兄の来訪

「お帰りなさいませ」
「ご苦労様です、留守中変わりはありませんでしたか」
出仕から帰ってきた男は、牛車から降りたところで恭しく出迎えた女房に穏やかに声をかけた。
女房は平伏したまま男の問いに答える。
「玖朗様がお見えでございます」
「兄上が?」
きょとんとする男。
「珍しいですね。支度をしてすぐに向かうと伝えてください」
「畏まりました」
一礼してその場を辞する女房。
男はそのまま自室へと足を向けた。

男の名は、平弥謙(たいらの・みけん)。
武士の家系である平家に生まれながら、何故か武芸の才に恵まれず、たまたま訪れた陰陽師に術の才を見出されて弟子入りをし、現在は陰陽寮に出仕している。
そういう事情もあって、武官として高い地位にあり、宮中でも誉れ高い兄・玖朗(くろう)とは、兄弟でありながらあまり交流は無かった。
ましてや兄が自ら彼の邸を訪ねてくるなど、何月、いや年単位で久しぶりではなかろうか。
彼は自室で簡単に身支度を整えると、兄の待つ部屋へ向かった。

「や、久しぶり、みけ」
兄は彼の姿を見ると、気さくに笑って手を上げた。
彼はその可愛らしい風貌から、みけ、と家族には呼ばれている。何故かそれが宮中にも広まって、上司や同僚までからみけ殿みけ殿と呼ばれる羽目になってしまったのが微妙に釈然としないが。
「ご無沙汰しております、兄上。こちらにいらっしゃるなんてどういう風の吹き回しですか。ご連絡いただければ僕の方から伺いましたのに」
「可愛い弟に会いに来るのに、そんな大層な理由が要る?」
「白々しい、と申し上げてよろしいですか」
「言うねえ」
玖朗はみけの言葉に気を悪くする様子も無く、にこりと笑って話を切り出した。
「なかなか、活躍してるそうじゃない。陰陽師殿」
「は?」
「こないだも、二条の姫君に憑いた怨霊を祓ったって聞いたよ?」
「ああ、まあ…あれはそう大して強いものでも無かったですし」
「そうなんだー、いや、優秀な弟を持って俺も鼻が高いよ」
「兄上」
みけは少し苛ついた様子で、玖朗の言葉を遮った。
「白々しい褒め言葉は要りませんから、用件をどうぞ」
「ひどいなあ。俺は本心から言ってるのに」
「従四位のお方にそう言われても、嫌味にしか聞こえませんよ」
玖朗の位は従四位、親王でも無い、ましてや武家の人間としては最上位とも言えるほどのかなりの高位であり、無位で昇殿することすら出来ないみけにとっては雲の上の人と言ってもおかしくはない。その兄に褒められても、「そんなに無理して褒めてもらわなくて結構」と思ってしまうのも無理からぬことだ。
玖朗はみけのそんな気持ちもわかっているのか、苦笑して言葉を返した。
「それでも、俺には陰陽道なんてわかんないし使えないからさ。怨霊を祓えるお前のことは、素直にすごいと思ってるんだよ。
向上心があるのは結構だけど、お前のそれは卑屈なだけ。人の褒め言葉くらい、素直にお受けとっておきなさい」
「……はい。すみません…」
納得は出来なくても、兄の言うことは正論だ。みけは憮然として、それでも謝罪の言葉を紡いだ。
兄はもう一度苦笑して嘆息すると、言葉を続ける。
「…ま、褒めるために来たんじゃないのは、お前の言う通りだよ。
ねえみけ、北山に鬼が出るって話、聞いたことある?」
「北山に……鬼、ですか?」
兄の言葉に、みけは眉を顰めた。
「いえ、聞きませんが……鬼を見た方が?」
「うん。ほら、何て言ったっけ…人の心を読んで、その反対のことを言って悪戯を仕掛けてくるやつ」
「天邪鬼ですか」
「そうそう、その天邪鬼。本当に鬼かどうかは怪しいんだけど…ていうか、鬼なの?」
「そうですね……」
みけは視線を少し逸らして、書物で読んだ記憶を辿る。
「天邪鬼の起源は、神話にある『天探女』にあると言われています」
「あまの…さぐめ?」
「はい。彼女は天の動きや未来、人の心を読む力を持った巫女のような存在でしたが、仕えていた主君に、天からの使者を射殺すよう注進するのです。主君は使者を射殺してしまうのですが、それで天の怒りをかった主君は天からの矢によって射殺されてしまう。
これは彼女が悪意を持って仕組んだわけではなく、ただ彼女は天に連れ戻されたくないという主君の願いを叶えるために動いただけなのですが、天の使者を殺してしまうよう唆したということで、『あまのさく』という発音に、天の邪魔をする鬼、という字が当てられ、天邪鬼になったと言われています」
「へえ…さすがに詳しいね」
「そこから、人の心を読み、逆に悪戯をする鬼のことを天邪鬼と呼ぶのですが…」
「じゃあまさしく、天探女なんだねえ、その北山の鬼は」
「え?」
きょとんとするみけに、兄はにこりと微笑んだ。

