段を講じてほしい。……可及的速やかに」
顔を上げた玖朗は、兄の顔ではなく、都を守る者としての顔をしている。
だから、言葉が返せなかった。
「お前に任せきりにしたことは、悪かったと思う。お前が出来ないなら、俺がやろう。今なら、やれるんでしょう?斬り殺すことくらいは。思考を読まれようとなんだろうと、身体的には普通の少女ならば」
「ま……待ってください。いきなり殺すって、それは」
「じゃあ、どうするの?どうしたら、あの子に鎖をかけておけるの?」
自分の心は読まれないから、一番の脅威を意識していなかった。彼女はそれだけで、畏怖されているのだと。
「すみません、話してみます。分かってくれると、思います」
「化け物の口約束を、信じられるほど、俺は度胸がある訳じゃないんだよ」
それは、むしろ普通の反応なのかもしれない。
訳の分からない、こちらの心を読む者。
こちらを直接害する力があると分かれば、それこそ大きな騒ぎになる。
それは、分かった。だが。
「……化け物って、言わないでください。大きな力があるものがそうなら、あなただって僕だって化け物でしょう。……彼女は」
「……彼女は?」
「…………っ、友人です!話して分かってもらうことだって、できるはずなんですから」
踵を返して走っていった弟を見やって、玖朗はそっと柱に寄りかかる。
「俺が思うに、話して分かってくれるなら、お前が今、あの子の面倒を見ていることは、なかったんだろうけれど」

「……と、いう訳なんです。悪用しないって、約束して欲しいんです」
「……」
りりは、苦笑してみけを見た。
「あの?」
「私は、お兄様が正しいと思いますよ?口でならいくらでも、なんとでも言えるんですから」
「え」
「あなたは、私が、おとなしく言うことを聞いて、どこかへ行かないと思うんですか?」
「そうして欲しい、というお願いです」
「私が、気まぐれでここにいることは、分かっていますよね?」
「勿論です」
「……追われるくらいなら、追ってくる方々を、全員返り討ちにしてしまっても良くはないでしょうか」
笑顔で言ったりりに、みけは目を丸くする。
「それは。……けれど、そんなことはさせないので」
「お兄様はそういうつもりなんでしょう?」
にこにこと笑いながらそう言ったりりは、そこで一つ欠伸をする。
「ま、今日のところは眠いので、暴れずにいてあげますよ」
「今日のところは、って」
「目が醒めた時も、私が暴れる気にならないといいですね?」
くすくす、と笑って少女は部屋を出て行った。
困った顔をしたみけを残して。

