「なあ、どうしたらいいかなあ」
「ネス、今の言葉はこれで14回目だ」
「そうだよ、いいかげん耳タコだね」
ため息交じりのネスの言葉に、しかし、かつて大冒険を共にした二人の仲間は呆れたような返事をするだけでした。

世界の命運をかけたあの戦いから、もう5年がたちました。みんなそれぞれに成長し、それぞれに平和な日々を送っています。
ネスはあれからにょきにょきと背が伸びて、もう180センチを越しました。地元のハイスクールに入学して、あっという間に3年生を押しのけてベースボールクラブのエースに。弱小だったチームをシード校にまで持っていった、攻守共に頼りになる、押しも押されぬ英雄です。
ポーラは、地元のハイスクールに通いながら、ポーラスター幼稚園のお手伝いをしています。今年のミス・ツーソンと噂されるほどの器量のよさは、オネットどころかイーグルランド中の大評判。第2のビーナスとまで謳われ、ファンレターまで届くとか。もっとも、本人はそんなことまったく気にもしていないようですけれどもね。
ジェフは、学校の高等部を飛び級で卒業して、今は大学部の研究院でスペーストンネルの研究に忙しいようです。ウィンタースの天才少年!と一時期テレビで騒がれたことなんかもありましたけど、でもこの性格じゃ、テレビ受けしないっていうことがわかってからは、マスコミも潮が引くようにいなくなって、今では静かに大好きな研究に没頭しているようです。
プーは、早々と成人してランマの王様に。可愛いお嫁さんももらって、今年女の子が生まれました。ハンサムなプーの遺伝子を受け継いだとても可愛らしい子で、一度ネスの家に連れてきたことがあります。もうそのときの彼の顔ったら、今でも残り3人の語り草になってるんです。本当に可愛くて仕方がないようですね。

そんな生活を送っている4人ですが、時々こうして集まっては、お互いの今の様子を話したり、昔話に花を咲かせたりしています。
が…おや、今日はポーラの姿が見当たらないようですね?
それに、ネスはなんだかいつになく深刻な感じです。ジェフとプーは、どうやらネスの相談に乗ってあげているようですね。
「そんなこと言わないで、頼むよ、プー。もう子供だっているんだし、慣れてるんだろ?そういうのは」
これが5年前に世界を救った少年なのでしょうか。あまりにも情けない表情のネスに、プーは淡々と答えました。
「ランマでは夫婦の契りは神聖な儀式だ。ネスが言うようなことの参考にはならないと思うが、いいか?」
ネスはうっ、とうなって、ジェフのほうを向きました。
「ジェフ…」
「僕の学校はウィンタースの山奥、下界から完全に遮断された全寮制の男子校だよ。おんなっけといえば保健医のおばあさんと食堂のおばちゃんだけ。きみに何をアドバイスできるっていうんだい?相手が女じゃないっていうなら話は別だけど」
微妙な含みです。
「ネットで検索したお勧めデートスポットなら教えてあげられるよ。あとは…そうだな。『必勝!この一言で彼女はオチる』『初めてのキスのムード演出法』『彼女とのベッドインに失敗しないために』それから…」
「ももももももういいよ」
手持ちのノートパソコンでなにやらぱちぱちと画面を出し始めたジェフを、ネスは真っ赤になって押しとどめました。
ジェフは嘆息して肩をすくめます。
「いったい何を悩んでいるのさ。きみらしくもない。いつもと同じようにポーラに接してればいいじゃないか」
「いつもと同じじゃいつまでたっても先に進めないんだよ!!」
ネスは真っ赤な顔のままジェフに向かって叫びました。