「女の子なんだって。その鬼」

天探女

「なんでもね、北山を登っている途中で不思議な女の子に遭遇して。
その子は、こっちが思っていることをそのままずばずばと言ってくるんだってさ。
気味が悪くなって逃げ出しても、どんなに走ってもまたその子のところへ戻ってきちゃう。
その子はその様子を笑いながら見ているだけで、それがまた気味が悪い。
必死に走ってるうちに、気がついたら泥だらけになって池に半分浸かってた、んだってさ」
「それは…また……なんとも言い難い話ですね」
「それでね、あれは鬼だ、天邪鬼だ、退治しなければ、っていうんだけど、そういう話でしょ?鬼かもしれないとはいえ、ちっちゃい女の子にからかわれて必死になって泥まみれで池に落ちたなんて、公家様としては公言できないらしくってさ。
んで、陰陽寮を通さずにお前に直接お願いしよう、ってことになったわけ」
「お願いしよう、って……」
「まーまー、人助けだと思ってさ。鬼が人に害をなした、となれば、陰陽寮としてもほっとけないでしょ?」
「まったく…そんなことだろうと思いました」
「とりあえずお前が行って、それでどうにもならなかったら陰陽寮にも報告して対処してもらってよ。
そうしたらそのお公家様の話も出なくて済むでしょ」
「まあ…いいですけど。
でも、何故それだけで鬼だと思ったんでしょうね?その現象だって、その女の子が原因とは限らないのに」
「ああ、それは一目見れば判ると思うよ」
「どういうことです?」
「まあ、見に行ってみたらいいよ。見られればの話だけど」

「勿体ぶった言い方をして…何があるっていうんですか……」
兄の言葉を思い出し、ぶつぶつと文句をたれながら、みけはくだんの北山を登っていた。
公家も足を踏み入れるような、整えられた山道ではある。が、体力の無いみけには若干荷が勝っているようだ。愚痴でも言わなければやっていられない。
「このあたりですかね…」
兄に言われた場所に到着したみけは、きょろきょろとあたりを見渡す。
道から少し外れた場所に、花畑があると言っていた。道を見失わないように注意しながら、さくさくと草を踏み分けていく。
ちち。ちちち。
木々の向こうから鳥の声が聞こえた。
なんとなく、それに誘われるようにそちらに足を向ける。
ち、ちち。
声のする方を覗き込もうとして、息を呑む。

鬱蒼と茂る枝の向こうに、そこには確かに花畑があった。
柔らかい陽光が降り注ぐのは、僅かな土地だがぎっしりと敷き詰めたように咲く白い花。野生の百合だ。
その小さな花畑の中央に、少女が一人、指に小鳥を止まらせて微笑んでいた。