「りりさん」
「あら、みけさん。おはようございます」
明らかによく眠っていないのだろうみけの顔を見て、りりは微笑む。
「あのですね」
「みけさん。私ね、出ていこうと思います」
「え?」
「片っ端から邪魔する方々を殺して、別の土地へ行こうと思います。そこも気に入らなかったら、また次へ行きます」
にこにこと、今日の天気を話すかのようになんでもないことのように少女はそう言った。
「……りりさん」
「今までありがとうございました。力も付けてもらったし、面白かったですよ。お礼にみけさんだけは殺さずにいてあげますよ」
「りりさん!」
怒鳴られて少女はきょとんとした顔で、はい?と首を傾げた。
「……行かせるわけに、いかないでしょう!何故、そんな」
「私は私のまま生きていきたいからですよ。何もしていないのに、私が私であることを制限されるのは嫌ですよ。……あなただって、そうでしょう?」
家を飛び出して、陰陽師になったあなたなら。
そう言って、ぽん、と手を打った。
「ああ、じゃああなたのご家族を惨殺することから始めましょう。お嫌いなんですよね、お兄様たちが。良かったですねぇ、これであなたを縛るしがらみはなくなりますよ」
「りり、さん」
「そうと決まれば、さっそく」
背を向けた少女の着物の袖を掴む。
「待ちなさい。……本気、で?」
「ええ」
掠れた声に、短くりりは頷いた。
「……僕は、あなたを、止めなきゃいけない。本気でそれをやろうとするなら、力づくで」
ゆっくり、りりは振り返る。
「できますか、あなたに?」
「やりますよ、あなたが本気なら」
未だ逡巡を残したままの顔で、みけはそう答えた。
「そうですか、じゃあ、やってみたら、どうですか!」
袖から取り出した符は炎を撒き散らしながら放たれる。それを同じように水術で消滅させる。
「あなたは……っ!」
「できも、しないくせに」
「考え直す気は、ないんですね?」
「ありません」
「……あなたは、いつかどこかへ帰るものだと思ってました」
する、と印を結んでそう口にしていた。
「その時まで、あなたを一時的に置いているつもりでした」
放った水の術はりりを押し流そうと大きな流れになるが、彼女自身が張った膜に阻まれて届かない。
「いつか、帰りたいと言ったときに、帰してあげられるように……お願いしていたつもりでした」
「まぁ、お優しいことですねぇ」
「待っている人や、会いたい人がいるのだろうと、思ってました。でも」
流れ続ける水をそのままに、みけはもう一つ……符に封じて置いた術を放つ。金色の槍のような大きさの刃を無数に召喚していた。
「もう、どこにも、行かせるわけにいかない」
「っ!」
放たれた刃がりりに向かって飛んでいく。咄嗟に張った膜も、それを全て減じることは出来ずに、りりの衣を貫いていく。
「きゃあっ!」
「りりさん」
床に縫い止められた少女に歩み寄って、その身体を押さえつける。喉に手をかけられて、りりは僅かに呻く。
「やだぁ、押し倒され、ちゃいましたねぇ……」
「まだ、習い始めた陰陽道なのに、それだけやれるのは、凄いことだと思いますよ。……最終勧告です。僕に、約束しませんか?その術の腕は無闇に使わないと。人を害したりしないと」
「お断りします」
「……そう、ですか。じゃあ、仕方ないですね」
みけは、一つ息を吸うと、調伏のための言葉を紡いだ。

「……もう、大丈夫です。彼女が暴れたり逃げたりする心配はもうありません」
「……みけ」
「でも、僕は、甘かったんですね。彼女がどう出るか、何を考えているのか全然分からなかった」
沈痛な表情の弟に、玖朗はかける言葉を探して考える。
「みけ、あのさ」
「主様、お兄様が困ってらっしゃいますから、別に殺していませんよ、と先に申し上げた方がよろしいかと思いますよ?」
「………………は?」
ばっと振り返った玖朗の前には、巫女装束のりりがいる。髪を後ろで束ねている姿は今までの姫装束でいた時とは違う雰囲気に見えた。
「あれ?調伏しましたよ、って報告のつもりだったのですが……」
「主様、『こンの馬鹿、紛らわしいっ!』って思っておいでですよ」
「ああ、すみません」
「…………ごめん、りりちゃん。文句と苦情はちゃんと吐き出させてくれないかな。貯めると心の中で増幅するからさ」
「失礼いたしましたv」
「で、調伏って、どういう事?」
「本当に、式にしたんですよ。僕の許可がなければ遠くへ行けないし、術も使えない。心を読むことは元々の能力なので、制限できないんですけれど」
「というわけで、主様に仕えることになったりりですvきゃv」
りりの満面の笑顔と、沈痛な面持ちの弟を交互に見比べながら、玖朗は口を開いた。
「概ねそのとおりです、お兄様」
「……喋らせてよ……。っていうか、そう……捕まったわけだね、みけ」
「彼女の考えていることは、全く理解できません」
「そうだね、俺もそう思う」
しみじみと玖朗は言ってから席を立つ。
「お帰りですか?」
「あー、うん。問題ないんですって言って回らないとねぇ……。噂は宮中で広まってるから、大変なんだよ」
「うう、誠に申し訳ないです」
「でも、ちょっとお兄様嬉しいんですよね。みけさんがちゃんと私を調伏できたこととか」
「……りりちゃん」
「うふふ、照れちゃったんですかぁ?」
「みけ、制限してくれないの?っていうか、ちゃんと制限するように頑張ってくれないかな?頼むよ、本当に」
「善処はしてみます……」
ため息を一つ残して出ていった兄を見送って、みけは横のりりを見下ろす。
「衣食住と居場所を手に入れられて良かったですね……」
「あら、もう一つ手に入りましたよ?主様が」