そうです。
ネスも今やハイスクールスチューデント。日本語で言えば高校生。別に言わなくてもいいんですが。
お手々繋いでオママゴトしてれば幸せいっぱいのエレメンタリーとは違うんです。
大好きな彼女と腕を組んでデートしたいし、映画館では肩なんか抱いちゃったりして、静かな公園で二人夜景をバックに見つめあっちゃったりなんかして、いい雰囲気の中でキスだってしたいし、あわよくばあーんなことやこーんなことやいやーんばかーんどぎゃーんなことまでしちゃいたいお年頃なんです。
ましてや、彼が大好きなポーラは、イーグルランドでも評判の器量よし。このごろますます綺麗になってきて、気を抜くとつい見とれてしまいそうになるほどです。
でも。でもですよ。
「だって…いまさらそんな…どう言えばいいんだよ?」
「どうも何も、素直にネスの気持ちを言えばよかろう」
「そうだよ。ていうか、僕は2人がまだそんなママゴトみたいな関係だっていうことにむしろ驚きを隠せないね」
「そうだな。あれからもう5年も経っている。俺と妃より長い付き合いになるな」
「だよねえ。今時幼稚園児だってキスくらいするのに」
「ううううるせえな!!」
そうなんです。
ネスったら、あれから5年も経つのに、ポーラとキスはおろか、「好き」とはっきり言ったこともないんです。
オネットとツーソンは近いですから、時々お互いの家に遊びに行ったりどこかに出かけたりはするんですが…というか世間ではおそらくそれを「付き合ってる」と言うんでしょうが…。
ありがちです。友達で始まった二人が、いざ相手のことが好きになったときに、友達でいた時間があまりにも長すぎていまさら好きなんて言い出せないパターン。
ましてやネスは、これだけスポーツができて頼れる兄貴だっていうのに、そっちの方ときたらてんで免疫がない、それこそ幼稚園児以下のお子ちゃまなんですもの。ジェフやプーの言うようなカンケイなんてとてもとても。
だいたい、そんなカンケイに持ち込めているのならわざわざポーラに内緒で2人を呼び寄せて相談なんかしやしません。
要するにネスは、どうしたらポーラと「もっと仲良く」できるか、2人に相談…というよりはさっきから同じセリフを繰り返しているだけですが…まあとにかく、相談していたのでした。
「なあ、どうしたらいいかなあ」
「15回目」
ジェフは冷たく言って、立ち上がりました。
「つきあいきれないね。プー、帰ろう」
「承知」
プーも続けて立ち上がり、出口に向かいます。ネスは慌てて立ち上がって、2人の後を追いました。
「お、おい、待てよ!」
ジェフの肩をつかんで引き戻そうと手を伸ばしましたが、逆にくるりと振り返ったジェフに指を突きつけられ、ネスは動きを止めました。
「ネス」
「な、なんだよ」
「きみは僕たちの助言がほしいんじゃないんだろ。一歩が踏み出せない自分にイライラして愚痴ってるだけさ。あいにく、僕たちはそんなことに付き合っていられるほど暇じゃない」
図星を指され言葉に詰まるネスにくるりと背を向けて、ジェフは部屋を出て行きました。
「ジェフ…」
「ネス。答えはもう、お前の中で出ているはずだ。後はお前がそれをするかどうか、だろう。おれたちに協力できることはない。ジェフはそう言っているのだ」
プーがネスの肩にぽんと手を置きました。
「何を気弱になっている。あの戦いを忘れたのか?数々の困難を、お前は知恵と勇気をもって乗り越えてきた。何も心配はない。おれのあるじだったネスならできるはずだ」
「プー……」
プーは力強く微笑むと、ジェフの後に続いて部屋を出て行きました。
一人取り残され、ネスははぁ、と肩を落としました。
「敵をぶっ叩くのと女の子を相手にするのは、使う勇気が違うだろーが…」
もっともです。
「どーしたもんかなぁ…」