「………」
ちち、ち。
小鳥の声が響く中、その光景があまりにも、美しい一枚の絵のようで、みけはしばし呆然と見惚れていた。
年のころは15ほどだろうか。『女の子』と言うには少し年かさな気がする。通う男がいてもおかしくない年齢だ。
桜色の、唐の衣服のような装束を身に纏っていて、それも風変わりで目を引いたが、何より。
(これは……確かに、鬼、と言われますねえ)
彼女の髪は、きらきらと陽光を纏って輝く、亜麻色をしていたのだ。
普通の人間ならば、髪は黒い。みけ自身も少しだけ色素の薄い髪をしているのだが、それとて口さがない輩に揶揄されることがあるのだ。これほどまでに一筋の曇りも無い亜麻色の髪であれば、鬼と言われるのも無理は無かった。
もっとも、髪の色が違う人間がすなわち鬼などではないことをみけはよく知っている。唐からの書物によれば、唐のさらに西の西、天竺を超えてなお西の遠い異国では、人々は真っ白い肌に金の髪を持っているのだとか。何かの理由があってここ日の本に流れ着いた異国人が、自分たちとは違う外見であることから鬼と呼ばれ恐れられることもあるのではないか、というのがみけの見解だった。
人は己とは違う未知なるものに恐怖を抱くものだ。これだけの視覚的威力があれば、鬼と恐れ逃げ出すのも無理は無かった。
みけ自身には、美しいとしか感じられなかったが。
「………あら」
呆然と立ちつくすみけに気づいた少女が、ゆっくりと顔を向ける。
ちちち、と手の上に乗っていた鳥が飛び立った。
「こんにちは」
にこり。
綺麗な微笑を向けられ、どきりとする。
「…こ、んにちは」
思わずそう返してから、どうしたものか、と思う。
この少女が、くだんの『天邪鬼』であることは間違いない。だが、どうして聞いたものか。
「…こんなところで、何を?」
とりあえず、そんなあやふやな問いを投げてみる。
彼女はにこりと笑った。
「お天気が良いから。お散歩です」
「……そう、ですか」
みけは少し戸惑って視線を泳がせてから、改めて彼女に視線を向けた。
「…あの、あなたは」
鬼、ですか。
その言葉が続けられず、言葉を詰まらせる。
しばしの沈黙の後、少女はまたにこりと笑った。

「…………りり」

「えっ?」
「りり、といいます。私の名前」
「りり……」
「海の向こうの異国の言葉で、百合、という意味なんですよ」
「……そう、ですか」
「あなたは?」
「……あ、ええと」
そこで、少し戸惑う。
彼女がもし本当に鬼ならば、本名を教えることは致命的だ。まあ、通名でもそれなりに危険なのだが。
彼はしばし考えてから、答えた。
「…みけ、といいます」
「みけさん、ですね」
にこり。
りりはまた綺麗に微笑んで、みけに言った。
「みけさん、今はいいお天気ですけど、じきに雨になります。早く帰ったほうがいいですよ」
「え」
なぜそんなことが、と思ったが、実際に天を見上げると。
「……本当だ」
彼も一応陰陽師。天の様子を見る術は心得ている。
今は晴れ渡っている空は、明らかに雨の兆候を見せていた。
「…ありがとう、ございます」
「いいえ」
戸惑いがちな礼の言葉に、優雅に微笑み返すりり。
みけはそちらが気になりつつも、くるりと踵を返した。

そして、彼が邸に帰って間もなく、彼女の言葉通りに雨が降り出したのだった。

面倒な来訪者

「本当に降りましたね……」

みけはしとしとと降る雨を縁側から見上げながら、しみじみと呟いた。
まあ、自分も天を読む知識はあるし、それがすなわち彼女の常ならざる力だと断ずるのは早計だが、彼女の言葉が現実になったという事実は変わらずここにある。
桜色をした唐の衣服と亜麻色の髪から、普通に都に住む姫でないどころか、日の本の国の人間でないことは明らかだ。唐か、もしかしたらもっと向こうの国かもしれない。
「何者なんでしょうね、一体……」
海の向こうの異国の言葉で、百合、という名の少女。
ならば彼女は、その異国の生まれなのだろうか。
なぜこの日の本に、海を越えてやってきたのか。そしてこの京の北にあるあんな山中にいたのか。謎は尽きない。
「…雨がやんだら、もう一度行ってみましょうかね……」
と、灰色の空を見上げながらみけがひとりごちていると。