「りりさん」
手をかけたまま、みけはりりを見下ろしながら言った。
「僕に、真名を教えなさい」
「み……」
「……僕が命を終える日まで、あなたを留め置きましょう。からかわれるのも、面倒をかけられるのも、全部覚悟の上です。……可能な限りの自由は保証する。あなたを人々から守る。だから」
言葉に力が乗せられる。
「僕のものになりなさい。その魂ごと全て、僕に。嫌だと言うならこのまま殺します」
「…………」
目を丸くした後、りりはふっと微笑んで、口を開いた。
「私の、名は」

「あんな熱烈な恋の告白されたら、女心はくらっとしちゃいますよねー、みけさん」
「……なんですか、あなたは。本当に、僕の人生が欲しかったとか言うんじゃないでしょうね?」
べったりと背中に抱きついて言うりりに、恨めしそうにみけは問いかけた。動けない。
「うふふ、いやですねぇ、私の全てはあなたのものですよ?主様の人生をもらうなんて、そんな大それた事、しませんよぅ」
「し、白々しい……」
「その証拠に、あなたの許可無くして陰陽の力は使えないんですから」
髪をまとめているのは、術を込めた紙。みけとその式神の猫以外は破り捨てることはできない。
「本当に、どうして妥協しちゃったかなぁ……」
「本当に、どうしてですか?化け物を手元において面倒見ようなんて」
前に回ってまっすぐに目を見つめられて、みけはため息と共に視線を逸らした。
「僕にとってあなたは、化け物なんかじゃないからじゃないですか?」
「まぁ」
「僕にとっては、ただの姫君ですからね」
心が読まれるわけでもない。価値観は違っても、風変わりな容貌の、美しい少女だというだけなのだから。
だから、問題なのだろうけれど。
「……僕が本当にあなたを殺そうとしたら。そもそも止められなかったら、どうするつもりだったんですか?」
「殺されたら、それまでですよ。止めてくれなかったら京を滅ぼして移動するつもりでした」
彼女の考えることは、分からない。
理解しようと思っているが、出来る気がしない。
「主様、これから一生、面倒見てくださるっていうことなので、よろしくお願いいたしますね。無論、りりの全ては主様のものですから」
「っ」
物思いにふけっていた思考の一瞬の隙を突いて、するりと抱きついてきた少女は、にやりと笑った。
「いつでも、可愛がってくださいましね?お待ちしていますから」
そんな無体を働きたくてあの言葉を言ったつもりはなかったのだが。
「…………僕に飽きても逃げられないって言うのに、余裕ですねぇ」
こん、と覗き込んできた少女の額に、自分のそれを当てて、苦笑した。
「僕のものになったことを、後悔させないように頑張りましょう」
「…………あら、本当に一生をくださるおつもりなんですね」
「一生をいただいてしまいましたので。……一生あなたといる覚悟がなければ、殺しにかかってましたよ。そうしてしまえば良かったとは、思いませんけれどね。……あなたも、妥協はしてくださいよ、りり」
名を呼んだ主に、笑顔と共に返事を返すと、そのまま思い切り抱きついた。
驚いた主が脇息やら何やら巻き込んで盛大に転がって、りりは思い切り笑った。

「いい加減にしなさーいっ!」
「うふ、かしこまりました、それがご命令でしたらv」
「……く、なんで押し倒されるような事になっているんでしょうか……!」
「ちゃんと制限かけないからですよ。ふふ、主様は本当に私が好きなんですねぇ」
「うるさーい!」

相川さんからのいただきもの「夢への切符」のあまさぐ編が、前からの話の続きものになっていたので、抜き出してこちらに掲載しました。
向こうでも言ってましたがこれ以上ない素敵なエンディングなので、ここまでを一つの物語にすればいいんじゃないかなと思いましたwということで、私と相川さんのリレー小説みたいになってますが、続きものとしてお話を掲載しています。
天邪鬼を式として従えた陰陽師みけさんの活躍だけで軽く冒険小説が書けそうですが、なにげに玖朗兄様とりりの掛け合いも割と好きですw