いつからでしょう。
隣を歩くポーラの、風になびくふわふわの金の髪に、ふわりと微笑む大きな青い瞳に、伏せられた長いまつげに、控えめに動くさくらんぼの唇に、ドキドキするようになったのは。
2人並んで歩いても、ポーラの手を引いても、一緒にホテルに泊まったって、あの頃は何とも思いませんでした。今思うと何てことをしていたんだと枕に八つ当たりしたくなりますけれどね。
でももう、そう思っちゃったから、ダメなんです。ドキドキが止まらないんです。ネスだって健全なお年頃の男の子なんです。よからぬ想像をしてしまうことだって、それは仕方がないってものなんです。
こんな自分を、ポーラは軽蔑するでしょうか。そんなことを考えてしまうと、もうまともにポーラの顔を見ることだってできなくなります。
はぁ。
そして、考えはふりだしに戻るのでした。
もっと仲良くなりたい。でも嫌われるかも。その二つの思いが、ネスの中でシーソーみたいにぎったんばっこんしているのです。
と、その時でした。
『…ス………ネス……』
頭の中に声が響いて、ネスはどきっとしました。慌てて、心の声を返します。
『ポーラ?どうしたの?』
お隣町のオネットとツーソンでも、2人はこんな風にテレパシーで、まるですぐそばにいるかのようにお話しすることができます。便利ですね。
『あのね、今度の日曜日、空いてる?』
『日曜?うん、大丈夫だけど』
『よかった。トンブラのみんなが、久しぶりにツーソンに来るんですって。ラッキーさんからチケットをいただいたの。一緒にどうかと思って』
『マジ?!行く行く!サンキュー!』
『じゃあ、今度の日曜日、10時にツーソンのデパート前でね』
『わかった。じゃあね』
『ええ、楽しみにしているわ』
ポーラの声は、そこでふっつりと聞こえなくなりました。
ネスはしばらくじっと前の壁を見つめていましたが、やがてさっと表情を厳しくすると、ぼすっ、とクッションにパンチを入れました。
その瞳は、真剣そのもの。
ネスは、次の日曜日、『キメる』決心をしたのです。

決戦のときは、あの服で。あのときから、それはネスの決まりごとでした。
そうです。5年前と同じ、野球帽にボーダーのシャツ。さすがにあのときのものは小さくて着られませんから、180センチ仕様のぶかぶかボーダーシャツ。こんなでかい男が短パンはいてたらそれだけで犯罪なので、デニムのハーフパンツ。スニーカーはこないだ新調したナイケのニューモデル。そして、ミスターベースボールの今年度モデルの帽子。
それに、今流行の型のDバッグ(色はもちろん黄色です)を持って、決まり。
ネスはガッツポーズを決めて、意気揚々と家を出ました。
「ネスはずいぶん張り切って行ったわね。今日は何かあるの?」
それを見送ったママが、家の中のトレーシーを振り返って訊ねます。
ジュニアハイスクールに進んですっかり女の子らしくなったトレーシーは、訳知り顔でふふんと鼻を鳴らしました。
「今日はポーラおねえちゃんとデートなのよ。お兄ちゃん、今日は『キメる』つもりと見たわね!」
「まあっ。それは一大事ね!じゃあ今日は久しぶりにネスの好きなハンバーグを作ろうかしら♪」
「そんなことして、失敗してたらどうするの?」
「その時は残念賞♪っていうことで。がんばれネスちゃん、ファ・イ・ト!!」
のんきな一家です。

さて、約束の時間より10分前に着いたネスは、所在なげにそわそわと辺りを見回していました。
「ネス!」
テレパシーでない、高く澄んだ声が聞こえて、ネスは振り返りました。
てててて、とこちらに駆けてくるのは、待ち望んでいた彼女。懸命にこちらに走ってきて、彼の前でふうっと息をつきました。
「ごめんなさい、待った?」
申し訳なさそうに苦笑する姿に、ネスは思わず返事も忘れて見入ってしまいました。
「ネス?」
ちょこん、と首を傾げるポーラ。ネスはあわてて首を振りました。
「えっ、あ、ううん、そんなに待ってない。ちょっとびっくりして…その服」
「ああ」
ポーラは自分の服に目をやると、ふふ、と楽しそうに笑って、くるりとターンしました。
「少し、似てるでしょ?あのときの服に」
そうです。ポーラが着ていた服も、あの時と同じ。薄桃色のワンピースだったんです。
少しウエーブのかかった髪はもう背中まで伸びていましたが、あの頃と同じように真っ赤なリボンで留めて。女の子ですから、三つ編みやポニーテールなんかも最近はすることがありましたが、やっぱりその髪型がこの服に不思議なくらいに似合っているのでした。
「そういうネスも、あのときみたいな服ね」
穏やかに微笑みかけられて、ネスは、そうだな、と照れたように頭を掻きました。
「さ、行こうか」
照れ隠しのように急いでカオス劇場の方を向くと、ネスはポーラの手を取りました。
「!」
びく、と、逆にこちらがびっくりするくらいに、ポーラの手が震えました。
ネスが驚いて彼女のほうを向くと。
「ポ、ポーラ?」
なんとポーラは、耳まで真っ赤になっていたんです。
「…あ、ご、ごめんなさい、行きましょう?」
まだ顔を赤くしたまま、ポーラはにこっと微笑んでみせました。
つられてネスの顔も赤くなります。
2人は真っ赤な顔のまま、それでも手だけはつないで、てくてくとカオス劇場に向かって歩き出しました。
まったく、これがハイティーンのデートなんでしょうか。
手をつなぐだけでこんなに真っ赤になっちゃって。実にお手軽です。
こんな調子では先が思いやられますね。