「その必要は無いですよ」

突如、背後から甲高い声がして、みけは驚いて振り返った。
「なっ……!」
絶句して、背後にいた人物を見上げる。
それは間違いなく、先ほどのりりという少女だった。
がた。
ひじをかけていた脇息が倒れ、体の重心が揺らぐ。
くす、と、りりは笑ってみけと向かい合うように座った。。
「なかなか、良いお屋敷ですね」
ぐるりと部屋を見渡して、世間話のように言う。
みけはあまりのことに二の句が告げなかったが、どうにか言葉を返した。
「ど、どうやってここに」
「え、後を追ってきたんですよ?」
「尾けたんですか?!」
「やだ人聞きの悪い。後を追ってきたんですって」
「そういうのを尾けたというんです!」
全力で言い返してから、ふと気づく。
「というより、ここに来るまで、誰かに見つかったりしなかったんですか?」
彼女のような外見の少女が外を歩き回っていたら嫌でも目立つ。ミケの邸の中であればなおさらだ。ここに来るまでに女房に見つかって騒ぎにならないわけがない。
みけの素直な質問に、りりはまたにこりと微笑んだ。
「ひとってね、見てないと思い込んでるものは見えないんですよ」
軽い物言いに眉を顰めるみけ。
「…暗示をかけたんですか?」
「そういう言い方も出来ますね」
「そうとしか言いません」
嘆息して言ってから、みけは軽くりりを睨みあげた。
あの場では、彼女が何者か……というより、彼女が『鬼』であるかどうか、判断がつかなかった。
だが、今ならわかる。
彼女は少なくとも、何の力も持たない普通の人間ではない。
多くの人々に、自分が見えないように暗示をかけている。そして、玖朗の話に出た少女が彼女だとするならば、人の心を読む術も持っている。
「そんなに警戒しないでくださいよ」
りりはまたにこりと微笑んだ。
「別にみけさんに何かしようとしてるわけじゃないんですから」
「今はまだ、でしょう?」
「やだ、人聞きの悪い」
言いながら、ころころと笑う。
そのさまは本当に、普通の少女のようで。
みけは嘆息して、りりに訊いた。
「…先日、あの山に公家の方が迷い込んだそうなのですが。ご存知ありませんか?」
「ああ、あの方」
りりは悪びれる様子も無く、普通ににこりと微笑む。
「とても動揺していらしたので、可笑しくて。ついからかっちゃいました」
「……な」
みけはしばし絶句してから、表情を厳しくした。
「からかっちゃいました、じゃないでしょう。何をしたんですか、一体」
「何をしたと言うか、心の声をそのままお話してあげたら逃げていかれたので、方向感覚を少し狂わせて戻ってくるようにしただけですよ?」
「だけですよ、って…」
なんというのか、全く言葉が通じる気がしない。
いや、同じ言葉を喋っているのだが、常識の素地が違いすぎる。
みけはこめかみを押さえて頭痛を堪えると、話の向きを変えた。
「それで?今度は僕のことをからかうためについていらしたんですか」
「いいえ、逆です」
「逆?」
眉を顰めるみけに、りりは再びにこりと微笑んだ。
「みけさんの心の声は聞こえないんです。心を狂わせることも出来ないみたい。だから、面白そうでついてきました」
「は?」
やはり理解の範疇を超えた話に、再び返す言葉を失うみけ。
「僕の心が、読めない?」
「はい。試しに私の姿を見えなくしてみようともしたんですけど、無理でした」
「どういうことでしょう……」
くだんの公家や、ここに来るまでにすれ違う人々、邸の女房たちに通じた彼女の力が、自分には通じていない。
自分が陰陽師だからだろうか。無意識のうちに心を防御しているのかもしれない。
みけが思いにふけっていると、りりはまたにこりと微笑んだ。
「ですから、私、しばらくここにいることにしますね」
「はあ?!」
物思いから一気に引き戻されて、思わず声を上げるみけ。
りりはにこにこしたまま、続けた。
「今まで、山の中で一人で、退屈でつまらなかったんです。
みけさんの側にいれば、面白くなりそうですから」
「ちょ、待ちなさい!何を勝手に」
「何か、困りますか?」
「何もかも困ります!」
「お食事は気にしなくて良いですよ、適当に食べますから」
「そういう問題じゃなくてですね」
「みけさん以外の人には、私の姿は見えませんし」
「だから……!」