トンズラブラザーズのライブは、途中で里帰り中のビーナスも加わって、いつにない盛り上がりを見せました。
「楽しかったわね」
「そうだな。トンブラのみんなも元気そうで良かったよ」
「あいかわらずだったけどね」
ポーラはくすりと笑いました。
カオス劇場を出た2人は、近くの公園のベンチで一休み。トンブラ効果か、日曜だっていうのにあたりには誰もいません。
一息ついたところで、ネスは急に隣に座っているポーラが気になりだしました。
ポーラは嬉しそうな表情で、出店で買ったオレンジジュースを飲んでいます。
ネスは、もう飲み終えてしまった紙コップをぎゅっと握り締めて、そろり、そろりとポーラに手を伸ばし…
「ネス」
急にポーラがこっちを振り向いたので、回そうとした手を思わずバンザイしてしまいます。
「なななな、なに?」
こちらの不審な様子に気がつかないのか、ポーラは何か言いたげな表情でじっと見つめた後、ぽっと頬を染めて視線を逸らしました。
「あの…ね?あの…わたし…」
言いにくそうにもじもじしながら、ポーラは言います。
ネスは訳がわからないながらもなんだかドキドキしてきました。
ポーラは続けます。
「わたし…その、あの、ネスが…そう、したいって思うなら……ええと…」
「…え?」
どきん、と心臓がひときわ高鳴ります。
「あの、ごめんなさい!わざとじゃないの…でも、ネスの思いがあんまり強かったから…その、今日、最初に手をつないだときに…聞こえてきて、しまって…」
「…え?」
ネスの思考が一瞬止まりました。
待て。
聞こえてきたって…何が?
落ち着いて考えましょう。
最初に手をつないだときに、ポーラの顔が真っ赤になったのは。
ネスと手をつないだから、ではなくて。
つないだ手から、ネスの思いが…ポーラと、今日はあんなことやこんなことをするんだ!!というやる気マンマンの思いが伝わってしまった…から?!
「…………」
さーっ、と、ネスの顔から血の気が引きました。
「ネス?」
その様子に驚いたのか、ポーラがネスの顔を覗き込みます。
しかし、今のネスにそれに応える余裕はありませんでした。
「…ごっ……ご、ごめんっっ!!」
それだけ叫ぶと、ネスは立ち上がって一目散に駆け出しました。
「ネス?!」
ポーラは驚いて立ち上がりましたが、すでにネスの姿はどこにもありませんでした。
「ネス…」
ポーラは心配そうに、ネスの消えていった方向を見つめました。

「はぁ、はぁ、はぁ……だーっ!!」
さすがに疲れたネスは、息を切らせて原っぱにごろんと横たわりました。
と、目の前に、ぬっ、と肌色の物体が現れます。
「ぽえーん」
「うわあぁぁぁっ!!」
ネスはあわてて起き上がりました。その拍子に額にぶつかったその肌色の物体は、ころりんと後ろへひっくり返ります。
「なにする。いたいな。ぷー」
「え、あ、ご、ごめん。っていうか、え?どせいさん?」
ネスはあたりをきょろきょろと見渡しました。奇妙な建物の並ぶ風景。間違いなく、そこはどせいさんたちの谷、サターンバレーでした。
「夢中でてレポートしてきちゃったのか…参ったな」
無我夢中だったとはいえ、ポーラを置き去りにしてきてしまいました。
デート中に女の子を置いて逃げるなんて、超サイテーです。嫌われ決定です。
「あーあ…」
ため息をついたネスを、どせいさんが覗き込みました。
「ぷー?」
どうしたの?と問われているようで、ネスは苦笑しました。
「こころって、伝わったほうがいいのかな、伝わらないほうがいいのかな」
「こころ」
「そう。言葉にしなくても心が伝わるって…ちょっといいことに聞こえるけど、ホントは怖いことなんじゃないかな…って。だって…」

だって、自分の心は、いいところばかりじゃなくて。
悪いところも、嫌なところも、恥ずかしいところもいっぱいあって。
そのみんなが相手に伝わってしまうなんて、そんな恐ろしいことってないです。
だからみんな、心を隠して生きてるんです。
大切な人にだって…いいえ、大切な人だからこそ、醜い自分を見られたくないから。自分の嫌なところを知られて、嫌われたくないから。
だから、人はこころを隠すんです。

どせいさんはしばらく、どこを見てるかわからない瞳でネスを眺めていましたが、やがてふにょっとヒゲを動かしました。
「くよくよ、よくよく。よくない。ぽえーん」
「…ありがとな」
ネスは言って、どせいさんの頭…頭?を撫でました。
どせいさんは、慰めるようにネスの手首にヒゲをふにょんとからめました。
「ぼくらはみんな、どせいさんなんです」
「え?」
唐突な発言にきょとんとするネス。
「どせいさんは、ひとりでも、どせいさん。ぼくはみんな。みんなはぼく。みんなのこころ、みんなのもの。わかりますか?」
わかりません。
即答したくなるのをこらえて、ネスは考えました。
「…つまり、自分が思うことはほかのどせいさんにも伝わってる、ってこと?」
「そのとーり」
「…でも、それってイヤじゃないか?オレだって…誰だって、嫌なことを考えることはあるし…知られるの、やだろ?」
どせいさんはひょこっと体を傾けました。
「そうでもあり、そうでもなし。いいとこも、やなとこも、みんなどせいさんです。すきか、きらいか、かんけいない。みんな、どせいさんです」
「いいとこも…やなとこも」
「いいこと、わるいこと、たくさんある。けど、だいじなこと、わかってる。ほかのこと、おーらいおーらい」
「大事なこと…」
ネスはただ、どせいさんの言葉を繰り返しました。
「ねすの、いちばんだいじ、なに?」
どせいさんは、またひょこっとからだを傾けました。
「オレの…一番大事…」
ネスはうわごとのように言いました。
そのまま、ゆっくりと時間が過ぎていきます。
やがて、ネスはすくっと立ち上がりました。
「…ありがとな、どせいさん。オレ、帰るわ」
どせいさんをもう一度撫でると、ネスはサターンバレーの入り口に向かって歩き出しました。
「またくる。ぽえーん」
どせいさんは、その姿をずっとずっと見送っていました。

グレープフルーツの滝からサターンバレーに続く洞窟には、大量の「あれ」がいて大騒ぎだったものでした。パニックになったポーラがPKファイアーを所構わず発動してジェフのベストを焦がしたことなんかもありましたっけ。
ここを最後に通ったのは…ああ、そうです。ギーグを倒して、みんなと別れたあと…ポーラの手を引いてこの道を通ったんでした。ギーグの力で凶暴になっていた「あれ」も、すっかりおとなしくなって見えないところに隠れていました。
そんなことを思い出しながら、ネスは歩みを進めていきます。
暗い洞窟の出口からは、滝から流れてくる川のせせらぎが聞こえてきました。
洞窟から出ると、一瞬まぶしい光が目を焼きました。
「!………」
ネスは思わず目を細めて手をかざしました。
だんだん光の力がやわらかくなってきて…まぶしさが薄らいだその先には。
「……ネス」
柔らかな光に包まれたポーラの姿がありました。
ポーラはにっこりと微笑みました。
「ネスの気配をたどったら…ここに着いたの。…あ、大丈夫よ。心は読んでないから」
あわてて付け足すポーラに、ネスは苦笑しました。
「大丈夫だよ。ごめんな、一人で置いてきちゃって」
「ううん、わたしこそ、無神経なこと言ってしまってごめんなさい」
「…少し、歩こうか」
ネスはいって、ポーラの手を取りました。ポーラは一瞬きょとんとしましたが、すぐに微笑んでその手を握り返しました。
川のせせらぎだけが聞こえる中で、二人はゆっくりと歩みを進めました。
不思議と、ネスの心は落ち着いていました。どきどきも、ざわざわもしません。だけど不思議に満たされたような、暖かな気持ちでした。