あとはもう、不毛な言い争いだけが部屋の中に響いていく。
みけはかなり必死に言い返しながら、頭のどこかで、この少女に自分の言葉が通じることはないのだろう、と諦めの気持ちが沸くのを感じるのだった。

再び、兄の来訪

「で、何かわかった?」

2日ほどして、再びみけの邸を訪れた玖朗は、暢気な様子でそう訊いた。
「あー……」
難しい顔をして黙り込むみけに、きょとんとする。
「なに、どうしたの。何かあった?」
「……いえ」
どう言ったらいいものやら、頭を抱えるみけ。
何か判ったもなにも、当の本人がこの部屋にいるのだが。
しかし例によって、玖朗にりりの姿は見えていない。みけには自分の隣に笑顔で座っているのが見えるのだが、玖朗にはこの部屋には自分とみけ以外いないように見えているようだ。
みけはとりあえずそのことは横に置いておいて、調べたことの報告だけすることにした。
「…とりあえず、北山に、くだんの天邪鬼と思われる少女は確かにいました。会ってきました」
「本当」
玖朗は少し驚いた様子だった。
傍らのりりが、少し驚いた様子でみけの方を見る。
「天邪鬼?え、私のことですか?」
みけに問うが、みけはそちらは無視したまま玖朗に話を続けた。
「彼女には確かに、人の心を読み、そして暗示をかける術を持っているようです」
「なんでわかったの?話でもした?」
「……そうですね。くだんの公家さまのことは、面白かったからからかったと笑っていましたよ」
「はは、確かにあの方をからかうと面白いけどねえ」
苦笑して言う玖朗。
「で、話をして、そのまま帰ってきたの?その場でどうこうできないくらいに厄介な子だった?」
「ええ……厄介と言えば、これ以上ないくらい厄介ですよ……」
沈痛な面持ちで言うみけの横で、不満顔のりり。
「どういう意味ですかみけさん。それに天邪鬼ってどういうことですか、ねえねえ」
無視するみけに横から延々と話しかけてくる。
みけはしばらくそれを無視しながら玖朗と話をしていたが、りりが一向に話しかけるのを辞めないので、つい、と兄に手のひらを向けた。
「…兄上、少し失礼します」
「うん?」
きょとんとする玖朗の目の前で、みけはりりの方を向いて言った。
「さっきからうるさいですよ。この状況であなたに返事をしたら、僕は誰もいないところに向かって話しかける頭のおかしい人間じゃないですか。
話をしたいなら、まず兄上にかけた暗示を解きなさい」
「え」
みけの発言に、玖朗はぎょっとして眉を上げた。
それからすぐに、彼の耳にも高く澄んだ声が届く。
「ああ、それもそうですよね」
同時に、みけの隣にりりの姿が突然現れて、玖朗はみけと同じようにがたんと脇息を倒した。
「なっ……!!」
目の前に突然、亜麻色の髪の少女が現れたのだ、驚かぬはずがない。
みけは嘆息して、言った。
「……ご覧の通りです」
「りりです。みけさんのお兄様なんですね。よろしくお願いします」
いつもの調子でにこりと微笑むりり。
唖然とする玖朗に、みけは再びため息をついて言った。
「話をしたら、ここまでついてきてしまったんです。それから、ここに居ついてしまって。帰れと言っても居座るので、ほとほと困り果てているんですよ」
「………え、ついてきたって、そのなりで?」
あからさまに目を引く異形の姿に、思わず問い返す玖朗。
「…今の今まで兄上にも見えていなかったでしょう」
「…あ、そうか……」
そこまできてようやく混乱から脱出したらしく、玖朗は居住まいを正すとりりの方を向いた。
「…で、りり?だっけ?君が北山の『天邪鬼』なの?」
「だから、なんですか?その天邪鬼って。私は私ですけど」
「ああ、ごめんね」
ふわりと微笑む玖朗に、みけは少なからず面食らった。
笑顔のまま続ける玖朗。
「俺たち…ああ、俺と、ここにいるみけと、君がからかった公家様ね。この3人の中で、君の認識は『天邪鬼』っていうことになってるのね。まあ、あの公家様が言い出したことなんだけどさ。
君の見かけは、俺たちとは全く違う。異形のものだよ、それは曲げようのない事実だよね。そして、俺たち京の人間は、その異形のものを『鬼』と呼んでいるんだ」
「……ええ」
素直に頷くりり。
玖朗は続けた。
「その『鬼』の中で、相手の心を読み、惑わして悪戯をする鬼を『天邪鬼』というんだよ。公家様は、まあもちろん俺たちもなんだけど、君の正体がわからない。だから言い伝えにある中で一番近い存在である『天邪鬼』という言葉で君を表すしかなかったんだ」
柔らかな口調で丁寧に説明する玖朗を、みけは静かに感動しながら見やっていた。
自分の言葉が通じずに混乱するばかりで、結果としてりりの調子に巻き込まれてしまった自分とは全く違う。こんなに短時間で、りりと自分たちの意識が違うことを理解し、自分の状況を説明することで相互理解を図ろうとしている。
なるほど、従四位の肩書きは伊達ではないようだった。
玖朗はまた柔らかく微笑むと、りりに言った。
「それでね。俺もそうだけど、みけの仕事は、京に仇なすものから京を守ることなんだ。
君が京の人々を脅かすなら、俺も、もちろんみけも、君を退治しなければならない立場にある。
ここまでは、わかってもらえたかな?」
「はい」
柔らかな表情のまま、玖朗の話は厳しさをはらんできたが、りりも変わらぬ穏やかな表情で玖朗の話を聞いている。
玖朗はそのまま続けた。
「だから、君がどうするつもりなのかを聞きたい。
君が京の人々を脅かすなら、俺もみけも君と敵対しなければならない。
君は、どうしたいの?」
優しく問う玖朗の言葉に、みけも表情を引き締めてりりを見る。
そここそが、今回の話の核心だった。なぜか彼女の調子に巻き込まれてなかなかそこまで話を持っていけなかったのだが。
彼女の立ち位置がはっきりすれば、自分の対応も見えてくる。