そうして、ネスは思い出していました。
彼がいつから、ポーラのことを好きになり始めたのか。

あのとき。ギーグを倒して、ポーラを家まで送っていくために、彼女の手を引いてこの川のほとりを歩いていたとき。
ギーグを倒して、世界は平和になったはずでした。
辛くて長い旅を終えて、なつかしの我が家に帰れるはずでした。
だけど、ネスは、さみしくてせつなくてたまらなかったんです。
つないだ手を、ずっと離したくなかったんです。
オネットとツーソンなんて、となり町です。会いたければいつだって会えます。テレパシーで話すことだってできます。
なのに、なぜだかとっても寂しかったんです。
そうして、ネスは初めて気がついたのでした。
自分が、ポーラのことをとても好きだっていうことに。

ポーラの家に着くまで、2人は無言でした。
何かを喋ったら、この手を離さなくてはいけなくなる気がしました。
スリークからツーソンまでのトンネルを抜けて、明るい道に出ます。
その道をまっすぐ行ったら、つきあたりがポーラの家です。
自然と、歩みがゆっくりになりました。
でも、ポーラは黙ってそれに合わせてくれました。
いくらゆっくりになっても、必ず家に着くときが来ます。
それでも、最後までそれに逆らいたかった。
ゆっくりゆっくり歩いて…ついに、その時が来ました。
『送ってくれてありがとう』
ポーラは言いました。
『…言いたいことがあったけど、忘れちゃった。今度会うときまでに思い出しておくわ。じゃあ…さよなら』
ネスは黙ってそれを見つめ…挨拶の代わりに右手を上げて、きびすを返そうとしました。
『あ…』
ポーラが、引き止めるように片手をあげて何かを言いかけたので、ネスは足を止めて振り向きました。
けれど、ポーラは、やっぱり何も言わずに、微笑みました。
『…さよなら。またね』
…寂しそうな微笑みでした。
そうして、ポーラがネスに背を向けて、ポーラスター幼稚園のドアに向かったとき。
ネスは、自分の足を止められませんでした。
大股でポーラに駆け寄ると、その小さな背中を、思いっきり抱きしめました。
『!………』
ポーラの体がびくん、とふるえます。
その拍子に、はたはたと地面に落ちたしずくは、果たしてどちらのものだったのでしょう。
ネスは、ポーラの背中に顔をうずめて、しぼり出すように言いました。

『…..I miss you……』

さびしいよ。
永遠のお別れじゃない。
望めばいつだって会える。
そんなことはわかってる。
そんなことじゃない。
そんなことは関係ない。

さびしいよ。
さびしいよ。
さびしいよ………。

「…なんだか、本当にあの時みたいね」
ぽつりとポーラが言いました。彼女も同じことを考えていたみたいです。
あの時と同じ服。
あの時と同じ場所。
二人はちょっとだけ大きく、ちょっとだけおとなになりましたけど。
心はあのときのまま。そして、今も。
ネスはまぶしそうに微笑みました。
「…オレ」
ポーラの手を握ったまま、ネスはまっすぐに彼女を見つめました。
「ポーラと…その、色んなこと…したい、って。それは…本当だよ。それって…やっぱり、恥ずかしいし…自分でも、やらしい奴…だと思う」
少し頬を赤らめて言うネスを、ポーラは黙って見つめます。
「でも、そう思うのも…知られたくない、嫌われたくないって思うのも、それは…」
その言葉を言おうとして、どきん、と胸が高鳴ります。
だけど、ネスは続けました。
「それは、ポーラのことが、好きだから…だから、なんだ」