「君は、どうしたい?まずは、それを聞かせて欲しい」
玖朗がもう一度問う。
みけは緊張した面持ちでりりの言葉を待った。

彼と彼女の結論

「うーん……」

す、と首を傾げるりり。
表情からは困っている様子は見えなかったが、何を考えているのかも伺えない。
「私は別に、京の方たちに仇なしたつもりはないんですけど」
「でもね」
「わかってます、皆さんはそうは思われないということですよね?」
言い募ろうとする玖朗をさえぎって、続ける。
「未知のものに恐怖する、ひととはそういう生き物です。先日のあの方も、私に危害を加えられたわけではありません、けれど『怖かった』からお兄様やみけさんに調査をお命じになった。そういうことですよね?」
「まあ、そういうことだね」
玖朗が頷くと、りりはまた綺麗ににこりと微笑んだ。
「けれど、だからといって私が制限される理由は無いと思いますけれど、違いますか?
京のみなさんは、京がここにあることで誰かが怖がるから出て行けといわれたら、出て行きますか?」
「それを言われちゃうと、もう力で対抗するしか無くなっちゃうでしょ。俺は何も一足飛びに君に出て行けと言っているわけじゃないんだよ。
君と直接争うことを避けたいから、こうして話してるんだよ」
「ふふ、お口がお上手ですね」
りりが可笑しそうに笑いながら言い、玖朗は苦笑した。
「そうか、心が読めるんだったね。なら話は早い。
俺が恐怖を感じているのは、わかるでしょ?」
「えっ」
玖朗の言葉にぎょっとして彼を見やるみけ。
玖朗の様子は普段と全く変わりは無い。飄々として余裕げだ。恐怖しているといわれてもにわかに信じられない。
が、心を読むことが出来るりりに大してこう言うという事は、本当に彼は恐怖しているのだろう。みけは少し呆然としながら、2人の会話を聞いた。
「ええ、お兄様からは恐怖の感情を感じます。けれどそれを押さえつけて、私を追い出すことから殺すことまでさまざまな策を一瞬でお考えになってる。
お強い方なんですね。京を守る武士の方は、皆さんそうなんですか?」
「はは、お褒め頂いて光栄だな。他の人はともかく、俺はそうだよ、とだけ。
でもそうして、人の心を読んで操る力というのは、俺たち人間にはない。当然、対抗手段もわからない。知られたくないものを君に無理やり暴かれるのを防げない状態だ。
そうして、君に手玉に取られるしか無い状況というのは、正直俺たちにとっては恐怖なんだよ。何が起こるかわからない不安に毎日さらされながら生活しなくちゃならない、俺は京を守る立場にある人間として、そういう状況を野放しにすることは出来ない」
「ええ、お兄様の仰っていることは判りますよ?」
「でも、君の言うことももっともだよね。俺たちの一方的な都合で君を追い出したり殺したりするのはさすがに俺もどうかと思うし」
「ふふ、私に不用意に危害を加えて、私、あるいはもしかしたらいるかもしれない私の仲間の報復に晒される危険性がある、でしょう?」
「そういうのは判ってても口に出すものじゃないでしょ、ひとには建前っていうものがあるんだから」
「あら、ふふ、ごめんなさい」
2人は一見穏やかに話していたが、その間には張り詰めたような空気が漂っている。
みけは、心を読まれた状態でありながらりりと対等に渡り合っている玖朗を感心した様子で眺めていた。
「だからね。君が、京に何もしないって約束してくれて、何かその証を示してくれたら、俺たちも君のことを宮中で取り沙汰すのは辞めるよ。
君も、真っ向からの争いは避けたいでしょ?そこだけは、俺たちも一緒だから」
「うーん、それも楽しそうではあるんですけど」
「おいおい、まいったな」
りりの言いざまに、玖朗は弱ったように言って苦笑した。
苦笑程度だが、今までの余裕さがだいぶ薄れていることからすると、玖朗は本当に弱っているのだろう、とみけは思う。
相手は、放っておいたら何をしでかすかわからない猛獣のようなものなのだ。玖朗の言っていることは、猛獣に首に縄をかけて繋がせてくれと言うのと同じこと。縄をかけようとして暴れたらこちらの命が絶たれかねない。そもそも縄で繋げば安心なのかどうかすら怪しいのだ。明らかにこちらの分が悪い。だからこそ、玖朗もこうして下手に出て話をしているのだろうが。
「ねえ、じゃあ話変えようか。何でみけについてきたの?今までずっとあそこで暮らしてきたんでしょ?」
玖朗が言うと、りりは少しきょとんとしてから、またにこりと微笑んだ。
「みけさんについてきたら、面白そうでしたから」
「こいつが何か、君にとって面白いことでも考えてた?」
「いいえ、みけさんの心の中は読めませんでした」
「え?」
玖朗はりりの言葉に少なからず驚いたようだった。
「こいつの心は、読めない?」
「はい。先ほどお兄様にしたように、暗示をかけることも出来ません。何故かは判りませんけど」
「え、それでなんでついてきたの?」
「ですから、面白そうだったからですよ?」
「だって、こいつの心は読めなかったんでしょ?」
「ええ、だから面白そうだと思ったんです」
にこり。
優雅に微笑んで、りりは言った。
「ひとは未知のものに恐怖する生き物です。けれど私はそうじゃない、ということですよ。
何が起こるかわからないということは、私にとって『不安』にはならない、むしろ私の知らない何かが起こってくれることを『期待』してるんです」
「………」
玖朗は返す言葉も無く、呆然とりりを見返した。
ここでようやく、みけが嘆息して言う。
「……この調子なんですよ。こちらの要望を述べても、この調子ですべてかわしてしまいます。僕らとは常識が違うんですよ」
「………」
玖朗は難しい顔をして、しばらく何かを考えていた。
が、おもむろに顔を上げ、再びりりの方を向いて。
「じゃあ、君はしばらくここにいるつもりなんだね?」
「え?」
きょとんとしたのはみけ。
二人はそれを無視して、話を続けた。
「ええ、とりあえず飽きるまではここにいようと思います」
「そう。じゃあ、みけがついてる限りは俺は動かない。みけの元を離れたら、また何らかの対処を取ることにするね」
「ちょ、ちょっと?!」
いきなり対処を丸投げされ、みけは慌てて腰を浮かせた。
「どういうつもりです、兄上!」
「どうもこうも、彼女がこう言ってる以上、それが最善の対処策でしょ。どうせ俺の心は筒抜けだから言っちゃうけど、彼女の術はお前には通じない、お前は陰陽師、現時点で一番彼女に対抗できる能力があるのはお前なの。彼女を、閉じ込めておけるかどうか判らないところに置くよりも、お前の側に追いといた方がよっぽど安心なの、わかる?」
「……っ、それは……そうですけど!」
理詰めで迫られ、言葉に詰まるみけ。
玖朗はそのまま、冷静に言葉を続けた。
「お前は引き続き、彼女のこと調べて。何か判ったり、あるいは彼女がお前のところからいなくなったら俺に連絡して。そうしたら、俺もこのことを御上に報告して本格的に狩り出しにかかるよ」
「だから、勝手に…っ!」
「何度も言わせないでね、彼女に対抗できるのは、お前しかいないの。よって、お前に拒否権は無い」
玖朗はぴしゃりと言ってから、苦笑した。
「ま、そう難しく考えずに。彼女の対処に手助けできることは無いかもしれないけど、何かいるものがあれば用意するからさ。
何かあったら、文をよこしなさい。すぐ来るから」
みけはしばらく恨めしそうに玖朗を睨んでいたが、やがて仕方なさそうに嘆息した。
「……それしか、なさそうですね」
「お前一人に押し付けちゃうようで心苦しいけど、よろしく頼むよ」
「公家様の方はどうするんですか?」
「みけが出かけてって調伏したとか適当言っとくよ」
「また適当なことを…」
「それじゃあ、りりちゃん」
玖朗はまた元のような軽い調子でリリに向かって手をあげる。
「ふつつかな弟だけど、よろしくね?」
「ええ、こちらこそ」
りりもまた、先ほどのやり取りなどなかったかのようににこりと笑みを返して。
「お兄様には『見える』ようにしておきますから、いつでもいらして下さいね?」
「ちょっと、ここは僕の家です」
口を尖らせて反論してみるみけ。
玖朗は改めて、みけの方を見てにこりと微笑んだ。
「それじゃ、よろしくね、彼女のこと」
「……実はやっぱり丸投げしたいだけなんでしょう……」
まだ若干恨みがましげなみけの言葉に、玖朗はただははっと軽い笑いを返すのだった。

ということで、リリミケ陰陽師パロです。こっそり始めてみました(笑)
整体の先生に「陰陽師」を借りてから、ちょっと平安ものを書きたくなっていて(笑)ちょうどいい萌えがきたのでやってみました(笑)
この状態から、色々と怪事件を2人で解決していく、みたいな流れになれたらいいと思います。もちろんラヴも盛り込んで行きたい…(笑)
とりあえず、形だけ整えてみました。ネタが降ってきたら続きを書こうと思います(笑)
あ、ちなみにタイトルは「あまのさぐめのきだん」と読みます。あまさぐ、と呼んで下さい(笑)