…言いました。
…そう。
抱きしめたいのも、キスしたいのも。嫌われたくないのも、いい奴のフリをしていたいのも。
いい気持ちも、悪い気持ちも。
みんな、ポーラが好きだから。
それが、いちばんだいじな気持ち。
いちばんだいじで、いちばんすてきな気持ち、なんです。

ポーラは、少し恥ずかしそうに頬を染めて、それでも嬉しそうに微笑みました。
「わたし、ネスの心が流れ込んできたとき、ね。すごく、びっくりして…ドキドキしちゃったけど。けど…いやじゃなかったの」
一度だけ、ためらうように目を伏せて。
そして、思い切ったように目を上げて、ネスを見ます。
「だって………ずっと、わたしも、そう…思ってたから」

どきん。
ネスの心臓が、ひとつだけ大きく鳴りました。

「ポーラ…」
黒い瞳と青い瞳が、優しく交わされ、交じり合い、溶けていきます。
大きくてたくましくて、でもどこか頼りない手が、おそるおそる小さな肩に触れます。
力を込めたら折れてしまいそうな細くて白い手が、がっしりとした胸板にそっともたれます。
その距離がもどかしいというように、少年は少しかがみ、少女のかかとが上がって。
黒い瞳と青い瞳が、夢見るように伏せられて。

そして、あとは、川のせせらぎに溶けていきました…。

「…やれやれ、やっと第一段階突破だね」
モニターを見ながら、ジェフはため息をつきました。
「よかったではないか。ネスは目的が達成でき、ポーラもまんざらではない様子」
その後ろにいるプーは、安心したように微笑みます。…ただまあちょっと、デバガメが恥ずかしいんでしょう、目じりが赤いですけど。
ジェフは肩をすくめて、2人の様子を盗み撮…いえいえ、こっそり観察していた遠隔操作カメラのモニターのスイッチを切りました。
「だけど、キスひとつでこんなに大騒ぎするんじゃ、この先最後まで行くのに何年かかるんだか…まったく、現代の遺物だね。化石だよ、化石」
ジェフの言い分はもっともですが、それを横から覗く方もどうかと思われます。
「だが、強く思うことがポーラに伝わってしまうとなると…なかなか、厄介なのではないか?」
「……言われてみれば」
そうです。今回は『キスしたい!』っていう思いだけでしたが…この先、もっともっと、ここではとってもいえないようなことまでしたい!って、ネスが思っていたら…それが、全部ポーラに伝わっちゃうんですから。どんなことになるやら…
「…ま、がんばってもらうしかないさ」
ジェフは他人事のようにくるりといすを回転させて。
「ネスにもムの修行を勧めるか…」
プーはなにやら見当違いのことを思っています。

「しかし、『そんなことに付き合っていられるほど暇じゃない』のではなかったのか?」
プーが珍しくからかうようにジェフのほうを見ると。
「こんな面白いことを放っておくほど、忙しくもないわけさ」
ジェフはウインクして、カメラの帰還スイッチを入れるのでした。

いいきもちも、わるいきもちも。
みんな、きみがすきだから。
それが、いちばんだいじなきもち。

イーグルランドのおひさまは、今日も暖かくみんなを照らしているのでした。

“Because I love you” 2003.7.30.Nagi Kirikawa

まだ同人活動をしていた時代に、マザー2本に掲載しようと思って企画倒れになった話です。SSにしてサイトに載せた後、pixivにもアップしていました。エンディング手前でネスがポーラを送っていく時に流れる曲「ビコーズ アイラブユー」をモチーフにした話で、この話を書くのに合わせてこの曲に歌詞をつけて、いつか歌おうと思っていました。友達の誕生日に「いつか歌おう」を実現し、最終的にニコニコ動画にアップしていますw → ビコーズ アイラブユー
ただひたすら、思春期の少年のもじもじもだもだした葛藤を描きたかっただけなんですが、私の中のネスとポーラはこんなイメージです。かわいい。